宗 学 論



     ― 
宗学論の回顧と展望 ―

                 

渡辺 宝陽

 は  し  が  き

 宗学については、とくに戦後において、さまざまに論じられてきた。今ここで、宗学について考えてみようとするのは、そうした論議をそのまま繰り返そうとするのではない。宗学をめぐる今日的状況のなかで、宗学はどう認識されなければならないのかが考えられなければならないと思うからである。

 今日までの「宗学論」の展開については後にふれるが、それは主として学問の立場から、宗義実践と関わって宗学研究の在り方について論じられてきた。当然、その論議の中に合まれてはいるか、敢えていうならば、宗学を支えるものとして三本の柱があるのではなかろうか。まづ第一に教団との関連である。即ち、宗義実践と宗学とは深い関わりをもつが、布教者の弘教が大きく進んで行けば、必ず宗団としての宗義実践・宣布の課題に逢着するであろう。第二に教育との関係である。ここにいう教育が主として次代を担う僧侶教育にあることはいうまでもない。そして、第三に宗学研究の意義と役割である。これら三本の柱が調和して行なわれねばならないのである。

 これらのいづれの面が欠けても、宗学は大きな欠陥をもつことになるであろう。教団という組織は宗義という理念によって存在理由を持つ。その場合、絶対不変の宗義を根本としつつも、同時に日常的な具体的な問題にも応えて行くものでなければならない。ともあれ、すべての問題に対応できるようなヴィジョンと組織体系とを持つものであるべきである。宗学はつねに教団の理念を検討して行かねばならぬし、また教団も本来の意味での教学理念に基づく有機的な組織になっていかなければならない。(「宗義大綱」はそのような歩みの第一歩として考えられる。)

 第二の教育制度との関連も、実は教団との関連の一部になるものかも知れない。具体的にいえば、立正大学仏教学部宗学科の教育と宗学理念との一体化が問題なのである。宗学科における教育の目標が次代を担う青年を教師として養成することにあり、日蓮宗宗学を授ける場であることは言うまでもない。近くは日蓮宗大檀林以来の教育、遡れば飯高・中村檀林以来の教育の歴史に勘みても、宗学教育の役割は充分考えられよう。そして、宗門人は当然のこととして之れを要請するのであるが、ここにも幾つかの問題点をはらんでいるのである。現在、大きな社会問題となっている大学問題に見られるように、大学教育の在り方が根本的に間題とされている。大学教育自体が問題とされている上に、新制大学の中に設置されている宗学科の矛盾もその上に存在することも事実である。

 まづ、新制大学における教育の目標は市民教育にある。そして、之れに見合ったカリキュラムが行なわれているのである。ところが宗学科在学生が宗学の実践を考えれば、必ず教団の問題と関わりあって来るのであって、さまざまな疑問に逢着するのである。その場合、教団の理念と宗学の在り方の関係が明確でないと、宗学をどう把握したらよいのかに困惑してしまい、そこでは宗学は浮き上つだ存在になってしまう。それが宗学科学生の一般的な悩みであろうが、一方、教員の側からすれば、少なくとも現在の宗学科は単称日蓮宗という教団構成者のみを対手にしているのではない。ひろく日蓮教団、或は日蓮教学に関心をもつ総ての人に門戸を開放しているわけである。そして、結果的にそれは悪い点ばかりあるわけではない。宗学は一宗の教義を伝承に従って教授することに限定するのではなく、仏教の正統な受けとり方としての日蓮聖人の教学を普遍的なものとして建立伝持すべきであるという根本的視点に立つならば、現状は決して悲観すべきことではない。

 しかし、そのような理想は、教団の理念が確実に(本質的な意味での)教団として実践されている場合であって、教団の実践と宗学の研究がそれ程かみ合っていない場合は反省すべき点を生じて来よう。また、教団としての目標・綱領というようなものを宗門の学生に伝えて行く場を別に設けなければ、現在のままでは具体的な宗門の理念を伝えて行くことはできない。

 その上うな、宗学における教育的側面を軽視するならば宗学は足を失なってしまい、自立できないであろうし、教団の理念形成に役立つことは困難となってしまうのではなかろうか。

 さて、そのような教団・教育との関係を無視できぬという意味で、宗学は特殊な学問であるといえようが、宗学が宗学としてあるのは宗学研究というジャンルがあるからである。主としてこの点について、先学たちは宗学論を展開してきた。以下、先学の宗学論を回顧してみたい。



      宗学論の展開


 宗学論が起る所以は、宗学が一つの特殊な意義(またはジャンル)をもつからに他ならない。それは、宗義という一定の絶対的な価値体系によるということを丁解していながら、しかもそこに相対的な「学」を推定するところに、まづ最大の問題点をはらんでいるのである。

 勿論、宗祖滅後の先師たちによって「宗義」または「御義」を継承する一面と同時に、日蓮聖人の教学体系を理解し、宗義を研鑽する努力が行なわれてきたことはいうまでもない。かの一妙日導師が『祖書綱要』を著わしたのは、前代乃至同時代の宗義継承が宗祖の教義体系を真に鑽仰することにはなっていないという反省乃至批判から出発したのであり、『綱要』は宗祖の教義体系を理解するたの研鑽の成果であった。そのような宗義研鑽が宗学の課題であるが、明治時代以降の仏教学等の発展とともに、宗学における学問性、研究の方法が問題となった。

 学問研究という概念が明確になったのは、どの分野においても明治時代以後の西欧文明の影響によるものであろうが、従来の宗義継承に対して学問性を誇示しだのは仏教学であり宗教学であった。それは従来余りにも神秘的権威のもとにあった信仰・宗教を客観的に白日のもとに曝らすことができるという魅力をもっていた。仏教学は仏教の歴史・教理の思想の展開を客観的にとらえることで大きな功績を果したが、それはあくまで客観的な研究を目標とするものであった。

