宗 義 大 綱 解 説

 

茂田井 教亨

 宗義大綱の項目は次の通りであります。

1 宗義の体系

2 五綱の意義

3 三秘の意義

4 信行の意義

5 成仏の意義

6 霊山往詣

7 摂受と折伏

8 祈祷の意義

9 宗  祖

10 出家と在家

以下、この項目にそって解説したいと思います。

 

 

 

1. 宗義の大系

 日蓮宗は、日蓮聖人が信解体得せられた法華経を本宗における理・教・行・証の基本とし、これによって宗義の体系とする。

 日蓮宗といえば法華経を、法華経といえば日蓮宗を思い浮べるほど、この両者は切っても切れないひとつのものであります。しかし、法華経は数多い仏教聖典中の一つであって、日蓮宗で独占しているものではありません。誰が尊崇しようと、どの教団で読もうと、それは自由であります。ところが、日蓮宗の法華経ということになると、そこには別個のひびきをもってくるのであります。この「宗義の体系」中に、″日蓮聖人が信解体得せられた法華経を″とあるのはそれをいったもので、ここに日蓮宗の独自性があるのであります。

 日蓮聖人は『開目抄』のなかで。

 "当世も法華経をば皆信じたるやうなれども、法華経にてはなきなり″

と仰せられました。これは大変大事なことで、日蓮宗が法華経をもって「宗」として立つ以上これは十分弁えておらなければならぬことであります。このお考えは、すでに建長5年4月28日清澄で立教開宗遊ばされるときから、聖人の胸臆に深く秘められた大義であったと申してよいのであります。

 すなわち、それは当時の人びとが一般に愛好し、読誦していた法華経とは異なった、聖人独自の法華経へのアプローチがあったのであります。そこに聖人の″信解″があり、″体得″されたものがあったのであります。聖人の″信解、体得されたもの〃とは、ひとくちにいえば、法華経は千切経中の第一の経王であり、最勝の経であることを知り、これよりほかに成仏の道はあり得ない、と知ることであります。しかし、そんなことなら少しく仏教を解した人なら、誰にもわかっていたことではないか、と反問されるかも知れません。ところが、聖人にはそれを「宝塔品」に説かれた″六難九易〃という実践の場において、信仰的に認識するという強いご覚悟があったところに、他と異なったものがお有りになったのであります。ゆえに、伊豆伊東でお書きになった『教機時国抄』には、

 教を知る者これ無はれば、法華経を読む者これなし。法華経を読む者これなはれば、国師となる者なきなり

と仰せられています。法華経の色読という、聖人にとってはまことに意義のある第2ページを飾られた伊東配流のときにこれをお書きになったということは、深く考えねばならぬことではありますが、とにかく、最初の王難にお会いになったとき、始めてこのように″知教者″としてのご自覚をご発表になりました。

 この″知教者″のご自覚こそ、従来の、少くとも当時の人びとの法華経愛好の精神とは、異なったもののあることを明らかにされたものであります。ここに″日蓮聖人が信解体得せられた法華経″があるのであります。しかし、それは、これこれしかじかのものである、と示すことはできません。できないのですが、毅然としてそこにあるものがあるのであります。ところが、それを独りでわかってしまったように思い込み、得意になりがちなのが、われわれ宗徒のいままでのわるいところだったようです。それは、わかったように思うものを向うに置いて、眺めているに過ぎません。そこでわれわれは、その″法華経〃を理・教・行・証の基本として、誤ちなく「三秘」「五綱」の真精神を把握すべきだと存じこす。ここに、本宗の″宗義の体系″があるのであります。

 聖人が知教者のご自覚をおもちになったように、たしかに″法華経″は釈尊の教えでありまして、法華経宣布を″弘経″と書いても、″弘教″と書いてもよいのであります。ところが、ここでいう″法華経″は、ただ箇条的教えというようなものではなく、そこにはすでに″行″を導き出すファクターをもち、その行の裏付はとなる″理″をも含み、゜やがては″朧々と名づはられる″成仏″の境地とも相即するものがあるのであります。

 それをここでは″日蓮聖人が信解体得せられた法華経を本宗における理・教・行・証の基本とし″と申しているのであります。周知のように、仏教は″仏法″として真理をいい表わし、それが人格的教法としては ″仏教″といわれ、さらにそれによる求道の面は″仏道″とも呼ばれるわけであります。別々のものではないにしても、一面々々の特色を申せば、そういうことになるのであります。すなわち、教法には必ず真理があります。理のない教えというものはありません。とくに仏教はそれがひじょうに深遠な理をもっている教えであレますから、法華経には″この法華経の蔵は深固幽遠にして、能く人の到ることなし″とお説きになったわけであります。

 そういうわけで、仏教各宗はそれぞれその宗の教・理・行・証というものをもっております。聖道とか浄土とかいわれて、そこに個性的差異はあっても、この四つの大系は失われておりません。本宗もこの大系の下に特色ある教義を構成して、本化別頭を誇るわけであります。それがいわゆる″五綱″と″三秘″でありまして、この二者が不即不離の関連のなかに、宗義の体系が見出されるのであります。

 

 

 

2. 五綱の意義

 五綱は、日蓮聖人が法華経を信解体得せられるに当り、考察の基盤とされた教・機・時・国・師(序)の五箇の教判であって、教と理とを明らかにする。更にそれは、宗教活動における自覚と弘教の方軌を示すものである。

 さきに″日蓮宗は、日蓮聖人が信解体得せられた法華経を本宗における理・教・行・証の基本とし″と表示しましたが、聖人が独自の法華経を体得されたのは、決して聖人の私意や、勝手気ままな方法でそれを掴まれたのではないのです。そこには深い考察の基盤があって、そこから真にして新なる法華経が把握されてきたのでありました。それがこの五つの項目に分けられる″五綱″なのであります。

 聖人は『開目抄』の冒頭で、

 それ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主・師・親これなり。又習学すべき物三つあり。所謂儒・外・内これなり。

と提唱なさいました。前の三つはしばらく措きまして、後の三つのうち、内道即ち釈尊一代の教をもって最高最深の教法と規定し、

 されば一代五十余年の説教は、外典外道に対すれば大乗なり。大人の実語なるべし。

と仰せられました。そしてこの″大人の実語″すなわち、″如来の教法″の最後究竟の極説は、いったい何であるかを考察されたのであります。ここにいわゆる″教″の枠があるのであります。もちろん、教でありますから、それが与えられる菩薩・二乗・凡夫というものも対象として考えられなはればなりません。ここに″機″をどう見るかという枠が出てまいります。それにこの教法は如来滅後のわれわれが習学するのでありますから、当然、時代考察というものも必要となってきます。ここに″時″と名づはられる枠が考えられてこなはればなりません。そうなれば、その歴史を握っている国土。社会というものとのからみ合いや教法が布かれて行く次第・順序というものも、当然、重要な考察の基盤となるわはであります。そこに ″国″や″序″と呼ばれる考察の枠が生れてまいります。これは恐らく、諸山歴学中、とくに叡山の学場にあって最後の確信を得、さらに日夜最終の思索を練られていたころ、その思惟の基盤、または仲立ちとして、五つの項目は聖人の胸中に去来したものと考えられます。

