第五十回中央教化研究会議 基調講演

 

日蓮聖人の仏陀観と日蓮正宗の日蓮本仏論

庵 谷 行 亨

 

1. はじめに

本日、お話しさせていただくことの要点は2です。1は日蓮聖人はどのように仏陀釈尊を受け止めておられたかということです。日蓮聖人のご遺文をとおしてその概要を見ていきたいと思います。日蓮聖人は、釈尊のことを教主釈尊・世尊・大覚世尊・仏・仏陀・寿量品の仏・如来・釈迦・釈迦仏・釈迦如来・釈迦牟尼仏・釈迦文・釈迦仏法華経・本師・古仏などと呼称されています。それぞれの呼び方には文脈上における日蓮聖人のお気持ちが表明されています。それらは日蓮聖人の仏陀観を示す一例でもあります。2は日蓮宗の立場から見た日蓮正宗の日蓮本仏論の要点の紹介です。同じ日蓮聖人系の題目教団でありながら、日蓮正宗は他の題目教団とは異なる教義を立てています。とくに日蓮聖人についての受け止あ方が著しく異なります。この点について概要をご紹介させていただきます。

 

2. 宗学の意義

最初に「宗学の意義」について触れさせていただきます。このようなことを申し上げるのは、日蓮聖人の教えを奉持する者の基本的姿勢について確認しておきたいと考えるからです。日蓮聖人の教えを信受する者はどのように日蓮聖人にまみえるべきか、日蓮聖人の教えに生きるとはどのようなことなのか、ということについて確認することが、本日のテーマについて考える基本にあると思うからです。

ここでいう「宗学」とは、単に学問としての宗学ではなく「日蓮聖人の教えに生きる者」という意味を込あています。

 

(1)宗学の本質

 宗学の本質は、宗祖の教えに帰入し信仰を通して正しい人生を歩むことにあります。

 

(2)人間と宗学

 宗学は、宗祖の教えに本来の自分を知り、宗祖の教えに自己を実現することです。すなわち宗祖の教えに自身を見出し自身を完結することです。

 

(3)社会と宗学

 宗学は、宗祖の教えに、生きることの意義を知り、社会的使命を全うすることです。人は社会の中で生活しています。人が生きることは、社会と共に生きるということです。そこで、日蓮聖人の教えに生きる者としての自覚をもち社会的使命を全うすることが大切になります。

 

  3. 日蓮聖人の仏陀観

(1)本門の教主釈尊

日蓮聖人が信仰された究極の仏陀は本門の教主釈尊です。その本門の教主釈尊を日蓮聖人はどのように受け止あておられたかについて、日蓮聖人のご文章に添って紹介させていただきます。                    

 

1 発迹顕本の仏

 @『開目抄』には次のようにあります。

迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て爾前二種の失一を脱たり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらはれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮るににたり。本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此即本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備て、真十界互具・百界千如・一念三千なるべし。『昭定』552頁。

この文は日蓮聖人の仏教観に立脚して叙述されています。日蓮聖人は釈尊ご一代の仏教を爾前・迹門・本門の三点に区分して受け止あておられました。ここでは、爾前には一念三千不説・二乗不作仏と始成正覚の二失があり、迹門は一念三千・二乗作仏を説いてそのうちの一失を免れたとされています。ところが迹門は発迹顕本していないために真の一念三千もあらわれず二乗作仏も定まらないとし、本門において初めて真の因果・十界互具・百界千如・一念三千が成り立つとされています。すなわち本門の発迹顕本において仏陀釈尊の真実義が成就するとの教示です。日蓮聖人の仏陀観の基本は本門の開顕にあるということが分かります。

 ところで、日蓮聖人は釈尊ご一代の仏教を爾前・迹門・本門の三点に区分して受け止あておられたと申しましたが、それは一面的な教相上の見方です。日蓮聖人は本門にさらに本門を見ておられます。三大秘法の本門がそれです。その場合の本門は迹門・本門の相対を超えた本門ということになります。教学上、観心本門と称される概念です。

