シンポジユウム



創価学会の教義と思想的特質

 

 

佐 木   秋 夫

茂 田  井  教 亨

丸 山   照 雄

村 上   重 良

中 濃   教 篤

木 村   勝 行

 

 

【中濃】 御案内申上げましたように、創価学会・公明党の問題について、現代宗教研究所として調査研究を進のたいという希望が前々からあったので、取組もうとはしているのですが、何しろ相手が膨大なもので、簡単にはできないということもありまして、一応座談会という形式をとることにしました。

 都議選も終ってその後ますます公明党の動きというものが、世間の注目をあびてきましたし、教団にとってもいろいろ問題をはらんでいると思いますので、今日は実は小口先生もお招きしたのですが、たまたま授業とぶっつかるというので、間をぬってお出でいただこうと思ったのですけれども、なにせ文京区と大田区とでは、あまりにはなれすぎているのでちょっと御無理かと思います。そこで佐木先生、村上先生お二方と、前所長であります茂田井先生と、それにわれわれも加わりまして、きたんのない懇談をこれからさせて頂きたいと思います。

 すでに30分予定の時間を割っておりまして、これからすぐにいろいろな問題を出し合って話していくということでありますと整理もつきにくいので、誠に恐縮なのですがお二人の方から最近の創価学会・公明党のイデオロギー問題を中心にしてお昼までお話していただく、あるいは日蓮教学との関係はどういうふうになるのだろうか、オトソドックスな教学との関係はどうなのだろうか、というような点も、もしありましたら出していただきたいと思います。今日は教学の専門家でいらっしゃいます茂田井先生もおられますし、そうした点を話し合っていただいたほうが、宗門としてはプラスになるのではないだろうかと思います。

 ざっくばらんに申しまして、佐木先生、村上先生あたりから創価学会・公明党のイデオロギー、その背景にある教学というか、宗学というか、そういう点に対する御批判が日蓮聖人への批判になっておられるところもあるわけで、そこらについて今日はお互い隔意なく話合ってこそ意義があると思います。恐縮ですが30分ぐらいお分けいただいても結構ですし、どちらかがお話をして補足するという形でもよろしいですが、創価学会・公明党のイデオロギーについて、最近の動きなども多少ふれながらお話をしていただきたいと存じます。

 
【佐木】 それでは私がさきにお話をさせていただいて、村上先生からいろいろと補足していただくということにいたします。私も実は日蓮宗の宗学の権威の方々と、お話を伺う機会というのが今までとりたててなかったので、われわれ門外漢が遠くの方から、外から創価学会をとおして日蓮宗というのを見まして、日蓮についてもいろいろと言及しておりますが、今日お招きいただいて皆さまがたと、きたんなくお話ができるというのは私どもたいへん勉強になりますし、非常に有難いと思いますのでいろいろと教えていただきたいと思います。

 最近の動きということですけれども、やはりイデオロギー問題になりますと、少しもとにさかのぼる必要があるのではないかと思います。私が考えておりますところを発表させていただきますと、やはり創価学会の前身の創価教育学会というのが、牧口さんの会長でちょうど昭和5年から作られたのです。これはご承知のように民間教育運動という形で創価教育というものを提唱して、それを広のるたのの創価教育学会であったので、あきらかにこれは宗教団体ではなくて教育団体であったと思います。ただ牧口さんがあの創価教育学大系という本を昭和5年から出しはじのたのですが、その1年前から日蓮正宗につながりを持つようになっていたようであります。信者になっていて、そしてふだんから自分が教育について考えていることが、日蓮正宗の三谷素啓という目白商業の校長をやっていた日蓮正宗の講の会長さんですが、要するに当時の指導的理論家であつたらしいのですけれども、その人の話を聞いて自分のふだんからの考えとピッタリしていると思ったというようなことです。

 したがって創価教育学大系の第1巻「教育目的論」というものにすでに日蓮正宗のことが出ておりますし、例の問題の価値論でありますけれども、これにはっきり出ております。ただその場合には牧口さんの教育論の主流になっておらない。ですから牧口さんの価値論を教育原論とするところの教育観と申しますか、それにともなう人間観と人間形成、したがって教育から一般の人間はどうあるべきか、人間の、人生の目的はどうかというところへつながっていくわけですが、その後の考え方と、それから日蓮正宗がだんだん強くなってくる過程、昭和15、6年頃からですが京都臭が強くなってくるのです。この両方に根元があるのじゃないかと思うのです。そしてこれが例の宗教統制、弾圧がありまして、昭和18年には事実上創価学会は解体してしまうようです。牧口さんも戸田さんも捕まる、そういうことで消えた形になりますが、終戦の翌年に戸田さんが創価学会という教育の名をとってしまって新らしい講社と宗教団体をつくったわけです。そしてサンフランシスコ条約が結ばれる昭和26年(1951年)に折伏大行進の旗をあげて活溌に動き出した。それ以後、政治にも出だしますし、とくに60年安保の後から宗教政党の形を目指して動きはじのると、こういうふうになっていると思います。ですから創価学会の思想を見る場合には、やはり牧口さんの創価教育論というものと、それから日蓮正宗と両方見て行かなければいけないし、戦後にそれを創価学会という新らしい形で打ち出してきた戸田さんの考えというものが、新らしく入って来るという構成になっていると思います。ですからそこらのところを簡単にふりかえって見る必要があるのではなかろうかと思います。

 時間がありませんので、ごく簡単に申せば例の価値論の中心に利ということを打ち出し、実利ということで全体の人生の目的を総合的につかまえたというのが一つの特長だと思います。真善美の新カント派の三つの範躊のうち、真はこれは価値ではないという見方をします。価値というのは主体と客体との関係性において生ずるものだから、真は主体の如何にかかわらず真は真なのだと、その点では善と違うという考えで、真をとりはずして利という言葉をとり入れたのです。これはご承知の通力です。それで利ということで全体を包むわけです。要するに美醜という考え方は感覚的、感性的なものであって、低い利といいますが、損得を忘れて美醜にまどうのはおるかという見方です。それから善の方はこれは社会的な利益である、公けの利益を善というのだという形で利というもので一貫して人生の目的というものをしめくくったわけなのです。これには当時の形式主義の教育には反対だという前向きの立場もありますし、相当独断的なものもあります。それは特異な能率主義の教育論で直接には修身教育です。それから利善をまとめた人格的価値ということを考えていくところから宗教の方に何かを求めるという姿勢、その宗教が日蓮正宗であったということです。牧口さん自身は日蓮宗の家の人だそうですが、別に教義に関心はなかったようです。

 またキリスト教にも関心を持った時代があったといいますし、日蓮正宗に入るにはかなり偶然性を持っていたといえます。ただその場合、特にこれだと思ったのはどこにあるかと申しますと、一つはやはり牧口さんは非常に理屈っぽい人で、自分の子供に対しても、時々すじが通っているのに、どうしてわからないのかとガミガミいうものだから子供がまいっちゃったという話がありますが、そういう点からいって日蓮正宗に理屈っぽさがある。これは日蓮宗全体にあるかも知れませんが、悪くいえば理屈ぽい。良くいえば理論的であって、世界歴史その他すべてのことを論理的に整理していく、これは浄土系とも非常に違う、禅とも違います。けれども要するに理が通らなかったら認められないという考え方が日蓮以来一貫してあると思います。その点が人生の問題その他の問題について割切っていくという点であり、これが非常に気に入ったと思われます。なにか宇宙世界などについての解釈につながった形で、理屈が通っている、すじが通っているということが考えられたと思います。

 それから日蓮正宗は証拠をもって結局日蓮の教えが末法に一番正しいものである。そしてそれがつきつめていくと日蓮正宗であるというふうになり、現在にもっとも適した宗教であるということがすじを通していわれているというような点です。

 それから折伏があると思います。牧口さんは札幌師範を出ましてから、終りは小学校の校長さんをやったりしますが、その間に教育界の矛盾というものに憤りをもったようです。教育者がだいたい子供のほんとうの将来を考えていないのではないかということ、そういうところから闘いもやりましたし、結局最後は小学校の校長をいびり出されてしまいました。そういうことから憤りを抱いてこのままではいけないという考えを持つにいたった。それには教育を正しく変えて行かなければいけない、つまり一般大衆の幸せになるような教育てなくてはいけないと、こう考えておったわけです。それがやはり戦闘的な折伏の態度という、そういったものに引きつけられたと思うのです。

 それから、もう一つ重要なことは、牧口さんが利を軸にした教育論・人間論を考えましたときに、実際に価値の頂点は大善生活だといっておりますが、公の利益のなかでも大小いろいろあるけれども、それをいろいろこまかく評価法といいますか分けまして大善生活でなければいかんということになって、そこで大いなる善と利は一致しなければいけないと考えたの良いけれども、現実はそういかないわけです。現に自分が非常に熱心にやっているが不遇であったり、自分の勤めている学校の子供たちは非常に貪しい子供たちの多いところです。その校長をやっておりまして、どうも現実と正しさというものが一致しないというところに一つの疑問を抱いたようです。

 はしょりますけれども要するに一致しないという点で、その解釈が必要であるということと、実際に利益が欲しいということです。そこで現実にはいろんな矛盾がありますから、そういかないのですけれどもこれを克服したいという願望があるわけです。現実の不可能さを克服したいわけです。

 そこに日蓮聖人のいわゆる大御本尊様の御利益という考え、それにのってその矛盾を解かなければならない、解けるというところにきたと思います。そういうことを踏まえまして教育論と信仰とが一つになる、そして、それがいよいよ日蓮正宗との密接な関係になり、頼まれることもあって大石寺で講習会をやったり、いろいろやっていたわけです。

 そういう中で、ちょうど宗教統制が始まり、日蓮宗と正宗との合同問題が起ってまいります。とくに伊勢神宮の大麻をまつるという問題が出てくるわけです。その時にはもう牧口さんは日蓮正宗に非常に深く入っておりまして、これには絶対反対で大麻はいかんと考えていました。その時はすでに創価教育学会の信者たちには、小学校の校長以外に商人の人たちも入ってきていましたが、こういう人たちのところへ行って大神宮の大麻を焼いたりしたようです。そういうようなことがありまして、結局弾圧を受けることになるわけです。ですから理論的だという問題ですが、これが単なる宗学・教学上の理論的ということだけではなくって、社会全般のことに対する基本的な問題についてまで論理的な正しさがあるのだという考え方になって行くわけです。これは私としてはちょっと飛躍じゃないかと思います。

 いかにその宗教としては論理的に展開されているといっても、それによって現実を解釈することはできない。少し次元が違うとわれわれは考えるわけですが、これは後で皆さんがたの問題となると存じます。それから御利益の問題です。この二つが問題として出てきている。

 戦後に戸田さんが創価学会を始めますと、最初のうちは牧口さんに教わったことですとか、割合にそう異色のあるものではなかったと思います。法華経の講義などやっていますから。

 しかし、26年からはっきりした新らしい形で展開されてきます。例の折伏教典が最初にできましたのが昭和26年ですが、26年の折伏教典というのは探しても手に入りません。29年になってから本が初版の形になって出ております。ですからその数年間、プリントでも持っていたかわかりませんけれども、要するに26年の日附で29年に出版されて、大いに注目を引いた折伏教典を見ますと、生命論というのが必ず出てくるわけです。そして、これが中心になりまして折伏論として各宗の批判が出ているわけです。ですから牧口さん時代の考え方を戸田さんは非常にはっきりと生命論として打ち出しているわけです。そしてこれが創価学会の教学の骨子になっているというふうに考えられるわけです。牧口さんも生命ということをいっておりますが、それほど強くは出してはおらない。それを戸田さんは正面から出している。ここに一つの秘密があるように思います。

 私、伺いたいことは日蓮宗では創価学会のいういわゆる生命、あるいは生命力というものが、どういうふうな言葉であらわされているか、これは日蓮宗に限らず、真言でも仏教そのもののほうで、ときたま生命という言葉を譬喩的に使われることがありますけれども教義の中心にすえておるわけでしょうか。

 この生命というのは創価学会にいわせると、要するに諸法そのものを生命といっているのではなかろうか。ですから生長の家などと同しように生命の実相という言葉が出てまいります。したがって、生命というものは色心不二のものであって、唯物論・観念論両者を超えた見方で把握できる。医学などで生命というけれど、それは一面的であって総合的に生命を把握するのは仏教なのだといういいかたです。ですから物の本質、世界の本当の在り方というものを生命と名ずけていると思われます。

 それから生命は三世にわたるということをいっております。要するに折伏をやっても、お金がもうからないというときに、それは前世の業があるからだということをいうわけです。あるいは不平等な形で人間は生れてくる、これもやはり前世の業だといっております。その業を運んでくるのが生命体である。ですから生命というものは永遠のものであって、過去から未来にわたって続いているものだと、そういう説明のしかたがあるようです。ですから因縁とか業を媒介しているものを生命といういいかたで出しているわけです。それが特長です。

 現在の折伏教典は29年のものと違っておりますけれども、29年の時は戸田さんのかなり素朴な、例えば生命はこれだけの長さのあるものであるとか、死んでから次の生命として生れてくるまではどこに居るかとか、いろんな面白いことをいっております。現在ではすぐ一念三千に行くわけです。生命論がトップにありまして、一念三千の法門があり、十界互具がある、こういうふうないいかたをしております。

 ところが、もう一つ、生命の面はなんといいますか、バイタリティーということですか、たとえば自分が病気になる、それは生命力が弱っているからである。金がもうからないという状態、それもそうだ、という説き方があるのです。ですから、ちょっとわれわれ外部から見ますとマジカルな力みたいな考え方があるようです。それをどのように創価学会では説明しているかと思いまして、実は英文の創価学会のテキストを調べまして、バイタリティーという言葉があるのじゃないかと思ったのですが、そこにはライフホースとあります。そこに一つの秘密があるような気がします。

