現代における日蓮宗の本尊・顕本論の来歴

 

(日蓮宗現代宗教研究所研究員)

小瀬修達

 

日蓮宗の本尊は、久遠実成本師釈迦牟尼佛(宗憲第一条)であり、本尊を開顕する顕本論は事顕本に属するが、本稿では、現代の宗門におけるその来歴を考究してゆく事とする。

はじめに、現代の宗義における事顕本論の検証と起点を推定し、つぎに、個々の学者の著書に説かれる顕本論を検証し、来歴を考証する。

 

顕本論

本門の発迹顕本には、「事顕本」と「理顕本」の二種がある。「事顕本」とは事成顕本であり、寿量品所説の五百億塵点劫の喩えに示された教相上の久遠実成の佛の顕本である。つまりは、爾前・迹門の始成正覚の佛(応身佛)に対する本門久遠実成の本地佛の開顕である。「理顕本」では、文上・教相に説かれる五百億塵点劫の喩えを有限な存在を顕す喩えと見做して久遠実成を始覚・方便仮設とし、この文上の事成顕本に即して顕される内在原理(法身理)を文底・観心の理本覚、無作三身の本地として開顕する顕本論である。つまりは、文上・久遠実成の佛を有限な存在(有始無終、報身)とし、その根底(文底)に永遠の存在(無始無終、法身)である無作三身を説き、本地佛とするものである。

 

 

             ┏爾前・迹門 始成正覚(応身佛) 垂迹佛 方便

事顕本━┫

             ┗本門 久遠実成(報身為正) 本地佛 真実

 

      ┏教相 文上 久遠実成佛(事顕本)垂迹佛 仮説

理顕本━┫

       ┗観心 文底 無作三身(法身為正)本地佛 真実

 

現代の日蓮宗において、宗門の本尊は、本尊・顕本論としてどの様に定義付けられているか、

(1)『日蓮宗読本』と(2)『日蓮宗宗義大綱』(解説書『宗義大綱解説』及び『宗義大綱読本』)から考察してみる。

(1)『日蓮宗読本』

本書は、昭和30年春、日蓮宗宗会において編纂と配布を企画し、編述を日蓮教学研究所(望月歓厚所長)に委嘱、昭和32年宗務当局が刊行し、全国の寺院協会に配布。昭和36年日蓮教学研究所より再版されたものである。緒言に「宗門公式の議に由って成ったものは、本書をもって嚆矢とする。」と、ある様に、宗会において初めて企画され公認された「宗義の綱領」である。

「二

本門の本尊

本尊の実体

上来述べたごとく、本門の本尊の実体は寿量品に開顕された本仏釈尊である。

報恩抄に三秘の第一として

一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし((1248)と宣言されている。

三大秘法抄にはこの本門の教主を

寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初已来、此土有縁深厚、本有無作三身の教主釈尊是なり(1864)

とその性格を提示されている。「五百塵点の当初」とは寿量品の文の上に明された久遠実成の報身を指すのである。

「己来此土有縁深厚」とは同じく文の上に示された三世益物の応身を指すのである。「本有無作」とは前の文の上に説かれている修顕の報応二身に対して性得の法身である。この三身を一身に具有した「教主釈尊」こそ「寿量品に建立された本尊」であり、宗祖が把握された絶対者なのである。」「日蓮宗読本」152−3頁

本書に説かれる本門の本尊とは「寿量品に開顕された本仏釈尊」とするが、その内容は、「三大秘法抄」所説の「本有無作三身の教主釈尊」であり、「「本有無作」とは前の文の上に説かれている修顕の報応二身に対して性得の法身である。」とある通り、寿量品文上の久遠実成(修顕)に即して、文底観心である無作三身(性得の法身)を開顕する事により、成立する三身であるから、顕本論においては「理顕本」であるといえる。

●理顕本…本有無作三身

(2)『日蓮宗宗義大綱』『宗義大綱解説』『宗義大綱読本』

『日蓮宗宗義大綱』は、昭和39年日蓮宗宗務院より宗義の簡明化・現代化の措置を日蓮教学研究所(望月歓厚所長)に委嘱し、『宗義大綱』10条をまとめ、昭和42年1月11日、日蓮宗教学審議会において決定し、同3月の第19回定期宗会の承認を得たものである。

『宗義大綱解説』は、『宗義大綱』承認の後、昭和42年、現宗研へ「解説」作成の委嘱があり、茂田井教亨所長の下で宗義大綱解説文案が作成され、翌年完成したものである。

また、『宗義大綱読本』は、昭和60年に発足した勧学院の『日蓮宗宗義大綱』を講義の中心とする教育方針から、教学研修会の教科書として茂田井前勧学院長を中心に編集され、平成元年発行されたものである。

『日蓮宗宗義大綱』

「本門の本尊は、伽耶成道の釈尊が、寿量品でみずから久遠常住の如來であることを開顕された仏である。宗祖は、この仏を本尊と仰がれた。そして釈尊の悟りを南無妙法蓮華経に現わし、虚空会上に来集した諸仏諸尊が、この法に帰一している境界を図示されたのが大曼荼羅である。」

(『宗義大綱解説』本門の本尊、解説)

「そこで信行の所対である本尊について申しますと、信仰されぬものは、けっしてたんなる理法ではなく、南無妙法蓮華経に象徴された本師釈迦牟尼仏であります。「今留めて此に在く」と仰せられ、「汝」とお呼びかけになった、すなわち、伽耶成道の釈尊でありながら、それを超えて常住不滅のご活動をわれわれにお示し下される主師親三徳の教主釈尊であります。宗祖はこれを感覚的な仏と仰ぎ、本尊と仰がれたのであります。このような仏は、寿量品においてみずからを開顕遊ばされた仏であり、その崇高なお姿は地涌の菩薩をお随えになった本門八品会上の釈尊に限られてまいります。そこで宗祖はそれを信仰的ビジョンとして、大曼荼羅に図顕遊ばされたのであります。」『現宗研所報8号』16頁

(『宗義大綱読本』本門の本尊、解説浅井圓道教授)

