日蓮聖人の本尊観

 

    ――特に諸宗と対比して――

 

    立正大学教授 執行 海秀

     『鷲峰』通巻38号〜40号所載 (横浜市井土ヶ谷法華経講鑽の集いでの講演より)

 

 題は主として、日蓮聖人の本尊観ですが、ご承知のように日蓮聖人の本尊論は今もって種々の問題があります。ここでそれを一々あげると大変時間もかかりますから、私の信じているところを述べることといたします。

 一体宗教は皆本尊というものを立てる訳で、キリスト教では本尊とは呼ばないかも知れませんが、信仰の対象として神をたて、仏教では信仰の対象を本尊と言っております。そこで私達の信仰の対象を仮に本尊だということばで表わしますと、日蓮聖人は信仰の対象をどのようにお述べになっているか、ということになります。

 むかしから大きく分けますと、久遠実成の釈迦牟尼仏を本尊とする、という説と、日蓮聖人がしたためられた大マンダラを本尊とする、という二説になります。そして前者を仏本尊、後者を法本尊と分けています。諸説はありますが、久遠実成の本仏を本尊とするという時、それがどのような性格かと申しますと、開目抄に。

「法華経以外の宗旨の本尊は、皆本当の仏を知らないところの本尊である」。

 と述べられていますからまず日本仏教のいろいろな本尊と比較してみてまいりたいと思います。

 まず真言宗では一応大日如来で、真宗・浄土宗は阿弥陀如来を本尊とし、禅宗、中でも道元禅師の主張されたところでは釈迦牟尼仏を本尊としています。日蓮聖人以前の仏教では、大日如来・阿弥陀如来・釈迦如来を本尊としていますが、日蓮聖人は道元の釈尊本尊には何等触れておりません。それはほぼ同時代の二人が、地理的関係からお互に知らなかったためと思われます。そこで問題となりますのは、真言の大日本尊と法然上人の弥陀本尊ということになります。

 一体仏教は本尊を必要とするしないかという問題は昔からあるのですが、キリスト教が信仰の対象として神を認めるのに対して、仏教では一般に無神論だと申しており、神を認めない立場にたつ訳です。神は認めないが仏は認めるのではないか、というかも知れませんが、要するに人間でない仏というものは認めない。人間としての仏は認めるけれど、人間に非ざる仏は認めないというのが、今日の通仏教的立場の考え方です。この点からは信仰の対象をもたないとも言えます。つまり仏教は人間自身の問題に取り組んで、自己解決する、いわば哲学でもあり、倫理でもあり、厳密に言えば宗教と言えるかどうかということさえあるのであって、宗教そのものが問題となってきます。

 今日の宗教学と申しますと、日本ではキリスト教がその対象となっており、東大あたりでも、宗教学の主流はキリスト教にあります。仏教には無い訳です。では仏教は宗教のうちに入れてないかと言えば、その点はどうもはっきりしませんが、仏教という学問は、インド哲学の中に入り、インド哲学の中に仏教という信仰が研究されている、という具合です。学問としては宗教というのはキリスト教とされて、キリスト教によって宗教学は奪われているようなものです。

 仏教というのは何か。日本には天台・真言・浄土・禅・日蓮というようないろいろなものがありますが、その中で仏教を代表する学問は何であるかと言うと、真宗のようです。仏教の主流は真宗だと決められているのです。真宗以外は仏教ではない、という考え方が相当強く出ております。宗教と言えばキリスト教、仏教と言えば真宗、では他の宗派は何かというと、正系の仏教ではないんだ、という考えになっているようです。これが今日一般の体勢ですが、日蓮聖人はこれとは全く違いました。日蓮聖人は本当の仏教は法華経、つまり日蓮の提唱する法華経であり、これが本当の宗教で、その他のものは皆本当の宗教ではない、と言われ、日蓮聖人の信ずるものを仏教、さらに宗教という線で結ぼうとなさるのですが、今日一般の体勢は、宗教の直流はキリスト教に来て、その枝葉が仏教に来てそのまた枝葉が日蓮宗に来ているという、末の末の枝葉のような流れにみられています。果してそれが学問的に正しいか、否かは知りませんが、日本では仏教がほとんど勢力をもって、キリスト教は一部の上層階級知識階級の人達は信じているわけで、仏教のように流れていないと思うんですが、その上層階級や知識階級の人達が、宗教と言えばキリスト教だというような頭をもってきているので、いわば神の無い仏教は宗教ではない、神を立てるところのものは本当の宗教だ、という考えかたになってます。そこで仏教は無神論ということになって、またこの無神論というのに魅力を感じて研究する人もあります。

 今日の様に科学万能の時代になってまいりますと、人間に非ざる神の存在というものは迷信で考えられないことと言って、仏教こそ本当の宗教だとする人も沢山あります。それが買われてかえって外国にわたって広まる、禅のようなものがそれです。禅が宗教であるかどうかは別として、仏教の代表は禅だというまでに外国では理解されるようになってきましたが、最近では仏教の中に禅のほかにもう一つ日蓮というものがあると考える人が出てきました。これは善につけ悪につけ、どうかはわかりませんが、創価学会の進出です。日本の宗教界におけるキリスト教と対立して創価学会の信仰というものが、結果的に強く評価されているようです。そこでキリスト教と対決するものは創価学会だ、日蓮の信仰だと言われてます。ほかのものは怖るるに足らないけれど、創価学会だけはキリスト教と対決し得る宗教であると、アメリカ当りから日本にやって来て、大々的に創価学会の信仰を研究しようとしています。ということは同時に、根本的に日蓮聖人の信仰を研究しようとする動きが最近ではでているのです。これはただ結果的にそうなっただけのことですが、では一体創価学会の本尊は何か、ということにも関連してきます。

 まずその前に単的に、大日如来と阿弥陀如来と釈迦如来の三つが本尊の対象として、日本の仏教では浮び上るわけで、これから先に話してまいります。これを学者はいろいろな理屈をつけて説明しますが、むずかしい説明はぬきにして、私達が常識的に考えて、どういうふうに理解するかが問題です。