 そして、そこに宇宙の大生命のリズムに合わないような生活をしていると、その生命が個々の人の生命がしぼむ。その主たる原因は、貪・瞋・痴だとか一般の仏教でいいそうなことをいうわけです。そういうことが重なって宿命が出てくる。そこで宇宙の大生命のそのものの当体であるところの大御本尊さまを拝めば、そういった宿命が転換されるというのです。ですから大衆は非常に生活は苦しい、病気・貧乏・家庭のいざこざ、いろいろ悩まされているという状況、そういった宿命は決して持って生れたものじゃなく、持って生れたというか動かし得ないものじゃなくて、信によって転換できるものである。宿命が転換されて幸福に生活ができるようになる。その根本になるのは人間革命であると、要するに人間が生命の実相を体現するということにおいて安心を得るというのではなくして、実際の行ないが入ってくると病気もなおるとこうなっていると思うのです。そこらに問題がある。

 さらにそれが現代の人間、とくに戦後は一般大衆もさままな公害ですとか、貧乏というものが決して不可抗力でないし、自分がなまけ者だから貧乏なんだということではないと感じています。また、老人がそうとう今こまっています。昨日も敬老の日で、テレビ・新聞などを見てみますと、日本の老人対策は、相当おくれていることがわかります。現実にはその老人がなまけ者であったかというと、そうじゃない。なまけた人も中にはいるでしょうが、大局的にいうならば政治の問題、社会の問題であると気がついている。ですから、ふしあわせというものが単なる自分の問題ではなくして社会の問題であり、それには政治ががらんでいるということが、非常にわかってきていると思うのです。そういう認識が深まっているなかでそういった問題も結局人間革命によらねばならないとされます。

 要するに、精神的な自己改造、生活態度を改めるということが本当の革命であって、日本から世界へそれを革命していく、よくしていく根元である、こういう考え方になっていると思うのです。ですから創価学会・公明党の、とくに公明党の出している政策の中には、王仏冥合論などいろいろありますが、公明党がだんだん大きくなってくるといいますか、階層が弘まってくるにつれて、たてている大衆福祉の政策なるものの内容もだんだんと具体的になってきている。現実問題にぶつかりつつあるということでしょうが、その基本にはつまり王仏冥合ということがあります。

 それが直接になにか信心をすることによって、社会科学がどうあろうと正しい政治的な方向が出てくる。その基本は人間革命であり、人間革命さえやれば世の中の事も政治のこともよくわかって来るし、正しい方向がでてくるのだという思想になってきていると思われます。そこでそういう考え方と、現在の日蓮宗などで考えておられることは一体どうなのだろうかということに私は関心をもつのです。私は池田さんと数年前にたまたま会う機会がありまして立正安国論について話しあったことがあるのです。そのときに私はこういうふうに申したわけです。これは後で皆様方のお教えを得たいと思うのですが、要するに日蓮聖人はあの時に正しい正法を尊んで念仏を排撃するという、そうするならばいい世の中になるというのですが、それは決して新しい社会体制の変化を考えておられたのではない。当時としてはそれは考え得ないこと、わからないことであった。ですから、そこでいっていることは、吹く風枝をならさずという、義長の世ということもありますけれども、要するに封建社会がうまくおさまって、みな幸福であるというわくの中での表現だと思う。だから創価学会が言っているように体制はいくらかえたっていい世の中にならないといいながら人間性社会主義とか、新社会主義をいっている、そういうような発想は違うのじゃないかといいましたら、それにたいして池田氏は、いやそんなことはありません。決してそうしたことを知らないわけではないのだといういい方をしておりましたけれど。要するに立正安国論が日蓮のなかで政治との関連を一番はっきり出したものだと思いますけれども、そこでは私は当時の社会のわくのなかで考えられていたのであって、体制を変えようとされたのではないと思います。即ち立正安国論から直通に、良い社会のあり方というものはでてくるのではないという気がするのです。平和とかいう願望はでてきますが、その具体的な保障というようなものはでてこないのではなかろうかと思います。要するに立正安国論は非常に重要な文献です。ですけれどうちでのこづちではないのであって、いかにそれを読んでもそこから直通に政治や医学の問題はでてこないというふうに考えるのですけれども、そこらのところを日蓮宗の宗学ではどういうふうに考えられているのかということが実はよくわからないのです。

 ですから今日は一つ教えていただきたい。つまり信仰と現実の接点がどこにあるかということ、どこまでが信仰の次元であり、どこからが現実の次元であるとされているのか。それとも日蓮宗もまた創価学会と同じように両者がピタッと一致するのだというふうに考えておられるのか、そこらが知りたいと思います。

 いろいろ申上げましたが、要点は価値論の利でしばるという問題、御利益の問題、それから現実も信仰との関わりあいという問題、とくに生命とか、生命力ということが日蓮宗ではどう考えられているかと、いうような点を伺いたいと思うのです。そしてこれらの点はご承知のように創価学会は現在750万所帯とか大きなことをいっておりますけれども、選挙して見ますとこの前の参議院選でも全国で660何万とっておりますし、今度やればもう少し増えていくというふうに思われます。要するにそうとう大量の大衆が、生命論に引きつけられて動いている、ということは事実でありますし、影響力はたいへん大きいといえます。その魅力の根元はどこにあるかということは話のなかで出てくると思いますがいろいろ伺いたいと思っております。


【中濃】 どうも有難うございました。それでは村上さんのほうから補足というのは失礼ですがお話を伺いたいと思います。今出ましたなかで関連してくると思いますが、池田大作君の妙法の中道主義という点にもふれて出していただくと、午後の討論にも素材がたくさん出てくると思いますのでお願いいたします。


【村上】 いま佐木先生のほうから、創価学会・公明党のイデオロギーの特徴的なものが出されたわけですが、当然そのような諸特徴と、現在の日蓮宗の教学上の主張というような点で、私は門外漢で暗いわけですから、午後の討論でいろいろ教えていただきたいと思います。それでかなりくわしく創価学会のイデオロギー的な特徴をあげられましたので、とくに補足ということもないわけですが、やはりわれわれ創価学会の問題を考えますとき、どうしても外してならない観点は、昭和5年に出発した教育団体に始まるわけですが、やはり昭和の戦争中および戦後、それから現在の高度成長時代、そういう日本の資本主義社会の非常な激動、変転というものに対応して創価学会のイデオロギーというものは、展開といいますか、あるものはつけ加えられ、あるものは切り捨てられ、それからまた力点が移る。そういういわばダイナミックな動きをして現在に及んでいるわけです。そういう歴史的な形成のあゆみ、これはやはり創価学会のイデオロギー的本質を考える上で非常に大事なのじゃないか。

 それで時間もございませんから、図式的に整理して申上げようかと思うのですが、いまもご指摘がありましたように創価教育学会の団体、とくに日中戦争以前、この段階での中心的なテーマというものは、いわば牧口初代会長の教育者としての体験からあみ出されてきた日本の風土といいますか、生活意識というものにかなり深く根ざしたプラグマチズム論ですか、大体そういう特徴が牧口哲学なるものにあるように思います。そういうものがハッキリと日蓮正宗の宗教運動という形に結合しますのが、いわゆる正式発会をする日中戦争から大平洋戦争に向う段階での新展間であると思います。

 そして、この戦争前や、戦争中の創価教育学会の宗教しての教義的特徴というものが、いま申しましたような牧口の利でくくる価値論の哲学と、日蓮正宗教学の中でも、とくに大御本尊の功徳と罰という命題、これにかなり力点がおかれ、そして生活革新の実験証明座談会という小サークルが全国各地に育っていく、そういうコースをたどったと考えて良いと思うのです。

 それと同時に見落してならない面は、当時戦争に向って、非常に国民生活が窮乏し、実際に暗い世相であるわけで、大衆的な危機感、そういうものが非常に広がっていくなかで、創価教育学会のコースというもののなかでは一つの伝統的な日蓮正宗教学に対する非常に強固な厳格な解釈論、そういうものがはっきりと浮き彫りにされてきます。それと結びついて戦況転換のたのの国家諌暁というような動きが、弾圧事件の伏線として強く浮びでてくる、それが昭和18年の段階であるうと思われます。

 ところで戸田時代は戦後の講和の時期から始まるわけですが、イデオロギー面で一体なにが新たに加わっていくのかということを考えて見ますと、佐木先生も指摘されましたように、一つは戸田城聖の獄中体験から発している生命に対する把握です。生命論として理論化されていくわけですが、その生命に中心をおいた主張、それからもう一つ非常に大きな問題は、王仏冥合論として戸田が「大白蓮華」に連載するわけですが、いわゆる国立戒壇論があるというふうに考えられます。そしてこれが伝統的な日蓮正宗教学に対する非常に大胆な修正であると同時に、民主主義の時代というものの持っている一種の宗教統制のはずれた宗教上の立場からストレートに政治論が提起できる、そういう状況を先取りといいますか、当時の宗教界が国家神道時代の意識の中に閉じこもって、そういう意識を温存していた段階で、戸田城聖の王仏冥合論に盛られている政治論というものは、国家神道体制崩壊後の新しい段階というものを適確にとらえて、いわゆる現代的な政教一致主義路線というものを出したというふうに考えていいかと思います。

 ですから整理して申しますと戸田段階で創価学会のイデオロギーとしてつけ加えられたものは、この戒壇論と、生命論という二つの大きな思想的遺産といいますか、貢献があったというふうに思います。そして基本的にはこの路線というものは、現在に至るまで創価学会の思想的な基本の骨格を作っていると考えていいわけですが、それ以後の政治進出が本格化する1960年代以降、池田会長段階での新たな思想的寄与は以外に乏しいわけです。わずかにそれに連ねることができるのは、池田会長が提唱した妙法の中道主義、つまり末法の法華経を中道として把握するということだと思うのですが、この論が有る程度で、それ以外のものはさまざまの新しい政治理念といいますか、概念として提起されておりますものは、大体戸田段階での思想的達成を普遍しているというふうにいえるのではないかと思います。つまり仏法民主主義、地球民族主義、人間性社会主義、こういうような、いわば公明党の大衆福祉論の思想的基礎をなす王仏冥合の内容説明のような、そういうものは大体において戸田段階で達成された思想上の観点というのを、今度は政治次元に普遍したという性格が強いのではないかというふうに思います。

 ですから、ごく概括的にいえば、伝統的な日蓮正宗教学というものに、牧口段階で価値論がプラスされ、戸田段階で戒壇論と生命論がプラスされ、そしてそれを引きついで池田段階で中道論が出てきていると、そういうような構造になるのではないかというふうに思います。

 そして午後の討論でぜひこの機会にいろいろ伺いたいし教えていただきたいのですが、やはり現在の創価学会・公明党のイデオロギーの中で、われわれ非常に関心を持ちますのは、とくに日蓮宗の教学、あるいは宗教上の立場と対比した意味での天皇制に関する問題、それから民族主義に関する問題、これは非常に客観的ないい方ですけれども興味のある問題なのです。現在創価学会の主張の中で非常に理解しがたい、あるいはいく重にもおおわれた表現でしか出ていない問題であるわけなのですが、この点につきましてもさっき佐木先生の指摘されました諸点とあわせて討論の中で聞かしていただきたいというふうに思います。たいへん簡単ですが、これで。 


【中濃】 それでは午前中、お二方より問題提起的な意味を含のてお話をいただいて、だいぶこれから討論すべき問題点が出されてきていると思います。それでいろいろな角度から討議していくことではありますけれども、時間もそう沢山ありませんし、いままで出された点を整理してみますと、一つは創価学会・公明党を通じて、とくに創価学会すと、一つは創価学会・公明党を通じて、とくに創価学会初期からの重要な思想的内容となっている利の問題、それに利益との関連、そういう中で現実と信仰とのつながりがどの程度可能であるのか、あるいはまた信仰からストレー卜に現実の社会の問題、政治の問題について方向づけができるのか、どうかというようなこと、とくに創価学会・公明党を通じて大きな柱になっている生命哲学と申しますか生命論、こういう点について日蓮宗がいままでどんなふうに考えてきたか。大方のオーソドックス教学ではどういうふうにこの点をとらえているか。創価学会・公明党のとらえ方とどういうふうに違いがあるのかというような問題が出されてきております。それこれの中で具体的な問題としては、王仏冥合論、国立戒壇論という問題が、生命哲学を背景にして、正宗教学をもふまえて論ぜられているということ、これが正宗教学そのものであるかどうかという点もあろうかと存じます。それから今日的な大きな問題は、天皇制に対して日蓮教学からはどういうふうな見方がなされるのであろうか、あるいは民族主義の問題についてはどうなのかということについてご質問の形で出題がなされたわけです。それらを一応午前中の話の中からひろい上げると、これから討議していくべき、あるいは意見交換をすべき主たる内容になるのではないかと思います。

 村上さんのほうからは、池田大作氏以後、思想的に寄与した面は意外に少ないという指摘がされ、その中で妙法の中道主義という形で中道論を池田流にというか、創価学会風にというか、あるいは公明党流にというか解釈した理論のようなものが打ちだされているといわれました。こういう点も今日の問題として、われわれとしてはもっと分析しておくべき内容ではながるうかと思うのですが、そんなところから話を進のていくとして、他にこういう問題があるということはありますか。それから偽書の問題というか、文献学的にどうかということもありますが、時間がないのでこれはどこまで堀り下げられるかわかりませんが。


【丸山】 佐木先生のお話の中にあった立正安国論における時代の限界の中での一つの宗教的な政治批判といいますか、いわゆるそれは政治のユートピアを描いたものではないし、制度としての政治を描いたものでないということと立正安国論の持っている宗教的な政治批判というものの意味を、もう少しやはりわれわれの立場から意見を出す必要があるのじゃないかというふうに思います。


