本 門 戒 壇 義

 

室住  一妙

 

(1)

これは昨夏(1968年)、私のほんのメモを某処で発表したものを、凡そそのままでもというので、こゝに掲載させていただくことになった。勿論、堂々と公表すべきものではなく、ただ同志諸兄の鑽仰の備考ともなれば幸いである。

というのは、この御法門は、字宙的深大の規模であるから、軽卒に筆紙に弄してはいけないと信じておる、そういう意味だけでも考えていただければ却って、何よりの慶びである。

そこでもと発表したときの項目をなるべく、そのまま補説しながら意義を考え、のちにまとめて問題を提出してみる。

 

(2)

 まづ第1に、「但論と正論」というのは、実は論議・論究の態度のことで、その意味は、ある課題にすぐぶっつかつていく、いわば処士横議の格で、もち合せの知識や街学や私見私情をこね合せ、誰とても、何時でも、やり合う論である。もし議論となれば、大てい水かけ論に終る。すぐと即席やる論議だから但論と名づける。之に対して、正格に本格に、専門的にいうと法四依に則る、了義的に、また宗教の五綱(五義)に依るような考え方、述べ方扱い方をいう。いわゆる問題学的な究明法である。やさしくいえば純な道心が、すなおにまじめにしんけんに求めていく態度の論を正論と名づける。邪正・傍正の正義より、あの正々堂々という正に近い意味かも知れない。私は今、及ばす乍ら後者の正論の立場で考えたいというのである。第2、正論への試み(試みだけに、かなり独創的かも知れない。検究的に御吟味願いたい。)

本門戒壇義を思いきって大観するとき、次の図説のように考えてもいいのではなかろうか。

 本門戒壇は、実は教主釈尊に発祥縁起し、滅後第五の五 百歳始、宗祖日蓮大聖人に唱導光顕され、末法万年中には 必す究竟成就する大事業なのである。田中智学先生のは、 之を宗祖に起点をおくが、正論大義から考えるには、むし ろ此の方がいいのではなかろうか。(更究。)

第3、別論の1  全一仏教体系とは新語のようだが、意味は仏教全体一つ であるべきであるということで、教主釈尊の生命精神の健 全真実である限り、全仏教は唯一の体系を成しているはづ である。一例に「仏教」の二字を定義してみると、 

@ 仏の説いた教  

A 仏と成る教  

B 仏を教えた教 

という三義。之を良く完全に了義した経こそ唯一仏乗の法 花経である。この意味を善く全仏教学的に光顕したものが いわゆる天台の教相教判である。念言すべきは、ソシキし たのではなく、全一仏教の教相を公正に示したのである。 体系的に判別したのである。全一仏教体系を光顕したとで もいうべきであろう。このことを次に、

 

第4、別論の2

 

 いうまでもなく、仏教の三定義(A、B、C)は法花経に於いてのみ了義されてる証拠である。法花経を、さらに掘り下げて教相・観心に開いて究明する相対もあり、仏教 と外道と対弁・破立する義を加えて総じて五重相対ともいう。之は本門戒壇の世界教学的基調といえよう。くわしくは天台の五時八教・教観・三学の法門である。即ち全一仏 教体系とは広義の一仏乗教であるともいえるのである。

第5、別論の3  さきの広狭二義の一仏乗が世界的に宇宙的に広顕利益する大事業が狭義の一仏果法花経の半以後、法師品(第10) 以下嘱累品(第22)に至る13品、起・顕・竟の三大節がある。

以上が、第2、「正論への試み」の中の、仏在世縁起分に当る。以下、滅後において、

 第6、史実として要領よく検討しなくてはなるまい。印・支・日の三国、正・像・末の三時、仏教の小・大、権・実、迹・本等と次第し来っている史実である。但しここでは三学の中、戒法・戒坦を中心に究明すべきかと思う。