 つまりこれは、一代仏教という大きな枠のなかから、いま(時)の日本(国)のわれわれ凡夫(機)にとって、頂かなはればたらない教法(教)は、まさしく法華経であって、念仏等の信仰が流布しているこの時こそ、これが弘まるべき必然の序(序)が到来したのである、という、法華経が一代仏教からしぼられてくる過程の五考察とみてよいでありましょう。清澄寺に帰られて ″しばらくやすら″(開目抄)われたのは、この把握された信仰を、いよいよ告白し、実践するに当って、当然蜂起するであろう受難へのご覚悟、ご発願であったと考えられるのであります。

 このようにして法華経の核心を把握された聖人は、清澄の宣言に次いで鎌倉の街頭に出でられましたが、康元・正嘉と打ちつづく天変地夭に、遂に年来の所信と諸経の仏識とを照合して『立正安国論』を著わし、幕府諌暁の第一声を放たれたのであります。その内鑑の底にはこの五綱の立場が、こんどは前向きの姿勢で打ち建てられていたと申してさしつかえないのであります。この第一の国諌に報いられたものは、周知のように庵室の焼討と伊東の配流という迫害の第一陣でありました。

 五綱の教義の整束されたのは、このご配流を体験されて、法華経色読の第二ページを飾られた伊豆伊東での『教機時国抄』だったのであります。同じぐ同所で著わされた『顕謗法抄』、さらには東条法難をなめられた翌月の『南条兵衛七郎殿御書』 等に、相次いでご発表になっています。じつはこの一事は重要な問題を契機としてもっているのであります。

 すなわち、最初、聖人が如来の教法に向けて考察の基盤とされた五項の立場は、それによって一代の肝心妙法蓮華経の五字という法華経の核心が掴まれると、それと聖人とがひとつの座軸となって一廻転し、こんどはその立場が″弘経用心″(顕謗法抄)という極めて主体的立場に換わつて、前向きの姿勢に整束されたからであります。つまり五つの立場からしぼられた″法華経″は、それを″義に随って実の如くに説く″者には、必ず三類の敵人が現われることは経証の示すところであります。それを『安国論』を契機に聖人みずからが実証なされたのでありますから、五つの立場は自然主体化され、客観的に歴史的考察の一項であった″教法流布の前後″(序)ということも、その前後をつくる人師の自覚の上に置き換えられるに至るのであります。

 もっとも、これは法華色読という経文の実証を待たねばならぬことですから、″序″が″師″と換わるのは、佐渡の『観心本尊抄』になってからのことでありますが、ここに聖人の″五綱″なるものが、他宗のいわゆる教判と違って、ひじょうにユニークな特色のあることに注目せねばなりません。すなわち、″宗教活動における自覚と弘教の方軌を示す″といわれるゆえんはそこにあるのであります。そして仏教一般にいう教・理・行・証の四面中、この五綱の立場は、主として理と教との枠に大るのであります。

 

 

(1)教について

 教 一念三千を包む法華経寿量品の肝心南無妙法蓮華経をいい、五重相対・四種三段等の教判によって詮顕されたものである。

 釈尊ご一代の仏教に対して五つの立場から深い考察を払い、そこに握られた教法を翳して一廻転なされた聖人のご内鑑にあったものは、法華経寿量品の肝心南無妙法蓮華経であったのであります。この五字七字を一代仏教の精髄、釈尊のご本懐と受け止め、そこに釈尊召喚のみ声を聞いた聖人は、まさに大地より涌出する菩薩のご自覚を得られたのでした。この誇りが、″知教者″(教機時国抄)というご発言になったのであります。八万法蔵といわれる広大な仏教のなかから、僅か2千文字に足りない寿量品をもってその精髄とし、さらにこの5字7字をその肝心と把握されたところに、聖人が前向きに立たれたときの″教″があったのであります。

 これは仏教の驚異と申さればなりません。それについて聖人は、『開目抄』のなかでつぶさに語っておられます。すなわち、ここにいう″五重相対″といわれるものがそれであります。(五重相対については註を参照されたい)この五重に亘って取捨され、選択されたものが″南無妙法蓮華経″の五字でありますが、これはたんに″教″として″五綱″の一項を占めるだけでなく、他の四項ともそれぞれ必然的に関連し、やがては″三大秘法〃に開かれる一大源泉ともなるものであります。すなわち、この″教″は、教の枠にあるものでありながら、一面には理をも含んだものなのであります。さきに理のない教というものはない、と申しましたが、この五字七字にはそういう深い意味での理が内蔵されているのであります。

 周知のごとく、聖人の教学は天台・妙楽・伝教大師等の教学を系譜として有っておられますが、その中心はなんといっても一念三千の教理でありましょう。これについて聖人は『十章抄』のなかで、つぎのように仰せられています。

『止観』に十章あり。大意・釈名・体相・摂法・偏円・方便・正観・果報・起教・旨帰なり。「前の六重は修多羅に依る」と申して、大意より方便までの六重は先四巻に限る。これは妙解釈門の心をのべたり。「今妙解に依て以て正行を立つ」と申すは、第七の正観十境十乗の観法、本門の心なり。一念三千此よりはじまる。一念三千と申す事は、釈門にすらなを許されず。何に況んや爾前に分たへなる事なり。一念三千の出処は略開三の十如実相なれども、義分は本門に限る。爾前は釈門の依義判文、『釈門は本門の依義判文なり。但真実の依文判義は本門に限るべし。

 このおことばは、聖人の一念三千を窺ううえで重要な意義をもったものであります。すなわち、一念三千の教理は、いうまでもなく天台大師独創の思想で、『摩詞止観』に明かされたものですが、聖人はこれを法華経のもつ「玉」とされ、仏教史上、ただ天台大師一人のみ、これを拾い出されたと見られたのであります。『十章抄』のおことばにもあるとおり、天台大師は法華経方便品の十如実相のご説法から、独自の教学として一念三千を発出されたのです。ところが聖人は、これも義分は本門に限る、だから釈門の文を判ずるにも、本門の義に依らねばならぬ、とされ、さらに真実の世界は、本門の文にょって義を判じなければならぬ、ということを仰せられたのであります。これは大師の所見と聖人のそれとが違っているように見えますが、大師も内鑑ではそれをご承知になっている、ただ、像
と末法、付属の有無等にょって異なっているのだ、というのが聖人のお考えで、信仰的には大師と聖人とのおいたに、なんともいえぬ黙契があったと申さればなりますまい。

 そこで、この一念三千を法華経の含む玉、とくに本門寿量品の文の底に沈められた玉とすれば、とりもなおさず、この「玉」は法華経(この場合の法華経は、一般に見られている法華経ではなく、聖人にょって信解体得された法華経であります)の理を示すものとなり、理は教の所含でありながら、教それ自体にょってのみ表現される世界ということになりましょう。そして「玉」というおことばにょって表現される概念から、おのずと「肝心」というおことばの生れてくる経緯も理解できると思うのであります。肝心ということになると、それは核心的なものへしぼられてきたことになりますから、有限的な文字による無限的世界の表現としてド「南無妙法蓮華経の五字七字」という、いい表わし方にならざるを得ないのであります。

 こういう教義的いきさつを、聖人は『開目抄』の「五重相対」や、『観心本尊抄』の「四種三段」などにょって説示なされたのであります(四種三段については註を参照されたい)。

 

 