 A『御衣並単衣御書』には次のようにあります。

此仏は再生敗種を心腑とし、顕本遠寿其寿とし、常住仏性を咽喉とし、一乗妙行を眼目とせる仏なり。『昭定』1111頁。

 B『諌暁八幡抄』には次のようにあります。

日本六十六箇国二の島、一万一千三十七の寺寺の仏は皆或は画像或は木像、或は真言已前の寺もあり、或は已後の寺もあり。此等の仏は皆法華経より出生せり。法華経をもって眼とすべし。所謂、此方等経是諸仏眼等【云云】。妙楽云然此経以常住仏性為咽喉以一乗妙行為眼目以再生敗種為心腑以顕本遠寿為其命等【云云】。『昭定』1841頁。

AとBには妙楽大師の『法華文句記』からの引用が見られます。「再生敗種」は蘇生・治癒(能治)の義、「顕本遠寿」は顕本・久寿(久遠実成の開顕)の義、「常住仏性」は本種・久種(久遠仏種)の義、「一乗妙行」は法華妙行(受持信行)の義を表しています。これらは法華経本門の開顕に立脚した法門であることから、日蓮聖人の仏陀観の中心が本門の開顕にあることが理解されます。

 

2 仏の三身顕本

 @『開目抄』には次のようにあります。

本門十四品も涌出・寿量の二品を除ては皆始成を存せり。双林最後大般涅槃経四十巻・其外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終はとけども応身報身の顕本はとかれず。いかんが広博の爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経をばすてべ但涌出・寿量の二品には付べき。『昭定』553頁。

法華経本門の中でも、弟子(地涌菩薩)の久遠教化を明かした涌出品と仏陀釈尊の久遠実成を開顕した寿量品の二品以外は「皆始成を存す」と厳しい分別を立て、諸大乗経は「法身の無始無終はとけども応身報身の顕本はとかれず」とされています。法身は真理身ですので無始無終であることは諸大乗経の通説です。ところが応身報身の顕本は法華経の寿量品に限られます。法華経の寿量品では始成の釈尊に即して久遠実成の仏が開顕されます。このように仏の三身顕本を説くことは法華経の寿量品に限られます。

三身顕本は天台教学に説かれています。日蓮聖人は天台教学に立脚して、法華経本門の仏陀釈尊を三身即一正在報身の仏と受け止あられたのです。

 

3 三身円満の古仏

 @『開目抄』には次のようにあります。

大日経・金剛頂経等の八葉九尊・三十七尊等、大日如来の化身とわみゆれども、其化身、三身円満の古仏にあらず。大品経の千仏・阿弥陀経の六方諸仏、いまだ来集の仏にあらず。大集経の来集の仏、又分身ならず。金光明経の四方四仏化身なり。総て一切経の中に各修各行の三身円満の諸仏を集て我分身とわとかれず。これ寿量品の遠序なり。『昭定』571〜572頁。

ここでは、諸大乗経に説くところの分身諸仏はそれぞれの教主の化身ではあっても「三身円満の古仏にあらず」とされています。諸大乗経では分身諸仏を説くが、それらはいずれも三身円満の古仏ではないとの教示です。その叙述には法華経の寿量品の仏のみが三身円満の古仏であるとの意図が含まれています。

 

4 所顕三身無始の古仏

 @『観心本尊抄』には次のようにあります。

寿量品云然我実成仏已来無量無辺百千万億那由他劫等【云云】。我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也。『昭定』712頁。

「所顕三身無始古仏」とは久遠実成を開顕された三身相即の仏という意味です。「古仏」とはここでは久遠実成の仏を指します。

「古仏」という言葉には種々の意味があります。基本的には過去に出現した仏という意味です。法華経にも今番出世の釈尊以前の仏が説かれています。これらの過去仏を古仏とも称します。

ここでは諸大乗経所説の諸仏が始成正覚であるに対して、法華経寿量品の久遠実成の仏を「古仏」と表現されたものです。

 

5 寿量品の仏

 @『開目抄』には次のようにあります。

華厳経の台上十方・阿含経の小釈迦、方等・般若の、金光明経の、阿弥陀経の、大日経等の権仏等は、此寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮給を、諸宗の学者等近は自宗に迷、遠は法華経の寿量品をしらず、水中の月に実月の想をなし、或は入て取んとをもひ或は縄をつけてっなぎとどめんとす。天台云不識天月但観池月等【云云】。『昭定』552頁。