 一方、一般的に言って、伝統教団の宗学は伝統を継承して来たが、近代的適応が直接間接に要求されてきたことは否のないであろう。それを推進する一つの理由は、教育制度であって、かっての檀林が大学林に、そして専門学校令による大学への昇格へと進むうちに、従来の漠然とした称呼から宗乗→宗学へと定着して行ったものと想像される。その間、必ずしもそれが自覚的に行なわれたかについては若干の疑問もあるが、仏教学の方法の中から文献批判、歴史叙述の方法などをとり入れた点もあり、研究方法に学問的操作が加わったことも事実であろう。

 こうして、学問的操作が加わって行く中で、本質的な教理的命題の絶対性と、研究的側面との関係が問題視されて来たところに「宗学論」が問題とされてくる基盤があったのではあるまいか。各宗において宗学論が問題とされている中で、昭和11年に真宗において金子大栄氏が『真宗学序説』を著わしている。

 日蓮宗において最初に宗学論を発表したのは山川智応氏であり、次いで安永弁哲氏である。(『清水龍山先生古稀記念論文集』所収「宗学私観→吾等は如何に宗学すべきか」昭和15年」「宗学私観」 (安永弁哲師)と『宗学の根本的立場』 (米田淳雄師)安永師の論点の中心は、『宗』と「学」との反省統合という点にあり、組織的宗学の樹立、いわば組織宗学を提示している。氏は山川智応「宗学の本質とその展開分野」(信人34号)「宗学に於ける現在の諸潮流と吾等の態度」(宗学研究創刊号)、真野正順「宗学組織論」 (大崎学報
86号)等を参照しつつ、「宗学とは特殊宗教の規範学なり」と宗学を規定する。即ち、中国の窺基・慧遠・智崇等により、「宗」が仏教において「尊崇(人の以て尊ぶ徳)主要(自ら綱の網目を上ぐる如く、一切の法門義理之に従ふ意義)」の意味をもつもので、『宗とは尊極の謂』であると結論する。従うて、「自己の尊崇し極要とするところの教乗を宗乗と称」するのである。ところが「宗乗」に対し『宗学』という語が用いられてきたのは、「近来の所謂科学的研究に対する社会的関心の昂揚に伴い、科学の意義に於て使用される学の義が、宗乗の研鑽に際しても強く意識せられた反映』であって、「宗乗に対する学徒の態度が従前の鑽仰的信仰的領解的なるものより、より学的批判的懐疑的なるものへと移行する傾向が底流している」たのであると理解する。しかし、「学としての宗学が有する特殊性」に鑑みて、『宗学の研鑽に当っては、宗の学としての〈宗学の立場〉と、宗の学としての〈宗学の研究方法〉とは、主従の関係に」あることを確認する。

 以上のような手続きを経て、宗学とは特殊宗教の規範を研鑽する学問と理解するのであろう。以上のような宗学の規定から宗学研究の主題が「宗の教義信条、宗教宗旨の綜介的研究」により、それは結局「宗祖の人格を全的に的確に把握し、その宗教的体験を味識体得して、以て同一法味に、参列せんとする以外に宗学の窮極目的はない」と述べる。そして、宗学の任務は以上の意味で「宗学することによって齎らされたあらゆる成果を通じて、広くこれを他人に伝へ、社会に弘通」することであると結論する。このようにして、宗学の本質の領得に付随して社会的実践が要求されるとし、宗学研究は「本質的本態部門」と「実践的応用的部門」との二類に大別されるとするのである。

 そこで、本態宗学は、従来、相承論と教判論とに基いていた宗義が印度学的、仏教史学的研究によって問題を生じて来たので、「再び仏祖と諸宗派との緊密不可分の連系を確保せんが為に何等かの新なる研究分野が拓かれ学的努力が要請される」のであって、思想史的教理史的解明によって自宗の立場に根本仏教の論理的開展としての歴史的必然性を見出すことが目標となると見る。氏のいう応用宗学とは、宗教者としての信仰的立場と、研究者としての探究的立場が一応は平行線上にあるかのように見えても、両者は調和される必要があると述べられ、後者の研究者としての探究的立場と密接に関係して考えられているようである。即ち、「哲学的研究、教徒個人の体験、教団の歴史、近代文化の諸領域に於ける社会(学)的関心」の四点を指すもめのようで、これらをもって宗学をめぐる「一環の学的工作」が行なわれるべきであるという意味のようである。

 さて、安永師は真野正順氏の歴史宗学・組織宗学・実践宗学による組織宗学の見解にも若干ふれているが、故浅井要麟先生が祖書学研究の必要を提唱される中で宗学の組織的研究にふれている。

 浅井先生は「祖書学の宗学上に於ける位置」 (『日蓮聖人教学の研究』77頁)で宗学研究を根本宗学・歴史宗学・現代宗学の三分野に分けている。根本宗学とは「一宗成立の根本法典について研鑽する学である」と規定し、具体的には、「法華経の哲学及び宗教を究明し、日蓮聖人の教義・思想・人格・精神等を把握する」ことを目的とする。そのための文献学的操作の必要を説くのであろう。歴史宗学とは聖人滅後現代に至る諸師百家の宗学を指すもので、宗学史の分野に当るであろう。これに口伝・訓詁・問題・組織・退嬰・論争・体験・法華神道・史伝の問題点を掲げている。現代宗学とは時間的には現代人の要求に応じられ空間的には人類の全人格的要求に応じるものであることが満たされるものでなければなちないとして次のように述べる。「現代宗学は時代精神を指導する為に時代と共に生き社会精神を善導する為に、生ける社会に即して発展を遂げなければならない。忠実に根本に討ねつつ現代社会の要求に応へ、更に将来に向って普遍妥当なる正系的発展を遂ぐべきである。」