(2)機について

 機 は教が与えられる対象で、末法の凡夫をいい、等しく下種の大益を享受する。

 聖人が五綱のはじめに「教」を置かれたことは、大へん意味のあったことと察せられます。これを「法」といってしまっては、のちの機・時・国・師(序)の四縦の生まれる余地がありません。いうまでもなく、教は冷やかな法とは違って、暖かい人格性をもった概念であります。すなわち、ことばにょって対手に真理を伝える真実なものが教であります。天台大師は教の概念を規定して、「教とは聖人下に被むるの言」と仰せられました。ここにいう「聖人」とは「仏」の謂いであります。「下」とはいうまでもなく「衆生」であります。仏からわれわれ衆生にかはられるお言葉が「教」であります。

 ことばというものは有限的なもので、これによって無限的なもの、絶対的なものはいい表わせないともいわれます。たしかにそういうことも考えられます。しかし、われわれが他に対して知識なり、感情なり、意志なりを伝えるにはことばを佇立ちとせねばなりません。たとい、目なり、手振りなりで表現しても、対手がそれを受は取った場合、対手は心のなかでそれをことばに置きかえているわはであります。つまり、ことばは、限ある音にょって現わされながら、対手はときにょって無限なものを受は取ることも可能なのであります。われわれの祖先がこれを「言霊」といったのも無理からぬことでありますし、「太初に言葉ありき」というバイブルの語も肯えるのであります。

 すなわち、ことばを佇立ちとして如来の真実なもの、如来のご人格が表現されるものが「教」であります。とすれば、当然、仏が慈眼をもってみそなわす衆生という対象がそこになはればなりません。それが「機」であります。

 ところで、ここにいう機は、「寿量品の肝心南無妙法蓮華経」という教が与えられる対象であるために、「末法の凡夫」という限定が伴なってくるのであります。この教はいつでも、誰にで尤というわはではなく、末法当今のわれらに与えられるものという必然をもっております。

 これをわれわれからいえば、われわれには、過去遠い遠い昔から法華経の玉を喪っている、という罪の意識があって、そこにはじめてこの教を頂くという意義を見出すのであります。つまり、対象があるから教が与えられるというような機械的な関係ではなく、末法の凡夫には、「末法」という時の必然性から、寿量品の南無妙法蓮華経でなければならぬという有機的な関連をもって、この教が与えられるのであります。これを主体的に機の側からいえば、上述のような法華経喪失の罪という意識にょって受け止められるのであります。これを聖人は、「日本国一同の謗法」という客観的なおことばで仰せられたものに外なりません。

 そこで「等しく下種の大益」を享受する」、ということがいわれるのであります。「下種」とは種熟脱三益の下種益をいうのですが、聖人の教学においては天台流の三益論を超えた独自の種脱論がありますので、注意しなければなりません。

 ふつうにいえば、下種益は成仏の種を下されることであり、熟益は成仏の種を下されたものが、釈々の教法によって漸次に向上し、成仏に近づくことであり、脱益は終に究竟の境地に到達し、成仏することであります。周知のように、この教義は、天台大師が『法華玄義』に「法華の教相」として三種の教相を挙げた第二の「化導の始終不始終の相」に依るものであります。すなわち、余経には釈尊のご化導に始終があるということを明かしてないが、法華経には釈尊の因位(菩薩としての活動時代)を明かされ、大通仏の第十六のみ子釈迦菩薩の法華経ご説法こそ、この娑婆世界の衆生が成仏の種子を下されたときであって、それ已来、われらは釈尊を師としつつ世々生々今日まできたものであることが明かされてある、というのがこの教相の趣旨であります。

 日蓮聖人はこの教義を重視され、『開目抄』には、

真言華厳等の経々には種熟脱の三義名字すら猶なし。何に況んや其の義をや。……種をしらざる脱なれば、超高が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし。と仰せられ、さらに『観心本尊抄』には、設ひ法は甚深と称すとも、未だ種熟脱を論ぜず。還って灰断に同じ。化の始終なしとは是れなり。

 とも仰せられたのです。これは法華経のみが、三世諸仏出生の種をもっているからであります。すなわち、寿量品で開釈顕本され、釈尊の過去常住という久遠の御命が明かされますと、三世十分にまします諸仏は、ことごとく釈尊の分身ということになります。そして、この釈尊によって法華経が説かれ、この法華経によって釈尊が生きたまうということになれば、諸仏は法華経によって出生し、これによって支えられ、これを行じたまうことも明らかでありましょう。

 聖人のお手紙の一節に、

いまだ法華経を釈迦仏のごとくよみたる人は候はぬか

 というおことばがありますが、非常に含蓄に富んだおことばであります。いかに釈ということを重んぜられたかが窺われましょう。

 そこで末代のわれらが寿量品の肝心南無妙法蓮華経を頂戴するとき、七字をとおしてそのまま五字のうちに包まれてしまう姿を、「等しく下種の大益を享受する」というのであります。元来大乗仏教では「一切衆生悉く仏性有り」と申して、われらすべてが仏性をもっていると説くのであります。が、この仏性も、法華経の種を受けなければ、永久に発芽しないまま宝の持ち腐れになってしまうのです。ここに三益の意義の重要性が認められてくるのですが、聖人の教示はむしろ下釈に重点をおき、南無妙法蓮華経の仏種をいただくその相を成仏と見られたのでありますから、外相は下種の姿でありながら内相は成仏の意義をもつために、「大益」といういい表わし方になるのであります。なおこの問題は、のもの「成仏の意義」の項においても再説されましょう。

 

 

(3)時について

 時 は教と必然的に相応する末法今時の意味である。

 さきに「機」の項で、「教」と「機」との関係を、機械的な関係ではなく、末法の凡夫には、「末法」という時の必然性から、寿量品の南無妙法蓮華経でなければならぬという有機的な関連をもって、この教が与えられるのでありますと述べました。ここにすでに「時」の意義の重要性が示唆されているのであります。すなわち、時とは自然的時間のようでいてそうでなく、歴史的なもののようでいて、単なる歴史でもなく、まことに如来の不思議な自在神力の御眼が、深く三世をみそなわした大慈悲の活動的空間のようなものであります。

 こういいますと、時を何か神秘的なものに解釈するように聞えるかも知れませんが、そうではないのです。日蓮聖人は、『法華経』のなかの、

所以未曽説 説時未至故 今正是其時 決定説大乗(方便品)

仏知時未至 受請黙然坐(化城諭品)

 等のおことばを非常に重視されましたことは、かの『撰時抄』の冒頭のとおりであります。これらのお経文には、たとい法を受けるに堪えられる機があっても、時が至らなければ仏は法をお説きにならない、という意味が現われております。すなわち、教法と時というものは、全く無関係のものでなく、そこには必然な関係があることが感じられるのであります。そういう時というものは、春夏秋冬のごとき自然の時でもなく、古代中世近世というような歴史的区分の時とも考えられません。『方便品』には、「諸仏世尊は唯一大事因縁をもってのゆえに世に出現したまふ」とありますが、まさにこの一大事因縁ともいうべき教法と時期との関係が、ここでいう「時」の意味であります。

 言葉をかえていえば、世尊は平等の大慈悲心をもって三世を照覧したまうのでありますが、この三世というものも、機械的な、また自然的なものでなく、具体的には如来の化境としての土地・社会・人間というものによって構成されている過去・現在・未来であります。そしてお経ではとくに如来は未来に重大な関心を寄せられ、在世の人びとよりもむしろ滅後の人びとを済おうと悲願を立てておられるのであります。ここに、いわゆる、正法・像法・末法という滅後を三時にわはる如来の予言的お言葉が生まれるのであります。『法華経』の構成を拝見して、その流通分といわれる部分のいかにも多く、そして仏の情熱が異常にたぎらされているのを知るとき、如来の滅後というものが、法華経にとって尋常でないことが拝されます。そしてとくに「末法」をこそ、法華経正流布の時であることを強調されているのを知って、聖人が『法華取要抄』に。

