折伏・座談会・友人葬

 −在家主義法華系新宗教における自己教化運動−


 中 野  毅 (創価大学文学部社会学科教授・東洋哲学研究所主任研究員)



 
はじめに


 
ご紹介にあずかりましたように、創価大学で宗教学、宗教社会学を教えている中野です。きょうは、こういう会議にお招きいただきまして、光栄に思っております。
私自身も創価学会のメンバーですが、なおかつ、宗教学をやるということは、創価学会自体をもさまざまな日本の宗教と比較しながら外側から見る立場にいるということです。ですので、きょうは両方の視点から、つまり、内部からも外部からも見えている立場を生かしながら、主として宗教学の研究者として、創価学会を在家主義法華系新宗教としてとらえて話をさせていただきます。そして特にきょうは、その運動の中心にありました「折伏」の全体の論理構造とその運動の特徴を、私なりに理解している範囲でご紹介して、この会議の何らかのお役に立てればと思っております。
 
きょうの会議のお話を承ったとき、私としては話の立て方が非常に難しいなと思いました。というのは、会議が「中央教化研究会議」で、教化という概念自体が、ある面では非常にはっきりする立場に立っている。私に要求されたことは、在家主義の立場で話せということですが、教化というのは、きょうお集まりのようなご僧侶がいらっしゃって、信徒を化導していく。中心があって、その周りにいる信者たちを導いていく、もしくは上があって下の信者を導いていくという構造が前提になっていらっしゃるのだろうと思います。
在家主義の立場の論理、特に創価学会の論理を考えてみますと、そういう構造を一応持ってはいました。きのうあたり、「いよいよ日蓮正宗から自立か」ということで、だいぶ新聞をにぎわせておりますが、一応、組織構造としましては、これまで日蓮正宗をいただいておりまして、その信徒団体という形をとっておりました。けれども、私が見ておりまして、従来から内実はほとんど関係ない形で進行していた。むしろ創価学会の内部の人たちの自負といたしましては、私たちが僧侶を支えているんだと。もっとはっきり言いますと、創価学会がなかったら日蓮正宗はこのようには存在しなかったんじゃないかという極論を言う方もおります。
 
要するに、形はそうなっていたのですが、内実はそうでもなかった。こういう問題が他にもいくつかあります。先ほど自覚、無自覚の話がありましたが、本日お話したい問題は、創価学会の運動を展開している人たち自身が、あまりはっきりと自覚していないことだと思います。つまり、自分たちの信仰の論理はどうなっているのかということですが、これは余り自覚していないわけです。そういう点で、私がこれからお話しする論理は、恐らく創価学会の人も<本当かな>と思われるのではないかと思いますが、それは私が一歩引いて宗教学の立場から眺めているからであります。


T、教化という概念の問題性


 
まず最初に問題提起し、ぜひ皆さん方にも考えていただきたいと思いますが、教化という概念自体が、ある種の一つの組織構造もしくは論理構造を前提としている概念であるということであります。
 
それはどういう構造もしくは問題性かと言いますと、僧侶中心主義に対して信徒中心主義という構造が前提となって、当然、僧侶中心の前提がそこにある。それを別な言い方で言えば、儀礼中心主義対自己納得体験主義であります。在家主義の論理は、基本的に自己納得体験主義であると思います。特に創価学会の場合はそうではないかと考えております。
そうすると、自己納得体験主義においては教化ということはあり得ないわけです。教化という言葉を使うとすれば、せいぜい自己教化ということになってくるのではないか。そういう点で、この教化研究会議に対する一つの問題提起を、まず最初にさせていただきたいと思います。


U、折伏運動に見る信仰の論理−創価学会の場合


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本尊信仰=大聖人信仰本尊=本仏日蓮への直結の信心

 この研究会議には、創価学会について詳しく研究されている方々も多くいらっしゃるのではないかと思いますが、私なりの理解から、創価学会の運動の中心であった折伏の論理がどうなっているのか、ご紹介してまいりたいと思います。
 
学会の信仰は、御本尊信仰です。特に日蓮大聖人の弟子であった日興上人に譲られたと言われております弘安二年十月十二日建立の戒壇の大御本尊、これは富士・大石寺の正本堂に掲げてあります。教学的に議論はあるようですが、その御本尊の分身散体という論理で、入信するときに小さな曼荼羅をいただいて各家庭の仏壇に飾る。それを中心として、朝晩、五座三座の法華経の方便、寿量(自我偈)の読誦と唱題行として南無妙法蓮華経を唱えます。夜は三座で、初座と四座を抜かすという形になっています。それを毎日、朝夕と言っても在家ですから朝・夜に行いますが、この勤行・唱題を、修行もしくは信仰活動の中心として行います。
そういう意味で、御本尊に対する信仰、とりわけ大聖人が「魂を墨に染めなんして書き候」と説かれている戒壇の本尊に対する直結の信仰を強調している。
 