「[本門の本尊〕

@本尊の実体  本門の本尊の実体は日蓮宗宗憲の第一条に明記してある通り、「久遠実成本師釈迦牟尼佛」である。これは報恩抄に三秘の第一として、

日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。

と述べられた定言の通りである。

本門の教主釈尊は観心本尊抄では、

五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。

と示される。「乃至」とは中間を省略した言葉で、五百塵点という有限の数と無始という無限の間をつないでいる。

「所顕」とは五百塵点という劫数によって顕し出されたところのという意味である。従って本門の教主釈尊は決して
単なる無始無終の仏なのではない。

単なる無始無終は理であり、理仏は大日如来である。法華真言勝劣事に

今、大日経竝に諸大乗経の無始無終は法身の無始無終也。三身の無始無終に非ず。法華経の五百塵点は諸大乗経の破せざる伽耶の始成之を破したる五百塵点也。

といわれるところによれば、大日如来は法身、法身は元来は仏の所証の理である。真如の理が無始無終であることは仏教の定説であるから、別に特別ではない。

また所証の理の無始無終を以て能証の仏の伽耶始成を破することはできない。なぜなら伽耶始成の仏の所証も法身理なのであるから。ところが法華経の五百塵点は能証の時が伽耶近成ではなくて久遠実成本時であると近成の執情を破した。「五百塵点」なる語をば聖人はこの意味に用いられたわけである。

「三身」とは一身即三身の仏であり、かつ「正在報身」である。その三身ともに無始無終なる姿を「三身にして無始の古仏」という。」  『宗義大綱読本』85〜86頁

以上の通り、『日蓮宗宗義大綱』とその解説に説かれる本門の本尊は、「久遠実成本師釈迦牟尼佛」である。寿量品の五百塵点劫の喩に顕される本時成道により成立する「事顕本」の佛であり、「正在報身」とは、『法華文句』九下の所説である。

『法華文句』九下、壽量品一六、(国訳一切経経疏部2 418頁)

「此の品の詮量は、通じて三身を明かす。

若し別意に従はば、正しく報身に在り。何を以ての故に義便に文會す。

義便とは、報身の智慧は上に冥じ下に契うて三身宛足す、故に義便と言う。

文會とは、[我れ成佛してより已來、甚だ大に久遠なり。〕

故に能く三世に衆生を利益したまうと、所成は即ち法身、能成は即ち報身、
法と報と合するが故に、能く物を益す、故に文會と言う。

此を以て之を推すに、正意は是れ報身佛の功徳を論ずる也。」

久遠実成の釈迦牟尼佛は、本時成道において報身の智慧(能成、能証)が法身の理境(所成、所証)を証して、「法と報と合する」(境智冥合)ことによって成立した佛である。ここを以て三身の顕本とし、「三身にして無始の古仏」というのである。

したがって、「所証の理」である法身のみで久遠実成は成立せず、「所証の理の無始無終を以て能証の仏の伽耶始成を破することはできない。」訳である。よって、本門の本尊は、法身仏もしくは法身中心の三身説ではない。「けっしてたんなる理法ではなく、」「本門の教主釈尊は決して単なる無始無終の仏なのではない。無始無終は理であり、理仏は大日如来である。」

三身即一の中心は報身であり(報身為正)、報身の智慧は、上は法身(境)と境智冥合して一体となり、一佛乗の真理を体現し、下は応身の智慧となって衆生を利益し、両者を補いながら三身即一を成立させている(「報身の智慧は上に冥じ下に契うて三身宛足す」)。すなわち、三身即一の内、報身智が主体となって久遠の教化活動(「三世に衆生を利益したまう」)を行ってきたのである。これを「正在報身」という。

 

●事顕本…久遠実成本師釈迦牟尼佛、報身為正

以上の通り、『日蓮宗読本』所説の本門の本尊は「理顕本」であり、『日蓮宗宗義大綱』とその解説書である『宗義大綱解説』及び『宗義大綱読本』所説の本門の本尊は「事顕本」である。『宗義大綱読本』が現在の宗門の思想であるから、『日蓮宗宗義大綱』の成立時が、現代における「事顕本」の本尊の起点と推測できる。

ここで、『日蓮宗宗義大綱』の成立理由についてみてみる。

「日蓮宗宗義大綱「解説」作成の経過

『宗義大綱』は、昭和42年1月11日、日蓮宗教学審議会において決定し、同3月の第19回定期宗会の承認を経たものである。そこで片山宗務総長は、その宗義大綱の解説 文案を、当研究所に諮門されたのである。

「現宗研」における「解説」文案作成の経過を綴るまえに、『大綱』が作成された事情について、簡単に、ふれておきたい。宗義の簡明化・現代化ということは、片山宗務総長就任と同時に表明された施策であって、宗会においても同様、その要望が高められた。そして片山内局施政第一着の大業として「護法運動」が提唱せられるや、それと対応して、総長からは、立正大学日蓮教学研究所に、宗義の簡明化・現代化の原案作成の委嘱があったのである。同研究所においては、故望月歓厚教授を中心に鋭意作成に当り、前述のごとく、それぞれ公の手続きを経て、公表される運びとなったものである。(中略)

このような意図と経過とを経て出来上った『大綱』であるから、「現宗研」がその解説案作成を委嘱され、案文す
るに当っても、

まず、『宗義大綱』の作成された意図を尊重し、その本旨を失わないようにすること、

ついで、日蓮聖人の教えを現代において、より簡明に本質が会得されるようにすること

という方針を採った。そして「宗憲第一章総則と矛盾背馳を感ぜしめないようにとの配慮を行なった。周知のごとく、「宗憲」は宗是であって教団が法的秩序を保持する限り、遵守されなければならないものである。しかし、この『大綱』は、宗団の輿望によって生まれた「宗義」の大綱であって、いわば、宗団における信仰的理性の支柱となるものである。その間、両者の立場におのずから相違のあることが諒解されると思う。」『現宗研所報2号』1〜2頁

当時の時代背景として、創価学会を初めとした新興宗教の台頭があり、宗門では、これ等に対抗する「護法運動」の拠として『宗義大綱』及び解説が作成され、「内に新たに作成された『宗義大綱』(及び解説)に基づく統一した正法堅持の宗門を護持し、外に正法を歪曲する邪教を破斥する正法宣布の護法運動を展開する(日蓮宗事典)」施策がとられた。

