研究ノート

 

教学をどう捉えるか――現代化のために

 

岩 田 親 静

 

1 問題の所在

 

 私は、第10回日蓮宗教化研究発表大会で『現代と仏教〜我々は社会とどう向き合うのか』という題名で発表をさせていただいた。そのなかで、上原専禄「日蓮を現代にどう生かすか」の下記の文章を引用した。

日蓮を現代にどう生かすか、という問題は、日蓮におぶさることではない。だから、日蓮を道具につかったりなにかすることではない。また、日蓮を簡単にモデルとして、日蓮が言ったりしたりしたとおりに、機械的に日蓮を模倣することではない、とも思うのであります。つまり、日蓮というものをつごうよく自分で勝手につかったり、また、おぶさったり、ぶらさがったりしてはいけないのであって、日蓮の生き方を、鎌倉時代の問題状況のなかで、もういっペん考えてみるということによって、私たち自身の生活態度のひ弱さ、あるいは欠陥を反省してみるということ、それが、第1に、日蓮を現代に生かすゆえんだと思う。そうすると、いまのように、インテリが中途半端なところで、これこれしかじかの認識に到達した。そこで満足してしまう。そういうことではいけないのであって、認識の正しさを、行動をとおして実証していく態度の必要なことがわかってくる。(『経王・列聖・大聖――世界史的現実と日本仏教』評論社 1987年 281頁)

 「日蓮の生き方を、鎌倉時代の問題状況のなかで、もういっべん考えてみるということによって、私たち自身の生活態度のひ弱さ、あるいは欠陥を反省してみるということ、それが、第一に、日蓮を現代に生かすゆえんだと思う。」と歴史学者である上原博士は述ベていますが、現代宗教研究所の役割や教化学が仏教や日蓮教学の現代化であるとするならば、仏教や宗祖の教学をどのように捉えるのかが大切になってくると思われます。

 そこで本発表では、教化学の元となるであろう日蓮聖人の思想を研究する学問、具体的には宗学、仏教学(一部、歴史学)の特色、問題点を検討し、今後の教化学の発展の一助としたい。

 

 

2 宗学者の視点から

 宗学に関しては、『日蓮宗事典』でも多くのスベースを割いて説明を行っているが、ここでは仏教学との違いに触れた庵谷行亨『日蓮聖人教学の基礎(1)』を確認してみよう。

仏教宗派の存立を支える基本教学が宗学と呼ばれるもので、一般的な意味での仏教学とは区別される。仏教学と宗学の異なる点は、仏教学が客観的・実証学問であるのに対し、宗学は、信仰を主体として人間存在そのものを問題にする学問であることにある。純粋に客観的・実証的なものを学問とするならば、宗学は学問としての領域を超える。(4・5頁)

宗学とは、宗祖の教えに自己の実現をみることである。宗祖の思想・信仰を自己の人格体を通して論理化し、実践し、普遍化していくことであることから、宗学とは命をかけた信仰告白であると言えよう。(9頁)

日蓮聖人は法華経に生きることに人生の真実を見い出した。日蓮宗学の本旨は、日蓮聖人の提唱された法華経信仰に自己の真実を実現することにある。(10頁)

上記のように宗学者である庵谷博士は、仏教学を客観的・実証学問、宗学を信仰を主体とするものと考えている。

 また、歴史学者の佐々木馨博士は『日蓮の思想史的研究』(2013年 山喜房仏書林)の中で宗学者 望月歓厚・茂田井教亨博士の文章を引いて「宗学」を位置付けている。

近年の宗祖研究に決定的な影響を与え続けているのは、やはり、望月歓厚の『日蓮教学の研究』であろう。

望月は、「教学」と「宗学」の概念的関連を、その「序」の中で次のように規定している。

『教学』は、その宗教における教義信條の体系で、一種の権威を伴い、不変性を持つものであり、一方の『宗学』とは、その『教学』から出でて、「宗学する者」の主体性を通した個性的な学的体系である。(14頁)

 茂田井の教学的学説史上の位置は、『観心本尊抄』の副題が示すように、「宗学体系化への試み」にある。(中略)

茂田井によれば、一宗の「宗学」とは、

教祖に対する同信・共感・共鳴を基調として同一系譜にあると自覚する者の、自己理解の表現的世界であるという。それは同時に、きわめて信仰的であり、かっ個的体験的でもあるという。(17頁)

