日蓮宗 現代宗教研究所

《研究ノート》  日蓮宗の本尊は、 なぜ解りにくいのか、どうしたらよいのか

 

  三原正資

 


はじめに 今年の中央教化研究会議現代教学部会のテーマは 「一般の檀信徒にとっての真の礼拝の対象は何か。 御本尊かそれともご先祖か」 であった。

井沢元彦氏は 『逆説の日本史』 (小学館) で、 日本の宗教上の永遠のテーマは怨霊信仰であり、 「怨霊を宥め鎮めること、 その前提として怨霊というものが実在し、 この世の不幸のすべての原因であること。 これが日本の宗教の根本原理であり、 仏教も儒教もキリスト教も、 この根本原理の守護神に造り変えられてしまうのだ」 (同書四二四頁) と述べているが、 仏教と先祖崇拝の関わりの深さを指摘したものといえる。

かつて創価学会は本尊を 「幸福製造器」 と表現した。 怨霊や不幸を秡う強力な 「守護神」 への願望が示されている。 立正佼成会は総戒名をまつり、 先祖供養と仏教とを巧みに結合させてきた。 日蓮宗は近世以来寺檀仏教として存続し、 今日に至っている。 そのため私たちの意識の中で先祖崇拝は大きな位置を占め、 逆に御本尊の持つ重みは空洞化している。 これでよいのであろうか。

さらに空洞化の一因として本宗の本尊論のむずかしさを指摘できる。 本稿ではむずかしいといわれる本宗の本尊論の原因を優陀那院日輝和上の 『妙宗本尊略弁』 を通して考察し、 さらに私たちの課題は何かを考えてみようと思う。

 


T どこが違うのか  各宗の本尊論と日蓮宗の本尊論を比較して

   『大法輪』 (平成五年六月号) に掲載された 「わが家の宗教 本尊と仏具」 を参考に、 各宗と本宗の本尊論を比較して、 その違いを見てみよう。 次に各宗の本尊を説述した箇所を列挙する。

 

天台宗

天台宗の本尊は、 天台宗宗憲によりますと、 「天台宗の本尊は、 久遠実成無作の本仏をもって本体とする。 諸仏は前項の本仏と一体無二であり、 諸尊はことごとくその随縁応現の身であるから、 ひとしくこれを尊信する」 と書かれています。 () これらの考え方の根拠は法華経に説かれています。

 

真言宗

弘法大師の思想の最も大切な特色は、 これまで人類が求めて発見し尊んできた価値、 それがキリスト教であれ ()、 それらすべての人間の価値の根底に、 共通の原点が必ず存在する、 と確信しているところであります。 () こうした物の見方を図示したのが 「マンダラ」 です。 真言宗では両界マンダラといって、 金剛界と胎蔵界の二枚のマンダラをまつりますが、 () 両方とも真ん中の中尊は大日如来が画かれています。 そして先述したように、 あらゆる価値の共通の原点を大日如来と見ますから、 その他の周辺の諸像は、 () 中央の大日如来の身を変えたお姿 (これを応化身といいます) ととらえるのです。 () そして大切なことは、 大日如来を中尊としたマンダラの考え方をしっかりつかんでいさえすれば、 たとえどの諸尊を仰いでも、 一向に差しつかえがない。

 

  浄土宗

そもそも本尊さまとは、 中心的な絶対に帰依し崇拝する対象の根本的な仏さまの事であり、 本師 (ほんもと、 本体、 本源の意) とか本仏 (末仏に対して諸仏を総称する根本の仏) と云われるものであります。 したがいまして供養、 礼拝の対象となる尊像であり、 中心的な絶対帰依の目標となるべきものであります。 () 浄土宗ではこの仏さまを 「阿弥陀仏」 と申しあげております。

 

浄土真宗

浄土真宗では、 本山はもとより全国各地の別院や一般寺院、 門徒 (檀家) にいたるまで、 阿弥陀仏一仏を本尊とします。 そして通常は 「南無阿弥陀仏」 の名号か、 阿弥陀仏の 「立像」 の絵像や木像を本尊として安置します。

 

臨済宗

臨済宗妙心寺派の宗綱によりますと、 本尊は次のように記されています。 その第一章の第四条に

本派は、 釈迦牟尼仏を大恩教主と仰ぎ、 嫡嫡相承の列祖を伝灯菩薩として崇敬する。 但し、 教化の方便としての本尊は、 衆生縁によるものであって一定しない。

と定められています。 () ご本尊さまを一応、 お釈迦さまとするが、 一定しないということはどういうことなのでしょうか。 それは臨済宗は、 お釈迦さまのさとりを自己の中に自覚し実感するというのが宗旨です。 よって、 お釈迦さまと同じさとりをされたならば、 阿弥陀如来も地蔵菩薩も観世音菩薩もお釈迦さまと同じ。 特に一つとは定めないことがお判りいただけたと思います。

 