『宗憲』は、「教団が法的秩序を保持する」為の宗団の憲法であるのに対し、これに準拠する『宗義大綱』は、「宗団における信仰的理性の支柱」と位置付けされる。

『宗義大綱』の現在の役割は、檀信徒への布教に関しては「護法統一信行」の伝道内容の基準として、教師に対しては勧学院における講義内容として、宗門の統一・簡明化された宗義の標準であり「異体同心」の「信仰的理性の支柱」となるものである。『宗義大綱』承認の後、現宗研へ「解説」作成の委嘱があり、茂田井所長の下で宗義大綱解説文案が作成された。前文は、その記録の一部である。

「宗義大綱

解説の仕事を終えて  茂田井教亨  (中略)

『宗儀大綱』は10ケ条になつているが、宗義はこれで尽きる、という意味ではない。が、大綱としては、ほぼ、これで要をつかめるであろうというのである。望月先生は、「宗祖の示された宗義は永遠不磨であるが、末輩の、それの受容の仕方とその表現は、歴史的推移があつて、可変性をもつものである。したがつて、この『大綱』も時代か変れば、さらにより良く改訂されて然るべきものである」という見識をもつておられた。「宗団は、一つの最大公約数の上に立つているものであるから、個々の意見を敲たけば、それぞれ異なつたものが出よう。が、それでも、何らかの形で一つになれる線があるものである。この『大綱』は、そういつたものを示したものだ。しかし、それも、いまの宗団では、『宗会』の承認を得なけれは生きない」ともいわれた。だから、前宗会の模様は非常に気になされ、しばしば、わたくしに経緯を訊されていたのである。」   『現宗研所報2号』5〜6頁

『宗義大綱』は、昭和39年日蓮宗宗務院より宗義の簡明化・現代化の措置を日蓮教学研究所(望月歓厚所長)に委嘱され作成されたものであるが、前文の記述の通り、宗義における個々の意見の「最大公約数」として統一・簡明化したものであるという。当時の日蓮教学研究所の各先生方の著書を参考に、個々の本尊・顕本論について検証してみる事とする。その前に、近世宗学の大成者である優陀那院日輝師の本尊・顕本論についてみてみる。

(1)優陀那院日輝師(1800〜59)

『祖書綱要正議』(一妙日導の「祖書綱要」を修正)、諸檀林の天台学中心の学風を廃して、宗祖御遺文を中心とし、天台学を補助学とする学風を樹立して、私塾「充洽園」に於いて門下を教育した。

「第二節 本尊・本体論(中略)

三、能所論 名体論は又能所論なり。名体を約理判とすれば能所は約教判なり。乃ち所顕所表の本仏は、必ず釈迦の名を以て能顕能表とすれば名体論と同じと雖も、能所は教に約し底文相対を主とするが故に顕本論を主とするものといふべし。故に此下に顕本論の大要を述ぶべし。和尚は観如透公の顕本義の「塵点久成仮設而始成即久成是実義」の説を、大略を知るものとなし、達見尽理と賛せり。

和尚論じて日く、

久成を実と為せば四害あり

1、無始無作の義成ぜず

2、新成如来顕本せず

3、諸仏化境広狭不同となり、分身地涌又有無あらん

4、一念三千の義成ぜず

久成を虚と為せば四功あり

1、文上文底二詮なし

2、開近顕遠諸仏の化事同しきを成ず

3、三世諸仏体用皆同にして五仏道同也

4、開迹顕本すれば十界三千具足常住とならん(3・258〜9)

以上の論により、「当家既無始無作為実義、則遠成但是能顕巧説耳、豈得雙存二義乎。無始故不可有始成之初、無作故不可有修因感果義」(同)と結論せり。即ち能顕の経文の修因感果の久成釈尊は巧説にして、所顕文底の無始無作の本仏を実仏とす。文上随他、文底随自とは導師等の云ふ所にして又和尚の主張なり。」『日蓮宗宗学説史』980〜3頁

(観如秀公=観如院日透『寿量顕本義』 導師=妙院日導『祖書綱要』)

日輝師が影響を受けたとする観如院日透『寿量顕本義』の「塵点久成仮設而始成即久成是実義」とは、寿量品文上の五百塵点劫の喩を成道に始のある有限なもの(有始、仮設)と見做し、文上の久遠実成に即して説かれる文底観心の無始無作の法身である無作三身を実義とする説である。師においても、寿量品文上の久遠実成を方便仮設(虚)とし、「久成を実と為せば四害あり」、「久成を虚と為せば四功あり」と、「底文相対」して文上の久遠実成の釈迦牟尼佛(能顕)を方便(巧説)として、文底観心の無始無作の無作三身(所顕)を本地佛とする「理顕本」の教理である。師の思想は、一妙院日導『祖書綱要』を修正した『祖書綱要正議』に表されるように、顕本論においてその教理を受け継いだものであった。

 

 

●理顕本

      ┏教相 文上 随他意 久遠実成釈尊(事顕本)有始有作 垂迹佛 仮説

理顕本━┫

      観心 文底 随自意 無作三身(法身為正) 無始無作 本地佛 真実

充洽園学派

日輝門下並びに日薩門下は次図の通りである。日薩師(1830〜88)管長の下、飯高檀林他諸檀林廃止後、充洽園教学に基づく日蓮宗大教院を設立(1875)し、以降段階を経て立正大学となる。日令門下の清水龍山師(1870〜1943)は、日薩門下より教学批判から破門された清水梁山等の天皇本尊論や田中智学・山川智応等の国柱会教学と対立し、後代に論争が引き継がれた。また、顕本法華宗の本多日生等とは本尊論争を展開し対立した。以後の系譜に近代宗学の樹立者となる望月歓厚・浅井要麟両氏を輩出した。

 

 

日輝━━ 新居日薩━小林日董

            吉川日鑑     守本文静

          三村日修     脇田堯惇

         小林日昇     富田海音

         上木日令┓    本間海解

             ┗━━━━━━━━━清水龍山

                    破門
                           清水梁山 天皇本尊論

                                                                   田中智学 国柱会

                                                       本多日生 釈尊本尊論(顕本法華宗)


(2)望月歓厚先生(1881〜1967)

「次に果人についていえば、台祖は法華経の仏を報身始覚の仏とする。前に久遠実成を説明した如く、経文によれば寿量品の仏は久遠五百塵点の昔に始めて成道せる始覚の仏である。始覚始成の時、本有常住の理に冥合し、合一して、ここに始めて常住不滅の仏となったのであるから、常住に始めがある。これを有始にして無終の常住仏というのである。(略)

