発刊に寄せて

 

 私どもが待ちに待った古伝「大石寺法門」が、一冊の本として遂に世に出ることになりました。感無量であります。本書は、川澄勲先生がその半生をかはて、大石寺の古文書を解明された成果であり、集大成でもあります。

 戦後、川澄先生は東大をはじめ各大学からの要請を受けて、古文書解読の仕事に打ち込んでおられましたが、昭和35年、時の法主日達上人の招聘によって日蓮正宗総本山大石寺にこもられることになりました。以降10数年にわたり、大石寺に古くから伝わっている法門書の研究解読に精魂を傾はられました。その間、「真訓両読、妙法蓮華経並開結」 「昭和新定、日蓮大聖人御書」 「富士年表」などの編さん執筆にも力を尽くされました。中でも中興の祖といわれる江戸時代の第26世日寛上人が著された「六巻抄」については難解極まるため、その真意が今日まで理解されることなく軽視されてきましたが、川澄先生はこれを漢文のまま全文暗記するほどに読み込まれ、江戸中期以降はじめて「六巻抄」の解読に成功されたのです。

 これらの膨大なる研鑽の結果、先生は現在の大石寺の在り様が本来の日蓮仏法とは真反対に出ていると看破されるようになりました。そして日蓮が説いたものは宗教そのものではなく、信不信の枠を超えた仏法という思想であり、それは人間と人間を真の「信頼」でつなぐ大思想であり、したがって信仰や信心にのみ結びつける今日の大石寺のやり方は、日蓮の真意に大きく反していると、その誤りを宗門の高僧達に正されたのですが、当時の大石寺は創価学会とともに教勢拡大の真只中にあって、とても川澄先生の進言を受け入れる状況にはなく、かえって先生の存在を排斥する動きとなって現れたのです。

 これを機に山を下りられた先生は、もはや日蓮の思想は一宗門、一宗教団体の次元で云々するような宗教ではなく、人類共有の偉大なる思想として、後世にこれを残すことが重要な使命であると固く決意されたのです。俗世の評価など全く眼中にされず、ご自分の目が見え手が動く限り、この法門の真髄を書き残そうと昼夜を分かたず執筆活動に入られたのです。これに対して宗門内外より様々な妨害や中傷も為されましたが、先生は全く意に介されることもなく、今日まで信念を貫いてこられました。

 思い起こしますに今から10数年前、真の仏法を求めて川澄先生の家の門を叩かれたのが北九州市の故木下晴夫氏でありました。それ以降次々と門下生が訪れるようになりました。木下氏等の要請に応じられた先生は、その都度筆のおもむくままに「大石寺法門」と銘うった冊子を一巻ずつ書き綴ってこられ、この10年間で都合6巻を重ねることとなりました。その内容の深さと重要さからいって、ぜひ広く世に問うべく集大成したものを出版したいと門下一同願っておりましたが、なかなか実現に至りませんでした。このたび福田壹卍氏のご協力によってオレンジ出版社より出版していただけることとなり、遂に「大石寺法門」が日の目をみることと相成った次第です。願主として誠に有り難くまた無上の喜びであります。願わくは、本書が宗門内外は申すに及はず、広く世の人々の人生の糧となり、生きる指針となれは誠に幸甚の極みであります。

 最後に、川澄先生のご健康とご長寿を心よりお祈り申し上げますとともに、本書の編集作業を一手に担ってくださった松沢町子氏、推進役を務めてくれた大石寺法門研究会の高橋与三郎氏と松元頼璽氏に心より感謝の意を表するものであります。

 

大石寺法門研究会

代表 鈴木 光明

 

 

 


 

 

 

 滅後末法の衆生は今、どのような世を迎えて、どのようにして成道を遂げ、安穏な日々を迎えることが出来るのであろうか。

 菩薩も今となっては、衆生を手当たり次第に地獄に追いおとしているのみである。宗門ではそれを双手を上げて待っているのではないかと思われる程である。

 宗祖はその日のために霊山浄土を考えて、そこに残されているのが「師弟子の法門」なのではなかろうか。仏・菩薩はなくとも、持って生まれた「因果倶時不思議の一法」があれぱ、師と共に成道できる場が霊山浄土となるのである。

 今の宗門では、師弟因果の法門については一向に理解していないように思われる。

 二祖日興上人の佐渡の法華講衆に与えられた御消息を信頼することもなく、「白蓮」と書き入れられたものも疑書と判じて、これを消し去ろうとしているようである。堀上人も本因妙抄、百六箇抄については、すでに3本線をもって切り捨てられているようである。

 それでは弟子の救われる道は封じられたも同然であって、衆生は地獄に落とされ、成道ということはできなくなる。

 一体、宗祖二祖のねらいの法門とは何であったのであろうか。この「大石寺法門」の中から、その行く手を求められたいと思う。二祖が『この師弟子の法門』と受けとめられた法門こそ、宗門を代表するようなものになるのではなかろうか。

 もっともっと掘り下げて、考え直してもらいたいものである。

 悪口の縁に索かれて「大石寺法門」を書き出してから10年、仏法の創始者としての日蓮像というよりも、思想家、日蓮につなげられる処へ目標をおいて綴ってきたつもりである。仏法も、思想も、見る場所による相違のように思われるが、結局同じものではないかと思う。未整理のまま、筆の赴くままに載せたので、重複するような読みづらい点などもあるかもしれないが、ご容赦願いたいと思う。

 将来研究家が出て、一行半句でも取り上げられることでもあれば光栄である。

 今回、大石寺法門の数巻をまとめて刊行することになったので、ここに序文を草することにして「法門研」の活躍を期したいものである。

 

平成7年11月

川 澄 勲

 

 

 


 

 

発刊に寄せて

 

 

 

〈第1編〉仏法について

開目抄

開目抄の忠孝

仏法の戒 

戒定恵

仏法と世直し思想

 

 

〈第2編〉本尊について

本尊抄(欲聞具足道等文)

本尊抄(釈迦・多宝十方諸仏等文)

本尊抄の末文

本尊七ヶ相承

明星直見の本尊

本尊の遥拝と直拝

楠板の本尊

戒壇の本尊

 

 

〈第3編〉本仏について

本仏

末法の本仏日蓮大聖人

本仏の寿命

本仏の振舞

日蓮本仏論雑考

 

 

〈第4編〉仏法の読み方

御書選択の重要性

儒内外

逆次の読み

本時 

神天上法門

下種仏法

一言摂尽の題目

口唱の題目

五百塵点の当初

久遠元初

法前仏後

謗法

悪人成仏 

熱原の愚痴の者共 

以信代恵

一閻浮提総与

久成の定恵

不開門

丑寅勤行

客殿(1)

客殿(2)

客殿の奥深く安置の本尊

御影堂

鏡像円融

鬼門

大杉山有明寺

末寺

本因修行

末法の行者 

末法万年の化導 

巧於難問答

三祖一体 

塔婆供養

宇宙の大霊

高山樗牛のこと

 

 

〈第5編〉大石寺法門の思想

己心の一念三千法門 

事行の法門(山法山規)

信の一字と師弟子の法門

己心の法門

己心と心

広宣流布 

法流布 

国と平和

六巻抄の読み方(韓国への返言)

六巻抄

 

 

注;本文中の青の小文字は「木下本」の記載分です。


 

 

〈第1編〉仏法について

 

開目抄

 

 「外典を仏法の初門となす」、「内典わたらば戒定恵を知り易からしめんがため」とは開目抄の文であり、孔子の話になっているが、鎌倉の時は外典も内典も既に渡っているのであるから、これは譬喩である。実際には内典特に法華経を外典に摂入し、既に世法として世間に流布している孔孟や老荘の思想から戒定恵を取り出したのが開目抄であった。そして戒定恵を確認した処に始めて仏法が成じた。ここに仏法の時が出来たのである。最後に「仏法は時に依るべし」と結ばれていたものは、撰時抄では冒頭に置かれて、仏法の時を明されている。この時は開目抄に必要な時であるが今は殆ど時が無視されたために、仏法に止まることがむづかしくなっているようである。

 その代理として悪口雑言が登場したのであったが、結果は仏法の時を乗り越えることは出来なかった。そのために後退の止むなきに至った。水島優秀論文も時の障壁にはね返されたようである。仏法の語は使っていても天台迹門に落ち付かざるを得なかった。己心を邪義というのも、結局は戒定恵の三学が仏法として確認されなかったためである。凡そ戒定恵のない仏法など始めから考えないほうがよい。宗門にも仏法の語は盛んに使われているが、肝心の戒定恵不在の仏法であるために、本仏も本尊も迹仏世界から脱し切れないように見える。それは水島論文が観心の依拠を天台学に依存しきったことでもわかる。或る時は本仏世界に或る時は迹仏世界に、常に仏法と仏教の間を往返しているような、不安定な状態に置かれていることは、仏法の時が確認されていないために起っているのである。己心が邪義と思えるのは時が安定していない何よりの証拠である。ここ数年特にそれが目立って来た。

 開目とは伝教の「三学倶伝名曰妙法」を確認した処から始まっているのではなかろうか。これによって仏法の時が確認されたのである。即ちこれ以前は仏教の時によっていたので、これを「仏の爾前教のごとく思し召せ」といわれている。これは時についていわれているのである。仏法の開目をされた開目抄を、仏教をもって解明することは恐らくは出来ないであろう。また、三学を離れた三秘をもって解明することも同様である。

 そのために最近は何となく疎遠になっているように見える。十大部を通しているのは戒定恵の三学のようであるが、それだけ宗教色が稀薄である。その点、思想として見た方がよいように思われる。つまり一宗建立以前の色彩が濃い処がある。これは戒定恵が一筋通っているためであろう。優秀論文が三ケ年を出ることもなく自滅したのも戒定恵の威力に屈したのである。

 開目抄の根本になっているのが戒定恵の三学であり、これが開けば成道とも本尊とも本仏ともなるのである。本仏は開目抄から、本尊は本尊抄から、成道は取要抄から出るし、これが序でのように戒定恵となっており、本尊抄も取要抄も、撰時抄や報恩抄もまた開目抄に内在しているのである。それ程の規模を具えているのが開目抄であるが、現状はあまり大き過ぎて反って手が付けられないというのが実状ではなかろうか。6ケ年を振り反って見ても使えないのか、使いこなす力がなかったためか、全く疎外されていたようである。尤もこれらの御書を、三秘をもって解明することは出来る筈もない。それ程の厳しさを持っているのである。反撃するなら、今度は開目抄をもってやってもらいたい。これなら即時に屈伏するようなこともあるかもしれない。念のため内々申上げておくことにする。

 開目抄は何といっても根本になっているのは戒定恵の三学である。それによって仏法も建立され、成道・本尊・本仏もそこを出処とし、また久遠元初も久遠名字の妙法も事の一念三千も、また己心もそこにある。一乗要決の純円一実の境界もまたそこを故里としているのである。今は法門の立て方によってバラバラである。既に己心は邪義と決定しているが、己心を否定すれば上に挙げたものは全て成り立たないであろう。己心が邪義ということは、開目抄や本尊抄をいくら探しても見当らない。

 何故己心が邪義なのか、何れの御書に依ったのか、得心のゆくような出処を示してもらいたい。出処も示さず只邪義といっても、それは邪偽という外はない。仏法以外の時によれば己心も邪義といえるかもしれないが、仏法を根本とする宗門が己心を邪義と詈ることは殆ど自殺行為に等しいものである。今の教学はむしろ、そのようなことが平気でいえる処まで来ているということであろう。

 化儀抄も三学に依っているために難解であるし、三師伝も六巻抄も同様である。三学によって出来ているものは、三学に依らなければ解明することは不可能である。三師伝を伝記としてみてもそれ程利用価値があるということもない。戒定恵の三学をもって読んで始めてその真意義は現われる。その戒定恵も三祖一体も、今に山法山規の上には明らかに伝承されているのである。そして諌暁八幡抄の裏書とも相通じるものであり、その翌年迄には八幡抄と同じく戒定恵を根本として三師伝は著わされているのである。外相一辺のみに頼っては折角の三師伝の意図も台なしである。これらはすべて開目抄に源を発しているのである。

 しかし今となっては己心は最も目障りな存在のようである。これ併しながら時世と時節ということであろう。今最も邪魔になっているのは己心である。それ程法門が狂っているのである。それを逆に当方へ向けて川澄狂学という処は誠に幼稚極まるもので、とても仏法の上の発想と云えるようなものではない。

 そして次上や阡陌の2字は御書にはないというのである。お粗末も少々度を越している。今まではその様な恫喝もまかり通って来たのであろうが、遂に阻止される羽目になった。これは全く戒定恵の三学の力用である。この力用の前には先生方の強引さも、何のなすすべもなかったのである。阡陌とは仏法所住の処である。戒定恵はそこから出現しているのである。その意をもってまず阡陌をあげ、三学を取り出したのである。拒む力があまりにも見当違いであった。そのために後退を余儀なくされたので、この辺の反省が必要である。この「大石寺法門」から逆次に読めば、意図した処は明了に理解出来ると思う。

 昨年来盛んに使われていた伝統法義は、戒定恵の三学と己心を捨て、仏法の外で仏法を唱えようとした、その内容は結局現在の学者の成果である天台学そのものであった。これに三秘を私加して伝統法義を称していたようであったが、整備する処まで行かなかった。未だ夢の域を脱することは出来なかった。その間に瓦解の止むなきに至ったのである。この伝統法義は、いかにして宗祖離れを決定付けるかということも大きな主眼ではなかったかというようなことを思わせるものがある。これも見事に失敗したようで、僅か半年間の夢に終った。一見読み取られるようなものは極力避けた方が賢明である。

 戒定恵の三学を取り返さなければ法論にはなり得ない。「観心の基礎的研究」も、見方によれば帰伏状といえる程のものである。仏法には遥かな隔りを持っている。日蓮を宗祖と仰ぐ以上、戒定恵の三学と己心と、そして仏法は守らなければならない。これは最後の責務である。滅後700年を過ぎて捨てようとしても、山法山規はこれを許されないであろう。現に今回の後退もそれに依ったものと思われる。今も昔ながらに強力に作らいているのである。最初から仏教を立てているのとは異なっているのであるから、今さら他門の傘下に馳せ参じる必要も意義もないように思う。飽くまで孤壘を守ることに意義を見出すべきではなかろうか。四百年以前三秘が入り、最近また色々と努力したけれども成功することは出来なかった。それは全く山法山規の力用による処である。更めてこれを確認することが最も無難な方法であると思う。

 己心は邪義といわれてきたが、三学や仏法を邪義とはいわなかったことはせめてもの救いである。迹門に観心をたててみても仏法の語や本尊・本仏を捨てるわけにもゆかないであろう。結局は仏法にもあらず仏教にもあらざるものが出来るのが「おち」である。山田水島法門も結局退くべくして退いたということである。思い付きの教学では成功は覚束ない。成功させるためには遥かに強力な陣容を整えなければならない。

 己心を邪義といえば三学も仏法も邪義、本仏も本尊も、そこから現われている法門は一切邪義ということにもなる。しかし本仏や本因の本尊は迹門では成り立たないであろうし、どんなことがあっても、仏教の中にあって仏法を称するようなことは、他宗は一切認めないであろう。いよいよ変ってしまえば、そこは仏法家の落ち付く処ではないということを体験しなければならない。若し仏教に落ち付くためには、まず本仏と本因の本尊を捨てなければならない。何れを擇ぶか、そこには自ら行手は決まっていると思う。

 開目抄以後の御書や主師以前のもの及び六巻抄などが三学や己心を根本としていることは否みがたい処であるが、それが何故急に邪義ということになったのか。学林もそれについて「基礎的研究」をすれば、「観心の基礎的研究」より遥かに有意義なこと請合いである。継続課題として取り組んでみてはどうであろう。必ず反省の基礎資料になるであろう。邪義というだけで己心が邪義となって早々に退散するわけのものでもない。一日に三省とか九思に一言などということは、今最も必要なことである。

 この儒教の教を初門として老荘の隠遁思想の中に三学を見出だせば、そこには仏法があり己心の道も開けるのである。そこに法華経の必要がある。その法華経が文上であり、そこに見出だした仏法が文底である。寿量文底とはこの仏法の処に見るべきものである。そこには戒定恵の三学・己心、久遠元初・五百塵点の当初、そして本仏・本尊・成道など、大石寺法門のすべてがそこには包含されているのである。

 外典を初門とするとは、儒教から入って道教に至る処である。そこにあって法華を逆次に読むのである。そこに仏法がある。儒教があったから仏法も出来たのである。そのために儒教や道教の思徳を感謝しなければならない。有師が歌を作るものは人麿の恩徳を謝せよといわれるのもその意である。そこに報恩があり、これを知らないものを不知恩という。今は時が確認されないまま大聖人の仏法という語のみが盛んであるが、その語を安心して使うためには外典に対する報恩から始めるのが順序のように思われる。そのために「仏法は時に依るべし」となるのである。時を知ることもまた報恩の一分であり、そこに仏法もありうるのであるが、今はそのような意味での報恩は全く影をひそめているようである。

 そして仏法という語のみが残っているのである。それで果して宗祖に通じるであろうか。開目抄その他の御書は厳重に時を要求されている。それにも拘らず、水島優秀論文が代表するように、今は全く時が不在なのである。そこで語られる仏法とは一体どのようなものをさすのであろうか。全く空をつかむようなもので、それを裏付けるものは何一つ説明するわけではない。只信心しなさいということが全部であっては信用するわけにはゆかない。そこは不信の輩にも得心するような説明が必要である。時のない仏法とは、山田の言葉を借りるなら発明教学というべきである。自分の心のうずきが、つい川澄の発明教学と出たのであろう。既に宗門では実行ずみである。真実己心が邪義であるなら、まず開目抄や本尊抄から破折しなければならない。これを捨ておいて川澄を邪義とか狂学とかいうのは反って自分の狂っていることを示すのみである。何の威力にもならないものである。

 富士学報13号74頁に山田が珍妙な事を書いている。「これ等を一読して感ずることは、彼はこよなく、世にいう仏教学者を尊敬し、その論文の多くは、島地大等、硲慈弘、田村芳朗、佐藤哲英、塩入良道などの所説を引用し、素材とし、思索したところに論の展開をしていることである。いかにも研究のためとはいえ、台家一式であり」と。

 よくもぬけぬけとこのようなことが言えたものである。その事はまず自分に言い聞かすことであり、次は水島に教えてやることである。今は引用文ではなく教義そのものが既に天台化しつつある時である。それ程よく分っているなら、まず自分の反省の資に供するがよい。今では天台では物足らず爾前経まで無差別に取り入れている。その辺りの反省から始めるとよい。この人は、宗祖もいわれたこともない御尊師を称せられて、つい夢中になって自分が使っており、水島が全面的に引用していることさえ忘れたのであろうか。一度自分のものを見直すとよい。反って我が身の攻め道具になるばかりである。

 「観心の基礎的研究」について水島をこき下すことも出来ないので田原師を引合いに出し、遠巻きに川澄に当てようとしているまでである。いかにも低俗そのものである。已に自分は天台学者に限らず爾前の学者の辺りまで手をのばしているが、御尊師は何をやろうと御自由なのであろうか。しかしこの十三号からは何一つ得るものはなかった。ただ川澄勲や川澄が僅かに目に映ったのみであった。流転門や還滅門は根本は中村元仏教語大辞典に依っている、この外についても全て他宗の丸写しであり、これでは一向に威力にはならない。天台や爾前のものについては人後に落ちることなく使っている山田である。一片の反省があってもよいのではなかろうか。二月以来、半年以上を経過したが、未だに何の音沙汰もない。威勢よく反撃せられる日を待ちわびているのである。遠回しではなく、今度は直撃を待つことにする。今自分で伝統法門と考えているものが、何れの宗の説によっているのか、それさえ分っていないのではないか。無闇に他の批判をする前に、少しでも本来のものに近づく努力をしなければならない。これこそ今宗門に与えられた最大の課題である。

 この13号のあと盛んに伝統法義を口にするようになるが、実は富士学報13号に載せられたものをもって伝統法義と称しているのではなかろうか。この優秀論文の作者が選ばれて川澄折破に廻されたようであったが、両人共成功することは出来なかった。そして山田はその後三回のみで一向に音沙汰がなくなって既に半年以上を経過している。底の浅さには驚き入る外はない。本来の大石寺法門の持ち合せもなく、ただ他宗門のものを寄せ集めたのみでは御尤もなことである。水島は四明流を天台の正統と讃歎しているけれども、宗祖には一回の引用もない。これは宗祖に対する反抗と受取らざるを得ない。即ち大石寺法門に対する訣別を意味している。勢の赴く処つい四明流に援けを求めたということであろうが、山田は宗門側の使うことについては一切触れず、反対派が使うことについては極端に斥っている。これでは正常な神経の持ち主とはいえない。これも誤った独善流である。僅か二篇の論文にも一貫したものが見当らないのは学報の最も弱い処である。これでは烏合的な意味合しかない。発表した矢先から崩れ去るのも当然である。

 勝止観劣法華と止観勝法華劣とはどのように使い分けているのであろうか。このような新造語を使う場合は、その違い目を明示してもらいたい。止観に勝れ法華に劣ると読むとすれば何を指しているのであろうか。或は勝れた止観、劣った法華とよむのか、せめて読みだけでも明してもらいたい。勝止観は十三頁、止観勝は十五頁にある。若し宗門を指しているとすれば何れの宗か。学報に載っている処を見ると宗門公認と思われる。また水島論文は、どう見ても天台への帰伏状である。像法には戒旦は必要であっても、「外典を初門とした」仏法では全く無縁のものである。仏法とは刹那に仏教の規縛を離れた処に立てられているようであるが、今では一宗建立の後、仏教の中に建立されているような感じである。つまり迹仏世界に建立されているようである。

 水島論文はどう見ても天台の阿流志願のようである、中古天台の語の使い過ぎが、つい天台讃歎に走ったのであろう。これでは自他宗の区別が出来ているとはいえない。この面のみは不思議と常に一貫しているようである。何れにしても、他宗の教学を無条件で取り入れることは帰伏を意味している。その前に必ず仏教と仏法の区別だけは付けておいた方がよい。それにも拘らず、いまは全く無関心のように見える。本来仏教というべきものも仏法といわれている場合も多い。全く無差別のようであるが、ここの処は必ず差別が必要である。法門は有差別により、仏教と仏法とは無差別では意味が分らない。「仏法は時に依るべし」という時が何をさしているのか、今はそこから考え直さなければならない処まで来ているのである。仏法と仏教の混乱、これは時節の混乱であるが、水島論文は「時」を無視した処に出来ているのである。時がなければ無法であり、仏法ということは出来ない筈であるにも拘らず、今は専らここにおいて仏法が唱えられているのである。

 これでは本仏日蓮は迹仏世界から脱することは出来ない。しかもそれを脱していると見るのであるから始末が悪い。脱迹とか下種とか云ってもこれまた一向にはっきりしない。種とは何を指しているのであろうか。

 下種仏法という語もふんだんに使われている。今自分では戒定恵を衆生一人一人の己心に見出すことが仏法であり、下種と考えている。仏教を世法に摂入することによって戒定恵を見出だすこと、それが下種であり、そこに仏法も成じるのであるから、その根本になるのは戒定恵を見出だすことである。それを確認した処で愚悪の凡夫という語も使われるのであろう。この語も亦仏法の上に使われてこそ、その意義もあろうというものである。もし本仏の語が迹仏世界で使われるなら、それはやがて下尅上ともなるであろう。この時を確認することが開目である。開目に対しては盲目の語がある。「爾前経と思し召せ」といわれたのは盲目の意である。宗祖の眼をもって見れば、迹門もまた盲目のようである。今山田や水島が居るのは盲目の世界のようである。そこを抜け出るために時を知ることが必要なのであるが、何故かその努力は一向になされていないようである。水島には、開目の意義がどこにあるのか、チンプンカンプンなのではなかろうか。あちらへ寄りこちらへ寄る犬の道中では、この道は中々抜け切れないのではなかろうか。誠に中有をさまようている如くである。一日も早くそこから脱出することを念じて止まない。

 仏法はもともと信不信の外にあるようである。そのために一方的に一閻浮提総与ということが出来るのであるが、この語は仏教の立場からは理解出来ないところがある。一宗建立以後の眼をもってしては、どうにも解釈出来ないであろうが、一向に信不信にこだわっているようである。不信の輩という語は、自分の時の誤りを明らさまにしている誠に恥ずべき語である。仏法に居ることが確認されるなら、このような語は自ら無用になるであろう。仏法をはっきりさせた上で一宗建立のことは考えないと不相伝の輩、不信の輩というような語が出る恐れは十分にある。重ね重ね不信の輩といわれてきたが、言うた人等が仏法が分っていなかったためと解釈している。不得心なら何回でも繰り返してもらいたい。むかし一閻浮提総与の語を仏法の外で解釈して大混乱が起ったことがあるが、今に一向に改められていないようである。これは真実に仏法が確認できるまでは不可能なことと思われる。それまではそっとしておくことである。

 妙密上人御消息の「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず」というのは、仏法の立場からいわれているものと思われる。仏法は本来一宗建立には不向きなように出来ているように思われる。一宗建立以後の眼をもってしては中々理解しにくいものである。録外ではあっても、これは開目抄の真実を伝えているように思われるが、今ではあまり都合のよい御書とはいえない。しかしこの御消息の文は仏る法の真実の意義、在り方を示されているものというべきである。これは十大部にも通じるもののように思われる。何れも宗教というよりは思想という方が適当に思われ。仏法というのは、つまりは思想なのかもしれない。そこに宗祖の真実があるように思われる。やはり仏教家というよりは思想家と見た方がその考え方もより大きく、より深く出るであろう。仏法として見た時は本因の本尊は実に大らかであるが、今は本果の本尊とするために、妙にせせこましく感じられる。山法山規が大らかさを持っているのも仏法による故であろう。そのような中で、山田、水島法門はこよなくガリガリしている。それだけ仏教臭が強いのであろうが、これはあまり感心したことではない。これでは一人虚空に上がって孤独になるのがおちである。

 一往末法の危機感が過ぎたのは開目抄が著作された以後のことではなかろうか。仏家から出された末法思想も、往生要集のおどしも、利きすぎて反って逆効果となり、大混乱を来たし、僧侶も民衆もただ右往左往するばかりで、なすすべもなかったのが実状のようである。其の後100年近くたって始めて法然は浄土宗を立てた。これは末法に入るのが五百年も早い、平安末期では既に600年を経ている曇鸞の浄土教であるが、これによるには、余りにも目前の末法が厳しかった。兎も角もこれで末法に喘ぐ衆生への救済の道は開かれた。そして法然の多念義に対して、在世中に一念義も盛んになり、その中で親鸞は一念義をもって浄土真宗を立てた。これには多分に一乗要決に依っている処があるように思われるが、浄土を立てるために、己心の弥陀、唯心の浄土は立てたが、戒定恵の三学を取り上げることが出来なかった。そのために滅後末法に今一歩という処が残された。それは依経の厳しさである。そのために戒定恵に収まるべき処が西方浄土に決まったのである。もし親鸞に戒定恵の三学があれば、現在においても己心の弥陀、唯心の浄土が安定していたのではないかと思われる。そして続いて出た日蓮は、開目抄に至って戒定恵をもって現世に己心の法門を開拓し、衆生に密着することが出来た。三回目に漸くその道が開けたのである。これが伝教に密着している三学と二乗作仏である。いくら末法に入って二乗作仏があっても、戒定恵の三学がなければ衆生の成道にはつながらない。そこに仏法の世界が必要なのである。学生式問答は末法の用意として説かれたものであった。その上で二乗作仏の論争が行われたのである。一念義が出たのは恐らくは悲痛な民衆の欲求であった故と思う。そして多念義も一念義も日蓮の戒定恵の三学に収まったのであろう。これで一応の落ち付きを取り戻したのではなかろうか。

 いまの宗門の情勢も何となく末法当初の形相を思わせるものがある。一番必要なのは、まず戒定恵の三学を確認することであるが、今、水島山田がわけのわからない事を竝べているのも、唯戒定恵に反対するためのようである。しかし、それにかわる強力なものを提示しているわけでもない。せいぜい絶対反対的なものでしかない。若し反対するなら、戒定恵を上廻るようなものを用意してから反対しなければ、何の効果も現われないであろう。ただ思い付きだけで葬り去ろうというのは、あまりにも人が好いといわなければならない。ここは一度振り出しに戻って、改めて戒定恵を胸に抱いてから再出発してもらいたい。「われ日本の柱とならん、われ日本の眼目とならん、われ日本の大船とならん等とちかいし願」とは、日本とは日本国家ではない、日本の諸人と読むべきである。若し日本国家と読めば国家権力にもつながり、ひいては金権社会にもつながる恐れがある。そこで戒定恵が必要なのである。国柱会にはこの戒定恵がなかったように思われるし、今の宗門も考え方の上では多分にこれを受け入れている。山田水島法門は最もよくこれを表わしている。これを排除することが目下の急務である。悪口雑言も三学の欠除した処から始まっているのである。ここは謙虚に反省した方がよい。最後の「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」とある語をもって、「われ日本の柱とならん」等の文を解さなければ、その意を伺うことは出来ないであろう。日本を日本国家とすれば日蓮は大忠臣ということにもなるが、これは全く関係のないことである。若し金力の権化と見れば、願ずることによって莫大な金が入ってくる。これが大聖人の功徳であるというのは水島ノートに示している如くであるが、これは開目抄とは全く関係のない事である。一人の偉大な思想家としての日蓮の一面を探ることは、御利益一辺倒の今の宗門には大鉄槌となるかもしれない。われ日蓮正宗の鉄槌とならんという様な篤志家は出ないものであろうか。何はともあれ、戒定恵の三学を取り返すことこそ、今最も要求されていることである。水島も大きく後退したのであるから、今度は三学をもって立ち上がってもらいたい。目前のみを追うのは最早宗教の分野ではないことを自覚してもらいたいと思う。敢えて苦言を呈することにする。

 日蓮が一宗の元祖となり、宗祖と仰がれるのは、入滅以後のことではなかろうか。本仏といわれるのは、むしろ一宗の元祖以前についていわれる語ではなかろうか。これが一宗建立以後に限られると、釈尊を乗りこえなければならないようにもなる。仏教の功徳を世法に持ちこんだ処、即ち仏法に限られるなら、戒定恵の三学の中で本仏を唱えても、それは宗祖一人に限るものでもなく、衆生ともどものものであるから、それ程当り障りのあるものでもない。それが一宗建立以後一人に限られて他宗に対した時、問題はこじれるのである。本仏はあくまで愚悪の凡夫の境においてのみ見るべきものではなかろうか。それが今は一宗の元祖としてのみ本仏を唱えるのであるから、問題を複雑にしているのである。これなども時の混乱という外はない。開目抄には、一宗の元祖として民衆の救済に向ったというような処は見当らない。一往仏法に絞ってから見直す時が来ているのである。しかも仏教の眼をもって見ては殆ど利用価値は見出だせないかもしれない。そこに開目抄の真実があるように思われる。本尊抄にしても、本果の本尊を見出だすよりは、本因の本尊を求める方がよりたやすいようで、そこに共通点がある。これは考えなければならない処である。

 今の大石寺法門即ち日蓮正宗伝統法義には仏法の上にあるべき本仏が、そのまま仏教に移って外に表われている。そこに内外・左右・在滅の混乱が起っている。これが最も大きな時の混乱である。まずこの修正から始めなければ治まりにくいであろう。なかなか難治ということである。仏法の上で本仏・本尊とはいっても、教のように上から下に被らしめるものでもないから、その意において遥かな相違があり、仏法では成道も本尊も本仏も全て自行により自力によってこれを得るのが原則のようである。それが一宗建立以後は全く逆になっている。そこで今の正は昔の邪であり、今の邪は昔の正であり、正邪が理屈抜きで逆になっている。そのために他宗からは何としても分りにくいのである。言葉だけは残っているが、今では自力も自行も全く必要のない状況である。そして成道も本尊も本仏も、仏教と同じように専ら上から下に被らしめる姿をとっている。これが本来のものでない事は、開目抄を繙けば誠に明々了々たるものがある。今こそ開目抄を見直す時である。時局法義ではなく、宗祖の根本の思想としての開目抄を見直す時である。

 昔はおどしが過ぎて反って仏家は手放しの状態であったが、今は仏家が太平の夢になれすぎて本来の救済を抛棄しているのではないかと思う。しかし何れも源は仏家にあることは間違いない。昔、日蓮は諸宗に超えて立ち上った。その仏法を伝えている筈の日蓮正宗は、今こそ立ち上る時であるにも拘らず、一向にそのような気配が見えないのは、何かを失っているためかもしれない。しかし本来ならばこれを伝えている筈であるが、日蓮正宗伝統法義は強引にこれを拒もうとしている。これは本来の仏法を失っているためであろう。この節こそ戒定恵の三学の働らく時であるにも拘らず一向にそれを忘れているのである。その内宗祖に強力なパンチを見舞われるようなことになるかもしれない。精々お気を付け遊ばせ。

 「この本尊は信の一字をもって得たり」といわれているが、「この本尊」とは仏法にあるもの即ち本因の本尊であるべきものが、仏教の立場から本果の本尊と解されているために、色々と混乱が起きているのであるが、仏法に顕われた本尊は必ず仏法で解さなければならない。所謂己心の本尊であるにもかかわらず、己心の外で解されたために、ついに己心が邪義ということにもなれば、仏法に真向から反対するようにもなる。これではどう見ても宗祖違背の罪を遁れることは出来ない。これが迹仏世界の仏教で解されるようになると、尽く宗祖と反対に出る。そのために他宗が受けいれないのである。

 もともと仏教とは仏法の処にあるものを指し、本果ともいわれ、宗門が鬼の首を取ったようにいっておる流転門であり、還滅門は仏法にあるものである。それが一挙に迹仏世界で解されるようになると、中村元仏教語大辞典によって、完全に迹仏世界の仏教に根を下すことにもなる。これは仏法の処にある仏教と、本来の仏教、即ち迹仏世界の仏教との混乱であって、今は混乱した処を正と見、仏法の処を邪と見るのが基本になっているのである。何れも迹仏世界の語がそのまま使われるが、内容は真反対になる。そこにも仏法のむずかしさがある。流転門というのは仏法について使っているのである。中村大辞典は仏法で使っている意味の解説まではしていない筈である。仏教と仏法との区別が消えたために時の混乱が起って収拾が付かなくなったのが水島山田法門である。そのために手を引かざるを得なくなったのである。他宗他門のものに大石寺法門の仏法用語の解説まではしていないことを、第一に心掛けなければならない。時局法義研鑽委員会はその区別を失ったために、研鑽のつもりが結果的には混乱となり終ったのである。そして破折するつもりが、反って破折される破目になった。そこに時の厳しさがある。その違い目が悪口雑言に走らしめたのである。流転門還滅門も一度は仏法の処で考えて見ることである。

 そして本尊が仏教で考えられるようになると、即刻仏教の上の本果となり、迹仏世界の本尊と区別が付かなくなり、そこで仏法の本尊を唱えるのであるから異様である。そして「信」も心の一字を加えて信心となり、信心のみが異様に強調されるのである。この信の一字も、もともと仏法の処にあるものであるから、当然世法の処で解さなければならない。例えば信念の信のごときものである。信念の処に仏教を摂入されては信となり、そこに仏法でいう本因の本尊が出来ているのであるが、今はこれらのものが忘れられて、迹仏世界の仏教の上にのみ考えられているために、何れともつかないようなことになっているのである。 

 外典を仏法の初門とするということを、改めて考え直さなければならない。信は外典の処にあるもの、それが仏教と一箇して仏法で使われているのである。そして戒定恵もまたそこにある。その戒定恵の中でのみ解すべき「信の一字」であるが、今はそのあたりが最も糢糊としているのである。対境としての本尊を信心の上に自分のものにする以前の話である。ここに仏法もあれば本因もあるのである。しかし、呉々も迹仏世界の仏法や本因と混乱しないようにしてもらいたい。他宗他門の辞書には文底が家の語義までは載せていないことに注意してもらいたい。流転門還滅門をもって悪口を並べて見ても、それは全く当方とは関係のない事、反って宗門側の深さの程を明らさまにする外、何者でもないことに注意することが肝要である。「信の一字をもって得」た本尊とは、本因の本尊であり、一閻浮提総与の本尊であり、対告衆も信不信以前の民衆であることに、呉々も注意をすることが肝要である。信仰者対照の本尊ではなく、それぞれの民衆一人々々の己心に収まっている本尊である。それを指摘されているのである。

 それが「客殿の奥深くまします本尊」であり、その本尊は昔のままにあり、又御宝蔵は客殿の奥深くと同義語であろう。今の宗門の考えでは、御宝蔵は空家同然と同じ処に収まりそうである。御宝蔵の本尊の在不在はその立て方によって決まる処、今のように本果一本になれば、御宝蔵の意義、その作用は殆ど消滅しているものと見なければならない。仏法による御宝蔵の意味は失われて、専ら他宗の御宝蔵と変りのない意味になっている。客殿も又その肝心の意味は失われるようになった。他宗と同じ意になるのは当然といわなければならない。宗門人の意志とは関係なく自動的に動くだけに厄介である。語が同じであるということだけで他宗の辞書を頼ることは、最も警戒しなければならない。

 本仏も、もともと仏法に建立されているものが、一宗建立後は仏教の処で解されて居り、戒旦もまた同様である。そして今は像法或は在世末法の処で解されているが、この様な場合はそれぞれの処に出来ているのである。そこに悪口雑言の出る下地がある。自分で解っていないから、十分に説明が付かないのである。開目抄に説かれる仏法を知るためには、刹那でもよい、今の仏教的な考えを捨てなければならない。何れが不信の輩かということになれば、開目抄の仏法については、むしろ宗門側のようである。

 水島優秀論文は現代の天台学者のものを拾い集めているのみで、仏法とそれほど密着しているものではない。そのために折角意慾を燃やしてみても、仏法や文底或は本仏や下種仏法などの語さえはっきりと解しかねている。これは時を誤っているためである。時のない処でいくらいきり立ってみても無駄なことである。水島法門は大勢からいえば、像法を一歩も出ていないようである。それでいて仏法の語を使うのであるから解りにくいのである。「観心の基礎的研究」ということであれば、観心本尊抄の観心のように思われるが、宗祖のは如来滅後五五百歳始、即ち滅後末法の始の観心の本尊の抄である。水島のは脱のようであるし、宗祖のは種である。つまり大きく種脱の相違となって現われている処は彼脱此種である。これでは本因の本尊とはいえない。結局は脱の処に種の本尊が出現したことになり、所詮は仏教の中でのことになる。

 このために予め時を定めることが必要なのである。しかも今の山田水島には全く時が見当ないのである。これで、どのようにして滅後末法を表わそうというのであろうか。仏法を何によって顕わそうというのであろうか。時のない処に滅後末法や仏法があるわけではない。開目抄や撰時抄に示されたように、何をおいてもまず時を決めなければならない。仏法を語るものには、何をおいてもまず時を決めなければならない。もし時を決めなければ、即時に仏法から外れる恐れは多分にある。宗教に力が入りすぎると、仏法の時は嫌われるものと思われる。

 つまり水島説はあまりにも宗教に力が入りすぎているのである。宗教家日蓮のみに力が入りすぎた結果ということである。ここでは多数の、無限の信者が要求されるが、思想家の立場からすれば一人が単位である。愚悪の凡夫というのも、戒定恵をとるも、帰する処は一人であることに留意しなければならない。

 仏法を立てるなら一人であり、仏教を立てるなら異様に多数を要求される。即ち仏法は文底にあり、仏教は文上にあるための相違である。もっと根本的な整備が必要である。とても時局法義というような、目前のみを糊塗するような考え方では、ますます混乱を来たすのみであることを知らなければならない。両者が競えば現実世界をふまえているだけに、仏教の方に多分の強みがあるであろう。

 一をとるか多をとるか、今その重大な岐路にたっていることを反省する時である。そして視野を改めて時局法義研鑽委員会も、時局の二字を除いて再発足しなければならない時である。観心も戒定恵の三学や己心の上に建立されていることを確認したものでなければ、開目抄や本尊抄とは、ますます離れてゆくことは必至である。そこに明日の行く手が待っているということである。山法山規には古い仏法の在り方を残しているが、現状では解明出来にくいようである。下種仏法・大聖人の仏法といっても、不信の輩を理解させるような説明は出来ない。そこで全く次元の違う説明がなされるのである。事といい事行というもまた同様である。これらが戒定恵の三学の上に成り立っていることを基礎としなければ、その語のもつ微妙な働きは理解することは出来ない。山法山規とはそのような中で理解しなければならないものである。もしこれが分れば、上代以来、陰にあって連綿と伝えられている仏法の意義は氷解されるであろう。そこには一人々々の衆生を救済するものもある筈である。

 知らしむべからず依らしむべし流の時代は既に終った事を自覚することから始めねばならない。徒らに死兒の齢を数えるような事は、やる程無駄なことである。その仏法を踏まえて新発足してもらいたい念願ばかりである。宗門の英智をもってすれば、必ず山法山規は解明出来る筈であるにも拘らず、今は悪口雑言をもって懸命にこれを阻止しようとして来たのであるが、現実はやや後退気味のように見える。これも時が既に移りつつある何よりの証拠である。先覚者は予めその時の動きを察知しなければならない。水島に時がつかめるなら、それは御尊師と申上げなければならない。700年伝えられたものは7千年7万年と無限に続けなければならない。そのためには7万年を刹那に収める処から始めるのが最も好い方法ではないかと思う。仏法にはそれを教えているように思われる。それをがっちりと踏まえた上で宗教に出るべきである。山田は嫌うけれども二重構造である。

 仏法とは思想である。これが安定しておれば、仏教も自然と安定することになるように思われるが、現状は肝心の仏法があるかなしかの不安定さである。まずここから改めなければならない。これが今の宗門のまず手掛けなければならない処である。それが分れば即刻時空を超えられる境界を獲得することも可能である。信者に智恵を付けるなというようなことを言わず、信者から智恵を借りる度胸こそ、仏法を解明する唯一の方法である。そこに世法即仏法もあるのではなかろうか。

 御尊師の仏法は天台学者の観心を基礎としているようであるが、このような危険は避けなければならない。ますます開目抄や本尊抄を離れ、一閻浮提総与の意味もつかみにくくなる。そして宗学の像法化の速進を助けるのみである。この論文を優秀と決める宗門も同じ処に居るのであろうと想像することが出来る。これらは像末、文上文底の時の混乱を残る処なく現わしているのである。撰時抄では冒頭に「仏法を学せん法はまず時を習うべし」と示されているにも拘らず、これに背いて時をないがしろにした結果は、反って仏法からはみ出したようにさえ見える。そしてますます天台教学に意慾を燃やすようになった。この優秀論文こそ時の混乱の見本というべきである。そして下化衆生と出るのである。これは現在の正宗教学の偽らざる一面でもある。時の決まらぬ前に仏法があるわけでもない。本仏や本尊が現われるわけでもない。しかし本仏や本尊が論ぜられるのであるから不可解なのである。観心本尊抄の観心の二字は仏法の上に理解されなければならないものであるにも拘らず、この論文では仏教の上の理解に力を注いでいる。これは天台の学び過ぎであり、古来最も誡められた処である。当家の理解なしに台家の理解のみに走った証拠であり、その結果が今の後退につながったのである。これを教訓として、再びこのような愚を繰り返さないようにすることこそ今の肝要である。

 古来十大部といわれている御書は戒定恵の三学と時が根本になっているが、今はこの二つとも忘れられた中で、しかも仏法を称えているのであるから分らない。まずここから改めなければならない。これが目下の最緊要事である。仏教にも観心もあれば己心もある。仏法で使われる語は殆ど仏教に始まるもの計りである。それが真反対の意味に使われるのであるから、時を決めることから始めなければならないのである。大地の上にあるものが、仏教をとれば虚空に上り易くなる。仏法は虚空にあるものが大地に下りた処に立てられている。ここに天地の違いがあるのである。これを知ることが仏法の初門のようである。虚空には凡そ仏法の存在することもあるまいと思う。若し本仏が虚空に考えられるような事があれば、時の混乱といわざるを得ない。本仏は虚空を住処とはしない特性がある。

 宗門では民衆とか民衆仏教の語を極端に斥っているようである。これは既に仏法から仏教に移っている何よりの証拠であるが、一閻浮提総与の本尊は一般民衆を対照にしているものであり、決して信者を対照にしたものではない。本尊抄では一宗建立以前の境界で説かれているが、それを一宗建立以後の眼をもって読むために衆生と映るまでである。本尊抄はこのように本因の本尊を説かれている。そのために終わりに近付く程使いにくくなって、殆ど使われていない。しかし最後の処はどう見ても本因の本尊であり、一閻浮提総与の本尊である。そのために、今のように本果に移ると都合が悪いのである。戒定恵の定であり、仏法の上に建立されているものである。今のように本果に移ると使いにくくなり、色々な面で最も都合のよい三大秘法抄に移ってゆくのである。これらの御書が六ケ年の間に一度も引用されなかったことは、最もよくこれを証明している。再び戒定恵の三学に帰るようになれば大いに使われることであろう。

 安国論はよく使われていたが戒定恵の立場からでなく、専ら三秘の上で利用されていたものであって、少し筋を離れた処で使われており、所謂切り文的な扱いであった。決して本筋の法門として使われたものではなかったことに留意しなければならない。開目抄から逆次に読んだものでなければ、本筋の扱とはいえない。その切り文的な扱とは、一宗建立以後の眼をもって読むことをいう。山田がよく使っていたのは三秘の意をもって使っていたようである。

 また六巻抄が使いにくいのも三秘をもって読むためであり、それでは第一第二など極く限られた範囲だけしか読むことが出来ず、全巻に目を通した上での引用は出来ない。そのために仏法を知ることも戒定恵を求めることも出来ないのである。六巻抄は仏法や戒定恵をもって読まなければ無意味なものでしかない。己心を邪義と決めながら読むとは、もっての外のことである。もし誤って三秘をもって読めば、結局は寛師が他門から批難を受けるような事にもなりかねない。山田説によれば、三重秘伝抄から本仏や本尊が出ているが、ここでは久遠名字の妙法も事の一念三千も未だ説かれていない。それにも拘らず早々と久遠名字の妙法と事の一念三千から本仏や本尊が出ているのである。これでは本仏や本尊が、その作きを示すことが出来ないのは、いうまでもない処である。これなども、六巻抄でそのように出ているとなれば、十分批難の対照になるものを備えている。最も慎まなければならないものの一つであると思う。

 仏法で出来ているものを仏教の立場から読めば、左で出来たものを右でよむ事になるので危険であるが、仏法は仏教以前のことである。水島ノートが最後に載せた、本尊を信じることが出来なかったから、功徳がなかったという御利益法門は、自分では仏法と思っていても、これまた仏教以前の問題である。同じく仏教と称しても、前の仏教は仏法の中にあるものを指し、後は一般仏教の意であり、ここで以前といえば、仏教の外、宗教以前の意味をもって使っているので、混乱のないようにしてもらいたい。御利益法門のみでは宗教には入れないというのが、他宗の考え方である。仏法から仏教へ、そして仏教としても宗教としても、その埒外へ出たということである。これは大石寺法門では最も警戒しなければならない処である。他門の教学に頼りすぎると仏法の力が失せて、必ずこのようになるものを持っている。現在はこの悪い面のみが表に出易い時である。そのために仏法そのものを明らめなければならないのである。他宗に例のない立て方であるから、宗門独自のものを確立しなければ、宗教以前の処へ飛び出す危険を多分に持っているのである。十大部は特に仏法が主眼になっているようであるから、まず始めに仏法として充分に理解することが必要である。これがなければ必ず他に迷惑を及ぼし、自に被害が廻って来るので警戒が必要なのである。時局法義研鑽委員会は、あわてて爾前迹門に取り付こうとしているために、反って宗義を変えたのである。どうやらその第一歩の踏み出しを誤っているようである。己心の法門を邪義と決めれば、仏法からも仏教からもはみ出す危険は十二分に備えていると見なければならない。富士学報13号の論文作成者は、開目抄はあまり読んでいないようである。次上、阡陌の語などがないというのが最もよくこれを証明している。一度よく読んで、その意義を知らなければならない。そこには仏法の意義も詳しく説かれ、戒定恵を根本として説き出されていることも明了に示されている。それを知り、且つ忠実に実行することが末弟の責務である。それを大巾に外れているのであるから、問題がこぢれるのである。

 「孔子が、此の土に賢聖なし、西方に浮図という者あり、此れ聖人なりといいて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽等を教えて、内典わたらば戒定恵を知り易からせんがため、王臣を教えて尊卑を定めしめ、父母を教えて孝の高きをしらしめ、師匠を教えて帰依をしらしむ」とあり。続いて、妙楽と天台、止観と弘決が引かれているが、孔子から、帰依をしらしむまでの文を、ただ孔子の意を伝えられたものとして読めばそれまでであるが、ここまでは、ただそれだけではあるまい。若しこれを譬喩として読めば、開目抄述作の意図は明了に示されている筈である。

 外典を仏法の初門としたのは宗祖自身である。外典は既に渡って居り、眼前の世法に仏教を摂じ入れて、この文と同じやり方の中で仏法という新しい型が実現しているのである。最後の「仏法は時に依るべし」という文も共に考え合わせるべきである。ここでは明らかに仏法と仏教の区別がなされているのである。くどくどしく繰り返すようではあるけれども、ここの処が最も大切な処である。今はこの仏教の処を仏法と称しているのである。そのために不用意に迹仏世界に移るのである。

 「内典わたらば戒定恵を知り易からせんがため」とは、実には開目抄も戒定恵を知らしめんがためである。開目抄の戒定恵は即ち仏法に限るということである。孔子に托して実は開目抄述作の意を明されているのである。伝教の「三学倶伝名曰妙法」の意をもって解すべきであり、依義判文抄も当然開目抄の意をもって解さなければならない。そこに次の本仏・本尊・成道の意義があるのである。

 仏法と三学と己心とは常に相離れることの出来ないものであるにも拘らず、今は己心が邪義となったために、この三と相離れるようになったのである。これでは仏法の語も法門的には無意味になっているのである。世法即仏法も世法に即して仏法であり、世法にあって始めて仏法が成り立っているのであるが、今は迹仏世界において仏法が考えられているのである。

 現実の世間を刹那に遮断した処、即ち魂魄の上に仏法が成じているのである。そのために迹仏世界に帰るためには左を右に切りかえなければならない。それがそのまま迹仏世界に出るのであるから、他宗との間に常に摩擦を生じているのである。そして独一であるべきものが独善と現われるのである。

 そのために2ケ年半経った処で、仏法からも仏教からも飛び出した処が、水島法門に現われている。久遠名字の妙法も事の一念三千もここで解さなければならない。この戒定恵の三学とは恵心の純円一実と同義であると思う。宗祖が愚悪の凡夫と表現されるのも、亦同じ処と思われるので、戒定恵の三学と読みとらなければならない。貴賎老少老若男女の差別のない処である。刹那に俗身世俗を離れた境界であるが、今は俗身世俗の中でこれを考えているように見える。これは今の宗門の最大の難点であるが、一言でいえば時の混乱に依る処である。以上のように、己心が邪義などとは到底口に出せるようなものではないが、今は邪義と決めた上で己心の上に現われた法門を使っているのである。それこそ邪義というべきである。爾前迹門に宗を建立している他宗とは、正邪については全く関係のない処、邪はむしろ自宗にあるものとして大いに反省すべきである。

 純円一実の処、戒定恵に建立された本尊は己心の本尊である。これが本因の本尊であるが、今は己心を邪義というからには、本因の本尊については全面的に否定している、つまり本尊抄は結論が本因の本尊に収まっている処を見ると、そのまま本果の本尊の裏付けには些か無理があるかもしれない。この境界にあって一閻浮提総与の解説は絶対不可能である。現在のような本尊の解釈は、本尊抄からは出にくいのではなかろうか。

 そのような中で、肉身本仏論が明星池の底から顏を出すのである。これでは譬喩ともいえない。全く噴飯物である。これは本仏の証明が出来ないという有力な証拠である。その奥の深さを遺憾なく露呈しているものである。いくら威張って見ても気負って見ても、その奥の深さまで隠すことは出来なかったのである。このあたりでは、可成り行きつまっているようである。

 この本尊抄の本尊は、もともと信仰のために造られたのではないかもしれない。民衆の一人々々の己心に戒定恵の三学が生れながらに備わっていることを指し示されたことは間違いないと思う。そのために自行や自力が必要なのであろうが、今は自行や自力は殆ど陰をひそめ、専ら他力に替っているように見える。これは法門の立て方そのものが替っている証拠であると思う。そのために替っていることにさえ気が付かないのではなかろうか。

 寛師が附せられた本尊抄の読みも、その意をもって読めば、己心の上に現じた滅後末法の始の本尊ということであろう。始の字は己心の法門の場合は始のみで、末法の始、名字即の初心などと使われて、終の字は必要がないようである。即ち始の中に既に摂入されているが、特に己心の外の場合は終に重点が移るので、始と終とが使われるのではないかと思う。滅後末法の始という己心そのものが実は本尊であり本仏である。そこは在世の本尊では考えられなかったことで、同じく本尊ではあっても、そこには在滅の相違がある。この区別をすることが不可欠の条件であるが、今は滅後の本尊を在世とするための因果の問題が生じているために、充分に他宗を得心せしめるような解釈が出来ないようである。

 己心を観ずるなら、戒定恵の上に衆生皆各々備えているものであるが、今は己心としてこれを認めないから、自力をもって本尊や本仏を出現せしめることが出来なくなっており、反って己心を奨めるものに対して珍説・狂学・邪義などと悪口の限りを尽さなければなくなって、果ては宗祖を罵る結果となり、口をつぐまざるを得なくなったのである。これで報恩といえるであろうか。

 その報恩とは、戒定恵の上に成じている報恩であって、ただ世間の報恩とは異っているが、今は報恩も文上一片の解釈のみに終っているように見える。衆生がすべて戒定恵を具備しているから、本尊も本仏も当然そこにある。それを一閻浮提総与という語をもって表わしているので、そこには外典について戒定恵についての報恩がある。このあたりで大きく意味が変ってゆくのではなかろうか。仏教そのものの中での総与ではなく、仏教を摂入して出来た仏法の上、即ち戒定恵の上の報恩をまず見なければならない。しかし、己心を捨てることは戒定恵や仏法を捨てることである。本来仏法の上にあるべき報恩が、ただ世俗の上のみの報恩に限定されると、本来の意味が理解出来なくなるのは当然である。

 その時、自の見解を正と立てるのである。正邪はそのような処にまず立てられるのである。対告衆の現われる以前に正邪が立てられているので、相手が出れば、それをあてはめるのみで事足りる仕組みになっているようである。一宗建立以前のものを、建立以後の眼をもってみるとき、時の相違がこのような結果をもたらすのかもしれない。これは、建立以前の処へ自らを近付ける以外、よい解決方法は見当らないと思う。それが事の法門の領域である。他宗の人等に理解してもらうためには、仏法の在り方、その意義を明らかにしなければならない。若しそれが可能であれば、他宗の人等も即時に理解するであろう。

 衆生一人々々が具備しているという一閻浮提総与の意義が、本仏日蓮が総与したことに変るために複雑になっているので、総与した仏は世法でいえば天から授与されたという程の意味であろうが、それが一人の本仏日蓮と固定すると、状況は一変して他宗門の理解の外に出るのである。これは仏法と仏教の混乱から事が始まっているのであるが、この混乱は仏法からも仏教からも離れるような危険を内蔵しているようにさえ見える。一日も早く気が付くに越したことはない。水島も既に行きつまったのであるから、早速反省をしてみてはどうであろう。現時点から開目抄まで逆次に読み返すことである。若しこれが出来るなら、そこには自ら道は開けるであろう。これが闇夜の光明である。ここで立ち返ることは既に法門の教える処である。苦を楽に、闇夜を光明に切りかえることは、既に法華の極意ということになっているのである。今となって筆を抛つことは愚者の択ぶ処である。

 大石寺では常に本因という語が使われているが、これは仏教ではなく、仏法の立場から使われている。開目抄や本尊抄に限らず、十大部といわれるものには、共通して備えているように思われるもので、恐らく御書全体として一貫しているのではなかろうか。つまり仏教としての立場ではなく、これを支えるものとして、内に秘められた思想として見るべきものではなかろうか。

 外相一辺倒になれば、内に秘められたものから消えるのは止むを得ない処で、本尊も既に正本堂に移されて、本来の本尊は消えたごとくであるが、今は、むしろ御宝蔵の内秘の本尊の出現すべき時が来ているように思われる。一見した処本尊が移されたことは間違いないことではあるが、今は消えた筈の御宝蔵の本因の本尊が既に光を増しつつあるのではないかとさえ思われる。ここには何の変哲もなく、山法山規や相伝の、「本尊は客殿の奥深くまします」ということが今蘇りつつあるように感じられる。実に不思議なことである。久しく忘れられた本因の本尊は必ず復活しなければならない。この裏付けがあって初めて本果の本尊の意義もある。これが個々別々になっては、共にその威力が半減するのは当然のことである。宗門には、御宝蔵の本因の本尊が光を増しつつあるのが目に映らないであろうか。

 「客殿の奥深くまします本尊」が、文字になった時には、「客殿の奥深く安置の本尊」となって、これが今の戒旦の本尊を指していることは間違いないが、相伝でいう処はいうまでもなく本因の本尊である。その故に御宝蔵といわれる。その御宝蔵とは一切秘密蔵であるが、今ではその秘密が顕現された処で、尚且つ秘密を称しているのである。これは他人には分らない秘密の転移である。本果に移っておりながら、しかも時々本因を唱えるのであるから、分らないのである。長い間これでまかり通って来たのであるが、今こそ精算の時を迎えて困惑しているのである。しかしこの苦難は必ず乗り越えなければならない処である。

 本尊抄も信仰の対照としての本尊を示されたものではなく、むしろ思想の一面をこのような形で表わされたのではないかと思う。つまり紙幅の本尊の裏付けになるものではないが、今は反ってその裏付けのみとして読まれているために、その真価が発揮出来ない斥いがあるのではなかろうか。そのために終りの部分及び副状がそのままの残されている状態である。

 事の法門というのも思想という考えをもって読めば混乱を避ける手段になるかもしれない。本因の本尊は信仰のみをもって解すべきものでもない。仏法もまた同様である。そのために真実が捉えにくいように思われる。水島が最後に盛んに力んでいた不軽菩薩も、本因の処で解すべきものを、誤って本果の処で解したために思わぬ深みにはまりこんだのである。仏法で解すべきものを、仏教で解したための混乱であって、ここは必ず仏法で解さなければならない処である。最初から一宗建立以後の眼をもって読み始めた処で、仏法と真反対に出ている。そのために結論として後退の止むなきに至ったのである。一言でいえば時の混乱による処、水島ノートはこれについては奇妙に一貫性を持っている。その故の後退であった。

 水島は一宗建立を建長五年と決めているようであるが、御書からもそのようには出てこないし、三師伝にも見当らない。何時の頃か他門から移入したものであろう。凡そ仏法とは似合わしからぬものである。同じ録外でも妙密上人御消息は大いに味わってみる必要がある。一度は、宗祖には一宗建立の意志がなかったものとし、新しい思想的なものにねらいがあったものとして研究する必要があると思う。宗旨建立は弟子達の真情が結集されたとみても、一向差支えないものである。
 「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず」という宗祖を画いて読めば、不軽菩薩をわざわざ像法に止める必要はなかった筈である。また開目抄等の御書も一段と読み易く且つ理解し易くなると思う。先生も一度鉾を収めて考え直して見てはどうであろうか。そこには必ず泥沼から這い上れる秘術があると思う。あまり強情を張っていると、大日蓮に毎号掲載されているだけに、宗門の公式見解と考えざるを得なくなる。即ち像法爾前の経々の混乱した中で現在の宗義が建立されているものと考えざるを得ない。

 六巻抄を一宗建立以前、即ち戒定恵の処から読めば理解し易いが、今のように混乱した処からは理解しにくいであろうことは常に繰り返している通りである。思想として、宗教を外して読めば、開目抄や本尊抄等の御書の忠実な解説書であり、終始その線は厳重に守られている。六巻抄が理解出来ない理由は、一宗建立以後の眼をもって読んでいるためである。本仏といい文底といい、下種仏法といい久遠名字の妙法といいながら、それがどこでいわれ、どのような意味をもっているのか、それが分らなければ、求められてもそれに答えられないでは困りものである。そのために他宗の者に対して、「不信の輩が」では答えにはならない。そこは噛んで含めるように答えなければならないが、今それが出来るとは思えない。結局不信の輩・不相伝の輩という処へ収める以外、あまり名案もなさそうに見える。今は現在を守ることのみに専念している。信者を無智に追い込んでゆく以外、あまり名案はなさそうである。世俗の中に立てられている仏法の中で、世人を無智に追いこむことは、自らを無智と決めることである。結局は自分等だけが無智の中に取り残されることになるであろう。世人の智の向上は抑えることは出来ない。これでは文化に逆行するのみである。決してそれは仏法の繁栄とはいえない。今の宗門や正信会はその道を歩もうとしているように見える。開目抄等の御書の教とは逆方向に進みつつあるようである。不信の輩から見れば頑愚としか考えようのない処である。

 三師伝も、宗門の伝記学者は伝記の線から一歩も引けないであろう。これは向上を望まないものの宿命である。そのために宗祖から現代につながっている戒定恵や己心の確認も出来ないのである。これを外していくら伝統法義を唱えてみても伝統法義とは遥かに程遠いもので、結局は中味のない伝統法義になるのが落ちである。中味が把握出来てをれば殊更伝統法義という必要はない。そこに事行の法門の意味がある。これは分っているから口にする必要がないことを表わしているが、今はそれがなくなったから伝統法義の語が必要になっているのである。中味があれば事行で事足りるのである。宗義は事行を通して自他に示すようになっているのである。中味がなくなると伝統法義と同様に、口に下種仏法を唱えても、これについて何の一言の解説も出来ない。

 そこで出るのが、信心しなさいという語である。それを当方で説明すれば、不信の輩の書いたものは読むなということになるのである。現在は仏法の世界に出来た語は、何一つ理解出来るような説明は出来ない処まで来ているのである。そこでは信心のみが有力な武器であったが、今はそれさえ通用しにくくなりつつあるのである。いつまで信心のみが通用するつもりであろうか。信心のみに頼れば御利益に収るのは当然のことである。そのような宗教から一日も早く脱皮することが目下の急務である。本尊と功徳・御利益なども、角度をかえて見直すことも無用なことでもあるまい。水島が最後の本音も本尊と功徳に収まったようである。2年半たらず強情を張ったのも、目標はそこにあったようである。その低俗さが限界となって表われ、不本意ながら手を引かざるを得なくなったのである。あまりにも次元が低すぎて、これでは文の底に秘して沈めた一念三千を捉えることは無理である。文の底も、時には爾前経にあったり、時には迹門であったり、一向にその住処も時も明らかでない。そのために迹仏世界に本仏日蓮大聖人の仏法が登場するのである。誠に噴飯ものである。これでは格別文底を唱える必要はない。また本仏日蓮大聖人といえば、即時に仏法の世界が現ずるものでもない。この語から見ても、文上の処に文底を称しているので、当人以外には理解出来ないのである。そのために文上と文底、仏教と仏法の区別をしなければならない。仏法を立てるなら、まずその時を決めなければならない。時が立てられないなら、仏法の語は使うべきではない。仏法を唱えながら仏教のみでやってゆくのであるから、その矛盾に倒されない方が不思議である。それほど矛盾に充ち満ちているのである。

 このような中で開目抄の二の大事である二乗作仏や久遠実成が考えられないのも当然のことである。二乗作仏は衆生成道に、久遠実成は久遠元初に、そこに戒定恵の三学が必要なのである。この管を通して仏法が成じる、それは即ち己心の境界である。今は己心を認めないのであるから、二乗作仏と久遠実成はもとのままの迹門でありながら、時に仏法を唱え、衆生成道や久遠元初を唱えているのである。その居る処は迹仏世界を一歩も出ていないのである。仏法といわれるのも文底といわれるのも、時も処も全く同じであるが、迹仏世界即ち仏教では時が全く違っているのである。そこで現在は或る時は文底といい、或る時は文上というも、全く区別がないのが実状である。二十八回に亘る水島ノートには明了にこれを示している。

 しかもそこに堂々と本仏が登場するのである。同じ世界に本仏が登場するのであるから、どうしても迹仏を越えなければならない。これでは受持がない。受持がなければ下尅上である。結局実成の遥か彼方に元初を見るのであるが、それは迹仏世界の中でのことである。これは、時をもって別世界に出なければ説明することの出来ない部分である。正宗要義でも全く区別は付けられていない。つまり下尅上方式を一歩も出ることなく本仏を説明しようとしているのである。このような世界は魂魄の世界であるにもかかわらず己心は一切認めない。そして鎌倉に現じた本仏日蓮の肉体は現在も昔のまま存在しているというのであるから、普通の精神状態で分らないのは当り前である。それに不相伝の輩とも称して罵るのであるから、言われた方も何の感興さえわかないのである。

 それほど時が違っているのである。本仏を唱えるなら迹仏との区別もいるし、仏法を唱えるなら仏教との区別がいるにも拘らず、それには一向無関心である。これでは理解せよという方が無理である。若し時が分るようなことでもあれば、大いに反撃してもらいたい。時がないから受持がない。そのために迹仏を乗りこえるようなことにもなるのであって、大石寺法門では、受持は大きな役割りをしているようである。迹仏を乗り越えるためには、受持をもって別世界に出なければならない。そして世俗の中に仏法を建立するのが最良の方法ということになっているようである。開目抄や本尊抄等の御書は、その詳細を明されているのである。三師伝が戒定恵を根本としているのも、其の意を受け継いでいる処は仏法の相承である。それは今も変ることなく受け継がれているのであるが、今は三秘も加わって二本立てになっており、仏法即ち戒定恵の方は殆ど意識からは遥かに遠ざかっているようである。

 しかし己心が邪義と思える間は、その復活は恐らくは出来ないことであろう。己心を捨ててこれを理解する方法は、信心以外に適当な方法はないであろう。理をもってはどうにも説明出来ないから、理屈抜きで信用して信心せよということなのである。信心するためには理をもって理解することが条件であるが、今はそれは言わないことになっている。無疑曰信がこのような時に利用されることは水島ノートが示している通りである。これは私曲をもって利用しようとしたまでで、むしろ悪用という方が適当である。その部分は、仏法に帰れば十分に説明も出来る部分である。十分に理を尽した上で信心に入るのが世間の通例である。

 しかし考えて見ると、その意味が理解出来ない、説明出来ないから信心しろ、信心すれば本尊が必ず功徳を下される。このような考えが水島教学の根本になっているように見える。全く面目次第もないことである。功徳はなくても信心を呼び起すようなものが必要であると思うが、如何なものであろうか。仏法を立てるなら信心は世法の中に立てるべきもの、今の功徳のみを求めるのとは天地の違いがあるが、今は一宗建立以後の眼をもって仏法の信を解釈するために思わぬ落し穴にはまりこんだということであろうか。今の信心は仏教の上の信心ではあるが、それも可成り低俗な処に目標がおかれているように見える。何れにしても、一日も早く仏法の上の信を見出だすことが肝要である。今のような信心では、この本尊は信の一字をもって得たりということは出来ないであろう。仏法の上の信は本来方向性が異っているのである。それが、今は理屈抜きで仏教に切りかえられた処で混乱が始まっているのである。

 そして本尊についても、利をもって信心を誘う以外に方法がないようになっているのである。その本尊には、本因の本尊といえるようなものは何物も残っていないのである。そのような中で自力が消えてゆくのである。自力というようなことは、近代は全くその影をひそめてしまっているのも、本尊の解釈の中での出来事である。そのような中で本尊に対する信心のみが強調されているのである。そして如来滅後五五百歳始観心本尊抄は己心を邪義と決めた時、即時に如来在世観心本尊抄に成り替るのである。「観心の基礎的研究」は像法の観心に切り替えるための作業であったが、見事に失敗に終ったようである。結局は二ケ年半しか持たなかったことが、何よりもよくこれを証明している。本因の本尊を本果に切り替えるためには、観心の解釈を替えなければならない。己心を邪義と決め、観心を像法にとれば、本果に切り替えられるつもりであったのであろうが、どう見ても結果的に成功したとはいえない。どこかに計算違いがあったのであろう。しかし戒定恵に同時に存在する本仏をそのままにしたのは、失敗の原因の一つと云えるかもしれない。本仏は仏法に、本尊は仏教にとなっては、戒と定の時が異なって別個となり、三学の意義も失われることにもなる。これは予想外の大事である。そのために宗祖が強力に拒んだのであろう。しかし本尊や観心の解釈を変え、己心を否定しながら、本因の本尊や本仏は依然として登場していたのであるから、何とも不可解なことである。そのために「観心の基礎的研究」も案外生命が短かかったのである。長寿とは凡そ無縁のものであった。そこに先生の教学が現わになっているのである。このような考えは文底ではない、また文上でもない。さてどのように命名したらよいのであろうか。現状では久遠名字の妙法も事の一念三千も理をもって裏付けることは出来ないようである。そのために、ここにも信心が必要なのである。その信心の中で本仏も本尊も誕生しているものとお見受けした。しかしこの本尊は信の一字をもって得べきもの、本仏もまた同様である。是非々々信の一字を求得してもらいたいものである。上のような考えの中では戒定恵の三学もそれ程必要なものとも思えない。三学は文底にあってのみ働くのであるから、文上に移れば自然と疎んぜられるのも止むを得ないことである。文底が家では一宗建立以前の処でこれらのものを把握しておかなければならない。これが怠慢になると、時の混乱に犯され易いことになる。若しそのようになれば、文底も文上も、世間も爾前迹門も全くその区別がなくなるのである。

 ここ数年、宗門はいよいよ混乱に拍車をかけたようである。その理論付けに追われながら、結果的に何一つ取り上げることは出来なかったのである。最後に上行と不軽は分断したけれども、これで果して本仏が出現出来るであろうか。これでは本仏出現の道は永遠に断たれるのではなかろうか。尤も今では本仏や本尊が新らしく出現する必要のない立て方のようであるから、このような事も案外無関心なのかもしれない。

 既に本仏や本尊は出現し終っているという考えが根本になっているので、山法山規や三師伝、開目抄や本尊抄等に示され、丑寅勤行に示されているような、時々刻々に出現する本仏や本尊の必要がなくなって、迹仏世界の大勢のように、一回限りの出現に絞られているようである。それだけ文上化しているのである。そのために不軽と上行とが分断されたのかもしれない。

 法門の立て方の変化は、色々な姿をもって表われるものである。これらは、全て時局法義研鑽委員会の一貫した研究成果である。しかしながら、本仏は一宗建立以前の処で、思想として確認しておかなければ、一宗建立以後の眼をもってしては到底迹仏との混乱を避けることは出来ないであろう。観心の基礎的研究は、その間の消息を遺憾なく明らかにしている。そのために仏法は一旦仏教の範疇を離れて、世俗の中に建立されているのであって、そのために時が必要なのである。しかも今は殊更時の確認を斥っているようである。そのような中で五十七年度の富士学林の優秀論文が出来ているのである。

 開目抄には戒定恵の三学を知るために、中国の古い時代のもの数多く引かれているが、それらのものは既に日本にも渡って来て居り、忠も孝も日本のものになり切っているのである。その中へ仏教を摂入して仏法が出来ているのであり、その時に戒定恵の確認があり、そこに初めて本仏や本因の本尊が現ずるので、語は同じでも、その内容は大きく違っているのである。そして本仏や本尊も時々刻々の出現に限られているようである。若しここで時が失われるなら、仏法に出現さたものは、何の抵抗もなく仏教に出現出来るのである。しかし、そこには大きな混乱が待っている。それを避けるために時を確認することが不可欠なのである。今はその時の確認がないために、仏法と仏教の間を自由に往復するのである。これが宗門の最大の難点である。いかに奇麗事を並べて見ても、これでは仏法を唱え、本仏・本尊を唱える資格があるとはいえないと思う。凡そ時を忘れた仏法などありうる筈もないのである。

 三師伝では開目抄を根本としてこれを戒に配し、宗祖に充てている。入信の日の授戒に、持つや否やといわれる戒は恐らくこの戒を意味しているのであろう。この戒も現状では全く不明である。授戒の時には持つや否やと念を押しながら、開目抄を保たれている形迹は全く見当らない。戒は一宗の根本になるものである。時局法義研鑽委員会も戒位は探っておくべきである。戒が何ものか分らないでは、怠慢のそしりは免かれがたいであろう。常々どのような戒を以って授戒しているのであろうか、是非詳細を公表してもらいたい。水島山田はどのような戒を授けているのであろうか。

 今では開目抄の戒も戒定恵の戒も、遥かに遠い記憶の彼方に置かれているように見える。独自の意味も分らずに中古天台のものを流用しても何の意味も持たない。それこそ天台の阿流である。授戒の時の語だけは特別に中古天台流でないことになっているのであろうか。若し、法華本門の戒を持つや否やということであれば、末法無戒は在世のみに限り、滅後には依然として戒は残っている、その戒とは具体的にどのように考えているのであろうか。しかし仏法は必ずしも仏教の戒に束縛されることもないと思われる。それでは大石寺がいう処の本門の戒とは、一体どのようなものであろうか。これは是非その秘密を明らかにしてもらいたい。その戒も分らずに持つや否やということは、もっての外の欺慢である。

 伝教は梵網戒をとっているし、天台にも梵網戒疏がある。しかも梵網経は羅什訳ということである。何程かの関連はありそうであるが、何故伝教が梵網戒を選んだかという事については今に不明のように聞いている。しかし伝教程の人が理由もなしにこれを採ったとは考えられない。結局これは或る時期に教義の根本が大きく変ったために、伝教の考えが故意に替えられ、新教義の立場から強力に押さえたために、意味不明になったのではなかろうか。二乗永不成仏をとる奈良では梵網戒はこまるであろうし、伝教は梵網戒をとりながら二乗永不成仏については大いに攻撃を加えている。これは戒定恵を民衆から見出だすためである。衆生が生き乍ら成道するためには、この三は絶対不可欠のものである。伝教の夢は目前に近付いた末法について、いかにして衆生成道を裏付けるかという処に集中した中で、二乗永不成仏を破し、そのために梵網戒と戒定恵の三学が用意されたが、いよいよ末法に入って200余年、初めて日蓮によって再び日の目を見るようになった。しかし、当時の天台宗ではすでに伝教の考えは大きく後退を余儀なくされていたのであろう。日蓮はこれを京なめりと称して最も斥っているのである。

 此経難持は衆生の成道も大いに関係があるかもしれない。衆生が生きて成道するか、死んだ後に成道するかということについて、日蓮は他宗を攻撃したのであろう。これから見ると、天台宗は当時二乗永不成仏を採っていたように思われる。その末法の衆生成道のために二乗作仏と梵網戒と戒定恵の三学の必要があったのである。委細については、開目抄に明されている通りであるが、今の宗門は衆生成道は認めない処にいるように見える。そのために死後の成道を強く取り上げているのである。正信会も不信の輩の書いたものを見せない方向で動いていることは生前の衆生成道を認めない方針は宗門と全く同じである。共に生前の成道を認めない、成道は死後に限るというのは何故であろうか。これは上代には全く見られなかった事である。開目抄や本尊抄等の諸御書は専ら生前の成道を説かれているようであるが、今は、それとは裏腹に死後の成道に限られているのである。何故そのように真反対に出たかということに付いては、今となっては詳細にすることには、大きな障碍があるものと見なければならない。二乗作仏は末法の衆生の生前の成道には不可欠なもののようであるが、今はそれ程必要もないようである。つまり爾前迹門に返っているのである。二年半の成果は否応なしにその間のあせりの模様を浮き彫りにしている。何となしそのまま死後の成道に収まることであろう。しかし生前の成道に帰らなければ、仏法の処で出来ている語については、いつまでも矛盾に付きまとわれるであろう。

 伝教が何故梵網戒によったのか、今は宗門が真面目に考えなければならないことである。他人ごととして捨て置けるようなものではないことだけでも自覚してもらいたいと思う。改めて梵網戒と開目抄との関連を見直してもらいたい処である。末法太有近の語も、伝教がいかに、来るべき末法に心を痛めているかをよく表わしているが、事実は回避されたように見えるし、日蓮の心痛もまた体よく避けられたようである。宗門の現実はそのように出ているのである。

 仏教が戒定恵によって受けとめられた時、受けた側が主体となる、そして新らしいものが出来る、それが仏法であるが、鏡像が主体となるのとよく似ている。映る前は人が主であり、人が居るから像が映るのであるが、映ってしまえば元の人は迹となり、映像が本となる。そこから話が始まってゆくのである。本地垂迹説による八幡もこれと同じく、本地は釈尊であるが、八幡大菩薩と垂迹した時、それが応神天皇であったということで、仏教の話が世俗に移るのである。そして日本国は応神天皇の領する処と替る。そこに本迹の切り替えがある。垂迹の八幡だけでは弱い処がある。世俗の中で世法が仏教を受け入れた時仏法が出来るが、その時仏教から仏法への移行交替が重要なのである。垂迹八幡も仏法も水鏡の御影といわれるものも、その発想からいえば同じことである。時の転換は必ず必要なものであるが、今の宗門では最も斥われているものの一つである。そのために仏法への転換がはばまれているのである。そして次第に古いからの中へ帰ってゆくのである。その転換によって新らしい世界を見出だすようになるが、これは極端にいえば、このような考えは、伝教・日蓮のみに限られたように見える。最も永く伝えたと思われた大石寺が、今は強く反撥しているでは、誠に心淋しい限りである。しかし不信の輩と称して見ても、悪口雑言をいくら重ねてみても結果的には拒み切ることも出来ず、反って自分等の方が後退の止むなきに至ったことは、どうやら当方の言い分に幾分の強みがあったためであろう。それは、実には宗祖が復活を希望しているためなのかもしれない。是非の判断は時の成り行きに任せる外はない。

 とも角も開目抄の開の字の意義をゆっくり考えてみることである。開も皆も同じだ皆にしろではいただき兼ねる。何を指して開目といわれているのか、これが分れば、そこには立ち上れる何者かがあるかもしれない。しかし己心を邪義というからには戒定恵も邪義の筈であるし、仏法も亦邪義といわなければならない。それにも拘らず、仏法の語のみは盛んに使われている。何とも解し難い処である。何故この三を各別に考えるのか、その理由を是非明らかにしてもらいたい。ただ邪義・珍説とばかりいわず、大村教学の権威ある処を示すべきである。口に伝統法義を唱えながら、その内容も源流も示すことなく手を引かざるを得なかった事は、それは只己心を邪義と決め、戒定恵を忘れたことに起因しているのである。

 時局法義的な感覚で出来た観心の基礎的研究では、四明流の観心に基礎を置かなければならないであろう。しかしそこに本仏や本尊を求めることは出来ない。それは戒定恵がない故である。そのために必ず本尊や本仏は他から移入しなければならない。その筋からいえば、本仏は迹仏に、本尊は薬師如来を崇めなければ、他から矛盾を指摘されるであろう。今の伝統法義はその様な処に立てようとしているのである。宗祖が最も斥った処へ何故収まらなければならないのであろうか。

 最早や時局法義を目指す時は終った。何一つ捉えることもなく終ったのである。更めて時を撰び時を知らなければならない時が来ているのである。滅後七百年、何となく像法復帰の兆しが見えるとは何とも解し難い処である。このような時にこそ撰時が必要なのである。そして仏法の時を確認してもらいたい。これのみが目下の急務である。

 台家のみが先行すれば、当家が失われるのは古来の誡めであるが、今は宗門自身が当家を押えて台家一本に絞って新らしく伝統法義とかいうものを編成しようとしている不思議さである。もしそこから本仏や本尊が出現するなら、天下一の大不思議である。時局法義研鑽委員会は、そこを目指して来たが、一向に道が開けたようには見えない間に行きつまったようである。現状では久遠名字の妙法も、その在処や出処を求めることは出来ないであろうが、本仏や本尊はそこから出現するのである。これについては、伝教も委細にはされていない。ただ開目抄のみがこれを明されている。或は十大部と云うことも可能である。しかし、今の天台宗の教義からはこれを求めることは出来ないであろう。

 三師伝も六巻抄も戒定恵の三学を根本としているが、今は三学を三秘に摺りかえているために、本仏や本尊の出現には至らないように見える。三秘はもと三学の中の定から出ているが、今は古来戒の扱いを受けてきた三学の戒は消えて、三秘の戒旦がこれに入れ替っているようである。そして題目もまた三学から三秘に移っている。三学がその作きを三秘に奪われた感じである。しかし、結果としては本仏や本尊の出処を求めることが出来なくなったのである。三秘が異様に大きく扱われたために三学の座を奪ったのである。これはどうしても本来の姿に返さなければならない。これ又下尅上方式に叶っている故である。

 今いう処の三秘は余程与えて見ないと定から出ているとはいえない。根本は徳川の初めに流入した時にそのようなものを既に秘めていたのである。戒旦の本尊はそのような中で解される間に、いつの間にか本果と顕われたのである。そして、時々思い出したように本因の本尊が顔を出すのである。しかし、本因の本尊は必ず三学の定から出なければならない。それが三秘に出生し本果と顕われたために、御宝蔵の秘から正本堂の顕となった。顕となれば像法と判じる以外によい方法はない。色々な面で、像法という点では一致しているようである。

 元をいえば三秘が独立して、新しい解釈をする中で四明流の解釈が大いに働いている。今、「観心の基礎的研究」が現代の天台学者の考え方によって出来ているのは、いかにも行くべくして行ったという感じである。つまり故里に帰ったのであるから、案外抵抗がなかったのであろう。それは本尊抄の観心とは遥かに殊ったものである。水島もこの観心を基礎にしてやって来たが、結局は3ケ年を越えることは出来なかったのである。今一度出直しをすることである。熾んな意気に燃えて三秘と本尊の擁護に出たけれども、格別成功したとも言えない。三秘では、成功することは、まず覚束ないであろう。三秘のみでは仏法ともいえないし、仏教でもない。そこに独走の危険をはらんでいるのである。

 われ日本の柱とならんといっても、三学にあっては宗祖は右手を振り上げることもあるまい。水島法門では本仏が右手を振り上げていきり立っていることにもなる。戒定恵に居すべき本仏が、現在において右拳を振り上げては格好もつくまいと思うが、これも三秘によった故なのかもしれない。三秘を信奉する向きには、至極当然なことなのかもしれない。三学の方から見れば、われ日本の諸人の柱とならんと読む方が穏かなように思われる。一宗建立以前の眼をもって読めば、このように読んだ方がよいようである。ただし、肉身本仏流な眼をもってしては、恐らくは読み切れないであろう。開目抄によって宗祖が自身を本仏と覚知したということは、弟子のみのいえることではなかろうか。

 

 

 

開目抄の忠孝

 

 丁蘭は孝、比干・公胤は忠の代表的な扱いである。その他尹寿・務成・太公望なども挙げられているが、ただ俗世の忠孝を称揚するのが目的ではなく、これらの忠孝を中心としてこれに内典を摂入することによって、俗世の民衆から戒定恵を見出だし、そこに新らしく仏法を建立するのが開目抄の目的である。外典を仏教にとり入れるのではなく、外典に仏教を取り入れた処に特徴がある。

 理の上で外典に仏教を取り入れて仏法を成じ、これを事行に移したのが大石寺法門であり、これが山法山規として永く伝えられてきたものと思う。つまりこれが戒ともなって強く宗門を規制しているようである。本来としてその意義を示されたものではなく、事行によって無言の中に規制の中にはめられている無言の戒ではないかと思われる。深く沈められているためにその意を知ることもなく、ただ山法山規とのみ残ったようにも思われる。要は事行で事足りるということであろう。

 根本を忠孝におかれていることは、開目抄の冒頭に示されたことでも明らかである。つまり民衆に忠孝の道を分り易くするために仏法の道を開拓されたのが、開目抄述作の目的であり、これに依って安国や護国を考えられていたのではなかろうか。国家権力の中にあって守るのではなく、それを形成する民衆に、忠孝を、仏教の立場から解釈した仏法によって教えるものである。安国・護国の意義もそこにあるのであろう。

 直接民衆と仏教を結ぶのではない。そこに思想としての意義があるように思われる。伝教の守護章もここに目標があったようである。そのために戒定恵の三学の必要があった。暗に民衆の主体性を出そうとしたようにも思われる。これが国家権力につながれば、日蓮は大忠臣ということにもなるが、三学がある限り、それは無理なのである。

 民衆という語を宗門は斥うけれども、一切の民衆を対告衆とした処に一閻浮提総与もある。しかし仏法の語は仏教では釈尊一人に収まるように、それが宗祖一人について考えられる時に、一切衆生とかわると、一閻浮提総与の意味も自ずから変ってくるのである。これはあくまで従として考えるべきで、主役は一切の民衆でなければならないが、今は逆になっている。

 ここに独善となる要素もある。仏教的な考えの中で宗祖一人が本仏となることは、色々と次の危険が生じる恐れもある。尭舜などを引用しながら民衆が主体であることを強調されている処も、或は元初の意をもっているのかも知れない。宗祖自身が忠臣孝子であるというのではなく、民衆の立場を明すために、仏法を建立するために、戒定恵を見出だすための語と解すべきではなかろうか。

 父母の孝養ということも、末法以後は一般にも特に取り上げられているようにも思われるが、これらも単なる親孝行のみではないかもしれない。或る面では民衆思想が既に盛り上がってきている証左と見るべきではなかろうか。楠正成が大忠臣、子の正行は大孝などもその一例であるが、鎌倉から南北朝の頃は、案外忠孝が論じられた時代なのかもしれない。それが母体となって、次の民衆思想が盛り上がって来たということは考えられないであろうか。

 忠孝は単なる忠孝でもなさそうである。忠には国家権力につながっていくものと民衆につながるものとの二つがある。天皇家の祭祀には孝の一面がある。忠孝は双方に通じるものを持っている。鎌倉から南北朝の頃、陰で忠孝がどのように動いていたか。これは興味のある問題である。忠と孝はその後長く伝えられてきている。孝は国の大本ということもあったようであるが、宗門もまた孝が大本になっていることは充分考えてよいと思う。主に対しては忠、師に対しては信、親に対しては孝、主師親は開目抄の冒頭の語、これまた戒定恵の三学を見出だし仏法を成じるための第一声のようである。そして最後は主師父母となっている処は、一人々々の民衆を指し、これに対して主師親は多数の民衆を表わしているのかもしてない。忠孝と隠遁と、この二つが大石寺法門の根本となっているかもしれない。時局法義よりはこの根本法門を探ることの方が、より重要なことである。

 今は忠孝と戒定恵と仏法の三が各独立しているように見えるが、この三は常に一の処に収まらなければならない。忠孝も戒定恵も、時々は考えてみないと、反って仏法が不安定になる恐れがある。本仏や本尊の解釈が変ってゆくのも案外そのあたりに根源があるのかもしれない。今の戒定恵は殆ど仏法とは関係がなくなっているようである。

 仏法と戒定恵、それは梵と漢と和の三を和の中で融合するのが目標であったようにも見える。「御書は和字に限る」というのも、その辺りの消息を伝えているのかも知れない。これは仏法の上に使われているように見える。印度から東漸する時は仏教であるが、月氏に帰るときは仏法ということになっている。仏教を民衆のものとしようとする意図が見える。これは戒定恵を除いては考えられないことである。

 末法に入って二百年、漸く立ち上りの気配が見えた。その先頭に立ったのが日蓮である。思想的な立ち上りである。我れ日本の柱とならん等というのも、専ら思想的な立ち上りの意を表わしているように思われるが、見方によればそのまま国家権力につなげられるものも持っているのである。今の大石寺では、忠孝は何れにつながっているであろうか。開目抄とは相反する方向に出ているのではなかろうか、気掛りな処である。

 忠孝は所謂民衆思想の抬頭の根元になっているようである。それを裏付けているのが戒定恵であり、これを通して新らしい民衆思想へつながっているようである。一方では伝教から、また従義のあたりからその思想が流れこんで開目抄が出来ているように見える。その点四明流にはそのようなものは見当らない。やはり従義には民衆を主体とした考え方が根本となっているが、この考え方は一宗建立にはつながらない。従義流からは一宗建立した例は見当らない。それを承知の上で日蓮は従義流によっているのである。日蓮宗が出来るためには、どうしても従義から四明に変らざるを得なかったのである。結局は一宗建立以前の、一つの思想として開目抄を見なければ、その真実はつかみにくいと思う。忠孝の意味が捉えにくいのが根本になっているためである。一宗建立以後になると、忠孝の意味が大巾に変るためである。開目抄と忠孝、そして民衆と、この三は切っても切れない深い関係をもっているようであるが、今では一宗建立のために、その影が異様に薄れたように思われる。今こそ仏法を確認する時であるが、これこそ「今正是其時」である。

 伝教の戒定恵も「今正是其時」の処で大きな飛躍があったのではなかろうか。これは仏法へ出るための常道のようである。しかし、親鸞には戒定恵が見当らないようである。己心は取り上げたけれども三学がはっきりと出なかったために後退を余儀なくされたのではなかろうか。つまり仏法へは今一歩という処であった。時のしからしめる処か、依経の故か、そこに時の流れが大きく働いたという外はない。

 

 

 

仏法の戒

 

 何を戒と称しているのか、委しくは開目抄の項を参照せられたい。仏教語大辞典の戒の解釈をそのまま御授戒の戒にあてはめることは出来ないであろうし、中古天台の本門の戒そのままともゆかない。仏教にはない戒が新しく出来ている。それが御授戒の戒である。仏法ともなれば、文字は同じでもその内容はすっかり異なっているのである。

 法華本門の戒を持つや否やと。その語は二帖抄等と全く同じであるが、その戒の意義を同じとすれば中古天台の阿流といわれても止むを得ない。語は中古天台のままであっても内容が違っているのである。大石寺ではその戒を戒定恵の戒にとり、開目抄に当てはめている。また宗開三に当てるなら宗祖ともなる。それが仏法家の戒であることは、三師伝の如くであり、そこに独自の戒が成り立っているので、最早戒律の意味の戒からは大きく脱皮しているのである。

 御授戒ではどのような戒を意識して持つや否やと唱えているのであろうか。教学部の解釈はどの様に決められているのであろうか。御授戒の戒はこの意味であるというものがあるのであろうか。それとも只口移しのみで内容には触れないのであろうか。しかしこれは重要なことである。入信第一日にはこの戒を受け、これによって客殿の客の資格も附与されるのであるから、ただ漠然と爾前迹門の戒を受けたのでは、丑寅勤行への参加も如何なものであろう。どうしてもそれにふさわしい戒が必要なように思われる。

 その意味では開目抄を戒とみることは抜群の発想である。入信第一日に仏法を確認しているのである。これは山法山規による処であるから、格別理をもって知る必要もない、事に行ずれば充分理解したということであろう。そして知らず識らず仏法に投じる仕組みになっているのではなかろうか。

 この山法山規や事行の考え方は、現実の教学部の考え方とは別の処で今に受け続がれているようである。これは仏法の一筋である。本因の本尊も本仏も、そこには昔ながらのものが伝えられている。これは時空を越えた処にあるものである。その故に長寿である。滅後末法が始をとるのも意はそこにあるかもしれない。現在は終をとるために自然に在世末法に出るのであろう。ここでは己心の法門も必要がなくなっているのである。己心に立てられた広宣流布は始をとり、今の広宣流布は終を目指している。そこに自ら在滅の異りが表われているのである。自然に発露された処、全く偽りのないものである。

 授戒とは戒を授けることであるが、戒が何か分らないでは授戒は全く無意義である。まず教学部において戒とはこのようなものであるという定義付けが必要であると思うが、教学部長は定義付けのないのが戒であるということなのであろうか、これまた是非伺いたい処である。戒とは形の上に表わされたものにいう名である。一応は語の上で説明を加えるべきものではなかろうか。しかし、不信の輩が何を申上げるかということであれば、強いて求めるつもりはない。しかし信者から疑問を投げかけられた時には信心しなさいということで解決しているようである。それで解決すれば、それが信者といわれるのである。信心は全ての疑問を解決する最高の武器である。

 そのような中で、水島流無疑曰信もその威力を発揮することが出来るのである。御尊師も戒について定見を持って、持つや否やとやっているわけではないであろう。しかしこれは何としても大きな欺慢であると思う。況んや入信第一日に於いてをやである。一方では無戒といい、他方では有戒である。これでは信ずる者と雖も多少の困惑が残るであろう。このような疑問を除いてこそ、無疑曰信もありうるのではなかろうか。これまた御尊師の再考を煩わしたいところである。

 とに角信心しろ、信心すれば功徳がある御利益があるでは、少し低俗すぎるようである。ここは宗教として大きく前進する必要にせまられているように思われる。わざわざ時局法義研鑽委員会を発足させ、宗を挙げて一人の不信の輩を折伏しようとしたけれども、遂に成功しなかった。大いに反省しなければならない処である。

 伝教は梵網戒によっているが、宗祖はこれに代るものとして開目抄を述作し、この中に必要な戒を示されている。それが忠孝など外典によるものである。世間に行われているものを媒とし、戒としての戒定恵を見出だし、そこに仏法を成じたのである。梵網戒は外典による忠孝などに置きかえられているのである。道師は開目抄を戒とし、ここから本仏を出されているようである。恐らく末法の戒であり、在世末法については無戒といわれているのであろう。

 法華本門の戒とはこの開目抄を指しているのであろう。成道のために戒が入り用なことは、滅後といえども変りはないものと思う。恐らく末法の戒とは開目抄をさしているのであろう。恐らく山法山規でも開目抄は戒として扱われているであろう。この戒によって入信も確認され、丑寅勤行の参加も許されるのである。この戒を持つことは開目抄を持つことであり、本仏を持つことであり、宗祖を持つことでもある。これが戒としての扱いを受けていることは、丑寅勤行に参加する度に授戒を受けていることでも明了である。即ち事行の法門であり、また山法山規でもあると思う。これは大石寺独自の戒である。末法無戒とは時が異なっていることに留意しなければならない。 

 

 

戒定恵

 

 他の殆どの項目と同じように開目抄の項と重複するが別項とした。同項を参照せられたい。

 伝教は、三学倶伝名曰妙法といわれている。大石寺法門即ち仏法の根源になっているもの、また十大部も同様である。戒定恵を捉えることによって、始めて仏法を称することが出来る。そこで仏法に時が必要なのである。戒定恵は世法の中に、即ち外典の処に仏教を摂入したとき始めて現われるもので、仏教に外典を持ち込んで解するものではない。今では仏法を反って仏教に持ち込んでいるようである。これでは御利益に頼る外はない。本尊を拝めば功徳があるという水島は、その功徳によって莫大な御利益を頂いたのであろうが、肝心の論争では何一つとる処もなく、何の功徳をうけることもなく早々の退散である。これでは本仏や本因の本尊の功徳をうけたのは不信の輩ということになる。それほど信心しながら、論争について功徳が受けられなかったのは何故であろうか。一度後学のために反省してみるとよい。論争は法についてのものである故であろう。法門と功徳を混乱させることは最も慎まなければならないことである。事行の体験いかがでせうか。

 伝教の時は、像法の故に戒定恵もその働きを起こすことはなかったが、末法ではその働きは莫大である。それにも拘らず今は無関心のようである。戒定恵の三学については今に水島から何の反応もない。これは他宗に参考になり、或はそのまま使えるものがないために手間取っているのかもしれない。これ又虚を衝かれた故に、右往左往に手間取っているのであろう。そのために、早急な立ち上りは望めないと思っている。

 開目抄に「外典を仏法の初門となす、内典わたらば戒定恵を知り易からしめんがため」ということは、既に民衆自身がもっている忠とか孝とかいうようなものを始めとして、中国的なもの、日本的なもの、色々の思想として世間にあるものを根本として、内典即ち法華経をもって割りだしたもの、それが戒定恵である。どうしても法華の受持がなければ出来ないものである。文上の法華に対してこれを寿量文底の法華という。これが仏法である。

 ここに己心の一念三千もあれば、久遠名字の妙法もあり、事の一念三千もある。久遠元初といわれるものもまたここにあり、また本仏や本尊もここにあれば、成道といわれるものもここにある。これは仏法の上での成道であって、迹仏世界の成道とは別物であるにも拘らず、今は時の混乱によって迹仏世界即ち仏教の成道と混乱しているのである。

 本仏や本尊・成道も、共に民衆の処即ち戒定恵にあるものであるが、今は本仏は宗祖一人に、本因の本尊は本果の本尊と現われて正本堂に、成道は仏教にというように変っているのである。そのため民衆の手から離れてしまっている。つまり仏法が再び仏教の処に帰ったような形になり、しかもそこで仏法で出来たものを唱えるのである。これでは他宗門が受け入れる筈もない。何をおいてもこの辺りをはっきりと分ける必要がある。

 世俗にあって仏法は建立されているけれども、最終的には俗世・俗身を離れた魂魄の上に仏法は成り立っている。若し仏法を左とすれば仏教は右である。仏教に帰って仏法を語れば、左右の衝突は必至である。このような中に日蓮正宗は建立されているように見える。ここははっきりと仏法の時の上にあって仏法を唱えなければ増々混乱を来たし、孤独化は必至である。若し仏教に帰るなら、仏法で出来たものは全て消さなければならない。何としても左右の区別を付けることが最要事である。仏法家かと思えば仏教家のようでもあり、仏教家かと思うと仏法家のようでもある。何れか一方に決めなければ、反って自ら墓穴を掘るに等しい事にもなる。

 仏法を唱えるためにはまず時を学すべしということである。時が決まらなければ仏法はあり得ない。仏法を唱えながら像法の不軽や上行がそのまま滅後末法に出たのでは困りものである。仏法の時にあって、不軽がどのような姿をとっているか、これも考えてみなければならないことである。日蓮紹継不軽跡も水島ノートで見出しだけは見たことがあるが、これは必ず仏法世界で受けとめなければならない。若しこれを仏教世界で受けとめるなら、必ず大きな混乱を起すであろう。水島説は仏教世界で解釈していたものであろう。文上文底は言葉のあやではない。不軽菩薩が文底でどのような貌をとるか。日蓮紹継不軽跡とあるからといって、必ずしも宗祖に限るわけではないかも知れない。本仏・本尊が民衆の己心にあれば、この宗祖は民衆の己心にあるかもしれない。まず時を確認した上で日蓮が宗祖なのか民衆なのか、それを決めた上で不軽を論じなければならないと思う。若し不用意にこれを論じるときは仏教に立ち帰る危険は多分にあるといわなければならない。水島説の不軽はどこで論じているのであろうか。文底と文上、仏法と仏教の混乱の恐れはないのであろうか。

 それを防ぐためにまず戒定恵を確認することである。これが大石寺法門の故里であるが、日蓮正宗に故里はどこにあるのであろうか。伝統法義では本仏や本尊の故里をどこに決めているのであろう。三秘では故里としては少し弱過ぎる。久遠名字の妙法も事の一念三千もその出生の処は明されていなかった。しかも山田は本仏や本尊を出していたのである。それだけに不安定なものをもっている。

 一宗建立以前のものを、一宗建立以後の解釈をもってしたために混乱が起きている。そのためにあわてて裏付けのために天台学者の研究成果にすがりついたために更に混乱を深めたようである。その結果として収拾が付かなくなった。そのために敗退の止むなきに至ったのが真相のように思われる。日蓮紹継不軽跡が迹仏世界で考えられると、釈尊の遥か後に出た宗祖が、或る時突然釈尊の遥か以前に誕生し、そこで不軽の跡を紹継するようなことにもなり、前後の区別がつかなくなる。仏法という別世界に誕生した本仏と釈尊の遥か後に生れた宗祖とが一箇すると、遥か後に生れた者が、何の理由もなしに遥か前に生れたことになる。これは今も最も説明出来ない部分であり、しかも時の混乱によってこのような事になる。そして鎌倉に生れた宗祖がいきなり釈尊より遥かに遠い時代に生れ、そこから肉身を保ち続けたことにもなる。今吾々の常識では考えられないことが考えられるのである。

 伝統法義とはこのようなものかもしれない。今はそのような事が平気で考えられている不思議さである。このようなものを正常に世間通用の処に返すのが重要な課題ではないかと思う。慎重に戒定恵の処から考え直す時が来ているのである。戒定恵から始めるなら、このような雲をつかむような話も姿を消すのではなかろうか。そして正法といえば必ず自分の唱えるところは正法となる、正法であるというような考えを起す必要もなくなるが、それ以前に戒定恵を忘れ、己心の法門を邪義と決めることが何故正義なのか、己心の法門を唱え戒定恵の復活を叫ぶのが何故魔の所為なのか、ここは文証をもって魔説であることを証明しなければならない。悪口雑言は証明の出来ない苦渋の声の響を持っているようである。

 己心の法門が邪義であるということは、開目抄や本尊抄・取要抄其の他の十大部、及び御書を捨てるに等しいと思うが、それでも己心の法門を捨てることが正義なのであろうか。己心を捨てることは戒定恵を抛つことである。これを正義とすることは難が中の難ではなかろうか。悪口雑言は文証ではない。十大部の内から、切文でもよい己心が邪義であると証明しなければならない。二ケ年半の間、このような証明は一度もなかった。相手を魔とするのは常套手段であるが、いよいよ万策尽きたという感じを与えるものである。日蓮正宗の僧が正といえば邪も即時に正となる、正は必ず邪となるというようなことが根本に置かれているが、どうもこれは正常な考えとはいえないように思われる。

 己心を邪とするために天台宗の観心をもってしようとしているのであろうが、開目抄や本尊抄の観心は戒定恵の門を通っている観心である。これが仏法にいう処の己心の法門である。仏教の観心と仏法の観心とは同一視すべきではない。

 台家から当家に入るためには、開目抄に示された時が必要であり、まず戒定恵の出来上る処を明さなければならない。ただ羅列されたものを消化するようなことは、現状では出来ないであろう。理はあっても、それが事行につながるものでなければ無用である。世俗に仏教が持ち込まれた時、天台の観心が当家の観心に替る、その在り方を示されたのが開目抄であり本尊抄であるが、肝心に切り替えの処を省かれたのでは、分る筈もない。そして相手が理解しなければ不相伝の輩であり不信の輩であり、結句は魔の所説ということになる。何となく原始的ではあるが、これは元初ではない。ここは考え違いのないようにしてもらいたい。カーッと上った時に、己心は邪義だとやったのは一生の不覚であった。蓄がなかったためである。戒定恵にはこのようなものさえ消化する能力がある。一切を戒定恵に浄化してもらって、改めてすっきりとした処で再出発というわけにはゆかないのであろうか、悪口雑言が魔に替ったことは、事態がそれだけ深刻になったのであろう。とも角そのように受けとめて置くことにする。

 御本尊に手を合さなかったから功徳がないというけれども、当方は台家から大石寺法門となる境目を探ろうとしているのである。そこには本仏や本尊や仏法はあるけれども、今いう処とは全く異ったものである。つまり一宗建立以前のものである。それを明らめることが出来れば、今のものと比較することが出来るが、現状は今のものが全部である。そのために浮動するのである。それは余りにも離れ過ぎているために、今となっては後へは引けない、ただ前進あるのみということのようにお見受けした。世間ではこれを猪突という。これは天下の日蓮正宗としては、あまり好ましい事とはいえない。邪とか魔とか云ってみても、所詮は日蓮正宗発展の邪魔になる以外、何ものでもないということをまず弁えるべきであろう。相手が邪と見え魔と見えるのは自分の境界の低いことを示している。そのような語の必要のない処まで自分を向上させなければ、解決の期はないであろう。それほどキズは深いのである。何はともあれ、今は開目抄の全体像をつかむことである。それが深みに落ちこむのを止める唯一の方法のようであるが、現状は、開目抄とは真反対の方向に進んでいるのではなかろうか。そこに反省の場があるのである。開目抄へ帰る事を何も恥かしがる必要もあるまいと思う。

 未萌を知るを聖人という。大聖人の大は報身如来を表わすといい、聖人はもと外典に依る処である。ここにも外典と内典の融和の姿が表わされている。しかもその大は、方便品の一大事因縁の大の意をもっているといわれている。そのことは所謂中古天台と同じであるが、結局はそれを受けとめる時が違うのである。若しこれを仏教で受けとめるなら、或は邪といわれるかもしれないが、仏法はこれを世俗の上に受けとめて建立されているのである。これが十如実相の受けとめ方の一つではなかろうか。ここが俗世への連絡口である。その意をもって常日頃方便・寿量を唱えているものと思う。

 日蓮正宗が仏教の中に終始止まるのであれば方便読誦は無用に属するであろう。大聖人の大はそれを突破したしるしである。そこに仏法の境界が開けているのである。大は仏法の時を示されている処にその意義があるのである。これは御本仏であるから大聖人という以前の段階である。今はこのあたりのことは、殆ど記憶から外れているのではなかろうか。これは本因に属しているが、今は専ら本果に依っているために、自然に解釈が変って来ているのである。つまり立ち帰り振り返って見る逆次の読みは、どこかに置き忘れたということであろう。

 大石寺のように仏法を立てる処では、他宗のもので間に合わすわけにもいかないから、常にその立処というか、その発端の辺は明確に把握しておかなければならない。しかも今特別に不明了なのがこのあたりである。十如実相から開目抄に至る間、そこが問題なのである。即ち今最も不明了な部分である。それを探るものには、あらゆる悪口雑言を投げかけ、邪説・珍説・魔説などとこれを阻止しようとしているのである。しかし悪口は所詮悪口である。反ってその都度自分等が窮地に追いこまれるのみである。魔説などとは、いよいよ追いつめられた者の使う語であることを弁えてもらいたい。

 文底とは十如実相に事始まって、開目抄に事畢る、そこに仏法が表われるということのように思われる。文底の二字のみでは他をして理解せしめることは出来ない。ただ不相伝の輩のみでは説得力に欠けているようである。宝塔品に事始まり(中略)神力嘱累に事畢るというのは、文底所在の処を示されているのであろう。仏法はここに文底を示されているように見える。今までの所、阿部さんには、文底についての明確な示しはなかったように思う。文底とはどのようなものか、どこにあるのか、具体的な明示が欲しい処である。ただ文底の二字のみをもって信用することは、吾々には出来にくい。たとえ御法主上人のお言葉といえども返上するの外はない。魔説同様である。ただ信用しろ信心しろでは単なる言葉の濫用に過ぎない。この信が信念の信か仁義礼智信の信か、本源はこの信の処にあるかもしれない。何れの信に用と心がついたのか、用心用心。そのあたりの処も御相承の上から明らかにしてもらいたい処である。吾々は高座から声をかけられても、遺憾ながらそのような境界にないことは、既に御承知の不信の輩であることを申し上げておきたいと思う。 

 さて、僅か2ケ年半で、あれ程いきり立っていた水島が急に敗北を認めて後退し、阿部さんもまた何やらボソボソやっている。それがどこに原因があるかといえば、根本は戒定恵をすてて、己心を邪義としたことにある。一言でいえば、己心を邪義とすることは、それ程現在の法義が狂っていることを証明したことにもなる。己心の法門を奨めるものを狂った狂った、狂いに狂った、あれは狂学だという程狂っているということである。これ程たしかな証明は又とあるまい。それらは宗門の機関紙大日蓮に堂々と発表されているのである。そして今ボソボソやっているのは、相手のいない処で不相伝の輩、不信の輩とやっている事の姿である。相手に、以前のように大きな声が上げられない処まで来ているのである。惨憺たる敗北である。法門に対しては法門をもって答えるのが常識である。それにも拘わらず暴をもって答えたのが宗門ではどうも格好がつかない。同じ仏法の時の上にあってこそ法論も成り立つもの、これは大分の見当違いであったようである。ここに直接の敗因があったのではないかと思う。6年間を振り返ってみて、只の一回も戒定恵の語は出なかった。御本尊とか御本仏日蓮大聖人の仏法と、口には唱えてみても、その中に戒定恵を思わせるものは全く見当らなかったのである。それだけ語義が違っていたのである。そこでは信心のみが根本に置かれていたのであった。戒定恵を目指したものと、信心のみを根本にしたものと、遂に合致することもなく終った。そして当方が得たのは悪口のみであった。慈悲を与える筈のものが悪口のみを与えたのでは、逆縁も結び兼ねる。一閻浮提総与のような、大らかなものが欲しい処である。それを与えてこそ末法の慈悲といえるであろう。

 仏法から後退したものと仏法を唱えるものと、所詮は教は法を越えることは出来なかった。法前仏後は大石寺法門の根源の一つである。宗門が何故これが捉えられなかったのであろうか。これは吾々の最も解しがたい処である。本仏も本尊も、其の他一切の仏法はこの法前仏後の処で組み立てられている。これがなければ下種仏法は成り立たない。今は宗義が全て仏前法後の中で解釈されて正宗教義が作られている。そのために色々な矛盾が複雑にからみあってくるので、そこでは爾前経もそれ程区別を立てる必要はないようで、中村仏教語大辞典が大いに利用されたのも仏前法後がそのような扱いを許したのであろう。結果としては弥々大石寺法門が解らなくなったようである。そのために止むを得ず、水島御尊師程の学匠も後退せざるを得なかったのである。この線に居る限り、再び反撃の日はありえないであろう。改めるなら一日も早い方がよい。弁士交替である。御尊師と仰がれる人が、古文書を少しかじった職人芸の前に枕を並べて討死とは、どのように解したらよいのであろうか。尊きが故に虚空に居を移した故であろうか。もし戒旦の本尊に手を合せて居れば一言で跳ね飛ばされていたであろう。御尊師方のものは全て、戒定恵をいかにして捨てるかという処に集中している。

 大日蓮の9月号によれば、以前のままの折伏と広宣流布に出発するようである。仏法の広宣流布と仏教の広宣流布の異りだけは一度でも考えてみるとよい。仏法の広宣流布は己心の上にあるもの、必ず完了が先に立っている。これは始の中に終を含めているからである。伝統の上にはこれを取ってをる。滅後末法に法が建立されている故であるが、再出発の広宣流布は在世末法による処、そこに在滅の異りがあることだけは知っておかなければならない。

 三師伝では、三祖と戒定恵とは離れられないようであるし、序のごとく開目・本尊・取要の三抄があてはめられて三祖一体を成じている。六巻抄もまた戒定恵を根本として仏法の意を明されている。三師伝では開目抄から本仏、本尊抄から本尊、取要抄から成道となってをり、六巻抄も三衣をもって三祖一体を示し、同時に戒定恵に配することによって本仏・本尊・成道ということは変りないと思う。これが上代からの戒定恵の解釈であろうと思われる。そして丑寅勤行につながっているので、山法山規から事行の法門につながっているさまがよくわかる。それにも拘らず、水島教学からは戒定恵の香をかぐことは出来なかった。仏教は戒定恵を媒として仏法となった。しかし戒定恵のない仏法とは、一体どのようなものであろうか。まことに空虚そのもののような感じである。