曹洞宗

曹洞宗の憲法ともいうべき 「曹洞宗宗憲」 の第一章総則第四条 (本尊) の項に、 「本宗は釈迦牟尼仏を本尊とし、 高祖承陽大師及び太祖常済大師を両祖とする」 と明記してあります。 () 仏教の歴史的原点、 宗教的中心は釈迦牟尼仏であるからには、 どのような宗派であれ、 仏教であるかぎり、 釈迦仏教であるはずで、 教主釈迦牟尼仏が本尊であるとするのが、 いちばんわかりやすいとおもわれます。
 ここには、 総合的な平安仏教、 択一的な浄土仏教、 そして観心的な禅仏教の特色がよく示されている。 そして各宗いずれも 「仏」 を本尊としていることを看取できよう。

 

 では次に 「日蓮宗」 はどうだろうか。

 

日蓮宗 (この項目の執筆は石川教張師)

永遠の命をこの世にとどめ、 あらゆるものを救い導く本仏釈尊 (久遠実成の釈迦仏) と、 本仏釈尊があかし、 南無妙法蓮華経と信じ唱えて救済これなる世界を形象した大曼荼羅を一体とみなして帰依する、 これが日蓮宗の本尊です。

そして以下、 更に解説がほどこされている。 石川師の丁寧な説明にもかかわらず、 各宗の本尊論と比較した時、 私には本宗の本尊論はやはりむずかしく見えるが、 なぜであろうか。

第一に、 平安・鎌倉仏教の棹尾をかざる日蓮聖人の教学が、 それまでの諸宗の教えを開会 (総合統一) しようとされたことに因る、 構造的なものではないのか。 和上は 「今経ハ則チ然ラズ。 () 是レ教門一ナラズ、 而モ其ノ行亦タ多シ」 (『弘経要義』 三−二四六頁。 『所報』 二十五号拙稿 「弘経要義考」 参照) また 「題目ヲ以テ念仏ヲ会シ、 本尊ヲ以テ見性ヲ会シ、 戒壇ヲ以テ小律ヲ会シ、 三秘ヲ以テ三密ヲ会ス。 四宗冥ニ会ス」 (『妙宗本尊弁』 三−三七二頁。 『所報』 二十七号拙稿 「妙宗本尊弁考」 参照) 等と述べている。

この観点から前述の平安・鎌倉六宗の本尊論を探ってみよう。 天台宗の久遠本仏論、 真言宗のマンダラ、 浄土宗等の一仏帰依と念仏、 そして禅宗の観心、 これら多様な本尊観を日蓮聖人は批判しながら摂取していると思われる。 そのことは、 聖人が 『開目抄』 「天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」 (定五七八頁) と述べ、 以下奈良・平安・鎌倉時代の諸宗の本尊論を適確に批判され、 各本尊論の特色を鮮やかに示しつつ、 欠点を指摘された筆致に窺うことができる。

第二に、 諸宗が一様に 「仏」 を本尊としていることに比べて、 本宗の場合、 () ・法本尊論が本宗の本尊論を難解なものにしている。 石川師の解説も 「仏に即していえば久遠実成の釈尊、 法を前にすれば大曼荼羅が本尊となります」 と人・法両様の本尊観に論及している。 他宗にはないことである。 教研会議の席上でも、 通例、 大曼荼羅本尊論に対して必ず釈尊本尊論が対立的に論じられ、 意見はなかなか一致しない。
 ちなみに浄土真宗の場合はどうであろうか。

「真宗の本尊は阿弥陀一仏であって、 他の何ものをも本尊とはしない」 ことはその通りなんですが、 その阿弥陀仏の表わし方は一様ではありません。 すでに宗祖・親鸞聖人や蓮如上人がそうであったといわれますように、 名号を本尊とする場合も、 形像 (すなわち絵像や木像) を本尊とする場合もあるわけです (前掲 『大法輪』 )

と述べ、 続いて本尊論争に言及しているが、 真宗の場合、 名号にせよ形像にせよ阿弥陀仏である。 しかし、 本宗の場合、 本尊は法 (題目) か仏 (釈迦仏) か、 形態的には大曼荼羅か一尊四士かの論争が生じ、 本宗の教師は明確な本尊観を持ちにくいのである。

さて、 『妙宗本尊略弁』 はこの本尊混乱の原因である人・法問題を三点から分析したものである。 以下、 和上の論述を辿ってみよう。

 


     U、 三惑について


       (解りにくい日蓮宗の本尊 人・法問題を三点から論じる)


  「我宗ノ本尊、 其体仏ナリヤ法ナリヤト云コトニ迷テ、 多ハ法ヲ以テ本尊トスルカ正意ナルヘシト謂ヘリ。 其ノ迷ノ根元三アリ。 一ニ眼前ノ迷惑。 二ニ心底ノ迷惑。 三ニ学問ノ迷惑也」 (三−三七七頁) と述べ、 本尊に迷惑する (迷う) 原因を三つ列挙している。


