現代宗教研究 第57号(2023.3)


第55回中央教化研究会議 特別講演


『イノベーションを興す』

─未来を取り逃がすな─

 

樋口邦史


樋口 皆さん、こんにちは。私はイノベーションの大家でも何でもないわけですが、私自身、イノベーション、イノベートについて研究をしてる一人でございます。

私は、今お話を聞いて、かくも先進的な取り組みが、宗教団体の中で行われているということを全く存じ上げませんでした。私、中央大学と法政大学において教鞭を執っていますが、大学の教員も、ITなどの環境を使える人たちが多くはない。そんな中で、コロナ禍を迎え、学生さんたちは大変苦労して講義に参加したり、あるいは、学校には一度も行けていない。今の3年生です。そういう子たちが増えてきたことを、非常に危惧しております。

そんな中で、こういったIT環境を使った学び合いが非常に進展してきたという、われわれにとってもうれしいですし、本日もこうして、居ながらにして全国の人たちとつながれる。これから、こういう環境を使いこなすということが、こちら様を問わず、全ての法人や企業の組織の中で必要になっているかなと思います。

それでは、早速「イノベーション」というテーマでお話をしていきます、こちら様でもそうだと思いますが、教員の世界でも徒弟制度のようなものがございまして、私の先生は一橋大学の伊丹敬之さんという方で、私は東京理科大学の大学院で教えられまして、われわれの大先生です。その大先生に断りもなくこれを参照するのは非常にはばかられたんですけど、勝手に使わせてもらいました。伊丹敬之著の『イノベーションを興す』を久しぶりに読み返してみました。

私は、富士ゼロックスという会社に所属していました。50年前、ゼロックスがスタートした時点から、非常にイノベーティブな企業ということを言われてきました。ですが、今から40年ほど前、大きな未来を取り逃がした大事件がありました。それをですね、ダグラス・スミスという方が書いた『取り逃がした未来』。なぜ、ゼロックスが未来を取り逃がしたかっていうようなことを、教育されているようです。その一部をご紹介しながら、お話を進めていきたいと思います。

先ほど、申し上げましたように、富士ゼロックスという会社に1983年に入社いたしまして、2019年に退社するまで、ずっと同じ会社に携わっていました。ただ、非常にいろんなセクションがある会社でございまして、ある一つのセクションだけじゃなく、いろんなセクションに所属しておりました。これも、私の好奇心のなせる業なのかもしれません。最後はグローバル・マーケティングという、私がトヨタ自動車という会社を担当して、世界中、特に欧米のトヨタ本部、それからブランチがある所を訪ねては、ゼロックスとして何ができるのかということを、グローバルサービスという形で展開していきました。

そうこうしているうちに、アメリカの同僚から、「大学院でも行ったらいいんじゃないの」という話がありました。私自身も、ずっと同じ会社にいたら、イノベーティブな発想が起きないなと思っておりました。そこで、東京理科大学の門をたたき、働きながら、科学技術関係のMOTという修士コースがあり、ご縁があって博士課程に進み、今に至ります。

そういった中で、非常に大きな出来事がありました。2011年3月11日、東日本大震災がありました。私自身、この出来事を機に、大きく人生が変わったと言っていいと思います。今日も、こういう大きな社会変化があったときに、皆様方はどういう思考、どのような発想、着想でいかれたらいいのかというのが、今回のテーマだと認識しておりますので、その辺も触れますが、そのとき私が感じたのは、何か大きな変化が起きるだろうなということを感じました。

非常にインパクトの大きな災害でしたので、私自身も、災害現場に2か月後に赴き、会社として何をしたらいいのかという活動の最前線に入ることになったのが、2011年の10月です。復興推進室というところの代表で盛岡に拠点を構えて、何かできないか。何かできないかといっても、誰もやったことがないわけですね。誰もやったことがないのに「何かやれ」ということは、社長も、当時の会長も、大きな期待をしていたのではないのかもしれません。ただ、災害復興現場を見て「何ができるか」ということを本当に真剣に考えたときに、われわれ企業としてできること。それから、企業を外れて、私個人として何かできないか。その後者の方が、今、私がここに立っている、ある種のイノベーティブな起業家活動といいますか、そういったものになるのかもしれません。

そのことで、ある東北の町に訪れることになり、遠野市というところを訪れますが、もちろん沿岸被災地をくまなく回って、お医者さんのサポートをできるように、ソフトウェアの開発等々をしたんですが、それにも増して、地域の抱える課題に取り組めることが、私にとって非常に大きな出来事でした。その結果、このように大学で教えたり、ビズアップ研修、総研を通して皆さんとお会いして、こんなお話をさせていただいてるところでございます。