 終結篇は何やらボソボソやっているようではあるけれど、みみずの戯言、小犬の寝言のようで、一向に要領を得ない。戒定恵を他宗の辞書によってみても、仏法家のための解釈は出ていないであろう。今は戒定恵の意義は殆ど消え失せているように思われる。それをどのように復活するか、その方法でも考えた方が余程賢明である。戒定恵や己心の法門など始めから考えない方がよいと匙を投げた、三学や己心には一向無関心のようである。既に仏教に根を下している故であろう。文化の波の中にあっては、いよいよ仏法は持ちがたいということを自ら認めたのであろう。優秀論文は天台化の方向を最も好く表わしているように見える。これも時の流れということで理解することにするより外に、格別よい智恵も浮ばない。  

 

仏法と世直し思想

 

 貞観政要は、平安朝以後大きな思想的な影響をもたらしているのではないかと思う。殊に末法突入以後は影響を与えているであろう。日蓮や太平記もその中にあったであろうし、梁塵秘抄の考えも、これは除けないように思う。何れも従義流に関わりがあるようである。何れも民衆を基本としている処は、帝王学を逆次に読んでいる。そして最後太単記を事に行じた処で民衆は帝王の座につくのである。それが世直しである。

 56億7千万歳を刹那に縮めて弥勒の世を具現したのは己心の法門であるが、その根本は貞観政要にあるかもしれない。この己心の法門は戦乱の世を即時に中華無為の世界に切りかえる力を持っているのである。その中にあって大きな役割をしているのが主師親の三徳である。その三徳が逆次の読みの中で民衆を刹那に帝王の座に居えているのではないかと思う。順次では仲々そのような時は廻ってこないが、逆次なら最短距離に居るのである。

 世直し思想でも陰で働いているのは貞観政要のように思われる。即ち逆次の貞観政要の読みの中に末法の民衆救済の極理を見出した、それが己心の法門であり、時をいえば滅後末法の時であり、それを説いたのが開目抄である。

 開目抄は貞観政要の百姓を王座に居える処から始まっているのではないかと思う。特に礼楽先に馳せは、漢の武帝・宜帝の政治を引いているのかもしれない。逆次の読みである。逆次の読みという発想も、本源はここらあたりにあるのではなかろうか。逆次に読めば百姓は最も王座に近い処に居るのである。これが真実の慈悲なのかもしれない。それが己心の法門ともなれば即時に自力をもって成道が具現出来るのであるが、今はこれを僧のみの上に具現しようとした処に破局があったのかもしれない。これは対告衆を取り違えているのである。対告衆はあくまで百姓であり民衆であったのである。

 宗祖は貞観政要に得たものを、そっくり民衆に渡している。それが徳化ではないかと思う。そして師弟相寄った信頼感の上に本尊を成ぜられている。それが本因の本尊であり、そこに帰依を含んでいる。今は帰依といえば本尊であるが、開目抄では師を教えて帰依をしらしめることになっている。その師に帰依するとは師徳に帰依することであり、人徳に帰依する意味のように思われる。己心に師を求めて本尊を見出してそこに帰依すれば、天下太平である。民衆に対しても、徳は必ず先に施すべきものである。太宗皇帝は百姓に対して先に徳を施したために、百姓はその徳に対して信頼をもって応えたのである。太宗に百姓が帰依したのであるが、それを己心の上に現じたのが己心の法門である。師弟共に愚悪の凡夫の処にこの法門を具現すれば己心の法門である。折伏教化共に徳化である。

 忠孝が芽生えてくるのも鎌倉の始め頃であろうし、興師の「御書は和字たるべし」というのもこの頃芽生えてくるであろう。和国的な独自の考え方の芽生えである。日蓮にも忠孝は大きな役割を持っているようであり、太平記でも正成・正行の忠孝も何か大きな役割を持っているように思われる。或は民族意識の高揚に役立っているかもしれないし、苦難からの立ち上がりに役立っているかもしれない。従義流は逆次の読みをもって貞観政要を民衆に振り向けているかもしれない。これによって民衆は末法の重圧から逃れる方法を見出したようにも見える。その意味で貞観政要は大きな役割を果しているように思われる。

 後白河法皇も貞観政要を通して民衆と共々に末法の苦難を分け合い、その乗り越えてゆく様を見て我が悦びとする中で、他力本願の弥陀信仰のみでなく、観音信仰も可成り強かったのではなかろうか。法勝寺の御八講の記録からしても観音信仰は強くなっているように見える。東大寺宗性の写本の意にはそのように思わせるものが多い。熊野信仰の中にも現世に普陀落の浄土を求められているように見える。そして東大寺が再建された時を契機として晋陀落信仰が大きく浮び上り、毘盧遮那仏も文殊と観音の側面援助の中に末法に出現することが出来た。その末法出現の再誕祝が「奈良の御水取り」として今に祝福を続けているのではないかと思う。この水は観音のみが領知する晋陀落の水のように思われる。大石寺の御華水にも滅後末法の祝福の意味を持っている一面があるが、これは上行の方が濃いであろう。後白河法皇が色々な信仰を持っているように解説されている向きもあるが、それは民衆に末法の苦難を脱がれさせるための手段なのかもしれない。ここにも貞観政要が生かされているような一面が見える。

 梁塵秘抄にもその苦難を乗り越えた民衆の喜びが秘められているようである。そして民衆とその悦びを分ち合おうとした処に梁塵秘抄編集の真意があるのかもしれない。この秘抄にはその悦びが底流に充ち溢れているのを感じさせるものがある。

 これは上行でなく観音に出た従義流の一つの流れかもしれない。大宗皇帝が百姓に向けた徳は、後白河法皇によって苦難に喘ぐ末法の衆生に向けられたものである。この頃法然は多念をもって浄士信仰を確立したけれども、間もなく親鸞は一念を唱え始めた。恐らく民衆の総意がそのような方角を指し示したのであろう。その後日蓮によって唱題が始まった。その間中、貞観政要の徳は流れ続けていたであろう。

 見るに心の澄むものは、社毀れ禰宜も無く、祝無き、野中の堂の又破れたる

  子産まぬ式部の老いの果て     (岩波書店、シリーズ23 古典を読む、梁塵秘抄)

 後白河法皇は民衆の立ち上がりに共鳴されているようである。梁塵については秘抄に詳しいので改めていう必要はないが、今試みに大字典を引くと、梁塵とは「うつばりのちり、梁塵を動すは、歌声の善きを賞していう」となっている。この意味であれば秘抄は本因にあたり、梁塵は本果を表わしている。或はこれを通して法皇の因果共時の悟りの境界を示されているかもしれない。歌詞を集めたものの間の不思議な一法が示されているかもしれない。遊女を院に住まわせて今様の師と仰ぐことは、当時としては全く破天荒のことであるが、今様を通してみた時、そこには法皇も遊女の現の姿も即時に消滅し、そこに己心の世界が開けるなら、そこは純円一実平等無差別の世界であり、老若男女も貴賤老少もない境界である。梁塵秘抄はそのような中に出来ているように思われる。若しこれが宗教的感覚をもって解される時は親鸞はそこに弥陀を見るであろうし、日蓮ならそこに本尊を見るであろう。梁塵秘抄は今様を通して純円一実境界をそこに見出しているのであろう。従義流の考え方も当時は既に完成の時が近付いているのであろう。そして民衆も反応を見せて立ち上がっていることは秘抄の今様全体についていえるのではなかろうか。

 特に今引用した「見るに心の澄むものは」には、それを濃厚に伺うことができる。それは弥陀信仰によって立ち上がったものではなく、己心の法門による立ち上がりであると思うに秘抄の中には、民衆の立ち上がりについては可成り克明に記録されているのではないかと思う。恐らくはこの秘抄は、己心の法門を除いては伺いがたいのではなかろうか。この法門は親鸞の滅後更に調子を上げて日蓮に至り、開目抄述作の時期に最高潮に達するのではなかろうか。

 前に引用の文について私見を申し述べるなら、「社毀れてねぎもなく、祝なき野中の堂の又破れたる」は、無常というべきか、一切空というべきか、神も天上してしまっては頼るものもない。「子産まぬ式部の老いの果て」もあとしばらくすれば残るものも消えてゆくであろう、毀れた社もそのうち姿を消して後には何も残らない。それを刹那とよみ己心と見た時、そこに己心の法門による立ち上がりが待っている。それが自力の法門である。自力は根強く拡がっているように見える。太平記が花園天皇の49回忌を終った処で中華無為として太平を謳歌したのと、手法は全く同じである。「見るに心の澄むもの」とは己心の法門の境界から見た澄心である。弥勒浄土の一つの表わし方であろう。これをもって常に一つ一つの苦難を乗り越えてゆくのである。見るだけで心が澄むのは時が異なっているのである。無常の手前と彼方の時が刹那に具現されて己心の法門の世界が開ける。そこに大石寺法門は建立されているのであるが、今はどうやら無常世界に己心の法門を建立しようとしているように見える。それは日蓮正宗の宗義であり、伝統法義もそこに建立されているようである。それだけに俗臭がこまやかなのであろう。

 後白河法皇はこの今様から純円一実の境界を見出されたのかもしれないし、そのような中で常に庶民に徳を施されていたのかもしれない。これは徳化の一分である。

 著者加藤周一氏は引用の今様の解説の中で、「壊れた神社は廃墟に近いけれども、木造の建物だからあまり古いものではあるまい。それを何らかの意味で評価する態度が、平安時代の日本にあったとは、考え難い」というが、反ってその源流は既に伝教の時に始まり、智証の頃にはかなり進行し、末法に入った以後は専らこの研究は盛んになり、後白河法皇の頃は最盛期に入っているのではないかと思われる。それが日蓮を経て太平記となり、世直しにつながって開花しているのではないかと思う。

 これは己心の法門の世界である。「心の澄む」というのも釈尊や高僧の悟りではなく、これは愚悪の凡夫の悟りである。それが本仏の悟りかもしれない。語は同じでも内容的には天地の相違がある。一般には悟りといえば天の悟りを取り、吾々は理屈ぬきで地の悟りをとる。その地の悟りの盛りが後白河法皇の頃ではないかと思っているのである。そこは見方の相違ということである。梁塵秘抄を民衆の悟りの境界の集積されたものと見るのは思い過しであろうか。秘抄の中には民衆の思想の動きもかなり鮮明に記録されているのではなかろうか。

 しかし、現在の読み方では民衆は顔を見せないかもしれない。民衆が顔を見せるような読みを見付けることから始めなければならない。現在では秘抄も日蓮の御書も太平記も、その意味では全く手付かずの状態で残されているようである。若しこれらのものが読みとれるなら、民衆の思想的な成長の跡も伺えるようなことになるかもしれない。生資料としては日蓮の真蹟も大量に含まれているのである。

 己心の法門も現在の日本の民衆を基盤とした処に意義がある。平重盛の忠孝が記録されるのも鎌倉の始め頃であるが、その陰に貞観政要の力があるかもしれない。日蓮には忠孝は大きな働きを持っており、太平記でも忠孝は大きな役割を果しているようである。その忠孝が次の思想の形成に大きな働きをもってくる。

 太平記の著者といわれている小島法師の名前も異様であるが、たかが東海の小島の宿なし坊主といえば自嘲気味ともとれる。しかし、この人は従義流の教養は多分に持っているであろう。それだけに貞観政要もよく消化した処で使われているようである。民衆を取り出すためには貞観政要は不可欠のもののようである。このような人等が丹念に新しい思想を殖え付けて廻っているのであろう。

 それにしても49回忌を終って50年、天皇と生れた身が一切空に帰した処で中華無為とは、太平記も心憎い程の発想である。一切無差別の世界を現じているのである。それはいうまでもなく報仏如来の領知する処であり、純円一実の境界でもあれば刹那でもある。また仏法世界でもある。太平記四十巻の記録はこの境界を呼び起すためのものであった。南北朝の動乱も純円一実の境界の前には動乱の意義もほんの手段に過ぎなかったのである。生きて50年死んで50年、〆て100年を刹那に捉えた処はどう見ても己心の法門である。その己心の法門の中にあって49ヶ年の世上の動乱はほんの刹那の出来事である。これを理として世直しは起きているようである。上の理を事に行じた時、そこに弥勒の世を迎えることが出来たのである。民衆がこのようにして南北朝の動乱をも越えて弥勒の世を迎えた処は、どう見ても生活の智恵である。発端の後醍醐天皇が関所を通過する米を抑えて廉売したのも史実とはずれているようであるが、これは天皇の仁徳を表わすのが目的ではないかと思われる。貞観政要的な発想である。全体を通して引用文として引かれているものと、その意をとっているものと、可成りな量があるように思う。何れ一々に引き出してみたいと思っているが、貞観政要とは大いに関係をもっているように思われる。逆次に読まれているとすれば、まず出てくるのは民衆である。帝王の座についている民衆である。これがこの40巻の主である。日蓮の発想と全く同じではないかと思われる。

 四十巻は己心の上の刹那の所作である。そして弥勒の世を迎えるのである。若し南北朝の動乱がなかったなら、世直しはなかったかもしれない。世直しとは愚悪の凡夫のみの世界を迎えることである。貴賎老少老若男女の差別のない平等無差別の世界を迎えることである。それを自力をもって迎えたのが世直しである。

 その影の力が貞観政要ではないかと思う。日蓮の思想の中でも大きな働きを示しているようである。梁塵秘抄にもそれを見ることが出来るのは、従義流がこれによっているためであろう。民衆の立ち上がりの気配が見えるのは己心の法門と貞観政要による処が大きいと思う。これも一度は丹念に拾いたいと思っている。太平記と共に己心の法門が内在しているだけに読みとりにくいのではないかと思う。平安・鎌倉・南北朝の従義のものの極少の中では特に貴重な資料ではないかと思う。

 従義流は始めから民衆の側にあって、最後まで宗教としては一宗を建立するようなことはなかった。四明流は宗教としては立ったけれども、民衆とは常に離れていたようである。そこに両者の性格の相違がある。大石寺も今となっては、四明流と離れることは出来ないようである。今後とも古伝の法門とは益々離れゆくことと思う。今では殆ど従義流の行跡は忘れられているようであるが、民衆思想を高揚した行跡は高く評価されなければならないと思う。56億7千万歳を刹那につづめて衆生の己心に収めた処は実に見事である。

 むかしむかし、浦島太郎が竜宮からもらってきた玉手箱には何が入っていたであろう。玉手箱の中身は竜の頷下の珠、それはいうまでもなく己心の一念三千の珠であった。即ち寿量文底の己心の一念三千の珠であっだ。それを眼でたしかめようとしたために白煙と化したのである。本来秘密に属する故である。浦島さんは秘密を秘密としてしまっておくことが出来なかっだようである。約束の秘密が蓋を開けると同時に破れて一条の白煙と化したのである。もしも約束が守られて居れば、浦島さんは今も生きているかもしれない。大石寺でも御宝蔵の秘密は守り切れなかったのではなかろうか。

 浦島太郎が蓋を開けたのは人間の弱い処である。約束は昔も今も守りにくいものである。浦島太郎は約束を守れなかったために若さを保つことが出来なかった。若さとは正月の若水と同じく永遠の若さである。これはいうまでもなく長寿である。海の底とは寿量海の底である。浦島太郎は折角もらった長寿の珠を、地上の煩悩に災いされて失ってしまったのである。この話も亦従義流の辺りから出たものと思われる。

 この話は、時が変れば一条の白煙となって空の中へ帰ってゆくように出来ている。その空の処に現在の世間がある。これも太平記と一脈相通じるものを持っているようである。このようなものを世間に流布し、それによって民衆を現世の煩わしさから脱却させようとしている処は、仏教ではなく、仏法のようである。民衆が自分で立ち上がることの出来る方法を伝授して廻っだのは、地下に潜った従義流を信奉した僧侶の集団のように思われる。民衆はこれによって刹那に弥勒の世を迎えて、現世の煩わしさから脱却出来るのである。これは民衆の手で具現出来る宗教的な感覚を備えた高度な方法であると思う。

 法華の思想はこのような姿をもって民衆の中に侵透していったのである。法華信仰として発展したものとは別系統のものである。従義流のものは始めから思想として発展しながら、常に安心を与えるようなものをもっているが、宗教としてきたのは四明流に属するものであり、これは宗教として法華信仰につながっている違いがある。そして従義流の仏法は深く内部に喰いこんでいったが、これは初めから秘密の中に終始するものであり、その痕跡も残さないために、表面的には完全に忘れられている。それが時あって表面に表われた時、世直しといわれるのである。

 太平記にしても、最後の中華植一為を己心の一念三千と捉えなければ、その意を知ることは出来ないであろう。このような考えは、末法に入った以後、梁塵秘抄の頃には基本的には出来ているものと思われる。その根元の処に貞観政要が居えられている。これを逆次に読むことによってその功徳は根に返り、民衆の処に返るのではないかと思う。

 その大地の底にいるのが滅後末法の上行であり、民衆もまたそこにいる。どうも地上にいる民衆ではなさそうであり、地徳の処に民衆は根を下しているようである。その民衆を地上に見れば衆生であり、仏教の領域であるが、地下にあれば仏法の世界である。仏法では地下に居る民衆が主徳と地徳を兼ね備え、本来の人徳の上に天地人の三徳即ち主師親の三徳を兼ね備えている。これを功徳が根に収まるというのであるが、迹以前は地上のことであるから、天地人の三徳即ち主師親の三徳は各別に働くので、実際には主師親の三徳は未だ表面には出ていないが、地下にあっては天地人の三徳が主師親の三徳と交替している。開目抄はそこから始まっているのである。そして報恩抄は師徳を説きながらそれが地徳に収まってゆくことを示されている。仏法は地徳の処に展開するものであるが、今は誤って話を全て地上に返しているために混乱が起っているようである。功徳が根に収まる処をよく熟読翫味する必要がある。

 世俗の中に育った主師親の三徳と仏教の戒定恵と羅什訳の法華経に含まれた中国思想が、貞観政要を通して更に消化され、鎌倉に現われたのが、日蓮が唱える仏法である。主師親は三徳として、戒定恵は三学として取り上げられている処に意義があると思う。

 諸橋大辞典には天地人の三徳はあるが主師親の三徳はない。主師親については釈籤に細しく載っているようである。この両者をもって独自に主師親の三徳が造られたのかもしれない。妙楽の考えと中国の古くからあるものと一つになって、仏法としての基本をここに求められ、そこに仏法が建立されたものである。主に対しては臣、師に対しては弟、親に対しては子、世間にあっては根本になっているものであり、仏法もまたこれを根本として、そこに仏教や法華の受持を持ちこむことによって建立されている。主師親が主役である。その主師親を主役とする中で、特に三徳が取り上げられるのである。主師親のみでは世間の煩わしさもある。これを肉身として切り捨てて魂魂の上に刹那に仏法が成している。その後、肉身が復活しているのが大和魂であり武士道である。姿を持だない三徳が愚悪の凡夫に移った処で仏法が成しているのである。三徳と魂魄とは同し扱いの中にあるもののようである。

 この三徳を愚悪の凡夫の上に設定するために貞観政要が大きな役割を持っているようにも見える。太平記でも貞観政要は大きな役割をもっているようであるが、これも一向に表に現わされていない処は共通したものを持っている。民衆を主座にのせるための方法なのかもしれない。貞観政要を学んで自分が帝王の座に付こうということではなく、愚悪の凡夫をその座に付けるのが目的であった。民衆の所持する三徳を帝王の座に付ける、それを尊敬すべきものという表現をもって表わされているのである。仏法はここから始まるのである。

 これは従義流が共通してもっているのかもしれない。太平記と同じ扱いをしている処は興を引かれるものがある。そこに己心の一念三千の法門が開けるのであるが、太平記もそのような中で40巻が出来ているのであり、そのまま己心の法門の解説書である。その中華の処は目前の弥勒浄土である。次に出るのが事行の世直し思想である。世間の立場から見て思想であるが、仏教の側から見れば仏法である。日蓮の考えも世直し思想と全く共通したものを持っている。世直しとは民衆白身が自力によって独自の世界を作ることである。そこには刹那に弥勒の世を迎えるなら黄金うずまく世である。植差別の民衆のみの世界である。そのような世界は魂魂の上には即時に具現することが出来る。それが己心の一念三千法門なのである。そこでは数十年の戦乱も即時に消滅させることも出来る。これこそ生きながらの極楽図である。そこに己心の法門・世直しの意義もあれば貞観政要の世も具現しようというものである。

 この己心の法門によって民衆の夢は即時にかなえられるのである。貞観政要の夢は現世に太宗の手をもって尭穿の世を具現することにあったが、己心の法門はそれを更に愚悪の凡夫のみの世に具現することにあったようである。大石寺が現世の浄土というのはその意味である。つまり大石寺はそのような弥勒浄土が具現し、同時に成道することによって霊山浄土でもあるという意味を持っているのである。しかし、万円札の乱舞する世には差別のみがあって太牛の世はありそうもない。そのような処にいじめの世が出現するのかもしれない。己心の法門に出る太平は、ここで真反対と出るのは万円札の故なのかもしれない。

 今20世紀の終末を迎えた諸宗が民衆の救済を拠つかに見える時、丁度鎌倉中期と同じような状態にある時、来世紀の救済を諸宗に求められるかどうか、甚だ疑わしい処がある。その時には民衆はどうしても自力をもって自身を救わなければならない宿命をもっている。その時、力になってくれるのがこの己心の法門であるように思う。己心の法門は世直しと出た時には実に大らかである。世直しとは民衆が自力をもって刹那に弥勒の世を迎えたことである。己心の法門の目指す処はこの辺りにあるのかもしれない。

 徳川の終り頃には世直しはあったけれども、明治には己心の法門が消え戒定恵の三学が失われたために、外から見れば世直しのようではあるけれども、真実の世直しに至らなかった。そして今日を迎えたのである。今度こそは民衆自身の力をもって己心の世直しをする時であろう。一人一人の立ち上がりである。大石寺法門でいえば刹那成道の境界である。己心の上であれば肉身も世の煩わしさも即時に遮断出来るからである。生きるためには最も間違いのない最も簡便な方法であり、そこに心の安らぎを求める方法である。常に身につけておいて有効に使える方法のように思われる。そこに本仏も本尊もあるのであるが、今は別立して宗教と表わされている。そのために逆に現われているのである。四明流によって宗教化されている。それが現在の大石寺法門であり、そのために自他共に分らないのかもしれない。飛躍部分が多すぎるのである。信心の部分が多すぎるのである。今こそ己心の法門をもって修正する時ではないかと思う。

 

 

 


 

 

〈第2編〉本尊について

 

本尊抄(欲聞具足道等文)

 本尊抄(新定966)(聖153)に「具足の道を聞かんと欲す等云云。(中略)吉蔵の疏に云く、沙とは翻じて具足となす。天台大師の云く、薩とは梵語なり。此には妙と翻ず等云云。私に会通を加えれば本文をけがすが如し。爾りといえども、文の心は、釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う。(中略)今本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化もって同体なり。これ即ち己心の三千具足三種世間なり。迹門十四品には未だこれを説かず法華経の内においても時機未熟の故か、この本門の肝心南無妙法蓮華経の五字においては、仏なお文殊・薬王等にもこれを付属したまわず、何に況んやその已下をや。ただ地涌千界を召して、八品を説いてこれを付属し給う。その本尊のていたらく、本時の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・彌勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化他方の大小の諸菩薩は、万民の大地に処して雲閣月卿を見るがごとし。十方の諸仏大地の上に処し給う。迹仏迹土を表するが故なり。かくのごとき本尊は、在世50余年にこれなし。8年の間ただ八品に限る」と。

 以上の文について、寛師の文段抄も他門下のものも見ず、専ら私見をもって述べたいと思う。宗門に悪口を期待しての用意のためである。私見であるから大いに下してもらいたい。元よりこの文にようなものが吾々ごときに分る筈もないので、大いに修正を加えるなり、根底から改めるなり、存分に振舞ってもらいたい。開目抄上に終りには、欲聞具足道の文は諸天竜神等その数恒沙のごとしから引かれているが、大経に云く、薩とは具足の義に名づく等云云以下大同小異であるが、開目抄の方が大体において委しいようである。両抄を見られたい。大経に云く等の文は、欲聞具足道の文を明らめるために引かれ、前の文を承けて、ここで大きく展開してをり、下では早々に宝塔品が引かれている。六巻抄の依義判文抄では宝塔品の前に法師品が二回引かれている。ここで依義判文抄は欲聞具足道の文を省かれているように見えるが、その代り戒定恵の三学から始まっていることに注意したい。

 この欲聞具足道に始まった文は、宝塔品から寿量品、そして神力品・嘱累品に至り、それより欲聞具足道の文に帰り、更に十如実相の文から外典の忠孝に至って戒定恵を見出だして法となっているようであり、ここで一応仏教から離れるようになってをり、そこに己心の法門も現われ、久遠元初も久遠名字の妙法も現われるようになっている。その久遠名字の妙法が引用の最初にある妙法蓮華経の五字である。そしてこれが釈尊の因行果徳の二法が極位したところでもある。ここは日蓮が釈尊の因行果徳の二法を受持して仏教を離れ、新しく世俗の中に仏法を建立する処であり、これをもって仏教の中に入れるのは些か無理があるように思われる。日蓮は一宗の元祖にもあらず、何れの宗の末葉にもあらずといわれるのも、誠に御尤もと頷ける処である。

 しかし、今は仏教を名乗ってをり、左にあるべき思想が、仏教として右に出たのである。本来左にあるべきものが右に出たのであるから、大らかであるべき己心の法門が異様にせせこましくなったのである。今の動きからみても、何となし仏教の中には落付きにくいように思われる面もあるが、再び仏法に帰ることは容易ならぬことである。そこは最早功徳や御利益の通用する世界ではないからである。己心が異様に仏教の中で取り上げられた時、それがつい御利益と出たのかもしれない。仏法は功徳や御利益とは凡そ縁のない世界のようである。そして正常な仏法の己心については、今大石寺では邪義と決定しているのである。

 しかし、開目抄や本尊抄等の御書は、まず己心から、始めて衆生の成道を引き出し、そこに現世の成道を見ているので、同じく成道とはいい乍ら、仏教の成道とは全く趣が違っている。既に世俗の中で見ているのである。しかも、仏法として世俗の中で成長したものが、仏教として扱われ、更に迹門に根を下しているのが現実である。仏教を離れて一度原点に帰らなければ仏法の真実はつかみにくいであろう。現在のあり方からすれば、己心が邪義と見えるようになっていることは、宗門が自ら己心の法門を邪義と決めたことが、最もよく証明している。己心があっては今のような宗義はなりたたないのである。若し正常に運営されているのであれば、宗門が自ら邪義と打ち出す必要はないと思う。思わず真情が吐露されたということである。これは宗門が自ら現実の在り方を批判したものとも受け止めるべきものである。

 戒定恵を忘れ己心を邪義と決めたものは最早仏法とはいえない。諌暁八幡抄に引かれた扶桑記や前後の文も、戒定恵があるから八幡大神も感動されたのである。それ以前に一向感動を示さなかったのは、文の上の法華経であった故である。日蓮が唱える法華経とは、伝教のごとく戒定恵を含めた法華経になっている。これ以外は謗法である。つまり民衆不在の法華経は意味がないということである。今の法華経はこれに相当るものである。折角邪義と決めたのではあるが、何れが邪義か一度反省する必要があるように思われる。ここは宗門も正信会も共々に反省しなければならないと思う。

 最初引用の文は戒定恵を出し、己心を引きだすためのものである。大経や無依無得大乗四論玄義記以下の一連の引用の文も、仏教から仏法への切り替え点にあたるもの、これによって始めて衆生成道へ踏みだす処である。即ち文底への入り口である。開目抄でも本尊抄でも同じ働きをしているようである。ここで戒定恵や己心が大きく浮び上ってくるのである。そこで開目抄上の最末の文が出るのである。「いまだ一代の肝心たる一念三千の大綱、骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだ聞かずと領解せり」と。そして下の宝塔品に至り、寿量品から神力品・嘱累品に至ってそれより再び方便品に帰る。その時もとの欲聞具足道に帰って二乗作仏をとり、十如実相から一念三千の玉を拾い出して、外典の忠孝の処に出て、戒定恵を見出だし、そして魂魄の中に収めた時、今宗門が邪義と決めた己心の法門が出来上るので、本仏や本尊や成道が出、仏法となるのはその直後であるが、今はそれとは関係なく、始めから本仏も本尊も既に出現済みである。そこで宗体そのものが変ってくるのである。開目抄や本尊抄はそれらを見出すのが目的である。本因とはここの処を指しているが、本仏・本尊から始めるのは、どう見ても本果である。本果をとったために自然と天台教義に援軍を求めるようになった。根本は仏法の時が確認されなかったための混乱であった。そのために自覚することが出来なかったのである。それが水島ほどの向う気の強いものが、ボソボソモソモソ敗戦の弁を書かざるを得なくなった根本原因である。仏法の時を知る以外、恐らくは立ち上ることは出来ないであろう。

 ここで、開目抄や本尊抄が、宗教として説き出されていないことを確認しなければならない。釈尊の因行果徳の二法を受持した処からいえば仏法であるが、仏教の外に居るものが日蓮を中心にしてみれば思想である。仏法というも思想というも何等変るものではない。強いていえば仏教的な感覚とでもいうべきものであろうか。

たまたまNHKの教育テレビが11月12日夜10時の放送で筆者の己心の法門を取り上げ、翌朝も再放送していたようであるが、わざわざ12・13三の中間を取り出したことは、法門が然らしめたもの、そこに法門の真実が遺憾なく現わされているということである。放送局が、12・13の意味を知ってこの日を取りきめたわけでも無いと思う。誠に奇妙な一致といわなければならない。それも60年11月12日13日であることを思い起さなければならない。今も12・13は生きているようである。既にそのような兆しが見え始めているということであろうか。己心を邪義と取り上げた面々、如何でせうか。これは市民大学講座の一こまである。

 世間は、そのような中から何を求めようとしているのであろうか。己心を邪義と決めた正宗教義でなかったことを思い合わしてもらいたい。既に民衆の心が動いていることを察知してもらいたい。

60年といい、11月といい、12・13日といい、己心の法門を唱えるには、すべて条件は出揃っているのである。明年は61年、これまた60と61の中間である。水島先生も若い身空で今から早々と黙りこまず、大いに反撃をもって酬いる時である。

 素直に民衆の声を受けとめるべき時である。今既成宗教は次第に救う力が薄れて来た、そうかといってこれに代る強力な新らしい宗教も中々誕生しそうにもない。しかし民衆は宗教的な救いを求めているのである。そのような時に、水島先生ほどの人が、今から老け込む理由は毛頭もないと思う。

是非々々、宗祖になり替って民衆の救済に立ち上ってもらいたい。邪義などといわず、己心をもって立ち上ってもらいたい。冒頭の引用文は己心出現前夜の文であることに意を留めてもらいたい。

大聖人の末弟なら、せめて三年先の未萌位は察知してもらいたいと思う。既に時は過ぎ去ろうとしているのである。今さら京なめりに意慾を燃やしてみても全く意義のない事である。

 本尊抄では大経等の文を引き畢ってすぐ宝塔品があり、続いて寿量品があり、その後すぐ、「今本時の娑婆世界」の文に続いているのである。この本時とは滅後末法即ち己心の上に成じた時であり、これに対して在世は迹時である。これはこのまま本仏・迹仏となるもので、既に本迹が入りかわってをり、釈尊が迹仏となっていることを表わされている。時による本迹の交替を示されたものであり、そこには既に仏法が建立されてをり、仏法を本としたとき仏教が迹になって居り、法前仏後を示されているのである。本時の娑婆世界とは滅後末法の魂魄の上に建立された己心の法門をさし、仏法世界を表わされているのである。ここは師弟共に愚悪の凡夫である。宗門が若しここで釈尊を本と立てるなら、それは仏前法後であり、在世をとっていることになる。それでは仏教から仏法への交替を認めないことになり、大石寺法門は成り立たないであろう。

 大経等の文は時の替ることを予め報知している、本尊抄の中でも最も重要な時の交替を示されているのである。そして次の「本尊の為体」へつながる、それが滅後末法の本因の本尊であり、在世には現われることのない本尊であるが、一般には在滅は余り考えないことにしているのではなかろうか。そして滅後という考えが極端に薄れて、紙幅の本尊に結ばれている。これは己心の法門の上にのみ現われるものであるが、己心を外して考えられているのが実状のようである。仏法の上に、外典の忠孝の処に現ずる筈のものが、反って仏教の中に現じているようになっている。宗教として立てるためには仏法は都合が悪い処が多い。そこで戒定恵や己心の法門、魂魄や仏法を除いて、仏教の中で考えている処に大きな時の混乱があるようである。

 これらのものは、理屈抜きで乗り越えられているが、これによって在世末法に出てくるが、開目抄や本尊抄とは大きく離れて来るように見える。つまり釈尊の領域の中に滅後末法の本尊として現じているが、在滅の混乱をのがれることは出来ない。受持は仏法を立てるために必要なものであり、在世に止まるものにはそれ程必要はない。そして迹仏世界に出る筈のない本尊が、仏法へ移ることなく、そのまま迹仏世界に出現する。そのために戒定恵や己心の法門を避けなければならない。そして経の上の本迹についてのみ論ぜられているのであるが、本尊抄でいえば、この引用文の辺りで切り替え作業が行われている。これをそのまま仏法とし、本因の本尊として受けとめてきたのは大石寺の本因の本尊であるが、理の上では殆ど消えかかってをり、外に出た戒旦の本尊はどうやら仏法というよりは迹仏世界に出た本尊という感じとなり、今では一致派の解釈と殆ど変りのない処におかれているようである。

 一致派の解釈も、この引用文のあたりに時の混乱を持っているように思われる。欲聞具足道以下この引用文に至る間が何となし、除外して解釈され、そのために文の上に、この本尊が現われているように思われる。そこに本因の本尊と正本堂の本尊との違いがあり、次第に拡がりつつあるようである。次第に一致派の本尊に近付いていっているようである。一致派でも、ここの処の切り替えは行われていない。開目抄上末の欲聞具足道以下の文の処も同様に、仏教から仏法へ出るための作業は除かれている。そのために仏法に出ることが出来なかったのである。ここの処が昔の大石寺法門と今の正宗教義や一致派教義との相違点である。

 水島教義に時が見当らなかったのも、両抄のこの部分は特別に除外しているのであろう。或は次上は日本語にはないという位であるから、開目抄や本尊抄は始めから読んでいないのかもしれない。このために仏法へたどりつけず、反って一致流に堕したのであろう。時局法義研鑽委員会も、時局の名のもとに、この部分については除いているのであろう。ここが両抄とも文上から文底に移る処であるが、今は或る意図のもとに、故意に除外した感じであり、そのために仏法に乗ることが出来ず、只仏法の語のみが残り、反ってその実が失われているのであろう。兎も角も、ここが仏教と仏法、文上と文底の別れ道であることは間違いない処であると思う。

 ここが自称伝統法義の新出発点と見て差支えないと思う。この点については正信会教学も大差ないであろう。仏教の三世を現世に集め、仏法として取り出されたものが、今は現在よりは過去・未来に重点が移っているようにさえ見える。しかしよく見れば現世の中味が、世から金に変ってをり、そこへ過去未来が再びよっているような処もある変貌ぶりである。それもその出発点はこの引用文の辺りにあるのかもしれない。これを無事に越えるなら、以後は仏法世界であることは間違いはないが、現在の境界では、ここは乗りこえていないのではなかろうか。そしてここを乗り越えなければ、「本尊の為体」は迹門として解釈されるであろうし、若し乗り越えることが出来れば、その本尊は本因の本尊と現われる。しかし、仏法の上にのみ現われる本尊が、若し迹仏世界に現ずるなら、大きな混乱であることは間違いのない処である。

 元よりこの文以下は仏法の上に論じられているものであるが、若しここで迹仏世界にこの本尊が出現すれば、以下の文は全て迹仏世界で考えなければならない。そのために、終りに近付くほど解釈が不明朗になり、仏法としての働きが現われにくくなって来るし、副状の「三人四人同座する勿れ」が一人として捉えられず、反って、三百人四百人、三万人四万人と夢は無限に拡がって世界中広宣流布ということにもなるが、副状は一を示されているように思われる。これは己心の表示であり、即ち仏法を表わされている。そのような中で霊山浄土も現世において、師弟一箇の処に考えられるのである。若しこれが経の上に考えられるなら、それは迹仏世界を一歩も出るものではない。それが最も糢糊としている処である。そのために仏法と仏教との間の往返が、常に止まる処を知らないという状態である。しかし、必らず仏法の処へ落ちつかなければならないものである。

以前阿部さんが四十五字の法体を持ち出して、川澄が宣伝していたように言うてをったことがあったが、この45字の法体は、阿部さんの最も得意とする処で、何回か講説を受けているが、急にすりかえて当方へ押し付けようとした魂胆がどこにあったのか、これは甚深にして解る筈もないが、阿部さんが特に得意とする処であった。それを思い出したように何故押し付けようとするのであろうか。長い間信じてきた事が気になり出して、大石寺の法主は絶対誤りがないということから、人に押し付けようとしたのが、いかにも子供っぽさくて愛敬がある。そうであれば、大石寺で法体とは何を指していうのであろうか、是非御教示願いたいものである。

 法主の語には絶対誤りはないといっても、己心に一切の法門を建立している宗祖と、己心は邪義という阿部さんの語と同じだ、信心しろといわれて、何人の人等がこれを信用するであろうか。これではどんな信心深い人でも疑問を持つであろう。そうなれば余計に信心のみが強調される。それがお寺離れにつながっているように思われる。そこに脱皮が要求されているのである。あまり信心のみを要求すると、反って逆効果が出ているようである。迹門ばかりに根を下さず、少しは仏法の研鑽に励む委員会でも作って見てはどうであろう。今はそのための脱皮の必要に迫られているのであるが、まだまだ夢は醒したくないのであろうか。何とも解しがたい処である。

 優秀頭脳を結集して時局法義研鑽委員会を新らしく作り、どのような成果があったというのか。第一に挙げられるのは、己心の法門を邪義と決め、己心の戒壇を邪義と決めたことである。これは一言をもって戒定恵や己心の法門を捨て、仏法や久遠名字の妙法、そして更に本仏・本尊・成道等一切の古伝の法門を抛棄することを意味するものである。それほどのものを一言に摂尽した技倆は実に見上げたものである。そして天台教義の直輸入をやってのけたのであるが、結局は三年にも見たない夢であった。それによってその教義に移ることになった。そして正本堂も内容に合せて像法と決め、本尊も迹門とすることに成功して、安心して広宣流布に向って進む準備が出来た。何れも落ち付いた先は像法であった。そのために滅後末法に立てられた己心の法門を切り捨てたのである。そして計画通り成功した処で、最後仏法の時に打ちのめされたのである。これこそ宗祖の鉄槌といわなければならない。正義という宗祖を立てるべきか、現法主の「邪義」の決定に従うべきか。現在も猶邪義の線は押し進められているのである。そして何れの方も黙々と無言の行に入ったように思われる。一応は川澄黙殺ということであろう。しかし、追いつめられ、逃げ場を失なってからの黙殺は敗退に等しいものである。

ここは初心に返って大いに論破してもらいたいと思う。数量をもって大いに論じ、破折の実を挙げてもらいたい。それこそ一旦こうと決めた宗祖の法門に対する報恩ではなかろうか。

 外相に立って見れば、色も変わらぬ寿量品の本尊は、ただ報恩によってのみ持たれる、これも山法山規の一分ではなかろうか。これは事行の法門に乗っているためであるが、水島の己心をもって邪義とする誤は、一言でこの長寿を破し去るものと思う。もしそうでないというのであれば、己心の法門を邪義として破し去ることが何故報恩にあたるのか、まず文証を示すべきである。文証なくんば邪義である。報恩抄も戒定恵・己心の法門の上に建立された報恩の一分を示されたものである。戒定恵や己心の法門を通しての報恩のみが仏法の報恩である。己心を外れたものは、それこそ似て非なるものである。

己心の法門の上の師弟は無差別であるが、それを世間並みの師弟で解すれば、師は必らず上位に居すものである。現在は、師弟は有差別のみによっているようである。黙々と、今山田水島御両処は何を考えているのであろうか。しかし、仏法の時を外れては、末法の慈悲は平等であっても、宗祖も慈悲から除外しなければならないであろう。山田水島は自らその慈悲を受ける権利を抛棄したものと思われる。これは仏法の上の此経難持である。

 仏法の教えを法華迹門の上で持とうとしているのは今の宗門であり、次は法華文底にあって、定められた仏法の時に在って仏法を守ろうとするもの、この二は日蓮を宗祖と仰ぐ集団であるが、この外に仏法を思想として、仏教の埒外にあって見ようというもの、これは第三の集団である。川澄はその一人である。これは信仰でないから、本来は宗祖の必要のない集団である。

 根本大師門人日蓮というのは思想の上の系譜である。日蓮は一宗の元祖でもない、何れの宗の末葉でもないというのは、思想家としての日蓮を明されたものであろうし、一面では仏教が元祖を称することが、反って本筋を外れることを警戒されているようにも思われる。そうなれば思想家として捉えることが、最も忠実な方法・考え方のように思われる。ここでは元祖と仰ぐ必要がないからである。思想家と見れば、仏教のように差別を持ち出す必要もなければ、時空も又簡単に乗り越えられる利点がある。己心の法門が魂魄の上に論じられていることは、始めから思想の働きを示しているのであろう。時空を超えて説かれるのは仏法の特徴である。仏の字はあってもそれは出生を示しているのみである。

 そこで己心の法門は、元は仏教から出て居っても、今は思想の領域にあると見るのが順当のようである。そのために、これをもって一宗を建立すれば迹門に帰り易くなる。仏法のみで一宗建立することは殆ど不可能なように思われる。そして一宗建立すれば左であるべきものが即時に右に現われるのである。つまり、仏法や己心の法門を忠実に守るためには、思想としてみる以外に方法はないように思われる。それをはっきり決めてかからなければ、迹門から爾前へ堕ちてゆくのは必至である。そこに工夫が必要なのである。

 日蓮の教には宗教の部分は非常に稀薄なように思われる。それが専ら宗教一本に絞られているために、その捉え方によって次々に宗派が生れているのである。その反対に思想としての面が強ければ、一宗建立は出来にくいであろう。それが最初から宗教家としての日蓮像のみが捉えられているために、それを遥かに勝る思想家として日蓮像が捉えられにくかったのではないかと思う。若し思想家として見るなら、その意味では御書という名の資料は、真蹟の現存しているものだけでも尨大なものである。全く手付かずの生資料である。そして註法華経も思想的な面から見ることが出来れば、その恩恵は莫大であると思う。新らしく思想をまとめるためのものが集められているように思われるものが多い。これも必らず手掛けなければならぬものの一つである。しかし、これらは今の宗門が最も斥う処であろうと思う。

 大経等の文を引き畢って宝塔品・寿量品を説き、「寿量品に云く、然るに我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫なり等云云。」続いて「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。経に云く、我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず、復上の数に倍せり等云云。我等が己心の菩薩等なり。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり。例せば太公・周公旦等は周武の臣下成王幼稚の眷属、武内の大臣は神功皇后の棟梁仁徳王子の臣下なるがごとし。上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり。妙楽大師云く、当に知るべし、身土一念の三千なり。故に成道の時、この本理に称いて、一身一念法界に遍し等云云」と。

 この文には己心の菩薩が二回、己心の釈尊が二回あるが、何れも「我等が」が上に冠してある。阿部さんを始め水島山田等は、全くこれを認めていないものと見える。若しこれを認めなければ、この文は邪義ということになるが、それでは、次の「本時の娑婆世界」の文、並びに「その本尊の為体」の文は何れも「我等が己心の釈尊」及び「我等が己心の菩薩」の上に出来上ってをり、その前の「欲聞具足道」の文に始まっているものであり、全て己心の法門に切り替えられてをり、その作業をするのが大経等の文である。己心が邪義であれば、四十五字の法体が在るわけでもない。「釈尊の脇士上行等の四菩薩等」の釈尊は我等が己心の釈尊であり、脇士以下は我等が己心の菩薩とされていても、今は一切己心は認めないのであるから、今引用の文の前の寿量品の文以下は無意味であるし、最後の結文に至るまで、己心を認めなければ、ないに等しいもの、現在の日蓮正宗教学とは全く無関係である。

 これらの文に関係がないとすれば、戒旦の本尊は何の文証も持たず、忽然と出現したのであろうか。先の「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」は己心を表わしてをり、「釈尊」以下も己心を表わしている。即ち愚悪の凡夫の己心に現われた本尊の為体を表わされているので、それは戒定恵の中での所作である。これは開目抄の、外典の忠孝の処に仏教を摂入して戒定恵を確認して仏法を建立するのと、全く同じ考えである。本尊抄のこれらの文から己心を抜き去ることは、戒定恵を取り去るのと同じであり、元よりそのような処を仏法ということは出来ない。戒旦の本尊が戒定恵も己心も久遠名字の妙法もない処で出現する筈もない。どこで、どのようにして出現したのであろうか。あのような貌はこの部分以外ではあるようにも思われない。しかも眼前に現われているのであるから不思議である。

 我等が己心とは宗祖一人でもあるまい。我等とは師弟を表わしてをり、その師弟一箇の上に現じたのがあの本尊の相貌であるが、実際には師一人の頭の中に浮んだということであろうか。しかし、本尊は師弟一箇の己心の上に現じることは、絶対条件であるが、戒定恵と己心がなければ、本尊の姿はなり立たないであろうことは、この辺りの本尊抄では動かせない処である。己心を除いてあのような本尊が出来ることは、本尊抄には一向に説かれていない。或は別に独自の甚深秘密の本尊口伝があるとでもいうのであろうか。少なくとも現在の考えのような中で、今の本尊の姿を求めることは出来ない。

 もし釈尊の脇士以下の文を己心と認めないのであれば迹仏世界に近い処があるから、少し無理をすれば一尊四士の方が適当なように思われる。己心にあれば本の姿は消えるが、己心に入らなければ元の姿が必要になってくる。現在では一尊四士の変形したような処が最も近いようである。今はここの処で己心に入っていない他門の教学が移入されているためであろうか。これでは、時には本因の本尊とも称している戒旦の本尊の解説は出来ていない。これを罷り越すことの出来るのは、信心以外にはなさそうである。説明が出来ないために信心に持ちこんでいるのであろう。

 それにしても、これ程明了に示されているものを、何故これに従わないのであろうか。己心の上行菩薩等も、宗祖の文によれば、邪義という外はないであろう。しかし、戒旦の本尊が内外に向って堂々と説明出来ないことは、どのように受けとめればよいのであろうか。所詮、己心を邪義と決めている間は、本尊抄からその意義を求めることは出来ないであろう。しかも大勢の信者が御開扉によってこれを拝しているのである。何としても自分等では説明の出来ない本尊を拝ませているのである。己心を邪義と決めたのであれば、戒旦の本尊を邪義と、何故いえないのであろうか。このあたりの解釈は殆ど他門譲りのものではなかろうか。宗門が知らず識らず迹門化してゆくのは、この辺りの解釈が根元になっているようである。何れにしても、己心を認めなければ、迹門化を脱れられないであろうし、事行の法門も山法山規も、ますます分らないものになってゆくのを止めることは出来ないであろう。

 せめて本仏と本尊位は、堂々と胸を張って説明してもらいたいものである。しかも時局法義研鑽委員が己心を邪義と発表しているのである。本尊抄のこれらの文は明了に己心によって出来たことを示されている。己心を捨てて尚その本尊が在り得るとでも思っているのであろうか。己心を捨てることは、本仏や本因の本尊を捨てることと何等変りはない筈であるが、若し己心を捨てて同じ本尊が顕現されるなら、まずその文証を挙げなければならない。しかし、いくら研鑽しても、そのような文証を求め出すことは出来ないであろう。己心を邪義と決めた時、戒旦の本尊は何が本源となっているのであろうか。どうしても己心の外で出来ていることを証明しなければならない。時局法義研鑽委員会はその責任を負わなければならない。只信心しなさいでは説明とはいえないであろう。己心を邪義と決めるのは至極簡単なことではあるけれども、言い放しは無責任である。長い間己心の本尊として信じて来たものが、理由もなしに己心は邪義と決められては、信者の迷惑である。何を信じてよいのか、何が真実なのか、必らず信者はその真実を求めるであろう。その時信心しなさいでは回答にはならないであろう。この故に無責任というのである。もともと、仏法そのものが、はっきりしないためにこのようなことになったのであろう。口には仏法といい文底と称していても一向に分っていないのではなかろうか。

今は己心を邪義と決めた後も相変らず使っているのである。始めから己心がなかったのかもしれない。そこへ始めから己心を出されたので、ついうっかりと己心は邪義と出たのかもしれない。突嗟に返事が出なかったためであろう。

 「今本時の娑婆世界は」等の文は、仏法の住処を明されたものである。三災も四劫も関係のない世界は、時空を超えた己心の世界以外にはない。但し受持のうちには三災も四劫も含まれていることはいうまでも無いことである。今は刹那に成じた魂魄の上の話である。そこに常住の浄土を見るのであるが、己心を邪義とすれば、この文は空に帰するであろう。本時とは迹時に対する語であり、迹時とは迹仏世界を指す。これに対して本時とは己心の上に成じた本仏世界を指しているのであるが、己心が邪義ともなれば、当然本時は消滅するであろう。これまた己心を捨てては説明出来ない処であるが、迹仏世界で三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土を見出だすことは出来ないであろう。己心を捨ててこのような境界を求めることは出来ない。若し己心を捨て、このような境界を捨てるようなことになれば、本尊もまた出現の場を失うであろう。

 「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」とは迹仏世界であり、釈尊の脇士以下は向い合っている姿である。釈迦牟尼仏は右尊左卑、上行以下は左尊右卑である。共に我等が己心にあるものであるが、己心が邪義となれば、この本尊の為体は即時に消滅するであろうが、戒旦の本尊はそれとは関係なく存在するということである。本尊は己心の法門があってもなくても存在するというのが、今の考え方ではないかと思う。これは飛躍が過ぎているようである。己心がなければ本尊の相貌は在り得ないものが己心がなくとも同じように存在するという建前になっているのである。しかし厳密にいえば、己心の法門の現われる以前であれば、当然迹仏世界のまま、絵像木像を本尊にしなければならない筈であるが、今は己心は捨てても、己心の上に現わされた本尊は存在しているのである。これは他門下でもそこのあたりは詮じないことになっているのであろうか。

七十数年以前、己心の法門について攻め立てられたのは宗門自身であったが、今は己心を邪義ときめて、己心を立てる吾々を攻める立場に立った早業は二年半前のことであるが、これはあまり成功したとはいえないようである。これは己心を邪義ときめた事が、全て我が身に振りかかって来たためである。これも長い被害妄想の末の出来ごとかもしれない。これも以前水島が使った、中古天台の阿流ではないかといわれたそれをそのまま当方へ振り向けたのと同じやり方である。常に自分はいい子でありたいという処から出る発想と思われる。智恵の使い方としては、少し程度が低すぎるのではなかろうか。いつも同じ手を使ってをれば、一手打てば最後の手まで読みとられる恐れがある。

 新定962の始に、「教主釈尊(自之堅固秘之)三惑已断仏也」とあり、これより堅固にこれを秘すと聖典では読んであるが、秘すと読めば宗祖自身が秘すといいながら書いては「秘す」にはならない。ここは命令形で「秘せよ」と読むべきではないかと思う。ここにいう教主釈尊は三惑已断の仏であり、この事をよく胸の中にたたみこんでおいて「我等凡夫之令住己心」の時の釈尊と混乱しないようにと注意されているようである。若しこの釈尊にのみ執着すれば結果は迹門に出て文上に収まるが、若しこれから始まる己心の釈尊を取れば文底となる。ここが在滅の別れ目であるから、次に出る己心の釈尊と混乱することのないように、三惑已断の教主釈尊をよく胸の中にたたみこんでおけという意味の「秘せよ」ではないかと思う。それにも拘らず、水島は胸を張って己心は邪義とやったのであるから、三惑已断の釈尊の力に引かれて爾前迹門に帰る羽目になったのである。二人の釈尊が出るので注意を喚起されているのであるが、己心の釈尊を認めないものが、文の上の釈尊に収まるのは当然である。

 このあと欲聞具足道等の文が出るのは九六六頁であり、本時の娑婆世界の文が出るのは967頁の終りである。このあと己心の本尊が明されるのである。水島は聖旨に背いて堅固にこれを秘さなかったために時の混乱の被害を受けたのであれば、自業自得という外はないであろう。或は文上に出るために、ここに眼を付けたのであろうか。結果は文上に立帰ったことは間違いのない処である。そこは本因の本尊や本仏の住処ではないから、本尊は自然に迹門に出ることになる。本因に立てられたものは後退する外はない。そして新しい意味の戒旦の本尊が出現して、像法の戒旦の本尊となる。そこで新しく本尊について在滅の混乱が浮び上ってくるのである。戒旦とするなら像法でなければならない、本尊もそれを支える教義も像法であるのは当然の要求である。護法局の発想によって踏み出した正本堂や戒旦の本尊は、教義的には像法の処に収まり、そこにあっての広宣流布も発足したようである。文底にあるべきものが、今漸く文上像法に安住の処を見出だしたようである。ここに水島教学のねらいがあったのであろう。しかし、そこは仏法といえるような境界でないことだけは自覚しておかなければならないであろうが、もし自覚すれば罪悪観につながるかもしれないが、現状では安住しているのではないかと思う。

早急に仏法境界に出来た法門の整理をしなければならない。これが今与えられた最大の課題である。時の混乱に始まる矛盾の整理が必要なのである。以上拾い出した引用文は、文底家には必らず注意して読まなければならない処である。又よく注意して読めば必らず仏法に出るようになっているのである。しかも今水島は像法に在りながら仏法を名乗ろうとしている。そこに閉口が待っていたのである。謙虚に法門の時の厳しさの裁きを受けるべきである。

 水島によって己心の法門は邪義だと一言のもとに破し去られたことは、日蓮には最大のショックであったかもしれない。これが認められなければ仏法の世、上行の世は来ないであろうし、民衆は上からの圧力から抜けきることは出来なかったであろうが、今水島は、古い権力支配の態勢に返そうとしているのであろうか。仏教はあくまで釈尊に限り、上行による仏法の建立は一切認めないというのが基本方針のようである。教学面からはそのように出るのであるが、そのくせ信仰信心教学では、日蓮以外は一切認めないのであるから分らない。何れもはっきりした時をもっていない。肝心の仏法は皆無であり、それを裏付けるものは現代の天台学者であり、他門下の教学であり、一向に消釈されていないのであるから、どうみても像法へ収まるのである。これでは一向に仏法にはつながらない。そのためか、正本堂も戒旦の本尊も広宣流布も、教学面では像法へ収まっている。つまり信仰信心とは似ても似つかない処へ出ているのである。そのために口を閉じる羽目になったのではないかと思う。ここをどのように乗り越えるか、当面の難問である。もし出来なければ、その矛盾に倒されることもあるかもしれない。今は矛盾が口を封じたということではなかろうか。当家を捨て置いて台家に走るものの宿命という外はない。水島教学では己心の仏界にある釈尊も、己心の菩薩界にある上行等の四菩薩も、其の他己心の十界は一切認めず、ただ本仏日蓮のみを認めようというのである。そして戒旦の本尊には己心は一切認めず、そこに現われた姿のみを認めようとする中で、結果は像法の本尊として認めるようなことになったようである。それが或る時己心の本尊と同じ状態で現われる時、それを己心といわず、信心という語をもって現わすのではないかと思う。本仏もまたその信心の上に現わされているようにも思われる。それだけに複雑なのである。解釈が常に浮動しているのも、そこに原因があるのかもしれない。天台教学をもって裏付けられた本尊は仏法にいう処の本尊とは別箇のものである。今の解釈による限り、本因の本尊が現われるようなことはないであろう。何はともあれ、仏法の時を決めることから始めなければならない。これが今の急務である。

 しかし、己心を邪義とする限り、仏法の時は現われるようなことはないであろう。その時登場するのが信心である。このあたりの難問はこの信心以外には解決出来ない。今これを假に超過の信心と名付ける。この超過の信心によって出来たものは、他宗には一切理解することは出来ないので、このような信心は法門の処に返し、信心も本来の信心に返すべきである。この超過の信心が独善を生んでゆくのである。仏法の時を決めることが出来れば、本尊も必らずすっきりと現われることであろう。それは本時の娑婆世界を確認出来るからである。己心を認めない今の宗門には、本時の娑婆世界を捉えることは出来ないことは勿論、そこに現われる本尊もまた見ることは出来ない。そこで働くのが超過の信心である。そして本仏日蓮がいきなり登場するのである。ここでは己心も必要はないようである。

勿論仏法の時の必要もない。そこで超過の信心が働くのである。そのような処では、不相伝の輩、不信の輩という語も通用するようになっているようであるが、そこに孤独が待っているのである。

 そして今は、大地の上の本時の娑婆世界は次第に虚空に上っているようである。虚空は本仏の住処ではないが、今は殆ど足は大地から離れているようである。言い換えれば法門が次第に迹門化しつつあるということである。時局法義研鑽委員会は、それについては大きな足跡を残したようである。そして虚空を目指して手を延ばしている間に、足が大地から離れたことに気が付かなかったということであろう。今こそ本時の娑婆世界を、我が足をもって踏みしずめなければならない。その時始めて宗門安泰の時もくるであろう。それが真実の広宣流布ではなかろうか。委員会の面々は、この本時の娑婆世界をどこに見ようとしているのであろうか。己心を邪義と決めてどこに求めようとしているのであろうか。己心を否定しては、本時の娑婆世界も本尊の為体も、共に単なる理の法門でしかないということではなかろうか。委員会の成果からすれば、その目標は本尊を理の法門化するところにあったようである。これらは大日蓮にも荒方記録されている処であり、将来分析する篤志家も現われることであろう。

 「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字をもって、閻浮の衆生に授与せしめ給う」(聖一五八)、「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し、妙法五字の袋の内にこの珠をつつみ、末代幼稚の頸にかけさしめ給う」と。

 この二文は一閻浮提総与と解して差支えないように思われる。これは本因の本尊の処で解さなければならないものであるにも拘らず、本果の本尊で解され、しかも真蹟ということであったために混乱したのである。本来は文字の表われていない本因の本尊のことであるが、つい力が入りすぎて混乱したのである。この一閻浮提総与は元より正宗の信者のみを対照にしたものではない。信不信の外のことである。それが一宗に限定され真蹟となったために思わぬ混乱に巻きこまれたのである。時の誤りが事の始まりである。本尊抄の意をそのまま文字に顕わしたものであり、あくまで本因の本尊として受けとめるべきものであり、決して顕露にすべきものではなかった。それが顕露になったときに問題がこじれたのである。

 本尊を本因というのと、真蹟と称し正嫡というのとは、互いに相矛盾するものがある。前は一般民衆を対告衆とし、後は本果であり、自宗のみを対照とする故に、前をもってきめられたものがそのまま後に向うと、色々と矛盾に出くわすことになる。己心の法門として本因に現わされたものが、何の修正もなく自宗のみを対照として顕露の形をとっているのが日蓮正宗伝統法義であり、今は益々顕露の方向に進んでいるのである。己心のみに限定され、内秘に居たものが、そのまま顕露に変ったのであるから大変なのである。今は宗門がまず己心を邪義と決めながら、そこに出来たものが、そのまま表に出ている処に狂いがある。その狂いから当方を見ると狂いに狂ったということになるのである。しかも帰るべき己心の故里は失われているのが現実である。その時、常に自らを正とし、他をまず邪と決めるのである。

 殊に仏教に本因・本尊があるように大石寺法門にもこれをもっている。その時仏法の本因が失われると、仏法の本果と仏教の本果の区別が付きにくくなり、仏法にのみある本仏や本尊が仏教の本果の処で働きを起そうとする。今の混乱の根本はここに起因しているのである。そのために、自分にもそれが分らない、他人には尚更分らないというのが実状である。つまり無仏法、無法なのである。そのための混乱が起きているのである。若し仏法の時が厳重に守られているなら、このような混乱が起る筈もないが、今は完璧にその法が失われているのである。そのために自が正であれば他は邪であり、他が正であれば必らず自は邪となるのである。全く宿命とでもいうことであろうか。それが現実の姿なのであるが、中々修正の方向には向う気配はない。今は基本的には仏法の本因本果は失われているようにさえ見える。そのような中で他宗のものを引用すれば、そのまま固有の時が自宗の上に現われて時の混雑が起きるのである。ここは自分が時を確認する以外、全く救いはないように思われる。是非やらなければならない処である。時を決めなければ、本尊も何れの本因本果をとるか、法門を立てるにしても文底文上の区別が立てられない。そのために自由にその間を往返することにもなるのである。

如何に狂っているかということは、水島ノートは忠実にこれを記録しているので、その動きの跡も明らかなように思われる。その混乱が28回以上続けることを拒んだのである。仏法がこれを拒んだのである。

 以上拾い出した引用文は、文底家には必らず注意して読まなければならない処である。又よく注意して読めば必らず仏法に出るようになっているのである。ともかく早急に仏法境界に出来た法門の整理をしなければならない。時の混乱に始まる矛盾の整理が必要なのである。これが今与えられた最大の課題である。

 

 

 

本尊抄(釈迦・多宝十方諸仏等文)

 

 「釈迦多宝十方諸仏我仏界也。紹継其跡受得其功徳。須臾聞之即得究竟阿耨多羅三藐三菩提是也。寿量品云、然我実成仏已来無量無辺百千万億那由他劫云云。我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也。経云、我本行菩薩道所成寿命今猶未尽、復倍上数等云云。我等己心菩薩等也。地涌千界菩薩己心釈尊眷属也。」(新定九六七)

 我が仏界なりとは我等が己心の仏界也と解してようのではないかと思う。その跡を紹継してその功徳を受得すとは、釈迦・多宝・十方の諸仏の跡を紹継してその功徳を受得することは受持の意味を現わしている。それによって仏法世界を開拓することである。受持によって始めて仏法世界を立てることが出来、それによって始めて仏教世界を抜け出ることも出来る。そこで仏教の時と仏法の時が分れるのであるが、今はその肝心の仏法の時が確認されていないのである。そのために迹門を抜け切ることが出来ないのであるが、現実には仏教を捨てないことに執念を燃やしているのである。受持即持戒も受持即観心も根本はここにある。その受持とは久遠実成と二乗作仏である。そこに始めて衆生の現世成道が現われる。これが寿量文底といわれているように思われる。久遠実成は本果にあり、これに対して本因を取ったとき、そこに久遠元初が現われる。久遠元初には本因本果が倶に備わっている。これが因果倶時といわれる法門である。これを本来として具えているのが具足道であり、一人の衆生に具わっているとするのが己心の一念三千法門ではないかと思う。

 今引用の文は具足道を明すための発端の文であり、最初の天台の己心の一念三千法門が、一人々々の衆生にも具備されていることを明されてゆくのである。ここの処には次々に我等が己心の文字が使われている。我等とは愚悪の凡夫の謂である。二ケの大事の受持によって、天台の己心の一念三千が愚悪の凡夫の上に展開する処である。その雰囲気が本時の娑婆世界であり、ここに仏法世界が開けてゆくのである。具足道を明すための最初の文であり、ここからまず本尊が明されるが、更に細分されて三秘が明されるのは取要抄に譲られているように思われる。その間に撰時抄や報恩抄を説くことによって時と処とが明されているように見える。撰時抄は仏法の時、報恩抄は仏法の処を明されているようである。

 六巻抄では第二文底秘沈抄で三秘を明され、第三依義判文抄では撰時抄によって戒定恵を現わしながら時を決めているのではないかと思う。これは三重秘伝抄の末文撰時抄云云の文を受けているのであり、宗教の時を傍証とし乍ら宗旨即ち仏法が展開しているように見える。この第三は戒にあたるものではないかと思う。そして第四末法相応抄が定であれば、第五当流行事抄は恵に相当するものであり、第六に至って更に戒定恵として、本来愚悪の凡夫に備わっているものとして説かれ、丑寅勤行につながってゆくのではないかと思う。これで戒定恵は都合三回説かれ乍ら、自然に三秘が明されるが、実はこれは具足道のように思われる。それが丑寅勤行として理屈抜きで伝えられて来ているのである。これが事行の法門である。それが実は愚悪の凡夫の現世成道の姿ではないかと思う。

 そこでよく見れば本尊抄の全文は行事として事に行じられて来ているのである。それが丑寅勤行そのものなのであるが、今の宗門では具足道をどのように解しているのであろうか。本果をとっては具足道は解することは出来ないのではないかと思われる。己心の一念三千法門とは具足道を明し、愚悪の凡夫の現世成道を明す処に主眼が置かれているようである。それを重ね重ね、返す返す教えてゆくのが法華経の行者ということではなかろうか。自分一人が朝から夕まで題目を上げている行者とは自ら別問題である。

 今はその己心の一念三千法門も邪義として消滅させられたようである。文底法門の世界にも、世間と同じく有為転変は等しく具わっているということであれば、最早仏法世界であるとはいえないであろう。今の宗門はそのような方角に向けて進みつつあるのであろうか。開目抄や本尊抄も方向をかえて読んでみる必要があるのではなかろうか。己心の法門を解体するような方法は避けなければならないことは、いうまでもないことである。己心も心も同じだ、心にしろというのは己心の法門の解体に最も近い処にあるように見える。西洋の学問には特にそのようなものを具えているようである。己心の法門に具わったものを世間の道徳の中に持ち出して考えることも孔孟の教に近付くことであり、これも理の故に己心の法門の解体に役立つことになるかもしれない。そのために仏法の「時」の必要が強調されるのであろう。今は仏法と世間のはざまにあって、即しきれない処に新しい迷乱が芽生えつつあるということではなかろうか。新本迹迷乱というべきか。己心の法門が邪義と思えるのもその表われなのかもしれない。アチラものに弱い一面である。

 本尊の中央の題目は受持の姿を表わしたものである。これが具足道であり、己心の一念三千の貌であり、実は生れながらに備わっているものであるが、今は本尊として文字に表わされたものを受持しているようであるが、本来は文字に表わされる前の本因に限られていたが、今は本果としての本尊を受持しているのである。己心の法門を邪義ときめて心の一念三千を立てた時、最早鎌倉に生れた日蓮は本仏としての資格は失なわれていると見なければならない。そうなれば最初に論理学を説き始めた人を祖師とし本仏と仰がなければならない。本仏や宗祖が変るのは当然のことである。今度は己心の法門に反対の立場にある人が宗祖となり、本仏とならなければ宗門も落ち付かないであろう。若しそれが決まらなければ、最初に邪義と決めた水島宗祖、水島本仏に落ち付くべきであろうか。日蓮大聖人と称しても、己心の法門を認めなければ日蓮本仏では落ち付かないであろう。一日も早く本仏を決めなければならない。

 次々に法門の考えは変っているが、受持即観心の場合、観心を四明のものをとるのが今は正常になっているが、若しそうなれば観心は日蓮から自動的に移り新教義が出来上ることになる。今の教義も四明を正統と仰いだ処に根底を置かれるようになってくると、本来の観心によるものとは真反対に出るようになってくる。左にあるべきものは右となるのである。二乗の成道は認めても衆生の成道は認めないという結果が出る。これは大変である。今の教義はそのように立てられているのである。己心の法門を邪義と決めて四明を正統と仰いで受持した中で観心の基礎も考えられているのである。これでは日蓮が法門ということも出来ないであろう。四明を天台の正統と仰ぐことは、日蓮を傍流とした証拠である。天台迹門の一念三千を正統と仰ぐこととそれ程大差はないであろう。そこに狙いがあるのかも知れない。これも日蓮が仏法を迹門化するための涙ぐましい努力の表われということであろう。それが論理学的発想による水島教学である。結局八ケ年に止まったようである。その間に出来たものは「正しい宗教と信仰」一冊のみであった。いくら優秀な頭脳をもってしても迹門の一念三千から本仏や本因の本尊を求めることは出来ないし、衆生の現世成道を得ることは出来なかった。そこに破綻の原因があったのである。己心の法門はそれ程簡単に消せるようなものではなかったようである。

 須臾(中略)是也までは衆生の成道を指しているのではないかと思う。即ち受持即観心である。これを見ても受持がいかに重要な役割を果しているかが分るが、今はその大半は忘れられているのではないかと思う。これは既に山法山規として事に行じられているのであろう。重要なもの程分りにくくなっているのは事行に入っているためであろう。法門は最終的には行ずることに意味があるからである。理として理解する必要はないということかもしれない。これは法門そのものがそのようになっているためである。これが山法山規や事行の法門の基本的な考え方ではなかろうか。それが或る時突然、学はいらない、信心だけでいいんだというように変っていくのではないかと思う。同じことをいい乍ら内容的には全く真反対に出ているのである。そこに己心の法門のむづかしさがある。これまた時の誤りということである。

 近代西洋学が渡来以後、反って迹門になじみやすくなったのではなかろうか。そのような中で現世利益である現世の民衆成道が死後の成道に変り己心の法門の大きな特徴が消されてしまって死後の成道となり、他宗と全く同じことになった。己心の或る部分が解体されたためである。それは現世利益のようである。展びた面もあるかわりに己心の法門は可成り被害を受けているのである。今度は自分の目前でそれが展開したので辛うじてこれに気付くことが出来た。近代教育にはいつでも己心が消せるような準備が出来ているのである。そのような中で大勢のものが集団して己心の法門を守ることは不可能である。これが守れるのは一人に限るということである。今目前で己心の法門は次々に消されていったのであるが、消した方には一向に罪の意識はわかないのが特質である。何がどのようにして消されたのか、それが分っただけでも拾いものである。これは近い将来必らず恢復するものと信じている。

 明治では己心の法門も本因の本尊もまだまだ名義の上には完全に残っていたのであるが、今度はそれさえ消されてしまったのである。法主が先頭に立って悪口をやったのも、実には西洋学の故なのである。これが後段の阿部教学であり、前段は正宗要義に表われた教学である。法主以前には己心の法門も見えるが、登座以後は間もなく消されてゆくことになる。己心の法門があるのは登座已前ということである。法主からでさえ己心の法門を奪い去るすさまじさである。再びこのような被害を受けないようにしてもらいたいと思う。僅か数年の間の出来事である。己心の法門に関する限り凄い近代化が進んでいるようであるが、このようなことは実はあってはならないことなのである。己心の法門が一瞬にして狂学と思われるようなすさまじさを持っているのである。これでも尚且つ近代的な西洋学に限るというなら、それは他処もんの入り込む余地のない処である。それらの学に心を移した時既に己心の法門は消されているのである。西洋の学問の盛行の中で学匠は名聞名利を追うている様は、沙石集の記述の如くである。今は或る意味では当時の頓世流のものを持ち合せているのではなかろうか。今は僧から世間へ、世に遁れるようなものをもっているようにさえ思われる。頓世者も真反対である。山田教学は今も偉力を発揮しているのか、一向にその消息をしることは出来ない。山田教学の生い立ちも急転直下理解することが出来たのは不思議な因縁というべきか。同じくならも少し深くかくしておいた方がよかったようである。

 己心の法門は流転の世から衆生が自力をもって立ち上がれる方法である。それを何故邪義と決めるのであろうか。時局法義研鑽委員会もそれを決めるために数年の研鑽を重ねたのであろうが、余りといえば脆かったようである。余り新来の洋学には力を入れない方がよかったようである。これを教訓として今後の研鑽に励んでもらいたい。始めから当方には関係のないものであるから、被害の方は水島が一身に受けたようである。何ともお気の毒な次第であった。己心の法門を邪義と決めれば宗祖日蓮を相手にしなければならないことが、何故分らなかったのであろうか。宗祖相手に一戦交えようというのは悲壮感そのものである。衆生の自力成道の方法を探り出してこそ胸を張って末弟といえると思う。現状では師弟共に霊山浄土に往詣して三仏の顏貌を拝すること等思いもよらぬことである。この語も死後の成道と解しているのであろうが、己心の法門の上に説かれているものであるから、当然現世成道の上に受けとめるべきものである。その成道は己心の法門を受持していることのみが条件である。若し己心の法門が失われていると成道料金が必要になるようである。それは最早日蓮が法門とはいえないであろう。ここ二年半、宗門は己心の法門を消すためにあらゆる方法をとって来たが、根こそぎ消し去ることは出来なかったようである。その悲壮な記録は全文大日蓮に記載ずみである。後世の研究資料として珍重されることであろう。己心の法門がどのように喰われてゆくか、生々しい記録である故である。大日蓮の長期の記載はどうみても宗門の公式見解と思わせるに充分なものである。即ち論理学による説をとってその代償に己心の法門を邪義と決めたことが大日蓮に記録されていることは奇妙至極といわなければならない。

 論理学を根本として心に宗旨を建立した時、己心の法門が傍系に廻り、更に邪義となったもので、鎌倉以後始めて心の一念三千法門に本仏を求め本尊を建立したために、自然と本因から本果となったもので、移動は無理なしに行われたものであろう。これで宗義全体が論理学的発想に包まれることになった。僅か一両年の間の大革命であった。そして御書に何一つ裏付けのない心の一念三千という法門が建立された。そして宗門が沈黙を守るようになるまで数年間であった。今も黙々として心の一念三千法門を守り続けているのであろう。これでは再び衆生の現世成道の日が蘇るようなことがあるようには思われない。永遠に沈黙は守り続けられるであろう。己心の法門を邪義と決めたことは宗門の誤りであったことを公表陳謝する以外救いはないであろう。衆生救済の前にまず宗門が救われなければならない。余りにも考えが甘すぎたようである。目下の沈黙は放心状態と評すべきであろう。心の一念三千については不思議に一箇したようである。狂学と称し魔説と決めようとしたけれども信者衆は話に乗ってくれなかったようである。珍説邪説の側は依然として己心の法門を守っているのである。右往左往しているのは心の法門をとった宗門のみという処である。しかし置き土産だけは大きかったようである。一日も早くこの処置をしなければならないであろう。既に足元に火が付いている。飛んだ火の粉だけは消さなければならないであろう。

 師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顏貌を拝せんとは本尊抄の副状の文であるが、古来事行の法門として丑寅勤行として事に行ぜられて来ているもののようである。山法山規として実行ずみである。師、弟子を糾すとやってみても行じているのは師弟子の法門である。思い出したように師弟子の法門を否定しようとしても既に実行ずみなのである。そう簡単には否定出来なかったようである。師、弟子を糾すというような考えも、近代的な西洋学の影響による処が大きいようである。師弟各別の中で権力主義が強調されているのであろうか、或は弱い者いじめを内在しているのであろうか、どう見ても平等無差別とはいえないようである。平等無差別も己心の法門の目指す処も、一つの理想世界なのかもしれない。

今は心の法門と決まっているので、そこから先は不信の輩には関係のない処である。不信の輩とは己心の法門を邪義ときめた者どものみのいえる境界である。今、上代には全く関係のない新義が建立されたのであるが、三年目には早くも行き詰りが来たようである。この難関を突破するためにはまず今の沈黙を破らなければならないが、本尊抄の壁はあまりにも厚すぎるようである。今後はこの新義をもって開目抄や本尊抄其の他の御書全部を逆次に読まなければならない。そのような処からどこまで裏付けを取り付けることが出来るであろうか。その期になって「余は一宗の元祖でない」と打ち捨てられた時、どうするつもりであろうか。これは天下の一大事である。相手が宗祖であっては訓諭というわけにもゆかないであろうし、院達をもって不信の輩ときめつけるわけにもゆかないであろう。そこは反ってアベコベに決めつけられるようなことになるかもしれない。これはなかなかの難関である。前もって鋒を収めるのが賢明な方法かもしれない。

 次に寿量品の然我実成仏の文は、応仏では久遠実成であるが、これを己心に受けとめた時、そこに本因の境界が開け仏法世界を成ずることが出来る。久遠元初はそこに開けるのである。五百塵点乃至所顕の乃至がそれを表わしているものと思う。その乃至の処で時が代って仏教から仏法へ移っているのである。しかし、今のように応仏を教主と仰ぐためには乃至の必要はない。そこは実成の延長線上にあるために永遠に元初の世はこないであろう。久遠元初を迎えなければ本仏日蓮もでなければ本因の本尊の現ずるようなこともない。そして衆生も亦永遠に成道する期はないであろう。折角の二ケの大事も全く利用価値のないものとなる。仏法世界が来なければ仏法の時を云々する必要はない。永遠に迹仏世界であるからである。今の法門はそのようなところに立てられているのであるが、最近のように論理学方式が導入されては全く五里霧中ということである。そのために方向を見失って一語を発することも出来なくなったのではないかと思う。ここ七八年来の混乱は全く論理学方式の導入による処である。これでは永遠に自受用報身を迎えることも出来なければ、本仏日蓮を求めることも出来ないであろう。必要な法門は全てストップしたようである。それは全て新方式による新法門のなせる業である。気が付くのは一日でも早い方がようように思う。一日一日深部に喰い込んでゆくであろう。今、乃至所顕は一向に働いていないようである。そして応仏世界に突如として本仏が出、仏法世界が出現するのであるが、一向に空中に浮いているような感じである。大地に根差していないために上行が出にくいのではないかと思われる。己心の法門を邪義と決めている間は自受用報身や上行菩薩の出現するようなことはあり得ないであろう。

 「経云、我本行菩薩道、所成寿命今猶未尽、復倍上数等云云。我等己心菩薩等也。地涌千界菩薩己心釈尊眷属也」即ち上行等の四菩薩が出るためには己心の法門が必須条件であるが、今のように明らさまに己心の法門を罵っては四菩薩も出番がないであろう。上行の必要がないから己心の法門を邪義と決めたのであろう。この菩薩も我等が己心にあるものである。釈尊も亦我等が己心にあるものである。若しこれらが邪義であれば何をもって上行等を求めることが出来るのであろう。今の教学からは本仏も本因の本尊も求めることは出来ないであろう。恐らく論理学と仏法をつなげることは出来ないであろう。そこには仏法や仏教につながるようなものは何一つ持ち合わせていないであろう。そのためにどこからか持ちこまなければならない。そしてかつてのものが持ちこまれるのである。このような本仏等には自受用報身の必要もない。自受用報身も声高らかに唱題修行をするようなことが平気で唱えられるのである。現在はそこまで乱れているのである。これも論理学に心が動いた後のことである。最近は特に乱調子である。三世常住の肉身本仏論も論理学の力用による処かもしれない。自受用身の唱題修行と三世常住の肉身本仏論を境に、今は取りあえず落付いたようではあるが、次に何が出るか全く予想もつかないというのが実状である。奇想天外のものがいつ飛び出すか分らない不安のみは続いているようである。その発想源は案外論理学の導入にあるのではないかと思う。今は唯小康状態というだけの事である。

 己心の法門を認めなければ上行はあり得ない。大地の底とは己心のことである。己心に始めて出現する菩薩であるから弥勒菩薩から見れば未見今見である。仏法に至って始めて出現する意味であろう。その菩薩出現のために功徳が根に止る必要がある。そこでは二ケの大事の受持も終っている。そしてそこは既に仏法も成じて四菩薩出現の時の用意も出来ているのである。今の宗義では未見も今見も共にその時をもっていないようである。論理学には始めから時はもっていない。受持も行われないでは仏法は表われない。結局元のままの迹門にいるのであり、そのために迹仏を教主と仰ぎ、極く内密に報仏をどこからか請来してくるのであろうが、そのあたりは実に不明朗である。未見今見のうちでは未見の領域である。しかしこれらの事については御尊師方は一向無関心のようである。そのために混乱が生じているのである。繰り返しいうが、己心を認めなければ上行出現の期は永遠に来ないであろう。そして上行日蓮ということも出来ない。初発心の菩薩とは己心の世界の開けたことを意味している。即ち仏法世界の開けたことを表わしているように思われる。先に引用の文から見ても、迹仏世界に上行が出現したとはいえないが、今は己心の世界即ち仏法世界を認めないために、昔仏法世界に出たものが総て迹仏世界に集中しているのである。全く無時という外はない。受持がないのが時の混乱の根元になっているようである。受持によって始めて己心の上に仏法世界が成り立つのであり、そこに初めて上行が出現することが出来るが、今は文上と文底と四菩薩は二組存在する形をとっている。そして或る時は文上、或る時は文底と、一人の上行が両様に使い分けられているのである。これは一口にまとめなければならない。本迹両刀使いは法門を不明朗にするのみである。

 己心も心も同じという考えは時の混乱の最たるものである。このような考えの中では本尊抄を信用することは出来ない。その時切り文が必要なのである。そこで阿部さんは予防線を張っていたのであろう。己心を認めなければ本尊抄からの引用は悉く切り文となるからである。この引用文は我等が己心の菩薩等也、地涌千界の菩薩等は己心の釈尊の眷属也と決められている。阿部さんといえども、この取り定めを打ち捨てるわけにはいかないであろう。経にあるものを迹門で考えることは不都合であっても己心の上に考えるなら差支えないであろう。時を考えるなら再誕も別に批難するには当らないようである。むしろ迹門に考えることこそおかしいのではないか。時の混乱による批難のように思われる。但し道師は上行の後身日蓮とされている。この引用の文はどう見ても己心の上に考えられているものである。寿量品の文の底に限られている。それを己心を外して何故経の上に、迹門にのみ考えるのであろう。どうも僭越のように思われる。

この点はどのように考えているのであろうか。

 今の宗門では己心の法門を認めないので、上行の出現も経の文をそのままとるのであろう。そしてこれとは別に認めていない筈の己心の上にもまた上行の出現を認めているようで、実際に法門の上で活躍しているのはこの上行である。そして認めている方の上行は、法門的には全く活躍の場はないようである。何とも奇妙な上行である。経の上に出る上行であるから出現であるが、己心に出る上行は時が替っているので再誕の方がよいようにも思われる。上行二本立てとは一寸異様である。何とか一人にすることは出来ないのであろうか。他宗に押されて同調することもあるまい。独自の上行が何故立てられないのであろうか。

 本尊抄の解釈は己心に限られている。何故勝手に迹門に改めるのであろうか。再誕とは己心の法門に再誕するのではなかろうか。同じ上行が1には文底、2には文上、3には文上・文底と三様に受けとめられているようである。大石寺でも上代には本尊抄と同じく己心の上にのみ限られていたようである。これも四明流によったために迹門となり、それに押されて自然に文上・文底両用をとるようになったのであろう。それだけ他の教学の影響を受けているのである。文上に依る処では文底はいかにも不都合に聞えるのかもしれない。しかし本尊抄では間違いのないように重ね重ねダメを押されている。これを振り切って迹門をとることはいかにも無理なようである。

 しかし、上行等が迹門に真実出ているのであれば弥勒菩薩は知っている筈である。未見今見とは迹門には出ていないことを表わしている。まず己心の法門の処に始めて現われるように思われる。上行等の出現は滅後末法に限るようである。亦「本尊の為体」の中の「釈尊の脇士上行等の四菩薩」は己心の釈尊の眷属と同意義であるし、またその前の「釈迦牟尼仏・多宝仏」と亦我が己心の仏界として説かれているのである。これらの己心が総て外されて解釈されているのが現実である。そして文上に解されているのである。それでは本尊抄に忠実とはいえないであろう。

 この釈迦牟尼仏等の文は己心の上に説かれているもので、これを己心に受けとめる時、受持があるが、今は肝心の受持がない。そのために依然として仏教に居るまま、仏法に変る時がない。「時に依るべし」といわれている時は迹門のままである。仏法は始めから黙殺されて居りながら、しかも仏法を名乗っている。そこに時の混乱がある。これでは本仏も出られないし、本因の本尊の顕現されることもない。本因とは己心に受持した処であり、今は受持がないから自然と本果と現われる。これは己心に受持していない証拠であるが、しかも語は仏法の時の語がそのまま残されている。そのためにこれらの裏付けが出来ないのである。無雑作に他のものを移入すると益々混乱を深めることになる。それが今度のように天台の観心に頼らざるを得なくなった直接原因である。己心を斥う四明流の観心を正統と仰いでは仏法が保たれる筈もない。これは本尊抄の発端のみを取ってあとを切り捨てるやり方である。それらの文は当時課題として扱われた文であり、杉生流の枕草紙も同様であり、その部分は別に楷書をもって記されているのである。課題の文を結論として扱うために混乱が生じたのであろう。この文はいくつか用例は今も残されているようである。今の扱い方では本論も結論も見当らない。肝心の日蓮極意の部分は邪義として切り捨てられて課題部分のみが誤って結論の扱いを受けている。そのために天台の観心が大きく扱われ理と表われ本果となるのである。

初歩的なミスにしても少し度を外しているようである。肝心の観心に属する己心の部分は初めから切り捨てられたのが水島の優秀卒業論文である。審査したものも大体同じ程度の処にいるのであろう。常々理の法門と称しているものを、この卒論に限って事と認めたのである。そこに予想もつかない混乱を招いたのである。今も誤っているとは考えてはいないのであろう。理事の区別が出来ていないのである。57年度からこの方針にかえ、一挙に己心の法門の粉砕を考えたのであろうが計画は見事に外れたようである。根本の処が誤っていたのである。57年度から今年まで足掛け4ケ年まるまる3ケ年である。去年の9月が最後であったようであるが、その後はどのような教学によっているのであろうか、一度責任のある処を発表してはどうであろう。これも己心の法門を邪義と定めるための作業の一つということであろうが、これ程にしても己心を邪義とする裏付けはとれなかったようで、計画した端から崩れているようである。大日蓮掲載の山田の分も水島の分も、何れも結論には至らなかったようで、成功したものは一として見当らないのが実状である。己心の法門を邪義と定めることが如何にむづかしいかということを証明したに止まったようである。その故の沈黙である。しかし沈黙したから一切が水に流れたというわけでもない。その記録は永遠に残ってゆくであろう。今どのような計画が進められているのであろうか。日暮れて途遠しということのようである。

 「釈迦多宝」等の文は、発端から長い間かかっていよいよ迹門から己心の法門に移る処であり、いよいよ滅後末法の世を迎える処である。この境目に受持が必要なのである。そして欲聞具足道の具足道を明かされる処である。その具足道とは己心の一念三千であるが、己心の法門を邪義とするなら、この文以下は総て邪義となる。本尊抄の半量以上は邪義を説かれていることになる。そしてこれに続いて本時の娑婆世界が、続いて本尊の為体が明かされるが、何れも己心の法門である。つまり本尊もまた邪義ということになる。即ち本因の戒旦の本尊は邪義ということで、今は本果と取り決められたようである。己心を説かれた本尊抄は邪義、水島一人正義を立つということであろうか。大石記で道師は施開廃共に迹は捨てらるべしというのが正義であったが、今は捨つべからずというのが正義ということになった。遂に一廻りしたようである。これは全く時の混乱の故である。

これは新版本迹迷乱ということであろうか。中味は一転回しているようである。前は施開廃共に迹を捨てることが正義であり、今は迹によることが正義になっているのである。これでは正義を辞書に依って調べても真実に理解することは出来ないであろう。それ程複雑なのである。

 今の水島教学では、欲聞具足道が難解ではないかと思う。何をもって具足道と定めているのであろうか。教学部ではどのように決めているのであろうか。恐らく己心の一念三千法門を指しているのであろう。今はその己心の一念三千法門は既に邪義として決定ずみなのである。つまり天台迹門の一念三千法門の上に正義を建立しているのである。これが日蓮正宗伝統法義である。しかもこの伝統法義は己心の法門を邪義と決めた上に建立されているのが大きな特徴である。十年以前には、はっきりと己心の法門を邪義とは決めていなかった。そこに大きな相違がある。己心の法門を邪義と決めれば最早日蓮が法門ではない。全くの新義建立である。それが今の伝統法義と称するものである。これが案外中味のないのが玉に瑾である。古来欲聞具足道の辺りはあまり手を触れていないように思われる。滅後すぐ四明流に変ったために文底に触れにくかったためであろう。今水島教学は四明流を正統と仰ぐために、この文には触れられない筈である。それが一挙に己心の法門は邪義と出たので、七百年来の他門のもやもやを一挙に爆発させたような感じである。大石寺では跡の仕末に困るが、他門は一斉に拍手を送ってくれたことであろう。それ程教義が一致派化しているのである。しかし、あまりそり反るようなことではないと思う。

 大石寺としては、改めて欲聞具足道の周辺を中心に見直さなければならない時である。このあたりは殆ど山法山規として、事行の法門として特に緊密な関係にあるようである。ここをよく読めば己心の法門を邪義といった事が、いかに誤っていたかということもよく分ることと思う。開目抄も本尊抄も欲聞具足道の処で大きく転換している処はどちらも文上迹門から文底本門へ切り換えられる処であり、従来ここを除外していたために文底への切替えが出来ず、常に迹門にあったのであろう。そのために己心の法門も文底も、そして又仏法も取りあげられることもなかった。そして宗教家として仏教家としてのみの扱いをして来たようである。大石寺も明治以来その攻勢に抗し切れず次第に迹門化して来たのである。そして遂に己心の法門を邪義という処まできたのである。今は専ら己心の法門を消すことにのみ意慾を燃やしているようである。宗を挙げても己心の法門を抹殺することは出来ないであろう。それでも止められないようである。

 とも角ここには一念三千と己心の法門が集結しているようであるが、一向に注目されていない。若しここが読まれて居ればいまのように邪義というようなことはなかったであろう。衆生の現世成道の秘密も本仏も本因の本尊も総てここに秘められているのである。日蓮が法門はすべてそこに秘められているのである。それ程重要な処が何故読まれていなかったのであろうか。やはり何かの意図が秘せられていたためであろう。今それを取り上げられて返事が出なかった、そのために邪義と出るより外に術がなかったのであろう。平常から今少し立ち入って研究しておくべきであった。己心の法門を邪義ということは、これより外に答える術がないということである。これ程恥かしい答は又とないであろう。あれ程続けざまに数多く出ている本尊抄の己心の文字を宗門人は誰一人読んでいなかったのである。そして己心の一念三千法門によって仏法も成り立ち本仏も現われ、本因の本尊も顕現されていることを知らなかったとは驚きである。いわれてもまだ読んでいないのではなかろうか。本尊抄だけでも読んでおけば、己心と心が同じなどとはいう必要もなかったであろう。許されざる手抜かりである。

 ここで仏法に切替えられなければ本因の本尊の現われるようなことはないであろう。日蓮が仏法はここに始めて成り立つもので、歴史的な意味をもっている。ここを境に仏教と仏法の時が分れるもので、前来にも成功した例もなく今に至る迄誰一人成功していないのである。これによって始めて民衆が自力をもって成道出来る民衆仏教即ち仏法が出来上がったのである。その方法が今は門弟によって邪義の烙印を押されたのである。しかもその復帰を主張するものに、狂った狂った狂いに狂った、狂学、邪説、珍説、魔説、とあらゆる悪言を叫ぶのである。一度でも開目抄や本尊抄を読めば何れが狂っているか自ずと氷解するであろう。今読まなければ再び読む日はないであろう。

今年度の学林の成果はどうなったであろう。是非拝見したいと思う。一人や二人は己心の文字を読んだ人もあるかもしれない。学林の結果によって己心に鞍替えするつもりであろうか。あまりにも他宗他門に気を配り過ぎている。内部の雑音も亦多すぎるようである。唯授一人の相承は、己心の法門を邪義とするようなことはないと思う。そして己心の法門には久遠の長寿を持っている。何によって遠寿を称するのか、その意義を把握してもらいたい。己心の法門を邪義と決めては、永遠に宗門に遠寿は還らないであろう。何を捨てをいても長寿を取り返さなければならない時である。この者に対して悪口をもって酬いる理由は全くないものと思う。悪口をいう暇があれば反省すべきである。一年の沈黙の間、どれだけ反省が出来たであろうか。新しい目標に向かって前進を始めてもらいたい。己心を消すために心も同じだ、心にしろと心の一念三千にまとめたようであるが、それは決して成功とはいえなかった。己心と心は始めから違っているのである。その違い目を確認した時、日蓮が仏法は成り立っているのである。心に帰れば仏法は自滅するのは必然のことである。宗門自ら自滅を望んで己心の法門を邪義と決め、心の一念三千に帰ろうとしたのであろうか。何とも解し難い処である。

 押され押されて他宗門に同調して迹門に転向しても常に矛盾と戦わなければならない。借用したその宗の教義まで乗り越えることは出来ない。遂にはその宗の虜になってしまうのである。天台には己心をもっていないので、日蓮を破責するためには好都合ではあるが、常々御本仏日蓮大聖人の仏法を破責する羽目になったのである。今少し考えて事を始めた方がよかったようである。事が始まってからでは手遅れである。御本仏と仰ぎながらこれを破責することは下尅上の最も甚だしいものである。これで責め勝てるわけでもあるまいと思う。少し甘過ぎたようである。 天台一宗にしてもその宗義を越えることは不可能である。今の宗門の学匠の技倆をもって諸宗に亘って乗り越えるなどとは以ての外である。結局は諸宗の頭を越えることは出来ないであろう。調子計り上げても所詮は無理な話である。まずそこに限界を見なければならない。自身、余は一宗の元祖でもなければ何れの宗の末葉でもないといわれ、開目抄や本尊抄には一向に一宗の建立を目標にされているようなものは見当らない。今一宗と読まれているものは仏法建立である。只これを読み誤っているだけのことであり、そのために仏法建立については全く省られなかったので、大石寺だけが辛うじて仏法を伝えて来たに過ぎなかったが、そこは多勢に無勢、遂に落城の浮き目にあったのである。そして自ら己心の法門は邪義という処まで落ちこんだのである。今一番己心の法門の必要な時を迎えてこのていたらくである。これではどうにも手の施しようもないという処である。

 日蓮研究も既に終ったようである。只残されたのは仏法家として思想家としての日蓮像については全く手付かずのまま残されているのであるから、今後は門下力を合わせてこの方面の研究に専念し、700年の空白をうずめてもらいたい。それならば手付かずの資料が山積しているのである。現在の宗教家としての日蓮研究は大体行き詰っているのではないかと思う。現在までの成果をもって二十一世紀を迎えることは容易なことではない。若し今まで除かれていた日蓮像が浮び上るなら、案外新しい道が開けるかもしれない。

 世間も生のままの己心の法門を求めようとしているように思われる。一宗建立しているのではないから、お気に召した処にはどんどん使ってもらえばよい。そして各々自分等の意見の中で発展させればよいと思う。それこそ法の広宣流布ではなかろうか。即ち法流布である。一宗建立すればそうもゆかないであろう。しかし己心の法門はどこまでも自由に延びることが出来るであろう。広宣流布は必らず教流布によるべしという御指示は出ていないようである。思想であれば格別国境はいらない。日本にも現に外国から色々な思想が入って自由に使っているのである。己心の法門がお気に召した向きにはどんどん使ってもらうべきである。そのような大らかな広宣流布でありたいものである。そこは思想の分野である。

 宗教ではそうもゆかないのは当然である。宗教に限る広宣流布という考えは開目抄や本尊抄には見当たらないであろう。そこは一閻浮提総与に限るであろう。これなら興味のないものは横へ向けばよい。格別批難するにも当らないであろう。それは取り上げるのは相手方が主役であるからである。しかも法門の教えるように自由に自行によることが出来るためである。法流布をとれば大らかであるが、一旦宗教ともなれば急にがりがりしてくるのである。難点は今のように金が入らないことである。広宣流布はまず法流布を目指すべきであると思う。一宗の元祖でないという日蓮に教流布が目標であったとしても、どうもしっくりしないものがある。金の話はしばらく忘れて法流布に専念する時ではなかろうか。そして自由に各利用方法を考えて21世紀を乗り越えてもらえば、それでよいのではなかろうか。そうもいかないという向きは一宗建立して教流布に専念すればよい。そこは吾々の立ち入る筋合いではない。

 本尊を説かれた観心本尊抄は一閻浮提総与の処に結論を持ちこまれているようである。生れながらにして本尊は持って生まれているというのが結論のようである。信者になった者には本尊を授与し、不信の輩には授与しないという意味とは思われない。そこが仏法と仏教の違い目である。ここの処は信不信には関係なく授与されているのである。しかし莫大な授与料が入らないのは玉に瑾である。日蓮に従えばそのようになるのである。一閻浮提総与は一切無料授与であることに注意してもらいたい。長い間カントの説には御厄介になったけれども使用料を届けた話もない。無断使用のようである。己心の法門も無断無料使用でよいように思う。これこそ世間様への報恩であり、一切衆生への報恩である。日本人のみが一切衆生ではない。本因の本尊とは一切衆生への報恩という意も強いのではなかろうか。一閻浮提総与であると同時に唯授一人でもある。これが本果の本尊ともなれば大分状況も変ってくるかもしれない。個別指導的なものは薄れ、反って総与風に変ってゆくように思われる。とも角報恩という考えは全く影を潜めるであろう。

しかし、本尊抄に説かれる本尊はあくまで本因であり、決して本果の本尊ではない。それが最近は本果の本尊と決まったようである。これは宗体そのものの変化であるだけに重大な問題を孕んでいるようである。それだけに簡単にはすまされないものがある。本因で小突かれたから本果にしようというようなものでもないと思う。少くとも宗義の中枢部にあるものであるだけに、他に迎合する必要はないものである。宗義を定めるために周辺を見廻し、気を配る必要は更にないものと思う。そのような中で遂に己心は邪義と決められたのである。これは総て他の都合が悪いためであって、自宗には何一つプラスになるものもないことである。己心を邪義と決めては恐らくは宗義を立てることは出来ないであろう。殆ど壊滅に近い状態ではなかろうか。それにしてもよく思い切っていえたものである。実に恐るべき度胸である。己心の法門に追いつめられて、天台理の一念三千をもって本仏を捨て本因の本尊を捨て、衆生の現世成道をもかなぐり捨てて逃げ切ろうとたくらんだのが、そもそも誤算の始まりであった。そのために己心の法門を捨てることが出来たのである。今、その捨てる以前の法門と捨てた以後の法門との間に相剋が起こっているのである。開目抄や本尊抄を一度でも読んでおけばこのようなことは避けられたのではないかと思う。己心と心と違っていることに何故気付かなかったのであろうか。三重秘伝抄でも理の一念三千と事の一念三千の区別は丁寧に示されてをり、平常は口にしている処であるが、非常の時に役立たなかったのでは知っていることにはならないであろう。そのために肝心の古伝の法門は一切投げ捨てられる羽目になったのである。今一歩の理解が身についていなかったようである。事を事に行ずることがなかったのである。今後は事行というようなことは自然と消滅することであろう。しかし、理を事に行じても、事を事に行じたとはいえないであろう。これは山法山規とは凡そかけ離れたものである。今の宗門は心の一念三千を根本義としているのであろうが、これでは本尊抄の本尊を戴くことは出来ない。心の一念三千が天台理の一念三千であれば欲聞具足道以前に属するもの、未だ日蓮独自の本尊が顕わされていない。即ち迹門に属するもの、これを持って日蓮の本尊ということは出来ないが、従来信仰の対照としての本尊は多分に宗教味を持ってをり、迹門的な解釈が黙認されてきているのであるが、これは己心と心とを別個におき乍ら黙認してきたものであり、己心と心を同じとするのとは雲泥の相違がある。これには己心を知りながら心をもって代行しようするのと、己心を心に近付けて解釈しようとするのと、同日に論ずるわけにはゆかないであろう。己心を心に近付けようとするのは、余り敬服するような考え方ではない。宗門の最高首脳部が口を揃えて讃美しても、これに付き従うものはいないであろう。この辺り、大分誤算があったようである。裏付けのないものは邪義に等しいものである。同じであるなら開目抄や本尊抄をもって裏付けなければならない。しかし両抄には己心と心が同じとはどのように見ても出てこないであろう。或は本尊抄の発端の文と本尊の為体の文をつないで中間を省略すれば同じということが出来るかもしれないが、勝手に中間を省略することも容易に出来ることでもない。さて、どのようにして証明するつもりであろうか。八ケ年計り未だに同じという理由は発表されたようには思われない。或はこっそり撤回したのか、これも一向定かではない。

 七百年間宗教に閉ぢこめられた日蓮義は可成りかたくななものになっているようであるが、吾々は年期の入った宗門人とは違って、日蓮が法門をそれ程頑ななものには考えていない。何れの国の人がどのように使うのも自由であると考えている。そのために従来の解釈については極力ふれない方針である。只願う処は開目抄や本尊抄の方針に忠実に、且つ大らかであいたいと願っている。強引に自宗に入信を強要し折伏するのも広宣流布であるし、大らかな法流布に持ちこむのも同じく広宣流布である。只違う処は仏教によるか仏法に依るかの異りのみである。日本にもアメリカにも既に共鳴の動きはあるものと確信している。日蓮の広宣流布の狙いも案外このような処にあったのではないかと自負しているものである。しかしここの方法は全く銭にならない処であるだけに滅後700年今もそのまま残されているのである。次の21世紀こそ、そのような法流布の必要な時ではなかろうか。法前仏後というのも仏法流布が前、仏教流布が後という方が理解し易いのではないかと思う。魂魄の上に成じた法門は始めから銭には無縁のように思われる。

 実は大石寺は始めから300年の間は、そのような仏法を伝えて来たものである。最初から仏教として来た他門下には、そこの処が中々理解しにくいようである。自説を守るために反って大石寺法門を批難しているように見える。今振り出しに帰って日蓮が法門を仏法とするか仏教と見るか、そこに問題点が寄っているようである。700年の年月を経て、今仏法に帰ることも容易なことではない。しかし日蓮が仏教を目指していたのかどうか、改めて考え直さなければならない時が来ているのである。今の世上は昔ながらの仏教家で押し通すことも、これまた容易なことではないように思う。肉体を遮断して魂魄の上に成じた法門に肉身が復活するような事でもあると、急に金々々となるようである。己心の法門が一度崩れると急に金々々となる、こうなれば元の魂魄に返ることは殆ど不可能なようである。しかし魂魄を守り続けることは容易な事ではない。今の大石寺法門は既に肉身と入れ替っている。そのために己心の法門を親の敵のようにきらっているのである。今のように金が渦まけば己心の法門も亦居りにくいであろう。時局法義研鑽委員会の研鑽の要点をまとめて発表しているのが水島ノ−トであるとすれば己心の法門を邪義とすることは委員会の発表に等しいものである。金々々、万円札の乱舞する中で、まず犠牲になったのが己心の法門であった。この中には本仏も本尊も衆生の成道も亦仏法も含まれているのである。それを何の惜しげもなく捨て去ったのである。これだけ捨てては、あとに何が残っているのであろうか。この中には自受用報身も含まれている筈である。しかし、高声に唱題する自受用報身がどのような性格を備えているのか、それは一向無案内である。これは知らぬ他国の自受用報身なのかもしれない。この自受用身は己心の法門の嫌いな報身如来のようにも思われる。しかしこの法門を捨てては霊山浄土へ参詣して師弟共に三仏の顏貌を拝見する等とは思いもよらぬ事である。むしろ宗祖に一喝をくらった阿部さんの顏貌を拝見したいものである。日蓮の御気色いよいよ厳しくなりて候ぞ。

 色も変らぬ筈の寿量品も、今は色の変り果てた寿量品になり切っているようである。金に色褪せた寿量品というべきであろうか。色褪せたとは久遠の長寿を失った寿量品のことである。これに対して、色も変らぬ寿量品とは久遠の長寿を表わしているのであろう。しかし論理学による心には己心と違って、久遠の長寿が欠けている。何をもってこれを補うのであろう。ただし己心には初めから長寿は用意されている。これが最も大きな相違点である。金の方から飛びついてくる金口嫡々の相承と、金の方から尻尾を巻いて逃げる相承と二通りあるのかもしれない。衆生が総与されている金口嫡々の相承は無料の唯授一人の相承であり、みんな等しく賜与されているのである。これは御下附料を必要としないものである。これが真実の色も変らぬ寿量品の本尊なのかもしれない。そして今一つの本尊については莫大な御下附料を必要とするものである。宗祖の時の御下附料はいくら位の定まりであったであろうか。当時は法流布が主で、教流布は従ではなかったかと思うが、今は教流布のみであり、やがて法流布の時が来るのではなかろうか。時は既に移りつつあるような気がする。自然の時の推移の中で名字初心に帰ろうとしているのではなかろうか。これは色も変らぬ寿量品の領域であり、常に新鮮である。これこそ法流布のしるしではないかと思う。即ち己心の領域である。一閻浮提総与もこの領域にあるもののように思われる。これは魂魄の上に刹那に現ずることの出来る己心の法門の領域である。己心も心も同じという御託宣ではあるが、己心は魂魄に限り、心は魂魄を必要としない。これを同日に論じることは出来ないであろう。同じなら己の字を冠する必要はない。違うから委しく説かれているのである。それを無視して同じとは些か僭越ではなかろうか。宗祖の定めには必らず従わなければならないものである。己心は長寿を持っているが、同じという心の一念三千は殆どその影は失われたようである。十年にも満たなければ長寿ともいえないであろう。若し心に宗門が建立されるなら、十年もたないということにもなる。己心に建立されているから今まで、もっているのである。己心と心とは、寿の有無長短が異なっているのである。これを同じとする珍説は一回限りで終ったようである。己心の法門を狂学とする説も二度とその姿を現わすようなことはなかった。特に最近の珍説には一回限りというのが圧倒的に多かったようである。心の一念三千の上に出ただけに余計に不安定だったのであろう。その中で己心を邪義とする説は実に珍中の珍というべきものである。出たのは一回限りであったけれども今もその余残は燻り続けているように思う。邪義、珍説、狂学などというのも総て一回限りという短寿であった。総て心の一念三千の処にのみ表われたもののようである。今は一向にそのような説にお目にかかるようなことはない。既に時は一過したのであろうか。このような時は目で確めることの出来ないものである。最近は心も己心の中に吸収されてしまったのか一向に静かになったようである。或は名字初心に帰ったということであろうか。今少し深い処から掘り起こしてもらいたいと思う。

 初期の頃戒旦を中心に本尊・題目を左右に配した本尊図の発想らしきものが一回大日蓮に載っていたように記憶しているが、これも己心も心も同じという構想の中で己心を消すための発想の一つであったのであろうが、其の後の消息は一向不明であり、不成功に終ったのであろうか、これは特に護法局を中心にしたものであろうか。次々に新しい発想を練っていたであろうことだけは分るが、根本は己心を消すための作業の一つであったのであろう。今は万策尽きたのか、名案の発表も途絶えたようである。今から思えば、その頃は可成り活気を呈していたようであるが、一として成功したものはなかったようである。或は己心の法門を邪義とするための前夜の作業であったのか、各々意欲を燃やしていたことであろうと思われる。しかし、今は全く嵐のあとの静けさである。今振り返って見た時、結局は夢物語に終ったようである。夢を食って生きてゆけるのは獏位のものである。夏草やつわものどもがゆめの跡か。己心の法門を消すために色々の努力があったようであったが、結局何れも成功しなかったようである。

 論理学には過去を消すようなものをもっているのではなかろうか。故里が消されてゆくように見える。これでは寂光の都の夢を結ぶようなことも出来にくい、長寿を求めるにも無理がある。己心の法門とは真反対の立場に立っているように見える。現在を中心に過去を解体しながら明日に向かうというようなものを持っているのではなかろうか。己心の法門に対しても、これを分解しながら抹消してゆくようなものをもっているのではなかろうか。結局振り返った時何も残っていない。只論理学のみが残っているということになる。

 過去を尊ぶのは日本人の美点であるが、戦後は忠君愛国とか忠孝などというものは表向き消され、残ったものは学校教育を通して西洋流な学問によって好いものは次々に解体抹殺されてゆき、次第に薄れていった時、大人にも子供にもいじめが起きている。今大石寺にも西洋流な学問が侵入しようとしている。何とも危険極まる話である。僅か八ケ年間でまず己心の法門も消される寸前である。振り返ってみても宗門人はこれを消すことに異様な意欲を燃やしているようである。一旦宗内に入れば、この学問を消し去ることは中々厄介な問題ではないかと思う。僅か八年間で己心の法門を消す力を持っているのである。この現実を正視しなければならない。その内本仏も消されるかもしれない。本尊も既に本因部分は消されたように見える。論理学と己心の法門とは本来相容れないものをもっているようである。今の勢いでは己心の法門が完全に食いつぶされるのに、それ程時間はいらないかもしれない。本尊の根本である信も食われているかもしれない。世間でも信頼感は次第に薄れているようである。その根本の処は大分食いつぶされているように思われる。これらも西洋の学問が教育に取り入れられたための影響ではないかと思う。その辺りに根源があるようである。特に己心の法門とは始めから相容れないものがある。大石寺法門としては全く迎えざる客である筈である。解体するにそれ程の時間はかからないかもしれない。

 中国の学問や思想によって長年月をかけて作り上げられた日本人の美徳美点も、僅か40年間で殆ど解体し尽くされたようである。そこへ金が加擔して新しい教養を作りつつある時、大石寺も新教義に向かって既に発足したのであろうか。どのようなものが出来上るか、今は全く予断することは出来ないのが実状である。このような解体は大きな足跡として長く残されてゆくであろう。今の大石寺には、これを拒む術は持ち合わせていないであろう。鋭い攻勢の矢面に立たされているようである。8年間を振り返ってみれば、どのような力をもっているか一目瞭然たるものがある。今となってこれを排除することは容易なことではない。宗門も既に可成りな被害を受けているのではないかと思う。学問そのものが力をもっているだけに厄介である。いじめにしても本来の固有のものが解体された後に起こっているだけに厄介である。若し出来れば元のように基礎作りからやらなければならない処である。現場だけの対策だけでは、この難問を乗り越えることは困難である。今は教育そのものが古いものを解体するような処に目標ををかれているのではないかと思う。その中で教育を受けたものがそれを身に付けているのは当然のことである。そこにいじめの問題の深さがあるのではなかろうか。大石寺のように古い教学をもっている処では特にその被害を受け易いような状態にをかれているようである。

己心は邪義といい出したものも、既に目的を達して沈黙を守っているのかもしれない。宗義の根本になる己心の法門に対して邪義とさけぶとは、全く狂気の沙汰である。どこに本心があるというのであろうか。

 宗門も浮かれてばかりをらずに、静かに魂魄について考え直す時ではなかろうか。あまり論理学方式に深入りすることは、反って宗門の基盤をゆるがすようなことになりはしないか。大いに反省する時が来ているのではないかと思う。阿部さんは宗門や学会の悪口を言ってをる、増上慢のやからめがというかもしれないけれども、敢えて苦言を呈しているのである。阿部さんがいくら力を入れてみても、崩しこそすれ、論理学をもって一宗を建立するようなことは、殆ど不可能ではないかと思う。学問そのものが分解するような力をもっているのである。己心の法門の解体位朝飯前である。己心の法門を作り上げるようなものは始めから持ち合わせていないのである。本因も既に分解されているであろう。本仏などというものは始めから持ち合せていない。これもいつ分解解体せられるかもしれない。しかし阿部さんの教学には、これを拒むようなものは始めから持ち合わせてはいないであろう。それなら予防するに越したことはない。その期に及んで論理学に向かって不信の輩と叫んでみても手遅れである。人に憎しみをかける前に一度反省するに越したことはない。時局法義研鑽委員会は、己心の法門を邪義ときめたことについて、その法理の裏付けの研鑽が目的であったのかもしれない。しかし、己心の法門を邪義と決めた業蹟はいつまでも残ることであろう。今度は己心の法門正義復活委員会を発足して早々に活動を開始することである。これが目下の大緊要事である。己心を邪義と決定すれば、法門は邪義として動いていることであろう。これは目をもって確かめられないだけに厄介である。しかし、そのような方角に法門が動くことは恐らくは必至である。既に動き始めている気配を感じないのではなかろうか。本仏は既に反省を逼っているのでないかということをひしひしと感じさせるものがある。それでも論理学を胸に抱いて温めているのであろうか。それは奇特な事である。