 まず真言宗は全部大日如来を本尊にしているというわけではありません。それは余り大日如来は偉過きて私達の身近かな世界に出てこないので、学問的には大日如来が本尊で、信仰の対象でありますが、一般民衆の世界には、大日如来はそれほど強くでていないのです。どちらかといえば、不動さんとか、何々明王といった諸天善神という、ずっと民衆におりてきた方は、大日如来ではなくなってきています。この辺りでも一番信仰の強いのはお不動さんで、この方は十界のうちのどこに置くかというと、とても仏・菩薩ではないが人間よりは少々上、といった日本古来の神々といったところになるのでしようか。一般的には信仰の対象となつています。ところが、学問的・理論的には大日如来が本尊となっている訳です。では大日如来はどんな性格の仏かというと、法身の仏といって、真理と一つになった仏、単的に言えば真理そのものだというので真理を人格化したものをいいます。そして、その大日如来は、弘法大師のことばで言えば「遍照金剛」、つまり普ねく真理の光が照らすということで、太陽信仰と結びつくかも知れません。それはむかしは太陽信仰があつて、太陽が普ねく一切を平等に照らすというところと、太陽なくしては生存できないという考え方、或は太陽は万物の生命のもとであるということ等が結びついて、大日如来の真理を太陽を象徴していったものと考えられるむきもあるからです。その真理とは科学的・学問的な真理であるのか、否かとの問題もでてきますが、学的な真理も含んだとしても、人間が生存していくうえに、人間が従わなくてはならない絶対の真理、という意味が、大日如来にあると思います。世の中は変化するけれど真理だけは変らないのだという考え方が一般にありますが、真理は不変である、一国に通じて他国に通じないのは真理ではない、むかしは通じたが今は通じない、今の時代は通用するが今後将来の世には通用しないという真理では駄目で、つまり時間的には永遠、空間的には普遍という二つを折り混ぜて、その中に動かないもの、これに従わなければ自然界は動いて行かない、自然界はそれを軸として動いているのだ、という考え方で、それを名付けて大日如来と言っているのです。しかしそういう真理は一つの理論であって、それがどこかに事として存在するといえば問題です。事というのは仏教語で、仏教では理・事を盛んに使います。理というときは、一つの原理・真理でこれは理論であつて人間の頭で考えたもので、自然・社会はこのようでなくてはならぬという結論を頭の中から描き出していった理論ですから、これが天地自然界に存在するとは考えない。つまり実存とは考えない。そういう考え方の方が、法華経の立場にたった天台の主張で、それは理である、理は絶対の真理であるかも知れないが、事々物々の世界は変化の世界であつて、それが実相であるといいます。実際の理論は理論に従って、事々物々が動かなくてはならないけれど、現実にその理論がどこかに存在する、本体の世界があるとはみません。法華経は諸法に実相があるとするのであって、実相と諸法とは別のものではないのだという立場にたつのが、法華経の立場にたった天台宗の主張であつたのです。そこで理と事をたてるけれど理は絶対の真理である、それはなくてはならぬが現実の諸法の理論通りには動いていない、迷いの世界変化の世界であるといいます。

 これに対して弘法大師は、大日如来は単なる理ではなくて、事として存在するという立場にたつ。そこに強い信仰がでてきます。天台宗では理がともすれば観念的になり、大日如来なるものは当然存在しないのだということになつで、そう考えれば信仰の対象とはならなくなります。そこで一応便宜上それを人格化して完全なる如来が存在しているのだという我々の要請として、客観的に如来というものを立てる訳です。しかし、これは現実には要請に答えてでてきた幻の存在で信ずる人には存在するが、信じない人には存在しません。弘法大師の考えられたのは、それでは強い宗教にならないので、事々として如来が存在する、どこかと言つでも、それは我々の几眼にはみえない信仰の世界でとらえられるというのですが、要請の如来でなくしてそれが根本となって宇宙が動いているという考え方をしています。そうするとキリスト教の神に近づいたことになります。キリスト教の神と同じ様な性格だと私は思います。

 真言の大日如来は真理を一つの法としてみるのではなくして、存在としてみていこうとするものです。するとそれは人間ではなく、人間を含めた一切の根源となるもの、神あって宇宙ができたので、宇宙があって神ができたとはいわないという理論になります。まず最初に大日如来があり、人間を教化する為に、人間に相応する姿をとってインドにでてきたのがお釈迦さまで、お釈迦さまは大日如来が人間の形をとってインドに生れてきたといいます。法身の如来が衆生の機根に応じて出できた応身の仏だというのです。また大日如来は不動如来となってもでてきます。衆生の好むところに従って出てくるのです。日本国のためには天照大神となって出てくるし、中国には孔子とか孟子というふうに全世界の根源の仏様が大日如来で、キリストもマホメットも化身ということになります。根源の世界に法身をみるわけです。その法身は単なる理ではなくて、事として、存在として信じようとするのが密教の考え方です。

 キリスト教とのちがいは、悟れば我々人間一人一人が大日如来だ、というところがちがうわけで、ここに仏教的な色彩があります。人と隔別の世界に大日如来を置いているようだが、それは悟らない迷っている人達にそういう教化をするのであって、信仰に入り悟った世界では、大日如来は自分そのものだということになります。これが密教の勝れたところというのです。自己即大日、大日の他に自已なく、自己の他に大日なしです。人間絶対という考え方です。そして更に悟った世界では、大日如来は自分の陰だと逆転してしまいます。そこがキリスト教とちがうところでキリスト教では神と人間とは次元を異にしているのですから、俺は天にまします神様だ、と言ったら大変なことになってしまいます。不動さんを拝んでいるのは、まだ大日如来の教化を受けている迷妄の人達で、お詣りさせなければならない人達で、神様がそうさせているので、本当に悟つた人は成田さんにお詣りする必要はない。不動即自己、大日即自已であるというのですが、そこまでなかなか悟れないので拝むことになります。

 しかし密教本来の考え方からいえば、自己即大日で弘法大師によれば自己が宇宙の中尊になるわけです。全ての世界は自分を中心にして展開している、というところに、これは真言宗ではありますが仏教の特色がみられます。本尊を拝む対象としてみた時は大日如来の前にひれ伏しているのですが、本当に悟ってくればひれ伏す何もない、自分が本尊のまん中にすわっている。諸仏・諸菩薩一切のものは自分に仕えている家来だということになります。釈迦も弥陀もみんな俺の召し使いだ、自分を中心に世の中は動いているのだ、という独尊的な考え方になってくるのです。これが密教の哲学的に言えば勝れているかも知れませんが、一歩まちがえば危険なものとなるところです。そういう悟りを開く人は余りないのですが、弘法大師はその悟りを開くために入定して、即身成仏し、大日如来となったというところから、大師信仰が起ってきています。

 このように真言では、本尊として仰ぐ時には何でもかんでも迷っている人には皆本尊となり、キツネでもタヌキでもみな本尊で、その人を救うために大日如来がキツネになったりタヌキになったりして出てくるという考え方で、さて悟ってしまえばそのようなものは一切本尊ではなくなつて、自分が本尊になるのです。