天台大師の『法華玄義』の文を引いて、法華経寿量品の仏を「天月」(「実月」)、諸大乗経の仏を池月(「水月」)に比し、諸宗諸師の誤謬を指摘されています。

 A『開目抄』には次のようにあります。

妙楽云一代教中未曽顕遠父母之寿。○若不知父寿之遠復迷父統之邦。徒謂才能全非人子等【云云】。妙楽大師は唐の末天宝年中の者也。三論・華厳・法相・真言等の諸宗、並に依経を深み、広勘て、寿量品の仏をしらざる者父統の邦に迷る才能ある畜生とかけるなり。『昭定』578頁。

妙楽大師は『法華五百問論』に「寿量品の仏をしらざる者」は父の国に迷う「畜生」であるとされています。寿量品の仏は主師親三徳の教主であることから一切衆生の父でもあります。したがって「寿量品の仏をしらざる者」とは父を知らない不孝者ということになります。親の恩を認識しないゆえに「畜生」となります。

 B『断簡新加231』には次のようにあります。

答云月支・漢土・日本国の二千二百三十余年が間の寺塔を見るに、いまだ寿量品の仏を造立せる伽藍なし、清舎なし。『昭定』2938頁。

月支・漢土・日本国の三国において「いまだ寿量品の仏を造立せる伽藍なし、清舎なし」とあります。寿量品の仏を本尊として祀っている寺院がない、との意です。三大秘法の一つとして教示される本門の本尊は寿量品の仏であることが分かります。「造立」とありますので、紙面に図顕された大曼荼羅だけが本尊ではないことが分かります。このことは『観心本尊抄』にも「権大乗並涅槃・法華経迹門等釈尊以文殊普賢等為脇士。此等仏造画正像未有寿量仏。来入末法始此仏像可令出現歟。」(『昭定』713頁)とあることからも理解されます。

 

6 本門の教主釈尊

 @『観心本尊抄』には次のようにあります。

此時地涌千界出現本門釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国。『昭定』720頁。

「この時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士となりて、一閻浮提第一の本尊、この国に立つべし」と読み下します。釈尊の脇士となる「地涌千界」は本化四菩薩ですので、一尊四士本尊の教示とされます。

 A『報恩抄』には次のようにあります。

一は日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし。『昭定』 1248頁。

「本門の教主釈尊を本尊とすべし」とあり、その説明として「宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし」とあります。本尊は「本門の教主釈尊」であり、その相貌は一塔両尊四士としても顕されることを意味しています。いずれにしても日蓮聖人は、本門の教主釈尊を本門の本尊とされていることが分かります。本門の教主釈尊とは前掲のとおり、寿量品の仏のことです。

 

7 本門の本尊

 @『観心本尊抄』には次のようにあります。

像法中末観音薬王示現南岳天台等出現以迹門為面以本門為裏百界千如一念三千尽其義。但論理具事行南無妙法蓮華経五字並本門本尊未広行之。所詮有円機無円時故也。『昭定』719頁。

 像法時の中末には南岳大師・天台大師等が出現して、迹面本裏の法華仏教をもって一念三千の教えを弘めたが、それは理具を論じたのであって、事行の南無妙法蓮華経の五字と本門の本尊はいまだに広く行じられていない、とあります。末法時は本面迹裏の法華仏教によって、本門一念三千の教えである事行の南無妙法蓮華経の五字と本門の本尊が広く行じられるべき時です。事行の法門である本門の題目・本門の本尊は広く社会に実現されるべき教えであることが分かります。

 A『顕仏未来記』には次のようにあります。

此人得守護之力以本門本尊・妙法蓮華経五字令広宣流布於閻浮提歟。例如威音王仏像法之時不軽菩薩以我深敬等二十四字広宣流布於彼土招一国杖木等大難也。彼二十四字与此五字其語雖殊其意同之。彼像法末与是末法初全同。彼不軽菩薩初随喜人日蓮名字凡夫也。『昭定』739頁。

 法華経の行者は地涌菩薩の守護方を得て、本門本尊・妙法蓮華経五字を閻浮提に広宣流布するであろうと述べ、威音王仏の像法末の二十四字と釈迦仏の末法初の五字との共通性を指摘することによって、自らの値難弘教の正当性を示されています。法華経の行者である自身による本門本尊・本門題目の広宣流布の確信を吐露されたものといえまし