本日は、私自身が、新規事業等々の実務を経験して、失敗したものもあれば、途中で投げ出したものもあり、いろんなものがございます。その中で学んだことを、まず伝えていければと思います。それから、企業のさまざまなプロジェクトという活動があります。私は、何かあると必ずプロジェクトの中に引っ張られて、ある意味、「嫌だな」と思いもしたんですが、プロジェクトをやるのであれば、自ら自分で手を挙げてプロジェクトをやりたいと思っていました。

そして、先ほど代表の方のお話がありましたように、教化学、宗門教育、宗門ジェンダー、宗門運動のイノベーション。宗教と人間の関わりについては、多くの日本の方々が、今、世界中で戦争行為にある地域を近くにある、あるいは現場にある皆さんが、人間と生きる力という、人間と宗教について考えていらっしゃるのかなと思います。従いまして、多少参考になればというところで、イノベーションというのはどういうものなのかということを、事例と体験に基づいてお話させていただくこととなったわけです。

話は変わりますが、先月も研修で、ある県の港湾工事関連企業にいたんですが、企業の不正について話してまいりました。その会社さんは、実は専務が先週逮捕されたばかりだと言われて、びっくりしましてですね。何となくそういう会社かなと思ってたんですが、そこでも私自身の経験でお話ししますと、半分ぐらいの方は、「不正やむなし」と。はっきり言うと建設関係企業なのですが。半分ぐらいの方は、そんな中でも正義を持って会社経営をしなければならないという幹部の方がいらっしゃったというのが、非常に私にとっても興味深かったわけです。ちなみに、私の会社も、不正で新聞をにぎわせたこともございました。その現場を知っている人間にとって、自ら体験したことという話をしましたので、今日もそんな内容にできればいいと思います。

ゼロックスは、なぜ取り逃がしたのか。そして、まさにポストコロナの、ウィズ・ウイルスの時代に、どういった法人、企業の活動がイノベーションにつながるのかということを、お話ししていきたいと思います。

まず、イノベーション。皆さん、先ほどから「イノベーションを興さなきゃいけない」と言われてますが、イノベーションというのは、どうやればできるかという正解はありません。後から皆さんには考えていただきますが、イノベーションというのは、僕も恩師である伊丹先生からいろいろご教示いただいたわけですが、元々、技術関係の話が中心なんです。テクノロジーですね。内燃機関から原子力、さまざまな人間にとって役に立つか立たないものまで、技術を中心にイノベーションが起きていることは、よく言われます。

ジョセフ・シュンペーターという方がいらっしゃって、非常に親日家であって、何度も日本に来られてると聞いています。この方は、イノベーションとは「創造的破壊だ」と言うんですね。だから、創造的じゃないといけないわけです。戦争というのは創造性がないですから、破壊行為であるわけです。ただ、一つ言えるのは、戦争で使う武器というのが創造的であれば、それはイノベーションにつながる。破壊を伴わなければです。そんなことはとりあえずおきまして、既存の秩序から、ある種、脱出することだということを言っておられます。既存の秩序、これを「均衡状態」と言います。平穏な状態の中でぬるま湯につかっているような経済的な状態から、ぬるま湯状態にいる環境自体が変化するという。それが技術で行われたときに、まさにそれが創造的な破壊だというのが、シュンペーターの言うことです。

ただ、私の先生は、それはそうなんだが、実際にそこに到達するまでには、非常に長い時間がかかる。時間だけじゃなくて、その時間を経過していくうちに、いろんなプロセスが編んであるといいます。それは、社会的な環境の中でのプロセスですね。まさにこちらの宗門の皆さんがやられているような社会的な活動のプロセスの中で、新たな秩序が育ってくる。それが、イコール、イノベーションじゃないかと私は考えます。イノベーションの、いわゆる温床になるということです。このスライドに示してあるような、一つの均衡状態、ある種の何も起きてない状態の中から、いろんなものが秩序を脱出するように、壊すように生まれてくることが、イノベーションだと言われています。

では、そんなメカニズムがあるのかということなんですが、創造的破壊ということを素直に、均衡状態から脱出するというのは、すっと腹に落ちない。私の先生は、どっちかというと宗教家の皆さんに近いのかもしれませんが、ご本人は「論理的だ」と言うんですけど、私に言わせると、非常に論理的かつ情緒的な先生なもんですから、静かな建設者が、黙々と不均衡状態からの脱却に取り組むことが必要だと。ここは、どういう意図で使っているのか後で分かるんですけど、静かな建設者が必要だと。その時点では、まだまだ気がつかないような状況であることが、静かな状況だと先生はご指摘されています。

しかし、それをやっていく上においては、その静かな建設者が一つ取り組まなきゃいけないことがあります。それはこちらの宗門でもあると思うんですね。本当に矮小なことだけを取り扱うのではなく、大きな見取り図を持ったうえで取り組むことなわけです。「ビジョン」という言い方をするんですが、日本語では見取り図。もうちょっと専門的な言い方をすると、鳥観図ですね。上から鳥の目で見る、英語で言うとパースペクティブと言ったりなんかします。それを持ったうえで、この先生、あるいはシュンペータが言うには、技術的な突出で自ら新しいものを構想していると、破壊的に創造が生まれる。そして、そこから、不均衡の状態から新たな秩序が生まれると言っています。