 両博士は、宗学を主体的・信仰的・個性的であると考えている。

 

 

3 仏教学者の視点から

 仏教学者はどのように宗学や仏教学をとらえているのであろうか。

勝呂信静「宗学研究上の23の問題点」(同『日蓮思想の根本論』2013 山喜房仏書林)では左記のごとく述べている。

 かって、故望月歓厚先生は、何かの雑談の折に、「宗学が果たして学問として成立するかどうかということも問題だね」ともらされたことがある。どんなお気持ちで先生がこのようなことを言われたのかわたくしには判らないが、今にして思えば、本質的意味で宗学を学問として組織するためには、多くの克服すべき問題があることを痛感されてのことであったろうか。(288頁)

宗学が諸他の学問と区別される特質は何かというと、まず第一に考えられることは、信仰を前提とする学問ということである。(中略)しかし、宗学というものが成立している実際的な根拠は歴史的伝統的に宗団(教団)が存続し、その教団に属する学問として宗学が行われたことである。この意味での宗学は教団の背景なしには考えられない。(中略)それはともかくとして、伝統的にわが国諸宗の学問は、「宗乗」とその補助学としての「余乗」の2部門によって構成されてきた。宗乗を中心として余乗をそれに従属させる学問の体系が存在したわけである。余乗の内容はある程度諸宗派において共通していたようであって、大体をいうと倶舎を仏教入門として、唯識・三論・華厳・天台等と進み、最後に宗乗を究めるという順序になっていた。しかるに明治以後、諸宗派に共通な学問としての余乗の部分に、欧米の科学的仏教研究が結びつき、長足の進歩をとげたのである(289頁)

かつては、宗乗・余乗として、宗学を中心とする仏教の知識体系が存在したが、今日ではこの知識体系は次第に破壊されつつある。これは反面からいえば、一般仏教研究が、科学として宗教のきずなを脱して独立したことであって、したがって信仰を前提とする宗学と科学としての一般仏教学は、本質的にその方法論を異にするはずのものである。(290頁)

 末木文美士「仏教研究方法論と研究史」(『新アジア仏教史14 日本W 近代国家と仏教』佼成出版社 2012)では、左記ごとくに捉えている。

 今日、仏教を扱う最も主要な研究分野は仏教学と呼ばれるが、どの程度公認された研究分野であるかについてはいささか疑問がある。仏教系の私立大学においては仏教学という分野があるが、それ以外の大学にはほとんどそのような学科や専門はなく、わずかに東京大学にインド哲学仏教学専門課程、京都大学に仏教学専修がある程度である。それ故、キリスト教の神学に近いようにも見られるが、必ずしもそうともいえない。神学が信仰を前提として、その信仰をいかに深め、言語化するかという主体的問題を正面に据えるのに対し、仏教学は客観的な文献学に基づく教理史の研究をその中核に置いている。それ故、建て前上は必ずしも信仰を前提としない。しかし、純粋な思想史に還元できるかというと、その点に曖昧さが残され、むしろ仏教信仰を前提とした僧侶の学問という性格を長く保持し続けてきた。(306頁)

仏教学と密接に関係する分野に宗学がある。これは各宗派において宗祖の教学を中心に研究する学問で、キリス卜教の神学に近い性質を持っている。もっとも宗学という一つの学問があるわけではなく、それぞれの宗派で、天台宗学・密教学・禅学・浄土宗学・真宗学などと呼ばれる分野が相互の連関なしに併存している。これらの宗学は各宗門大学の中心んとなる学問で、僧侶養成の基礎科目となっている。近世の檀林では、宗乗などと呼ばれる自宗の教学を中心として、併せて余乗などと呼ばれる基礎的・一般的な仏教学を学ぶのが通例であった。それ故、その改編に基づく宗門大学のシステムでは、宗学を学ぶ学科(禅学科・真宗学科など)と仏教学科が並存するのが一般的になった。

 宗学は各宗派公学認の教学の確立と教授を目的とするため、宗祖無謬説と言われるように、宗祖の説は正しいということを前提として研究を行なうことになり、客観的な学問と性質を異にする。仏教学はその宗学を補完するものとされるから、実質的には日本仏教の各宗派の教学を前提とすることになる。とりわけ宗門大学においてはその傾向が強かった。(307頁)