 以上は密教における学問的なものでありまして、実際に真言の加持祈祷といつたものはどうしても哲学的理論から出てきません。

 真言の加持祈祷というものは、大日如来の加持力を仰ごうとするものです。然し祈祷の実際の力は、自然にそなわった自分の天性によることもありましょうが、殆どは祈祷をする人自身の、苛烈なる修行練成によって、はじめて得られるものです。丁度、剣道と同じで、宮本武蔵のように厳しい修行を経て、その域に達するのです。この場合大日如来の法というものは、あたかも剣(つるぎ)、のようなものであって、剣を持つ人によっては充分役に立つこともあり、時によっては却って、剣を持った人も、相手の人も、共に怪我をすることが少くはありません。そういう意味で最も勝れた剣を持つ者は、宮本武蔵のように熟練した人でなければなりません。なまはんかな者が持てば、子供が刃物をもったように、あぶなくてしようがないようなものです。

 そこで密教という信仰は、本当に修行して自分自身を鍛えに鍛えあげてゆかなければ、密教を信じても駄目だ、ということになります。何故ならば、たとえ剣はどんなに勝れていても、剣が勝手に働いてくれるのではなく、剣を動かすのは人であるからです。つまりその人が大日如来にならなければ、その剣は大日如来の剣として働かない、ということになって来るのです。

 然しそれでは困ります。自分は煩悩にみちており、大日如来というような偉い人には到底なれないのですから、大日如来の加持力を仰ぐという意味で、加持祈祷というものが出て来ます。それでも加持祈祷をする本人が、やはり修行に修行を重ねて、剣を自由自在に振り廻わすほどの力をもたなければ、剣だけでは役に立ちません。以上は替えですが、教学とは関係なしに実践面において、こういう考え方が真言宗にあるようです。

 さて日本仏教が鎌倉時代になって、どういうように展開したかというと、そういう宗教を「自力の宗教」といって切り捨てゝしまったのです。切り捨てたのは法然上人です。則ち法然上人は、

 「私たち凡夫の力によって、宗教を自分のものにしよう真理を自分のものにしよう。そして自分が自由自在に活躍することの出来るスーパーマンになろう、というような宗教は、本当の宗教ではない」

 と主張したのです。

 一体、宗教とは何ぞや、といった場合には他力でなければならない、という考え方をして、自分がスーパーマンになったり、或は宮本武蔵のような剣豪みたいになるのではなく、どこまでも人間は、そういう超人にはなれないもの、人間は凡夫である、という立場に立ったのです。

 一方、密教の立場からは、「本質的には人間は凡夫ではない。本来人間は仏である、端的にいえば神である」

 と主張して、人間の本質は神だ仏だ、という立場に立っているのです。つまり、

 「すべてが大日如来であるという悟りの世界からみれば、人間すべて大日如来であるけれども、堕落して人間となり、凡夫となっているのであるから、修行さえすれば、元の本質そのものに戻ることが出来る」

 というような考え方をしているのが密教です。

 これに対して法然上人は、

 「人間は、もともと弱い凡夫である。そこで我々は阿何陀如来によって救われなければならない」

 というような考え方を展開して来るのです。つまり、

 「宗教というものは、弱者に対するものでなくてはならない。宗教が自覚という面を強く打ち出すのでなくて、反省という面を打ち出すのでなけれはならない」

 というのです。

 密教の場合は、どちらかといえば人間が強い自覚の上に立った場合「自己即大日如来」になってしまいます。ところが法然上人の場合には、

 「そういう自覚は本当のものではない。本当の自筧というものは、我れ凡夫なり、という反省そのものでなければならない」

 と考えたのです。

 そこで阿弥陀如来という報身の仏……」れは難しい言葉になりますが、密教の場合は法身の仏といって真理そのものを指し、真理を人格化して大日如来といっているのですが、真宗や浄土宗ではそういう仏はおがみません。

 「そういう仏は、あっても仕様がない。我々は、とてもそんな世界へは行けないのだから」

 といって切り捨てゝしまったのです。そして報身の仏といって、曽って法蔵菩薩が五劫の思惟だとか十劫思惟という長い間、色々な修行をするに当って「すべての人々を救わなければ自分は仏にはならない」という願をたてられた「その願、本願こそ宗教の本質である」ということになって来たのです。

 そして法蔵菩薩が、人間の智慧では計ることも出来ない長い無限の時間における、下化衆生の化他行・菩薩行によって、報いの身I報身としての阿弥陀如来となられたのであるから、我々は既に阿弥陀如来によって救われている、という考え方に立ったのです。つまり私たち凡夫を救って下さるという弥陀の立場において、弥陀を本尊としてあがめようとしたわけです。

 この報身仏に対する仏が、ビルシヤナ仏という法身仏であって、宇宙に遍満する真理そのものです。然し真理は形としてあらわすことは出来ません。人間は何とかそれを形の上であらわして来ないと釈然としませんので、奈良の大仏のような大きな仏像が造られたわけです。あの巨大な仏像は宇宙に遍満している真理そのものゝ広大さを象徴したのであって、奈良の大仏は大日如来ではありませんが、一種の大日如来の性格に近い仏として造られたのです。

 こうした真理を人格化した法身仏に対して、報身如来という仏を、法然上人は説くわけです。報身の仏とは、親が子供を愛するような、親子の関係にあるものであって、親は子供に一歩さきんじて修行をし、子供を育て導いて行く。子供は成人して、やがて親となっても、親子の関係というものは厳然としており、親が子供のために働いて、子供を養育しているように、阿弥陀如来があって。その如来が衆生を救って下さるのだから、我々も仏になることが出来るのであり「親が子供を生み放しでは、子供は死んでしまうほかはないようにまず親があって子供があり、まず仏があって凡夫があり、その仏は我々を何とかして救おうという大慈悲のもとに存在しているのであるから、そういう報いという愛とか慈悲というものが、宗教の本質である、というのです。

 さきほど申しましたような、真理とか絶対真理というものが、仏の性格ではなくして、それも否定はしないでしょうけれども、仏の表面に出て来るものは、愛であり、慈悲である。愛とか慈悲というものが、仏教の本源といえば、それは救いの宗教である。我々が修行して仏となる宗教ではなくして、救いによって救いにあずかり、その救いに乗じて、我々は仏になれるのだ、という立場の上に宗教を展開して来たのです。

 そこで、これを替えて申しますと(法然上人はそういう替えは用いていませんが)こゝから京都まで歩いて行くとします。こゝに地図がある。地図をたよりにテクテク歩いて行く。道に迷いながらも歩いて行く。これを法然上人は自力の宗教、聖道門といったのです。これに対して自分の力ではなく、仏の愛によって、親の力で子供が育ってゆくような立場でいるのが、他力の浄土門だ、といったのです。

 これは子供が、我がま上言い放題、甘え放題していても、親は助けてくれる。何もしないで遊んでばかりいる。悪くいえばゴクツブシのような子供でも、親は育てゝゆかねばならない。そういう親のもつ愛情・慈愛そのものが阿弥陀仏だ。我々はゴクツブシみたいな子供、凡夫である、とみたのです。

