現時における正信覚醒運動と今後の進め方


     目  次


(1)正信覚醒運動と私の認識

 はじめに

 正信覚醒運動

 王仏冥合

 近来宗門の広布観

 近来宗門の三秘観

 近来宗門の戒壇論

 正本堂

 正本堂についての三つの解釈

 日達上人の解釈

 妙信講の解釈

 創価学会の解釈

 正信覚醒運動の近因と遠因


(2)今後の進め方(血脈観に関連して)

 阿部師への相承の否定

 血脈問題

  @現宗門の血脈観

  A久保川師の血脈観

  B川村師の血脈観

  C山上師の血脈観

 血脈観の違いは法義の違い

 今後の課題

  @現実認識

  A未来意識

 規則か本義か

 終わりに



(1)正信覚醒運動と私の認識

  はじめに

 私は正信覚醒運動の成否は明治以降の近来法義の見直し如何にかかわっているとの認識を持つものである。

 今後どのように進めて行くべきかという点についても、阿部師への相承を否定したことに依って生じている法義問題を中心に据えるべきだと考えている。

 今回は良い機会であるから、今の時点での私の覚醒運動に対する認識を再確認する意味で、以上の問題について整理して考えてみたいと思う。


  正信覚醒運動

 正信覚醒運動は創価学会が日蓮正宗の教義を曲解し、誤用することに依って教団運営の主導権を握るうとし始めたことに端を発したといわれている。

 創価学会は昭和40年頃より第3代会長を御本仏日蓮大聖人の生まれ変わりだとして会内に会長本仏論を浸透させ、正本堂問題を利用して組織を肥大化させて行った。その上で、いわゆる52年路線に依って@会館の寺院化、A一部幹部の僧侶化を計り、実質的に日蓮正宗を支配しようとしたが、本尊を模刻して多数の会館に安置していたことが裏目に出て、日達上人を始め宗内の活動家僧侶と創価学会の内部より立ち上がった檀徒の総攻撃に会い、この計画は頓挫し一時中止をせざるを得なくなった。

 昭和55年8月24日の第5回全国檀徒大会におて提出された運動方針は、@池田氏の全面退陣要求、A宗教法人創価学会の日蓮正宗への被包括化、B幹部による指導方式の改革、C職業幹部の廃止、D会館・研修所・墓地等の縮小化、E公明党と創価学会との政教分離、以上の6点であるが、これらの要求はDを除いて創価学会の実質的な日蓮正宗支配を阻止する為のものであった。

 しかし、創価学会は本来は日蓮正宗の信徒団体であるから、何故にここまで暴走をしてしまったのかという原因究明の為には宗門の近来法義(本来の富士門流の伝燈法義とは異なる)の見直しなしには不可能だと考える。

 正信会の中でも悪いのは阿部師と池田氏だけで、近来宗門の法義は全く正しい、と云う人はまさかいないとは思うが、近来法義の中でも特に学会に関して問題となるのが、王仏冥合の広布観であり、各別の三秘観であり、外相中心の戒壇論である。

  王仏冥合

 先の運動方針の(6)の「公明党と創価学会との政教分離」をさせていこうという項目については、王仏冥合の広布観の見直しなしには根本的解決はあり得ないと考える。

 昭和44〜5年に言論出版妨害事件が起きて以後、創価学会と公明党の関係は政教分離を定めた憲法に違反しているとの社会的非難を浴びた。創価学会はこれをかわす為に政教分離へと方向を転換したようにみせているが、今でも本質は政教一致である。
 しかし、この政教一致の考えは明治以降の宗門の近来法義の中の王仏冥合という考えを創価学会が公明党を誕生させ、国会に議席を占めることによって具体化したものであるから、政教分離を主張する為には近来宗門の法義たる王仏冥合の考えを見直す必要がある。そしてこの王仏冥合の支柱ともなっている近来宗門の広宣流布観の見直しが必要なのである。


  近来宗門の広宜流布観

 近来宗門の広布観は寛師の「観心本尊抄文段」に説かれる要法寺日辰の2種の折伏(法体・化儀)観を寛師の説と誤解した処から始まっている。

 即ち、宗祖の時代に法体(逆縁)の折伏は終わり、今は化儀(本尊流布・順縁)の折伏の時代だと規定して、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えるまで教線を拡大し続けるという広宣流布観(順縁広布観)である。

 この広布観は富士門流の伝燈法義から見れば異流義なのであるが、創価学会はこの路線に従って教線を拡大し続け、又、当時の宗門は諸手を挙げて賛同し、協力を惜しまなかったのである。