 浅井先生はそこに、根本宗学の研究の必要性、その文献学としての「祖書学」の必要性を強調するのである。

 米田淳雄師の「宗学の根本的立場」 (『望月歓厚先生古稀記念論文集』所収)もほぼ安永氏の論点と同平面に立っている。論点は宗学が一般の学問的性格と異なる特殊的性格をもつものであるのに、それが真に理解されていないために、組織宗学、批判宗学、純粋宗学、根本宗学等の立拠から「宗学問題を扱いながら宗学的に考えないで、哲学的に科学的に考えようとする傾向が見られる」とし、「宗学問題を宗学的思索を以て理解する」ことの必要性を説くのである。氏は「明治以後、一般の思想学問の発達に伴なって、各宗派教団の真理を弁証する必要から、一般学術の研究方法を採用して学的組織体系化への試みが行なわれるに至った」と述べ、これらは「主としてキリスト教近代神学の聖書神学(歴史神学)、組織神学、実践神学の三分科の方法を採用しているもの」であることを指摘する。そこに、歴史学的、言語学的、文献学的研究方法(歴史宗学、根本宗学)、哲学(宗教哲学)的研究方法(組織宗学)等の一般の学問の方法が導入されているが、それは補助的な学問的操作とはなり得ても、宗学独自の方法とはなり得ないのではないか。何故ならば、「学問とは体系化された知識を言うのであり、人間理性を根本とする所のもので通常科学(経験科学)と哲学に二大別されている」が、哲学は「無仮定を標榜し、仮定そのものを研究」しようとする点て宗学と全く相反し、「経験科学(法律学、医学、芸術学等)の如く特定の対象を研究する」点において似通う点もあるが、「宗学の研究対象が、宗教的体験の世界の”信心”で」あり、「その対象の把握は同じ体験を我が身に持つ事によって為される」点で特異性をもつからであるとする。

 かくして、氏は宗学の対象は信心の世界であり、文献学・哲学等はその信心の世界を外側から補助的な役割をするのみだとするのである。

 安永師も米田師も、要約すれば宗祖の宗教的体験=信心への参入が宗学の役割だとし、その根幹的な信心の世界を哲学・歴史学等の認識と止揚して行くために学問的操作を行なうのが宗学における学問性であるという考えのようである。しかし、ここにいう体験とは何なのだろうか。聖人にはたしかに法華経の色読という我々凡夫の到底及ばぬ体験の世界があることは事実である。しかし、それは体験のために体験されたのではない筈である。末法における人間の生き方(実存)が問われていった必然の結果として社会に対する聖人の働きかけが聖人の問題として追求せられ、法華経の色読となるのである。従って、聖人が上行菩薩の応現であっても、我々凡夫の生き方(実存)と救済という点において、普遍性が生れてくるのである。人間の実存が社会と連繋し、信仰が人の生き方を決定して行くものである以上、信仰は信仰体験という点的ありようではなく、さまざまな面との接触をもつものであろう。即ち、諸思想(現実の社会を動かしているものも、そうでないものも)との接触をもち、信仰者の社会的生き方を決定する信仰の構造的体系が必要となると思われるめである。そして、また諸学を補助的学問として援用するとはどういうことなのか。
そこに問題点が残されているのではあるまいか。



      望月歓厚先生の宗学論

 戦後、教団は経済的な打撃を受けたが、精神的にも動揺を来した。昭和23年に第1回日蓮宗教学研究発表大会が開かれたのも、そのような背景があったと思われる。在野の諸師が発表者の中心となっているが、その中に宗学論が諸師によって行なわれている。長谷川正徳師は宗学の新建設によってその精神が教団の中心となって行かねばならぬと述べている(「現代宗学の課題」 『日蓮宗教学研究大会紀要』第2集所収)。渡辺日宣師は、受入れる相手によって宗学組織が四つの形式を取るのではないかとして、専門(出家)用、一般仏教用、知識階級用、檀信徒(在家)用を考え、例えば専門用は教相・観心(二分法)、教判・教理・宗旨・信行(四分法)、教判・教理・宗教・信行・安心(五分法)の『組合せを以てすることが最も整調されたもののように思われる』と述べている(同紀要「宗学の組織について」、)

 執行海秀教授は、「人間思想の発達は、宗教的信より哲学的思索へ、哲学的思索より科学的知性へと展開されるものであるとは、哲学時代に叫ばれたところである。然しかかる見解は、人間思想の内面的形態からいへば、外面的形態とは逆に、それは科学的知性の極まるところ哲学的思索へと進み、哲学の極まるところ更に宗教的信へと展開されるものではなかろうか」と述べ、「小乗仏教は、知性を重んじ、凡てを科学的に解明せんとしたいはば一種の科学的宗教」であり、それに対し「仏教を哲学化し、倫理化せんとした」のが大乗仏教である。また「かかる倫理的、哲学的仏教によっても、なお人間の宗教的要求を充すことが出来ず」 「仏教(宗教化が要請され、これに応じたのが、大乗仏教中より展開された救済教としての浄土教」であった。法然の流れを汲む親鸞が「超倫理性に立脚した弥陀本願の絶対信を強調」し「知性の灼熱に依って枯涸せんとした仏教は、弥陀本願の慈雨に依って宗教としての生命をとりかへした」が、それは「知性を否定し、自我を否定した彼方に宗教の領域を求のようとした」欠陥をもつ。このようにして、「仏教に於ける知と信、理仏と事仏、内在と超越との問題こそ、聖人教学の核心をなすものであって、宗学上に於ける課題である」とし、それは「宗教の領域に於いて確立されなければならない」と述べる。つまり、このような宗学の課題を宗教の領域(科学や哲学でなく)に於て考えねばならぬことを主張している(同紀要「宗教の領域と宗学の課題」)