【中濃】 そこから入っていきましょうか。利についての問題をやるよりも具体的に話がしやすいですね。利などというと価値論を持ってきてやらないといけませんし、ややこしくなりますから。それでは話を進のていきましょう。まづ茂田井先生からお話を。


【茂田井】 佐木先生のお話をうかがっていて日蓮教学、私は日蓮教学という場合は、日蓮宗じゃなくて、日蓮の教学ですが、日蓮宗の教学と、日蓮の教学と区別しております。日蓮の教学の立場から利との結びつきはあり得ると思うのです。何かそういった学会からの、学会じゃないけれども、牧口先生の利という思想がたまたま日蓮教学と結びつく何かがあったとすれば、ありそうに思うのです。ですけれど、さっき佐木先生は生命とおっしゃいましたが、生命論と結びつくのは私ちょっとわからないのです。教学的に、利は結びつけられると思いますよ、日蓮にはそういう方面があります。


【丸山】 その利というのは現世利益の利ですか。


【茂田井】 いろいろありますね。例えば法滅尽の時に生れて出て下種益を与えるということは一つの利だと思うのです。「下種の大益を享受する」と「宗義大綱」には規定しましたけれど、下種の大益ということは一つの利だという受けとり方を牧口さんあたりはされても別に無理がらぬことだと思います。


【丸山】 ただそのきわめて物質的利益というものと、それを結びつけるという点は相当の飛躍があるんじゃないでしょうか。


「木村」 むしろ牧口さんの利は功利主義という感じじゃないかと思うのですけれども、それと仏教、日蓮聖人のお考えになられる利というもの、あるいは法華経の功徳という場合、これはぜんぜん功利主義とは違つたものだと思うのです。


【茂田井】 違つてはいますよ、違つていますけれどもやはり利という言葉を使うでしょう。平等利益、自利、利他ということをいいますね、その利という言葉にまつわるものですが、そういうものをやはり引き出しますよ、それは学問的に、数理的には分けましても、のべつ使っているうちにはその文から出てくる一つの語感みたいなものをね。


【丸山】 要するに概念が広げられるわけですね。


【中濃】 しかし一番大事な利というのか、いわば最上の利というか、それは下種益であるという規定ですね。その辺の石につまずいてころんだ場合、罪障が出た。ころばなかった場合、これは功徳があったというふうなごく低俗な解釈から、そうじゃなくて本当に題目信仰の中で、自分が朝に夕に自分の懺悔なり、あやまちなりを反省するなりというふうな内的なそういう意味の精神的問題にかかわった形での考え方、それが本当の意味での利益という考え方ではないかと思うのですけれども、だから非常に一般にこの言葉はぴんからきりまで使われてしまうのですけれども、本来はやはり下種益というもっと精神的なものであったとそういう高さを持っているものであったという気がするんですが。


【茂田井】 ですけれどね、たまたま大石寺で所蔵している日蓮の遺文の中にきわめて利的なものが多いのです。上野氏に与えたものに多いのです。ですから例えば「大橋大郎御書」には御経を読んだ功徳によって父の命が助かるといったことが長々と書かれている。あれを向うで長年保護してきたということは、やはり、無視できないと思いますね。自然に南条書に見えるようなものが正宗には伝統的な感じ方としてあるのじゃないかと僕は思うのです。消息を読んで見まして非常に対象によって表現がかわってしまうでしょう。日蓮の場合はですから、いま木村君がいったような純粋な仏教の立揚からの利という考え方を強調する。例えば富木氏あたりに出す手紙などには、その立場一本で行くのですけれども、南条氏に与える手紙には極のてプラグマチックな「利」というようなものが出てくる。相手がそれでないとわからないという場合は、いわゆる随他の説明と申しますか、そういうものが大石寺所蔵の遺文には多いのです。


【佐木】 それは御遺文の中に入っていますか。


【茂田井】 入っております。


【佐木】 そこで出てくる問題の一つは、例えば極端な揚合、念仏に出てくるような要するにこの世のことはあきらめて、あの世へ持って行くという形になって、利を見ないという行き方があります。禅なんかそうでしょうが、それに対して仏教だろうと、儒教だろうと大衆の現実的な利益というものは尊重すべきだ、とこういうような思想があります。こういう場合にはその利益を実現する方法として、例えば拝のば治るという式になる。

 それから、もう一つは御利益、つまりそれを方便として扱っているのか、本当にそうなんだとしているのか、二つの問題があると思うのです。牧口さんにしても今までの地理教育なんかも本当に大衆の利益を見ていない、なんか天下りみたいなものだということで人生地理学というものを書いたり、産業と結びついたり、それから郷土史研究をしたり、柳田国男氏の研究を尊重しているということこれ自体は正しいと思います。

 それでは日蓮宗はどうだというと、われわれ見ていますと、やはり日蓮宗は大衆の現実の生活というものを重視する現実主義があると思います。それは正しいことじゃないかと思いますね。

 ただ例えば成田さんで交通安全の御守りを出しているのについて「どうですか」と聞くと、普通の坊さんは結局一種の自己暗示だというような説明をするのです。本当にあの威力で車がぶつかるのをさけうるのじゃないけれど、注意するとか、安心するとかいうことがまわりまわって交通禍を防ぐのだという説明を坊さんがしているわけです。そういった場合にはどうも方便論まで行っていないわけなのです。多少しかし出ておりますね。けれども主流としてはあくまで現実には拝のばよいと強調するのですね。

 それで日蓮宗としてはどうなのかということです。それから宗教全体が新しい時代に添って変化していくということを考えると、私は混ぜたならばこれは命とりになるのじゃないかと思っているのですが。要するに方便、一種の暗示という形なら正当な解釈ができるということなのですかその点はいかがなのです。


【茂田井】 日蓮の教学・思想の中には、いま先生がおっしゃったように精神的な混ぜものはないのです。実際に表面だけではきわのて実利的傾向が見えるわけなのです。

 そこがしばしば創価学会あたりの利用し、強調するところです。いま申しましたように誰に読ませるかということが対告者によって非常に違つてしまうのです。ですから対告者によって区別をし、日蓮の基本的な思想を明瞭にすべきじゃないかと思います。

 たまたま創価学会の信仰的本拠である大石寺は、御承知のとおり南条時光という人の建てられたものですが、南条家は教養が低いのです。それで与えられた書簡に聖人みずがら振がなをつけたりしているところがあります。読みやすく漢字にかなをふったりして与えておりますけれども、そういうように極めて教養の低い武士に与えた書簡ですから実利的教示といいますか、説示が多いのです。たまたま南条氏が弘安5年の春、急病を起しまして、それをそばにおりました日興という弟子が看病したのですけれども容易に快復しない。その処置を身延の日蓮に頼み、日蓮がそれに対して妙符を与えております。これを灰にしてその灰を精進河の水でのませるという指示を与えております。そういうところは明らかにその実利的なものです。それは方便であるけれども、この場合には日蓮の心情から真実として出てくるものだと私は解釈しております。そういうことをやったり、それで治らないと今度はそれは鬼神のする仕事だといって、鬼神に対する破折の文書を書きまして、これは南条氏に与えたものでもなければ、対象のない書簡を書いておりますが、鬼神に対する一つの叱咤の声です。『法華証明抄』といっておりますが、それを書いて日蓮自身も南条氏の病苦にたえられなかったようですが、それを書いてこれを日興に読ませております。そういうようなことは明らかに、宗教的な意味を合んでいるということになります。ですから単純な見方をすれば、創価学会でやっていることは日蓮的じゃないともいえるのです。本質的にはもちろん大きく違いますが。


【佐木】 法華証明抄ですね。日蓮自身も雨乞いの時だとかいろいろあって。


【茂田井】 ハア ハア 雨乞い祈ったりしていますね。


【佐木】 それがですね。方便的な意味と、心情からくるものとおっしゃったのですが、教学的にはどうなのですかね。それはつまり拝めば実際になにか不思議な効果が直通に出る。


【茂田井】 それは教学の基本的な立場ではそういうことはいわないのです。例えば「但法門をもて邪正をただすべし。利根と通力とにはよるべからず」といったり、「仏法と申すは道理なり」と、いうようなことをはっきりいっています。


【村上】 例えば方便論ですか。


【茂田井】 ええ、方便論なんです。ところがいざというと日蓮の性格ですかね、きわのて情熱的に相手方に対してかかっていくと、鬼神も叱咤するというようなこともありまして、それを読んだものは感激して、これだから御利益があるというふうにパッとそのままとってしまうか、そこが例えば富木氏に与えたものなんかと比較しないと危険性があるのです。


【佐木】 そうすると、富木さんなんかに対してのものはより高度な教学であるということですか。


【茂田井】 むしろ哲学的表現ですね。そしてそれがちゃんと筋が通っておりましてね。富木氏に与えたものは佐渡以前から佐渡へ佐渡から身延へと生涯を通してすじが通っていますから、私はそこに日蓮の教学の基本、或は形而上学的なものが示されているのじゃないかと思うのです。

【佐木】 なるほど。


【茂田井】 南条氏に与えたものを見ると極めて実利的なのです。それがたまたまそういうようなものが残ったので私はそれを見て推定するだけで、果して牧口氏の考え方とそれが不可分の関係にあるかどうかこれはわかりませんけれど、まあ正宗にはそういう一つの文献を長い間温存しているという歴史的な事実があります。それで生命という事ですが、私は学会でいうところの生命論がよくわからないのですが、実相を生命というというような話がありましたけれど、そういうようなきわのて形而上の生命論ならば、これは一念三千色心因果といったような、そういうものとつながりがあると思うのです。だから学会でいうもの必ずしもそうでないと思うのですけれども、私共の立場では生命論というものはないですね。


【丸山】 ただ法華経主義といいますか日蓮を媒介としない法華経主義思想の中には生命論的なものが若干、例えば紀野さんあたりには見えるものがありますね。法華経理解といいますか。それから宮沢賢治あたりのものの中に、そういう傾向のものがあるかも知れないと僕は別にここにあると指摘は出来ないのですけれども。


【茂田井】 そうですね、日蓮を媒介としないでいきなり法華経へ行けばあるいは出て来るかも知れませんね。


【佐木】 紀野さんは創価学会が盛んになってから、そういうことをいいだしたのでしょうか。それとも前からですか。


【丸山】 さあそこのところはわからないのですけれど、やや、そこをおもねているところがあるのじゃないのですか。


【木村】 法華経の解釈の上で島地先生だとか、天台の方での法華経の一般的な口あたりのいいというか、通俗的なものをお書きになるそういうものはなる程、そういう考え方があったような気がするのです。私がよんだのでは境野黄洋氏のものの中にはありますね。


【佐木】 私はね、正統的な仏教の方では、たしかにこれは一つの譬喩で使いやすいものでしょうが、その使いやすいものをあえて使わないという理由があったのじゃないかと思うのですが。つまり生長の家の生命の実相、これはまあズバリ生命と出したのですが、これは結局アメリカのクリスチャン・サイエンスのまねですね。ニュースオールとかこれはインドのバラモン思想の部類と思うのです。それから大我という考え方、マヂカルな宇宙にびまんする何かがあってですね。こういった点だとうっかり生命という言葉をつかうと下道主義におちる恐れがあるということを仏教の正統派は考えだのではなかろうか。それをあえて戸田さんあたりは使い出したのじゃないかという事なのですがどうですか。


【茂田井】 だと思いますな。いま外道ということが出ましたが、日蓮がもし命ということ――生命ということはないのですが――生命という言葉をつかう場合、素朴なその生物的な命というのは、「蔵の宝より身の宝。身の宝より心の宝」にそこに生命というものを大事にしておりますし、それから死ということを「生死の理」だといったような悟ったような割り切り方をしませんね。きわめて人間的に泣いて人の死を悲しむ態度が強いですね。それはやっぱり性格かと思いますが、安国論もまたそういうところから出発している。「仏法の衰微を見て哀惜の情を抱かさずにいられない」というような。例えば南条氏の末子である五郎が死んだ時などは、何遍も同じような悔みを書いて五郎の死をなげいている。これは老いて来てだんだん日蓮も弱くなった一つの現象かも知れませんが非常に人の死というものを嘆いている。富木氏の母が90才で亡くなられた。長寿としておめでたいことかも知れませんがそれをやはりなげいている。そんなところを見ましても非常に命というものを大事にするという傾向がありますね。


【佐木】 関連して茂田井先生に御伺いしたいのですけれども、僕は日蓮というのは、やはり鎌倉の新しい仏教で出て来るわけですけれども一面密教を受けていると思うのです。そうすると密教では一体どうなのか。つまり本尊を拝めば何でもかなうという表現、それを創価学会では注釈して、或る箇所では感応ということを使うわけです。本尊は生命のかたまりである。それを感応するのだという表現がちょっと出て来ることがあるのです。密教理論から云えば一体ああいったいろいろな儀式、護摩をたいたりする時に何かエネルギーが動くような見方があると思いますが、あれをどういうふうに見ておられるのですか。ということが一つとですね。それから創価学会では生命は永遠だというのです。宇宙全体が生きていると同時に個々の生命はやはり永遠から永遠につらなっているのである、という見方です。だから業や因縁を過去世から運んで来る何物かが生命であるというのですが、これは一体日蓮宗ではどういうふうに何が過去世からのものを現実に持って来るかというこの二点を伺いたいと思うのですが。