 仏教学と宗学が教理研究であるのに対し、歴史的事実を追及する研究が実証的な仏教史学として展開した。とりわけ日本仏教に関しては、教理的な研究が諸宗派に分かれたために総合的な研究が遅れたのに対して、資料が豊富なこともあって、実証的な仏教史が大きく発展した。このため、インド仏教に関しては仏教学が中心、日本仏教に関しては宗学と歴史学が中心となった。(309頁)

 宇井伯寿(1882〜1963)は印度哲学という名で形成された近代仏教学の最大の確立者ということができる。(中略)宇井は『仏教汎論』(1943年)において仏教の総合体系を確立し、村上の『仏教統一論』の意図を実現させた。それは、仏・法・僧という伝統的な教理学を維持しながら、近代的研究の成果をその中に盛り込んだものであった。しかも、その体系は日本仏教を究極とし、かつ天皇制国家を最高におくという点で、時代の要請を受け入れた護教論を完成させたものと言うことができる。

近年の仏教学における新しい動向として捲き起こしたのは、駒渾大学の袴谷憲昭・松本史朗らによってがある(末木文美士 1998)。袴谷や松本は、これまでの印度哲学=仏教学が実際は護教論でありながら、客観学の装いを取っていることへの疑義を表明し、仏教学における価値観のあり方を問いかけた。彼らの中核となる思想は、東アジア仏教の中核となる如来蔵思想は本来の仏教とはいえないもので、否定されなければならないとして、従来の如来蔵思想を前提とした仏教史に異議を唱えた。

 批判仏教の運動はある意味で大乗非仏説論の再来であるが、大乗仏教を全面否定するのでなく、空の思想は肯定しながら、如来蔵を否定するという点で、新たな価値判断を持ち込み、仏教研究が単純な客観学では済まないという問題を提起した。(中略)

 今日、このような問題提起を受けながら、仏教学は大きな曲がり角に来ている。前提とした護教論調和が無条件に成り立っていた時代け終り、改めて両者の関係が問い直されなければならなくなっている。325頁)

袴谷憲昭「日本仏教における「批判」(『新アジア仏教史15 日本V 現代仏教の可能性』2011 佼成出版社) 

 法然、親鸞、道元、日蓮などの宗祖たちであるが、彼らはそれぞれ順次に今日まで存続する浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗の宗祖とされているのである。彼らはその意味からいっても、叡山の仏教を新しい時代に広く開放する礎を築いた仏教者として高く評価できるのであるが、しかし、「批判」的な観点からいえば、いかに彼らが今日まで継承されてきた確固たる宗派の宗祖だからといって宗祖無謬説に立って宗祖を無批判に擁護するようなことがあるまい。というのも、宗祖無謬説自体がまさに非仏教的だからである。仏教とは唯一絶対の釈尊だけが説いた教えである限り、仏教徒にとって無謬なのは仏説を初めて我々に示した開祖だけであって、その意味では、宗祖たちも全て我々と同じ仏教徒に過ぎず、従って彼らも我々とに無謬たりえないから、彼らの誤りは仏説に依存して正されていくのでなければならない。(355頁)

花野充道『天台本本覚思想と日蓮教学』(2012年 山喜房仏書林)では左記の如く述べている。

日蓮研究は、大きく分けて教理研究と歴史研究がある。かつては、宗学と宗史と呼ばれていた。(中略)歴史学者は、「主体性」がなければ、独白の「学説」や「史観」を創造することができないから、「主体性」はもちろん大事であるが、より重要視されるのはやはり「客観性」であろう。(中略)すなわち客観的な真実の解明に力点が置かれている。対して教理学者は「客観性」がなければ、単なる「信仰告白」でおわってしまうから、「客観性」はもちろん大事であるが、より重要されるのはやはり「主体性」であろう。(中略)

教理学者の「主体的な日蓮理解」と言えば聞こえがよいが、現実には「主体的な信仰告白」のような論文も多いから、歴史学者の日蓮研究のほうが、客観的であるだけより説得力がある。しかも歴史学者が、歴史の事実研究だけにとどまらず、日蓮の思想研究まで手を伸ばすようになると、もはや主観的な教理学者(宗学者)は、護教学者としての「信仰上の(教団内部からの)評価」は別として、客観的な学術研究では「学問上の(教団外部からの)評価」は望めないであろう。(2・3頁)