 安永弁哲師は、前に掲げた論の延長として「日蓮宗学の主体性」について論じている。

 茂田井教亨教授も「宗学私見」を発表し、宗学が対象的な論理で思考を進めることは自己の問題と宗学とを切り離す結果になるとし、宗学は自己の問題から出発するものでなければならないと主張しているのが注目される。

 第1回日蓮宗教学研究大会(昭23年11月開催)では「宗学の将来」という討論会が行なわれているのであってこの大会全体に宗学論の問題が検討される気運があったのではなかろうか。

 さて、このような宗学への要望に応え、宗学の権威望月歓厚先生が具体的な宗学の方法と在り方を検討することによって宗学の成立を考察されている。(大崎学報123号所収、望月歓厚先生遺稿「宗学各論」)そして、結論を「試案」として次のように述べられている。「自己に感得射照された仏祖の真精神(全人全教)を対象として、時代に立脚した自己の信仰的体験の方法によって、宗教価値の世界を作り出す方法と規範とを学ぶ学である。」

 望月歓厚先生の宗学論は、宗学各論の第一講として立正大学において昭和25年度に講述されたもので、(1)宗学の名が要請するもの、(2)宗学の類型、(3)宗学とは何ぞや、の三項に分けて講じられている。

 まず(1)宗学の名が要請するものにおいて、「宗乗」から「宗学」への呼称の展開が明治以後行なわれたことは「宗学」が完全に成立せず、本質内容が的確に認識されていないことが根本の原因であるとともに、「宗学」の成立への苦悶と努力があったことを認め、2点から「宗学」の性格を考察している。第一にキリス卜教「神学」に反対する概念として、「基・仏2教の本質的な学の区別を明かにしたいとの要請」があったことからいえば、神学に対し「宗学が、同一次元の世界に、救済と解脱とを現成する仏教の本質が表現できればよい」のであって、宗学は、自らの宗教体験の反省批判と、同時に客観性・論理性の確立が要求されるとする。第二に仏教の中で考えれば、宗学が宗派学として想定されているならば、「概念的には存在するが、実体のないもの」になるという。各派の神学が二次元の世界の神を学の対象とする故に神の存在を共同して把えることが可能であるのに対し、宗学は、一次元の世界に学の対象を置くために、「主客を超越する価値の境地を求める性格から生ずる独自性が、学の方法と対象とを共通」させない点に特異性があるのではないかとする。仏教である以上、宗学に実体を具するためには、「宗派的性格を越えた仏教の根元的同一に、凡てが帰一する包摂超越的の意義を、宗学に発見しなければならないであろう。」と説く。このような観点から、「宗学は、各宗派の学道の方法、立場の相異はあっても、その目的と対象とは一つ」であり、各宗の宗学は「仏祖の体験した世界に一如することを要求する点に於て一である。」とし、「各宗祖対立の現実と一仏宗学への理想」との間に介在する矛盾を解決する途は、『仏祖への根元同一、絶対同一、の信仰にあると思う。』と述べる。

 こうして、先生は「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず」 (妙密上人御消息)と宗祖がいわれたのは「宗派学的性格を超えた宣言」であるとし、関連の遺文を引用して、次のような結論を出す。「日蓮聖人の宗学は即ち本仏への同一であって、仏の宗学の世界が日蓮の宗学の世界であり、また我等の宗学も亦根元に同一するとこるに基盤がある。かように考えて見ると、各々の宗学は各々が派閥的にあるのではなく、根元へ同一せんとする宗教的努力につけた名である。」

 ここで、それならば「宗学は各々の宗祖を超えて在るのであろうか」と反問して、「宗学は包摂し超越したところに在るといったが、これは言を換えて云えば、能統一の宗学があるということである。能統一の宗学は仏祖の真精神の把握と同時に生ずるので、仏祖を超えて存するのではない。」と述べるのみである。この「能統」とはどういうことなのか、各宗を相対的にとらえたとするならば、宗学の能統一性は逆に雲散霧消してしまうのではないかという疑問が起きよう。室住教授が棲神41号の「宗学論私議」で望月先生の宗学論をとりあげた論点もここにあるのであろうか。

 さて、先生が宗学を考えるとき、先生自身に二つの要請があったのではあるまいか。その一は仏教各宗が分立を重ねて統一できず、諸宗もまた各派に分立して行くという現実である。そこに、仏教徒としての能統一の要請があったのではないか。二には宗学の伝統的研究方法は果して妥当なのかという疑問であったろうと思われる。
 (2)宗学の類型は従来の宗学研究法に対する検討であって六を想定している。@護教的態度、A祖述的態度、B復古的態度、C組織的態度、D批判的態度、E創造的態度である。即ち、先生は従来行なわれてきた宗学研究の方法を@よりDまでの方法に収約している。そして、それぞれに研究方法としての立拠はあっても欠陥があるのではないかとする。

 @護教的態度は、「宗門伝統の教学を教権的に確保」しようとするが、それは一面では「会通弁疏に奔命」することになり、また、「所謂訓詁の学」となって批判と自主とを欠くことになること。

 A祖述的態度は、「宗学上の立脚点を仏祖の真精神なる仮定に置き、この観点から、宗学上の諸問題を批判論議し、組織的に系統的に祖述」しようとするものであるが、実際にはそれらの論議は「各自の幾分の自主的批判を仏祖の名に於て加えんとした試み」となってしまい、「義学的精彩」は発揚しても、本源を忘れがちであること。(ここに仏祖の法を自覚的に受領する個の責任と限界が明らかにされなければ、仏祖の法は恣意的領受におわってしまうのではないかという疑問が先生にあったのではあるまいか。そして、それは日蓮宗学700年の学説史研究の実証を通して一層疑問を深められたのではあるまいか。)