ここでは技術という言い方をしていますが、こちらの日蓮聖人がやられたような布教活動、これまでにないような視点での活動。技術を超えたものというか、別の大学の先生はそれを、「知識」というふうにも言い換えて教えられています。人の持っている知識、情熱とかを凌駕するような知識です。従いまして、技術とか知識を持った方が、ある種、突出して、自ら新しい見取り図を持って、新たな構想力を持って新しい秩序を形成するというのが、イノベーションであると言い換えられなくもないのではないかと思います。ただの技術、テクノロジーで何かが起きるだけではないということです。そこで、今回、皆さんの日蓮宗のイノベーションというテーマにつながり、具体的なお話がなされると思いますので、その前段的な活動として、僕のお話を聞いていただければと思います。

ただ、私も、東京理科大学のイノベーション研究科で博士課程を終えた人間でありますから、まさに技術という部分の、技術と人というものにもぜひ触れておきたいということで、この2人の先生を紹介したいと思います。ありがたいことに、私がいた2011年から3年間、博士課程で研究を深めたわけですけども、その間、本当にイノベーションを興した方の講義を受けさせていただいたんですね。その何人かのうちの2人がそうなんですけど、すみません。こんなこと言うと、まだお亡くなりになってませんが、生き仏みたいな方と直にセッションをうけることができたのです。その1人が、当時、東芝から理科大に移られてきた森健一さんという方でした。お若い方は知らないかもしれませんが、日本語ワープロを作られた方です。今や、ワープロというのはないですね。

当時、私も富士ゼロックスに入って、東芝と同じ系列だったので、東芝のワードプロセッサーを売っていましたから、ワードプロセッシング専用の機器ですね。タイプライターを電子的にやったようなものです。ただ、その中で、ものすごいイノベーションが包含されていたわけです。今のスマートフォンでも使っている技術。それが、かな漢字自動変換装置でございます。

僕が森先生とお話しさせていただいた2013年の頃は、東芝がAIを使った言語の研究をされていましたが、その前は、入力文字の研究をずっとしていたんです。例えば、「わかい」と打つと、「和解」という、平和の「和」に理解の「解」と出るか、それとも、若年の「若い」と表現するのか。これを、コンピューターが習熟する中で、その人が使っている回数とかも含めて、あるいはその人が使っている環境も含めて、司法の中で使うと平和の「和」に理解の「解」と出るように、日本語の場合は、漢字とかな、両方ありますよね。これを、ソフトウェア上、かな漢字を自動変換するのがイノベーションなんです。こちらにありますように、かな漢字変換というのは、ワープロというハードは別にしまして、日本語でのコンピューター入力に革命を起こしたといえます。

ですから、皆さん、われわれも含めて、絵文字とかスタンプは別として、何かを送るときに、今ではみんな平仮名で、了解なら「りょ」とか、変なやつを送りますよね。うちの家内も「りょ」とか言うんです。「何が『りょ』だ。全部書け」と思うんですけども、当時は画期的なものなんですね。「了解です」の短縮が「りょ」です。「了解致しました」って打って漢字に変換されるというのは、ものすごいイノベーションなんです。東芝が自主的に開発したものだったんですけど、その後、日本語インターフェイスとしては不可欠になった。この先生から直接、私は講義を受けました。そのときのことを言うんですけど、順番がぐちゃぐちゃで、どういう技術で開発されたのか、なかなか難しくて分かりにくかったと。いずれにしましても、ハードウェアの開発だけではなく、ソフトウェアの開発にも、こういうようなイノベーションが起きたということでございます。

もう1人は、鶴島先生という方なんですけど、この人はソニーの技術者で、両方ともCTO(チーフ・テクノロジー・オフィサー)といわれる職でつながっている。研究所の代表ですね。その鶴島先生たちがやられたのが、アナログ信号をデジタル信号に変換して記録する媒体の開発です。

これも、昔はカセットテープ・レコーダーですよね。TDKとか、私は富士フイルム関係なんですけど、富士フイルムを使ってました。あと、3Mも、スコッチっていうブランドでテープを出してました。それが、一気にテープが要らなくなる。もちろんレコードも要らなくなる。レコードは、何かを送るとか、記録するという意味なんでしょうけども、非常に大容量で、非接触記録媒体ですから、摩耗しないような形で読み取らなければいけない。これを、オーディオ用のミュージック・ディスク。コンピューターの記憶媒体としてのコンパクト・ディスク。ビデオの記録装置としてのDVDなどに活用されたのです。まさに世界が一気に変わったんですね。