各教団の宗学は主観的・信仰的な日蓮研究であるから、「信仰的」には価値があり、教団内部から評価されても、「学問的」な評価はほとんど期待できない。(中略)教団の僧侶は、真理のための学問ではなく、教団の(信仰を正当化する)ための護教的な学問をして、教団の信仰を布教することに尽力すべきである。これが、教団が「真理のための学問」を否定する理由であるが、それは教団の信仰が理性的な学問に耐えられないこと、すなわち教団の研究者に盲信盲従を強いていることを自ら白状しているようなものである。(13頁)

 以上かなり多くの引用を用いて、宗学、仏教学、一部歴史学の位置づけを概観してきた。ここでその特色をまとめてみよう。

 立正大学もそうであるが、多くの宗門大学は仏教学部の中に仏教学科と宗学科を有している。これは宗乗と余乗と分けられていた檀林時代の名残である。従来学問としては、宗乗の補完として余乗があり、近年まで形は変化したものの、精神的根底にはいきづづけてきた。

 しかし、近年仏教学は科学として、客観的学問として進歩をとげ、その位置づけが変化している。

 一方の宗学は信仰的・主体的であり、信仰を有する、教団や信徒にとっては有益であるが、学問としては成り立ち難い側面がある。

 その上で、仏教学は客観的であるとされながら護教的であり、宗学は宗祖無謬説に立つという点があり、駒沢大学の袴谷・松本両博士より批判されることとなった。

 

宗学  宗乗 信仰的・主体的 宗祖無謬説

仏教学 余乗 科学的・客観的 護教論

歴史学    客観的・実証的

 

さらには、歴史学者の高木豊博士は、「立正安国論再読」で左記の如く述べている。

福神研究所の諸君と老生の違いは明らかです。諸君が60歳の日蓮から、さらに今の時点から読み直し、見直しているような日蓮ではなく、誤解を恐れずに言わせてもらえば、未完成な――もし60歳の日蓮を完成した存在とすればですが――日蓮の著作として読んだということにおいて違うことを、あらかじめ申しておきたいし、また、これを聞いてもらわなければ、これから先の筆は進みません。(90頁)

 福神メンバー(主として僧侶)日蓮聖人像が「60歳の日蓮を完成した存在」としてみていることを問題視しています。宗学で育ってきた僧侶の視点を考え、宗学と歴史学の日蓮聖人へのアプローチの違いを示したものと言えるでしょう。同様の指摘は、勝呂信静「宗学研究上の2・3の問題点」でもあがっている。

古来の宗門の伝説では、聖人はすでに開宗時にあるいは開宗以前において、念仏・禅・真言・律の四宗に対する破折を行われたという。この伝説の趣旨が古来の宗学にどのように反映しているか、私もよく知らないが、教祖の思想をその出発点から完全なものとして見ようとする宗学的発想に関係あるものであることは否めないであろう。(285頁)

 宗学・仏教学・歴史学を比較してみると、客観性において仏教学と歴史学は同じであり、同じ土俵の上で議論をすることが可能となる。一方で、宗学は、より主体的・個人的なものであり、望月博士の指摘ではないが、学問として収まるかは疑問であるとも思われる。私自身も高木・勝呂両博士と同様の視点から現代宗教研究所の例会で「『守護国家論』考」「『立正安国論』考」を発表させていただいている。

 また、宗学批判である「宗祖無謬説」に関しても問題がある。批判仏教・批判宗学と称される本批判は、駒沢大学の研究者たちによって主張された。(批判仏教の展開に関しては、末木文美士「〈批判仏教〉の再検討」(同『鎌倉仏教形成論』 1998 法蔵館)を参照のこと)

 島薗進『日本仏教の社会倫理 「正法」理念から考える』(2013 岩波書店)では左記の如く述べている。

 道元において、正法復興は釈尊にかえることであったにもかかわらず、道元以降の曹洞宗においては、道元という祖師こそが釈尊と並ぶ規範となった。道元自身は意図しなかったかもしれないが、道元の正法理念は宗派教団化した形でしか具現しなかった(175頁)