これに対して、延祖は、寿量品の文上のままの報身仏を法華経の仏とはしない。寿量品の文の相は、一応は久遠の成道の時を的指し、正しく覚道の始めあるが如きも、実には始めあるをいうのではなく、経文に即して無始無終の本仏を開顕したのが寿量品である。故に経文に五百塵点の初めあるは、能説の教相であって、仏の本体は理智冥合し、本法顕現するとき、直ちに無始であり無終である。三身は三の別体ある仏身ではなくして、一仏釈尊の三徳にすぎないのであるから、法身の本理が常住であるならば、報・応の二身は同時に常住でなければならない。換言すれば、常住不変の仏こそ、三身具足の仏である。もし理智冥合してなお常住の仏体でないならば、それは三身具足の仏ではないのである。故に三身具足の寿量品の仏は、必ず無始無終の常住仏である。すでに常住仏なるからには、造作の始めもなく、存在の終わりもないから、この仏を無作本有の仏という。」望月  歓厚『法華経講話』174〜5頁

天台における久遠実成の釈迦牟尼佛を「報身始覚の仏」とし、寿量品文上の「経文に即して無始無終の本仏を開顕」したものが、宗祖の本尊とする「無作本有の仏」(無作三身)であるとする。寿量品五百塵点劫の喩を成道に始のある報身佛の「始覚始成」として、この経文の説相に即して開顕される法身の本理を以て三身の顕本とする「理顕本」である。

「元来日蓮宗の顕本論には異れる二つの要素が含まれている。即ち有始と本覚、始成と無作、(略)中國天台は有始始成に偏して報身単事の顕本となり、日本中古の天台は無始本覚に堕して法身単理の顕本となつた。日蓮宗の顕本論は中國天台に比すれば理顕本、日本天台に對すれば事顕本と云わるる始覚即本覚の顕本である。この始即本の佛格が本宗の教義、信條、修行等一切の根基をなし、何れもこの佛格の發表に外ならない(略)」

望月歓厚『日蓮教学の研究』394頁

 天台の事顕本を「報身単事の顕本」、中古天台の理顕本を「法身単理の顕本」とし、宗祖の顕本論を「始覚即本覚の顕本」とするが、寿量品久遠実成(始覚)の説相に即して無始無終の法身(本覚)を開顕し、「法身の本理」の開顕に即して三身の顕本を説くもので「理顕本」の範疇に属する。

以上の通り、望月教授は、顕本論において、日輝師の充洽園教学の影響から旧来の「理顕本」の教理を立てられた。『日蓮宗読本』が「理顕本」であることから、望月所長としての教理が反映されたものと考えられる。

 

●理顕本

┏ 台祖 文上 報身顕本 有始無終 有作三身 有始始成

延祖 文底 法身顕本 無始無終 無作三身 始覚即本覚の顕本

 

(3)浅井要麟先生(1883〜1942)

「第五 種脱相對

 古來開目鈔に「法華経本門壽量品の文の底に沈めたり」とある文に依つて、本門壽量品は文上の教相であり、文底は観心の一念三千であるといつて、教相と観心との間に勝劣を論じ、謂ゆる教観相對を立つるのである。しかし聖人に在つては、教相を離れて孤立した観心はあり得ない。かの中古天台に於て、本迹未分の観心を教相の本門に對して勝劣を論ずるのであるが、これは根本法華の本迹未分の観心の重を以て、顕説法華の本迹已分の教相の重に対比したものであつて、妥當性のない勝劣論である。聖人の教観に関する思想中には、教を離れて孤立した観心なるものはない。聖人に於ける教観は不即不離であるから、これを切り離して対立せしむべき関係ではない。然らば五重相對の第五は何か、謂く種脱相對である。

 即ち本門壽量品の文上に説かるゝ所は釋尊の久成であつて、それを聞いた衆生は脱益を得たのである。その法華経に基いて、天台大師が自解佛乗の法門として組織されたのが一念三千の法門である。一念三千の法門は天台大師が發得された法華経の實践法であり、成佛の實證法であつて、前代未聞の大法門であつた。しかしその一念三千の大法門も、今や末法に於ける下機の衆生の為めには適しない。所謂像法過時の法である。そこで聖人は、その一念三千の理観に代ふるに、唱題受持の事行を以て末法下種の要法とされたのである。本尊鈔の末段に「一念三千を知らざる者には佛大慈悲を起して五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしむ」とあるは、この間の関係を説かれたものである。

 そこで釋尊の在世に脱益の機根(衆生)の為めに説かれた(教観一具の)本門壽量品と、末法に於ける本未有善の衆生の為めに下種された題目とを對照し、末法今時を規準として勝劣を論ずるを種脱相對といふのである。」

浅井 要麟『日蓮聖人教学の研究』392〜4頁

 開目抄の五重相対の第五教観相対において、本門寿量品文上の教相に対して文底観心を立て勝劣を論じるとみる説は、中古天台の教判の影響であるという。すなわち、「三種法華」の教判中、法華経文上の教相である「顕説法華」(本迹已分)に対して、文底観心つまりは仏の内証である「根本法華」(本迹未分)を最勝とするもので、「四重興廃」の第四教観相対では天真独朗の止観を本迹未分の「根本法華」の観心とする。これが「底文相対」の起源であるという。

 宗祖の思想においては、「観心本尊抄」に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。」(昭和定本711頁)と、あるように文上久遠実成釈迦牟尼佛の功徳が文底(内証)の妙法五字の功徳となるのであり、末法の観心としての妙法五字は教相上の佛の功徳に他ならない。故に、「聖人の教観に関する思想中には、教を離れて孤立した観心なるものはない。聖人に於ける教観は不即不離であるから、これを切り離して対立せしむべき関係ではない。」宗祖における五重相対の第五は「種脱相對」であるとする。過去世に法華経を聞き既に下種を受けた「本已有善」の衆生に対し、釈尊在世に法華経本門寿量品所説の久遠実成を説いて解脱益を得させ、末法において法華経聞法の経験のない「本未有善」の衆生には、妙法五字の下種を授け、受持即成、下種即脱益の即身成佛の利益を得させる。

 

日蓮聖人…種脱相対

         ┏ 文上 久遠実成 脱益 在世 本已有善

本門寿量品━┫                              教観不二

         ┗ 文底 妙法五字 下種益 末法 本未有善

 