【茂田井】 感応というのはございますね。日蓮宗には、御承知の通り天台の教学を踏襲する所がありますが、本法の二十妙の中に「感応妙」というのがあります。ですから感応があるわけです。確かに日蓮は密教の素養というか密教の系譜を受けているのですけれども、どうも確実な遺文の真蹟が現存するとか、あるいは直弟の写本があるとか確実な文献では、あんまり密教的なものは出て来ないのですね。むしろ顕教の立場、天台の立場が本化的立場で受容されている。止観業・遮那業いえば後者ではなく前者の方が強く出ておって密教の立場はうすいと思うのです。しかし伊東八郎左右門とか、母上だとか、それから富木氏の奥さん四条金吾の妻だとか最後に南条氏、大体御遺文では5回こんな祈りという祈祷の実例が出るのですが、その場合に果して従来の密教的な祈りをしたかどうか、形式はどんな形式をとったかと云うことははっきりいたしません。ただ一つわかることは南条氏の場合御符を焼いて飲ませるということ、それから富木氏の女房がわずらっている時には、貴女が自分で名前を書いて日蓮のところへよこしなさい、法華経の御宝前で読むからということがありましてきわめて素朴な密教的なものが出ておりますが、それで密教ではごまをたいたりして加持でありまして、加持というのは御承知のとおり本源的な大日如来がこのものに加持してくるのですからこの人を媒介として働きをするのが加持の立場ですから。しかし日蓮にはそれはないのです。直接本尊に訴えるあるいは諸天にうったえる。申すといいますが、法華経に申すとか諸天に申すというのですがあれは祈りをいっていると思います。それは法華経の中に法華経の行者を守護するという誓いがあるものですからその誓いが誠ならばすぐに急いでここにしるしをあらわせよという意味なのですね。そこで学会では本尊がオールマイティなのでして幸福製造器になってしまうのですが、日蓮の場合には本尊をせめるということがあるのです。法の権威の上から正しい事をしているのに、その法の正しいものが法の意図する通りにあらわれない時には本尊はなにをしておるかといって本尊を叱るのです。これは本尊論のところへ行くとやかましくなると思うのですが、まあ日蓮はどちらかというと仏より法にウェイトをおいているという見方もそこには成り立つと思います。ですから、感応はあります。御承知の通り安国論の奥書というのがありますが、これは自分の力ではない安国論に警告したことがあたりかけている、的中しかけているということに驚きましてわれながら驚いて書いたものが奥書きだと思うのですが、これには「日蓮の力ではない法華経の真文の致すところの感応か」と書いております。これは中山に現存しております。そこにも感応という言葉が出て来ます。感応という思想は天台教学から出ますが加持という事はないのです。遺文の中には。


【佐木】 現在日蓮宗では加持をやっぱり否定しているのですか。


【茂田井】 これはやっております。だから私は日蓮教学・と日蓮宗教学と分けるのです。日蓮宗教学というのはずっと後のものです。これには日蓮になかったものも出て来ますし、むしろ日蓮が否定したのではないかというものまで入ってしまっているのですから困ったものです。日蓮宗の現状では加持祈祷はやっております。日蓮には加持という事はないのです。只直接訴えるということは諸天なり法華経なりに訴えるという、これは信心のいのちという命が出て来ますが、それは信心の命を相続させたいということなのです。やっぱり仏種論から出て来るのです。法華経信仰者がなくなれば仏種がたえるという事が譬喩品に出て来るのです。一切世間の仏種を断ぜせしのない為には、そのものの生命を存続させて法華経の信心の慧命を伝えたいという祈りなのです。南条氏なり富木氏の奥さんを祈るのですから表面は巧利的です。しかしその富木氏の女房が病気からのがれて長く生きられるということは富木氏の家庭の幸福であり、それはやがて法華経の大きな働きの現われとして結構なことだというようなところから祈られる、私はこれは信心の慧命相続の為に祈っているのだと説明します。


【佐木】 日蓮正宗の場合、加持はどうなのでしょうな。


【茂田井】 やってないでしょうね、加持というのは。これは日蓮宗だけのもので分派したものにはないようです。こちらは本家なのですけれど、本家の方が分家よりもいろんなものが入っているのです。


【村上】 どの段階からはっきり出て来るのですかそういう加持というのは。


【茂田井】 それは慶長年間からです。近世の初期からです。


【佐木】 関西で商人にどんどん広まると出て来るのじゃないですか。


【茂田井】 さあ今日は歴史家がいないので私がうっかりいいますと歴史家におこられてしまうのですが。私の考えではこれは中山の財政を建てなおすたのの手段ではなかったかと思うのですが、これは非常に冷酷ないい方ですけれど。

【丸山】 しかし先生、日蓮宗の加持は西の方が早いのじゃないですか。


【木村】 先生、日像上人が妙顕寺に祈祷所として、俒

【茂田井】 それはね、いのりと今おっしゃる加持とを私は区別するのです。いのりはどこの宗教でもあるのです。いのりのない宗教はないと思うのです。ですけれども今おっしゃっているのは加持祈祷でしょう。これはね、俒俒俒俒俒俒俒俒俒典師がはじのめたのです。俒俒俒俒典両師が百日の加行のものにはこれを授けるといい出して公開したというのです。そのころは中山が非常に逼迫していた時代ですから。ドライないい方をすれば財政立直しのたのにそういう事を公開したのじゃないかと云う意見が出るのですけれどもね。どうもその以前のことは私もわからないのです。稲田海素先生がやはりあれを否定しておられました。


【中濃】 生命論ですがね。日蓮聖人の頃には学会でいうような生命論というのはないのですか。


【茂田井】 そういうのはないですね。


【中濃】 それが非常に重要なポイントになって来ると思うのですが。


【村上】 最近の聖教新聞なんかの解説では法華経というのは生命の秘密を説きあかしたものである。そこに重点をもって来ておりますね。そうするとこういう考え方というのは伝統的な法華経論の中ではほとんどないといって良いわけですが。


【茂田井】 御承知の通り日蓮は、本門中心主義であります。天台の迹門中心主義に対して本門を中心とするのですが、その本門とは何んだというと釈迦の一つの寿命の長遠という事を明した経典ですからそういう意味では寿の長遠という事がら行けばそういうものが生まれて来る一つの要素はないことはないと思いますね。日蓮の代表的な本尊抄の中にも仏は不生不滅だという考え方がある。これは盤珪の不生禅と考え方が同じ類型でして、大乗仏典には皆これがあったと思うのです。ですからあえてこれは日蓮の特色だというわけにはいかないと思います。

          
【中濃】 例えば生命の秘密を説きあかすというと、何か非常に科学的な発想法、本当に科学的かどうかは別として例えば生命というものは何から出来ているかというところまで説きあかせるものだという発想法から出て来るとすれば、そういう点、僕は仏教ではあり得ないと思います。要するにそれを極端にいって行けば生命の発生は物からか、心からかということについてそれは物心一如だなどということになって行きます。仏教では元来人間存在を問題とするので、こんな宇宙の発生とか生命の発生の起源を論じたものではありません。それが非常に科学ずいてしまって池田大作氏ではないけれど「科学と宗教」というような形で 宗教というか仏教の理法が科学分野の問題までも解明出来るものとして拡大解釈をあまりにしすぎるとおかしなことになってしまうのではないかと思います。立正安国論を20世紀の現実問題にストレートであてはfめるのは問題があると思います。また何でもかんでも法華経で全部が説きあかされるというのも問題でしょう。


【佐木】 つまり普通なら諸法というものを生命と名づけていて諸法の本質は科学でもわからないし哲学でもわからない、それを明すのが仏法の真理の教えなんだとこういういい方から仏法というのは生命の科学だというようなことをいうのです。


【茂田井】 諸法が生命だというそういう解釈といいますか説明は確かに一念三千論をパラフレエズしたものだというふうに私は思います。うまくいったと思います。結局今の人達にはそういう説明しか仕様がないのじゃないかと思います。しかし日蓮の一念三千論はそうじゃないのですけれども、例えば辞書に一念三千論はこうだという説明がしてある、それを解りやすく生命だといえばいってしまえると、こういうのが一つの安直な解釈でしょう。一念三千ということはしばしば日蓮教学でいわれますけれど、その実一念三千とはこういうものだという説明は日蓮には一つもない、一念三千を「種」にしてしまうのです。あるいは仏種という種にしてしまいますから寿量品の種とか、本門の肝心という表現をしてしまいましてそこに因果とか色心という概念を含ませておりますから、そこからやはり生命というようないい換えをとったと思いますけれども、日蓮の仏種論というのは実は私今論文を書こうと思っているのですけれどもわからないのです。しかし確かに種子ということが出て来まして、世親の法華論の中に法華経の十無上を挙げておりますが。その中の第一に「種子無上」というのがある。これを日蓮は「天台の一念三千これなり」とこういうのです。つまり世親の法華論の種子論を天台大師の一念三千論を直ちに結びつけてしまう、これはおそらく唯識学の学者からいわせれば、日蓮の無謀だというかも知れない。『開目抄』には明らかにくっつけてしまう、それをしませんと日蓮の一念三千即仏種だという理論が出て来ないのです。それはまあ日蓮のきわめてユニークな教学になっているのですけれども、あるいはそれが学会でいう生命論の要素になるかどうかがわかりませんがそんなところから来るのじゃないかと思います。あえて思想的なものを求めますならば。


【佐木】 学会で云う生命というのは要するに仏種という考え方ですかね。


【茂田井】 仏種というかどうかは知りませんけれども仏種ならばこちらにもあるのです。仏種論という南無妙法蓮華経を仏種とやってしまうのです。本尊を設定する原理論も、人間が成仏する原理論も仏種から来るのです。

そういう考え方が本尊抄の基本です。一念三千の仏種がなければ紙木を本尊として拝むことが出来ない、つまり草木に色心因果があるという考え方。妙楽の十二門論でいう不二の思想です。全てがその立場にたって草木国土とを我々すなわち依正不二だという考え方が一念三千の基本にあるわけです。その基本がなければこういうものを拝むという意味がない、またわれわれが成仏するという原理も成り立たない。こういう論理が本尊抄の基底にあります。或いはそういうものからわれらがパラフーレエイズしたかも知れません。


【中濃】 そうすると幸福製造器というのはどういうことになりますか。


【茂田井】 あの幸福製造器といういい方はあれは向うも失敗したと思っているのじゃないですか。大きく出しましたから新聞記事の見出しに出たのです。あればかりをとらえられて向うも困っているのじゃないですか。ああいえばわかると思って幸福製造器といったのでしょうが。


【中濃】 板曼荼羅が生命という事ですか。


【村上】 まあ、凝集しているということですね。


【丸山】 生命の根元というのですか。


【村上】 根元というより、そこへ固っているという考え方が強いてすね。そこから放射能みたいなものを発している。


【茂田井】 もしあれが焼けたらどうなるのですか。火災でもって焼けたらどうするのですか。(笑声)えらいことになります。


【佐木】 ですからあれは原爆がおちても大丈夫のようになっているのしょう。(笑声)


【茂田井】 あれは一つの唯物論的なものでしょう。おかしいですね。


【中濃】 だから仏種ということはそうなったらそれ程重視しなくて良いことになりますね。凝集されているところから放射能が出ますからね。もと放射能があって成仏できるという論理でしょうけれども。


【茂田井】 そういう点では日蓮聖人は親鸞の名号即体、名号を体とするという考え方と同じなのですよ。本尊抄は五字七字の名字が体なのですから。ですから焼けたって体は焼けないのです。板曼荼羅に固執してしまっていると焼けたらどうするのかと思いますね。あれが焼けても五字七字は焼けないのでしてね。


【丸山】 その点はやがて創価学会が克服する教学じゃないですか


【茂田井】 板そのものにあまり固執していると、どうするのかと思いますね。


【木村】 しかし、一般にいわれているのは日蓮宗の方は四菩薩がない。つまり種脱相対と云うものがない、それから学会にはあるということが五重相対が継承されて来てそれが今でも継承されているわけですね。我々の方の日蓮宗の教学の中にはそういう仏種という考え方がない。従って下種益なんていうものはしないと、そういうことをとり上げております。


【茂田井】 種だから宇宙の大生命体が降されて、自分自身がやっぱり永遠不滅の生命体になるという信仰ですか。


【石川】 それからちょっと関連すると思うのですけれど、佐木先生がいわれた生命が三世にわたって続いていくと三世という問題をこれもかなり近代的に考えているのではないかと思いますけれど、日蓮聖人の場合は過去の重罪というものもありますし、霊山浄土もこれを実在のように考えているわけです。そこらあたり霊山浄土というような事は学会はいわないのですか。


【村上】 霊山浄土的な考え方はほとんどないのじゃないですか。僕が気がつきましたのは日蓮正宗の法主と池田会長が印度へ行った時、脱仏ですけれど、釈迦の遺蹟に記念の石などを埋めているのです。仏陀伽耶でやっているのです。霊鷲山へも行っておりますけれども、霊鷲山そのものでは何の儀式もしていませんし、それを特に意味づけることをいっていないですね。終始仏陀伽耶で法要をやっております。この辺は例えば妙法寺などは霊鷲山のところへ寺を建てまして、ここに住んでいる坊さんが行をやっております。そう云う点て、創価学会は霊鷲山に対する考え方は非常に乏しいのじゃないですか。


【茂田井】 それは面白いですね。日本山のやり方と正宗のやり方とが日蓮の中にあるのですね。日蓮は本師釈尊と云って今そこに日蓮自身といっしょにいる釈尊もあるわけです。かと思うと、今日はお釈迦様の誕生日だ、お亡くなりになった日だといっては涙をこぼされている。ですから日本山妙法寺の方が印度へいらして釈迦の遺跡をたずねる気持は、4月8日、2月の15日といって、宗祖が釈尊を慕う気持と通ずるわけです。そうかと思うと釈尊は過去に滅せず、未来にも生ぜず、常住にここにましますのだと云う考え方で行けば、創価学会みたいな拝み方が出て来るわけです。両方の要素を日蓮聖人は持っているのです。それがその持っていながらきわめて日蓮という個性の中に生きているのがまた昧なのだと思うのですけれども。


