「宗義大綱」に対する疑義に答う

 

――特に竹田日濶師の質疑に対して――

茂田井 教亨

宗務当局によって「宗義大綱』が発表されてから、賛否いろいろの反響があった。一つの仕事に対する賛否両論は当然なことであり、ことに宗義の大綱を一応形なりにも纒めようというような仕事は、出来たとしても、宗門人90パーセントの賛同を得られるものとは限らない。日蓮聖人の教学のごとく、複雑多岐な要素をもちながら揺るぎなき体系を一貫させておられるものは、恐らく、本学の論議はいつまでか尽きないであろう。ゆえに原案作成当時の責任者であった故望月歓厚先生も、 「これが永遠に変えられない、いわゆる金科玉条となるものではない。時代時代によって変更すべきものは、宗会の議決によって改めればよいのである」といっておられたほどである。だからわたくしは、その後の反論等に対してはほとんど無視してきた。とりわけ、非礼顧みる必要のないものは歯牙に掛けぬことにしている。ところが、昨年の7月15日に発行された「宗門改造」第192号所載竹田目濶師の疑義は、「片山宗務総最・茂田井責任者に質す」とあって、これは先方が納得されないまでも、一応はお答えするのが義務であるうと心得、以下、私見を開陳する次第である。

1.第一に申上げたいことは、竹田師に限らす、大崎の宗学ないし宗学者に対する疑義或は不満に、共通点のあることである。それはひと口にいえば、誤られた科学性と前近代性とてある。したがって、大崎宗学者と外部論難者とのあいだには、宗学論または宗学観というものに、根本的相違があって、たとい論議を試みたとしても、両者の論議には擦れ違いが多いのである。これは個々の論議を交わすまえに、宗学とは何であるか、また、その方法は如何にあるべきかというようなことを話し合う必要があるようである。そういう正しい意味での学問的努力なしに話を進めるのは、徒労に等しいかも知れぬが、前言のごとく、道義的義務感から述べるものであることをご諒承いただきたい。

2.竹田師の論文(2)項に指摘された『大綱』が全体として「複雑化であり、非現実化であり、且つむつかしくして判かりにくい感じ」という点は、ご尤もと思う。当時作成に当っていたわたくしどもでさえ、簡明化すということは却って難しくしてしまうことのように感じたものである。しかし、冗々たる文章で現わさす、2,3行の文章で表現しようとすると、聖人の教学のエッセンスのごときものを、生で吐き出したような形になったわけである。そこで望月先生も、「原案は出来たが、これは骨みたいなものだからこれを平易にしたり、現代化することは「現宗研」の仕事だよ」といわれたものである。――一寸楽屋話になって恐縮だが、数名の委員が挙げられ、先生が委員長となられたが、委員の作文は殆ど抹消され、全体は望月先生の文章で成った。それを「日教研」の所員会議にかけ、検討し決定したものが原案となり、それを宗務院は更に「教学審議会」に諮って、宗会提出の原案となったのである――。「解説」の仕事は、先生のいわれた通り、片山総長の委嘱を受けて「現宗研」で一年がかりでやったのであるから、この方の責任は、師の仰る通りわたくしにある。

3.論文(3)項は(大系は体系の誤植)、もう一度『宗義大綱』をお読み頂きたい。(1)の「体系」は「日蓮宗は」と「日蓮宗」が主語になっているので、その「日蓮宗」の義学は「理・教・行・証」の綱格をもっているーーこれは各宗共通の綱格――というのであって、それが具体的には「五綱」・「三秘」に当ろうというのである。遺文が御教示になっているというのではない。もし、日蓮宗には「理・教・。行・証」などというものはない、といえば噴飯ものになろうし、あるとすれば、義学上、「五綱三秘」以外の何物でもないであろう。そこで私見を率直にいわせて頂けば、わたくしは「教・理」が「五綱」で「行・証」が「三秘」という具合に、判然と分けられるものではない、という考え方をもっていることである。『大綱』ではそのように分けているが、私見はその点、多少ニュアンスを異にすることをこの機会に表明しておきたい。それは左の遺文によるゆえである。               
 A 観心本尊抄

釈尊丿因行果徳丿二法ハ(理)妙法蓮華経五字二(教)具足ス。我等受持スレバ(行)此五字ヲ自然二譲与へタマフ(証)彼因果丿功徳ヲ。(定遺711)

B 開目抄

一念三干の法門(理)は、但法華経の本門寿量品の文(教)の底にしづめたり。(539)
 教(教)の浅深をしらざれば、理(理)の浅深弁ものなし。(588)

 C 四信五品抄

云廃事存理者捨戒等事専題目理之云(1297)