中古天台…教観相対

        ┏ 文上 教相 顕説法華 本迹已分 劣
本門寿量品━┫
         
文底 観心 根本法華 本迹未分 勝 天真独朗観

 

「二種の佛身観」

「要するにかくの如き無作三身は理體本覚の基礎に立つ佛身観であり、その自然の展開として己身本覚思想となり、圓佛思想となり、草木成佛の思想となつたのであるが、何れも理體本覚の基調に立つ点に於て、かの久遠実成といふ實修實証を得た無始の古佛とは對照的関係に立つものである。今この二佛の性格を對照するに

 (イ)無始の古佛は五百塵点とか、復倍上数とかいふ教相に即しつゝ、その教相を通して無始久遠に想到するのであるから、教観不離の基調に立つ佛身観である。然るに無作三身は教相を離脱して、単に観心の重に立つ理念的な佛身観である。

 (ロ)前者は因行果徳の二法を具備された實成の佛であり、後者は因行果徳とか転迷開悟とかを體験せざる本来常住の覚體であるから謂ゆる覚前の彿である。前者は實修實證された修顕の佛であり、後者は単なる性徳の佛である。前者は始覚に即した本覚の佛であり、後者は本來法爾、自然本覚の佛である。

 (ハ)前者は事顕本の報身の佛であり、後者は理顕本の法身佛である。故に報中論三と法中論三の相違でもある。

 (二)前者は釈尊一佛に限つて顕本された佛であるから、信仰の對象としては佛本尊に限られる。後者は法身佛であり、法格的であるから、法本尊に通じ、また衆生の顕本を主とするから己身本尊ともなり、毘盧舎那一切処であるから庶物本尊となる傾向も多分にある。

 (ホ)前者は虚空会上に顕現された佛であるから、有相的であるが、後者は単なる理念であるから無相的である。

 2種の佛身観について凡そ以上の如き差異を認めるのであるが、古今の宗學史上これを混同し、若くは種々の会通を加へて両立せしめんとする傾向がある。その結課果それ等の佛身観は曖昧模糊として、眞の性格を把握し得ざる憾みがある。吾が宗の佛身観はやがて本尊観に通する重要問題であり、宗學上の中心となるべき問題であるから、その解釈は曖昧模糊であつてはならない。そこで二覆の佛身観に於て首鼠両端を持したり、牽強附会な合意に従ふべきではなく、「日蓮當身の大事」を開顕された本尊鈔及び「一期の大事」を明かにされた開目鈔の指南に従うふべきであるが、両抄に顕はれたる佛身観は久遠實成の報身としての釈尊であつて、無作とか本有とかいふ本覚佛ではない。即ち壽量品に五百塵点とか、復倍上数とかいふ有限な数量に託して、非数の無始を意味する古佛こそ吾が聖人の佛身観である。」

浅井要麟『日蓮聖人教学の研究』403〜4頁

 久遠実成の佛と無作三身との比較である。「無始の古佛」とは、『観心本尊抄』の「五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。」の所説であり、寿量品の五百億塵点劫の喩は、「有限な数量に託して、非数の無始を意味する古佛」つまりは、五百億塵点劫という数量を用いて無始・久遠の成道を表現した「事顕本」久遠実成の釈迦牟尼佛である。この佛は、過去世において実際に修行し、久遠本時に悟りを開いた「実修実証」の佛であり、「因行果徳」の二法を具備する報身を主体とした三身(報中論三)である。

 これに対し、無作三身とは、寿量品の説相(文上)に説かれる久遠実成の佛を有限な存在(有始無終・報身・始覚)とし、その根底(文底)に永遠の存在(無始無終・法身・本覚)である無作三身を説き本地佛とする(理顕本)。前記中古天台、四重興廃判の影響を受けた解釈である。理法身を本体として報身・応身の垂迹佛が応現する「法中論三」の三身説であり、法華経教相上に一切説かれない「観心」にのみ認識されるとする「無相」の法身である。法身佛は法界に遍在する(「毘盧舎那一切処」)故に「庶物本尊となる傾向」から、「天皇本尊論」等が派生したとも考えられる訳である。宗祖御遺文においては、『本尊抄』『開目抄』も「事顕本」の佛であり、無作三身の記述は無い。

 この様に、久遠実成の佛と無作三身は異質の存在であるが、宗学史上両者を「混同し、若くは種々の会通を加へて両立せしめん」としてきたところに佛身観(本尊・顕本論)の問題点があるとする。

 以上の「理顕本」における文上久遠実成の釈尊と文底無作三身という相対する佛身観の成立過程について、同書の
「第六章祖書の思想的研究」によると、

「支那天台に在っては、壽量文上の塵點に即して報身常住を説きたるに対して、今や覚證両師(慈覚・智證)に依って密教と結合の結果、久遠實成の釋尊は能詮の報身佛、不久現證の大日本地身は、所詮の法身佛と論じて、おのづから密勝顕劣の堕して居るのである。」(229頁)と、中国天台の久遠実成の報身成道に対し、台密において久遠實成の釈尊は能詮の報身佛、大日如来は所詮の法身佛となり、中古天台においては、

 「釋尊の久遠實成を以て文上能顕の方便となし、釋尊の無始無終、本覚無作の三身を顕すのが文底所顕の實義である(『等海口傳』)といふのである。」(230頁)と、法華経寿量品、文上能顕の久遠實成の釋尊は方便、文底所顕の本覚無作三身が実義という「理顕本」が成立したとするのである。文底所顕の本覚無作三身とは、

「かくて中古天台に於ては壽量顕本の佛は無始無終の本覚三身如來と説くのであるが、その佛の法體内容に於ては、

大日本地身と何等異なる所もない自然本覚の素法身に外ならぬ。この點密教の影響でなくて何であろう。」(230頁)と、大日如来が無作三身に名前を変えたものであるという。

 以上の通り、『日蓮聖人教学の研究』では、宗祖の本尊とする久遠実成の佛(無始の古佛)と無作三身とを比較し、その相違点を明確に指摘しているが、これは、文献学的見地に基づく宗祖御遺文と慧檀両流に亘る中古天台教学との比較研究により判明したものであり、総称して「祖書学」と呼ばれる研究方法である。現在の『宗義大綱読本』の本尊・顕本論と比較しても相違ない事から、浅井要麟教授のこの様な研究が現代の日蓮宗の本尊・顕本論の原点になると考えられる。

 