   「眼前の迷惑」

これは大曼荼羅の中央に題目を書き、 その左右に釈迦・多宝等をつらね、 したがって木像本尊の場合も釈迦・多宝両尊の中央に題目を顕すため、 これを拝する私たちが題目すなわち法を本尊と思い誤ることである。

しかしこれは 「久遠ノ仏体」 を題目を以て表したのであって、 法がすなわち仏であるという意味でもない。 なぜ題目によって久遠本仏を表したのかと言うと、 久遠の仏は 「或説己身或説他身」 と説かれて、 その形相も定まることなく、 「名字不同年紀大小」 と説かれて、 その名号も定まっていないからである。 このため題目を久遠本仏の名号と定めて、 大曼荼羅の中央に書いてあるのである。 以下、 興味深い部分であるから引用する。

中央の題目 (本仏) と題目の脇の釈迦仏との関係はどうなのであろうか。 和上はQ&Aで問題を明らかにする。   (三八九頁以下)

 [中央の題目 (中尊) と傍辺の釈迦仏との関係]

Q 中央の題目が本仏ならば傍辺の釈迦仏は不用ではないか。

A 傍辺の釈迦仏がなければ二仏並坐の形相が成立しない。

Q それでは二人の釈迦仏が在すことになるではないか。

A その通りである。

Q 両者の違いは何か。

A 本仏と迹仏との違いである。

Q 迹仏とは迹門の教主か。

A すでに本化の四菩薩を脇士としている。 迹門の仏であろうはずがない。

Q なぜ本仏迹仏というのか。

A この本迹とは久近本迹のことではない。 体用本迹のことである。 すなわち真身と応身、 理仏と事仏の違いを区別しているのである。

Q 傍辺の釈迦仏は題目 (本仏) の脇士となるのか。

A 釈迦仏を脇士ということはできないが、 しかし中尊 (題目) に対するときは脇士と言ってよかろう。

興味深いQ&Aである。 最後のQ&Aについて更に説明を加える。



     [なぜ釈迦仏は脇士ではないのか] (三九〇頁以下)

 一、 法華経の事相を見ても、 霊鷲山の宝塔の中に中尊 (題目、 本仏) があるわけではない。 ただ釈尊が教主である。 釈尊こそ中尊と言える。 また道理から考えても釈迦・多宝の他に別に本仏の体があるわけではない。 このように別に本仏がいないのであるから、 釈迦が脇士になることもない。

二、 寿量品の本仏は釈迦に現れるのであるから、 釈迦の身相が本仏の体相であり、 寿量の本尊はただ釈迦仏である。 どうして脇士であることがあろう。

三、 釈迦は仏果であり、 この世界の教主である。 脇士とは仏に随伴する僧衆の事である。 主伴の別が無くなるではないか。

四、 釈迦は本果であり、 「行者顕本ノ規範」 「悟入ノ手本」 である本尊である。 規範や手本は脇士とならない。 五、 四菩薩は本因・本用、 釈迦は本果・本体を表している。 本果は修行者の目的である。 目的は本尊であって脇士ではない。


     [なぜ釈迦を脇士にするのか]

一、 釈迦牟尼は一応身仏の名であるから、 本仏を表す名としては不適切である。 本仏は名を持たない存在であるから、 題目を本仏の名と定めて中尊とする。 このとき、 応身の釈迦仏は多宝仏・分身仏とともに一応本仏とは別の仏界に所属するものとなり、 中尊に対して脇士となる。 報恩抄に 「宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏、 並に上行等の四菩薩脇士となるべし」 とあるのは、 この意味である。 (以下略)

二、 題目を中尊とするとき、 便宜上釈迦仏を脇士とする。

 [なぜ題目を大曼荼羅の中尊とするのか] (三九二頁)

一、 題目は所宗を表すからである。 すなわち二仏並坐は虚空会を表し、 四菩薩は本門八品の儀式を表す。 題目でなければ寿量品の法体を顕わすことができない。

二、 二仏は果を表し、 四士は因を表す。 そして題目は因果不二を表す。

三、 題目によって諸尊一体を表す。

四、 一念三千を表す。 題目は行者の一念、 諸尊は三千を表す。

五、 題目は二仏並坐のときの宝塔を表す。

六、 能観の題目と所観の本尊が同じならば、 唱題妙行が修し易い。

七、 二仏の中央に主尊があると、 信仰は純粋になり、 本尊としても整足する。

八、 十界の諸法は行者の色心であることを表すため。

九、 法界総合の相を表すため。

十、 「久遠実成釈迦仏」 等と書いて本仏を表わすよりも、 題目で表わすほうが 「深遠微密」 である。

和上は、 このように、 題目、 二仏、 四士の関係と全体像を明らかにしているが、 結局、 大曼荼羅そして題目によって本尊を表わしたために、 多くの人が 「眼前の迷惑」 を起こしたと言えよう。