 B復古的態度は、「仏祖の根本に復帰するを真実なりとする考え方で、大概は文献学的本文批評的方法により、経典祖文を唯一の研究対象とする。」 「これらについて非議すべきではないが、根本が真実であるとする態度は、必しも全面的に肯定されるとは限らない。少くとも、史的に遡源して歴史の進展を無視する点に、根本的な欠陥があるのではあるまいか。」と述べている。この、根本が必ずしも真実であるとはいえないという意味はどういう意味なのであろうか。先生は「我等が握み得るものは過去の現在でなくて、現在の過去である」として、「過去が現在を規定するのではなく、現在が現在を規定するのであろうから、復古的態度からする根本宗学」だけで真実は握めないであるうとする。そして、「案外、根本宗学を求めて、最新宗学の結果が」招来されるかも知れず、それが望ましいとされる。(恐らくここに先生の宗学に対する根本的態度があるのではないかと思われるが、根本宗学と現在的在り方の問題は大きな問題をはらんでいるであろう。)

 C組織的態度は、「時代精神に立脚して、この観点から社会学的に、若くは比較宗教学的方法を以て、宗学を客観的批判対象として新時代的宗学を組織せんとする態度」であるとする。これらは「科学との矛盾の調整、社会的要請への妥当、宗教学的道徳の樹立」等が要請されようが、これらの方法によって、組織的宗学が成立したとしても、それは理論宗学にとどまるのではないか。なぜなら「宗教的生命は自己の信仰的情熱による」からと述べる。(いわば科学的研究方法、組織的宗学への志向と信仰的情熱との関連の問題である。)

 D批判的態度は、「自己の宗教的信仰または宗学を自らの叡知によって批判し、または自らの良心によって反省せんとするものである。」されば「時に組織的態度と表裏し最も純化せる態度ではあるが、或は懐疑的となり、観念的に堕して、信仰の確立に障害を与える」恐れがあるとする。

 @ABはいずれも伝統的な宗学に対する先生の批判であろうと思われる。即ち、@は盲目になる恐れがある。Aは根元を忘れる恐れがある。Bは歴史を無視する恐れがあるとする。CDはいわば近代的学問からの宗学へのアプローチであるが、Cは比較宗教的方法、宗教社会的方法の導入Dは哲学的方法をもって現代宗学建設の方法としようとするものであるが、宗学における信仰との関連が問題となる。

 こうした伝統的宗学、近代的学問による方法が、いずれも宗学の根幹において満足ができないとするところに、先生の「創造宗学」論が行なわれるのであろう。

 先生は「宗学存立の根本条件は、「宗学を有するもの、換言すれば、信仰を有する者のみ可能である」とする。

 「信仰なき者も宗教学者とはなり得、哲人ならずとも哲学の研究者たり得るが、宗学は、信仰者のみが有する特権であると考えられる」と述べ、「宗学は、自己の信仰を対象とする学であるとすれば、自己が自己を宗学することで、創造の辞以外にはこれを表現することは能きない」と、D創造的態度が宗学の根幹であることを主張する。そして、これを根本として、@よりDに至る諸方法が駆使されなければならぬとする。そして、「将来の宗学は、純信的なると同時に時代的に、科学的なると共に反省的でなければならない。少くとも、根本的生命である信仰に、時代的客観性を附与する」ことが要求される。即ち、「時代に立脚」する為に「宗学の普遍性」が要求され、「その妥当を保持」する為に「学的方法」が要求されるとする。

 こうして、(3)、「宗学とは何ぞや」において、以上の考察から、「宗学の類型」を3に区分する。即ち、1「宗門の学」2「学的宗学」3「創造宗学」である。1宗門の学は、さきの@護教的態度(伝統宗学)A祖述的態度(教義宗学)をひっくるめて、これらは無批判に仏祖と一如した主観に立っており「既成事実としての教義や祖典経典等」の所与の対象を「何等客観性なき個人主観」によって認識研究するにとどまるとする。二学的宗学として、さきのB復古的態度(根本宗学)C組織的態度(理論宗学)D批判反省的態度(批判宗学)はそれぞれ史的方法、社会学的方法、哲学的な方法を用いて「帰納的に学的方法で」 「科学的に処理しようとする」が、A、その認識主観が人間から浮上った科学智であること、B、BCについていえば、「宗教的価値の問題を客観界の事象として処理せんとする傾向にある」点において宗学と言えないこと、C、Dにおける批判や反省は「自己の宗教的価値の問題であるが、その認識主観は多分に主智的」であって、BCとの限界が明らかでないこと、の理由で宗学的方法として欠陥をもつことを指摘する。

 こうして、第三の「創造宗学」こそ、宗学の要請に答える方法であるとする。「創造宗学とは人間的な創造であって、自己それ自体がその体験的な方法で宗教生活を繰り拡げ、作り出して行くことである。具体的にいえば、学の対象は、自己の宗教体験に具現された仏祖の全人格全教義である。」 「この世界を創造することは、単なる主知の学ではなく、求道と体験即人間の全能を総合止揚したものでなければならない。自らの体験を体系づける記述と、自らの体験を更に具成する規範とは、常に求められ、常に造られつづけられなければならない。学とは行なりという辞が許されるなちば、この宗学は不断の宗教行であるともいえよう。」