  近来宗門の三秘観

 今述べた広布観と共に創価学会の暴走の法義上の原因の一つに近来宗門の三秘観がある。

 これは三秘を各別に見て行く考え方で、三秘総在の大法である宗旨分を軽視或は忘失し、宗教分としての扱いであった各別の三秘を前面に押し出したものである。

 即ち建長5年に本門の題目建立、弘安2年に本門の本尊建立、本門の戒壇は後世の弟子に託すというものである。

 この各別の三秘観は先の広布観と共に宗門の近来法義上の双璧ともいえるものである。

  近来宗門の戒壇論

 以上の2つの創価学会問題の法義上の原因である順縁の広布観と各別の三秘観が本来の法義の基盤たる内証・己心を喪失し外相中心の姿形を基盤に据えた近来法義というテーブルの上で語られる時、そこに必然的に浮かび上がるのが図のような戒壇論であった。
 この戒壇論が現実化したのが正本堂である。


 正本堂
 日達上人は正信覚醒運動の生みの親とされているが、上人自身も又、近来法義の信奉者であった。
そして近来宗門の法義の矛盾が現実化した形となった正本堂建立は上人登座中の最大の業績でもあった。

  
  正本堂についての三つの解釈
 正本堂建立をめぐって、近来宗門の戒壇論が正本堂を法義的にどのように会通すべきかということについて三つの解釈が出された。日達上人と妙信講と創価学会の三者である。

  日達上人の解釈
 昭和40年2月16日第1回正本堂建設委員会の席上、日達上人は正本堂について大要次のように会通した。


 @本門寺のなかに戒壇堂を設けることは間違いである。

 A大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇である。

 B戒壇の御本尊は特別な戒壇堂ではなく、本堂にご安置申し上げるべきである。

 C戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいのである。

 この日達上人の解釈は近来宗門の戒壇論より更に一歩踏み込んだ新解釈をしている。

 即ち戒壇堂は別立せず、正本堂を建立し、この堂に大御本尊を安置し、現時における戒壇であるとした。この4点である。つまりで日達上人の新解釈(戒壇に関する)は、正本堂を建立する為に成されたものである。



  妙信講の解釈

 妙信講はこの意見にまっ向から反対した。戒壇は順縁広布の暁に国立戒壇として別立すべきであるとし、正本堂は御遺命の戒壇にあらずと主張したのである。

 当然のことながらこの妙信講の解釈は先の日達上人の解釈と相容れず、後に講が解散処分を受ける事態にまで発展して行くのである。

  創価学会の解釈

 創価学会は、正本堂建立を強く推進している側であったから、建立そのものを会の手柄と捉えた。
その上で、正本堂は戒壇堂であり、その完成は広宣流布の達成に他ならないと解釈したのである。この創価学会の解釈は後に覚醒運動の火種と成って行くのである。

 今、三者の正本堂についての解釈をみて来たが、三者に共通することは近来宗門の戒壇論に依り、その土合となる順縁広布観や各別の三秘観を信奉している点である。

 ただ、違っている点は、創価学会は正本堂を広布達成の証しと捉えたかったし(図C)、妙信講は従来通りの広布の暁の国立戒壇建立を主張し(図A)。日達上人はこの両者の折衷案に依って正本堂を建立したといえそうである(図B)。


           ┏――A、広布達成の暁の国立戒壇
           ┃       (正本堂は戒壇に非ず)
   近来の広布観――┼――B、現時における事の戒壇
     (順縁)  ┃       (広布の暁には戒壇堂)
           ┗――C、正本堂は戒壇堂
                   (完成は広布達成)

   本来の広布観―――――D、己心の戒壇
     (逆縁)

  正信覚醒運動の近因と遠因
 以上のように見来たる時、正信覚醒運動の近因は第5回大会の運動方針に見られるように、創価学会の暴走にあることは勿論であるが、その本源たる遠因は明治以降の宗門の近来法義が富士門流本来の法義の立脚点である内証・己心の部分を軽視、或は忘失し、外相中心主義、中でも戒壇又はこれに類するものを建立することが広布達成の為の大目的であるかの如く錯覚した処にあったと考えるもの
である。この外相中心主義が創価学会をして、本来の内証・己心の折伏観を大きく逸脱した化儀の折伏へと走らせ、広布達成の幻想を抱かしめたのである。

 この幻想が創価学会を狂わせた。そして、広宣流布を達成したのは学会であり会長である。戒壇堂たる正本堂を建立したのも学会である。宗門は何もしないで学会を利用して金儲けのことばかりを考えている。これからはそうはいかない、として在家主導型による日蓮正宗の実質的な支配を実行しようとしたのである。