 B『法華行者値難事』には次のようにあります。

天台・伝教宣之本門本尊与四菩薩戒壇南無妙法蓮華経五字残之。所詮一仏不授与故二時機未熟故也。『昭定』798頁。

 天台大師と伝教大師がいまだ弘めなかった本門本尊・戒壇・南無妙法蓮華経五字について述べられています。三大秘法の名称が揃って示されたのは現在知られている遺文中最初です。三大秘法を天台大師と伝教大師がいまだ弘めなかった理由として授与と時機が指摘されています。末法は法華経虚空会において別付属を蒙った本化地涌菩薩が邪智謗法の機に結要の法である題目を弘める時であるとの意図が秘められています。

 C『法華取要抄』には次のようにあります。

問云如来滅後二千余年龍樹・天親・天台・伝教所残秘法何物乎。答曰本門本尊与戒壇与題目五字也。『昭定』815頁。

 龍樹・天親・天台・伝教未弘の秘法として「本門本尊与戒壇与題目五字」があげられています。法華経の先師がいまだ弘めなかったという前置きのうえに三大秘法をあげられていることは前掲の『法華行者値難事』と同じです。類似した用例は『観心本尊抄』(『昭定』719頁)や『報恩抄』(『昭定』 1248頁)などにも見られます。

 このように日蓮聖人は寿量品で開顕された仏を本門の本尊とされています。

 

8 本門寿量品の本尊

 @『観心本尊抄』には次のようにあります。

本門寿量品本尊並四大菩薩三国王臣倶未崇重之由申之。此事粗雖聞之前代未聞故驚動耳目迷惑心意。『昭定』713頁。

本門寿量品で開顕された仏を「本門寿量品本尊」と表現されています。寿量品の仏・本門の教主釈尊こそが本門の本尊であることが明確に示されています。

以上のとおり、日蓮聖人は法華経本門寿量品の仏陀釈尊を、発迹顕本の仏・三身顕本の仏・三身円満の古仏・所顕三身円満の古仏・寿量品の仏・本門の教主釈尊・本門の本尊・本門寿量品の本尊等と表現されていることが分かります。

 

(2) 『開目抄』の相対

『開目抄』の五重相対の第五重は教観相対と称されています。『開目抄』の本文は次の通りです。

一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。『昭定』539頁。

本門の教相は本門寿量品の文上の経説で一品二半・寿量品です。本門の観心は本門寿量品の文底の経意で内証の寿量品・題目五字七字となります。本門の教相と本門の観心は末法の大法である題目五字七字を詮顕するための相対であることから、大法詮顕の暁には教観は相即して不二となります。一品二半・寿量品と内証の寿量品・題目五字七字との間に優劣はありません。

 

(3)『観心本尊抄』の三段

『観心本尊抄』の四種三段の第五重は本法三段と称されています。『観心本尊抄』の本文は次の通りです。

また本門において序・正・流通あり。過去大通仏の法華経より、乃至現在の華厳経、乃至迹門十四品、涅槃経等の一代五十余年の諸経、十方三世の諸仏の微塵の経々は、皆寿量の序分なり。『昭定』714頁。原漢文。

十方三世諸仏微塵の経々は序分、寿量(一品二半・妙法五字)は正宗分です。流通分は説かれていませんが、南無妙法蓮華経と解釈されています。正宗分である本法は「寿量」とありますが、教相的には一品二半、観心的には題目と表現できます。

さらに『観心本尊抄』には次のようにあります。

本門は序・正・流通ともに末法の始を以て詮となす。在世の本門と末法の初は、一同に純円なり。ただし彼は脱これは種なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり。『昭定』715頁。原漢文。

この文は末法の大法(題目五字七字)を詮顕するために、在末を相望して種脱を対判したものです。すなわち在世本門は一品二半にして脱益、末法の初は題目五字にして下種となります。在世と末法という時代、本門一品二半と題目五字という教法、脱益と下種という利益の相異はありますが法門としては「一同に純円」です。在世の衆生は本門一品二半の教えによって解脱の益を得、末法の衆生は題目五字の大法によって下種の利益を得ます。