 こうして、さきに掲げた「宗学の概念規定」(試案)が結論づけられるのである。望月先生のいう「創造宗学」とは、自己に体験され体系化される仏祖の全人格全教義の顕現であろう。それは自己の主体によって創造的に領受されたものであるが、同時に「現代的科学的なるものを裏附とする人」において体験されたものと考えられている。そこに、従来のあまりに主観的な方法と、またあまりに客観的な方法とを否定して、主体的であると同時に、現代に生さる人間としての客観的認識を背負う人による宗学の方法こそ必要であると考えられたものではあるまいか。「宗学の類型」に示された@〜Dの態度(方法)は、ある意味で具体的な清水竜山宗学・山川宗学・浅井(要麟)宗学、’社会学・哲学よりの批判等を踏まえていたのではあるまいかと思う。そこに、望月宗学の方法を示そうとする意欲があったととるのは考え過ぎであろうか。

 それは、また、従来の宗学の成果についての反省に発するものであるかと思う。即ち、明治以降、宗学の著述があまり行なわれていないこと、漸く著述が行なわれるようになった後も伝統宗学の方法が果して充分な宗学の成果といえるかという疑問があったのではなかろうか。


室住一妙教授の「純粋宗学」と「体系」

 望月先生の『宗学について』に対して、身延山短大の室住一妙教授が最近「棲神」41号に「宗学論私議―創造宗学への理解―」を発された。論点は、望月先生の「創造宗学」の提義に対し、室住教授がかねて主張している「純粋宗学」の立拠からの疑問を提出したものである。

 室住教授は望月先生の論文の文章についてきめ細かく論じているが、ここでは問題として掲げている6点について簡略に紹介するにとどめたい。第1は、『宗学の限界―各宗学は仏教宗学を最後の限界とする。基督教までは拡大されない。本質の相違からである。』との望月先生の論文の表現に対し、「各宗学とは、宗派的セクト的ないわゆる各宗の宗学、・・・仏教宗学とは・・・仏教々祖の「釈尊の宗学」のことらしい」とし、その関係からそこにいう「宗学」の概念に矛盾があるのではないかという疑問を提出する。即ち、「能統一の宗学」は「日蓮の宗学の世界」である筈であり、その時「仏教宗学」とはどう理解したらよいのか、また「宗派学を包摂超越した」宗学に限界があるのかということである。第2には、「この広大な宗学、包摂超越の世界に対して、・・・日蓮宗学は一体、どこに位置してていたのか、どんな役目があるのか」、「現在してきている各宗学はすべて放捨し去って、「仏祖の真精神の把握」と同時に「能統一宗学」に入るのか。」という疑問である。第3に、『宗学は、自己の信仰を対象とする学であれば、自己が自己を宗学することで、創造の辞以外にはこれを表現することは能きない。』とあるのは、「自己の信仰体証した絶対境に立って、時代社会に於ける語録だというのであろう。それはそのまま、その通り古来の宗学者たちの等しくそう叫んできた宣言ではあるまいか。」つまり、伝統宗学を否定できないではないかという。第4に、望月先生が強調している『体験的方法』は「時代精神を体した個性が(時代におくれない学的方法態度を総合駆使する)ということだろうが、「生命宗学(といい)・・・創造的態度で体験的方法で、客観性欠如という。明かに学でなくて芸術に類することとなろう。」と疑問を掲げる。以下、2点について述べている。

 結論的には、望月先生め「創造宗学」に疑問を投げかけ望月先生が『自らめ体験を体系づける記述と自らの体験をさらに具成する規範とは、常に求められ常に造られつづけられねばならない。』と述べためを、その自らを宗祖におきかえて「宗祖の法華経の行者的体験を、体系づけることよりも、体験した当体の体験を観出すべきではないか」と規定するべきではないかと主張される。

 簡単に言ってしまえば、室住教授は、我々は宗祖の法華経の行者的体験の当体の体系(行者的体験の当体にすでに体系は完成しているのであるから)をそのまま純粋に受領するのであって、我々凡夫の恣意を挾んではならないといわれるものかと推察する。ただ、筆者は望月先生の取上げられた問題と、室住教授の主張が必ずしもストレートに対遮するのでもないのではないかと考えるのであるが、この点については室住教授や諸賢とともに考えて行きたい。
 さて、室住教授の「宗学論私議」をとり挙げたのは、その論文概容を紹介するためよりも、むしろ、昭和9年以来「純粋宗学」を掲げて、「宗学論」を追究してきたことに対する敬意の念からである。室住教授の主張は、「日蓮宗学祈指針」 (昭和9年、棲神第20号)以来、一貫しているように推察する。

 宗学というものは、この宗門に於てその大願業活動たる布教、教導の生命維持、即ち法命相続することにある。法命相続が具体的に発見していくには一に対外布教と対内教導とあって勿論宗の内外に約す、後者は信徒の摂化導であるがその任に当るものが、所謂出家、僧侶である。

 他の一はこの僧侶を教育する所の対内教育がある。之が即ち宗学の中、繁要な核心である。本質宗学というべきである。なほ法命相続の補助として研究部面がある。一般には宗学といへば多くはこの補助部面たる理論的研究的宗学のみを意味して、殆んど本質宗学を眼中においてはいない。之は学という文辞にとらはれた大いなる失意である。

 何となれば、研究によって理論によって人が生れるのではない。法命の相続は全く本質教育にのみ依るのである。この対内教育よりして、一は対内教導に、二は対外布教に、三は補助的研究に向うていくのであるから、対内教育の充全か否かによって、布教、教導、研究等の万般の事態が決することとなる。人の問題というのはここのことだ。本質宗学は確かに法命相続の中核をなす聖霊体なのである。(棲神20号、169頁)