寿量品ノー品二半ハ始ヨリ終二至ルマデ、正シク滅後ノ衆生ノ為ナリ。滅後ノ中二ハ末法今時ノ日蓮等が為也。(八一四)

 と仰せられたゆえんがほんとうにわかる気持がいたします。

 つまり、如来の本願は、「法華経」という形に凝結して末法の衆生に懸けられたのでありまして、教は時を得て、時は教によって、真の姿が発揚される、そういう必然の相応関係に立った時を、五綱にいう「時」と申すのであります。すなわち、如来の大慈悲心が今現在活動したまう空間を教の形において捉え、それとわれらとの出合いを本来必然と信仰的認識において受は止めるところに時が考えられるのでありまして、『観心本尊抄』に、

今本時ノ娑婆世界ハ三災ヲ離レ四劫ヲ出デタル常住ノ浄土ナリ

 と仰せられました「今本時」とは、この意味であります。

 

 

(4)国について

 国 は教の流布する場であり、日本を始めとする全世界が国である。

 ここにいう「国」は教と相応した機のいる場であって、晋通にいう国家ではありません。しかし、ただ「場」といっても、単なる広場はなく、日本を始めとしてやがて全世界に法華経が流布されていかねばならぬ化境をいうのであります。教と機の関係は誰にも直ぐわかりますが、時とか国という概念は、それが教とどうかかわりをもつかは、直ぐには理解し難いものです。しかし、時は時間、国は空間としましても、それが単に無機物的に考えられるものなのではなく、まえにも述べましたように、時は教によって必然的に、われわれに自覚されてくる時でありますから、そういう時というものがひとつの具体性を示す空間が国と考えられるものなのであります。

 そこで、時を教との必然関係においてみるように、国にも教との必然関係が生まれてまいります。それを因縁とみてもよいのであります。たとえば、須梨耶蘇摩が鳩摩羅什に法華経を授けて、「この経典、東北に縁有り。汝慎んで伝弘せよ」といわれたこと、また伝教大師が、「代を語れば則ち像の終末の初、地を尋ぬれば唐の東掲の西、人を原ぬれば則ち五濁の生闘評の時なり」といわれたことなどは、聖人がよく御書に引用されるところですが、これら先人の言葉には、いみじくも教と国との因縁深重の意のあることが現われておるのであります。すなわち、聖人が日本をもって末法の法華経の発祥の地とお考えになったゆえんがあるわけであります。とくに聖人においては、末法にお出になり、日本において法華色読という法華予言の人になられたのでありますから、その時といい、国といい甚大な意義をもってくるわけであります。これ、 「日本を始めとする」という文字の置かれるゆえんであります。

 ただ、ここで注意すべきことは、「日本を始めとする全世界」は、発祥という有縁の意味からでありまして、かつて一部の人びとによって唱えられたような、日本が世界最優秀の国であって、世界は所統一の国であるかのように取ってはなりません。法華経は決して帝国主義やファッシズムの要因を孕んだ経典ではないのであります。

 

 

(5)師について

 師は教・機・時・国の意義と次第とを知り、これを自覚し、実践する弘教者である。

 今日までの多くの教義解説書には、「五綱」といえば、教・機・時・国・序 (教法流布の先後) と教えております。しかるに、この 「教法流布の先後」すなわち「序」が、ここでは「師」となっております。日蓮聖人は弘長元年の伊豆御配流を契機として、 『教機時国抄』 を始め、『顕謗法抄』 『当世念仏者無間地獄事』 『南条兵衛七郎殿御書』等に、この「五綱」の法門をお述べになっていますが、いずれも最後の一項は 「教法流布の先後」 すなわち「序」であります。それが「師」となるのは、文永12年の『曽谷入道殿許御書』を始め、『宝軽法重事』 (1、179) 『随自意御書』 (1、611)等佐渡已後の御書になってからであります (尤も『下山抄』だけは違いますが)。

 周知のように、佐前と佐渡とでは法門の進退に差異がありますが、「序」が「師」の義に転化するのは、『観心本尊抄』の左の御文がもっとも明瞭にお示しになったものであります。

 今末法ノ初(時)

  小ヲ以テ大ヲ打チ権ヲ以テ実ヲ破シ東西共二之ヲ失シ

  天地顛倒セリ。釈化ノ四依は隠レテ現前セズ。諸天

 其ノ国(国)ヲ

  棄テ之ヲ守護セズ。

 此ノ時(時)

 地涌ノ菩薩(師)

  始メテ世二出現シ但ダ

 妙法蓮華経ノ五字(教)ヲ

  以テ

 幼稚(機)二

  服セシム。(719)

 

 すなわち、佐前における「序」は、教法の流布する前後を省察するという、客観的ご態度だったのでありますが、竜口から佐渡へと文永8年のご法難を契機に、それが主体的師の立場に転化するのであります。これはいうまでもなく、聖人のご自覚の深化を示すもので、本質の変化ではありませんが、「流布の先後」 という問題は、「時」と「教」との必然的関係が認識されてきますと、むしろ、「時」のなかに包摂され、その「先後」を形成する主体者の自覚が問題となり、終には『本尊抄』のごとき偉大なご文章として表現遊ばされるに至ったものと拝されます。

 ここに「これを自覚し、実践する弘教者である」と述べられたのはそのためで、佐前の「五綱」には名目は整足されていますが、まだ、法華色読というご体験が十分でなかったため、客観的に謙虚にお示しになったものでありましょう。つまり、「師」は本化地涌の自覚的実践者ということで、「序」といえば釈化他方の師によって伝弘された教法から、本化の末法の法華経へと前後するということで、さきに申しましたように、本質的変化ではありません。

 

 

 

3. 三秘の意義

三大秘法は本門の教主釈尊が末法の衆生のために、本化の菩薩に付属された、南無妙法蓮華経の一大秘法に基づいて開出されたものである。日蓮聖人はこの一大秘法を行法として 「本門の本尊」 「本門の題目」 「本門の戒壇」と開示された。末法の衆生はこの三大秘法を行ずることによって、仏の証悟に安住する。

 この「三秘」についての説明は、「起・顕・竟」ということから始めるとわかりよいかと存じます。文永12年2月の『新尼御前御返事』に、

仏法は眼前なれども機なければ顕れず、時いたらざればひろまらざる事、法爾の道理也。………今此の御本尊は、教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給、世に出現せさせ給ても四十余年、其後又法華経の中にも釈門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品属累に事極て侯しが、云云

 とお述べになっていますが、これがいわゆる「起・顕・竟」の法門と申します。「三大秘法」は、「寿量品」の文底の肝心、南無妙法蓮華経の五字から開出されるのでありますが、これはすでに「宝塔品」から問題は始まっているのであります。

 「宝塔品」で多宝如来が釈尊のご説法を、「皆是真実」とご証明遊ばされてから半座をわかち、二仏が並座なされますと、釈迦牟尼仏は神通力をもってもろもろの大衆を接して虚空におかれ、大音声をもって普ねく四衆に、

誰か能く此の娑婆国土に於て、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして当に涅槃に大るべし。仏、此の妙法華経を以て付属して在ることあらしめんと欲す。