 そこで、さきほど申しました聖道門の人たちはここから京都までテクテク地図をたよりに歩く。つまり教えを手本として歩いてゆく。教えがないと道に迷ったり真直にゆけないから、一応教えに従って、教えのように修行していく。すると京都につける。仏になれるということになります。然しこれでは時間がかゝります。或は途中で倒れてしまうかも知れません。

 これに対して、法然上人の考えた浄土門というのは、仏果に乗ずる、そういう自分の力まかせに歩いてゆくのではない。仏乗、仏の乗物に乗る、と考えたのです。

 阿弥陀如来の救いの手に乗ること、おまかせすること、自分の我をすて、自力をすてゝ全部如来にまかせざること、この弥陀の本願に乗じさえすれば、親のいうことをきいていさえすれば行けるという考え方です。これを他力といったのです。

 3千年前のお釈迦さまの時代には、自力で修行して悟りを開いた人もいたかも知れないけれども今日のような末法の世の、生活のきびしい時代には、なかなかそういう宗教によって悟りの開ける人は出て来ない。そこでむしろ阿弥陀如来の乗物に乗った方がよいではないか。飛行機や新幹線に乗る場合、落ちるかも知れない、脱線するかも知れない、と思えば乗れませんが、仏の乗物を信じさえすれば、自分の力でなく、居ながらにして京都に着ける。これよりたやすく早いものはないといって、テクテク歩く聖道門は「難行道」。乗物に乗る浄土門は「易行道」と主張したのです。

 法然上人のいうところは一理はあります。何故かといえば、法然上人以前の天台・真言の考え方が自力門に立っていたからです。自力門の場合、そこに何が根底となっているかといえば、今日の思想とつながるかも知れませんが、もろもろの善を修し、自力の力を尽して、あらゆる善根功徳を積む、ということです。

 たとえば立派なお寺を建てたり、沢山な寄附をしたり、或は沢山なお念仏を唱えたり、修行をしたりして、そういう功徳の力によって仏になれる浄土へ行ける、と考えていたのです。そこで貴族や金持ちが競ってお寺を建てたり、沢山な寄附をしたり、念仏も数多く唱えては修行したのです。

 然し、法然上人は考えたのです。貴族や金持ちは仏になれるかも知れないけれども、そのような善根功徳をつむことの出来ない貧乏人や、修行をする暇もないほど生活に追われている者は、どうなるのだ。功徳をつむことが仏に通ずることではない。たとえ何は出来なくても、弥陀を信ずる者のみが仏になれるのだ、と主張したのです。どんなに立派なお寺を建てゝも、どんなに沢山な寄附をしても、自分の心の中で、これだけの善根功徳をつんだという考えをもっている者は、仏のもとへは行かれない、といったのです。

 仏教にはもともと「長者の萬灯、貧者の一灯」という諺もある通り、ものによって功徳を換算しようとする考え方を否定したのが、法然上人の宗教改革であったといわれています。

 法然上人は「俺が」 「俺の力で」という考え方を否定して「おかげさまで」という考え方になったのです。

 「すべてのものゝおかげで育っているのだ」 「自分にはそれだけの力はないけれども、ひきあげてもらい押しあげてもらっているのだ」という報恩感謝の念を正面にうち出したのです。それは仏に対する感謝にほかなりません。

 この点を更に押しすゝめて真宗になりますと、絶対他力をいゝ出して「弥陀を信ずることが出来るのですら、それは自分の力で信じているのではない。弥陀の本願力に催うされて仏を信ずることが出来るのだ」というようになつて来ています。

 そこで、真宗では(これは後で問題となりますが)「自分が仕事をする」とはいわない。「させて頂く」という。たとえば選挙で当選するとしますと「俺が当選した」とはいわない。誰でも「皆さまのおかげで当選させて頂いた」というように「働かさせて頂きます」というのです。

 ところが自力門の考え方では、「俺が俺の力で当選したのだ。これからも俺の力で行政を改革してゆくのだ」というように、自己中心的におのれの我(が)がさきに動いてゆきます。

 自分の力を中心に、ものを考えてゆこうとするのは、天台や真言に、その傾向が強いのですが、浄土宗や真宗では「自分は無力だ。皆さまから押されでいるのだ。自分の力で仕事をしているのではない。皆さまのおかげで、させて頂いているのだ」という受動的な形に変って来ています。能動から受動へ展開しているのが浄土宗や真宗の考え方です。この転換をやったのが法然上人その人です。

 たとえば船が難破した時、泳ぐ力のある人は泳きます。そこには自力が認められています。然し女や子供で泳ぐ力のない者は、助け船の来るのを待つほかはありません。助け船は、泳げない人から救い上げます。阿弥陀如来もまた自力の力よりも他力を頼む人の方に、まず強い慈悲を及ぼすものである、というのです。

 あたかも親が、一人前の子供よりも、満足でない子供の方に、一層深い慈愛を注がれるように、弥陀の本願は、強い者よりも弱い者へ、持つ者よりも持たざる者に、より強い慈悲があらわれて来るものであり、「ひたすらに弥陀を念じて自力を没し、弥陀に帰依する心、これが宗教だ。自分の力であゝしよう、こうしようと計画をたてゝ遂にはみずから絶対者にまでなろうということなどはそういうものは、もう宗教ではないのだ」という考え方が、浄土門の中の根底にあるわけです。

 日本仏教には、以上述べましたように、自力と他力という二つの修行の在り方が、こゝに出て来たわけです。然し実存的に考えますと、「救いの船が来るか来ないか判りもしないのに、いくら待っていても仕様がないではないか」とか「新幹線はあるから乗れるが、弥陀の本願とか、如来の願船とかいっても、肝心の弥陀がいるか、いないか判りもしないものに、いくらすがっても無駄ではないか」という意見も起きています。

 然し実存主義的に考えますと、宗教は成立しないのです。浄土門では阿弥陀如来は絶対に実在するものであり、弥陀の浄土も厳然としているという立場に、はじめから立っているのです。そして弥陀の慈悲は、我々が自己を没した時、我々の上に直ちにあらわれて来る、という信仰がたてられているのです。

 ところが聖道門では、こういう信仰は成立しないのです。厳密にいって、そういう仏や、仏の世界は、客観的に存在しない、という立場にあるのです。

 これは随分前の話しですが、真宗の学者であった金子大栄さんが、

 「唯心の弥陀、己心の浄土」

 ということを主張しました。即ち、西方十万億土のかなたに、本当に阿弥陀如来がましますのではない。あれはそのような理想の世界をえがくところのものであって、自分の心の中の弥陀こそ実在するものであり、我々の住んでいる現実の世界が、本当の浄土でなければならない。十万億土のかなたに客観の浄土があるのではない。客観の阿弥陀如来がましますのではない。そのように信ずることは宗教ではあるけれども、本来はそうではないのだ。それは本当の悟りを開らかせるために。一つの過程としてもうけられた方便にすぎない、といったのです。