 確かに室住教授の宗学論の出発は学問研究の方法ではなく、法命相続の課題であった。当時、各宗の間に紛起した宗学論が、純粋宗学(「今の理論宗学に当る」と述べている)・歴史宗学(「過去の純粋乃至実践宗学等を合めている」)・実践宗学(「布教教導に当る」)等が論じられても「本質宗学の領域はまだ殆んど問題にされてはいない」ではないかと述べている。

 さて、その「法命伝統の本質宗学」とは「久遠実成の本仏より流通相伝されつつあるところの妙法の血脈である。如来の生命の渾化とも生成ともいうべき事業である。」とし、これを簡明に定のたものが「三条の厳則」 (給仕第一行法第二、学問第三)であり、「これが又そのまま、諸法実相抄の信行学の御教示である」とする。このように、室住教授にとって宗学の学は、行学の学そのものとして受けとられている、以上の所論はまた宗内の大学の昇格に対し本質的使命の発揮を要求するものでもあったであろう。

 この論文では室住教授の言葉として「純粋宗学」は出てこないが、「純粋宗学の理念とその展開」 (棲神23号)に執筆される。しかし、すでにこの論文で、「昏々濠々とした現在の末消宗学を一擲して、但信に無雑に大聖のもとにかへることだ。直参給仕し、讃仰ますます努め、涵養いよいよ深うして、始めて起つべきだ。」と述べられている。

 「即身成仏研究序説」(同24号、昭13年)「純粋宗学本質論の資料と問題―即身成仏研究本論、第一篇問題学的究明」(棲神25号) 「純粋宗学の綱領的展開」 (同29号、昭28年)「われらなにをなすべきか―現代と対決するものとして問題学的に考える―」(同30号、昭30年)

 「建設のための吟味−純粋宗学における問題学的領域―」(同31号、昭31年)等において、純粋宗学のあり方と体系の問題が論述されている。そして、体系の問題は「体系といふこと」 (同32号、昭32年)、「体系の展開」(同33号、昭33年) 「自己批判の問題点」 [大崎学報111号) 「体系的対決」 (棲神34号、昭36年)において論じられている。

 「純粋宗学の綱領的展開」の巻頭で、純粋宗学を規定して、次のようにいう。

 即ち、できるだけ「ありのまま」、「本当のもの」、「宗祖のもの」、「宗団のもの」、「歴史的社会的に生きているもの」、「永遠に生きて行くべきもの」、「絶対に本質的な」、「最も重要な」、「最も尊厳な教権的なもの」・・・等を究明する目的をもつ。自覚的に自ら発心、立志した理想的信念、人格を主体とし、又同時にそこから働くべきことを性格とするものである。

 だから、いつの時代いかなる社会に於いて完成したとか、するとか、作り上げるものとかいふことは大して問題ではない。そういふ固定した体系を目ざしてはいないが、上は本仏より宗祖に流れ、宗祖より宗団に生き、社会国家世界に全宇宙に光被すべきもめとして、生きて働らくべきものとして規定づけられよう。

 このように室住教授のいう純粋宗学とは、釈尊より日蓮聖人が相承された純粋信仰の世界、それは我々の信仰と生活と、日蓮教団を律する純粋信仰の理念であり、やがてすべての人類世界へと拡大して行く理念、そのものを受領しようとするものである。その理念は「体系」として考えられる。

 それ(体系)は文化科学において、或ひは生命といはれるような、ものの本質を表現している。又、その生命ともいはれるものは、おのづから体系的にあらはれているとも想はれよう、ことを意味する。・・・わが宗学に於て生命とか精神とかいはれるものは、必ず体系的にとらへなくてはなるまいと信ずるし、またそう捉へない限りは、我々自身の上に主体化してくることもできまい。(「体系ということ」)     教の本質は現実から理想への到達過程で、個のうちに全を映しつつ(教)、ひそめられた全を開展しようとする(行)、全に相関しつつ、全個完成を期していく(証)。これが本来、教の根本性格であり、単なる知識体系の学とは、本質的意味で峻別されねばならぬのである。(「純粋宗学の綱領的展開」)

 教といはれるものは、もとく成人の幼者に、聖賢の凡庶に伸ばされた導きの言葉であるとされている。・・・無常・苦難・逆境に処して悠久の大義に生きるところ、主観的超越の立場から治国平天下の公道・政道を指示し全人類はどこへ行くべきかをも教へるであろう。(「体系ということ」 )「(このような)教が、教学を生み、独自の展開をなさしむるものこそ、真実の教といへる。唯だ仏教のみがそれであらう。」と考える室住教授は、教学研究そのものに大きな前提をもち、一般の学の研究方法と宗学の研究の方法とを峻別して次のように云う。

 教学は或は一面精微を極の、論理的システムを厳に、体系の雄大を誇っても、結局それは世俗の学術的ゼスチヤーを衒ふもので、出世間的教の本質を毒することになり易い。即ち一時一機の遊戯に堕す。教学はむしろ、簡明化され、実際化され生きた現実に直爾に生かされねばならぬ。(「純粋宗学の綱領的展開」)

 教授は宗学研究の中核をそのようなところに厳密に立てるべきだと考えるのであって、宗学研究の組織的方法についてはあまりふれていないが「本宗学上における諸問題」を次表のように整理している。(「建設のたの吟味」)

 このような「純粋宗学」は、宗学教育に対する批判・反省、教団における理念と事態との乖離を問題として出発し考察されたものである事は注意すべきであろう(「日蓮宗学祈指針」 「純粋宗学の綱領的展開」 「体系的対決」)。