この指摘から考えれば、「仏教徒にとって無謬なのは仏説を初めて我々に示した開祖だけ」との考えも理解できる。しかしこれもまた、護教的・信仰的とは言えないだろうか。

 宗学の問題を論じる場合、根本的な問いとして、「信仰とは何か」特に仏教、法華経における信とは何かの問題が重要になってくるように思われる。

 植木雅俊『仏教、本当の教え』(2011 中公新書)では左記の如くに「信」という言葉の説明をしている。

 インド仏教が「人」よりも「法」を重視したことは、「信」のとらえ方にも表われている。サンスクリット語で「信」と漢訳された語にはシュラッダー(sraddha)、アディムクティ (adhimukrti)、ブラザーダ(prasada)、バクティ(bhakti)の4つがある。経典にはそのうちシュラッダー、アディムクティ、プラサーダの3つは出てくるが、バクティは決して出てこない。それは、初期大乗仏典を代表する『法華経』でも全く同じである。(170頁)

「法に心を置く」シュラッダーと、「法に向かって心を解き放つ」アディムクテイが、「信」という心の働きの在り方を言ったものであるのに対して、ブラサーダはその「信」によって得られる内的な心の状態である。このブラサーダは、特に仏教的であって、「信」は清められ澄み切った心(prasada*citta)、という在り方で現れることを意味している。(172頁)

日本では、信仰について疑問すら抱くことなく、分からないことが有り難いことだという傾向が強い。真理を探究し、疑問を納得したところに開けるブラザーダの状態に到ことは少ないのではないか。(中略)仏教は自覚の宗教であり、納得することを重視していたことを知らなければならない。(173頁)

 仏教における信心とは、「法に心を置く」「法に向かう」ことによって得る清められ澄み切った心の状態であり、「仏」という開祖(人)ではなく、「法」を重視していることが解る。(日蓮聖人の言葉「依法不依人」の重要性もみえてくるが、是もまた護教的なのかもしれない。)

 批判宗学的展開で本来問題とすべきは、開祖・人(仏)でなく教え(法)であったのではないだろうか?(批判仏教は、法の問題であり、如来蔵・仏性説を批判したものであった。)

 

 

4、遺文の真偽について

 宗学・仏教学・歴史学に関して、雑駁ではあるが、立ち位置の確認をしてきた。一方で、宗学の研究の成果で大切にされてきたのが、遺文の真偽問題である。日蓮聖人の思想を研究の対象する場合、必要不可欠な問題である。この点に関して勝呂信静「宗学研究上の2・3の問題点」では左記の如くに述べている。

ところで偽書と称される遺文も、決定的にそうであることが証明されたわけでなく、多くは真書であることが疑わしいというものであって、むしろ「疑書」と称すべきものであり、このかぎり真書の可能性を全く含まないわけではない。誰の目にも偽作であることがあきらかな遺文は少ないのであって、大部分のものは、それを偽書とする理由を吟味してみると、(1)比較的にネガティブな理由であるか、あるいは(2)主観性に左右されやすい評価に基づく理由であることが見出される。(1)は古い聖教目録にその名が記載されていないとか、真蹟が曾存・現存しないとかいうようなことである。(2)は、真作であることが確実な他の遺文と比較して見て、思想が異なるとか、文章表現が異なるというような理由であるが、この判断には印象批判的なところがあり、かなり主観性が入る余地がある。(269頁)

 末木文美士『増補 日蓮入門 現世を撃つ思想』(2010年 筑摩書房)

 戦前にかなりの水準に達した日蓮研究であったが、その過程で新たな方法論をもって統一的に日蓮遺文を見なおし、戦後の研究に大きな影響を及ぼしたのは、浅井要麟であった。(中略)浅井の方法は、中世の天台特有の本覚思想と呼ばれる思想動向との関係で日蓮遺文を見なおし、本覚思想的な要素を含む遺文をにせもの(偽撰)の疑いのあるものとして検討しなおすというものであった。(15頁)

 『増補 日蓮入門 現世を撃つ思想』(2010年 筑摩書房)