【村上】 それから戸田城聖氏の生命論にもどるわけですけれども、私共門外漢なので戦前、戦後もそうですけれども法華経解釈といいますか、法華経講義を戸田氏がしますが、そういう時のいろいろな系譜がありますね。近代に入ってからの法華経論、そういうものについてもし教えて頂けると有難いと思うのですが。戸田城聖氏が敗戦の翌年から法華経講義をはじめますが、これは3年位つづけて終る者なんかに免状を出しているのですけれども、その段階で法華経を順々に説明していくらしいのです。事務所の二階に集まりまして戸田師が講義をして行くのですが、そういう場合当然従来からある法華経論の何かに学んで講義をしたに相違ないのですがそれがどう系統のものか問題です。すなわち当時の戸田城聖氏がどういう法華経理論を持っていたのかということ、それからもう一つは創価学会の会長になって折伏大行進を命令する段階ではその時期の法華経解釈は謗法の行いであったと、非常に自己批判するわけです。ああいうことをやったから罰があたって俺は苦しんだと。ああいうやり方はまちがったとくり返しいっているわけです。その点から見ておそらく折伏大行進の段階で法華経論の展開があったように思います。そういう事情についてお聞きになっていらっしゃいますか。


【佐木】 つまり日蓮正宗大石寺では法華経をどう扱っているのですかね。


【木村】 私が理解していることでは向うの出している教学のものですが、これには法華経に関するものが大部分にわたって書かれております。


【佐木】 それはいつ頃のですか。


【木村】 これは38年です。うちは37年中味を比べて見ましたならこっちの方がそのままそっくり出ているので、これ以前には小平氏が書いた教学の問題の解説という本があったのだそうです。それは手に入っていませんのでわかりませんが、だからどうもこちらが出来てこれが出来たのじゃないかという推測なのですが、ただ目次はつまり伝統的な大石寺教学の目次でたてているようです。それで第二編法華経に関するものに二十八品書いてあります。これをずっと見ていきますと肝心な点は皆御義口伝です。寿量品の解釈などある程度書いてから寿量品はああだ、こうだとそういう点はわれわれのとよく似ているのです。そこは文上のことだ、文底秘沈はこうだというのは御義口伝によっているわけです。そういう法華経に対する解釈、いわば口伝を中心とした法華経解釈ではないかというふうに思うのですけれども。


【村上】 つまり日寛教学の法華経論をそのまま使っているということですね。


【茂田井】 日寛よりもっと古い御義口伝というのがありますが、それによるわけですね。御承知の通り御義口伝というのは非常に自由自在な解釈が出来るわけですが、それによってそういう一つのテクニックを使えばいかようにでも一つの法華経の文が自分と直接のかかわりでもって解釈出来るという便利な本なのです。それによっているのじゃないかと思うのです。ここで一つさっき先生がおっしゃった偽書論にふれていったと思いますが学会は学会じゃなくて正宗は文献的に怪しげなものを沢山使ってそれを金科玉条としている、そこらが私どもやっぱり創価学会について行けない。


【木村】 これは法華経は全然脱落です。法華経なしのですから、まあこれを中心にして見て行きますと生命論なるものを出しやすいようなものが沢山あるのです。これは御義口伝の中にはそれと結びつけて出て来るのじゃないかと思うのですが。ですから日蓮聖人の遺文の解釈の仕方がその場合つまり遺文に即して考えるというのではなく、御義口伝に即して考えてしまうという面があるようですね。ですから開目抄の解釈の中でも例えば死というような問題の解釈に一念三千、これは御義口伝を用いて来て種脱相対というものをたてている。ところが開目抄の初っばなには釈迦牟尼世尊が主師親の三徳があるという形で釈尊の地位が非常に高いものであるということをいっているわけですけれども、そういうものを一辺にスポイルして釈迦の仏法というものは終っちゃったという脱益の仏法であるという風なしかたをしていると、末法においては日蓮がそうであるという見方、そこらの解釈が非常に面倒ですね。わかりにくいのです。


【中濃】 日寛教学というものの中で、日蓮聖人の教学から見て一番問題点になるのはどこかといいますと、茂田井先生がお書きになった中では、世界性に乏しいということだったと記憶しています。この点僕は非常に重要な指摘だと思ったのですが。それこれを合めて茂田井先生どうぞ。


【茂田井】 日寛の教学それから祖師日蓮の教学との違いというものは、時代があれにも書きましたように違うので江戸の元禄時代に出た人が今われわれのような見方や解釈が出来なかったからといって責めることは酷かもしれないですけれども、日蓮自身の宗教的自覚面をいきなり客観的な価値としてしまって、釈迦というものの価値と日蓮というものの価値と比較するような形になって議論するところに日寛教学の大きなあやまちがあったと思うのですね。それは日蓮の各門流というエピゴーネンの中には幸いそういう両面はなかったのですね。不幸にして日寛がそういう病気にかかったと私は思うのです。彼は御承知の通り正宗が非常に衰微しておりましたので、何とかこの門流をたてたい、教学のシステムをたてて正宗を立直したいという愛宗護法の念を持って彼はくいついたのです。門流秘伝の書というものをあさって、それをそのまま文献批判せず信じてしまって、いわゆる六巻抄という教学を達成したその努力は私はえらいと思うのですけれども門流秘伝の書をそのままうのみする所にやはり欠陥があったと思うのです。ですからそういう日寛の教学的根本というものは佐木先生がさっき偽書の問題をおっしゃったのですけれども、百六箇相承ですかそういうものを金科玉条とする正宗の伝統的な偽慢性(それは日寛が誤らせてしまったのです)は気の毒だと思います。向うは歴史の上でも『家中抄』というのがありますでしょう。あれなども江戸時代に写したものをそのまま何百年も前の原始教団の史実と決のてしまうのですから、そういうものは日興の中にないじゃないか、日目の中にないじゃないかといっても家中抄にあると主張する、そういうところは非学問的であると思いますが。


【佐木】 その場合に明白に誰が見ても偽書だというものもあるし、さっきの三大秘法抄のように真偽不明のものもある。そういう手紙は偽書だということがはっきりしちゃっているものですな。


【茂田井】 はっきりしちゃっているものは「本因抄」「百六箇相承」これが偽書です。それから「御義口伝」 「日向記」というのは「日蓮聖人遺文」というのが四巻ありその中に入れてありまして私共の方でもそれを一諸に出しておりますけれども、この両書はやはりこれは偽書ですね。


【佐木】 そうですか。いつ頃のものですか。


【茂田井】 これはね、これを研究した人はつい昨年なくなられたので私受け売りですけれども、亡くなった執行教授の説では日蓮のオリジナリティにはいわゆる中古天台の思想は入っていないというのです。話がちょっと遡りますけれども、明治以来ヨーロッパ的学問の方法が入ってまいりまして仏教学は非常に変貌したわけですが、そのヨーロツパ的な一つの歴史的方法がとり入れられて日蓮の思想もまた日本の中古天台の亜流に過ぎないという考え方が、例えば上杉文秀師、それから島地大等氏のような歴史研究家にょって論じられました。これに対して日蓮宗側の学者もちょっといえないような立場にあったわけです。それは御義口伝とか日蓮聖人遺文全集の中でも、例えば三世諸仏相肝文抄とか、或いは授職濯頂口伝抄とか当体義抄とかいうようなわれわれが日常読む遺文がそういう学者達の論証を裏づけたわけです。ところがその後の立正大学で日蓮聖人の遺文の文献学的研究に手をつけた浅井要麟先生、この浅井先生の研究によりまして伝統的に伝えられた日蓮の404編の遺文の中にも偽書が大分まじっているというので、かなり真偽問題がやかましく論じられて来ました。それからそういう方面の研究が除々に進んで来まして、浅井教授の愛弟子である執行教授が御義口伝の研究を発表した、これは日蓮の没後に成立したものであると論証したのです。それは何故かと申しますと、口伝法門として日蓮以後に成立したと天台の文献がその中に出ているからであります。中にそれが為にこういう思想は日蓮当時にはなかった。日蓮没後に天台の文献にあらわれたものが、ここに出てる限りは日蓮の生前中のものじゃないと、これはまあきわめて明白な論証を出しまして一辺に御義口伝の権威がなくなったわけです。執行師と私の間はわずか数年の差なのですけれども、私どもが立正大学に在学中は御義口伝は金科玉条でありまして、本尊抄、御義口伝というとそれによって全て結論づけられた時代がありました。執行師がたまたまそれを発表してから御義口伝の権威がなくなってしまったのです。それから私どもはあまり御義口伝を用いません。執行師の功績だと思います。


【佐木】 池田大作氏の御義口伝講義には最初にやっぱり執行師に対してくいついていますね。


【茂田井】 御義口伝と三代秘法抄と、それから諌暁八幡抄は大事ですから、さっき木村君が、釈迦と日蓮、釈迦というものを開目抄はこうだけれどもと話しておりましたけれども、諌暁八幡抄は御承知の通り末文へ行きますとつまり日本日蓮という名のつながりから、末法の仏教がやがて逆に西漸していくのだという思想があそこに出て来ます。そして月と日との光の比較をします。月は光明らかならず、在世は八年なり、日は光明月に勝れり、末法の闇を照すべき瑞相だと、いう事をいっていますから、日蓮の方が上位になって釈迦は月で日が出ればもういらないのだと解釈してしまう、あれは諌暁八幡抄だけで立てた一論で、あれと同じような文章が「顕仏未来記」 「曾谷入道殿許御書」にあるのです。それはあきらかに同じことをいっていますが考え方は諌暁八幡抄にややオーバーに表現されている。そういう表現は報恩抄の中にもあるのです。日蓮という人は御承知の通り歴史的な積み重ねの上に仏法の功を認め過去の世代に法を弘めた功より末世の弘道の功徳の方があるわけです。ですから迦葉、阿難よりも龍樹、天親が勝れ、龍樹、天親よりも天台、妙楽が勝れ、天台、妙楽よりも伝教が勝れているという考え方が報恩抄に出てまいります。つまり天台の妙楽という人が出て法華経の真義を宣布したとこれは龍樹、天親よりも功績が上だ。しかしまた日本へ渡って伝教大師という方が比叡山に天台宗を建立されたが、天台、妙楽の手のつけられなかった円頓戒壇、法華経の戒壇というものを比叡山にたてた、この業績に対しては、天台、妙楽よりも伝教が上でいらっしゃるというふうにいいまして、そして今、日蓮がこうやっていることは、伝教、天台にも超え、龍樹、加葉にも勝れたりとこう立てるのです。つまり歴史を自分の時点から遡源をしまして、釈尊の原流へもどしていく、そのプロセスの中で法華経の流布を遡源史的に見まして、そしてそこに序というさっき序としたという話が雑談でしましたけれど、序の問題が出て、考えが出て、その序をつまり歴史を作っていく担い手である師という立場を強調するわけです。ですからそういう意味において末世になるほど、仏法はむづかしくなる、深くなるものだと、この深くなる仏法を担う人というものは勝れているのだという見方、これは歴史的行履のことで、質の問題じゃない、私共の言葉でいうと、法体は同じで、化用の差だという解釈をする、つまり教化する働き、化用する働きの差を正宗は法体の差別論に持っていってしまっている、そういうところに正宗教学の根本的ミスがあると私はいっているのです。日蓮はそうじゃないのですから、法体は同じなのです。ですから釈尊の在世八年と末法の初とは一同に純円だと本尊抄にはっきり立てている。化用が違うという事をいっています歴史的な一つの変遷過程においてそれぞれ難易の相違が出るのです。


【佐木】 日蓮の生き方には、正像末とあるけれども、感じとしては、正法・像法の時代には現代の言葉でいえば、ごく上層部のものにすぎなかったものが一般大衆のものになって来るというこれは本番なのだという思想があるのじゃないですか。


【茂田井】 あります。これは、御承知の通り鎌倉仏教の各祖師方みんなにある考えで、たまたま道元禅師がそれを多少否定しておりますけれども、しかし大体そういう共通思想がある。特に日蓮は不軽菩薩が威音王仏の像法の末に出てああいう弘教の仕方をした、ただ礼拝しては法を弘めるというそれが一体どういう時点であったかという考察をしています。「法欲尽時」というお経め言葉があります。法の滅せんと欲する時、それが、いま末法へきて法滅尽と同じことなのです。法欲尽と法滅尽と少し字が違うだけです。つまり、いま日蓮の出た時点というものは不軽菩薩の出たあの過去の威音王仏の像法の時と同じような共通な時点に立っているというところに実は自分の出世した位置というものを規定しております。そうしましてさっきからいろいろ出ました仏種論ですが、法滅尽だから仏種を植えなければならない。畑にもう何もなくなってしまっている。ここで新しく種を植えなければならぬ。こういうその種は釈尊の持っているものと同じものなのだというので釈尊との勝劣を立てるのではなくて同じものがここにもう一辺出来るのだという見方ですね、ですからそれを特に時のへんから行きますならば法欲、法滅の時、滅尽しようとする時なのですけれども、それは人間がもっとも、反仏教的な生活に浮身をやつしている時代だ。仏教的にいうならば五濁爛漫の時です。それにつき、涅槃経に一つの譬えがあります。七人の子供がある親が七人同じように可愛がるけれども病者において愛は偏に重いという譬えであります。然於病者心則偏重という経文ですが日蓮はこれを引用しましてこの「病者」というのは今の日本国の人々われわれだと解するのです。ですから法華経はいわゆる正像末二千年の間ずっと流れて来るのだけれども、釈尊はとくに末法の病者に偏に重く見ていらっしゃるのだとこういう見方にたっていわゆる「末法為正」を立てるわけです。これは、法然上人の末法観と共通な行き方です。ただ法然上人の方は人間の側から仏法を選ぼうとする。日蓮の立場は仏法の方から人を選んで来たというような違いがあるのです。