しかし、 大曼荼羅だからこそ法華経の本尊を表わすことができたのである。 大曼荼羅は種々の教義を劇的に展開する虚空会の世界を一紙面上に象徴的かつ具体的に図示されたものである。 すなわち直観的に把握されたように見えて、 実は宗祖が巧妙、 入念、 緻密に虚空会の世界を織り込まれたものである (『所報』 二十七号拙稿参照) 和上も指摘しているように、 中尊の題目は虚空会の宝塔、 寿量品の本仏、 法体を象徴している。 分かりにくいが、 しかし 「経文は眼前なり」 (『新尼御前御返事』 定八六六頁) と述べられているように、 一幅のおマンダラに複雑な法華経の教えが全て表現されているのである。

また、 百二十余幅の大曼荼羅は内容・形状共にバラエティに富んでいる。 「一紙のお曼荼羅」 (中尾尭 『ご真蹟にふれる』 日蓮宗新聞社) はお守りとされたかもしれない。 あるいは信徒の集会では、 何枚も継がれた大きな大曼荼羅を前にして教義の説示、 解説がされたであろう。 例えば、 『御本尊集』 (立正安国会) 中、 第十八番目の平賀本土寺蔵の大曼荼羅は両界の大日如来を勧請して、 真言宗に対する何等かの意図を示したのである。 大曼荼羅は単なる礼拝対象ではなく、 信徒に教義を伝える情報機能を併せ持っていたと見てよかろう。

さらに、 大曼荼羅は本仏のお姿を表現されたものであるが、 観門の本尊とも言われるように、 単に対象的なものとは考えられなかった。 次に述べるようにそれは成仏という深い認識の完成を示すものと考えられたのである。 これは単に仏の姿を描いた木像や絵像とは異なる機能を持った本尊であり、 解りにくい所以である。


   「心底の迷惑」

  「心底の迷惑」 「学問の迷惑」 は、 この人・法問題を別の角度から論じたものである。 和上の観心宗学の本領が示されているのがこの 「心底の迷惑」 であり、 その本尊観の特質が最もよくあらわれている。

  「夫、 仏ハ軽ク法ハ重シト云ハ迹門諸経ノ文義也。 () 所詮人ハ軽ク法ハ重ト謂カ元品ノ無明也。 自体ノ尊重ナルコトヲ知カ本門寿量ノ旨帰也。 故ニ常不軽ハ四衆ヲ礼シテ本尊トセリ。 常不軽ノ三字ハ本門精要ノ妙旨也。 良ニ凡夫ノ情ニ随カ故ニ法ヲ貴テ人ヲ軽スルナリ。 無始ノ本仏悟達ノ聖人ハ法ヨリモ人ノ尊重ナルコトヲ通達知見スルナリ」 (三八二頁) と述べ、 和上は私たちに大きな衝撃を与える。

後に山川智応師は、 和上が本尊の名は久成釈尊、 形相は妙経の題目、 実体は行者の自体とした (『本尊略弁附録』 三−四一九頁) ことを 「千慮の一失」 (『観心本尊抄講話』) と批判した。 ここで私たちが 「法」 を超越的なもの、 神的なものと考えてみよう。 「人」 の意味が明らかになる。 また仏と人とは区別されず、 常識的な意味での本尊の超越性・神性は否定されている。 ここでは現実を重視した本覚思想が獲得した近代性 (末木文美士 『日本仏教史』 新潮社一三八頁) と、 キリスト教の宗教観の影響の強い時代に生きた山川師の宗教観とが対照的である。

この優陀那宗学の根本思想は次に示す和上の仏教観にもよく表れている。

  『一念三千論』 に言う。 「教ハ本断迷開悟ノ為、 機ハ本抜苦与楽ヲ期ス。 其ノ断迷トハ抜苦ノ為、 開悟トハ与楽ノ為而已。 然ルニ機弥ヨ利ナレハ則チ出離ヲ求ルコト弥ヨ急ナリ。 厭求急ナレハ実理弥ヨ隠ル。 故ニ時勝レハ教下ル、 機劣レハ教高シ。 良ニ厭求ハ是レ差別ノ情執、 融会ハ是レ無差ノ実理ナルニ由ル也。 () 四教展転 (通別迹本) シテ漸ク融会ス。 () 在世已ニ然リ、 滅後モ亦然リ。 正像末法小大迹本次第ニ大教ヲ弘ム。 () 乃至我宗ニ至テ展転融会ス」 (三−八八頁)

この一節に和上のユニークな仏教観がいかんなく示されている。 仏教は人が迷悟・苦楽を分別し、 迷・苦を厭い悟・楽を求めるところに成立するが、 仏教の究極の目的はこのように分別されて対立するものが実は一つであると悟ることである、 と和上は考える。 さらにこの視点から仏の教化と仏教の歴史を厭求 (差別) から融会 (無差別) へと展開するもの、 と解釈したのである。

同じように私たちの求道は自己を厭い、 超越的な神性を目指すが、 最後には 「凡夫ノ情」 を脱して凡夫の自己の当体を超越的な神性、 本来根本の尊体と悟ることが 「本門の妙旨」 「本仏の知見」 であると述べ、 自己を厭い卑下するという 「迷惑」 (迷い) を破らないかぎりは、 人本尊の妙旨を得ることは出来ないとしたのである。