 とお告げになりました。天台大師はこれを「付属の時至る」「付属の有在」と科文せられましたが、この後に引きつづいて、『開目抄』に聖人が「三箇の告勅」または「勅宣」と仰せられる、いんぎんな仏勅が宣べられるのであります。じつは「寿量品」のご法門はここに始まるのであります。すなわち、妙楽大師も「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と仰せられたとおり、「此の妙法華経を付属してあることあらしめんと欲す」という如来の大音声は、遠く下方空中におられる本化のみ弟子に響いているのでありまして、「勧持品」の八十万億那由佗の菩薩の誓言を制止して、「涌出品」に地涌の菩薩をご召喚遊されるゆえんもここにあるわけであります。天台大師が「遠令有在」すなわち「遠く在ることあらしむ」という、末法弘通のご付属は、ここに始まりました。妙楽大師の 「玄に一部を収む」というお言葉は、釈尊のご内鑑に触れるもののあることを感じます。

 この「玄収一部」といわれる妙法五字こそ釈尊の御神であります。もろもろの仏が仏と成らせたまう種子であります。種子というものは果実であって因子であります。また因子であって果実であります。ここに過去と未来とを同時に持つ現在の心があるのであります。「涌出品」で本化のみ弟子が召喚せられるこころを、天台大師は「過を召して以て現を示し、経を弘めて以て当を益す」と釈されましたが、これは釈尊の深遠なるみ心をいみじくも喝破せられたものといえましょう。すなわち、「過を召す」とは、釈尊の本果にして本因である下方の菩薩を召されることであって、これは同時に本因にして本果たる現在の釈尊の久遠を示すことでもありますから、「以て現を示し」と仰せられたのであります。この本果にして本因たる下方の菩薩は、やがて「神力品」のご付属を受けるのですから、「経を弘めて以て当(未来)を益す」と釈されたのであります。

 法華経の「如来寿量品」は、このような深遠なご法門が開顕されたのであります。これを『新尼抄』に、「宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品属累に事極りて候しが」と仰せられたのであります。「神力品」で「如来の一切の所有の法」等と四句の要法に結して上行等の地涌の菩薩にご付属になったものは、以上のような釈尊が三世に亘って寸時も休みたまわぬご活動の神でありまして、譬えていうなら、「色・香・美味皆悉く具足した大良薬」であります。さきの「五綱」における「教」は、いうまでもなく、この大良薬たる要法でありまして、『観心本尊抄』等に「寿量品の肝心」 「南無妙法蓮華経の五字」等と仰せられるものが、この「一大秘法」であります。

 これを一般的な概念でいえば「教」ということになり、客観的な表現となりますが、これを深く釈尊のみ心に溶け込んでみれば、「我が内証の寿量品」ということになります。すなわち、「我が」は「釈尊」であること申すまでもありませんが、それを聖人の側から第一人称で表現されていますから、この「わが」は、釈尊でありながらご自分も入っている、そういう感じを持たせて仰せられた表現であります。それが「寿量品の肝心」となると、ふたたび固体的な感じを持った客観的な表現となり、「南無妙法蓮華経の五字」となって、そのものずばりという表現になるのであります。ここでなぜ、こんなことを繰返し申上げるかと申しますと、じつはこのようにいろいろと変えた表現をお試みになっているところに、「南無妙法蓮華経の五字」という「一大秘法」が「本門の本尊」 「本門の題目」 「本門の戒壇」として「三大秘法」に開出されるゆえんがあるからであります。

 この「寿量品の肝心」といわれる「一大秘法」は、『大綱』の本文にも「教主釈尊が末法の衆生のために」とありますような、在世の人びとを対象に説かれながら、じつは末法の人びとを遠く心の対象として釈尊はみそなわせていらしたのであります。それだからこそ、「宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力属累に事極り」ということがいえるのであります。すなわち、『方便品』で「唯一大事因縁の故に世に出現したまふ」と仰せられた「唯一大事因縁」こそ、この「南無妙法蓮華経」の要法を「末法の衆生のために本化の菩薩に付属され」ることであったのであります。『寿量品』に「今留めて此に在く。汝取って服すべし」と仰せられたお言葉はまさにその謂いに他なりません。

 この 「留めて此に在く」 と仰せられるものは、『神力品』に「要を以て之れを言はば」と仰せられ、「如来の一切の所有の法」 「如来の一切の自在の神力」 「如来の一切の秘要の蔵」 「如来の一切の甚深の事」とお説きになった「妙法蓮華」の四字でありまして、それが「皆、此の経に於て宣示顕説」せられましたから「妙法蓮華経」の五字となるのであります。この「此の経に於て」と仰せられるお言葉は十分玩味しなければなりません。すなわち、「於て」ということは、「その中で」とか「そこの一部で」ということではなく、「此の経」そのものが今いう「如来の一切の所有の法」であり、「自在の神力」であり、「秘要の蔵」であり、「甚深の事」であることを表示しております。そこで「此の経」こそ、『観心本尊抄』等に仰せられる釈尊のご「内証」であり、「寿量品の肝心」であるということになって、「経」は「教」となり、「一大秘法」となるのであります。一要法でありながら、「内証」とか「肝心」とか「神(たましい)」といわれるものでありますから、「三秘」に開出されもするのであります。ただ、「教」の範疇にある「妙法五字」ですが、それが「三秘」に開かれるときは「行法」となりますゆえに、七字の 「南無妙法蓮華経」 となるのであります。「行法」と申しましても 「受持」の一行でありますから、「教」と相即いたしまして、「五字七字の南無妙法蓮華経」または「南無妙法蓮華経の五字」等と仰せられたのであります。

 われわれは、「五字」に即する「七字」、即ちこの大秘法」を行ずることにょって、「七字」 に即する字」の「仏の証悟に安住」するのであります。

 

 

(1)本門の本尊

本門の本尊 は伽耶成道の釈尊が、寿量品でみずから久遠常住の如来であることを開顕された仏である。宗祖はこの仏を本尊と仰がれた。そして釈尊の悟りを南無妙法蓮華経に現わし、虚空会上に来集した諸仏諸尊がその法に帰一している境界を図示されたのが大曼荼羅である。

 前述のように「本門の本尊」 「本門の題目」 「本門の戒壇」の三大秘法は、南無妙法蓮華経の一大秘法を離れてはありえないのであります。ゆえに、本尊も題目も戒坦も、すべて南無妙法蓮華経の五字七字から演繹され、帰納されているといってよいのであります。ところが、三秘は仏教の三学として本尊が「定」、題目が「慧」、戒壇が「戒」の性格をもっておりますところから、同じく五字七字を本質としてもちながらも、おのおのその表現される形式や信行者への対応の仕方も変ってこなければなりません。つまり、本尊は本尊として仰信される意義のうえにその本質的契機を示し、題目は題目として受持者の主体性のうえにそれ自体の姿をもち、戒壇は戒壇として上両者のI如した主体者(行者)と主体者の位置(依報としての場所)とにその意義を示すのであります。

 そこで信行の所対である本尊について申しますと、仰信されぬものは、けっしてたんなる理法ではなく、南無妙法蓮華経に象徴された本師釈迦牟尼仏であります。「今留めて此に在く」と仰せられ、「汝」とお呼びかけになった、すなわち、伽耶成道の釈尊でありながら、それを超えて常住不滅のご活動をわれらにお示し下される主師親三徳の教主釈尊であります。宗祖はこれを感覚的な仏と仰ぎ、本尊と仰がれたのであります。このような仏は、寿量品においてみずからを開顕遊ばされた仏であり、その尊高なお姿は地涌の菩薩をお随えになった本門八品会上の釈尊に限られてまいります。そこで宗祖はそれを信仰的ビジョンとして、大曼荼羅に図顕遊されたのであります。