 第7、台当、曰本の叡山の大乗戒坦、伝教大師の御意図・社会的情実・教界の内情、後世の影響はもとより宗祖日蓮にどう及んだか、ことに宗祖の叡山遊学前後に、三井との戒坦をめぐる事件闘諍焼打に及ぶようなことがあった。これまで余り明確にはされていないようである。が他山の石として、しらべる必要はある。

 第8、三秘 その1

戒坦法門はいうまでもなく、三秘の中の1にちがいないが、ナぜ三秘というのか、三即一とはいえ、不可分離の一即三の体系なのであること、而も秘法であるわけ、而も本門とは法花経本門に説示されている秘法である。之は「別論の三」の起・顕・竟三大節13品虚空会上の説示を文上・文底にわたって、よく吟味されねばならない。経文における三秘体系である。この一科は、或いは、尼ヶ崎曰隆上人の教学にくわしいかもしれない。更究点てある。

 第9、三秘 その2

宗祖一代の三業体系として拝すべしということ。著作・行動(伝記)・内証(精神)の3が、三角関係的に、而も内接円・外接円的に宗祖御一代の円をめぐっている。そこから三秘を拝領しようというのである。いや、そうしなければならないというのである。

著作消息体系・従来、佐前後二分、三分説、さらに要文・手記断片も年次を正して見ること、内容の連関、発展を考えること。

行動体系・所謂、生い立ち、発心遊学等の聖伝における行動に有意的体系を認めるべきこと。ここをおろそかにしておくと、著作消息文中の解釈すら満足にできない。

内証体系・主に、御曼茶羅の体系だが、くわしくは、遺文中の題目・観心・本尊・戒坦・戒法・寂光等の名義の吟味を正しくすること。即ちそれらの関係を考えること。

 以上の三体系が大きく相関して構え慎しむとき、おのづから、大聖の三秘体系を拝し得るのではあるまいか。

 第10、三秘 その3

附たりの様だが、類通三法といわれるもので、約従多端だが思考の訓練にはよいかもしれない。(三業・三身・三学等の例、今は略す。)

第11、三秘 その4

右のうち、要領をとれば、心身土、本門十妙の中の因・果 ・国の三妙、心・仏・衆生の三妙、三世間、個人・国家・世界(宇宙)の三主義等は重要な項であろう。

 第12、三秘 その5

坑の中に墜ちた人を、綱で引き上げる救いの綱の譬えがある(279) 「今身より仏身に至るまで能く持ち奉る南無妙法蓮花経。」に配てて考えるとき、三秘の構造・体系が善く分りよい。ことに、戒法・戒場の信・行・証の三階は適切ではなかるうかと思う。

 以上は大よそ、私のいわゆる純粋宗学内の問題である。

 第13、教団

日蓮宗教団は、これまでどのようにやってきたのだろうか。之はたしかいわゆる宗門史の史実問題である。前出第6の史実は、仏教史実の内の問題、今のは宗祖以後の教団、の史実、いわば寺院教団弾圧被害のうちに、宗門の理想も戒壇法門も煙滅し去ったかにみえる。

之を学説からあとづけるものが次の、

第14、教学史(望月歓厚先生の新刊「日蓮宗学説史」執行海秀先生の「日蓮宗教学史」今は略す。)

第15、現実 その1

今しばらく目を過去から現実に転じてみよう。その現実もまず、明治100年の初、宗門の維新を叫び、立正安国より王仏冥合へ、国体開顕へと、進みに進んだ。最も勇敢に最も大々的に本門戒坦論を獅子吼した者が田中智学居士である。その一代の前半は善い意味の成功であり、後半はたしかに大問題である。(『近代日本の法華仏教』摂折論の項参照)