 今の法門は魂魄を離れ、己心とは無関係の処に建立されている心の一念三千を根本としているのであるが、どのようにして本仏や本尊が顕われるのか一切不明である。唯授一人もまた心の一念三千の上に考えられているようである。これでは天台の金口嫡々の相承と何等変りのない迹門の唯授一人の相承である。色々な法門も天台から移入されたままのものが殆どであり、別に一宗建立する理由は非常に希薄になっているように見える。そしてどんどん脱皮しているのであり、今新義建立の前夜というあわただしさである。同じ脱皮なら己心の法門に出てもらいたい処である。法を主とすれば自ら己心の法門に出るであろうが、心の一念三千を根本とすれば、迹門を脱することは出来ないであろう。これでは迹門の上の教流布であり、経そのままの広宣流布をねらうのも無理からぬことである。護法局の狙う処もまた経そのままの広宣流布である。万一それが実現するような事があっても、それは仏法の広布とは別個の問題である。開目抄や本尊抄の目指す処とは別問題である。護法局は既に迹門の上に建立されている。当時宗門は迹門に固まっていたのであろう。そして己心を邪義ときめて大日蓮に掲載したのもその直後であったように思う。己心も心も同じだ、心にしろという既定方針通り心の一念三千をもって新義建立されたのもその時期であったであろう。当時のものを振り返ってみて、いかにも歓喜に満ち溢れているようである。その歓喜は三年と続かなかったのである。これが現実であった。心の一念三千の上に新しい観心を立て、それによって新しい教義を建立しての再出発であったのであるが、その歓びは三年と続かなかった。それ程根底が浅かったのである。恐らく今は逆も逆、悲歎のどん底に打ち沈んでいるのではないかと想像している。己心を捨てての新義建立はそのように生やさしいものではないようである。日蓮が法門とは全く関係のない新義建立だけに殊更難事業である。

 今のように己心の法門を真向から邪義と決めては本時の娑婆世界にも本尊の為体にもつながることは出来ないであろう。

この双方に通じなければどこから本尊を持ちこむのであろう。本果から本尊を求めることはできない。本尊抄とは関係のない処から求めざるを得ない。本尊抄の本尊とは関係のない処から求めなければならない。折角説かれている本尊抄から本尊を求めることが出来ないという異状に遭遇することにもなる。また折角本果の本尊ときめても、これさえ求めることは出来ない。これも異状である。何故本因の本尊と決められないのであろうか。日蓮の本尊を切り捨ててしまって尚本果の本尊が顕現されていることは、本果の本尊は阿部さんが私に顕現した本尊即ち迹門の本尊ということになる。寿量文底と定められた本尊を文上迹門に出現せしめる事は、いかに阿部さんといえども出来ないのではないかと思う。

 三災を離れ、四劫を出でたる常住の浄土をどのようにして求めるのであろうか。ここの常住の浄土は己心に限定されているようである。これをどのようにして心に限定するのであろう。その心の背景があるとすれば、その常住の浄土は急速に消される。そこは論理学が特技を発揮するであろう。常住の浄土を消すこと位至極簡単である。そして本時の娑婆世界にあるべき常住の浄土が心の一念三千の上に考えられるようになり、論理学と心とに支えられて虚空に常住の浄土を求めるようになると、最早それは己心の常住の浄土とは似てもつかぬものになり、反って己心の常住の浄土が邪義となるのである。最近妙に本仏を虚空に押し上げようとしているものが目についていたが、それは東洋と西洋の二つの心の働きであったようである。それが日蓮が法門の根底になっている己心の法門を消したためであったのであろう。

今の宗門の口から己心の法門こそ正義だということはいえないであろう。次第に己心の法門を邪義とすることが正義となるために、それ程の時間の必要はないであろう。己心も心も同じだといい始めてから、僅か3年で己心の法門は邪義の烙印を押されているのである。七百年守り続けられてきたものは、己心も心も同じという処をとれば刹那であり、その刹那の間に七百年間の伝統は、法主自らの手によって奇麗さっぱりと切り捨てられたのである。何がどうなっているのか、不信の輩には一向に見当もつかない処である。大日蓮の巻頭をかざった、己心も心も同じだ心にしろという語は、七百年の伝統を誇った仏法家の敗戦宣言の文である。以来己心の法門の復活の兆しは一向に見えそうにもないという中で、只沈黙を守っている以外、手の施しようがないということのようである。すべて新来の論理学による被害であることは一目瞭然としている。それでも尚且つしがみつこうとしているのである。醜女の深情が断ち切れないということであろうか。何故教化出来ないのであろうか。どうも常に教化される立場に置かれているように見えるのは、何に起因しているのであろうか、その本因を探ってみてはどうであろう。常に逆次に読む必要は日蓮が法門では必須の条件のようである。逆次の読みでないとこの苦難は抜け切れないであろう。逆次とはアベコベと同義であろうと思う。己心の法門を邪義と決めた上で御本仏日蓮大聖人の仏法を称えること、天下の矛盾の最たるものである。そのような語が安心して称えられないような雰囲気作りが必要である。そのために己心の法門を取り返さなければならないが、今はそのような努力は、宗を挙げて何一つなされていないようである。そして臍を上に向けて天下太平楽を祝福しているということであろうか。さてさて、この太平がいつまで続くのであろうか。果敢ない夢に終るようなことはないであろうか。

 この法門には理中の理という処が強いようである。理の法門は古来最も斥われているものの一つである。その最極の処にはまりこんでしまったようである。どのようにしてここを抜け出すつもりであろうか。これは今与えられた最大の課題である。今のように心も己心も同じと思われている間は、本時の娑婆世界に到達することは思いもよらぬことである。そこに到達することが出来なければ本尊の顕現するような事もあり得ない。それにも拘らず本尊を唱えることは多分に似て非なるものをもっているものと思う。今はそのうちで特に迹門の本尊をもって本因の本尊の意を表わそうとしているのである。そのあたりに大いに反省の余地があると思う。すっきりと本因の本尊を称えるべきである。そのために己心の法門を取り返さなければならないのである。そして本時の娑婆世界を手中にしなければならない。

しかもそこにあるべき常住の浄土は常に解体の危機にさらされている。それを狙っているのが論理学ではないかと思う。己心も既に邪義と決めているのであるが、これさえ現実には消されているということは全く考えてもいないであろう。この学問は次々に古いものを消してゆく特技を持っているのではなかろうか。これでは久遠実成も元初も中々根を下しては呉れないであろう。七百年前の日蓮が法門でさえ確実に消されていっているであろう。これは数年前を振り返って見れば白眼をもって確かめることが出来る。その間にどれだけのものが消されていったか、一度見直す必要があるように思う。そして反省の資に供してもらいたい。

 虚空ばかり見つめていないで、たまには足下を見ることも忘れないようにしてもらいたい。功徳は足下に集まるということである。今まで頭で歩いていたことを知る必要があるようである。上行は虚空には居なかった筈である。大地の底に上行が居ることが分かれば、そこには無限に開ける世界が待っているであろう。広宣流布はそこにあるべきものであると思う。そこに法流布の世界がある。己心の法門もまたここを目指していることを知らなければならないが、その道は既に自力をもって塞いでしまっているのである。

時局法義研鑽委員会の最大目標もまたそこに向けられていたようである。そして目標通り遂にその道を閉ぢてしまったのである。これはどうしても再び自力をもって開かなければならないであろう。そのためには己心の法門を正義と決める以外に名案はないであろう。いつまでも今の方針の中で研鑽を続ける限り、いつしか元ぐる消滅することは只時を待つべきのみといわざるを得ないと思う。そこに水島教学の危険があるように思われる。己心を消して日蓮大聖人の仏法と称しても、それは水島の私の説に過ぎない。それを大聖人の仏法として押し付けるのは飛んでもない僭越行為である。今はそのようなことが白昼公然と行われているのである。

 今は本時の娑婆世界の本時をどのように考えているのであろうか。その直前の文から、これが己心の上に魂魄の上に建立されているものと思われるが、己心を認めなければ本時の娑婆世界はありえないであろう。また宝塔も本時の娑婆世界の上に出ることになっているが、本時の娑婆世界がなければ、宝塔も出にくいのではなかろうか。宝塔のみ迹門に出て空に出るのはどのようなものであろうか。これでは己心と迹門が思い思いに出現していることになる。また上行等の四菩薩も我等が己心の釈尊の眷属ということになっているが、この上行等の四菩薩を迹門とするためにはこれらの文を総て抹殺しなければならない。つまり本尊抄を離れた処でなければ迹門に建立することは不可能である。宗門の考えは本尊抄を黙殺した処に建立しているのであろうか。

これでは宗門の私の建立ということになる。これでは日蓮を宗名に冠するには憚りがあるのではなかろうか。これをもって正しい宗教とはいえないのではなかろうか。己心の法門に帰ることを主張すれば増上慢というが、勝手に己心を捨てて迹門に法門を建立するのは正義なのであろうか。己心の法門を邪義というのは正義なのであろうか。何れが増上慢か、三世常住の宗祖に直にお伺いを立ててみてはどうであろう。直々伺いを立てるのが最も確実である。本時の娑婆世界の周辺は、本因の本尊を出すためには最も重要な処であるが、今は全く黙殺するのであろうか、そのようにすれば迹門の上に本尊を求めることは出来るであろう。或は発端の天台の文と本尊の為体とを直結して迹門の本尊を求める方法である。まずこの二つの方法以外には迹門にこの本尊を求める方法はないように思う。

わざわざ天台の観心と異なりを取り出されているものを黙殺し、天台の観心を取り出してみても、仏滅後2220余年未曾有の大曼荼羅を顕現することは出来ないであろう。このような方法を今になって取り出すことは、全く宗祖に対する不信の表示という外はない。示された処の本尊に対する不信の表示と判ぜざるを得ない。そして宗祖の示された観心を信用することなく、天台の観心によって本尊を求めようとしているのである。2220余年未曾有の中には天台も伝教も入っている筈である。若し天台の観心の本尊が顕現されるなら未曾有の文字は使われなかったであろう。全く新しい観心によったために始めて観心の本尊が顕現された。それが本因の本尊である。それを信用することなく、わざわざ天台の観心を求めて本尊を求めることは不信の故の所作ではないかと思われる。

しかし求め出したのは本果の本尊であり、姿のみ宗祖のものを借用しているのである。借用について許可があったとは思えない。恐らく無断借用ではなかろうか。未曾有の三字の中には、迹門には出ないという意味もあるであろうし、曾つて天台には顕現されていないという意味も含んでいるであろう。少なくとも未曾有の三字は反古同然の扱いをしているようである。とも角未曾有の三字には無関心のようである。結局本尊抄の観心には全く関係のない観心から本尊を求めているのである。このようなものは不信の輩ではなく、不遜の輩というべきではなかろうか。どこに仏滅後2220余年未曾有の大曼荼羅を顕現する力を秘めているのであろうか。若し新開顕ならその年から逆算して本尊に脇書すべきである。若し新開顕ならその理を明かさなければならない。そして堂々と仏滅後2220余年の脇書も替えなければならない。観心の基礎的研究にそのようなものが明かされているとは思えない。本尊はそのまま使って、いかにも新開顕と思わせようとするのは、いささか卑劣である。或は己心の本尊を抹殺し、心の本尊とすり替えるためにとった方法であったのであろうか。宗祖に対しては明らかに反抗を示していることは間違いのない処であり、門下では只の一度もこのような方法をとられたことはなかったであろう。これこそ未曾有の方法である。これは反抗ではなく反逆というべきであろう。己心も心も同じであることを証明しようとしたのであろう。勿論末弟として取るべき道ではなかったようである。これは論理学がこのような方法をとらせたのかもしれない。常識では到底考えられないことである。今振り返って見ると、57年度の学林の卒論は、己心と心が同じであることを証明し、宗門から己心の法門を追放するための成果であったということが出来るようである。しかし未だに己心の法門は健在である。即ち己心の法門の解体乃至抹殺は、どうやら不成功に終ったようである。法主の直属機関として発足した時局法義研鑽委員会の目的は、仏滅後2220余年未曾有の大曼荼羅也と自信満々の中に定められた己心の上に建立された本因の本尊を、己心を捨てて心の上に建立されたものと定めるのが目的であったようであった。表面的には一応成功したかに見えたが、結果はあまりよくなかったようである。心の一念三千の上に建立されたものであれば迹門であるが、迹門には出るようなこともあるまい。若し迹門に建立するのであれば新義建立である。そのような勝手な振舞は絶対に許されないであろう。勝手に抹殺し、勝手に建立するようなことは許される筈もない。お叱りは覚悟しておいた方がよい。心の上に建立されたものと決めればその目的は達成したことになる。しかし本尊のすり替えはあまり人聞きのよいことではない。そのかげで教学部長は、本尊については論ずべきでないとやっているのである。これは門下では未曾有の大作業である。己心を心にすることなどやるべき事ではないということではなかろうか。ばれてしまっては何ともまずいことである。これでは悪口もままならぬのも無理もない。沈黙したことは不成功を表しているのであろう。己心と心が同じとは全く迂闊という外はない。これは阿部さんの指揮下に行われたようである。委員がどのようなメンバ−か知らない。教学部長は正委員という発表であった。そうすれば正委員一人と補助委員何人かで組織されているのか、他に未発表の正委員がいるのか、吾々には分からないことである。また法主自ら委員長をやっているのか、別に委員長がいるのか、これも分からない。一切秘密のようである。これは強引に突破してもあとが大変である。宗祖は勝手に心に切りかえることなど絶対に許さないであろう。宗義の根本をかえる事になるからである。おそらく前後不覚の中で行われたことであろう。結局は論理学に踊らされたということであろう。おまけに己心の法門を喰われ本因の本尊を失ったことは確実な処、そして己心を邪義と決めたことは最大の成果であった。さてこれは将来どのように収まるであろうか。天下の見物である。しかし己心の法門を勝手に心と決めること、誠に前代未聞に属することである。他宗の聞こえもいかがなものであろう。それにしても論理学という学問は恐ろしい力を持っているものである。水島・山田の優秀論文とやらいう卒論を作らせたのも論理学であったし、己心の法門を邪義といわせたのもこの学問であった。そして日蓮正宗伝統法義を作らしめたのもこの学問であった。何れも今日目前の出来事であった。これでは大石寺法門も日ならずして解体されるようなことになるかもしれない。恐ろしいことである。また御両名を宗門随一の学匠としたのも亦この学問のせいであったようである。

 あれ程花やかであった狂演会も、一嵐終ればまことに静かなものである。只残ったものは空しさのみということであろうか。再び虚空を目指すことであろう。但し本仏は大地の底に在ることだけはお忘れないように。ここに故里があるのである。大地の底の故里は忘れ果てた。虚空に上って見れば本仏は一向に見当らない。そこに次の展開が始まるのかもしれない。それは逆転といった方が適当なのかもしれない。本尊を本果と決めれば本尊は本果の働きを示すであろう。これは無気味である。本果の本尊でどこまで説得力があるか、既に万年講も動いているという噂もしきりである。本果の本尊でどこまで対応出来るであろうか。当方が本因を奨めたことに対して逆次に本果と決めたのである。これは余程自信を持ってしたことであろう。しかし、そこにはっきりした根底は見当らない。それだけ危険を持っているといわなければならない。しばらくお手並み拝見という外はない。己心の法門を邪義と切り捨てては宗祖の応援を求めることは出来ない。どこまで戦いおおせることが出来るであろうか。本因を捨てることは仏法を捨てることである。日蓮大聖人の仏法とは最早や無縁になっているのである。いよいよ独立の境界に立って新義建立と出ているのである。既に委しく大日蓮に発表済みである。本因に帰り仏法を取り返すためには、まずこれを自力をもって破責し破棄しなければならない。現状では日蓮大聖人の仏法などといっても、一語としてこれを証明することは出来ないであろう。今少し現実を厳しく捉えるべきである。宗祖も道師も有師もまた寛師も、上代は総て本因を根本としているのである。これらの諸師も今の理念からいえば総て邪師ということになり、正師は自分一人ということになるであろう。天下の岡ッ引俺一人ということであろうか。

己心の法門をとり本因によることが何故邪義なのか、理由も示さずに宗祖や上代の諸師を邪義邪師ときめこむことは少し度が過ぎているのではなかろうか。これも論理学のなせる業なのであろうか。

 明治の文明開化の中で本来の法門が見失われ、今にそれが受けつがれて、宗祖以来の己心の法門を邪義ときめてしまった。西洋の学問を無雑作に取り入れた時の混乱は今に受けつがれ、そこから限りなく矛盾が発っているのであるが、これに対して何等対応策も講じられていない。依然として文明開化に酔いしれているのである。今回は第二次の文明開化の波が打ちよせて来ているのである。前後とも根本になる己心の法門は確実に狙われ、且つ失われたのである。皆西洋の学問による処である。まず足を大地に付けることから始めなければならない。いくら水島が気勢を上げてみても己心の法門を崩すことは出来なかった。それ程の厳しさを持っているのである。己心の法門は理を知る前にまず事に行ずることである。これが上代から取り定められている処であり、本因の行であり、名字妙覚のための修行である。言い換えるなら受持である。本果をとる宗門から攻められて本因を守り切ることも出来ず、遂に抛棄する羽目になった。結局は本因を失ったために仏法が守ることも出来ず、己心の法門さえ邪義と映ずるようになった。七百年来未曾有の大事である。今最も宗門の衰微した時である。法を失われては法流布もありえない。今、法を取り返さなければ再び返る日はないかもしれない。そのような時、時局法義研鑽委員会は、いかにして己心の法門を邪義と決めるか、どのようにして捨去するか、それのみの研鑚に時を費やして来たのであるが、反って自分等のための責め道具になり終ったようである。肝心の自宗の根源になるものについて集中攻撃をして来たのである。しかも不孝にしてそれは一応成功したのである。それが今の沈黙の根源になっているのである。これでは宗祖といえども慈悲を垂れるわけにもゆかないであろう。そこで今強力に反省を求めようとしているのである。それが慈悲である。開目抄や本尊抄を捨ててまで法門をゆがめる理由は毛頭もないと思う。

 明治にしても現在にしても根源になる己心の法門が確実に失われているようである。そこへ文明開化の波にのって他宗他門の教学が押し寄せたのであった。同じことを繰り返しているようであるつまりは無防備によるためである。

そして二回目には遂に自ら己心の法門は邪義といい切ってしまったのである。そのようなことが堂々と公表出来るような境界になっているのである。そして何の抵抗もなく己心の法門は捨て去られたのである。それ程の罪悪感もなくなっているのであろう。今は己心の法門を邪義というものこそ勇士である。そして己心の法門を守ろうというものは総て邪信の徒であり謗法の輩ということになっている。それ程狂っているのである。

 そして七百年を経て総てが消え去ろうとしているのである。今が最後の時期ではないかと思う。出来るなら再現し、記録したいと思う。日蓮正宗の現在のあり方からして、これを取り上げ、反省の資料に使うようなことはあるまい。その道は既に塞がれているのである。これが使えるのは正宗以外、或は仏教以外の処ではないかと思う。

現状は原点に帰ることは必らず拒むであろう。それ程頑なになっている、そして人の意見を入れる余裕もない、このままどんどん進んでいくであろう。己心の法門を邪義としたことは盲目同然である。そしてそのまま前へ進むのであろう。法門の上からは自他の区別が付きそうにもない。そのまま猪突を続けようとしているのである。どうも船頭が多すぎる中で、あまりにも船主の力が弱すぎるようである。丘を越えて船を山の頂上に押し上げてしまうかもしれない。しかし、ここまで来ても己心の法門を取り返すことは出来ないようである。己心に立てられた仏法が世俗に出て、しかも仏教と出た時に左が右になり、そこに独善が出来上る。そして常に自分のみが正であり、他は一切邪という処にきて暴走が始まるのである。ここまできて制止がきくようにも見えない。このまま進む以外に、止まる方法もないようである。船主の意志をもって方向を訂正することも出来ない処まで来ているのである。勢いの赴く処その行く手は予想は付かない。

 ぴそれよりか今に片隅に残されているものから上代の名残りを一つでも引き出すことの方が遥かに賢明かもしれない。宗門自身には最早無用の長物化しているのである。その遺跡は他では既に絶えているものが多い。一つでも発掘して、宗外で利用出来るものがあれば大いに利用してもらいたいと思う。

てさて、一人どこへ進もうとしているのであろうか。仏法を守ることのみが唯一の身上である。それが守れなければ仏教世界は出発点において無縁になっているのであるが、今は仏法と無縁になることのみを願っているように見える。本仏も本尊も題目も衆生の現世成道も、始めから仏教の処では考えられていないのである。それがどういう風の吹き廻しか、仏法を捨てて仏教の中でのみ生きようとしているように見える。そこからみれば逆も逆、真反対という説も亦成り立つようである。今一度威勢のよい山田調でたたきつけられたいと念願している。二ケ年も沈黙を守って居れば新構想もまとまっていると思う。その片鱗でも見せられるなら光栄である。黙殺は最大の敵である。ああでもよい、こうでもよい、何か一言でも仰せかけ願いたいものである。水島・山田の業績を振り返って見て、法門の根源である己心の法門と本仏や本因の本尊の抛棄とを最終目標に活動していたものと思われる。なかなか勇気のある活動家である。見事な特攻隊精神である。それは抛棄のみが目標であって、それに代わるものの提示は一向になかった。それでは宗門の破壊のみが目標であったような印象を与えるものである。自分の属している宗門の破壊のみを狙っていたということでは、どうにも理解しにくいものがある。目標の付け方が誤っていたのか、戦の進め方がまずかったのか、所期の目的を達したようにも思えない。己心の法門を邪義と決めたことのみが残ったのでは、永劫に救いがあるとはいえない。しかもそれのみが唯一の成果となったのである。戦の進め方のまずさがそのような結果をもたらしたのである。大いに反省してもらはなければならない。一宗を建立し末弟を称しながら、しかも日蓮が法門の根本にあたるものを徹底的に破し去ろうというのである。世俗の師弟にも類稀なやり方である。不成功に終るのも理の当然といわなければならない。己心の法門を否定して宗を持続させることは、残された道は新義建立しかない。何を根本として日蓮が末弟を称するのか、その新義を明らかにしなければならない。またその前に己心の法門を邪義とする理由も明かさなければならない。只邪義というだけでは世間には通用しないであろう。一宗を名乗り乍ら、その宗祖の説を覆えすことは無謀な言動といわざるを得ない。このような考えが根底になっているために黙さざるを得なかったのである。戦い半ばで沈黙を一年間も続けていることは明らかに敗北である。そろそろ終戦宣言する時が来ているということである。その中色々と矛盾が山積することは必至である。決断は一日も早い方がよい。己心の法門を邪義と決めたように即決即断に限るであろう。

 今の核廃絶にしても流転門にあり乍ら本果にあり乍らこれを論じてみても廃絶の結論には至らない。まず本因に眼を転じるべきである。今の己心の問題も本因として捉えることが先決である。本果に身を処きながら結論を求めようとすることなど、まず考えない方がよい。今の状態を救うためには本因を捉える以外に方法はないであろう。それを、本果に居り乍ら口火を切ったために筋の通らない悪口に終始し、果ては黙りこまざるを得なくなったのである。阿部さんが急先鋒に立って己心の法門を否定しては、宗祖の末弟と称することを公言することも出来ない。あまり体裁のよいことでもない。その故に本因の本尊を本果と変えざるを得なくなくなったのである。再び本因に立ち返る以外救われる方法はないであろう。核廃絶も本因にあってこれを論じるなら成功することもあるであろう。但しそこは己心の法門の領域である。

 さて、御相承は己心の法門から出ているとのみ思っていたが、阿部さんが率先して己心も心も同じだ、心にしろといい、己心の法門は邪義だというものの先に立って悪口雑言をやることは、阿部さんも己心の法門を邪義と思っているからであろう。法主自ら己心の法門を邪義と考えては困るようなことになるのではなかろうか。御相承は何を根底として成り立っているのであろうか。そのような事はいわないことになっているのであろうか。

 宗門にも信の一字が備わってをれば首を切ることもなかったであろうが、当時既に信の一字は失われていたのであろう。その直前に論理学的発想が一時盛んになり、己心が消えて心が登場していたのではないかと思う。信の一字はそれ以前に信心に切り替えられていたようで、そのためにお互いに信頼感がなくなっていたのであろう。それが自然と表に表われたために首切りが始まったのではなかろうか。若し信の一字がよく検討されていたなら、首切りの必要はなかったのかもしれない。何となし法門の蓄積の度合いが分かりそうである。

 今の大石寺は心の一念三千に依って法門を立てているのであろう。これでは本尊も本因には依りにくいであろう。そのような中で自然に本果に収まったのであろう。日蓮正宗伝統法義は間違いなく心の一念三千を根本としているのであろう。その心とは何を指しているのであろうか。これでは文上迹門を離れることが出来ないのは無理からぬことである。己心の法門によってのみ出生する本仏をどのようにして説明するのであろうか。心の一念三千に依っては、事行の法門は無意味である。これでは法門の一切は無に帰する恐れが十分に備わっている。事行の法門と関係がなくなれば天台理の法門と何等変りはない。口には天台は理の法門と下しながら、今になって理の法門に鞍替えしたのはどのような理由に依るのであろうか。己心の法門から心の法門に変ることは容易なことではない。このために本尊抄とは全く縁が切れてしまうであろう。一閻浮提総与の脇書も己心の法門から出ているのである。これは心の法門から出るようなものではない。これも早々に削り落さなければ、本尊が偽りを表明していることになるのではなかろうか。本因の本尊が本果に切り替えられたことには劣らぬ程のものである。偽りのない処が本尊の身上ではなかろうか。さて、戒旦の本尊が本因の本尊といわれて来た理由は、この脇書は本尊抄の末文に依っている。それが本因を表わしているが、心の一念三千の法門には始めから一閻浮提総与というようなものは持っていない筈である。本因の本尊を本果の本尊と信じさせるのは偽りの第二である。本尊抄から見て仏滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅は己心の法門から出生していることは動かせない処である。これを心の法門の上に出生したものとし、本因の本尊として伝えられたものを今になって急に本果の本尊とすることも亦偽りといわなければならない。これは偽りの第三である。本尊とは偽りのないものをもって本尊とするのではなかろうか。本果の本尊と決まれば真実の未曾有の本尊は本尊抄を根底としているものに限るであろう。

 本果の本尊をもって未曾有の本尊とすることは、少なくとも大石寺法門では通用しないであろう。近代は真蹟とするために本果の本尊といわれてきているようであるが、今度の場合はどのような理由に依ったのであろうか。或は西洋流な学問に依ったために自然とそのように決めざるを得なかったのであろうか。心も己心も同じとした処からそこまで発展したのであろうか。大正の時とは状況は全く別なようである。少なくとも大正の説によったとはいえない。本尊の内容など軽々しくなすべきでないように思う。教学部では本尊そのものについては成程軽々しく論じてはいないようであるが、結果としてはそれ以上なものがでているように思われる。本尊は論じさえしなければ、どのようにその貌をかえても差支えないということであろうか。これではあまりにも紛らわしいように思われる。

 本因を本果に変えることは法体を変えることになるのではなかろうか。そうなれば古来定められた処を誹謗することにもなる。これは大謗法である。法花経を信心しないのを謗法というように聞いていたが、むしろ文底の法門を信じないのが謗法であり、それが後に文上に移ったのではないかと思う。文底の己心の法門即ち一念三千は本来持って生れ、身に備わっているものであり、我が身に備わっているものを信用しないのが謗法ではないかと思われる。それが何となく文上に固定したような感じであるが、これはアベコベである。文底を信じる者が謗法である。文底を信じない者こそ謗法ではないかと思う。本因を信じないものこそ謗法というべきである。己心の一念三千法門を信じない者こそ謗法ではないかと思う。しかし、今は己心の法門を信じるもの、本因の本尊を信じるものが謗法になっているようである。何故このようにぐらぐら変るのであろうか。

吾々は本因の本尊を信じない者こそ大謗法であると信じている。今は己心の法門を信じるのは謗法で、天台の心の一念三千を信じる者は謗法とはいわれないのである。常に自分が謗法にならないように考えられている処は、中々芸はこまかいようである。水島説では、四明流を正当と仰がないものは謗法と決まっているかも知れない。謗法の基準も刻々に変っているようにも思われる。或は自分のいう事を信じない者は総て謗法と決っているのであろうか。

 謗法の輩はむしろ宗内にいるのではなかろうか。安国論、八幡抄、各異なっているけれども、中でも己心の法門を謗るのは、謗法の最たるものではなかろうか。それは日蓮が法門を根底から揺るがすからである。恐らく日蓮宗の謗法の発端はここに出発しているのではなかろうか。このような形で門下では己心の法門や本因の意は事行に移されているのであろう。気の付かない処で実行して第一の謗法を遁れようとしているのであるが、今は真向から己心の法門を邪義と否定し、本因を公然と消し去ろうとしているのである。他門の場合は古い時代に行われているだけに少し深みを持っているようである。表立って己心や本因が認めにくいために隠れて苦労をしているのではなかろうか。反って結果的には最も守っている筈の大石寺が謗法を犯すようになった。これは個人的なものではなく、宗を挙げての行動であるだけに許されがたいように思われる。

謗法も時代によって色々と姿を替えてゆくようである。己心の法門を邪義と決めた時、そこを根元とするものを口にし、或は本尊を拝むことも謗法といわれる恐れはないであろうか。本因の本尊を拝むことも謗法となるが、これは今の宗門が私に決めたこと、むしろ本因の本尊を本果と決めることは遥かに大きな謗法ではないかと思われる。しかし、今の宗門では、己心の法門を何の理由もなしに心の法門と決めることを、謗法とは考えないのであろうか。むしろ邪義はそこにあるのではなかろうか。吾々はもっての外の大謗法ではないかと思う。特に本尊抄は己心と心の違い目を明らめるために出来ているようである。これを無視して己心も心も同じだというのは謗法中の大謗法ではないかと考えざるを得ない。かつてそれは大日蓮の巻頭言にも載せられたこともある。己心の法門を否定することは、本仏と仰いでいる日蓮の根元のあたりを総て否定することに通じているのではないかと思う。しかも、今はそれこそ正義ということになっているようである。これでは分からないのが当り前である。

 勿論宗門も謗法の罪を犯そうとしてやっているわけでもないと思うが、たとえ無意識に行われたものであっても、これは許されるようなものではないのではないかと思う。まして完全無欠の筈の御法主上人が一役買っていては尚更厄介である。綸言汗の如しと譬えられていては、いよいよ訂正もきかない。このまま突っ走る以外に方法はない。二重も三重も慎重さの欲しい処である。あまりにも安易に西洋の学問を取り入れ過ぎたのが事の始まりになり、己心の法門を邪義という処まで追い込まれてしまったのである。あまりにもお粗末である。出してしまえば世俗である。そこには九思一言が生かされてもよいのではないかと思う。近代は法主は最高位に置かれたために綸言汗のごとしとも譬えられているのであるが、今度のように己心を邪義と決め、己心も心も同じとしたものが訂正がきかないとすれば大変なことになる。このまま進むならそれは破滅の道につながるものである。色々と訂正を必要としていることは山積しているのである。誤りがあって訂正もきかなければ、作られた権威付けも崩れざるを得ないであろう。ここはいつでも訂正のきくように、「綸言汗のごとし」などと大時代的な語をすてて世俗の民衆の中に飛び込んでいった方が遥かに賢明なように思う。

 そのようにしてこそ徳化も真実に生きてこようというものである。徳が光を増すのは世俗の中に下りた時に限るようである。無言で教化出来るような徳の欲しい処である。黙っていても自受用報身の題目の声と思わせるのは徳の至極した処である。しかし報身如来が声高に題目を上げては最早法門の領域ではない。何回でも何十回でも訂正のきく者は気楽である。ないがましかな気が楽な、とは金と権力のないものについていわれているのである。これは庶民の最高の特権である。そこに日蓮の考えの根底が置かれている。本仏もまたそこを住処としている。それが大地の底と表現されているのである。

 しかも本仏は次第に虚空を目指し始めているように思われるのである。考え方の根本が動き始めているのである。そこに危険が待っているのである。己心の一念三千法門とは持って生れた底下を指しているのであろうが、己心の法門を邪義とすることは、足が大地から離れようとしている意味をもっている。法主はもともと果位の処に立てられているのではないかと思う。師弟の法門は、本果の師の立場から見れば因果別時であり、師、弟子を糾すということになるが、そこは特別に因果倶時の処に法門は立てられているのである。弟子の立場から、因果倶時の立場からよめば師弟子の法門である。お互いに本因の立場に立ちながら「ただす」のが師弟子の法門である。

 そこには肉身を離れた平等の境界即ち魂魄の世界のように思われるが、師、弟子を糾すでは不平等であり、肉身を離れてはいないようである。大石寺法門の中にあって肉身のみについて説くために異様に感じるのである。時の混乱が異様さを感じさせるのであるが、師、弟子を糾すといっている向きではそれは正常なのであるが、たまには愚悪の凡夫の立返る日があってもよいのではなかろうか。

 同じく本尊といわれても仏教の中で捉えられるなら本果をとるし、仏法で捉えられるなら本因をとることになる。それが一宗を建立すれば仏法を称えながら本果が要求されるようになる。そのために仏法の本尊を捨てて仏教の本尊を取るようになる。そこに第一の矛盾が始まるのである。そこで急激に仏教方式に変ってゆくようになる。ここで仏法に止まることは殆ど不可能なようである。そこに仏法家のむづかしさがある。そしていつのまにか仏教に根を下すようになり、そこで仏法に出来たものが仏教に表わされるようになると、独善に進むような事にもなるのである。今の世上の中にあって仏法がいかに持ちがたいかということは宗門が事に示している通りである。これは全く矛盾との戦そのものである。宗門もその戦に破れたのである。そして最後は仏教の前にあえなく落城と相成ったのである。仏法を立てるか仏教によるか、ここには兌協点は恐らくは見当らないのではなかろうか。何となく仏教の前にシャッポを脱いだ感じである。そのもやもやを当方へぶちまけている感じである。そのやり方がいかにもセッカチであった。そこに失敗の原因があった。そして自分の失敗を常に人に押し付けようとしているのである。そのための汚なさが常に目障りなのである。仏法にあっては世間が本因を忘れることは考えられないし、世間にあって考えては本果は考えられない。世間即仏法について因果倶時の法門は立てられているのであろう。首切りはどうも因果の処で行われているようである。信の一字が抜けていたのである。その信の一字は、本尊にあっては本因部分を担当しているのではないかと思う。若し世間にあれば集団の根源を担当するものであり、拝するための本尊が考えられるのは、いうまでもなく一宗建立以後のことである。興師がこの師弟子の法門は、といわれたものを法門を除いて、師、弟子と読むことは本果に根を下して師弟別個の処に法門を立てているためである。本因の教示が本果と表われたのである。己心の法門が真反対に出たのである

 

 

 

本尊抄の末文

 

 「法華を識るものは世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し、妙法五字の袋の内にこの珠をつつみ、末代幼稚の頸にかけさしめ給う」と。「外典を仏法の初門となす」処を逆次に取り上げられた語である。世法を得べきかとは「王臣を教えて尊卑をさだめ、父母を教えて孝の高きを知らしめ、師匠を教えて帰依をしらしむ」。「天台言く、金光明経に言く、一切世間の所有の善論皆この経に因る。若し深く世法を識れば即ちこれ仏法なり等云云」等の開目抄の文と同義である。開目抄では始めにあり、本尊抄では最後になっており、説き方、捉え方が反対になっているのみである。開目抄では始めに忠孝や師弟の道を説き畢って戒定恵を得、仏法を建立する事を目的としているに対し、本尊抄では最後にこれらの意をもって結ばれている。即ち本尊抄はこの文以前に戒定恵が説かれているものと解してようと思う。戒定恵によって説き起すか、戒定恵をもって結するかの違いである。或は戒と定の相違であろうか。そして取要抄に恵が説かれて戒定恵が整束するのである。これに撰時抄や報恩抄等を加えて十大部という考え方も出てくるのであろう。

 何れも世間の中へ仏教を取り入れることが基本になっている。忠孝とか師に対する帰依などがあげられ、これらを仏法の初門として、これに仏教がはたらくと戒定恵が取り出され、そこに仏法が誕生するのである。忠・孝、師恩を知ることは主師親の三徳を尊敬することを知ることである。世間の主師親と仏教と一箇すれば、釈尊であり、仏法と一箇する時は主師父母となって日蓮となっている。その日蓮とは仏法の上の日蓮である故に、己心の法門として受けとめることがより自然である。これが一宗を建立すると、どうしても宗祖の肉身の上にのみ考えられるようになるように思われる。これらの意味からしても、仏法の処は思想の面からの解釈を主とすることの方が、よりふさわしいようである。

昔の大石寺では正月にはシメナワ飾があったようであるが、今では大謗法ということになる。これも思想的なものから再び仏教に帰ったと考えるための資料である。戒定恵の処にあり、仏法を根本とすれば、今の考え方とは真反対に出るようである、そうなれば、逆も逆、真反対という山田が論法こそ逆も逆、真反対そのものであることに思いを致すべきである。それほど現実は顛倒しているのである。それ程仏法から離れているようである。山田や水島の説はいかにも最低位に居るものとしか思えない。それが最低位であるから最高位なのである。これで他宗他門には一向に理解出来ないのである。その根本をいえば戒定恵と三秘が分離され、三秘の上に仏法の語が考えられる処でこの顛倒が始まっている。それが理解をはばんでいるのである。つまり一言でいえば京なめりの成果である。宗祖は京なめりは最も斥っているのである。御書を読むときには京なめりは笑って居るけれども、ここまできては笑って過ごすわけにもゆかないであろう。事はそれ程深刻なのである。その京なめりには一向無関心なのであるから不思議である。水島はその教学が京なめりとも気が付いていないのであろう。事実はその京なめりをも遥かに乗越えているということであろうか。

 一念三千を識らざる者等とは、一念三千とは己心の一念三千であるが、今は己心の法門は邪義と決まっているのであるから複雑である。己心の法門が邪義となっては、本尊抄を読むための基準が失われる、寸尺がなくなるのであるから、あとは自分の考えの赴くまま自由自在に解釈応用が出来るのである。それだけに危険と同居しているのである。しかし己心を邪義としては、何をもって仏法を決めるのであろうか。己心があっての仏法である。己心を捨てた処には恐らくは仏法は在り得ないであろう。

 己心を邪義と決められては、本仏もタジタジという処ではなかろうか。とても大慈悲を下されるようなこともあるまい。折角頸に懸けて頂きながら、その大慈悲を受けないとは、どのように理解したらよいのであろうか。こと更これを受けとめないのは、どのような理由によるのであろうか。是非委細を拝聴したいものである。

 妙法五字を口に唱えれば即時に己心の一念三千を受得出来るようになっているものを、何故己心のみを打ち捨てるのであろうか。口唱の題目を一言に収めるなら、そのまま久遠名字の妙法も事の一念三千も得られ、本仏・本尊・成道も得られるのであるのに、何故これを抛棄するのであろうか。本仏もない本尊もないでは日蓮正宗は成り立たないと思う。何をもって己心に替えるのであろうか。己心のない一念三千とはどのようなものであろうか。これでは十如是も十界互具も本尊や本仏にはなり得ないのではなかろうか。三秘によるために己心の必要がないとでもいうのであろうか、或は天から降ってくるか、地から湧くとでもいうのであろうか、とんと分り兼ねる処である。これでは丑寅勤行も、やがてその必要はなくなるであろう。己心の一念三千の珠は文殊菩薩が海中からひろいだした珠である。これが寿量文底の宝珠である。己心の法門を邪義という向きは、この文の底の一念三千の珠を拒もうというのである。これでは開目抄も本尊抄も無用である。己心の法門を捨てては仏法などありようもない。それで他宗の法門に意慾を燃やすのであろう。己心の外にある仏法とはどのようなものであろうか。己心の上に建立された大石寺法門と己心を捨てた日蓮正宗の法義と、これを同一に扱うことは出来ない。全く異質なものである。宗門では己心の必要のない本仏や本尊の取得について、何か秘密のルートでも持っているのであろうか。丑寅勤行によれば、本仏や本尊は常にその度毎に得られるようであるが、今では宗祖のとき一回限りと決められているということで、刹那成道も消滅の様子である。宗義そのものが根底からくつがえされたように思われる。正宗要義は己心とは全く縁のない処に立てられているようである。一体仏法なのか仏教なのか、それさえ分らなくなっているのが現実である。

 一念三千を識らざる者等とは、末法の愚悪の凡夫は皆知らないものばかりである。生れながらにして頸にかけてもらっていながら、知らないものばかりである。宗祖が強引に題目を唱えよといわれることは、頸にかけられた一念三千の珠をしらしめんがためである。懸けた仏も、唱えよと教える宗祖も共に慈悲による処である。それによって自然と戒定恵も現われる。そして身に備わった一念三千の珠を識ることが出来る。その識る方法と功徳を説かれたのが本尊抄である。

 その本尊抄の結論の部分であるが、この文もあまり読まれていないのではないかと思う。己心とないから心でもよいという一念三千で好いのであろうか。本尊抄で一念三千といえば己心に決まっている。そうなればこの部分も邪義ということになる。それでこの末文の部分は特に読まないのであろうか。この本尊は戒定恵のうちでは定にあたるものである。今はこの本尊から更に戒旦・本尊・題目の三が分れる。その本尊をとっている。戒壇の本尊はそのような解釈になっているようである。

 定の本尊が本因の本尊であり、本尊抄はこの本尊を説かれる。そして頸にかけられた一念三千の本尊もまた同じである。丑寅勤行に現われるのはこの本尊である。己心の一念三千から現われるものであって、己心を邪義と決めては本尊と現われるようなことはない。そこで今は三大秘法抄から本尊が出現し、それを戒壇の本尊と崇めているのであろう。本尊抄の一念三千を己心と読まないことが通用するのであろうか。これ程までに己心を説かれる本尊抄は邪義の随一ということであろうか。己心を邪義ときめるために、特に本尊抄の末文は読めないのであろう。一閻浮提総与の解釈も、己心を邪義ときめ、この末文を除いて解釈しようとしても、それは出来ない相談である。

そのために他門下から痛烈に責められても、答えることが出来なかったのであろう。水島はそのまま受けついでいるのであるから、その答えは宗外には通用しないであろう。

 今宗門がいう本尊は専ら信仰の対照として御利益の要求される本尊であるために、本尊抄に説かれたものとは大幅に変っている。そしてこの本因の本尊を切り捨てるために己心を邪義と決めた本尊の解釈が、成功しているかどうかについては甚だ疑問がある。何れが誤っているか、誤っている方に罪障が表われるであろう。

 教義が三学から三秘へ、仏法から仏教へと後退したために、本尊もまた本因から本果へと変っていったのであろう。今のように本果の本尊になり、刹那に本尊や本仏の出現の必要がなくなると明星池の必要もなくなる。そして客殿の本尊を池に写して文字に表わす必要もなくなる。何故ならば、本果の本尊は始めから文字をもって表わされている故である。このようになれば、唯授一人の相承も訂正しなければならない。池がなくなれば、本尊書写の相伝の必要もなくなるからである。そうなれば本尊書写勝手次第となる。水島のような平僧が本尊書写をしても自由である。勇気を出して本尊書写の展覧会でもやれば、折伏効果もあるかもしれない。今はまことに激変前夜ということであろう。

しかし三学の本尊を三秘に解釈替えすることは、最も慎まなければならないことである。水島の一閻浮提総与の本尊の解釈も、その総与が、本尊を真蹟と決めたことについては触れていなかったようである。真蹟と決めたために問題がこじれたのであるから、真蹟と決める前と後とにわけて総与の解釈をした方がよかったと思う。ただ一閻浮提総与のみでは意味がない。真蹟と決める以前には、それ程の問題にはならなかったのである。しかし、いくら力んでみても、己心を捨ててはこの解釈が出来ないことは、始めから知っておいた方がよい。いくら智恵を巡らしてみても出来るようなことではない。あまり気が利きすぎると必らず間が抜けることに注意することである。理については真に整然としているけれども、法門については抜けている処が玉にきずである。理は無用である、まず法門の筋を通すことこそ肝要である。その筋を通すために時が必要なのである。悪口雑言をする隙があれば、まずこの辺りについて少し考えて見るとよい。天台にはこのあたりの解釈はない。いくら拾い集めてみても、只混乱を増すばかりである。

自宗の本尊の解釈位は確立しておくべきである。それが出来ないから悪口態をつかなければならないのである。悪口態は法門ではない。二十八回のうち、追いつめられたものについては只の一度の返答もなかった。見当違いのことばかりではヤユとも受けとめかねる。半年に一度でも押えるものがあればヤユされていると思ってもよいが、それさえなかったのである。只品性の御下劣さのみが大日蓮の片隅に残されたのみであった。職人芸とさげすんでみても、それだけが答では、とても他宗の学匠には答えることも出来ないであろう。何れにしても二年四ケ月、その所持の教学は残る処なく明らかにされた。それは偽りのない成果であるとは、誠に淋しい限りである。虚を衝かれて七年目、体制の立て直しの出来ないまま遂に敗退の止むなきに至った。職人芸といい乍らの敗退では後味も悪いであろう。だまっておればそれで済んだものを、なまじ相手になったばかりに、ないと分ったものの後仕末をしなければならない羽目になった。いろはから始めてもらいたい。

 本尊抄の最後の「四大菩薩」も、今の雰囲気では造立した方がよさそうである。一閻浮提の衆生の頭の数程造立するとよい。己心を邪義と決めれば、造立をさまたげるものはあるまい。迹仏世界に帰れば造像を阻止するものは何物もない。そのうち不造像堕獄説が出るようになるかもしれない。己心の法門がなくなれば造像勝手次第である。己心を邪義と切って捨てるまではよかったが、造像勝手次第が待ち受けているとは御存じなかったのであろうか。この仕末をどう付けるつもりであろうか。要法寺教学が入って四百年、いつでも四菩薩の造立の下地はあったのであろう。今は急速に他宗他門の教学が雑然と入って来た。四菩薩の造立はいつ出来てもよさそうに思われる。果して造像堕獄なのかどうか、これは中々厄介な問題である。造像は三秘から、堕獄は戒定恵からということではなかろうか。一難去って又一難、己心を邪義と決めるのは至極簡単であったが、造像の理論付けは中々厄介である。いきなり四菩薩造立抄ともいかないであろう。時局法義研鑽委員会には降って湧いたような難問である。解散は当分出来ないであろう。これこそ時局の語に最もふさわしい問題である。造像か堕獄か、昭和の大論義と相成るかもしれない。宗祖の裁定は何れに下るであろうか。これは裁判沙汰にはならない、宗祖の直裁である。成り行きは横目でじっくり拝見したいものである。選りすぐった教学陣で、名案と出るか迷案となるか、これは一見の価値は充分あると思う。不造像となれば再び己心を取り返さなければならない。造像となれば仏法や本仏・本尊は捨てなければならない。己心も心も同じだ、心にしろというように、不造像も造像も同じだ、造像にしろというわけにもゆかないのであろう。ここは院達をもって明了に布達しなければならない。造像を阻止して来たのは己心であり仏法であり戒定恵の三学であった。己心がなくなれば余の二も同時に消滅する。そうなれば造像は自由である。

 久遠元初も既に迹仏世界にあるのであるから、現状では己心も仏法も戒定恵も迹仏世界で考えられていたともいえる。そのために己心を捨てるのに抵抗がなかったのかもしれない。開目抄にあれ程明了に示されている戒定恵や仏法が、いつの間にか仏教に帰っていたのである。久遠元初や五百塵点の当初が迹仏世界に考えられていることは、正宗要義に明了である。既に準備は出来ているのである。それが自然と表に現われて己心は邪義となったのかもしれない。改めて正宗要義を見直してもらいたい。

己心もなくなり、迹仏世界に帰れば造像が最も順当である。

 そこは応仏世界であり、報仏を唱えても、それは応仏世界の報身であって、これは本仏にはなりにくいのではなかろうか。大石寺の報身如来は報中論三の報仏である。そのために己心が必要なのであるが、己心を捨てるなら、自動的に応仏世界に後退するのは当然である。これから見ても、現在の宗門が応仏世界にいることは動かし難い処である。既にそこは本仏の住しがたい処である。このようなことも、改めて対処の方法を考え直さなければならない問題である。これ又容易ならざる難問である。

これらは、とっくに解決されていなければならないものであった。ただ職人芸だの増上慢だのいって見た処で解決するものではない。

 阿部さんも正宗要義では明らかに久遠元初を迹仏世界に見ているのであるから、仏法と仏教のけじめを付けなければならないと思う。現状では、仏法は仏教の中で考えられているのである。そこに時の混乱が生じている。まずこれを立て別けることから始めなければならない。このようにして見れば、悪口に明け暮れている隙はありようにもないのが実状である。度が過ぎると我が身に立ち返ってくることを知っておいてもらいたい。正宗要義は時の混乱を余す処なく明了に示しているのである。開目抄や本尊抄は時の混乱の起らないように、これを明示されているのである。しかし、現実には、その部分は読まれていなかったように思われる。迹仏で捉えられた現在の時の考え方の中では、恐らくは仏法も本仏も本因の本尊も在り得ないものと思われる。己心が生きておれば多少の連絡はあっても、邪義と決まれば完全に遮断されるから、以前とは状況が変って来るであろう。己心と造不の問題は密着しているものであるから、自分の好みで解決することは出来ない。気が付かなくても法門は自動的に動いている。それが表に出ようとしているのである。但し、新義建立の場合は別である。

 迹仏世界に本仏が出、本因の本尊が出るためには必らず文証がなければならない。文証もなく迹仏世界に本仏が出現するのは邪偽といわなければならない。水島御尊師はそのように示している。まず自分によくいい聞かせることである。これは下剋上方式につながる恐れもある。正宗要義は迹仏世界に本仏が出現することが基本になっている。それが見る者をして異様に感じさせるのである。そして仏法と仏教との間を万遍なく往返しているのが今の宗義と思われる。

今の急務はその時を何れか一に決めなければならない時である。水島説に至っては始めから時の区別はなかったようであるが、それは宗門の考え方が表われたものと受けとめている。この整理こそ今差し当っての大きな課題である。その時の感覚の鈍った処から仏法も薄れつつあれば造像可能な状態になりつつあるのである。

 そして本尊もまた像法に、本仏もまた像法に移動しているように思われる。これらは自分達の意識の外での作動である。僅かな心の動きが、既に大きく集積しつつあるように思われる。仏教に大勢を移しながら仏法を称えることは、反って他宗に異様な感じを与えるのみではなかろうか。宗義を一筋通すことが、今の最大の急務であると思う。

悪口のみで乗り越えられる時期は過去になっているのである。宗祖も興師も「東春云く、良薬は口に苦し」と引かれている。苦言は頭に痛いかもしれないが、これを悪口をもって返すのは最も愚な方法であることを知ってもらいたい。文底本門が文上迹門に変れば、造像も必至といわなければならないであろう。今の状態からすれば、寧ろ造像した方が似合わしいように思われる。それ程法門は伸びているのである。もし不造をとるなら、その時には資料が必要である。四百年前造不の問題があった時も、今と似たような状態であったのではなかろうか。雰囲気としては造像間近の処に近付いているのではないかと思う。二ケ年半の間に知らず識らず逃げこんでいったようである。とも角も最後の決断を待つことにする。

 本尊抄末文は、前来の文から見て仏法の世界に属するものであり、形相は既に消えてそのはたらきがこれに変っているものと思う。仏法にまで仏教の時の形相が持ちこまれることはあるまいと思う。釈尊の因行果徳は、仏教では不軽上行の相をとるが、仏法では因行果徳と変るものと思う。もし仏法にまでその形相が持ち込まれたのではその区別が付きにくくなる。しかし、今ではその形相を迎える体制が整いつつあるのかもしれない。報恩にしても仏教では塔婆供養により、仏法では自我偈三返というのが古来のしきたりである。同じ語でも両者には明らかな区別がある。もし同じでよいのであれば仏法はますます混乱するであろう。本尊抄は四士に限っているので、一尊四士の四士とは各別であるから一尊四士の文証に使えないということは明了である。時の違いを確認しなければならない。大石寺が今に本因の本尊の語を残しているのも上代の名残りの一つである。今は独立した三秘によっているために、本尊抄とは次第に疎遠になっているように見える。委員会も改めてこの末文の研究を手掛けなければならない。この文には、御本尊に向って題目を上げれば必らず功徳がある御利益があるということは一向に示されていない。

このようなことは何れの文証によるのであろうか、子細に示してもらいたい。文証がなければ邪偽ということになる。是非共文証を示してもらいたい。

 

 

 

本尊七ヶ相承

 

1、十界互具の事義如何。

 この相承は、根本を仏法におき乍ら、僅かに仏教を加味しようという中で出来たもののようで、殆ど仏法に近いように思われる。十界互具が理から事に移る時の事の意義を示されたもので、これが行ぜられる時に、事行の法門といわれる。1は仏界で久遠実成を示し、2は菩薩界、即ち「二には上行等の四大菩薩界なり。経に云く、一名上行等云云。地涌千界乃至真浄大法等云云」。これは不信の輩にはよく分らない。宗門には解釈は既にきまっていると思うが、山田水島教学にも示しがないので今私見をのべてみたい。

 この辺りは本尊抄にあるもので、経から仏法に出る直前のもののようである。上行等の四大菩薩とは真浄大法の上に考えられているもの、地涌の菩薩が大地の上に出現した処に法門の場を居えて考えられているようで、決して虚空の中の話ではない。そして然我実成仏も大法が大地の上と決まれば、自然と大地の上に収まる。その収まった処に久遠元初が現われる仕組みになっているようである。そこに受持があって間断することを拒いでいるように見える。つまり大地の上が受持の場である。ここが久遠実成と外典との接触の場であり、開目抄でも十界互具の上に、そのまま具現する立場がとられているようである。当然本尊抄もこの意味をとらえているであろう。「経に云く、地涌千界乃至真浄大法等云云。此れ即ち菩薩所具の十界なり」とは本尊抄の文である。この真浄大法とは久遠名字の妙法と同じものであり、これが上行所伝の法即ち妙法五字ということではなかろうか。宗門の定める妙法はどこに見るのであろうか。今更そのようなものを示す必要はない。始めから決まっているではないか、この不信の輩めという御託宣が天から降って来そうである。しかし、2ケ年半の間、そこの処については一向に御指示がなかった。空中の授受か、大地の上の授受か、是非お示しに預りたい。

 本尊抄では方便品の文を引いて九界所具の仏界を明し、次に寿量品の文によって仏界所具の九界を明されている。この方便品の文によって真浄大法が久遠名字の妙法と顕われるのではなかろうか。法師品に云く、難信難解と。上の真浄大法の処に、本因の久遠名字の妙法が立てられ、そこに一切の法がある。しかし今は己心の法門は邪義ときまっているので、どのようにして久遠名字の妙法や十界互具を捉えるのであろうか。これは事の一念三千を捉える前に必要なことではなかろうか 己心の法門を邪義ときめて上行菩薩をどのようにして現世に迎えるのであろうか。恐らくは不可能なことではなかろうか。しかも信心教学では理屈ぬきで上行は日蓮と再誕するのである。その前に仏法のことを考えるべきではなかろうか。信心教学とは、中間を省略して結論へ直結する特権を持っているようである。それだけに不信の輩には理解出来ない処が多いのである。「二門悉く昔と反する故に難信難解」の処へ、信心を根本とすれば、昔の難信難解は即時に解決することはいうまでもない。その信の処が、他から見れば容易ならざる飛躍なのである。これが正宗教学の不可解な処である。時の流れはこれ以上不可解のまま放置することは出来ない処まで来ているのである。

 本尊七ケ相承は応仏の上の沙汰ということであるから、ここでは報仏の上に現われなければならない。ここで左右が異なり、滅後末法の衆生が主役になる。若しその時己心の法門がなければ、滅後末法の仏法の時は働きを起すことは出来ないであろう。もとより上行日蓮の出番が来る筈もない。しかもまず第一番に上行日蓮が出るのであるから全く理屈抜きである。これが第一の飛躍である。二門悉く昔と相反すとは本迹二門は昔のままではない。相反するとは昔の右は今の左、昔の左は今の右という意味である。これは釈迦・多宝に対して上行等の四菩薩が向き合っている姿であり、昔は釈迦・多宝であり、今は上行等の四菩薩が主役になっていることをいう。右尊左卑、左尊右卑はこの処を解説されているのである。このような処に飛躍があってはいよいよ難解になる。宗門では、昔の久遠実成の彼方に今の久遠元初を置くのであるから、昔も今も相同じである。これでは正宗要義の説く処は、二門悉く昔と相反する文に相反するのではなかろうか。

迹仏世界も本仏世界も全同ということになる。これでは時の必要もない。増上慢や怨嫉というだけでは解決出来ないように思われる。二門等の文は別な解釈があるのであろうか。相反すとあるのを相同じと読むのは文底読みなのであろうか。どうも理解することが出来ない。

 鎌倉に生れた日蓮が迹門に帰り、久遠実成の釈尊を只肉身のみをもって乗り越えようということは、実に常識を逸した無謀極まる発想である。思想として出来た仏法を、仏教として、宗教として見たための誤算である。他門下は出発点から仏教としているので、その点では混乱はないが、大石寺の場合は、三百年間仏法を持ち続けて来た後の転換であったために、それについて十分の手当てが出来なかった。そのまま明治を経て現代に至っても、依然として仏法の痕跡だけは残っている。それが今災いしているのである。仏法によるか仏教によるか、今その整理を逼られているのである。現状では仏法を口にすることは、益々混乱を深めるばかりであることを自覚しなければならない。

 同じく仏教の語は使ってあっても、例えば成道でも、仏教のものをそのまま持ちこめば、どうしても死後の塔婆供養まで帰ってゆくし、本仏といえば釈尊を越えて考えるようになる。そこは頭を切り替えて、仏法の場合、成道がどのように現われるかをまず考えてみなければならない。生きて成道といえば菩薩をそのまま当てはめなければならない。本仏といえば釈尊を乗り越えなければならない。つまり仏教が世間に摂入された時、仏教固有の姿は消えていることに注意しなければならない。そして世俗を根本として、仏教を内に秘めて仏法は成りたっている。

 そのために御宝蔵という形も必要であり、本尊も本因に限られるのであるが、今は正本堂には本果の本尊があり、元のような秘密もなくなり、仏教と同じ姿を取るようになったのである。これがはっきり表に出たのが宗制宗規である。これを事に表わしたのが正本堂である。つまりこれによって、仏教としての形が整備されたのであって、仏教を内に秘めたものが顕露となったのである。そのために、刹那も己心も必要がなくなり、本仏も本尊も常住に在るのが基本になったのである。次第に仏教の形を整えて来たのである。

 そこで供養一つ見ても、報恩抄や二天門の北の盆供養にはない塔婆供養が大きく浮び上って殆ど仏教化し、仏教と仏法の供養が同時に行われているのである。何れか一つにした方が反ってすっきりするのではなかろうか。宗教として生き抜くためには仏教一本に絞った方が筋が通るようであるが、二本立ては反って弱さが表に出るのではなかろうか。この二重構造は頭が二つであるだけに危険であるが、山田指摘の二重構造はもと一頭であり、方法論として二重であることに注意してもらいたい。二頭は必らず避けなければならない。今その問題に直面しているように思われる。当方は信不信には関わりなく仏法を見ようとしているし、宗門は今異様に宗教に仏教に意慾を燃やしている処は、どうもアベコベのように思えてならない。

 思想の中に僅かに宗教を加味してきたのが上代の在り方であったように思われる。何れにしても一本に絞った方がすっきりするであろう。信心のみが強調されるのも、頭の中でその整理がつかない表われではなかろうか。しかし思想としてみるなら、そこには寿量文底の長寿は間違いなく伝えられている。鎌倉の時も今の時も己心の上では同時である。

 天台の理の法門は仏教の中のこと、日蓮の事の法門は世間に出た上での事、そこに理事の区分があるように思われる。只理の上で理事を分けただけでは理解出来にくいのではなかろうか。時局法義研鑽委員会が天台教義に力を得て反撃を始めたのも、其の間の苦悩の姿を如実に表わしているが、結局理事を時を外して読んだ処に誤算があったように思われる。仏教の理をそのまま仏法の処に持ちこんだ処に破綻が待っていたのである。

どうやら3年先が見通せなかったということのようである。三年先の未萌が分らなければ、山田水島も聖人としては失格である。信の一字は仏法の上では理解出来るが、不信の輩には仏教ではどうしても理解できない。しかし立場をかえてみれば、仏法不信の輩ということも在ってもよいように思われる。仏法か仏教か、誠に世間は騒々しいことである。ここは山田水島の英知をもって越えてもらわなければならない。しかし後退は無言で、越えかねたことを自ら証明したのである。しばらく問題は内秘の処で燻り続けることであろう。

 仏教の中にあって、己心の法門を除いて日蓮が五百塵点や久遠実成の釈尊を乗り越える方法を見出さなければならない。その上で仏教に切り替えるのが最も無難な方法である。どうやら順序を誤ったようである。理屈抜きでいきなり釈尊を乗り越えて、予は本仏であるぞよと宣言するのは、どうも頂けない。若し別世界に出現するなら、このような下尅上方式をとる必要もない。そこに受持をもって釈尊の因行・果徳の二法を頂いて世間に出るなら、釈尊を踏みこえる必要はない。仏法はそれを明らかにしているのである。

が、現状は時の混乱がもたらしたものである。しかしここ2年半はますます爾前迹門に意慾を燃やして来たが、得た処は只時の混乱のみであった。退いた処で静かに、仏法に帰るべきか、捨てるべきかを沈思熟考してもらいたい。それが今とるべき唯一最良の方法であると思う。

 愚悪の凡夫を自称する日蓮が、いきなり釈尊を乗り越えることは出来ない。それならば仏法に出ればよいものを、迹門に立還ったために難問に出くわしたのである。そこで困じ果てた揚句に考え出されたのが、生れながらの三世常住肉身本仏論なのかもしれない。しかしこれは仏法にも仏教にも通じるものではない。

それよりか、仏教に帰ったことの非を認めるべきである。ここまで来れば、「御相承である、御法主上人の御言葉に誤りはない、不相伝の輩が」ということでは逃げきれない処まで来ているのである。

 今の法門は本仏を出現させる力を失って、信心のみがよく本仏を出現せしめるのである。法主も僧も俗も等しく信心のみである。そこに無理がある。信心は法門に先行するものではなく、これが正常に運営された時に始めてその意義もあるものである。信心のみが法門の難問を解決すること地体変形そのものである。信心のみによって解決すれば、その方向を見失うことは当然ある筈である。古伝の法門が若し正常に理解されるなら、法義の決定権を信心に委ねる必要はさらさらないと思う。既に水島教学では古伝の仏法の理解は出来ない処まで来ているように見える。信心は教義が充分に理解された以後にあるべきものである。信心と悪口雑言のみでは宗教は成り立たないであろう。この本尊七ケ相伝には信心のみでは解決されない仏法的な要素を多分に持っているものと思われる。そこには案外本尊抄の真実も伝えられているようにも見える。それだけに現在では理解しにくい面が多いのではなかろうか。

 

 

 

明星直見の本尊

 

 これは本尊七ケ相伝の第七、四項目にあるもの、明星池に映った本尊とは水鏡の御影である。水島では肉身の日蓮がニュッと顏を見せる処である。法主の三世常住に肉身本仏論は、委員会を代表する水島によって、このように証明したのであろう。これこそ苦肉の策というべきか。法主の言葉に誤りのないことを証明したつもりであろうとは、ちとお粗末である。これで三世常住の肉身本仏論は委員会を代表する水島によって証明され裏付けされた。これによって、この三世常住の肉身本仏論も法門として公式に登場したのである。水島説も、よく見れば三世常住の肉身本仏論であることに変りはない。師弟一箇してこの法門を証明した処にその意義がある。しかし、この本仏に何故にこのように執着するのであろうか、解しがたい処である。本尊は遂に肉身本仏日蓮をもって解釈されるようになったのであるが、これをもって七百年の伝統を誇れるつもりであろうか。どうも吾々には解らないことばかりである。

 所謂中古天台では、池に映るのは明星であるが、大石寺では本尊であり、今の大石寺では肉身の日蓮本仏が池中から顔を出すように三様になっている。天台の明星杉は丑寅にあるが、大石寺では戌亥にある逆さ杉である。これは大地の底から現われる明星を受けとめるためであろうが、そこに御華水がある。そこから東南に流れて明星池に至り、その東南に客殿があり、西北には本尊書写室がある。水島説では肉身の本仏が浮ぶが、法門では客殿の奥深くまします本尊が映り、これに日興が墨を流すと本尊と現われることになって居り、ここに本尊書写の相伝がある。

 しかし水島の明星口伝は本仏の出現であり、本仏と本尊が同一なのかどうかは不明であるが、いつの間にか本尊を本仏にすりかえている処は許しがたい。このようなことは御尊師と仰がれる人のすることではない。いかにもお人柄がしのばれる処である。しかし本尊を本仏にすりかえるのは、人法一箇を抜き去った結果であろうか。そうであれば、これに人法一箇を加えるなら、即時に肉身本尊が出ることにもなる。肉身本尊と肉身を除いてある己心の本尊と何故同一なのであろうか。生身の本仏・本尊はどこかで聞いたような記憶がある。まことには本尊といわなければならない処なのか。水島御尊師が信ずるのは、肉身本尊なのであろうか。肉身本尊と肉身本仏とは同一なのであろうか。山田説ではただ人法一箇があるかないかだけで本仏と本尊とが相違しているのみである。何れにしても水島説では、池の底から顔を見せるのは肉身本仏であるが、これは相伝によるのか、或は夢想によるのか、未だ曾つて見聞したことのない珍説であり、これでは本尊書写の口伝は台なしである。水島相承による新説である。これで本尊書写の相承が消されたことは間違いのない処であり、そのために予め明星池は除かれているのであろう。明星池に楠板の本尊が浮ぶ筈がないという処からの新発想であろう。この様な説を出すためには、それこそ文証が必要であるが、文証を示さないのは常套手段である。一応池の面に浮ぶ本尊は抹殺されたので、今後は本尊書写勝手次第ということになった。これで本尊書写についての謗法も無罪放免である。宗門からもこれについては一向に取り消されていない処を見ると、正式に法門になったものであろう。今後は、明星池に浮ぶのは、客殿の奥深くまします本尊ではなく、宗祖の肉身本仏と改められた。これは三世常住の肉身本仏ということであろう。

 しかし、本は己心の一念三千の宝珠であり、水の底から浮ぶことは無限の長寿を表わしていた。その宝珠とは寿量海中の意味を持っていたものであり、師弟一箇の己心の一念三千が本尊に替る処を示されたものである。台家の明星は天の明星が直接池に映り、大石寺の明星は池の底から現われる。これが本因の本尊であり、水鏡の御影でもあるが、今は己心は邪義となり、台家に立返ってこのようなものは消されていったのである。そして衆生の成道も消されたのである。これが水島時局法義研鑽委員の業績である。新定第一巻の巻頭に載せられているのが「水鏡」の御影である。正本堂安置の本尊を強く打ち出すための犠牲ということであろうか。己心の法門を邪義と決めたのも同じ理由によったものであろう。水鏡の御影というも本因の本尊というも、これでは一向に御利益にはつながらない故であろう。

 今は公式に宗門の機関として発足した時局法義研鑽委員会によって、次々に法門が新旧交替している時であり、五十七年度の富士学報には教義の天台化を行っているような印象を与えるものがある。宗義教義の激動期ということであろう。このような中で、次第に仏法から仏教へ、文底から文上への作業が続けられているようである。その動きを一貫して示しているのが水島ノートである。それによって委員会で何が論議せられたかも知ることが出来る。しかし、これからの日蓮正宗伝統法義とやら称するものが、どこまで発興するかということになると、これは未知数である。しかし、今は過渡期であるから、仏法と仏教、文底と文上とが雑然として未整理のままであるが、これは将来はますます混乱して来るのではないかと思う。これらの動きが、正本堂を中心として動いているのではないかと思われる。そのために、次第に像法化が目についてくる。本尊も明星直見や本因の本尊から戒旦の本尊を切り離そうとしているようにも受けとめられる。そのために宗祖の生身が毎朝顔を見せるのである。本尊から一言をもって本仏へ切り替え、明星直見の本尊は、いとも鮮かに抹殺されたのである。戒旦の本尊さえあれば、本因の本尊はいらないということであろうが、本尊抄から本果の本尊を求めることは、恐らく出来ないのではなかろうか。

水島は人には文証を要求するが、肝心の法門に関しては決して文証を示さないくせがある。なかなかのくせ者である。しかし、功を急ぐためか、少し手の内が見えすぎるきらいがあるのは玉に瑕である。宗祖が生身を見せたのでは己心はいらないし戒定恵もいらない。それが本尊につながるわけでもない。既に戒旦の本尊は新解釈が出来上っているのである。生身を見せた処でヤユしているのであれば大きな心得違いであるが、教学部長が最初ヤユと称したのは既成方針を押し通して正本堂と戒旦の本尊の裏付けをして、日蓮正宗伝統法義を作るつもりであったのであろうか。若しそうであれば、持ち出したものは悉く崩されて、皆無の処で広宣流布へ再出発ということになった。ヤユしたつもりが、反ってヤユされた結果を得たようである。2ヶ年半、一向にヤユした処は見当らない。只残ったのは混乱のみということのようである。あまり結論を急ぎすぎたため、手の内を見せすぎたためであろう。このような事は極秘のところでやるものである。三世常住の肉身本仏論や、自受用報身が唱題するのも、明星池の底から宗祖が素顔を見せるのも、すべてヤユの中の出来事であったのであろうか。そう見れば、57年度の富士学報は、天台教学を全面的に取り入れようとする姿勢が明了に表われている。しかしこれもヤユには至らなかったようで、反って自分達が窮地に陥っただけが唯一の収穫のように思われる。一言でいえば、正本堂と戒旦の本尊の教学的な裏付けを急ぎ過ぎて、教義が像法を目指していることだけは残ったのである。ヤユすることも叶わず、像法的な教学のみが残ったのである。これが唯一の教学部長の業蹟であった。しかしこのような日蓮正宗伝統法義は一向に戒旦の本尊の威力を増すものではなかった。問題は後へ後へ尾を引くことであろう。一として成功したものはなかったようである。何れも大日蓮や富士学報には記録されているものであるから、後世の研究家を楽しませることだけは間違いのない処である。これこそ彌愉である。その時の教学部長の挨拶は、誠に歓喜に満ち溢れたものであった。既に心では成功を祝福していたのであろうが、このような祝福は成功を勝ち取った後にするのが常識である。飛んだ狸の皮算用ということである。計画通り成功して、布教叢書をもって再び広宣流布に出発するのであれば、まことにお目出たい話であるが、山田や水島の結果はあまり成功したとは義理にもいえないであろう。一旦決めた教義を、また元に返すことも出来ないであろうが、さて、どう収まりが付くのであろうか。水島が教学部長とコンビを組んで、こともあろうに本因の本尊をヤユしたのが運の尽きであった。あれから急に落ち目になったようである。どう見ても、これは相手が悪かった。戒旦の本尊のためとはいえ、これはちと度が過ぎたようである。明星池に現われる本因の本尊までヤユする必要は、毛頭もなかったのである。とも角も、前後不覚ということであったようである。最初院達をもって、大上段から「不信の輩」とやったのも、大失敗であった。こちらは、大日蓮を通して常にこれを目にする境界にあることを計算に入れていなかったのである。また山法山規は、これ又弱すぎて反って逆効果のようであった。前後とも成功したとは思えない。次はどのようなものが出るであろうか。しばらく楽しみにして待っていることにする。何はともあれ、水島も本因の本尊をヤユしたのは一代の失策であった。少しあわて過ぎたのか、功を急ぎすぎたようである。九思に一言ということもある。あまりあわてる必要はなかったのである。今になって取り返しのつかないことになったように思う。

 水島がヤユした本尊は愚悪の凡夫が師弟一箇したものである。これを本尊と現わすのは日興であり、題目と示すのは日目である。今は用を離れて体のみが強く出ている。しかもそれらを含めて、宗祖一人のみが本仏として強く出されているのである。本来は目にうつるのは用のみであったものが、今は逆に体のみが強く出ているのである。日蓮紹継不軽跡も、用が強く出ている例である。それが滅後末法では因行と表わされる。しかし今は魂魄である処に肉身があらわれる。それが三世常住の肉身本仏であり、明星池の生身の宗祖である。魂魄の世界に何故肉身が出るのか。これは魂魄佐渡に至るという己心の世界を抹殺したためという外はない。この魂魄を振り切って像法に立ち還ろうとしているのである。

そのために明星池の本因の本尊をヤユしたのであった。その罪障の到る処、ついに水島も口を閉じざるを得なくなったのである。水島に時が見当らないのも、像法に帰っているために、始めから滅後末法の時には気が付いていなかったのである。時もなく滅後末法も気が付かなかったために、明星池の本因の本尊もヤユすることが出来たのである。知らないということは、水島や山田にとっては最高の強みであった。そのために四明を正統と仰いで、天台教学の援けを借りることも出来たのである。そして筋書き通り進めて行く間に、どこでどうなったのか、遂に敗戦の弁を書かざるを得なくなったのである。

 余は事行に移して折伏と広宣流布に専念してもらいたい。但し、化儀の折伏、法体の折伏は寛師の説でなかった事だけは忘れないようにしてもらいたい。これは寛師を誣ゆるものである。折伏を推進せしめた根本は要法寺日辰教学による処、当然広宣流布もまたそこにあり、今また上代からの己心の広宣流布を振り切って、日辰教学による折伏と広宣流布に踏み出そうとしているのである。それが決まったのは、今回は3年前であった。そして阿部さんが先頭に立って悪口雑言戦を展開したのであったが、それは全て開目抄や本尊抄・取要抄その他の十大部御書に対する真向からの挑戦であった。

教学的には天台教学をもってこれを破折したようである。その中で戒定恵や己心の法門を捨て、仏法をも捨てて迹門に帰ろうとしたのであった。

それが最もよく表われているのが五十七年度の富士学報であった。これは全面的に天台教学によっていることを明かにしているのである。最終的に方針も固められて、阿部さんや教学部長が自ら先頭に立って指揮をとり、山田水島が代表格でこれに続いたのであった。それは只方程式にあてはめるだけの仕事であった。

 その間に知らず識らず、宗祖の極意の処を捨て去ったのであったが、日辰流の広宣流布がはっきり成果を表わしたわけでもなかった。正本堂を裏付けし広宣流布を正当化するためには、どうしても四明流の天台教学が必要であり、それによって、内々像法に帰らざるを得なかった。そのためには、久遠元初も五百塵点の当初も像法へ収め、迹仏世界で釈尊の遥か彼方に日蓮を持ってゆく必要があった。即ち迹仏世界の中に本仏世界を考え、ここで開目抄の仏法世界と大きく遊離したのであった。そして今渾身の力を振り絞って最後の孤塁を守ろうとしたのであったが、遂に開目抄の壁を乗り越えることも出来ず、理に行き詰ったまま、強引に広宣流布に向ったのである。理も持たず、只強引な前進である。何となし一死報国という感じである。

 正宗要義の大事もまた中心は久遠元初を迹門においている処である。外にはそれらしいものも見当らないが、当時宗門を代表する宗学書として編集された日蓮正宗要義に、時の法主の序文がなかった事は異状である。或は迹門に久遠元初を考え、宗祖をそこに持ちこんだ処に不審があって、允可をされなかったのかもしれない。結局発行者は宗務院となった。これは正宗要義の内容にふれる問題である。しかし、今は強引にその線を推進しているようであるが、果して宗祖の允可を得られるかどうか、興味のある処である。現状は仏法を振り切っての前進と見える。しかし声は前進と聞えてはいるが、前進しているのか後退しているのか、詳細は知るよしもない。

宗祖の旗印を捨てての前進の処に問題が残されているのである。戒定恵や己心を捨てては仏法はあり得ない。その仏法による前進が今始まっているのである。これを前進というべきか後退というべきか、これは観る者の決めることである。文底本門の仏法によるか、文上迹門の仏法によるか、今宗門が択んだのは文上迹門のようであるが、これを裏付けるようなものは、少くとも開目抄や本尊抄等の十大部には、見出だすことは出来ないであろう。学はいらない。信心だけでよいという中での前進開始のようである。特攻隊精神ということであろうか。これは戒定恵のない処が目に立つようであるが、元は仏法・己心の法門と大いに関係があるように思われる。山田などは特攻隊精神の実行者のように思われるが、若し己心の法門を持ち戒定恵をわきまえてをれば、あのような犠牲にあうこともなかったのではなかろうか。とも角、与えられた仕事は、○の中に決められた文字を入れることであった。その中で水島は最も努力した最後の一人であった。しかし、明治教学については、正信会も宗門に負けないように努力しているようである。一度開目抄や本尊抄を冷静に見直してもらいたい。そして教学の基礎を迹門におくべきかどうかを判断すべきであると思う。天台によるべきか宗祖によるべきか、案外このような事さえ決まっていないのではなかろうか。今は天台教学を基盤とすることこそ正義であり、宗祖のよろうとするものは、全て邪義ということになっている。阿部さんが、狂った狂った狂いに狂ったという対照は戒定恵であり己心であることを思い起さなければならない。これが教学部長がいう処の狂学である。それはいうまでもなく開目抄の戒定恵であり、己心の法門であり、また仏法であり。そして阿部さんがいう処もまた仏法であり、実に紛らわしい限りである。この明治教学が、今となってどこまで持ちこたえられるであろうか。最後の努力を振り絞って戦ってもらいたい。宗祖の法門にどこまで勝っているか、試みてもらいたいものである。山田教学はあまり短兵急であったために生命が短かかったのである。あまりにも底が見え透いていたのであった。阿部教学も又久遠元初を迹門に立てていては、威張る理由にはなるまい。まずここから訂正を初めなければお話しにはなるまいと思う。迹門に本拠を置きながら、そこで滅後末法の仏法を語って、何の矛盾も感じないのであろうか。迹門には、正宗のいうような本仏は存在し得ない処である。それがいかにも在るように思われるのが信心である。これは不思議な信心であり、むしろ魔法の世界にあるべきものではなかろうか。正宗要義は明らかに迹仏世界に久遠元初を見、本仏を考えているのである。これが今の混乱の第一歩である。正本堂も戒旦の本尊も広宣流布も、天台教学によってこれを証明しようと努力して来たが、現状ではあまり成功したとも云えないように思う。山田や水島も、どうやら中途で抛棄したように見える。つまり意慾は燃やしては見たが成功を見ることはなかった。先に手を引いたのは水島であり、宗門であった。これは先に手を引いた方が敗れたのである。これも本因の本尊をヤユしたためであろう。これはいうまでもなく誹謗の第一位にあるもの、宗祖への誹謗第一に位するものである。しかし、迹門に本仏や本因の本尊が出現することは、御書や上代の法門には全く未だ聞かざる処である。そのために本因の本尊もヤユの対照になったのであろう。そして己心の本尊が肉身本仏に切り替えられているのである。これでは、時局法義研鑽委員会がいくら智恵を絞ってみても、我見以外には文証は出ないであろう。文底も文上も同じだ。文上にしろという処が落ち付く処であろう。今になって迹門に法門を立てるなら、宗祖は開目抄や本尊抄を著作する必要はなかったであろう。仏法に法門を立てるのと、仏教・迹門に法門を立てのと、何故同じなのであろう。唯授一人の御法主上人には文上文底の区別を立てる必要はないのであろうか。仏法に立てられた本仏と、三世常住の肉身本仏と、何故同じなのであろうか。この肉身本仏は仏法にあるのか仏教なのか、或は仏教も離れた処にあるのか、是非所住の処を明してもらいたい。今本仏といえば、当然この本仏を指しているであろう。

 

 

 

本尊の遥拝と直拝

 

 遥拝は丑寅勤行に限られ、仏法に則った厳粛な儀式の上にあるもので、本仏も本尊も成道も、これによって始めて顕われるもの、山法山規の随一であると思われる。即ち事行の法門の随一でもある。この中には明らかに秘密の意味を持っている。法門の相貌を如実に現わしているのである。本仏や本尊が自力に依って現ずることは成道そのものであり、また広宣流布完了でもある。己心の法門としての広宣流布完了である。知る知らぬとは関係なく祝福は続けて来ているのであるが、今は大勢は直拝に遷った。そのために広宣流布も直拝と別々のような感じを受けるようになって、二段構えに本番が移り、自然と、同時という処から離れ各別の処に収まったために、広宣流布が成道と離れるようになったようである。迹門では別扱いになっている。つまり文上の儀式に変ったのである。法門の立て方がそのように変った証拠である。法門は、宗門義の立て方によって何のことわりもなく替えられてゆくのである。そこから逆に見れば、宗義が変ったことがはっきり分る。そして今は直拝のみが興盛しているのであるが、昔は、直拝は従の立場に置かれていて、一年のうちにも直拝は一度か二度という程度ではなかったのではないかと思うが、今は全く逆である。それだけに本来の意義である遥拝が弱くなり、薄れて来たのである。現在の宗義の要求に答えているということである。そして広宣流布の意義が大きく交替した陰に、法門が仏法から仏教へ移りつつあることを示しているように思われる。そこで広宣流布は専ら迹門流に移ったのである。法門そのものが変化を起している現われである。

 昔は一回の御開扉には、当代・隠居・塔中と、それぞれの供養も莫大であったから、一人で御開扉を受けることは容易な事ではなかったが、今は大勢で受けるのであるから、その点では格安であるが、これは直接法門の上の行事ではなく、信仰が主体になっているのである。遥拝は本因の如く、直拝は本果のごとく、また秘密と顕露の差別も持っているのである。今直拝のみが盛んなことは、信仰形態が変ったことを示すものであり、あまり好い傾向とは云えないであろう。信仰形態と宗義とは必らず密着しているものである。しかもその先後は分らないが、今は信仰信心が新らしい形態を産み、宗義を作っているのではなかろうか。何となし原始的な形を持っているように思われる。日蓮門下では一般に大石寺も含めて宗義が先行しているようであるが、今の宗門では信心が先行しているように思われるのは、何となし気掛りな処である。見方による相違ということであろうか。

 遥拝では、宗祖の竜の口の頸の座から池上に終るまでの行苦を刹那に収めて行じているであろうが、今では本因の行が稀薄になってゆくと同時に、本仏・本尊・成道等が自行から忘れられつつあるようである。そして師弟一箇の法門が次第に各別になっている。阿部さんが真先に師弟各別を打ち出し、それを裏付けるように、三世常住の肉身本仏論を持ち出したのであるが、これはどうみても成功したとはいえない。反って自分を窮地に追いつめるようになったとしか思えない。これで宗教の中に居れるかどうか大いに疑わざるを得ない。明星池の底から宗祖が毎朝生身を見せる等というのも、全く同じ趣向である。これが今の宗門を代表する本仏論の考え方である。これでも宗教といえるであろうか。只筋の通らない奇蹟のみを追い求めているとしか思えない。そのような中で遥拝の解釈にも反対していたようである。或は遥拝に絶対反対のなかで三世常住の肉身本仏論も出たのかもしれない。一寸低俗過ぎるようである。

 長寿が求めたいなら己心の上に求めるべきである。己心を邪義と決めては、本仏や本尊の長寿は永遠に在り得ないであろう。どのような方法で奇蹟を求めても、それは宗教本来の姿からますます遠ざかる許りである。長遠を求めるなら、必らず仏法の上に、己心の法門に求めるべきである。刹那であるが故に長寿である。本因の本尊も刹那であるが故に長寿なのである。これらは全て遥拝の処にあるべきものであるが、今は己心の法門を邪義と決めているのであるから、本仏や本尊の長寿は殆ど不可能事である。

己心が邪義というのも信心の上から出ているのであろうが、これは取り返しの付かない大失言であった。

 阿部さんは刹那の外に本仏や本尊が出現するとでも信じているのであろうか。折角丑寅勤行をやっているのであれば、その勤行を信じるべきではなかろうか。信心が勤行否定の処に立てられているなら、その勤行は無駄なことである。改めて遥拝の意義を考え直してもらいたい。

 御宝蔵の本尊は本因であり内秘である。その故に遥拝であるが、今正本堂の本尊は顕露である。顕露であるが故に直拝を喜ぶのであろう。そしてこれを裏付けるために天台教学に援けを求めたのである。本尊が顕露になった故に、天台教義が必要になったのである。信心が教義を変えたのである。これは信心ではない超過の信心である。これは宗義を作り出す信心であり、他宗他門にその例を見ないように思われる。そのような中で己心は邪義ということも起ったのであるが、あくまでこれは守り続けようとしているであろう。そのような中で丑寅勤行は依然として続けられているのである。全くの二重構造である。一方は山法山規であり、他方は信心教学である。遥拝直拝も、仏法の上で考えられていないことだけは間違いない処であろう。これもまた根本は時の混乱ということであろう。

 

 

 

楠板の本尊

 

 今想像すれば、三大秘法惣在の本尊として、三大秘法抄を根本として見た文底秘沈抄によっているのではないかと思う。処が文底秘沈抄はその文中にあるように戒定恵が根本になった三秘であり、取要抄による三秘であるが、三大秘法抄によった三秘には戒定恵が除外されている。そのため表に顕われた三秘となり、本因にあるべき一閻浮提総与が現世に出るようなことになって混乱を起したのである。日蓮正宗発足の時、真蹟と決定して公式に決まった。そのために本果となり、御宝蔵の本尊と交替したのである。結局は考えの中に戒定恵があるかないかの違いが事のはじまりである。文底秘沈抄には戒定恵の三秘であることが明記してあるが、見過ごされたのであろう。そのために今に三大秘法抄の三秘によっているようである。

 そこには国柱会教学の影響が大きかった事は容易に想像出来る。その辺で戒定恵が消えてゆく可能性がある。そこの処が文底秘沈抄との違い目である。そのために、衆生の側に立つべきものが宗祖本仏によっていったものと思われる。そこで急に中央集権的な雰囲気がもり上ったのであろう。

 信仰の根本の方向が変わったのであるが、今となって、このまま明治教学を守り続けるべきか、開目抄に帰るべきか、大きな岐路に立たされたのであるが、宗門も正信会も、あくまで明治教学を守ろうということでは、お互いに意見は一致しているようである。結局は、戒定恵のもとにある三大秘法によるか、戒定恵をもたない三秘によるかということである。戒定恵がなければ、どうしても衆生不在になりやすい。そしてこの法門の性格として、法主本仏論も出やすくなるようであるが、その中には紙一重で法主本尊論も引かえているように見える。一人に集中するのを防いでいるのが戒定恵である。

  本因の本尊が確実に守られている間は、富士五山の分裂は出来ないようであるが、本果で解されるとこれを防ぐものがない。本果を宗制宗規で定めた時、大石寺と五山とが別れているのである。これは只感情によるものではなく、本因であるべきものが本果に変ったためである。本果は数を喜ぶし、本因は一を尊ぶためである。本尊抄の副状は一を選ばれているのである。今の本果は大正の初めより今一つ進行していることに注意しなければならない。今こそ戒定恵の必要な時である。水島が後退したのもまた戒定恵を持たなかったためである。

 今の宗門には、戒定恵は全く影をひそめたようである。宗門と正信会が争ってはいるが、それは戒定恵を持たないための争いである。若しこれが取り返されるなら、争いは速刻収まるのではないかと思う。それは法の力用による処である。戒定恵を忘れた処で争っては、宗祖も何れに采配を上げるわけにもゆかない、益々困惑の体と拝見した。しかし、今となって簡単にこれが取り返せないのが宿命ということなのかもしれない。

六巻抄は第一行からして戒定恵であり、第二も戒定恵による三秘、第三は発端から戒定恵、第四第五も第六もまた戒定恵の上に論じられているのであるが、戒定恵が抜けたために第六などは全く取り付く島がなかったのである。そして只三衣を説かれているということで始めから抛棄されたような形になり、法門的には全く利用価値はなかったのである。今の阿部さんはこれを踏襲しているのであろう。そのために山法山規も理解出来ないのではないかと思われる。戒定恵を外して理解出来ないのは無理もないことである。山法山規とは戒定恵そのものなのかもしれない。六巻抄は何となし三秘を説かれているという受けとめ方ではなかろうか。しかし、三秘ではないので山田水島両先生方も遂に利用することもなく、終始一貫して引用は文段抄のみであった。そのために折角引用しながら結論にはつながらなかったのである。内容に立ち入って六巻抄が引用出来るような学に励んでもらいたい。あまりにも手の内を見せ過ぎであった。とも角もみんな相寄って戒定恵を取り返すことである。そして「己心の法門は邪義」も、一日も早く撤回することが何より先決である。文段抄のみによったことは、先生方の眼に組し易しと映ったためであろうが、それだけ相手を屈伏せしめる事にはつながらなかったようである。それは一重に文段抄の性格によるところである。結局先生方の見当違いということに終ったようである。文段抄では戦い切れなかったのである。 と同時に、六巻抄に対する読みの浅さも残りなく露呈してしまった。それが唯一の収穫であったとは皮肉である。これなら、宗門をあげて委員会を組織する必要はなかったように思う。依義判文抄は発端のあたりに三学が出ているので、そこは除いて、以下を三秘をもって読んでいるようであり、終りの宗旨の三箇、宗教の五箇も、正宗要義によれば、他門のものによる三秘によって読んでいるようで、つまり戒定恵不在の中で読んでいるのである。本来三学をもって読むべきものが、最初から三秘をもって読まれたために、その誤を自覚出来なかったようであった。そして三秘について他に誇る程度で終っているのである。つまる処法門としては十分とはいえないように思われる。そのために今回も利用出来なかったのであろう。方向違いということに終っているのかもしれない。すべて戒定恵不在がもたらした結果である。宗教の五箇も仏法によるのと仏教で解するのとでは天地の相違が出るが、今は一旦仏教として読まれたものが時に仏法の中へ現われることもあり、それが混乱に拍車をかけているような処もある。三番目にある時は全体の中央にあり、五番目の教法流布前後は教前法後であり、教とは仏を表わしている。仏の教は像法に流布し、末法は教法流布とは一応であるが、滅後末法は法前仏後である。法と人との一箇は法人一箇というべきであるが、今人法一箇というのは在世の考え方である。それがやがて在世に帰るきっかけになるのではなかろうか。大石寺法門は法前仏後の処に成り立っている。それは外典に仏教が摂入されて仏法が出来る処に根本がおかれているものであり、開目抄の考え方である。宗旨の三箇は前に宗教の五箇が後におかれているのは法前仏後の姿である。宗旨・宗教と並べられた時に既にこの意味が表わされている。今は法前仏後には反対のように思われる。唯理由は他宗他門がとらないということのみである。仏法は法前仏後によって立てられているので、自ら戒定恵が現われるが、仏前法後では戒定恵は現われない。今は仏前法後によっているのである。そのために三学倶伝名曰妙法にはつながらない。三秘にもつながりに無理がある。そこに飛躍が要求されるのである。もともと三秘は、三学を離れては成り立ちにくいものを持っているためかもしれない。御宝蔵の三秘は戒定恵と不即不離であり、それが正本堂になると、三学の影が急に薄らいだように思われる。これは意外に大きな難点なのかもしれない。法前仏後に反対している処を見ると、仏前法後によっていることは間違いあるまい。これは自宗の法門を無視した考え方で、身延方の教学に頭が上らない証拠である。しかし仏前法後では本仏の出るようなことはない。そのくせ、本仏は依然として存在しているのであるから、必らず飛躍が要求されるのであり、それが信心という形をとる場合もある。そこに他宗門の理解を越えたものが表われるのである。それが今の宗学の弱さであるが、二三年来の委員会の試案は失敗に終ったようで、大石寺流なもののうち、よいものから失われてゆき、殆ど同化に近づいたように思われる。教学的には、最早他宗のものを抜くことは出来ないであろう。特に二三年間の進行は目立っている。これは間違いない収穫であった。しかし、あまり宗教の五箇に力が入り過ぎると時が失われる恐れがある。正宗要義の解釈は身延のものによっていたように思うが、記憶の違いだったであろうか。ここ数年は仏前法後に絞っているが、それ以前もそうである。正宗要義は特に身延流により、委員会は今の天台の解釈によって、教義全般も考えられている。そこには宗義を守るというよりは、反撃を受けた時の対策のほうが先行しているのではなかろうか。そこに遮二無二悪口雑言をもってでも口を封じる必要にせまられている。そのために本来の宗義がゆがめられてゆくのである。そしてますます説明のつかないものになってゆくのである。時局法義研鑽とは他宗の攻撃を予想した上で当方の口を封じるのがその真意義ではなかったかと思うが、予期した処は尽く成功せず、反ってその教学の深さの程を露呈したのみに終ったようである。結局は教学の混乱のみが残ったということのようである。そのような事は、本仏や本尊を除いた上でやることである。それでなければ成功は覚束ないであろう。悪口のみをもって成功させようとは、少し考えが甘過ぎたようである。よその教義を拝借すれば混乱がのこるのは当然である。根本は時が狂ったためである。狂った狂った、狂学だというのは、自分等は正しい、狂っているのは川澄だけということを、身延派などに聞いてもらうのが真実の目的であったのかも知れない。しかし阿部さんが先頭に立っての悪口は、誠に狂態そのものとしか思えない。被害者意識があのように言わせたのかもしれない。そのように善意に解釈することにしておく。しかし結果としては、仏法や戒定恵そして己心との間に、大きな溝が出来たことは間違いない事実である。今後はいよいよ溝が深まってゆくであろう。そして教学の移入もまた盛んになる事であろう。それが今後に残された課題である。仏前法後をとれば到底身延教学や天台教学に及ぶべくもない。そして本来の大石寺法門との間には、いよいよ溝が深まるばかりである。今は矛盾が極限にまで来ている。そこで出るのは溜息ばかり、それが悪口となり雑言となっているのである。ここまで悪口を重ねてきては、今さら己心は正義だ、戒定恵によらないものは邪義だというわけにもゆかないであろう。そうなれば身延教学に合流するのが最も近道である。戒定恵や己心を立てながら、仏前法後の教学によれば、最も苦しい立場になるのは本仏と本尊である。宗旨の三箇や宗教の五箇で大きく身延教学に近付いているのではなかろうか。それも、仏法や戒定恵の意義が薄れたことが根元になっているのではなかろうか。仏法か仏教か、何れか一つを選ばなければならない。そこでは兌協はゆるされないであろう。言い換えれば、思想に絞るか宗教によるか、現実には一宗建立しているのであるから、今の教学から再び仏法に帰るためには、容易ならぬ困難を覚悟しなければならない。本仏や本因の本尊は本質的には、仏法以外には通用しにくいようなものを持っているようである。このあたりを繰り返し、考えて見る必要があるのではなかろうか。己心を邪義と決めたことは、本仏や本因の本尊を否定したのと何等変りはない。大いに反省しなければならない処である。戒定恵から出たものを知るためには、まず戒定恵を知らなければならない。これが分れば仏法によるべきか仏教によるべきか、その行手も自ら判然とするであろう。しかし、今は戒定恵や己心を奨めるものを狂っているという処を見ると、殆ど帰る意志はないものとお見受けした。これが今の哀しい現実である。功徳を持ち出す前に、もう一度反省しなければならない処である。

 楠板は仏教でいえば金や石と同じく永遠の長寿を表している。これも世俗にたった仏法の表現方法なのかもしれない。木で一代、地下に埋れて金にならば又一代、木或は金のみではなく、楠は木又は金のように一代限りではない処を捉えているものと思われる。それがいつの間にかその真実が消えて、宗祖の肉体を表現する方法に考えるようになったが、これは少々筋が違っているようである。初め肉身を遮断した処で己心の法門も表われたものが、いつの間にか肉身こそ真実ということになった。それが楠板肉身論議である。今はこれ以外は邪義という説も見える。

どうも理解することは困難である。これでは一閻浮提総与が理解出来ることもあるまい。何をおいても明解な理解に帰ることが先決である。明星池から毎朝宗祖の肉身本仏が顔を出す御時勢である。吾々には理解出来ないことばかりである。ここに強力に信心が要求される理由があるようである。今少し聞いている側に理解出来る話にしてもらいたい。このような本仏の論では、世間も理解に苦しむのは当然である。それで分らなければ不信の輩というのである。何となし虚空の彼方の物語めいた処がある。自分の考えもはっきり説明が出来ない。その彼方にあるものを信じない奴は不信の輩だというのであるから、いよいよ分らない。水島極意の処はそのあたりにあるようである。自分のわからないものが他人に分る筈もない。何となし幼児的な発想めいている処は奇妙至極である。阡陌の二字は御書にないといい、次上の語は日本語にはないという。それらの語が見付かるまで開目抄や本尊抄を読んでみるとよい。ないというのは読んでいない何よりの証拠である。御書も読まないで御書にないとは、ちと度が過ぎているようである。開目抄や本尊抄を一度も読んだこともない御尊師の話にはどうも乗り憎い。話は御書を読んでからにしてもらいたい。

 本尊は軽々しく論ずるものでないということを書いていたものがあるが、これは本尊の真義が分らなくなった以後、この様なことがいわれるようになったのではなかろうか。実際に仏法に立てられたものとは、解説は随分違っている。そして宗教の意味での本尊になり切っているようで、そのために、次第に本果に根差して、本因の本尊の意義は殆ど失われているようである。

水島が一閻浮提総与の説明をしていたことがあったが、これでは軽々しく論ずるなということはよくわかる。若し他門の目に止まれば、一挙に粉砕せられたであろう。過去の経験からそのような語が自然と生じたもので、多分に他を意識した苦い経験の上に生じたものと理解しておく。しかし他門の人々は、決して大石寺の人等の説と誤解するようなこともあるまい、その点は安心してもらいたい。今では既に本果に落ち付こうとしているが、果して落ちつけるかどうか、興味のある処である。

 水島ノートから仏法の本尊を見出だすことは殆ど困難である。論ずる必要はない、信心しなさい、信心すれば必らず功徳がある、御利益があるということである。これで戒壇の本尊というのである。誠にお寒い限りである。

功徳については水島説は一貫して居ったことは認めておく。これは文底についてである。明了に答えることが出来ない中で、いつの間にか軽々しく論ずるものでないという処へ落ちついた智恵の表われであろう。

 これは仏法そのものが説明出来なくなったためにこのような処へ自然に収まったのである。根本をいえば仏法の時が失われた処から始まっているのである。

水島の一閻浮提総与の説明からは、以上のように判ずる以外、理解のしようがない。一度重々しくその真実の意義を説明して、他宗門の誤解を解いておくべきではなかろうか。ただ不相伝の輩、不信の輩のみでは説明充分とは義理にもいえない。つまりは孤独の道につながる危険もあるというものである。特に今の時は唯一言をもって不信の輩を屈伏せしめるものが必要な時である。それが最後に逃げながら、やれ職人芸だ怨嫉だ増上慢だと称してみても、それは決して答にはなっていない。そり反るのは自分一人のみであり、これを独善というのである。今水島は、改めて独善と孤独へ向って、大きく一歩踏み出したようである。

 ただありがたい本尊だから信心しなさい、必らず功徳がある御利益がある金が儲かるでは、今の世の中にはそれ程反響はないかもしれない。もっともっと高度の宗教に向って意欲を磨く時であろう。それでなければ折伏の成功は覚束ないと思う。今の民衆は過去の宗教については、それ程欲求しているようにも見えない。やはり開目抄に示された仏法こそ今の民衆の求めているものではないかと思う。心に安心を与える高度なものを用意しなければならない。

水島説の深さの程度では、恐らくは民衆は横へ向いて見向きもしてくれないであろう。そこに水島教学の終末が逼りつつあるのである。

 若し仏法本来の意味からすれば、本尊は軽々しく論ずるものではない、それは山法山規により、事行の法門で充分その意は達しているからである。しかし宗教の立場からいえば尊厳味を増すためともいえるであろうが、今は遥かに状況が変っている。最低の処で軽々しく論ずるなというから異様なのである。このような語は軽々しく使うものではない。本来の仏法の処に住した時始めて使うべき語である。些か時を誤っているようである。自分を反省した上で、もしその資格が認められた時には大いに使ってもらいたい。徳をもって折伏するだけの用意が常に必要なのである。宗祖は貞観政要からそのようなものを読みとられたのではかろうか。しかし現在の状況から、本尊は軽々しく論ずるものでないということは、最も理解しやすい語である。とも角も無言の折伏、徳化の施せるような蓄えを備えることが肝要である。楠板の本尊が宗祖の肉身であるというためには遥かな蓄えが必要である。そのようにすれば受けとめる方がそのように受けとめるかもしれない。無言でそのように受けとめられる程、まず自らを磨くことこそ肝要である。人にばかり一方的に押しつけるのは、あまり適切な方法ではない。まずは折伏を口にする必要のない程自らを磨くことである。仏法の本因の本尊はそれを示しているのではなかろうか、これが徳化の極地である。

 

 

 

戒壇の本尊

 

 予定の頁数に満たなかったので取りあえずこの項目をもってその不足を補うことにした。所謂楠板の本尊といわれているもので、大石寺の信仰の中心になっているものであるが、本来の意義については可成り失われその信仰の面について新しい解釈が付けられているのではないかと思う。本来の意義を思い切って意訳したような解釈ではないかと思われる。それも明治以後のことが特に目立つようである。六巻抄には上代の意義は十分伝わっているようであるが、寛師以後明治に至る空白期間が大きかったようである。その間に失われたものが復活するひまもなく明治を迎えたために対応が後手に廻って、今に至るまで十分な復活は遂に行なわれなかったようである。そこへ新解釈も割り込んで複雑にしたのではないかと思われる。更に今回は論理学的発想による新解釈が割り込んで来て、反って被害を受けたのではないかと思うが、宗門では更に被害者意識は持っていないのではないかと思う。もともと筋の通った解釈がなかったために簡単に割り込めたのではなかろうか。これは宗門側に問題がありそうである。そして向う先が見えなくなった処で沈黙を続けている。一年間沈思黙想の行いは続いている。そろそろ行も終りが近付いているのではなかろうか。解釈がうわついている感じである。少し法門の線を外れているのではないかと思う。そこで増上慢といわれるのも厭わず私見を書き記すことにした。本来の意義を求めることが出来るなら少しは落付きを取返すことが出来るかもしれない。そのための私案である。

 戒壇は直接には文底秘沈抄の三秘の解釈について、本来なら法華取要抄をもって解すべき処を三大秘法抄によったのではないかと思う。そのために戒定恵の三学が抜け三秘が各別となり、その戒壇が別立して戒壇建立となり、やがて今の正本堂となったのであるが、若し取要抄によってをれば建築物の必要もなく、己心の戒壇に落付いていたのではないかと思う。三大秘法抄には三学の持ち合せがないのではなかろうか。そのために解釈が大きく変ったようである。そして三学が抜けたために衆生の現世成道から大きく後退したのであろう。開目抄や本尊抄等も六巻抄も衆生の現世成道が根本におかれていることは何等変りはない。これは日蓮以来の不動のものとして受け継がれて来ているのであるが、今は三大秘法抄によったためにその辺に大きな狂いが出ているようである。

 そしてその根源になる己心の法門でさえ邪義ということに決められたのである。戒壇の本尊とは己心の法門そのものである。この法門を捨てては戒壇の本尊の解釈は恐らくは出来ないであろう。己心の法門を邪義と決めては本仏も本尊も題目も衆生の現世成道も恐らくありえないであろう。これらを一切抛棄してまで己心の法門を邪義ときめなければならない理由はどこにあるのであろう。これは開目抄や本尊抄等の重要な御書との訣別を意味しているのである。いい換えれば日蓮が法門の全面的抛棄につながるものである。それはまた戒壇の本尊の抛棄の意味をも持っているものである。

 三大秘法抄によって戒壇建立に踏み切ったものの完成の時には他門の異見によって止むを得ず不本意乍ら正本堂という処へ落ち付いたようである。文底秘沈抄は取要抄をもって解すべきものであった。六巻抄の第一行には衆生の現世成道また戒定恵によるべきことはその中に十分含められているのである。そして第三依義判文抄には戒定恵の三学を示されている。ここから逆次に第一の初行まで読み返せば必らず戒壇が己心の法門に依るべきことは当然出て来たのであろうと思う。しかし現実には三大秘法抄が押し切ったのであろう。その正本堂も早くも大修理が行われているということである。若し己心の戒壇であればこのような大修理の必要はなかったであろう。外相に出過ぎたようである。結局は戒壇も己心に収まらなければ真の安定は望めないのかもしれない。 

 今のような時戒壇の本来の意義を探ることも満更無意義なことではないかもしれない。己心の法門は興師は師弟子の法門といわれている。即ち師弟因果の法門といわれるもので、客殿で既に事に行じられている事行の法門であるが、今はこの師弟子の法門も事行の法門から離れた処即ち師弟各別の処で解釈するのが正釈となっているようである。随分の変りようである。戒壇ということになるとつい建築物を考えるようになるが元は師弟相寄った中間に戒場は自然と出現したものではないかと思われる。それが師弟子の法門の戒場であり戒壇ではないかと思う。それは事行の中にあるものである。それがやがて像法の戒壇に発展してゆくのではなかろうか。これは飽くまで師弟子の法門の上で、己心の法門として考えなければならないものであるが、三大秘法抄の戒壇を想起すれば自然に像法の戒壇に近付いてゆくのかもしれない。取要抄の戒壇ではそのようなことは起らないであろう。文底秘沈抄を何をもって考えるか、これはその前段の問題であるが、今は三大秘法抄をもって考えるのが常識のようである。そこに時の移り変りがある。寛師の考えは取要抄にあるようである。三大秘法抄によった処には明治という時代背景を考えなければならないと思う。それが止まる処を知らず国立戒壇と発展して最後正本堂に収まったのであるが元は師弟相寄った中間に建立された姿のない戒壇であったのである。そこに顕現されるのが本因の戒壇の本尊であり本仏であり、同時に衆生の現世成道の姿でもある。これは総て己心の上にのみ考えられるものである。そしてやがて本仏も本尊も戒壇も成道も己心を離れた処で考えられるようになった時、各別になり次いで発展して考えられるのである。ただ生れが己心の法門というだけのことである。己心とは全く別個な処で考えられるのである。己心の法門として考えなければその真実は捉えにくいことはいうまでもない処である。

 己心の上には国立戒壇など夢にも考えられない処であるが、夢が無限に拡がったということである。異状発展である。影も形もない己心の戒壇が国立戒壇まで発展してゆくことは誠に夢のごとくである。ここでは国そのものも異状に発展しているようである。始めから己心に法門を立てている大石寺で何故国立というような国の意義をもっているものを導入したのか何とも不可解な処である。これから見ると明治初年にも己心の法門は可成り薄れていたのではないかと思われる。そのために国立戒壇も何の抵抗をも受けることなく己心の法門の極地である本因の本尊と一箇することが出来たのであろう。国立の国は仏法でもなければ仏教でもなく、全く世俗にあるべきものである。これをきっかけに大石寺法門も次第に仏教との区別が付きにくくなったのではなかろうか。そして次第に俗臭が強くなってますます混沌として来ているようである。純粋な仏法を抜き出すことは困難な状態におかれているようである。仏法と世間と仏法と仏教と互いに相似点をもっているのである。特に最近はますます区別が付きにくくなっているようである。それだけ宗門の発言力が弱まっているということである。戒壇も仏法の戒壇から仏教に移っているのである。そして己心の仏法でいう戒壇は殆ど失われているようである。戒壇の意が違ってくればそこに顕現する本尊も異った意をもってくるであろうし、本仏の意義もまた異ってくるであろう。そして成道も現世成道から急速に死後の成道に変ってゆくのである。しかし信仰を不動にするためには戒壇の本尊の解釈をまず不動のものに取り決めなければならない。これは今差し逼った問題であると思う。黙ってをれば本因で通るものをわざわざ本果と決めた真意は最も理解しにくい処である。ここでいよいよ沈黙に入ったのである。二の句が絶えたのであろう。自ら好んで飛び込んだ道である。このまま沈黙を続けることは完全な敗北を表明するものである。それでも続けるのであろうか。

 そろそろ次の立ち上りを策してはどうであろう。ここは宗門の決断のみに限る処である。思い切って名字初心に帰ることは出来ないのであろうか、水島の奮起を望みたい処である。この行き詰りは必らず打開しなければならない。その時、事行の法門は大いに救いの手を差しのべてくれるのではなかろうか、名字初心に帰ることと、それを事行に表わすこと、そこからは必らず立ち上ることも出来ることと思われる。一の実践は百の理にまさるものである。戒壇の本尊には己心の法門と戒定恵の三学は既に備わっている。この五字を唱えるだけで成道の条件は満たされるように思われる。それをも弁えず、これを理解しようともせず、わざわざ成道を死後に移しているのである。改めて戒壇の本尊という五字について考え直してもらいたいと思う。

阿部さんは増上慢というかもしれない。それをいう前に秘められていそうなものは一応拾い上げて見てはどうであろう。増上慢というのは負け惜しみという感じが強い。それをいう前に予め出してをいた方が利口な手ではなかろうか。いつまでも秘めていては出す時がなくなってしまう。秘して示さないのは温存中のこのである。今では戒壇の本尊が語に戒定恵の三学が秘められていることは夢にも考えていないのであろう。

 近代の混乱の始まりは専ら熱原三烈士の導入以後のことである。そして富士山頂上に国立戒壇建立と発展したようであるがこれも頓挫して大石寺に建立として残っていたものが再燃して始まったのが今は正本堂と収まったのであるが色々と紆余曲折があった。そして行き掛り上、つい真蹟ということになったのである。それから亦混乱が始まったのである。真蹟をもって一閻浮提総与として日興に授与されて大石寺が格護しているとなれば大変である。そして弥四郎国重についても宗門でも色々と研究されたようであるけれどもあまり名案は見付からなかったのであるが、今本果の本尊と決まれば真偽問題が再燃するようなことにもなるかもしれない。もっと法門の上の整理を急ぐ必要がある。陰で無相伝の輩といって見ても解決には程遠い話である。一閻浮提総与も法門専用語として一重立ち入った処でその真義を確認しておかなければならない。今は一閻浮提を現在の世界各国全部という考えがあるようであるが、これも飽くまで己心の法門として確認しておかなければならないものであるが、今では己心から外れているだけに厄介である。一から出直す必要があるようである。

この辺りは可成り崩れが目に立つようである。

 そこに戒壇の本尊の意義の再検を要する理由があるのである。拝めば御利益があるだけでは21世紀には通用しないかもしれない。所謂新人類の心を捉え、振り向かすだけのものが必要である。この新人類といわれる若者等は論理学的発想の被害者なのかもしれない。これは先輩であり経験者である。これは下手から教えをこうておいた方が賢明かもしれない。宗門も今に新人類の仲間入りしなければならないようなことになるかもしれない。論理学等の諸学による被害者同盟組織の一員としてである。その意味では新人類と最も近い関係にあるのではなかろうか。これはあまり自慢の出来る話でもなさそうである。秘すべし、秘すべし。ここ100年間のことを改めて振り返って再検しなければならない時が来ているようである。最も緊急を要する問題ではないかと思う。敢えて提唱するものである。