 今日生じている学会問題はその責任を池田氏や阿部師等にだけ転嫁すべきではないと考える。その本質は近来宗門の法義の矛盾が顕在化し、歯止めを持たないまま暴走し出し、遂には国政をも巻き込んで日本の未来をも危うくする程にまで育ってしまった現象であると考えている。真に反省すべきは近来宗門の法義のみを富士門流本来の法義であると信じて疑わず、これを説き続けた宗門・僧侶の側ではなかったか。

 正信覚醒運動はその遠因や学会問題の本質を考えるとき、宗門人自らが近来法義についての反省と本来の富士門流の法義を取り戻そうとする努力なしには一歩も進まないと考えるものである。



 (2)今後の進め方(血脈観に関連して)

  阿部師への相承の否定
 昭和56年1月11日、正信会は阿部日顕師への通告文に依って阿部師への相承の不存在を通告した。又、翌12日には内事部宛てに御願い書を提出した。この時点で私は信仰上の信念に従って阿部師への相承を否定した。このことは現宗門の血脈観である、万世一系型血脈観の否定に他ならないのであるから、私自身が富士門流伝燈の本来の血脈観を確認する必要に迫られていた。

 昭和55年末に久保川師が「究極の御本尊」と「世界宗教への脱皮」と題する論文を発表以来、本尊観・血脈観・成道観等をめぐって本山側と幾度かの論争があったが、この論争の渦中に在って私が発想の転換を迫られることも幾度かあり、今日に至っている。

 今、正信会の今後の進み方を考える時、この論争の中に暗示されている部分があるように思えるのである。そこで、血脈問題を例に取って考えてみたいと思う。


  血脈問題

 @現宗門の血脈観

 血脈問題に関しては今までに宗門側と正信会側合わせて4種類程の意見が提示されている。1つ目の万世一系型の血脈観である。これは周知の如く現67世の阿部師の代に至るまで信仰上も歴史的にも厳然たる事実として唯授一人の血脈相承は伝わっていると云う論旨である。今一応これを「万世一系型の血脈観」とする。

 

 A久保川師の血脈観

 2つ目は昭和56年1月号の『正信会報』に掲載された久保川師(「世界宗教への脱皮〈2〉」)の意見である。師はこの中で、
  「現在は宗祖の仏法を護るために法主の誤りを糾すべく、名利を捨てて不法に弾圧を受けながら戦っている我等大衆に血脈は流れていると確信する。今我々が此の覚醒運動を捨てるならば、その時こそこの地球上より大聖人の血脈は絶えるものと考えなければならない。」

と論述されている。勿論、師の血脈観には貫主への血脈と大衆への血脈の血脈2管説もあり、実人たる者に相承の有無に依らず、宗祖の代理者として信伏随従し、仏の如く仕えるとの相承観もあるが、今現時点で血脈はどこに存在しているかということに焦点を当てて考えれば、「覚醒運動を捨てれば、宗祖の血脈は絶える」とされているように、覚醒運動を強力に推進して行く中に、師の云う大聖人の血脈は存在していることになると思われる。これを仮に「覚醒運動型の血脈観」とする。

 後の2つは61年3・4月号の『正信会報』に掲載された山上師の所論と川村師の山上師に対する反論、そしてその後に山上師の川村師への反論の中に見られる血脈観である。

 

 B川村師の血脈観
 川村師の血脈観は『正信会報』38号に、

 「血脈相承は、唯授一人のものであって、これは宗祖以来断絶したことはないし、また断絶するはずもない。しかし、この事実は、我々の客観的歴史的な眼をもって見るべき事実ではなく、正に信仰の眼から見るべき事実であることを忘れてはならない。歴代上人に唯授一人の血脈が流れていることは信仰的眼をもってみれば歴然としているのである。歴史的事実をもって云々しなければ信ずることができないとするものではない。」と論述されている。

 川村師の論は万世一系型の唯授一人の血脈相承を只々信仰上存在するものとして見て行くあり方を示されていると思われる。これを仮に「信仰上の万世一系型の血脈観」とする。


 C山上師の血脈観

4つ目の山上師の血脈観は川村師への反論(「正信覚醒運動の本質・続」)の中に見られる。

「そういう意味では、上は貫主から下は一般信徒まで総て凡夫であり、その凡夫の信心無二に仏道修行のところに血脈法水は流れ、それを即身成仏というのである。これが本宗血脈の本義である。」(13頁)