妙法蓮華経五字非経文非其義唯一部意耳。初心行者不知其心而行之自然当意也。(1298)

4.(4)項では「五綱」の説明はそれでょいが、現代仏教学とは矛盾する面があるから現代化されていない、また、五時八教などは古暦昨食だから現代人の仏教学生は信用してくれない、というお説が述べられている。ここでは師は本末顛倒しておられるのではなかろうか。仏教学があってそこから宗義が出るのではない。聖人の宗教体験があって宗義が生まれたのである。それが凡て仏教学と背馳したと
しても驚くことはない。それを気にしたら鎌倉仏教を否認しなければならないことになろう。否認したとしても親鸞・道元・日蓮は生きているのである。この事実に刮目しなければならない。いまの仏教学が仏滅年次を算定したり、仏典の成立を考究して、日本仏教史上の諸先師の所信と異った結論が出たとしても、それは学問的業績として尊重されてよいのである。そのことと大無量寿経を通して弥陀の召喚の声に従った親鸞の宗教、法華経の六難九易の仏勅に身心を投じた日蓮の宗教とは次元が違うのである。心ある人達から仏教学や仏教学者はあっても、仏教や仏教者が存在しないといわれていることに反省しなければならない。

最近の宗門人のなかには、日蓮聖人は今日の仏滅年次の算定からみると、像法時のご出生で、末法に入っていないと心配される向きが多い。わたくしは何という不見識なことを口にされるのかと、心外に堪えない。鎌倉仏教の祖師方は何れも五箇の五百歳説によって正法一千年・像法一千年を立てておられるが、正法五百年説もある。要するに末法の問題は、客観的に末法の年次を算えるよりも、宗教的末法意識が問題なのである。唐の善導でさえ、末法意識に生きた仏教者である。宗門人はもっと高い見識を持っていただきたい。

5.師のご所見では神力別付の一大秘法は本門の題目であって、本尊・戒壇は含まない、というご意見のようである。『大綱』はそれに反し、神力所伝の一大秘法が三秘に開出されるとしている。これは見解の相違といって了えばそれまでだが、妙法蓮華経の五字から三秘を開出させては一尊四士論者の竹田師にはご都合が悪いということもあるのではなかろうか。しかし、同じく一尊四士論者であった望月先生は、一秘即三秘・三秘即一秘を立てておられた。元来、日蓮聖人のご本尊は、他宗の本尊のように、単に信行の所対という狭義に止まらす、能観(題目)所観(本尊)相互交流媒介となる勝義に立つのであるから「三秘」は基本において質を同じくするものがなくてはならない。そこに「一念三千の仏種」という概念が立つのである。ご承知のごとく、『観心本尊抄』に

所詮非一念三千仏種一者有情成仏・木画二像之本尊有名無実也。(711)

と仰せられたのはその原理をお示しになったもので「有情成仏」に「本門題目」が、「本画二像之本尊」に「本門本尊」が暗示されているといえるであろう。もし、師が強いて遺文に典拠を求められるなら、『曾谷入道殿許御書』の左の御文などが、その間の消息を窺うに足ると思う。

慧日大聖尊以仏眼兼鑑之。故捨棄於諸大聖召出此四聖伝二於要法也定於末法之弘通也。(904)

大覚世尊以仏眼鑑知於末法為令対治此逆謗二罪留置一大秘法。(900)

然後示現於十神力付属於四菩薩。其所属之法何物乎。法華経之中捨広取略捨略取要。所謂妙法蓮華経之五字名体宗用教五重玄也。・・・但持此一大秘法隠居於本処之後仏滅後於正像二千年之間未一度出現。所詮仏専限末世時付属於此等大士水故也。(902〜3)

ここにいう「一大秘法」が「本門題目」に限定されないことは『観心本尊抄』にも本抄と同致の文章をもって「名体宗用教南無妙法蓮華経是也」 (717)と仰せられたとおり、この五字が五重玄義的に演繹されることを示されたものだからである。ゆえに像末弘通を相対されて、

像法中末観音薬王示現南岳天台等出現以迹門為面以一本門為裏百界千如一念三千尽其義。但論理具事行南無妙法蓮華経五字並本門本尊未広行之。所詮有円機無円時故也。(719)

と仰せられている。すなわち、「要法」として「教」の格に立つときは「五重玄」の「五字」と規定され、それが教即観観即教的に実践し弘通されるときには能観(題目)所観(本尊)と分別され、いわゆる「事行南無妙法蓮華経五字並本門本尊」となるのである。