 重ねていう、古くから名字初心とか本因修行とか、本因の行者とかいうことがいわれているがどうもその意味はこれ又はっきりしていないようである。それというのも戒壇の本尊という語の真意がはっきり捉えられないために消える方角に向きつつあるのではないかと思う。今では信仰の対照としての楠板の本尊のみが大きく浮び上って来て反って本来のものが薄れたのではないかと思われる。宗義の根本がこの戒壇の本尊の五字に収まっていると思えば少しは考え方も変ってくるのではないかと思う。戒壇の本尊には名字初心も本因修行も本因の行者もすべて収まっていることは明らかである。今はそれを確かめる方法が失われたために本因が失われようとしているのである。名字初心等の語は戒壇の本尊の意義を含めているように思われる。名字初心に帰れとは戒壇の本尊出生の本源に帰れ即ち戒壇の本尊と同じ状態になれという意味を持っているであろう。久遠名字の妙法の原点という意味である。戒壇の本尊とはそこに建立せられているものである。ここは本因にあたる処であり、修行もそこに因果倶時を見、師弟も亦そこに考えられているものであろう。師とは本果を指し、弟とは本因をもって示すようになっているのであろう。興師のこの師弟子の法門という語はその辺りで解すべきではなかろうか。戒壇の本尊も名字初心も本因も、終局的には同じ意味である。本因では只のび上るために専ら修行が要求されるが、今は本果の修行として口唱の題目が限りなく要求されているが、それは戒壇の本尊とは関係のない真反対の修行になっているようである。戒壇の本尊のためには本因こそ唯一の修行なのである。命がけの唱題は本因修行に対して本果をもって酬(こた)えているのであろう。同じくなら本因修行をもって酬えるべきではなかろうか。戒壇の本尊とは一切の法門が本因に集中していることを示しているようであるが、今の宗門が最も斥い恐れているのは本因のようである。現状は大体本果に集められたようである。御相承も戒壇の本尊を離れて本果の処に根本を置かれているのであろう。宗務院が分らない山法山規も実は本因の処にあるものである。それは本果で読もうとするために分らないのであろう。若し宗門が本因に帰るなら山法山規は即刻理解出来るであろう。時を違えては分らないのも当然のことである。早く山法山規が分るようになってもらいたいと思う。今では本因の行者日蓮も本果の行者日蓮と理解されていることであろう。そのために己心の法門が邪義と思われるのである。これは因果の時の相違である。本果の中にあって立直ることは殆ど不可能のように思われる。立直りや成長は必らず本因に限ることを教えているのが戒壇の本尊ではなかろうか。世間も亦立上がりは本因に限るようである。世直しは本因による立ち上りである。世直しは本因による立ち上がりを教えているようである。久遠元初は本因の中心部を指しているようである。そこが立ち上がりのための原点になっているのであろう。久遠元初や本因が事に示されたのが戒壇の本尊のようである。その意味では大いに受持は必要であるが、本因や元初の処は一向に受持されていなかったようである。それが今の混乱の遠因になっているのではなかろうか。身延に小突かれて自然と戒壇の本尊から元初や本因を除いた結果が表われたようである。罪はむしろ宗門側にあるのではなかろうか。そして題目も次第に本果の処に固まっていったようである。その陰で迹門に落ち付いたのが唯一の成果であった。そのための矛盾が表に出ようとしているのである。そこでどうしても文底本門と文上迹門との区別を鮮明にする必要に迫られているのである。

 文選23の王仲宣が文叔良に贈る詩の中に、君子敬始慎爾所主(君子は始めを敬しむ、爾の主とする所を慎めよ)という句がある。面白そうなので抜いてみた。味わってもらいたい。始めを敬しむとは名字初心を敬しむとはとれないであろうか、そして主とする所の本因を慎しむ、即ち名字初心や本因を慎しむことは戒壇の本尊の受持と受けとめられないであろうか。戒壇の本尊の根元が名字初心と本因を確認し受持する意に通じないであろうか。一にまとめれば己心の法門である。この本尊を受持することは己心の法門を受持することである。戒壇の本尊はそのようなものの受持を求められているのではなかろうか。戒壇の本尊が己心の法門の上に出来ていることは動かせないであろうが、これを邪義と決めることはこの本尊の受持を拒否するようになるのではないかと思われるが、何かこれを拒ぐ好い理由でもあるのであろうか。今は戒壇の本尊と己心の法門とは無関係なのであろうか、それなら己心の法門を邪義と決めるのは御自由である。とも角仏法の発端が名字初心にあり本因にあることは動かせないであろう。この二つは本尊とは別な処にをいて本尊の本来の意義を明らかにしているのではないかと思う。これは深い配慮の中でなされているのではなかろうか。

 元初とは混沌としたこの世の草創の処を指しているかもしれない。現世の始まりである。この元初とはどろどろの世界である。戒壇の本尊は仏法の極理を示されたものを信仰の対照としているために、仏教を立てる他門家から見れば堪え難いものがある。そのために常に小突かれて来ているのである。仏法の極理が仏教と同列におかれたために始まっているので、これでは始めをつつしんでいるとはいえない。災いはそこから始まっているのである。これは仏法に立ち帰るのが最も好い方法であろう。現状では他門と同化するまで攻めたてるであろう。とも角宗教として出生しているのでないということを自覚するのが先決条件である。大石寺の仏法は生きて現世に成道を遂げるようになっているし、他門は死んで成道するような仕組みになっているのである。その違い目が分らなければ、他門は追求の手は止めないであろう。仏法は究極は孝に収まり仏教もまた孝に収まった時始めてその一致点が見出だせるようである。名字初心をその孝の処に見ることは出来ないであろうか。その孝の処に元初もあれば本因もあるということではなかろうか。孝の処で久遠実成も久遠元初の中に含まれているのではなかろうか。本因から本果へ、元初から実成へということは全く無意味なことである。これらを大きく包んでいるのが己心の法門であるが、今はこれを邪義として切って捨てたのである。

 真宗では己心の弥陀をとっている処は大石寺と似ているようであるが、真宗では死後の浄土として西方浄土をとっている。大石寺とでは現世成道によるために本時の娑婆世界を浄土と立てている違いがある。これは根本的な違い目である。そして報恩抄も現世成道をとる証として大きな役割を果しているのではなかろうか。別に報恩がとり上げられていない真宗では死後の成道をとっているようである。宗義として現世成道をとったのは日蓮に始まる処である。これで始めて仏法も成り立ったのである。

 

 

 


 

 

〈第3編〉本仏について

 

本仏

 

 本因の本尊と共に他宗に対して、又自宗に対して最も説明出来にくいものの随一である。今では殆ど本仏の語のみがあるような状態である。更に成道もまた説明しにくいものであるが、何れも戒定恵に始まるものである。つまり仏法が分りにくいということである。それほど現実に現われた戒定恵は難解なのである。そのために個々についてはあまり研究されるものはないようである。そこで専ら信仰の立場のみで解決されているのではないかと思う。そして何れも現在は仏教にあると見るのが最も近いようである。即ち迹門である。これは久遠元初や五百塵点の当初が法華経の上でのみ考えられていることにも依るのである。何となく法華迹門の上にあるような感じである。仏法もまた仏教の中で考えられているようである。仏法の時の確認を怠ったために、自然と仏教の時に引き入れられたためであろう。自分に理解出来ないことをいわれると、即時に邪義珍説などと返すのである。信心以外には考えないようになっているためであろう。そのために、動き始めると予想も付かない方向に向う可能性もある。戒定恵から少しずれた独善の故かもしれない。独一も独善も共に戒定恵に始まっているが、真実は独一にある。これまた難持である。今はその独一の影が次第にうすれ、独善のみが盛んである。独一は仏法にあるが、独善が仏教に止まれるかどうか、疑わしい処である。

 今、本仏がどこで考えられているのであろうか、仏法なのか仏教なのか、独一なのか独善なのか、最も気掛りな処である。この本仏はついつい独善に迎えられ易い一面がある。平僧といえども本仏境界に至れるのは専ら独善による故である。仏法も独一も、その周辺をとりまいているのは共に世俗であるために、その捉え方次第では即刻仏教とも独善ともなる。それも知らない間のことであるだけ厄介である。その極意の処が時なのである。仏法は時に依る処、これに対して独一には仏法の時の中にあるということのみであるが、独善は特に時を必要としないだけに、誰れでもすぐ本仏になれるのである。このような本仏は常に宗内を横行しているのであろう。そのくせ本の本仏については、「御本仏日蓮大聖人」が殆ど全部ではないかと思われる程である。余は信心まかせということであろう。これは信仰についての宗祖であり本仏である。これは結論をいそいだ結果が招いたのではなかろうか。

それよりか、他宗の者にいかに理解し得心してもらうか、今はそれを考える時ではないかと思う。

 本仏も本尊も共に説明しにくいもののようである。今のように時がずれてくると、ますます分りにくくなるであろう。時さえ確認して元に返せば、それ程むづかしいものではないと思う。もし本仏が説明出来るなら、本尊も成道も、それほど説明出来にくい程のものではないと思われる。何をおいても、まず本仏の研究に取りくむべきであろう。しかし、この時は目にうつらないだけに厄介であるが、鶏は生れ乍らにしてその時を心得ているから、時計はなくとも、時が来れば必らずその時を告げるのである。春が来れば必らず春草が芽ぶき、夏になれば夏草が生じ、炎天下でも生きぬく。草は各々その時を心得ているのである。仏法の時は鶏や雑草の方が遥かに高い処で心得ているのである。撰時抄では、時が分らなければ鶏に聞けということであろうか。

 さて、本仏はどのように、どこに始まっているのであろうか、御本仏日蓮大聖人という語は常に数限りなく見聞くが、その出生などについては全く聞かされることはない。本仏とは鎌倉へ生れた日蓮が、途端に久遠実成の釈尊の遥か遠い彼方、即ち元初に生れたのだ、信心しなさいということが全部である。信じなさい、これを信じない奴は不信の輩であるということである。

 正宗要義もこの説であるが、迹仏世界では最遠の処が久遠実成であるから、そこに本仏が割りこんでも、実成を乗り越えることは出来ないように思う。若しそこに他から元初が割りこめば、実成の手前に繰り入れられる可能性が多い。実成を越えてその彼方に元初を見るようなことは、迹門では認めないのではないか。何となれば、実成は最長最遠の処を実成とたてるのが迹門の立て方であるから、正宗要義のように迹仏世界に帰れば、それに従わなければならない。本は元初であっても、後退してそこに帰れば、そこの約束事には従わなければならない。実成の手前に帰るのが精一杯であると思う。

 迹仏世界に帰り乍ら本仏を称し、実成の彼方に出るのは約束違反であり、下尅上である。本仏は別世界にあってこそ元初も成り立っているのである。そこを仏法という。そこに受持も生きるというものである。迹仏世界にあってその彼方に元初を立てるなら、受持の必要もなければ、迹仏もそのような事は一切認めないであろう。そのような、理を外れた強引さは、仏法を立て、時をまず決めるなら毛頭も必要のない処である。若し久遠元初を立てるなら、時をもってその世界に住することから始めなければならない。そのために開目抄は時を定め、受持をもって戒定恵の処に仏法を立てるのである。

 このような意味からしても、正宗要義の元初は大きな誤りを犯しているといわなければならない。これでは超過の法門ということは出来ない。ただ越階である。階段を下から一挙に10階20階を越えることは出来ない。そのために別世界が建設されるのである。

 現世の時を超えることは、昔から壷中の乾坤といわれているのもそうであるし、浦島太郎もその例である。これは新しい時をまず作ることから始まっているのである。その浦島でも再び現在の時に従わなければならなかったのである。元初も実成の世界に帰ればその時に従わなければならない。その時に別世界の時は白煙となり空に帰するのである。

 そのために時を定め時に依ることが厳重に制定されているのである。世界が違えば時が違う。その時を無視した正宗要義の元初の説は、仏法には入れにくいものである。未だ時を得たとはいえないものである。この時のために異様な混乱を招いているともいえる。それは「仏法は時に依るべし」という立場から見た故であるが、要義の時はルール違反のそしりは免がれることは出来ないであろう。従って、そこは元初ともいえなければ、本仏が出現出来るような境界ではない。つまり実成の世界、迹仏境界であるからである。但し信心境界の本仏については不信の輩が云云するものではないことを申添えておく。

 何れにしても、正宗要義の説の処に本仏の誕生を迎えることは至難の業という外はない。一言でいえば時の混乱のため、未だ久遠元初といえる世界が成じていないのである。つまり、久遠名字の妙法や事の一念三千の出揃う境界には至っていないのである。何はさておき、その境界作りが必要なのである。

 その意味では、山田の本仏も本尊も境界作りが皆無の処に出現している。そのために本仏や本尊が常に浮動し、衆生の本仏や成道が失われるのである。それは、始めから宗祖一人を本仏と決めている処から始まっている故である。時がきまれば、自然と衆生の本仏から事が始まるようになっている。これに依れば必らず本仏も本尊も安定するであろう。それが開目抄や本尊抄に示されている処である。元初といいながら、実には迹仏世界を一歩も出ていない処に本仏や本尊を考えることは、それ地体大きな無理をもっているといわなければならない。山田説は、まずその雰囲気作りから始めなければならない。そのためにまず時を決めなければならないのである。素直に出ないから悪口も出ようというものである。格別怨念でもない。増上慢等という前に、本仏位はすっきりと出すべきではなかろうか。そうなれば格別うらみつらみや悪口雑言は、氷のごとく解けるのであろう。

 山田も、信心教学には一日も早く訣別することである。それが今差し当っての課題であると思う。その信心教学には衆生の本仏や本尊や成道は一切認めていないし、愚悪の凡夫も、その認め方は半分程度である。これでは本仏が出れないのも無理からぬことである。そして衆生のみにその犠牲を強いているように見える。山田教学はそのような処に成り立っているのであろう。宗祖は自ら主師父母なりといわれている。その父母が健在の間にこのような悪い癖は直しておいた方が好い。

 師弟子の法門と特定されている以上、師のみをもって本仏と定めることは出来ないであろう。衆生不在では愚悪の凡夫の成道も在り得ない。逆次に読む処、衆生の成道が本尊本仏に先行しているものと思われるが、山田説では本仏本尊のみであり成道は消されている。逆次でなければ本尊も本仏も出現しない。そのためにまず衆生の成道が必要なのである。それを認めなければ仏法の本尊本仏は出現しないように思われる。

 山田説は逆も逆、真反対の故に、肝心の事行の法門までには至らず、精々事の処で本仏本尊を求めようとしているが、事行の処でなければ出現とはいえないのは常識である。若し事行の可能性がなければ、理である。その理と事の中頃で本仏や本尊を求めようというのが山田法門ということであろうか。何れにしても未だ本仏の出現出来るようなものは具わっていない。そこへ早々の出現であるから驚かざるを得ないのである。

 これも信心教学の功用ということであろうか。但し、この教学は一切他宗には通用しない特質を持っている。そして宗内にも次第に通用しにくくなりつつあるようにさえ見える。一宗挙げて力を振り絞って見たけれども2ケ年半しかもたなかったのもその故である。民衆の支持を失い宗祖の支援を失ったために、2ケ年半で手を引かざるを得なくなったと解すべきではなかろうか。これは諌暁八幡抄の扶桑記の文に依って判じたもので、同じ題目でも題目が違っているために宗祖の支援がなくなったのではなかろうか。宗祖の望まれているのは戒定恵の上に立った題目であったので、自然と戒定恵の題目を称する方へ支援が廻ってきたということではなかろうか。信心教学も迹門に根を下さないように心掛けなければならない。

 さて、本仏の語についてまず考えなければならないことは、釈尊が生れて成道するまでの間を本と立てれば、成道以後は迹となる。即ち成道以前を本仏と立て、成道以後を迹仏と立てる。このような考えがあったのではなかろうか。そしてその本仏は愚悪の凡夫であるから、宗祖も愚悪の凡夫を称する。これが本仏といわれる根本になっているとすれば、格別おかしいことではない。迹仏の因行果徳を受持して世間に出れば対告衆は専ら民衆のみである。二乗までは善人であるから迹仏にまかせ、残った凡夫のみが救いの対照になる。救う方も救われる方も共に愚悪の凡夫であり刹那に限って成道出来るので、これが終れば只の凡夫である。

 そこで成道も救済も本仏も本尊も、其の他全てが右から左に変ってくる、これが左尊右卑である。釈尊は南面で右尊左卑であるが、向い合った上行等は釈尊の左が上座となり、右が下座となる。これを左尊右卑という。釈尊は南面である。本尊抄に説かれる本時の娑婆世界に現ずる本尊は、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝仏に対して、釈尊の脇士の上行等の四菩薩の眷属として続いているのである。ここには釈迦牟尼仏から釈尊への交替も含んでいる。そこに受持が必要なのであろう。この釈尊は寿量の釈尊であり、上行等の四菩薩は寿量文底を表わしているように見える。即ち時が変ったのである。右尊左卑から左尊右卑に交替したのである。この釈尊は「寿量の仏」を表わしているのである。僅かの間に、次々に時が変っていることを捉えなければならない。そして本時の娑婆世界が現ずる、これが己心の世界である。即ち戒定恵を通して現じた民衆の世界である。

 その直前の戒定恵を忘れ、己心の世界は邪義と称しては、久遠名字の妙法も出る筈はない。そして久遠元初は迹仏世界で考えているのであるから、そこに自受用報身が出る筈もない。そこに出るのは応仏に限る、即ち法華の教主を知らず識らず応仏と定めているのである。法華の教主を報身と定めるのは大石寺法門であるが、日蓮正宗伝統法義は応身と定めているのである。そのために未だ文底に至っていないので、己心の必要は全くない処に居る、そのためにこれを邪義と決めて憚らないのである。

 正信会も法華の教主を応身と定めているのであろう。これでは日蓮本仏はいよいよ裏付を失ってしまうことになる。そこで解決するのは信心以外に求めることは出来ないのである。久遠元初を実成の遥か彼方に想定することは、結果的には迹仏世界を一歩も出ることは出来なくなるのである。開目抄や本尊抄には、どこを探してみてもそのようなものを見出だすことは出来ない。何を根拠に迹仏世界に久遠元初や五百塵点の当初を持ち込むのであろうか、吾々には何としても理解出来ない処である。この故に不信の輩といわれるのであろう。信心に頼りすぎたために、反って迹門を抜け出ることが出来ないのである。悪口をいう隙があれば抜け出る方法でも考えるべきではなかろうか。そこを抜け出なければ、寿量文底や仏法を語る資格は備わっていないといわなければならないことは、今さらいうまでもないことである。

 山田や水島は一日も早く迹仏世界を抜け出なければならない。迹門に居って己心を見れば仏法にあるが故に邪義とも見えるのである。己心を法門として捉えるためには戒定恵を捉えなければならない。仏法の世界に居ないから己心も邪義と見えるのである。心は仏教にもあれば外道にもある。何れの心に住しているのであろうか。しかし、心は仏法にないことだけは、誤りはないと思う。若し外典にあれば世間も仏法も同じということになるし、内典にあれば迹門も仏教も仏法と同じということになる。これまた時の混乱の中でのみ同じといえるのである。今、時の混乱のみを追うているのも、そのあたりに根元があるのであろうか。時の混乱のみを生き甲斐にしているように思われる。今の本仏は時についてはあまり考えないのか、迹仏世界にでも平気で登場しているようである。それが大石寺法門を不可解なものにしているのである。

 

 

 

末法の本仏日蓮大聖人

 

末法とは滅後末法であり、己心の上に立てられた時であるが、在世の末法と混乱する恐れがある。今は或は在世をとっているかも知れない。日蓮大聖人というのも滅後末法即ち仏法に限られているが、今は在世で考えられているかも知れない。在世は仏、滅後末法は本仏という。在世末法は無仏の世であり、今は混乱のために末法に本仏が出現することもある。

 時に一仏出現と使われることもあるが、これは釈尊の成道以前を本とたてたとき、成道によって初めて無仏の世界に一仏が出現する、この如く、成道以前の愚悪の凡夫の世を現世に移す時、それは己心の上にのみ出現する滅後末法の時に、釈尊が迹門の時、仏として出現したように本仏が出現する。これを一仏出現といわれているようである。その一仏とは師弟一箇した処の一仏である。本仏の本は釈尊の成道以前を本と立て、成道以後の仏とを一つにして本仏という。その本仏が滅後末法に出現する意味であるが、今は宗義をもって己心を否定したのであるから、現在の宗義の上には本仏は出現することは不可能である。これは己心を邪義と決めた罪障とでもいうべきか。今の末弟は本仏出現の場を奪い取ったのである。

 大聖人の大は一大事因縁出現於世の大であり、報身如来を表わすということであるが、今は久遠元初を迹仏世界に立てておるので、大では都合が悪いのではなかろうか。法華の教主は元のまま応身をとっているように見える。或は応報両教主を同時に立てるというのか。どうも報身の教主は認めていないように見える。もし報身と立てるなら、久遠元初を迹仏世界から切り離さなければならない。これは正宗要義の書き替えから始めなければならない。己心の法門も正義としなければならない。今すぐ本仏日蓮大聖人が元に復えるのは大変なことである。

とも角現在は否定したものだけは確実に残っているということである。己心の否定はどうやら勇み足ということであろう。しかし勇み足といえども土俵外に出たのである。水島先生如何でせうか。一仏は大橋さんがよく使うが、その説明は上のようでは如何でせうか。これも序に伺いたいと思う。別に解釈があるなら是非御教示願いたい。迹仏から本仏への替り目に時が省略されているために、理解出来なかったもので、二重三重に時が省略されている。無仏の世界に一仏といわれると、不信の輩には即時に理解することは困難である。この様な語は使う時に註を入れてもらいたいと思う

 さて末法の御本仏は説明語のように見えるが、今は固有名詞のように使われている。大聖人の大は報身如来を表わし、聖人はセイジンであるが、仏教が摂入されてショウニンになっている処は、この三字は仏法の意を充分に表わしている。末法の御本仏日蓮大聖人には仏法の姿をよく表わしており、内に報身如来を持っている。即ち法華の教主は報身如来という意味をよく表わしているが、今は元初を迹仏世界に立てているために、応仏を教主と立てているように思われる。いつの頃から応身を教主と立てるようになったのか、これでは下剋上といわれても致し方もあるまいと思う。これも時の混乱のなせる業である。気が付いておれば訂正することもあったと思うが、今に訂正していない処を見ると気が付いていないのであろう。末法の御本仏日蓮大聖人を称えるためには、何をおいても滅後末法の時を確認しなければならない。それにも拘らず今は無時の処で称えているのであるから異様な感を受けるのである。元初を迹仏世界に立てながら末法の御本仏日蓮大聖人の語を使うのは遠慮した方がよいのではなかろうか。

前もって時の整理が必要であるが、時の混乱については一向に無関心のように思われる。追いつめられて答に詰ると不信の輩と出るのも、元はといえば時の混乱による処である。それも大僧都というような高僧が平気で使うのであるから驚きである。昔の恵心僧都は権僧都の位であった。

 

 

 

本仏の寿命

 

 本仏の寿命は己心の上に刹那の処に見られているので、世間の眼をもってすれば、ないに等しいものであるが、その処に無限の生命を見るのである。それに堪えかねて出たのが三世常住の肉身本仏論であった。見当違いも誠に至れり尽せりという感じである。本仏の寿命は三世超過であるが、三世常住は己心の法門の領域ではない。超過と出るべき処が誤って常住と出たのであろうが、己心を邪義と決めたために目前に姿を現わしたのであろう。何としても初歩的なミスである。仏法を外れたために、常住と出たのであるが、少々の訂正では収拾は付かないように思われる。仏法と世俗の混乱である。その「時」の混乱がこのような前代未聞の珍説を生んだのである。肉身を遮断した己心の上に成じた本仏の寿命を、肉身の上に考えたための誤りであって、何ともお粗末なことである。未だかつて例のない珍説である。それにしても思い切った珍説を出したものである。他宗は一度で底の底まで見抜いたことであろう。釈尊でも現世は八十年である。現世とは肉身の続く間であるが、それが過去遠々から未来永々まで肉身が続くのであれば現世一世である。これでは過去も未来も入る余地がない。これでは現世の定義付けを変えなければならない。三世超過であれば己心の上に充分考えられるが、三世常住の肉身本仏はどのような世界に存在するのであろうか、その所住の処さえ明らかにすることは出来ない。これでは阿部さんの発言といえども法門ということは出来ない。綸言汗のごとき法主の発言、どのように収まるのであろうか。取りあえず仏法を確認することから始めるのが一番の良策である。この説法から本仏の寿命を見出すことが出来なかったのは、返す返すも遺憾なことであった。

 本仏の寿命は本来刹那の上に長寿を見ているのではないかと思う。そのために魂魄や己心の法門が必要なのである。宗祖一人を本仏としたのではその生命が続かない。六十年以上延ばすわけにはゆかない。一人の衆生の己心に本仏を見れば、それは三世に亘って無限である。その衆生の本仏がその師日蓮の己心の本仏と師弟一箇すれば、本仏の寿命は無限である。そこに本仏日蓮が誕生するのであるが、阿部説では弟子を認めないために六十年しかない日蓮の寿命を無限に延ばそうとしたための椿事であった。このような事は法門の世界では考えられないことである。そのためにあえなく討死と相成ったのである。師弟も差別一本では法門には成り得ないものである。恵心の純円一実の無差別の境界こそ必要である。それが戒定恵なのである。本尊抄もまた純円一実は取り上げられている。根本は戒定恵におかれ、そこに己心の本尊即ち本因の本尊が立てられている。その故に本因の本尊は長寿を持っているのであるが、正本堂の本尊のように本果をとれば、そこに長寿があるかどうか、甚だ疑わしいと思う。師弟子の法門は本仏の寿命を保つために必要なのである。

 信不信を超過した処に本尊抄では本尊の寿命をみている。その意を遷したのが御宝蔵の本因の本尊であり、それを板に彫ったのが戒旦の本尊であるが、今のような形で外に出てしまえば、御宝蔵の本因の本尊との、そうした関係がなくなったようである。そのために新らしく天台教義をもって裏付けしようとしたのであろう。若し本因の本尊の裏付けするのであれば、本尊抄が使われた筈であるが、しかし天台教義をもって本因の本尊を裏付けしようとすれば、像法と出るのは当然であるが、あのような本尊の出現は、必らず滅後末法に限られている。そのために今回も優秀な頭脳をもってしても成功することが出来なかったのではないかと思う。

 つまり本仏の寿命の無限を証明することが出来なかった。それは時を誤ったのが根本のように思われるが、己心を邪義と決めたために、自然に本仏の長寿を証明することが出来なくなったのである。即ち日蓮正宗で本仏の寿命を証明することが出来なくなった事を内外に発表した。それが三世常住の肉身本仏論なのである。

吾々はそこに大きな意義を見たいと思う。

 今も御本仏の寿命ということはよく聞く語ではあるが、実際にはその六字だけが全部なのである。それほど証明が付かなくなっているのである。しかし見方を替えるなら、この本仏の寿命という語の中には、重要な法門は全て含まれている程のものであるように思われる。久遠元初を久遠実成の遥か彼方に持ってゆこうとしたのも、本仏の寿命に大いに関りのものであるし、そこには当然久遠名字の妙法も含まれている筈であるが、これも完全に失敗である。迹仏世界では、久遠実成は最長最遠の処を指しているのであるから、その彼方に元初を持ってゆくような事は絶対に許されないであろう。そこに見る元初は依然として迹仏世界を一歩も出るものではない。しかも己心は認めない、戒定恵も認めないでは、元初のおちつく先もないというのが実状である。これでは本仏の住処が決まらないのは当然である。何はさておいても本仏の住処を決め、寿命を安定させることである。久遠名字の妙法と事の一念三千によって本仏や本尊を求めることは出来たとしても、それが迹仏世界に顕現されたのでは無意味である。迹仏世界はそのような本仏や本尊の出現する処ではない。つまり自分がそのように思うだけのことである。本来として出現するような状況には置かれていないのである。現状ではそのような状況ではないということである。そのような中で長寿を求めるようなことは、尚更無理である。このあたりで法門そのものを考え直すべきではなかろうか。

法門は、増上慢だの職人芸などと悪口を重ねて見ても整備されるものではないことを、まず知らなければならない。

 宗祖一人を本仏と決めることは至極簡単ではあるけれども、その代償として本仏・本尊の寿命が失われたのでは、あまりにも失われたもが大きすぎる。宗祖一人を本仏と決めるのは信心であり、寿命は法門の担当する処である。そのために寿命が失われた処で、三世常住の肉身本仏論が出たのであるが、これは全く法門とは関係のないものである。明星池の底から七百年過ぎて本仏日蓮が顔を見せるなど、全く愚の骨頂である。これらは魂魄の上にあるべき本仏の否定であり、自受用報身が題目を唱えるのも、肉身本仏日蓮の上では考えられることであるが、開目抄や本尊抄では一切考えられない処である。己心の法門を捨て、日蓮一人が本仏と考えられた時にのみ通用するものであり、信心教学の極地と承知したが、これは本来の本仏と同日に論ずべきものではないが、日蓮正宗の法主である阿部さんは、以上のように公式見解を発表しているのである。おかしいといえば魔説であるといい増上慢というのであるが、何れが魔説であろうか。自説以外は全て魔説であり邪説という意と思われる。しかし、このような説を正説と信じる人があるのであろうか。このような中で、魂魄の上に建立された本仏を否定していることは動かし難い処であろう。どう見てもこれは仏法の所説ではないことは間違いのない処である。魂魄の上に刹那に成じる本仏の寿命もまた魔説の内に組み入れられたようであるが、肉身は必らず生命に限りがある。そのためにまず肉身を遮断し、しかる後に本仏は説かれているが、今は肉身の上に説かれる本仏のみが正説と極められたのである。

ここは法主自らこの説の裏付けを後代に遺すべきである。そして刹那に肉身を遮断して魂魄の上に成じた本仏は今日以後廃して、肉身の上に現じた本仏こそ真実であることを明らかにすべきであろう。

 しかし、この本仏論は宗祖一人を本仏と決めたところに無理がある。一人の肉体を56億7000万才まで延ばすことも出来ないであろう。そして三世をそのまま生かそうとした処は迹門の辺が濃厚であり、法門の三世超過には遥かな隔たりがある。久遠元初を迹仏世界に見ているために、迹門の絆に強く引かれているように見える。そのくせ迹門にそのまま根を下すことも出来ないであろう。基本的には今の正宗教学に通じるものを持っているようである。結果としては、本仏の寿命を不安定にしたことは間違いないと思う。時局法義研鑽委員会も、このまま捨て置くことは出来ないであろうし、ここまで来て本仏の寿命を見捨てるわけにもゆかないと思う。毎朝々々の勤行も本仏や本尊の長寿を祝福しているように思っていたが、その解釈も既に新らしい方向に向きつつあるように思われる。この新生命論はどのように落ちつくのであろうか。

 

 

 

本仏の振舞

 

 これも今は数少い仏法の名残りの一つである。本仏が宗祖一人に固定してくると分りにくくなってくるが、ここには本仏の原型を止めている。この本仏は、御授戒を終って客殿に来た衆生の立居振舞はすべて本仏の振舞であるが、今のように宗祖一人に本仏が限られて来ると、分りにくい語である。師弟共に本仏であった趣を止めている。そこには丑寅勤行を背景に持っているであろう。ただの参拝客というだけのものでもなさそうである。このような語は、解釈が変ってくると消える可能性を持っている。今では仏法の語としては古典に属するものであろう。宗祖一人ではそれ程の感興も沸かない語である。目で確かめたいなら仏法を再確認することである。法主一人に本仏の振舞を見ようとするよりは、師弟相寄った処に見れば、丑寅勤行も更に解り易くなるであろう。

 

 

 

日蓮本仏論雑考

 

 日蓮正宗として発足して以来、約百年を迎えようとしているが、その中心になる日蓮本仏については実に糢糊としているのである。これは魂魄の上の己心の一念三千法門で論ぜられるものである。それを世俗の凡身の上に論じられるので、色々批難を浴びせられるのである。そこで本仏については、本因をとってをりまた報身如来をとってをり、常に底下を根本としているのである。最高をとるのは、教に対する法の立場についてとなえるものであるが、これを、俗身を最高におくと解訳されて、色々に批難が集中して、さばききれないのである。本仏は因果倶時不思議の一法をとる故に、教に対して法は最高をとって表わすのである。一法の処に本仏を見るものであり、そこに久遠元初の自受用身を立てるのである。実はこれは法花経寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門なのである。底下である処は名字即の凡夫なのである。凡俗が最高位に登って釈尊の上位に居すが故に批難を受けているのである。これは応身如来は名乗っていない。即ち法によるが故に報身如来を名乗っているのである。それを応身と誤って批難するのは少々無理があるのではなかろうか。そのために、時も五百塵点の当初を使っているのである。現在の時の場合はこれを称して滅後末法の時と称するのである。必らず時の混乱のないようにお願いしたいと思う。日蓮本仏は不思議の一法の上に論じるものであり、報身如来をとり上げ、これを応身をもって批難するのは些か筋違いである。また時を云えば五百塵点の当初をとっている。それを、現在の時と考えて、応身として批難するのは見当違いというものである。

 聖徳太子の夢は、法隆寺に魂魄として止まり、永く奈良人の心の支えとなって共に生きのびているのである。日蓮は鎌倉の時代にあって、それを感得してそこに受持して、そこから三秘を受持して、世俗の救済を感じたのではなかろうか。本尊抄や開目抄は著作されたまま、世俗の処で解されたまま、反ってそこから争闘に通じるようなものを引き出されているのである、それは解者の罪ではなかろうか。己心の法門の乱れを済うものは、魂魄に限ってこれを済うことが可能なのではなかろうか。日蓮の説は、日蓮の本尊抄に説くがごとく、魂魄をもって、衆生の己心の上に大乗修行として展開して、現世に大乗修行を展開して、世俗を大きく大乗修行の上に展開して、底下の凡夫をそこに救済しようという夢が根本にあって、それを目指していたのであろうか。その意味で、太子の目指したものは小乗方式ではなかったようである。それが僅かな解釈の相違から、奈良仏教が小乗と批難されたのは解者の罪ではなかろうか。太子の処には小乗的な要素は見当らないように思う。つまり大小同時の広布を目指したのではなかろうか。そこに因果倶時の己心の世界が展開するようである。

 平安末には梁塵秘抄に示されるように「仏も元は凡夫なり」という考えは到来していたのである。その考えは大石寺法門には伝えられているのである。そこには因果倶時不思議の一法、即ち大乗的なものが存在しているのではなかろうか。本仏は不思議の一法の処から感得されているのではないかと思う。そこには大小乗同時の成仏の具現もあり得るのではないかと思う。本仏は必らず魂魄の処で説明されるべきものである。伝教大師はそこから大乗を取り出して、その修行具現のために叡山を開いたのではなかろうか。それを小乗と解した処から色々と混乱があったようである。

 サミットをやったけれども、ついぞ平和の真実は発見出来なかった。その平和とは、必らず魂魄の上にあるものに限るようである。太子・伝教の目指した平和とは遥かな距りがあるようである。現在においてもその平和は中々捉えがたいようである。平和のための軍備の撤回の中から混乱は吹き出してくるのである。日蓮の目指した平和とは凡そ距りのあるものである。平和とは事に行じて示すもののようである。即ち事行の法門である。山林に交わって始めて感得し、事行に感得が出来るものではなかろうか。宗教家の処でどのように平和を発見することが出来たのであろうか。

 アメリカでもその平和の発見は殆んど不可能に近いようである。そこには自ら先んじて、一切の軍備を抛棄する度胸が必要である。一日でも早く、他のみに軍備を抛棄しせめたいでは事は進まないであろう。そのために結論が逃げているのである。

 それでは救世観音も手持ち無沙汰であろう。今平和を求め出す方法は、法花経寿量品の文の底に秘して沈めたままになっているのである。そこにある己心の法門の処に秘沈せしめられているのである。それは明治御一新の時のドイツ学によっても、分析して取り出すことの出来なかったものである。これを今の智者の智をもって取り出せるや否や。今の昭和の智恵を総結してもこの平和を取り出すことは不可能である。今回はその所住の処とその姿のみは朧気乍ら何とかその姿はとらえたつもりである。余は賢者の取捨に委ねたいと思う。

 それを根本として成り立っているのが師弟子の法門である。これまたなかなか正体の捉えがたいものである。「声はすれども姿は見えず、ホンニお前は屁のヨウダ」ということであろうか。声の聞えた時は姿の消えた時である。その直前の姿を捕えるむずかしさである。音(こえ)が聞えた時はサランパンの泣き分れである。「可愛そうなはズボンのおなら、右と左に泣き分れ」ということもある。音が聞えてからでは手遅れである。若し音の聞える前を捉えることが出来れば、それは名人芸である。その音の処に音のように軍備はかくれているのである。これをどのように捉えるか、それは己心の法をもって捉えなければならない。アメリカの智恵をもってしても、ここから平和を捉えることは困難なようである。掴んでよくよく見ればそれは「屁のかっぱ」であってでは、笑うに笑えないということであろう。そこに今の平和談義のむずかしさがあるのである。それは屁を捉えた時に手のひらの感触の中にその平和の姿をとらえるのである。そこに重々の秘伝ありということである。お分りでしょうか。呵々。

 100年掴んでみても、その正体は捉えがたいものである。百年河清を待ってみても、果して河清の日があるかどうかは別問題である。それは己心の上に必らず河清もあり得るということである。その河清の状況に眼を据えているのが本仏であるということがお分かりでせうか。 このような事は魂魄の上にのみあり得ることかもしれない。本仏日蓮については常に俗身の上に論ぜられている感じが強い。それが何かのついでに報身が応身となり、魂魄の上にあるべきものが俗身の上に考えられるのである。そこは俗身を用いる方が利用価値が多いのである。それを宗門も承知の上で利用しているのではなかろうか。

 この時節の混乱は大きいようである。いい加減に結論を出した本仏論について、他から責められることで中々応対がむづかしいのではないかと思う。常に形勢は不利なようである。それは常に宗門が弱みをもっているように思われる。そのために六巻抄も敬遠され易いのではなかろうか。そこには以上のような時節の混乱を含まれている。それが明治以後小突かれたために、今まで六巻抄にもあまり立ち入ることなく敬遠されて肝心のものが不足しているようである。六巻抄が敬遠された処には、初めに本仏論をせめたてられた処に原因があるのではないかと思う。筋を立てれば、本仏論によって責められる理由は、甚だ薄弱なのではないかと思う。近代他門から本因を責められて、本因を打ちすてているように思う。そのために反って思う壺にはまった感じである。今は本因を取り除いたために、本果のみでは本仏の証明が出来にくくなっているのである。

 日蓮本仏は師弟子の法門を根本としているようである。今のように本因を打ちすてては証明出来にくいのである。本仏は因果倶時不思議の一法の処に立てられているので、その正体は法花経寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門であり、法身である俗身の人と人法一箇の身を成じている。その本仏とは魂魄の上にあるものである。今は人法一箇の人に、少し俗臭が加わり過ぎている感じである。今の本仏には俗臭が強すぎるような難がある。

 止観六には老子の和光同塵の句を引用されている。本来備えている光を和らげて、愚俗の中に下りて和らぐ意味である。あまり光が強すぎては愚俗は近付きがたいので、その光を和らげるのである。本仏は本果をもってその光を和らげるのである。開目抄文段上には(三〇八ノ八行)に、師弟は即ちこれ本因本果なり。近くは脱が家の本因本果也。遠くは種が家の本因本果を歎ずるなり。種が家の本因本果とは久遠名字の妙法、事の一念三千也云云。以下略。この老子の和光同塵の文は岩波書店の老子には省かれている。大事典にも省かれている。大漢和辞典も除いているようである。これは敦煌で大老子が発掘されて、戦後以来未解読のために現在は敬遠しているのではないかと思う。止観はこの老子を見ていないのである。この和光同塵の語は南宋にはよく使われている語である。今頃になって、このような語が除外されては諸人の考えが混乱を起すのではなかろうか。その点、宗門の先生方も少し和光の必要があるのではなかろうか。以上の外に同じく老子に、天網恢々粗にして洩らさずという語がよく使われているが、この語も前の和光同塵と同じく岩波の老子からは除かれている。これらについては戦前の老子に限るようである。

 真宗及び浄土の両宗では阿弥陀浄土をどのように定めているのであろうか。真宗では現世成道を目指しているようである。何故そのように変ったのであろうか。この世は西方浄土と決めたことは、どのような類によるのであろうか。親鸞は現世成道を目指したようではない。現在の説法では現世浄土を目指しているように思う。真宗や浄土宗では西方浄土をとっているように聞いていたが、最近聞く説法からは現世を西方浄土ときめている感じである。その浄土の名号は何と称するのであろうか。

 浄土宗でもやはり現世を西方浄土と見るのであろうか。弥陀の浄土は西方浄土と古えから云われているようである。阿弥陀仏が現世を目指すようになったのはいつの頃からであろうか。弥陀が現世を目指して浄土とするのであれば、弥陀浄土と釈尊の浄土と同じになるのではないかと思う、その劫国名号は何というのであろうか。今、浄土真宗や浄土宗は己心の法門をとったために、現世を主張するようになったのではなかろうか。現世成道は釈尊に限るのではなかろうか。

 己心の法門をとれば自然に現世成道をとるようになるのであるが、テレビでの説法では親鸞は現世を地獄と見ているということである。これに対して西方浄土が阿弥陀の浄土として生かされることになる、そのための苦しい対処なのではなかろうか。説明としては紛らわしい処である。己心の法門によればどうしても現世成道をとるようになる。どのようにして西方浄土を唱えるのであろうか。現世を地獄と見る理由は何故であろうか。現世を西方浄土と決めることに変えることは出来ないであろう。現世を地獄と決めることは西方浄土を生かすための苦しい処理ではなかろうか。いかにも苦しい処理方法のように思われる。

 釈尊は現世の衆生を済度しようとしている。その娑婆世界が釈尊からいえば現世の浄土ではなかろうか。それを地獄と称することは、釈尊に対する挑戦とはいえないであろうか。日蓮は怒るは地獄と処理されているのである。現世にも西方にも関係のない処での処理である。「西方浄土とは安養浄土である。西方十万億土とは弥陀の極楽浄土等である」(織田仏教大辞典)。現世を地獄と見るのは日蓮説の方が分り易い、十界互具によっていることが明らかであるが故である。現世に地獄を見ることは明暗来去同時ということであろうか。

 今の正宗には戒旦の本尊という語はあるが、その中の三秘等は現在の説明で充分に尽くされているとはいえない。今も人法一箇という語が使われているが、そこには俗臭の強い発散がある。将来これのみは徹底的に切り捨てなければ、この一角から或は崩れるような事が起るかもしれない。五字七字の妙法と云われているが七字は五字に帰依した姿である。五字七字の一言摂尽の妙法とは元の五字は師を表わし、七字はそれに南無した弟子の妙法を表わしている。合せて表する処は師弟一箇の妙法である。これを一言に摂じ尽くしているのが根本になる題目である。これは師弟子の法門を一言に表わしているものと思われる。三大秘法による題目には肝心の師弟子と思われる部分が欠けているようである。これはどう見ても三大秘法抄の弱い処ではないかと思う。その面から見て正宗としては六巻抄第五の一言摂尽には遥かに遠いのではないかと思う。三大秘法について個々の意義を整理しておく必要があるのではなかろうか、これらは基礎作業の一つである。

 今の本仏日蓮では、俗臭は、未整理である法の上にあれば外部からは小突けないものである。若し師弟子の法門の上にあれば、そのまま開山宗祖にも通じるものがある筈である。その一角を崩しているのが三大秘法ではなかろうか。恫喝がききにくいのは、三秘の整束不充分による処ではなかろうか、人の日々に反省のいる処である。三大秘法抄は宗門にはあまりプラスにはなっていないようである。法教院も事のついでに根本になる三大秘法を個々に明了にする必要がある。そのために三秘抄を極力避けてもらいたい。それの最も深く解れているのが、滅後末法に始めて説かれる観心本尊抄である。その滅後末法に相応しい本尊をよく信仰するものである、そこに十分な一箇があるものである。そこで師弟一箇の法門もまた成じようというものである。今の三秘の説明では肝心の人法一箇の部分が不明了である。そこに宗義の行く手を明了にする師弟子の法門が含まれているのではなかろうか。三秘の中では題目の比重が最も弱いようである。それは三大秘法抄による本尊による故である。本尊戒旦の説明が先行して後に廻された題目は殆んど説明不足のまま残されているようである。三秘抄をもって六巻抄をどこまで解明し得るかということを考えてもらいたい。只、六巻抄の意図した処を崩すのみである。

 本尊抄等の諸御書及び、六巻抄等は何を根本として何が出したいのか、まずそれを取りきめて究明に取りかからなければならない。少し文章の読み方が軽すぎるのではなかろうか。一語一語はいうに及ばず、その処に秘して沈められたものは尽く取り出さなければならない、それが末弟のなすべき仕事である。果してなめらかに読み上げるのみが能ではない、そこに今求められているのは滅後末法の世の凡夫にふさわしい読みの深さである。そこに研究の方向付けをしてもらいたい。当人にも滅後末法の凡夫にふさわしい生き方、在り方をそれらの文から求め出さなければならない。それが今課せられた最大の課題である。それでなくては本尊座に上る資格があるものとは云えないと思う。そこには絶えざる不断の修行が要求される。それを満足せしめるのが師弟子の法門である。それは信の一字をもって五百塵点以来の修行を、即刻受持出来るようなことに仕組まれているのである。滅後末法にふさわしい成道の在り方とはそこにあるのではなかろうか。そのための修行は整束しているのである。この最後の時、大乗修行による成道を与えようというのがこの師弟子の法門である。今宗門で唱えるような俗身の上に限った日蓮本仏では他宗は承知しないであろう。それは、いかにして法に本仏を求めるかということである。それを事行にくり入れられたもの、それらも次第に証明不可能になりつつあるのではなかろうか。今の時は滅後末法の時、一度整束して次の世代に手渡す用意を整える時ではなかろうか。全体的に明治教学も整理すべき時が来ているのではなかろうか。明治はそれによって済われて来たが、平成以後その教学が永遠に続くかどうか今から思惟しておくべきではないかと思う。今はまずそれに対処することを考えなければならない。既に時は動いているのである。時は常に先取りしなければならない。

 滅後末法について、逆にいえば真宗浄土宗は在世の時と法門をとるのであろうか。己心の法門をとるため滅後末法と定めた方がよいように思われる。己心の法門のためには滅後末法に限るようである。現状では浄土宗は在滅何れの時によっているのであろうか。浄土宗真宗では結局最終的には頓悟をとっているのであろう。為政者に斥われる要素を含んでいるようである。そこに一揆を称するものが整っているのではなかろうか。浄土宗では師弟子の法門をとっていないのではなかろうか。そこでは本因本果不思議の一法はとなえないのであろうか、因果倶時はないのであろうか。蓮花因果の利用法は大石寺に采配を上げたいと思う。浄土宗ではこの法門をとらないので、因果倶時を衆生成道の処で唱えないための不便が出るのではなかろうか。

 江南に流された竺の道生・及び謝霊運から流れている法門と、呉音の法花経とは切っても切れないものがあるのではなかろうか。守護国界章・立正安国論等は本来呉音をもって読みとらなければならないものではなかろうか。日蓮の註法花経の守護章は全部白文である、日興写本の立正安国論も又白文である、これらは呉音でよむべきものではなかろうか。立正安国論についての双方の論争は、本因については除外されて専ら本果の上に論じられ、そこに時節についての論争が主となっていたのではないかと思うが、このような考えは通用しないであろうか。これも是非伺いたい処である。古えの浄土宗との論争では、専ら時節について論争がくり返されたのではなかろうか。今は時節をさけているので、論争をくり返す必要はなくなったのであろう。江南に流された竺の道生の記述が何故開目抄に記されたのであろうか。そこに何程かの風雲をはらんでいるのではなかろうか。長い間中古天台の誤りの中に含められて、あまりにも簡単に切りすてられていたのではなかろうか。近代は次第にそのような必要はなくなっているのが実状である。

 今の行きづまった世情を開発するために、天正以後きらわれてきた趙宋的な発想の必要な時が来ているのである。北宋的でない南宋的な発想である。そこは昔の呉越の地であり、三国志の舞台になった処である。天台・妙楽両大師が修行した天台山のある処である。特異な発想をもっている地である。御書にいう「京なめり」は北宋流な四明流によったものについての称である。室町の始には四明流が叡山に入ってきて、後には古い趙宋のものが下されるようになる。それは天文の終り頃である。それは戦後まで続いたようで、今は趙宋流は教学の表面から後退しているようである。つい最近までは教学の中心を四明におき、それを正当教学として趙宋天台を中古天台と下していたのであったが、近代はこのような事はなくなったようである。今また趙宋天台によって発想の展換の必要な時が来ているのではなかろうか。しかし今は既に呉音は忘れ果てられているので、呉音的な発想は求めがたいのではないかと思う。観心本尊抄などは呉音読みで理解するようになっているのではなかろうか。「京なめり」とは京の天台が四明流を取り入れた頃、鎌倉からこれを下して「京なめり」と称したものではなかろうか。京からいえば、古い関東に伝へられている趙宋天台は田舎臭かったのであろう。常に教学は交替していたようである。大石寺では滅後末法の語は残っているけれども、その意義は殆んど消え果てているのではないかと思う。

 日蓮の発想は惣じていえば、今中古天台と下されているものに近いように思う。北宋天台についてはあまり見向きはしなかったようである。滅後末法の時は本尊脇書きにくり入れられ戒旦の本尊、熱原の三烈士などと連絡付けられているようであるが、実にはその正体は次第にぼやけてきているようである。寛師は滅後末法の時については随分関心が深かったようである。

 

 

 


 

 

〈第4編〉仏法の読み方

 

御書選択の重要性

 現在は色々の御書があるので、そのとり方によっては宗祖の考えをどのようにでも解尺することが出来る。文底秘沈を解するために三秘抄をもってすれば、三秘抄と同じ考えをもって文底秘沈抄を三秘抄の如くに解することが出来る。そこに魔術力が控えているのである。例えば法花初心成仏抄をもってすれば大石寺法門も初心成仏抄のごとくに意のままに解することが出来る。塔婆供養をさせようと思えばウラボン経を利用すれば意のままである。20億の豪邸も可能なのかもしれない。この両抄には宗祖の御存知ない考えが充溢しているかもし れない。

 昔、小川泰堂というお医者さんがあり。録内御書を整理して高祖遺文録として整理された。それが明治になって活字とされた後、大正頃にかけて稲田海素師によって全面的に真蹟を対照されて出来たのが縮刷遺文録であった。そこで高祖遺文録は廃棄ということになり、専ら縮刷遺文が使われることになった。国柱会の御書は高祖遺文録によったもののようである。大石寺慈豊師の御書は、現に正式には宗門としては認めてはいないが、若しかしたら高祖遺文録の系譜によったものではなかろうか。

 学会御書は高祖遺文録の漢文の部分を堀上人が仮名交りに書き下されたもので、真蹟対照はなされていない。慈豊師のものも同様である。その後立正安国会に片岡随喜居士が私財を抛って稲田海素師が全面的に全国的に写真揖集し、それが写真集として出版された。そして居ながらにして真蹟を拝することが出来るようになった。戦後立正の鈴木師が御書の編揖をされて昭和定本が出版されたが、その後山中喜八氏の協力を得て完璧なものにすることが出来た。大石寺版の御書は日達上人の命によって筆者が編揖したもので、色々と誤読もあると思うので古文書を職人芸という人には大いに訂正してもらいたいと思う。呉音でよむべきものが漢音で読まれたための誤りがあるのではないかと思う。まだまだ少しづつ気掛りな処もあるので是非修正してもらいたいと思う。佐藤慈豊師の御書については無条件の出版に付いては再考した方がよいのではなかろうか。学会御書も大きく脱皮する必要があるのではないかと思う。御書をここまで完璧なものにしたことについては立正安国会の山中喜八氏及び稲田海素師の力が大きかったのではなかろうか。そしてそれが完成したのは、あづかって片岡随喜居士の力による処である。聞く処によると戦時中印刷されたものを疎開されて無事であったので、それを山中喜八氏にわたして出版されたようである。

 今後に残された問題は一口に御書と称しても色々なものが混在しているので、これの取捨選択をする必要がある。具眼者があって必らずこれをしなければならない。

 例えば当体義抄、総勘文抄等も古くからよく使われているが、これらの御書は警戒を要するものである。唱法花題目抄も同様である。御義口伝等も警戒した方がよいのではなかろうか。その意味では開目抄、本尊抄、撰時抄、報恩抄、法花取要抄等は信頼出来る御書の随一である。法花初心成仏抄、ウラボン経御書等は最も信頼出来ない御書の随一のようである。平成元年説法はこれに三秘抄も加えて説法されているのである。これらの三秘には宗祖の御存知ないお考えが充満しているかもしれない。それが何のためにそれらの御書を取り出されたのかはまず考えなければならない。

 法花の広宣流布も、あっさりと法座を打ち消されてウラボン経の広布に取りきめられたようである。そして大量の塔婆の御用がふえるのである。今度のお彼岸では塔婆は随分減ったという話である。それは復帰の第一歩であると申し上げたい。ウラボン経の広布とは餓鬼道の広布を、がき共へも広布するということであろうか。一体何であろうか、これは吾々には分らないことである。ウラボン経を利用すれば衆生成道も次第に怪しげになるのではなかろうか。霊山浄土が消えてウラボン浄土が大きく登場するのではなかろうか。死後の堕獄をとるために、十界互具は自然に消滅して十如是も消えるようになる。ウラボン経をとり入れるためには本尊抄をすてるようになる恐れもある、少し犠牲が大きすぎるのではなかろうか。平成元年四月四日の聖教新聞をよく読み返されたいと思う。そこから霊山浄土を求めることは困難なのではなかろうか。今は法花の広布はウラボン経の広布と変っているようである。それは霊山浄土から弥陀の浄土への転向を策しているのであろうか。今になって何故死後の堕獄をとらなければならないのであろうか。二十億の豪邸もその大半はウラボン経の御利益かもしれない。本尊抄の場合は死後に堕獄する要素は除かれているのではなかろうか。本尊抄では死後の堕獄は認められていないようである。十界互具や十如是は今は認められないのであろうか。このような変華(へんげ)は認められるのであろうか。衆生が地獄に堕ちる前に救うのが僧侶のつとめではなかろうか。地獄に堕ちるのを救うために塔婆料をよこせでは話が出しにくいために死後の堕獄をまっているのであろうか、それをすくうのが済(すくふ)なのではなかろうか。御先師には古来塔婆供養は行われていないのである。今でも二天門の横は、塔婆をかついで通ることは禁じられているのである。御先師の盆供養は題目に限られているのである。今の盆供養の姿には専ら「京なめり」風が濃厚である。今年のお彼岸は塔婆を建てることもなく、詢によい方向に向っていたようである。一歩でも伝統に近付くように心掛けてもらいたいものである。

三秘抄を使えば完成した一つの姿をもった三秘があるので、六巻抄を一から研究することもなく文底秘沈抄にあらざる三秘の上に出来上っているのである。そして邪魔となる己心の一念三千法門を邪義と切りすてれば、そのまま身延側では認めてくれるであろう。そのようなものが案外ねらわれているのかもしれない。大いに警戒してもらいたいものである。

 あまりウラボン経に力を入れすぎると、法花経との訣別の日が近付くかもしれない。ウラボン経御書が次第に進出して、本尊抄も次第に退職組に追いこまれるようになるかもしれない。これ以上ウラボン経御書の進出は阻止してもらいたいものである。

 またこれは御書ではないけれども、古来最も親しまれている御義口伝なども敬遠した方が無難なのではなかろうか。御義口伝の古写本は天文16年の頃ではなかったであろうか。今は何程かの事を意識しながら色々と御書を使われているようである。時局法義研鑽委員会の面々も、今使われている御書について真剣な研鑽をする必要があるのではなかろうか。唱法花題目抄は本尊抄文段では天台ずりといわれている。聖典には載せられているけれども、檢討を要するものではなかろうか。一口に御書といわれているものにも、真偽とりまぜて色々なものがるようである。御書研鑽委員会でも作って逐一御書の研鑽でもやってみてはどうであろう。

 

 

 

儒内外

 

 仏法家の習学すべきものとして、開目抄の始めにあげられているものであるが、第一が儒教である。委しくは儒教や老荘其の他の中国のものを指している。これに内典を摂入するのであるが、外がどこまで含まれているかについては、吾々の理解のほかである。第二が内典である。孔孟や老荘及び史書等の三千余巻は、仏法を立てるためには必らず必要なものである。五千七千の経巻を寿量品にまとめてみても、儒の三千巻がなければ仏法は成り立たない。

 寿量文底という語はよく使われるが、仏法と同じように、それがどこにあるのか、どのようにして出来てゆくのかということは一向に理解されていないように思われる。寿量文底といえば、只それだけが全部のように思われる。そして時がはっきりしないために、文底にもあらず文上にもあらず、結局文上を思わせるような処で使われ、引いた文証は文の上のものを一歩も出ていない。そして迹門にありながら文底寿量品を論じるような事になって、論旨が徹底しない羽目になった処で、一人孤独を楽しむというのが今までの経験のように思われる。これは文底の時が確認出来ないための結果である。寿量文底は外典がなければ現われないが、どうやらそれは忘れ果てられているのであろう。

そのような中で今も寿量文底が語られているのである。今はそのために迹門から爾前に落ち付こうとしている。二年半の成果はよくこれを表わしている。結局は時が混乱したために前後不覚になったということである。そのために口を閉じざるを得なくなったのである。仏法の語はあっても肝心の時が不明なのである。若しはっきりしなければ、迹門の仏教の中で混乱を起すこともあり得るであろう。しかし、いくら声を大にしてみてもそこに戒定恵が表われるわけでもない。つまりは戒定恵も仏法もない処で仏法を語るのであるから異状なのである。それは己心を邪義と決めたことが、最もよくこれを表わしている。そのために威勢よく己心を邪義と決めた水島ノートは二年半は保てなかったのである。根のない処で仏法や寿量文底を唱えてみても、一向に根を生ずる日はないであろう。

 戒定恵や己心、仏法を求めるためにはまず儒内外を習学すべしとは宗祖の指示である。儒内の原典だけで既に一万巻である。全部でどれ程の数になるのであろう。委員会でどれだけ研鑽の実をあげているのであろう。是非伺いたい処である。外典三千余巻、これも三回よめば万巻である。その上で御書を繙くのが順序のように思われる。これは開目抄に入る前の作業である。百間随筆では外典に入れるわけにはゆかないことを知ってもらいたい。委員全員で三十巻も読んでいることもあるまい。三巻も怪しいかもしれない。これでは千分の一である。外典の一巻も繙かないで仏法が語れるのであろうか、何とも不可解である。「習学すべし」を習学する必要はないと読みとっているのであろうか。そのような中で仏法の意義は日一日と薄れていっているようである。

 

 

 

逆次の読み

 

 逆次の読みは、反省の語を仏教に摂入して出来たもので、仏法の専用語と思われる。即ち戒定恵の処に出来ている語である。順次に読むのは仏教のものであり、逆次に読むのは仏法に限るということであろう。

 法華取要抄(聖168)に、方便品より人記品に至るまでの八品に二意あり。上より下に向って次第にこれを読めば、第一は菩薩第二は二乗第三は凡夫なり。安楽行より勧持、提婆、宝塔、法師と逆次にこれを読めば、滅後の衆生をもって本となす。在世の衆生は傍なり。滅後をもってこれを論ずれば、正法一千年像法一千年は傍なり。末法をもって正となす。末法の中には日蓮をもって正となすなりと。順次に読めば凡夫は第三であるが逆次に読めば凡夫は第一であり、逆次の読みでは在世の衆生は傍、滅後の衆生は正であり、滅後をもって論ずれば末法は正、末法に中には日蓮をもって正とするということである。滅後末法の立場から、即ち仏法から見る見方であり、己心の法門である。日蓮をもって正となすとは、日蓮が建立した処の己心の法門であろう。宗祖のみが本仏であるというのは少し飛躍があり過ぎるように思われる。

 本尊抄副状の、三人四人同座する勿れというのは、実は一を単位とする法門の相貌を表わした語なのかも知れない。しかし、今は多をもって喜びとするのでこのような語は通じないかもしれない。法門そのものの考えが変わったためである。末寺も多、信者も多、又御利益も多ということである。即ち流転形そのままであり、仏法とは凡そ真反対の方角に向いている。仏教にそのようなものを持っているのであろう。仏教として出たために左が右になった結果であるが、開目抄や本尊抄等の五大部からは、そのような考えは見当らない。それは文の上の或る一面を捉えて拡大したためではなかろうか。その捉え方によって宗派が別れてゆくのである。日蓮門下に分派が多いのも、一面には説かれた処の真実がつかみにくいということが根本になっているように思われる。それ程ねらいの程が捉えにくいのである。

 仏法として見るか仏教とするか、思想と見るか宗教と見るか。今は宗教として見られているが、これは寧ろ日蓮像を小さく頑ななものにする恐れがあるのではないかと思う。法華経を異様に強調されているために、法華の行者としての日蓮のみが強く打ち出されたのかもしれない。清澄で題目を唱え始めてよりといわれても、それが一宗建立が目標であったかどうかは知るよしもない。後の弟子が一宗建立と読んだのが真実なのかもしれない。

 仏法が一旦仏教で解されるなら、それは止めもなく発展するかもしれない。そして末寺も多、信者も多、御利益も多ということになって夢は発展するのである。今はそのようなことをもって宗勢の興盛と考えているのである。しかし、これは近代の考えであって室町期の終る頃までは仏法的な考え方が遥かに強かったようである。今それの反省をする時が来ているように思われる。仏法の発展は法門の発展であって御利益とは関係ないものであるから、どうしても貧と同座するようになるが、これが一旦仏教に出ると極端に貧を斥い貪に住するようになる。これが凡俗の弱みである。ここに仏法の真実があるのではなかろうか。しかし、ここまで来て今さら仏法に帰るわけにもゆかない。あとは成り行きに任せる外、よい術もないのかもしれない。

 逆次によって建立された仏法が、今は順次に逆転したのである。その逆次の処を見ると「逆も逆、真反対」ということになるのである。何れの御書によって順次に立帰ったのであろうか。順次をとれば仏法が仏教に帰るのは当然である。久遠元初が久遠実成の処で考えられるのもそのためである。これは順次をとるものの宿命である。既に迹門に居りながら曾つての仏教に話が出るのであるから、他宗が理解を示さないのである。一度逆次の原点に帰らなければ収拾出来ないのではなかろうか。

 本尊抄の副状を見ても一が根本になっていることは分ると思うが、しかしここも読み方で三人四人の同座はいけないが、三百万四百万の同座は宗祖も御満悦だろうと読む人もあるかもしれない。これは人各の読み方による処である。その一の処に戒定恵もあれば久遠名字の妙法も己心の法門もある。今はその一が失われたために仏法の影が薄くなったのである。多をとればそこは仏教の世界である。そこにあって依然として仏法といい、仏法で出来た語はそのまま使われるのであるから、仏法なのか仏教なのか、その判断に迷うのである。そのような中で己心は邪義といわれているのである。しかしこの副状はどう見ても戒定恵や己心、また仏法を表わされているとしか思えない。本尊抄一巻を読む時の心得をこの一言に示されたのが、この副状ということであろう。しかし、宗門では、この副状についてはあまり関心は持っていないように思われる。これも己心の法門を離れているためであろうか。

さら仏教へ帰ったことは公言も出来ないと思うが、己心を邪義とした事は大日蓮にも公表ずみである。何をもってこれに替えるのであろうか、一向に替手は示されない。己心を捨てることは事の一念三千法門を捨てることでもあり、久遠名字の妙法を捨てることでもある。己心によって表わされているものを、己心のみを捨ててその語はそのまま使っているのであろうか。それでは働の伴わない理に過ぎない。それなら迹門に帰っても使うことは出来る。しかし、仏法として使うためには必らず時が必要であるから、このようなことは出来ないと思う。ここでも忍者方式が生かされているのであろうか。久遠名字の妙法と事の一念三千は、その出生はいわないことになっているのであろう。しかし、時が明らかでなければ、本仏や本因の本尊の出現にはつながらない。そこにあったから持って来たということは出来ない。仏法であるか仏教であるか、その時は必らず明さなければならない。己心を捨てることはその時を失うことである。増上慢ということで乗り切ることは必らず後に災いを残すであろう。要義も一方では己心を認めておりながら、久遠元初を迹門に立てている。元初から見れば己心の法門は捨てた形になっている。要義は既に己心を抛棄しているのが真実と思わざるを得ない。しかも久遠元初を迹門に立てたものによっているのであるから、久遠名字の妙法や事の一念三千も当然迹門に考えているのであろう。これは日蓮正宗要義の示す処であり、山田説の裏付けになるものでもあれば、本仏も本尊も迹門の処に出生していることは間違いのない処、要義の証明している処である。このように見れば、要義と山田・水島説は一致しているが、遺憾ながら開目抄や本尊抄の裏付けを取り付けることが出来ないことである。これは言わない建前になっているのであろうか。これまた不信の輩には分らない処である。法主絶対論の後日譚ということであろう。

 正信会も教学的には宗門と変りはないようであるが、このような問題については阿部教学と全同なのであろうか。広宣流布も迹門形をとるためには、久遠元初も迹門に立てる必要があるのは当然のことである。そして己心の法門もまた邪義ときめているのであろう。しかしこの教学は正宗要義の教学であり、何故か時の法主日達上人はこれに允可をされていない。多い中にはその理由を知っている人もあるかも知れない。校正の時には臨席されて居りながら、いよいよ出版してみれば允可がなかったのである。何故允可されなかったのであろうか。或は久遠元初について不審があったのかもしれないと自分では今考えておる。五百塵点の延長線上に久遠元初を考えることについて疑問を抱かれたのかもしれないと。今の処外には見廻してみてもそれらしい大きな問題は見当らない。久遠元初を迹門に見ることについて允可を見合せられたと考えても無理はないように思う。正信会は阿部教学について疑問は起きないのであろう。そのために広宣流布も自然と迹門に落付いたものと思われる。

 今は逆次の読みもあまり信用されていない。そして自分が順次の処にあって正と立てれば、他は皆邪となるのである。今は己心の法門を捨てることが正であり、これを持つことが邪といわれる御時勢であって、逆次の読みも信用を失っているのではないかと思われる。しかし逆次の読みがなければ衆生の成道もないし、本仏日蓮大聖人が出現することもないが、今は逆次己心とは別な世界で本仏や本尊が出現することになったのであろうか。成道は早々と死後に移されているように見える。僅か一語のことで法門は根本的に変って来るものである。

 正信会も、せめて本仏や本尊がすっきりと出れるような法門の訂正を宗門に申しでてみてはどうであろう。法門が全同では大義名分が明らかであるとはいえない。正信会という語も仏法の処に立てられてこそ意義があるが、若し上のような迹門に立てられた久遠元初にあれば、正信会とはいいにくいのではなかろうか。宗門のように、自分達は全て正信、他は悉く邪信ではちと大人気ないように思う。

 逆次の読みの処に正信会も建立してもらいたいものである。逆次に読まなければ戒定恵を見出すことも出来ないであろうし、仏法もまたあり得ない。また久遠名字の妙法を確認することも出来ない。そこに立てられた信こそ正信であると思う。本仏も本尊も既に顕現ずみということで、共々に関心は持たないのであろうか。それでは根本的に仏法とは立て方が違ってくる。即ち宗体の転化である。これは頂けないと思う。

 最初引用の文は、滅後末法を取り出すために逆次の読みが取り上げられ、内に在世末法の衆生を秘めながら、滅後末法の衆生の救済が大きく取り上げられている。この滅後末法の衆生とは、今の民衆であり、仏法の世界における衆生である。釈尊の因行果徳の二法を受持することによって滅後末法の衆生を救済する、そこに大きな目標があるように見える。信不信に拘りのない救済である。日蓮宗が現世的といわれるのは一宗の衆生の救済でない処に、その意義があるように思う。しかし今は全て信不信を根本にしている。そのために日蓮正宗の信者以外は一切救済の対照にしていないのである。これでは祖意とは真反対に出ているのである。 

 

 

 

本 時

 

 迹時に対する語、本尊抄に「本時の娑婆世界は三災を離れ」等と使われて居り、仏法の時を指している。

しかし大石寺では確認を怠っているようで、現在はここからすっきりと仏法の時がつかめていない。そのために己心が邪義となるのであるが、

ここは「我等が己心」の集中している処、その前の欲聞具足道に始まった文上から文底への切り替えも終って、いよいよ文底即ち仏法の境界に入り、これから啓けてゆこうとする発端の処である。全て己心の境界において書かれている。本時とは仏法の時を指している。

 しかし、ここは一致派でもはっきりしていないのか、仏法には関わりなく仏教即ち法華文上に居り、勝劣派も同様に法華文上に居るようである。仏法と仏教、文底と文上、勝劣と一致と別れるのも、案外ここの処かもしれない。欲聞具足道に始まった仏法への切り替えが確認されないために起ったことである。何れの門下もこの切り替えについては無関心のように思われる。そのためにこの本尊の出現した境界がはっきりしていないようで、これを確認する以前の論議は無駄なことである。それが確認されないために文底本因から文上像法の間を往返するようなことになり、一向に本尊が安定しないのである。他門下でも、これ程仏法がはっきり出され、一読文底己心と思われるものが、それには無関係に文上に解されているのである。ここでも己心の上に表わされていることは確認されていない。そのために次の「本尊の為体」が文上で解されるのである。

 ここは欲聞具足道以下の働きを把握しなければならない。若しここで仏法の、己心の上に表わされたことが確認されるなら、この本尊が迹門で理解されることはあり得ない筈であるが、迹門に出たために解釈が以後途切れて、最後結文まで続かなかったのではなかろうか。迹門には、このような本尊が現われないことは、本尊抄の「本時」の前後に最も明了に示されている。つまりは、ここで仏法の時がつかめなかったということである。「本尊の為体」が迹門に出現することは、恐らくあり得ないであろう。これは許されざる飛躍である。

 今の大石寺が久遠実成の彼方、即ち迹仏世界に久遠元初を見、本仏と立て、本因の本尊を顕現しようとするのと、それほどの異りはないかもしれない。混乱の本源地は案外この「本時」の周辺にあるのかもしれない。門下相寄って、ここの処で仏法や己心の再確認をすることは出来ないのであろうか。若し再確認されるなら、「本尊の為体」からは恐らく本因の本尊が顕現されるであろう。しかし、これは宗体を替えるようなことになるかもしれない大難題であるかもしれない。さて、どう采配が振られるであろうか。まず手始めに戒定恵を確認することである。そして仏法の時を見出だすことである。

「時」が失われた中でこのような混乱が起きているのではなかろうか。 

 

 

 

神天上法門

 

 興師には「神天上勘文」があるが中々理解しにくいので、これは宗門に委ねたい。御書には神天上は何回か出ているので、今はこれについて、その皮相のみを考えて見ることにする。

 一宗建立された上で日蓮主義が強調されると、日蓮は法華至上主義で、これは神道を否定する者であるという解釈から、その面については軍部から圧力がかけられた。大石寺もまたその被害者の一人であった。明治以後軍国主義が成長する時期には、日蓮主義は不可欠な面を持っていたようであるが、成長を終った時期には法華経主義は神国主義に替えざるを得なくなった。そして詰の段階で日蓮主義は国の基礎を危くするものというような判断が下されたのではなかろうか。その時弾圧の方向に替ったのであろう。利用価値がなくなったのである。その詰めの段階で被害者の立場に立たされたのであった。

 その時神本仏迹論も取り上げられたのであったが、その時は辛うじて、それによって生き延びた感じである。これは富士宗学要集にも載せられているが、日蓮を法華至上主義者と見るのも、神本仏迹論が立てられるのも、共に八幡大菩薩の解釈による処、その受けとめ方による処である。以前は神号として中央に天照太神、両側に春日大明神・八幡大菩薩の掛軸が祀られていたが、これは神仏習合時代の名残りである。実際にはそのような中で1000年の年月を経て来ているのである。それが一方だけにかたよると他が被害を受けるようになる。たまたまそのような事があったのである。八幡大菩薩の本地は釈迦如来、日本は垂迹の地であるが、その八幡神は応神天皇であるということで、反って本を表わし、釈迦如来が迹になる。始めは仏教の中で考えられたもの、次は日本という国土の上に考えたもの、つまり世俗を踏まえて考えられたものであり、これは仏法の領域である。そのような中で時が失われ、仏法が成り立たなくなったために、被害が廻って来たのである。その時は今に失われているようで、次の被害が既に迫っているという感じがする。前は他力によるものであったが、今度は自力によるというような感じがするだけに尚更厄介である。事が極る前に対策を立てて置いた方がよいように思う。

 しかし、八幡大菩薩がどのような意味を持っているのであろうか。大石寺には諌暁八幡抄も襲蔵されているのであるだけに、神天上法門も宗義に大いに関係があるように思うが、近代は反って敬遠され気味になっているのではなかろうか。被害者意識とも思われるものがある。

 神天上法門には仏教の日本化を目指しているようなものが強く表われている。平安期の一般化は仏教として迹門の上の日本化であったが、日蓮が目指したのは文底への切りかえであった。これを同日に扱うわけにはゆかない。日興が「御書は和字たるべし」というのも、よくこれを表わしている。開目抄も本尊抄も諌暁八幡抄も戒定恵が根本になっている。伝教の「三学倶伝名曰妙法」に始まる法華文底の日本化運動の一環であるが、これも日蓮から大石寺に伝わったが、室町の終りにはこれも消えたような感じである。つまり戒定恵は一応消えたようである。そして再び迹門に復帰して迹門流なものが始まったのである。基本的には今もこれが受けつがれている。これが日蓮正宗伝統法義の根本になっている。そのために法義の中に戒定恵や己心が見当らないのである。変形した迹門という感じである。そして結果的には本仏も、衆生を離れて宗祖一人に集められて新たな権力を作っているようである。これは戒定恵が失われると同時に、本仏が衆生や民衆の手から離れたのである。

 元来神天上法門は法華至上主義といえるようなものではなく、法華を通じ戒定恵を透して日本民族主義を盛り上げようというようなものがあったのではないかと思う。戒定恵は法華を民衆のものに切り替える特技を持っているようであるが、もしこれが失われると、反って衆生や民衆を掌握する方角に向うようなものを持っている。今の大石寺のあり方から見て、戒定恵が健在であるとは思えないことは、既に事行をもって証明している通りである。そこに信心教学の必要が生じてくるのであるが、それが時に教学といわれると不可解になる。今の宗門の教学はこれを指しているのである。そこには自由な発展も許されていることは、山田や水島の教学がよくこれを証明している。本人だけに通じる特種な教学である。そこには常に飛躍が待ち構えているのである。

 思想家日蓮を打ち出すためには戒定恵は不可欠であるが、今は門下一般に戒定恵は除外されているのではないかと思う。これを持ち出せば、民衆思想の強調者としての日蓮は出てくるが、宗教としては都合の悪い面が多くなる。そのために何れの門下も戒定恵は敬遠する傾向にあるのではないかと思う。大石寺では内秘の処本因の本尊の坐す御宝蔵には戒定恵は強く感じられるものがあるが、今の正本堂では殆ど皆無というのも不思議なことである。

 日蓮には一見強く法華経を説き、広宣流布を願っているように見えるし、自らも法華経の行者と名のっている。いかにもそれは狂信的なものに受けとめられやすいが、それをそのまま文上に受けとめるなら、いかにも其の通りであるが、そこに、戒定恵が登場すると、法華は即刻世間の中に入って、法華経としての固有の姿が失われ、世間の法を主とした中に隠れてしまう、それが仏法である。世間の民衆一人々々の中に己心の一念三千を見、本仏本尊を見出だす、それが広宣流布である。

 即ち法華経の信者を増やすのが広宣流布とは思えないが、現在は一宗建立という条件のもとに考えられているために、このようなことに定義付けられ、専ら自宗の信者を増やすことが、広宣流布ということになっている。そして同じ日蓮門下で信者の取り合いが行われ、正宗内部でも、正信会内部でも亦同じことが繰り返されているようである。それが広宣流布という美名に隠れて行われるに至っては実に言語道断である。それが現実の姿である。

 これらは全て戒定恵不在の中で行われることである。もしこれに戒定恵が登場すれば、途端に一人が単位になる。ここが思想への変り路になっているのではなかろうか。日蓮が希う処は一人々々に戒定恵を知らしめんがための思想運動と見るのが妥当ではなかろうか。それだけに、戒定恵は宗教としては不適当なように見える。特に開目抄や本尊抄などには、どう見ても宗教の部分は見当らない。この面から見れば、己心の上に論じられる処は実に大らかであるが、一旦宗教家として見られる時は、極端に頑な者に解されるのである。

 これは左にあるべきものが、そのまま世間に出るために右の世界に表われるためである。つまり宗教とすることに既に誤りがあるのではなかろうか。他の迷惑をも省みず、自分の事だけしか考えずに強行するのも左を右と誤ったためかもしれない。戒定恵の中にあれば独一であるべきものが、世間に出れば途端に独善となるのも、この理に依る処であろう。独善には人の性格を変えるようなものさえ備えているように思われる。日蓮宗が闘争的といわれるのも戒定恵を失ったためと思えば、案外理解される処がある。一度戒定恵を備えた原点に立ち返って考え直してみれば必らず静かな日蓮像が浮び上がるであろう。

 大石寺法門が戒定恵を根本として己心に法門を建立し、刹那に成道を見ているのも、仏法を称するのも、今とは全く逆な処にあるように思われるが、一宗建立が強く打ち出されたために、今では己心の法門さえ邪義となったのである。戒定恵を失い己心を邪義としては、仏法が成り立たないことはいうまでもない。そのような処に本仏や本尊があるわけもない。既に宗義はそこまで来ているのである。

 己心の戒旦が邪義であれば取要抄に説かれる戒旦は邪義であるし、宗祖が説かれた処は、水島教学から見れば悉く邪義に堕在することになる。これは水島本仏出現前夜のようでもある。そして正義として出来た戒旦は本寺に建立され、しかも十三年間一度も戒旦の用にはたたなかった。これは像法の戒旦であったためである。その間、戒旦の働きは、昔ながら末寺が完遂して来ているのである。そして広宣流布もまた、今改めて像法の広宣流布に乗り出そうとしている、これこそ正義というのであるから益々分らない。滅後末法の時に出来た法門を、時を誤れば、何れを見ても像法に出ている。既に九百年以上のずれが出来ているのである。これこそ正義だというのであるからわからないのである。滅後末法の時とは仏法の時である。戒定恵や己心の上に出来ている、それを邪義ときめるのであるから、像法へ逆転するのは当然である。その像法を滅後末法とでも思っているのであろうか。誠に夢物語のようである。一日も早く夢から抜け出ないと、救は帰って来ないであろう。己心を失うと夢中の槿果に根を下す恐れがある。御用心召されよ。

 今は宗を挙げて像法に立ち返ろうとしているようにさえ見える。正宗要義の久遠元初は迹門に立てられているが、このようなことはあまり考えないのであろうか。仏法と信じながら仏教に元初を立てている処は、仏法の時に付いては全く無関心と思われる。それは事に己心を否定している姿である。若しこのように己心を否定するなら八幡大菩薩や日本国の諸神は天上するかもしれない。日本の世間を中心として忠孝を見た場合は神をもって根本とするであろうし、その国の民を中心とするのは当然である。戒定恵はそこを指していると見てよいと思う。その点迹門では日本の民衆ではない。その迹門を根本とすれば神が天上すると見るのは当然である。そこに戒定恵を根本とする意を見るべきであろう。和国を根本とする意は戒定恵に始まっているものと思われるが、今のように像法・迹門とすれば中国が根本になる。これを日蓮は最も斥っているように見える。そこに神天上法門の意義がある。これを意をもって解したのが神本仏迹論かもしれない。そのように見れば、今の意はそれについての反動ともとれるし、反って中国をもって本とする処へ収まるなら、宗祖の斥った処へ収まることにもなる。日蓮の説は和国であるが、それは日本国の諸人であって、権力国家に意慾を燃やしているのではないが、僅かの解釈の相違から、権力国家のみが捉えられると、日蓮が大忠臣となることもあり得る。それは戒定恵の有無の問題であると思う。何れまた開目抄や本尊抄の文を引きながら、改めて考え直すつもりである。

 扶桑記の宇佐八幡の神は、迹門の法華経については一向に感激されなかったのである。この意をもって見れば、文上の法華経を唱えることは謗法ということになっているようである。日蓮が法華経とは戒定恵の上に立てられるものに限っている。所謂文底の法華経であり、仏法の上に唱える法華経こそ真実となっているように思われる。今は自分では文底と思ってはいるが、これを証明するものは全て迹門のように思われる。これでは反って謗法となるのではなかろうか。四箇の名言も、表面の理由とは別に、文の底では戒定恵でない法華経について、いわれているのではなかろうか。今は法華経を信じないものは勿論のこと、自分の考えに反対するものも謗法不信の輩と決めているようである。そして結局は自分等が謗法を捨て己心を捨てると、逆にこれを唱えるものが謗法不信の輩となる、これも独善の一分ということであろう。謗法は戒定恵の法華経を正とする処を根本として決められているように思われる。その意味では日蓮正宗も謗法といわなければならない。自宗のみは常に正、他は必らず邪と定めるのは、少しせっかち過ぎるのではなかろうか。現在の正宗には、すでに戒定恵も失われ、己心を邪義と決めたのであるから、他宗を邪宗と決めるようなものは既に失われていると判ぜざるを得ない。他宗を邪宗と決めるのは、どのような基準に依っているのであろうか。是非公開してもらいたい処である。只戒旦の本尊を信じないというだけでは、いかにも浅薄そのものである。もっともっと重々しい理屈を付けた方がよいように思う。

 仏法の処に出来た語が迹仏世界で運営されているのが現実であり、宗門も正信会も仲よく理屈抜きでここに根を下しているのである。宗義の根本については全同である。そのために十大部は特に使いにくいようである。十大部から戒定恵と己心を取り除いたら、殆どその意義は半減するであろう。名は御書であっても、解釈の根源になるものは要法寺日辰の考え方であり、それが根本となって伝統法義と称するものが出来ているのである。ここには戒定恵と己心の法門は除外されているものと思う。曾つて仏法で出来た部分はすべてこの考え方の中で迹仏世界にあって解釈され運営されているのが実状である。これが日蓮正宗の伝統法義の不可解な根本になっているのである。造られた処と解釈された処と時が違っているのである。久遠元初も五百塵点の当初もまた迹仏世界にあって、いかにも文底のような処を表わすこともある。そのために御書を真反対に解釈することも行われているようである。そしていきなり久遠名字の妙法と事の一念三千の十三字をもって本仏を現わし、これに人法一箇の四字を加えて本尊を出現せしめるのである。この久遠名字の妙法や事の一念三千が、仏法にあるのか仏教にあるのか、これは一切不明である。この時戒定恵や己心には一切触れないので、恐らくは迹仏世界に出現しているものと思う。それを何のことわりもなしに仏法の世界に持ちこむのであるから、いよいよ分らないのである。それが信心教学なのである。

 

 

 

下種仏法

 

 この語もよく使われる割に、どこまで理解されているのか、解説されているものを見たことがないので判じ兼ねている。何を指して下種というのであろうか、種とは何であろうか、不信の輩には一向に分らない。今假りに私見をいえば、仏法と大きな関連を持っているのではないかと思う。若しそうであるとすれば、その中心にあるのは戒定恵でなければならない。下種することは仏法の大きな作きである。衆生に本仏・本尊・成仏の因があることを教えることは下種である。宗祖は衆生から戒定恵を見出だすことによって、これらの三が衆生に備わっていることを教え、更に自力によって獲得する方法を教える、それが丑寅勤行である。下種仏法といわれる様に下種と仏法とは捉え方の相違であって、内容的にはそれほど変りのあるものとは思えない。仏法の中では最も大きな作きのように思われる。

 法華経の二の大事は久遠元初と二乗作仏である。これを外典に摂入して戒定恵を確認したところから仏法は始まる。その時既に久遠実成と二乗作仏の固有の姿は消えているのである。妙楽に具騰本種という語があるが、これはどのような意味であろうか。若し本を釈尊の成道以前に見るなら、それは愚悪の凡夫である。これを外典という世俗に移せば衆生は師弟共に愚悪の凡夫である。その処に釈尊の因行果徳の二法を受持するなら、愚悪の凡夫である衆生は即時に自力をもって成道することも本仏や本尊を獲得することも可能である。これは戒定恵を見出だすことによって始まる。これが末寺で行われる授戒であろう。即ち戒定恵を見出だすことがそのまま成道につながる。これが仏法の中の根本義になっているように思われる。これを言葉を換えて下種というのではないかと思う。

 今は本仏日蓮大聖人が下種することになっているが、これは仏法の中での仏教による故である。一宗建立以後自然にこのようなことに収まったのであろう。師弟の違いはあっても共に愚悪の凡夫であるから、本仏といえば共に本仏である。これは仏法本来の立場からいう処である。この段階で誰が下種するのかといえば、それは天なのかもしれない。その天とは最も身近かに充満している天帝・天道などというような天なのかもしれない。それが一宗建立以後は日蓮が本仏となり、下種するように変って来るのであろう。

 とも角、外典と仏教の出合いの処に本仏は居るように思われる。それが師弟一箇の処かもしれない。その本仏が後には日蓮本仏になるのであろう。そして勤行では弟子の処にも表われるけれども、これは格別取り上げられないようである。衆生の成道は刹那に限り、しかも次第に忘れられてゆくようになり、本仏は日蓮本仏と固定してゆくのである。とも角、仏法の中では下種は大きな作きである。衆生が釈尊の因行果徳の二法を受持すれば即時に刹那に成道することも出来れば本仏本尊を具現することが出来る。これらは何れも体内に湧現するのであろう。それが丑寅勤行と呼ばれているものである。客殿の奥深くまします本尊とは、師弟の体内に湧現した本尊を指しているように思われる。そのように見れば、客殿の奥深くとは、その体内を指すのかもしれない。しかしこれは甚深にして、不信の輩のよく伺い知る処ではない。

 開目抄については、宗教色の弱い方と強い方と二つの場合を考えなければならない。山田は二重構造と斥うけれども殆ど二重でないと説明出来ないのは、必らずしも大石寺に限ったわけでもあるまい。山田説がとても一重とは思えないが、二重では少いというのであれば、自説は何重をとっているか、或は変幻自在をとっているとでもいうのであろうか。若し一重に限れば、宗教としてはその作きを表わすことは出来ないであろう。大石寺の御尊師ともあろう者が、二重構造などとは、言うこと地体異様ではないか。重層の多い程甚深なのではなかろうか。それが宗教なのである。さてより重要なのは弱い方であるが、今は殆ど省られていない。そして、今は専ら強い方に限られている。その弱い方は思想的なものが強いが、昔からその一面については殆ど触れられたこともなかったのではないかと思う。そのために開目の二字もあまり詳かにされなかったように思われる。なにを称して開目というのか、今に明らかではないようである。本来ならそのようなものは、大石寺には伝えられていてもよいと思われるが、今は一向に何も伝わっていない。これは途中で宗教一本に絞られたためであろう。そして仏法関係でも、その語だけが残って、それが宗教色一本の処で作きを示す時、宗教の常識にないものが表われるが、それの説明が出来ないために、殆ど感情的な説明以外には方法がなかった。そうなれば相手方も只目くじらを立てるのみで、自の方も陰に回って不相伝の輩、不信の輩を繰り返すのみであった。開目抄へ分け入ることも出来なかった。

 大石寺でも仏法を唱えながら、時を確認出来ないために宗教の中に立ち返り、仏法の意義も分らない、下種の意味もつかめない、そのまま宗教の上で使われてきたようである。仏法で出来たものは、まず思想の上で確認しなければ、他宗他門との融合はあり得ないのではないかと思う。開目抄は本来宗教として立てられたものでないから、宗教に同調した場合には、どうしても大石寺が不利になる。しかも大石寺が仏法として残しているものの中には、色々なものを包含している。即ち宗教では解釈出来ないものを含んでいるように思われ、宗教の面では割り切れないものがある。今堀りあてたと思っているのは、案外真実ではないかもしれない。最も近い時代のものとして一番信用出来るのは三師伝なのかもしれない。近代の解釈に同調するために職人芸だとか増上慢などと言っておる向きがあるけれども、これでは仏法からも仏教からも離れるようになるかもしれない。その前に久遠元初や五百塵点の当初を迹門においていることを反省しなければならない。根本を迹門におき乍ら文底本門に法を立てることは殆ど不可能ではないかと思う。文上と文底との混乱の中で本門を立てることは出来ないであろう。増上慢とは仏法を棄てるための逃げ口上に過ぎない。これが委員会最後の評議決定なのであろうか。

 御本仏日蓮大聖人という語も宗祖一人と見るべきか、師弟一箇の処に見るべきか。今は宗教として専ら前によっているが、仏法を立てるなら師弟一箇の処に見なければならない。ここに下種は成じるのである。世法の中に下種もあれば仏法もあるということである。それが、若し本仏が迹門に立てられるなら、世法も下種も仏法も同時に消えなければならないと思う。それにも拘らず依然として下種も仏法も健在なのである。そこで語のみを残して内容のみは全面的に替えなければならないのである。これは許されざる二重構造である。悪口雑言のみをもって宗義の根本を入れ替えることは出来ないと思う。

 広宣流布の切り替えも成功しているとは思われない。しかし、今の教学からは、何の抵抗もなく迹門に出るようになっているのである。本迹超過の故であると理解しておく。しかし北山移文のように道中で廻文を付けられては大変である。宗教の一面のみによる事は節を枉げることである。道中気を付けることである。山主の廻文には恐ろしいものがある。若し筋を通すなら、山主も廻文までは付けないであろう。

 水島もここまで頑張って手を引いては、それこそ手持無沙汰であろう。このままでは小人閑居して不善をなす恐れもある。その前に優秀な頭脳を生かして下種仏法でも考え直してみてはどうであろう。

 

 

 

一言摂尽の題目

 

 数限りなく口唱する題目を逆次に読めば一言摂尽である。唱えた処はただ五字七字の妙法である。口唱は文上のごとく一言摂尽は文底のごとくである。これは六巻抄の第五の終りに出る語であり、前から見ればこの一言摂尽のところに収まっており、依義判文抄からいえば久遠名字の妙法ともいえるようである。そして第六では三衣となり宗開三と開いて戒定恵の三学に収まっているということも出来る。つまりは戒定恵の三学から出ているものと見てよいと思う。定をとれば本尊である。まず己心の法門に属しているものであり、事の一念三千と久遠名字の妙法とが一箇すれば本仏となり、人法一箇すれば本尊ともなることは、山田が説のごとくである。しかし、外典を摂入して戒定恵を顕わし、そこで己心の法門として顕われたとき、本仏とも本尊とも成道ともいわれるようである。

 日乾本によれば、文の底に沈めた一念三千となっているが、録内では文の底に秘して沈めた一念三千となっている。秘の字がある方が深さがあるようである。即ち秘の字の中に、沈めたものが再び寿量海中から浮び上がることを含めているようにも思われる。昆明池の大魚が献じた珠は水中に秘して沈められたものであり、そして夜中に秘かに献じたものであった。珠の字は水中から現じたものに使われているようである。

 六巻抄はこの文を初めに置いて、この珠が顕われてくる状況を説かれているように思われる。愚悪の凡夫の胸間に秘められた久遠名字の妙法と事の一念三千が顕われ、それが戒定恵を通して宗開三となり、三祖一体となって師となり、道師以下の歴代が共に弟子となる師弟子の法門を表わされている処は、三師伝と何等異っていない。

 一言摂尽の題目が事に表われた処に師弟子の法門といえるものがある。本果をとれば宗祖本仏の姿ともなるが、本因をとれば愚悪の凡夫の本仏・本尊・成道の姿ということが出来る。即ち事に現わされた生仏一如の姿ということも出来る。

  今は一宗建立のためか権威付けのためか、次第に本因の愚悪の凡夫が消されて、宗祖は生れながらの本仏、しかも三世常住の肉身本仏ということになっているが、開目抄によれば、初めの本仏は愚悪の凡夫のようである。これが今の本仏との相違である。久遠名字の妙法の中に愚悪の凡夫が含まれているのは明らかである。それが本果に移ってゆく道程で凡夫が消されて、宗祖一人が本仏となってゆくようである。当家三衣抄の序の部分には、特に愚悪の部分が強調されているようである。久遠名字の妙法の、久遠名字の四字には愚悪の凡夫の意は明らかなように思われる(久遠名字の妙法の項参照)。本仏は愚悪の凡夫の己心に住しているように思われるが、今は本仏が宗祖一人に決まっているので、その辺がはっきりしないようである。愚悪の凡夫に本仏や本尊を見出だした処が戒定恵であり、仏法であるが、今は本仏が宗祖一人に決まると同時に本果となり、迹門に移っているような感じが強い。これは時節の混乱の中で、愚悪の凡夫の本仏が守り切れなかったためであろうか。山田や水島の説からしても、本仏は迹仏世界に移っているように見える。一宗建立すれば自然の成りゆきということであろう。御両名の苦難に満ちた悪口雑言からは、一向に迫力を感じさせるものがない。それが最終回と称している敗戦の弁であった。ここまでくれば、水島といえども手を拱く以外には名案は浮かばないであろう。

 本仏日蓮は、信仰対照とする前に、一人の愚悪の凡夫として見直す必要があるようである。日本国の主師父母として尊敬の対照として見直すべきではなかろうか。遥か虚空の彼方におき、久遠実成の遥か彼方の元初におき、信仰のみをもって本仏と仰ぐようにはなっていないように見える。むしろ主であり師であり父母であるところにあって親しみ敬うようにするのが本義ではなかろうか。これは根本の姿勢を示されているものと思う。諸宗の元祖のように虚空に押し上げられるような事のないように、日蓮は常に民衆と共に居りたいという念願が、日蓮は日本国の諸人に主師父母なりと結ばれたのではなかろうか。最初は主師親であるが、もう一つ親しみをもって主師父母とされたのではなかろうか。これを押し切って、一宗の元祖として本仏とたたえ、虚空に押し上げるのはどのようなものであろうか。しかし、一宗の元祖ともなれば、虚空に押し上げられるのは人情の然らしめるところである。宗祖は最もこれを斥われているように思えてならない。尊敬を根本とし、信の誠を尽すのが最良の方法ではなかろうか。今では尊敬すべき主師父母は共に地を掃った感じである。

 一言摂尽の題目は師弟共々に唱えた題目によるものと思うが、今は唯一人のものになり切っているようである。そして宗義は次第に口唱の題目に移りつつあるように見える。このような中で広宣流布に向わんとしているのである。

 

 

 

口唱の題目

 

 一言摂尽の題目が文底であれば、口唱の題目は文上にあたる。前が本因であれば後は本果にあたるものである。この一言摂尽を永く文底に止めるためには、その意義をはっきりつかまなければならない。今のようでは、折角の一言摂尽の題目も、文底と文上の間を常に往復しなければならないが、これはまた仏法と仏教との間の往復であり、所詮は仏教の処に落ち付く可能性も多分にある。そして仏教にあって仏法を唱えるようなこともある。それが現実の姿ではないかと思う。水島は仏教の処、即ち迹門に落ち付くのが大きな目標のように見えたが、結果はあまり思わしくなかったようで、そのために中途で投げ出したのであろう。現在既に仏教に居るのであるから、その裏付けが欲しかったのであろうが、それは無理である。仏教にあって仏法を唱えれば仏法そのものが不安定になり、法門が不安定になるのも当然である。これは時を失ったものの行くべき道である。山田や水島の説はその典型的なものである。他から疎んぜられる根本はそこにあるのである。つまり、自宗のよって立つ処の根源が分らなくなっているのである。

 仏法を語るためには、何をおいても時を確認しなければならないことは、開目抄の末文及び撰時抄に明らかである。時を失うことは宗祖に対する不信の表われともいうべきであろう。時を失えば即刻仏教になるのは仏法のきびしさである。時を失ったために久遠実成の遥か彼方に元初を考えなければならないのである。これは正宗要義の示す処である。そして迹仏世界に本仏が出現するようなことにもなる。それが今の現実のすがたである。これをもって娑婆往復八千度とすましているわけにもゆかないであろう。これが時節の混乱ではなかろうか。ここまで来て山田・水島が急に口を閉じざるを得なくなったのも、

 元はといえば日辰の時節の混乱を受け継いでいる故であろう。滅後七百年目の京なめりは四百年来のものである。それ程根ざしが深いのである。今となってこの深渕から抜け出ることは殆ど不可能に近いように思われる。再度の広宣流布には色々ときびしいものがあるようである。民衆が何を求めているかということでも、予め研究しておいた方がよいのではなかろうか。八百万が千六百万になっても、数十億人の広宣流布は容易なことではない。もし即時に可能な方法といえば己心の法門の上に刹那に完了することである。このためにはまず己心を取り返さなければならないが、これは恐らくは出来ないのではなかろうか。今先生方にその勇気があるようには思えない。現状は時の赴くままに広宣流布をやる以外によい方法もあるまい。やっていると云うことに意義を見出だすのも一つの方法である。三大秘法のみによる広宣流布は迹門流である。いつ完了するというわけでもあるまい。とも角やることに意義を見出だす以外に名案は浮ばないであろう。化儀の折伏、法体の折伏も辰師のものを寛師のものと読み誤ったもの、今後の広宣流布も日辰流に名案があるかもしれない。宗を挙げて日辰研究を始めるのも亦一つの方法である。また寛師のものと読んで化儀の折伏、法体の折伏に出るのであろうか。肝心の大石寺法門は何一つない出船である。筆者はこれを無謀と称したい。

 法門の上の広宣流布は、今に山法山規と思われるものの上に残されているが、これらは全て己心の上の広布であり、末法の始めといわれるごとく、まず始に完了である。刹那の広布である。法門の立て方もここ二、三年示されたごとくであれば、刹那の広宣流布を斥っていることもよく分るが、これらは本来大石寺法門の広宣流布とは相容れないものであることを、改めて認識しておくべきである。

 

 

 

五百塵点の当初

 

 これは久遠元初と同じく、常に五百塵点や久遠実成の延長線上に考えられていることは、正宗要義に示されている通りである。そこは何れも迹仏世界であり迹門の領域である。五百塵点や久遠実成は迹門の最長最遠の処である。もしそこに当初や元初が割り込めば、その延長線上に出ることは許さないであろう。結局は五百塵点の範囲内に当初を見なければならないし、元初もまた同様である。そこが迹門の領域であることを忘れてはならないと思う。この要義の考え方は迹門を一歩も出ていない。そのくせ、迹門にあり乍ら本仏を唱え本因の本尊を称えるのであるから、他宗が承知しないのである。それなどは時の混乱の最たるものである。未だ本仏や本因の本尊の出現する境界には至っていないのである。何故このような事が罷り通るのであろうか。吾々は不信の故に理解出来ないのである。迹仏世界において本仏世界を立てようという、これほど危険な考えはない。久遠元初や五百塵点の当初、久遠名字の妙法が本仏世界即ち仏法に立てられていることは御存知ないのであろうか。不審の向きは日蓮正宗要義を繙いてもらいたい。この様な混乱の中で三世常住の肉身本仏論も出てくるのである。若し仏法の世界が確認され、戒定恵や己心がはっきりすれば、このような混乱は即時に解消するのであるが、水島は己心の法門を邪義と称しているのであるから、そう簡単には撤回出来ないであろう。これではいつまでたっても五百塵点との区別が付かず、迹門から抜け出すことも出来ないであろう。

 本来の五百塵点と、その彼方に考える五百塵点の当初と、仏法の五百塵点の当初と、前の二は迹門である、後の一は仏法にある。これは複雑である。大石寺は現在迹門の五百塵点の当初をとっているのである。仏教に配すべきか仏法とすべきか、これまた厄介な問題である。この時の混乱は、今度の場合も終始一貫して続いており、今も本のままになっているのである。何れ右か左か決めなければならないであろう。開目抄にあれ程分り易く書かれているものが何故分らないのであろうか。どうみても迹仏世界に持ち込む理由は毛頭も見当らないが、信心がこのように最終決定をするのであろうか、何とも理解し兼ねる処である。この五百塵点の当初と久遠元初とがすっきりと説明出来れば、他宗との付き合いもやり易くなるように思われる。

 宗門は何故迹仏世界が離れられないのであろうか。これがすっきりとしなければ仏法を唱えることも出来なければ、御本仏日蓮大聖人を称えてみても、その所住すらはっきりしない。そして法門全体がぼやけてくるのである。その根本になるのが戒定恵であり魂魄であり己心であり仏法である。外典の中に、仏教から得た二乗作仏と久遠実成を摂じ入れる時、戒定恵が知り易くなるという。その戒定恵の処に久遠元初もあれば久遠名字の妙法もある。そして、その他一切の法門もそこに集約され、そこを基点として開けるのである。そして戒定恵が見付かれば仏法の世界も開けるのである。五百塵点の当初も亦そこにある。そこは刹那に受けとめるべき処である。

 若し一年一年を積み重ねてゆくなら、それは五百塵点であるが、当初もまたその上に一年一年を積み重ねてゆくであろうか、正宗要義はこの線上で説かれているのである。近代の考え方が要義にまとめられている。このために仏法がそのような長年月の上に考えられて、仏教との間に時の混乱を生じ、反って己心や刹那を否定する処まで追い込まれたのである。

 これをみても、時を決めなければ仏法があり得ないということも分ると思う。自分等の考え及ばない処は全て邪義ということで片付けようということであるが、そこはすでに仏法でも仏教でもない無時の世界なのかもしれない。仏法を学せん法は、まず時を知ることから始めなければならない。その時のない処で今も仏法を称しているようである。これでは大石寺法門とはいえない。所詮は時の混乱による処である。これは、開目抄をよく読む以外に鎮静の方法は見当らないであろう。仏法は現在考えられているものとは、真反対の処にあるようである。委員会の諸公も、本仏や本尊から特別に莫大な御利益を頂いているのであるから、せめて仏法の時と五百塵点の時との差別、久遠実成と久遠元初の違い目位はまず知ることである。これが仏法を知ることである。御利益の頂きっぱなしは不知恩になるかもしれない。

そのような中で己心の法門を邪義と決めるようなことにもなる。若し己心が邪義ということになれば、大石寺法門は一切成り立たないであろうが、今は賛成している向きの方が多いように思われる。

 とも角、五百塵点と当初との混乱は大きいようである。これが時の混乱を決定付けているのである。久遠実成と元初の混乱も同様である。その混乱の中で山田や水島の名調子があったのであるが、反って宗門の底の程を明らかにしたに過ぎなかった。これだけ内部を晒け出しては、中々次が続けにくいであろう。悪口雑言も大いに歓迎する処である。若し先取りせられて口惜しければ、仏法は邪義だ、五百塵点の当初も久遠元初も邪義だ、三世常住の肉身本仏日蓮大聖人だけあればよいとやればよい。しかし、それは最早仏法でもなければ宗教でもない。それも出来ないなら、本仏や本尊の住処位ははっきりさせた方がよい。委員会も、一つ位は立ち直るための資料を取り上げるべきである。何一つ成果を得ずして解散消滅するわけにはゆかないと思う。せめて仏法だけでも、その所住だけでも明らかにすれば、自然と五百塵点と当初との区別も出来るであろう。この区別が出来ることが仏法の初門ということであろう。 

 

 

 

久遠元初

 

 実成は釈尊に限り、元初は仏法についていうことは、五百塵点と当初との関係のごとくであるが、今は専ら久遠実成の延長線上に考えられている。そのために迹仏世界との区別が付かない。それが混乱の根元になっているのである。最近は特にそれを強化した。時法研も時と仏法との関係でも研究すればよかったが、目前のみに眼を奪われたために結果は逆に出たのである。これでは時報險である。時の報ずることは險しとでも読むか。

 元初には自受用報身があり、仏法では本仏と立てる、即ち仏法の教主である。本仏や本因の本尊の住処を主宰する教主である。本来の大石寺法門はここに立てられているが、今の日蓮正宗では久遠実成の延長線上に元初を立てているので迹門から脱することが出来ない。即ち根本は迹門になっているのである。時の確認が出来ないために仏法の世界に至ることが出来ない。しかも其処にあって仏法を唱えている。そのために他宗が承知しないのである。そこで陰へ向いて、不相伝の輩・不信の輩を唱えるのであって、これは単なる自己満足であり、決して筋が通っているようなものではない。今度も勝手が悪くなると不信の輩を繰り返して来たが、戦はその度毎に常に不利な方へ展開していったのである。迹門に居ることに気が付かなかったためである。それでも尚広宣流布に示しているように、迹門に執着しているのである。何故仏法に帰ろうとしないのであろうか。そこには、久遠元初が仏法に決められなかったのが根本原因になって、時の混乱が始まっているためであり、即ち迹門を本門と感違いして、迹門にありながら本仏や本因の本尊を唱えているのである。これでは無時といわざるを得ない。つまり仏法が確認されていない。これがそのまま法門の混乱に続いているのである。

 学はいらない、当宗は信のみでよい、信心の宗旨であるという中で信心のみが大きく取り上げられ、学が異様にさげすまれた結果が、宗旨が建立されている仏法が分らなくなったのである。今その報いが廻って来たのである。そして信者のお株を奪うように宗門が信心のみに住するようになったのであるが、宗を支える学がなければ宗門が持ちがたいのは当然である。そして迹門に根を下しながら仏法を唱えるようなことになったのであう。そこには何となく独善的なものが働いているように思われる。七百年の伝統は学なしで支え切れるようなものではない。常に捨てるための学が必要なのである。これを捨てることによって仏法世界に安住も出来ようというものである。

信にも行にも既に学は含まれている。その学を再現しながら、それを捨てることによって仏法に安住することは困難になってくるのである。そして久遠実成と久遠元初も区別が付かなくなると大変なことになる。

 そしてあわてて爾前迹門の学をやれば、それは本来読んで捨てるべきものであるにも拘らず、それに執着した結果は口を閉じざるを得なくなったのである。学がいらないなら、最後まで学を取るべきではない。それが急に変節したために、速成の学がわが身を逼めることにもなったのである。そこにはやってよい学とやってはいけない学が逆に出たために、混乱の渦に巻きこまれたのである。そして爾前迹門との時の混乱に巻きこまれたのである。それは、捨てた方が必要で、とった方の学を捨てるべきであったのである。学の勘違いということである。必要のない学をやったために失仏法が更に拍車をかけたのである。

 学問は他宗のものを読めばよいというものではない。当家が分ってから台家を学べというのは、仏法が分ってから台家の理を学べということで、仏法の筋目も分らず実成を学べば反って当家をさげすむようにもなる。そのような中で己心は邪義という一声も上がるのかもしれない。元初には、捨てたために実成の学は表向きは残っていないのである。内心では常に捨てるための学が必要なのである。それが「巧於難問答」という中に秘められているのである。山田や水島のやったことは、とても巧於難問答といえるようなものではなかった。そこに許されざる誤算があったのである。元々学問の在り方が違っているのである。それをも知らず天台学にかじりついたために我が身を迫める羽目になったのである。学問は他宗のものを読んで暗記すればよいというものではない。他宗には千年もそれ以上のものを受けつぎながら、一人で五十年六十年やって来た人はいくらでも居る。その中で頭のよさを誇って見ても一年や二年ではお話にもなるまい。要はその中からいかにその成果をよりぬくかということである。その見本が題目である。常々その裏付けになる学問もやらないで、あわてて始めたためにその被害を受けたのである。それを防ぐために時を撰んであるのである。そこには自ら定められた方法も具わっている。僅か一年二年読んで見ても、どうにもなるものではない。勉強方法を考え直す方がよい。学はいらないといいながら、切羽つまって他宗のものを読んだのでは、あまり御利益につながらなかったようである。反撃をするならまず時を学することから始めなければならない。いくら頭のよさを誇ってみても、時がなければどうにもならない。そして時を正して後に始めてもらいたい。

 宗祖を本仏ときめるのは宗門であっても、魂魄を外し己心をすてては本仏は在り得ない。そこには久遠元初もなければ久遠名字の妙法もない。己心を捨てるから肉身本仏が登場するのである。魂魄佐渡に至るという、その魂魄の処に久遠元初があるので、決して久遠実成の延長線上にあるものではない。それはどこまで延ばしてみても久遠実成に替りはない。ここに執着している間は決して久遠元初もなければ本仏も本尊も現われるものではない。最高の讃辞を呈する前に出現出来る雰囲気作りが肝要である。しかし、己心の法門を邪義と決めている間は決して本仏は出現しないであろう。法華の教主が応身か報身かということは古来の諍いであるが、大石寺では報身をとっている。その報身を現わすためには久遠元初は必らず不可欠であるし、己心もなくてはならないものである。それにも拘らず己心が邪義と決まったのである。一体本仏はどこに出現するのであろうか。久遠実成の処、応仏昇進の自受用身として出現するつもりであろうか。これでは大石寺法門は一切成り立たないであろう。二年半の結果からみて自受用報身は認めていないようである。つまり口には自受用報身を唱えながら、実には応仏昇進の自受用報身をとっているのである。これが分ったことは何よりの収穫であった。報身から応身に変ったのである。山田、水島教学はこれを明らかにした処に意義がある。釈尊の現世は八十年、これに対して日蓮の現世は六十年の前に久遠元初以来、後に未来永々の年月を加えて肉体常住である。これは自分の頭以外に証明することは出来ない。その長い期間現世であり、過去も未来も抹消されている。これは仏教にはない分け方である。何れの教の分け方であろう。これも人は容易に賛成しないであろう。何れにしても三世常住の肉身本仏論は前古未曾有の新説であり、吾々の常識を根底から覆えすものである。他宗の学者は何というであろうか。仏教でない処に新教を目指しているのであろうか。或は夢は虚空に向って無限に拡がっているのであろうか、不信の輩には到底信じられない処である。

 魂魄の中にどうして実在の人や実年数を数えるのであろうか、或は大宇宙に無限に拡がる虚像なのであろうか。今、本仏はこのような境地を開拓しているのであろうか。しかしよく見れば、これはあくまで幻想の世界のようであるとすれば刹那に収まるのかもしれない。しかしこの中に、どうも久遠元初が見当りそうにもないのは気掛りな処である。

 開目抄による限り仏法は大地を一歩も離れていないようである。竜の口に頸を切られた後の魂魄は足をもって大地を踏んでいる。久遠元初もまた大地の上にあるようである。仏法を宇宙の裏(うち)に考えるのは自由であるが、宗門としては開目抄の制約を超えることは出来ないと思う。法主の言葉は汗のごとし。軽々に引っ込めることは出来ない。是非その語義を明らかにしてもらいたい。都合のよい時は、法主の言葉は絶対であると、常々他人にまで押し付けようとしているのであるから、その甚深の処を明らかにしてもらいたい。しかし今は、昔妙楽大師が、宇宙の大霊は本仏ではないといった大霊を、本仏とするような機運が次第に濃厚になりつつあるのではなかろうか。とすれば三世常住の肉身本仏論があってもよさそうな気がしないでもない。何はともあれ、久遠元初は、久遠実成の遥か彼方の虚空に見られているようなことはないのであろうか。これまた最も気掛りな処である。

 

 

 

法前仏後

 