私たちはこの人本尊論を、 次のような前提の下に理解すべきであろう。

第一に、 この仏・凡不二の本尊論は前述の仏教観を前提に理解すること。

第二に、 この本尊は 「凡夫の情」 を離れた者の当体に露となる本尊である。 この場合自己を 「根本ノ尊体」 と観じるのは仏智である。 菩提樹下の釈尊の体験も同じである。 私たちはそれを 「規範」 「手本」 にすべきであると、 和上は考えた。

第三に、 本尊の実体を凡夫の当体でなく、 「行者ノ自体」 としていることである。 宗祖は 『報恩抄』 「両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給ふ。 此れ即法華経の行者なり。 () 法華経の行者漢土に一人、 日本に一人、 已上二人。 釈尊を加へ奉りて已上三人なり」 (定一二一九頁) と示されている。 この行者という言葉の意味は重いのである。

このように釈尊を本尊とするといっても (和上の場合、 釈尊は本尊の名) 形相を大曼荼羅、 題目によって表した必然的な理由が見えてくる。 すなわち一般に釈尊を本尊として仰ぐ人の心情とは異なり、 和上にとって釈尊とは超越的・神的な救済者ではなく、 私たちが実現すべき道を示され、 そして成就された方であった。 釈尊は私たちの内部に在すのである。 単純な本尊観ではない。

映画 『リトル・ブッダ』 のベルトルッチ監督は、 仏教の魅力は、 その脱物質文明の精神と 「カトリックとは対照的に神も一人の人間であるとしたブッダの思想の近代性」 であると語り (「毎日新聞」 平成六年八月三十日号 「教会離れと仏教の魅力」) 仏教を非常に評価している。 しかしベルトルッチ監督の仏教評価が現代の日本仏教の実情と必ずしも一致しないように、 和上の思想が当時の仏教の実態を物語っているわけではない。 仏教は 「強大な呪術的な力」 (末木前掲書二〇九頁) 「守護神」 (井沢前掲書) として葬送や祈の場で生きていたし、 今も生きているのである。 これはこれで評価すべき点であるが、 しかし和上は本尊とは 「守護神」 ではなく、 自己の深い認識の完成を表わしたものと見たのである。 では 「常不軽ハ四衆ヲ礼シテ本尊トセリ」 とは、 どういうことなのか。 それを考えてみたい。  辺見庸氏は 『もの食う人びと』 (共同通信社) の中に、 避難民で溢れるソマリアの首都モガディシオでの一つの辛い体験を記している。

ファルヒア・アハメド・ユスフ。 十四歳だが、 三十以上に見えた。 この日誌を私が記事にまとめるころ、 ファル  ヒァはたぶんこの世にはいないかもしれない。 栄養失調。 結核。 もう食べられない。 立てない。 声も涙も出ない。  咳だけ。 枯れ枝少女だ。 凍てついた影のように微動だにしない。 たまに、 飼い猫のトイレみたいに土を入れた器に、 音もなく排泄する。 自分の排泄物と暮らしている。 こめかみに針金ほどの指を当て、 この世のありとあらゆ  る苦しみを、 他人の分まで、 一身に負うた目をして、 十四年の命がポッと消えるのを待つ。

(このように辺見氏は観察し、 そして次のように言う)

ごめんよ。 ごめんよ。 突き動かされ、 そう言うしかなかった。 拝むしかなかった。

私はこの最後の 「拝むしかなかった」 という氏の行いに、 その現場での無力であるが人として忘れてはならない在り方を見出だす。 常不軽菩薩の礼拝はこのような行為かもしれない。 誤解を恐れずに言うと、 この少女の五体に、 氏は仏陀を見たのではなかったのか。 私たちが、 今、 必要としていることはこのような体験である。 体験を通して本尊を見ることである。

ベルトルッチ監督の 「リトル・ブッダ」 の中で感銘を受けたシーンがある。

シッダールタは彼をふり向き、 老人を指差した。

  「誰でもこうなるのか」 と、 彼はきいた。

チャナはうなずいた。

  「おまえも?」

チャナはうなずいた。

  「わたしもか?」 (『リトル・ブッダ』 扶桑社)

醜い老人と若さに輝く自分は同じ人間であるという体験は何でもないと言えば何でもないものであろう。 しかしこの体験が深まるところに、 仏教は誕生したのである。
 御本尊を拝する私たちに必要なものは何か。 「心底の迷惑」 を破り 「十界ノ凡夫ヲ開スルニ即久遠ノ本仏ナルコトヲ表ス大曼荼羅ノ法門」 (三八八頁) とは何か。 私たちは普段戦争と飢餓を他人事のように考えている。 決して自分のこととは思わない。 しかし戦争と飢餓の中で苦しむ人びとも私たちも同じいのちを生きているのである。 彼等の流す血と涙は、 み仏の血、 み仏の涙である、 と御本尊に示されていないだろうか。