そして、この御本尊信仰と一体となっているのが日蓮大聖人は末法における本仏であるという、本仏日蓮大聖人信仰です。この本仏論というのが、日蓮正宗系の一つの特徴でもあるわけですが、それを純粋に受け継いでいるのが創価学会であろうと思われます。この立場は基本的に今も変わっておりません。破門された後も同じでありますし、これからも変わらないだろうと思います。
 
ですから、きのうの新聞で世上をにぎわせたようですが、これから会員に下付する御本尊は、二十六世の日寛上人の書かれた御本尊です。日蓮本仏論を再建されたのが日寛上人ですから、そのことを前提にしての決定だろうと思います。
 
このような本仏日蓮、戒壇本尊への直結の信仰が創価学会の宗教理念の核にあるわけです。なぜそうなったかといいますと、戸田城聖第二代会長の獄中の体験が、創価学会の戦後の発展において非常に大きな意味を持ってくるわけです。宗門が神札拝受を認め、創価学会にも拝受しろと、まさに教化しようとしましたが、それを拒否したことによって不敬罪、治安維持法違反で牧口常三郎初代会長並びに戸田城聖が投獄されます。牧口は獄死し、戸田は終戦の年の七月に保釈、出獄するわけです。戸田は獄中で題目をあげていた。ちょうど二百万遍になろうとしたときに、法華経の霊山会における二処三会の儀式が眼前に現れ、地涌の菩薩の一員として自分はそこにいたという体験をします。出獄した後も同じ体験をするらしいのですが、これは『人間革命』(池田大作著)にも出ていますので、ご関心のある方はお読みいただければと思います。
この戸田城聖の獄中の悟達には二つあると言われていまして、一つは今申したことです。もう一つは、法華経開経である無量義経の一節に何々に非ず、何々にあらずという「三十四の非」が説かれている「仏」の説明を、それは人間の生命のことなんだということで生命論を展開するわけです。この二つが獄中の悟達と言われています。後者の、仏は生命だということがわりと知られているのですが、私は、自分は霊山会にいたのだという体験のほうが非常に大事だっただろうと思います。つまり、そこで自分の信仰は本仏から直接伝授された、もしくは本仏の本眷属として、自分は末法の日本に生まれてきたのだという自覚につながっているわけです。
 
だから、そこに既に、日蓮正宗の七百年間の伝統がなくても成り立つ信仰の出発点が確立されていたといえるのです。そのきっかけとなった牧口、戸田という人物を大聖人に結びつける大きな歴史の糸を維持してきたという意味では、もちろん日蓮正宗の存在は大きかったということは言えるわけです。しかし、創価学会の信仰の論理から言うと、まず本仏直結の信仰が戸田の体験によって確立されたことが出発点になっているわけです。これは、まさに創価学会が新興宗教だと言われていた理由の一つでもあったし、日蓮正宗は、そういうことを言うのは謗法であると批判していたのですが、やはり、そこが出発点だろうと思います。


A
自己修行の形態としての「唱題行」「折伏」「座談会」
 
次に「唱題行」でありますが、会員は朝夕の勤行で法華経を読誦するということ以上に、御本尊に境地冥合する題目を多く真剣に唱題することの大切さを教えられます。そこにおいても、唱題行を通して自分の家庭の本尊との境地冥合は、戒壇の本尊すなわち本仏日蓮への直結の信心となるんだということが強調されるわけです。
 
次に「御書」です。本仏日蓮に直結するということは、本仏の精神、本仏の法を説いた目的を自分の身に当てて御書を読んでいく。つまり、日蓮大聖人が仏法を確立されたのは民衆救済のためである、全世界の民衆を法華経によって救っていくことである。その精神を自分の精神としていくということです。その教えを御書から直接学ぶ。御書というのは日蓮大聖人の遺文集です。これは独自に編纂したものです。部厚くて重たいので、最近は持って歩きませんが、昔はカバンの中には必ず入れていて、真っ黒になりボロボロになるぐらいまで読んでいました。私は親が使っていたボロボロになったのを持っています。私自身のは、まだピカピカのままで、その辺が昔の人とは違うなと思います。とにかく本当によく読んでいました。そういう意味で、大村先生の言っている仏教プロテスタンティズムの典型かなという気がします。
 