 法が前か仏が前かという時、大石寺は法前仏後をとっているが現在は仏前法後によっている。釈尊の時は仏前法後である。宗教としては最も自然な形である。一宗建立したために自然に仏前法後の形をとるようになったのであろう。その代償として宗義も法前仏後から仏前法後の形をとるようになったのである。大聖人の仏法というとき、どうしても仏前法後の感じが強い。大聖人が、法が強いか人が強いかということも関係があるが、一宗建立しているために人が強いのは止むを得ないことである。

今は本仏という語が大きく出たためである。

 日蓮はそれを警戒して俗世に法を立てている。そこにいるのが愚悪の凡夫であり、師弟をもって構成されている。しかし、いつの間にか、師のみが本仏としてその座を外したのである。つまり本仏が愚悪の凡夫の座から抜け出した感じである。そして残った弟子の本仏は依然として法前仏後の形をとっている。本仏は本(もと)成道以前の釈尊をいい、これに対して成道以後を迹仏とたてているように思われる。この時成道以前は愚悪の凡夫である。それを俗世に法を立てた時、そこに移している。その時師弟共に本仏である。今の本仏は迹仏世界において、久遠実成の遥か彼方に本仏を見ているようで、今の本仏論はそこに立てられているが、本来は世俗の処に仏教を摂入した時、そこに戒定恵を見、仏法を建立し、そこに久遠元初が立てられるのである。本仏は師弟共にそこを住処としている。そのために常に法前仏後である。

 この語は古今仏道論衡にあったように記憶している。 民衆仏教を立てるためには法前仏後に限るが今は何故か仏前法後をとっているようである。そのためか今は民衆仏教の語を斥っている。これを別に仏法といわれている。しかし、民衆仏教の語を斥うことは、貴族仏教を意識しているためであろうか。民衆から仏になるのは釈尊も同じであるが、大石寺でいう仏法は民衆の座から一歩も動かない立前であり、そこに師弟がいるのである。仏法の語は今も残ってはいるが、今は極く狭い範囲に限られて使われているが、恐らく元の意味は消えていることであろうと思う。

 大聖人の仏法という語はよく耳にする処である。一宗建立以前は師弟共に本仏であるが、以後には師一人のみが本仏となる。そこが仏前法後の替り目である。一宗建立がなければ俗世の中に仏法を建立し、師弟共にそこに住しているのである。これを元にまま持つためには、日蓮を思想家として捉えるのが最もよい方法ではないかと思う。一宗建立以後でも、この線が強ければ、元もままの姿を持てるかもしれないが、今は宗祖は生まれながらにして本仏であるが、仏法の時の本仏ではなく、釈尊以上の力をもった本仏ということになっている。最低に居る筈のものが最高位に上ったのである。これでは宗祖の意志とは真反対である。そして三世常住の肉身本仏論までできて来るのであるが、これでは褒めているのかけなしているのか一向に分らない。そこまで来ているのである。どうやらゆきつく処まで行った感じである。

 今は師弟差別を建前としているが、本来は師弟無差別である。そこに仏法の面目があるが、今は世俗の師弟をとって各別であり、差別をとっている。そして仏法は僅かに語の上に痕跡を残しているのみである。若し間違いなく残っているとすれば、山法山規と事行の法門の内容位のものであろう。仏法はそれ程貴重な文化遺産である。もしこれが思想として究明されるなら、それは単に一宗の悦びのみには止まらないであろう。そこには仏法が目指す処の広宣流布は必らずあると思う。

 

 

 

謗 法

 

 法華経を信じないものにいう語、諌暁八幡抄では、法華経とは戒定恵の三学の上に建立されたものに限られている。即ち「扶桑記(新定2200)に云く、又伝教大師八幡大菩薩のおんために神宮寺において自ら法華経を講ず。乃ち聞き竟って大神託宣すらく、我れ法音を聞かずして久しく歳年を歴る。幸に和尚に値遇して正教を聞くことを得たり。兼ねて我がために種々の功徳を修す。至誠随喜す。何んぞ徳を謝するに足らん。兼ねて我に所持の法衣ありと。即ち託宣の主、自ら宝殿を開いて手づから紫の袈裟一つ紫の衣一つを捧げ、和尚に奉上す。大悲力の故に幸に納受を垂れたまえと。この時に禰宜・祝等各歎異して云く、元来かくのごときの奇事を見ず聞かざる哉。この大神、施したまう所の法衣は、今山王院に在りと云云」又(2201)、「又此の大菩薩は、伝教大師已前には加水の法華経を服してをわしましけれども」と。又(2201)、「又八幡大菩薩の御宝殿の傍には、神宮寺と号して法華経等の一切経を講ずる堂、大師より已前にこれあり。その時定んで仏法を聴聞し給いぬらん。何ぞ今始めて、我れ法音を聞かずして久しく歳年を歴る等と託宣したまうべきや。幾くの人々か法華経一切経を講じたまいけるに、何ぞこの御袈裟・衣をば進らせ給わざりけるやらん。当に知るべし、伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども、その義はいまだ顕われざりけるか」と。

 右の引用文を見ると、伝教大師の法華経が、いかにも他に殊なっていることが分る。それが戒定恵の三学を含めた経である。八幡大菩薩が感動されたのもそのためである。つまり滅後末法の衆生を主とした法華経に感動されたのであって、迹門の法華経ではなかった。日本国を主とした法華経に感動されたのである。八幡大菩薩と応神天皇があるじとして、日本を領有しているという意味を含んでいる。ここで日本が主役に躍り出るのである。八幡大菩薩は大神であり、また応神天皇でもある。そこに三即一も示されている。本地の釈尊と垂迹に八幡大菩薩と本迹の位置が交替している。そしてそのまま神となり天皇と同じということになっている。その本迹交替の意義は大きいと思う。日本的なものの出生である。そこに日蓮の思想的な役割を見なければならない。仏教から仏法への交替である。伝教もこれは意識された上で、学生式問答を書かれていたのであろう。所謂和魂漢才である。既に伝教の時にはその様な、日本的な思想の芽生えがあった。それを日蓮が継承したのである。それが大きく浮び上がってくるのが鎌倉の中頃である。既成宗教は未だに困惑し切っている時代であった。「法華経の行者」をそのまま文上に読むべきか、或は文の底を読むべきか。ここには大きな別れ道がある。今は宗門も只文字通り忠実に読んでいるのであるが、ここには多分に再考の余地が残されているようである。戒定恵があり仏法とあっては、大いに考え直さなければならないのではなかろうか。

 「真言は国を亡ぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊」とあげてあるが、何れの宗も法華経は唱えているであろう。それにも拘らずこのように云われることは、唱える法華経に戒定恵を含まれていないことを指摘されているのではなかろうか。これを謗法といわれているように思われる。

謗法の基準は戒定恵を含んでいるかどうかに掛っているようである。法華経を唱えないものは勿論謗法に含まれているであろうが、むしろ唱え乍ら含んでいない処を指しているように思われる。

 今の宗門に唱える題目には戒定恵は見当たらないとすれば、そのままでは謗法に当るかもしれない。これは宗祖の所判に従う処である。己心を邪義というからには、そこに戒定恵を含めているとはいえないのであろう。これでは他宗他門と何等変る処はない。水島御尊師の題目に戒定恵を含んでいなければ、宗祖の所判によれば謗法の題目を上げていることになる。これでは、真言・念仏・禅・律とも、唱える処の題目ではそれ程変りはないと思う。それとも初めから戒定恵や己心を含んでいるというのであろうか。これは御利益ばかりでは解決出来ないであろう。況んや僧俗共に御利益のみでは、いかがなものであろうか。

 謗法も後には他宗謗法の輩というようなことになって、法華経を唱えないことが謗法になり、更に日蓮門下は全て謗法となり、日蓮正宗の僧侶に背くものはすべて謗法になる。そして自分に従わないものも謗法ということになる。そのときには肝心の戒定恵や己心は反って邪義になっているのである。これではいくら声を大にしても説得力にはつながらないであろうと思われる。一口に謗法とはいい乍ら色んなものが雑居しているのである。謗法とはこのように複雑なものである。謗法とは、最初には戒定恵を含めていない法華経を唱えることが謗法と決められているようであるが、まずこれを銘記しなければならない。水島御尊師よ、己心は邪義といい乍ら唱える題目はこれこそ大謗法ではなかろうか。どうも不信の輩には分らないことばかりである。不信とは日蓮正宗の戒旦の本尊に手を合わさない、題目を唱えないものにいう語であって見れば尚更である。題目は他門下も唱えている。正宗は戒定恵も己心もない題目を唱えている。それで尚且つ謗法でないなら、まずその理由を明かさなければならない。戒旦の本尊に向うことだけが理由であるなら、その本尊に向えばなぜ謗法でないのか、その理由を明さなければならないが、それは出来ないであろう。ただ私的感情のみでは、その理由にはならないと思う。水島論理の収まる処はその辺りではなかろうか。これでは、とても他門下や他宗を謗法ときめつける理由にはならないであろう。

 戒定恵を含んでいない法華経を唱えることを謗法とする陰には、日本を主とする、日本国の末法の民衆を主体とするというような考えが根本になっているということは見逃せないと思う。丁度その頃、この様な考えが起りつつあるようにも思われる。民族主義というか、そのようなものが芽生えつつあるのではなかろうか。或は末法を越えてゆく道中で自然に芽生えて来たものではなかろうか。これが次の南北朝の頃民衆思想として抬頭してくるのであるが、これに先鞭を付けたのが日蓮ということかもしれない。釈尊の教を民衆に移して以後には、仏教からの新しい分派は終ったのが何よりの証拠である。後に日蓮宗として分派はしたけれども、ここは一宗建立よりも思想を植え付けた方が遥かに大きいのではなかろうか。

 中国にも従義の流れには一宗建立はなかったし、日蓮にも一宗建立の意図があったかどうか疑わしい処もある。恐らく従義流には一宗建立にはつながりにくいものをもっているのではなかろうか。四明が叡山の主座を占めた以後は、従義の教学は関東を中心に研鑽は続けられたが、全て内密の研究であった。それが思想として南北朝期の民衆思想を作り上げたのではなかろうか。日蓮も註法華経や御書等にも、四明流と思われるものや証真については一回の引用もない処を見ると、どうしても従義流に近いものと思われる。それが伝教の一乗成仏と戒定恵の三学につながってゆくように思われる。つまり伝教や日蓮の考え方は、本来は宗教には不向きな考えなのかもしれない。そのために後には間もなく宗教として立ちゆくように改められたのである。伝教の本来の考えが研究されにくいように、日蓮本来のものも、宗教の立場からでは立ち入りにくいものを持っている。そこに思想として見なければならないものがあるのではないかと思う。

 法華経の行者日蓮は迹門にいるものではない。それは思想家として仏教の外に居ることに注意しなければならない。その仏教の外とは仏法である。世俗の処に仏教を摂入していることに留意すべきである。そこには法華経によって始まった思想は充分に育つような地盤は備わっているのである。仏教家としての日蓮には研究すれば必らず限界がある。それを越えることは宗教の立場からは出来ないものがある。そのために宗学が押えられている面もある。宗教がこれを押えるためである。本来目指す処が違っているということかもしれない。

 日本では伝教、或は恵心、中国では従義等の処にも本来宗教としては成り立ちにくいものが内在していたのではないかと思う。従義をとるべきか四明によるべきかについても、末法に入って以後長い諍いであったが、結局四明流が叡山の主流に着いて落ち付き、従義流は地下にもぐったのである。そして民衆が地下から頭をもたげて来るのは次の時代であった。それは今に続いているが、大石寺では絶えて既に四百年の年月を経ているのである。今になってこれを復活することは思いもよらぬことであろう。そこで出て来るのが悪口雑言である。これが出るためには、そこに永い年月の裏付けがあるのである。そして出るべくして出たのである。そこに永い年輪が必要であったのであろう。滅後七百年、山田、水島が出て悪口雑言を蒔き散らかすことは、宗祖には既に承知の上であったのであろう。それが聖人の聖人たる所以である。

 今いう処の謗法は随分横道に外れているようである。これは教義そのものが根本的に変ったためであろう。日蓮が目指すものをまともに受けたのは民衆のようである。そして黙々とこれを伝えているのである。このように見ると、宗教として受けとめることに無理があったのかもしれない。道師が根本として示されたものは、今は跡形もなくなって、己心は邪義という処まで来たのである。戒定恵が消えれば仏法を名乗る意義もなくなり、己心も法門としての威力を失うのは当然である。そのような中で今異様に天台学に意慾を燃やして来たのが二ケ年半であったが、これはどうやら頭打ちのようである。次はどこに意慾を燃やすのであろうか、明日の事は分らない。民衆が世直し思想として受けとめたのは、戒定恵を根本とした己心の法門であった。それは民衆が続くかぎり、この思想もまた続くであろう。そこには無限の長寿もある。寿量文底とは案外このようなものなのかもしれない。寿量文底の主は民衆であることは開目抄にも示されているようにも見える。そこは師弟共に愚悪の凡夫というのが原則であり、一人の統率者もあってはいけない処のようであるが、宗教ともなれば必らず一人の中心にすわる者を要求するようになる。それが大石寺では本仏である。その意味では本仏は師弟一箇の処に刹那に出現するのが原則であるが、本仏が常住となると、己心も刹那も邪魔になってくるのであろう。宗義が変ったために己心の法門の必要がなくなった。既に己心の必要がない処で宗義の根本は出来上がっているのであろう。そのような中で、今は己心の法門は最も目障りな存在になっているのであろう。武士道精神などといわれているものも、外典の忠を根本としてそこに仏教を摂入すれば出来るように思われる。そこには戒定恵や己心の法門は不可欠のようである。死を見ること帰するがごとしというのも、現世に死を見るのであろう。生死が別世界にあっては考えられない処である。中国の外典に仏教を摂入することによって、新らしく日本的なものが生じるのである。その原則は既に開目抄に示されたものと全く同じである。この極意の処をもって新らしい思想を作り上げるのは民衆の智恵である。開目抄等の真実は反って世間の中では生かされているようである。武士道精神には、誰も宗教を名乗るものも出て来ないようである。開目抄などは、もともと一宗の元祖として発想されたものでないというのが真実のようである。仏法には祖はいらないが、仏教となれば必らず元祖も派祖も必要になってくるのは、武士道に元祖を名乗る者がないのは思想である故である。これが武道・弓道となれば必らず元祖がある。茶にしても花にしても同じである。西洋でも元祖カント二代カントなどとはいわないようである。日蓮は一宗の元祖でないというのは宗教として受けとめるべきでないという意味をもっているのであろうが、事実は反対に出たのである。仏法は思想であるから元祖の必要がないということであろう。

 大石寺でも一閻浮提総与とか本因の本尊から見た日蓮、開目抄や本尊抄も、仏法の立場から見れば実に大らかであるが、日蓮正宗となると、日蓮像は急にこせこせと頑になってくる。それは仏法で受けとめるべきものを、誤って仏教と受けとめたためであろう。自分を正、他を邪ときめてかかる処など最極の処である。開目抄なども、思想として捉えるなら、もっと大らかな処で流布するであろうし、現に思想の面からいえば充分に流布しているようにも見える。それは見方の相違である。水島先生程の学者が何故氣付かないのであろうか。誠に不思議千万な事である。

 仏法に帰れば謗法の考えも随分変ってくるであろう。南北朝から室町にかけては仏教の上の謗法の盛んな時であるが、今は大石寺のみに謗法が盛んであることは、大いに考えなければならない処である。或は仏教以上のものが陰で動いているためなのかもしれない。その正体は一体何物であろうか。日蓮が宗も親鸞が宗も、己心に本仏を立ていることは同じであるが、親鸞には戒定恵が未だ表にあらわされていないようである。そして日蓮は戒定恵から事が始まって己心の本仏を立てているように見える。日蓮のは仏法であるが、親鸞には仏法とはいえないものがある。そして弥陀も強い。やはり仏前法後の感じをもっている。己心に弥陀を唱えても本仏には至らなかったのかも知れない。まだ仏教世界が強かったのであろう。思想としては今一歩という処が残されていたのではなかろうか。

 しかし蓮如によった本仏エネルギーの爆発は、今もその時の信者は宗門についているが、大石寺にはついにこのような爆発は起きなかった。三鳥派の時も異流義の時もまた創価学会の時も、何れも宗門との間に起きたものではなかった。そのために信者はそれぞれ三鳥派・異流義・創価学会の処に収まったのである。あれ程本仏を唱えながら、信者との間になぜ爆発が起きなかったのか不思議な事である。三鳥派の時は三鳥派に、異流義の時はそれぞれに信者は収まり、蓮如に時のように、そのまま本寺につながらなかったのが特徴である。大石寺では、仏法を唱えるために爆発によって集まった民衆は、本寺には付けなかったのか、或は本寺には爆発する必要がなかったのか、そこに仏法を立てる大石寺と、蓮如との違い目があるのかもしれない。三鳥派も異流義も学会も、何れも仏法に至る直前で爆発を起していることは、本来仏法を立てていない真宗で、本寺と信者の間で爆発したのと、一脉相通じるものがある。あの場合、親鸞の処で明らさまに仏法が建立されてをれば、あのような爆発は起きていなかったかもしれない。そうなれば大石寺の場合は本仏がこれを拒んだということにもなる。爆発は仏法の直前で起きるのかもしれない。この前後(蓮如の場合)には日蓮門下との間には謗法思想が高揚した時期であった。法華が独善的な謗法思想を高揚される時である。即ち最終的に独一から独善に移った時期なのであろう。大石寺のいう謗法は独一であり、戒定恵を含んでいない法華経を唱えることを指しているようであるが、今は独善の処に謗法を立てているように見える。それだけ宗教化が進んで来たということであろう。

 

 

 

悪人成仏

 

 文の上の広宣流布をとる時、衆生の成道はどのようになるのであろうか。吾々に委しいことが分る筈もないが、開目抄で二乗作仏と久遠実成を文底に持ちこまれていることは、法華経には衆生の成道は説かれていないということのようである。そこで文の上をとれば成道はどうしても死後になる。そうなれば本仏・本尊と成道が各別になる。これでは宗祖の願望とは真反対に出ることになる。生き乍らの成道こそ大きな願望であった、そのために二乗作仏が必要であったのであろう。二乗は善人である。その永不成仏の二乗は法華に至って漸く成道するが、これは生きながらの成道である。それを滅後末法に仏法を立て、そこに愚悪の凡夫の生きながらの成道が考えられるのである。文上をとれば生きながらの成道は二乗に限る。そこに文底という仏法の必要がある。これは愚悪の凡夫のみが対照であり、釈尊成道以前に置かれているようであるが、二乗は成道以後にあるので善人成仏となる。

 親鸞が善人すらなを成仏すというのは二乗作仏を指しているが、浄土経では出ない処であり、ここは内々に法華によったものである。そして悪人成仏も本因にあたる部分は説明されていない。そして、善人すらなを成仏す、況んや悪人をやとなるので、吾々は隠された前段の本因にあたる部分が分らないが、今この部分がどのように説明されているのであろうか。当時関東方面には、四明流とは別な、民衆成道が盛んになって来たのではなかろうか。一念義はそのような民衆の欲求の中に生れているようで、親鸞の教えは本来仏法の立場にあるものである。これに対して日蓮が法華の立場からそれを明したのが開目抄であり、そこには本因の部分のみが詳細にされているのである。善人すらなを成仏すでは結論だけしか出ないので、これも信心によって理解するのが身近かな方法なのかもしれない。己心の弥陀や唯心の浄土も同様であるが依経の制約によって立ち入ることが出来なかったのであろう。覚如の時は四明流に影響されたのか、急に京風に変っていったようである。

 親鸞や日蓮のような考えは、本来その人一代に限るのかもしれない。思想的な面が強いためであろうか。これは仏法的である。元祖・二祖・三祖が表に出る頃は仏教的な方向に進んでいる時であるが、大石寺のみが仏法を残し、室町の終りまで続いたが、その後大きく崩れたのである。真宗では唯円の跡はどのようになったのであろうか。或は時代の新しい動きの中で消えていったのかもしれない。日蓮門下も宗教として一派を興している時、覚如も宗教として踏みきろうとしたのかもしれない。己心の弥陀では一宗を立てることは困難であったのかもしれない。従義から四明への転換が行われていることは間違いのない処であろう。

 この悪人とは今いう処の悪人ではなく、愚悪の凡夫であり、根本は釈尊の成道以前の凡夫身をさしており、仏のもとにあたる。これを愚悪の凡夫の仏法の時に別立して常の凡夫にあてて本仏といわれているように思われる。その故に師弟共に愚悪の凡夫であるが、後には師のみが本仏になり弟子は本仏の座から外され、刹那成道によって現われる本仏が、一人となったために生れながらの本仏というように変ってくる。今大石寺の本仏は生れながらの本仏から更に三世常住の肉身本仏ということになっているのである。この愚悪の凡夫と親鸞のいう悪人とは同じであり、善人とは法華経の二乗作仏の二乗を善人と称しているのであろう。しかし、これは世間でいう善人ではなく、二乗に限られているようである。その点親鸞には法華に近いものを持っているようである。この悪人善人は世間の善悪に解されやすいものを持っている。開目抄では善人悪人は委しく説明されている。その善人成仏を、仏法を立てることによって愚悪の凡夫の生き乍らの成道に切り替えられている。善人成道は法華経の文の上のことであり、愚悪の凡夫の成道は文の底であり、この故に己心の法門が必要なのであるが、己心を邪義と決めては衆生の成道は成り立たないであろう。その時戒定恵によって純円一実の処、無差別を立てることが必らず必要なようである。親鸞では、直接には一乗要決を使われているものと思われる。只表立って法華経が使えなかったために、戒定恵を明らさまに出せなかったのではないかと思う。門下が仏教に替る時期と覚如とは大凡同じ時であり、そこに時の流れが感じられる。

 親鸞は浄土経によるために戒定恵を内秘せざるを得なかったのは痛い処のように思われる。悪人成仏がもてはやされても本の法華経を表に出すことが出来ず、浄土経をもとにしては経の上での会通が出来ず、いきなり世間の悪人につなげて考えるような処があるのではなかろうか。そこで分らないまま共鳴を得ているような処もある。

 

 

 

熱原の愚痴の者共

 

 愚痴の者共とは愚悪の凡夫であり、本仏の資格を備えているが、近来は三烈士の語が専ら使われていた。勇ましさはあるが本仏とは異なったものを持っている。この三烈士が戒壇の本尊と一箇して説かれていた。魂魄や己心とは別な雰囲気を使っていたのであろう。その後十月十二日の処刑が四月八日と改められ、また十月十二日になっていたが、今は十月十五日に改められた。しかし究竟中の究竟の本尊説が出ると、何となし十月十二日説の復帰を思わせるものがある。これが現在の説と思われる。どうも熱原の愚痴の者共も落付かないし、本尊もまたそわそわしている感じである。やはり戒壇の本尊への連絡の仕方に問題があるようである。処刑され頸が飛んだ故に戒壇の本尊となったのでは、本尊としてはちと物騒であるし、仏法の己心の本尊としては少し無理が目に立つようである。これでは同じく頸の座に上っても、本尊になるためには頸が飛ばなければならない。頸が飛ばなければ本尊になる資格がないということにもなり、開目抄などに示された本尊とは全く別なものになるし、丑寅勤行に顕われる本尊とも異り、古伝の法門とは遊離したものになる。これは反って他から誤解を招くことにもなりかねない。

 究竟中の究竟の本尊とはどのような意味をもって称え始めたのであろうか。そこには真蹟の意味を内蔵しているようにも思われる。これについては、大正以来可成り苦境に追い込まれている筈であるが、相手方を完全に屈服させる理が整備されたというのであろうか。少し軽々し過ぎるのではなかろうか。二三年前肉身本仏論が専らであったが、今は熱原三烈士本尊論が復活しようとしているのであろうか。本仏も本尊も、どうも落ち付かないようである。

 そのような中で常に落ちついているのは、事行の法門として丑寅勤行に顕現される本仏本尊のみである。これは愚痴の者共の上に顕現されるので、必らずしも宗祖一人に限るものではない。その辺に何か都合の悪いことでもあるのであろうか。

 三世常住の肉身本仏論といい、究竟中の究竟の本尊といい、どうも落ちつきのないのは気掛りである。しかも、どちらも開目抄や本尊抄等の本仏や本尊でないことは尚更気掛りでならない。陰で何が考えられているのであろうか。今振り返ってみて、山田や水島が血相かえて悪口雑言をやった時は、必らず当方のいい分が異様に真実に触れた時のようである。それ程先生方が真実の法門を斥う理由がどこにあるのであろうか。あまりにも正直過ぎたようである。いかにもゆとりのなさが、反って人にものを考えさせるのである。これはあまり賢明な方法ではなかった。そのために即答も出来ず、長い時間の必要があったようである。しかし、今度はさすがの水島も矢種が尽きたか、折伏と広宣流布に向って振り切り発車を決めたようである。何れが先であったか忘れたが、究竟中の究竟の本尊説にもお目にかかることが出来た。何ともあわただしい次第である。さてこの広宣流布の完了はいつの予定であろうか。

 しかしながら、それ以前に本尊そのものをはっきりさせなければならない。或は究竟中の究竟の本尊がそれに当るとすれば、その本尊とは熱原の三烈士ということになる。広宣流布と三烈士とはそれ程緊密な連絡があるのであろうか。水島程の強の者も、一人の不信の輩の折伏は遂にあきらめざるを得なかったようである。途中で止める位なら、秘蔵のものを与える前にやめておくことであった。与えるだけ与えておいて投げ出すのは賢明な方法とはいえないであろう。関連の御書は愚痴の者としての扱いであるが、究竟中の究竟の本尊は頸を切られることが条件である。内容的には雲泥の差があるが、今再び愚痴の者から三烈士への切り替えが行われた処で、折伏と広宣流布への出発ということであろう。寛師の語もよく味わった方がよい。

 

 

 

以信代恵

 

 今の宗門の考え方からすれば、信心によって戒壇の本尊を得たということになるが、宗祖にはあてはまらないであろう。この信の一字とは主師親の上に考えなければならないと思う。その信心は信者専用語であるが、時には宗義に昇格するようなこともある。全く無差別である。施す側と施される側と、時には無差別になることもある。師弟にしても無と有の二様の立て方がある中で、無差別であるべき法門が有差別となっているのは法と教との混乱である。法は本因にあり教は本果にある。その混乱によって逆に出るようなこともある。純円一実の処は戒定恵でもあれば己心の境地でもあり、一切無差別であるが、一旦口から外に出れば貴賎老少老若男女は即時に有差別と考えられるむずかしさがある。日蓮正宗伝統法義や水島教義は信心以外では考えにくい。そのためか、無差別である筈のものが有差別と出る。また師弟にしても本来無差別であるものが、始めから有差別のみの処で考えられているのである。しかし、以信代恵は無差別の境界で考えたいものである。

 

 

 

一閻浮提総与

 

 この語は本来、開目抄や本尊抄に関わる語である。即ち本因の上に解さなければならないものであるが、今は専ら本果の上に解されているのである。戒壇の本尊を真蹟ときめた上で一閻浮提総与とするために混乱が起るのである。真蹟といわない頃には何事もなかったものが、大正になって真蹟と決めた処から混乱が起きているのである。真蹟となれば門下一般に関わりを持ってくるのは当然であるが、本は一般民衆に対して信不信には関わりなく総与といわれたものであり、本尊の性格を説明された程のものであるが、本果となり、対告衆が決まれば状況が一変するのは当然のことである。今また敗北の腹いせをそれへ向けようとしているとすれば、以っての外の愚案である。究竟中の究竟の本尊もその意味をもっているのかもしれない。次ぎ次ぎに寄り集っているのではなかろうか。

既に内堀が埋められていることを知らなければならない。意外と逆効果が出るようなことになるかもしれない。

 信不信以前の処即ち本因の処で出来たものが、一宗建立以後本果の立場から真蹟ということになって一閻浮提総与となった時に混乱が始まっているのである。己心の法門は邪義ときまり、戒旦堂として始まった正本堂も出来ているし、折伏と広宣流布も宗義として本決りとなって護法局も出来て一年半が来た。そこへ究竟中の究竟の本尊も顏を出したということで、大体必要なものは出揃ったようであるが、護法局だけは一向に動いているようには思えないのは気掛りである。その内に動くつもりなのかもしれない。何れにしても危険な状態を迎えていることは確かではあるが、肝心の気合は今一つ乗って来ないようである。未だ時が動かないのであろう。いつになったら時が熱するのであろうか。

 一閻浮提総与の語が一宗建立以前の処で受けとめられるなら、何の不都合もないが、滅後末法六百年を過ぎて急に真蹟となり、同時に日蓮正宗も発足した。その直後に問題がこじれたのである。真蹟をもって遺命があれば、他門下は日蓮正宗の下に集まらなければならない。そこで始まったのが真偽問題であったが、これは元より有利な筈はない。今究竟中の究竟の本尊を中心に何が考えられているのであろうか。久遠名字の妙法と事の一念三千による本仏や本尊も出終っているし、正本堂も出来ているのであるから、残る処は護法局の活動開始のみである。戒定恵と無縁になった三秘にどこまで力があるか、阿部さんの思惑通りに事が運ぶかどうか、とくと拝見したいものである。

 戒定恵を根本とすれば末寺数や信者数にこだわる必要はないが、今は数字の増える事をもって仏法興隆と考えている。それは仏教興隆である。内をとるか外をとるかの相違である。御本仏日蓮大聖人などという語は、仏法に限られているものと思っていたが、今は迹仏世界にあって使われている。本尊もまた迹仏世界において解されており、そこに色々と複雑な問題が起るのである。本仏世界に起きたものは、どこまでも本仏世界に限るのが原則であるにも拘らず、殆どが迹仏世界のみで解釈され運営されているのである。そこから問題は起っているのである。案外このようなことには無関心のようである。これでは仏法に立ち返ることも、戒定恵を根本とすることも容易なことではない。そして自分でも分らないいらいらが、自然に悪口となって口を衝いて出ているのである。ただ戒定恵さえ根本とすれば悪口は即時に退散するであろう。あわてて天台のものを学んでみても、ただ時の混乱のみが待ち受けているのみで、既に経験した通りである。

その時の混乱があえなく敗戦と表われたので、ここは素直に受けとめなければならない。たまには人の好意も謙虚に受け入れた方がよい。

 本仏や本因の本尊を称えながら戒定恵や己心を捨てることは殆ど自殺行為に等しいものである。まず開目抄を読むことである。そこには「次上」も「阡陌」も共にある。一度見ておけば日本語にないとか御書にないとかいう必要はない。そこで法門の出生をたしかめなければならない。そのようにすれば、自然と悪口も雑言も影をひそめるであろう。そのようにすれば、狂った狂った、狂いに狂ったとか、狂学などという必要は消滅するであろう。何はともあれ、釈尊の因行果徳を頂くことである。この因行果徳とは仏法の処において受持するものであることに注意してもらいたい。

阿部さんを先立ちとし、教学部長を後に従えての狂騒は、あまり体裁のよいものではない。

 

 

 

久成の定恵

 

 三位日順の本門心底抄にある語で、三大秘法抄と或る関連をもっているのではないかと思う。正本堂建立については、両抄とも大きな依拠になっている。「久成の定恵已に実現しぬ、末法の戒旦豈立たざらんや」のように記憶しているが、違っておれば訂正してもらいたい。 三大秘法抄の三秘は、取要抄の三秘と時が違っているので、どうしても迹門に出るようになっている。戒定恵を除いた三秘であり、四明流によって解されているために文上に出るのであろう。仏教の処に仏法の三秘が出ているのである。そのためにこれを依拠とすると、自然に文上に出て来るのである。像法の戒旦と同じように本寺に戒旦が出来るようになっている。これを宗祖は禁められているのである。本寺に出来た戒旦は主として僧になるための戒旦であり、戒を受けたものはどうしてもその傘下に入り易い。昔は勢力を扶植するために戒旦が利用されたように思われる。それを宗祖は斥っているのである。

 基本的な考えが像法にあるために、自然と像法の戒旦を選ぶようになったので、末法の戒旦は既に建立ずみで、今も戒旦として働いているのである。只それに気付かなかったまでである。仏教の戒旦がすたれて末法の戒旦は建立済みなのである。そこに戒旦が建立されてみても像法の戒は終っているために、戒旦として働いた事は建立以後一度もなかった。しかも滅後末法の戒旦は常にその機能を発揮している。阿部さんも気が付かない処での事である。そこに在滅の戒の違いがあるのである。阿部さんはこれをも増上慢と称するであろう。これは気が付かないのが迂闊のように思われる。とも角出来たのは、久遠実成の定恵と同列の戒旦であることは間違いのない事であるが、時は既に移って像法の戒旦の必要はなくなっているのである。そのために正本堂で授戒が行われないのである。

 昔戒旦堂で行われた授戒は、本来として六壷で行われていて来ていたのである。今でも意味合いからすれば六壷の領知する処である。教学部で何故これが分らないのか、何とも不可解な処である。像法の戒は末法には通じないことを如実に表わしている処は、時のきびしさという外はない。この現実を注視しなければならない。

増上慢といい怨嫉と称しても、時の厳しさに抗し切れないであろう。

 始まりの頃周辺が騒がしかったのは、戒の異りについて警告を発し、好意のなかでその誤りを止めて呉れたのであった。若し、他門が黙って見すごしていたなら、戒について飛んでもない過ちを冒す処であった。何を措いても感謝しなければならない処である。邪宗どころか最高の善知識であったのである。危機一髪の処で阻止して呉れた功は大いに感謝しなければならない処である。邪宗こそ真実の味方であった。それとも知らず邪宗と称しているのは自分等であり、味方として誤りを直前で阻止してくれたのは他宗門であった。

 その他宗に在り方は、実は山法山規・事行の法門そのままである。大石寺極意の法門を示し乍ら、直前で阻止してくれたのであった。理由も示さない処は山法山規の在り方である。山法山規や事行の法門は世間にはどこにもありふれたものである。それを捉えて法門の最深秘処に居えているのである。ここらに大石寺法門の真実があるのではないかと思われる。怨嫉はむしろ宗門側にあるようである。捉え方によれば怨嫉は即時に大らかなものになる、その大らかさが文底法門の身上である。一閻浮提総与もこれと同じであって、文底でよめば実に大らかであるが、誤って文上でよめば到底他宗のいれようのないものと現われる。内容的には寸分の変りのないものである。常に文底で読めるように準備しておくことこそ肝要である。それが今求められている修行なのではなかろうか。文底法門には高座から見下して説明するようなものは一向に見当らないようである。このあたりに水島御尊師の誤算もあるのかもしれない。内容さえあれば、わざわざ高座を高くする必要はない。それが仏法の示す処であると思う。それにも拘らず水島御尊師の高座は特に高いようである。

 とも角も、虎を市に放つごとしといわれた宗祖の御遺命に背かずに終ったのは他宗の恩恵であった。もしこれがなければ宗祖違背の大罪を犯す処であったが、十三年経って戒旦の作きのないことは、勿怪の幸といわなければならない。改めて滅後末法の戒旦は末寺であることを知らなければならない。阿部さんが増上慢と称するのは御自由である。若し正本堂が戒旦ということになれば、それは像法の戒旦である。己心が邪義であるなら末寺を戒旦としては認められないであろう。色々と矛盾が重なってくる中で、法華本門の戒を持つや否やとか御授戒といい乍ら、あれは戒ではないといわなければならない。これ亦厄介な問題である。改めて三大秘法抄も検討しなければならない。久成の定恵と久遠元初の定恵の混同があってはならないのである。この両者の時の混乱から事が始まっていることを、まず知らなければならない。久成をとることと己心を邪義とすることと、結果は迹仏世界と何等変りはない。そのような中で観心の基礎的研究が優秀論文と認められることも、至極当然の成り行きである。しかし水島の企画は、どうやら失敗に終ったようである。

 戒定恵は迹仏世界にもあれば本仏世界にもあるが、開目抄のは本仏世界のものである。現在どこに考えられているのか、開目抄や本尊抄にはないということなのか、現実には本仏世界の戒定恵は全く認めていないように見える。そのくせ本仏を称えているのである。諌暁八幡抄でも戒定恵は本仏世界に立てられている。何れを見ても滅後末法に立てられているのであるが、正本堂建立について急に在世に替えられているのは、どのような理由によるのであろうか。或は在世像法の戒旦建立のためであろうか。どうも分らない処である。

 水島ノートの最終回には、大石寺の信者になって題目を上げておれば功徳を受けて金が出来たのにということが載せられていたが、これでは諸宗も一人前には扱って呉れないであろう。御尊師と仰がれる人がその程度なのである。これでは宗教家としては失格ではなかろうか。信心したから金が儲かった、憎い奴が死んだから、交通事故にあったから功徳だというのはどうも戴けない。一日も早く脱皮することである。魂魄佐渡に至るとは俗身を遮断すると同時に俗事をも遮断することであるが、今は反って俗身俗事にしがみついている感じである。口に仏法といい、本仏日蓮大聖人といいながらしがみついているのである。金が儲かったから功徳があったといっても、世間の人々は中々追随して呉れない。世間はそれ程進んで来ているのである。今は金が儲かったから功徳があったと叫んでみても、信者さえ顔をそむける時勢になっているのである。

 まして完敗した相手にこのような言葉を投げかけてみても、勝利に切りかわるような御利益はあるまい。自宗の法門について僧侶が不信の輩である職人に追い込められて、悪口雑言のみをもって答える程無慚なことはない。無学の故がわかれば大いに学に励んで、法義をもって打ち勝つべきである。何時何処でも相手を折伏出来る者こそ学匠であり、これを巧於難問答の行者というのである。追いつめられて、あわてて他宗のものを読みはじめてみても、問答は既に終っているのである。昔から問答は即問即答である。三年も過ぎて答えが返って来るようでは、とても問答とはいえない。御尊師以って如何となすか。

 仏教には或は御利益もあるかもしれないが、自行自力を誇る仏法に御利益がある筈もない。何故御利益や功徳があるのか、まずは足元を見直すべきである。それこそ仏法を仏教の中において考えている証拠である。これが時の混乱である。自力にあるべきものが他力の中で考えられている。それも極端な他力の中で考えられているようである。或は威しのようなものが反って時を誤ったために他力と現われたのか、自行自力は言葉の上にあっても、現実に他力一本に絞られて、それが威しの力を発揮しているようである。

山田教学では、戒定恵の失われた三秘から三学を見ているようである。久成から元初を見ているのである。元初に出来たものを久成に下しているのである。今はそれさえ意識の内にはなくなっているのである。そこで逆も逆、真反対と見えるのである。山田はそのような教学の中だけで育って来たので、批判力が失われている。つまりすなおなのである。そのために天台のものを見ても無批判に受け入れられるのである。一つには内容的に批判する基準を持ち合せていない。そのために異様な時の混乱の中で自滅したようである。今度は冷静な批判力が出来てからにした方が好い。山田には始めから戒定恵などなかったのである。そして追求されて始めて教学のないことに気が付き、三年がかりで天台や中村仏教語大辞典で速成勉強をしている間に、ついうっかりと、擒になってしまったということのようである。今度はそこから脱れるのが大変であるが、是非それだけは実行してもらいたい。戒定恵は始めからなくなっており、わずかに仏教の中にあって仏法や本仏などの語が残っているのみである。

 開目抄では外典に仏教を摂入して戒定恵を見出だしたのであるが、伝統法義では戒定恵を消した三秘をとり、これを仏教に摂入して新しい解釈を付けたような形になっている。そのために迹門との区別が付きにくくなっているのである。三秘も四明流の天台学によって色付けされているのではないかと思う。それだけに天台学とはいつでも一つになれるようになっている。それが日蓮正宗伝統法義である。しかし時には戒定恵が三秘の中で働くまぎらわしさも持っているのである。本仏も久遠名字の妙法と事の一念三千から現わされるが、久遠名字の妙法などは、その出生が明らかにされていない。そのために本仏も本尊も不安定な処を持っているのである。つまり戒定恵と己心が表に出ていないのが根元になっているのである。久遠名字の妙法と事の一念三千があるのみであり、それだけが伝統法義なのかもしれない。戒定恵や己心は一切認めていないようである。それがやがて三世常住の肉身本仏を誘い出してくるようにも思われる。思い付けば速刻伝統法義となるような下地を持っているのである。そして直ちに正義となる仕組みのようである。法門として肝心な処については一切触れないのも大きな特徴である。そのような中で仏法から仏教への転化が行われるのかもしれない。とも角仏法を安定させるためには、戒定恵と己心を確認する処から始めなければならない。時の確認が必要なのである。しかし、今は時を失って仏教の処にいるのであるから、格別に時を必要としないことを根本としているのである。時がないために久成の定恵も、それ程の区別を立てる必要はなくなっているのである。しかし、元初の定恵は戒と別立するようなことはあるまい。しかし、三学が若し仏教へ移るなら、そこでは各別になることはあり得るであろう。時さえはっきりしておれば仏教へ移るようなことはない。それだけに久成の定恵には異様な響きを持っているのである。

 久遠実成と久遠元初が混乱している処へ、更に戒定恵が加わったために、仏法と仏教との混乱がいよいよ深まっている。明治以来区別はなかったものと思う。一見区別は付いているようで区別がなかった。それが受け継がれて日蓮正宗要義でも、久遠実成の延長線上に元初を見ているのである。これでは迹仏世界を一歩も出ているものではない。若しかすると実成が元初の彼方に出る可能性もある。これは同じ時でも、迹仏世界での時であって、仏法と仏教との間の時とは各別である。仏法の時が確認されていない正宗要義の久遠元初は、仏法の元初とは自ら別である。つまり仏法の元初は未確認ということである。

水島教学もまたこのような混乱の中から一歩も抜け出ていないので、仏法の道は遥かに遠いといわなければならない。そのために法論には至らなかったのである。

 自分の処でもはっきり区別が付いていないのであるから、他宗から見て分らないのは当然のことである。

仏法で出来たものは仏法で解釈を付すべきである。それが全く区別が付いていないことは、山田・水島教学には一目瞭然である。行き詰りはそこから始まっているのである。それを只悪口雑言のみをもって抜け切ろうとしたために行き詰ったのである。一片の反省があっても然るべきであるのに、それさえないのである。御両人のいう処は、結局数の殖えた事と功徳によって金が入ったということが全部であって、とても仏法の領域に入れるようなものではない。

 今は宗門あげてその中で踊らされているようである。それこそ迷惑法門であり蝙蝠法門である。

水島の敗退の弁を見ても、いかに法門不在であるかという虚しさのみが紙面にあふれている。常に一貫して来たのは仏教以前の話しである。これをもって仏法と称しているようにも見える。しかし、これは戒定恵や己心不在のものであり、これをもって仏法ということは出来ない。

 いま差し当って問題は、いかにして戒定恵などを取り返すかいうことに尽きる。しかし、今となって仏法に帰ることは容易なことではない。いつまでも信心をしたら金が儲かったから功徳だ御利益だということのみが全部であっては、開目抄の原点に立ち帰るようなことは、殆ど不可能ではなかろうか。五年六年を振り返ってみても、開目抄の戒定恵には一度も御目にかかれなかった。そして観心も四明流の観心によって結論付けられた。それが成果であったのである。仏法と称しながら、それが仏教であることにさえ気が付いていないのである。そのことを、自らの手で明了にした。これをもって罪障消滅の一端と見ることにしておく。低俗というより外にいいようのない処である。戒定恵を忘れた仏法などというものは、開目抄からは到底想像することさえ出来ないものである。しかし、開目抄の仏法は宗教的な雰囲気は非常に稀薄である。そこに仏法の語のみが取り出される可能性があるようでもある。そして急速に仏教化する。全く逆方向をとるようになったのではなかろうか。ここで戒定恵がまず失われるのである。そして外典に仏教を摂入して出来た仏法が再び仏教に立返ってそこに新しい仏法が出来るように思われる。その時己心の法門が消えるのである。吾々のいう仏法は始のものであり、宗門がいう処は後のものを指している。そこに相容れることの出来ないものがあるので、むしろ思想として見直すべきではないかというのは、本の仏法についてである。これがはっきりとすれば、次の仏法の修正もまた可能になるかもしれない。現状では、仏法も本尊も成道も殆ど消滅同然の状態ではないかと思う。若し、思想として取り返すなら、必らず復活は出来ると思う。そして仏法の中に宗教分としておけば、仏法は本のままに保つことは出来るかもしれない。天台の智恵によって分が気掛りであれば、現状のままにすればよい。仏法では宗旨分として客殿、宗教分として御影堂の立て別けは初めからあったものである。漢光類聚の解説に心を奪われる必要はないと思う。しかし天台学者の説に絶対服従を誓っている向きは各別である。

今のように、自分も分らない、他宗も分らないでは困りものである。そこに登場するのが信心である。この信心は、通常の信心とは別な存在である。それだけにこの信心も亦不可解なのであるが、これが亦異様な働きを持っており、時には二つを収めた信心の場合もあるので、いよいよ複雑である。この語もまた大石寺独自の語であるが、大体は明治以降に出来たものと想像しておる。その信心のない者が不信の輩といわれるが、これは主として他宗の者に対して使われる語であり、これによって自分が異様な高位に駆け上れるものを持っているようである。これは他宗の者に対する時は、必らず陰で使われる語である。その時の宗門人は全て有徳の御尊師である。筆者は、第一回目は院達をもって堂々と不信の輩といわれた光栄に浴しているが、このようなことは例外であって、殆ど他宗に対する場合は陰に向いて使われる語である。しかし、実際には、この院達も宗内向けであったのかもしれない。たまたま、こちらの眼に映ったまでのことである。専ら貝が蓋を閉じた時に使われる特殊用語である。又自ら視野を狭める時には大いに有効であるが、反って孤立化する恐れもある。そのようなものを秘めている特殊用語である。追いつめられた時には常に使われて来た語である。それと同時に狂っているとか狂学という語も使われるが、これも自分達の最も弱い処を突かれた時に出る語であるから、その弱点を知るためには、反って利用価値の多い語である。最後の方は久成の定恵とは無関係になったことをお佗びすることにする。

 

 

 

不開門

 

可成り以前に書いたように思うが、思い出して再録することにした。

 ここに表わされた広宣流布は古伝そのままであると思う。やはり山法山規として見るべきものと思われる。そのために事行が強い割合に、その本来の意義はそれ程明らかには示されていない。しかも今に事行の上には絶えることなく受け継がれているのである。

 不開門は己心の法門がそのまま事行に表わされた広宣流布の姿である。門を開けば完了である。五々百歳広宣流布完了の姿である。滅後末法であるから、始が根本であり、終りは常に始に集まっているのである。これが経の上にのみ考えられる時は、終の方に始が上ってゆき、完了は終に求められるようになる。宗門や正信会の広宣流布は経の上の広宣流布、即ち文の上の広宣流布であるが、不開門に示されているものは己心の上の刹那の広宣流布である。文の底の広宣流布である。

 天台の五々百歳遠霑妙道のみに頼りすぎると、文上に出る恐れが多分にあるが、依義判文抄では始めに三学を明されているので、その後の遠霑妙道は己心の上に考えるべきものである。それを今では見捨てて文の上に、迹門の処に考えているのである。そのために戒定恵もうすれ、己心の法門を邪義と定めた上で、広宣流布を文の上にのみ持ち出しているのである。これは明らかに時の混乱である。己心から己心の外への逆転である。既に大勢が法から教に移っているのである。そのために教の眼をもってすれば、法が反って狂と映るのかもしれない。

詐りのない心境のあらわれである。半年分をまとめて、始めに広宣流布完了の宣言であるが、

 本来は刹那の広宣流布の姿であり、これは明らかに仏法の上にあるものである。それを事行の法門として建築物をもって表わされたまでである。要はその中味である。若し建築物にのみ執着すれば「逆も逆」ということである。今では反って迷惑しているのではなかろうか。そのために今の門はやや西寄りになっているが、以前は客殿から辰巳にあたる処にあったようである。これは閻浮提を目指しているためである。宗を挙げて迹門の広宣流布をとなえてみても、己心の広宣流布は昔ながらに古い伝統を示しているのである。

 何れを選ぶべきか、考える程のことはあるまい。わざわざ山法山規を持ち出して、自分等にも分らない、お前達に分る筈がないということもあるまい。これでは、宗門の法門の本源がわからないという無智の程を公開したまでのことである。分るまで探ってゆくことこそ、末弟のやらなければならないことである。それ程簡単に抛棄するような筋合いのものではない。何か勘違いしているのではなかろうか。考え方が迹門に遷れば、不開門も法門的には無意味なものになるのは止むを得ないことである。これまた時の移り変りである。宗門は常に時の浮動の中に左右されているようである。このようなことの無いように山法山規と事行の法門は用意されているのである。

 不開門が開けば即刻一閻浮提の内は広令流布ということであるが、今は一向に無関心である。即時完了である。己心の法門による故に刹那に完了するのであるが、今は一人一人を折伏した上で完了ということに決まっている。これは経の文の上そのままであるから、仏法とは異った方式によっているのである。そのような中で三分の一ということも考えられた時代もあったが、それにしても十数億とは大変な数である。正信会ではどのような数字を立てているのであろうか、是非知りたい処である。今の立て方には多分に宗教的な匂いがあるが、本来は法の上に立てられているので、現在の立て方からすれば、宗門も正信会も教に移っていると見るべきであろう。教前法後即ち仏前法後に移っていると考えざるを得ない。即ち仏法から仏教へ移っているということなのである。時の混乱の結果は、何の抵抗もなく法から教へと移行するようになっているようである。

これについては水島説が最もよくこれを表わしている。

 時をもって建立せられた日蓮が法門は、今や時のないのが大きな特徴になっているのである。随分の変りようである。法を確認された上で教が働くなら仏法興隆ということであるが、教のみの先行をもって仏法興隆ということは出来ないであろう。法をもって宗を立っているからには、法の確認こそ仏法興隆というべきである。一度不開門の意義を考え直してみる時ではなかろうか。

 

 

 

丑寅勤行

 

 連綿として続いて来た丑寅勤行とは、一体どのような意味を持っているのであろうか。どうもはっきりしたものがあるのかどうか分らない。宗門ではどのような定義付けがあるのであろうか。今では、昼は正本堂、夜は客殿ということで、丑寅勤行は夜の部である。昼は板本尊を中心としているが、夜の本尊はどのようになっているのであろうか。宗門では楠板の本尊だけしか認めていないようであるが、丑寅勤行は何れの本尊によっているのであろう。昼夜共に板本尊なのか、それとも夜は本因の本尊として御宝蔵に鎮座の本尊なのか。昼は本果の本尊、夜は本因の本尊として御宝蔵の本尊に向って勤行しているのであろうか。この本尊は客殿の奥深くまします本尊として、その姿を直々に拝することの出来ない本尊である。どうもこの本尊に向って勤行しているように思われるが、宗門の解釈は戒旦の本尊なのであろう。もしそうであれば、戒旦本尊も御いそがしい事である。さて勤行はどちらの本尊に向って行われているのであろうか、気掛りな事である。本尊不在の御宝蔵に向って勤行しているわけでもあるまい。若し戒旦の本尊に向って勤行しているのであれば、本因の行に欠けることになりはしないか。これでは衆生の成道は在り得ないかもしれない。つまり本果は徳につながるもの、現在の法門は果徳のみを受持していることになる。

 因行を除いて果徳のみを受持するのは、昼間の勤行に属するものである。丑寅は特に因行に重点が置かれている。本果の行では、成道・本尊・本仏にはつながらない難点がある。この本因の行を修するものが本因の行者である。本果の行のみでは、果徳はあっても本因に属するものはなくなるであろう。因行果徳の二法を受持し、修行するのは丑寅勤行に限るようである。これまた戒定恵を知るためには重要な行事である。事行とは本因の行を修すること、その故にここに成道・本尊・本仏も現ずるのである。これを事行の法門というのも本因修行の別語である。そのために六巻抄では、その前段として戒定恵の三学が説かれるのであって、果徳を得るためのものではない。因行の大体は丑寅勤行に表わされている。それは本因の本尊に限るようである。本果の本尊の前の修行は果徳を得るのが目的ということになる。そのあたりから戒旦の本尊の功徳が強調されて来るのであろう。しかし本果の行をもって事行にはつながらない。事行の法門というからには、必ず本因の行でなければならぬと思われるけれども、現在は、この因行はただ山法山規の上に残されているのみである。今はその陰に「本因の行者日蓮」を避けようとするものが隠されているのではなかろうか。

これらについては水島からも、何の反応も示さなかった。四明を本流と仰ぐ水島教学では、無疑曰信ということのように思われる。

 「本尊について軽々しく論じるべきでない」とは既にこのあたりが不明朗になっているのを含んでいるようである。つまり分らないという意で、盲信心といわれても止むを得ないであろう。低俗化はその辺りに始まっている。仏法にのみ現ずるものが本果にのみ現じても何の疑いも持たないのである。水島教学はそのような処に成り立っている無疑曰信教学である。ここ数年間は、その虚を衝かれていよいよ仏法離れが盛んとなり、次第に仏教に根を下して来たように見える。しかし迹門に安住したのでは成道も本尊も本仏も、そして丑寅勤行も即刻捨てなければならない。結局は仏法にもあらず仏教にもあらざる処へ落ち付くのであろうか。これは丑寅の中間(ちゅうげん)ではなく中間(ちゅうかん)である。これによって一挙に大石寺法門の特徴である個性が失われることになる。これは大変なことである。しかし、数の増えた事のみ喜ぶためには、最も好い方法なのかもしれないが、最早法門といえるようなものではない。 法門とは本因に重点を置いて使っているのである。そのために日蓮正宗伝統法義とは根本的に違っているのである。数の増えた事を喜ぶのはあくまで外相一片の興隆であり、真の興隆は法門の確立された時に限る。即ち三人四人同座するなかれであり、一を単位とする時である。一を根本とするためには本因でなければならないし、多を取るためには本果に依らなければならない。宗祖は常に本因を指し示されているようであり、法門もまた長い間それが守られてきたそれが真の伝統法義である。山法山規は地下にひそんでこれを伝えているのであろう。

去年の夏の富士学報十三号はいかにもこれを如実に示して妙である。何れも生々しい現在の天台教学そのものであり、大勢はここまで来たのである。天台教学へ逃げこむ以外に方法がなかったのであろう。自信をもって威張っている処は、何れも天台教学そのままである。仏法に属するものが失われたために、天台教学に頼る以外に救いがなくなったことを示している。台家は後回しにして、まず当家を知れとは古来からの誡めであるが、今は逆も逆、真反対に出た処で、やっと水島も引き際を見つけたのであろうが、この水際作戦義理にも鮮かとはいえない。法門の上には何一つ成果は残らなかった。天台を丸写しにしてもそれは天台の観心でしかない。逆次の読みを忘れたのであろうか。寛師のものを挙げてみても、一向に連絡は付いていない。結局は迹門に引入されるのが落ちである。迹門の上に文底法門が建立されては大石寺法門とはいえない。しかし、丑寅勤行は天台教学をもって証明するわけにもゆかないので、これは全く無関心である。日蓮正宗伝統法義は大体迹門に出終ったようであるが、山法山規は独り古伝を伝えている。これは、その正体が不明であるために、周辺とは関係なく仏法を伝えているようである。事行に現われた処から逆次に想像する以外に方法はないようである。このあたりにも本因の行が事行に現わされる意味を伝えるのであろう。丑寅勤行は本因、正本堂の勤行は本果ということで両立するのであろうが、以前は御影堂が本果を表していたようで、今は本果が二分されたので、意味の通じない処も目に立つようである。御影堂の本果は仏法の中の本果であるが、正本堂の本果は一寸複雑な処を持っているようで、吾々不信の輩には一向に理解出来ないものがある。或は何かの拍子に迹門につながるものが頭をもたげるかもしれない。

 さて、丑寅といえば今の午前三時、丑寅の中間であり、諸仏成道の時である。それを仏法に移して行じる処は、釈尊の因行果徳の二法のうち、特に因行を主に行じているのであろう。諸仏の成道が衆生に変る処である。受持の上の行である。成道には必ず戒がいる、その授戒は末寺の擔当する処である。末法無戒といいながら、法華本門の戒を持つや否やと唱えているその戒とは、開目抄であり宗祖であろうというのが自分の今の解釈である。末法無戒の戒は在世の戒を指すもの、今の戒は仏法の戒である。同じく戒とはいいながら、そこに大きな相違いがある。

 宗門ではどのような意味をもって、法華本門の戒を解しているのであろうか。教学部長の統一見解はどのようになっているのであろうか、是非知りたい処である。持つや否やといいながら戒の意味は知らないでは、どうも頂きかねる。このような処も信心で解釈するのであろうか。信心気のある者には戒の意味が分っても、不信の輩には一向に分らないということである。これから折伏大行進も始まるようであるが、入信第一日の授戒の戒の意義位は、はっきりと決めておいてはどうであろう。これは教学部長の掛りのように思う。分らないまま、持つや否やというのは、入信第一日最初の欺慢ではなかろうか。

 無仏の世界といいながら一仏出現というのも戒と似ている処がある。これも他宗から衝かれそうな処である。このような紛らわしい語を使う時には時の変り目をまず示さなければならない。若し不用意に使って他からせめられた時には、忽ちに口を閉ぢなければならない。口を閉ぢれば敗者である。一仏の意義、仏の意義を説明しておいて使うべきである。信心しろ、不信の輩というだけでは充分とはいえない。末法無仏は在世についていわれること、一仏出現とは滅後末法即ち仏法に依るところ、そして、その一仏がいきなり本仏日蓮と出たのでは、当然異論が出るであろう。そこは順序をもって説明しておかなければ誤解の基になる。共に明らかにしてもらいたい処である。大村教学部長の頭の冴えを見せてもらいたい処である。これは教学を狂学と替えただけではすまされない、自宗の問題であることを知っておいてもらいたい。このような時には、天台教学は反って邪魔になるのではなかろうか。

 これは余談に亘ってしまったが、丑寅勤行とはどのような意味が含まれているのであろうか。これは山法山規の上の事行の法門であるだけに、始めから理に相当する部分は抜けていて、只事を事に行ずれば、その意味は充分に達せられるようになっているのかもしれない。しかし今まではそれでよかったとしても、今は昔のままでは通用しないかもしれない。そこは随方毘尼ということもある。世の中が進めば、少しは方針もかえてよいと思う。とも角理解出来るような説明は用意すべきではないかと思う。そこで、不相伝の輩・不信の輩といわれるのを承知で私見を記したい。

 仏教の諸仏成道という行事を仏法の上に移し、即ち宗祖の上に行じられた竜の口の頸の座から魂魄佐渡に至り、更に身延九ケ年から池上に終るまで、十二ケ年の宗祖の行功をそのまま我が身に移して刹那に再現している処に丑寅勤行の意義がある。宗祖の行功を我が身に具現することは、宗祖と同じ働きを示すこと、刹那に限って可能なのである。そして今に至るまで宗祖の行功絶える事なく再現され続けているのである。そこに釈尊の因行果徳も現われ、成道もあれば本尊・本仏も現われるのであろう。戒旦の本尊に向って題目を唱えるのは、仏法の中での仏教の在り方である。外典に内典を摂入して戒定恵を得、宗祖の受け止めた釈尊の因行果徳の二法を、竜の口以後十二ケ年の行功をそのままに、丑寅の中間に具現するもので、最も厳粛な行事であると思われるが、

 今は宗義の変貌によって、

その意義さえ理解の外に置かれたのではなかろうか。法門の一切はここに集中しているのではないかと思う。この時の本尊は必ず本因に限っている。いうまでもなく本因修行を表わさんがためである。果徳とは衆生成道を指しているのであろう。

 これらの意義は殆ど消え失せて、何の意義もなく繰り返しているのみである。天台教学に意慾を燃やしては、益々混沌としてくるであろう。

丑寅勤行に関しては、水島教学からは一言の反撥もなかった。現在の教学はそこに余す処なく表わされているのである。恐らく未だに何の究明もなされていないのであろう。

 今の教学が続く限り、その意義は益々薄れてゆくであろう。丑寅勤行は山法山規に属しているために、その意味不明のまま、昔ながらのものが伝えられて長寿を示しているが、今の教学は常に動いている。本仏が肉身に替るのも、仏法の埒外に出たためである。そして己心に建立されたものとは似てもつかぬものが出るのである。教義が替るために宗義そのものが変るのである。そのような処に水島教学は立てられている。今のように目まぐるしく変っては、長寿などとは全く縁もゆかりもなくなっている。そして追われる程常に浮動している。これでは本仏も腰を落ち付けて長寿などとは言っていられないであろう。これも一面には元初と実成の区別がついていないためである。そして鎌倉に生れた日蓮が、釈尊より遥かに遠い昔に生れたということにもなるのである。これは正宗要義の教学が迹門を一歩も抜け切っていない何よりの証拠である。百尺の竿頭から一歩も進んでいないことを証明している。

 仏法は一歩を進めるために世法に出ているのである。そのために受持が必要なのである。受持によって新らしい世界に出られることは、蝉がからを脱ぐのと同じであるが、今のように、からをきたまま空中に飛び立つような法門には永続性がない。何をおいてもからを脱ぐことを考えなければならない。いつまでそこにしがみ付いていても下種の境界に至るようなことはあるまい。口に唱えるだけでは下種の世界は開けないということである。丑寅勤行は、知るも知らぬも宗祖十二ケ年の行功を身をもって行じ、体得している処に意義があるのである。異論があれば真向から否定して反論を加えることである。言葉を換えていえば開目抄や取要抄を事に行じている姿であるが、今では切文的に扱っているために、意義が消えたのであろう。そして開目抄なども、法門的には殆ど使いにくくなっているのであるが、反ってそこから逆襲を企てているようにさえ見える。何れにしても、一日も早く脱皮することである。

 今の宗門では常に行じてきた丑寅勤行を忘れて、ただ伝記のみに力をいれているが、これは遠い過去に追いやる力はあっても、丑寅勤行のように、常に衆生と共にあるというようなものはない。そこであわてて出たのが三世常住の肉身本仏なのかもしれない。これは俗世にもない珍聞である。少しは反省があってもよい処ではなかろうか。本尊に手を合わすことがなかったから功徳がなかったというのは信不信を別立した以後の事、少々次元が違っている、無時の処の話である。何を好んで、わざわざ時をはずそうとするのであろうか。丑寅勤行は常に開目を求めているのである。開目とは戒定恵を知り得て、仏法世界に向って脱皮することである。それを事に行じている処に丑寅勤行があると思う。若し誤りがあれば反論を加えてもらいたい。

水島終戦の弁は、いかにも気の抜けたビール然としている。一度は伝統法義の事書き数ケ条でも発表してもらいたかった。引き際が鮮かであったとは、義理にもいうことは出来ない。ただ天台教学に援けを求めて逃げこんだという印象のみが残っている計りである。

 

 

 

客 殿(1)

 

 ここは他宗並みの意味でなく、最も厳粛な宗教行事の行われる、大石寺独自の場である。定められた仏法を事に行ずることによって、約定通りの成道を得、自行によって本仏本尊を得る処である。成道も自行であり、何れも自力によって得られるものである。これが丑寅勤行である。正本堂は他力に替っているように見える。客とは衆生のこと、これに対する主を嫡子分という。これは三祖一体の中では目師の担当する処である。主師の客殿図に示されている。三祖一体の処を師とし、これに対して道師は弟子である。三祖一体は、根本は戒定恵の三学であるが、別に主師親の三徳も考えなければならないと思う。法門は大体この客殿を中心にしているのであろう。御宝蔵はその秘密甚深の処を別立したもの、御宝蔵・客殿・御影堂で三堂を形成しているように思われる。

 戒旦・天王・垂迹の三堂は本来大石寺のものと異っているようである。何となく像法めいた処がある。そして第一に衆生成道が欠けている。また本仏・本尊が自行自力によって現われる処とも見えない。本寺に戒旦を建立する処も像法が濃いようである。末法の戒旦は末寺の担当の方が似つかはしいし、本来も成道に関しては等分に担当しているが、本寺に戒旦が出来ると中央集権的になり、本末の差が極端に付けられ、平等無差別の線から後退することになる。そして、末法に入って戒旦を建立すれば虎を市に放つがごとしの誡にも背くことになる。若し戒旦とすれば、本寺に建立されるなら、像法の戒旦というのが最も収まりの好い処であろう。末法の戒旦は末寺であるが、実は法華堂の方が正しいのかも知れない。これなら名字初心の表示ともいうことも出来る。

 客殿の中の配置は何れそのまま正本堂に移されているであろうとは思うけれども、本尊が秘密であったものが顕露となれば大きく意味も変るであろう。客殿は丑寅勤行を中心に出来たものと思われるが、正本堂では本仏も本尊も顕われた事が前提になっているので意味は大きく替わっているので、その配置図や所作も替えなければならないのではなかろうか。今まで客殿で左尊右卑であったものは、正本堂では右尊左卑となるであろう。全ての面で反対にならなければ筋が通りにくいと思う。この応対は中々厄介なのではなかろうか。丑寅勤行は今も行われているようであるが、一方の正本堂では同じ座配の中で、本尊顕露の意味の勤行が行われているのである。夜(朝)は還滅門により昼は流転門の行事である。同じく仏法の中の行事であっても、どこかに多少に区別があってもよいのではなかろうか。客殿は自行自力によって成道や本尊・本仏を顕現する仏法の上の行事であり、正本堂は開扉すれば常住に在る本尊を拝することが出来るようになっている。仏法でいえば広宣流布完了以後の在り方であるが、法門は末法の始めを指してをり、自行自力をって顕現する処に意義を見ているのである。既に顕現している本尊を開扉して顕現というのとでは随分違って来る。仏法と仏教の差ほどのものが出ているのではなかろうか。丑寅勤行には御魂迎えの行事のようなものがあるが、正本堂は常住に坐す本尊に仕える行事のように思われる。本尊も、客殿では本因であり正本堂では本果である。何れを見ても大きな相違がある。宗教色の薄いものと濃いものとの違いもある。これを同じ座配で行じてよいものであろうか。

 丑寅勤行もその意味は忘れられ、ほんとうに知っているのは山法山規だけなのかもしれない。そのような中で事行の法門は続けられているのである。そして間違いなくその意義が伝えられてゆく。それこそ山法山規の姿なのであろう。口には日蓮大聖人の仏法とやかましく称えてはいるが、ほんとにそれが伝えられているのは、山法山規と丑寅勤行なのかもしれない。ここでは己心は邪義ということは一切通用しないであろう。目に映る処はどんどん替えられるけれども、目には見えない山法山規まで替えるわけにはゆかない処が妙である。今は己心の法門さえ邪義という処まで来ているのである。その内仏法も邪義、仏法の時も邪義ということになるのではなかろうか。先取りせられた腹いせに、ついそのような事になるかもしれない。終りには日蓮大聖人の正本堂安置の戒旦の本尊だけでよいということになるかもしれない。それでも山法山規は昔ながらに残ってゆくであろう。

 昔から客殿は左尊右卑、御影堂は右尊左卑といわれるのは、御影堂の外相に対して客殿は水鏡の御影の姿をとっている。御影の右上座に対して水鏡の御影は左上座である。これが己心の本尊である。己心の法門が邪義ときまった今、同時に水鏡の御影も邪義、左尊右卑も邪義ときまっていることであろう。宗祖が称える己心が邪義であれば、宗義は悉く邪義である。そうなれば、己心の最極の処であって見ればこれも邪義の難は免れがたいであろう。

 

 

 

 

客 殿(2)

 

 この呼称は仏法を立てる大石寺独特のものであって、他宗には全く見ない処である。古くから衆生は大聖人のお客様と言い伝えられている。宗祖との間に仏法の上の主客の意を持っているのである。他宗の客殿をそのまま仏法の上に解されている。丁度末寺が通常の意はそのままに、別に戒旦の意を持っているのと同じである。これによって仏法に居ることを明しているのであろう。主師の遺された図には嫡子分・客座と示されたものがある。客の字には相通じるものがあるように見える。これが三秘によるようになると、そこには師弟上下の差別がはっきり出て来るが、これは仏法としては大きな後退といわなければならない。戒定恵は無差別をとり、三秘は有差別をとる。それがやがて法主本仏論にまで発展してゆくようである。久遠名字の妙法と事の一念三千によって顕われる本仏は、人法一箇すれば本尊と顕われる。法主本仏は人法一箇して法主本尊論に発展するようなものを秘めているのではなかろうか。最近では戒定恵を耳にするような事もなくなり、専ら三秘一色である。戒定恵から離れた三秘一色である。そこに新しい問題を孕んでいるのである。水島も常に自分が高位に居ることを忘れるような事はなかった。そのために反って宙に浮いて敗戦を決定付けたのであった。空中からいくら声を掛けられても、吾々には一向に関係のないことである。水島も一度大地に下りて来るとよい。そして戒定恵を理解すると好い。今では衆生が大聖人の客人であるといえば、必らずこの不相伝の輩めがとお叱りを被ることであろう。それ程三秘一色なのである。

 今は全て正本堂中心に法門が運営されているのであろうが、正本堂が出来るまでは全てが客殿中心であった。客殿の西北には明星池があり、その北には本尊書写室もあった。御華水の水は流れて明星池に入り、更に客殿の北側を通って理境坊の裏を流れていたが、古くは鬼門の処を参道に出て、両側を南下して閻浮提に注いでいたということである。現在の水は明星池を通ることもなく、六壷の南から南に流れ去って、明星池や閻浮提とは全く関係がなくなっている。これでは最早日蓮が慈悲を表わす水ではなくなった。それ程変っているのである。これは客殿について意義があるので、正本堂では水の流れも何の意味もないことであろう。水も今では心得たもので、客殿の西の方を南に流れ去っている。これは時の流れである。閻浮の衆生とは関係のない流れと変っているのである。

 秘密であったために必要であった水の流れや明星池も、今は本尊が顕露になったためにその必要がなくなったということであろう。明星池も今は空しくその迹のみが残っているのである。正本堂は顕露の故に恐らくは作られていないと思う。或は広宣流布完了の故に取り去られたと解すべきであろうか。丑寅勤行も明星池がなくなり、水の流れがなくなると、随分と意味が変ってくると思う。客殿の客の意味もなくなるであろう。これまた顕露の故である。今では丑寅勤行によって現じた本尊は水に映る必要もなくなったようである。客殿の奥深くまします本尊もその意義が変っていったのであろう。宗義の変貌はここまで大きく響いているのである。秘密であった当時作られた本尊書写や金口嫡々の相承も、明星池がなくなってはその威力は衰えざるを得ないであろう。今では殆ど去年の暦と化しつつあるようにさえ思われる。本尊が顕露になって十三年、それを裏付ける教義は既に整束された事であろう。秘密であった時のものは最早時代遅れである。密と顕と、それは全てに真反対に出るものである。十分に転換がなされたであろうか。

 そのような中で、広宣流布は明らかに切り換えられているものの一つである。しかし会通は恐らくは出来ないのではなかろうか。これは大きな課題である。これのみは明らかに文上と思われる。文上と文底と、広宣流布一つみてもなかなかの難問である。このような場合の二重構造は、他宗に対して異様な誤解を与え、いらぬ刺戟を与えるようなことになるのではなかろうか。これなどは、はっきりと文底が証明出来るなら、他宗とは無関係な処で解決出来るものである。一閻浮提総与にしても、文上に持ち出してはどうにも解決出来ない問題である。ことが文底で決まっているだけに両存は不可能である。一つを変えるなら全部根本からやり直さなければならない。

このような事は、考えて見ても必らず中途半端に終って、あとは黙り込むのが落ちである。そして陰で不相伝の輩・不信の輩を繰り返しながら孤独の道を歩むことになるのであろう。今山田や水島も陰で不信の輩を、寝ても覚めても繰り返していることであろう。これが宿命である。本尊も既に顕露になったのであるから、教義も出来るだけこれに随うべきである。ここが教学部長の腕の見せ処である。己心の法門を狂学と切り捨てられる日蓮正宗要義に替るものを作ってもらいたい。世界の広宣流布を目指すなら、教義もガラス張りの中に置いてもらいたい。狂学の語が出た時の周辺には、既に現代の天台教学が迫っていたようである。

 布教叢書という本が新しく出来、これをもっていよいよ折伏と広宣流布に乗り出すのであるが、柳の下にいつも鰌がいるわけではない。三秘の中の本尊と題目は既に建立され、残る戒旦も十三年前建立され、これによって漸く文の上の三秘が出揃った。本山に三秘が出揃った処は、どう見ても像法の顕現である。これは戒旦から逆次に見た処である。久成の定恵とは久遠実成であり、迹仏世界を指している。久遠元初に法を立て、仏法を称える大石寺としては、あってはならない事である。これは仏法と仏教の混乱になるからである。開目抄や本尊抄等は明らかに仏法に依って居り、仏教は既に摂入ずみであり、七百余年を経て再び仏教の世を迎えた事は、明らかに仏法の抛棄である。既に仏法が建立されているとき、今さら像法転時ともいえないであろうが、顕われた現実を事行の法門とすれば、どうしても仏法を抛棄しなければならない。これでは本仏の語も使えないであろう。己心の法門を邪義と決めたが、これは開目抄や本尊抄の否定にも等しいものである。時の混乱は、滅後末法を捨てなければならない処まで来ているのである。衆生の成道も既に現世から未来へ移されており、本尊も本仏も解釈の上から見れば、滅後末法とは離れた処に立てられている。そして戒定恵も「久成の定恵」として仏教に建立されており、広宣流布もまた文上迹門に移されており、今は只最後の断が残されているのみである。戒定恵が表に表われる時は仏法の世であり、本仏の盛んな時であるが、今は再び仏日が西に沈んだのである。これこそ時節の大混乱である。本仏が西山に沈んだ時、遺耀とは迹仏を表わすのであろうか。これらについて、時局法義研鑽委員会はどのような見解をもっているのであろうか。これこそ委員会のすぐ手掛けなければならない問題である。ここも亦教学部長の腕の振い処である。

 宗祖の戒定恵は仏法に限られているようであり、開目抄では外典に仏教を摂入された処で仏法を建立されているが、今は戒定恵の上に現われた成道本尊本仏と広宣流布は迹仏世界に返されているように見える。この上仏法を唱えてみても、それを裏付けるものは見当らないのが、偽りのない現実の姿である。今は、実には仏法と仏教のはざまに立っているという事ではなかろうか。何れ左するか右するか決めなければならない時が来るであろう。今その重大な岐路に立っているのである。委員会の業蹟は、只仏教へ帰結するためのものであったという印象のみが残されている。次には、これを如何にして逆転させるかということである。一日も早く仏法に帰ることを願うばかりである。時局の二字を捨てて、早々に作業に取りかかってもらいたい。これのみが宗祖への唯一の奉公であり、報恩であることを進言しておくことにする。宗祖が開目されたのは戒定恵であり仏法による処であると思う。それを抛棄して報恩謝徳では一向に筋が通らないであろう。

これをどのように始末をするつもりであろうか。

 客殿は、どのように見ても戒定恵の上に出来ているものであり、この辺は事の法門そのものである。全て仏法の上に表わされているのである。それを何の理由もなしに仏教に切りかえてみても、そこにあるのは、只法門的な破綻のみである。それにも拘らず、現状は客殿黙殺の道をたどっているようである。それはそのまま仏法抛棄につながるものである。正本堂には本尊書写や唯授一人等の相伝につながるものは一向に見当らない。これらは客殿を離れては一向にその意義はないものである。それでも狂いに狂っているのであろうか、狂学なのであろうか。教学部長はどのように考えているのであろうか。一度位は反省してもよいのではなかろうか。戒定恵により己心の法門によろうとするのが何故狂学なのか、子細に文証を示してもらいたいものである。このような時に自分で勝手に決めておいて、文証も理由も示さずして、いきなり他を邪と決めるのは宗門独自のやり方であるが、そのような独善方式は、次第に世間からは疎んぜられるのみである。今までは通用して来たとしても、今後も通用するとは保證は出来ないであろう。これらは短期間に限って通用した三秘方式であると思う。そのような三秘偏重方式の時代は既に終ったのではないかと思われる。再び客殿が事行の法門の場として、その力を発揮出来るのは何時の日であろうか。

 諌暁八幡抄の裏書にある道師の「隠遁の思あり」の語も、戒定恵と解してよいと思う。その法門の事行の場が客殿である。ここでまず考えなければならないことは、何故道師が諌暁八幡抄を撰ばれたかということである。既にお歴々は充分承知の事とは思うけれども、念のために申し上げるなら、諌暁八幡抄は、その文面からして戒定恵によっていることを考えなければならない。新定2200に扶桑記の文が引かれているが、今まで宇佐八幡宮の社前で法華経は唱えられて来たが、伝教の唱える法華経は他に異なっているので、八幡の神は自ら宝殿を開いて袈裟を取り出し、伝教に授けられた。その前代に異なる法華経とは、二乗作仏と戒定恵を引かえた久遠名字の妙法を指しているものと思う。宗祖ままたこれを受け継いでいるのであって、文の上の妙法を指しているのではない。開目抄に、日蓮云く、日本に仏法わたりてすでに七百年、但伝教大師一人計り法華経を読めりと申すをば諸人これを用いず(中略)日蓮が強義経文には符合せり等とあり、新定2202に委しく記されている。道師もまたこの久遠名字の妙法を指されているのであって、三秘の題目や文の上の題目でないことは明らかである。そのためにわざわざ諌暁八幡抄を撰ばれたのではないかと思う。道師の裏書は久遠名字の妙法によっていることを表示されたものと解される。これによって大石寺が久遠名字の妙法によることが確認されたものと思う。今その妙法がどのように理解されているのであろうか。ここ二、三年を振り返って見て、それが果して久遠名字の妙法であるかどうかということになると、甚だ疑わざるを得ないのである。

 「真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊」とあるのは、久遠名字の妙法を居えることによって二乗作仏も戒定恵の働きにより民衆の成道につながり、始めて真意義が顕われるのである。諌暁八幡抄は戒定恵を見出だすことによって、その真実が顕われるし、客殿も戒定恵が事行にあらわされた処にその意義があると思う。そこに衆生の成道・本尊・本仏も顕現されてきたのである。が、今の客殿にそのようなものが残されているのであろうか、殆どあるかなしかというのが実状のようではないかと思われる。若しそこに残っているとすれば、それは山法山規による処である。今の宗門は、山法山規をもって分らないという意味に使っているのではないかと思われる節もあるが、それはあまり知恵のある考え方ではない。

 師である主と弟子である客とが相対する処、そこにおいて本仏を成じ、また本尊と現われ、また成道とも云われるのである。客殿とは事を事に行ずる処であるが、今は師弟が差別の中で考えられており、それは仏法以前のそのままの姿であるために、いまだ戒定恵とは現われていない。そのために客殿から成道が消えたように見える。即ち師は生れながらの本仏であるから成道はいらない。そこには成道のための修行はいらない。弟子の成道は死後と決められて現世の成道は消えている。つまり師弟共に客殿の現世の成道は完全に消されているのである。大石寺でいう成道は専ら仏法の上に立てられているのであるが、今は宗義の根本が迹門の仏教に移動したために、愚悪の凡夫の現世の成道が消え、迹門の処に成道が遷されているが、宗門ではそのために成道そのものの意義が非常にぼやけて、結局は何ということなしに死後の成道にたどり付いたという感じであって、これは仏法の成道から完全に離れた姿である。

 しかし法門の上では迹門の成道・仏教の成道は一切説かれていない。今宗門はまず死後の成道について、その定義付けをしなければならない責務がある。今盛んな塔婆供養も、戒定恵や仏法による大石寺の教義には、何ともなじみ憎いものがあるようである。報恩抄に塔婆供養のことが書かれていない、二天門の北側での東北へ向っての勤行にも塔婆供養はなく、自我偈三返のみである。仏教の塔婆供養は、仏法では自我偈三返に替ったとしか思えない。以上の両例は資料としては十二分の力を持っている。宗門が敢えてこの資料を退けて、裏付けのない塔婆供養を盛んにするのは、これらの資料に勝さる強力なものがあるのであろうか、仏法と塔婆供養、どのようにして連絡付けられるのであろうか。塔婆供養は仏法を仏教に替えるような力を持っているように思う。仏法の報恩は自我偈により、仏教の報恩は塔婆供養によるというのが、報恩抄や二天門の北の盆供養に示された原則ということではなかろうか。

 今の正本堂は、必らずしも仏法に定められた成道や本尊・本仏を成ずるものではない。戒旦は昔から末寺が代行している。これが仏法に許された戒旦であり、本寺に戒旦を建立する事は仏法では採られていない。御書もまた虎を市に放つがごとしと禁じられている。これは本寺の戒旦の建立についてである。師弟一箇の成道には末寺の戒旦が最高のようである。そのために古来戒旦とも知らずこれが行われて来ているのである。建立以後13年、只の一回も授戒が行われた事のない戒旦、それが正本堂なのである。本寺の戒旦には中央集権的なものがある。そのために仏法が強力に拒み続けているのであろう。この仏法とは、いうまでもなく山法山規である。本山の授戒は宗旨の形態を替える恐れがあるために拒んでいるのであろう。山法山規とは山の霊であり、大日蓮華山の山霊である。その山霊が廻文を廻して拒んでいる処は、北山移文に全く同じである。山霊はあくまで古法を守ろうとしているのである。今改めて山霊である山法山規を見直さなければならない時が来ているのである。

客殿の滅後末法の時に対し、正本堂は、その顕われた処からみても像法のような時を持っている。時について懸かに隔りがある。これを同時に扱う処に問題があるのである。これは川澄狂学ということだけで解決するようなものではない。もっともっと、問題の本質である仏法の時に付いて考えなければならない。それが今差し当っての為すべき事ではなかろうか。邪義だ珍説だなどと悪口の言いにげは児戯に等しいもの、一度は時に付いて考え直してもらいたい。それが責任ある立場に居るものの取るべき態度ではないかと思う。このような悪口は当方には全く関係のないもの、反って結果は云い出したものの処へ集積するようになっているものであり、既にそれが表に現われ始めているので、そのために水島敗戦の弁も出たのである。例えば罪障とでもいうべきものであろうか。阿部さんも即座には考えても、川澄という名前が出ない程頭の中が混乱しているものと拝見した。今さら増上慢と称してみても頽勢が挽回出来るものではないこと位は承知しておいてもらいたい。名前を忘れて思い出せないのは、最初であればそれなりに有効であったかもしれない。本を末に付け末を本とするのを本末顛倒という。俗にこれをアベコベともいうのである。そのような中で、時がなかったということは確実につかましてもらった。これは職人芸にお株を奪われた形である。そして改めて得た時は、どうやら爾前迹門の時であったようである。これを明らかにしたのが二ケ年半の唯一の成果であったことは、水島が最後の弁にも明らかである。布教叢書による迹門の広宣流布もこれを明らかにしているのである。水島・山田等が二年半がかりで明した処は戒定恵不在による時の混乱であった。欲しい処を残らず明した処は実にお見事であった。そして像法転時へ収まった処で二十八回を迎えて終末となった。これが大日蓮誌上に発表されたのであるから、現宗門の代表的な教学であることは間違いのない処である。これらの意見が果して宗祖の允可を得られるかどうか、これは今後に控えた最大の課題である。そのためにはまず宗祖の考えの根元が像法転時に立てられていることを証明しなければならない。観心の基礎的研究は見事な失敗であった。これは悪口雑言で片付けられないだけに一段と厄介である。これは時局法義研鑽委員会が自ら取り出したものでもある。このまま捨てておけば教義の依って来る処は天台を一歩も離れることは出来ないし、そうなれば宗祖の教えからは一日一日離れることは決定的である。宗祖を向うに廻してどのような成算があるのであろうか。黙り込んだ中で宗義教学が益々混沌としてくるのは必至であるといわなければならない。

 

 

 

客殿の奥深く安置の本尊

 

今はこのように解されているようであるが、直々に伺った時は「客殿の奥深くまします本尊」ということであった。これが正本堂安置の本尊を意識すると、客殿の奥深く安置の本尊と変ってくるのである。頭の中に画かれたものによって受けとめ方がこの様に変って来るのである。これでは本因の本尊ということも出来ない。奥深くとは本来は客殿の中を指しているが、御宝蔵が別に建立された処でみると一見外のように見えるが、ここでは御宝蔵は客殿の中と考えるべきである。これは山法山規の上にあるものであるが、今は楠板をもって考えられている。既に姿のない本尊が消えているためであろう。現在は正本堂建立を想起してこのように解釈しているのであろう。もし戒定恵の上に考えるなら、己心の本尊としてその現実の姿を求める必要はなかったであろう。戒定恵や己心を失ったためにこのように出たので、止むを得ないことである。

 「日達上人の仰せ」が誰の解釈か知らないが、仰せは先述の通りである。正本堂建設委員会で建立が決定された翌日日達上人に客殿の奥深くを客殿の中に限るように申し上げた処、実は昨日決まったということであったが、むしろ当方の意見に耳を傾けられたように思われたが、奥深くを外と決めたのはその時のことであった。丑寅勤行によって顕現される本尊は当然客殿の中に限られていることは、いうまでもないことである。当時境外地であった処を、奥深くとは考えられなかったから申し上げたまでである。そして、そのまま大石寺を退散したのであった。

職人芸と罵りながら一言半句の返答も出来ず、不信の輩といい乍ら、僅か一人の折伏さえ叶わなかった。それが水島の成果である。そしてすごすごと敗戦を迎えたのでは、御尊師の面目も丸つぶれである。これでは信者衆への申し開きも出来ないであろう。況んや霊山浄土へ参詣した節、何と申し上げるつもりであろうか。たかが職人芸位、一言で封じこめてもおかしくない。それが散々の為体とは、何とも御気の毒であった。せめて一言位は返事があってよかったのではないかと思う。陰ででも大いに不信の輩を繰り返して憂さを発散してもらいたい。次の機会には一言で破砕するようなものをもってやってもらいたい。それが宗祖へのせめてもの報恩である。下劣な職人に一言の返しもなく完敗したとは、後々末長く語り草になるであろう。宗門を代表する学匠としては、余り格好のよいことではない。一片の反省があって然るべきである。

 

 

 

御影堂

 

今はひっそり閑としているようであるが、この御影堂は、御宝蔵が内証を表わすのに対して、外相を表わしている。御宝蔵と対になって本尊の働きを表わしている。本尊が外に働く時、それを万年救護をもって表わすのであるが、正本堂が出来た以後は、御宝蔵と共に誠に森閑としているが、戒旦として建立された正本堂は、この二つの働きを備えているわけでもない、そして戒旦の働きをするわけでもない。どのようにその働きを表明すればよいのであろうか。不信の輩には一向に理解出来ない処である。仏法を表わす二堂が森閑とすることは仏法の寂れたことである。御影堂がさびれることは、閻浮の衆生の結縁の場が失われることである。二堂の現状は仏法の衰微を表わしているようである。仏法の真実が次第に失われつつあるということであろう。

 御影堂は右尊左卑、客殿は左尊右卑、御宝蔵も左尊右卑となっている。理屈抜きで実行されている処は山法山規ということであろう。正本堂は右尊左卑か左尊右卑か、何れになっているのであろうか。本因の本尊は御宝蔵に、万年救護の本尊は御影堂にということであったが、正本堂はこれを一堂にあつめて、どのように表わしているのであろうか。或は広宣流布完了の故に二重の扱いの必要がなくなったのであろうか。本尊が御宝蔵から外に出ることは広宣流布の意味を持っているであろう。それならば三堂一時に建立すべきである。建立の時の文証にはこの文も引かれている筈である。しかしこの文は北山本門寺で出来たもののようであり、もともと大石寺には関係のないものであったが、これを文証として建立されてみれば、今更無関係とはいえないであろう。資料の読みが浅かったということであろう。御影堂の本尊を中心に富士五山が結束していたのは昔のことであった。五本山は万年救護の本尊である。それを掌握しているのが御宝蔵である。二ケ年半の成果は正本堂の裏付けは出来なかったように思われる。今から裏付けは出来ないのも無理はない。

 法門の上では御宝蔵・客殿・御影堂は一線につながるが、正本堂は違っているようである。建立の裏付けになったものが何れも仏法の上に建立されていないために、一線につながらないのである。一見仏法と見えるようではあるが、廻り廻って日辰教学を根本とし、明治教学を経て遥かに仏法とは異なる処へ出てしまったのである。しかも仏法の語が使われるために違いが分らない。そして新解釈の中で仏法を離れ、知らず識らず仏教に帰っている。五百塵点の当初や久遠元初が好例である。これははっきりと迹仏世界に帰っていることを証明している。また広宣流布も迹門流である。その裏付けのために天台教義や爾前経を探ったようであったが、正本堂の裏付けにはならなかった。これは見事な失敗であった。裏付けのないことを確認しただけが収穫であった。無駄な努力であった。そうなれば速やかに仏法に帰るのが最も早道である。新教義を作り上げるには少々お脳に不足があるようにお見受けした。

 今のような世上では、仏法に止ることも困難であるが、仏法を捨ててすっきりと仏教に出ることは尚更困難である。今のように仏教に出た時に独善といわれるのであるが、今は独善以上である。以前はよく世界最高の宗教を自称したが、誰れもこれを認めるものはなかった。ただその語だけが全部であった。丁度日蓮正宗伝統法義に似た処がある。今いう処の本仏や本尊に、どれだけ仏法の本仏や本尊が受けつがれているであろうか。静かに考え直して見る時である。この移動の跡が、御宝蔵・客殿・御影堂の処に現われているのである。法門は今もここにあって閑かにひっそりと守られているのである。

 一度静かに御影堂の作きを考え直してみてはどうであろう。大石寺の客殿は、東北から西南に至る諸仏成道の線と、西北から東南に至る愚悪の凡夫の成道の線と交る処、即ち仏法の上の諸仏成道の処、この故に現世の寂光土といわれるのである。今は正本堂に移ってはいるが、このような作きまでは移すことは出来なかったようである。御宝蔵には今も本因の本尊は健在のようである。正本堂に本尊を送るためには法門の用意が必要であるが、どうもそれがなされていなかったようで、そのために依然として本因の本尊は元のままのように思われる。どこに手ぬかりがあったのであろうか。御影堂は閻浮の衆生の縁を結ぶ処であるが、今はそのような機能は全く封じられているのである。此経難持は今も仏法の上に受け継がれているようである。文の上の語が文の底でどのように現われるかを慥かめてみるのも一興であろう。戒定恵の上に考え直して見るとき、その姿は現ずるのである。此経難持という程受けとめ方は常に移動を続けているのである。文字もない仏法が移動するのは当然である。そこで考え出されたのが、山法山規と事行の法門ではなかろうか。山法山規は一度きまれば人力をもって替えることは出来ないように思われる。

しかし、この二年半の作業は、結果から見て成功したとはいえないようである。

 

 

 

鏡像円融

 

 もと天台の語であるが、大石寺法門にも大きな影響を与えている。この法門は本迹の交替の処に大きな意義がある。鏡に映った像は、本の像があるから鏡に映るのであるが、映ったあとは映像が本となり、本の像が迹になる。若し水に映せば水鏡の御影といわれる。人の像は右尊左卑、水鏡の御影は左尊右卑であり、これをうけて御影堂は右尊左卑をとり、客殿及び御宝蔵は左尊右卑による。御影の胎内には古くは絵像が入って居り、客殿及び御宝蔵はその絵像によっている。その絵像とは新定御書の巻頭の水鏡の御影である。これによれば、己心の法門は左尊右卑ということになる。明星池に映った本尊もまた水鏡の御影である。その御影のおさまる御宝蔵は胎内でもあり、時に体内ともいわれる意味がある。門下にはいくつかの水鏡の御影があり、真宗にもあるが、その他の宗には聞かない。真宗と日蓮宗に限られているのは、宗の立て方による処であろう。この水鏡の御影はいうまでもなく魂魄であり、ここに己心の法門が建立せられているのである。その水鏡の処に本仏・本尊の永遠の生命即ち寿命を見るとき、水の処に寿量海中の己心の一念三千の珠を見出だすのである。この水鏡の御影が本、もとの影を写した人が迹になり、ここで本迹の交替が行われ、水鏡の御影は肉身を遮断した貌、これに五大を付すと人になるということである。ここで己心を邪義と決めては本仏や本尊は永遠に出現することもない。しかし現在は出現済のものによるために、自然に自行自力が消え、反って天台教学にその裏付を求めている。そのために知らず識らず宗旨そのものが替り、思いもよらぬ処に走ったのである。大きく大石寺法門を逸脱したのもそのためである。しかし己心の法門を捨てた以上、本処に帰ることは不可能であろう。仏教から仏法へ移行するためには、必らず本迹の交替が必要なようである。開目抄の最後に「仏法は時に依るべし」とあるのも、本迹の交替が行われている意であるし、本尊抄も亦同様であるが、今の立て方の中には、この交替が確認されないために、仏法から逆に仏教に帰り、そこで仏法を名乗っている。その状況を子細にしたのが、二ケ年半の成果であった。一度静かに振り返って見ることである。この水鏡の御影が、御影像から外に出るのは室町期後半のようである。これは宗義そのものが大きく変ったしるしである。今また宗義的には大きな変動期にあるようである。それだけに、水鏡の御影にはあまり感動はないことであろう。時がそのように変っているのである。今は反って水鏡を立てることが邪義になっているのである。つまり脱仏法である。昔熊沢藩山が真昼の岡山城下を提灯を燈して去ったのも逆を諷したものであろう。逆も逆、真反対というのは宗門のことのようである。

そのような中で、山田も水島も沈黙の道を選んだのである。逆の処にいることに気が付いたためであろうか。

 

 

鬼 門

 

 丑寅から未申に至る線は諸仏成道の処、丑寅を鬼門といい、表門であり、未申にあるのが裏鬼門、略して裏門という。以前は客殿前の広場から出る処にあったが、今は真南に移されている。これに対して戌亥から辰巳に至る感じはない。お華水から離れているため戌亥から辰巳に至る感じはない。お華水から寺中を流れて東南(辰巳)に至れば閻浮提がある。以前は裏門を出ると境外地になっていた。昔の恩信坊は裏門を出た処にあった。今の恩信坊はその旧跡を再興したものである。裏門は霊山に通じる意味を持っているのであろう。鬼門は以前は朝日門といわれていたが、これは俗称である。朝日は午前六時であり、丑寅は午前三時、三時間のずれがある。ここは丑寅に重点を置いて考えなければならない。御影堂も或は意味では客殿の東南にあってもよいように思われる。丑寅から未申に至る線と戌亥から辰巳に至る線の交る処にあるのが客殿であり、衆生成道の処、この故に現世の寂光土といわれている。平常は鬼門が通用門のようになっている。

 

 

 

大杉山有明寺

 

大杉山も有明寺も共に不可解な語であるが、何となし法門の極意の処はここに寄っているように思われる。以前に書いたものと重複するかも知れないが、敢えて再考してみることにする。

 大杉も有明も共に明星に関係があるようにみえるが、戌亥の方角にあたっており、丑寅とは違っている。「戌亥の方から水流れ、辰巳の方へ流れ去るかかるいみじき処」を選んでいるようでもある。御華水には逆さ杉もある。これは地下から出る明星を受ける用意であろう。その地下から出る水とは上行を意味しているようで、辰巳の方へ流れ去る水の流れ絶えざるさまは、日蓮が慈悲広大を表わすというように、流れの絶えることのない小川である。そして途中客殿の西北にあたって明星池があり、丑寅勤行によって現われた本尊はここに浮かび、これに墨を流すと本尊と現われるということである。客殿の奥深くまします本尊が、姿を現わす処である。そして余れば弟子旦那へと、東南へ流れて閻浮提に向うようになっている。丑寅から未申に向う線は仏教では諸仏成道の線であるが、戌亥から辰巳に向う線は、大石寺で交錯しているが、これは仏法における成道の線ではないかと思う。行く先は一閻浮提であり、戌亥からは上行日蓮が向っているようである。そして閻浮の衆生と師弟成道をとげるのが大石寺ということを示しているようである。引用の御書には、このようなものを含んでいるのではないかと思う。諸仏成道の線と閻浮の衆生の成道の線と出会う処、そのかかるいみじき処、それが客殿であり、時に明星池ということになっているように思われる。

 身延は宗祖九ケ年の行苦をつまれた処、それは有明寺の洞窟に通じるのかも知れない。先に引用の御書は身延の情景を写されたもので、大石寺に襲蔵されているものである。洞窟から御華水に通じる地下は上行所住の処であろう。そして御華水に出れば逆さ杉があるのは明星を表わしているのであろう。そして余った水は辰巳へ向って流れ去るのである。大杉から逆さ杉に至る間に日蓮と上行と明星が考えられていることは、間違いないと思う。また御華水は毎朝汲み上げられて、客殿の御前机の水となるが、これは本因の本尊の長寿を祝福しているものと思われる。辰巳に流れ去った水は一閻浮提に至り、縁があれば御影堂に参るのである。

 このようにして見れば、大杉山有明寺は衆生の成道には欠くことの出来ない重要なものを持っている。有師の造られた寺も、大体辰巳にあるようである。これまたこの水と関係があるように思われる。御影堂に参って縁の結ばれた衆生は、更に末寺に至って戒を授かり、準備万端整って大聖人の客人として客殿に来たり、丑寅勤行に参加して成道を遂げ、自行自力によって本尊・本仏を顕現することが出来るのである。その時授戒を担当しているのが末寺であり、ここでは滅後末法にふさわしい戒を授けている。末寺は戒旦である。昔から既に戒旦は建立済みであり、御書に抵触するような戒旦ではない。今新しく戒旦のつもりで造られた正本堂では、未だ授戒した話は聞かない。戒は昔ながらに末寺の担当する処である。戒については戒の項を参照せられたいが、その戒とは開目抄と思われる。これは戒定恵の戒であり、宗祖であり、本仏である故である。今新しく戒旦が出来ても、正本堂は御宝蔵や客殿また戒旦堂を兼ねるわけにはゆかないであろう。これは法門の立て方に因んだ戒旦堂は昔から末寺が行って来ているのである。三大秘法抄や本門心底抄とは、本来として法門の立て方が違っている。末寺こそ戒旦として最もふさわしいものである。三大秘法抄では衆生成道につながらない難点があるようである。

 戌亥から辰巳に至る線が縦なら、丑寅から未申に至る線は横である。その交る処に大石寺がある。大石寺には昔から大石寺を現世の霊山といわれている。衆生の成道があるためであるが、今のように死後の成道が強くなれば現世の霊山と称してよいかどうか。現世の霊山とは専ら山法山規による処であろう。諸仏の成道は在世のこと、滅後ともなれば衆生の成道がこれに替る。その時戒旦となるのが末寺である。正本堂を若し戒旦とするなら迹門のような戒旦となる恐れがある。本寺において戒を授けるのは像法の時代に行われた型式である。戒の内容もまた異って来るようになる。師弟相寄って一箇の成道を遂げるためには末寺の戒旦が最も筋が通っているよに思われる。増上慢ということで切り捨てる前に、一考を煩わしたいと思う。今の日蓮正宗では戌亥から辰巳に至る滅後成道の線は使いにくいと思われる。この線は滅後末法に限るようであるが、在世末法では、まだまだ諸仏成道の線の方が近いようである。滅後末法の今は戌亥から辰巳に至る線が中心になっており、末法の慈悲もまたこの線によって流れているのである。また本仏や本尊の長寿もその線に沿うて表わされている。客殿の中だけ見れば丑寅の線がとられているようにも見えるが、外の御華水からの流れは戌亥が中心になっているようである。

 時局法義研鑽委員会は目前の事のみに追われ、爾前迹門を引くことのみに忙しく、誤ったてかせのためにがんじがらめに縛られて自立を失っているようで、事行の法門とは益々離れていっているように見える。そのために、口には仏法を称えながら、事実は仏教を一歩も出ていないというのが現実である。信心のみでは解決出来なかったようである。そのような中で広宣流布へ再出発である。結局は法門の上の折伏広宣流布は抛棄されたのである。そして悪口雑言のみが委員会の成果として後代に遺される羽目になったのである。一夜番の汲む水も時たま考えて見る必要もあると思う。伝統法義は口にするのみで、その内容までは明らかには出来ないであろう。そして悪口雑言も古伝の法門を消すためのものであったが、結局は無駄な努力であったようである。そして最後に化儀の折伏・法体の折伏に帰り着いたのであった。これが委員会の唯一の収穫であった。今一度落ち付いて、大杉山のあたりから眺め直せば、上行・不軽も師弟も、そこには古い姿が残っているかもしれないが、今はそれを探り出す方法さえ見失っているのであろう。山法山規には、悪口雑言は入っていない。とも角仏法を取り定められた上代に帰るべきである。大杉山あたりから水の流れ去るあたりは、山法山規の宝庫である。近代化しない仏法に帰るのが目下の急務である。伝統法義を唱えたから即刻仏法が復活するものでもない。仏教にもあらず仏法にもあらざる大石寺法門があるわけもない。何をおいても、まず仏法そのものの究明をしなければならない。それは時局法義研鑽委員会には、以っての外の難題と思われる。

 如来滅後五五百歳即ち滅後末法の始の本尊の真意義もここにあり、これが己心の本尊であり観心の本尊でもあれば本因の本尊でもある。その己心を抹殺し、観心を天台化し、本因を本果としては、この本尊も有名無実といわなければならない。そこには伝統がある。委員会はそれを消すためにヤッキになっているのである。

 水島優秀論文からは、とても滅後末法の本尊を求めることは出来ないであろう。あの論文からは、どう見ても像法転時の本尊が精一杯と思われる。とても滅後末法の始めの観心ではない。滅後末法の始めの観心の本尊とは己心の本尊である。その己心は既に邪義として切り捨てられているのである。この本尊は三秘の本尊ではなく、戒定恵の定にあたる本尊である。そこには時の違い目がある。悪口雑言を繰り返している間に、いよいよ時の違い、時の誤りがはっきり出てしまったのである。これは委員会諸公の一生の不覚であった。今の本尊はいつの間にか本因から本果に替っているように見える。それは三大秘法抄による処なのかもしれない。これに対して、本尊抄では戒定恵による本因の本尊の顕現が主目的である。今となってはそこに大きな違い目が出たのである。己心を邪義と決めたことが最大の原因である。己心を邪義と決めることに、あまりにも力が入り過ぎたのである。まず己心は邪義とある真蹟を求め出した上で破折すべきであった。今となっては引っ込みも付かないであろう。己心が消されるなら本仏世界の本果は即刻迹仏世界の本果の本尊となる。今の本尊はそこで解釈されているものと思われる。たまには本因の本尊ということはあっても、それは遠い昔の夢物語に過ぎない。それが不安定につながっているのである。何はさておいても、まず本尊の安定から始めなければならない。当方を崩すために時を消し己心を邪義と決めたけれども、それは意外な方面に発展して反って我が身に振り返って来たのである。それが本尊の不安定を招く羽目にもなったのである。「仏法は時によるべし」とも、「仏法を学せん法はまず時を習うべし」ともいわれている。それを初手から誤っていたのでは、仏法の道も遥かなりといわざるを得ない。まず、何が仏法かという処から始めなければならない。

山田・水島もそこから出直しである。

 大杉山から御華水、明星池を中心にした処は、大石寺法門の中核をなす処であるにも拘らず、今ではこの解明は殆ど不可能な状態のように思われる。それというのも、三学から三秘に移ったのが事の始まりのようである。それというのも時が違って来たからである。しかし、今の様子では三学への復帰は困難なように見える。つまりはこのまま三秘へ定着するであろう。三学を離れては、宗義はますます動くであろう。そしていよいよ不可解なものになってゆくことであろう。しかし、これは新義建立にもつながるようなものを持っているだけに厄介である。戦い終って心置きなく三秘の一筋に進むことが出来るようにはなったが、三秘のみをもって文底を唱えることは、恐らくは出来ないことではなかろうか。

 

 

 

末 寺

 

 ここでは戒旦として立てられた正本堂とは関係なく、昔も今も変ることなく御授戒が行われている処を見ると、末法の戒旦即ち事の戒旦と考えてよいと思う。丑寅勤行のうち授戒を担当している。授戒を受けることによって勤行に参加する資格を得るのである。法華本門の戒がどのような意味かも分らず、只口写しに唱えるのみであっても、山法山規の上では充分にその意は達しているのである。その意味が消えても差し支えのないようになっている。それが事行の法門である。末法無戒を唱え乍ら、何の障りもなく末法有戒も充分通用するのである。前は在世であり、後は滅後である。時の切り分けが出来なければ矛盾に出くわすことになる。今はそのような事は何も考えないことになっているのであろう。しかし法門の立処を明確にしておくに越したことはない。末法有戒の戒とは、道師の三師伝の扱いから見て開目抄と考えるべきであろう。即ち戒定恵の戒であり、本仏ともなれば宗祖にも当てはめられる、その戒を持つや否やということである。これによって客人として客殿に至り丑寅勤行に参加することも出来る。世間並みな末寺というよりは、師弟の意が更に強いように思われる。つまり授戒を通して師弟子の法門が示されているのであろう。その意味で寺号を名乗るのは本寺のみであったようで、他宗の末寺とは違ったものを持っているのであろう。むしろ塔中のような意味を持っているように思われる。この戒の意味などは、他宗のものでは一向に参考にするものがない。そのために意味不明になったものであろう。精師の時は一時御影堂に本尊を遷されたが、末寺の戒は同じであったのであろう。しかし内に戒旦堂の意味は充分持っていたことであろうが、いつの間にか御宝蔵に蔵されたのである。いままた戒旦堂は建立されたけれども、今度は天王堂と垂迹堂は建立されたようには聞かない。滅後末法に法を立てる大石寺には、末寺が戒旦の作きをしているのである。滅後末法には戒旦建立は必要がないということを末寺が事をもって示しているのである。何をおいてもこれを正視しなければならない。

 

 

 

本因修行

 

 本因妙抄の最後には本因妙の行者日蓮という文字があるが、近代は表面から消されたようである。或は一時他門から攻撃を受けたために遠慮しているのではないかと思う。それ程遠い頃のことではない。最近は目に付かなくなってきたようである。以前に突かれたものは、大分整理されているように見える。己心もその内に入っているのかもしれない。今はその整理期に入っているのである。つまり後遺症なのである。殆ど重要な語に限っているようである。それだけ戦々兢々としているということであろう。その余波がこちらへ廻って悪口雑言と現われているのかもしれない。本仏は本因の行者と大いに関係があるように思われるが、本因の行者は消えているようであるし、本尊からも本因の文字は殆ど消えているようである。そして正本堂の本尊のように本果の本尊と替ってゆくのである。やはり後遺症と見るのが最も近いのではなかろうか。

本因も己心も充分に説明も出来なくなった時に、そのような語のみ取り上げられていることは、宗門としては最も恐ろしいことである。若し他から追求を受けたときにどうすればよいか、そればかり頭にこびりついたのではなかろうか。そのような中で、それは川澄という少し狂ったのが言っているのだ。宗門は全く関係のないことであるということが底流にあって、二年半以前に悪口が始まったのではないかという懸念もある。それほど他宗のことが気にかかっているのであるから、本因や己心はそれ程簡単に取り返すことはないかもしれない。しかし、他宗は筋さえ通せば、今恐れている程心配することはないと思う。筋を通していない処について追求して来たまでである。その辺は考え違いしないことである。本因も己心も、開目抄や本尊抄だけでも充分説明して余りあるものがある。安心して即刻取り返してもらいたい。そして安心して本来の法門に立ち返ってもらいたいと思う。己心を捨て本因を棄てては、大石寺法門は一切成り立たない。第一本仏や本尊が成り立たない。今すでにその出処が明らめられない処まできているのもそのためである。そのような中で三世常住の肉身本仏論も登場すれば、本因の本尊も影が薄らいでゆくのである。事は緊急を要する問題なのである。今になって貝の蓋を閉じて見ても手遅れである。最早、蓋を閉じて解決出来る時は過ぎ去っていることを知れなければならない。水島がいくら己心の法門は邪義だとやってみても本仏や本尊が色を増すこともない。あまり心得違いはやらない方がよい。今になって己心を捨てて何があるというのであろうか。しかし僧侶が御利益に預るには、或は己心はない方がようのかもしれない。要はどこに基準を置くかということである。

 本因妙の行者と云う語がどのような意味を持っているのであろうか。少くとも仏法を守るためには必らず必要なもののように思われる。本因妙の行者日蓮とは、いい換えれば「日蓮紹継不軽跡」なのかもしれない。これを意訳した時、本因妙の行者日蓮が誕生するのかもしれない。このようになれば、この日蓮とは己心の上に誕生した日蓮ということになり、既に俗身を去ったものであり、魂魄の上に考えなければならない。即ち仏法世界に生れた日蓮ということになる。そこは専ら本因を主体とし本因を修行する境界である。しかしこの意を忘れては、本因修行も本因妙の行者日蓮も考えられないであろう。堅樹日好も本因妙の行者と称していた様であるけれども、これは仏法世界に居たとは思われない。これが近代身延から小突かれた時には、その境界になかったので、只逃げの一手の中で消えていったのではないかと思う。既に仏法世界、魂魄世界から退散していたのであった。ここは魂魄の上に不軽日蓮を考えるべきであると思う。即ち本時の娑婆世界の上にのみ通用する語ではないかと思う。時を外れて通用する語ではない。本因修行も魂魄世界にあってのみ通用する語であろう。丑寅勤行もこれは明らかに本因修行の場であると思われる。

 

 

 

末法の行者

 

 戒定恵を含めた題目を唱える滅後末法の行者の意味であり、題目を唱える前に戒定恵を確認する必要がある。己心を邪義と決めて唱える題目はこれに相当しないように思われる。水島が唱える題目には戒定恵を含めているとはいえないであろう。戒定恵を含めた題目から本仏や本因の本尊も顕現され、成道もある。戒定恵を含めた題目が絶対條件になっていることは、諌暁八幡抄の扶桑記の引用にも明らかである。これが滅後末法の題目である。己心を邪義とすることは、戒定恵を邪義と決めることと同じである。それでは本仏も本尊も現われないであろうし、衆生の成道がある筈もない。また現われる本尊は本因の本尊ともいわれるので、その末法の行者とは本因妙の行者と同じ意味であるが、今は他から異論があって返答に窮したためか、最近はとんと使われない。殆ど死語化しているようである。この末法は滅後末法の意であり、決して在世末法の意味ではない。己心の上に考えなければならない。仏法において不軽の跡を紹継した日蓮と考えるべきである。行によって経の上の体を表わすのは仏法のあり方である。絵像木像を斥うのも仏法の故であるから、今の在り方からすれば、別にこれを斥う理由はないように思われる。今は何をもって絵像を斥っているのであろうか。法華の行者とは悪口罵詈せられ、数々見擯出の目にあり、流罪死罪にあうのが条件のようであるが、悪口罵詈する立場にある皆さんには、法華の行者の資格があるようにも思えない。

 

 

 

末法万年の化導

 

 御影堂の担当するところ、外相を表わしている。これは内証を担当する御宝蔵の本尊に対するものであり、体用の関係にあるものである。御宝蔵を還滅門とすれば、御影堂は流転門をとっている。今は正本堂が出来たために、共にそのお株を奪われたように見えるが、御宝蔵・御影堂共に仏法に則って出来ているのである。御影堂の本尊は特に万年救護の本尊という。この本尊は御宝蔵の本尊の作きの内、特に末法万年の化導の意を表わしたものである。御宝蔵の本因の本尊に対しては本果の意味を持っているが、これは仏法の上の本因本果である。昔から御宝蔵と客殿は左尊右卑、御影堂は右尊左卑といわれ、座配もそのようになっているが、今の正本堂はどのような座配になっているのであろうか。その在り方から見て右尊左卑を取るのが順当なように思われる。万年救護の本尊の化導の対照は閻浮の衆生である。