 言葉を換えていえば、寿量品をお説きになっている釈尊のご内証と、その絶対性とを図顕遊ばされたのでありますから、大曼荼羅は釈尊を象徴するばかりでなく、釈尊とわれらとの交流や関連性をも表現しているといえるのであります。「諸仏諸尊がその法に帰一している境界」とは、すなわちそれをいうのであります。

 

 

(2)本門の題目

本門の題目 は釈尊の悟りの一念三千を南無妙法蓮華経に具象したものである。仏はこれを教法として衆生に与え、我等凡夫はこれを三業(身口意)に受持して行法を成就する。

 「一念三千」 ということは、たいへんむずかしい思想で、よく宗門人のなかには面倒なことを「それは一念三千だ!」などと冗談をいう人があります。そうなると、むずかしいものの代表のように聞えますが、これをそんなふうにとってはなりません。

 一念三千は周知のように、天台大師が『摩詞止観』にお説きになった法門で、ひと口にいえば、仏教の深遠な哲理を法華経の教理に照して実践的にお述べになったもの、といってよいかと存じます。すなわち、十界(仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天界・人界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)互に十界を具すれば百界となりますが、この百界はおのおの十如(如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等)を具えておりますので千如となり、これに三世間(五陰世間・衆生世間・国土世間)が加わって、三千種の世間となりますが、この三千は介爾の心にも宛然として具しているというのが「一念三千」であります。大師は 『方便品』の「十如実相」に依ってこの妙解を開かれ、この妙解によって「一心三観、一念三千」の妙行をお立てになったのであります。

 更にいい換えれば、一念三千は「衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲す」というお言葉から、われわれ衆生の一念の三千を導かれたといってもよいでありましょう。つまり、衆生が本来具有(性具)している三千であります。ですからこれを「止観」という行法によって、啓発成就せしむるというのが天台大師の妙行なのであります。これはいうまでもなく、法華経釈門の心を中心に立てられた行法でありまして、いわゆる観心観法といわれる行であります。

 ところが、宗祖聖人はこの一念三千を、観門すなわち実践門の枠であるという点では大師と同様のお立場に立たれたのでありますが、原理的出発に於ては大師と逆な立場にお立ちになったのであります。すなわち、一念三千の法門は、『寿量品』の釈尊のご内証にあるものと解され、釈尊が久遠実成を開顕遊ばされたことによって、「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備」(開目抄)わる真の一念三千が成就するとされたのであります。それはなぜかと申しますと、天台大師のお考えは「十如是」が中心となってのご法門でありましたが、聖人のは、「一念三千は十界互具よりことはじま」(開目抄)ると仰せられたとおり、「十界互具」が一念三千の基盤でありましたから、無始久遠という絶対性実現の場こそ、十界互具現成の瞬間とされたわけであります。

 言葉を換えていえば、大師は衆生内在の一念三千でありましたが、聖人は如来超越の一念三千となったわけであります。「釈尊の悟りの一念三千」とはこの謂であります。ですから、聖人は一念三千の法相をあれこれと煩項にお述べになったことはありません。「一念三千は十界互具よりことはじまる」と仰せられれば、あとは「一念三千の法門は………寿量品の文の底にしづめたり」(開目抄)とも、「寿量品の玉」(同上)とも「内証の寿量品」(観心本尊抄)とも仰せられて、やがては「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」(観心本尊抄)と仰せられるのみなのであります。すなわち、「寿量品の玉」という静止的概念の中に一念三千の一即多、多即一的活動性と未来性とによる能動性(「仏種」とも呼ばれて)が与えられて五字の教法となる経緯が、『開目抄』から『観心本尊抄』に亘るご教示で明らかなのであります。「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」(観心本尊抄)と仰せられるのはこのような理由からでありまして、一念三千は色心因果であること(本尊抄の説示)が理解されれば、このご文の「因果の二法」という意味もおのずから氷解すると存じます。

 このように、本門の一念三千は「寿量品の玉」 「肝心の五字」等という釈尊のご人格をとおしてお言葉(因果)として教法として具象化されますが、これから三秘の1として開出される「本門の題目」は、われらが信心という受持の姿において譲与される、その行者の主体性に現成するところにあるのであります。つまり、「本尊」は眼に見奉ることのできる形相をもっておられますが、「題目」は眼に見ることのできないもので、われらの受持という姿においてのみ顕現し、「仏語」としてわれらの耳に聞えるところにあるものであります。「三業に受持して行法を成就する」とはその意味で、信心受持はそのまま「譲与」でありますから、「受持」は「成就」を意味いたします。ゆえに妙楽大師の「当に知るべし、身上一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称うて一身一念法界に遍ねし」とはこれであり、「仏名十方に聞え、広く衆生を饒益す」と仰せられた御経のお言葉も、この謂であると拝して差支えないでありましょう。

 

 

(3)本門の戒壇

本門の戒壇 は題目を受持するところにそのまま現前する。これを即是道場の事の戒壇という。四海帰妙の暁に建立さるべき事相荘厳の事の戒壇は、我等宗徒の願業であって、末法一同の強盛の行業にょって実現しなければならない。

 「本門の戒壇」というと、理・事、分・満をわけて、いわゆる「即是道場の戒壇」を「事の戒壇」のなかの「理壇」「分の戒壇」と称してきたのが従来の宗学でありました。しかし、ここでは本門の戒壇はあくまで「事」の法門であって、「理」の分子はあり得ないという考え方に立ち従来「理壇」と称せられてきた即是道場の戒壇をもって「本門の事壇」と断定したのであります。「本門の本尊」も「本門の題目」も、いずれも 『本尊抄』 に仰せられる「事行」である以上、「戒壇」又理・事の分別があるのは矛盾といわねばなりません。すなわち、本門の本尊に対し、本門の題目を受持したてまつる境智冥合の当処こそ、本門の戒壇でなければなりません。つまり、決定不霊の信心をもって「本門の戒体」とするのであります。

 では『三大秘法抄』に示されたような、いわゆる「王仏冥合」の 「国立戒壇」 はどういうことになるのでしょうか。周知のように、この『三秘抄』には真偽論がやかましく、学問的立場からはこの御書を素直に取り大れることはむずかしいのであります。しかし、たといこの御書が偽作の書でありましても、この御書に現われているようなお考えは、『立正安国論』以来の宗祖のご活動、また、『諸人御返事』などによって、お有りになったと考えられるのであります。が、それはいうまでもなく、伝教大師の芳躅を学ばれた聖人当時の時点に立ってのことでありまして、それから7世紀を経た今日では、『三秘抄』通りでないことはもちろんのことであります。ただわれわれとしては、大師の芳閥を学ばれた聖人、聖人の芳躅を学ぶ宗徒として、「閻浮提に於て断絶せしむることなかれ」との仏勅を服唐し、四海帰妙を永遠の願業とし、末法一同の強盛の業による実現に邁進しなければならないのであります。

 

 

 

4. 信行の意義

本宗の信行は本門の本尊に帰依し、仏智の題目を唱え、本門戒壇の信心に安住するを本旨とする。機に従って、・読・誦・解説・書写等の助行を用いて、自行・化他に亘る信心を増益せしめる。