そういう論理でもって、日蓮大聖人の心を自分の心にして布教していこうというのが「折伏行」であります。論理としては日蓮大聖人が「法華折伏破権門理」とおっしゃっている。まさにそうなんだ、折伏だということで、徹底的に折伏していくという運動が起こっていったわけです。
 
そういう点から考えますと、折伏というのは、非常に広がりを持った概念だった。つまり、民衆救済ということもありますし、もう一つ創価学会の折伏の特徴は、もっと広げて広宣流布ということです。広宣流布というのは、いろんなとらえ方があるようですが、本尊を流布していく、法を流布していくということだけではなくて、日蓮大聖人が説かれた立正安国という概念の立正の部分は、ある面では本仏大聖人が本尊を建立されて終わっている、あとは安国である、その安国をいかにしていくかというところまで含めた広宣流布観です。
 
レジュメには「広宣流布=社会の変革・王仏冥合・総体革命・文化革命」と書いてあります。牧口が教育者であったし、戸田がある面で実業家であった、そして戦前、戦中、戦後の激動の中で苦悩している人々への憂えを持っていた、そういうところからくるのが社会の変革です。王仏冥合というのは信仰の論理です。政権奪取や政治改革をめざす政治思想ではありません。政治の面でも仏教の慈悲の精神を体していく政治家を輩出していく。総体革命というのは、社会や文化のさまざまな側面にわたって、この仏教によって変革していこうということであり、基本は文化革命であるという概念的な広がりを持った広宣流布観です。法を広めるとともに、その法をいかに社会に展開していくか、仏教を基盤にした新しい文明を創造していくかという広がりを持った論理として広宣流布観があったわけであります。
 
大事なことは、「個人」の本仏への「直結」の信心の強調であります。中心は会員個人です。組織はあくまで会員の信仰心を支え励ますための機能で、そういう意味で個人が強調されておりまして、個人が本仏に直結するという信心であります。
 
レジュメに『誰でもの信心』ということを書いてありますが、これはアメリカのプラグマチスト哲学者、デューイの著作で、アメリカにおける個人主義の思想と実利主義をかみ合わせた概念として common faith ということを言い、変動の激しいアメリカのような社会において大事なことは、一人一人の生活において力になる信仰だという論旨の本です。牧口にはそれに近い信仰の論理ができ上がっていたわけです。場合によると、牧口はデューイの著作はよく勉強されていましたから、そういったことを頭の中で描いて指導していたのではないかという気もいたします。
 
そういう個人の本尊・本仏への直結の信心が一つのかなめとしてあったということと、もう一つは個人の自覚に基づく信仰の選択(決定)と個人の信力・行力、つまり、仏力・法力よりも個人の信力・行力が非常に強く強調された信仰観であっただろうと思います。
 
日蓮正宗の僧侶の信仰は、仏力・法力が中心になっています。創価学会も本尊信仰が核ですから、仏力・法力が強調されているように見えますが、一念三千等々の理念が勉強されていますから、本尊というのは自分の内なる仏界を顕現させていくための一つの大事なきっかけであるというとらえ方が一方であります。ですから、基本的には信力・行力が強調された論理だっただろうと思います。そういう点から考えますと、能動的な救済観、個人の主体的信仰の強調が、信仰の中心的論理として展開されてきたと思います。
 
そのような仏教信仰を仏教学的に考えますと、法華経の「誓願の仏教」の理念を復活させたということです。仏教は大きく三つに分けられます。一つは悟りの仏教です。これは自分自身で修行して自分だけで悟っていくもので、どちらかというと小乗仏教がこれです。もう一つは救済の仏教です。阿弥陀信仰に代表される、大村先生のところもそうだと思いますが、仏がいて、それに救ってもらう。ある面で受動的と言うと叱られるかもしれませんが、仏による衆生救済が中心となっている仏教。それに対して、大乗のかなめにある法華経の特徴は誓願の仏教です。つまり、自分が今生に生まれてきたのは、菩薩としての使命を果たすためなのだということで、誓願をみずから立てて菩薩道を行じていく。この誓願の仏教が菩薩道の基本だというわけです。これは私の友人の仏教学者から教えてもらったことですが、良い理解だなと思っています。