先ほど前段に申し上げた元々の秩序って、録音してあるものを聴くだけだったんです。聴いたら終わり。接触型ですから、レコード針を買わなきゃいけない。持ち運びもできない。ソニーはその前に、ハードウェア的に大きなものを作ったんです。「ウォークマン」というものです。昔、若い人が、腰にカセットテープ・レコーダーよりもちょっとでかいものを身につけていました。あれは記憶媒体だけなんです。カセットに記録された音源を聞くだけですね。それにヘッドフォンを付けて歩いている若者文化を創造したというのが、昔のソニーのウォークマン。あれなんかも一つのライフスタイルを変えたんですが、いろんな社会の秩序を変えたのは、比べものにならないぐらいの大きなイノベーションを興したのが、いわゆる読み取り装置、非接触型記憶媒体としての技術なんです。

東芝さんの場合は、アイデアを創出するための侃々諤々の議論、研究開発の末に生まれてきたようなことをおっしゃってましたが、ソニーさんの場合は、ある種、アイデアをバッと量産する。一足飛びに何かが進んでいくようなやり方を取ったと聞いています。形はどうであれ、そういう事業構想の上に発生した技術的な進歩、あるいは技術的な研究開発の先に、このようなイノベーションが生まれたということになってます。

そう言うとですね、「技術的なものじゃないとだめなのかよ」とか思うわけです。内燃機関、それから、燃料電池。これからは、もしかしたら更に大きな技術的なイノベーションが起きるのかもしれませんが、本当にそれだけなのかということですね。現実のイノベーションは、別に技術だけではないんです。例えば宗門教育制度というのは、われわれから言わせると、技術というのは目に見えるものですけど、目に見えない、インタンジブル(無形)な資源、アセットを使わなければいけません。そういう意味では、目に見えない考え方を一気に変えていくというのは、なかなか分かりにくいかもしれませんが、私はイノベーションではないかと思っております。

しかし、ちょっと技術というところで整理してみたいんですけども、私の先生は、こういう言い方をするんですね。イノベーションを興すための3つのプロセスがあります。技術ですから、技術でなければいけません。これも、どういうふうな言い方なのか、非常に幅広いんですが、筋の良い技術を育てると表現されます。それから、そこから市場への出口を作る。「筋の良い技術」って何だと言われると、僕も、先生が近くにいたら聞いてみたい。偉い先生なんで、あんまり聞けませんけどね。「そんなこと、考えれば分かるだろ」で終わるかもしれません。でも、そこに何か意味はあるんです。そして、市場への出口を作る。そして、最後に、これは「普及」という言い方をするわけですね。宗門の皆様の行為で言うと「布教」になるかもしれませんが、社会を動かすというプロセスが必要なのです。

だから、ある種、言い換えれば、筋の良い考え方でもって、いろんな宗門の中での教化を考える。あるいは、こちら様の関係の人たちが分かるような、分かりやすい出口を作る。そして、宗門だけではなくて、もう少し大きな意味で社会的に動かしていくことが、イノベーションになるかと思います。

 技術ということで一回整理してみると、イノベーションとは、新しい技術に基づく新製品や新サービスの提供という形で表されますが、提供された製品やサービスが人々の感動を呼ぶようなものでなければ普及しない。人間にどういうふうに届くのか。人々の感動を呼ぶものであるためには、そもそもその製品やサービスが、市場ニーズを満たすための、背後にある技術が、筋が良いものでなきゃいけない。

筋がいいというのは、どういうものなのかということですね。それは、この4つぐらいに言われるのかなと思います。

1つ目は、テクノロジー・ドリブン。相当、技術的に抜きん出ているということです。皆さん考えてください。どういうふうに筋が良ければ、皆さんの考え方が突き抜けられるのか。

2つ目は、マーケット・ドリブン。受け取る人たちが、「私たちのニーズはこうなんだけどな」っていうところにしっかり届く。今、コトラーという人の書いた、マーケティングの大先生ですけども、久々に読み返したんです、大学の時に。マーケティングの考え方における顧客ニーズというものをどういうふうに捉えるのかというのが、技術マーケティングでも重要だと教わりました。イノベーションを興すためには、どうしてもマーケット・ドリブンが欠かせない。こちら様で言うと、皆さんの考え方が伝わるエリアと言い換えられます。その新しいエリアが、今の門徒さんか、それは分かりません。

3つ目は、類似品型。似たようなものであっても、何かそこにニーズがあれば、そこからぐっと上に突き上がることができる。

4つ目は、商品コンセプト型というのが、さっきのかな漢字自動変換システムです。商品のコンセプトを研究していた東芝の先生が、どこでも持ち運べること。それから、データを蓄積できること。一般的に、どこでもかな漢字に自動的に変換できる。そういうことで、一つのワードプロセッシングというのができた。そういうコンセプトを作り上げること、これも一つの技術的な、これは技術マーケットって言うんですけど、考え方です。
 次に「市場への出口」は、デスクトップPCやらノートPCやら、PDAとかとか、スマートフォンとか、ここにありますけど、市場がそれをきちっと使うだけの市場環境というんでしょうか。そういうのがないと、感動以前に需要が生まれない。人々は、技術そのものを欲しがるんではないですよ、ということなんです。例えば、今、日本企業によく言われているんですけど、「ガラパゴス型技術」という扱いが定着化しています。日本人が使った携帯電話が一気にスマートフォンになって、市場から消えていく。ああいったことを称して、「ガラケー、ガラケー」と言われます。ガラパゴスというのは、当然ですけど、南米で何百年取り残されて、そこで独自の進化を遂げるわけです。独自の進化を遂げるのは自然豊かなところですから、それもいいと思うんですけども、世界の動向やニーズから切り離され、取り残されているのがガラケーですね。