【中濃】 そうしますと大分いろんな問題が出ましたし今のような末法の問題とも関連して、さきほど出た立正安国論の問題に少し入って討議していただきたいと思うのですが、さっき丸山さんから何か発言があったようですが。


【丸山】 たしかに日蓮の政治批判なり社会批判なりというものが時代的限界の中にあるという事は、その通りであると思うのですが、それが政治論におわらないところこそいま安国論が問題になり得るので、その時代的限界の中での、要するに宗教からの政治批判という点にウェイトをおいて安国論を見ないと、我々が現代に安国論を受けとめて行く意味があまりなくなってしまうのじゃないか。だからしたがって宗教思想に当然時代的限界その成立した時代的限界があると同時に時代を超えて行くものによって行くのではないかと思うのですが、その点を茂田井先生にお伺いしたいのです。


【茂田井】 安国論の文上といいますか、安国論そのものの立場とか限界は佐木先生がおっしゃったとうりだと思うのですが、それに対して池田氏が否定されたというのは、池田氏が今日の時点にたって、自身がどう安国論を受けとのるかという問題であって、安国論そのものの客観的批判にはならない。そこで客観的な批判とすれば、先生がおっしゃった通りですが、ただ、そこの上に私ども教学者としてはただそれだけで安国論を突っぱなすのじゃなくて、一体安国論というものを出発として日蓮はどういう生活をして来たかという事を考えますと、あれがずうっと尾を引いて来るわけです。安国論の文章そのものは、あれ以上どこにも出ないのですけれども、日蓮自身は最後にちよっと書き直ししますけど、たいした書き直しをせずにあのままでいて、「具さには『安国論』の如し」というようなことを度々いう。これは私不思議な事だと思うのです。安国論程日蓮が著者として自著に対する愛着を示したものはないのです。安国論にそれを書いたとかあるいは勘文にそう書いたとかいうことを繰返してるのは珍らしいのです。あれほど力を入れた本尊抄でも観心本尊抄に述べた如しなどということはどこにもないのです。安国論だけは死ぬまで安国論に書いた通りだと述べているということは何を意味するか、御承知の通り日蓮は受難の体験をふまえつつ思想が深化してまいります。その中で39才で書いた安国論を50、60になってもまだそのまま扱ってあの時そう書いた今の考えはまさにその通りだと書き直さずに、親鸞ならなんども書き直して見事な教行信証を作り上げるのですけれど、なぜ日蓮は書き直さずにああいっているのかなあと思うのです。書き直さずに、くわしく安国論に書いたけれども愚者には見難しという、一体それはなんだろうという追究が教学研究者としては当然おこるわけです。そうしますと政治批判、あれは宗教的立場から政治の姿勢を正せといったのですけれども七難の中の二難としてあげられている他国侵逼、自界叛逆それがたまたま経文にあるからそれを拾いあげた。偶然こういうものを拾ったからつけてやれという偶然じゃないと私は思うのです。御承知の通り安国論奏進の頃は、得宗専制政治の頃でしょう。そうしますと、時頼が最明寺入道となっていたとしても前執権の実力者が僅か数名のものを寄合衆として集めては、重要な政治を相談している。これは当然中に不満がでてきて同志討ちがはじまるという、おそらく日蓮にはそういった一つの見通しがあったのじゃないか。これはやはり一つの得宗政治に対する批判じゃないかと私はそんな風に思うのです。そうしてあれを法華経が流布する為の一つの序を作ったものだという風に自分の作ながら客観化して見る。そういうところが安国論というものは安国論だけを見るのでは安国論の真意がつかのないという理由になると思うのです。日蓮の晩年から逆に安国論を位置づける、寧ろそこに安国論の真意がつかめるのじゃないかと思う。私はただそれだけを申上げたい。それ以上の、例えば安国論の底辺にある一念三予論的な世界観というようなものは教学的な解釈でこれは別としても、客観的にいえる事は安国論というのはむしろ逆に脚光をあてて見ないとわからないのではないか。文応元年7月16日の時点だけで安国論を見ないことが大事じゃないかというふうに思うのです。


【佐木】 そこではっきりしていることは鎌倉をはじのとして非常に民衆が苦しんでいるという現実、これは誰が見てもそうである。その原因が、要するに法然上人の念仏がはびこっているからであると、これは一つの解釈です。創価学会はまさに同じことを少なくとも始めのうちは特にいっていたわけだと思うのです。要するに戦争、それから敗戦後の苦しみ、結局これは邪教がはびこっているからであると。だからその時にはもう政治の問題も何もすっとんじゃって、邪教のせいなのだということで大衆の憤りを、こんなに自分はひどい目にあったのだというその憤りを、仲間同志同じ大衆にあいつがあんな念仏をやっているからいけないのだとけしかけるという事をやったのではないか。ですから日蓮の場合は真意は今おっしゃったように政治というものは正しい思想性を持たなければいけない姿勢を正せといわれた。これはどこに出しても通用する事です。ただ特定の邪教なるものをつぶす事が大事なのだというと肝心の政治批判は消えてしまうのです。安国論の頃には体制的な変化というものは考えられない時ですが、もうだれが戦争をはじのたのかまたはじのるのかということなどもかなりわかって来ている段階であるにもかかわらず、苦しみの原因を邪教だけに持っていっているところに問題があるのじゃないでしょうか。やり場のない憤りを下手にぶっつけると弾圧をくったり、馘になったりするという時に、邪教をせめたり、お寺へ入ってお坊さんを驚かしたりすればうっぷんははれるし、気持は楽だし被害は少ないというところから出発してとんでもない方向に行ってしまいます。


【茂田井】 これはまあ700年前の安国論をそのまま飛躍して今日に持ってきてしまったからなのです。日蓮は最明寺入道時頼とか、あるいは法光寺時宗という人達を常に対象とされている。こんにちの苦しみはこういう人が好んで招いたのだといっている。時にはそれは勿論謗法という教理論からいきますけれども、そういうものをそうさせるのが政治家の一つの姿勢であると断じ、それは好んで招き出せる災だと、こういうふうにおっしゃる。そういうところは創価学会と違うんじゃないかと思うのです。教理的には災難を二様に見ることがある。例えば正嘉の大地震が安国論執筆の直接動機となり、結論としてはそれらは謗法の招き出した災いであるということになるのですが御承知のように佐渡流罪以後になると解釈がかわってくるのです。即ち正嘉の大震や文永の彗星は法華経を擔った地涌の菩薩が末法にあらわれる、その前兆としてああいう天変地変が起きたのだとこういう解釈にかわってまいります。これについては日蓮自身も著書呵責誇法滅罪抄の中で安国論の時には謗法の罪の招き出せる災いといったが今そういういい方をするのは豹変じゃないか。どうして変化したのだという自問自答をやっていますがそういうところがあります。それは相手方が日蓮というものの真意を知らないものには安国論当時の解釈で説明するのですが、自分をよく知っている例えば富木五郎といったような人にはきわのて内観的な説明しております。こういうところから見ましても安国論の解釈はダイナミックなものを持っておりますね。


【佐木】 それを心得て攻手としてとくにやったということですか。つまりいきなり時宗がいかんなどといえないでしょう。そこでああゆうふうに表現すれば政治批判にならないでしょう。宗教のまちがいだといっている限りは。だからそれを特に借りて政治を攻める。いっていることは要するに政府の責任だといっているのですね災害は。それを生の言葉でいえば大変な事になる。それを信仰上の問題に翻訳していったということですかね。


【茂田井】 まあそういう一面があったかも知れません。幕府が日蓮を処罰する時はたしか悪口罪かなにかで伊豆へ流すのです。悪口罪は非常に重かったそうですが、そういう罪名のもとに流したということを聞いておりますが、しかし先生も御承知だと思いますが、時頼が亡くなりました時に日蓮は非常に残念がりましてね。この人が死んでしまうと私の考えていた事が、まづくなってしまうのではないかといったような言葉が残っております。「この事、悪しくなりなんず」とこのことをいっております。それはまあわれわれの解釈ではいわゆる「公場対決」というふうにとっておりまして、弘安元年3月21日の『諸人御返事』にも、日蓮の一生の祈願たちまちに成就せしむるかと書かれておりますが、公場対決ということが日蓮の一生の祈願であった。

 これは伝教大師にそういうご事蹟があるので、伝教大師の芳躅をしたってご自分もそれをやりたいと思ったのでしょう。それが時頼の死によって水泡に帰するなという失望の色が出ておりますね。ですからただそれを宗教に借りて宗教者に姿勢を正せとそれだけいったものでもないのじゃないかと思うのです。

 つまり国主という国王ですね。それによって仏法の広まり方というものはある。それらはいつも具体的な例として桓武天皇を出して例をあげるわけです。けれども一国に仏法が広まる場合というものは、国主というものをぬきにして仏法と云うものは考えられない。そういう事があったのだと思うのですが、ですからわれわれが考える政治というのは、国主を中心にした政治体制というものをいうのですけれども、その当時の歴史家が歴史の上で鎌倉仏教という場合、鎌倉幕府成立以後を指すわけなのです。つまり鎌倉仏教というのは平安からの続きなので、当時の鎌倉の坊さんなんて出来ておりませんけれども、いくつかのお寺が出来て鎌倉体制というものが次第に整っていったのです。いづれにしても日蓮聖人が正熹元年のその時期にやはり鎌倉のそうした仏教事情というか、あるいは鎌倉仏教の背後迄を含めた意味の鎌倉仏教という風に考えていけばいいのでしょうが、そういうあり方というものは、それは一つの国主の責任であるという考え方というか、これは成り立ち得る。そしておそらくそういうふうにお考えになっておられたのではないかという気もするわけです。そういう意味での当時の鎌倉仏教のあり方というものに対して、日蓮聖人が批判あるいは反撥をお感じになっておられたと、これは比叡山その他の留学から見ても実際そうだという感じがするわけですけれども、同時に日蓮聖人御自身がやはりそういう鎌倉仏教のあり方というものについて反省されていった。その反省されて行ったところから、ああした安国論と云うものが出て来るのじゃないかと。その前の著作として守護国家論があるのですが。その守護国家論と云うものをお書きになって、正にそういう反省なり批判なりを日蓮聖人御自身のものとして、あれはどこへ出すというわけでもなかったでしょう。そういう時にたまたま正嘉元年の地震というものをお感じになられ、しかも実際に民衆の苦しみ御自身心おそらくお苦しみになったのじゃないかと思うのですけれども、そういう状況の中で鎌倉体制そのものに対する批判というか反撥というものが、日蓮聖人にあったのじゃないかという気がするのです。それで立正安国と云うような守護国家というふうな、前と違った意味で立正安国というふうなものをとうてんになっている姿勢見たいなものが考えられるのじゃないかと、茂田井先生がおっしゃられた遺文のその経過をずっとながのて行った。その逆の類推なのですが、とにかくその時期の遺文を考証する上で遺文が足りないのですが、何ともいいかねるのですけれどもどうもそういうことがあったような気がするのです。


【茂田井】 木村君の今の話は長かったけれども、要点は仏法は国王に付属されるという考え方があるということでしょう。それは一つは『涅槃経』から出る思想でしょうが聖人の遺文の中にも『四条金吾殿御返事』などには王に従わざれば仏法流布せずといっておりますからね。そういう考え方で勿論政治責任者に肉迫するというところがあります。


【中濃】 そこで石川さんもきているし、皆んなが討論に参加してもらうたのに立正安国論の精神といいますか、日蓮聖人のこれをお書きになった気持、それと関連して時代が下るに従って、例の立正安国論そのものではありませんけれども教団内外で戦争が激しくなるに従って、いわば幕末明治にかけて出てくる如何にも日蓮聖人そのものが国家主義者であった如く仕立てあげられたという点。つまり「すべからく国家を祈りて仏法をたつべし」という立正安国論の客のいい分が、日蓮聖人のいい分になってしまったりしてきたということなども問題にしたいと思います。

 ところで安国論のあの言葉は学問的に客のいい分であって、主人のいい分ではないと云うところは大分戦後云わたと思うのです。なおかつ若い人のなかで未だに「国家を祈りて仏教を立つべし」と頭の中に相当根強くしみこんでいるのじゃないかというような問題と関連して考えた時に僕は卒直に云って創価学会・公明党が正しいだろうとは思いませんけれども、あの「国家を祈りて須らく仏法を立つべし」と云うような精神に、もし教団が立脚して今後行くとすれば、学会よりはるかに日蓮聖人の精神から遠ざかってしまうという奇妙なところがあるのじゃないかと思うのです。そういう点もふまえていろいろ安国論を読み返えしながら、もう少し意見を出し合って見たらと思います。そういう点では、あまり教学の事ばかりになってしまうとむづかしくなってしまいますので、現実問題をふまえて討議しませんか。また教学的な重要なところがありましたら、茂田井先生にお問きすることとして。どうですか。


【石川】 僕もその点を茂田井先生から聞きたいと思っていたのですけれども、さきほど生命論やその他の問題で創価学会が現実の問題を一応考えながらパニフェイズして行くという風な発想法というか、さっき指摘されたのです。それから立正安国じゃなくて安国立正だとか、立正報国とか。立正講和だとか、つまり立正がつけば何でも良いと、そういう現実の問題と教義の問題と安易に接着していく、そういうような発想があるのではないかと、折衷論的な発想がいつもあるのじゃないかと思うのですが。


 そういうさきほどの信仰の問題と、現実の問題の接点の問題ということと関連すると思うのですけれども、とくに近代の日蓮教団の中にはそういう形で処理する事によって教団を維持して行こうというような、逆にいえば教団を維持するたのにそうしなければならないというような発想法がずっとあって、それが今日まで延長してきているような感じがするのですが。なぜそれがそうなってきたのかという問題、その点をちょっとお聞きしたいのですが。