 

  「学問の迷惑」

学問の迷惑とは、 和上によれば、 法師品・神力品の経文と 『本尊問答鈔』 の聖人の説示を正しく理解しないで、 法を本尊とすることである。 しかし詳しく調べると、 法師品 (在在処処……皆応起七宝塔……) ・神力品 (皆応起塔供養所以者何……) ともに、 法を供養するように見えて、 その意は如来の法身すなわち如来を供養する仏本尊であると、 和上は述べている。 以下、 法師品の解釈である。

  「文意ハ七宝ノ塔ヲ起テ法華経ヲ供養スヘシ、 仏舎利ヲ安置スルコトヲ須ヒズトナリ。 然ルニ直ニ次ノ文ニ其ノ所以ヲ釈シテ云ク、 所以ハ何ン、 此ノ中已ニ如来ノ全身有ス。 文意ハ応身砕身ノ舎利ヲ用ヒズ。 其ノ所以ハ法華経ノ中ニ法身全身ノ舎利コレ有ル故也ト云コトナリ。 法華経所詮ノ理ハ法身也。 経文ハ法身ノ舎利也」 (三八五頁) と、 会通している。

しかし問題は 『本尊問答鈔』 であるという。 本書は浄顕房が本尊の授与を請い、 本尊に対する疑問を呈したのに対し、 宗祖は本尊を顕わされ、 本書を送って疑問に答えたものである。 本書は 『開目抄』 『本尊抄』 『報恩抄』 に説示される人本尊と異なるところから、 古来論議を呼び法本尊の論拠とされてきた。 さらにこの点から本書の成立を疑う向きもあるが、 日興・日源の写本が在るから疑うべきではないとされている (『日蓮聖人遺文辞典』) それゆえ本書の内容を会通しなければ本尊に迷う、 と和上は述べている。

さて、 その会通をまとめてみると次のようになる。

 

1、 『本尊問答鈔』 の冒頭、 「問て云く、 末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。 答て云く、 法華経の題目を以て本尊とすべし」 (定一五七三頁) と示されて、 宗祖は題目を本尊とされているので、 その本意は 「全ク本門ノ本尊」 であるが。 しかし引証は法師品、 涅槃経、 天台大師の著述を用いているので、 「随他意語・未顕真実ノ趣」 と見なければならない。

 2、 対告衆の浄顕房は 「真言ノ学者」 であるため、 天台法華の立場から真言宗等の本尊を論破したのである。 すなわち権実相対の立場から本書は顕わされているため、 あらわに本門の本尊を示されていない。

 3、 本書に 「此御本尊は () 此御本尊の御前にして…… (定一五八六頁) と示され、 大曼荼羅を授与されていることは明らかである。 それにも拘らず法本尊を示されたのは諸宗は皆仏を本尊としているため、 法本尊を   立てることによって論破しやすいからである。

4、 「本仏ナル事ヲ明シ給ハザル事ハ」、 浄顕房の 「当機未熟」 (三八七頁) のためである。

 5、 開・本両抄及びすでに清澄山に送られた 『報恩抄』 の明文をもって本書の内容を照らすべきである。

 6、 本書は、 応身仏・迹仏に対して、 法を示されたのである。 伊豆感得の釈迦仏等はすべて本仏、 題目等を本尊とするのは題目を以て本仏を表されたと見るべきである。 決して人・法二種の本尊があるわけではない。

さて、 本質的には二種の本尊があるわけではないが、 聖人の表現に法・仏両様あることは事実である。 これをどの様に考えるのか。 ここで忘れてはならないことは、 聖人の表現は既に指摘されているように法華経の立場から他宗を破折するという宗教的実践から生まれているということである。

  『本尊問答鈔』 は諸宗の仏本尊や真言宗の仏像開眼への批判に満ち、 全編折伏の気に溢れた著述である。 権実相対という実践的次元における法本尊論の意義を、 私は再認識すべきであると思う。 和上も 「佐前ノ化導、 教相ヲ専ト為ス。 佐後ノ弘通、 観心ヲ主ト為ス。 () 説者当ニ知ルヘシ、 他門ヲ以テ機縁ト為サハ則チ宜シク教相ヲ以テ先ト為スヘシ。 自家ヲ以テ対告ト為サハ則チ宜シク観心ヲ以テ主トスヘシ」 (『弘教要義』 三−六頁 所報二十五号拙稿参照) と指摘している。 近世寺檀制度成立以来、 教団は教化を忘れてきたと批判されている。 教化を忘れて、 御本尊を教団内部の論理だけで論じていていいものであろうか。 他門を機縁とする実践的次元で本尊を考える時であろう。