●事顕本…現代日蓮宗の本尊・顕本論の基準

(久遠実成)

┏無始の古佛 事顕本 教観不離 報中論三 因行果徳 佛本尊 有相
 
無作三身 理顕本 観心尊重 法中論三 本来常住 法本尊 無相

 

(4)執行海秀先生(1907〜68)浅井要麟・望月歓厚両教授の後継者

「本尊と本仏

執行海秀

本尊論は、その根底において、本仏論の異議に基づくものがある。由来、本宗における本仏論は、これを大別して釈尊本仏論、衆生本仏論、法界本仏論の三に分けることができる。一の釈尊本仏論にしても、これを歴史上の人間釈尊の当体に論ずるものと、この釈尊を迹仏として、その本地身に本仏の当体を認めようとする説とがある。前者は所証の理を能証の仏に摂し、後者は能証の仏を所証の理に摂して、その所証の理を本仏と見做すものである。

そして、この仏に、法身的性格を附与するとき、それは大日如来の色彩を濃くするものであり、報身的性格を見出さんとするとき、阿弥陀如来の仏格となるのである。ところでこのような本仏論は、真言、浄土の立場において肯定されるものである。しかるに日蓮聖人の寿量品観によれば、人間釈尊の悟りの当体、つまり能証の世界に、久遠実成の本仏が把えられている。久遠実成という仏格は、法身・報身の常住を認めるのであるが、それは人間釈尊の当体に即するものである。したがって大日如来や阿弥陀如来のような本地身を、釈尊の背後に認め、釈尊の存在根拠と見做すのではない。」『現宗研所報第1号』21頁

 「釈尊本仏論」において、「所証の理を能証の仏に摂し、」「歴史上の人間釈尊の当体に論ずる」説が「事顕本」であり、「この釈尊を迹仏として、その本地身に本仏の当体を認めようとする説」「能証の仏を所証の理に摂して、その所証の理を本仏と見做すもの」が、「理顕本」である。釈尊の背後に本地身を認め、「この仏に、法身的性格を附与するとき、それは大日如来の色彩を濃くするもの」であり、無作三身もこの類に属するのである。

 

●事顕本…歴史上の人間釈尊の当体に久遠実成を論ずる

事顕本

┏ 能証の仏 久遠実成の本仏、歴史上の人間釈尊の当体に三身を即する

┗ 理顕本 所証の理 法身的性格…大日如来・無作三身、報身的性格…阿弥陀如来

 

「日蓮教学上に於ける御義口伝の地位

 御義口伝は就註法華経御義口伝の略称であって、また日興記とも称せられてゐる。本書は日蓮聖人が直弟の六老僧のため建治年中( 1275〜1277)身延山に於て三部十巻の註法華経の要文に就て講述せられたもので、六老の一人であった日興がその講述を筆録し、弘安元年一月元旦「聖人の検閲印可を得たものと伝へられてゐる。(略)

ここに於てか、清水梁山氏の如きは本書を以て「宛も釈尊の神力品と同く、一字一辞も皆本仏結要の妙句ならざるはなきなり」といひ、また田中智学氏も「御義口伝の講談は六上足の為に特に本化直授の秘奥を開示し、六師に因せて末法の一切衆生に宣説し給ふところ、猶本仏の六万恒沙に因りて此の直法を末法に遺留し給ひしに符合す、されば此の聖訣の妙判こそ真の本化の面目にして、他の本尊鈔・開目鈔・安国論等の要典に於ける唯一の解釈指南なり。」と論じてゐる。

かくして本書の地位は高度に評価され、御義口伝中心の教学の高揚せられ来ったが、かかる潮流に対して、本書を第二次的に、または補助的に取扱はんとする潮流がある。即ち永昌日鑑は本書を評して「取捨情によるべし……蓋し用ひて録内の御義を助顕せんは可なり。」といひ、清水龍山氏は「宗義を学ぶ須く五大章疏を規準とすべし、御義口伝の如き先哲尚輙く講ぜず、況や初心をや」と論じてゐる。かやうに本書の地位については両様の見解が対立してゐるのであるが、ここに問題となるのは、本書は果して従来の所伝の如く一字一句悉く日蓮聖人の妙句であり、口伝で
あるか否かといふ点に存するのである。(略)

ところで本書は古来より真偽の論がある。聖人門下初期の古記録を初めとして、聖人滅後120・30年の頃編輯された録内遺文にも漏れて居り、また聖人滅後180年の頃に出来た八品日隆の本門弘経抄にも周知せられてないものであって、その後やや降って聖人滅後210年頃完成された円明日澄の法華啓運鈔に至って初めて引用せられてゐるところである。古写本には聖人滅後157年の天文8年(1539年)の奥書を有する隆門の日経本があるに過ぎない。かやうに本書の伝承については根拠が明瞭でない憾みがある。

のみならず本書には、日蓮聖人滅後13年、元の元貞元年に成立した徐氏の科註が引用されてゐるが如き、また本書の口伝形態や文体が、南北朝の頃出来た等海口伝等に類似する点から見て本書の成立は聖人滅後のものと思はれる。かゝる意味に於て、本書は思想的にも文献的にも日蓮教学上に於ける第一資料とすることには躊躇せざるを得ないのである。(昭和29年9月)

(印度学仏教学研究3の2号)」執行海秀『興門教学の研究』310〜313頁

 宗祖の顕本論において、「理顕本」を主張する根拠として『御義口伝』の所説があげられるが、清水梁山・田中智学氏等は同書を「本尊鈔・開目鈔・安国論等の要典に於ける唯一の解釈指南」として重視し、『御義口伝』中心の教学(中古天台的教学・理顕本)を立ててきたという。これに対し、永昌日鑑・清水龍山氏等所謂充洽園学派は、宗義の解釈に五大部の章疏(天台三大部六十巻『涅槃経疏』『浄名経疏』…原始天台)を規準とし、『御義口伝』を第二次的、補助的に利用していたという。この様な研究姿勢が以降の教学の近代化(中古天台的教学からの脱却)への遠因となったと考えられる訳である。

『御義口伝』は、執行海秀教授の研究により中古天台本覚思想の影響を受けて室町期に日興門流で成立したものとされ、『興門教学の研究』、『御義口伝の研究』では、次の点が指摘されている。