「血脈とは凡夫の成道という一点に集約され、またその仏法を正しく守り伝えるという、自然な形の中に存するものである。」(14頁)

と論じられるもので、山上師の血脈観は「凡夫の成道」という一点に集約されていると思われる。これを仮に「凡夫の成道型の血脈観」とする。以上4つの血脈観を図示してみれば、


  @万世一系型(現宗門)―――――
                  | ――万世一系型
  B信仰上の万世一系型(川村師)―


  A覚醒運動型(久保川師)――――
                   | ――実質型
  C凡夫の成道型(山上師)――――


と云うことになると思う。しがし、ここで断っておきたいことは、私が勝手に血脈観を分類したことや分類の方法に異論が出るのは当然のこととも考えるが、これは一往の試みであって、私としてもこれにこだわるつもりはない。

 私がここで主張したいことは宗門を除いて正信会の内部だけでも既に3種類もの血脈観が提示されていると云う事実である。


  血脈観の違いは法義の違い

 つまり、血脈観が3通りに分かれれば、それに付随する本尊観・本仏観・成道観・師弟観等々もそれぞれに違って来るであるうということである。

 今、血脈観の分類を試みた意図は、正信会は果たして、これ等の法義上の意見の相違を論じ合わないままに独自の規則やルールを持って、お互いに路線の分離なく、共に同一の会の中で共存して行けるのだろうかという疑問提示なのである。

 このことに関して私自身は否と答えざるを得ないのである。


  今後の課題

 過日の全国大会は正信会の前途に大きな壁が存在していることを教えて呉れたように感じられたが、もし壁があるとすれば、今回のそれは我々の心の中にこそあるもので、決して外部に存在するものではないと思う。

 今、私なりに正信会の現実への認識と未来への意識を整理して考えてみると、


@現実認識

 ○宗創の謗法を責める
     ↓
 ○阿部師への血脈相承否定
     ↓
 ○排斥処分される
     ↓
 ○血脈観を中心とした法義論争
     ↓
 ○現実問題として寺院の確保が最重要
     ↓
 ○生活権を守る為に裁判所へ提訴
     ↓
 ○係争中は生活権は保障される
     ↓
 ○裁判に係わりそうな論争は避ける
     ↓
 ○法義論争を発表する場所の制限
     ↓
 ○法義問題への意欲・意識の低下
     ↓
 ○裁判闘争中心・寺院確保最優先
     ↓
 ○覚醒運動の倦怠化


 A未来意識 

  
 ○裁判闘争中心・寺院確保最優先
     ↓
 ○法義は個人で自由に考えるべきである
     ↓
 ○阿部師・池田氏の自然退陣
     ↓
 ○謗法責任当事者の変化
     ↓
 ○攻撃目標の不特定化
     ↓
 ○運動の目的が次第に希薄化する
     ↓
 ○各寺院の財産を最優先に守り伝えて行く運動へと自然に目的が変化して行く


と云うことになると考えている。この中で共通なことは運動の中心がいつの間にか裁判闘争へと移ってしまったことと法義(本来の)を求める意欲の喪失、意識の低下である。

  規則か法義か

 今、会内では、この現実への打開策としてルールの強化や規則の整備が検討され始めているが、これは本たる法義問題を等閑にして末である規則やこれに類するものに頼っていこうとする転倒の考えであると思う。

 私は今の段階では正信会としての規則を整備して行くことに反対なのである。もし、法人取得の必要性が生じた場合には、単立寺院のグループとしての協力体制を取れば良いのではないだろうか。

 正信会という名称も「正しく信仰を見る、正しく公正に正邪を判断する。僧道とは何かの原点を考える」等の意味において発足した会であるから、何よりも大切なことは本来あるべき富士の伝燈法義を求め、本来の僧道とは何かを考えていくことではないだろうか。

 正信会の未来は決して増え続けるルールや今後整備して行こうとする規則の中にあるのではなく、伝燈法義を晴天白日の下に求め抜く中にこそあると考えるのである。

 そして、富士門流の本来の法義を各々が確認出来た時こそが、この運動の真の完結点ではないかと考えるものである。


  終わりに

 私は正信覚醒運動を成功に導く為には、思想基盤の確認を第一義とすることは最も現実に即した行き方だと思うのである。

 我々が宗祖の唱導する思想に共鳴して行こうとするなら、いわずもがなのことだと考えているのである。

 規則よりも法義だと強く訴えたい。そして覚醒運動もやはり、姿形ではなく内証・己心の上で捉えてこそ、その本領も発揮されて行くであろうと思考するものである。


(昭和63年7月)

新里望道

 

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