 筆者としては、室住教授の宗学の根本を明確に打立てることが先決であり、中心的課題であるとの説に共感するものであるが、なお、その場合、そうした根本的な理念の立拠から、教授のいわれる「教の時間空間的諸問題への即応(教の現実的水平的特性)」のために現代の学問の方法と成果に対してどのような態度で臨むのか、それと「理想への向上進展(教の上昇的性格)」とはどのような関係にたつのか、が依然として問題になるのではないかと愚考するものである。

     茂田井教亨教授の宗学論


 室住教授が「純粋宗学」を課題としたのに対し、茂田井教授は「宗学の客観性」を問題としている。茂田井教授は「宗学私見」 (第一回日蓮宗教学研究発表大会紀要) 「宗学における個的立場と種的立場」 (大崎学報103号)「宗学の客観性」(『観心本尊抄研究序説』− 跋に代えて)等に宗学観を発表されている。茂田井教授は「宗学の客観性」で次のように言う。

 一宗の宗学は、教祖に対する同信・共感・共鳴を基調として同一系譜にあると自覚する者の、自己理解の表現的世界である。したがって、それは同質・同信の場に限られたことであって、異質的なもの、異信のものの間にあっては成立し得ないという限界をもっている。つまり個としての宗教経験が典型となって、類型化されていく系譜のなかに形成されるもので、一つの特殊といわれるものであろう。

 そこで、このような特殊的な性格をもつ宗学が、″「学」としての体系的世界を有つ」即ち、「1の思想として客観性」をもたなければならない。とすれば、その客観性とは何か。つまり、「極めて信仰的であり、個的体験的であるものが基盤となっている「宗学」的表現に、客観性を求めるとすれば、その「客観」とはいかなるものであろう。″というのが、課題として提示されるのである。 「宗祖」を「一人間像」として理解することは、「科学的方法による客観的な種々の立場」、即ち実証史学的方法や宗教心理学的方法があり得るが、「それら種々の方法によって浮き彫りにされた「宗祖」なるものは、そこでは最早「宗祖」ではなくして、個人としての「一人間像」に他ならない」と述べる。なぜなら、「宗学的解釈における宗祖は、「一人間像」であると同時に「宗祖」でなければならない」からであり、ここに宗学的「解釈」を「制約」するものは、「宗教的主体性」即ち、「その出発において、すでに主体と主体との邂逅に神を見るというごとき、必須条件」としての信仰が要求されると述べる。即ち、「信仰は解釈を生み、解釈はまた信仰を生む」というような信仰と解釈学との関係が宗学の方法となるものであり、「宗祖に問い、宗祖に答える」 「その「問い」は、常に「答え」の形でしか自己自身を現わさないものである」と述べている。そして、「宗学における解釈」の立場を現代哲学辞典樺俊雄氏の「解釈学」 の解明を手懸りに規定しようとする。

 ″「宗学」は単なる解釈に終るものではない″が、「多分に解釈をその分野とする」こと。″「解釈」 「理解」と「信仰」″とが「相互媒介の関係に立つ」こと。その「解釈」は、当然、「文字や言語の上だけに表現されるものでなく、行為としての理解の形に結晶せしめられ」るものであること。″「宗祖への問いと答え」といった際の「答え」″こそ「この行為的表現の世界をいったものである」こと、が示される。
 茂田井教授は、「宗学私見」において、「宗学に於ける論理性は、決して形式論理や対象論理、または同一論理的のものではなく、信仰の論に外ならないのである」と述べているが、それは隣接科学の研究を否定するのではなく、それらの研究を「貴重な一資料」として受けとりながら宗祖の信仰的・主体的解釈とその行為化を図ると理解できるであろうか。

 そして、その行為化は単に個の実存にかかわるものでなく、教団を念頭においた「種的立場」が要請されるものである(「宗学における種的立場」)。


       む  す  び


 以上、日蓮宗において行なわれた諸学匠の「宗学論」を尋ねて見た。いささか表現にふり廻されて煩瑣になってしまったかも知れない。しかし、こうして尋ねて見ると「宗学論」といっても、そのアプローチの仕方は必ずしも一様ではないのである。それは各学匠の宗学する態度に発する「宗学論」の焦点によるのであろう。

 今、その問題点をあげてみれば、

 1、近代的学問の方法との比較における宗学の方法の問題
 2、宗学と信仰体験との関連

 3、宗祖の教学を自己のものとする際の手つづきと宗学の本質との関連

 4、その際の宗学の方法

 5、近代的学問(隣接の学問方法)との関連

等々が考えられるのであろう。

 それについて、筆者の所見、筆者の宗学論を述べるべきであるが、その点については機会を改のて論じたいと思う。ただ、2・3の所感を述べて〈むすび〉としたい。

 まず、現在においても、宗学研究の組織的方法を問題とする人があるように見受けられる。なるほど、宗学研究の組織について検討することは重要であろう。しかし、それは宗学が本質的にいかなる理由いかなる方法によって存在し得るのかという課題を抜きにして語ることはできないのである。

 それには、宗学に入る以前に、「教」 (宗祖によって色読された法華経の世界)が一体いかように我々と結びつくのかが、考えられなければなるまい。望月先生の「創造宗学」、室住教授の「純粋宗学」は非常に対照的な表現であるにもかかわらず、この問題を論じたものと領解したい。

 宗学は信仰者にのみ能入の門があることはいうまでもないとでなく、能化も所化もともに同じ目的に向って行く同門の行人であり、出家も在家もともに「教」に生きようと努力して行くことにあるのではなかろうか。

 このような宗学の方法の追求は空想に過ぎるといわれるかも知れない。しかし、このような根本的な態度から宗学のあり方を根本的に考えて行かなければならないであろう。


  (なお、諸学匠の「宗学論」執筆の意図を充分汲んでいなかったり、的外れも多いことであろう。諸賢の御叱正を乞うものである。)

1969/3

 

 

 

 

もどる