『御義口伝』…聖人滅後の成立

・宗祖滅後13年、元の元貞元年に成立した徐氏の科註を引用

・口伝形態や文体が、南北朝の頃出来た等海口伝等に類似

・宗祖滅後120・30年の頃編輯された録内遺文に無い

・古写本…隆門の日経本、聖人滅後157年の天文8年(1539年)の奥書が最古

・内容が興門教学の基礎的位置付けをもつ(無作三身の理顕本等を強調)

以上の研究により、『御義口伝』を偽撰とする説が宗門において既に定着している。宗祖の三大部を始とした主要御遺文は、天台三大部と妙楽大師の解釈、所謂原始天台を範として、理から事の法門を立てられた「顕教」に属する教理であるが、後の門流において、これに中古天台の口伝法門を附会した類に『御義口伝』は属することになる。

 

(5)茂田井教亨先生(1904〜2000)

『観心本尊抄研究序説』

「1、一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。竜樹天親知て、しかもいまだひろいいださず。但我が天台智者のみこれをいだけり。一念三千は十界互具よりことはじまれり。(539) (中略)

(1)は、山川博士も「法体の一念三千」と規定したように、聖人独自の一念三千観の根拠を、「寿量文底」と示たもので、さきの『十章抄』の「一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限ル」の文に照応するものである。すなわち、彼の抄にいう「真実の依文判義は本門に限」ることを、さらに進めて『寿量品』の文の底と限定したものである。「然我実成仏己来無量無辺」の開迹顕本の当処を一念三千の出処とすることは、常道の一念三千理解のうえからは奇異の感を与えないことはないであろう。すなわち、文の上からは見えないからである。日輝が「文底」を「見難きを現わす」(「文底秘沈決膜」充全二ノ三七四以下)と解したのは当を得たもので、日寛(1665〜1727)のごとく、これを直ちに「上底」相対したものととる(「三重秘伝鈔」宗全正宗ノ一)ことは、『開目抄』の文意の曲解といわざるを得ない。しかし、「見難き」といつても、文を離れて無媒介的に、または神秘的に一念三千が成就されたのでもないのであるから、「文の底」なのである。
 特に「文底秘沈」と強調した理由は、この文の次上に、「華厳宗真言宗との二宗は偸に盗ンで自宗の骨目とせり」とある文節を受けたからで、この両家が天台の教を真似て一念三千を弄ぶようだが、元来、この法門は「寿量品の文の底にしづめ」られたもので、彼等の容易に見出し難いものであるということを示したものである。ゆえに、「竜樹天親知て、しかもいまだひろいいださず」といい、「但我が天台智者のみこれをいだけり」というのである。すなわち、寿量蔵天台懐であって、華密両家の窺知し得なかつたところを強調したものに外ならない。『十章抄』に迹門は「本門の依義判文」といい、本門は「依文判義」といえるは、まさにこの間の消息を語るもので、「依義判文」と「依文判義」の使い分けの妙、ここにあるといわねばならない。

 「十界互具」が「一念三千」の基盤となるということは、まえにもしばしば触れたように、聖人の三千観の特徴をなすものである。それは三の引文にも「本因本果の法門」といえるごとく、不二而二の因果を開顕するのが「無量の有量」(法華文句)といわるる『寿量品』の「遠寿」であつて、「我実成仏」の一語に「九界も無始の仏界に具し」(本因)、「仏界も無始の九界に備」る(本果)九界即仏界、仏界即九界の真実の十界互具、一念三千が成就されるからである。無量の有量によつて倒語的に表現される「無始」を絶対媒介として、十界互具は成就されるのである。

「一念三千は九界即仏界仏界即九界と談ず」といえる『撰時抄』の語は、まさにこれを述べたものに他ならないのである。

 『開目抄』は前述にも触れたように、飽くまで「教」の立場であつて、「観心」の立場を述べたものではないから、一念三千の原理を十界互具と示し、その完全成就の世界を『寿量品』に求めたとしても、それはやはり「教」の範疇を出てはいないのである。「文底」というと「観」に想到するのであるが、「底」とは、「見難」きを現わしたものであることは前述のとおりであるが、同時に、他方、その発出する場所を示した語ともいえるであろう。『寿量品』の語や、その説相を媒介とせずして、真実の一念三千は求め得ないとすれば、見難いながらもその文を発出の場として

そこに求めなければならない。それは久成の如来によつて語られる言葉としての「教」の世界である。世間の学者も『寿量品』を「教」と規定することは知つていても、一念三千がそこに成就されるということを知らず、ましてそれが文の底に成就されているなどということは、夢寐にも知らないであろう。この「不知」に対する「知」の自覚が、引文(ニ)の意である。」

『観心本尊抄研究序説』125〜9頁

 天台の理の一念三千は迹門十如是を根拠とするのに対し、宗祖の事の一念三千(義)は、本門寿量品久遠実成(文)に十界互具が成就することにより成立する(「依文判義」)。

 『開目抄』の「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。」の「文底」とは、「寿量品」開迹顕本の「然(善男子)我実成仏己来無量無辺」の文(教相)に事の一念三千が成就するという「見難きを現わす」為に「文の底」と表現したものであり、上の「華厳宗真言宗との二宗は偸に盗ンで自宗の骨目とせり」の文節を受けて「華密両家の窺知し得なかつたところを強調」したもので「文底観心」を表したものではないという。

『寿量品』の「遠寿」を『法華文句』では「無量の有量」と表現するとあるが、これは、「實に無量にして而して量と言ふは、此品(寿量品)及び金光明の如き是れなり」

『法華文句』(国訳一切経経疏部2 412頁)

との文意に該当すると思われる。すなわち、『法華文句』の寿量品題名釈では、寿量の「量」について、本来無量である本時成道以来の久遠本佛の寿命(遠寿)を「量」の語で表し「無量の有量」と表現するのである。五百億塵点劫の喩では、五百億塵点という「有量」に即して「無量」「無始久遠」を表現する。「無始久遠」とは「我実成仏」(本時成道)の本時でもあるが、この時、