【茂田井】 私も同じですね。


【丸山】 これは一つの教学上の問題じゃなくて、教団そのものの問題でしょうね。


【茂田井】 教団のそういう性格を、やはりある時代の教学者の思想的な言動が、そういうものを形づくって行ったということも考えられますね。


【丸山】 そういう場合にどんな人が考えられますか。


【茂田井】 やはりこれは不受不施に対して、いわゆる妥協派の――不受不施は非妥協派ですが――の重鎮なんです。宗門のそういう風潮を作っていった力があるのじゃないかと思うのですが。例えば重・乾・遠、それから身延の脱・省・亨、そして明治にきては薩・鑑・修という人ですね。


【中濃】 僕が問題を出しましたのは、こういうことを考えたからです。創価学会・公明党が立正安国論というものを非常に重視して、そこから現実の問題をストレートに取り上げていく、あるいは方向づけをしていくことによって問題を起こしています。これは宗教がいきなり政治に容嘴したり、宗教用語を使って政治問題を論じたりすると非常な間違いを犯しやすいという点の一つの証明だと思うのです。いい例だと思います。けれども、だからといって今度は立正安国論の内容は、そういう現実問題とは全く離れ、もっと宗教そのものの問題なのであるという形で、うしろむきになってしまって、もはや現実の問題はあまり触れない方がいいという形になっていくとすれば、それが果して日蓮聖人の立正安国の御精神かどうかという問題に当面します。それとは逆に勇しく現実的になると創価学会と違った形で問題へどんどん入っていくけれども、その背景は立正安国論の御精神ではなくして、極端ないい方をすれば、軍国主義のイデオロギーの日蓮的表現であったり、遺文の言葉で軍国主義イデオロギーに衣をかぶせて発言し行動するということになってくる。ここに非常にむづかしい、しかも重要な問題点があるように思いますね。そこらをふまえていろいろ出しあっていけば、さっきの立正安国論といわば信仰と政治、現実の問題というところが、もう少し浮きぼりにされてくるのではないのかと思っています。かって敗戦前までわが教団も、いわば仕方がなかったといえば仕方がなかったのですが、教学そのものまでゆがのられた歴史があります。教学者あるいは宗学者の中で、果してこれでいいのかなという御気持をもたれた方はあったにしても、それが本流にならず、本流はわたしふうにいわせてただければ、さっき茂田井先生がいわれたような意合いを合めて、日蓮聖人の御精神とはだいぶ遠ざかった形で教団が存在せざるをえませんでしたし、そうした方向で経営されてきたということがあります。それの反省にたちながら、なおかつだからもう現実に眼をむけるのはこりごりだということになってはならない。といって、逆に創価学会みたいな方向で日蓮聖人の立正安国論の精神をこれだといって、宗教と政治を混同すると間違いを起していくということ、こうしたむづかしい時点に立たされているわれわれとしては相当深い研究が必要になるという気がします。そこらをもう少し考えていただきたいと思います。


【丸山】 これは部外の先生方がどういうふうにお考えになりますか。宗教と政治との接点というか、あるべき理想像といっていいかどうかわかりませんけれど。理念的にこういう風な関係が成り立ち得るのではないかと考えられるものというのは・・・


【佐木】 やはり権力の追従であってはいけないということではないでしょうか。織田から徳川と政治支配、権力が出来る段階では念仏と法華というのはにらまれたと思います。安土の宗論に始まって随分ありますね。結局屈服させて一致派を助長させて、不受不施派を押えてしまうという形をとる。

 明治になりますと、平田篤胤が神敵二宗は念仏と門徒と法華だといっていますが、これらの宗派は民衆につながっているからなのです。だから明治政府は、これを非常に警戒したのです。それで排仏棄釈をやって、あの段階で多くの宗派が御用をつとめるようになるのは、どの宗も天皇制に対しては忠実だというところを見せないと危ないという保身であると同時に、玉砕をさけるという方法をとったからではないかと思います。ただ、その中で念仏の方は王法為本なので王の方の天皇は敬いますということで、一応二元論にしたのではないかと思います。家族制度ではくっつきますけれども、政治については政府がそういうからそれで良いのだというような形で。ところが日蓮は念仏のようにあの世主義じゃないですから、地上に仏国土思想があるだけに、今度はその理想形態が天皇だという、天皇制だという理論が田中智学あたりから出て来るわけです。それは真宗ではやらなかったことなのです。天皇・政府の方は単純なる神話を持ってきたわけです。要するに、神様が子孫に国をくれたのだと。ところが、戦後になりますとそういうことは自由になったはずでしょう。その時にさっきいった天皇制の問題、いまだに古い御用をつとめていた時のあれがどうも残っているような点があるのではなかろう。創価学会の方は早くに、うまく身をかわして卒業してしまっているのです。大衆はい今はミッチー・ブームなどという――ちょっと一昔前にあのようなことをやったら、皆んな不敬罪かなんかでつかまるような――ムードになって来ているというときに、相変らずそうした動きにくっついていると、アメリカの基地になって、朝鮮でも戦争が始まりそうな70年を迎える時になって靖国神社の国営化復活論のようなものが始まって来た。こういう時に、また焼けぼっくいに火がつくような傾向が出て来るならば、これは右翼的な人には通りがいいと思いますけれども命とり的なものじゃないか。せっかく自由になって来た、それを何というか目先の利益につられることになりはしないかという心配があるわけです。それは立正安国論について考えるのは、念仏が何かをやるからこんな不幸なんだという云い方は、僕等に牡納得出来ないわけです。しかし、あの時代に民衆の苦しみをとりあげて、大変じゃないかということをいったのは日蓮しかないのです。その時点をつかまえていうならば、今の政治の天皇制にくっつくというのではなくして本当の民衆の苦しみというものを本当に自分の問題としてとりあげるということ、そこから出てくる問題で、ここから宗教者としての批判が出てくるという。ただその場合に安国論にせよ何にせよ、そういった御遺文の中に方程式は書いていない。これは宗教のことなので時代も違う、それを文字通りに国立戒壇を建てればいいとか、そういう事に
なったがこれはとんでもない話なので、これは畑ちがいだと。だから問題はつまり日蓮なら日蓮、あるいは真宗なら真宗の信仰をバネとして、本当に直面目に考えて、どうしたら大衆の不幸を除けるかということを、真剣に考える。考える順序はやはり科学的なものでなければいけないと思うのです。信心しているからガンの医者にかからないということではならない。自然科学と同じように社会にも科学があるのです。天皇制なり、民主主義がいい、議会制がいいということは、これはやはり科学経験の問題である。その点では、打ち手のこずちみたいに信仰を考えてはいけない。そういう意味においては、政治と宗教は分離すべきです。しかし分離するからといって、宗教者はそれでは全然政治には関心を持たないのか、原則問題はそれで良いのかというととんでもない話なので、関心はかえって敏感にもつべきである。こういうふうに私は考えるわけです。直結はいけない。


【丸山】 村上先生は宗教学会で明治100年の宗教史ですか大づかみの問題をお話になるということをさっき聞いたのですが、そういう日蓮宗の問題も含めながら100年のだいたいの宗教の、まあ政治とかかわりながら、体制との関わりというか動きをちょっとお話しいただきたいと思うのですが。


【村上】 そうですね。近代の日本の宗教運動の中でやはり日蓮系統が、近代天皇制国家を思想的に補強するというか、ささえる面で一つの系譜を作ったのですね。これは今お話が出ましたけれど、王法為本の真宗等と比較して見ると非常な違いだと思うのです、そういう積極さがなぜ出てきたかというと、それは結局宗祖日蓮以来の多彩な思想的遺産があるわけですが、そういう中に単純な国家権力への迎合ではない、もっとアクティブなものへ展開する契機というものが絶えずはらまれている。こういうやはり問題が一つあると思うのです。ですから今日の時点では、その問題をどう教学的といいますか信仰の問題として解決していくかということは、やはり非常に大きいと思います。ですから戸田城聖氏の王仏冥合論というのは、方向としては非常にアナクロニズムなものだと思いますけれども一つの解決をしているわけです。その問題について、ところが本家の日蓮宗の教学の上ではまだそれが、こんごの課題にやはり残っているのではないかという感じを持ちます。そういう点では近代の日本の宗教、私共国家神道体勢ということをいうわけですが、ともかくもその宗教的な内容というものを自ら切りすてた神社神道、天皇崇拝、という独特な宗教が国民には強制される、そしてそのわく内で従来からの民衆に根ざした各宗教の活動が許される。つまり基本的にそういう国家権力の宗教統制というものが大前提となってその中で、宗教の動きというものが統制され編成されていく。そういう時代が80年間続くわけです。そして基本的にはそういうあり方というのは幕藩体制からの延長であるわけで、つまり政治権力というものに完全に従属する形で宗教というものが自分の役割を見い出していく、そういう伝統というものが江戸時代初のから数えあげれば3世紀半近く日本を支配するわけです。ですから僕が最近ときどきいうのですけれども日本の宗教者、特に宗教を説く方の立場の人ですが、布教者の方々は宗教というものの役割とかあるいは社会的な影響力とかそれからまたイデオロギーの持つ強さとか、そういうものについて意外にとらえ方が表面的になって慣らされているような感じがするのです。それはどういうことかと申しますと、たとえば政治に対する観点というものが直接自分達の信仰に根ざした一つの方向づけというものが本来宗教にあると思うのです。それぞれの段階で。ところがそういうことがないのが宗教なのだというような考え方、つまり世俗的なものとかかわりあう論理というものを持たないというのが宗教としては普通なのだ。これほ、一種の錯覚というか潜入感が江戸時代以来ずっと定着しているからだと思うのです。ですから、そういう点て日本の宗教が民衆に根ざきないいろんな理想世界を説きますが、そういう場合に極端にその政治論といいますか具体性のない理想世界をいうことになるのです。これは勿論立正安国論の段階、例えば日蓮の遺文の中では創価学会は非常にうっとりとした調子でもって折伏する時にいいます「吹く風枝を鴫らさず、雨土くれをくだかず」と。それはユートピアのイメージなのです。これはまあ自然現象をいっているわけなのでその背景にあるものほ平穏無事であって、何事も悩みのない漠然としたいい世の中なわけです。こういうような発想は、たとえば幕末の天理教でも陽気暮しということをいうのですが、結局その陽気暮しとして説かれている具体的なイメージというのは、農作物がよく穫れて実るのだとか、病や不自由や難儀がないだとか、非常に漠然としているわけです。

 だからあの丸山教のように日の出に松の実をというような理想世界を提示するわけです。実際にはどういう説明をするかというと、皆んな世の中がかわって大名になれるのだというようないい方をするのです。そこには世俗的なものに実態としてかかわっていく思想的な努力といいますかそういうものが非常に弱いし、ある場合にはそれがむしろ幻想的な世直し意識というものをささえていく一つのムードを作って来ている。これはやはり日本の宗教のもっている特に政治権力に対してがんじがらのにおさえられて非常に内容的に自主的な発展といいますか、展開の芽をおさえられて来た伝統がありまして、非常にそういう点の弱さというか欠落のようなものがあります。

 今日いわば自分たちの政治学というか政治論というものを創価学会・公明党の運動の場合には大衆福祉主義という是非はともかくとしてそういうものを作り出した。それをもっているわけですね。それに対して一般の宗教界の指導層の方々は、かれらがそういう独自のものをもったということの、その意義が本当に理解出来ていないのじゃないかそういう感じを持つわけです。ですから宗教と政治との分離、それは明らかに民主社会の原則として尊重されるわけですけれども、そのことが政治からの遮断ではないと思うのです。つまり信仰に立った主体的な立場での、もっとも正しい関わり方それをどう見つけていくか、それが本当の意味での宗教の自主独立なのだと思うのです。それなしにきたということに非常に大きな歴史的な負債があるわけです。それをまあこの段階にきて、やほり靖国神社問題を一つ例にとって見ても、宗教者が自覚する必要がはっきりあるというふうに思います。


【中濃】 靖国神社問題というのが出されましたけれどもたしかに靖国神社国営化をめぐってわれわれが日蓮教団だけでなしに既成教団を含のて、信仰を再認識しなければいけないのじゃないか、もう一度自分の持っている信仰の深さを問われる段階にきたと思います。といいますのは、今日部長さんお見えになっているのでいい機会だと思うのですが、たとえば靖国神社問題がおこってから長崎・三重あたりでは、そこの地区の遺族会の会長などが靖国神社問題についてお宅の教団は反対している。――東西本願寺、わが教団も含めてやられたらしいのですが――反対しているけれどもわれわれは要するに本願寺の信徒であり檀徒である、日蓮宗の信徒であり檀徒である。決して靖国神社の国営とそれぞれの信仰的立場ほ矛盾したものと考えない。

 これに反対する理由はないと。ですからその地区の住職個人が教団は反対しているけれども、でも檀家に賛意を表したお寺さんがあるということです。これには檀家を離檀するとか、総代をやっていれば、やめるとかいうことがありますから、その地区のお寺にして見れば切実な問題であつて教団がおおらかな気持で考えているようなものではないという現実が僕はあると思うのです。それはわれわれとしてもその立場になって考えなければいけないと思いますけれども、やはりそこまでくるともう信仰を問われてきているような感じです。ですからこの時点ではやはりもう一度立正安国論を読み直し観心本尊抄を読み直さなければならない現実的な条件の中におかれているという気がするのです。ですからそういう意味で創価学会はどうかというとこれはもう少し先生方にお伺いしたいのですが、おそらくかれらはまだすっきりした線を出しておらない。これは僕は奇妙だと思うのです。あの教学といいましょうか、論理からいって邪教の神道の神社に国が毎年二億円を出す、ということについて、何ら今言しないということは僕等が考えていた創価学会ではないという感じがするのです。ということはわれわれの教学をこの時点でもう一度深の強めていくという中にこそ本当に創価学会をわれわれが正していく、現実的にいえば対決していくという場合の重要な基本点があると思います。こういう問題をまだ一時聞ありますからもう少し深のていくと創価学会の欠陥をえぐっていくことが出来ると思います。これが本当ほ目的なのですけれども、だんだんこれをつきつのていくとわれわれの自己反省も合まれてくることになりますね。