本稿の初めに各宗の本尊論を引用したが、 各宗すべて仏本尊論である。 教化上、 本宗がその中で仏本尊論を展開した場合、 違い目ははっきりしないだろう。 例えば商品を売る場合を考えてみよう。 明確に勝れた特徴を持つ商品でないと爆発的な売れ行きは期待できない。 宗祖が 『本尊問答鈔』 で法本尊を主張された理由の一端ではなかろうか。 『兄弟鈔』 等も同様である。 法本尊論は他教・他宗に対しては説得力のある鮮明な論旨を持っている。

このように本宗の本尊は、 本来は状況に応じて柔軟に説かれる一面があったのではなかろうか。 状況を無視していたずらに唯一つの形態に固執することは教団の沈滞を招くものであろう。 しかしこれは 「宗定本尊」 を否定するものではない。 教団としての本尊を定めた上で柔軟に対処していきたいものである。

 


     V、 本尊論の未来


 これまでの考察を通して私たちに与えられている課題は何であろうか。

 

私たちは大曼荼羅を説明できるだろうか

今年の中央教化研究会議中法話シミュレーションの時のこと。 一般参加者のある主婦から 「お題目の意味は何ですか、 一言で説明して下さい」 という質問があり、 解答者が困るという場面があった。 「意味が解らなくても唱えなさい」 では現代人は納得しない。 現状では、 御本尊は仏壇のアクセサリーと化し、 またお守りのようにただ有難いものとなっている。 しかしブラックボックスのままでは日蓮宗はわが国の先祖崇拝という風俗の中に埋没していくであろう。

 聖人御在世の状況は、 どうだったのであろうか。 沼津市光長寺所蔵のご真蹟大曼荼羅は二十八枚継ぎで縦二四三・九センチ横一二四・九センチという大きなものである (中尾尭 『ご真蹟にふれる』) 大曼荼羅の前で、 絵解きのようにその意味が物語られたのではなかろうか。 『新尼御前御返事』 (定八六六頁) 『日女御前御返事』 (定一三七四頁) の本尊を説明する文体から、 私は大曼荼羅の前で弟子の方々が檀信徒に向かって声高らかにその意義を唱導する光景を想像することができる。

また法華経読誦が日常の習慣であった弟子たちは宝塔品から嘱累品に至る説相・内容に通暁し、 聖人も 「経文は眼前なり」 (定八六六頁) と述べられていることから、 ごく自然に大曼荼羅の意味を理解していたと思われる (以前予備知識なしに通読したところ、 マンダラの題目が宝塔、 本仏、 要法を象徴していることを実感できた経験がある)  聖人は、 意味が解らなくても唱題の功徳があることを教えられているが、 まさかこれ程意味の理解と無関係に儀式が行われ続けられるとは想像されなかったのではあるまいか。 私は読経・唱題の別の意味での意義はあると思っている。 映画 「リトル・ブッダ」 のサウンド・トラック (作曲 坂本龍一) に取入れられたチベット僧の読経の効果の素晴らしさによって改めて再認識したほどである。 しかしこれからも意味の解らないものを読むことが信仰生活の中心にブラックボックスのように存在し続けるかぎり、 教えの論理的把握と行動は生まれず、 本宗の発展は望めないであろう。

これらのことから、 大曼荼羅は分からないが有難いものという考えから、 それは聖人が教えのエッセンスを分かり易く示されたものであるとの方向へ発想の転換を行う必要がある。

湯川秀樹博士に 「眼の夏休み」 というエッセイ (「毎日新聞」 平成六年八月二十九日号 「健康談義」 所載) がある。

椅子に腰をかけて眼を閉じていると、 いつまでたっても考えがまとまらない。 これは一体どうしたことか。 我々の心の働きは外界と独立に営まれているものではない。 常に外界からの刺激に触発されて初めてはつらつたる活動を続け得るのである。 ……眼を閉じれば残るのは虚しい心ばかりである。 多くのすぐれた人々の思想、 それが活字となって書物の中に残され、 人々の心の糧となる。

突然視力を失った博士は、 最後に 「心眼は開けなかった」 と結んでいる。 このエッセイは本尊理解の必要性を端的に明かしているではないか。


  教えを魅力的、 説得的にパッケージしているか

商品の中味を規定するものはラベルのネーミングやイメージ、 パッケージである。

映画 「四十七人の刺客」 が封切られた。 歌舞伎で忠臣蔵は独参湯 (気つけ薬) といわれ、 不入りのときにこれを出せばたちまち効果があると言われてきたが、 この百年間の映画の歴史においても同じ事情であると言われている (この項は小説新潮十月臨時増刊 『別冊四十七人の刺客』 参照)

 映画のタイトルに注目したい。 それは 「義士」 「浪士」 そして今回の 「刺客」 へと変化してきている。 同じ素材であっても時代に応じて理解や表現がまったく違うのである。 私にしても義士や浪士では全く劇場へ足を運ぼうとは思わないであろう。 「四十七人の刺客」 というネーミングが私を引き付ける。 それはこれまでとまったく違う忠臣蔵の存在を予感させる。