それを踏まえて言えば、自分たち、あるいは世界中の「欲しいよ」っていうニーズを満たしてくれなければ、商品やサービスは売れません。私の経験は浅いし、あまり理解がないので、申し上げられませんが、宗教の本質的な考え方が、多くの人たちが「安心だな」とか、「家族にとって非常に有益だな」と思えば、人々はそういったものにすがるんじゃないでしょうか。他の宗教の話をして大変恐縮なんですけど、僕の末の娘と交際している子のうちへ行ったら、大きな祭壇があるんです。「何ですか、これは」と言ったら、おばあさんが天理教の門徒ということで、天理教といえば、「悪しきを払うて助けたまえ 天理教のみこと」。私、小学校の時に、「おぢばがえり」に行ったことをふと思い出しました。毎朝、毎晩かよく分かんないですけど、祭壇に向かってかしずいてお参りをしている。世の中には、いろいろあるなと。

そうしたら、うちの義理の父が、「大丈夫か。お金むしり取られてるんじゃないか」みたいなことを言ってましたけど、冗談で。人々にとって宗教の捉え方は、非常に感覚的になるんですね。今回、社会をにぎわせている某宗教法人。従って、日本人だけじゃなく世界中の人が、何を乞うて、何を必要としているのかということが重要で、それを金で買うものなのかというところが、全然履き違えてるのか、逆にうまくやったのかっていうふうに思われてしまう。ただ、市場というものをどう見るのかが重要なんだと思います。

そして、最後は、人々の生活を変えるだけのインパクト。すなわち、社会を動かして、感動を生み出すということですね。多くの人々の生活を変化させ、安定させ、豊かにさせるということです。皆さんの机の上に、お茶がありますよね。お茶がイノベーションではないんです。その入れ物。これは、ある意味でイノベーションを生み出したペットボトルです。ところが、どうでしょう。ペットボトルが廃棄され、海に漂う。海岸にたどり着く。環境破壊です。じゃあ、本当にそれはイノベーションなのか。環境を破壊してるんであれば、創造的ではないわけです。そういうところから、われわれは学ばなければいけないことではないかと思います。

とはいっても、イノベーションを興すことを目指してもなかなか現れない、そしてずっとやり続けることはできない。私の経験上、イノベーションが起きる寸前まで行ったのにできなかった。未来を取り逃がした。本当にその未来でよかったかどうかは、僕は分からないと思うんですけども、後になってみれば「大きな魚を取り逃がしてしまったぜ」という、恋愛のときもありますよね。恋愛のときは、ただ涙が止まらないだけで、魚なんて思いませんよね。「帰ってきてほしい」と思うだけかもしれませんが、イノベーションの中では、よくあることです。最も象徴的なのが、ゼロックスで起きたことだったと思います。

簡単に言うと、技術があります。2つめの市場の出口を見誤るという失策です。ここにあるのは、ボストン・コンサルティング・ファームで使用された、市場の成長率と相対的市場占有率の相関図なんですが、企業というのは、ここに書いてある3つのうち、金のなる木をしっかり育てて、まだこれは低成長なんですけど、それを企業の花形へと育てないといけない。儲かる製品、サービスです。ただ、一気に金のなる木にならないんですね。先ほど申し上げたように、不断の努力に、そのプロセスに行ってそこに至る、静かな建設者がいなければならないんですね。静かな建設者が、ゼロックスにはいなかったんです。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、ゼロックス・コーポレーションという会社は、ゼログラフィーという卓越した技術革新を持っていました。市場を席巻する花形を持ってたんです。それがコピー・マシーンです。コミュニケーションという技術を徹底的に研究したゼロックスは、チェスター・カールソンという人の持っている技術を使って、人々のコミュニケーションが一瞬のうちに変わるわけです。今までは、これを何度も何度も書いた。これは戦争に使われたところから出たので、僕が最初に言ったところで、破壊にはつながらないと思うんですけど、いわゆる戦術書を前線に届けるときに、書いて渡すんです。少年兵が命をかけた伝令を試みる、最前線にいるキャプテンに渡しに行くわけです。ところが、今では軍法会議の中でこれをコピーして配布する、ぱっと渡すだけでいい。もっとすごかったのが、通信回線を使って、これを前線に送る。作戦司令文章が届くんですね。モールス電子信号ではなく文章が届く。それがファクシミリ。こういったものを開発したのが、ゼロックスなんです。