 

(4)末法の種脱

末法の種脱は次のように考えられています。末法時は題目五字七字の下種によって利益を得ます。得益の内容は久遠釈尊の因果の功徳です。題目五字(教)は仏種であり本因本果であり、寿量品の肝心・要法・良薬・宝珠とも表現されます。題目七字(観)は下種となります。これは題目受持の信行ですので唱題・立正・色読を意味します。下種は即脱益です。『観心本尊抄』の説示にしたがえば受持は自然譲与となります。受持即譲与を種脱一双と称します。受持の信に因果の功徳が自然に譲与されるからです。

 

(5)教観相即

教観相即とは教と観が相即していることを言います。本門の教は題目五字、本門の観は題目七字です。教は観に即した教(即観の教)、観は教に即した観(即教の観)ですので教観は相即しています。教観相即の題目を五字七字と称します。五字は七字で、七字は五字であるという意味です。

 

(6)本因本果

本因本果は前掲の『開目抄』に説かれています。念のため再度あげます。

迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て爾前二種の失一を脱たり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらはれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮るににたり。本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此即本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備て、真十界互具・百界千如・一念三千なるべし。『昭定』552頁。

この文は、寿量品の発迹顕本に本門の十界の因果が説き顕わされ、そこに真の十界互具が明らかとなり、無始九界具仏界・無始仏界具九界が成り立つとします。これが本因本果の法門であり真の一念三千です。

このことに関連して『観心本尊抄』には次のようにあります。

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。『昭定』711頁。原漢文。

釈尊の本因本果は妙法五字に具足します。これは本法である題目の実体を明示されたものです。信行者が題目を受持すると釈尊の因果の功徳が自然に譲与されます。これは信行者の得益を明かしたものです。題目受持は七字の観、自然譲与は功徳受得の証(証果)となります。この関係を五字七字五字と言います。

前の五字は因果の功徳=本法、次の七字は信行者の題目受持、後の五字は自然譲与された因果の功徳です。換言すると前の五字は教、次の七字は観、後の五字は証となります。教と観は相即し、観によって証が成り立ちます。

 

 

 4. 日蓮正宗の日蓮本仏論

(1)日蓮本仏論の意味

日蓮本仏とは日蓮大聖人を本仏として尊崇することです。前述のとおり、日蓮宗では日蓮聖人の教えに基づいて法華経本門寿量品の釈尊を本尊として尊崇し礼拝します。その釈尊は寿量品において始成に即して久遠実成を開顕された仏です。それに対して日蓮正宗では日蓮聖人を久遠元初自受用報身仏と受けとめ末法の本仏とします。

元初とは仏の教化の根元的始まりという意味です。この言葉は天台大師の『法華玄義』や妙楽大師の『法華玄義釈籤』に見られますが、日蓮聖人の真撰遺文中には見られません。伝日蓮聖人講述とされる『御義口伝』には「元初一念」という言葉が見られます。これは中古天台本覚思想によるものと考えられています。日蓮正宗では久遠実成の仏より以前の本因時の菩薩行を立てます。そこで本因妙の教主として日蓮聖人を位置づけています。前述のとおり、日蓮聖人にはそのようなお考えはありません。日蓮聖人は寿量品の久遠実成の仏に本因本果を見ておられます。

『法華玄義』『法華玄義釈籤』には元初と類似した元始という言葉も見られます。仏の教化の根本的な始まりという意味です。日蓮聖人遺文中には「本門は久遠を元始と為し」(『断簡384』『昭定』2988頁)とあり、寿量品の久遠実成を元始とされています。

自受用身の仏とは、悟りの境界に法楽しその喜悦のなかにおられる仏を言います。自受用身は他受用身に対する言葉です。他受用身は悟りの功徳を他にめぐらす仏です。自受用・他受用は報身仏の功徳や力用を示しています。

日蓮正宗では、法華経寿量品で開顕された久遠実成の仏は垂迹仏であり本已有善の衆生のたあの脱益の仏であるとしています。

 このような日蓮本仏論の成立は日蓮聖人滅後百数十年後頃と考えられています。

 