 第16、現実 その2

大戦後はや4半世紀、今日的現実において私なりに問題を考えてみる。

まず何よりも立正安国の問題であろう。今までの反省である。四格言と関連しての上である。しかも責任的究明である。こうした宗教的・宗学的の体系的な内省なくして、どうして本当の立正安国が考え得るのか。まして立正平和がありうるのか。いわゆる安保も靖国も反戦も核禁もそれらはむしろ枝葉ではないのか。「汝早改信仰寸心」の改むべき信仰さえもあるかどうか。「速帰実乗之一善」の一善を何と認めているのか。700年前の聖語は果して今、内容がちかっているのか。私は敢えていう。我々が思慕している実乗一善の内容は本物でありたい。「宗祖独自の本質」をそのままいただこうではないか。「本門の題目」が本ものであって始めて「本門の本尊」の本ものの本尊が拝されようし、そうあって始めて、「本門の戒壇」の意味が味わわれるのではなかろうか。

 本門戒坦――それはいつ、たれが、たれに、なにを、いかにして、どこで、なにゆえに、その根拠は、例証は、要請は等と正しく答えられるであろう。

 

(3)

 この発表の席の座談中、次のような問題が話題として出たのである。

1、頓・漸、宗祖の御書中には漸次に弘通し進展することは勿論、また一挙に実現することがあるかどうかの意味である。戒坦も時来れば頓成もあるのではなかろうか。

2、宗祖御自身、叡山の戒壇に対して、どうお考えになっていたか。或は、さし入った評価はどうか。

3、御書において、戒坦について名は有っても釈の無い理由。

4、三秘抄の真偽問題。

5、本門戒坦、名出の時期についての考察。

6、秘蹟ということから、戒坦法門をどう考えるか。秘蹟的事実の有無について。

7、事相と蓮密、宗祖の行法には密教的にみられる点、剋していうと日蓮密教といわれる点もあるかどうか?

8、もっと広く戒坦事実をしらべること、日本・支那・印度に及んで。

9、伝戒と授受戒との名義について。

10、国民運動として、すでに宗祖は戒坦運動をやられたのではなかろうか。
        ・
11、世界史的に宗祖の偉大な行動性について。

12、要請とは時代社会が、それを必要とし、欲求する意味とせば、その内容は何か、叡智的人材の養成、法器の仕上げに外なるまいか。

 

(4)

これから現実の問題として、まとめて考えていくと、現代・今日・明日、たしかに機械時代・マスコミ、コンピューター時代。今までの時間・空間も数量もヒヤク的に超えい。一般によく言はれる十号をわけて如・無・正・明・善を内徳に調・天・世・応・尊を外用に、仏は覚者、通称、その覚徳を讃えて正遍知、この人は無始以来悠久の生命、試行錯誤積集して本能となり、さらにいよく無上正真の道を求めつづけ、十如是してここに来到したまうた如来、無上士、尊者大人物にまします。広大の宇宙永遠に正しく遍く大覚し、行動いつも明行足し、そのベスト最善を尽して大涅槃にいたりたまう善逝。人間に在れは世の表裏辛酸つぶさに嘗め(世間解)、人天の導師として(天人師)、偉人も英雄も大王も凶漢も猛獣も、ひとしく調御したまう(調御丈夫)。さればこそ至誠精尽の恭敬供養に応じ得る資格があり(応供)、宇宙万有広く永く無上の世尊大聖として仰がれたまう。

この仏陀(自覚者・大覚者)とは「我れがそれである」と名のり出た人は誰であるか。釈尊より他に、誰人があるか。それも神がかり的啓示によるのではなしに、黙示された大自然、生類人類全体の運命をかけた問題をすなおに感受し、真面目に対決し、完全に解決したのである。果して実際釈尊が、そんな人であったか、どうか?それは正直誰も知らない。もし知る人があれば、それは仏陀と同等か以上の人であるはづである(唯仏与仏)。但し、そういう推察・予想はできるすじがある。論理がある。実証がある。それが今、この文字を書かせている。いや諒解してもらえる大方の人々の心情がある。もしも、これらがなかったら釈迦牟尼仏というものは架空的想像。善くて、有閑的インテリの描いた理想像に過ぎないであろう。ああ、果して釈尊は、われわれ現代人にとつて、何ものであるのか。