 「妙楽大師の云く、当に知るべし身土は一念三千なり。故に成道の時、此の本理に称うて一身一念法界に遍し等

(『摩訶止観輔行伝弘決』)[云云]。」

『観心本尊抄』昭和定本712頁

と、釈尊の一身一念が法界に遍満した事により、「「九界も無始の仏界に具し」(本因)、「仏界も無始の九界に備」る(本果)九界即仏界、仏界即九界の真実の十界互具、一念三千が成就」した訳である。この様に、本門教相上(文上)の開迹顕本(本時成道)の際に事の一念三千が成就するという「見難き」ことを「文の底」と表現したが、「文底」の事の一念三千が成就する前記の場もまた「教相」の範疇にあり、顕本論としては「事顕本」である。したがって、「「見難き」といつても、文を離れて無媒介的に、または神秘的に一念三千が成就されたのでもない」。大石寺日寛『三重秘伝鈔』の如き、上底相対させ文底観心を選択する「理顕本」の教理は「文底」解釈の曲解であるとする。

 

●事顕本…「開目抄」寿量品文底も「教」の範疇

事顕本

┏ 文上 教相 久遠実成 無始の古佛

文底 教相 十界互具・事一念三千の成立

理顕本

┏ 文上 教相 久遠実成

文底 観心 無作三身=無始の古佛(久遠元初自受用報身…日寛)

 

「「望月宗学」の後に来るもの

 宗門近世の宗学は、何びともが認めるように、加州の尭山(優陀那院日輝)和上によって大成されたが、その系譜に立ちつつ、いわゆる近代宗学を樹立したのは、要麟浅井先生と歓厚望月先生の双璧である。しかも両者轡を並べて輩出し、片や文献学的方向に、片や論理学的方向に、それぞれその特色を発揮したのは、まことに奇しき因縁といわざるを得ない。そして前者の主著を「日蓮聖人教学の研究」といい、後者の主著を「日蓮教学の研究」というも、亦奇なるかなである。

 この書名によっても推察されるように、浅井先生の宗学は、宗祖聖人の教学の文献学的方法による考究であり、望月先生の宗学は、宗祖を源流とする一宗教学の体系的考究である。

(中略)

浅井先生は、宗祖遺文の文献学的批判から入って、聖人の教学の真にオリヂナルなものを求めようとした。一種の復古主義てあったが、望月先生は、宗祖を先達と仰ぐ信仰的伝統のなかに、歴史的に創造されていく宗学を目指しておられたようである。したがって、宗祖の思想を追求するに当っても、文献批判は浅井先生ほど神経質ではなく、たとい、第二資料と目されるものでも、宗祖の本質的立場から可能性ありと認められれば、用いるに吝かでないという態度を執られた。しかも、論及はきわめて客観的で、形式的に分類されることに妙を得ておられた。(中略)

ただ、ここで疑問となることは、先生が認識された宗祖の本質的立場なるものは、如何なる立場においてそれが為されたか、ということである。もちろん、遺文の信仰的把握が根本条件であったことはいうまでもないか、宗祖のオリヂナルな宗教体験を捉える場合、祖滅後の宗学が能く媒介契機をなすだろうか、ということである。先哲学匠の宗学的業績は、何れも宗祖の宗教的世界を追求し、追体験しようとの努力のではあるが、それは個々の先師の創造的世界であって、宗祖の宗教的世界そのものではない。したがって、示唆となり、目安となり、鍵となることはあっても、日蓮的認識による日蓮認識とはならない。先生はその点をどう処理されたのであろうか。この点は、先生の宗祖観ともつながりを持つのである。

現代宗教研究所々長 茂田井教亨」『現宗研所報第2号』16〜7頁

前に日輝師の充洽園学派の系譜にある望月歓厚・浅井要麟両教授の顕本論について見てきたが、文中の指摘通り、望月教授は「祖滅後の宗学」殊には日輝師の宗学の影響から旧来の「理顕本」の教理を立てられ、浅井教授は、「宗祖遺文の文献学的批判から入って、聖人の教学の真にオリヂナルなものを求め」、「事顕本」の教理を立てられたのであった。

 茂田井教授は、現代宗教研究所々長として両師の研究方法を比較され、望月教授の研究方法について「宗祖のオリヂナルな宗教体験を捉える場合、祖滅後の宗学が能く媒介契機をなすだろうか」という疑問を投げ掛けられ、浅井教授の文献学的批判に基づき峻別された宗祖御遺文と直接向き合う研究姿勢を評価している。この様な方向付けが、以降の『「望月宗学」の後に来るもの』を示唆する事となる。後の北川前肇教授著『日蓮教学研究』においても望月・浅井両教授の顕本論について比較研究(194〜197頁)がみられるところである。

 

以上、『日蓮宗宗義大綱』作成当時の各先生方の本尊・顕本論についてみてきたが、

(2)望月歓厚教授「理顕本」、(3)浅井要麟・(4)執行海秀・(5)茂田井教亨各教授・浅井圓道教授(読本解説)「事顕本」という結果であり、個々の顕本論の特長については述べてきた通りである。この結果から『宗義大綱』作成当時、「事顕本」が既に主流になりつつあったことが推測され、他の作成委員の方々を含め「最大公約数」として「事顕本」の「久遠実成本師釈迦牟尼佛」が日蓮宗の本門の本尊として制定されたと考えられる。『宗義大綱』以前の『日蓮宗読本』が「理顕本」であることからも、当時は、顕本論において「理顕本」から「事顕本」への過渡期であり、「事顕本」が定着化した現在において、『宗義大綱読本』では、「事顕本」の教理を明示するようになったのであろう。

 望月歓厚教授は、顕本論において、日輝師の充洽園教学の影響から旧来の「理顕本」の教理を立てられた。浅井要麟教授は、すでに御遷化(1942)されていたが、文献学的見地に基づく宗祖御遺文と慧檀両流に亘る中古天台教学との比較研究(「祖書学」の一部)から宗祖本来の顕本論が「事顕本」であることを究明され、執行・茂田井教授等、以後の学者の研究方法に影響を与えた。茂田井教授の前記述には、その示唆がみられるところである。浅井要麟教授著『日蓮聖人教学の研究』では、現代における本尊・顕本論の原点が確認でき、同教授がその先覚者であったことが認識できる。

『日蓮宗宗義大綱』及び解説において統一された本尊・顕本論を制定することは、宗門の「異体同心」の信仰に不可欠な作業であったが、これは、旧来の宗学をそのまま受け継いだものではなく、「宗祖遺文の文献学的批判から入って、聖人の教学の真にオリヂナルなものを求めようとした。」研究方法によって究明されたものであり、数派の門流が合併した本宗にとって公平な判断であったと考えられるところである。

 

 

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