(2)日蓮本仏論の論拠

日蓮本仏論の論拠となっているのは日興門流の口伝書です。両巻血脈や二箇相承がその代表的なものです。これらは中古天台本覚思想に立脚した口伝法門で、門流の正嫡意識を強く反映したものです。日蓮聖人滅後においては、門流を中心として教団は展開していきました。したがってとみに門流の正統性の強調がはかられていきました。日蓮聖人の墓所輪番の崩壊、日興上人の身延離山、および鎌倉方と富士方の対立である五一相対などがその歴史的背景にあります。なかでも富士方面を中心とした日興門流では盛んに門流の正嫡を強調しました。

 

1 両巻血脈

 両巻血脈とは『本因妙抄』と『百六箇相承事』のことを言います。『本因妙抄』の具名は『法華本門宗血脈相承事』、『百六箇相承事』の具名は『具謄本種正法実義本迹勝劣正伝』と言います。

 

(1)他門流不共の秘伝書

これらは他門流不共の秘伝書とされ唯受一人の相承を明かす血脈書です。これによって日興門流独一の秘伝相承を主張します。

 

(2)文献の初出

「両巻血脈」の名称は伝妙蓮寺日眼の『五人所破抄見開』です。本書は康暦2年1380)ですので祖滅99年の成立です。あるいは『五人所破抄見聞』は西山本門寺第八世日眼(〜1844)の書か(『日蓮宗事典』 104頁)という説もあります。そうであると成立はさらに代を下ることになります。

 

(3)両巻血脈の相承

 要法寺の広蔵院日辰(1508〜1576)の写本奥書によると、両巻血脈の相承は日蓮大聖人→日興上人→日尊上人=京都住本寺(日大)へと伝えるとあります。このことから日蓮本仏の考え方は室町時代に日尊門流住本寺系の教学として成立したと考えられています。

また、日蓮本仏論は八品派(法華宗本門流)の影響のもとに成立したものともされています。その根拠は日隆の本門八品本因妙下種論に依ります。ただし、八品派は五百塵点の仏を実修実証の報身顕本とするに対し、日蓮正宗は法華経の釈尊を文上塵点有始の迹仏とし、塵点有始に即した無始久遠の顕本を認めません。

両巻血脈に立脚した大石寺教学の確立は江戸中期の堅樹院日寛(1665〜1724)によります。このことは後述いたします。

 

 @『本因妙抄』(『宗全』第2巻1〜10頁。富士宗学要集』第1巻)

『本因妙抄』には「弘安5年太歳壬午10月11日」とあります。この撰述年月日については、日蓮聖人の情況を考えると疑問が生じます。日蓮聖人は健康上の問題から弘安5年9月8日に身延山を離れ常陸の湯に向かわれたとされています。武蔵国池上に到着されたのは9月18日です。10月8日に六老僧を指名して後事を託し、13日に遷化されました。日蓮聖人の健康状態を勘案すると「弘安五年太歳壬午10月11日」に筆を執られたとは考えられません。

また『本因妙抄』記載の署名である「本因妙之行者日蓮記之」という表現も不自然です。「本因妙之行者日蓮」という表記は日蓮聖人の真撰遺文中には見られませんし、日蓮聖人の教学には自身を本因妙の行者とする考え方もありません。

本書は真筆が伝来せず、要法寺日辰の写本が現存しています。この写本は日尊本からの写本であると伝えています。

文献上の初出は伝三位日順(1194〜1354)の『本因妙抄口決』です。その内容は伝最澄の『三大章疏七面相承口決』(『伝全』第5巻)に準拠したもので、室町時代の中古天台本覚思想の色彩が濃厚です。したがって日蓮聖人の撰述とすることはできません。諸先師の研究によれば、日蓮聖人滅後約100年頃の成立であろうとされています。

要法寺日辰の『開迹顕本法華二論義得意炒』には、『本因妙抄』で説く本迹論は「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」(『宗全』第3巻370頁。原漢文)とあります。

『本因妙抄』の教義内容は種本脱述の勝劣を立てるものです。釈尊は熟脱の教主であり法華経(本門法華経)は迹にして劣、日蓮大聖人は下種の法主であり題目は本にして勝とします。法華経寿量品の上底に種脱を立て、釈尊の法華経は文上で過去下種にして脱益、日蓮大聖人の法華経は文底の妙法で未下種の衆生への下種とします。文底の妙法は本因妙にして久遠実成の名字即の妙法、日蓮大聖人は久遠名字即位であるとしています。