 これは全く聖道門的な考え方であって、当時、浄土門の中では随分論議をかもしたものですが、こういう主張は浄土門では成立しないのです。あくまでも、まず親があって子供があるというように、まず如来がましまして凡夫があり、凡夫は如来の他力による以外、救われようはない、というのです。

 さて道元禅師は、これまで述べて来た浄土門の考え方にしても真言の考え方にしても、そういう考え方には無理がある、という批判的立場に立っていました。

 即ち仏教というものは、「理論」とか「救い」とかいう面で説くものではなくして、インドに出現された釈迦牟尼仏の「人格」というものを中心にして見てゆかなければならない。真言では「釈迦牟尼仏は大日如来の応身だ」というが、それは一体誰が言ったことなのか、「釈尊の背後に大日如来がある」というのは、後世の学者が勝手に自分の意見で言っていることであって、お釈迦さまの教えそのものではないではないか。お釈迦さまの教えを奉ずる我々が、その教えに従って修行する立場からすれば、お釈迦さまは先生ではないか大恩教主ではないか。その大恩教主釈迦牟尼仏を捨てて、本当のものが何処かにあるかのようにいう、そういう神秘的な大日如来というものをたてて、そこに「即身是仏」 「我々が絶対の真理だ」といってみたところで、それは本物ではない。仏教というものは釈迦牟尼仏の人格と、その教え以外にはないのだと、こういうように道元禅師は考えたのです。

 この立場からすれば、我々は釈迦牟尼仏を本尊としなくてはならない。インドに出られた釈迦牟尼仏。人間釈尊。人間で結構だ。人間以外に絶対者という、そういうものは必要ではない。釈迦牟尼仏の遺鉢をついで、釈迦牟尼仏の悟りを継承しその悟りを修証して行くならば、それがまことの仏道修行である、といったのです。

 如何に「即身成仏だ」とか「自己即仏だ」とか言ってみたところで、それは理論上可能であるかもしれないけれども、仏になっていないで「俺は仏だ」というようなものであり、いくらそう言ってみたところで、あたかもお金のない人が「俺は金をもっているのだ」と錯覚しているのと同じことだ、というのです。

 金持ちと金持ちでない者とは、厳然として事実の上で違っています。にもかかわらず何億円のお金をも持っている人と同じような気持ちで、「俺はもっているんだぞ」といいさえすれば、「余は満足だ」という、そういう考え方では駄目だ、というのです。仏になってもいないで、いくら「俺は仏だ」と思っていたところで、する事なす事、仏の行いは何もしていないじやないか、何も出来ていないじやないか、そういうことでは絵にかいた餅に等しい。天台や真言で「即身成仏だ」とか「自己即仏」などと言っているのは画壁の餅で、餅を食わずに食ったつもりでいるのと同じであるといったのです。

 そこで道元の考え方では、如何にしたら仏になることが出来るかというと、それは釈迦牟尼仏が悟りを開かれた時の姿を真似すればよい、という主張に立ったのです。お釈迦さまは禅定三昧に入って、自己をみつめて悟りを開かれた。それまでには、いろんな修行もなさったことだろう。然しそういう修行を全部かなぐり捨てて、最後に禅定三昧に入り、自己をみつめて悟りをお開きになったのだ。そこで、お釈迦さまの姿を真似ること、即ち座禅です。座禅こそ仏道である。座禅は自分の行ではないのだ。お釈迦さまの仏行である。その仏行を我々が真似るんだ。真似ることによって総持するんだ、ということで特に座禅をもって行としたのです。

 座禅の対象となるものは、お釈迦さまの成道の時の座禅を真似る以上、本尊は釈迦牟尼仏だ、ということになって来ます。然しこの場合、道元禅師の釈迦牟尼仏というのは、インドに出られた釈迦牟尼仏その人そのものであって、その背後に想定される絶対者なるものは考えもしないし、必要ともしない。むしろそういう神秘的なものは認めないのです。

 特に道元禅師は、加持祈祷を否定してきています。神秘的な加持力というものは、道元の上にはないのです。ただ仏の行いを真似ることだけが仏道であって、そういう神仏の神通力だとか、我々の祈りによって感応道交(かんのうどうきょう)するというようなことは考えないのです。つまり神秘的なるウェーブ、絶対者なる装飾をかなぐりすてた丸裸の、人間としての釈迦牟尼仏を手本とし師匠とし、我々の先生として仰いだところの本尊だったのです。これでは多少宗教性が乏しくなって来る怖れがありますが、あまり神秘化されて真言のようになってしまっても困ったことになって来ます。

 ともかく道元にあっては、仏力・加被力・仏の救い、というものが否定されて来ました。そういうものは考えない。彼も人なり、我れも人なり。お釈迦さまが人間から仏陀になられた。その釈迦牟尼仏が手本だ。誰でも仏になれる。俺も釈迦牟尼仏と同じ人間じやないか。人間に変りはない、という考え方です。

 たとえば、これは適当な替えではないかもしれませんが、戦後、ナショナルの松下幸之助さんが今日のような偉大な実業家になった。そこでその松下さんから助けてもらおう、松下さんをおがんでいるから、松下さんが我々を助けて下さるという、そういう考え方が浄土門の行き方です。そうじやない、松下さんが自分の力で、どうして今日のようになられたのかという道を、我々が、その教えによってきわめるのであって「松下さんも自分も同じ人間じやないか、多少違っていても、似通ったくらいにはなれるだろうといって、ひとふんばり松下さんに真似て修行しようというのが道元の行き方です。

 それを、もらい乞食のように松下さんの財産をねらいうちして、俺がその財産をもらおうとするやり方が浄土門だ、というのです。浄土門の考え方は、必ずしもそうではないのですが、仏を絶対慈悲の上に立てて、仏と人間を親子の関係に見ているため、子は当然親の慈悲をもらえる、親の財産は子の財産だ、という考え方も起ってくるわけです。

 ところが禅では、松下さんに対しても、「彼も人なり、我れも人なり」という対等の立場でみるように、仏というものを見る。然し尊敬しないことはない。つまり松下さんはえらい人だとおがみはしないが、一応は尊敬する。道元の場合は、松下さんを尊敬する以上に、釈迦牟尼仏を尊敬し、我々の到達することの出来ない無我の世界、人格の上で素晴らしい本当の人間愛にみちた仏としてその仏の前にひれ伏すのです。