B
体験中心主義=信仰の確証
 
個人の信力・行力の強調は、ひとりよがりになる危険性があります。ときどきそういう方がいて「私は日蓮の生まれ変わりだ」というのが出てきます。体験中心主義というのは、個人が信仰したり実践していることに対して、「おまえのやっていることは正しいぞ」と確証されることが大事です。それがないと、一生懸命やっても何かむなしくなることもあります。そこのところが創価学会の論理を見ていますと、そこに体験とか功徳というものが関連してくるわけです。これだけ一生懸命折伏し、これだけ布教すると必ず大きな体験をし、功徳が出る。そういう体験の強調、功徳の強調です。これもかなめの中心の部分であります。それを現世利益主義だと今まではよく批判されていたのですが、現世利益というのは、拝めば金が儲かるとか病気が治るという単に呪術的な意味の論理ではなくて、現世利益主義がある面では自己教化主義的な、もしくは自己修行的な信仰活動の落としどころです。これがないと自分がやっていることが正しいのかどうかわからない。また、学会の幹部から「よくやっていますね」と言われても大してうれしくないわけで、自分の中で納得の契機が要る。それが「現証」を強調する体験(功徳)主義ということであろうと思います。その意味では、信仰の「結果」すなわち「果実」を信仰しているという言い方ができるわけです。
 
整理しますと、自分自身の信仰の正しさを体験(功徳)に見ていき、ここで自分が行っている主体的な信仰、自己修行的な信仰の正当性を自己納得していく、自分自身で確認していくことができる論理になっています。
 
座談会は、週に少なくとも一回、多い場合は二回ぐらい集まって、いろいろ勉強をします。座談会の基本は体験発表です。自分はこんなに信仰して、こういうことを覚えましたということを、誇らしげに言う人もいれば、自分の個人的な問題ですから恥ずかしげに言う人も結構おります。体験発表がなぜ大事かといいますと、自分の体験を発表することによって、座談会に集まった人たちが拍手し、「よかったね」と賛同し認めてもらえる。つまり、社会学的な分析をすれば、個人の体験、個人の主体的な信仰活動を集団によって確証していく機能が座談会にあると言えるだろうと思います。今まで折伏運動の論理を述べてきましたが、運動の社会学的な構造、特徴の一つは座談会です。自分の体験をみんなで確認し讃えてもらい、そこで自己納得を強化していくという大事な機能を座談会は持っているわけです。
 
この座談会の特徴は、お寺ではなくて会員の家庭で行われるところにあります。もちろん日々の活動の拠点も家庭です。そこにいろんな大きな意味があると思います。というのは、日々の生活、近所づき合いの集約の場が家庭であります。つまり、生活の場であるとともに信仰の場になっていく。そのことの持つ意味を考えていかなければならないだろうと思います。家庭の中にみんなが集まってきて座談会を行うということは、信仰の拠点である家庭を中心とする新しい共同体がつくられてくる。そういう意味では、従来のような近隣組織、隣組といった地域共同体ではなくて、サロゲートコミュニティあるいは代替共同体というものが地域に密着した形で、そこに形成されてくるわけです。
 
もう一つは、家庭が社会生活の集約点ですから、そこに社会生活上のさまざまな問題点やニーズがあらわれてきます。家庭を活動の中心とすることによって、社会の変化や社会生活から起こってくるさまざまな問題点、疑問点、不安をぶつけ合う場になってきます。ですから、一応、座談会が終わった後、その場でお茶を飲みながら話し込む婦人部、壮年部また若い人たちがいます。早く帰宅しようという運動を起こしていますが、ほとんど守られたためしがない。私も呼ばれて行きますと、十一時ごろまでやって、くたびれて帰るわけです。座談会が終わってからのコミュニケーション、そこでいろんな問題が話し合われる。そういうことが、社会の変化に対応してさまざまな人々のニーズを吸収するとともに、双方向的、総合的なコミュニケーションができる場になっているのだろうと思います。
 
そういうところが折伏運動の社会学的な特徴だろうと思います。特に信徒が中心となっている運動だということは、社会生活を送りながらそこでの問題点を、信仰によってどう克服していくかということが常に議論され考えられている。それが大きな信仰の力になってくるのだと思います。
そのほか宗教社会学的な特徴としては、組織が縦・横の構造になっていて、社会のさまざまな流動化に対応できるメカニズムになっていたということがありますが、これは従来言われておりますので、省かせていただきたいと思います。


V、友人葬の開始と意義


 
最近創価学会では、友人葬を始めました。友人葬について東洋哲学研究所で検討しようということになり、私は、葬送儀礼とか教学の専門ではなくて、アメリカの宗教史が専門ですが、それなりに宗教学的な知識を生かして考え、『友人葬を考える』(第三文明社刊)という本を同僚とともにつくりました。
そのため、日蓮大聖人の遺文、特にお手紙の部分を改めてじっくり読ませていただいて、大聖人の心情深い精神に感動したわけですが、死んだら霊山浄土に行くんだよという感じが非常に強い。つまり、法華経の霊山会座が我々が死後に行く場だという形のお手紙が幾つもあります。それは教化していくための一つの方便かなという面もありますが、先ほど言いました戸田城聖会長の体験が出発点だとしますと、学会員が最後に使命を終えて行く場は、やっぱり霊山浄土だととらえたらどうだろうかという論理で考えたわけです。これは公式見解ではありません。私たちの勝手な教学の試みであります。
 