 本門の本尊に帰依することは仏智の題目を唱えることであり、仏智の題目を唱えることは本門戒壇の信心に安住することでありまして、三態の別があるわけではありません。これを受持成仏というのであります。本尊への帰依は当然、題目の受持とならなければなりませんし、題目の受持は、当然、戒壇の信心に安住するという到達でなければなりません。

 ここで「本門戒壇の信心」という語を用いますと、耳馴れないため、何か従来と異なった教義を立てるように響くかも知れませんが、そうではないのです。ただ、「戒壇」の語が事相・建立等の感覚を伴なっておりますため、「信心」という無相の語と連立した名詞にすると、異様に聞えるのであります。しかし、「南無妙法蓮華経の五字」 (本尊抄)が開出して「本門の三法門」(法華取要抄)となるのですから、戒壇の信心という無相の有相が成り立つのであります。つまり、「戒壇」という客体的な感覚をもった概念を、もっと信心の行者の主体のうえに実感的に実現せしめようとした考えが、「本門戒壇の信心」という言葉を生んだのであります。また、本宗には古来から「受持正行、読誦助行」 ということがいわれてきましたが、この「受持正行」ということも「戒壇の信心」によって、むしろ、明瞭になったかと存じます。

 なお、「機に従って云々」は、「受持」を除く四種の行が、いずれも自利、利他に亘って信心を増長せしめる助行となることを述べたものであります。受持の成仏以外に読・誦や解説で成仏ということはあり得ませんが、能力に応じて四種の行を修することは差支えありません。ただここで注意すべきは、本宗の僧侶のなかには読誦を専らとし法華経を何部読誦するということを誇りとする傾向をもった人がありますが、それは宗祖のご教示からはいささか外れた所行であるということであります。「読・誦」も「解説」も「書写」も、それ自体が成仏の正因となると考えては誤まりであります。この四釈の行にはいずれも自行と化他の両様の意義がありますが、どれも信心を増益せしめることにその意義がある、という根本義を履き違えてはなりません。それにつき『種種御振舞御書』につぎのようなご教示があります。

円智房は清澄の大堂にして三ヶ年が間、一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて、十巻をそらにおぼへ、五十年が間、一日一夜に二部づつよまれしでかし。かれをば皆人は仏になるべしと云々。日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申たりしが、此人々の御臨終はよく候けるかいかに。日蓮なくば、此人々をば仏になりぬらんとこそをぼすべけれ。(983)

 これはいのもりの円頓房、清澄の西尭房・道義房、かたうみの実智房等と共に大徳と謳われた円智房の実例をお挙げになって、表面法華経の持者のように見えて、じつは誤っていたことをご指摘になったものであります。すなわちこの時点において法華経を受持するとは、いかなるものであるかをよくよく考えねばならないのであります。

 

 

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5. 成仏の意義

本門本尊への信は、成仏の正因であり、その相は口業の唱題となり、身業には菩種の道行となる。この菩薩道に即した生活活動がそのまま成仏の相である。

 仏教は仏の教えを奉じてその行を修し、仏となることを究竟としております。したがって、「成仏」ということはたとい往生という言葉に換えられても、各宗それぞれの成仏観を立てて最経究竟の目的としております。ところが、いざ成仏とはいかなることか、どういう状態となることかというような問いが出されると、どの宗もなかなか容易に答えられないのが普通であります。すなわち、成仏はいうは易く、示すは難いといわねばなりません。

 しかし、これは成仏というものを何か特殊な状態になることと思う先大主があるからで、あるがままの成仏と思えば、そうむずかしく考えなくともよいのであります。もっとも、妙な本覚ぼこりに陥って、凡夫のこのまま仏だと思ったり、また、皮相な容易な受け取り方で簡単に思ってしまっても、これまた邪道であるこというまでもありません。

 そこで『大綱』にいうように、まず、本門本尊への絶対信は、成仏の真因として最も重んじなければなりません。ひと口に「信」といっても、実際に大信の人というのは、ざらにあるものではありません。聖人と仰せられたとおり、「強盛の悪縁にをとされ」 (開目抄)るもので、真に法華経の信に決定することは、実際に考えると容易にあるものではないのです。しかし、ひとたびこの決定の信を得て、いわゆる正定聚に大る人は、その信こそ、成仏の真因 といわねばなりません。そして正定聚に大った人は、当然南無妙法蓮華経と受持唱念いたしましょう。この受持唱念の姿こそ、成仏の相なのであります。そしてこの信念受持の行者が、その決定の信によって指し示され、導かれていく、宗教即倫理となる生活はそのまま菩種道として、「所作仏事」として、とりもなおさず成仏の相となるのであります。

 いい換えますと、成仏とは特別の姿や状態になることではなく、本門本尊への至心信楽受持唱題そのもののことであり、その信から導かれる日常の倫理的生活が「所作の仏事」として成仏の相となる、ということなのであります。ただ、その真因となる、出発点であって到達点である「信」が、見わけは容易なようであって、その実、なかなか真の大信が得られないというところに「此の経は持ち難し」という仏の御言葉が生まれるゆえんがあろうかと存じます。

 

 

 

6. 霊 山 往 詣

 来世は現世と相即する。現在の即身成仏は来世成仏の意義をもつ。妙法信受の当所に成仏が決定し、霊山の釈迦仏のみもとに在るのである。故に霊山往詣は未来のみのものでなく、現身のわが信心の場にある。宗祖はこの境界を大曼荼羅に図顕された。

 受持成仏を説く日蓮聖人に、霊山往詣のご信仰があるのは矛盾しているという人があります。それは宗教経験をもたない形式主義者の議論です。宗教的信は過去と未来とを同時にもつ現在なのです。こういう信仰の本質的構造を具体的に、実感的にお述べになったのが、『諸法実相抄』のつぎのお言葉です。

現在は見へて法華経の行者也。又未来は決定として当詣道場なるべし。過去をも是を以て推するに、虚空会にもありつらん。三世各別あるべからず。(727)

 すなわち、「見へて」 「決定として」は別々のものではないことを示しております。このような信仰が、「在世は今にあり、今は在世なり」 (種々御振舞御書)という絶対信に到達するのであります。前にも申したように、妙法信受の当所に成仏が決定すれば、それが釈迦仏のみもとにあるということは当然でありまして、それが当然ならば、霊山往詣も亦当然といわねばなりません。現在が釈迦仏のみもとにあるなら、なにも「当詣道場」などといわなくてもよいではないか、こういう議論を出す人がいるかも知れません。これも絶対現在ということを抽象的に見ているに過ぎません。

 信仰の具体的姿は、「如来則ち衣を以て之を覆ひたまふ」信体験にあるのでありますから、その己れの肉体的死は、そのまま霊山の釈迦仏のみもとに引接される、という実感がっねに去来している筈であります。これは生と死とを見る人間として当然であります。こういう生活実感から「霊山往詣」が説示されたのでありまして、「現在は見へて」と仰せられたことがわかれば、少しもそこに矛盾はないのです。すなわち、われわれは、きのうのごとくきょうを暮しますが、きのうときょうとは全く同じではありません。あしたもまたそうでなければなりません。現在を生きつつ過去と未来とをもっている非連続の連続なのです。これを妙法信受の体験から、今の今を即身成仏といい、今の未来を霊山往詣というのです。聖人はこの境界を大曼荼羅にお示しになっているのであります。

 

 

 