彼らは、キャッシュ・カウと花形のものを保有しさえすれば、これで市場が席巻できると考えていました。ところが、1つ問題児がいたんです。コンピューターなんです。「Alto(アルト)」というコンピューターを作っていた技術者がいました。当時のゼロックス社は、花形、金のなる木があまりにも膨大な利益を生むために、この問題児を持て余していたんです。一気にこれを大きく金の成る木へと転換させる形でやるときに、やり方を間違えてしまって、コンピューターメーカーの後塵を拝してしまいます。

そのときに何が起きたかというのを、一つお話し申し上げますと、ゼロックスのロチェスターにある研究所に、男たちが2人訪れるんです。ゼロックスから言わせれば、後からコソ泥的行為っていろいろ言ってましたけど、1人がビル・ゲイツ。もう1人が、スティーブ・ジョブスです。スティーブ・ジョブスは、レターを書いて、当時ゼロックスが開発していたAltoというコンピューターと、「Star」というコンピューターシステムを見させてほしいと言ったんですね。ゼロックス社は、「いいだろう」と言ってOKを出した。で、来て、触ってもらったわけですね、説明までして。

彼らは、これが金のなる木になると分かってなかったのか、そのときの上席役員が後回しにしたのか、どちらかなんですけども、特にスティーブ・ジョブスがびっくりしたのは、ものすごい卓越した技術を垣間見たのです。それが、グラフィカル・ユーザー・インターフェイスです。今や、スマホを見れば、グラフィカル・ユーザー・インターフェイスだらけです。押せばOSが動きます。あれを作ったのがゼロックスなんです。後に、それをもう少し使いやすいソフトウェアに開発していた人たちがいたんですけど、その人たちも外へ出てしまう。その人たちが作った会社が、アドビという会社です。PDFを作った会社です。一方、ビル・ゲイツがびっくりしたのは、ファイルサーバーを経由して伝達する情報、それから、マウス。そういったものに、彼はびっくりしていたんです。

さて、それでスティーブ・ジョブスは、何を言ったか。「ゼロックスは、今日のコンピューター産業を丸ごと手に入れることができた。IBMにもなれた」と、後から言うわけです。彼は、グラフィカル・ユーザー・インターフェイスとマウスと、新しいOSを作りました。作ったのが、マッキントッシュと言われている、いわゆるパーソナル・コンピューターです。そこで彼はアップルという会社を作って、スティーブ・ジョブスだから言えるのかもしれませんが、ゼロックスは、IBMの10倍ぐらいの、90年代のマイクロソフトになれたといっています。従って、市場への出口が分からないと、未来を取り逃がします。この例が、市場の出口を創造できなかったことをものすごく表しています。

専門外なので、全く当てはまらないかもしれませんが、鎌倉幕府もそうじゃないかと僕は思います。日蓮聖人は、承久の乱で真言密教の祈祷を用いた朝廷方が鎌倉幕府に敗れたのはなぜかという問題意識をお持ちだったと伺いました。それを基に、一切経の勝劣を知るという重要な宗教体験を得て、経典に照らし各宗派の教義を検証するために、日蓮聖人がおっしゃったのは、念仏と禅宗を破折した、即ち立正安国論を著したわけですね。ところが、鎌倉幕府は、専制政治を引いていましたから、武家の社会をより長く反映させなければいけないということで、禅宗から念仏を重用、やっぱり重視したものを採用してしまう。その当時のことは計るに知れませんが、そののち鎌倉幕府は、滅亡の一途をたどることになる。日蓮聖人は、念仏と禅宗が妙法蓮華経を誹謗する、いわゆる謗法を犯していると主張したのでしょう。

ゼロックスは、ある意味、鎌倉幕府なわけですね。「一生安泰ですよ」と、金の成るコピー・マシーンを持っている。でも、50年でゼロックスはだめになりました。新しいもの、新しい考え方、新しい社会を目指すようなもの、取り入れにくいものを取り入れるためにはどうしたらいいかということが、この「取り逃がした未来」を見ていくと分かるのではないかなと思ったりします。

元に戻りまして、技術であれ、宗教の中にある考え方であれ、人々を、社会を感動させなければいけないということを伊丹さんはおっしゃっているわけですが、皆さん方がこれから、地域であれ、日本であれ、静かな建設者になるということが非常に重要ではないかと思います。私自身もそういう活動をしてきたと思っていますが、私であればまず、技術に関して市場と社会を感動させたいと思います。