 

 

 

巧於難問答

 

 難問答を巧にするためには常に学問に励まなければならない。そして学んだものを捨てる用意が必要である。それによって飛躍も得られるものであるが、一夜漬では捨てるべきものは何一つない。宗祖も三十三年間に学んだものを捨てることによって、仏教から仏法へ飛躍することが出来たのである。この語も、学んだものをいかに捨てるかということを教えているのである。宗祖も捨てることがなければ仏教から抜け出ることは出来なかったであろう。他宗他門のものを学んで捨てることが出来なければ、その宗に閉じこめられるのは当然である。捨てるための学問に常々心掛けることを示されているのである。捨てるとは不要なものを捨てる意である。特に大石寺のように仏法をとる処では、諸宗の学問をしてこれを捨てることが肝要であることは、宗祖の示された通りである。それが学はいらないとして始めから学をさげすんだために、まさかの時に捨てるものがなかったのである。これでは難問答に勝てるわけもない。事が始まってから、それも何年もたって探り始めても、間に合わないのは当り前の事である。巧於難問答の意をよく知ることである。今度の問答が巧であったとは義理にもいえない。この意をもって平常から学問を怠るでないぞと誡められている語である。信心と行のみでは問答にはならないことは分ったと思う。明日のため大いに学問に励むことにしてもらいたい。「久保川論文を破す」に倍して、後を続けてほしかった。争うなら平常心をもってすべきであるのに、あまりに気負い過ぎたために悪口が先に立ったのである。あわてて寄せ集めてみても、それは蓄にはならないことは経験済の通りである。巧於難問答は目師の徳であり、同時に後来のものを誡められた語である。味うべき語であると思う。

 

 

 

三祖一体

 

 三祖とはいうまでもなく宗祖・開山・三祖であり、三師伝では三祖を師とし、自らを弟子として、戒定恵をもって師弟子の法門を表わされているものと思う。その三祖を戒定恵に当てられているので、一箇すれば三学を表わしているように思われる。即ち宗の根元になるものを三祖一体と示されている、師弟子の法門もまた同様なのである。また師弟子をもって上行不軽を表わされているようでもある。若しそうであれば体用と見ることも出来るし、釈尊の因行果徳の二法を表わされているともいうことが出来る。己心の法門はこの三祖一体をもって残る処なく具足しているということであるが、今は只伝記とのみ見ているので、以上のものは出ないようである。また開目抄を戒、本尊抄を定、取要抄を恵と当て、戒を宗祖に当てて本仏、定を二祖に当てて本尊、恵を三祖に当てて成道と見ることも出来る。三祖一体とは山法山規の内に含められているようでもある。そのためにその意は詳細に示されていないのであろう。六巻抄では三衣を当ててその甚深の処を解説されているようであるけれども、只三衣とのみ読んだために法門にも至らず、殆ど読まれることもなく置かれているようである。伝記としては今一歩という処があるけれども、法門書としては完璧ということが出来るが、このような意見を阿部さんは職人芸といい、増上慢ともいい、また魔説とも称している。少し心を落ち付けて読み直してみてはどうであろう。御尊師方は只これを伝記と読むだけの芸であるが、それは文上家の読み方ではなかろうか。何故これ程のものを文上のみをもって読むのであろうか、全く理解に苦しむ処である。

 もし三師伝の如くであれば、六巻抄の三衣抄のごとく、そのまま事行の法門である丑寅勤行につながるものである。魔説などといわず、今少し深い処を読むことにしてみてはどうであろう。そうすれば久遠元初も迹仏世界に持ち込む必要もなくなると思う。

 しかし、上の師弟子の法門は、孔孟の師弟子では差別が表に出て法門とはならない。あくまで戒定恵の上に立てられた法門としての師弟子であることを忘れては無意味である。また三祖一体には三光即ち日月星辰も含まれて、大きな働きをしている。明星口伝などもそれである。日月星辰が一箇した処が明星である。道師の三師伝には誠に甚深の法門を引かえているようである。文底法門は浅く読んでは出にくいようである。これは以外に大きな難点であった。それがために口を閉じなければならない羽目になったのである。恥ずかしがることもない、誰に遠慮することもいらない。大いに甚深の処を読んでもらいたい。

 

 

 

塔婆供養

 

 一年に日蓮正宗の塔婆を建立する量は、恐らくは諸宗の総量にも劣らぬ程の量ではないかと思う。仏法に宗を立てながら、何故塔婆供養の必要があるのであろうか。何とも解しがたい処である。その師の墓前に報恩抄を読ませに弟子を遣わせられた時も、墓前においては身延においても塔婆供養をされた事は書かれていない。若し今のようであれば、必らず塔婆供養の事は書かれていなければならない筈である。仏法では塔婆供養のかわりに自我偈三返というのが原則になっているのではなかろうか。今塔婆供養が盛んなことは、教義そのものが文上に立ち返っているためのように思われる。今も二天門の北で盆に供養をする時には、塔婆を立てることもなく、ただ自我偈三返のようで、これは報恩抄のままに、御先師の供養が行われているのである。同じく師の供養であっても、仏教の場合は塔婆供養により、仏法では自我偈三返というのが、きまりになっているのではないかと思われる。この事に行ぜられている処が山法山規であろう。昔ながら理由もなしに、盆が来れば同じことが繰り返されているのである。今は塔婆供養が必要なような教義に変ったために、これが盛んになったのであろう。若し、自我偈の上に更に塔婆供養の必要があれば報恩抄にも示されているであろうし、盆の供養にも建立されていたことと思う。二天門の北では塔婆は立てないのが原則になっている。これが古い供養型式であるように思われる。外典に仏教をとり入れて仏法か建立されるとき、自我偈を三返唱えることが塔婆供養に替えられたのではないかと思う。そこに仏教との区別を立てられているのであろう。今塔婆供養が異様に盛んになったのは教義そのものが迹門に帰ったためであろう。二天門の北の盆供養については、御先師の墓は、昔筆者が掘り出すまでは、その意味もわからずに、しかも絶えることなく続けられて来ていたのであった。今の塔婆供養は仏教との区別が付かなくなったためと思えてならない。阡陌陟記を読むと地獄におちるというのも、何となし仏教的な匂が濃厚である。これは十界互具以前の雰囲気が強い。これでは、仏法には遥かな道程があるといわなければならない。ここの整理もまた急務である。

 山法山規をもって分らないという譬喩に使わないで、古伝が事行の法門として間違いなく実行されているという意味にとれば、本来の意味も大きく現われるであろう。何事につけても、一重立入って解釈するのが仏法家の常識のように思われる。一重立入るとは、文底に入り仏法に入ることである。

 

 

 

宇宙の大霊

 

 宇宙の大霊という語は福重本仏論の中に出ていた語ではなかったかと思う。従来あまり見かけない語で何となくキリスト教的な雰囲気をもっているように思われる。明治になってドイツやアメリカの学問から取り入れられて日蓮学が解釈されていく中で国柱会教学が盛んになり、それを取り入れたのは軍部であり、更らに独自に研究してこの欧米学を取り入れたようであり、それが遂に平和を唱え乍らそこに大東亜戦争に突入した根元になっているのではなかろうか。その威勢のよさを取り入れたのが明治の大石寺教学であった。身延に攻め立てられた処をこの教学に発散させたようで、それが俗身のまま最高最尊の座についた処に登場したのが覇権主義であったようで、キリスト教の宇宙の大霊が魂魄と等しく考えられて、そこに日蓮本仏論が考えられているようで、それが今のような俗身のままの法主本仏論と発展してきたのではなかろうか。日蓮が説く処は俗身を切り捨てた処に魂魄の上の本仏論が成り立っているようで、今はますます俗念のみが強盛なようである。それが金集めと現われているようである。開目抄も六巻抄も最も警戒している方向に進んでいるようで、それが今回の二十億の豪邸と現じたもののようである。池田会長の豪邸も時価二十億ということは週刊誌の評価である。その中に十八金の風呂がすえられているようで、アベさんもそれを目指しているものと思う。つまり双方共に俗身のままそのような構想を練ったために、今、鉢合わせとなって攻防戦が開始されたようである。そして思いつくまま僧や信徒のくびをどんどん切っている。それは無慈悲の見本のようなものである。

 平成元年のお虫佛い説法では遂に法花の広布を捨ててウラボン経の広布に変ったようである。そして題目のみは法花の題目をとなえているようである。そして時には法花の広布をも唱えているようである。「京なめり」と誡められたのは慈覚流の密教をとり入れた処を指しているものと思われるが、今はそれを通りこして欧米式の思想を取り入れた中で、そこにウラボン経の花が咲いたようで、つまりアダ花ということのようである。以前は盆説法には他門の説法本を写していたが、その時代は餓鬼道におちていたということであったが、それもいつのまにか地獄に変えたようで、今は専ら地獄をとっているようで、それは本尊抄への挑戦ではないかと思う。そのような中で自然に本尊抄に説く十界互具、十如是などとも遠くなって、止観第五の法門とも遠ざかっているようである。そして今は師弟共に欧米流のハイカラ風をとりいれているようである。そして金をのみ重んずることに専念しているようである。そのために真言法門がますます取り入れられているようで、ますます京なめりに深入りしたようで、それが師弟子の法門の抛棄につながって師は弟子のくびをきり、弟子は師の足元を伺うということになっているようである。そこには師弟一ケの美徳は全く見出だせないようである。それは法門のみだれの成果であると思う。そして師弟共に金集めに専念しているようで、その結果が登山禁止と現われたので結局は双方共困っているようである。天母山デズニーランドでも考えてはどうであろう。登山をも一人占めにしようとした処に誤算があったようで、大日蓮では寛師のものを引用して僧に供養するようにあふっているようであるが、どこまで効果があるのか。師は弟子を労り、弟子は師を敬う処に師弟の道は成り立っているものであり、上に立つ者のみが威張ってよいとは御書には一向に説かれていないようである。今はあの手この手で信者をいじめるようになってきているようで、なかなか返りはないようである。

 地獄極楽はオドシとスカシの秘術のようであり、それは今の宗門もとっているようで、それはどうやら成功していないようである。「京なめり」は一時は調子はよいが最後には危険なもので、宗祖は予め警告を発せられていたようで、今宗門は最も悪い方向に進みつゝあるようである。時局協議会文書作成班一斑は外護について論じている。高橋粛道師は寛師引用のものを取り出して僧侶に供養することを大いに要求しているようである。これらのことは文字に現わして請求するものではない。その人格が自然にそのような結果を招くものである。あまり金に眼を眩まされぬことが肝要である。過ぎるとそこに破綻が待っているかもしれない。登山料等の丸取りをたくらんでも当は向うからはづれているようである。速かに二十億の豪邸は忘れる事である。今僅かに売店の関係で残っている根檀家の人等も以前に大半は北山へ移り、今又売店の人等もまた他へ移る気配があるのではなかろうか。有為転変の世の中、古い根檀家なしではやってゆけないのではなかろうか。空威張りを止めて、少し慈悲を考える時が近付いているのではなかろうか、もっともっと徳化の必要があるように思われる。ふところに金を押しこむのみでは信徒の教化は出来ない。慈悲忍辱の衣を着た僧侶がカンシャク筋を浮べているのはあまり敬服出来ない理の一つである。

寛師全集も中断したままのようであるが、序で乍ら完了してはどうであろう。裏書きされたものに裏打されているものも二点位あったように思う、これは中々読みにくいものであった。六巻抄にあるもので以前拾ったことがあるが、「勤めよや、勤めよや」と読まれているが「いそしめよや」と読むようになっているようで、「つとめよや」では少し意味が違ってくるのではなかろうか。

 時局という語は大東亜戦争に入る前に盛んに使われていた語である。宗門もそのような処にいるのではなかろうか。口に平和を唱え乍ら戦を目指しているということであろうか。今はほうぼうで戦が始まっている。宗門もその戦場のうちの一つであろうか。昔は戦争成金という語があったが、今は金もうけは随分下の方まで廻ってきたようである。トップにいる人は必らず金儲けはたくらまぬことが肝要なように思われる。

宗門では自力をもって歴代上人全集を完了することは困難なのではなかろうか。因師のものも大量のものが本山に帰ってきたようであるが、これを期に解読して出版にふみ切ってはどうであろう。世間も大いに益せられる処があるのではなかろうか。寛師の読みの深さを学びとってもらいたいものである。寛師が心痛された部分については今においても何一つ読みとられていないようである。

寛師は集まった金はすべて宗門に寄進せられたようである。二十億の豪邸を造る計画は更らになかったようである。昔は薬売りが村に来ても昼食はお寺へ行ってすませたようである。外来者も自由に食事をしていたようで、農民も秋の忙しい頃にはお寺で昼食は間に合わせていたということで、自由に漬物・梅干などを取り出していたということである。そのように根檀家との関係は深かったようである。今は専ら信者から取上げることに専念しているようで、そこに今の攻防戦が始まっているのである。どう見ても宗門側が弱いのではないかと思う。止観第五から出るものは本法から出る本仏の慈悲の固まりのようである。アベさんもよく久遠元初の己心の一念三千法門について、久遠元初の本仏の己心という語は使っているが、それが本法であるとは決していわれていない。それがいうまでもなく本法なのではなかろうか。若しその説が本法から出ているのであれば、あくまでアベ説から慈悲心が滲み出る必要がある。あまり欲張りすぎると話が逆転するのではなかろうか。今の戦況は宗門が不利なのではなかろうか。いたわるという暖か味が必要なのである。今の宗門の在り方から冷たさのみが横溢するのは何故であろうか。

 高橋粛道師が寛師のものを引いて僧侶への供養を求めているのは不要なことではなかろうか。供養とは報賽の意味を持っているもので僧侶の側から要求すべきものではないようである。僧侶は俗慾を最も恥づべきものではなかろうか。それを説くのは法花のようであり、今はウラボン経による故に富裕をほこるようになったのであろうか。餓鬼道でも満足出来ないので遂に地獄を持ち出しているようである。そこに解尺の恐ろしさがある。怒れば地獄等の一連の文は本尊七ケ口伝として、そこから戒壇の本尊を取り出されている文である。今は遠い昔語りになったのであろうか。本仏とは本法の文の底に秘して沈められている己心の一念三千法門であるが、これについては一向に委しく説明されることはなかったようである。そのために読み損じでもあるのではなかろうか。宇宙の大霊ということになればキリストに近いかもしれない。

 本仏とは本来、久遠元初の本法であるようである。その本仏から出た処が本尊ということである。その本尊をとれば必らず富裕をほこる必要は更らにないのである。天皇も神もすべてその本法の処に立てられているようである。また本尊も仏も本仏も何れもその本法を根本として建立されているものである。そこに立てられているのが、本因本果因果倶時不思議の一法が即ち、本法として崇められるもののようである。それらを法花経に取り定められているのが本来の法のようであり、今は本法をすててウラボン経にくらがえしたようである。

ウラボン経からどのようにして本法や本尊を取り出すことが出来るのか、まづそれを明らかに示すべきである。ウラボン経からどのようにして本尊や題目を取り出すつもりであろうか、委細に示すべきであるが今はウラボン経にかわった以後も相かわらず法花の題目をとなえているようである。

まだ法花のお叱りはないのであろうか。

これは今差し当たっての急務のようである。

 少し召し上げ方が厳しいようである。もっと宗祖の如く身を底下に下せば信徒をいたわる心が出てくるのではなかろうか。信心とは、をどしすかしを兼ね備えているようである。宗門としては法花によることは既に宗祖によって取り定められ、昭和の終りまで守り続けられてきているものであるが、それを何を思い法花をすててウラボン経にとりかえたのであろうか。それは、お前の兄弟は地獄におちているぞと、をどすための智恵のためのようである。しかも今は遂にお前の親兄弟は地獄におちているぞと、をどすようになり真向から本尊抄の取り定められる処に反対しているようである。その結果が今、師弟の対立と出たのであろう。そこにはどう見ても十界互具はあり得ない。出合い頭には喧嘩をするような仕組になったのである。早く十界互具や十如是を取り返して平和の世を迎えてもらいたい。恵心のをどしもそれ程効果はなくなって逆効果のみであったようで、室町末期の教学のはいることを六巻抄は警告されているのではないかと思えるが、その背景には要法寺教学の流入については大きな懸念があったようで、結句はその影響下におかれたようである。そこで末法相応抄を設けられてその結論が今ウラボン経の広宣流布と出たようである。

第四では滅後末法のために「京なめり」を警戒することを教えられているようであるが、今となっては結果的には全く逆に出てしまったようである。そして第五の一言摂尽の題目について全く無関心のようで遂に読まれることもなく切りすてられたようである。そして取り入れられたのがウラボン経である。

遂に地獄・極楽法門の中に組み入れられたようである。衆生はその中にあって息継ぐひまのないほど責め立てられているのである。

 今大日蓮では必至になって塔婆供養の宣伝をしているようである。大石寺では元来貧道の方向をとっているようである。貧道を守る処に修行があるようである。今は儲けるために上げる題目は決して修行といえるものではない。如何にして貧に処するかという処に根本の修行があるのではなかろうか。その結果が第六に結集されて師弟一ケの成道と現ずるのではなかろうか。そこでは貧道もまた成道の必須条件のようである。今のような貴族趣味の中に成道を求めることは困難なのではなかろうか。そこで先づ最初に貧道の身と提示せられるのである。そこでは当然弟子も貧道を名乗る必要があるようである。師のみが貧で弟子が豊か過ぎては不似合いである。師弟共に貧道を立てる処に修行も成り立つというものではなかろうか。そこに師弟の機微というものも秘められているようである。今は師に遅れまいと弟子も懸命に金集めに専念しているようである。信者は二重枠にはめられているようである。

宗門は明治以来国柱会教学をとり入れているようで、日蓮本仏論もそれを根底とした考えの上に仕上げられているのではなかろうか。若し寛師に本仏的な発想があるとすれば、それは止観第五の文から取り出されたものであり、その根本におかれているものは本法であり因果倶時不思議の一法のようである。福重本仏論には多少なりとも欧米的な発想をもっているのではなかろうか。色々と新らしいものを取り入れるものをもっているようである。そろそろ新らしい構想に切り変える時が来ているのではなかろうか。明治・大正の構想もウラボン経に至ってハッタと行き詰ったようである。速やかな転身が必要になっているのではなかろうか。ウラボン経への転向は法花の行者として将来に禍根を残すものではなかろうか。法花の持つ本法はどこまでも追求すべきものではなかろうか。あまりにも切り捨てが早すぎるようである。時局と唱える程危機感を持ち合わせているのであろうか。あまりにも転向が早いようである。アベさんは久遠元初の己心の本仏について時折り久遠元初の本仏の己心という語を使われているが、その語について今一歩説明をしておいてもらいたい。はっきりその意義の説明がされていないようで、久遠元初の己心の本仏の本法について、今一歩詳しく説明を加えられたい。そのはっきりしない処にウラボン経の本法をおさめようとしているのではなかろうか。何となくその彼方に宇宙の大霊を秘めようとしているのではなかろうか。その不明朗な処に久遠元初の本仏の本法を見ているのではなかろうか。常にそのあたりの説明を避けているのは何故であろうか。途中で説明を打ち切る必要はないから、その不明な中に説明を秘めているのではなかろうか。そこにウラボン経の本法を秘めているのではなかろうか。中途半端で打ち切られては他人にはわからないものである。遂に詳細な説明を避けているのは何故であろうか。六巻抄第六の結論にあたる部分も、結論としての左伝の註を今一歩詳しくしてもらいたいと思う。そこのあたりに何となくウラボン経に趣くものがあるのではなかろうか。その彼方に台密的なものを秘めている処があるのではなかろうか。六巻抄第六の結論がそこから取り出されていないために、師弟子の法門の影のうすれるものがあるようである。時局研究会の面々は左伝の註について詳細にしてもらいたい。そうすれば第二の結論について新加の必要のないことがわかるのではなかろうか。その処に久遠元初の本法を秘めているのではなかろうか。本仏・本法とは、その意が不明朗なものではないようである。そこにあるのが天の備えた大法のようである。それを日蓮本仏ととなえているのではなかろうか。その大法を説かれているのが止観第五ではなかろうか。そこからとり出されるのが師弟子の法門ではなかろうか。現状では師弟子の法門及び、本仏の持つ本法は説明されていないようで、そのために止観第五との関連がうすらいでいるようで、それを時局委員会ははっきりしてもらいたい。そこに時局的な要素をもっているのではなかろうか。強引に押されている間に文底秘沈の語は消す約束が出来たのか、結局は文底秘沈の語はなかったというのが時局法義委員会の大村委員長の解尺であったようである。その語は身延日重の言いなりになったという処に強引に押し切られたようである。それでは三秘惣在の戒壇の本尊は全く出現しにくいのではなかろうか。それに便乗して己心の一念三千法門を邪義と取りきめたのが水島先生の大日蓮の説明である。これも不得要領な中で逃げ切ろうということであろうか。これでは御先方の云いなりの結論に追いこまれたようで、全く無条件降伏そのもののようである。そのような中で止観第五も慈覚流なものに方向転換を計っているようである。それをのりこえるために威勢よく覇権主義を振り廻しているようである。そこから恥づかしげもなく他人に対して不信のやからという語がでているのではなかろうか。若し常に本法が所持されておればそのような語は出ない筈である。

上のいう事、下これをならう。その金儲け覇権主義が今宗内に横溢しているようである。昔から天狗は芸の行きとまりという。随分お気をつけ遊ばせ。

 

 

 

高山樗牛のこと

 

 明治の頃、高山樗牛という有名な哲学者があった。始め国柱会にはいった時、まづ開目抄を読むようにすゝめられたようである。中国では子供が生れた時、樗という木を墓地に植えるそうである。生長が早いので、死ぬ時には棺桶に間に合うようである。日本の川辺に自生する千駄のようなものであろうか。この千駄の木、種が流れついて自然に大きくなるもので、燃せば一寸香木の香りをもっている。切って割ってもすぐ燃える不思議な木で、最近は河川工事のために少なくなったようである。樗牛とは樗の木につながれた牛ということで、いかにも世間の役に立たないものという意を持っているのであろうか。随分人を食った話である。この開目抄を一見するなり、吾人は宜しく現代を超越せざるべからずと言うたということである。現代を超越するということは過去も未来をも、即ち三世を超過せよとあると読んだのかもしれない。そこまで達観して読みとった人は門下には殆んど希なのではなかろうか。今の宗門人には現代を超越することは不可能事のようである。開目抄は金・金・金の世の中を超越することを教えられているようである。今の宗門人には吾人は現代に執着せざるべからずと読めるのではなかろうか。開目抄に魂魄を持ち出されていることは、あきらかに三世超過の意味をもっているのであろう。ウラボン経のことは一日も早く忘れた方がよいのではなかろうか。

 

 

 


 

 

〈第5編〉大石寺法門の思想

 

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 「一念三千は但法華経の本門寿量品の文の底に秘ししずめたまへり。竜樹・天親ハ知ってしかもいまだひろめたまはず。但我が天台智者のみこれを懐けり。一念三千は十界互具よりことはじまれり」と。

 この開目抄の文は六巻抄で詳細に説かれており、これを本源として、大石寺法門が委しく説かれているが、今の考えと相反するものか、六巻抄は全く研究されていないようである。己心の法門も戒定恵も主師親も隠居法門も丑寅勤行も師弟子の法門も、衆生の成道も久遠元初の自受用身も、また三大秘法も今は迹門文上に解してはいるが、この文に依って説かれるものは本因に属するものである。出るべきものが出ていない処は、それだけ六巻抄が理解されていないためであろう。今は邪義と決まっている己心の法門や、そこに含まれる一切の根源はこの文に含まれているようである。大石寺法門の根源の扱いである。今の伝統法義ではその様なものが明らかにされていない。伝統を称することの出来る根源になるものは一向明らかでない。只漠然と伝統を称しているのみである。

そこに伝統法義の短命な理由がある。僅か一二回の生命であったようで、今どのようになっているのか、一向に消息不明である。水島が説を伝統法義としても僅か二十八回限りであった。いかにも短命である。今少し長寿といえるような処を目指してもらいたい。二年四ケ月では何としても長寿と称することは出来ない。寿量品は寿の長遠を説くためにあることを思い返してもらいたい。これから見ても、いう処に伝統法義が長寿を持っていない処は間違いのない処であろう。一語を捉えたために万語を失するのは、余り賢明な方法ではない。慎重に事を運ぶべきである。余りにも無計画であった。今どのような研鑽をしているのであろうか。そろそろ成果もまとまる頃ではなかろうか。一念三千とか十界互具という語は経文にはないが読めないのであろうか。

 今引用の文に一念三千は十界互具より始まれりとは今引用の文にあるが、本尊抄では十界互具については委しく説かれている。何れも己心の上に説かれている。そのためにはこれからも邪義の内に入りそうである。これらを除いて、本尊抄はどのように展開出来るのであろうか。己心の法門を邪義と決めることは本尊抄の展開を阻むことである。己心の法門とこの二を除いては、本尊抄も動きはとれないであろう。

狙いは正しく適中しているようである。己心の法門とこの二を押えては大石寺法門も動くことは出来ない。これは少し度が過ぎたようである。自縄自縛ということであろう。今の御両所もその余波を受けたのか、全く停止状態のように見える。

法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈められた一念三千の法門は、己心でなければひろめいだすことは出来ない。これが己心の法門といわれる所以である。それが邪義では一念三千の法門をひろめいだすことは出来ない。

それでは本仏も本因の本尊も永遠に現われるようなことはない。開目抄や本尊抄其の他の御書を説き出された意味は全くない。宗門や水島は何を思って己心の法門を邪義といい、教学部長は狂学と称するのであろうか。全く狂気の沙汰である。御書の文をもって堂々と証明すべきである。水島程の学匠といえども、それは出来ないであろう。誤りが分かれば早々に取り消すべきではないか。

己心の法門を邪義とすることは、興師以来の大石寺法門を邪義と決めることであると同時に、日蓮が法門を悉く邪義と破し去ることである。宗祖も開山も三祖も、七百年後の末弟にさんざんに破し去られたのでは穏やかではないであろう。己心の法門を邪義と決めては大石寺には古伝の法門は皆無である。今は何れの宗から移入したものによっているのであろうか。

それは法門のすりかえである。邪義に代る正義の法門を明確にする責任があるであろう。ことには頬かむりの出来る時と出来ない時がある。ここまで来ては頬かむりで罷り通るわけにもゆかないのではなかろうか。

上は宗祖開山に対し、下は信者に対し、その宗義の依って来たる処を明らかにする責任があると思う。

 寿量品の文の底に秘して沈めた一念三千に依って衆生が成道出来るなら、衆生の続く限り寿の長遠を証明出来るであろう

が、二ヶ年と四ヶ月では、とても長寿といえるようなものではない。己心の法門は捨てても長寿の夢は今も残っているのではなかろうか。

久遠実成と二乗作仏によってこの長寿は導き出されるのであろう。そのために二ヶの大事といわれるのであろう。この二が衆生が本来備えている一念三千と合するのである。

しかし今では、次第に怪しげになって来ているようである。

一閻浮提総与には本来備えているという意をもっているが、本果の本尊ともなれば、本来備えていないように変わってくる。本因の本尊とは末代幼稚の頸にかけさしめたもうた一念三千の珠である。本果の本尊は一見本尊と分かるような姿をとっているのであるが、本因の本尊とは姿のないのが原則である。一念三千の珠を凡眼をもって捉えることは出来ない。その秘密の姿を納めているのが秘密蔵であり、御宝蔵なのである。本因の本尊にも秘密蔵の意味は充分持っているであろうが、本果の本尊にはそのようなものは含まれていない。従って今授与されている本尊には本因に関わるものは含まれていない。戒定恵を含んでいない。そこに本因の時と、本果と決めた以後では大きな相違がある。つまり本果の本尊に一念三千の珠が含まれているようには、本尊抄には説かれていない。そこで大きく意味が異なって来るのである。

 このままでは改めて本果の本尊に一念三千の珠が含まれている解釈を見出ださなければならない。この珠がなければ本尊の意味が変ってくるであろう。衆生の成道も亦即刻消えるであろう。これでは絵像木像の本尊と何等変わりはない。他宗の本尊と違っているのはその珠を含んでいるためであるが、それは本因の本尊に限っているのは本尊抄に示されている通りである。

まずそれを本果へ移さなければならない。

本尊を本果と決めることは、己心の一念三千の珠との絶縁を意味している。今本果と決めることによって、一重立ち入った処で新しい難問が出たようであるが、己心の法門も邪義であり、本果となれば、その本尊に一念三千の珠が含まれていないことは間違いのない処であろう。それでは本尊抄の本尊のみを取り上げて、その内容については全く異なった理を附与していることになる。これはどのように解してよいのであろうか。つい数年前まで本因の本尊の語は使われていたものが急に本果となったのでは、他門の本尊と同日に論じることは出来ない。宗門では発端から本因の本尊に依っているのであるから、今これを改めるなら、まずその理由を鮮明にした後にしなければならない。それでは六巻抄は専ら邪義を説かれているということになる。六巻抄がいかに邪義であるか、これも鮮明にしなければならない。本尊抄や開目抄についても頬かむりで逃げ切ることは出来ないであろう。これらの問題を解決してからでないと、邪義ということは通用しないであろう。

結局は新しく難問を背おいこんだのみであった。これなら始めから邪義などと気勢を挙げない方がよかったのである。水島御尊師もとんだものを背おいこんだものである。しかし、己心の一念三千法門が邪義と決まれば大変なことになる。三大秘法もその中にはいるであろうが、戒旦として出発した正本堂もその中に含めなければならないであろう。これはどのように扱われているのであろうか。己心の法門は邪義だとやった時、本尊や正本堂が含まれていたのでは、水島の面目も丸潰れということではなかろうか。どのようにして泳ぎ抜けるつもりであろうか。これは降って湧いたような難問である。

 さて、己心の法門を邪義と決めて応仏を教主と仰げばいうまでもなく文上迹門である。文底は消えたことであろう。本仏も文上から求めることは出来ないし、仏法も求めることは出来ない。そこは応仏世界であり在世末法である。即ち仏教の世界である。そこでは種脱相対の必要のない処であり、権実・本迹の二つの相対のみで、一念三千を持たない内外・大小の二つの相対と二つずつである。種脱相対が消えては下種仏法の語も使いにくくなる。本尊をたとえ本果と決めても本迹相対の処で本尊を求めることは出来ない。次々に予想も付かない変革が起きる。また日蓮正宗要義も己心の法門や種脱相対を除外し、本仏や本尊に関しても全面的に改変しなければならない。今まで発表されたものについてでも改変する必要がある。威勢よく発表したまではよかったけれども、後始末が大変である。

 大日蓮によると山法山規は全く不明ということであるが、宗務院が公式に発表したことであるから間違いはあるまい。若し在ったものが不明になったとすれば、受持されなかったということである。山法山規は己心の法門と密接な関係を持っているが、今となってはその必要もなくなったのであろう。

 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸刎ねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて」と。これは魂魄の上に法門が立てらえているしるしである。己心の法門はここに立てられるのである。これが滅後末法である。俗身は既に除外されている。滅後は釈尊のみに限らず、自らも滅後に入るのである。しかし、今は日蓮については滅後は認めていないようである。肉身の三世常住とは鎌倉に生まれた日蓮は今も生きているという意味であろうが、どのように理解すればよいのか、到底凡智の及ぶ処ではない。滅後を立てるためにはまず三世を超過しなければならないと思うが、三世常住では現世を超過する必要はない。三世が即ち現世であるからである。三世を超過するために受持が重要な位置を占めるのではないかと思う。そして受持には釈尊からのものと日蓮からのものとの二つがある。今は山法山規が受持されていないことは宗務院の公表の通りである。己心の法門は受持されていないどころか邪義と決めつけられている現実である。これでは山法山規が受持されているともいえないであろう。受持には過去に密着するものを持っている。その故に超過である。過去に密着しながらこれを超過する、そして現在をも超過するのは魂魄に限る、そこに肉身をも超過することが出来るのである。そのような処に久遠の寿命がある。これが寿量文底といわれるものであろう。これによって法華経寿量品を一気に超過することが出来るのである。

 そこに久遠元初があり、また戒定恵もあれば主師親もあり、忠もあれば孝もある。それが信の一字にまとめられるのである。忠は孝に摂入せられ、孝は天よりも高く地よりも厚である。これらは魂魄の上に考えられているものである。このようにしてみれば体の根源は孝にあり、用の収まる処は信なのかもしれない。この体、用を離れず、用、体を離れざる処に本因があり、久遠元初があり、久遠は戒、名字は定、妙法は恵と読めば戒定恵も亦備わっているようである。その用(はたらき)を自受用報身というのであろう。これらは地の厚き処に収まっているのかもしれない。地の徳である。これを大地の底ともいい、その徳を上行に譬えるのかもしれない。そしてその用きを不軽というのではなかろうか。このように見れば体用も上行不軽も共に大地の底を本拠としているようである。不軽は軽からざる故に大地の底を本拠とし、時に大地の上に出るのかもしれない。若し軽であれば虚空に住在するであろう。上行が虚空に住在しないのは専ら不軽の故ではなかろうか。上行は本尊となっても常に衆生と共に居り、孝もまたそこを本拠としているのである。この不軽も上行もその真実所住の処は衆生の魂魄の処であろう。そこに己心の一念三千がある。

 しかし眼で確かめなければ承知しない向きには、孝も上行不軽も不向きであるといわなければならない。宗門は上行不軽については独自にその姿を眼で確かめる方法をもっているのであろうか、これは否定していないようである。不軽菩薩は所見の人にこれを見るといわれている。眼で確かめないと邪義という者のあることを予想されていたのであろう。しかし、己心の法門まで邪義といわれているとは予想されてはいなかったのであろう。

 孝は百行の本ということがあるが、開目抄では孝が根本に置かれており、己心の法門も仏法も孝から出生しているが、今は仏教によっているためにこれとは無関係の処におかれている。そのために己心の法門が邪義と見えるのかもしれない。孝を離れては己心の法門は出ないのではなかろうか。孝を離れることは世間と遊離することである。今は己心の法門が邪義であるけれども、そこから出た本仏や三秘は邪義とはいわない。どのような内規によっているのであろうか。しかし孝を離れることは世間即仏法にも悖ることにもなる。これでは仏法も成り立ち難いであろう。中々前途多難といわなければならない。

 孝を離れた処でいきって見ても、開目抄に説かれる孝に背いては、宗祖に孝ということは出来ない。孝を否定することは日蓮が法門に対する根本的な否定ということも出来る。己心の一念三千法門が十如是に始まることは開目抄に説かれる処であり、且つ本尊抄では更に詳細にされるのであるが、これにも亦背くことになる。本尊抄の根本も孝に置かれている。また撰時抄・報恩抄・取要抄其の他の御書も亦例外ではない。主師親から始まって一切は孝に収まり、一代聖教も法華経を内典の孝経としてここに収め、双方共孝に収まった処で、そこに仏法を見出されているのである。

 その間にあって重要な役割をしているのが受持である。そこに仏法が成り立っているのである。その受持には仏教と中国伝来思想とが含まれてをり、今では更に日蓮からの受持と、三の受持をもって宗門は成り立っている筈であるが、現実はどのようになっているのであろうか。現在は応仏世界に帰っているので、その受持の必要はなくなっているであろう。

 己心の法門を否定する伝統法義は、孝においてどのような関連を持っているのであろうか。三師伝も六巻抄も共に開目抄の一念三千から始まっているので、主師親と戒定恵と孝を含んでいることはいうまでもない処である。当家三衣抄は資具篇ではないここは明らかに以上の三が説かれている。そのために当流行事抄を受けて丑寅勤行という形の中で衆生の現世成道が具現するようになっているようである。三衣の文字に引かれて資具篇とは、些か浅すぎるようである。三衣を説くためであれば、己心の一念三千や三秘、また戒定恵から説き起こす必要はないであろう。これでは泰山鳴動鼠一匹という処か、一向に衆生の現世成道にはつながらないようである。折角の成道の裏付けを切り捨ててしまっては、衆生には救いはないであろう。

 その孝の処に主師親も戒定恵も己心の法門も収まっているのである。そこが師の処であり、そこにあって信の一字の上になり立っているのが師弟子の法門である。師、弟子を糾すとはその用きの一端を示したに過ぎないものである。師弟子の法門とは本因の本尊と殆ど変わりはないであろう。この法門の根本になるのは信であり信頼である。これが大石寺法門の根本になるものである。

が、伝統法義では何を根本としているのであろうか。仏法と仏教では同日に論じるわけにはゆかないかもしれない。総てが真反対に出るからである。本因と本果では止むを得ないことである。時局法義研鑽委員会の成果の最大なものは本尊を本果と極めたことであった。本因では問題にはならないが、本果ともなればまた真偽問題が再燃するかもしれない。真といえば総与もまた厄介である。既に万年講も何かいい始めているようである。時局法義研鑽委員会も厄介な問題を招き寄せたものである。あまり先の見通しがあったとはいえないようである。内からの混乱は殊更厄介である。そろそろ自己矛盾との戦が始まったということであろうか。今さら本尊を偽筆ということも出来ないであろう。本果と立てている間はいつまでも続くのかもしれない。

 丑寅勤行によって得た本尊は本因といい伝えられて来たが、今は本果と改められたように見えるが、本尊は既存のものに限られているように見える。勤行による本尊がどのような扱いを受けているのか一切不明である。そのために本尊に対して戒場も予め用意する必要があるのであろう。それが正本堂である。戒も亦別立する必要があるかもしれない。若し本因であれば客殿で充分である。そこに主客・師弟相寄り本尊を成じることが出来る。その時の中央の題目は一言摂尽の題目であるが、今は略挙経題玄収一部の題目が近いように思われる。これでは功徳が根に止まっているとも言えないであろう。その証拠に釈迦牟尼仏・多宝仏と上行の交替は未だ行われていない、迹門そのままである。故に本果と証しているのである。そして題目にも戒定恵も見当らない。宗門の自証は信用しないわけにはゆかないであろう。しかし、これを本尊抄をもって証明することは可成り困難なようである。

 四天王が守っている中は本時の娑婆世界であるが、今は本果をとっているので迹時の娑婆世界とでもいうのであろうか。迹時であれば戒旦の別立も当然あってよいであろう。但し本尊抄によれば本時の娑婆世界以外には読めないであろう。己心の上に建立されたものであるからである。本尊抄の前半は本因即ち仏法を導き出すために専ら使われているようである。このような中で本果即ち仏教の本尊を求めることは、恐らくは出来ないであろう。衆生の現世成道も未だしという処である。本時の娑婆世界とは己心の法門の領域であり、文底といわれる処であるが、今は仮時の迹門本果をとっているのであるから本尊の出るような娑婆世界はあり得ないであろう。そのための文証として本時の娑婆世界等の文を使うことは出来ない。又時局法義研鑽委員会の権威をもってしても、「本時の娑婆世界」直前の己心の文字を消すことは出来ない。しかも本尊を本果とするためにはこれを消さなければならない。結局これらの文では本果の本尊ということはかんがえられない処である。それを強引に迹門に見ようとしているのである。そのために本仏や自受用報身がこれに続かないのである。結局私の意見という外はない。そこに沈黙の真意があるのであろう。仮時と本時の混乱である。客殿では衆生の動きをもって本仏の振舞ということが出来るが、正本堂ではそれはいえない。このような語も早晩消えゆくことであろう。迹門への後退は法門の上に徐々に或は急激に変化をもたらすであろう。「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸刎ねられぬ。これは魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中に記して有縁の弟子へおくればおそろしくておそろしからず、みん人いかにおじぬらん」と。

 

 

 

事行の法門(山法山規)

 

 己心の法門、己心の一念三千、本因本果の法門、隠居法門、師弟子の法門、大聖人、下種仏法、仏法等と色々にいわれているけれども、内容的にそれ程の相違はないのではないかと思う。本因というも久遠名字の妙法というも、ただ異なる処は捉え方の相違、広狭による処ではないかと思う。結局は己心の法門である。これでは義理にも分るとはいえないであろう。一を邪義といえば余は全部邪義ということになる。それだけに厄介である。大聖人や下種仏法が邪義でないとするためには、己心の法門に関係のないことを証明しなければならないが、これは少々無理なようである。

 そして山法山規は総て事行に移されているようであるから、内から見ればこれも亦己心の法門である。これを事行の法門というが、それは天台を理とするに対するものであり、自宗からいえば事中の理という処である。御影堂を本果とするのは因中の果であるが、正本堂は因が曖昧なように思われる。これを因中の果というためには、宗門がまず本因と決めなければならない。そうすれば御宝蔵が本因を表わしていることになるが、観心が天台の理によって証明されるなら、戒旦の本尊を本果として決めたものと解さざるを得ない。そのために御影堂の本果の理も失なわれ、御宝蔵も本因本果の理から外れるであろう。本尊は本果として正本堂にあるのであるから自然と本因は失われていると見なければならない。事行を根本とする宗門であるから、戒旦の本尊が迹中の果となれば、御宝蔵が迹中の因となっていることは必至である。つまり伝えられて来た本因は消えたのである。宗門自身が証明したのであるから間違いはないであろう。同時に己心の法門も邪義と映るようになった。これが迹中の因果に移った何よりの証拠である。これでは山法山規は無関係である。

 己心の法門が事行に移った処を総括して山法山規といわれて来たもので、元より箇条書になったものではない。そして法門が文底から文上に移る間に自然と消滅していったのであろう。しかも殆どは昔乍らに行われているのであるが、肝心の本因が失なわれては、その存在価値がなくなるのは当然のことである。形骸のみが残っているという程のものである。己心の法門を邪義と決めたことは、次第にその影響を拡げてくる。ここまできては予防することも出来ないであろう。成り行きに任せる以外は方法もないということであろうか。

 己心の法門を根本とするのも、これを邪義とするのも、共に唯授一人の中の所作である処は、いかにも摩訶不思議である。唯授一人とは頸に懸けられた一念三千の珠、一閻浮提総与と同じく本因の本尊にかかわるもの、唯授一人は本仏から法主へ、一つは本因の本尊へ、今一つは衆生の成道へと分かれてはいるが、本来一つのものではないかと思われる。その根本の処にあるのが己心の法門である。頸に懸けられた一念三千の珠はそれを指しているものであろう。これはそのまま唯授一人である。それが本仏、本尊、衆生の成道と分化して一つのものが三の働きを表わす、これが本来の成道ということではなかろうか。信の一字・信頼はこの境界を指して本尊と称しているのである。

 それが唯授一人となると異様な権威を含むようになるが、その出生からいえば、本尊抄の末文の解釈のあり方なのかもしれない。或は外相に出たためであろうか。中古天台直輸入というようなものではない。このようにしてみると、唯授一人とは己心の法門そのもののようにも思われる。宗門は今己心の法門を邪義と決めた時、唯授一人はどのようになるのであろうか。或は唯授一人の出生について何か外に名案があるのであろうか。衆生の成道のみを目指したものが極端に法主一人のみの処によってくるようなことがないともいえないであろう。その陰に本因から本果への移行があることは否めない。本因に法を立てているために、他宗にはない極端な出方をしたのかもしれない。今またこれを繰り返している中で、本因は殆ど影をひそめたようである。唯授一人が強調された中でこのように出たのかもしれない。明治以後は一層唯授一人が強く出てをるが、陰で本果が強くなっているようで、今その極限が来たのであろう。等しく頸に懸け与えられた一念三千の珠が唯授一人に変ってゆくのに、それほどの困難はないのかもしれない。そのような中で衆生の現世成道の夢は崩れ果てたようである。つまりは仏法世界の夢は終わったのである。これを復原するためには、まず本因を取り返す処から始めなければならないが、宗門は恐らくは必死にこれを拒むことであろう。本因は始により本果は終による。そして本果は専ら差別によるのである。名字初心は常に本因無差別世界にその本拠をおいている処に意義があるが、今では名字初心も遠い過去の語り草になり切っているようである。

 長い間本因を伝えて来た大石寺も、一旦本果がはいると総てが真反対に出る。本尊抄で本果が隠居して出来た法門は、今度は本因が隠居して本尊抄以前のような本果の世を迎えたのである。釈尊の眷属上行等の四菩薩が隠居し釈迦多宝の世を迎えたのであるが、使われる語は依然として本因時代のものがそのまま残っているのである。それで複雑になっているのである。つまり因果並用時代である。そのために言う方も分からなければ、聞いている方は尚更分からないのである。そこに時局法義の語が生かされ、法義の研鑽が行われているのである。やっていることは本因の法門を本果に切り替えるのが主目的のようである。しかし今振り返って見て、そこで出来た法門は尽く失敗と出たのではないかと思う。その最高位にあるのが己心の法門を邪義と決めたことであり、これによって開目抄や本尊抄の法門は根底から覆えされたのである。今度の隠居法門は逆も逆真反対になっているが、宗門はこれによって法門を立てているのである。これは迹門に還元した隠居法門であって、従来事に行じられている客殿の隠居法門とは真反対に立つものであり、既に正本堂ではこの新隠居法門に依っているのであろうと想像している。今の理からいえば、客殿の猊座は向かって右でなければならない。現在は左尊右卑になっているのである。そうでないと或る時は右尊左卑、或る時は左尊右卑と混乱するであろう。特に理事の間に一貫性を欠くことになる。それでは法門というにも憚りがあるであろう。現状では、本仏は本因にあり、三秘は本果に収まっているようである。三秘の本因は遂に守り切れなかったようである。これは基本姿勢に問題があるためではなかろうか。時局法義研鑽委員会でこの左尊右卑がどこまで理解されているのであろうか。

 「老子上偃武第三十一」に、「君子居りては則ち左を貴び、兵を用うるときは則ち右を尊ぶ」とか、「吉事には左を貴び、凶事には右を貴ぶ」などということもある。案外このようなものを内に秘めて、六巻抄に左尊右卑右尊左卑がとりあげられているのではなかろうか。但し甚深の処は分かるはずもない。それはとも角として、現在は右尊左卑に立ち返っているのである。即ち六巻抄によれば迹仏世界の座配によっているのである。時局という語義が自然に右尊左卑に赴かしめたということであろうか。左尊右卑は臨戦体勢には不向きなようである。時局は非常時局の意味を含んでいるのであろう。一人の権力を守るために自然とこのように収まってゆくのであろう。解釈は常に動いてゆくものである。本仏も今は専ら日蓮一人に決まっているが、元は愚悪の凡夫であった。それが今は衆生は消えて日蓮一人に収まっている。これは陰で解釈が動いているためである。そして権力者が作られてゆくのである。唯授一人もそのようなものをもっているのではなかろうか。そして次第に貴族仏教化してゆくのであろう。

 老子徳経下淳風第五十七に、「正を以て国を治め」という語があるが、久遠成院日親には「正法治国論」があり、発想について何程かの関連はないであろうか。立正安国論はどうであろう。この国は一人の民衆についてかんがえられないこともない。参考にはなっているように思われる。それが直接老子を参考にされたものか、妙楽や従義の辺から始まっているのか、それは宗学者の領域であるが、一見何程かの関係はありそうである。どのような処から始まっているにしても、宗門に老荘的な発想が強いことは分る。その民衆的なものが極端に貴族化されている可能性はある。それが教義を分かりにくくしているのであるが、ここ数年は最後の大変りをした感じである。やるべきものはやったという安心感の中で今沈黙を続けているということであろうか。この淳風篇は今の御時勢には特に興味を引かれるものがある。

 因果倶時とは本因本果倶時であるが、衆生を本因とすれば日蓮は本果である。理即の凡夫と名字即の凡夫は共に愚悪の凡夫である。その師弟一箇の処を因果倶時とも師弟因果とも師弟子の法門ともいわれているが、いつの間にか師弟各別となり、師・弟子を糾すということが平気でいわれるようになる。師弟因果倶時の時は夢にも考えられなかった事である。老子のいう民衆もまた逆に解されるなら、宗門自身の性格を貴族化するであろう。原点に立返って読まなければ意味のないことである。委しくは老子の解説書を熟読してもらいたい。但し身を高座に処くなら、始めから読まない方がよい。ものが逆に映るからである。

 現在は本因が消えて本果一本となり、本因で出来たものが本果で働くようになっているのである。その本になっているのが要法寺日辰の教学である。これは専ら本果を根本としているので、これが導入されると同時に因果が逆に出たのである。それが今漸く結果が表われたのであるが、それが気付かない程深く浸透しているのである。そして本果の処へ本因が表われるために、他門には例のないようなものが出る。そしてそこに貴族仏教的なものを醸し出してくるのである。本因本果の混合体という感じであり、純円一実とは凡そ縁遠いものとなって出ているのである。そこへ更に西洋的なものが入り込んで考え方を複雑にしているのである。

 その様な中で山法山規も己心の法門の中にあって棚上げされたのかもしれない。山法山規は本果の法門とは馴染み難いものを持っているようである。隠居法門も今度は本因が隠居して本果の世となり逆に出たのである。このような陰の働きは気の付かないことが多いようである。本尊抄の副状は本因を先とする指示のように思われるが、今日は本果を先に立てているために利用することが出来ないのではなかろうか。本尊抄が本果を説かれたと見るのは自由であるが、それでは「本尊の為体」以下及び副状の解釈はつかないであろう。混乱の根源はそこに始まっているようである。副状を見れば本文が本因を説かれていることは歴然としているように思う。副状はそれを再確認されているのである。それが丑寅勤行となり、隠居法門となって事行に移されているのである。今はそれさえ本因の彼方に消え去っているように思われる。仏法は本因にあり、仏教は本果の上に立てられているというのが原則であるが、今はそれが崩れたのである。そして己心も心も同じだというように、仏法も仏教も同じだ、仏教に帰れという処へ落ち着いているようである。その飛躍の中にあって罪悪感も起きないのであろう。

 大石寺法門の根元になるのは本因であると思われるが最も不明なのも本因のようである。そして遂に宗門自らの手をもって切り捨てる処まで来ているのであるが、本仏も本尊も久遠元初も、其の他一切の法門は因果倶時の処にあるのではないかと思う。老子はそこに道を見、徳を視ているようである。大石寺法門からいえば本因の処である。己心の法門はそこに立てられているのである。大きく見れば仏法であるかもしれないが、その中にあってまず働きを起こしたとき、これが宗旨・宗教と表われる。これは働きについて名付けられているように見える。しかし本因は一切の万法を具えているようである。それが仏教と妥協を起こしたとき、まず出るのが宗旨・宗教なのかもしれない。依義判文抄によればそのように思われるが、主師親については、そこでは説かれていない。ここは戒定恵に限られている。

 

 

 

信の一字と師弟子の法門

 

 大石寺では互為主伴という語が使われているが、どのような意味で使われているのか知らないが、開目抄や本尊抄を知る助けになるようであるから、明治書院の新釈漢文大系本の「老子・荘子」の釈文を拝借することにする。百五十七頁のものである。

 「造仏主がいるようだが、その姿は見あたらない。人の心情を動かせるのは、甚だはっきりしているが、形が見えない。実体があるのだが、形がないのだ。(さてわれわれのからだに例を取って考えて見よう。)われわれのからだには、百骸・九竅・六臓がすべて具わっているが、われわれはそのうちどれに愛情を示すというのだろう。きみはすべてに愛情を示すのか、それとも差別を設けるのか。(いずれにしても)それらはすべて臣妾のように仕えてくれるだろうか。臣妾たちは、互いに治めあえないのだろうか。それとも、交互に主君となり臣下となりあうものなのだろうか。実は真君なるものがあるのである。しかし、この真君なるものは、その本来の姿で求められようと求められまいと、その真価には増減がない。」

 以上は若有真宰而特不得其朕の項の全釈である。この釈文から見て、互為主伴が出てもよさそうであるし、その中に全文がはいっていてもよさそうである。また何となし主師親の解釈にも役立ちそうにも思われたので、敢えて全文を引いてみた。ただ互為主伴や主師親のみでは取り付きにくいようである。このようなものがあると法門として、その深い処を伺うことが出来るのではなかろうか。自分ではそのように考えているのである。

 従義流はその原拠を老荘におき、四明流は孔孟によるということは考えられないであろうか。従義流が宗教として成り立たなかった理由もその辺りにあるのではなかろうか。日蓮の教えも宗教として成り立ったのは、専ら四明流によった処にあるようであり、最終的には大石寺も従義流を捨てざるを得なくなった。それは宗教的欲求が強くなったことを証明しているのである。そのために開目抄や本尊抄とも離れざるを得なくなったのである。本因の処は、老荘からは容易に伺い易いものがあるように思われるが、今の宗門からは既に本因も消されたのが現実であり、それはごく最近のことである。今そのような激動が起こっているのである。ここ数年来の成果は余り好ましいものではなかったようである。今改めて反省する時ではなかろうか。

 本尊抄の本尊を本果の姿として所謂紙幅の本尊として受けとめるのは日蓮も示されている処であるが、大石寺はこれとは別に事行の法門として受けとめる考え方を伝えている。実はこれが真実の受けとめ方かもしれない。板本尊は假のものとして本因の処に真実を見ようとしている。そこに事行の強調される意味がある。本地難思境智冥合はそのような事行の刹那に具現されるのではなかろうか。このような境界は理をもって理解することも出来ない、勿論眼をもって確かめられる境界ではない。そこに仏法があり、己心の法門がある。そのような境界が呼び起こされるなら、それは人法一箇の境界である。このような処に大聖人もあれば戒旦の本尊も出現するのではないかと思う。

 それが今では理のみが先行し、予め理をもって設定するために自然と理が先に事が後になり、前後不覚になって事理の区別がつかなくなり、結局理が先行することになる。そして最後は理にありながら事をもって称するようになるのではなかろうか。そして本尊も本果となり終るのであろう。そして終には本果の本尊こそ絶対だということになる。

 ただ丑寅勤行のみは意味不明ではあるが、元のままの事行の法門の姿を伝えている。その意味不明の処に山法山規があるようにも思われる。そして本因の二字の処に或る種の魔力があって、この二字を唱えることによって即時に本因境界におることが出来る。そのような処を本地難思境智冥合といわれているのであって、理をもって知ることの出来ない境界を指している。この故に事行が重んぜられるのであるが、今は世と共に理と眼をもって説明出来る境界に結論を求めるような方角に収まりつつあるようである。本尊抄の本尊とは丑寅勤行による以外、理解の方法はなかったのかもしれない。いうまでもなくそれは我が身に体得することである。そこから本尊境界は我が身に湧現する。つまり大聖人の己心と我が身の己心と同じというのも、そのような境界を表わしているのであろう。その受けとめ方を誤れば、凡身が何の修行もなく本仏となることもある。そのような危険とすれすれの処に大石寺法門は成り立っているのである。そのような中で、本果に移ることは最も警戒を要する処である。そこでは特に刹那が根本になっているのである。師弟一箇した刹那は凡夫もまた本仏であるが、次の刹那は唯の凡夫である。それを自分だけ特別に永遠に本仏の座に居りたいと願うのは凡夫の浅ましさである。

 事を事に行ずる等という語は仏法専用語である。理をもってする前にまず仏法語と受けとめるべきである。時局法義研鑽の結果はどんどん仏法の姿は消えつつあるようである。大聖人という語も理をもって定義付けしている間に仏法を離れて、今度は事行をもってしても分からなくなり、結局は鎌倉に生れた日蓮が生れながらにして本仏という処に収まったのであるが、それは最早本仏境界でもなければ仏法といえるようなものでもない。しかし現実にはそこに本仏を見、仏法を考えているようである。

 六巻抄でも理の上に説かれているけれども、実にはその彼方に結論はおかれているのである。説かれたものをそのまま結論と思えば、思わぬ結果を招くようなこともあるかもしれない。事行の法門との間に或る距離をおかれているようである。それが今はさらにその理を天台法門によって補をうとする傾向にある。観心など最も好い例である。そのような中で一日一日迹門化が進んでいるのである。文証なくんば邪偽と思って他宗他門のものを引いてくれば、結果は本因が本果と現われる。現代の文献学方式は大石寺法門には通用しない。その結果の時を本因に切り替える力がなければ使うべきではない。それが追いつめられて血路を天台教学に求めたのが五十七年度の富士学報である。ここで行き詰ったのである。しかもそれに一向に気付かない処が奇妙である。

 根本にあたる本因を説かれているのは老荘であり、文選であり、貞観政要である。その上に隠遁方式が求め出されているのである。貞観政要は特に逆次の読みの中にその力を発揮しているようである。これが根本となって仏法という考えがまとめられてゆくのではないかと思う。これに対してあくまで仏教のみを伝えようとしたものと、日蓮門下が二流に分かれたのであるが、今となっては大石寺もまた仏教一本に絞ったようである。そのような中で本因と本果の矛盾に追いこまれたのである。仏法と仏教との矛盾である。

 とも角天台学をやる隙があれば漢籍でも読み且つ考えることである。そこには立ち上れるものを持っている。これは中国のみでなく、日本でも伝教以後、又末法突入以後真剣に取りくまれ、その苦難を乗り越えた経験をもっているのであるが、明治に入った西洋哲学にはその持ち合せがなかった。その結果が今表に現われたのである。ここは漢籍から改めて何者かを取り出さなければ救いを求めることはむづかしいかもしれない。仏法を助けるものは漢籍のようである。

 他宗他門の教学では益々混沌として来るであろう。まず本因の時と本果の時をしらなければならない。天台の本因本果は、いくら読み返してみても仏法の時は教えてくれないであろう。それは既に体験した通りである。時が違っているということは、本来異質なのかもしれない。日蓮の処は如何にして仏教を抜け出るかということに苦労があったように思われるし、今は如何にして仏教に還るかということに苦労しているようである。時の流れの中で揉まれているのであろう。

 天台で観心といえば本因に当るであろうが、それを無条件で頂いた結果は戒旦の本尊を本果と表わしたのである。そこに仏法と仏教の違い目がある。そこの処をはっきりと区別出来るなら天台教義は使えるであろうが、現状では天台に頼ることは危険なことである。施開廃の三はともに迹を捨てらるべしという処を大いに味わはなければならない処である。

 施開廃の三はともに迹は捨つべからずでは本迹迷乱である。これで仏法が出ないのは当然といわなければならない。今では施開廃の三も既に遠い彼方に押しやられているのであろう。今も解釈不明のままに忘れられているのである。今は施迹の分は迹門は捨つべからずの方向に同調している。その故に本迹迷乱というのである。このような中で本尊抄とはアベコベに、本因が隠居して本果が表面に表われた。それが今の隠居法門である。これでは本尊が本果と表われるのも止むを得ないことである。今の丑寅勤行はこれを背景に行じられているのであろう。これでは衆生の現世成道につながるようなことはあるまい。丑寅勤行の時は、本尊は本因と厳しく定められているようである。

 仏教にあっては、衆生の現世成道は始めから認められていない。そのために二ケの大事を受持して仏法に出、そこに本因をとるのである。法華経によってみても、現世成道の有資格者は二乗までである。そのために仏法を立てて、そこにおいて受持するのである。そして本果と本因の交替も行なわれるのである。それが本尊抄の本尊の為体の処に示されているのであるが、今はこれを更に裏返した隠居法門になっているのである。今昔の隠居法門の相違である。これでは山法山規が分からないのも当り前である。己心の法門もここでは真反対に使われているのである。これでは本来の己心の法門は逆であるから、邪義とも映るのであろう。

 その己心の法門とはどのようなものかといえば実体はない。実に混沌としたものである。それが次第に一念三千として姿を現わしてくる。そのために本因といわれるのが最もふさわしいのかもしれない。例えば老子の道とか徳とかいわれるものかもしれない。道が体であれば徳は用である。この二は人間が本来として備えているものである。本因が姿を見せないのもその故かもしれない。そこに信があり、本因の本尊といわれるものかもしれない。そのような中で説き出されているのが開目抄や本尊抄ではないかと思われる。どうも古事記の序文のような処がある。神話的な発想であって、最後までその正体は現われないが一念三千となり、己心の法門となり本因の本尊となれば、それなりの姿を持っているようにも思われる。それが仏法なのではなかろうか。

 それが仏教となれば本尊も或る姿をもって現われるし、理もそれなりに具えられてくるが、仏法では理の代りに事行と出るのである。そして化の法も徳化となって、これまた眼をもって確かめることは出来ない。不言実行という処である。始めから宗教として考えられているようには思えない。それを宗教として見るためには一々に理を整え、その姿を現わさなければならない。そこに大きな無理がある。滅後七百年、改めて考え直す時が来ているのではないかと思う。

 宗教としての見方に付いては限界が来ているのではないだろうか。再び衆生の、民衆の救済のみに絞って考える時ではなかろうか。今度は仏教的な救済ではなく、仏法的な救済である。今の民衆はそれを求めようとしているのではなかろうか。それをどのような方法をもってするか。それは今後の課題ではあるが、そのようなものについては開目抄等の五大部に明らかにされていると思う。要はその取り上げ方である。

 差し当ってのものとしては山法山規方式であるが、仏教として受けとめることは禁物である。これは必らず失敗するであろう。仏法の左は、仏教では必らず右と出るからである。七百年後には、大石寺法門は真反対に出ているのである。仏法では衆生一人々々が主体であるが、仏教では一人が中心になって多数の衆生を一にまとめなければならない。そのために下化衆生的になり統制方式によることになる。今は旧仏教も新興宗教も強力にこの方法に依っているようである。しかし衆生或は民衆はこれについては大きな不審を持っているようである。

 民衆一人々々が中心になってやれる仏法方式こそ次の時代の民衆に応えれれる唯一の方法ではなかろうか。号令がないと動けないという中で民衆はそれについて既に抵抗を起こし始めているようである。それは仏法方式を自覚して来ているのである。大石寺は本来思惟を身上にして来ているようであるが、これは仏法によるためであろう。仏法とは世間の中にあって仏教的な教養或は感覚を生かそうとする処に真実があるのかもしれない。ともかくも世間は既にそのように動き始めているのではなかろうか。一舟に乗り遅れない心掛けが肝要である。それが今になって反って統制方式が教化されているように見えるのはどうみても逆行である。世間は既にそっぽを向きつつある時である。 その世間とは衆生のいる処である。その衆生は日蓮本仏の半分を担当しているのが大石寺の法門の立て方である。本尊抄の副状も只集団の中へ信仰の指針として送られたものではなく、生活の指針としてその根本になる信の一字即ち信頼について示されたものであろう。それが根本におかれて今まで本因の本尊といわれて来たので、これは生活信条の根本になるものであろう。それが今では生活と離れ、只信仰のみが根本になっている。仏法から仏教への転向の結果がこのように変えたのである。

 長い間本因の本尊と伝えられたことは仏法の本尊という意をもっているのであろう。それが副状で再確認されているのではないかと思う。そして隠居法門となり丑寅勤行となって事行に遷されている。これまた仏法の意を強調されているのである。若しこれが理をもって受けとめられるなら本果の本尊である。今は本迹迷乱して天台の観心を根本と仰いだために、文底の観心を文上と解したために本果の本尊と現われた。施迹の分は迹は捨つべからずということであろうか。結果は遺憾ながら本迹迷乱と出た。さてどのような始末になるのであろうか。昭和の本迹迷乱という処である。長い間文上にありながら文底を称していたものが、今結論となって現われたのである。本因の意は完全に失われたのである。それ程本尊抄で説かれた観心は不可解なものを持っているのである。今の解釈は仏教による観心であり、本尊抄の観心は仏法の上の観心である。宗門に仏法の観心が失なわれているために、このような結果が出たのである。まずは大いに反省して仏法の時を取り返さなければ、この本迹迷乱を治めることは出来ないであろう。そのためには今の教学を捨てて、まず二ケの大事を受持する処から始めなければならない。それが立直るための唯一の方法である。それによって始めて本因に立ち帰ることも出来るのである。

 天台の観心を取り上げて何故日蓮の観心を打ち捨てるのであろうか。これは因果の混乱である。本尊が迹門と出れば題目も戒旦も迹門に現われるであろう。それは仏教の上の三秘と出るのである。そのためにまず仏法の時を確認することが要求されるのである。今はそれを無視したための結果が眼前に現われたのである。戒旦も文上の戒旦として建築物をもって証明しているのであるが、末寺は既に末法の戒旦としての機能は充分発揮しているのである。その末法の戒旦とは師弟相寄った処の中間に建立されているように思われる。丑寅勤行も師弟相寄った中間の戒旦において行じられているように見える。

 師弟子の法門というのは、その意味において戒・定・恵の三を具備しているように見える。そこから本仏も本尊も成道も現われる。本仏とは仏法の専用語であり、他の二も同様である。本仏を仏教の中で考えるなら明らかに不都合であるが、この三は仏法の中で考えることが条件であるが、現状は自他共に仏教の上にのみ考えているようである。師弟の中間に戒を見れば、その功を師に推るなら師が戒と見られてもそれ程不都合ではない。三師伝から見ても師日蓮が戒、日興が定、日目が恵と当てられるのは自然のようである。その戒から本仏が出生すれば、師弟共に本仏であり、やがてそれが時あって師一人に収まることもあり得るであろう。しかし本仏が終始一貫して師のみに固定すると改めて不都合が生じることも又あり得るであろう。とも角日蓮が戒として根本におかれるなら、それは人の立場からである。そして人法一箇した処に南無妙法蓮華経を定めることは、何等の不都合もないと思う。それを己心に受けとめるなら、いうまでもなく衆生の現世成道の姿でもある。その時、戒も定も恵も仏法にあることを忘れることは出来ないであろう。

 しかし今の宗門の戒定恵の三学は殆ど仏教の上にのみ考えれれているように見える。それは事に表わした処が明了にこれを示している。これは今更詭弁をもって逃げ切ることは出来ないであろう。逆次に論じている故である。事に表わしたものに付いて論じているからである。智者が揚げ足を取られたのである。取ったのは愚悪の凡夫であった。揚げ足を取られないためにはまず仏法と仏教の切り分けをしておかなければならない。そして文上と文底、本門と迹門、本因と本果を区別しておかなければならない。今程はこれらのものが混乱を起こしていることは未だ曾つてない処である。

 「正しい宗教と信仰」も仏法には関係のないもののようである。これは始めから仏教のみを認めて居るものであり、その中で仏法の語も使われている。明らかに混乱を示しているのである。手始めには仏法と仏教の区別をつけなければ、本迹迷乱を遁れることも困難ではないかと思う。何れも法門としては入門のあたりに属するものであり、初心ともいうべきものである。

 今の本迹迷乱は長い年月を掛けた上でここまで来ている、それだけに簡単に抜け出ることは困難なのではなかろうか。己心の法門が邪義と思える程迷乱は進行しているのである。そして本尊は専ら信仰の対照として考えられ、仏法として本尊抄に説かれた処は完全に失なわれている。これは総て他門の影響によるものであることはいうまでもない処である。若しこれを排除することが出来るなら、本迹迷乱から脱れることも出来るであろう。何れにしても自他の法門の整理即ち仏法と仏教との区別をはっきりさけなければならない。

 この本尊は信の一字をもって得たりという。それに心を加えて今は信心をもって本尊を得たという解釈になっている。開目抄や本尊抄は信と信頼については説かれているが、信心について説かれているかどうか、未だにそのような箇所にお目にかかることは出来ない。その信頼が孝の一字に収まっているのであろう。外典三千余巻の所詮は孝の処に収まっているのであろう。そして一切経もまた法華経という孝の処に収まっているようである。その孝から仏法は出発しているのである。開目抄等の五大部十大部といわれる御書も、根本は孝の処におかれているのである。その孝の至極した処に己心の法門があり、そこから信の一字をもって本尊は出生しているのである。信心一本とならないために一度は師弟を呼び起こし、信頼を知らなければならない。本因の本尊は信頼の中に出生してるようである。或は信頼そのものなのかもしれない。

 時局法義研鑽委員諸公にも、その信頼の処を今一歩追求してもらいたいと思う。ここの処は仏法の立場から信を考え直してもらいたい処である。己心の法門を邪義ということは、とりもなをさず仏法不信の謂である。仏法については不信の輩は反対に出るようである。これでは宗祖に対して不孝の譏りはまぬがれることは出来ないであろう。

 今の世上も信の一字や信頼感は極端に薄れているようである。世俗の信頼感の中に本尊が建立されているのが大石寺の本尊の特徴であるが、仏法が仏教と交替すると同時に本因は本果と成った。仏法を抛棄した証である。宗門自身がそれを明確にした処に重大な意義をもっているのである。元は世俗と密着した処に立てられたものであり、常住であったが、今は世俗と全く離れてしまった。これでは常在霊鷲山とも現世の霊山ともいうことは出来ない。事行から全く離れたのである。常在霊鷲山などは世俗の中に本尊が出現する意味をもっているのであろう。戌亥の刻に頸を刎ねられたことも魂魄佐土に至ったことも、戌亥とは西北である。大石寺では丑寅を戌亥にかえている。世俗の中の清浄な世界を指しているのかもしれない。その清浄世界に本仏も本因の本尊も出現する。その故に現世の霊山浄土といわれる。それはいうまでもなく己心の浄土であり、本時の娑婆世界ということであろう。即ち仏法世界を指しているのである。本尊抄に示される処、文上迹門には全く考えられない境界である。その世界を自力をもって具現することが出来るのが丑寅勤行である。その時師弟の中間に戒旦が出現するようになっている。仏法をとれば戒旦は必らず師弟相寄った中間に建立され、そこに本仏も本尊も出現し、成道もまたそこに具現するのであろう。本仏も本尊も成道も、仏法と仏教の兌協の中に出現するようなことはあり得ないであろう。

 仏教に身をおいては、仏法を説かれた本尊抄は一切使えない。それは切り文的になるからである。文証として使うためには、まず仏法と決めることが条件である。丑寅の成道とは現世成道であり、それが又現世利益でもある。このように見れば丑寅勤行には開目抄や本尊抄等の諸御書に説かれた処は残らず事に行じている意味をもっているようであるが、今の宗門は山法山規は分からないということで、このようなことも総て分からないということで捨てるのであろうか。丑寅勤行は山法山規の中では最も重要な意味を持っているように思われる。山法山規が分からないという中には本仏も本因の本尊も成道等も全て分らないという中に含まれていることになる。これはどのように解釈すればよいのであろう。しかし今では丑寅勤行もなんのために行われているのか、この意味も既に分からないために本尊は本果となり、成道も死後に置き替えられたのであろう。そして本仏もまたその出生の処は不明のようである。現世に成道がなくなれば本来の現世成道が消えて新解釈によって現世成道が考えられるのは当然といわなければならない。そして自力も消えて専ら他力のみを頼るようなことにもなる。そして際限もなく落ちてゆくのであろう。時は世につれ世は時につれ法門もどんどん変っているようである。従義は自力により四明流は他力に、前は現世の成道により後は死後の成道による。現在従義流に関わる資料は非常に少ないし、研究されたものもまた希である。而も四明流の立場から見るものに限られている。始めから異端的な眼をもって研究されたものが多いのではないかと思う。これは改めて冷静な立場からの研究が欲しい処である。

 一旦仏教に帰って既に七百年を経過しているものを、再び仏法に立帰ることは殆ど不可能に近いのではないかと思われるけれども、ここはどうしても仏法としての日蓮研究をやり直さなければならない。仏教の立場からの研究は既に行きつまっている。これ以上道が開けることもあるまい。しかし日蓮が仏法といわれている仏法についての研究は全く手付かずの状態である。そこには必らず民衆の救われる道がある。それは仏が衆生に慈悲をもって救済するのではなく、民衆が自分の力をもって自分を救う方法が秘められていると思う。それを一言にまとめて自力の成道といわれている。本来生れながらにして天から与えられているものを、仏教の修行を借りながら、参考にしながら、あくまで自力をもってそれを見出そうとする、そこに真の修行を見ようとしているのである。そこに受持が重要な意義をもって来るのである。それが開目抄の二ケの大事である。この久遠実成と二乗作仏を受持する外は総て自力の修行である。そこに成道を求めようとしているようである。

 そこに隠遁流の考えが多分にあるようである。身延入山はむしろ自力の修行即ち仏法の修行に入ったことを示されているのではないかと思う。道師が諌暁八幡抄の裏書きに「隠遁の思あり」といわれたのも仏法を目指したものと解したい。それが何とか室町の終りまで続いたのである。この間は名字初心の立場もまた守られて来たのであるが、徳川に入った以後は大体において仏教の立場をとってきたようである。水鏡の御影が御影像からから外に出るのもその時機である。この頃己心の法門の威力が失なわれる時機である。仏法から仏教に変っていく時機でもある。そのために新旧の教学が鉢合せをするのである。不受不施の日奥と身延派の対論もそのような意味をもっている。そのような中で大石寺は仏法から仏教に移ってゆくのである。第一回は滅後すぐ仏法から仏教に移っていると思われるけれども、何れも記録として残されていないようである。

 そのような中で仏法を伝えて来たのは大石寺のみであったように思う。再び仏法に立ち帰る時を迎えて、反って仏教を確認し、己心の法門を捨てることを声明したのであった。それは教学そのものが仏教になり切っていたのである。仏法と仏教のはざまに立って遂に仏教に移ったのである。日蓮が説いた仏法への訣別である。左は即時に右に変るので、眼でたしかめることは出来ない。今その混乱が始まっているが、自覚出来るのは暫く後のことであろう。総監が山法山規は分からないと声明したのも仏教へ変るための準備であったのかもしれない。しかし内面に立ち入ってまでこれを抹消することは恐らく不可能であろう。仏教に変わるためには仏法の側にある山法山規は消さなければならないが、法門の立て方からして、これを消しさることは出来ないのではないかと思う。今既にその相尅が始まっているようである。ここはどうも山法山規に采配が上るように思えてならない。山法山規は仏法にあり、宗制宗規は仏教によるということであろう。宗祖は仏法に、宗門即ち末弟は仏教に、互いに相反する方角に進みつつあるようである。尚仏法には宗祖の必要はないが、ここは便宜のために使ったものである。

 昔から人法一箇という語があるが、人とは一体誰れを指しているのであろうか、法とは仏教の中の法であろうか、世間の法即ち天の定めた法を指しているのであろうか。人とは釈尊なのか日蓮なのか、或は民衆なのか。それによって法もまた変ってくるであろう。今改めてこれを定めなければならない時を迎えているようである。仏法をとれば人とは愚悪の凡夫に収まるのが最も穏当なようである。そして法も天の法となれば民衆が既に持って生まれた法ということになる。そこに案外本因もあるかもしれない。それは老荘のいう道のごときものである。それが愚悪の凡夫の本来所持している法であり、最終的にはそこに人法一箇を考えるべきではないかと思う。仏法とはそのような処にあるものではなかろうか。仏教と決めた時、人と法を具体的にどう取り決めるかということも疎かには出来ない問題ではないかと思う。仏教の中にあり乍ら日蓮を人と決めることは出来ないであろう。もし仏法にあれば愚悪の凡夫である日蓮には無理はないが、仏教であればどうしても一度は釈尊を踏みこえなければならない。これは無理である。そうかといって今の立て方から釈尊を人と立てることも出来ないであろう。これも簡単には解決出来ないかもしれない。宗門では人・法についてどのように取り決めているのであろうか。仏法で取り決めたものは、仏教に変わってはそのままは通じないであろう。また仏教ともなれば久遠名字の妙法もまた使うことは出来ないであろう。法もまた意外に厄介である。仏教のとき、仏法から適当に撰り出して使うようなことは、あってはならないことである。そこは時によって選別しなければならない。是非人法に付いて具体的に御教示願いたいと思う。

 内に秘められたものは変わっても、今も昔ながらに丑寅勤行は行なわれている。勤行が終れば成道であるが、今はそれとは関係なく死後の成道をとっているが、それでも勤行は行なわれている。開目抄や本尊抄に説かれた処が、そのまま事に行じられているのであろう。根本は己心の一念三千法門は邪義と決まっても、勤行はその決定とは関係なく行なわれているのである。邪義と決まれば勤行も無意味のように思うが、それについては全く無関心である処が面白い。子丑の刻に頸刎ねられて魂魄の上に考え、行じられている。そして子丑の終り寅の初めの諸仏の成道を受持して、二箇の大事をも受持して衆生の現世成道のための勤行が行われているのである。これが己心の一念三千法門である。丑寅から未申に至る線は諸仏の成道に限り、衆生の成道は実際には戌亥から辰巳に至る線に依っている。その辰巳は閻浮提に当っている。その双方の線の交錯した処が現世の霊山ということになっている。それが大石寺であり客殿であり、更に詳すれば師弟相寄ったその中間ということである。そこで衆生の現世成道が具現されるのである。これらは総て仏法の上の行事であるから、仏教に変った今の教学では何一つ解釈されないであろう。しかも理は消えても事は昔ながらに行じられている。法門的にはこれでその意は充分に達したことになっているようで、その点詢に大らかである。その大らかさが仏法の徴なのである。宗門が若し仏法に立ち帰る日が来れば、少しは大らかになるであろう。

 しかし成道も死後に限られており、本尊も懸け奉って拝むことが条件になっているが、開目抄や本尊抄では本尊を求め出す処に意義があるようである。そこが仏法と仏教の違い目である。本因が失なわれると自然と仏教の本尊に同じるのである。本尊を本因に保つためには必らず仏法に依らなければならない。古くは本因の語は仏法の意味をもっていたようであるが、今では天台の本因本果と区別がなくなっているようである。そしてどんどん迹門化してゆくのである。御宝蔵の本因の本尊は仏法の意による処、御影堂の万年救護の本尊は仏法の上の本果を表わしていたものであるが、今では正本堂の本尊は本果と理論付けられているようである。仏法を立てるためにはまず本因の本尊を確認しなければならない。今では本尊抄に説かれた本尊は仏教の上に解されているようである。これでは「本尊の為体」に示された本尊と「頸に懸けさせ給う」た一念三千の珠とは全く無関係になるであろう。本因の本尊と伝えられて来たものは、恐らくは頸に懸けさせ給うた本尊を指していたものであろう。これは唯授一人の本因の本尊ということが出来る。即ちこれこそ一閻浮提総与の本尊である。

 丑寅勤行も隠居法門も本因の上に成り立っているものであるが、今のように本因の影が薄くなると、その切替作業は容易なことではない。事行に表わされたものを根底からかえなければならない。己心の法門は魂魄の上に成り立っているものであるが、これが威力を発揮するためには仏法によらなければならない。これが仏教になると熱原の愚痴の者どもも現実に頸を刎ねられたように考えられる。そのために複雑になっているのである。ここは仏法の上に考えなければならない。今は魂魄から肉身へ移った。その陰に仏法から仏教へ移っているのである。肉身へ移ると悲壮感も出てくるようになる。若し魂魄がはっきり捉えられて居れば悲壮感は出る必要はなかったであろう。肉身へ移れば本因の本尊はその意義を失なうことになる。以前使われていた熱原三烈士という語も、今は殆ど耳にするような事もない。それは世間が受け入れないようになったためであろう。そして戒旦の本尊との密着もなくなったようである。そうかといって魂魄に収まったというわけでもない。さて、どのように解されているのであろうか、一向に明らかでない。

 しかし、日蓮を大忠臣とする処まではゆかなかったけれども本仏として異常発展したのも反動というか、国柱会の影響があったように思う。とも角も本仏を己心の法門の処に帰さなければならない。そして師弟の上に帰せば本仏も正常な働きを示すようになるであろう。まず己心の法門を取り返さなければならない。そのためには何をおいても仏法の原点に帰ることである。その発端が主師親であり戒定恵である。そこにおいて二箇の大事が受持されることによって仏法が始まるように見える。そのために方便品の欲聞具足道が働くようである。その具足道とは本因であり、己心の一念三千であり、そこから衆生の現世成道は動き始めるようである。開目抄の時は一念三千の名義と二箇の大事と仏法が示される程度のようであるが本尊抄では本因の本尊として衆生の現世成道に振り向けられるようであり、己心の法門の働きも明了に示され、最後に頸に懸けさせ給うた本尊として具足道を明らかにされている。その意をもって戒旦の本尊といわれ、一閻浮提総与ともいわれているようであるが、今の解釈は具足道とは些か外れているようである。道とは老荘のように本来持って生れているというような意味を持っている。これを本因と称しているように思う。いい換えれば仏法でもある。仏法とはそのような処に建立されているのではないかと思う。

 戒定恵も亦そのような処に設定されているのであろう。これまた仏法の上で解すべきものである。伝教の学生式問答を六巻抄の第三依義判文抄の冒頭に引かれたのも多分に仏法の意を持っているのであろう。そして開目抄や諌暁八幡抄の戒定恵も仏法を外れては考えられないし、三師伝の構想も多分にそこにおかれているようである。その戒の処に師弟を立て、その師弟相寄った中間に戒旦を見た処が滅後末法の真実の戒旦ではないかと思う。水島は己心の戒旦を邪義というけれども、ここでは昔ながらに法門の上では衆生の現世成道は繰り返されているのである。これが丑寅勤行ともいわれる刹那成道である。

 事を事に行じる中で成道は具現されている。これは仏法による処である。事を事に行じるとは仏法を表明している。これが真実滅後末法の戒旦である。仏教の上に建立せられた戒旦である筈の正本堂では、未だ一度も授戒は行われた例がない。これは仏法が仏教と表わされたためであり、時の混乱によるためである。

 滅後末法とは己心の上にあるべきもの、その己心の上に具現する戒旦とは師弟子の中間に建立されるものである。常々具現して居りながら、何故これを否定するのであろうか。これ全く仏法不信の故である。

仏法について不信の輩とは水島等を指すべきである。仏教についていえば信の御尊師も、本来の大石寺が仏法をとって居れば不信の輩ということになる。戒旦の御本尊とは仏法をとっていることを表明しているものである。御本仏日蓮大聖人も仏法に居ることを明示しているのである。それを捨ておいて、仏教の立場から不信の輩と称してみても、それは犬の遠吠程の威力もない。それよりか、

何ををいてもまず仏法に帰ることである。

仏教に居りながら仏法を称してみても、それは必らず首尾一貫しないであろう。仏教に居りながら不信の輩を称することは最も無駄な一例である。

速やかに仏法の故里、本因に立ち返ってもらいたいと思う。具足道とはその辺りを大きく指してをり、本時の娑婆世界もまたそのような処に考えられているのであろう。具足道とは、一言でいえば己心の一念三千法門所住の処である。

これをもって本因の語が殊更使われているのであるが、今は迹門に本拠を移したために、本因本果も天台のものが直輸入され、仏法の意をもった本因が抹殺されたのである。所謂天台ずりといわれるものである。無意識の中で本因が仏法から仏教に変っている。そのような中で仏法である己心の法門が邪義ともいわれるのである。他門下に押されている中で天台に移っていったことは分かっていないのである。そして本来の仏法の上に建立されたものは仏教に置きかえられて「日蓮正宗伝統法義」とやらいうものが作られているのである。そこから色々な矛盾が生じているのである。すべて仏法と仏教の時の混乱の故である。結果からいえば迹の処に顕本していたのである。施開廃の三ともに迹が捨て切れなかったためである。迹門にいるために己心の法門も本因も仏法も目障りになったため、或は邪義といい或は捨てるようになったのである。そのような中で山法山規もその意を失なってしまったのである。理は総て迹門により、事行のみが意味不明のまま辛うじて仏法の名残りを止めているのが現実である。いくら声を枯らして増上慢と叫んでみても現実はますます厳しいものになってゆくであろう。

開目抄にも本尊抄にも欲聞具足道とそれに関連の文は引かれているのである。具足道の正体を探ることも、あながち無駄なことではないと思う。具足道について時局法義研鑽委員会はどのような解釈をもっているのであろうか。少なくともこの文から衆生の成道が開けていっていることは間違いのない処であろう。まずここに注意を集中すべきであると思う。具足の道とは一体何を指しているのであろう。六巻抄で説かれているのはいうまでもなく具足の道である。それは開目抄や本尊抄をそのまま受けとめている故である。これが大石寺法門の全部である。その具足の道即ち衆生の現世成道そのものである。その中にあって本仏や本因の本尊が考えられているのである。

 その点では日蓮正宗伝統法義では衆生の現世成道や本因の本尊が見当らない処は具足道というには遥かな距りがあるようである。即ち具足道に非ざる法といわなければならない。仏法無縁の故である。具足道が己心の一念三千法門であることは、開目抄や本尊抄に示された処で明らかであるが、今はこの己心の法門を邪義といえる処まで来ているのである。しかも意味不明のまま昔ながらに事行の法門として行じられている不思議さである。意味不明が幸いしているということである。そのような中で意味を替えることもなく伝えているのである。若し意味が分かるものであれば既に迹門に切りかえられて何の利用価値もないものに成り下がっているであろう。意味不明のために昔のままのものが今に温存されて来たのである。学はいらないといい伝え守られてきたことの勝利であった。

 魂魄佐土に至るといわれているけれども、今は殆ど魂魄は忘れられているようである。自受用身が唱題するのも肉身と交替しているためである。本仏も魂魄の上にのみ出現するのであろう。師弟の魂魄相寄ったその中間に本尊も本仏も出現し、成道もある。これは肉身の相寄った処ではない。無差別世界は魂魄に限るようである。丑寅勤行は魂魄の上の行事である。衆生の現世成道とは魂魄の上に限られているのであるが、今は肉身が先行するために死後の成道となっているのである。

今は本因の本尊を認めないようであるが、これでは格別開目抄や本尊抄の必要はない。そして己心の法門を捨てたために自然と本果の本尊をとるようになったのである。

迹門をとり、仏教によったために自然とこのようになったのである。

 宗務院が山法山規は分からないと胸を張って公表しても、事行の法門は分かっている処で事に行じている。これが大石寺法門の面白い処である。阿部説では自受用身が大きな声を張り上げても、事行の法門では魂魄の上の所作となっているであろう。肉身三世常住説も、己心の法門ではこのような説は一切認めないであろう。阿部説は己心の法門とは関係のない処で説かれているようである。己心の法門に関係のない相伝と、大いに関係をもっているものとが二本立てになっているのである。己心の法門を邪義と決めることによって日蓮との関係は断たれ、諸宗の教義を綜合した新仏教が誕生したのである。そして本仏の肉身三世常住とか自受用身の唱題などという珍説妙説が飛び出してくるのであるが、一方では昔ながらの仏法も珍説とは関係なく伝えられている。それが事行の法門である。これは恵心にも智証にも伝教にも通じるものを持っている。そのような中で仏法にあたる部分に、カント説と交替している処はないであろうか。とも角も現在の教義は色々と複雑にからみ合っているようである。そして本来の意味を失なった仏法の専用語が他宗の仏教の意をもって解されているのが大部分ではないかと思う。

 仏法を説いた日蓮が法門を仏教と読み替える技はどうやら失敗に帰したのではないかと思われる。そして刹那々々に出現する本仏も本尊も成道も完全に常住となり切ったのである。三世常住の肉身本仏は出るべくして出たものであり、これは最早仏法境界ではない。また仏教といえるようなものでもない。さて何れに属すであろうか。或は新仏法の誕生ということであろうか。只不可解の一語に尽きるようである。この本仏には奇蹟はあるけれども甚深なものは一向に見当たらないようである。しかも、その本仏は其後一向に耳に触れないようである。其後はどのようになっているのであろうか。誕生と同時に消滅したのであろうか。全く消息不明である。詢に泡沫の如き本仏である。夢幻の如き本仏である。学はいらない、信心だけでよい、行だけでよいというのが、そのように出たのである。

 学はいらないとは理はいらない、事を事に行ずればよいというのが仏法の本来のあり方であるが、学はいらない学問はしない方がよいということでは法門が孤立する。今はそのような処へ結果が出たのである。あまりにも考え方が安易であったようである。自業自得果ということである。学がいらないという処へ安座しすぎたために本仏や本尊が迹門化し仏教化したのである。学はいらないの意味の取り違えが今のような結果を招いたのである。しかし仏法の側からいえば、些かのゆがみもなく元のまま伝わっているようである。

 学はいらないを学問をする必要はないと決めたのは、決めた者の誤りであったのである。仏教をとるなら、他宗以上の学はいる筈である。学がいらないとは仏法の専用語であったのである。結局は仏法と仏教の時の混乱が今のような結果を招いたのである。仏法では学はいらないということは、仏教では学はいるということである。仏法は左、仏教は右に立てられている。その辺に感違いがあったのであろう。

 山法山規は仏法の側にあるもの、宗制宗規は仏教の側にあるものである。その辺の立て分けが必要である。時を誤っていては、山法山規が分からないのも御尤もなことである。現実はそれ程仏教に根を下しているのである。山法山規は事行の法門に組み込まれ、既に実行済みである。分かりたければ仏法をとり返すことである。山法山規は本来成文化しないように出来ているのである。特に客殿にはその大部分が残されているのではないかと思う。当流行事抄ではその事を明かされているようである。永師のころには口伝えに残っていたものもあったであろう。永師の写本肝心要義集の書き入れからそれを伺うことが出来る。台当異目も明了に示されている。仏法の立場からの書き入れであろう。しかし仏教の立場からは理解出来にくいものが多いのではないかと思う。山法山規は分からないと投げ出す前に、一度は知るための努力をすべきではなかろうか。化儀抄は仏法の立場から書かれたものであるが、仏教に根を下した今の眼をもってしては、殆ど理解出来にくいであろうと思う。山法山規を拾ってみても全く己心の法門そのもののようであり、己心の法門を邪義と決めてしまえばその必要のないものである。それ程法門が変ってきているのである。総監は宗制宗規を守ることが定められた職掌である。

 本尊抄の副状の末文「乞願歴一見來輩師弟共詣霊山浄土拝見三仏顏貌」について以前にも一度私見を書いたけれども黙殺されたようである。よく見るとこの文はそのまま客殿で事に行じられているようである。丑寅勤行はこの文を行じているのではなかろうか。この文も己心の上に説かれたもので、そのまま自力をもって本仏や本尊を求め成道を遂げるのである。つまり霊山浄土に参詣して三仏の顏貌を拝見するのと全く同じことを事に行じているのである。どう見てもこの文をそのまま行じているようである。この副状は色々と山法山規となっているのではないかと思われる。本尊抄は開目抄以上に山法山規として、また事行の法門としての扱いをされているものが多いように思われる。総て衆生成道に深い関連を持っているようである。大石寺を現世の霊山浄土といい伝えて来たことは、現世成道即ち仏法をとっているということ以外に、この副状の文を具現しているという意味も含められているであろう。師弟一箇の成道を表わしているものであるが、今のように迹門となっては、全く無意味なものになり切っている。目前に事に行じながら、それとも思えぬようになっているのである。

 ここから文底に立ち帰ることは殆ど不可能な事ではないかと思う。文底は語の上にのみ残されて、事としてこれを裏付けるものは何一つないようである。今は現状を守ることのみに汲々としているが急速に後退を余儀なくされているように思われる。これはいうまでもなく法の厳しさである。迹門がそこに足を止めさせているのであろう。爾前から迹門へ、迹門から本門へ、そして法門は文底に根を下しているのであるが、今一挙に文上迹門に根を下そうとしているのである。そのための混乱が起こっているのである。ここはどうしても自力をもって仏法に還帰しなければならない処である。今それだけの勇猛心を持っているかどうか、誠に心細い限りである。一応仏教語も使われて衆生が対象のようには見えるこれども、説かれた処は仏法であり、世俗の民衆が対象になっているのである。今一番必要な時になって民衆と離れてしまったようである。まず何ををいても宗門自身が仏法に立ち帰らなければ、反って民衆から置き去りになるようなことになるかもしれない。民衆の心はそれ程激しく動いているようである。

 一宗の元祖でない日蓮を捉えて、そこから再出発すべきであると思う。一宗の元祖でないということは仏教を説いたのではなく、仏法を説いたという意味である。次の七百年を仏法を探ってみるのが順序ではなかろうか。このまま仏教として研究を進めてみても、これ以上の発展があるかどうか疑問を持たざるを得ない。折角仏法を説かれているものであれば、仏法として研究を進めてみてはどうであろう。発端に迹門に切り換えた処に無理がある。迹門の受持は二箇の大事、即ち久遠実成と二乗作仏に尽きているのではなかろうか。最初標榜されている仏法については全く手つかずのままになっているのである。大石寺も今は他門に同じて己心の法門を邪義といい狂学と称する処まで来ているのである。これは折角決められた衆生の成道を一言で奪い去ったものである。何れの御書によってこのような説を唱えるのであろうか。大いに反省してもらいたい処である。更にこのような珍説の出処を聞きたいものである。時の法主といえども、恐らくは其の出処をあげることは出来ないであろう。衆生の成道は必らず仏法において説かれているものである。それが日蓮が法門の特徴なのである。

 大石寺客殿には宗門の最も斥っている仏法が昔乍らに残され、事行の法門として意味不明のまま実行され、時に仏教と解されて矛盾が続行されている。それが師弟子の法門であり、仏法では無差別であるが、今は仏教の上に解されているために総て差別と出ているのである。その矛盾も次第に表面に出て、そこから行き詰りが始まっているのである。これは開目抄や本尊抄等の重要な御書に真反対の立場をとっているだけに、打開の方法は容易に見出だせないようである。そこに今の苦難の本源がある。そのために本仏や本因の本尊、成道が素直に受けとめられない本源がある。阿部さんの唯授一人の威力をもってしても乗りこえられない理由もまたそこにある。現状は明らかに抛棄の状態である。仏法の抛棄であるだけに事は重大なのである。衆生の現世成道の一点に集中した仏法の抛棄であるだけに重大なのである。これは開目抄や本尊抄等の重要な諸御書を逆次に読まなければ今のような結論は導き出せない。

 唯授一人は仏法の上に立てられているものである。それが何時どのようにして仏教の上に解されるようになったのか、仏法は左にあり、仏教は右にあるもの、隠居法門は左尊右卑を指し示しているが、今は左尊右卑を根本としているのである。これさえ気が付いていないのであろう。これは仏教によっている故である。そのような中で左尊右卑の丑寅勤行は依然として行じられているのである。そのために結果が真反対に出ているのである。そのために日蓮正宗伝統法義は逆も逆真反対に出ている。

 それを、仏法を逆も逆真反対と称しているのが山田説なのである。本心でこのように思っているのであろう。それ程狂っているのであるが、それを正と定めて当方を邪としているのである。今は宗義が仏教をもって根本としているための狂いである。そして自分の悪いことはすべて他に押付けて、自分を常に正義の座に据えようという魂胆である。あまりにも浅すぎるようである。山田説はそのような処に建立されているのである。そのために二三回しかもたなかったのである。それは宗祖から中止命令をくったためであろう。

 民衆が所持している唯授一人は本来として所持している本因の唯授一人であり、仏法によるものである。これは受持し確認すればよい。その儀式が丑寅勤行ではないかと思われる。最高最尊の儀式である。実には山法山規もここに集約されるといえる程のものであるが、それさえ分明には分りかねるようになっているのである。そして本仏も本尊も成道も全く関係のない処で考えられているようである。それが今の伝統法義なのである。

 唯授一人も仏教の上に考えられているために権力や威厳を示すために使われているようであるが、本尊抄から裏付けをとることは出来ない弱みを持っているのである。四皓が景帝を守ったように四菩薩に守られた衆生が唯授一人の主であることは、本尊抄に示されている処である。従者のごとくであった上行等の四菩薩が遥か高位に立ち、主君の如くであった衆生が最低下の処に位置することは、どのような理由によるのであろうか。最も解しがたい処である。或は仏法をそのまま仏教と読んだために依る処であろうか。是非委細の処を知りたいと思う。これでは本尊抄が忠実に読まれているとはいえないであろう。いきなり上行等の四菩薩等を最高位に押し上げる前に、何故このように示されたのか、まずその理由を詳細にする必要があると思う。何の理由もなしに、このような扱をされることはあり得ないからである。このようにして見ると、少くとも衆生の唯授一人は本尊抄の裏付けを持っているようである。仏法の上の裏付けを持っているのである。また師弟子の法門や丑寅勤行では事を持って証明されているものと思われる。今は師、弟子を糾すと読み、差別を表に現わしている。その第一の理由は教義が仏教に移り文上迹門によるようになったためである。そして或る飛躍の中で最低が最高となり、最高が最低になったのであろう。正邪が入れ替るのと同じ考え方ではなかろうか。既に沈黙以来一ケ年、水島法門がどのように発展していったのか、最も興味のある処である。或は布教叢書4の仕上に力を注いでいるのであろうか、一向に消息不明である。或は亦天台教学の後塵を拝することに余念がないのかも知れない。

 何はともあれ仏教から一日も早く脱出しなければならない。仏教では、己心の一念三千法門の理はあっても事或は事行はない。本尊抄はこれを事に切り替えるために半量を費やされているのである。事に切り替えなければ衆生の現世成道につながらない。そのための苦心の跡が欲聞具足道と一連の引用文の中に秘められているのである。

今の宗門は一向に無関心のようである。そのために衆生の成道や本因の本尊や本仏の説明部分が失われたのである。これは悪口雑言をもって取り返せるものとは本来異なっているようである。全て仏法に属するものである。狂学といい魔説といい、増上慢と称してきたものは全て衆生の現世成道に通じるものである。そのためにこれらのものが現実に失われたのである。今必要なのは、如何にしてこれを取り返すかとくことだけである。これを取り返さなければ、仏法を口にする資格はないといわなければならない。昔は中国において法を失し、今は大石寺において法を失したのである。

日蓮は決して仏教を説かれたものではない。仏法を説き起された処に未曾有の本尊の意義もあるのである。本因を主とした本因本果の法門である。本果を主とした本因本果の法門、不思議の一法は中古天台でも説かれているのであるが、はっきりと仏法へ出られなかったために衆生の現世成道に通じなかったようである。その中で果から因への交替即ち隠居法門の処がすっきりと渡り切れなかったのではなかろうか。本尊抄でも、「本尊の為体」以後、終りに至るまで、そのための教化作業を行われ、最後衆生の現世成道にぴったりとくっつけられている。前半は衆生の現世成道を説き起し、後半はそれを衆生のものとしてぴったりと理論付けている。それが観心の本尊という名のもとに行われている。これが若し迹門と読まれ、仏教の立場から読まれるなら、日蓮の苦心も水泡に帰せざるを得ないであろう。今の宗門は何故か仏教の立場から読むことにのみ汲々としているようであるが、大分行き詰ってきている。道を開くためにはまず仏法の立場をとらなければならない。仏法で書かれたものは仏法で読まなければならない。それが今与えられた唯一の方法であり道である。

日蓮相手に邪義だの狂説だの云ってみても被害を受けるのは自分達に限ることを知らなければならない。仏法を引き出そうとしたものを、天台教学をもって粉砕しようと思ったのが抑も誤りのもとであった。天台教学が仏教にあることを御存じなかったのであろう。己心の法門を邪義の一語をもって一挙に粉砕出来ると思ったのは、いかにも浅墓であった。道師も有師も寛師も、何れも仏法の上で説かれているのである。そのために現在利用価値がない。六巻抄も仏教の立場から持ち出したことがあったけれども、常に反撥を受け、今もその被害は残っているのである。そのために利用することが出来ないのである。寛師の意図とは真反対に出ているために、反って相手方に乗じられているのである。その読みについては、又攻め立てられるようなことがあるかもしれない。その前に仏法をもって読み改めて、その被害を避けなければならない。これ又今差し当ってやらなければならない大きな課題であると思う。今までの考え方では只被害を増すばかりである。隠れて悪口雑言をやって見ても、今の教学では相手方には通じないであろう。

そのためには己心の法門を正義と確認し、仏法を根本として法門を立てなければならない。そして魂魄の上に法門を建立する用意が必要である。本尊抄を無視して差別の上に本尊を建立しても今の用には立たないことを知らなければならない。しかし、今の教義は差別を必要としている。それは文上迹門に依っているためである。即ち仏教に根拠をおいていることを知らなければならない。しかし、差別を捨てて純円一実によれなければ本因の本尊を求めることは出来ないであろう。この本因の本尊こそ仏法の上に建立されているものである。これは必らず本尊抄の観心によらなければならない。天台の観心は必らず本果の本尊が出ることは既に経験済みの通りである。

 そしてこの本因の本尊はそのまま当流行事となり、丑寅勤行として事に行じられているのである。ここに師弟を通して理と事が一箇した処に衆生の現世成道が具現する。これが自力の成道といわれるものである。今の宗門の成道は専ら他力に依る処である。他力成道ならわざわざ丑寅勤行をやる必要はないであろう。これでは本仏も本尊も仏法をも離れて既存のものに頼るのが最もよい方法である。別語をもってすれば新隠居法門ともいえる。本果と本因の交替である。この三は不即不離の関係にあるが、今は各別になっている。そのために本仏や本因の本尊も現われることもなく衆生成道も求めることが出来ない。それは仏教によるために自ら消えていったのである。その根本をいえば己心の法門を邪義と決めた故であろう。丑寅勤行も己心の上にあってこそその意義もあるものであるが、己心を外しては全く無意義をいわなければならない。いうまでもなく宗門始まって以来の大椿事である。本尊は本果となり衆生成道は死後と決められた今、この二つを離れて果して本仏が成り立つや否や、大いに疑わしい処である。己心の法門そのものである山法山規は既に宗務院によって黙殺乃至無視されているのである。己心の法門については殆ど皆無の状態に置かれているのである。用意万端整っているという状態である。ただ残っているのは本仏と仏法の二語位のものであろうか。しかしこれも己心の法門が邪義と決まっては、それ程意義があるともいえないであろう。しかし己心の法門を失っては、一閻浮提総与にしても、頸に懸け置かれた一念三千の珠についても、恐らくは解決不可能であると思う。一閻浮提総与を真蹟をもって戒旦の本尊に書き置かれたのでは尚更厄介な問題である。いつ再燃するようになるかもしれない無氣味なものをもっているようにも思われる。宗門も予め用意をしておいた方がよいようである。

 「二千二百二十余年未有此之心」というこの本尊抄の真意とは、己心の一念三千による衆生の現世成道をさしているのではなかろうか。それが本因の本尊と云い伝えられてきたものではなかろうか。誤りがあれば大いに反撥してもらいたい。宗門ではどのように決めているのであろうか。これまた是非伺いたいものである。語は異なっても寿量品の文の底に秘めた一念三千の法門もこれと全く同じものではなかろうか。それが頸に懸けられた本尊でもある。何れも等しく衆生の現世成道を指し示されているように思われる。文底秘沈とは衆生の現世成道を指しているのであろう。しかし今は文底秘沈も格別必要な語とも思われない。それはいうまでもなく衆生の現世成道が失われている故である。或は他門に同調して取り止めたのであろうか。今は文底とか寿量文底などという語は使わないようにしているのではないかと思う。

これも他門から何度かいわれたことがあったように思う。

このようにして肝心なものは他の圧力のもとで次々に消えていっているのではないかと思う。

本尊は軽々しく論ずべきでないという前に、己心の法門を邪義などと軽々しく発表すべきでないと何故いわないのであろうか。責任のある立場にある者は何故これを差し止めなかったのであろうか。何故今まで放置しているのであろうか。本尊は軽々しく論ずべきでないといいながら、今となって何故本果と決めたのであろうか。これらは宗義として公式に決定したものとして受けとめておく。己心は邪義ということも大日蓮に発表されているのである。しかもその決定は法主直属の時局法義研鑽委員会委員の発表である。己心は邪義であっても、そこから出た本因の本尊を本果とすれば邪義でなくなるのであろうか。本尊は己心の法門とは関係のないものであろうか。阿部さん授与の本尊は本果の本尊であるが故に邪義ではないと決められているのであろうか。平僧が己心の法門を邪義と決めることは出来ないであろう。どこで決まったのであろうか。宗祖が真実正義と決めたものを、どうして邪義と決めることが出来るのであろうか。何とも不思議な決定である。己心の法門といえば日蓮が法門として、又仏法として大石寺法門としても全部であると思う。それが邪義となっては大変なことである。仏法も邪義、日蓮が法門も邪義、大石寺法門も邪義となる。何が正義であろう。自分の考え以外は全部邪義となれば水島本仏誕生である。これは法主の遥か上位に位するものである。

 山法山規は分らない、当家は信心の宗旨であるから学はいらないというようなことは、恐らくは明治以後、本来の意義を変えて使われて来たものである。

学はいらない、信心の宗旨ということは仏法についていわれ、山法山規についていわれてきたものであろう。それが現実に学はいらないということが実行されたために混乱が起きたのである。

己心の法門は理をもっても説明出来ない。出来るのは事行のみという処が些か摺り替えられて安易な処で結論付けられたための混乱ではないかと思う。しかし今は本来のものに返すための努力はなされていないようである。そのような中で天台理の法門に援軍を求めたのであるが、準備不充分のためにその被害を受ける破目になったのである。

仏法の時の用意がなかったのである。理のみで乗り越えられないことの貴重な体験であった。このような愚は再び繰り返さないことである。

平常天台は理の法門といい乍ら、その理の法門をまともに受持しようとした処に誤算があったのである。まずは理事の区別を身に付ける処から始めてもらいたい。学はいらないとは現実に学問を拒否しているのではない。只法門の表現方法なのである。仏法を表わしているのみである。それ程甚深であるということが逆に学問をする必要はないと受けとめられた処に問題がひそんでいたのである。

他宗他門の攻勢を避け兼ねた中で、ついこのような方向に進んでいったのではなかろうか。当時はそれでも内面的には己心は守られたようであったが、今は遂に内に秘めた己心の法門を先ず邪義と決めてしまったのである。己心の法門を打ち捨てた処で、学はいらないということのみが残ったのである。結果はそのように出たのである。さてどのような対策が用意されているのであろうか。己心の法門を守るために考え出された「学はいらない」等ということも現実に利用されたために反って己心の法門を抛棄するような破目になったのである。そこに解釈のむづかしさがある。このような場合にはどうも出てはいけない側に出るようになっているのかもしれない。そして「己心の法門は邪義」という八字は日蓮が法門の一切を刹那に破し去る威力をもっているのである。この八字を秘めて山法山規は分からないといえば、それは何とか通用したかもしれないが、これが先に出てしまってはどうにも救いがないということである。今となっては、己心の法門は自力をもって破壊し終ったようである。さて次は何をもって立ち上るつもりであろうか。仏法を立て乍ら仏法の時が抜けていたのが最大の根源であった。これが学匠の計算違いであった。改めて仏法は時によるべしという語を味わってもらいたい。開目抄や本尊抄を一度でも読んでおけば、このような誤算もなければ、次上の語や阡陌の語が御書にないという必要もなかったのである。御書を読んでいないということを如実に表わしているのである。これは何としても水島学匠の一生の不作であった。四明流を天台の正統と仰ぐことは、大石寺では七百年来未曾有のことである。このような中で己心の法門が復活するようなことは永遠にあり得ないであろう。同時に衆生の現世成道もまた永遠にありえないことであろう。これはいうまでもなく宗義の根本的な変革であり、新義建立であり、仏教への復帰である。ここで必要なのは、己心の法門こそ真実だという度胸である。邪義という悪夢は去年の暦と共にきれいさっぱり切り捨てるべきである。そこには再び救いが蘇るようなことがあると思う。仏滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅を邪義として軽く一蹴することは、余り見上げた方法とはいえないであろう。これは水島が一生の不覚であった。宗祖といえども軽く一蹴されては黙って見過ごすわけにもゆかないであろう。文字をもって邪義と示したのは水島が第一号である。若し何事もなければ御本仏の慈悲といわなければならない。己心の法門を邪義と決めては、そこから出た本尊も邪義となるのは必至である。これをどのように摺り抜けるか、これは教学部長の担当する処であろう。御両処の明解を期待したい処である。本因は邪義、本果は正義ということであろうか、問題は今後に持ち越されるであろう。本因の本尊には開目抄や本尊抄に充分な裏付けをもっていることに注意してもらいたい処である。これを押し切って邪義と決めることは容易なことではない。隠居法門も丑寅勤行も戒旦の本尊も、何れも己心の法門に関りをもっている。これらを邪義と決めれば、大石寺法門の古い処は殆ど邪義に堕することになる。阿部さんもこれを承知の上で丑寅勤行を行じているのであろうか。邪義と決めながら勤行をやり題目を命がけで上げてみても、功徳が返ってくるようなことはないと思う。これでも己心の法門は邪義であろうか。己心の法門が邪義であれば、大石寺法門はないに等しいものである。そして要法寺日辰や八品派・身延派、今の天台教学のみが正義となる。そして固有の、古伝の大石寺法門は己心に立てられているために尽く邪義ということになる。これでも尚己心の法門は邪義ということであろうか。開目抄を始め十大部の御書も其の他のものも、大半は邪義ということになる。そのような力が水島のどこに潜んでいるのであろうか。しかもそのような事が堂々と罷り通っているのである。これは日蓮本仏を遥かに越える新本仏である。他門には己心の法門を邪義としたものには未だ眼福に接した事はない。水島説が初見である。一宗建立の価値は十分あるように思われる堂々たる意見である。これ程の意見をたてるのについて、一つとして御書の中から文証を上げていない。門下を名乗りながら文証一つ示さずに邪義と決めることが出来るのであろうか。これは抹殺に等しいものである。中国では五千年の後にも信頼は生きているようであるが、

 大石寺では信の一字をもって得たりという信は信心に固定して、肝心の信頼は七百年後には奇麗さっぱりと消え去ったようである。これなどは不信の輩といえないであろうか。信心は宗教の中にのみあるもの、信頼は仏法にも世間にも共通するものである。

この意味でも宗教に収まっているのであろう。しかし

そして本因の本尊は人が社会生活をする中で最も大切なものを、宗教に准らえて示されたもの、仏法の根幹をなすものである。この故に本尊の名義を假りて示されている。即ちそれは信頼を明示されているのである。今は仏教と混同して考えられているようである。そして仏法が次第に薄れて来ているのである。信の一字をもって得たりということは仏法の意を示されているのである。日蓮の思想の根源は信頼におかれているのであろう。この信頼は宗教の本尊以上に、遥かに変ることなく続いてゆくものではなかろうか。人と人との触れ合いの中における信頼感には恐らく永遠の生命を持っているであろう。久遠の長寿である。そのようなものを示されているのではなかろうか。

 しかしこれでは御布施には通じにくい難点がある。そのために次第に仏教に転化するのかもしれない。これは中々拒み切れないようである。仏法を根本として著わされたものを仏教として読むことは、初めから困難が付きまとっているであろう。宗祖の教えといっても、実は仏法の教えである。それが仏教とのみ解されている処に複雑なものが生じる要因があるというのが現実である。山田が逆も逆真反対となじるのは、仏法を仏教と解してこれを正義と立てているためにそのような論理がなり立っているのである。最初入信の時に教えられたままになっているために、それが逆になっていることに氣が付いていないのである。詢に氣の毒な仕合せである。

そこから見れば当方が逆も逆真反対に見える、それほど程度が低いのである。

己心の法門が邪義と思えるような雰囲気の中に居るのである。そのために己心の文字は一切目に触れない境界に居る。それを正常と考えているのが水島法門である。入信当初そのままである。今の真実は仏法を仏教と考えることが正義となっているのである。