もしそれ「三秘」に分開された明文を求めれば、いうまでもなく、『報恩抄』の御文となるであろう。

問云、天台伝教の弘通し給ハざる正法(「本尊抄」にいわゆる「未広行之」の「正法」なり)ありや。答云、有。求云、何物乎。答云、三あり。末法のために仏留置給(「曾谷抄」にいわゆる「大覚世尊以仏眼鑒知於末法・・・留置一大秘法」「但持此一大秘法」「伝於要法定於末法之弘通」等の御文想見すべし)迦葉・・・・天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求云、其形貌如何。答云、一は・・・・二には・・・三には」 (1248)

6.竹田上人は昔から『新尼抄』を毛嫌いしておられる。したがって、この御書から出る「起顕竟」を「迹門」のそれと断定されるのは無理もないが、『開目抄』にも

証前の宝塔の上起後の宝塔あて(571)

と仰せられ、また、この御文に引きつづき分身の来集を諸経の説相と比較されたうえ、      

総て一切経の中に各修各行の三身円満の諸仏を集て我分身とわとかれず。これ寿量品の遠序なり。(872)

と仰せられている以上、『新尼抄』を否定したとしてもどうにもならない宗義である。もし、他の遺文を拾えば、

『瑞相御書』に、

其上本門と申は、又爾前の経々の瑞に迹門を対するよりも大なる大瑞なり。大宝塔の地よりをどりいでし、地涌千界大地よりならび出し大震動は、云云(873〜4)

の御文もある。この法門は『文句』に

塔出為両。一発音声以証則。開塔以起後・・・起後者若欲開塔須集分身。明玄付嘱声徹下方召本弟子論於寿量。(会本22ノ40〜2)

とあるごとく、台当通轍の綱格であって、これあるがゆえに「但我が天台智者のみこれをいだけり」 (538)のお言葉もあることを知らなくてはならない。これはどのことは竹田上人もご承知のことと思う。

また、師が「14大偽書」の中に数えられた『本尊問答抄』は、『常師目録』に『開目』 『撰時』 『報恩』の五大部に並べて録されている。常尊ほどの方が、偽書を五大部に並べて登録するというようなことは、恐らく考えられないことである。

7.「本門本尊と云へば必す一尊四士以外に、他の本尊は断じてなしであるにも拘らず」 「今回の宗義大綱には」「一言半句よりも」 「説かれていないと云う事」を師は憤慨しておられる。望月先生はご存知のごとく一尊四士を主張しておられた。これは[宗学者として個的立場である。ところが、『宗義大綱』は、一宗の伝統を尊重し、その種的立場を慮った大公約数に立つて成案されたのである。委員それぞれの内鑑を披露すれば、それぞれ異った『宗義大綱』が出来てしまうであろう。法門上の学解や論議は種を媒介としつつも個的主体がその立場である。『大綱』は個を媒介としながらも、種的立場を堅持せねばならない。師がもし、その個的立場にのみ拘泥して論議を好まれるなら、ヘルメットを冠り、ゲバ棒をもって、栄誉ある伝統の文化を破壊した、暴走学徒も等しい行為となるのではあるまいか。わたくしの信仰を卒直に述べさせていただけば、わたくしは「一尊四士」に随喜の涙をもって低頭礼拝し、「大曼茶羅」にも同じく恭敬礼拝が出来るのである。なんら法仏の矛盾を感じないのである。法華経に身命を捧げ奉る者何んでそこに矛盾があろうぞ。(なお、マングテを本尊とは呼ばない、「常師録」にもない、といわれるが、周知のとおり、該書は「本尊聖教録」とあるのである。)

8.「戒壇」についてはご賛詞をいただき、「感銘仕りました」と仰られて、栄誉と歓喜とを覚えた。師の卒直なご性格の現われと思う。
              。

9.「受持成仏」と「霊山往詣」とを矛盾するごとく論じた学者もいるが、幸いに竹田上人は「当を得て」いると仰せられ、何か心強いものを感じる。

10.「摂折」についてもご賛同のようであるが、わたくしは今にして「呵責謗法滅罪」という、極めて宗教的深みのある折伏の一面を取上げなかった不明を恥じ、残念に思っている。

11.「宗祖」についてのご所見は、竹田師のご見解として承っておく。ただし、「日蓮はいづれの宗の元祖にもあらず」は、周知のように『妙密上人御消息』に出るお言葉である。師の見解からは「偽書」なのではあるまいか。

12・3.は、師の所信を披瀝されたもの大して傾聴した。師の純粋に徹した「一尊四士」論は、竹田宗学として一見識を示し、無自覚な雑乱的信仰をもって日蓮宗徒と自任している者多き今日、よき清涼剤たることを失わないであろう。先輩に対する言辞の非礼に亘った点あることを多謝す。(1969、2、4)

なお、因みに最近『新尼御前御返事』の御真跡断簡が発見され、改訂版定本遺文第4巻に収録されたことを附記する。

 

 

 

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