7. 摂受と折伏

 折伏は邪見・邪法に執するものに対して、これをくだき、正法に帰伏せしめることであり、摂受は寛容なる態度をもって正法に導き大れることである。かようにこの両者は教を弘める方法であるが、その精神は共に大慈悲心に基づかねばならない。しかも破邪が顕正の為の破邪であるように、折伏と摂受にはその行用に前経があり、また機によっても進退がある。

 『開目抄』に摂受と折伏とを対比して「水火のごとし」というお言葉がありますが、これは化用の異りを仰せられたもので、弘教の第一義からは別々のものではありません。一枚の紙にも裏表があるように、摂受には徐々に正法に導き大れる働きがあり、折伏には邪見を擢く利剣のごとき働きがあります。しかし、何れも『法師品』に仰せられたとおり、「柔和忍辱の衣」を着、如来の心を心とした「如来の室に入り」、一切の現象に捉われない「一切法空の座」に坐した、大慈悲心から発しなければならないのであります。大慈悲の折伏であって、始めて心服随従せしめることができるのであります。したがって、如来の第一義諦に帰着せしめるには、摂受の化による外ありません。

 「その行用に前経がある」というのはその意味からで、折伏の経に摂受があるので、摂受の経に折伏があるのではありません。また、対手の機によっても折伏受ばかりは用いられず、摂受ばかりも用いられないのであります。

 

 

 

8. 祈祷の意義

 いのりは大慈悲心に基づく真実の表白である。本宗の祈祷には、自行化他に亘って成仏のいのりと生活のいのりとがあるが、経者といえども信仰生活の助道となるものでなければならない。

 いのりのない宗教はありません。広い意味からいえば、宗教はいずれもいのりであります。聖人が「心のいのり」(四条金吾釈迦仏供養事)と仰せられたのも、これに通じるものがありましょう。自他ともに仏道の大事を成弁するようにとの大慈悲心から願わずにいられぬ心の表現であります。功利的結果のみに捉われての私欲のいのりは、これと全く相反するものであります。

 本宗には相伝の祈祷というものがありますが、すべて上述のごとく、大慈悲から生ずる自己の真実の表われでなければなりません。つまり、自他倶に仏道を成ぜんという菩種の願心からでなければなりません。しかし、ふつういうところの祈祷は、他人の依頼によって、その人の生活の上での希望を成就せしめる手段として祈られているものです。聖人も「今生のいのりともなれば」 (南条書)と仰せられ、伊東の八郎左衛門を、御母君を、富木氏夫人を南条時光を祈られた事実もありますから、現世利益の祈祷もお有りになったのでありますが、それはその祈りによって叶えられる顕益・冥益は、何れも自他の信心の慧命を相続せしめ、二切世間の仏種」を断ぜしめないためのものであります。もし、この根本義を外れた私利私欲を満たすための祈りが行われるとしたら、それは邪道という外はありません。

 

 

 

9. 宗   祖

 宗祖はみずから本化上行の自覚に立ち、仏使として釈尊と法華経への信仰を指示された宗徒の師表であり、直道を導く大導師である。

 本宗はとかく祖師信仰といわれる傾向がありますので、その弊を矯めるべくここに一項が加えられたのであります。祖師を絶対として仰ぐこと、本宗と真宗とは仏教界の双璧といえましょう。これはまことに美しいことなのですが、本宗としてはこれを悪くすると、「遣使還告」の使を父と思って、ほんとうの父を忘れてしまうという、いわゆる「父統の邦に迷う不知恩」の徒に陥りかねません。

 宗祖は未法にお生れになり、五五百歳の仏証を顕わしたというご自覚に立たれました。これは法華色読の当然の帰結でありまして、「如来所遣行如来事」 の仏使であるとは、宗祖ご自身の宗教的ご自覚であります。「二陣三陣つづけ(種種御振舞御書)と仰せあるのは、不惜身命の信心をもって「此度仏法を心みよ」 (撰時抄)ということであります。ゆえに弟子檀那も宗祖のごとくに、というのが聖人のご念願であり、ご理想だったわけであヴます。それを宗祖を別物にして客体化してしまうことは「あしくうやまはば国亡ぶべし」 (御振舞抄)に当りましょう。

 われわれは、宗祖のご指示に従い、これを誤たぬよう釈迦仏・法華経への強盛の信を養いつづけなくてはならないのです。そこに宗徒の師表としての宗祖がましまし、成仏への直道を導きたまう天導師としての宗祖がましますのであります。

 

 

 

10. 出家と在家

 出家と在家とは信仰に両者の別はないが、その使命を異にする。出家は専ら伝道教化を使命とし、自己の信仰を確立するとともに、進んで宗教者としての行学の二道をはげむべきである。在家は信仰を世務に生かすことに努め、分に応じて出家の伝道を扶けることが、仏道を行ずることである。

 今日のような仏教界のあり方をもつ時代に、出家・在家の区別をすることは、時代錯誤と見る向きがあるかも知れません。たしかに、現在の寺院生活は在家のそれと天して異ったところはありません。しかし、天小を問わず、寺院である限り、そこには本門の教主釈尊をご本尊として安じ、宗祖天聖人を天導師として杞っております。そしてそこに起臥する者は仏者としてそれに仕えまつる者であります。檀徒信徒はそこを心の依止処として詣でるのであります。寺院・教会に起臥し、仏に仕える者のおのずから在家者と異なった性格と本分のあることを、まずもって自覚しなければなりません。それは専門家であるとか、職業者であるとかいう意味での相違ではありません。「仏に仕える」という自意識からくる自覚の問題であります。

 この自覚さえあれば、仏に仕える者は『宝塔品』において如来の告勅を蒙った者であることがわかりますから。

 「伝道教化を使命」とすることも、進んで行学の二道をはげむべき」ことも瞭然としてまいりましょう。それには何としても「自己の信仰確立」がなければなりません。信において在家者に負けるようでは、出家者の本分にもとるといわねばなりません。それには法華経と御遺文を明鏡として仰ぎ、宗祖が「我身にあてて身の失をしるべし」 (開目抄)と仰せられたごとくにすべきであります。徒らに自屈卑下に陥って、世の物笑いの種となってはなりません。

 それに引き換え、在家は信仰を世務に生かすことが肝要であります。信仰と世務とが遊離していては、真の仏道とはなり得ません。世には往々立派な信心家のごとく見かける人で、社会人として生きる面では丸で別人のごとき人がおります。財物を多く寄進することが信仰の現われとみる、形式的信仰観は打破しなければなりません。また、それとは別に社会的地位を得て紳士と見られる人に、往々合掌礼拝を好まず、みずからは以て師表であるかの如く思いなしている人がおります。これは一種の増上慢で、信者のうちには入りません。

 「信仰を世務に生かす」ということは、ただ無欲になれということではないのです。倫理化されない信仰とは、抽象化されて信仰と見られているものに過ぎません。営利事業のなかにも他とは異った良心的一面が窺われ、あの人は他と違うという面などは、真の信仰者によって求められるものでありましょう。

 また、さらに注意すべきは、本宗の信徒のなかにはときに法門を聞き噛って得々となり、ひと角の談義として僧を侮蔑する者がおります。法門を学んで信解を増進することは結構ですが、増上慢を助長することになっては、学仏法外道として誠しめなければなりません。「分に応じて出家の伝道を扶ける」 とは、そういうものではないのです。

 「力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」 (諸法実相抄)とは出家者最蓮房に仰せられたお言葉で、在家者としてそれがなし得たのは、宗祖ご在世では富木常忍か四条金吾ぐらいであります。履き違えないよう心すべきだと存じます。

 

 

 

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