葬儀というのは、霊山浄土に帰る儀式をシンボリックにあらわしているものであって、大聖人の信仰からは一生成仏ですから、生前にたとえ一遍たりとも題目を唱えたならば必ず成仏するという御書がたくさんあります。それを強調しますと、生前に大聖人もしくは御本尊に向かって唱題した者は必ず成仏する。だから、葬儀は成仏を祝う儀式だと、そこまではっきり言ったほうがいいのではないか。実際、「おめでとう」という言葉も出ることがあります。きれいな顔で亡くなると、その相を見て「よかったね」という声が出てくることもありますが、そういう論理を考えていっていいのではないか。葬儀をポジティブにとらえていく考え方でいいのではないか。成仏するかしないかは生前の信心、そして葬儀は、ある面で成仏したということの祝いの儀式である、霊山に帰っていく姿をシンボリックにみんなで祝おうじゃないかという論理を考えてみたわけです。
 
これは確かに日蓮正宗とのトラブルの副産物でもありますが、僧侶がいなければ葬儀ができないということは、御書のどこにも書いていない。成仏するかしないかは生前の信心ですから、一生懸命やった人は当然成仏する。それを祝う儀式ですから、そこに僧侶が介在する余地はない。こういう運動が近年展開されました。私は動揺があるかと思って心配してもいましたが、思ったよりも動揺なく、一年半ぐらいの期間で学会員の間に定着しまして、幾つか問題はありますが、大半は順調に進んでおります。むしろ近隣の人から「今まで創価学会とはつき合いがなかったし、嫌いであったけれども、こういう友人葬をやってくれるのなら、私も創価学会に入ってもいい」という声を聞くようになりました。


おわりに
 
今までの話をまとめますと、信仰の中心の論理から葬式に至るまで、在家主義で一貫した論理がつくられたと私は考えたわけです。そういうふうに考えますと、大変恐縮ですが、基本的な信仰生活の中で僧侶の介在する余地のない論理構造がようやくでき上がった段階にいたったと思います。それを創価学会の自立だとおっしゃられれば、確かにそういう面がなくはないかなという感じはいたします。また今までの話は、大村先生のおっしゃっるプロテスタンティズムに近いなという感じがいたします。確かにそういう側面はあるだろうと思います。私の話も、主にそういう側面を強調してお話しいたしました。
 
もう一つ、中野東禅先生は宗教の住み分け、機能文化というお話をされましたが、創価学会自身もいわゆるプロテスタンティズム、内心倫理という側面だけでの宗教観では、宗教はもたないというかダメだという認識も既にあります。鎮めの宗教という側面を大村先生はおっしゃっていましたが、友人葬の問題にしても、最後に安心立命して成仏するわけです。今まで創価学会は、大村先生の言うところの「頑張リズム」の典型だったと思います。それでここまで来ましたが、世代も大きく変わってきまして、亡くなる層もふえてきまして、お葬式の問題は切実な問題になってきた。そういった部分は、今までは宗門に全部任しておいて、自覚してなかったわけですが、今回いよいよ自分たちで全体を整えなければならない状況に直面して、いろいろ考え出した。そうすると、今まで宗門に預けていて、よしとしてきた儀式の部分も、やはり考え直した方が良い点と、従来の形式でも意味のある部分もあります。友人葬も会員だけでやっていますが、中心になる人は何か違う格好をしてくれないかという話が出てきたり、いつも一緒に活動している人が葬式までやっているのは、何となく葬式が荘厳にならないとか、いろいろあります。そういう点では、煽っていくだけの運動でなくて人々の生活を豊かにしていく、家庭が単なる折伏運動の拠点だというものでなくて、家庭自体を豊かにしていくといった、もっとゆったりとした、豊かさのある運動が、恐らくこれから要求されてくるだろうと思います。そういう意味では、私も皆さん方からさまざまに学ばせていただきたいと考えております。長時間ありがとうございました。(拍手)
 
追記月刊『現代』十一月号において、本講演のレジュメの文字面のみを利用し、講演内容、意図と背反する記事が掲載されました。現宗研の許可もなく用い、又、当人に取材もなく、全く誤った事実関係に基づいた記事に対し、厳重に抗議いたします。記者諸氏におかれましては、私の意とするところを御理解いただければ幸いです。

 

 

 

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