 久遠実成は本果に限り、久遠元初は本因に限る。元初は愚悪の凡夫の領する処、そこに自受用報身もいるのである。本仏は愚悪の凡夫の師弟の処に居るのであるが、今は本仏は宗祖一人に限り、衆生はその座から外されている。その出生は師弟相寄った処に限られている。本仏には戒の要素を多分に持っているように思われる。師弟子の法門とは戒定恵を意味しているように思われる。しかし日蓮が本仏に固定してくると戒の意味が後退して来るのは何故であろうか。或は仏教化のためではなかろうか。そして本仏の常住が自受用報身の上に考えられた時、自受用報身の唱題が言葉になって出てくるようにも思われる。やはり根本は時に混乱があるようで、混乱もいよいよ極限に来ているようである。

 それだけにますます信心の必要が生じてくるのである。その代償として師弟の間に生じる戒や戒旦はいよいよ本来のものは影が薄れてきたようである。山田・水島等の信心は仏法を仏教と信じ切っている信心である。日蓮正宗伝統法義はそのような信心の上にのみ、よく建立することが出来るものである。そして仏法を逆も逆真反対と見、己心の法門を邪義と考えることが出来る不可思議な魔法力を持っているのである。不思議信心力というべきである。

しかし、天台教学にもこれを裏付けるようなものは、求めることは出来ないであろう。

魔説と称している向きもあるようであるが、

仏法として説き出されたものを仏教と解する方が余程魔説ではなかろうか。仏法を仏法と解するのが何故魔説といえるのであろうか。

魔説といえば即刻相手の説が魔説になるわけのものではない。若し仏法を称えることが魔説なら宗祖に談じ込むべきである。これは相手が違っているようである。結局山田・水島教学では始めから仏法を説かれているようなことは夢にも考えていなかったのであろう。明治教学は終始仏教の上に立てられていたのである。そこに大きな誤算があったのである。若し仏法が分っておれば、不信の輩などという語は始めから必要はなかったのである。そのような語が仏教の信心を根本にしていることは歴然たるものがある。

 仏法は信心信仰の外に置かれているのである。

元はといえば、仏法を仏教と読み誤った処から事が起っているのである

一閻浮提総与の語は仏法を充分意識した上で信不信の外について総与されているのである。即ち生れ乍らにして戒旦の本尊と同じものを具備している意味をもっているのであろう。若し戒旦の本尊を信じても仏法の本尊を信じないものは、これこそ不信の輩というべきであろう。仏教は、大石寺では根本には置かれていないようである。信不信をいうなら必らず仏法に限るべきである。仏教の処で威勢よく不信の輩とやってみても、その人の法門の程を露呈するまでのこと、全く無意味なことである。

それはたとえ院達をもってしても同じことであって、一向に其の効果は現われなかったようである。それはいうまでもなく仏教によっていたためである。

それは宗門自身が仏法によって法門を立っているということを知らなかったことを如実に表わしたまでである。そのために威勢のよさに比べて効果が上らなかったのである。些か疝気筋ということであった。

 宗祖の考えは仏法にあることを改めて確認してもらいたい処である。信の一字をもって得たりということは、社会生活をする上において如何に信頼が貴重であるかということを表わされているものと思う。若し仏教であれば本尊にあたるものである。仏法を説きながら本尊を表わすことは仏教の信仰対照としての本尊ではない。その本尊に等しいという意味である。仏教と解されて既に七百年の年月を経ているのである。今更仏法に帰れるかということになるかもしれないが、やはり帰らなければ色々と矛盾にも出食わすであろう。

 戦後忠孝が消えて四十年を経ている。今一番必要なものは信頼であると思う。忠の復活については色々と問題があるかもしれないが、せめて孝と信頼位は復活してもようのではなかろうか。人が生活し乍ら互いに信頼を持たない程危険なことはない。宗門に若し信頼が根本になってをれば首を切ったり切られたりすることもなかったのではなかろうか。一日も早く仏法を復活して信頼を根本とした仏法を建ててもらいたい。

 差し迫って必要なものは信頼である。何れの国にも信頼の欲しい時である。中国では今も信頼は生きているようである。七百年前日蓮は中国思想の中から孝と信を取り出して仏法を立てているのである。それは今最も必要なものである。そこには明らかに久遠の長寿を持っている。今後も尚その生命を持ち続けるであろう。処が宗門では一向に守られていないようである。己心の法門も亦守られていない。不思議なことである。 小動物でも刹那に敵味方を分別する力を持っている。それは根本は信頼による処である。本能的に信不信は持っているのである。そのような信を取り出して、仏法ではこれを本尊と名付けられている。本尊を得たりということは、本来具えているものを確認した意味であろう。これを自力の成道という。それは仏の成道というよりは、むしろ老荘の道に近いものを持っているようである。その道を一念三千法門とも本尊とも名付けられているようであるが、現状は仏法の意を除外して仏教によってのみ解されているのである。

 仏法では本因の本尊といい、仏教では本果の本尊という。本果は仏の領する処、久遠実成はここにあり、本因は愚悪の凡夫の領する処、実成に対して久遠元初といい、自受用報身はここを領してをり、ここに本仏を見るのである。本は本因の意を持ってをり、若し仏教の中で本果の仏に対して本仏を称えるなら不都合な感じを与えるものがある。若し同じ世界で本仏を持ち出すなら下剋上的な感じを与えることにもなる。そのために仏法という愚悪の凡夫のみの世界をまず確認した後に持ち出さなければならない。

 今は使う側に混乱があり、攻める側にもこれを訂正して攻める用意に欠けているように思われる節がある。ただ迹仏に対して本仏を不都合というに止まっているように見える。双方共に本仏の意味が充分理解されていないのではないかと思う。「二箇の大事」が生かされていない。そのため無修行の凡夫が本仏とは不都合ということにもなれば、中古天台と同じだという批難も生じるのである。この「二箇の大事」は仏教から仏法に出るための重要な鍵であるが、双方共無関心ではないかと思う。そのために仏法で説かれたものを仏教の中で論じ合っているために一向に解決する日がないのである。

 「二箇の大事」を受持した上で争うべきものである。仏教の中にあって仏法を論じることはいかにも無駄なことである。

 化儀抄を理解するためには、まず仏法の場に自らを移さなければならない。明治以来六巻抄のために常に攻撃を受けているようであるが、これは攻める側も攻められる側も仏教に居るためであった。若し大石寺が仏法に法を建立していることが分ってをれば攻撃を受ける必要ななかったのである。明治教学が仏教に居たのが事の始まりである。自ら反省しなければならない処である。

 今も仏教に居て仏法を称えるために一人のよそもんが攻め切れないのである。詮じつめれば時の混乱ということである。「不信の輩」も仏法の前には何の威力にも続がらなかったのである。「仏法を学せん法はまず時を知るべし」である。これに背いて勝利を得ようというような事は始めから考えない方がよい。

 近頃はあまり使われないが、不相伝の輩というという語も仏法を確認した上で使うべきである。本尊抄によれば一念三千について、本尊について、三秘については愚悪の凡夫は全て相伝済みである。仏法については相伝済みである。不相伝の輩には仏教的な意味合いを多分に持っているために、他門に対しては通用しにくいものがある。これも時の混乱というべきである。

 滅後七百年最高に時の混乱に居る時節である。仏法を立てるためにはまず時を知ることから始めなければならない。そこに始めて仏法を語る資格が出来るのである。仏教に法を立てながら仏法を攻撃してみても、何の威力にも続がらないことは既に経験済みである。仏法を確認すれば即刻救われるであろう。開目抄や本尊抄等の重要な御書は、今も昔ながらに仏法を説かれているのである。若し仏教の立場から読めば、益々混乱を起すのみである。まず仏法を知ることが今の唯一の肝要である。仏教の立場から攻め立てられても何の痛痒も受けないであろう。被害は常に攻める側に立ち返るようになっているのである。仏法家に仏法が理解出来ないことは、何としても最高の悲劇である。天台教学の暗誦をする前に、まず仏法の依って来たる処を知るべきである。時の確認がなければ、恐らくは本仏も本因の本尊も出現することはないであろうし、衆生の成道も永遠にあり得ないであろう。時を知ることのみがよくこれを解決するようになっているのである。

 早く一言摂尽の題目に帰るべきである。一言摂尽の題目とは仏法の表示である。仏教に居れば必らず口唱の題目である。一言摂尽とは久遠名字の妙法を示している。そこに久遠元初もあれば、本因初住もある。まず仏法と受け止めるべきであろう。口唱の題目とは仏教に居ることの表示、文上迹門に居ることを指しているのである。当流行事抄は最後に仏法に依って論じた事を確認し、当流行事とは仏法であることを示されている。その故に久遠元初の自受用身も本仏も本因の本尊も衆生の成道も具現するのである。題目をもって仏法と仏教の差別を論じられていることを知らなければならない。丑寅勤行が仏法の上の行事であり、衆生の成道につながることを示されていることは、六巻抄第一行の発端である衆生成道について行事即ち事を事に行ずる丑寅勤行の意義を明らかにされたもので、口唱の題目の上に成り立っていないことを示されているのであるが、今は文上迹門の口唱の題目の処で丑寅勤行が行われている。それは命掛けの題目という語が、最もよくその意を表わしている。これは仏教の上の題目である。しかし本仏や本因の本尊や衆生の成道は仏法の上に、一言摂尽の題目の上に具現するようになっているのである。

 当流行事抄は仏法をもって最後を結ばれているのである。命掛けの題目は多分に仏教的な雰囲気を持っているように思われてならない。

 それは阿部さんの仏教によって培われた人徳がそのようなものを発散しているのであろうか。当流行事抄は特に己心の法門が強く出ているようである処は、教学部長の眼をもってみれば狂学であろうし、水島教学からすれば邪義の結集であろう。それだけ仏法の線が強い。それらが客殿で行じられていたのであったが、今はそれらのものは殆ど影を潜めてしまったようである。そして仏法の失われた中でひっそりと事行のみが繰り返されているために、当流行事抄も亦無関心の中におかれているようである。理を失って只事のみがひっそりと行ぜられているのが現実である。そのために本仏も本因の本尊も衆生の成道も、何一つ裏付けを持たないのである。その裏付けとは己心の一念三千法門である。己心の法門が邪義といわれることは仏法も失って仏教に変ったためであり、明治以来でも既に百年に余る年月を経ているのである。そして今も他の教義の移入に余念がないために益々仏教に根を下しているのである。このような中でいよいよ深みにはまり込んでいる。いつの日か又この泥沼から這い上る日があるであろうか。それにしても時局法義研鑽委員会とは仏教に深入りするための専門委員会の役割を持っているようである。ここで己心の法門も邪義の烙印を押されたのであろう。しかもこれは阿部さん直属機関のようである。仏法離れについての専門委員会という処である。

 師弟子の法門も、師、弟子を糾すでは信頼は起りにくいように思う。師弟無差別に寄ってこそ信頼も起り得るものであるが、師弟を各別に立てる今は互いの信頼を起すことが出来ないのも、元はといえば仏法を仏教と受けとめた処に根本の原因があるのかもしれない。それ程病源は深いようである。それを防ぐためにはまず師がその秘密蔵の中に徳を蓄えることが必要である。その師徳をもって無言に教化をすることは、大石寺法門の中でも大きな役割をもっている。日蓮の法門は徳化であるように思う。今はその代りを空威張りが代行しているように見える。仏法にあれば徳化であるが、誤って仏教に出れば空威張りとなっているように見える。定められた時は必らず守らなければならないものである。水島御尊師にも徳による教化があって欲しいものである。皆さんには総じて仏法の徳化という面は不足しているのではないかと思う。仏法家では徳化が出来る程の学が必要である。これが巧於難問答の示す処ではないかと思う。仏法に対して仏教で答えたのでは応答ともいえないであろう。本来なら他宗以上に学の必要な処である。教学部長に徳化力の備えがあれば水島に己心の法門を邪義といわしめる必要はなかったのかもしれない。阿部さんも法主絶対という地位に居りながら、一方で悪口雑言集団の総指揮をとっていては師徳を備えているとは言えない。そこへゆくと宗祖の師徳は阿部さんや水島の悪口雑言を無言ならしめるような力を持っているようである。今少し師徳の涵養に気を配ってもらいたい処である。

 初心に帰れということをよく聞くこともあるし、又見ることもあるが、その初心とはどのような意味か、或はどこを指しているのか、宗門の正しい意見を知りたいと思う。一歩立ち入った処で法門的な裏付けの欲しい処である。山法山規といわれるものもそのような意味を持っているのではなかろうか。大きく取れば本因もそのように思われるし、魂魄もまた原点といえるであろう。また久遠元初もそのように云えるであろう。本果をとれば妙覚は最極の処であり、本因によれば名字を初心として、妙覚を受持することによって名字の処に持ち込めば本因本果倶時に相即する処、因果倶時である。名字妙覚の時、名字の処を指して名字初心というのではなかろうか。そのように考えるなら本因の処に名字初心を見ることが出来る。仏法はそこに始まっているのである。愚悪の凡夫所住の処である。そこは魂魄世界であり、己心の一念三千所住の処でもある。愚悪の凡夫は二箇の大事を受持することによって名字妙覚を具備することが出来る。そのような境界は刹那に限る。これが大石寺のいう成道の姿ではないかと思う。受持によって無修行の難を免れることが出来る。これが凡夫の自行ではないかと思う。受持即持戒、受持即観心といわれる中には十分に修行を持っているであろう。その故に愚悪の凡夫にも成道があるのであろう。ここでは名字が初心であり、成道が名字の処にある。名字の初心に帰れとは、愚悪の凡夫であることを確認せよ、つまり凡夫は凡夫らしくということを含めているようにも思われる。

 一言摂尽の題目には本因本果の二つの題目を供えているようである。この一言摂尽の題目には既に名字初心を含めているのであろう。それは愚悪の凡夫のために用意されているものである。即ち久遠元初に通じるものを持っている。そのために自受用報身もここを住所と定めているのであろう。名字初心とはここを指しているように思われる。そしてここにおいて愚悪の凡夫も刹那に成道することが出来る。これが刹那成道であり、これを事に行じているのが丑寅勤行であると思う。それを取り巻いて山法山規があるように思われる。宗制宗規の眼をもって山法山規を目で確かめようとしても見ることが出来ないのは、もともと現の姿がない故である。所詮は己心の上に建立されているものであろう。そのために客殿に充満しているのであるが、己心を邪義と決めるなら山法山規は即時に消滅するであろう。この語は案外己心の法門の別語となっているようにも思われる。

是非共本迹迷乱は避けなければならない処である。

 山法山規が知りたければ、己心を正義と決めた上で客殿において本因の事を事に行ずることが最も身近な方法ではないかと思う。只分からないでは申し分けも立たないのではなかろうか。

己心の法門を邪義と決めたことは、迹門に法を立てているのと同じ意味である。或る時は文底により或る時は文上迹門によったのでは、山田のいう蝙蝠法門であり二重構造である。これでは本迹迷乱の恐れを多分に持っているといわなければならないであろう。仏教に根拠を置き乍ら本仏を唱え仏法を称えることも亦蝙蝠法門といわなければならないであろう。仏法を称えるなら一貫して仏法を称えなければならない。今思い起して見ても山田教学には一貫性の持ち合せがなかったようである。その点では水島教学にも共通したものがある。建武の昔から本迹迷乱とは縁が切れないようである。

 名字初心の原点は己心の法門にあるように思われるが、今となっては、邪義と決めた己心の法門をもって原点と決めることも出来ないであろう。己心の法門を邪義ということは至極簡単なことではあるが、既にその被害は拡がりつつあるように思われるが格別それと感じるようなこともないのであろうか。日蓮正宗伝統法義をもって開目抄や本尊抄に連絡付けることは困難ではあるが、その点大石寺法門では簡単である。その中に自然と山法山規も含まれているのではないかと思う。まずその発掘をやって見る努力が必要である。そこには上代からの法門が秘められているのである。それが大石寺法門である。伝統法義の場合はうっかりすると他門教学になり替る危険を持っているかもしれない。これが最も警戒を要する処である。今は殆どその様な状態の中に根を下しているのではなかろうか。

 今の世間は宗教も政党も押し並べて平和の花盛りであるが、何となし信の一字が欠けているように見える。若し真の平和であれば信の一字を具えていると思う。そこには真の平等無差別があるが、もしそれがなければ不平等有差別と出るのではなかろうか。信と平等無差別とは常に不即不離の関係にあると思う。そこに己心の法門も存在しているのである。伝統法義は差別であり不平等のように見える。そこには始めから己心の法門を相容れないものが存在しているように見える。そこから自然と己心の法門が邪義と出るのであろう。伝統法義では自らは必らず正、他は必らず邪と決まっているようである。ここから差別や不平等が出るのである。不信の輩とやらも亦極端な差別を表わしている。これは仏法で説かれたものを仏教と解したための差別である。師、弟子を糾すというのもその一例である。今の肝要はまず信を取り返すことであると思う。

 いきなり悪口雑言を浴びせられては義理にも信頼感を起すわけにゆかない。そのようなことのないように内に徳を蓄えることが必要なのである。教学部長も率先して蓄徳した上で教化本部長を兼ねてもらいたい。徳はいくら積んでも量が多すぎるようなことはないから、大いに積んでもらいたい。その徳とは本因に属する故である。内証甚深の処に真実の救いはあるものである。外相一辺倒は皆さんの示した処、既に内外共に行き詰りが迫って来ているのではないかと思われる。一般にも行き詰っているかに見える二十一世紀の打開と救済は、大石寺が先鋒に立って徳化をもって推進してもらいたいと思う。大村教化推進本部長は最も適役ではないかと思う。教学部長は己心の法門を邪義と決め付けて粉砕するような事をせず、また独学というような事をいわないで己心の法門をもって民衆の救済を具現してもらいたいものと思う。己心の法門が逆転を始めると中々人の知恵をもって止めることも出来ないかもしれない。今既に思わぬ障りが起きつつあるようである。山田は逆も逆真反対というけれども、既に逆転は予想も付かないことが山内の丑寅の角で起りつつあるように耳にしてをる。山田や水島のような徳薄の面々に徳化の重要なことを教えてもらいたい。そして中国三千年五千年の所詮である信の一字を根本とするように諭してもらいたい。そして自らもこれを身に付けることである。

 外典三千余巻の所詮は忠孝であると記されている。そしてその忠はまた孝に収まる。そこから信の一字は出生しているのではないかと思う。今は専ら信心信仰の信に限られているが、開目抄の信は信頼の信である。開目抄のみに限らず、五大部十大部といわれる御書は全てこの信を根本に置かれているのではないかと思う。本来なら宗門全体が信の一字に収まっているべきではないかと思う。しかし今一番に宗門から斥われているのは信の一字ではないかと思う。せめて人が信頼出来る信でけは残しておいてもらいたいと思う。日蓮正宗も一宗を建立しているのであれば、信の一字位は残してをいてもらいたい。広宣流布も亦信の上の広布を目指してもらいたい。信の一字は奇妙に人に心の豊かさを与えるものである。信を取り返すことが出来れば宗祖に孝であるし、広宣流布も今少し潤いが出てくるのではないかと思う。若し信頼の中で広宣流布が具現するなら、それは天下太平である。昔の世直しは、その根本をいえば民衆同士の信の一字の盛り上りが根本になっているのではなかろうか。今の平和運動にどれだけ信頼が内蔵されているであろうか。信を失った処には真実の平和はあり得ないかもしれない。まず宗門に信頼を取り返してもらいたい。広宣流布とは信の一字の上にのみあり得るのではなかろうか。信さえあれば殊更平和を口にすることもあるまいと思う。今は信のない処に平和を求めようとする、そこに無理があるのではないかと思う。信があれば本尊ともなれば本仏ともなり成道とも表われる。見方によれば平和ということも出来る。人に対して不信の輩というが、その人こそ人が信頼出来ないことを表わしている。そして自分一人のみが最高位にあって唯我独尊を称えたいのではないかと思われる。信の一字をもって得たのは信仰対照としての本尊ではないかもしれない。信の一字こそ人が社会生活を遂げるためには仏教の本尊に劣らぬ程重要なものである。それを本尊という名を假りて表わされたのではなかろうか。

 今の世間は平和を口にしなければならない程不信が充満しているのであろう。今の世の中は無駄と知り乍らでも平和を口にしていなければ息がつまりそうなということであろうか。それ程不信が充満しているのであろう。息づまるような不信の中で南北朝の世直しは起ったのかもしれない。その時頼りになるのは自分だけであった。そして己心の法門をもって民衆は自らの力をもってこの苦難を乗り越えたのであった。それが世直しである。自らの力をもって民衆だけの世界を築いたのであった。いくら待っても救いの手は延びてこなかったのである。そこに己心の法門の威力があった。今又同じような世を迎えている時、他の力のみを待っていても中々救いの手は延びてこないのかもしれない。自分のことは自分でしませう。案外名字初心はそのような処にあるのかもしれない。幼稚園の子供は、そのような事は本来として事に備えているのであろうが、大人になると本性は次第に掩われて来るようである。そこに本因を確認する必要が生じて来るのである。名字初心も本因も共に原点といえるものである。反省はその原点に立ち帰ることを指しているようである。娑婆往復八千度というような語も似たようなものを内在しているのかもしれない。

 師弟子の法門とは己心の法門の謂いである。それが若し師、弟子を糾すとなれば仏法から仏教に移ることになる。即ち別世界で考えられるようになる。そこでは差別が根本になっている。本因は無差別の処に根本を立てている。そこを本因と名付けられるが、今はその原点が常に浮動している感じである。そして遂に本因を見失ってしまったようである。これでは名字初心を捉えることも困難という外はない。しかも仏法の中に求めるべきものを仏教に求めようとしているように見えるが、これではいつまで待ってもこれを求め出すことは不可能である。今程仏教に執着していては永遠に名字初心を求めることは出来ないであろう。それでも仏法に切り替えることは出来ないのであろうか。衆生成道も本因の本尊も本仏も皆名字初心の処に立てられているようである。ここが法門の故里になっているのである。そこはいうまでもなく己心の法門そのものである。惜しげもなく邪義と決めたために法門の故里が一瞬の煙と化したのである。浦島太郎のように、ここは時の基準が違っているのである。仏法も時の確認がないために仏教の時によっているようである。ここに大きな誤算があったようである。今の正本堂は取要抄によるべきものが誤って三大秘法抄による戒旦として建立されたのである。そのために衆生現世成道に最も必要な戒定恵の三学が見当らないのである。もともと衆生の現世成道にはつながらないような仕組みになっているのである。六巻抄では第二の文底秘沈抄の三秘が取要抄であることは、第三にこれを示されている。そして発端の一念三千にも後々の一念三千にも通じるようになっているが、今は連絡を付けるにも肝心の己心の一念三千が邪義と決められているために全く連絡が絶えて、開目抄にも本尊抄にも取要抄其の他にも連絡不能になっているのが現実である。名字初心を失っては宗祖の原点に帰ることも出来ないであろう。最要不可欠のものを切り捨てるとは宗門の度胸も見上げたものである。そのために天雨は頭を冷したのではなかろうか、冷静に受けとめるべきであろう。

 「この法門は師弟子をただし」とは師弟子をただすことは己心の法門の根本的な心得を示されたもので、勿論法門として解さなければならない。それを孔孟的な師弟を頭に画いて考えてみても仏法にはつながらない。孔孟を通して現実世界に出るか、仏教即ち文上迹門に出るのがおちである。折角仏法を説こうとされているものを迹門や世間にあって受けとめては己心の法門にはつながってゆかない。世間の道徳教育的成果しか出ない。そのような事は仏法家の考えることではない。それは世間一般の道徳教育家の担当する処である。仏法で説かれたものを道徳教育に格下げするのは本末転倒である。今はこのようなことが案外多いのではなかろうか。この教誡はまず仏法という時を確認した上で考えなければならないものである。師弟子の法門とは仏法であり、己心の一念三千法門である。これを仏教の上で考えても本尊にも本仏にも衆生の現世成道にも通じるようなことはない。これを失わないために仏法の時を知ることがまず必要なのである。況んや社会道徳の上に考えてみても宗教に通じるようなことはありえないと思う。仏法は社会道徳ではない。これを仏法と考えるなら極端な独善となるのは必至である。社会道徳として考えるなら専門の人等に任せた方がよい。仏法と社会道徳とが初めから混乱しているように思われる。そのような中で師、弟子を糾すと読まれているのである。これでは理屈抜きで独善と出るであろう。そしてそのまま権力につなげられるであろう。仏法は平等無差別が条件である。この基本線が失われているのではなかろうか。これを訂正することも今の大きな課題の一つである。そのような混乱が故意に不用意の中に案外多いのではなかろうか。社会道徳は真道が啓くための方便の領域にあるものである。真道が啓いた後に登場すると反って混乱を増す恐れがある。自他の領域をまず区別した上で事を進めなければならない。少くとも師、弟子を糾す処は仏法の境界ではない。即ち純円一実の境界ではない。そのような処は本仏や本因の本尊の出現し得る境界ではないし、勿論衆生の現世成道があるわけでもない。師弟子の法門のような境界は仏法にのみありうるものである。時の混乱を気を付けなければならない。純円一実の境界、本性として持っている己心の境界、そこはつまり広宣流布の境界ということが出来るであろう。護法局も発足以来未だ大量の広宣流布情報ははいらない。まず己心の上に広宣流布を完了した上で一人残らずの広宣流布に出るべきであうと思う。世界中一人残らず一本では完了は恐らくはあり得ないであろう。己心の法門は仏法である。一人残らずは仏教にあるもの。適当な使い分けが必要である

 

 

 

己心の法門

 

己心も心も同じだ、心にしろというのが反撃の第一声であったが、当時三四回見ただけで、今は同じでないことが分ったのか引っ込めてしまったようである。今も同じであれば攻め道具に使うであろうが、これについては何の音沙汰もない。違うことだけは分ったのかも知れない。

 時々己心とはどのようなものかと定義付けを求められることがあるが、若しこれが説明出来れば本仏日蓮大聖人である。論理学の論理を進めてゆくと、時に同じと思える時があるのかもしれない。それをも少し進めると分らなくなる。その思惟を絶した彼方にあるのが己心のような気がする。その前段で、つい心の中に己心があるように思われる時、若しそれを強引に押し出すなら己心が心に食われる恐れがある。

 この西洋学が己心を食ったのは明治の頃ではなかったであろうか。その頃は強引に己心をもって押し切ることが出来なかったのかもしれない。大石寺までも当時既に被害をうけたのか、その名残が今になって己心を邪義と云い切らしめたのであろうが、開目抄や本尊抄まで消すことは出来なかった。今も己心の文字は依然として残っているのである。これは始めから論理の外に置かれていたのである。

悪口は尽したけれども

 己心の法門は相変わらず健在である。西洋学に心酔した結果が簡単に消せるように思えただけであった。宗門からも一向に消えた気配は感ぜられない。今の行き詰りはそのあたりから始まっているようにさえ見える。一人々々が各具備しているもの、そのように簡単に消せるものではない。そこに誤算があったようである。宗門から己心の法門の消える日は宗門壊滅の日である。それでも邪義と決めて消すことにのみ専念しているのである。己心の法門から本仏や戒旦や本因の本尊や、衆生の現世成道が出ていることには全く気が付いていなかったためであろうか。或は新来の西洋学の被害ということであろうか。最も警戒しなければならない処である。気の付かない処で大きな被害を残したものである。今もそれは消え去ってはいないようである。こちらは己心の法門は邪義と一喝を受けても何の痛痒も感じるようなことはない。その点心配御無用である。一日も早く己心の法門こそ正義だと決めてもらいたい。一日遅ければ遅い程損である。

 今は魂魄も認めたくないかもしれないが、己心の法門は魂魄の上に現われているのではないかと思う。これ以外には説明出来ないかもしれない。死後空中に浮遊する人魂ではない。その魂魄を住処としているのが己心の法門である。理をもって説明出来るものでもなければ貌をもって示せるものでもない。只信のみがこれを捉えることが出来るようである。しかし信心の信をもってしては捉え難いようである。この故に不可思議なのである。

 本因の本尊も己心の法門であるだけに理をもって理解することは出来ない。眼をもって見ることもできない。成道にしてもそうである。何れも思惟を尽した彼方にあるものである。そこにあるのが道であり、天の授与した法であり、それが具足の道である。それが一念三千ともなるのは開目抄であり本尊抄である。一念三千は本来天から授かって一切の万法を具えているのであろう。何れも本来として備わっている。老荘の道にはそのような意をもっているように思われる。

 己心の一念三千法門には一切の万法を備えている。純円一実の境界もまた同じような意味を持っているのではなかろうか。己心の一念三千法門の実在を示すのは魂魄以外に方法はないという中でこれを取り上げたのではなかろうか。眼をもってし、理をもってしては実在を証明することが出来ない。そのような方法では証明出来ない時、そこに登場したのが魂魄である。そこには天の精気が常住しているということのようである。これは西洋流の学問とは始めから異なった世界のようである。そこに民衆を見、一切衆生を見るのであろう。そこは五十六億七千万歳を刹那に縮めることも出来るのである。

 そこに仏法の時がある。これは通常の時間とは別系統のものである。己心の法門は仏法の時の中におかれているように見える。仏法を知るためには、まず仏法独自の時を知らなければならない。これは東洋独自の時なのかもしれない。何れにしても常人の思惟の範囲でないことは間違いないと思う。結局己心とは言葉に出して答えるようなものでないということであろう。己心は西洋では育たなかったのかも知れない。西洋流の学問に心酔するといかにも己心の法門が邪義と思われるのであろう。西洋流な教義がそのように言わせたのであろう。とも角、己心の法門を理をもって知ろうというような大それた考えは起さないことである。行住坐臥に行じているのであるから、それで充分なのである。己心の法門の極意もまたそこにあるようである。これが事行の法門である。事行こそ最高の理解の方法である。不言実行などという語も非常に近いものをもっているのではないかと思う。

 己心によって現われたものは原則として一切凡眼には映らないが、今は凡眼に映らなければ承知しないという変りようである。このような考えが何から来たのか、大石寺法門では眼に映らないのは当り前のことであるが、今のような考え方を作るのは教学そのものにもあるが、それ以上に西洋流な学問が入りくんで文上迹門の教学に更に眼に見えるということを強制するのであろう。その現実的な考えが大石寺法門を極端に変えていったのであろう。ここまできて本の己心の法門に帰れるや否や大きな疑問がある。

 師弟子の法門も眼に映らないということで、似てもつかない社会道徳の中に持ち出して師、弟子を正すと解するのは言語道断である。これなら眼にも見えるし、大きな声を出して威張ることも出来る。社会道徳の中に持ち出して考えれば周辺も賛成しやすいのかもしれない。そして主師親も社会道徳の中で説明されるなら理解しやすいであろう。そのような中でついつい己心の法門は巧まずして消されてゆくのであろう。明治以来の学校教育の中で何の抵抗もなく己心の法門は影をひそめてゆくのであろう。滅後七百年、大石寺でも本因から本果への交代も終ったような感じである。信の一字も信頼から信心に交代したようである。宗門は信頼の信を捨てることにのみ専念しているが、これまた大きな問題である。師、弟子を糾すのみでは師弟の間に、今のような世間では尚更信頼は育たないであろう。色々な面で仏法家と世間との交代は急速に行われつつあるようである。

 主師親の三徳の処に信の一字の根元は存在しているのではないかと思う。仏法を立てるために、仏教的なものを取得する際、戒定恵の処に信の一字を見るのではなかろうか。今二十一世紀を目前にして信の一字の最も必要な時であるが、宗門は直前になって捨てることにのみ努力しているかに見える。どうみてもアベコベである。信の一字は主師親にも戒定恵にもあることは世俗に充満していて、これによって社会生活は成り立っているともいえるものである。この信も眼をもって確かめることは出来ない。専ら事行に依ってのみ知ることが出来るものである。これがやがて学はいらない行だけでよい、或は信心だけでよいとまとめられるのかもしれない。それ程信は社会の隅々にまで遍満しているのである。その姿を「この本尊は信の一字をもって得たり」と表わされているのである。それが後には、この本尊は信心をもって境智冥合し体得することが出来るというように三段構えで仏法から仏教的な信心に移動してゆくのであるが、今その限界の処に立っているのである。

 信は信頼、信実、信念などとつながってゆくもので、信心、信仰はむしろ特殊なつながり方である。しかし、そのつながり方はいかにも強烈である。信は第一には仏法の上にはっきりと解しておかなければならないものであるが、今は仏教に変ったために仏教的な雰囲気の中でのみ考えられ、仏法の仏教化のための大きな役割りを果たしているようである。百八十度の転換ということである。そして仏法は仏教の上に表わされて独善的なものを作り上げてゆくのではないかと思う。社会道徳的といっても儒教的というよりは忠君愛国的なものが強いようである。大石寺法門の根源は「まこと」にあるようではあるが、悪口雑言から「まこと」を引き出すことは、まことに至難の業である。そこには痕跡すら残っていないのである。

 

 

 

己心と心

 

 気掛りなのでまた拾うことにした。目障りな向きは見過してもらいたい。

己心と心が何故同じなのか理由は示されていなかったように思う。しかし、

 本尊抄では明らかに数回我等が己心という語が続けさまに使われている。文証に引かれたのは天台大師の己心であるが、欲聞具足道の次の大経等の引用の終った処で我等が己心と出ているのである。天台の己心に対して相違があるからわざわざ「我等が」と冠せられたのであろう。それを己心も心も同じとは思い切ってよくいえたものである。心と己心と我等が己心と、この三は本尊抄では区別は置かれているであろう。釈尊と天台と日蓮の区別があるかもしれない。仏教では釈尊と天台の理の法門と日蓮の事の法門と即ち仏教と仏法と、理と事との区別は付けられている。己心も同じでは大石寺法門は成り立たないかもしれない。それが確認されないために次第に仏教化し世俗化が進んでいるのではなかろうか。

 謗法といわれているものは仏教と仏法の間にあるようである。そして第二は世法と仏法の間である。前後の仏教と世法は心と解し、中間の仏法について特に我等が己心といわれているように思われる。若し心も己心も同じということになって日蓮が法門が成り立つかどうか、この判断は開目抄や本尊抄等の諸御書によらなければならない。これを新来の論理学等に依って判定することは専断に当たるように思う。西洋流のものになければ切り捨てることも出来るし、いきなり心の中へ繰り入れることもできるが繊細な処は消されてゆくかもしれない。そして己心も心もおなじと出たのである。区別があるから日蓮が法門は成り立っているのであるが、これを同じと判断しては日蓮が法門はあり得ないであろう。末弟の手をもって切り捨てようというのである。大へんな度胸である。

 今は西洋学や他宗門の教学が混然として、その中から大石寺固有のものは殆ど発見することは困難である。殆ど解体は終ったかに見える。今改めて西洋流の学問が這入ろうとしているようである。判断も西洋流により、しかもそこにないものは第一段階で切り捨てられる恐れもある。その上で適当に判断を加えられる、西洋流なものが根本の基準に置かれる斬り捨て御免である。

今遅ればせながらそのような風潮が進入しつつあるとはいえないであろうか。

このような中で、七百年前の法門を守り続けることは殆ど不可能なのかも知れない。日蓮が法門に対して百年、二百年位ををいて時々攻勢の波が襲うているようである。己心の法門もその内、遠い昔話の中に閉ぢこめられるかもしれない。宗門自身が己心の法門は邪義といい、己心も心も同じだ、心にしろという御時勢である。己心の法門を消すことのみに全力を集中しているようである。時局法義研鑽委員会もその専門委員会である。しかし、己心の法門の解消された時は大石寺の消滅する日である。

自らその一翼をかっているということであろうか。己心も心も同じだ、心にしろということについては、宗門の最高位にいる二人は既に賛成済みである。余は時を待つのみということであろう。これでは本仏も本尊も心の上に建立されたことになり、その文証を求めることは一切不可能になるであろう。これによって本仏と本尊はまず解消されるであろう。それでは本仏日蓮大聖人も使うことも出来なくなるであろう。己心の法門が消えては大石寺法門も頼るものがない。今は僅かに残った語のみが頼りということである。そのような中に己心の語が置かれているようである。宗門の最高首脳部の処では既に心に切り替えられているように思われる。誠に危険千万な事ではある。山田や水島はその下で己心の法門を邪義として抹殺の急先鋒に立っていたのである。邪義ということは今もそのまま残されている。これも大きな業跡というべきであろうか。しかも現在は沈黙を守っているが、次にどのような名案を持ち出してくるのであろうか。邪義の語を残したのは唯一の戦果であった。富士学林の天台学研究成果も一環作業の中にあるものであろうか。しかし、計畫は密なるをもって吉しとする。山田も水島も少し明しすぎた嫌いがある。も少し密に事を運んだ方がよかったようである。

 長い間本因の本尊ということが云われて来たが、多分に己心の意味を持っている。仏に対して衆生の処に現じた本尊の意味を持っている。即ち己心の本尊であり、ここに法門の立処も示されているのである。己心も心も同じといい、己心は邪義となり、遂に本尊を本果と決めてしまった。いかにも急激な変化である。何故このように変化したのか反省があったのであろうか。その陰に教義の変化があったのであろう。それが論理学の影響ではないかと思う。西洋学には上のようなものをもっているのであろう。明治にも大きな影響をうけて居り、島地大等師も既に指摘している通り、己心の法門を食う恐れがある。今またそれをもろに受けたのである。あまりにも不用意であった。このようなことは二度と繰り返さないことである。恐らくは相手方の教義の立て方が根本の処で変っているのであろう。己心の法門を邪義と決める前に気が付かなければならない処である。今からでは少々手遅れということであろう。

 教義の変化は敏感に表に出てくるものである。七百年伝来の本因の本尊でさえ本果と改める程の力を持っているのである。何故こうも易々とその話に乗るのであろうか。己心も心も同じということは仏法も仏教も同じだ本因も本果も同じだ文上も文底も同じだ釈尊も日蓮も同じだということである。そのために思わぬ結果が出たのである。宗門のような専門家揃いの処で何故これが読みとれなかったのであろう。自分等の決めた結果には従わないわけにはゆかないであろう。一言でいえば読みの浅さということである。今の天台の観心を正統と仰いだ研究成果が、本因の本尊を本果の本尊と改めたのである。本果となれば再び真偽問題も起るかもしれない。それに対する用意は既に整っているのであろうか。本因の本尊は本尊抄の「本尊の為体」から来ているものであろうが、若し本果ということになれば、本時の娑婆世界のあたり以後を迹門と読まなければならない。そして本尊を迹門に証明付けなければならない。これは本尊抄による限り不可能ではないかと思う。特に本尊抄の後半は事行の法門として深いつながりを持っているだけに、うっかり切れば法門の矛盾に崩される恐れもある。これは容易な問題ではない。何れにしても大きな難問が待っているのである。一部はこの巻の初めにも出しておいたので読んでもらいたい。

 当時本尊抄や副状は読んでいなかったのではないかと思う。若し読んでをれば迹門とは出なかったであろう。わざわざ現代の天台の学者に教えられるまでもなく、観心の本尊抄は真蹟は未だに残されているのである。何故日蓮の観心に依らないのであろうか。どこかに不都合な処でもあるのであろうか。天台のものに依れば本果と出るのは当然である。しかも観心の本尊は必らず本門に限られている。それでは何か都合の悪いことがあるのであろうか。御宝蔵の本因の本尊に対して本果の本尊とは御影堂の万年救護の本尊を指している。己心の本尊についての本因本果の分け方によるものである。万年救護の本尊は滅後末法の中の本果であり、今度決めた処は在世の本果である。始めから在滅の相違を持っているのである。総てが現代の天台学者のものであれば本果となるのは当然である。時については一向に無関心であった。そのために在世の本果と出たのである。それは本尊抄の観心を無視したための結果である。

 末弟であれば観心は必らず本尊抄による筈であるが、何故天台の観心に限ったのであろうか。その観心では衆生の成道にも本仏にも本因の本尊にもつながるような事はない。これらのものを天台の観心から求めることは全く不可能なことである。

何故天台の観心に頼ろうとしたのであろうか。これは水島の一世一代の不覚であった。教学部も何故天台教学の観心によるものを優秀論文と決めたのであろうか。教学部も同じ処でものを考えているのであろうか。教学部も衆生の成道や本因の本尊や本仏につながる観心を避ける必要があるのであろうか。或は本尊抄の観心を避けなければならない理由が何かあるのであろうか。

衆生の成道とは愚悪の凡夫の現世成道である。これがなければ本仏も現われることもないであろう。

 日蓮の観心は仏法の上の観心であるが、天台のものは仏教の上の観心である。そこに大きな時の違いがある。その時の混乱が本果と出たのであるが、実際には本果の本尊、即ち二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅は出現するようなことはあり得ないであろう。そうであれば、わざわざ天台の観心に頼る必要もなかったのである。本尊や成道につながらないから、これを理の法門というのである。水島優秀論文の観心は衆生の成道や本因の本尊につながらず、仮空の本果の本尊につながるから優秀なのかもしれない。この状況から察する処、己心の法門は可成り消されているのではないかと思う。これでは己心の本尊が邪義と映るのも当然といわなければならない。仏教の観心では宗祖本仏も語ることも出来ない。下種仏法を論ずることも出来ないであろう。水島の観心は未だ理を脱してはいないようである。本因に限って出現する本尊を本果の処で信仰することに偽りはないであろうか。本因の本尊は本因の処にをいて信仰するのが最も正常な在り方ではなかろうか。

行きつく処までいって黙り込んだものと思っていたが、それは論理学を取り入れたための行き詰りであったようである。考え方の基本になるものだけに、その開拓は中々困難な事ではなかろうか。このままでは仏法も邪義という処までゆくかもしれない。消えた処を見ると本因の本尊も既に邪義の仲間入りしているのかもしれない。

とも角、ここで本尊抄によれば本尊の出現は仏法の上に、己心の上に出現していることを確認しなければならない。仏教の上に己心の本尊を求めることは空に等しいものである。それではやがて本尊が消えるようなことになるかもしれない。論理学には己心も仏法も説かれていないからである。

論理学に依ったものと思われる頃から、以前にはなかったような大変革が起り、遂に己心の法門は邪義という処まで来ているのである。これは本仏も本尊も成道も、また三秘も共々に否定するものである。やがて表面に表われる時が来るかもしれない。既に在滅の時も消えているようである。大村教学では己心の法門は狂学と称しているのである。日蓮が法門は狂学に繰り入れられているようである。己心の法門を邪義とするのと、それ程の変りもないようである。

このようにして見ると、論理学は仏法の大敵のようである。

三年前反撃に出た時、何故あのように出たのか、その理由は一切不明であったが、今はじめてそのなぞが解けた。しかし現在は可成り進行しているのではないかと思う。「狂った狂った狂いに狂った」のも、依って来た処は論理学なのかも知れない。「狂学」も「己心は邪義」とうのも、その出生は同じ処かもしれない。何れも本仏や本尊、衆生の現世成道等、切り捨てるようなものを備えているように見える。僅か数年間の進行としては誠に驚異に価するものがある。今も沈黙の中でどんどん進行を続けているものと思う。

 己心の法門は西洋の学問には異様に弱い一面を持っているようである。これについて沈黙の間に反省しているのか進行を続けているのか甚深にして一向に伺い知ることは出来ないものがある。そのうち又ばくだん発言があるかもしれない。論理学の足跡だけは大きく残ったようである。己心の法門を邪義と決めたままでは動きもとれないであろう。何をもって拭い去るつもりであろうか。己心も心も同じだ心にしろという処から、己心の法門を邪義と決めるまで、僅か数年しか要していないのである。得度以来三十余年を経てようやく出来上った己心の法門も、消す時には僅か数年で事足りるのである。水島の一方的な宣言によって己心の法門は刹那に水泡に帰したのである。これをどのように受けとめるべきか。不信の輩には一向に理解することは出来ない。

あくまで仏法と仏教の区別はたてなければならないが、仏教の中に本仏を求めようとする水島理論はまず時を抹殺しているのである。それが学林の卒論の基礎になっているのである。その論理の上で己心の法門も邪義と映じたのであろう。その発表と沈黙に入ったのは、それ程時間的な距離はなかったようである。何かの思惑があって延ばされていたのであろうか。水島論文に時の混乱があるのは、実は出題者の持っている混乱がそのまま表に表われたためなのかもしれない。本尊抄が発端から本時の娑婆世界に至るまで長い時間をかけてゆっくりと裏返すための作業も、きれいさっぱりと黙殺されて出来ているのが水島論文である。そこで刹那に時は抹殺されているのである。実にお見事な度胸である。時を消してしまえば、あとはそれ程抵抗は感じないのであろう。昔は四明流により、今は論理学によってこのような作業が陰で行われているのではないかと思う。そして仏法も次第に変貌を遂げているのであろう。今となってこれを本に返すことは容易なことではない。いつの日がきたら仏法に帰れるのであろうか。

 カントによっている時代には己心も心も同じだ、心にしろというように己心を否定していると思わせるものも、己心を邪義ということもなかったが、一擧にそのようなものが出た背景には多分に論理学があるのかもしれない。カントは外から、論理学はその利用の仕方によっては一擧に内部に喰い入っていくものをもっているのであろう。それだけ危険である。このようなものに無批判に飛び込んだのはいかにも迂濶であった。これを切り捨てることは容易なことではない。意外な難作業なのかも知れない。初心に返る以上に難しいのかもしれない。早々に除去作業に取りかからなければならない。捨ておいてはどんどん内部に浸透するようなことになるかもしれない。振り返ってみて、

ここ数年の水島教学がそれを基盤にしていたことは、まず誤りのない処であろう。

発端から大僧正も小僧正も飛びこんでいるだけに尚更厄介である。

この水島教学が本因の本尊を本果に替え、己心の法門を邪義ときめた元兇なのかもしれない。宗門には特別優秀な頭脳をもった人も次々に引かえている処に、これは何とも迂闊なことであった。

さてこの跡仕末どのように付くであろうか。本因の本尊も消え、本仏が失われては、いよいよ衆生の現世成道とも訣別である。水島教学はそれを裏付けたのであった。ここまでくれば、あらゆる面から矛盾が出る。それが一年もの間、口を閉ぢざるを得なくなった直接原因ではなかろうか。観心の基礎的研究はここに成果を表したようである。仏法によって起った語は、仏教の立場からは説明し尽すことは出来ない。仏教家からいえば最も耳障りな語である。将来必らずその矛盾は突かれるであろう。

口を閉ぢただけでは収まりにくいようなものを残したようである。

 結局は開目抄や本尊抄の読みの浅さということであろう。撰時抄も時を除いて読めば迹門と出るかもしれない。そのために「仏法は時に依るべし」ということになっているのであるが、

水島教学の仏法は始めから時を必要としない仏法に依っている。そこに根本的な違いがあるのである。この成果は本尊の真偽にも発展してゆく可能性をもっているようにも思われる。観心の基礎的研究の遺産である。仏教と仏法の二筋路をかけることは、むづかしいように思われる。

撰時抄を読むためにはまず「仏法は時に依るべし」という文をしっかり頭の中に入れて読まなければならない。この文の題号の時は仏法の時を示しているのである。若しそれを外して読めば迹門と出るかもしれない。即ち仏教と出る恐れは十分にある。

あまり文字のみにこだわりすぎるのは危険である。

時とは滅後末法の時を指していることにくれぐれも注意しなければならない。若し誤れば必らず逆に出るであろう。この抄は愚悪の凡夫が現世成道出来る時を定めているのである。その時が定まらなければ凡夫の成道はあり得ない。

水島教学は仏教の時と定めているのである。

撰時抄で色々な引用が行われ譬喩が示されているのも、所詮は愚悪の凡夫を現世に成道を得せしめんがためである。それが集約され事行に示されたのが丑寅勤行である。その衆生の現世成道が根底から覆されては何のための丑寅勤行か分からない。今はそのような中で勤行が行われているのである。その意義をもっと明確にしなければならない。これでは山法山規が分らないのも無理からぬ事である。山法山規が分からないということは本仏も本尊も衆生成道も分からないことと同義ではなかろうか。そのような中で己心の法門も邪義と決められてゆくのであろう。このようなことは近代の西洋の学問の影響下に起っているのであろう。昔も今もこれらについては殆ど無防備の状態の中におかれているのである。時を確認する以外、よい方法はないかもしれない。そして理を事に行じないように注意することが肝要ではないかと思う。理の法門をとり仏教により乍ら事に行じることは最も危険なことといわなければならない。その天台理の法門と論理学の理と、或る共通点をもっているのではないかと思われる。その点大いに注意を要する処である。既に相当の被害は浸透しているようである。己心の法門が邪義と思えるほど浸透しているのである。

 時局法義研鑽委員会も改めて法義を再検すべき時が来ているのではなかろうか。時局法義とは一体何を指していたのか現われたものを一所に寄せ集めてみれば、己心の法門は邪義ということがその中心課題であったのではないかと思われる。結果からみてその辺りが濃厚なのではないかと思われる。何が中心課題であったのか、どのような成果を得たのか、一応の発表があってもよいのではなかろうか。護法局の発足もまた大いに関係があるようにも思われる。己心の戒旦は邪義といい、続けて己心の法門は邪義と発表された。これも大きな主目的であったような気がする。己心の戒旦が邪義であれば、己心の本尊も己心の題目も邪義となる。これでは「本尊の為体」即ち我等が己心の本尊も邪義と決まる、その中央の題目も邪義と決まりそうである。三秘何れも邪義となり、三大秘法抄に説かれた三秘のみが真実正義となるであろう。そして取要抄に説かれた戒定恵の上の三秘は反って邪義に堕すようなことになるかもしれない。若し戒定恵を失った三秘は謗法に墜ちるであろう。これこそ正義だと決められるのであろうか。これらのものを一筋通すために委員会は発足したのであろうか。三年以上経っていると思われるが一向に成果は出てこないようである。そろそろ成果をまとめてもよい時ではなかろうか。護法局もまた一向に活躍しているような情報は入らないようである。一度位成果を発表して次の励みにしてみてはどうであろう。

 法華経の行者日蓮を文上迹門の行者と読んでいるのか、或は文底本門の行者と読んでいるのか、文底本門を意識せずに読めば迹門の行者と読めるであろう。しかし撰時抄が仏法の時を説かれているものとして読めば文底本門の行者という意は自ら理解出来るであろう。法華文上の行者と文底の行者では、その意味は雲泥の差が出てくる。開目抄や本尊抄との関連の中で読まなければ意味がない。仏法の行者日蓮と読まなければならない処である。それでないと、いうような本仏の慈悲の出ることはないであろう。自分一人の修行のためにのみ題目を上げているのであれば御本仏日蓮大聖人というには少し不足があるであろう。「日蓮紹継不軽跡」の日蓮も仏法者日蓮として解釈され信奉されて来たのであろうと思う。今となって急に迹門の行者日蓮と解して見ても只矛盾につぶされるまでである。己心の法門の上に仏法として受けとめるべきである。今迹門に変って日蓮を迹門の行者としてみても、伝統の法門を根こそぎ切り捨てることは出来ないであろう。他門の追求に困じ果てて迹門に変って見ても全部切りかえることは出来ない。若しそのようなことをすれば、反って自滅の危険が多分に現われるであろう。論理学を根本とし、これをもって仏法を改編することは最も危険なことである。

そのやり方で最近仏法がどんどん改まっていったのであろうか。己心も心も同じだというような考えはもともとはなかった。見聞の外に属するものであるが、何故そのような説が起きたかといえば論理学が最も近いようである。始めから違う扱いになっている。

 開目抄や本尊抄、又撰時抄などの御書はその違いを論じ乍ら己心を取り出し、そして仏法を論じられているのである。これは又日蓮が法門の最も特異な処でもある。己心が心ということは、或る考えの中では成り立つのかもしれない。一見した処でも己心は仏法に、心は仏教にともいえるし、仏法は日蓮、心は釈尊ともいえる。そのような中で己心は心から出たものであるから、或る見方をすれば刹那には同じということが出来るのかもしれない。しかし己心が独立して考えられるようになった以後に心も己心も同じということは出来ないであろう。

この話にはどこか飛躍をもっているようである。その飛躍は禁物である。それがなければ心を優位とは立てられない。これは強引に己心を消すために思い付いたものかもしれない。しかし、少なくとも大僧正といわれ小僧正といわれるような人の考えることではないと思う。若し己心の法門が消されるなら、日蓮本仏は即刻消えるであろうし、本因の本尊も衆生の現世成道も消えざるを得ないであろうが、そのあと遂に己心の法門は邪義と決まったのである。戒定恵の三学も、そこから出た三秘も消されて、戒定恵を持たない三秘と入れ替ったようである。己心も心も同じだ、心にしろといい出して三年計り後のことである。それ程急であったのである。

 結局心と己心は内容的には全く異っていたのである。そして心が己心を食ったのである。しかし心では仏法は成り立たないし、本仏も本尊も出るようなことはない。本果の本尊でさえ顕現されるようなことはないであろう。それが己心を邪義と決めた唯一の成果であった。元はといえば己心も心も同じと決めた処に出ているのであるが、心と己心は同じものではなかったのである。しかし、あまり急激であったため仏教に絞り込まれる羽目になったのである。このような中で仏法は消されていったのである。仏教の中に仏法は吸収されて終ったのである。唱えられ始めて漸く七百余年の後ということである。誠に事は重大である。

論理学に己心の法門即ち仏法が食われたということであろうか。日蓮が己心の法門も邪義に堕在せしめられたのである。一往己心も心も同じだ、心にしろという者の勝利に終わったようである。同時に仏法もまた消えていったことであろう。問題は全て今後に残された貌である。この段階では、己心の法門を主張したものの敗北に終ったようである。さて己心の法門を邪義といい、狂説といい、魔説ということがいつまで通用するか、それは今後に残された問題である。己心の法門を一言のもとに切り捨てた処は鮮かであったが、さて何が残ったということであろうか。それは時局法義研鑽委員会諸公の研鑽の成果である。その記録は永く宗門に伝えられてゆくことになるであろう。

 己心の法門の根元が魂魄に置かれていることは開目抄に説かれている通りである。ここで戒が示されているように見える。それが本尊抄で本尊という貌をもつ根元であることを重ねて示される。それは本来として衆生が一人残らず生れ乍らにして持っているものであると示されるのである。そして撰時抄はそれについて時を示されている。即ち仏法の時である。滅後末法の時であるが、今は在世末法と読んでいるようである。ここで仏法が仏教に近付く下地が造られるのかもしれない。そして本尊も殆ど仏教と同じ扱いになる。本果の本尊としての扱いである。今までは本因の本尊という中に昔の面影を止めていたが、今は本因は遂に消えたようである。そして半公然と本果が表に立ったように見える。それだけ教義の根本が変ったのである。

しかしながら現状は水島論理学派の教学も頭打ちの状態から中々立ち上がれないように見える。方向転換の必要に逼られているのではないかと思う。己心も心も同じだ、心にしろでは些か宗祖に対して愚弄気味ではなかろうか。況んや己心の法門を邪義とはちと度が過ぎたようである。開目抄や本尊抄を否定し、己心の法を真向から否定しては大石寺法門は何一つ成りたたないであろう。それが堂々と大日蓮に掲載されたのである。又それが時局法義研鑽委員会の鋭意研鑽の結果であっては尚更異状である。己心の法門は論理学派の対照にはなりにくいものであったのであろう。水島教学は論理学を基盤にしたもののようであったが、どうやらこれは大失敗に終ったようである。又新天台学を見付けた上で己心の法門の破敗と闘ってもらいたい。今の処はその誤りを認めて沈黙中のようである。余り長引くと敗北自認と判ぜざるを得ないことを申添えておく。しかし、少々のことでは己心の法門を切り捨てることは出来ないであろう。性根を据えて挑戦することである。そのためには己心の法門の生成の辺りを研究することから始めなければならないであろう。己心と心とは同じでないという処に御相承の根本は置かれているものと思っていたが、結局無言でそれを証明した処で結論が出たようである。御相承主自らこれを証明した処は、まずは目出たし目出たしという処である。己心と心と同じなら格別仏法と仏教の区別を立てる必要もない。御相承を立てる必要もない筈である。それがつい同じと思えたのは魔の所為であったのかもしれない。いかにも異状である。六七年かかったけれども、同じでなかったということが宗門の手で理解出来たことは何よりお目出たい限りである。これで宗祖も安心されたことであろう。己心と心と別であることが分れば、今度は己心を邪義と決めたことの撤回である。さてどのように結末が付けられるであろうか。これは少し気骨の折れることであろうが、すっきりと片付けてもらいたいものである。

 

 魂魄は己心に密着しているが、心は肉身に強いつながりを持っているように見える。そのような中で己心が肉身に密着するようなことがあるかもしれない。これは危険である。そして遂に肉身と密着するような事にでもなれば自受用報身が声高に題目を上げるような事にもなる。このような発想も、実は論理学に事が始まっているのかもしれない。未だ曾ってない奇想天外の発想である。本仏は必らず肉身を隔離した処に出現しているようである。しかし今は堂々と迹仏世界に本仏が出現するのである。そこに何者かが発想の裏に秘められているのであろう。色々なものが複雑に混在しているようである。自受用身の唱題は時の混乱によるものであるが、その背景に何かあるのであろうか。今最先端をゆく発想ではないかと思う。自受用報身如来が上げる題目とは略挙経題玄収一部の題目であろうか、これは未決ではないかと思う。文底寿量品の題目は唱題には不向きなようである。結局自受用報身が迹門の題目を声高らかに上げているということであろう。これでは他門下でも中々賛成はしてくれないであろう。そこにはどう見ても本迹迷乱が引かえているようである。文上文底というべきか文の上に本迹迷乱か。これは意外に厄介なものをもっているのではなかろうか。若し論理学に事が始まっているなら、それは内外迷乱ということにもなる。これは一段と厄介なものである。

 何れにしても時の整理を要する処である。今は論理学と仏法との混乱の中で本因本果の区別も付かなくなりつつある時、本因をいきなり本果と読めば、あとは本果の時がそのまま通用する。そのために即刻矛盾が現われるのである。仏法と仏教との混乱である。両雄並び立たず、結局仏法が被害を受けるようになっているようである。己心と心が同じという自信があるなら、即刻心に統一するなら、大半の教学は他宗他門のものはそのまま利用出来ることになる。それの方が余程好都合である。己心と心は同じと称しても、御書には心の一念三千の語はかつて使われていない。しかし心の一念三千からは本仏も本尊も顕われない。しかも今となっては本仏や本尊を捨てるわけにもいかない。結局は仏法に顕われたものを利用する外はないであろう。所詮は仏法にもあらず、仏教にもあらざる処に落ち付くのが落ちである。

 

己心も心も同じだ、心にしろということで一擧に粉砕をねらったのであったであろうが、事実はそれ程簡単ではなかった。況んやその発想が論理学であったとすれば、問題はいつまでも後を引くであろう。論理学は仏法ではなかったのである。どうやらその被害をうけたのは宗門のようである。水島山田教学は心の一念三千を根本としているようである。そこから本仏と本尊を顕出しているようである。山田説がはっきりしなかったのはその故であったのであろう。論理学から本仏を顕わし本尊を顕わしていたのであった。それで漸く事の次第を理解することが出来た。しかし論理学をもって日蓮が法門を消そうというような大それた考えは起さない方が賢明なように思う。己心を邪義と決めたことは、宗門は心の法門を正義と決めているのであろう。何とも異なことである。しかし心の一念三千とは御書には使われていない語である。二年半大日蓮では異様なものに御目にかかって来たが、これらは全て心の一念三千の上に新発想されたもの許りであったようである。自受用報身の唱題も、心の一念三千の上の発想であれば、何となし分るような気がしないでもない。新仏法ということで理解することにしてをく。正常な処では到底理解出来るようなものではない。今も伝統法義では心の一念三千を根本としているのであろうか。しかしこの法門では本仏も本尊も必らずどこからか移入しなければならないであろう。この法門には自力によってこれらのものを求めることが出来ないのが最大の難点である。己心には備えていることは御書に証明済みであるが、心では御書に証明を求めることは出来ない弱みがある。その点でも己心と同列に扱うことは出来ない。己心は魂魄によるが心にはそれがない。これは大きな相違点である。到底比較出来るようなものではない。況んや同じといえるようなものではないことは明白である。己心の一念三千法門は大石寺法門の根本になるものであるが、心の一念三千は日蓮正宗伝統法義に限っている。若し本仏や本尊を顕わす力があるなら、その理を明らかにすべきである。結論だけ表わしても信用することは出来ない。特にこのような未見今見の語については出来るだけその詳細を明らかにする必要がある。己心も心も同じだ、心にしろではあまりにも無責任である。何故同じなのか、その理を明了に示さなければならない。それが出来なければ今からでも引っ込めるべきである。開目抄や本尊抄に説かれた己心の一念三千法門が邪義であるなら、まず御書の破責から始めるのが順序である。只邪義とだけいい出して見ても、それは余りにも無責任なやり方である。何を理由に本尊抄の己心の法門を邪義と決めたのか、そこを明了にしなければならない。まずそれに代るものを提示すべきである。思い付きだけでこのようなことをいい出されては諸人の迷惑である。これこそ迷惑法門である。今急に四明教学に頼ってみても、そこでは本仏も本尊も求めることは出来ない。他宗から攻めたてられては本因をすてて本果にうつり、四明を正統と仰いだのでは、そこには本仏を求めることは出来ない。反って矛盾を突かれることになりはしないか。自宗の根本の法門を他宗の鼻息を伺っては訂正していたのでは落付くことも出来ないであろう。せめて本仏や本尊位は独自の定められたものを守り抜くべきではなかろうか。

 

 今の世間は独自のものを育ててゆく時である。独自のものによらなければ真の立ち上りは出来ないであろう。些か同調が度を過ぎているようである。調子を合せすぎて反って乱調子気味である。独自のものを捨てて他宗のものを取り入れることは屈服を意味しているようにも見える。そして宗義の一貫性を欠くようにもなる。先方のいわれるままに宗義を替えるのはどうも頂けない。本因の本尊は仏法を、本果の本尊は仏教を表わしている。仏法から仏教への転向はどのような理由によるのであろうか。純一無雑とは凡そかけ離れた方角に進みつつあるように見える。近来は常に安易な方向を求めているようである。己心も心も同じなどといわず、定められた己心の法門を守ることこそ純一無雑の道なのではなかろうか。そこに本仏もあれば本因の本尊の顕現もあり、衆生の現世成道もあろうというものである。純一無雑と純円一実と、それ程距離があるとも思われない。己心の法門の故里はそこにある。そこに一念三千法門がある。それが具足道である。本因の本尊はそこから生じている。これは開目抄も本尊抄も全く同じである。両抄は心の一念三千を指しているとはいえない。己心の法門を邪義とするのは、以っての外の愚論である。

仏法離れはやがて仏教離れとなる恐れを多分に持っているであろう。

大石寺法門はどこに行こうとしているのであろうか。まずしっかりと本因の本尊を捉えて、その浮動を止めることから始めなければならない。これこそ今の第一の肝要である。心の一念三千を極限まで絞り込んだ時に己心の法門が生じる。そこに仏法がある。そこに唯授一人の意義がある。

唯授一人は恐らくは権力の表徴ではないと思う。今、心の処に還元したのはどのような意図に依るのであろうか。

純円一実とはその絞り込んだ処を指しているのである。絞りを元に返すことは只ぼやけるのみである。

そこに何を求めようとしているのであろうか。時局法義研鑽委員会も、絞りを元に返した処でその目的を達成したものか、目下は肩の荷を下して沈黙中であるが、

今の大衆は、むしろ絞り切ることを求めているように思われる。

その点は民衆の意図とは反対に出たのではなかろうか。いずれにしても、その側面援護をしたのは新来の西洋の学問であったようで、明治の時も今度も、その影響は大きかったけれども、何れもあまりよい方角ではなかったようである。今度は特に論理学の或る発想が大きかったのかもしれない。それが沈黙を早めたのではないかと思う。これはその捉え方次第で己心の力を奪い去るようなものを持っているようである。その内、次の影響が表面に出るようなことになるかもしれない。今からその対策委員会でも組織して用意をしておくことである。目下の処は己心に限っているのであるが、やがて本仏や本尊、そして成道の処に顕著に出るようなことになるかもしれない。それ以上の予測は出来ない。明治の時にも己心の法門は影響を受けていたようである。今またその愚を繰り返しているのであるが、明治の時は本因の本尊も本仏も衆生の成道も、その名義だけでも残されていたが、その点では今回の方が遥かに大きな影響を受けたのではないかと思う。宗門はこのような事については余り関心は持たないのであろうか。己心の法門には本来西洋の学問とは相容れないものを持っているのではないかと思われる。今その影響下に置かれていることは間違いのない現実の問題であることに注目してもらいたい。

 日蓮が己心に限ると決めたものを、己心も心も同じだ、心にしろと言ってみても、それを裏付けるものは御書には何一つない。どこからそのような説が出たのか私見そのものである。根底から覆えすような説には必らず確かな文証が必要である。遥か元を尋ねる時は心から出ているといえないことはない。しかし、日蓮正宗の根源は己心に絞り切った処から始まっているのである。それを心と置きかえてみても、それは私の見解に過ぎない。文証がなければ邪偽である。これをもって人を魔といい狂ということは出来ない。真実己心も心も同じと思えるなら、お気の毒という外はない。心から出ているのは迹仏であり本果の本尊であり二乗作仏である。それを何の理由も示さずに本仏にかえ、本因の本尊とし、衆生現世成道にかえることは出来ないであろう。真実同じならその理由を明白にすべきである。若しそれが出来なければ早々に引っ込めるべきである。心から衆生の現世成道が出せないから、わざわざ己心を取り出されているのである。何故それを勝手に心と同じと決めるのであろうか。結局は己心の法門を捨てろといいたいのであろうが、これは少し度が過ぎているようである。しかし、現在の宗門の根本の法門が心から出ていることだけは理解できる。そのために本来のものとは雲泥の差が出ているのである。今は己心も心も同じでという中で、心を目指して刻々に変転を遂げつつあるのであろう。一体どこまでいったら落ち付くのであろうか。己心の法門を邪義と決めたことは、心に落ち付いたことを表わしているのであろう。心の一念三千に法門が立てられているとすれば、不可解なものも亦理解することも可能となるであろう。それが現在の日蓮正宗伝統法義である。

 

 

 

広宣流布

 

 撰時抄に、「法華経の第七に云く、我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於て断絶せしむることなかれ等」とあり、委しく説かれている。これを迹門として受けとめるなら今云われている広宣流布観は正しいが、撰時抄は開目抄によって説き出された仏法について、それを決めるために仏法の時を明すのが目的であるから、読む者がまず時を決めなければならない。それが仏法の時であり、己心の一念三千法門の時である。撰時抄も亦己心の法門を説くために、特に時に付いて説かれているのであるが、それを無視して迹門のみを取り上げることは仏法家のやり方ではない。そのために仏法の時が糢糊としてくるのである。そして結果として法華文上迹門で仏法が論じられるようにもなるのである。この経の背景をまず考えなければならない。

 六巻抄でも仏法の上に戒定恵の上に説かれていることを意識しないと文上迹門に出るであろう。現実にはそのようなものが重なって仏法は殆ど仏教として迹門に置きかえて考えられ、仏法は語として残されているのみという状態である。現実はそこまで来ているのである。そして仏法を持ち出すと珍説・魔説・狂学・邪説などという語が返ってくるのである。既に仏法がそのように批難されるような時が来ているのである。文字通り末法濁乱の世である。そして文上の語そのままに考えるのが正説・正義となっているのである。時についての濁乱である。仏法とか仏法の時とかいうことは、当方がいい出すまでは長い間宗門から完全に姿を消していたようである。その混乱のために突嗟に返事が出来なかったのであろう。仏法から時を抜き去れば迹門となるのは必至である。速刻迹仏世界に復帰することになる。そのような中で長い年月を経て来ているのである。しかし珍説等の語は何回もは使われなかったようである。目下は仏法と仏教の間の往返を繰り返して止まる処をしらないということではなかろうか。一日も早く仏法に落ちついてもらいたいものである。

 引用の法華の文を文上迹門に使うことに異論はないが、文底に法門を立てている大石寺としては仏法で読むべきである。後五百歳もこのまま解すれば在世末法を脱することは出来ないであろう。しかし今はこれを文底としているのではなかろうか。つまり文上というも文底というも時をいえば同じ文上である。そこが紛らわしい処である。時には文底により時には文上をとるのである。所詮文上では衆生の成道にはつながらないようである。不用意の中で自然とそこに収まっている。己心の法門ということは出来ない。そのために本因の本尊も明かされず、本果に成り終ったのである。つまり仏法に至ることは出来なかったのである。そのために本仏でさえその出所を確認することが出来ないのである。

 本仏とは師弟共に愚悪の凡夫である。その相寄った処にあるべきもの、本果の仏についていえば因位にあたるもの、愚悪の凡夫はそこを本因と立てるのである。そして本因の処に二箇の大事の受持によってそこに三秘が建立されている。それが確認出来るならそこに衆生の成道も完了することが出来る。それが刹那成道である。本果の仏の因位の処に成道を立てるのである。己心の法門を邪義とする今、果して本因の成道を称えることが出来るかどうか、甚だ疑わしい処である。愚悪の凡夫が本果の成道を称えることは出来ない。今はここの処はどのように立て別けられているのであろうか。

 本果の処に果して己心の本尊が出来るかどうか、これも意外な難問かもしれない。本尊抄では、ここは極力避けているように思われる。二箇の大事の受持もなく、本果の仏の領域に、天台宗の観心説をもって本因にしろ本果にしろ本尊の顕現を考えてよいのであろうか。本尊抄は本因の本尊と出ているようである。今では迹仏に依る処のようであり、本仏には全く関係のない処である。しかも極く最近まで、二三年前までは本因の本尊と伝えて来ているのである。最近本果の仏と何か話合いが出来たのであろうか。何とも不可思議なことである。その秘密は必らず公開しなければならない処である。それがなければ他宗他門は出生の疑問を消すことは出来ないであろう。宗祖が己心の法門によってのみ出されたものを、己心の法門を邪義と決め除外して何故本尊の顕現を迎えることが出来るのであろうか。このような時には時は必らずなくしては叶わぬものである。わざわざ法主直属の委員会まで発足させたのであるから、その辺は特に念入りに理を尽してもらいたいものである。何の裏付けももたず思い付きのみで本仏や本尊が出て来たのでは宗門の信用にも関わる問題である。このようなことは他から求められることを待つ必要は更にいらない処である。

 大石寺では文底に法門を立てるのであるが、その文底とはどこにあり、何を指しているのであろうか、これもまず明らかにしなければならない処である。即ち寿量文底とは己心の一念三千の法門を指し、且つ衆生の現世成道を目指しているようである。本仏も本因の本尊もそこに出生するものであり、衆生の現世成道もまたそこにあるべきものである。しかし今は己心の法門が邪義と決められたのであるが、これに代わるものは未だに明らかにされてはいない。法門に関しては空白期間ということになっている。このような空白は一日も早く埋めなければならない。

 己心の戒旦は邪義としたのが抑もの初めであったが、ここまで来てみると、己心の戒旦の方が正義であったようである。これなら雨に見舞われるようなこともなかったと思う。雨の度にテンヤワンヤでは唱題も落付かないであろう。己心の戒旦は雨風の外に超然としているのである。この戒旦は仏法の戒旦ではなかったようである。「正しい宗教と信仰」が示すように仏教とは離れることが出来ないようである。宗教という事を先に定めている処は妙である。何故仏法ということが出来ないのであろうか。ここで宗教といえば文上迹門と決まっている。時局法義研鑽委員会は仏教を根本として設けられているのであろう。日蓮は開目抄や本尊抄によれば仏法を根本とされている。これ程はっきりしているものを何故仏教即ち文上迹門をとるのであろうか、最も理解に苦しむ処である。迹門を根本として、時々仏法にもよることがあるということであろうか。或は仏法と仏教の区別が付いていないということであろうか。仏法が意識の上にないから「正しい宗教」と出たのであろうと思う。十五年にも満たないで雨公害とは大いに考え直さなければならないのではなかろうか。己心の戒旦であれば現実に公害を受ける必要はなかったのである。邪義主はどのように考えているのであろうか。若し仏法であれば己心の戒旦で十分にその意は足りている筈である。仏教臭が濃厚なために己心の戒旦をとることが出来なかったのである。己心の戒旦を邪義というような事を考えないで、一日も早く己心の戒旦に寄ってもらいたいものである。そして速やかに仏法に安心の処を見出だしてもらいたいと思う。教学部にも共々に反省を促したいと思う。宗祖の定めたものを邪義と決めて見ても所詮は無駄な抵抗という外はない。己心を邪義と決めた中には本仏も本尊も含んでいることを忘れないようにしてもらいたい。

 唱える題目は假に文底と定められていても、その道中では既に文上であり迹門と顕われる、そして仏教と出ているのである。そのような中で極端に題目の数のみが要求される。その姿は既に本果の領域にある。それは略挙経題玄収一部の題目であって、迹門を意味しているように見える。それは宗教の世界である。「正しい宗教と信仰」は詐りなく仏教に居ることを如実に表明している。日蓮が仏法とは仏法を指しているのである。その表示が一言摂尽という貌で表明される。即ち一言摂尽の題目とは仏法の表示である。それを無視して数のみを数えるのは仏法家の領域ではない。今はそれ程仏教化しているのである。仏法家は仏法をとることに意義があるのである。しかし乍ら現状は数のみを頼る仏教方式も行き詰っているようである。打開は定められた仏法による以外、立ち上りの方法はないであろう。それでも仏法に帰れないのは仏教の魅力による処であろう。

 仏法を称えるためには仏法家独自の広宣流布の定義付けが必要である。

それを迹門そのままにとっては、結果が迹門と出るのは当然である。そのために題目も好んで迹門をとるのである。迹門一色である。そのために文上と文底、仏教と仏法の混乱が複雑になっているのである。今のように仏教をとるのであれば、教学も他宗を遥かに凌いでおかなければならない。学がいらないと反り返っていては後にひっくり返るだけである。何れの宗からの疑問にも即刻理を尽して応答しなければならない。それが出来て初めて学はいらないといえるものである。今は学がいらないということを世俗の中で捉えようとして失敗したのであろう。仏法と仏教と世俗の三の中で、仏法で説かれたものが世俗の処で受けとめられている。そのために逆も逆真反対に出たのであるが、今はその逆こそ正義と定めている。これが伝統法義の根本におかれているようである。これを逆と気付いた時こそ日蓮正宗伝統法義の救われる日である。

今は一宗の中で仏法と仏教の二つの広布が対立して矛盾を起こしているのである。仏法の広布の姿は不開門に示されている通りで、それはそのまま丑寅勤行として長い間事に行じられているのであって、それは一々にその理を知る必要なないようになっているのである。事行の法門として既に完了済みであり、元より他に向って云々する必要のないものである。これは仏法の領域である。今はそれが消え失せて専ら理の処に事行の法門が現われているのである。しかもそれに気付いていない奇妙さである。

しかし、今の大石寺法門即ち教学の実力をもってしては、とても他宗他門に対抗出来るようなものでないことはいうまでもないことである。

文上の広布は信者をあおり立てるためには好都合なもののようであるが、大石寺では仏法として一旦己心に収められているのであるが。今は専ら表でのみ考えられているのである。そこでおかしいといえば、あいつは広宣流布に反対していると出るのである。仏法を称えるなら広布もまた仏法で考えるべきであるというのがこちらの云い分である。経文を時を外して切り文的に使うことは警戒しなければならない処である。切り文が誤りであることは阿部さんも充分承知のことと思う。知った事は即刻実行してもらいたい。知って早速当方の批難に向けるのはあまり賢明な方法ではない。開目抄や本尊抄が仏法を説いている処は動かせない処であるが、これを仏教と読めば、中の引用文はそのまま仏教として使われる。そのような中で広布も仏教の上に使われるようになったのであろう。

 文底秘沈抄でも、三秘をどこで読むかによって仏法とも仏教とも表われるのである。そして現在は仏教で読んだ結果が表に出て矛盾を起そうとしているかに見える。取要抄の意をもって読めば仏法と出るが、三大秘法抄では仏教と出るようである。しかも今は三大秘法抄から読まれているために三秘各別となり、戒定恵が失われているのである。それが戒旦建立説となり、正本堂が建設されたのである。三大秘法抄によれば、どうしても戒旦を建立しなければならないようになっているのである。三大秘法抄に仏法と戒定恵を欠いているために、それによって建立された正本堂即ち戒旦にはそれらのものを欠いているのではないかと思われる。そして仏法とは関係のない戒が本となり、仏法による己心の戒旦が反って邪義となることになったのである。

つまり開目抄や本尊抄によらなかったのであろう。その眼をもってすれば仏法を消し、己心の法門を邪義とすることは一言のもとに決まることである。

 そして最近知ったことは、仏法にあるべき主師親の三徳や戒定恵が仏法も仏教も離れて世俗の上に語られていることである。主師親等が社会道徳の処で解釈されていることである。これはますます仏法離れを助ける役割を果しているであろう。そのようなことは魂魄の上では語られないもの、どうしても生々しい煩悩世界が必要である。これを通して仏教とつながっていくようにも思われる。そこに平和を考えているのかもしれない。

 仏教と社会道徳とつなげられると、つい新しい仏教という感じが浮んでくるのかもしれない。平和は闘争に明けくれる現実世界が必要であるが、仏法は己心の法門として煩悩や現実世界に関しては始めから除外しているのである。人でも動物でも自分以外の者が居れば争いが起るかもしれない。平和は唱える処に意義がある。平和を唱えること自体争いの始ではなかろうか。仏法はこれを唱える必要のない理想世界に本拠をおいているのである。

それが霊山浄土である。仏法は即時にそのような世界を現世に顕現しようというのである。それが己心の法門である。

狭い地球に五十億の人間がひしめき合って争いがなければ奇蹟である。

人間が生きながら、しかも平和を求めることは現実世界にはあり得ないことであると思う。そのような処に宗教が必要になってくるのであるが、ここまでくれば宗教では救い切れなくなったのではなかろうか。次は仏法なのかもしれない。天の理に背かぬように、しかも自分が自分を救うということであろう。人を救っていると必要以上に発展することがある。そこには救いは失われる。人と人との関係を信の一字に収め、それを己心に観ずる時、己心の法門は開けてゆくようである。

 今度宗門が発した第一声は不信の輩という語であった。異様な権威を示そうとしているのである。仏法七百年を誇る大石寺の第一声が不信とは恐ろしいことである。世間は不信の輩のみの集団している処である。そこに遥か彼方の虚空から不信の輩とやって、早々に傘下に馳せ参じるようなものは一人もいないのである。これは仏法を唱えながら一宗を建立して仏教に掩われたためであろう。そのために肝心の仏法の真実が失われたのである。そこで日蓮は一宗の元祖でないと心に決められているのであるが、その末弟は元祖と決め込んだのであった。同時に仏法を唱えるべきものが仏教を唱えるようになった。そこで左右が交替し本因が本果と交替せざるを得なくなった。そこに言葉にならない矛盾が伏在しているのである。現在は仏法の時とは全く関係のない仏教の時の上に運営されている。そのために広宣流布も仏教の上にのみ考えられているのである。

 滅後であるべきものが在世の処で運営されている。そこに在滅の混乱がある、在世では迹門をそのままに、滅後では魂魄の上に受けとめられている違いがある。今は応仏を教主と仰ぎ、文上迹門に法門を立てていて仏法などは始めから考えられていないのである。そして迹門に在りながら文底を唱える矛盾に出喰わすのである。他宗には特に目に障る処である。魂魄を除外したために自然と本果に依る結果を招いたのである。それらが重なった己心の法門をも邪義と決めざるを得なくなったのである。一を誤れば次ぎ次ぎに誤を引き起すものである。そして本仏や本因の本尊を求め出す術さえ失ったのである。そして本仏と本尊とが別扱いされるようになっているように思われる。大日蓮に発表された処によると既に分離されているようである。そのくせ御本仏日蓮大聖人の仏法などと称えてはいるが、現実には一語一語については証明することも困難になっているのではないかと思う。これらは総て仏法によって出生しているためである。仏教をもってしては証明不可能な語である。時の混乱による処である。仏法という一語でさえも仏法によらなければ証明出来ないのである。

 仏法は報仏の領域であるが、今は応仏を教主と仰いでいるために報仏の出番がない。日蓮正宗要義はそのような中におかれているのである。そのために久遠元初は応仏領域のようでもあり、報仏領域のようでもあるが、時を決めなければ応報二仏は同時に出現することは出来ない。しかも大勢を支配しているのは応仏のようである。そのような中で強引に報仏を証明しようとして考えられたのが三世常住の肉身本仏論であるが、これでは本仏の久遠の長寿は証明されていない。現世一世の証明のみである。また自受用報身も時を外れて現世に出ようとすると声高らかに唱題行を表明するようになるが、これも肉身本仏論の一環である。頂きにくいもの計りである。仏教にいるために自受用報身が正常に作動することが出来ないのである。何れも応仏に無縁のものである。これは正宗要義が根本として応仏を教主と仰いでいるからである。一代応仏の域を引かえたる方は理の上の法相と決まっているが、今はここに事行を見ようとしているのである。

 仏は本果にあり、衆生は本因に成道を見る。しかもこれは二ケの大事の受持と刹那成道に限っているが、今は本果の仏の処に成道を見ようとしているのである。本因修行とは二ケの大事の受持の行と事を事に行ずることとの二つの修行である。本果は仏に限り、衆生は空いている本因に修行を見、成道を見ようとしているのである。今は何となし本果に修行を見ようとしているが、これでは仏の領域を侵すようになる。衆生には本果の修行はあってはならない処であると思う。仏法では厳重に区別せられているようであるが、今は本因の行者とか、本因修行というようなことは余り耳にすることはない。それだけ教義そのものが変って来たのである。本果の成道は、衆生に若しありとすれば死後の成道に限られるのであろう。衆生が現世成道出来るのは、仏法にあって本因修行をすることに限られているようであるが、仏教にあっては本因はないようである。しかし現世の本果の成道は許されていない。題目をいくら上げてみても現世成道の道は閉ぢられている。衆生には死後の成道以外には道は開かれていない。始めから現世成道の特権は抛棄しているようである。死後に成道を遂げるのであれば二ケの大事の受持の必要はない。天台・伝教に慈悲は劣らないというのは、衆生の現世成道に付いての自信の程を示されたものであろうが、今の宗門はこれ程自信満々の慈悲さえ辞退して、しかも御本仏の慈悲と称しているが、どのようなものを指しているのであろうか。ここは御本人の自信のあるものを受けるのが順序なのではなかろうか。本果の世界には衆生の現世成道はないことになっているようである。折角の御慈悲は頂いた方がよいのではなかろうか。生き乍ら成道する必要がないから特権を抛棄したのであろうか。

 仏教を守るために最も邪魔になるのは己心の法門であり、これについては長い間他門から攻め立てられて来たが、ここまで来て遂に邪義と決め、己心の戒旦も邪義と決めてしまった。これでは開目抄や本尊抄を読んでみても無意味である。己心の法門も守り切れず遂に落城と相成ったのである。そして三大秘法抄による戒旦を建立したが、これも天雨の災いする処となった。己心の戒旦であればこのような患いはなかったのである。この天雨は等雨法雨ではなかったようである。己心の法門は邪義といいながら、丑寅勤行は行われてをり、客殿の座配も左尊右卑のまま隠居法門を表わしてをり、邪義と決めてみても、今も正義の時代と同じ勤行が行われている。これでは丑寅勤行や隠居法門が邪義といわれないのが不思議である。この二は何故己心の法門から外すのであろうか。これでは本仏も戒旦の本尊も仏法も何れも邪義、開目抄や本尊抄等の十大部等の御書もみんな邪義である。山内悉く邪義ということになる。そして三世常住の肉身本仏論や報身如来の唱題行のみは正義ということになる。正本堂も正義である。正本堂では上行菩薩も出現しにくいように思われるが出現しているのであろうか。上行も不軽も共に邪義に入っているのであろうか。これでは今の日蓮正宗は自ら邪義と決めたもののみによって組成されていることになる。正宗要義も可成りな部分は邪義によって出来ている。因果倶時は本果を受持することによって、衆生本来の本因と合体し一箇した時にいわれる語のようであるが、受持もなくなり本因修行も消えては、因果倶時は成り立ちにくくなるであろう。在世末法による今は当然因果別時である。山法山規も己心の法門と全同のようであるが、これは邪義ともいいかねて忘れて分らないことに決められたようである。

 魂魄佐渡に至るとは仏法建立の宣言であるが、一宗建立の宣言は真蹟には見当らない。また本時の娑婆世界は現実の娑婆世界と解され、そのまま迹門につなげ、魂魄世界とは考えられていないようである。そして魂魄に現われるべきものは総て迹門に置きかえられている。今それらの矛盾が急激に頭をもたげようとしているのである。熱原の愚痴の者共が三烈士となり、頸が飛んでしまった処で戒旦の本尊と連絡付けられたのは明治の頃であったが、結果はあまり好くなかった。処刑日も次々に変えられていった。結局本因の本尊を本果と証明するようになった。もともと魂魄の上に考えるべきものを肉身の上に考えたのがそもそも間違いの発端であった。本果と決めてこれで落ちつくであろうか。結局本因に収まらなければ真実落ち付いたとは言えないであろう。まだまだ時間がかかりそうである。あまりにも周辺に紛動され過ぎているようである。大石寺法門は魂魄の上に成り立ってをり、伝統法義では魂魄の外に法を立てているのである。そこで同じものが両様に解されるのである。そして矛盾は一日一日拡がりつつあるようである。

 戒旦の本尊が右尊左卑ときまれば座配や立居振舞もすべて切りかえなければ、奉仕の意味は成り立たないであろう。従来左右ははっきりしていなかったのであろう。本果と決まればそれにふさわしい方法によるべきである。これは山法山規の中では重要な部分を占めているものと思う。これを正すことによって始めて己心の法門を事行に示すことが出来るのである。これが明らかでなければ、本時の娑婆世界や本尊の為体を事行に示すことは出来ないであろう。左尊右卑は仏法入門第一歩である。若しこれが決まらなければ早速時の混乱を招くであろう。文上文底の区別を立てるためにも是非やらなければならない処である。これはいうまでもなく仏法と仏教の混乱である。六巻抄では特にここの処は明確にされているのである。しかし、遺憾ながらここの処は一向に理解されていないように見える。

そして今は仏教に根を下していることさえ気が付いていないようである。山法山規では特に重要な意味を持っているように見える。客殿の丑寅勤行では欠くことの出来ない大きな意味を持っているようであるが、山法山規は元よりのこと、

 時も次第に忘れられつつあるようである。

それ程仏教に根を下したということであろう。

六巻抄以後、僅か六七十年前後で殆んど忘れられてしまったのであろう。仏教では時は必要のないものである、仏教専用の時では各宗共通のもので間に合うので独自のものの必要がないからである。山法山規は仏法を立てるためには不可欠のものである。若し分らなければ文上迹門に落ち付くことになるであろう。現状は最も手近かな見本である。

一度迹門に堕ちこむと、再びそこから抜け出ることは困難である。

寿量文底の世界も遠い昔話になってしまったように思われる。大石寺に寿量文底の蘇るのはいつの日であろうか。そして文上迹門を死守するために悪口雑言を吐いている間に、己心の法門を邪義と決め、狂学と決め、珍説・魔説・増上慢などとあらゆる悪たれをついたが、それらは総て日蓮が己心の法門に集中する悪口であった。このような語は文底法門を抹消するための悪言であった。それは文上迹門を守り、他門の傘下に割り込むために外ならない。そこで日蓮から冷水を頭のてっぺんから浴びせられたのである。

 己心の法門も大地の底の本所に立ち返ったのである。本の寂光の都に還ったのである。本仏も寂光の都で当分静養ということであろう。文上迹門を守ることに夢中になっている間についこのような結果を招いたのである。今度は他門から矛盾点を衝かれるかもしれない。すべて自業自得果である。次第に矛盾が山積みして来るであろう

 山法山規を分らないとして抹消しようとしても、事行の法門となり切っていることには気が付かなかったのであろうか。既に邪義と決めた己心の法門全体が山法山規という感じである。

その故に邪義として抛棄したために山法山規が分らなくなった。そこで捨て置くことも出来ず冷水を浴びせられたということであろう。これは昭和の諌暁八幡抄である。その根本をいえば戒定恵ではないかと思われる。第二の諌暁八幡抄である。それを事行に示されたのである。上行菩薩が大地の底の寂光の都に帰れば文上迹門の世である。上行が寂光の都に還帰すれば本仏もしばらく休業ということである。いよいよ迹仏世界を迎えたのである。この時本尊が本果と現われるのは当然である。事の始まりは己心の法門を邪義と決めた処から始まっているのである。源はいよいよ遠い処にあるようである。己心の法門を邪義とすることが、いつまで続けられるであろうか。しかし、この語の中に末法否定の意が含まれていることは明らかである滅後末法を否定したものが、つい在世の末法をも否定するような結果を招いたのであろう。そのような処には久遠の長寿もまたあり得ないであろう。その用意として久遠元初は予め久遠実成の処に収められていたのであろう。どうやら本仏の寿命と迹仏の寿命の交替は終ったようである。寿命において因が隠居して果と交替しての隠居法門である。本尊抄の本尊の為体は果から因に向うための隠居法門であったが、今度は因が隠居して果が表に出るための隠居法門であり、全くアベコベである仏法であるべきものが仏教と変ったために、このような隠居法門となったものと思われる。全体がそのような変革の中で進められているものと思われる。或る面からいえば、台當両家の区別違目がはっきりしていないためにこのような結果が出たものと思われる。仏法を仏教と解したための結果そのように顕われたので、自ら替えたわけでもないし、そこにはあまり罪悪感も起らないのであろう。そのような中でどんどん左が右に切り変えられているようである。今はそのような激変の中に置かれているのが現実のようである。そして自らの誤り狂いをそっくりそのまま川澄が誤っている狂っているとして天下太平を唱えているように見える。そのときは己心の法門の極少部分が利用されているようである。そのために自は必らず完全無欠と出るのである。そして自の誤りを総て押し付けて理解出来ない処をもって増上慢と出ているようである。自分の理解出来ない事をいう者は総て増上慢の中へ入れるのである。多方面で既に逆転は始まっているようである

己心の法門が邪義ということと、山法山規が分らないということと、殆ど同じ次元にあるようである。山法山規が分れば行く手も定まるであろうし、広宣流布も文上によるべきか文底に依るべきか自ら定まることであろう。つまりは時に依る処である。仏法を称えながら時がないのは、船に羅針盤がないのと何等変りはない。結局は暴走にゆく以外に名案はないということになる。仏法を立てるためには必らず時を定めなければならない。仏法は時に依るべしということを改めてかみしめてもらいたい。そうでなければ暴走を止めることは出来ないであろう。仏法を称えながら広宣流布や折伏を文上迹門に表わそうとすることは暴走というべきであろう。独善もまた暴走の一分である。正信会の折伏に反対しているのもその故である。まず仏法の時を決めることから始めなければならない。即ち自らの姿勢を正すことから始めなければならない。山法山規を失った広宣流布程危険なものはない。

 仏法の時が失われるなら中古天台と区別は付きにくいかもしれない。それを失えば中古天台の阿流といわれても返す言葉はないであろう。今の天台宗に仏法の時がないのは当然である。双方共時のない処で見ているのである。違い目といえば時のみである。その時は目で確かめることは出来ない。結局事行に示す以外に好い方法はないのかもしれない。その方法である山法山規が分らないでは説明することも出来ないであろう。水島の鋭眼をもってしても遂に仏法の時を見ることは出来なかったのである。それ程見ることは至難の業である。

 どこかに「因果倶時不思議の一法これあり」という語があったように思うが、思議すべからざる一法こそ仏法なのではなかろうか。本因の中には後に本果として仏果を成ずるものをもっているという意味で本因を御宝蔵、本果については御影堂というように区別されているようであるが、御影堂に御宝蔵の意義を含んでいるかというと、それ程明らさまにはされていない。これは仏法にあって、本因の立場にあって始めて因果倶時といえるのではなかろうか。本因の行者日蓮の語は衆生の現世成道という限られた処で本果の成道を持っている。そのために予め久遠実成と二乗作仏が用意されているようで、本因の行者には必らず本果の成道が待っているというものではないように思う。大石寺法門としては最も重要な部分であるが、明治以後他門の攻撃に堪えかねて現在は切り捨てられたようである。本因の語は極力斥っているようである。これらは山法山規にも入っているのであろうし、又事行の法門にも繰り込まれているのであろうが、他門に不都合な部分は常に切り捨てさせられているのではないかと思う。そして結局は迹門に移っていったようである。そして日蓮正宗伝統法義が成り立っているのである。

 それは己心の法門の受難史でもある。そして先方の都合の悪い処はどんどん改めさせられたようである。今は己心の法門が邪義と公言出来る処まできているのである。学は要らないと言って来た蓄積の成果なのかもしれない。そして本尊も因果倶時でもなければ不思議の一法でもない、只ありふれた本果の本尊となり終ったようである。若し同じ語が他で使われていても相手方の時を究めずして攻め立てることは無謀である。同じく一念三千であっても天台との違い目は本尊抄に明されている通りである。仏教として見るか仏法としてみるか、そこに根本的な相違がある。

山法山規や隠居法門などという語は仏法に居ることを示している。不思議の一法などとは魂魄の上に考えられた己心の法門を指しているであろう。それを細かく規定するためには山法山規も必要であるが、山法山規が不明では基準が立てられない。不思議の一法がどこで説かれているかによって内容も大いに変ってくるであろう。しかし今ははっきりした仏法の時がなくなり無差別になりつつあるためにプラスにはならないかも知れないが、事実は既に他宗との劃一化が進んでいるようである。これは現在の不思議な一法である。

 古い処を見ると、台当異目の場合、衆生の成道に関わるものが多いように思われる。四明流では衆生成道は始めから除外されているように思う。従義流も一応は衆生成道をとっているけれども、最後は迹門であるために抛棄せざるを得ないようである。理においては衆生の現世成道はあっても結局は理に終るようである。事に成道があるとはいえないのが実状である。その点は、大石寺は事行の上にこれを具現するようになっている違い目がある。法門的には他に異るものを持っているのである。従義流では衆生成道は後になる程薄れてゆくようである。そのような中で上行の役割りは大きいであろう。その上行を魂魄の上で受けとめているのは大石寺であるが、一般には法華経の文の上の迹門をそのまま受けとめているように見える。上行が大地の上で受けとめられている。そのあたりで衆生と離れ現世成道の時後退するように思われる。大地の上に出ては上行活躍の場は失われるようである。功徳は根に止まっていない。それが上行活躍の場を抑えるのであろう。不軽の行を現世で行ってもそれは本因修行とはいえない。始めから時が違っている。法華経でも一世代前の不軽が出ているようである。そこに魂魄の必要があるのではなかろうか。しかし若し使うのであれば御書の制約を厳重に守らなければならない。日蓮紹継不軽跡には多分に魂魄が働いているのではないかと思われる処がある。これによって事の法門ということも出来るのが現状では理の法門と別段に変りは見当らない。天台理の法門と区別があるようにも思えない。前に衆生成道が消されたために、そのような感じを与えているのであろうか。これでは事を事に行ずるとか、事行の法門などという語も使うことにも憚りがあるであろう。次々に独自の語は消えてゆくようである。迹門に変った最後の決定付けをしている時期である。これが完了すれば再び寿量文底に帰ることは出来ないかもしれない。今急速に進行しつつあるようである。しかしこのようなことは殆ど自殺行為に等しいものではなかろうか。大石寺では昔から衆生の現世成道が大きく扱われてきたが、今は衆生成道をめぐって、昔、他宗門との間に起きていたものが、自宗の内で起っている。そのような中で案外他宗のこととして簡単に片付けられるようなことがあるかもしれない。今は次第にこれを裏付けるものは消されているようである。

 滅後700年、いよいよ衆生の成道について考え直す時が来ているようである。これが次の世の立ち上りに役立つようなことになるかもしれない。衆生の現世成道を捉えることは日蓮が法門即ち仏法の原点に立ち返ることである。今は仏教により文上迹門によったために最大の問題である衆生の現世成道が消えていったのである。そして爾前迹門と同じ死後の成道に変ったのである。今は衆生の現世成道をとるかとらないか最後の時期ではないかと思われる。己心の法門を邪義と決めては衆生の現世成道があるわけはない。衆生成道を完全抛棄したことを意味しているのである。そして結果として上代の法門とは逆も逆真反対に出ているのである。今宗門は新義建立に向って勇ましく邁進しているようである。即ち己心の法門にあらざる全くの新義建立である。恐らく文上迹門に建立されるのであろう。衆生成道をもたない、己心の法門でもない、仏法に依っているわけでもない、新義とは何を根本の旗印にするつもりであろうか。爾前迹門と同じ成道を遂げることは謗法にあたる恐れはないか。謗法としてむしろ警戒の第一条におかなければならないものではなかろうか。

 継命161号に立正安国論の精神という論文が載っているが、これによれば謗法厳誡にそむくことになる。しかし安国論には仏法や本因の本尊や衆生の成道の気配は見えない。この謗法厳誠が開目抄になると己心の一念三千も現われ主師親や三学も、また以上の三も、次第に表面に出る気配が濃厚になってくる。ここで謗法が大きく発展して一念三千となり衆生の現世成道と発展する。それを説き出すために安国論の謗法厳誡があるので、衆生成道については未だにその気配さえ伺うことは出来ない。全抄が開目抄や本尊抄などの序論になっている感じである。立正安国論は開目抄や本尊抄から逆次に読んで始めてその結論に至ることが出来るのではないかと思う。本仏や本尊や衆生の成道が己心の一念三千の上に現われて、始めてその結論といえるのではなかろうか。しかし、これは見る者の見方次第である。

逆次に読んだ時初めて安国論精神が明らかになるのではなかろうか。

 こちらで明治教学と称しているものと、宗門側の日蓮正宗伝統法義とは大体同じものである。目の前を変えるために呼称を替えたまでである。しかし一両年の間には急に変ってきているのではないかと思う。現実には日蓮正宗要義とは大分違っているであろう。改版正宗要義が必要になっているのではなかろうか。本来は法は無尽蔵である。これを御宝蔵ということで表わし、本因をとっている。今は無尽蔵とはいえない。汲めばすぐ尽きる処は空谷の石原である。山田が空谷の井は一度汲みあげてからは水は湧いてこないようである。伝統法義も底が見えたのであろう。師弟子の法門には汲めども尽きぬようなものをもっているようである。本因の本尊といい客殿の奥深くまします本尊とはそのようなものを表わしているのであるが、今は本果の本尊をもって表わしたために底が浅くなったのである。師弟の魂魄の上に出現する本尊は無尽蔵の意をもっている。これが実は因果倶時不思議の一法なのであろう。この法が映るのが明星池である。池に映じたものは本因の本尊であり、墨を流した処は本果の本尊である。今は本果の本尊のみとなったので、この本尊から書写が行われているのであろう

その辺に元に比べると多少の相違が出ているようである。

 

 

 

法流布

 

 いいかえれば思想である。思想には国境はないが、教流布ともなれば色々と困難を伴うであろう。宗教の立場に立って教義が先行するからである。経そのままに世界中一人残らず正宗の信者ということが目標になれば色々と面倒な問題も起きるであろう。カントにしても使う場合に一々カント家の許可もいらなければ使ったから使用料も御供養もいらないが、宗教ということになればそうもいかない。

 日蓮の己心の法門も一閻浮提総与であるから、総て無料ということである。むしろそれに反して御供養料を請求する方がおかしい。これこそ特別許可が必要である。戒旦の本尊も無料という表示であるにも拘らず色々な形で御供養が要求されているようである。今は専ら御供養になることのみに力を入れているようである。これでは、余は一宗の元祖でもなければ、何れの宗の末葉でもないといわれた趣意に背くものである。宜しく一閻浮提総与の精神を尊重すべきであると思う。本尊抄の末文や戒旦の本尊は無料授与を表明されているのに、授与が現実となれば特別高額の授与料が要求されるようになるのは何故であろうか。これは本尊抄の趣意に背いているのではないかと思う。己心の法門では本尊授与は無料が建前となっている。そこで心の法門に切り替えようとしているのであろうか。とも角宗教として仏教としては心の法門の方がすっきりするようである。今となって無料授与は堪えがたいことと思う。しかし、己心の法門であれば自分で確認するなら無料で事足りることと思う。その理由は本尊抄に明らかにされている通りである。無料であるべきものが何故特別高額になるのか、これは仏法では到底説明出来るものではない。そのような中で自然と心の法門に転じてゆくのであろうか。これは何としても仏教の弱みである。逆も逆、真反対ということは、ここでも具現されている。

今無料を主張すれば反ってそれを逆も逆というであろう。

しかもこれが正義と立てられるのである。差し当って乃至所顕とでも解すべきものであろうか。このような事が考えられるのは不信の輩の特権である。

 無料授与ということは生れながらにして本来持っている、具備しているということである。要はそれを確認し、的確にこれを磨くこと卞和の璞玉のごとくであれということである。そこに修行が必要なのである。その前提になるのが受持である。この趣旨は六巻抄では三衣抄で説かれている処である。三衣を身に付けていることは卞和の璞玉のごとくである。磨けば三秘もあれば成道も求得出来るということのようである。これが自力の成道である。即ち本因の成道とはこのような処を指しているのであろうが、今は仏教に転向したために自力は次第に他力と現れているようである。時の移り変りである。仏法から仏教へと時が変ったのである。これから見ても仏法にあれば自然と自力に収まるのであろう。自力の状態を守り続けるということはいかにも困難ということのようである。

 大石寺が明治以来、特にカントから受けた恩恵は実に計りしれないものがあるが今に受け得であって只の一度もカント家に御供養を献じた話は聞かない。毎年一兆円ずつでも墓前に捧げてもよいのではないかと思うが一向に受けっぱなしであるし、御先方でもそのような要求はしない。実に大らかである。日蓮の考えも思想としてこのような大らかさがあってもよいと思う。それは世間様への御恩報じである。白烏の恩を黒烏に報じることにならないであろうか。受けた恩はどこかへ報恩をした方がよいと思う。報恩抄という御書もある。受けっぱなしでは報恩には当らないであろうと思う。それどころか今は手前味噌の処でのみ使われているようである。ここらで一度報恩の念を起こし思想として世間様への報恩に供してはどうであろう。今の世上では宗教として報恩することは非常に困難が多いのではなかろうか。その点では本来の仏法での報恩は出来易いのではないかと思う。宗教では取り込みのみに追われる恐れが多い。仏法の上の広布をもって報恩することも、今のような世上では大いに意義があるのではなかろうか。日蓮が仏法は本来そのように出来ているのではなかろうか。宗教としては大きな限界が来ているのではないかと思う。

 文上迹門の広宣流布も、ここ数年を省みて前進があったようにも思えない。折角護法局という大規模な構想は練られたけれども一向に活動した話は耳に入らない。格別活動していないから情報は入らないのではなかろうか。このような時は寿量文底の法流布に限るであろう。山田水島両御尊師も黙り込むことなく、大いにその英才ぶりを発揮してもらいたいと思う。それも又世間様への報恩の一分であると思う。まだ吾々と違って、だんまりを極め込んで老け込む程でもないと思う。大いに論陣を張ってもらいたい計りである。カントは思想であるために殆ど法流布は終っているようにも思われる。その恩恵に感謝する必要のない程の広宣流布は終っているのである。このような広宣流布はカントによって具現されているのである。大いに参考にすべきではないかと思う。ここには、大石寺の広宣流布をば遥かに凌ぐ数字をもっているようである。只それを口に出していわないだけのことである。思想の立場からの広宣流布は充分に達成しているのである。仏法の広宣流布も殆どこれと変らないのではないかと思う。仏教の広宣流布とは自ら別である。

 大石寺が従来唱えて来たのは文底の広布であり、仏法の広布なのである。日蓮は仏教の広布を仏法の広布と受けとめていたのではなかろうか。その点今の広布はあまりにも経に忠実すぎるようである。仏法の広布であれば、その可能性は十分あり得ると思う。そこは読み方の問題である。経の文そのままで広宣流布の可能性のないことは、当時既に読みとった上で仏法の上に実現を計られていたのかもしれない。撰時抄に、法華経の第七に云わく、我が滅度の後、後の五百歳に中に広宣流布して等の文を引かれていることは滅後末法の広宣流布の時を示されている。引用は経文であるけれども、目指す処は己心の法門の世界であり、六巻抄も同様である。これが大白法流布の時であり、広布の時としてこれを指摘されているのである。これをわざわざ経に返して読むのは、時を無視するも甚だしいものである。六巻抄も前後の関係から滅後末法の時と読まなければならないものである。法門が迹門を一歩も出ていないために、広布が自ら経に固着してしまったもので、時の混乱による処であるが、上代は不開門が示すように滅後末法の広布を示しているのであるが、今は時の混乱のために文上の広布を目指しているのであり、読みの浅さがこのような読みをさせたのであろう。

 文上に広布を限定することは、大石寺には曾つて例のない処であり、これは近代の解釈による処である。現在の世界中の人等とは仏法では全く考えられない処である。阿部さんが経の上にのみ執着する処は文上迹門を一歩も離れていない処であり、これをもって日蓮が法門と決めることは時の混乱という外、解しようもない処である。近代は広布といえば文上に限られている。護法局もそこに建立されているようである。即ち文上の広布を目指して建立されているのである。そのため活動を起すことができないのであろう。も少し撰時抄を深くよまなければ、時を捉えることは出来ないと思う。その意図する処を理解することなく、その引用文のみを取り上げ、その時をわざわざ外すことは、毛頭もその必要はないと思う。これ程の重要な時を外して読むことは、いかにも深い意図の程が隠されているようで興味深いものがある。この撰時抄はすべて仏法の時を説かれているものであり、引用の文は何れも己心の時、即ち滅後末法を明めるためのものである。これをそれぞれ固有の時に帰して読むことは、いかにも無駄な努力といわなければならない。増上慢という前に繰り返し読んでもらいたいものである。これ程懇切丁寧に仏法の時を説かれたものは他にはない。これをよくよめば文上文底を誤ることも、仏法と仏教を混乱することもなければ、己心の法門を邪義とすることもない筈である。己心を心と同じとよむのも所詮は時の混乱による誤りである。皆さんも寄ったときには「仏法は時に依るべし」と唱和してはどうであろう。時の混乱の中で攻撃しても、一向に威力にはつながらないであろう。今度の一連のものも己心と心の時の違い目が理解されていない処から始まっているのである。そのために山田や水島が気勢をあげた割に威力にもつながらず、結局はジリ貧に終ったのである。黙然の間、大いに撰時抄によって時を学してもらいたい。

 いくら天台学に励んでみても、時がなければ無駄な努力である。己心も心も同じと思えた時に勝負は決まっていたのである。今は仏法の語は使っていても、仏法と仏教の区別は失われていて殆どのものが仏教によって解釈され、仏法を称えながら実には仏教の中に根を下しているが、己心も心も同じという考えの中には、多分に西洋流な考えが働いているようである。若しこれが地に着けば、大石寺法門は更に大きく展開することであろう。そのような中にあって仏法を求めることは不可能になってくることであろう。己心を邪義と決めたこともこの西洋流な学問と無関係とはいえないであろう。あまり深入りすると次々にこの手を食うことは必至である。随分気を付けることである。

 本尊抄の副状に、「設い他見に及ぶとも三人四人座を並べてこれを読むこと勿れ」というのも一人の己心に付いて書いている、大勢のための信仰の対照として書いたものではないという意味かもしれない。本文から見ても一人の己心に付いて書かれていることは間違いのない処である。本文が魂魄の上に書かれているのであれば、この副状も亦魂魄の上に読まなければならない。しかし、今は本文も信仰の対照として、しかも迹門の上に説かれているという解釈のようであるから、どうしても宗教色が濃厚になってくるようである。しかし、一人の己心の上について論じられているものとすれば、信仰の対照として受けとめるよりは、理想として受けとめた方が遥かに勝っているようである。信仰の対照として受けとめるにしても、傍として極少部分でよいのではないかと思う。正としては飽くまで思想として受けとめるべきものと思う。これにつながるのが法流布である。

 しかし、宗教ともなれば教流布が先に立つようになる。教流布では一人でも多くの信者を必要とするためにどうしても無理が出来る。これは最も警戒しなければならない処である。今アメリカの国会図書館やニュ−ヨ−クの公立図書館が買い上げてくれるのは法流布の一分である。それをどのように受けとめるか、どのように利用するかということは先方の御自由である。しかし、これが若し宗教であれば色々な条件が付くかもしれない。それは宗教によるためである。その点は思想には全くその必要はない。こちらからいえば一閻浮提総与である。

 己心の法門には思想と全く等しい大らかさを持っている。その己心の法門が一旦誤って宗教と解される時は異様にガリガリしたものになり、独善になる。法華経で説かれたものを己心に受けとめるなら文底であるが、誤って文上迹門と受けとめるなら、文底のつもりで文上の広布を取り上げるようになり、思わぬ混乱に陥ることにもなる。今の護法局は文上に建立されてをり、その矛盾が前進をはばんでいるように見える。そして法流布をとらなければならない広宣流布が文上に出るのである。今その矛盾に悩まされているように見える。既に文上文底の混乱が起っているのである。

 大石寺で唯授一人と使えば己心の一念三千の上に受けとめるべきで、本尊抄末文の「頸に懸けさせ給うた一念三千」は唯授一人であり、一つのものを共同で授与されたものではない。これが文上に出ると法主一人に限るということにもなる。受けとめる時の用意によって現われるものが色々と変化してくるのである。唯授一人とは己心の本尊の働きに付いての別名なのかもしれない。今は専ら法主の別名のように使われている。それは文上に解されたためかもしれない。そこには自ら権威を生じてくるようである。これではあまりにも外相一辺の感じである。時の貫主を指すか一人の衆生をさすか、専ら受けとめ方による処である。法主とは本来は己心の法門の主という意味ではないかと思う。そこに師弟がある。その師弟相寄った処にも法門の主がある。それが権威をもって外相に移ると一人の貫主に決まるのであろう。己心の一念三千については師弟平等に持っている筈である。それが次の瞬間極端な差別となって現われる。その時が中々捉えにくいのである。その間に微妙な飛躍があるためであろう。そしてやがて貫主の処に根を下すのであろう。弟子を本因、師を本果ととれば本因本果の法門ともいわれ、また師弟子の法門ともいわれる。これが己心の法門と思われるものであるが、今はこれらは総て己心の法門である。

 邪義と決めた己心の法門には多分に唯授一人の法主も含まれているであろう。これも邪義の内に入れるのであろうか。これは極秘のうちに特別扱いになっているのであろうか。己心の法門とだけでは何が含まれているのか甚だ分りにくいものがある。幅の広いものであるだけに邪義とだけでは不充分である。自ら邪義と決めた時にその範囲を示すべきであった。これは水島先生の手抜かりがあったように思う。法は無尽蔵である。あまり簡単に切り捨ててしまうと、後から何が出てくるかもしれない。