実は私は、本田宗一郎が生まれた、当時の静岡県天竜市というところで生まれました。うちのおじいさんが、本田宗一郎をよくほめていたと聞きます。すごい人なんですけど、若干残念なところがあって、地域の人は本田宗一郎をあんまり尊敬してないんです。特に女の人は。おめかけさんが8人もいたんですね。あんなすごい人だったんですけど。僕は、8人めの方が産んだ息子さんに一度会ったことがあるんですけど、ある会社の社長さんなんですけど、何故か、ご自身が本田宗一郎の息子であると言ったことがほとんどないんですね。何が嫌なのか少しわかるような気がしますが。

でも、この本田宗一郎という人はすごい人です。「伸びる時には必ず抵抗がある。やってもみもせんで、何が分かる」。やってもみないで何が分かると。それが私も大好きで、静岡県は、沼津から浜松まで非常に長いですね。静岡の人たちは、専らやらないんです。浜松は、「やらない」じゃないんです。「やろうぜ」お国の言葉で「やらまい」といいます。静岡の人は「やめよう」、「やめまい」なんですね。それだけ人間の考え方が違う。本田宗一郎は、「伸びる時には必ず抵抗がある。やってもみもせんで、何が分かる」というふうにして社会を感動させた。

ジョブスは京都が大好きで、京都のお寺には何度も行かれて、皆さんもご承知かと思いますけども、「仏教には『初心』という言葉がある。初心を持っているのは素晴らしいことだ」。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」、彼の有名な言葉です。これは、ある意味、いわゆる仏法を表しています。これと同じことをやった人がいますね。後で言います。

本田宗一郎のことを一つだけ言うと、こういうふうに言うんですね。「思想さえしっかりしていれば、技術開発そのものはそう難しいものではない。技術はあくまでも末端のことであり、思想こそが技術を生む母体である」と。こうなると、ほんとに「本田様」っていうような感じになっちゃうんですけど、まさにこういうことだろうと思います。本田宗一郎については、いろんな言葉が残されています。

若干脱線すると思うんですけども、プレスリーとかビートルズっていうのは、私たちの時代に非常に大きなインパクトを与えた、技術でもなければ考え方でもない、私たちのハートそのものです。ところが、このビートルズの中の一番左の人が亡くなった時に、1980年12月8日。うちの奥さんの誕生日が12月7日なので、よく覚えてます。大学2年生の時に、大学に号外が配られて、僕の友人が印刷機を回したんです、「ジョン・レノン死す」。ジョン・レノンは、「イマジン」という曲の中で、短いセンテンスで言っています。宗教もなければ、「ボーダーレスだ」みたいなことを言ってるんですけど、彼は、あれは日本の俳句から取った特別な思いなんだそうです。非常に短いセンテンスで相手に伝える。

別にこちらの皆さん方の考え方を応援するわけでもないんですが、心を動かす、ある種のイノベーションを動かすためには、人々に感動を呼ばなければいけない。社会を動かさなければいけないという領域においては、プレスリー。リズム・アンド・ブルースと白人のヒルビリーをミックスした音楽として使った、ロックンロールの原点です。50年代です。それが60年代の初めに、ビートルズというグループは曲作りという点でロックの在り方に新たな道を示し、コンサート事業の再形成。最後は、彼らはコンサートをやってないんです。そういう意味では、ファッションとかライフスタイルさえも変革させたわけです。私はリバプールに一度だけしか行ったことないんですけど、港湾都市を観光地にした。そういう意味においては、楽器としてのスタジオの再定義に一役買った。マルチ・トラック録音がそれにあたります。10代の若者の歩き方や話し方、いろんな社会を生みました。技術ではないんですけど、ある種の感動を与えて、今でも語り継がれるようなビートルズ・マニアを生み出した、これは一つの大きなイノベーションだと思います。

さて、次に大谷翔平はどうでしょう。あと20年したら何て言われるかですね。ベーブ・ルースは伝記などで、幼少の子供にホームランを約束したということは、私も小さい頃に読みました。この人も、あと20年とか30年したらそうなってるという意味では、ものすごいのかもしれません。

皆様ご承知のように、今、社会的な課題が非常に多いです。まさに、このコロナウイルス。私は、復興支援、復興からの再生ということを勉強していましたので、パンデミックからの再生ということも含む、いわゆるBCP、ビジネス・コンティニュイティ・プランということを専門にしていました。最初は、誰も聞いてくれなかった。僕らは、今、まだパンデミックの中にいる。こういう状況を、どういうふうに生活の中に取り入れるというか、一緒に存在しなきゃいけない。人間由来のウイルスですから、一緒に存在しなければいけませんので、多分、次が来そうですね。もっと大きな脅威が来るのかもしれません。