今までの過去はともかく、今という現代の今日、どんな意味で信頼に値するのか。値しないのか。そこの究明が充分でないと、生死解脱も往生・成仏等も高嶺の花・画餅・お伽噺に堕する。今の本門戒壇もシンキロウに外なるまい。というのは、明確に、「本門」とは法花経に根拠した術語である。法花経はいうまでもなく、至極の大乗経の仏説である。その教主が釈尊、釈迦仏である。

「本門戒壇」は但だ論するよりも、まづその基本的義分を正すのが先決。第一義的根源は、たしかに教主釈尊にあるのである。

今、ふりかえって、前にかかげた16項目をあらためて大すじに要略する。その第1は、仏と世間との関係である。静的でない、要請関係・感応関係である。釈尊が、あの国土に時代社会に生れ出て、物質的精神的文化の問題を背負うたこと、もっと本質的に深く、生類人類の歴史的必然・文化的当然の要請、その求道者であったという一項である。

釈尊こそまづ、の生れて七日に半孤児となった人間である。A幼少年期は、うわべは恵まれて生長し、B王たるべき教養も修行も勿論、C貧富をみた、憎愛も感じ、情慾にも悩んだ。D齢ごろ、よろしく妻とりて、父となる。D老人をみた、病人を見た、死人も見た、そして考えた。F人間の一生、全体まぬがれぬ運命の本質を考えた。Gなお、人間以外の生類との関係をも見たし考えた。H一切衆生の生死輪廻の問題は刻々に逼ると感じた。Iここに、すべてをかけた対決は断行された。ついに永遠の解脱・正覚・大゛覚・無上正等覚に到達したのである。

第2は、この人が、その時代社会にはたらきかけた過半生の50年、人類の教師として教を説いた。東西南北夜に日に、若説若黙・正々堂々。それは何を説いたのか。生死解脱はただ社会からの逃避か、自己の心・煩悩からの解放か、然り。しかし、それは現世だけでなく、遠い過去と遙かに未来に及ぶ三世輪廻からの解脱の法である、実践の道である。それだけではない、ここからが重大である。即ち十号世尊、仏としての説教である。個々の人が、その十号世尊と成る法である、成仏の教である。さらに重要なのは真の仏を顕示する教、顕仏の教である。これらのことは、釈尊の滅後3〜10世紀かけての間、インドにおける仏教展開の事実である、経典成立の意味である。

第3、この仏教全体が、正像末に、インド→中国→日本へと流伝され、讃仰され、整理されてきた。その中に真実の仏意の一乗教を中心に見通して始めて、全一仏教体系が明かになる。像法の中国の天台、像法の日本の伝教を通って、末法の初の日本の日蓮にバトンが渡された。このバトン伝受を裏づける文証こそ法花経十三品の起尽である。之は法花経が仏教第二定義の成仏教(記小)の極め(迹門)より、第三定義の顕仏教(久成)の大事(本門)へと開展したのは正に、真仏教が遠く末法の現実にはたらきかける胎動を告げるものではないか。久遠本仏の未来益物は超世の大事業なればこそ、虚空会・十方分身来集の大儀相を調え、六難九易をかかげ此為難事・宜発大願・此経難持といましめ、はげまされている所以である。神力品別付の段は殊に、十大神力・四句要法とある中、後の五神力は、天台大師の解釈には、未来の四一 (教・行・人・理)と機一とされている。それは末法の法華一乗教の世界人類乃至宇宙的規模の利益を象徴したものとされている。ここに三秘の中の戒壇はその雄大な構造ともされる。ここに宗教的文化的世界的字宙的大使命がよく発揮されるのである。

 