 道元の釈迦牟尼仏に対する尊敬は、絶対的な帰依であり、釈迦牟尼仏絶対だ、釈迦牟尼仏以外に仏はありえない、という立場でした。勿論ないことはないでしょうけれども、歴史上、一番最初にそのような悟りを我々に示されたのは、インドの釈迦牟尼仏しかないのだ。大乗仏教では本仏というものをたてたり、釈迦牟尼仏の出現される以前に、過去七仏があった等というけれども、それらは全部、釈迦牟尼仏によって描かれた、いわば物語の中の人物にすきない、というのです。

 小説をよめば、作者の人間像が、その中に出て来る。小説の人物が事実のように書かれている。然しそれは、歴史的な事実ではない。多少モデルがあって書き上げられたものとしても、あくまでも作者によって造られたものであり、作者のイメージが現わされているにすぎない。それをあたかも歴史的な事実と錯覚してはならない。それと同様に、大乗仏典に出て来るあらゆるものは釈迦牟尼仏の想念の中に展開された一つの物語りのようなものだ、というのが道元の考え方です。

 経典というすべての経典の作者は、釈迦牟尼仏である。従って、その中に書かれているすべてのことは、釈迦牟尼仏の己中心のものであり、浄土の教えにしても、釈迦牟尼仏の大慈大悲が阿弥佗如来として現わされ、釈迦牟尼仏の絶対の智慧と真理が大日如来となって顕現されているのだ。つまり大日にしても弥佗にしても、釈迦牟尼仏の全人格体の一部を人格的に表現して、一つをとって浄土はこうだ、真言はこうだと、釈迦牟尼仏の人格を、一方から引きぬいただけであって、そういうものが実在するかのように考えるのは間違いだと考えたのが道元なのです。これも仏教史の立場からいえば、一つの大きな流れとも申されましょう。

 日蓮聖人は、道元禅師とほぼ同時代の人ではありましたが、一度も道元とは会ってもいませんしまた道元の書かれたものを読んでもいません。そこで日蓮聖人が「禅天魔」といわれた場合の禅なるものは、中国の唐から鎌倉へやって来た帰化僧道隆によってもたらされた禅であり、臨済禅の栄西も多少は対象になっているかもしれませんが、曹洞禅の道元は対象になっていないのです。若し日蓮聖人が、道元の正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)でも読んでおられたならば、おそらく禅に対する考え方、少くとも道元に対する考え方は変っていたかもしれないし、或る点においては、むしろ賛意を現わされたかもしれないと思われますが同じ時代の人でありながら、布教の地域が離れていたためか、道元そのものは御存知なかったわけです。

 従って日蓮聖人の眼に映じたものは、これまで述べて来た真言と浄土、大日如来と阿弥佗如来ということでこの顕密二教の二大宗教を、どのように克服されるかということが、日蓮聖人の大きな課題ではなかったか、と思われます。

 そこで日蓮聖人の釈迦牟尼仏観というものを、よく考えてみますと、どうも道元のそれに近いような気がするのです。はじめ日蓮聖人も大日如来を信じておられた。建長五年四月二十八日、立教開宗された頃までも、やはり真言の流れから脱皮されず、愛染・不動というものを信じておられたばかりでなく、みずから大日如来より何代目だという真言相伝も述べられているほどであって、今日我々が考えているようなイメージとは、事実は大ぶん違ったものであったようです。

 真言よりの脱皮が、いつごろなされたかは、つまびらかではありませんが、日蓮聖人の図顕された大マンダラ本尊の中には、はじめは確かに大日如来的な色彩もあり、また浄土的な色彩もないとはいえません。但しそういうものが、すべて釈迦牟尼仏を中心として統一されていたことは終始一貫していたものであり、これが日蓮聖人の本尊観の一大特色であったことにも変わりはないのです。

 ところが真言の場合には、「顕劣密勝」という考え方があります。顕劣密勝というのは、顕教の釈迦牟尼仏と密教の大日如来とは、同体であるか同体ではないのか、いずれが勝れて、いずれが劣るものなのか、ということを判定するのです。

 弘法大師の流れをくむ真言の方では、インドの釈迦牟尼仏は、どこまでも人間釈尊であって、大日如来ではない。それは悟りの理性の世界でいえば、釈迦牟尼仏ばかりではなく我々人間をはじめ森羅万象のすべてのものまでも、悉く大日だということは出来るが、事相の上では一往別だ。本質的には釈迦牟尼仏と大日如来とは同じであるかもしれないが、再往では違っているという考え方の上に立って、密教の大日如来が勝れて、顕教の釈迦牟尼仏は劣っている、という見方をするのです。

 即ち時間・空間の世界に現われて来たものは、たとえ仏陀であっても絶対者ではない、と究極において言うのです。これが理論の上からいえば事々物々、即事而真(そくじにしん)といって、何でもかんでも現われたものに絶対を認めよう、と悟りの世界ではするけれども、教理論の立場からいえば、絶対の世界と相対の世界、本体界と現象界というように二元的に見ていて、絶対界の大日如来がじきじきに現象界に出て来ない、というのです。

 つまり大日如来というのは、信仰の世界に直感的にとらえるだけであって、信の世界には出て来るけれども、見える世界や歴史の世界には出て来ない、というのです。キリスト教の神と同じでキリスト教の神も、見える世界には出て来ない。信仰の強い人の中には、内村鑑三みたいに神を見たというような人もいますが、そこまで行けば妄想といわれないとは限りません。

 日蓮宗の信者の中にも、仏さまを見たという人が少くはないようです。お釈迦さまを見たくらいなら、まだよい方でこの地上にお出ましにならなかったような仏さまや神さままで見えたようなことをいう人がいるようです。真言宗でも信仰の世界では見えるけれども、然し見えたからといって、何時、何処でどういうようにと、誰にも見えるわけではないのです

 はじめて人工衛星に乗ったソ連の宇宙飛行士が「地球は青かった。然し神は何処にも見えなかった」といった言葉は有名ですが、そういう神ではない。リスト教の神も、人間の眼や科学の力でとらえられる神ではない。現実の次元とは次元が違うのですから、どんなに宇宙の果へ行ってみたところでまた人間がどのような神通力を得たところで人間と神の次元が違うのですから、とても見えはしないのです。

 ただ信仰の世界にだけ、幻しのように神の姿が見えるという程度であって、神が見えたということは迷信だ、ということになっています。これはキリスト教ばかりでなく真言宗でも、そういう考え方の上に立っています。

 然し理論としては「自己即大日」ということを主張します。それはあくまでも理論であって、理論からいえば「釈迦即大日」ではあるけれども、事実の上では、釈迦牟尼仏と大日如来は天地の相異があるとされているのです。理論の世界では大日如来を絶対者として、大日如来は次元の異った現実の時空の世界に現顕しないとして、形而上の世界と形而下の世界とを截然と分けるのです。