浄土真宗本願寺派が蓮如五百遠忌に向けて異例のキャンペーンを始めたことが話題を呼んでいる (「毎日新聞」 平成六年十月二日号) 蓮如をイノベーター (変革者) としてとらえ、、 ポスターも宇宙を連想させるコンピューターグラフィクスを使い、 「有難みがない」 「敬語を使わないとは不謹慎」 等の反発もあることを記事は伝えている。 しかしこのことによって真宗が新しい蓮如像を造形し、 教団としての新しい動きを試みようとしていることが伝わってくるのである。 少なくとも教団に対する興味を喚起させることは確かである。 同じように、 本宗がお題目や本尊の意義を社会に伝えていく場合、 本尊の実体論とともにその表現や形態が大切であることを認識すべきである。

本尊の形態の原点は大曼荼羅であり、 そして現存の各形態は種々の状況に対応して作成された歴史的産物であろう。 各形態の一長一短について、 和上は 『本尊弁』 (『所報』 二十八号拙稿参照) 『略弁附録』 等に述べている。 原則として宗定本尊を定め、 教化上の必要に応じて形態は柔軟に変化して対応すればよいのではなかろうか。 現在、 身延の一塔両尊四士、 池上・石橋講堂の一尊四士 (和上は四菩薩を脇士として、 中尊を題目とすることは、 形がよくないので中尊を釈尊像とすると見た 『略弁附録追加』) 等の種々の形態が存在するが、 大事なことはその形態がよく本尊の意義を表現し、 また説得力を持っているか、 どうか、 ではなかろうか。

忠臣蔵が大きな魅力を秘めていたとしても、 現在では義士や浪士というネーミングではその魅力を引き出せない。 どうしても刺客でなければならないのである。 では本尊についてはどうか。 現代の人々に本尊の意義を最もよく伝えるために、 私たちはそれをどのように理解し、 表現し、 どのような形態で示していくのか、 を考えるべきだ。 法本尊的表現が最も適切に、 あるいは効果的に内容を伝える場合もあろう。 また現在では 「久遠実成の釈尊」 という表現より、 「久遠の大生命」 「大いなる宇宙の実体」 「宇宙の原理」 「ひとつのいのち」 という言葉がより正確に本尊の内容を伝えることができるのかもしれない。 同様に、 現代の人々に本尊の意義を伝えるために本尊の新たな形態が必要でないとは断定できないであろう。 新しい試みに向かってチャレンジできる組織、 自由に理想をデザインできる教団こそ未来にはばたくことができると思うのだが……

 

新たな日蓮宗をデザインできるか

広島アジア大会選手村のリポート (「毎日新聞」 平成四年十月十六日号) が目を引いた。

 「どうしてお祈りしないのかな  日本人の宗教は何?  信仰心厚い各国選手不思議がる」 という記事である。 選手村の礼拝室には日本人の姿は見当たらず、 「肉体面はトレーニンングで、 精神面は宗教でコンディションづくりをする」 他国の選手たちは 「日本人は何を精神的支柱にして競技をするのか」 と疑問を呈しているという。

これは 「宗教大国」 日本の各教団当局者にとっては大きな問題ではなかろうか。 一体誰を教化していたのだろう。 さて、 この記事には早速反応があった。 「日本人と宗教」 と題して江本弘志氏は 「特定の宗教に入信しなくとも、 日本人は皆、 神の存在を否定しない…… (それは) 神社にまつられただれそれとか、 仏様とか、 キリストとか、 さまざまな姿、 形で私たちの前に現れることを知っているから、 日本人はあらゆる宗教に対して寛容なのである」 と述べている (「毎日新聞」 平成六年十月二十一日号) 典型的な日本人の宗教観である。 世界各地の宗教紛争を見ていると、 この宗教観は大きな将来性を持っているかもしれない。

このような状況の中で、 布教はともかく唱題行脚、 でいいのだろうか。 反応を調査したことがあるのか。 「毒鼓の縁」 とはひとりよがりでは…… また会議の席上の唱題は、 信仰を共にしない人にとっては異様で排他的な行為ではないのか…… 日蓮宗の信徒がアジア大会の礼拝室で宗教儀礼を行うことを想定したプランを考えたことがあったろうか…… 現代語の聖典は必要ないのか…… 「カッコワルイ」 ことを今の若い人がするとも思えない。 いろいろな状況に応じた適切な儀礼は必要ないのか、 どうか…… いろいろと考えたらどうだろう。

昨年日蓮正宗を離脱した創価学会は、 一転して、 「御本尊受持にまったく依存するという考え方」 から離れつつあるように見える (松戸行雄 『日蓮思想の革新 凡夫本仏論をめぐって』 論創社) 行方は定かでないが、 国際化の中で学会は変わっていくであろう。 変化の時代のなかで私たちにはこれからの日蓮宗の姿、教学においても儀礼においてもをデザインする努力が求められている。

本稿は平成六年十月二十八日、 宗務院にて開催された第四十七回日蓮宗教学研究発表大会において発表したものである。

 

 

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