【丸山】 お二人の先生に、いろいろ情報を僕らよりもっていると思うのでお伺いしたいのですが、創価学会が靖国神社問題に対して、態度をつまびらかにしない。現状では少なくとも大衆に向ってはっきりしていないというそれはどういう要因でそういう結論が出ているのでしょうか。


【佐木】 票にならんからでしょう。


【丸山】 一つは票の問題。


【佐木】 それと創価学会の公明党として、創価学会自体も、今のようなにくまれっこ体制ではいられないと、極力市民権を得るといいますか、論理的なのだということをしめして行きたいし、あわよくば宗教界のなかにどんどん入って実力で宗教界を指導する、そういうことを考えているじゃあないですか。その時に靖国神社の国家護持というのは国民感情らしい、だからそれに逆らうと損だというふうになってきたのじゃなかろうかと思います。靖国法案は10年ほど前からいわれていたと思うのですが、地方議会であれは決議しているところが相当あるのです。ところが公明党、あるいは当時は党はまだ出来ていなかったが、要するに創価学会の議員で、それに賛成している人がいるわけです。その方が大衆路線だと思っている。例の紀元節の時はまだはっきりしていました。これは池田氏が、その時私は池田氏にあって、どうだといったら言下に反対だとこういいました。私は反対だというのはやさしいけれども、創価学会そのものが反対しなかったら意味がないでしょう、そういったわけです。そうしたら、そのせいかどうか、翌月の幹部会ではっきりそれを言明した。その時に菅原通済氏があわててとんで行ったのです。そして創価学会は紀元節復活は反対だというがそれは困るといった時に、初代会長が獄死させられたような、それにつながる国家神道的なものにどうしてわれわれが賛成出来るかと非常に立派なことをいったわけです。ところが今度は、それがあいまいになってしまったということはだいぶ世間にも合せていくという体質に変ってきたのではないかという感じを受けるのです。私は実は今中濃さんがおっしゃったように各宗が反対ということで非常に驚いたのです。なかなかこれは、仏教教団ほ靖国神社法案に反対できないのじゃないかと思っていたのですが、ごく1部の方だけが反対で教団としては反対出来ないのじゃないかと思っていたのが、意外に各宗がそろって反対した。これには非常に力ずけられもして喜んだのです。われわれ宗教学者は、勿論反対していますからね。喜ぶと同時に今中濃さんのいわれたような一つの歴史的な事件がおこっている。靖国神社問題を契機として教団の民主化という問題例えばキリスト教自体、キリスト教は非常に反対だといっているけれども、各教会に行きますと牧師さんがためらっちゃって、問題にしないというところが多かったのです。2年位前まで。それが今ではどの教会でも普通になってきた。要するにパイプがあいてきたわけです。そこへ向うからは今お寺に対して呼びかけがされてきている、だから教団本部が宗議会で反対しただけではおさまらなくて、教団全体としてどうするかという問題、信仰という立場でどうするのだということを問われてきている。これは試練であるといえましょう。遺族会などの遺族大衆の考え方、これは平和を望むことでしょう。それを右翼的な一部の幹部がやっているのでしょうけれども、そういうことをやるのは自信のない証拠でもあるし、これは決して勝利は得られないと思います。

 靖国国営化、国家神道復活、政教合体のような行き方には反対なのだということを、一人一人の坊さんのもの、一人一人の信者のものにしていく努力が今あれば、創価学会の方が後退して、変な妥協が出てきているその時に、眠りこんでいるといわれていた既成教団といいますか、寺院仏教の方が正しいところをつかまえてきたことになります。これは大衆全体の動きでもあると思うのです。その中で教団の民主化も行なわれるし、教義の純粋化も行なわれる。

 そういう絶好の機会だと思いますし、戦後の現代宗教史の中でも画期的な出来事が今起っているような気がするのです。これにどうとり組むかということが非常に重要だと思います。創価学会では小平さんが特別委員長になっておりますけれども、非常にはっきりしないのです。これは再々いろんな形で聞いていますが、正木などという議員に会っていったら、これはもう宗教の立場からいったら、絶対反対です、などといってました。それは当然のいい方なのです。ところがそれがどうも創価学会や公明党自体のものになってこない。だからやはり本音は、国立戒壇を建てようと思っているからその時に靖国反対をしておいてはまづい。だから反対しないのだといってやるうかと思ったのです。本当はそうでないかも知れないけれど刺激を与える意味で。創価学会・公明党の態度は全くおかしいですよ。


【中濃】 村上さんは何か聞いておりますか。


【村上】 たしかに創価学会・公明党の靖国問題に対する態度というものは、非常におざなりですね。公明新聞に、1、2度反対談話を出したくらいで、全然大衆化する意志もないし、動きもないわけです。今小平委員長の話が出ましたが、小平さんは戸田城聖時代のイデオローグであるわけですけれども、中外日報の談話記事に従うと靖国神社問題は私はどちらでも良いと思っているが、というようなことをやっぱりいっているのです。その後取り消しもないところを見ると、多分それほど重大なことではないと思っているのでしょうね。そういう考え方の問題をずうっとたどっていきますと、直接の動機は今いわれたように、やはり票の問題が大きいと思います。つまり王仏冥合でなくて王主仏従だということがここ数年いわれているわけですけれど、政治上の必要性が勝っている今それに集中せよという姿勢です。そういう点から遺族感情をもった人達の票をちらすまいというところがあるといえますし、その基礎には創価学会の教義上の立場から実は靖国神社国営化問題が解決出来ていないということがあるのじゃないかと思うのです。


【中濃】 ところで今日苦しんでいる日本国民に対してどういう責任をわれわれは負うのかということをぬきにして公明党批判をやっていても、それはそれなりに象牙の塔的な意味で意味があろうけれども、それでは本当の批判にならない。現実に出てきた問題、たとえば靖国問題について信仰上の立場からどう考えるかということが明らかにされないといけない。この前の教化研究会議では安保問題が出まして、これについて総長さんからいろいろ諮問を現宗研はされているわけですが、70年安保をどう考えるか、とこれは教団として明確な方向が出せるかどうかは問題があるとしても、教団を構成しているそれぞれの寺院住職が、ある程度の考え方をそこでもてないというのではどうしようもないでしょうね。それで公明党批判をやっていても、どうにもならないという一面があります。


【茂田井】 こちらの自覚が問題ですね。


【丸山】 ただいま、靖国問題はやや宗教問題だから割合いにとっつきやすいようですけれども、安保問題、その他の社会問題はやはりその問題を主体化していくというか、自覚化していくというか、その信仰の方ですが、接合する信仰の方がきわのて不安定で、問題として社会的には明らかであっても、それを主体的に受けとのていく信仰の土台の方がやっぱり伝統教団の方は弱まっている。

 

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【中濃】 だから、さっき佐木先生の方から、社会科学をふまえてといわれましたが、僕もそうだと思うのです。と同時に僕も今度の靖国問題で考えたのですが、社会科学をふまえないと激動するわが国の現実は適確にはつかまえられないということですが、同時に僕等の場合だとそういう点をもちながらも靖国問題にぶっかった時に、もう一度ひるがえって日蓮の遺文を見直して見るということが非常に大事になって来た。そうしないと何か誰でも反対するから反対だということ、これは一点共通している国民の問題としてあるわけですが、同時にさっき信仰を深め強化して行かなければならない時期にきたというのは、そういう点だと思うのです。


【丸山】 一人の社会人なり、一人の日本人として考えるなら社会科学的問題認識だけで、ことはかたづくわけですけれども、これがもう一回宗教者なり信仰者という立場にたってその問題をとらえれば、その社会科学的な国民としての問題と、それがどういうふうに対応していくのか、ということがつながらない、おそらく教団人としてはつながりにくい現実があるだろうと思うのですよね。


【中濃】 たとえば単純な例ですけれど、靖国神社国営化反対で数寄屋橋あたりで演説をぶったりしていますと、すぐに右翼などがきて、僕等が改良服を着ていると、あの坊主どもはインチキだ、あれは共産党のまわし者だ、あいつらの着ている衣は、ついさっき貸衣裳屋から借りて来た衣だ。なんてやらかすのです。そうするとこちらもちょっと信仰的に反撥しますね。僕は、その気持は大事だと考えま
す。ただ、なんだ右翼が何かいっていらあ、じゃなくて、何をいっているんだ俺がニセ坊主だと、俺には日蓮の魂があるという形で反撥を感じますね。それがやはり大切のような気がするのです。そこらを坊さんとして、はっきりいろいろな経験をつむ中で深めていって、長崎・三重のあの問題に対決しないと、とても対決できないと思うのです。総長さんは、お聞きになっていますか。遺族会から本宗の寺院へ手紙が配られたということを。

【総長】 いやわれわれは、護法大会で各所へいくとやられるのですよ。日蓮宗は反対しているようだが、どういうわけだと。


【佐木】 なかなか大事なところですね。われわれは外部のものですが、さっき申しあげたのですけれど。立正安国論を書かれた時には日蓮聖人という人は天台の僧であったけれども、教団らしい教団もない時に、寺もありはしないそれがですね、あの安国論にいろんなことが書いてありますけれども、ともかく今の大衆の苦しみをだまって見ていられないという気持が非常にありますね。

 そのことを自分の危険をかえりみず政府に直言するという姿勢があったのです。それでは、どうしたら良いかということについては、時代の制約はありましたが、今は教団というものがあるから強いようだけれども、実は一人一人の信仰の問題になります。だから一度無理かも知れないけれども、素朴に日蓮のそういう姿勢にかえって、たとえば靖国問題は結局われわれがもっている政治体勢というものは、天皇制と違っている。議会制民主主義というものがあるわけでその立場からいえば、平和の観点からいって、どうしても靖国を国に持っていこうとしていると、これは大衆が再びまたあの苦しみにいくのではないかと、だまっちゃいられない、ということがあったと思うのです。それから信仰の自由ということも、教団の利益をまもると干渉されては、迷惑だからというのではなくて、信仰の白由を守るということは、思想文化の根本を正すことなのです。単なる教団の利益ではない。この点は、一致しているわけです。

 そういう自覚に立たれるという意味で、日蓮に帰るということがあれば、私はこれは創価学会のように、場あたりにやっているより、よほどつよいというふうに思います。


【茂田井】 いや、僕はそれを先生からお伺いして、先生のお書きになったものに「日蓮の宗教は日蓮一人でおわったのだ」とお書きになったとこがありますが、私はあれは未だに大事だ日蓮の宗教が日蓮一人でおわってしまったらどうなるのだ、そうあらしめてはいけないという気持が始終あります、先生の書かれたものにあるのです。日蓮の宗教は日蓮一人でおわってしまったということは日蓮の遺産というか、日蓮の意志をつぐものがいないとおっしゃったのか、それをつげということをおっしゃっているのだと思うのですが、安国論の大事なのはそれなのですね。あの時点で日蓮が敢然とたって、権力に対して諌暁をするというあのモラリテイですか、親鸞と、39才の日蓮とは比較にならんでしょうが、あの立った日蓮の気持をつがなければいけないと思います。


【佐木】 それはそうですね。


【中濃】 そういう意味でわれわれが今いわれたように、日蓮聖人の真意というのは、こういう点にあるのだということを明らかにし、まちがって、とらえられてはいないかを反省する必要があります。そうすることによって正法を問顕していく。論理的に実践的に開顕していく。それを色心二法じゃないけれども、体でしめしていくことがないとほんとうの、説得にならないというようなことも一点ありますね。


【茂田井】 行者ということは大事ですね。法華経の行者ということは、身体でそれを示すことですから。

【総長】 私はまあ、常に思うのだけれど、代々の宗学者によって、日蓮聖人が非常に顕揚されたところもあるけれども、まげられたところもある。それらをすっかりはなれてしまって、もっと御遺文に直参すべきじゃないかと思うのだけれども。そうしたら時代的なものも相当生れてくると思うのだがね。何としてもわれわれの読み方には一つの制約のようなものが、自然のうちについて読んでいる。


【中濃】 そう思いますね。ですから僕は、茂田井先生の立場というのが、今非常に重要になっている。望月宗学から影響を受けられたことは、そうでしょうけれども、やはり茂田井先生は直参していると思うのです。だから批判はする人もいるかも知れません。それはあっても良いと思うのです、けれども直参したものが一つ出てきたと。まただれかが直参した時に、茂田井先生ちょっとここが違うのじゃないか、というようなことが重ねられていくのではないか。その意味で大きな波紋を投げられているような気がする。だから非常に大事な立場におられるし、私たちはそれをのりこえていくかも知れません。乗りこえるなんてえらそうですがね。


 そういう心がまえで行かなければ、いけないのじゃないでしょうかね。ただ昔からの訓詰だけやっているというのでは、とても創価学会と、たちうちどころのさわぎじゃない。



【?】 おでかけの時間です。

【総長】 ああそうそう。いや申訳ないです。どうも有難とうございました。

【中濃】 ではまたいずれ、こういう時間をもちますので。


【総長】 こういうことで時間を過したいのですが、雑用ばかり多くて、……


【佐木】 まあ日蓮はずいぶん宝物がありますね。


【茂田井】 ありますね、しかしあんまり複雑でしてね、あつかいにくいです。


【中濃】 では、時間がまいりましたので、この辺で。

 

 

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