 ところが、法華経をよりどころとしている伝教大師や慈覚・智証あたりの考え方は、「大日即釈迦」釈迦と大日とは一体であるという考えに立ったのです。そこが同じ密教といっても天台密教の立場は、真言のそれと異っています。

 即ち釈迦と大日とは、一往の勝劣はあるけれども、本質的には一体であるという考え方。釈迦大日一体説。日蓮聖人の最初の考え方も、そうではなかったかと思われます。

 顕密勝劣ではなくて顕密一致という考え方、その考え方で法華経をみますと「本迹勝劣論」として展開してくるのです。つまり本門は密教となり迹門が顕教となるのです。

 日蓮宗は本来「本迹一体」の考え方、「本迹一致」の立場に立っています。勝劣論以外の人は皆そうです。富士派の方は勝劣の立場ですが、一般の身延派の方は一致の立場です。

 一致の立場でいえば、そこに迹として出て来たものを、本に対して迹というのは一往のことで本来は「迹がそのまま本」である。「本があらわれた迹」というのです。むしろ迹の上に本を体験しようとしたのが、日蓮聖人の考え方ではないかと思われます。

 つまりインドにお出ましになられた釈迦牟尼仏は、真言流にいえば迹であるが、その迹がそのまま本であって、絶対の大日如来がそこに現われているとみるのです。然し大日如来といっても、それは理論の上のことであって、いわば「自己即大日」という考え方にも結びついてきますが、そういうような考え方が、初期の日蓮聖人の考え方ではなかったか、と思うのです。

 慈愛をもって代表される弥陀という性格も、日蓮聖人にあっては、釈迦牟尼仏のイメージとしての弥陀であり、弥陀というものが、釈迦牟尼仏を離れて存在するとは、お考えにならなかったようです。

 日蓮聖人が、そういうイメージをもって大日とか弥陀とかいうところに足場をおいて、釈迦牟尼仏を見ようとされたのか、釈迦牟尼仏に足場をおいて大日とか弥陀とかを見ようとされたのかといえば、どちらかといえば、だんだん現実の立場において釈迦牟尼仏をみようとなさっていたのではないか、と思われます。

 つまり「迹に即して本」という言葉がありますが、これは本来そういうべくのものではないけれども、一往、昔の考え方からいえば「迹なくして本はない」のであって、本というものが、そういう抽象的なものではない、という正統天台の上に立っているのです。

 本というものは理におかれていて、真言のように事としてみなくて、やはり本というのは理とみているのです。日蓮聖人が開目妙の中で

 「教の浅深を知らざれば、理の浅深をわきまえるものなし」

 と仰せられているのが、即ちそれです。

 教というのも、時空の世界に出できたものです。つまり時間・空間の上に、誰がこれを説いたかという、その現実をとらえたのです。理が先きにあって、理から教が出てきたという考えではなくて教から理を推してゆこうとする考え方です。ところが真言では、理から教を推してゆこうとする、つまり理が本で先き、教が迹で後ととらえるのが真言で日蓮聖人はむしろ教を本とし理を迹としています。

 これを今日の言葉でいえば「事体理用」というものであって、事を体として、理を用とする、事から出てきた理、現実の教相事実から推して理をとらえてゆくのであって、事実から離れた理というものはない、という考え方です。

 これは極端にすると、科学主義的な考え方になるわけで一歩間違えば、そこにおちこむ恐れがないではありません。ご承知の通り物の考え方には、演繹法と帰納法とがあってはじめから神秘的な考え方で結論が出て、そこから様々の調査をするのではなくして、様々の事態を集めて、そこから理論を導いてゆこうとする、それが今日の科学的な行き方です。

 事というのは現象です。現象即実体であって、現象の背後に、現象をして現象たらしめている実体があるとはみないのです。然し、この現象をどうすればよいのか、どう調節すればよいのか、ということを見出すのが理で理は事の後で展開してきます。理が先きにあるのではなくして、理は事の後に、この事を導いている原理として、理を発見してゆくのであって、理が先きにあって理から事が出できたとはいわない。このような考え方が、今日の科学的な考え方ではないかと思うのです。

 日蓮聖人は、どちらかといえば、そういう考え方に似ていて、法華経の「諸法実相」という考え方と結びついてきたようです。諸法が実相であって、諸法と実相と別に二つの存在があるわけではないのです。娑婆と浄土、仏と人間とが二つの実存としてあるのではない。存在するものは人間以外にはない。存在するものは娑婆以外にはない。その娑婆が娑婆のままでは困るので娑婆を分析して、このようなものは訂正してゆかねばならないという、訂正する原理が、娑婆というものの世界から引き出される。原理から娑婆が出できたのではなくて、娑婆から浄土というものが、理想として迹き出されて来る。結論は娑婆から出て来なくてはならない。人間から仏の結論が出てくるのであって、仏が先きにあって、仏から人間が出てきたのではないのです。

 然しこの場合、仏教の立場では仏が先きにあったわけで悟りを開かれたという仏を、絶対基準としてゆこうとします。そういうところで釈迦牟尼仏が、絶対的存在になって来るのです。つまり我々が悟り出すのではなくして釈迦牟尼仏がお悟りになられたものを、我々の基準として導き出してゆこう、釈迦牟尼仏の教えによって人間を仏にしよう、娑婆を浄土にしょう。その基準が教に出できたのです。

 そこで教というものは、単なる教ではなくして浄土門の色彩が出てくるかもしれませんが、その場合の教というものは、日蓮聖人の言葉では観になるわけです。いわゆる観心です。「教即観」 「教観一体」という考え方です。

 これを法華経信解品(しんげほん)の長者窮子の讐えで申しますと、はじめ窮子(ぐうじ)が家を飛び出した。転々と流浪した。これは自分から自由を求めて流浪したわけですが、後で元の自分の父親の許へ戻ってきた。戻ってきたけれども、それが自分の家とは知らないで多年そこで働いて最後に父親と親子の対面をして名乗りをあげた、ということが述べられていますが、この讐えによれば、窮子はもともと長者の子であったのだが、それを自覚しないために流浪したというので我々凡夫というものは、はじめから凡夫ではなかった、という考え方に立つているといわれます。日蓮聖人は、

 「我々は仏の子である。罪の子ではない。今、現実には罪の子として迷っているが、本来は迷うべき人間ではなかったものが、仏の子という自覚がなかったために、迷い出ているにすぎない」