 

A『百六箇相承事』(『宗全』第2巻11〜32頁。富士宗学要集』第1巻)

『百六箇相承事』には「弘安3年庚辰正月11日」の日付があります。「本因妙教主本門大師日蓮謹結要之」との署名のもとに「久遠名字已来本因本果之主本地自受用報身垂師上行菩薩再誕本門大師日蓮詮要」とあります。上述のように日蓮聖人の真撰遺文にはこのような表現は見られません。

『百六箇相承事』は百六箇条の本迹勝劣についての相承を説くもので、脱の本迹勝劣51箇条、種の本迹勝劣56箇条があげられていす。その内容は中古天台本覚思想に依るもので、日蓮聖人滅後の成立と考えられています。

教義内容は、久遠名字即の本仏の正法を本種子、久遠名字即の本因妙の正法を末法下種の法華経とします。日蓮大聖人は久遠名字即の正法を末法の今に移すもので、釈迦仏は迹の仏であるとします。その思想系譜は日蓮大聖人から日興上人へという唯受一人の受持血脈相承を主張します。広宣流布の暁には上行等の四大菩薩が同心して六万坊を建立しいずれのところも多宝富士山本門寺上行院と号すべきである、とあります。

 

2 二箇相承

二箇相承は『身延相承』と『池上相承』とを言い日興門流独特の伝承です。日興門流では「にこそうしょう」と呼称しています。

 

(1)成立

二箇相承の成立は日蓮聖人滅後150年頃と考えられています。

 

(2)内容

二箇相承の内容は日興唯受一人付属を主張するもので日興の正嫡性を強調しています。すなわち二箇相承は日興門流の正統性を主張するたあに日蓮聖人に仮託した偽書です。日興唯受一人付属は日蓮聖人の「本弟子六人」の定あとも矛盾しています。

 

@『身延相承』

『身延相承』には次のようにありま

日蓮一期弘法白蓮阿闇梨日興付属之可為本門弘通大導師也。国主被立此法者富士山本門寺戒壇可被建立也。事戒法謂是也。就中我門弟等可守此状也。

    弘安五年壬午九月 日

             日蓮 在判

 血脈次第日蓮日興             『宗全』第2巻33頁。

 

 このように『身延相承』には、一期の弘法を日興一人に授与したことや、富士山本門寺に戒壇を建立するようにとの付託が記されています。

 

A『池上相承』

『池上相承』には次のようにあります。

釈尊五十年説法相承白蓮阿闇梨日興可為身延山久遠寺別当也。背在家出家共輩者可為非法也。

    弘安五年壬午十月十三日       武州池上  日蓮 在判

                         『宗全』第2巻33頁。

このように『池上相承』には、白蓮阿闇梨日興は身延山久遠寺の別当であるとあります。

 

(3)堅樹院日寛の教学

 大石寺教学を確立したのは大石寺第26世の堅樹院日寛であるとされています。

 

1 『六巻鈔』

 日寛には『六巻鈔』と称される重要書があります。『三重秘伝鈔』『文底秘沈鈔』『依義判文鈔』『末法相応鈔』『当流行事鈔』『当家三衣鈔』です。

 

2 法華経受容の特色

日寛の法華経受容の特色は、釈尊の法華経は本迹共に迹であり本已有善の機根を調機入熟させるための脱益の法であるとします。すなわち釈尊の法華経は随他方便説であるとの考えです。これに対して、日蓮大聖人の法華経は本であり本未有善の機根に下種する久遠の妙法であるとします。すなわち日蓮大聖人の法華経は久遠本仏の自内証であり随自意の真実法であるとの考えです。久遠本仏が自行成就のために行じた因行を本因とし、日蓮大聖人の仏法は久遠元初の本因妙の法華経であるとしています。

 

3 上底相対−種脱勝劣

 法華経寿量品の文に上底の相対を立て種脱の勝劣を説きます。寿量文上は在世本門にして脱益であることから劣、寿量文底は末法の観心にして下種であることから勝とします。末法の観心は能詮においては内証の寿量品、所詮においては本因下種の妙法五字とします。