皆様方は、幾つかの課題をお持ちかもしれませんが、もう少し上位には、次のような社会課題があるわけです。地球温暖化、大きな環境災害。そして、世界的な分断、戦争。こういった課題の中で皆さんが捉えられている課題を整理してみますと、頂いた資料から見れば、檀家の数も減少している、後継者が育たない、そして、教育問題、教師数の減少、があります。これを宗門の「オピニオン」の側から見ますと、「誰が行うか」はさほど重要ではなくて、「何を行う」かが重要です、と示されています。これは、まさに本田宗一郎の言うことに近い。鳥観図、パースペクティブを持って、長期総合計画を作成する。これは、企業でもよくやられることで、全く持って同一のものです。こういう社会課題があるということを皆様がご認識いただいて、その中で一体、誰が何を行うのかということを皆さん方で考えて頂くほかはありません。

その1つが、いわゆるSDGsだと思います。SDGsというのは、新たなビジネス機会を作ることです。アナン事務総長がダボス会議で、「人間の顔をした新しい企業、組織が、新しい目標に動いてほしいんだ」ということを国連の総会で言った。そのところから、対象となる将来の市場や顧客、イノベーションの課題発見、社会との間で組織的な協働を実践することで、何が足りないのかを発見して、探究していくことだと思います。「私の会社はSDGsやってますよ」と、テレビでSDGsの取り組みってありますけど、ただ取り組めばよいということではないです。実際にターゲットを作って、新たな将来の市場や顧客。われわれの言い方をすると、最近あんまりいい言い方をしませんが、クラスターと言うんですけども、そこに一つの産業クラスターを作っていくことが非常に重要だと思います。

最後にまとめさせて頂きますが、現行からの視点だけではなくて、世界と社会からの視点でもって考えてほしい。これは、私の恩師であります、前ゼロックスの社長さんと一緒に学んだことの中から体得した考え方なんですけども、企業も社会的な法人も、インサイド・アウトのアプローチから、アウトサイド・インのアプローチへ変えるべきだいうことです。現行のビジネスや過去の延長線や業界のデータだけで新しい方向性を見るのではなく、グローバルな社会ニーズや変革、サイエンスと客観的なデータ、そして、自社能力の可能性を、外の視点から見ることだと言っております。これを、「内部志向から外部志向への転換」と言うんですね。従いまして、今日、私が若干皆様にお手伝いできるとすれば、イノベーションを興すときの考え方。それから、イノベーションというのは、やはり人間が興さなければいけない。感動とか社会を変えるという、それを生み出すためには、外部の視点をもっと頑張って生かしてほしいということでございます。

最後に3分ぐらい皆さんで、瞑想といいますか、考えていただきたいと思います。ここまでの私の話を受けて、率直にどんな気持ちを持たれたのか。それから、宗門におけるイノベーションとは、何か一言、「こんなことが考えられそうだよ」ということを、1、2分考えてください。

 

樋口 私の話を聞いて率直に「こんなことを感じた」ということと、皆さん方のイノベーションって「こんなことが考えられるよ」みたいなことがあれば、お話をいただければと思います。では、こちらの中でどなたか一言お願いします。

A :どうもありがとうございました。今、瞑想しながら今日の話を振り返って、静かなる建設者。それから、人が必ずイノベーションを興すというものが、非常に勉強になりました。やはり静かなる建設者の視点に立って、このような状況でどうしていくのかというところを、人のつながりを通して広めていくということが大事であったのかなと感じました。

樋口 ありがとうございます。それでは、ギャラリーの方から最後におひとり、Bさんマイクをオンにして、一言ご感想をお願いします。

B; 先生のお話の中の、市場への出口というところで、ニーズに応じていかなければならないということでした。とても消極的な意見になりますが、例えば、今、お寺とつきあうとお金がかかる、お寺とつきあうと大変になるというニーズが多々、耳に入るのですが、そういう意味では、お寺とつきあわない、あるいは、お寺は消滅していくというのがニーズになるという場合も考えられるのではないでしょうか。これを、どう取り上げていいのかということを教えていただきたいなと思いました。

樋口 そうですね。何かを興そうというときには、当然、大きなハードルやら、マイナス要因が、ございますよね。

何をやるにしてもお金がかかる。あるいは、人々の関心を得るためには、それだけのある種のプロセス、行程が必要であるということになると思います。しかし、日本における地域の人口減少もですが、ただ手をこまねいていては、ほんとに人口減少がどんどん進んでいって、地域が消滅してしまいます。その中で、いろいろな資源を考えてほしいんですね。それは、お金だけではないと思います。先ほど私が触れた、無形資源(インタンジブル・リソース)と言うのですが、こちらの皆様がお持ちの考え方。それから発展させる人々の考え方。そして、皆様方自身がこれまで経験してきた知識。こういったものが、新しいニーズを掘り起こすために必要であると、私は、皆さんの話を聞いて考えました。

従いまして、今のご質問にお答えするならば、お金とか技術だけではない、目に見えないものも、資源としてございます。それらをどのように活用するかというのが、大きなポイントではないかと思いますので、ぜひそのあたりを考えてみてはいかがでしょうか。

B :ありがとうございます。

樋口 それでは、お時間となりました。私のお話は、これで終わらせていただきます。ご清聴いただきまして、ありがとうございました。

 

 

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