 と仰せられていますが、もともと日蓮聖人にはそういう考え方があったのではないかと思われます。

 ところで長者と窮子が他人であれば、財産は譲られないわけですが、日蓮聖人の場合は、浄土門と同じように親子の関係で説明されていて親の財産は当然子供が引きうけるべきもので自然譲与、労せずして親の財産が自分の財産になると同じように、本質的に仏の血が流れている自分だという考え方に立っていたのです。

 それは、何も肉体的に釈迦牟尼仏の子だというのではなくして、宗教的な立場で釈迦牟尼仏と同じ悟りを開くことの出来る人間だ、という自覚の上に立っていることであってこの原理を日蓮聖人は「事の一念三千」という言葉で表現されているし、またそれを南無妙法蓮華経の御題目という形で表現されているのです。

 観心本尊妙等の中では、我々が六波羅蜜を行じなくても、既にお題目そのものが釈迦牟尼仏の一切の功徳体なのでお題目を受持しさえすれば、釈迦牟尼仏の血肉は我々の血肉となって受けつがれ、釈迦牟尼仏の骨髄もそのまま我々の骨髄となって来るのだ、とおっしやつているわけです。

 そこには、釈迦牟尼仏と我々とは同じ人間だ、という立場がうかがわれます。キリスト教や浄土門では、どちらかといえば人間を罪の子としてみようとしているのに対して人間の本質を罪の子としてみないですべて仏の子としてみようとする、これを「本覚法門」というのですが、こういう立場に立っていたのが日蓮聖人なのです。

 そこで本尊といった場合でも、何か神秘的な絶対者というような、大日如来的な存在としてのものをみるのではなくしてインドの釈迦牟尼仏そのものである、という考え方になっています。この釈迦牟尼仏を、久遠実成の釈迦牟尼仏といえば、それは尊敬の言葉ともいえましょうが、もっとその背景を与えておられる。釈迦牟尼仏の悟りの上に、久遠実成という覚体を附与されているのです。

 端的にいえば、これは少々問題になるかも知れませんが、それは釈迦牟尼仏の戒名であるといえないこともありません。生前にあっては人間釈尊の名前は、通称釈迦牟尼仏。それを信仰的立場からいえば久遠実成の釈迦牟尼仏という、戒名を与えたもの、そんなことであるかも知れません。

 日蓮聖人の場合についてみれば、日蓮聖人の本地を上行菩薩といい、通常、本化上行日蓮大菩薩とたたえている。これを本述論でいえば、上行菩薩は日蓮聖人の本地身、日蓮聖人は上行菩薩の生れ替りだ、応現だとみる。宗教的にみた場合、人間日蓮ではないのだ。実は人間にあらざる上行菩薩が、人間の姿をとって日蓮聖人となられたのだという信仰の上に立つのです。

 では一体、本化上行菩薩と日蓮聖人を一体とみるのか、別体とみるのか、ということになって来ると、理論の上では一体だという考え方に立たないで別のものという考え方になれば、日蓮聖人だけが本化上行菩薩で我々とは本質が違うのだということになって来て大変な問題になると思うのです。

 我々が日蓮聖人を、単に日蓮聖人といわずに、本化上行の名を冠するのは、我々と同じ人間ではあるが、悟りが違う。だからその悟りの世界において本化上行の再来であるとか、上行の応現としておがみ奉るわけです。人間を人間としてみるのではなくしておがむ時は日蓮聖人を単なる人間ではなくなってもっと形而上的な立場にあがめ奉るわけです。これを本地、本述論の本です。述は日蓮聖人、これを別にしてみてしまうと、困ったことになって来ます。

 これと同様にインドの釈迦牟尼仏にしても、人間としての名前は釈迦牟尼仏。では我々と同じ人間であるかといえば、決してそうではない、やはり久遠実成という法格I法身をそなえている。つまり本化上行というのは法身で日蓮聖人というのは応身です。

 然し、それが別だという信仰の上に立つと、どうもそこが、ぴったり行かなくなって来る。そうなると浄土思想になったり、真言思想になったりするのです。浄土や真言の立場では、本化上行菩薩という方は何処かにいて日蓮聖人はその影として出現したものということになるのです。

 日蓮宗の立場では、日蓮聖人は我々と同じ人間ではあるけれども、それは本化上行菩薩としての日蓮聖人である、というように神格化して来ている。我々がそう信ずるのです。日蓮聖人を我々と同じ人間だ、ただの人間だ、とは思いたくない。そこで本地というものを立てるわけです。

 日蓮聖人は釈迦牟尼仏を、人間としてのインド人釈迦牟尼仏ではあるけれども、久遠実成の釈迦牟尼仏とあがめている。法華経の本門をお説き下さった時の釈迦牟尼仏は、勿論その肉体を永遠不滅とはいわない。肉体は80才にしてなくなっているが、釈迦牟尼仏の悟りの世界に永遠不滅を認めようとする、釈尊の悟りが永遠不滅であり、それを人格化して行けば久遠実成の仏となり、抽象化して行けば南無妙法蓮華経となる。南無妙法蓮華経というのは、釈迦牟尼仏の不滅の精神を抜き出した表現なのです。

 然し我々は、その精神だけでは満足することは出来ないものです。やはりおがむ者は、肉体を取り去った精神だけでなく、精神と肉体とが一つになって肉体をも永遠不滅のものだという信仰にまで、もってゆこうとするのです。

 これは宗教の要請でしょうが、我々の肉眼の世界では、釈迦牟尼仏も人間だから亡くなられた。然し実は釈迦牟尼仏は永遠に生きてましますのだという立場。この考え方は自分の血肉を分けた親・兄弟・子供が死んだのと同じことで、肉親の肉体そのものは亡くなったのだけれども、死んだ後でも何処か草葉の蔭から自分をみつめているのだ、という思いがある。それはもはや科学の世界ではなくて信仰の世界です。そう信じようとする。そう信ずる行き方になるのです。

 それと同じように、インドにお出ましなられた釈迦牟尼仏は、80才で亡くなられたけれども、お説きになられた真理というものが、過去・現在・未来にかけて永遠不滅であるように、釈迦陀尼仏も真理と共に常住の仏である、と信ずる。いやそう信ぜざるを得なくなってくるのです。日蓮聖人が、

 「大覚世尊、日蓮が頭(こうべ)に宿らせ給う」

 と仰せられた言葉も、そこから出て来るのです。亡くなったインドの釈迦牟尼仏が、おばけのように出て来てそこにいるというのではありません。信仰の世界でそういうようにとらえられているのです。その場合の釈迦牟尼仏は、勿論久遠実成の釈迦牟尼仏ですが、インド出現の釈迦牟尼仏を離れては、久遠の仏は存在しないのです。丁度、本化上行菩薩が日蓮聖人を離れては存在しないのと同様です。

〈未完〉

 

 

 

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