第4、今、結論的に考えてみる。

現代の平和とか文化の問題、明暗・安危いろいろ、想像し議論することもできないような、不測なことが夜に日に起って来ている。こういう時代世界を救うべき根源的責任者は、いうまでもない、教主釈尊である。なぜならば、この生々しい人間世界において、自覚も自覚、大自覚者であるからというので、大覚世尊と仰がれているのではないか。教主釈尊を、大覚世尊・久遠実成の本仏と仰ぐことかしこそ、本門戒壇の実義が展開してきているのではないか。釈尊がただ、仏陀という称号だけの仏なら知らぬこと、大覚世尊として三世了達の仏知見者ならば、広く世界も宇宙も、遠く末法万年の外未来までもお見通しのはづである。

もし、そうならば、現代末法無教無救の時国世界を、どうなさるおつもりか。知っちゃいるけどショチナシでは、無能、無慈悲の仏。とても世尊ともいぇないではないか。

実は、その末法を目ざし、救済を、良薬を、導師をと、わざわざお遣しになるという。では果してその人は出たかどうか、またその法は果して救療の能力・実効があったかどうか。

 これらすべてが一挙に証明された。

色香珠美皆悉具足の法も、斯人行世間能滅衆生闇の人もそれら教説の仏も、証明仏も「皆是真実」と、身をもって実証した人がある。釈尊は、ほんとうに、ほとけである、大覚世尊であると実証した。その仏の説かれた教、仏教全体(全一仏教体系)であると証明した。滅後正像二千年の仏教史実の意味を明かにした。末法につかわされた特別の導師、特別の秘法とを顕揚し実証した。よって、たしかに末法唱導師高祖日蓮大菩薩たることを自体顕照したのである。日蓮唯だ一人、善く仏法史上の証前起後の大聖ではなかろうか。正に、久遠本仏釈尊(本果妙)に対応し、即応してぃる本化上行日蓮(本因妙)である。いわば、ふしぎの真応如来である。

これからは、宇宙時代とか言えるならば、本当の釈迦宗(全一仏教)が出現しなくてはならない。即ち日蓮宗がそれである。(せまいセクト宗派でない。)

 経文に「十方仏土中 唯有一乗法 無二亦無三、」 「十方世界 通達無礙 如一仏土」 「教無量菩薩 畢竟住一乗
是故有智者 聞此功徳利 於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑」

要は、本門戒壇とは、この唱導師により、地球全体を一仏乗化、常寂光土とする経営活動のための施設に外ならない。ただ正認識正自覚に俟つ。

 

(5)

 「本門戒坦」とはたしかに特殊宗教の儀式・施設にちがいない。すなわち、@「一仏乗法花経の本門」に依る宗、A「本門三宝尊総動員の行事」として、Bこの現実地球上現代をふくむ近い3世において、C「常寂光土実現」の大事業である。

こういう意味を、もう少し検討してみる。

そもそも、戒とは広く世間の風習道徳に当ろうが殊に禁戒条項のこと、実生活における生きたすじみち(義)として、まづ、さし当り悪事を止め善事を作すことである。仏教に入っても亦同様に、三宝・三帰・三学と進展する。さらに小乗教では自己解脱本位の行法で、その前階として個人・教団のおきてである。大乗教は自利・利他を標榜して内外にわたる警訓・修養から福を集め衆を利する教学、宇宙観に及ぶ。自らを犠牲とし永世の誓願行、衆生成就・国土浄化を説く。がしかし現実的保証は未だない。法花本門に至っては、この地上の肉身に成仏浄土を予期し而もその時限は末法と指してある。ふしぎなことに、末法とは仏教内の術語で、仏教自らが自分の寿命を宣告した語で、この時期には仏教は衰滅してしまうという。教・行・証のうち行も証もなくなる。経典の文化財は残っても内実の意味も失われ感化もなくなるところか却って罪悪を招き、謗法堕獄が時国一同の運命となる。そこで「法花折伏破権門理」の大旆をかかげ、権実二教の戦を宣し(止の大戒)、如説修行して絶対極善の妙法をすすめる(作の大戒)。かくして令法久住広宣流布して、事の寂光を期す。