 

4 種脱相対−種勝脱劣

 日寛の種脱相対は従来の時機(在末)による相対的勝劣に対して絶対勝劣であることに特色があります。在世本門の教主は脱益の仏(垂迹の仏)にして劣、在世本門の正宗は文上脱益にして劣とします。これに対して末法本門の教主は名字凡身の下種の本仏(日蓮大聖人)にして勝、末法本門の正宗は文底下種の妙法にして勝とします。

 

5 本因下種

 日蓮大聖人は本因妙下種の教主(本仏)、久遠元初の自受用報身、本地自受用報身如来の再誕であるとします。これに対して久遠成道の釈尊は衆生の本種を熟脱せしある脱仏(垂迹の仏)、本地自受用報身如来(日蓮大聖人)の垂迹、脱益の教主であるとしています。これらの主張は『報恩紗文段』(『宗全』第4巻322頁)、『当流行事紗』(『宗全』第4巻98頁)などに見られます。

 

6 機根

 在世の機は本已有善、末法の機は本未有善であるとし、その末法の機は逆縁下種であるとします。

 

7 教法

 在世は脱益の法である寿量文上一品二半で劣、末法は下種の妙法である寿量文底妙法五字で勝であるとします。

 

8 日蓮本仏

教主は本因妙の教主日蓮大聖人であるとします。文上は本果妙の釈尊で垂迹にして脱益、文底は本因妙の日蓮大聖人で本仏にして下種とします。したがって本仏は久遠元初自受用報身再誕末法下種主師親本因妙教主大慈大悲之日蓮大聖人です。日蓮大聖人は本門寿量文底久遠元初自受用報身名字凡夫当体本因妙教主釈尊、文底下種の本仏、事一念三千の本尊、一念三千自受用身です。大曼荼羅(一念三千)は久遠元初自受用身の日蓮大聖人であるとします。

 

9 人法本尊

(1)人本尊

人本尊は日蓮大聖人です。日蓮大聖人は主師親三徳具備、久遠元初の自受用報身、末法下種の教主、本因妙の教主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、一念三千即自受用身の仏です。本尊は法即人です。これらの主張は『観心本尊鈔文段』(『宗全』第4巻189頁)、『当流行事鈔』(『宗全』第4巻100・113頁)、『文底秘沈鈔』(『宗全』第4巻26頁)などに見られます。

 

(2)法本尊

法本尊は自受用身即一念三千の大曼荼羅で、弘安2年、弥四郎国重に授与の大曼荼羅(楠の板本尊)です。本尊は人即法です。これらの主張は『末法相応鈔』(『宗全』第4巻83頁)、『観心本尊鈔文段』(『宗全』第4巻189頁)などに見られます。

 

(3)人法体一

本尊は文字で表すと大曼荼羅、木画で造立すると日蓮大聖人となります。ただし祖師像以外の仏像造立は不可としています。これらの主張については『観心本尊鈔文段』(『宗全』第4巻220頁)等に見られます。

 

 

 5 むすび

日蓮本仏論の特色は宗祖本仏の実体視であり、このことは仏教信仰の本末転倒です。仏教は、もとより仏陀釈尊を主体とした教えです。末法時においては利益がないとして仏陀釈尊を下すことは仏陀釈尊を冒涜するものです。このことは仏教にあらざる考え方を仏教の名のもとに主張することであり、仏教の思想・歴史・文化をご都合主義に基づいて改変するものです。このような考え方は日蓮聖人にはありません。当然、日興上人にもありません。日蓮聖人や日興上人の名において日蓮本仏論を立てることは、日蓮聖人や日興上人をも冒涜することになります。

日蓮本仏論という独特の主張は自門流の正統性、自教団の正統性を誇示すたあの教条性に満ちた考え方です。

日蓮聖人に対する悪しき神格化・絶対化は日蓮聖人についての誤解を招きます。また、日蓮聖人の教えに生きようとする者に対し、世間の人々に間違った印象を与えることにもなります。

 

 

付記

本稿は平成29年9月13日開催の第50回中央教化研究会議の基調講演に加筆したものです。

 

 

 

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