花野充道 あとがき

 田村先生をはじめとする現今の日蓮研究者が、どうしてこのような説をなすのかといえば、島地大等氏によって提示された史観、すなわち「日蓮は比叡山に遊学して、慧心流の教学を伝え、その法門の内容は(日本の)中古天台の思想とほとんど異ならない」(『天台教学史』)という思想史観を否定しようとされているのである。「日蓮の宗教は断じて日本の中古天台の亜流ではない」という信念に立って『修禅寺決』の文や、「無作三身」の語など、進展した天台本覚思想が見える日蓮遺文を偽書として排除し、日蓮の宗教を純正法華主義に立脚した独創的なものと見なそうとされている。(247頁)

 3論文ともに遺文の真偽が、個人の見解によって行われているのではないかということを問題としているが、特にこの問題の大きなところは、勝呂論文が1974(昭和49年)に書かれたかなり古い論文であり、かつ立正大学教授が書いたものでありながら、これに対する目に見える進歩がおこなわれて来なかったことにある。同様の批判が末木・花野論文で触れられている事実からも重要性が高いと思われる。

 

 

5、おわりに

 以上のように、「今後の教化学の発展」のために各研究を概観してきたが、客観性だけでみれば、歴史学が優れているようにみえる。しかし、宗教が生き生きと現代に反映されるためには、哲学的思考が必要となり、自然、主観的・個人的な部分も生じてくる。

 仏教学は一見、客観的にみえるが、その実、余乗の性質を維持しており、護教的な部分も存在している。

 ともすれば、宗学は最新の研究成果を反映することが難しく、教団あっての教学という立ち位置になるのではないだろうか。

 

 

付論

 最後に私自身が教化学へどうアプローチをするべきかという考えを示そう

 今枝由郎『ブータン仏教から見た日本仏教』(2005 日本放送出版会)

 仏教は、思想としても哲学としても、優れたものをもっているが、なによりも実践の宗教である。(中略)たえず自らを検討することが要求される。再びダライ・ラマ14世の言葉を引用すると

 ブックが言ったから、それがブックの教えだから、という理由で行動するのが仏教徒の生きなのではありません。私自身がそのことを問い、私自身が確かめ、私自身の言葉で言い表し、確信できたら私自身の行動で示すのが仏教のあり方なのです。ブックがこう言ったから私もそうする、というのは決して仏教ではないのです。(上田紀行『がんばれ仏教!』296頁)

 妄信的な前提ではなく、20世紀を代表する科学者アルベール・アインシュタイン(1879−1955)が「仏教は近代科学と両立可能な唯一の宗教である」と評しているのは、仏教のこうした性格を指しているのであろう。273頁)

 上田紀行『目覚めよ仏教I ダライーラマとの対話』(2007 日本放送出版会)

 仏教では、そもそも一番初めの段階から、信仰と論理は両立していなければなりません。論理性を欠く信仰は単なる妄信となってしまいます。それは釈尊によって明確に否定されています。信仰は単なる妄信的な信心ではなく、自分が信心する適切な土台を釈尊の教えが持っていることについて、自分自身が確信することが必要なのです。(73頁)

 ですから、単におしえられたことを、釈尊が説かれているからという理由によって信じるのではなくて、教えに対してまず懐疑的な態度によって疑ってかかり、その教えがほんとうに正しいかどうかということを、自分の頭を用いて調べ、ほんとうにそれが正しいのだということを理解したうえで、その教えを信じていくという態度が必要であるといわれているのです。(74頁)

 宗派の祖師の教えに疑問を持っこともなく、ただただそれに自らを委ねきり、信じ切るというやり方は一見「信心深く」見えますが、しかしそれは法王のおっしやる「妄信」に陥る可能性を常に抱えています。さらに、そうした妄信者は、「自分の頭で」探究しようとする若者たちを抑圧しています。若者たちが現代という時代のなかで、伝統的な教えに疑問を発し、真摯な問い投げかけ、それを深く探究して答えを得ようとするからこそ、伝統的な仏教は現代にも通じる知恵となることができるのだと思います。にもかかからず、最初からその問いを封印してしまっては、仏教の教えに対する深い探究がなされるきっかけも失われ、そして現代に通じる仏教などには決してならないのではないかと思うのです。(76頁)

 今枝、上田両師の考えからみえてくることは、常に問いを発し続け、自己の「妄信」ではないかと疑うこと。論理性を重視したうえで、行動を行うこと。これらは、実は難しいことだと思われるが、立ち止まることなく向かい続けることこそ、教化学へのアプローチにもっとも必要なものなのだと考える。

 

 

 

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