この本門の受持行こそ、不惜身命、いのちをかけてこそ生き甲斐、死にがいのある、生、死の即身成仏といわれる。

C「今、日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より、今、弘安三年(太歳 庚申)十二月にいたるまで二十八年が間叉他事なし。只、妙法蓮花経の七字五字を 日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此れ即ち、母の赤子のロに乳を入れんとはげむ慈悲なり。此れ又、時の当らざるにあらす。已に仏記の五々百歳に当れり。・・・何かに況んや今は已に時いたりぬ。設い、機なくして水火をなすとも、いかでか弘通せざらむ。(諌暁八幡抄)

 この御文はやはり、本門戒坦運動の広く初心に対する作戒授戒的表現である。試みに配して五陰世間とする。かの四格言の破邪、立正安国、三諌苦斗の一面は別して中・後心に対する厳しい禁戒。衆生世間に当る国民運動である。もしそれ、国土世間の一義は、恐らく、身延山中、厳粛な黙?の御生活ではなかろうか。三世間通じての御意匠は、本尊抄の結文を拝すべきであろうか。

 

(6)

今の日蓮宗の我々は本当に何を信じているのか、その信仰に誇りがあるのか、宗祖に魅力があるのか、その宗の信
行は何を止め何を作すべきなのか、それが果して立正安国となるのか、立正平和といえるのか、自りに問い、他人にもきこう。

仏眼をかって時機をかんがへよ、 

仏日を用って国土を照らせ。(撰時抄)

仏御ねはんの時、

法を灯明とせよ

自らを灯明とせよ

法を帰依とせよ。

自らを帰依とせよ

 これは法と自己との相関相照である実践交流である。法灯自灯法帰自帰の依正二報を照らし帰するとき、たしかに寂光土は実現するであろう。

たしかなところからおさえてゆこう。本門戒坦の場とは我々が生きている所、働いている処、より善く活き、最善にはたらき、はたらかせる処、人類億兆、みなその処を得て最善最良に活動できるようにするそんな神聖な場にする場である。例えば私個人の場合で考えると、一往学校内の教坦とする。止・作の戒を説き他に授け自に受けていく向上の場である。人づくりする人をつくる・・・その根源的中心の中心の場が、本門戒坦の坦ではなかろうか。それにつけても広く日本社会の現実を見る。小・中・高校12年、国民大多数の教育の場、それが今も今、上部構造の大学から崩れ出して、下層基体にまで及ぼうとする。いわば日本国民教育の場、国民精神・国家道義はこのように、末法濁悪・白法(白善教法)隠没・闘諍堅固の形相ものすごさ。小学校前の幼稚園・乳幼児へと遡ってみると、むしろ性格育成には重要の時期とされている。しかるに家庭のしつけも、保育の施設も制度も、かなりの欠陥が気づかれてきた。もっと進んで考えよう。乳幼児前、出生前、胎中十ヶ月の在り方、所謂胎教がいかに重要であるか。古聖の金言にあるようである。いわば「三つ子の魂百まで」というその魂の形成期である。これらを精神的宗教的に例譬して考えさせられる。平凡な家のお仏坦も、お寺の本堂も、墓地の掃除も、年中行事の参詣もすべてが、国家国民のバックボーンを培うものであったのではないか。その素朴な至誠心が失われたとき、この恐るべき惨状を呈するのである。

本門戒坦は、実に久遠の生命体系の開展に外ならぬ。生物進化といわばいえ、その肉体的血管の中に、不思議な精神的エネルギー、本仏の果徳が放射されるとき、人間も自然も世界も一挙にかがやき出る。本来そういう世界なのではあるまいか。ただそれにふさわしい施設が要るというだけのことかもしれない。「蓮花化生」と提婆品にあるあの蓮花は、正に妙法の蓮花である。本化地涌の大菩薩たちが長らく聖胎長養し来って、今や生れ出ようとする時の大儀式なのであろうか。

 

 

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