 己心の法門と論理学とは本来異質なものであるから、論理学をもって己心の法門を割り切ることは最も警戒しなければならない処である。水島先生程の人が少し軽率すぎた嫌いがあったのではなかろうか。今一つ慎重さの欲しい処である。それもほんの一瞬にして日蓮が法門は一切切り捨ててしまったのである。本仏や本因の本尊や衆生の現世成道をどのようにして、何によって再建するのであろうか。切り捨てた以上、再建の発表は必らずしなければならない。これが宗務当局の差し逼ってしなければならない問題である。己心に代る法門を何に求めようとしているのであろうか。日蓮正宗伝統法義ということで、知らない間に繰り入れようとしているのであろうか。根本の処を切り捨てただけに再建は殊更厄介である。具体的な発表がなければ、本尊も本仏も衆生の成道もないと見なければならない。これらは総て西洋流な学問を無雑作にとり入れたための被害である。このような学問の中にあっては全く再建は不可能といわなければならない。何れにしても根本になるものを取り定めなければならない。これからが時局法義の研鑽の必要な時である。今までは七百年の伝統ある己心の法門を切り捨てるのが仕事であったが、これからは一日も早く己心の法門に代るものを造り出すのがその仕事になった。これは容易ならぬ仕事である。それに堪え得る頭脳を持ち合わせているのであろうか。大いに研鑽を続けてもらいたい処である。衆生の現世成道はすべてその双肩にかかっているのである。一旦邪義と切り捨てたものをもって根本とすることも出来ないであろう。さて、何を根本として宗義を立てようというのであろうか。一宗建立のためには必らず絞り切った根本になるものをまず決めなければならない。ここが水島山田の腕の見せ処である。腕の程とくと拝見したいものである。

 大石寺では古くから法前仏後がとられて来たが、近代は仏前法後に変っているようである。本尊抄では法を弘めたのは仏であるが、これは仏道論衡などが根本にあるのであろう。御書にも散見している。近代は宗門は折伏をしないが、学会は折伏するから優位にあるというような考えがあったように聞いている。これは法を弘めることに重点を置いた考え方で、釈子要覧による考え方であるが、この書は御書には未だ見当らない。室町期以後に使われるものであり、四明に変った以後に限られている。仏は法を弘める故に仏が先行するのである。大石寺は法が先行しているのは本仏によるためであろうか。法が持たれているから布教が出来るという考え方である。これは法前仏後である。法を主体とする本仏をとる大石寺は法前仏後であり、本因も同じ意味をもっているが、近代は仏前法後方式である。それ自体迹門によっている証拠である。釈尊を表に立てるために仏前法後方式をとるのであろうが、大石寺法門の立て方とは逆である。仏前法後方式によれば迹門によるのが最もふさわしい様である。今は他門の影響をうけて仏前法後方式が大石寺にも浸透しているのであろう。時が移り変っているのである。今の法主は仏前法後に近いのではないかと思う。それだけ迹門の影響を受けているということであろうか。他門がとり上げていないだけに、己心の法門も目に障っていたのであろう。それがたまたま追いつめられた中で、つい邪義と口を割って出たまでのことであろうが、事が事だけに出てしまえば弁解の余地のない程厄介なものである。これは先に口にした方が負けである。それを水島が先に口にしたのである。これでは絶対に勝ち目はない。引っ込めなければ絶対不利である。それを先に口にしたのは何としても迂濶という外はない。さてこの仕末、どのように付けるつもりであろうか。根本の処に大きな抜かりがあるようである。

 一閻浮提総与が真蹟と解され、日蓮の教えはすべて大石寺が総括して受けて、唯授一人となると外相一辺倒となり、法門とは無関係となると、対他宗関係がきびしくなるのは当然である。一閻浮提総与は本尊抄の末文の意によるものであり、頸にかけられた一念三千の珠であり、一人の衆生について唯授一人である。この末文と副状の文から一閻浮提総与と唯授一人は充分理解出来るが、これが或る意図の中で再編されたために攻撃材料に使われたものであり、解釈した側に落度があったようである。総与も唯授一人も一人々々の衆生が受けているのである。大石寺法主のみが唯授一人をうけ、一閻浮提総与を総て任されていることになると面倒である。そして自宗のみ正宗であり、他は皆邪宗であるとなれば尚更である。しかも何一つ裏付けがないということになれば邪義と思われるのは当然のことである。あれやこれやの手違いで、受けて蒙る身の恥辱ということに相成ったのであろう。

 これらの語は本尊の未来の姿を本尊抄に説かれているものが一語にまとめられたものと思われる。今のようであると、他門下は何一つ受けとっていないようなことになる。これは穏やかではない。外相一辺の受けとめ方が反って孤立に導いたようである。ことは己心の法門を仏教の立場で受けとめた処に始まっているようである。多分に独善的なものを持っているようである。仏法として素直に受けとめるなら、決してこのような摩擦はなかった筈である。本来平等無差別の処を説かれているものである。今の世上は、宗教といへども差別のみでは立ち行かなくなりつつあるように思われる。仏法家こそまず無差別に帰るべきであるにも拘らず、今は逆に差別の方向に進みつつあるようにさえ思われるのは何の故であろうか。法門の解釈が狂っているためであろうか。本来のものが急速に薄れ、他宗他門のものが次第に浸透しつつあるようである。

 滅後末法を堅持すれば同時に名字初心の堅持である。一人の上に説かれた境界そのものである。これが滅後末法であると思う。大石寺のみがよく伝え、よく受けとめているというのは遠い昔語りである。宗をあげて、それがどのようなものかということを反省する時が来ているようである。

それがなくなったために論理学流な法門も割込んでくるのであろう。宗門が歓迎するために入り易いのである。色々なものが他門から入ってくるのも、所詮は自宗の法門がはっきりしないためである。文底法門と称しても今はその面影が残っているともいえない。今は迹門の方が遥かに多いのである。そして遂に己心の法門を邪義と公言して恥ぢない処まで来ているのである。恐らくこれは論理学の影響下に、或は論理学的発想の中でここまで急激に来たものであろう。これは一切の法門を抹殺したものと何等変りはない。そこまで来ているのである。そのために己心の法門を奨める者が狂人に見え、それが狂学と映り、果ては狂った狂った狂いに狂ったとなるのである。もうこれ以上の悪口はないということであろう。七百年伝えて来た己心の法門が何故邪義なのか。まずそれを明らめなければならない。このような処は最も理を尽さなければならない処である。理屈抜きで狂いに狂ったといわれてみても、吾々はそれに従うことは出来ない。その前に開目抄や本尊抄がいかに狂っているかということに論理を尽すべきである。それもしないで狂った狂ったといわれてみても、吾々は暑さの加減位にしか受けとめることは出来ない。筋を通さなければ法門ということは出来ないであろう。己心の法門が邪義であるかどうか、一度冷静に再検してもらいたいと思う。己心の法門を捨て去っては迹に何者も残らないということを充分承知した上で再検してもらいたいものである。気勢のみを上げることは法門の最も忌む処である。冷静さこそ何者にも代え難い財宝であると思う。しかし今振り返ってみて冷静さというようなものは一向に見当らないのは、返す返す遺憾なことである。多少なりとも冷静さの持ち合わせがあれば、己心の法門を邪義、狂学などというようなことはなかったのではないかと思う。口から出てしまっては取り返すことも困難である。本尊抄は仏法を説かれているのであるから左を主として説かれているが、それが或る時突然右となり、本因から本果に変ったのである。そのために左右のけじめがつかなくなったのである。そして仏法であったものが急に仏教となったのである。東が西になり、西が東になり、そのまま現在に至っているのではないかと思う。未だにその跡仕末がついていないのである。そのために次が這入り易かったのであろう。しかし、論理学的発想をとり入れたことは阿部さんの千慮の一失であったようである。今後においてどのように展開するのであろうか。迹門でも一度入ってくれば中々除去出来るものではない。今後のことは意外に厄介なものをもっているであろう。そのうちじっくりと根を下すようなことになるかもしれない。本来本因の処で説かれたものは本因をもって解すべきであるが、今は本果をもって解されている場合が殆どであり、それが正常と解されている。つまりアベコベに出ているのであるが、案外気が付いていないのではなかろうか。その混乱のために余計に理解しにくいのである。本因に始まったものは殆ど理解の他に置かれているのではないかと思う。

 唯授一人・一閻浮提総与なども、古い処では山法山規として充分に取り入れられていたのではないかと思う。この語は宗門独自の解釈の中で使われていることも充分考えられる処である。山法山規は分らないといっている中でどんどん消えていっているのではなかろうか。分らないといっている間に、自宗向け専用のものが案外他宗向けに変っているものもあるようである。文底から文上に移った時、大きな変化があったかもしれない。分らないといえば、それに代るものは即刻這入って来るであろう。そうして益々自他の区別が付かなくなるのであろう。古い山法山規は、今の宗門には都合の悪いもの計りになっているかもしれない。魂魄の上に立てられた法門は本来秘密に属するものであるが、実はそこで衆生の成道が説かれているように見える。そしてその理をかくして事行の法門として隠居法門、丑寅勤行、或は因果倶時などとその理を説明することなく衆生の成道につながるように仕組まれている。そのために衆生現世成道が一向に表から分らないのである。そして秘密の根源である本因の本尊もその理を知ることなく遂に葬り去られて本果と入り代ったようである。このようなことは、長い間に可成りな量に上るのではなかろうか。これはほんの一例である。

これで衆生現世成道の重要な部分は今目前で消えていったのである。そして次第に他宗との区別もなくなっているのである。そして

 魂魄もまたそのような中で消されているのではないかと思われる。戒旦の本尊の魂魄もまた熱原三烈士と交替したのは既に明治の終りころである。このようなことは意外に重要な法門の中に多いのではなかろうか。このような事はまだまだ続けられるであろう。そして遂に衆生の現世成道は本果に移ったと同時に消滅して、他宗並みの死後の成道に変わり果てたのである。僅かな解釈のあり方が意外に大きな結果をもたらしているようである。死後の成道をとるのであれば、格別日蓮が法門の必要はなかったであろうし、開目抄や本尊抄、撰時抄や報恩抄の述作は始めから必要はなかったのである。今は次々に消してゆくことに執念を燃やしているようにさえ見える。何とも解し兼ねる処といわなければならない。

衆生成道も本因から本果へ、本尊も本因から本果へ、己心の法門も本因から本果へ、何れも本果へ収まったようである。そして教義全般もそれ以前に本果へ移っている。そのために格別抵抗を感じないのかもしれない。宗門からいえばすべて順調に事が運んでいるのである。しかし横から見て順調に進んでいるといえるようなものではない。徹底的に行きつまるまで、それ程時間を必要とはしないかもしれない。そのような道を選んでいるのである。今の状況では、この道から遁れることは出来ないようになっているのかもしれない。宿命とでもいうべきであろうか。いかにも厳しい道ではある。歪められた己心の法門による処ではなかろうか。これでは己心の法門が正常に運営されているものとは思われない。既に行き詰っているのである。水島等の気勢を上げた処は最後の仕上げの時期であったが、完成をまたず全員口を閉ぢてしまったのは、気の付かない処でストップがかかっているのであろう。とも角今度は、現在の天台教学を根本として己心の法門を切り捨てた上で徹底的に法門の再編成を狙っているのであろう。天台教学即ち四明流を正統と仰いだ上での再出発であることは言明通りである。若しそれを実行に移すなら本仏や戒壇を捨てなければならない。今無言の中でその作業が進められているのであろう。その基底部でこれを統轄しているのは論理学的発想なのかもしれない。その完成の暁には御書も三師伝も化儀抄も六巻抄も徹底的に排撃される時であると思う。それは己心の法門の必要のない世界である。その構想がどこまで成功するか、難中の難事といわなければならない。新義による一宗建立の法門的な整備にどれだけの自信を持っているのであろうか。法門の性格は真反対であるから、もとのものは使いものにならないであろうし。己心の法門を捨ててしまえば、宗義の建立は他宗の、特に天台宗の専門家に一切を委任するのが最も近道である。本尊抄でいえば序論の辺りへ帰るのであるから、天台宗の専門家に任すのが最も間違いのない方法である。山田や水島がこれから天台学を始めるのでは今世紀の使いものにはならないであろう。天台宗を基礎として始める時、「何者をもって本尊とすべきや」という疑問がまず起きるであろう。仏滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅は出現以前であるから、これをもって本尊と取り定めることは出来ない。形を似せて内容の全く異るものであれば脇書を替えなければならない。形を似せ脇書もそのままであれば盗作の恐れもある。それは己心を邪義と決めている故である。 己心の法門を否定しては脇書通りの本尊は出現しない。しかもこの本尊は迹門の処に出現する筈もない。若し迹門にこれを出現させるためには最大の飛躍が必要である。己心の法門を邪義と決めた上で、己心の法門にのみ出現する本因の本尊を、どのようにして本果の本尊として出現させるのか。まずこの問題を解決しなければならない。宗門の教学陣はどのような自信を持っているのであろうか。これこそ差し逼った時局法義委員会の最大の課題にすべきものである。今も阿部さんが書写して居る本尊は本因の本尊として出現したものであり、己心の法門を正義としていた時代のものであり、この法門を邪義と決めて尚且つ書写を続けることは本尊を冒涜することになりはしないか。本尊書写の時に限って瞬間的に極く内々で己心の法門を正義ときめるのであろうか。甚深の処は一向に不明朗である。内証甚深の処は不信の輩の到底伺い知ることの出来ないものである。己心の法門を邪義と発表することは至極簡単であるが、後に残されたものは意外に厄介なようである。本尊書写のためにはまずこれらの問題を解決しておかなければ、いつか我が身に逼まるようなことになる恐れがないとはいえない。水島は邪義といえばそれで終るけれども、あとは阿部さんの方へ全部かかって来るであろう。時局委員会の面々はどのように解決しているのであろうか。最も簡単な方法は宗門が責任を取って正式に己心の法門を邪義と決めたことを抛棄する声明を発表することである。沈黙して居れば帳消しになるような問題ではない。いつまでも残ってゆくであろう。新教学の発想による被害は既に大きく現われようとしているのである。今後は悪口雑言も通用しなくなるのであろう。しばらく静観ということか。本尊と成道が同時という扱いになっているだけに面倒なのかもしれない。本尊というも成道というも、実は同じものであったのである。それが今になって絡んで来たのである。宗門はそのことに気付いていないようである。そのために一挙に結論にまでいってしまったのである。今から本に返すのは困難なようであるが、このまま進むことも出来ないであろう。進むべきか退くべきか、今その岐路に立っているようである。取りあえず己心を邪義と決めたことが誤りであったことを院達をもって表明することから始めるとよい。日蓮が衆生の成道を決めたものを邪義ときめることは真向からの背反である。これは穏かではない。ことは文底から文上へ、仏法から仏教へ転向した処から始まっているのである。このあたりに徹底的な反省の必要があるようである。そのように仏教へ転向せしめた教義をまず探りあてなければならない。自作自演による被害ということであろうか。改めて仏法を確認する以外に救いはないかもしれない。文底に立ち返ることである。衆生の現世成道を認めるか認めないかの問題である。打ち切ってしまわれては日蓮も黙っていることは出来ないであろう。既にその兆しも見え始めているようである。どのように対応するつもりであろうか。宗体の根本がゆれ動いているのである。どのように対応するつもりであろうか。追いつめられて眼前のみを囲うのは最も愚な方法である。長い間このような方法をもって対応した蓄積がたまって来ているのである。今こそそのような姑息な手段から脱皮する時なのである。天台教学に頼ったのも誤った方法の一つの表われであったが、反って抜きさしならぬ深みへはまったのである。将来へ希望の持てる方法を選んでもらいたい。天台学によって心の一念三千につながる事が出来ても、決して前進につながるものではない。どうみても日蓮の観心を捨てて天台に頼る必要は見当らない。何故天台の観心を取り出そうとしたのか一向に理解出来ない処である。いつまで繰り返してみても決して道の開けるような事はない。ここは発想の問題である。反撥したつもりで追い込まれる程無駄な事はない。それだけ平常から仏法や己心の法門から離れているのである。今度は論理学を離れて発想の転換を計ってもらいたい。そして目標を見失わないように攻撃を加えてもらいたい。先に引いた釈迦・多宝・十方諸仏等の引用文を繰り返し読んでもらいたい。そして己心の二字をしっかり味わってもらいたい。恐らくこのような文は一度も読んだことはなかったのではないかと思う。開目抄や本尊抄を読んだことがないから己心が邪義と思えたのであろう。その点では皆さんは全く同じ程度のようである。今度は宗門打ち揃って天下に公表したのである。若し誰れかが一度でもこのような文を読んでいたなら、己心の法門を邪義ということもなかったであろう。返すがえすも残念なことであった。己心の法門が邪義といえるようでは、法門的な破綻といわざるを得ない。阿部さんも教学部長も二ケ年半はこれを認めてきているのである。そして八ケ年間は己心も心も同じと考えていたのである。可成り深部に浸透していることと思われる。論理学的発想は可成り強力に浸透しているのではないかと思う。口には御本仏日蓮大聖人といいながら、己心の法門は一切認めないというのであるから、何とも異様なことである。最初から矛盾のみが横行しているのである。どうみても純一無雑とも純円一実ともいえるようなものではない。何はさておいてもこの辺りの整理が必要である。今程法義の混雑していることは、過去においては例のない事ではないかと思う。

 振り返ってみると、ここ八年間色々な新説が登場した。己心も心も同じとする説、己心を邪義とする説、三世常住の肉身本仏という説、明星池の底から毎朝肉身本仏が顔見せする説、戒壇を中央に、向って右に本尊、左に題目を配置する説、思い付いては新説を持ち出したのであろう。しかも一回限り二度と出てこないのが特徴であった。これも目下は何一つ出てこない。一切沈黙の状態である。誠に泡沫のごとく、出ては消え、消えては出、あわただしい限りであった。新説競艶会のごとくであったが、何一つ跡に残るものがなかったのも一つの特徴であった。そのようにがやがやそわそわさせるのは総て論理学的発想に由来しているのではないかと思う。そのような中で己心の法門が消され、本仏が消され、本因の本尊が消され、衆生の現世成道が消され、水鏡の御影の新意義も消され本尊書写口伝も消され、殆ど重要なものは軒並みに被害を受けて消されていったようである。いつの日か復活することがるのかどうか、あすのことは分らない。それが現実の姿である。今の唯授一人の相承が何から来ているのか、これも全く見当も付かない。そのような中で新説は更に増えることであろう。

 どうやら論理学的発想に踊らされていたようである。その後どのようになっているのか、重い沈黙の中で一向消息不明であるが、現われた新説は何れそのまま根を下して、後世手の付けられない法門として残っていくことであろう。拾えばまだまだ大きなものもあるであろう。一瞬の出来事としてはあまりにも足跡が大きかった。長い時の混乱の結果がこのようなものを生み出したのであろう。さてこの結末をどう付けるか、あまりにも問題が大きすぎるようである。差し当って時局法義研鑽跡始末委員会を作って研究しなければならないであろう。短期間にしては如何にも大きな足跡である。どのように対処するのであろうか。大日蓮に発表されたものは意外に大きな問題のようである。いかにも狂ったという感じである。今は踊り疲れたのか、詢に静寂そのものである。中でも水島山田はその代表格である。今となっては御書の第一巻に載せられている水鏡の御影も、遠い昔語りの中に消え去ったことであろう。山法山規はこのようにして消えてゆくのである。今少し自宗の法門がはっきり捉えられていたなら、このような新説花盛りには至らなかったであろう。今からでもよい。本来の法門に眼を向けなければならないと思う。新説の洪水ではどうにも救いようがない。大分気を付けないと、今後ますます新説は増えてくるかもしれない。どのようにしてこれを防ぐか、これは今後の大きな課題になるかもしれない。

 いう所の日蓮正宗伝統法義と称するものも、大部分は新説をもって固められている。これは教学的にはやや古く見えるが、それだけ多分に仏教的な雰囲気をもっており、新説もまた可成りあるのではないかと思う。深い検討も加えられず、次々に無雑作につくられるものだけに細心の注意を拂いながら検討しなければならないと思う。日蓮正宗伝統法義といわれているだけに、既に法門になり切っているものもあるであろう。このようにして、法門はどんどん解釈が改められているようである。日蓮正宗伝統法義とはいかにも紛らわしい処を狙ったものであるが、最も古い処でも大正以降である。

しかし実際にはここ二三年以来の新伝統法義があるかもしれないのでよく注意しなければならない。或は山田製の伝統法義があるかもしれないのである。水島の不軽菩薩も御書の不軽ではない、経に返されている処があるように思われる。この点に注意しなければならない。つまり時を外れたものが出ているようである。このような事が平気で行われるのである。一旦抹殺した後に再登場するためである。これは山田にも共通したものがあるのは新発想によっているためであろう。ここは随分警戒を要する処である。そして己心の法門によるものと違って奇想天外の発想を持っているのである。それは自分の意志通りに出るためなのかもしれない。自由な一面を持っているためなのかもしれない。思いつくままに発展してゆくことは危険なことである。そして遂に多少なりとも深みにたどり付くことが出来なかった。しかし、消してゆく特性は充分発揮したようであったが、最後までまとまりはつかなかったようであり、ただ踊りに明け暮れたのみであり、迷惑法門そのものであった。しかし狂わせた或る部分は後々に伝わって、思わぬ処が開花に至るような事になるかもしれない。今既に収拾が付かなくなっているのではなかろうか。この山田法門は今もお下劣さのみは、かすかに記憶の底に残っている。山田水島法門では、さすがの他門の学匠も、大石寺法門の判定については、間違いなく迷い惑ったことであろう。そして反って匙を投げたことであろう。しかし底の深さのみは間違いなく知り尽したことであろう。慌てた三年足らずの成果としては止むを得ない処ではあるが、崩した或る部分は後代に受け継がれるようなことになるかもしれない。ここ数年来急激に理由もなく崩れ去ったものを、どのようにでもして復活しなければならない。頭の中が改造されているだけに、結果を求めることは殆ど不可能に近いことなのかもしれない。差し当っては、新発想と絶縁することが第一歩である。あまりにも安易に取り入れたようである。そして己心の法門を邪義と決めたことは、いつまでもそのしこりを残し続けるであろう。また自らの本来の教学を狂学と称したことも、その業跡は永遠に残ってゆくであろう。教学部長も以って瞑すべきか。真冬の明星池の氷を割って生身の自受用身が姿を見せる処もまた天下の奇観である。これらは総て新発想による教学的成果である。そして生身の自受用身が声高らかに唱題行を事に示す処が最高頂ということであろう。これ程急発展する教学は最も危険なものを内蔵しているものといわなければならない。これをどのように処理することが出来るか、これまた今後に残された最大の課題といわなければならない。以上のようなものが次々に出てくること自体既に教学的破綻である。今すぐ手がけなければならない緊急課題であると思う。今のように根本を仏教の処に立てながら古い大石寺法門を唱えると、どうしても所謂中古天台という印象が強くなる。迹が捨て切れないためである。他門はそのように見えるであろう。いい換えれば受持が抜けているのである。そのために仏法と仏教が混雑して分りにくくなるのである。左右の区別が立たなくなるのである。しかも居る処は開迹顕本に近いように見える。そこが混乱の場である。いうまでもなく仏法と仏教の時の混乱である。新発想はますますそこの処を混乱せしめるであろう。己心と心の違い目は、ここにも明了に出ているのである。己心も心も同じとは仏法も仏教も同じということになる。仏法から時を抜きされば仏教とそれ程の区別はなくなるであろう。しかし現実には区別があるから開目抄や撰時抄も説かれ、また本尊抄も説かれているのである。心も己心も同じならこの様なものを説く必要はなかったであろう。しかし事実は甚だ違っているのである。それが今は同じと見える処まで落ちこんでいるのである。全く日蓮の存在意義は認めないということであろう。いうまでもなく己心と心を同じと見れば即時に仏法は消滅するであろう。これでは御本仏日蓮大聖人の仏法も即刻引っこめなければならない筈であるが、今に依然として使っているのである。そのような中で仏法と仏教の混乱を生じ、最後は仏法が消されてゆくのである。今は仏法を消すために専ら努力しているようである。そして消し切った処で新しい混乱が始まりつつあるのであるが、それには一向に無関心のようである。そして大日蓮の巻頭に己心も心も同じだ、心にしろと出るのである。日蓮を捨てて釈尊に帰れということと同じ意味にとれる。その己心はやがて邪義の烙印を押されるのである。そのような中で、今も日蓮大聖人の仏法は唱え続けられているのである。何としても最高の自己矛盾である。

その近代の日蓮正宗伝統法義にはあまりにも仏教的な要素が多過ぎる。殆ど右尊左卑である。それが摂取不充分のために時々飽和状態になる。攻め立てられて他門のものを無批判に受け入れている中で仏教的なものが充満してくるのであろう。本来は受持によっているために一応仏法の処に消化されているのであろうが、今は未消化のままである。そのために問題を後に残すようである。根本は二ケの大事が忘れられた処に帰結するのではなかろうか。最初に受持がなければ、後になって強引に迹仏を乗り越えなければならない。今はこれが大きな比重を持っているのではないかと思う。そこへもって最近のように論理学的発想が割り込んでくると、何のなす術もなく即時に崩されるのである。

これは大きな教訓である。これ程弱い面を持っているのである。僅かの間に殆ど根絶し尽くされる程の被害を受けたのである。まるで白昼夢とでもいうべきものであるが、それを被害とも思えないのであろう。その後に何が残されたか、これが問題なのである。今は夢中で取り入れているけれども、後の処に問題は持ち越されているであろう。これは仏教以上に厄介なものである。どのように考えているのであろうか。その夢中に出たのが三世常住の本仏論であるように思われる。既に足は大地を離れているのではなかろうか。若し新発想が排除出来なければ、大石寺法門は根底から崩れるような事になるかもしれない。日蓮正宗伝統法義はそれを多分に取り入れた上に成り立っているように思えてならない。山田でもこれを具体的に挙げることは出来ないであろう。仏法・仏教以外の要素が割込んでいるのである。

「正しい宗教と信仰」でもカントの生命論は生きているようである。それらのものが綜合された上に日蓮正宗伝統法義は成り立っているように思われる。

この中で最も力を失っているのが仏法ではないかと思う。伝統法義も複雑なものを具えているようである。

 そして世間と仲好く論理学的発想の被害を受け始めているようである。八年前といえば戦後三十年である。子供のいじめの表面に出はじめた時期である。時を同じうして宗門でもいじめが始まっている処は世間即仏法である。等しくいじめが出始めた。そのきっかけを作ったのが論理学的発想である。最初己心も心も同じだといわれた時、それが何によっているのか全く見当もつかなかったのである。それが今漸くその発生源を捉えることが出来たのである。その間八ヶ年を要したのである。戦後四十年、アメリカでは遥かにこれを凌ぐ学問は発展していることであろうが、いま正宗では論理学の風が吹きまくっているのである。

これは正信会にも意外な影響を与えているであろうことは容易に想像することが出来る。当時「久保川論文を破す」の中にも、或はそのようなものが取り入れられる兆しがあったのかも知れない。その新入りの雰囲気に呑まれて正信会の面々も意表を突かれて答に窮したのかもしれない。とすれば緒戦ではそれなりに効果をあげたのかもしれないが、あまりにも短寿であったのが玉に疵であった。八ヶ年もたなかったのである。これでは失格もまた止むを得ない処である。あまりにも短寿であった。これはその撰定を誤ったということである。次には長寿を持ったものに依ってもらいたい。せめて八十年、八百年の寿命を目指してもらいたいと思う。大石寺では今論理学の大風の最中であるけれども、この風も漸く終りが近付いて来ているように思われる。

しかしこの風の跡仕末は意外に厄介なのかもしれない。既に当人自身が風の影響を受けているからである。正邪を見る眼を失っているからである。今どこまで本心が残っているであろうか。一旦失った己心の法門が正義として立ち返る日が再びあるであろうか。これは最も興味を引かれる処である。僅か八年間のことではあるけれども、可成り心身の奥深く食い込んでいるかもしれない。このようなことは、それ程簡単に拭い去れるものではないかもしれない。若しそれが出来なければ、再び本のごとく仏法に立返ることは困難なことかもしれない。吾々の関心も亦そこにあるのである。

 最近の珍説、邪義、魔説、狂学などと言ったものは尽く己心の法門であり、仏法にあるべきものである。それ程今は宗門が仏法と遠ざかっているのである。しかし、

仏法は時のない処にはあり得ない。そのためにわざわざ撰時抄は仏法の時を説かれているのである。

今は時が消えたために語のみが残っているのである。

現世成道が死後の成道に変ったのも仏教によっているためである。今では仏法よりは遥かに仏教に縁深くなっているのである。そのために本仏もまた不安定なものをもっているのである。そして本尊も亦仏法と仏教の間を往返するようになっているようである。それが今の現実である。そのような処へ更に論理学的発想が割込んで来たのであるから、いよいよ分らなくなったのである。

そして衆生の現世成道もいつとはなしに死後の成道に変ったのである。結局は他宗他門のように新成顕本の壁が乗り超えられなかったのである。開目抄や本尊抄ではこの難問はすでに解決されているのに、後の者で何故解決されないのか。不勉強の故か不信の故か、受持について不充分ということであろうか。どこかに抜かりがあるためであろう。大石寺では室町期までは解決されていたようであるが、その跡急に行き詰まったのである。急に宗学が変ったためであろう。家中抄では道師と伝えられる大石記の、施開廃の三ともに迹は捨てられるべしというのは、意味不明のまま全面的に抛棄されている。そして現在までそのままになっているようで、つまり新成顕本の壁が乗り超えられなかったために現世成道を捨てて未来成道へ切り換えざるを得なかったのである。日蓮の解決済みのことが今になって解決出来ないとは何とも頂きかねることである。しかも四百年以来のことである。その四百年間にそれ程教学が大きく変貌しているのであるが、今に元に帰そうという動きは一向に見当らない。どうやら迹門の方が居心地がよいということであろうか。

 その点では他門も中古天台も全く変りはない。迹は捨てられるべしを迹は捨つべからずと読んでいるためであり、本迹迷乱といわざるを得ない。興師の三周忌にも本迹迷乱があり、今また本迹迷乱とは、本末究竟ということであろうか。衆生の現世成道は文底本門にあり、今は未来成道の文上であり、この処についての本迹迷乱である。宗門は本迹迷乱とは考えないのであろうか。この迷乱の中では衆生の現世成道は永遠にありえないであろう。まず整備しなければならない処であるが、現世成道など始めからなかったものと考えているのであろうか。日蓮一生の最大の目標であった衆生の現世成道は、今は奇麗さっぱりと忘れ果てられているようである。

それ程教学が狂っているのである。狂いすぎて狂っているという感覚もなくなったのであろう。それは仏法にあるべきものが仏教に移ったためである。時が消えたために仏法と仏教の見境がつかなくなっているのである。これこそ狂いに狂った、狂った狂ったのである。己心の法門に帰ろうということは決まったとも見えないのである。文上に根を下すことこそ狂っているのである。これまた時の混乱がそのように思わせるのである。これが時の恐ろしさである。

未来成道に付いては、法門的な裏付けは何一つないのであろう。日蓮が法門とは別世界のものであるが故である。衆生の現世成道は、日蓮が法門以外には解決されていないのではないかと思う。その根元になる己心の法門は、今はあえなく邪義と決めつけら、

れているのである。

そして決めつけた側は未解決を表明している新成顕本グル−プに仲間入りしているのである。これではいつまで待っても晴れて衆生の現世成道の日を迎えることはない。ないことに向って努力しているのである。何とも不可解な努力である。今の宗義は現世成道を拒むように仕組まれているのである。衆生の成道は現世に限るというものは日蓮独自の発想である。そのために時を決め己心の法門を打ち立てたのであり、そして仏教を抜け切るために、前もって二ケの大事を撰定されているのであるが、今はすべて幣履のごとく打ち捨てて省られないのが現実である。

が、時たま衆生成道という声を聞くこともあるようであるが、これらのものを捨てては無用の語であり、無意味な語である。この衆生の成道を捨てたために開目抄や本尊抄が読めない、読みとれないのである。次上の語や阡陌の二字が御書にないとは最も好くこれを表わしている。読んでいないから目に映らないのである。それでいて高座へも上っているのである。この語も使ったのは一回限りで、二度と使うようなことはなかった。あとは只落ちるのみであった。すでに新発想の御先棒を担いでいたのである。そして衆生の現世成道や己心の法門を消すために四苦八苦していたのであろう。

 そして法門の基本線が崩れ去った処でいじめが起きた。それが二百人の大量首切り事件であった。そしてこの新発想は切られた側へも根強く浸透していったように思われる。殆ど双方共自分では気付かない間に進行していったようである。いまの子供のいじめも、その根源が分らない前に進行しているのである。気付いた時には手の付けようがないというのがこの新発想なのかもしれない。これまた双方とも気が付いていないようである。大石寺では法門の中ではまだまだ進行してゆくのであろう。己心の法門を邪義と思わせる力を持って解体作業を進めるようなものを内に秘めているようである。それが理の恐ろしさである。そのために長い間理の法門は排除されて来たのであったが、今は完全に理の法門の、しかも新旧の双方の虜になったようである。

宗門も少し配慮が足りなかったようである。

 新発想は戦後三十年、日本人の美徳とされて来たものの解体作業は殆ど成功裡に終った。そこで起きたのが子供のいじめである。その時は、これを拒むようなものは何物も残っていなかったのである。あれよあれよと騒いでいる中でどんどん進んでいるようである。そのようなものは今は社会全般に浸透しているのである。筆者も戦後以来今も変ることなく経験している。それが弱い者いじめである。

たまたまその解体作業の経験を身をもって体験してそれに気付いたので宗門に警告しているのである。受けとめるかどうかは御自由である。今は警告しているものが狂人と見えているようである。

世間でもいつか再検しなければならない時が来るであろう。目前の対策で効果の上らないのは分り切ったことである。学校教育そのものが、そのような中に組み立てられているのである。しばらくは子供のいじめも続くことであろう。筆者も亦そのいじめから遁れられないことは覚悟している。その中でいじめの構造の一つの型を見付けたので宗門に警告しているのである。子供のいじめが何から起っているかということは当事者でも分っていないのではなかろうか。人間が長い間積み重ねて来たものがここ三十年計りで崩れ去ったのである。その後に起ったのがいじめである。世間のいじめが一見子供のまねをしているように見えるのも、実は元は一つで只違う処は子供がやるか大人がやるかの違いのみであるからで、いじめに関する限り、大人と子供の区別はなく、等しく幼稚である。まずは童心に帰ったということである。その弱者の中にあってこのような貴重な体験をさせてもらったことは感謝しなければならないと思っている。これが分れば格別あわてることもない。もっともっと体験を積んでゆきたいと思っている。論理学的発想は、意外な程の力をもって社会の中に浸透していっているように思われる。しかし、これを止め矯正するのも教育者の仕事であれば一日も早く気付いた方が仕事はやり易いかもしれない。子供のいじめも大人のいじめも全く同じであるということは、それ程大人の考えが幼稚ということであろう。

出来るだけ早めの方が訂正の効果は上りやすいことであろう

 今経験しているいじめも底が浅いだけにすぐに底が割れるようである。やっている側が幼稚なことを表わしている。ばれることはあまり気にしないのかもしれない。それだけ浅い処で行われているのである。宗門のやり方でも、やる下からばれているようである。若し文底であればそれ程簡単に割れる筈のないものが、意外に簡単に割り切れるのは、文上のみに頼っているためかもしれない。初めから文底文上の区別がついていないのである。時が違っているので、時を探ればすぐ分ることである。それを自信満々にやるのであるから、やる後からばれていっているのである。法門はもっともっと甚深な処で計画した方がよいようである。

一度切り出せば三十年や五十年訂正の必要ないものこそ甚深ということが出来る。一回限りでは世間のいじめと何等異る処はない。子供と何等異る処はない。これでは仏法には遥かに遠い距りがあるといわなければならない。

今は一見底の底まで分るようなのが法門なのかもしれない。それでは団地のいじめと何等変る処はない。変形した世間即仏法ということであろうか。法門から甚深の秘密などというものは完全に除かれたようである。

そして語として僅かにその痕跡を止めているのみである。そして甚深なものはどんどん消されて新らしく変貌を遂げつつあるというのが実情のようである。時局法義研鑽という、いかにも尤もらしい語を表看板にした委員会は己心の法門を邪義と決めた後の地ならしをしていたのであろうが、これを理論付けることは恐らくは成功しなかったであろう。本因の本尊を本果と改めることは出来ても、本仏を消し去ることには苦慮するであろう。どのようにして無力化するか、これも一つの課題ではないかと思う。大地の底に居る筈の本仏が虚空を目指すのも、そのような中での一方法なのかもしれない。仏教にあって本仏を立てるなら、必らず他宗の批難は集中するであろう。これもそれ程簡単に乗り超えられるようにも思えない。これも本因や己心の法門のように、いつか姿を消すようなことになるかもしれない。他宗の圧力下でどんどん改められてゆく運命にあるのであろうか。これも根底に欠けるものがあるためであろう

二十世紀の終末を迎えて本仏も本尊も成道も遂に行き詰ったのである。化儀の折伏、法体の折伏も捨てる気になればいつでも捨てられることは経験ずみである。己心は邪義ということも捨てる気にさえなればいつでも切り捨てられるものである。僅か三年足らずのことにそれほど面子を立てることもあるまい。思い切ってすてれば成道も本仏も本尊も早速手中に帰ってくるのである。これを手中にすることの方が遥かに賢明である。そして安心して明日を迎えてもらいたいものである。ここまでくれば、開目抄や本尊抄の処に帰る以外に方法はないであろう。いくら力んでみても己心の法門を捨てた処に本仏や本因の本尊が顕われるわけでもない。思い切って帰ることである。

開目抄や本尊抄、そしてそれを説かれた人をも捨てて、尚それを上廻るようなものが、己心の法門を邪義とすれば蘇ってくるのであろうか。

 今、世間では新人類という語にもお目にかかることがある。どのような意味か全く分らないが、その前に短期間のいじめ時代を経た後の世代を指しているように思われる。あきらめの時代とでもいうのであろうか。仏のように悟ったわけでもない。何となく空漠とした年代とでもいうべきか。はっきりと自分自身が捉えがたい時代ではないかと思われる。新人類という語には、人の冷やかさのみを感じさせるものがある。この世代の若者等には己心の法門は最も格好なものではないかと思う。宗門人も己心の法門の現代的研究でもやってみてはどうであろう。この世代は下化衆生的なものには反撥を感じているであろう。今までのような宗教にはついて来ては呉れないであろう。不信を先立てているに違いない。

 

 

 

国と平和

 

 安国の国、国界の国である。日蓮教学の中では要領を得ない語であり、未だにその定義付けは不明である。その不明の処から色々と問題を提供しているのではないかと思う。その国とは己心の処にあるべきもの、そこには国家の意はもっていない。それが時に国家を思わせるようなものを見せるのである。立正安国も又国家意識を思わせるものがある。時に鎮護国家と合流して使われることがある。国には本来因果国の国、即ち国土世間の国が最も近いのではないかと思う。

 大石寺では古くから本因名字の報身仏をとる場合が多い。これは魂魄の上に報身如来を取っている故である。国土もそれを根本として考えられているのではないかと思う。それは己心の一念三千法門の上に考えられた国土である。その国土が或る時、世俗の国土と混同せられるのである。応身の住する処と報身の住する処との混同である。そのような処で国土の国の字が考えられるとき、述べられる国土が互いに混乱するのである。国家鎮護の法花経・金光明経等に説かれる国土もまた、国が世俗の国土と区別が付きにくくなる場合が多いのではないか。法花経の説く国土とは、己心の上に説かれる国土について考えなければならない。古来これについての答えが混雑しているのではなかろうか。

 広宣流布と説かれる時の国土は、広宣流布の時は世俗の国土に結ばれて解されていた。その広宣流布から世界広布の理念は生れているのである。そこからは遂に広宣流布に至ることはなかった。広布はあくまで魂魄の上に考えるべきものである。後々五百歳広宣流布があまりにも簡単に世俗の中で結ばれた処に広宣流布の誤算があったのである。

 本仏日蓮といわれるのは報身如来について本仏を唱えるのである。衆生を本因名字と考える場合、報身如来を考えている場合が多い。その報身と俗身とは紙一重の処にあるものである。昔、軍部の広宣流布方式にもこの真俗の混乱が世界戦争を引き起したと見るべきである。法花経・金光明経等には真俗の混乱を起し易いものがあるようである。この混乱は長い間繰り返してきているのである。今は本因の影が薄らいできたために報身如来との混乱が起り易くなっているようである。今は本果の釈尊と混乱し易いものをもっているように思う。

 因果は世間の根本をなすものである。蓮に師弟子の法門を見る時、そこに蓮花因果を見る。その因果は世俗の因果に等しいものである。それによって蓮華と世俗とが結ばれるのかもしれない。そこに本因本果を見る時、倶時に自然に不思議の一法が生じる、それが不思議の一法である。その深部に本因本果因果倶時不思議の一法がある。その一法の処に本法・本仏を感得するのである。

 妙楽は法花一部方寸に知んぬべしという。方寸とは人の心臓は方一寸という。日蓮はこの方一寸を魂魄と考えたのではなかろうか。そしてこれが俗身に受けとめられるようなことがあれば、そこには因果の混乱が起るかもしれない。そしてそこには、本仏と迹仏との混乱を生ずることになるであろう。

 八月六日は広島原爆投下四十四年目の平和記念日であった。平和とは原爆・核兵器のない世界を指して平和と称しているようである。アメリカやドイツが平和を求めて行った処に核兵器が出現して、それが人類を亡す恐れが出てきたので、結果としては真反対に出たのであった。平和を願って始めたものが真反対に出たのである。そして今盛んに平和が唱えられているのである。アメリカが長い年月をかけて得たものが核兵器であった。そこで今平和が求められているのである。それは方法論に誤りがあったのではなかろうか。明治初年以来国柱会のとりあげた方式、即ち軍部が世界広布を目指した方式と同様な方法である。結局得られるものは平和とは反対に闘争のみである。今は世界中の人々もその被害を受け、自らもその中にあって亡んでいったのである。アメリカやドイツが求めているのも全く同じ方法である。

 それは根本になる考え方に誤りがあったのである。それが因果の混乱によって起っているのである。本来魂魄の上にあるべきものがそのまま世俗の処で考えられ、己心の法門についての因果の混乱によって起ったものである。この場合最後には自身の処に被害が廻って来るようになっているのではないかと思う。魂魄の上にあるべき己心が俗身の処で考えられ、己心がそのまま我心と考えられ慾望のみの処で考えられる、そこに世俗を毒するものが生じるのである。

 世界平和を求めた結果として核兵器が出来したのである。民衆は核兵器のない世界を求めているのである。環境の汚染も益々深刻になりつゝあるようである。己心を求め出しても、それが我心と現われたのでは困りものである。それは魂魄の上に考えられる己心の世界に限るようである。己心が我心と出ては救いようがない。そこにあるのは破滅のみである。核兵器を考え付いた国々は何れもキリスト教を信奉する国々によって考え付かれたものである。昨年は比叡山で平和サミットが行なわれたが、どのような結果が出たのか分らない。それは日蓮の唱える魂魄の上に説く己心の法門に限るようであり、出発点で世俗をはなれているので己心を我心と誤ることがなければ平和は出るであろう。

 今の大石寺の法門は明治以来、国柱会の法門をとり入れているので、平和にはつながっていかないようである。それは本尊抄に直結する鎌倉当時の法門に限るようである。筆者が今求めているのは、鎌倉当時に説かれている己心の法門であり、そこには本来の己心の法門を手にすることが出来るようである。今の大石寺法門も余程整理しない限り、そのまま平和にはつながらないように思う。世界の平和専門誌に、創価学会の池田大作氏の論文が掲載されたようであるが、それの根本になるものが何れから出ているのか、宗門にそれがないとすれば、その信徒団体に平和を唱えるものがあるとは思えない。それを求めるためには、現在の考え方の処にはあり得ないと思う。改めて魂魄の上の己心の一念三千法門を、型通りに取りきめて発表すべきであると思う。長い間創価学会が持ち続けてきた法門からは平和は出にくいであろう。その原型は国柱会教学に近い故である。明治教学を持ち続けている間は平和はあり得ないのではないかと思う。

 叡山では今、一隅運動が盛んに説かれているが、これは新解釈によっているのではないかと思う。大石寺の伝える法門では、丑寅とは東北の一隅をさしているようである。それは、今世俗にいう一隅とは異なっている。丑寅の一隅とは諸仏の成道する所、衆生もまたそれを受持することによって成道があり得るのである。一隅運動とは、本来衆生の成道につながるもののようである。受持即持戒といわれるのも、成道につながっているように思う。衆生が成道することが出来れば天下泰平である。即ち一隅運動も完了ということである。

 国柱会教学による大石寺教学からは闘争は出ても平和は現れにくいのではないか。直接平和が出るような理論的な裏付けを示してもらいたい、そして常にその法門を唱えていることが必須条件であることを申しそえておく。宗門では魂魄の上に己心の一念三千法門をとかれたことはない、筆者は、これを取り出して既に十余年を経過しているのである。平和を唱えるためには常々これを説き続けている必要がある。学会では平和誌へ掲載される已前に法門の上に平和を説いた例はきかない。筆者のとり出したものを利用したまでではないか。学会創設以来平和をとり出すための法門が説かれたことを聞かない。明治教学の説く処では、結局因果の混乱から平和につながることもなく、平和に大混乱を与えるのみであろう。

 一端核兵器が作られると時には環境破壊につながるものであり、平和にはつながらないものばかりのようである。 核兵器があれば時に水爆が海中に沈むこともあり、また火災を起して空中に拡散することもある。 今から世界中から核をなくすることは容易なことではない。今世界は酸性雨によって、樹木も枯れ大理石もとけているということである。これらも亦核による被害である。これらを世上から消滅せしめることは、今となっては殆んど不可能なのではなかろうか。人体に入りこんだ核の被害は容易に消滅することはないであろう。天は人の智に対して警告を発しているのであるが、人は中々これを受けて反省するようにも思えない。今年の冷温は異様である。天の警告は一日も早く素直に受け入れなければならない。原爆投下によって一時戦争は中止したけれども、核による被害はそれ程簡単に消失するものでもないようである。広島長崎に投下された原爆は、永遠に地球からその魔力の消える日はないかもしれない。

 何としても人の智恵の行きすぎであったようである。その人の智恵によって地上の樹木は枯れている。そして地上は砂漠化しつつあるのである。人の智恵は天の摂理に背いて、自ら今その責めを受けているのである。ソ聯でも原子爐の爆発により、色々と核は空中に拡散してその被害を与えつつある。これを尽し世上から消滅し尽すことは出来ないであろう。一難去って又一難、又その核の被害から遁れる日が再び地上に巡って来る日があるであろうか。文明とは、自らの頸を締るものである。今となって天に向って核廃絶を叫んで見ても、天がそれを受け入れて呉れるかどうか、それは分からないのではないか。ここまでくれば古人の言うように、一人を慎む必要があったようである。古の平和には核は含まれていなかった。戦後の平和にはそれを含んでいるのである。核を控えた平和論議は悲惨である。今の人の智恵をもってしては、拡散された核を地上から消滅せしめる事は出来ないのではないか。これにはキリストも釈尊も驚いていることであろう。自ら作ったものを消滅することが出来ないということは悲惨の限りである。それを完全に抹消出来た時、始めて平和の訪れもあろうというものである。それが完了した時、地上の人が残り住んでいるや否やそれは凡俗には分らないことである。

 日蓮が己心の法門の暴走を恐れ、俗智恵を除いて専ら魂魄の上に英智を求めている。或はそこには平和があり得るのであろう。初めから人智を除いた処に平和を求めているのである。原爆の跡始末をだまって依頼し、押し付けるのは余りといえば人が好過ぎるのではないか。日蓮には危険な部分は流罪を取り上げることによって既に除かれているのである。平和を唱えるためにはそれだけの用意が必要なのではなかろうか。今となって平和を唱える位なら、明治の頃国柱会説の出た頃、世界の注目するような平和論議を持ち出すべきではなかったであろうか。吾々はそこに大きな疑問をもつものである。日蓮説も捉え方によっては暴走に走ることを知るべきである。文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門は、あくまで文の底に捉えることにその意義があるのである。それは得々として明らさまにすべきものではない。日蓮の場合、平和はあくまで秘められたものであった。日蓮の時代には原爆の必要はなかったのである。明治初年に今の平和を唱えて居れば、今のような被害はなかったのかも知れない。そのような説が鎌倉の頃説かれているとは驚きである。

 今平和論議を活字にしても世上から核が消えるようなことはないであろう。「日本人の自画像」の日本人は既に核のない平和を求める人間像であったのである。それを七百年以前に説いたのが日蓮説であったが、明治に説かれた日蓮像には闘争好みの像が強く浮き掘りにされている。それは一見威勢はよいけれども全くの見かけ倒しであった。世を指導する人の姿ではなかった。魂魄を唱えた日蓮像を今こそ再度見直してもらいたいと思う。現状では日蓮を誤るものといわなければならない。甚深にして届きがたいということであろうか。遠くなり近く鳴海の浜千鳥、その遠近をきめるのは人の智恵である。この鳴海の下の句は、鳴く音に潮の満干をぞ知るという有名な古歌である。日蓮という人は、今の知恵者より今一歩深い処でものを考えていたようである。そこに江南直伝の秘説があるのではなかろうか。大いに世上に流布したいものである。

 平和を唱えるためには表立って魂魄を取り上げて法花経寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門を取り上げ、宣伝してもらいたいものである。然して後に堂々と平和論議を尽くしてもらいたい。現状ではその出処が明確でないように思う。ついでに魂魄佐渡の到るの解説もしてをいてもらいたい。己心を取り上げた人等で再三の注意を振り切って遂に我心に走り、自らその被害を受けようとしている。これを自業自得果という。これは自ら振り濯ぐべきものである。これは日蓮説から自らの力をもって探り出してもらいたいものである。平和は日蓮説につなげて説きだしてもらいたいものである。一犬虚を吠える方式では興味が湧かない。まず門弟として己心と我心の差別をはっきりと立て別けることから始めなければならない。

 国柱会方式を取り入れている宗門には、軍部の取り上げた広宣流布方式はあるが、それは自らを最高最尊の処に据えるのであるが、日蓮は常に自らを最低下に居いているのである。この点混乱のないように。今の法主は何故か自らを最高最尊の処にすえているようである。それはその俗身が高いのではなく、法の深いことを表わしているのである。それは報身如来を根本に立てる故である。その報身如来は本因を必要とするものである。本因を失った処に最高の報身が考えられるや否や、大いに再考を要する処である。

 軍部の広宣流布方式は夢とは逆に遂に世界戦争に突入した。何故そのような結果が出たのか、門下相寄ってその根本を明らめておくべきものである。この己心の一念三千法門はどこまでも我心と読まないことが肝要である。誤読すれば必らず初期において己れを利する面もあるが、やがて自身に被害を及ぼすものがある。若し己心と我心とが混同すれば、或る時突如として本仏を越えることがある危険がある。若し本仏を乗り越える時は因果の混乱を起すようなことにもなる。そこから遂に世界戦争に突入していったのである。これは予じめ欲望を避けておかなければならない所である。法主の処でもし因果の混乱が起れば、そこには天皇に近づくようなことにも成り兼ねない。法主を形容する語に、恐れ多くも勿体なくもという語がよく使われている異状さである。聞きなれるまでは実に奇異な感にうたれるものである。それは明治教学の一つの特徴である。法花一部は高い処にあって、人の手の届かない処にあるものである。これを文はまつ毛のごとしという、あまり近すぎて見えにくい故である。もし己心の法門が欲望の処に建立されるようなことがあれば、どのような混乱を起こすかも分らない。法花一部飽くまで魂魄世界で読みとってもらいたいと思う。

 法花経は羅什訳に限るといわれているが、これは羅什訳を更に謝霊運が豊かな知識を駆使して出来上ったのが今の羅什訳法花経なのである。この経の中には訳者の豊かな知識が十二分にもり込まれているのである。羅什訳によれば中国と印度の知識をも十分に備えることが出来るので、この法花経一部で十分であるという意をもっているのであろう。法花の訳経の中では、今の謝霊運漢訳法花経は遥かに他訳に勝れているようである。この法花経には豊かな謝霊運の知識が十分につぎこまれているのである。この経には自然に師弟子の法門が具わっているのではないかと思う。この法花の持つ因果はそのまま世間の因果と同じであり、それがまた蓮花因果と師弟子の因果と等しいものがあるようである。この師弟子の法門は法花を知る上において最も重要なもののように思う。蓮花因果はよく融合して衆生の己心に一箇しているものである。その高さを表わすために富士山の火口の蓮花を考え合せているようである。仏教の蓮花と世間の蓮花との即一をねらっているのであろう。そこに師弟因果があるのであろう。これは理屈抜きの即一である。ここにも江南の法門の深みが残されているようである。

 冨士派ではその蓮花を宗門に即して考えているようであるが、今は師弟子の法門とは無関係の処におかれているようである。師弟因果の因果には因果に即して深い修行を秘めているが、今はそれも忘れられて五百塵点も中々捉えがたいようである。妙法の名は蓮花に其の名を得ているということであるが、それは本因と共に打ちすてられたようである。それを信心から信頼にとりかえてもらいたい。互いの信頼の上に事が運べば、魂魄の上の平和を求めることも可能になるかもしれない。

 そこがキリスト教の愛からくる平和との相違点が見えるようである。キリスト教の場合は俗身の主張する処がこまやかである。俗心の上に語られるもの、魂魄の上に語られる平和であることに注意を向けたいと思う。そこには凡俗の欲望の入りこむ余地があるのではなかろうか。日蓮が法門では初めからそれを最も警戒しているようである。

 そこから大乗修行は始められている。それは師弟子の法門を信じることによって始まっているのである。そこから信頼も涌いてこようというものである。エホバの証人も己心の法門をとり上げているが、それは我心に近いようである。そこには俗心が強い感じである。己心を己の心と訳せば、それは我が心と受け止められるかもしれない。己心はあくまで魂魄の上にあるべきものである。己心と我心との区別は益々つけにくくなるであろう。最初が大切なのである。翻訳作業の時、己心に我心と欲心が混同したようである。モルモン経の人等にもその区別は重ね重ね注意したが、なかなかに本来のものに返すことは出来なかった。ここの処はアメリカの人等には最も理解しにくいことであったかもしれない。それは今もそれを受けつがれているようである。

 これは日本人でも区別は困難なものである。己心の法門は何れの国の人にもその意はとらえ難いようである。そこの処に東洋的な読み方は何と説明しても理解しにくいようであった。ドイツ学によった国柱会教学は軍部の広布方式によるもの。大石寺の明治教学等の己心の解釈は、今のアメリカの解釈に近いものをもっているように思う。この読みは遂に成功しなかったようである。修正は少しでも早い方がよいように思う。軍部の広布方式を取り入れたものは例外なく失敗に終っている。何れも平和を目指したものであるが、結果的には闘争に走ったようである。キリスト教の平和にも闘争につながるものをもっているようである。正宗も今では本因をすてているようである。そのために因果の混乱が自然に生じているのである。今となって身延派でも国柱会教学をとるべきか捨てるべきか色々に迷っているようである。佐渡において日蓮を力付けたのは白頭の烏である。この烏の活躍の場は魂魄のように思われる。この烏の故里は趙宋のようである。白頭の烏とは燕である。白頭の烏は、秋が来れば今年生れた子供を引きつれて燕の国に帰り、また明年故地に帰ってくるのである。趙宋の地を、燕の国を故里として常に往復しているのである。そして明年は必らず帰り、その時赦免状を持って帰ることになっているようである。昔、高麗の地が燕の国に占領されていた時代の名残りのようである。日蓮も佐渡に流されて故事を思い起して赦免状を期待していたことであろう。そして魂魄の上にその赦免状は受けとったことであろう。魂魄の上の受領は必らず行われたことであろう。その佐渡では興師の師弟子の法門によって、佐渡の本末は師弟子の法門によって、興師に直々に済われたようである。佐渡は師弟子の法門の故里である。今の世上では信頼関係は次第に薄れるようである。今、平和の語が盛んに説かれるが、それは相互の信頼関係の中にあって始めて成り立つものである。ドイツ哲学では強い者が先んづることになっているのであろうか。一歩退いて待てばそこには平和があるものである。互いの力が出合えば火花が散る筈である。その時、信頼関係が欲しいのである。師弟子の法門では互いに一歩ひかえ乍ら足を進めるのである。そして師弟相寄って仏道を成じるのである。そこには謙譲の徳も在り得るかもしれない。そこに久遠の修行をも考えようというのである。

 鎌倉以来、次ぎ次ぎに事行に繰り入れられた法門が山積しているのではないかと思う。今こそこれを取り出して、文字の上に整理を繰り反す時が来ているのではなかろうか。今は事行の法門の大半は消滅しているのではなかろうか。昔から事に行じられたままになっているものも多いと思う。今にして集録しておかないと、年を経る毎に集めにくくなるのではなかろうか。そこには意外な甚深なものがあるのではないかと思う。今それを集録出来る最後の時ではなかろうか。そこには本末究竟してよいものがあるのではなかろうか。それを詮じつめればそこには本尊が出るかもしれない。そこには長い深い経験の集積があるのかもしれないと思う。今のような本果一本の処には独自なものがあるかどうかも分らないと思う。本果による限りどうしても他宗の物真似的なものになり易いと思う。独自のものが欲しいと思う。現状では他宗から見た場合、日蓮の主張している処がはっきり出ないのである。声を大にして日蓮が主張する所を明確にしてもらいたいと思う。従来の処を見ても開目抄や本尊抄に説かれている所はあまり明了には主張していないと思う。これは門下一般に通用するもののようである。事を事に行ずる事行の法門にまかせ切りで、それについて格別に検討を持たなかったのではないであろうか。今では事行にまかせ切りで、殆んどそのまま追求されることもなかったのである。今こそ改めて事行の法門を子細に掘り起こす時ではなかろうか。事を事に行ずるという事でまかせ切りになって、それの持つ意義も失なわれているのではないであろうか。今が最後の時期ではないであろうか。このままでは近い将来、その骨格になるものが失なわれるのではないかと思う。宗門人の立ち上りを期待したいと思う。

 師弟子の法門では成道に必要な修行は繰り込まれているのである。大乗の成道に必要な修行はすべて繰りこまれているのである。それを子細に知らなければならない。今、久遠以来の修行がどのように行なわれているのであろうか。それをも詳細に知って居なければならない。それが失なわれると折角成道をとげ乍らそれを理解する事が出来ない。そして五百塵点の当初さえ、その意義の真実が理解出来にくくなっているのが現状ではなかろうか。回峯行もあまり峰を回り過ぎると、小乗行となり下れるしかないのである。叡山では今も回峯行は続けられているのである。反って祖師の教えをゆがめることになるものもある。折角の大乗行を、小乗行として行じたのでは功徳にもなり得ない。反って祖師の教えに背いていることを知らなければならない。真実を真実に伝える処にむずかしさがある。そこに師弟子の道もあろうというものである。今の時代に合わせて新解釈をつけても、古いものにしっくりとあわせることは困難である。気持のみ超過することも危険である。師弟子の法門ではそれに必要な大乗修行は、人の目につかない処で修行は成り立っている。五百塵点以来の修行である。これだけを単独に探りあてることは困難である。叡山にあって小乗修行にあけるれることは全く無意味なことである。本末の師弟相寄って修行することを確認する処に究竟もあろうというものである。

 そこに出現するのが不思議の一法である。そこに本因境界も出現しようというものである。小乗修行を事にくり反してみても祖師は決して喜ばないであろうと思う。改めて本末究竟の重大な意義をしるべきである。本末究竟は見廻してみても探りあてらえるものではない。まず師弟子の法門を知らなければならない。そしてそこには必らず本因妙を考える必要があるのである。これのみはお忘れのないように。これを忘れては五百塵点以来の修行はとらえ難いのである。師弟子の法門を外れているが故に当初が捉えがたいのである。師弟子の法門では他のために示すものは不必要なようである。今の時代は解釈が時代からどんどん取り残されている御時勢である。気持だけが超過することも亦危険である。師弟子の法門は本末寺の中間にあって常に修行をくり返しているのである。そこにあるのが己心の法門である。久遠というも五百塵点というも、そこにあるものである。今はその理を建造物として示す必要はないものと思う。それに威を示すよりは、その内容を整えるべきではないか。魂魄についてはどのように考えているのであろうか。古伝の独自の成道方式はあまりにも秘められすぎて、自他に分らない方向に向いたままになっているようである。これでは折角の法門もその威力を発揮することは出来ない。改めて考え直すべきであると思う。衆生は成道以後その姿を他に示す必要はない。その秘められた処にその意義があろうというものである。

 今宗門でなさなければならないことは、明治以降他門から移入した教義の精算である。今それを反省する時が来ているのではないかと思う。法教院も宗務院も明治教学を守ることに汲々としているのではないか。他門ではそれぞれ検討を終っているようである。未だにその気配を感じられないのは何故であろう。

 

 

 

六巻抄の読み方(韓国への返言)

 

八月頃の

 韓国への返書の草稿が見つかったので、書き改めることにしたのがこの一篇である。その道中で六巻抄の穿鑿をして見ることにした、本篇が第一回の草稿である。六巻抄については古来深入りして穿鑿されていないのではないかと思う。今試みに日蓮正宗教学小辞典の二八四ページを引用してみることにする。即ち釈迦仏像を本尊としない項目の処である。日寛上人の末法相応抄の下、冨要三巻一五〇ページにことごとく明かされている。いまはその概要を記す。委しくは末法相応抄を熟読するのが至当である。

 1、 道理、

 第1に釈尊は熟脱の教主である。末法下種の時である。すなわち、色相荘厳の仏は在世熟脱の教主で末法下種の本仏ではない。第2に三徳の縁が浅い故に用いない。正像の衆生は本巳有善なるが故に、色相の仏には縁が厚く、末法の衆生は本未有善なるが故に色相の仏には縁が薄い。第3に色相の仏は人法勝劣である故に用いない、すなわち本尊とは勝れたるを用うべきであり、色相の仏は劣り、法が勝れる故に、法を本尊となすべきである。

 2、 文証、

 法華経法師品第十には、経巻所住の処に塔を立つべし、舎利を安くべからずとある。文句の八には、この経は法身の舎利であるから、生身の舎利を安くべからずとある。また法華三昧には「法華経一部を安置し、形像舎利を安くべからず」とある。

 日蓮大聖人は本尊問答抄に「法花経の題目をもって本尊となすべし、釈尊を本尊とすべからず」と仰せられ、日興上人は門徒存知の事に「五人は一同に釈迦を本尊とすべしという。日興云く、妙法蓮華経の五字を本尊とすべしと」以上は何れも取意であり、そのほか類文は無類なればこれを略す。

 3、 遮難、

 御書に釈迦像の造立を賛嘆せられ、あるいは、日蓮大聖人の御正意は、まったく釈尊の仏像ではないが、しかも、これを許された理由は次のごとくである。

 第1に佐渡以前の御書は一宗弘通の初めであり、御正意ではなくても用捨よろしきにしたがわれた。

 第2に当時は日本国じゅう一同に阿弥陀を本尊としていた。ゆえに門下が阿弥陀を捨てて釈尊を立てたのを賛嘆された。

 第3に日蓮大聖人の観見の前には釈尊の一体仏も、まったく一念三千即自受用身の本仏と映ぜられた。また、報恩抄、三大秘法抄等に、「教主釈尊を本尊となすべし」等の御文がある。これらの教主釈尊とは、「南無妙法蓮華経をご所持になる仏」の意であり、五重三段では、第五の文底下種三段において立つ仏である。なおその理由は別項に論ずる通りである。 

 引用は以上のごとくである。

 今、六巻抄を見るに、そこで中心として取り上げなければならないのは第六の当家三衣抄であり、その中には衆生が仏から頸に懸け与えられた三大秘法のまとめたものが収められている。第一はそれを説き出すための用意のものであり、第二は三秘の名目をあげられたもの、依義判文をもって説明する。第四は末法の本尊を明され、第五はこれらが妙法五字の中に収まっていることを示されている。第六は三秘が当家三衣の中におさまっている。六巻抄は仏から頸に懸け与えられて本尊であり、その三秘は生れながらにして仏から授与されていて、これを所持していることを現わす。その頸にかけ与えられた妙法五字、即ち三秘には一切の法門が含まれていることを顕わしている。そのように一切の法門を収めた当家三衣は、頸にかけ与えられた三秘に一切の法門を含んでいるということである。一切の法門をどのように含んでいるかということを説き明されているのが当家三衣抄である。三衣抄は袈裟・衣・数珠の三を説かれているのである。それは一切の法門である妙法であり、それを法門として解示されているのである。

 

 

 

一年前従来の六巻抄の解釈に対して異論を申し上げて、漸く一年許りで修正を加えなければならない破目になった、よろしく御諒恕願いたいと思う。個々にどのような法門がどのようにそこに含まれているかということは、皆様の手を煩らはしたいと考えている。よろしく御願いします。

 当家三衣抄とは宗門の三衣について解明されているものではない、それが実は三秘である。三衣として僧侶のみに必要なものではない。三衣抄の引用の左伝の註は、室町末期から徳川初期にかけての人々には充分に、その秘められたものも充分に理解されていたものではなかろうか。筆者は、もしかしたらそれは魂魄の意を秘めているのかもしれない、今はその意味は全く分らないことになっているのである、もしかしたらそれは魂魄の意をもっているのではないかと思う。底辺の庶民といえども、魂魄の上には王侯と同じものを具備して出生している意を表わしているように思う。これらのものはすべて魂魄の上に論じられるものである。決してそれらのものは俗身の上に論じられるものではない、それらは信の一字をもって即時に魂魄の上に切りかえられるものである。そこに信の上の受持が必要なのである。今はそれが信心ということで、直々に俗身に切りかえられているように思われる。本来の師弟子の法門は、そのような魂魄の上に、信の上に組み立てられているのではないかと思う。その究極にあるのが当家三衣抄のように思われる。ここには題目があり、妙法があり、それが時によって題目とも妙法とも呼ばれ、そこに一切の法門が含められているように云われている。そして時には三秘とも六大秘法とも戒旦の本尊とも称せられているのである。それが時あって俗身の上に呼ばれる時、大きな混乱を生じているようである。それを魂魄のうえに治めて守っているのが師弟子の法門である。それを懇々と説き明かされたのが六巻抄であり、これを明らめるためには、まずわが身を素に返さなければならない。その時、魂魄の上にこれらの法門を取り返すことが出来るのである。

 それが師弟子の法門の特権なのである。今こそ師弟子の法門の蘇るべき時なのである、そこに新しい世紀の誕生もあり得るのではなかろうか。それらは全て天の命による処、そこには一切の人為の差別は必要がないように思われる。その無差別の処に究極の平和があるのではなかろうか。それは必らず師弟子の法門に限るようで、日蓮が法門の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門の究極の目的は、そこに内在しているようである。その時、我が身一身の処にあるのが真実の平和のようである。そこに若し余人が介在すれば平和はあり得ないのではないかと思う。その時、我が身の己心の奥底にあるのが平和のようである。今唱えられている平和とは、自他混在の処で考えられているようである。そこは必らず差別の発端になるものではないかと思う。我が身一身のみを主張する処に己心の法門の意義があるのである。今一般に唱えられている平和とは、案外平和には非ずして混乱の本源にあたる処かもしれない。即ち平和の在所でなくして混乱の内在する処なのかもしれない。

 日蓮聖人の取り出した秘処とは必らず魂魄の秘沈された処に限るようである。この解釈の相違の中に中世の差別が生じたのかもしれない。そこに差別の発生源があるのかもしれない。差別は意識の上に作り出されたものではない、それは魂魄世界において自他の差別の中で偶然に出来上ったもののようで、そこにその本源の探り出したいものがあるように思う。一般には漠然と室町又は、南北朝の頃といわれているが、それははっきりと正確に捉えられているものではないようで、それらを含めているのが日蓮及び、浄土宗等のように思う。それは天台に、浄土の解釈の道中で起きたことである。それを乗りこえるためには、必らずそこには魂魄が必要なようである。それらは韓国経由で南宋の思想が持ち込まれたものであろう。それが定着するまでには長年月を経過しているものであろう。直接南宋から移入したものではないように思う。そして奈良仏教を小乗と下すのはそれ以後のことのようである。それは鑑真のような人達の力が大きかったのではなかろうか。その頃は未だ直接入唐した人はなかったように思う。

このようにして六巻抄を見れば、どのような法門がその中にどのように含まれているかということが明らかになると思う。それは一々に具体的に引き出すことも可能である。これを子細に教示するのが六巻抄の目標であったように思う。始めて四十五年、今漸くその一端に取り付くことが出来た、余は宗学者に依頼したい処である。そこから間違いなく平和を取り出してもらいたいと思う。このようなことは

 法然の浄土宗にも魂魄の上に考えられている法門があり、それが俗身を交えた処で考えられているものがあるのではなかろうか。それは天台法門が次ぎに伝えられる時に起っているのであろう。そこに「魂魄佐渡にいたる」の意義があるのである。ここの処を次ぎの人が自見をもって自由に受けとめるようになるのである。そのために日蓮門下の法門が捉えにくいのである。浄土宗ではいかがでせうか。門下でもその辺について、速やかに魂魄の処に立ち返って考え直すべき時が来ているのではなかろうか。

 開目抄でもこの魂魄の処、最高の圧巻である。ここは他宗にない独自の処なのかもしれない。見方によれば最も不可解な処でもある。その処において日興には独自の受持をもっていたのではなかろうか。その正体が失なわれて、只漠然と直授相承という語の中で他門の反感を買っているように思う。天帝(本仏)から直々に受けていることが正常に伝わっていかないための批難ではなかろうか。そこには魂魄の上の話が、俗身の上に解されたものをもっているようである。直授相承の中には魂魄の上の話が大いに残されているように思われる。それは師弟子の法門ということでまとめて残っているのではなかろうか。それだけに富士門にはまだまだ古伝をもっているようである。それがまとめられるなら、師弟子の法門なのではなかろうか。それは魂魄の上に取り決められた、文の底の己心の一念三千法門のようである。それが師弟子の法門なのである。いつの日が来たらこれらの法門が明らめられるのであろうか。近代の法門は、あまりにも世俗の影響を受け過ぎているのではないかと思う。それは別世界にあるべきもののようである。元の誤りの上に誤りが積み重ねられるために、もとの正体が中々捉えがたいのである。

 大石寺法門の根元は魂魄の上にあるべき己心の一念三千法門ではないかと思う。そこに宗教の本源があるのかもしれない。宗教とは魂魄を静めるもののようである。そこに平和もまた在り得るようである。今の世俗では平和は専ら世俗にあって考えられているようである。平和もまたそこに移行しているのである。もと魂魄の上に定めおかれた己心の一念三千法門は、本来大小上下とは無関係の処にあるもののようで、それに大小上下を考えるのは、人間共のする無用の業である。法門は魂魄との上に考えおかれたものなのである。それにいらぬせっかいを加えることは止めた方がよいようである。そこに初めて平和もあろうというものである。今は平和一つでさえ捉えがたいようである。心に大小上下を考えるのは、それに角を立てるものである。真の平和とは、そのような差別のない処にあるのではなかろうか。六巻抄はそのようなものを吾々に教えているように思われる。これに角を立てるのは、見るものの誤りのようである。大聖人のお示しもまたそのような処で受け止めるなら、それは平和そのもののようである。それに角を立てるのは聞く者の誤りのようである。

 先年来叡山で平和サミット会議が行われたが、どのような平和を取り出すことが出来たのであろうか、伝教大師の説かれた平和は今も山中に健在ではないかと思う。それは己心の上の平和のようである。これらはすべて「己心中所行法門」の処にあるもののようである。平和とは己心中所行法門の処にあるものである。それは己心の上の法門の処に平和があるのである。今は専らそれを世俗の処に求めようとしているのである。叡山の平和も実には己心中にあるべき法門のようである。それが西洋文化の移入の中で、己心中にあるべきものが世俗の上に出たために、解決出来にくいものが出ているのではなかろうか。各宗共それぞれ大きな影響を受けたのであろう。今こそ独自のものに立ち帰るべきである。それは今、各宗共通の課題ではないかと思われる。

 第六の当家三衣抄の発端の左伝の文は、釈門章服儀応報記私記から引用されたもの、それは明蔵から深草元政がとり出して別刷りしたもので、その手沢本は今に大石寺図書館に残されているものである。この左伝の引用文は、当時以後よく引用されている。不受不施日奥にも引用されているものがあったように思う。当家三衣抄は、師弟子の法門についてまとめられたものの結論にあたる部分ではないかと思う。近代この抄は吾々に必要なものではないと、これほど重要なものが殆んど見向きもされていなかったようである。師弟子の法門もこの巻にまとめられているのである、その意味が理解出来ないために殆んど見向きもされなかったのが実状である。それらはすべて事行の中に秘められていたのである。左伝の文は、衆生が何れも生れながらに備えている三秘ではないかと思う。それは文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門なのである。この左伝の文の中には、己心の文のあり方を解明する何物かが秘められているのではないかと思う。冨要集三の二七〇の初めにも引用されている。当時ではこれでその意は通じていたのであろうが、今は全くその意は通じないようである。衆生の己心には、王者に劣らぬ十二章を己心に備えていることのようである。この文も己心の上の話のようである。極意の処は己心ということで師弟子の法門と全同なのである。六巻抄も結局は己心の法門に落ち付くようである。三衣抄を文の底の己心の一念三千と読みとった処で、逆次に三衣抄を読みそこから一挙に三重秘伝抄まで読み返してもらいたいと思う。そのようにすればいかに六巻抄の中に、多くの法門が含められていることが理解出来るのではないかと思う。

 第一三重秘伝抄から六巻抄の核心にふれるためには、いかにも時間がかかりそうである。そのために今まで六巻抄の重要さが捉えられずに終っているようである。そのために寛師の大きさも、結論を求めるに至らなかったのである。己心の法門として宗開三直伝のものは、今に昔ながらにそのまま伝持されている、それが己心の一念三千法門である。それは魂魄の上に伝持されているものである。魂魄は開目抄において取り出され、それから文の底に秘められた己心の一念三千法門を取り出して、本尊抄はその開明をされているのではないかと思う。それが寛師の場合は師弟子の法門をもって、当家三衣とまとめられたものである。それは更に観念文として要約されて重要な役割をしているのである。それを知るためにも六巻抄の解明は必要なのである。不可解な故にありがたいでは困りものである。開目抄を受けた本尊抄、そして三師伝、六巻抄また化儀抄も、一言にまとめて師弟子の法門の解明といえるのではないかと思う。その点、何れの抄とも共通点があるようである。それを通しているのが師弟子の法門であり、いうまでもなく文底秘沈の法門である。この法門によって七百年来宗門は支えられているのである。そこを支えるのが師弟子の法門である。そしてそこには受持があり、それによって久遠以来の修行も受持されて、そこに衆生の成道も可能になっている、そこにあるのが大乗修行である。

 叡山の回峰行は、もともと大乗修行を目指しているようであるが、今の在り方からすれば殆んど小乗修行に思われるのは、思うものの誤りであろうか。そこを支えるのは文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門なのではなかろうか。即ち己心中所行法門についての修行ではないかと思われる。そのための叡山の開山ではなかったであろうか。学生式の一隅とは今に定らないようであるが、これは大石寺にもある語であるが、そこでは丑寅の一隅であり、諸仏の成道の場を指しているのである。それは受持によって衆生の成道にも大きな意義をもっているようである。この語は文底秘沈の法門に幾分の関連を持っているのかもしれない。今の叡山の一隅の解釈は、世俗の縁に強くひかれているのではないかと思う。この一隅も古いものが失なわれて、新しく意義付けられているようである。

 今年は平成二年を迎えて明治に帰るべきかどうか、明治教学に対する態度を取りきめるべき時ではないかと思う。今年位から明治教学と訣別すべき時を迎えているのではないかと思う。今こそ文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門に立ち帰るべき時ではないかと思う。魂魄から生れた師弟子の法門の上に無差別世界を捉えてもらいたいと思う。今も宗門では久遠元初を現実世界で考えようとしているのではなかろうか。そこは潔く魂魄世界に切りかえてもらいたいものである。魂魄世界と俗世間との混乱の処には衆生の救われるものがない、宗教に関わるもの、それは魂魄の上に考えるべきもののようである、そこには真実の平和がある。今世間では盛んに平和を称えているが、肝心の魂魄の上の平和が除外されている処が異様である。世間の平和とは自から格別のものである。頓悟は魂魄世界においてその威力を発揮するものである。そこにおいて平和も存在し得るものである。俗世間の平和をそのまま宗教世界に持ちこもうとしているのが今の平和のようである。平和については真俗の混乱があるようである。

 同じ天台であっても古い処は仏朧寺により、後には江北の五台山によるようになり、後には五台山流が叡山の主流となり、大きく教義が変ってくるようである。安国論の前には法門可被申様之事には京なめりといわれている、それが四明流を指している語である。天文頃には勢いがよくなり、古い処を中古天台と下している、それは元禄頃まで続き、戦前戦後にも中古天台の語が盛んに唱えられたことがあった。今は全くその声を聞くことはない。その天台もまた西洋学の影響を受けているのではなかろうか。広宣流布とは魂魄の上の平和ではないかと思われるが、考え方からすれば魂魄と世俗との混乱の中に平和を考えているように見える処がある。寛師が本尊抄文段で本因本果を説かれるのは、法門の上での平和なのかもしれない。その不思議の一法とは魂魄の上の平和ではないかと思われる。広宣流布には真俗の混乱をもっているように思われる。後になると、ここに真俗の混乱と仏朧寺と五台山、相互の混乱が強くなり、明治には大きく西洋学の影響を強く受けて混乱を重ねているようである。大石寺でも明治の混乱は今も尾をひいているようである。仏朧寺の天台学は呉音によるもの、五台山は漢音によっているのではないかと思う、そこに両者の間に大きな相違があるのではなかろうか。考え方も江南江北では自から相違があるのであろう。慈覚大師や智証大師は西安に游学したのである。

 日蓮宗でも明治にはドイツ学の大きな影響を受けたようであり、それらも今、精算期を迎えているようである。大石寺も、いやでも明治教学の整理をしなければならないであろう。今、世上も大きな混乱の時を向えて、本来の教学に帰るべきではないかと思う。広宣流布も魂魄の上に考える必要に迫られているのではないかと思う。明治以来の外相の流布の整理の時期が来ているのである。今こそ内証真実の広布を求めなければならない。魂魄の上の内証真実の広布には授戒のための戒旦の必要はないであろう。己心中所行の法門として、師弟子の法門を行ずるためには法花堂は公認されている。その行のために何故戒旦が必要なのであろうか。師弟相寄って己心中所行の法門を行じる処戒場は、その俗身をもって代用出来る。若し別して建造物をもってすれば、小乗に近付く恐れがあるのではなかろうか。そのために法花堂までと許しが出ているのである。戒旦堂での戒の修行・授戒は、多分に小乗戒に近付く恐れをもっているのではなかろうか。その授戒方式は正本堂では困難になったために、建て直しの話が出ているのではなかろうか。それはその理について反省を求められているのではなかろうか。それが最終的に小乗戒に摂入されるのは如何にも異様である。宗門としては古来大乗戒を求め続けて来たのではなかろうか。七百年を過ぎていよいよ滅後末法を迎えた時、小乗方式による戒旦に大聖人の印可を得ることが出来るであろうか。どこかで何かが狂っているということではなかろうか。

 六巻抄の中から、事の戒旦として小乗戒旦の裏付けを求めることは出来ない。若しそれを求めることが出来るとすれば、北山法門によらなければならない。三位日順教学には或はあるかもしれない。そこには身延教学に近いものを持っているかもしれない。これも警戒を要する処である。今となっては北山身延方式と古伝の方式との差別がつきにくいようである。大石寺では今に師弟子の法門をもっているが、北山では既に上代に失なわれているようである、そして或る時期、身延法門と入れ替っている。それが三位日順の名を假りて重須談所の教学ということで大石寺が受けいれている。身延教学は重須の中では今も生きているのである。その重須教学が受け入れられているのである。そこには要法寺教学また八品教学も入っているのではないかと思われる。それ程複雑なのである。天母山も重須教学の中で必要なものではなかろうか。御義口伝も重須を経て大石寺に入り込んでいるように思われる。三位日順の開いたのは重須談所であった。或る一時期、談所の盛んな時代があったようである。八品や要法寺及び、身延など種々に教学を取り入れている。大石寺が重須に近付いたとすれば元禄以後、寛師の入寂後のようである。或は明治以降になるかもしれない。

 己心の法門とは「己心中所行法門」から発想され発展したものかもしれない。そこから本尊抄ともなり、師弟子の法門ともなって種々に衆生を利益されているが、今七百年たって見れば殆んどそれらも影が薄くなってくるようである。そこに法門書の文章の読み方があるのではないかと思う。体内体外も己心中の文に関係があるのかも知れない。長い年月の間に異状発展もあり忘却されるものも出るようである。師弟子の法門は色々な形で残されている、これはそれほど簡単には消えないかもしれない。受けたものの姿を替えないで、そのまま次々に伝えることのいかにむづかしいことか。そこに師弟子の修行があるのである。それを消したものはドイツ学の移入にあったように思う。己心中所行法門の処に大聖人の法門の原点があるのかもしれない。寛師法門もまたそこより直結して今に至っているかもしれない。今度はこの法門、再び失わないようにしていただきたいと思う。何というても開目抄の魂魄佐渡に至ると頓悟とは、庶民にとって最高の贈り物である。世上に色々と混乱しているようであるが、それは七百年の間、誰一人受けとめる人もなかったようである。そして今年平成二年まで、手付かずで残されていたのである。今度は「師弟子の法門」も「己心中所行の法門」も是非共どこかに残したいと思う許りである。

 今、念のために宗要3の2ページの末行を引用すれば「本師八十余巻の述作中無益の冗書はないが、これを統轄する要書はこの六巻抄である、自身三十年の言説をした計りで無く、釈迦仏の又蓮祖大聖の総てを此の中に納めたりとの会心の制作であったのは、候補たる学頭日詳師への御譲りの御談に顕われてをる、末従たるもの徒らに此を高閣に束ねて木像扱いにせず、日夜不断の研鑽の料として本師の妙義を光顕する事に努められたいのである」。

今、初めて四十五年を経て漸くその子細を知ることが出来た。

 あらゆる法門がはいっているということであったが、それがどのように組み入れられているのか、それは追々承知してもらいたいと思っている。秘伝抄は三秘を解されたもののようであるが、それが当家三衣抄にいたって、それを再びくり返され、これが大聖人の法門を一言にまとめたものではないかと思う、即ち左伝の註は或は己心を表わしたものかもしれない、これが開目抄の魂魄に通じるものではないかと今考えているのである。

 「編者が当初の理想はこの六巻抄の全面に少しづつでも簡明な註解を加へたいのであったが、紙面が許さぬ許りでなく浅智膚学の及ばぬ処であるに恐懼を生じた、幸いに秘伝抄と三衣抄とには三四十年前の畧註を修訂して加えやうとしたが、頁数の都合で秘伝抄だけにした。余りの五巻は延べ書ばかりでせん方なき事を許されよ、何れ老衰の身だから仏天達に冥加ありて幾分の余力を有するあらば、近き将来にこの責務を果たそうと思う」。

 筆者も始めて四十五年漸くその意に一分を窺うことが出来た。六巻抄とはこれ程難解なものである。何を解かれているものかその片鱗さえも伺うことが出来なかったものである。古来近来もこれについて些かの意見を加えられたものもなかったのではないかと思う。

 一つには三大秘法抄と初心成仏抄に幻惑せられた処があったのではないかと思う。このために三秘が大きく掩われて文底秘沈抄の邪魔をしていたのではないかと思う。今後は両抄に関わることなくその内容に立ち入ってもらいたいと思う。そこに説かれる本尊は三四五六と六に至って始めて核心にふれるようである。三秘は、最後、仏の手元でまとめられ、生れた時より頸にかけ与えられている本尊の処に収まるようである。三衣抄では一におさまって三衣となっているのである。その三衣とは文の底に秘して沈めた文底秘沈の三大秘法そのもののようである。ここに一切の法門、御書のすべてが集約されているようである。あまりにも大きすぎて三衣は僧侶に必要なもの、吾々信者には必要がないといわれてきていたのである。あまりにも深く秘められているのである。当家三衣抄とは師弟共々に深いかかわりを持っているものなのである。

 宗要3の270ページに釈門章服儀応報記から左伝の註が引用されているが、三衣抄に引用の左伝の註と同じものである。この文は深草元政が別刷出版したもので、大石寺図書館には寛師の手沢本らしきものがある。これは外に四五ケ処に引用されているものを見たことがあるが、古人はその意を承知していたものと思う。一つは不受不施日奥の引用のものもあったように思う。その最後訣別の時も衆生成道に関わりをもってこの註の意をとり上げているのであろうか。今はそのような意を伺うすべはない。古はここから魂魄の上の甚深の意を持っていたのではなかろうか。そこには己心の法門が秘められているのかもしれない。この抄は法衣を供養されたことについて、その功徳の大なることを明きらめられたものである。臨終用心抄は身延日乾師の著作にも同題の書籍があったように思う。それを参照し乍らものされたものである。 この抄と次の法衣供養抄とが一つになって当家三衣抄が出来ているのではなかろうか。そこには日蓮の二字のこと、其の他の寛記雑々が一抄にまとめられている感じである。三衣抄以下のもの全てを参照せられたいと思う。これらは六巻抄全体にも大いに関わりを持っているものと思われる。

 六巻抄を尊重する前にその甚深なものを極力明きらめなければならない。無意味のままありがたがる事は無駄の見本のようなものである。出来ればその内容をはっきり捉えた上で、その有りがた味を充分にかみしめてもらいたいものである。その内にどのような法門が、どのように秘められているのか是非それを探ってもらいたいと思っている。六巻抄の甚深な処も、他門の攻めとドイツ学の中でその深意を明らかにすることが出来なかったのではないかと思う。 大石寺古伝の法門の大部分は、この六巻抄の中に全て秘められているのではないかと思う。亨師のいわれるように、ただ高閣におし上げて有りがたがることのないように、身近なものとして大いに研鑚の対照にしてもらいたいと思う。大石寺法門の甚深な処は、今に六巻抄の中に秘められたままのようである。中には師弟子の法門を究明する方法があるのかもしれない。亨師は高閣に束ねて木像扱いにすることなく、不断の研鑽を求められているようである。若しそれが真実に研鑽されるなら、門下一般にも喜ばれるものがあるのかもしれない。文底秘沈抄は昔から珍重されていたが、全体を通じての意味には今少しという処があったのではないかと思う。

 師弟子の法門には釈尊の甚深な処を魂魄の上に受けとめたものではなかろうか。文の底に秘められたものは文のままである。修行のための相手として、即ち客人として迎えられているのが弟子のようであり、それが客人として客殿において修行をとげるために設けられたのが客殿である。信者を助っ人として、客人として接待するのとは大いに異る。それは修行の相手方として迎えるのである。あくまで修行のためのものである。古伝による客殿からはそのように受けとめられる。信者は大聖人の客人という扱いである。そこには師弟子の法門の意は残されているようである。自らも助けられ、また師の修行の手助けをする、そこに師弟子の法門としての師弟共に仏道を成ぜんという意味を含んでいるのではなかろうか。法門故、共に仏道を成じるための修行である。そこに平等がある。それがあまり他を下し、自らを上げすぎると次にはそれが不平等となり差別を生じるのである。法花は決して不平等は説いていない。それを不平等と読むのは人の子のすることである。一切平等の処に平和はあるものである。極端な差別をもっている処には恐らく平和はあり得ないであろう。その平和とは魂魄世界に限ってあり得るもののようである。

 大聖人の法門は開目抄の昔から一貫して魂魄の上に立てられているようである。それが近代は天皇に近いような極端な差別の中に置かれているようである。法主と天皇とは殆んど同等にして、恐れ多くも勿体なくもと表現される程の差別をもっているのである。今、会長も三者一体のように見える。大聖人自身は常に自らを底下におかれているのである。寛師の雑々には別にこれをとり挙げられている。法門の上からは無差別をとるべきである。修行をとれば無差別と出るのではなかろうか。天皇は昔は神として差別を持ち合わせていたが、今は出来るだけ無差別をとり返すことに力を竭していられるようである。吾々にはそれは勿体ないと映るのである。下にあるべきものが上座につけばそれは下剋上になり下、上を剋するといわれるものである。世俗一辺となればその様な世界を現じ易い。室町期の頃は下剋上の盛んな時代であった、それは差別を取った罪障なのかもしれない。今の世上は何の故に起っているのであろうか。何かの罪滅しのように思えてならない。

 法花経体内とは魂魄の上に考えられているもののようである。そこには必らず平和がある。それが体外に出れば平和は即刻混乱争闘と変ずるものである。それらは「己心中所行の法門」より生じたものではなかろうか。今の法門には平和と闘争とを二つ乍ら兼ね備えているようである。明治教学には両面を兼ね備えている両刃の剣、法門を考える場合必らず俗身をよけて考え、必らず魂魄の処に持ち込んで考えるべきもののようである。それが大聖人の法門の根元になっている。これは必らず無差別世界のようである。己心中であるからには当然無差別である。それは考える人の都合で差別を付するのである。それらの解釈によって千差万別の解釈が付けられるのである。よくよく「己心中所行の法門」であることを心に止めて事を運んでもらいたいものである。「己心中所行の法門」であるが故にこれを法花体内というのであろうか。己心中云云とは法花経寿量品をわが己心中に顕現した故の名義であろう、この故にこの法門は魂魄の上に考えられるのである。誤ってこれを外相に出せば、一時は成功しても後には必らず行きづまるものである。常に己心中に収めるべく心掛けなければならない。その人目に触れない所で積み上げられたものが陰徳といわれるものかもしれない。貴族らしさを誇る必要は更らにないようである。法教院の研究成果も是非共発表してもらいたいものである。法華には自らを最高最尊の坐に押し上げるようなものを常に持っているようである。これは常に人の弱味をくすぐるものであろう。今は世界中がその坐の取り合いに専念しているようである。最高最尊の座とは離れがたい気持のよい座のようである。万人皆それを目指しているようである。そこには充分の法門を蓄積してをくことが必要であったのである。宗門も法門の解明について些か手ぬかりがあったようである。早急にこの補充が必要なのではないかと思われる。六巻抄についてまだまだ整備が必要である。受けつがれているものの再検の必要がある。これが今度の課題である。

 己心中所行法門を具体的に表明しているのが本尊抄である。秘められたものを取り出すのが今後の課題ではないかと思う。己心中所行の法門であることは案外忘れられているのではないかと思う。それは大聖人自身が己心中に行ずる所の法門なのである。弟子もまた宜しく己心中に行ずべき所のものである。そこに又、師弟共に仏道を成ずる期もあるのではなかろうか。宗門では「己心中所行法門」は宗門においてはあまり聞きなれない語である。思い出して取り上げてもらいたいものである。明治以来、己心中所行法門についてはどのように扱われていたのであろうか。この法門、案外黙殺されていたのではないかと思う。邪義の扱いをうけていたのではなかろうか。この法門を三大秘法抄や初心成仏抄等と同時に扱えるものかどうか、この二抄、己心中所行の法門の中に組み入れるものかどうか、これは寛師が引用されているものだけに切りすてるには度胸が必要なようである。 釈尊の己心の一切経を、己心中所行の法門として魂魄の上に受けとめてきたのが上代からの法門のようである。

明治以来は「己心中所行法門」は案外冷遇されているのではなかろうか。師弟子の法門の復活には己心中所行法門を持っているかもしれない。

 六巻抄の第一、三重秘伝抄は己心中所行の法門によって当家三衣抄を取り出すためのもののようで、そして第二の文底秘沈抄であり、ここでは己心中所行法門から、すなわち寿量品の文の底が三衣抄に組み入れられ、三重秘伝抄では己心中所行の法門を穿鑿されているものがまとめて取り上げられてをり、そこから三大秘法が取り上げられ、それが更に最後当家三衣抄となって妙法五字の袋のうちに入れられるようである。それは本仏より衆生は妙法五字の袋を頸に懸け与えられているのである。それらは己心中所行の法門の一分のように思われる。三大秘法をとり出すのが目的のようで、第三はそれを依義判文して裏付けするもののようである。それが更らに裏付けられ三秘が各成長した所で第六の当家三衣抄につながるのである。三秘は己心中所行法門では妙法五字の袋のうちに包んで衆生各の頸に懸け与えられているものである。三秘抄の三秘は大きすぎて成長過程で大きすぎて邪魔になる面も持っているのである。そのために己心中所行の法門の邪魔をしているのではないかと思う。

 題目は四・五と過ぎて一言摂尽の題目に成長する中で一切の法門を内蔵していくようで、三大秘法抄の題目には一言摂尽の処に欠けるものがあるように思う。それでは只の口唱の題目となって一切の法門を摂入しているということに抵抗があるようである。巻を重ねて修行を重ねることによって本尊としての完成がある。而る後に当家三衣抄に成長していくようである。その三衣抄あまり深く沈められているためにその真実が捉えがたく、ほとんど切り捨てられていたのではないかと思う。師弟子の法門の極限の処はこの当家三衣抄にあるようである。これは袈裟・衣・数珠の三衣とは仏から妙法五字の袋に入れて頸に懸け与えられたものなのである。本仏の御慈悲と受けとめるべきものである。三衣は衆生が等しく本仏から授与されている所のものである。当家三衣抄と三大秘法抄と混雑して考えられてはいないであろうか。三衣抄とは師弟子の法門の極意の処にあるもののようである。この第六に至って師弟子の法門は完了するのである。

 観念文はこの三衣の処に成り立っているもののようである。六巻抄に見える観念文と宗務院のものとの間には些かの相違をもっているという話を聞いたことがある。それは何故であろうか。三衣抄に引かれる左伝の文には己心の意味を持っているところがあるのではなかろうか。宗務院ではどのように解しているのであろうか、是非拝聴したい処である。筆者は魂魄に近いものと考えているのである、法門の故里の意味をもっているのではなかろうか、或は常寂の故里の意をもっているかもしれない。清浄な魂魄世界であるこの抄は発端から魂魄があげられている。そのために今日まで殆んど解することがなかったのかもしれない。最後が理解出来ず、そのために、第一第二の解明が困難であったのでなかろうか。第二は三大秘法と読んで解釈について可成り深入りしていたのではなかろうか。ここから戒旦の本尊につながる解釈があったのではなかろうか。この抄もまた真実の捉えがたいものを持っているようである。第四第五ではそこから己心に内在する己心の一念三千法門に連絡付けられているように思う。これも亦混乱するものを持っているようである。六巻抄が亨師の希望される程、日夜不断の研鑽をされたことは更に聞かない、只徒らに「高閣に押し上げられて」いたのみであった。結局は手付かずのままということではなかろうか。今は三秘は戒旦の本尊ということで解されている。色々と他門から小突かれる要素を持っているようである。三秘もこの三衣抄に至って初めてその威力を表わすのである。三衣とは師弟子の法門の究極の表示である。この中には宗祖開山及び道師の三師伝及び六巻抄を含めて甚深の古伝の法門がそこに内蔵されているように思われる。王者は十二章の上に不断の修行をつんでいるのであろうか、己心中所行の法門をあらわしているのであろうか。今四十年を経て三衣抄に引用の左伝の意も何となく分ったように思われる。ここには甚深の意をもっていたように思われる。

 師弟子の法門には本来として一切の法門を含んでいるようである。これらは事行の法門として組み入れられているので理解されることもなく既に消されていたものもあるようである。受持によって信の一字の上に久遠以来の修行もあり、そこに成道もあり得るであろう。そこでは頓悟も威力を発揮しているようである。刹那半偈の成道も亦そこに威力を発揮するものである。これらが名字妙覚に通じるものを持っているようである。余は全て事行の法門に繰り入れられているようである。事行の法門には長い年月の間に今は消えたものも多いことと思われる。又変貌したものもあるのではないかと思う。特に明治以後は独自に発展したものも多いようである。これを素に帰すことが今後の課題である。安定した事行の法門を文字としてまとめて置くのが今後のなすべき事なのかもしれない。二十一世紀に入るまでに整理をしておくべきものと思う。亨師の引用文は厳しく研鑽を要求されているのである。

 当家三衣抄は六巻抄の結論にあたる部分であり、大石寺法門の精粋ではないかと思う。その三衣とは生れ乍らにして本仏から授与されているものなのである。常に自覚して研鑽を加えられるべきものである。三衣抄のここの処から逆次に読めば根元を失うことなく確実に甚深の法門に到達することが出来るのではなかろうか。まず何をおいても根本を捉えなければならない。まずその核心にふれた以後拡大すべきではないかと思う。これは法門を探り出すための常識ではなかろうか。それは亨師の残された大きな課題である。そこから逆次に読めば中に何が含まれているか自ら明らかなものである。戒旦の本尊も当家三衣抄の中に妙法五字と共に明かされているようである。一切の法門もそこに含まれている。妙法五字の中に一切の法が含まれている、それが頸に懸け与えられている。そこから観念文も生じているのである。それは分らないまま残されて無理に観ぜられてきているのである。

 これ程の当家三衣抄も従来殆んど見向きもされなかったのである。宗門もそこの処を大いに反省してもらいたいものである。宗学要集の註のみをもって六巻抄を理解することは困難である。宗門当局は六巻抄に対する研究成果を発表してもらいたい、優秀な頭脳を動員して研究成果を発表してもらいたいものである。

これ以上秘し過ぎるとそれこそ元ぐる見失うかもしれない。黙して語らずでは人は驚かない、大橋師もこの師弟子の法門及び、六巻抄三衣抄については直々受持したものが多くあるのではないかと思うが、随分長い間沈黙を守っているようである。今こそ新しい意見をもって反撃を加えてもらいたいものである。独り黙々と象牙の塔にのみ立て篭っているのも無駄なことではなかろうか。亨師の御説のように大いに研鑽を遂げてもらいたい。今こそ寛師の御説を研鑽すべき時ではなかろうか。只ありがたい勿体ないばかりでは二十一世紀には役立たないのではなかろうか。亨師の直説を発表してもらいたいと願うものである。黙々と蓄えている中に二十一世紀の民衆を救うものを秘しているのではなかろうか。一人でも多くの人々を救ってもらいたいものである。近頃は水島・大橋両師共全く音信不通のようである、荀々薫陶を受けた威力を発揮してもらいたいものである。

民衆が長い間渇仰した己心の法門、師弟子の法門を公開して世の困苦を救ってもらいたいと思う。寛師の御苦心もその内容を公開されることもなく二十一世紀を迎えようとしているのである。今こそ六巻抄からその真実を取り出しそれを世に示すべきではないかと思う。この中で上代から一筋通されているのが師弟子の法門である。これは俗身の上に説き出されたものではなく魂魄の上に説き出されたものである。現在のドイツ学の影響をうけているものを整理して師弟子の法門をもって魂魄の上に救済を計られたいものである。文底秘沈抄の三秘は民衆は直々生れた時、本仏から妙法五字の袋の中に入れて直々に頸に懸け与えられているものである。即ち詳細にその内容を示されてよい程のものである、新しく授与する必要はないのである。三秘の授与の必要はないのである、そこに当家三衣抄も成り立つというものである。民衆は与えられた三秘の内容について待ち望んでいるのである。本尊抄では地獄の様相について「怒るは地獄」とあるが、後世にはこれを無視してわざわざ盂蘭盆御書も作られている。大石寺でさえも毎年盆には盂蘭盆説法が通例になっているようである。凡そ己心中所行の一念三千法門とは、詢とに似つかわしからぬものである。本尊抄の御教示に対して申し訳けがないのではなかろうか。要は頸に懸け与えられた三秘の意義のみで事足りるのではなかろうか。

 鎌倉室町に入った頃には、中国の北宋の地から四明流が渡って、叡山にも入って力を付けて、叡山の教義が江南から江北へと交替するようである。鎌倉の始め頃にはそのようになっていたのではないかと思われる。それらは主として韓国から渡来人が持ち込んだものではないかと思う。それらは日本に新しく一つの思想を持ち込んだものでもあるようである。それが出るのは南北朝時代であるかもしれない。思想の上の変動をもっているようである。それは次の室町になると、中国の江北の地や韓国と交流が盛んになり、文化も高麗より流入するようになる。天文の頃には西洋文化も少しづつ流入するようになる。そして古い天台思想もまた消えていくようである。そのような中で大石寺法門、そして事を事に行じる己心中所行の法門など詢とに貴重な存在ではなかろうか。殆んど師弟子の法門などは今にあまり大きな移動もなく古えのまま残されているようである。そしてこれらのものが次の思想を作るのに大きな力になっているのである。室町という時代はその思想の上に現じた時代であったようである。今は子細にその動きのあとを追う時代なのかもしれない。それらの到来した思想についてまとめて研究されたもののあることを知らない。

室町という時代は「京なめり」的な思想が成りたった時代ではないかと思う。同じく天台思想であっても江南をうけた韓国の思想、その頃は直接には殆んど呉越の地には無関係であり専ら交流は江北に限ってをり、それと韓国との影響のみということのようである。上代において筆を取っていたのは必らずしも中国人のみではなく韓国人も多かったのではなかろうか。それらの人はもともと大和朝廷にも連絡をもっていたのであり、上代の頃は今の韓国の字が出来る以前のことであり、必らずしも文字の書けた人々を中国人と限定することは出来ないのではなかろうかと思う。文字を書いた人々を一言で中国人ときめつける理由は少し薄弱なのではなかろうか。そのような人々が日本の上代の文化を担当していたのではなかろうか。その頃のものには呉音で書かれたものもあるのではなろうか。飛鳥時代にしても奈良初頭にしても文字の書ける人は韓国から渡来していたのではなかろうか。それらの人々が筆を取っていたのではなかろうか。在来の日本人が筆をとって文字を書くまでにはもっと時が必要なのかもしれない。聖徳太子を取りまいた人々の中には多くの文字の書ける人々が居たことで、奈良時代になって小乗を下しているのも、必らずしも時に江南江北に直接交流があったとも思われない。飛鳥の頃には自らの力で渡海することは殆んど不可能であったのではなかろうか。その頃には韓国には船をもって往復することもあり得るかもしれない。南宋との交流にも韓国を介在しているかもしれない。もっともっと知らなければならないことが、あまりにも多くあるようである。今水島・大橋御両師に是非共伺いたいことは、

 大聖人が開目抄一巻を執筆されたことは何を目標とせられ、或は何について開目されたのであろう、只無意味に使われるようにも思われない。そもそも何について開目といわれるのであろうか、古来あまりはっきりすっきりとはしてないようである。昔からみればあまりはっきりとは考えられている話は耳にした事はない。是非洩れ承りたいものである。宗門ではどのように取りきめられているのであろうか。七百年の間、何について開目されたものか余り考えられたことはないのであろうか。法教院や阿部さんの処では、どのように決められているのであろうか。今敢えていえば、もしかしたら己心中所行の法門を、自らの己心中に発見した悦びを記されたものではなかろうかと、秘かに考えているのである。そのようなものを含んで、はずかしながらこの一巻を記したものである。わが魂魄の中に寿量品の文の底の一念三千法門を発見した悦びを、衆生に知らしめんがために佐渡の雪中にあって、わざわざ開目抄一巻を記されたものではなかろうか。魂魄の上に受けとめたものを雪中において書きとめられたもの、分りにくいのも当然といわなければならない筈であると思う。相呼応して開目と返答を返す人はないのであろうか。それにしても師弟の間あまりにも距りがあるようである。

己心中所行の法門を、魂魄の上に己心の一念三千法門を見出だされたことは、開目といえるものを充分に用意しているものを、持っているのではないかと思う。

寛師の意は一切衆生の盲目を開かしむる故に開目ということのようである。それと衆生の己心から三大秘法を求め出したということのようである。開目抄文段上の要宗3の306ページの3行目に、「四には文上脱益の三徳の就を除き、文底下種の三徳を見る故に開目抄と名付くるなり、今題号の意正しく第四に在りと」。挙げられた始めの三は畧したので宗学要集を直接見られたい。1は306ページの初行である。「然りといえどもこの義幽微にして彰わしがたし、浅きより深きに至り次第にこれを判ずるなり」と。このように解説されている。色々と委しく説かれている。それを是非読まれたい。開目抄に挙げられたものが、更に委しくのべられている。寛師の解説は甚深にしてわかりがたいものがある、今一歩下がった処で拝聴したいものである。

水島先生の御解釈をもって、愚人にも即座に解り易いものをお示し願いたいものである。329ページの七行目に「シタシキ父母ナリ文、異本ニ云ク、シフシ父母ナリ云云」、保田の我師の写本には主師父母也とある。主師はシタシとフをタと読んでキの字を補足したのではないかと思う。真蹟はシフシ父母ナリとあったのではないかと思う。タは恐らくはフの誤読ではなかったかと思われる。即主師親の三徳を彰わされているのではないかと思う。これは関東の弘法寺の古写本を写されたものである。天正の前半になるもの、疎開中大火にやけて天文後半に新しく補足されたものである。シフシ父母は漢字で書かれている、今の保田妙本寺に現存しているものである。門下現存のものとしては最古に近いものである。若し己心中所行の法門その他について御異見があれば早々に削除してもらいたい。その他重複した個所も多いと思うので、頭が混乱して整理しにくいのでよろしく御整理賜りたい、以上御願いします。主はシウと発音される、主師は室町の頃にはシウシと読まれていたものと思われる。御主も徳川の頃でもゴシウとよまれているようである。

 

 著者は若い頃から職人の世界に興味を持ち、その間にあって文房具や煎茶道具を作り乍ら未完成の完成に興味をもって来た。今も南画がもてはやされる理由も根本はそこにあるようである。或る部分については達磨禅に共通したものを真実はもっているのではなかろうか。それは古い教学が南宋から渡って来ている故である。南宋(なんそう)が後には南宋(なんしゅう)といわれるようになる、それが所謂南画である。極力不要なものを除外するのである。竹をもって此君と称して最高位におくのである。それは今も日本では珍重されているようである。

 大聖人や六巻抄の立て方にも同様のものがあるように思う。そこでは不要なものは黙って省くので、省畧されたものがその理由が分らない。それは必らず再現しなければならない。それが出来なければ必らず他から批難を受ける羽目になる。それは過去に経験した如くである。それを避けるためにその省かれた部分の再現が必要なのである。大聖人の場合、大きなのが寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門である、ここから六巻抄は起っているのである。その己心の法門は国境を越えていづこも同じく異論はないようである。この魂魄世界は宗開三以来のものであり、また南宋直伝のものである。簡にして要を得たものである。それは復元しなければその意が通じないのである。今は大聖人のものも北宋天台によってふくれているので、その意が取りにくいのである。六巻抄も亦同様である。今漸く四十年を過ぎてそれの復元について、一つのきっかけを見出だしたのがこの大石寺法門の(六)である。ここでは俗身俗世の中でものを論じ、考えるのは最も斥うところである。御書も六巻抄も亦省けるだけ省かれているので、その理解が困難なのである。

 昔から当家三衣抄は袈裟・衣・数珠のみを説かれているという処から、吾々信者には必要のないものという解釈の中で理解され、殆んど無用の長物扱いを受けていたのが当家三衣抄であった。それが六巻抄の解釈にも大きく影響していたようで、そこから三大秘法の戒旦の本尊として解されていたようで、生れた時から仏から頸にかけ与えられていた己心の一念三千の三秘であったことには気付くこともなく、甚深のものを打ち捨てていたのであった。どのようにしてそれを再現するのか、今後の大きな課題である。その秘された処に甚深の法門があったのである。そこは魂魄世界であったのである。今は魂魄は最も斥う処のようである。実はそこに己心の一念三千法門は秘して沈められているのである。それらも殆んど事行の法門として、事行の中に大半秘められているようであり、その間によい処から消えていったのではないかと思う。三大秘法を含めてすべてこの当家三衣抄の奥深く打ち沈められたまま、いまに復元されることもなく、今二十一世紀を迎えようとしているのである。

その秘曲はこの三衣抄に秘められているのではなかろうか。この抄のむずかしい処は引用の左伝の註にあるようで、使われた当時はその意も一般に通用していたようであるが、それが明治御一新となってその真実が消えて理解出来なくなって、三衣抄の説かれた処が捉えにくくなって、果ては抛棄につながったのではないかと思う。この引用文の示す処は、一言でいえば魂魄に相通じるものを持っているのではなかろうか。これはもと明蔵に入蔵している釈門章服儀応報記に引用されているもの、不受不施日奥にも引用していたように思う。そこから常寂の故里も出れば亦、霊山浄土にも通じるもののようである。そこに魂魄世界に通じるものもあるのではないかと思う。明治にはその意は全く消えていたようである。今も亦、通じにくいのではないであろうか。これは深草元政が別刷りしたもので、寛師の手沢本は大石寺図書館に襲蔵されているように思う。明蔵もあるので調べられたい。宗要三の法衣供養談義にも引用されている。臨終用心抄は身延乾師のものを抜き書き引用されたようであるが、その他の寛記雑々も六巻抄著作の用意のために抜き書きされたもののようである。この用意をもって六巻抄編集に取りかかられたのではなかろうか。その中には開目抄の文段も、その他の文段も読んだ上で解明にとりかかられたいと思う。このようにして見ると六巻抄も、文の底に秘して沈めた部分がいかに多いかということも理解出来るのではないかと思う。魂魄世界云云については、北七の影響をうけた天台山教学の渡来と共に、中古天台という中で消えていったのではなかろうか。その北宋天台(四明教学)は鎌倉文応の頃には渡ってきていたようで、それは渤海方面との交流が深まった頃かもしれない。その頃に北七流の考えが渡来するのかもしれない。それらの説が韓国に入りその後日本に渡来するのかもしれない。文底秘沈抄に説かれた処は、やがて当家三衣抄に全部摂入される。その中には戒旦の本尊も組み入れられているのではないかと思う。第五では妙法五字の中に一切の法門が摂入される作業が行われているように思われる。文底秘沈抄では題目に一切の法門が摂入される作業は行われないので、その題目による場合は一言摂尽の題目でなく、口唱の題目の辺が濃いように思う。それが一言摂尽の題目となるためには、当家三衣抄に繰り入れられた以後でなければその威力を発揮することは出来ない。現在は文底秘沈抄の三秘が使われているために、題目について充分とはいえない。戒旦篇には三秘抄がひかれているが、極くせまい処で解するべきである。三秘全体に拡大して考えればそこに混乱が待っている。第二からの三秘抄による三秘を使われているのではないかと思う。三大秘法抄に乗り切られた感じが強いでは遺憾なことである。六巻抄は第六の終りに至ってその意義もあり、威力を発揮しようというものであることを御理解願いたいと思う。三秘抄の解釈の立て方によって、これ程重要な三衣抄が全く無用の長物化したとは恐ろしいことである。明治以後は左伝の註の引用の威力がなくなった、それは明治の文明開化の威力ということであると思う。明治以降の宗学はドイツ学の上で散々に揉まれて来ているようで、それも百年を経過して落付くべき時を迎えたようである。

今の世上では魂魄の上にものを考えることも許されないのかもしれない。宗義のこの難問を解決する方法は魂魄以外にはないのではなかろうか。それを魂魄の上に収めて二十一世紀を迎えるのが最もよい方法ではなかろうか。真蹟は今も残されているものである。

 天台法華宗年分学生式一首「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心有らん人を名づけて国宝となす。故に古人の言えることあり、径寸十枚、これ国宝に非ず。照于一隅これ則ち国宝なりと。(以下畧す)」以上照于一隅の処である。

 

 これは座敷の一隅でもなければ世俗の上の一隅でもない処、魂魄の処を指しているのではないかと思う。この学生式は日蓮の開目抄とも大いに関連をもっているのではなかろうか。そこに若し師弟子の法門を考えるなら当然衆生の成道もあり得るであろう。そのような中に学生式問答は考えられているようである。その中に重要部分は日蓮によって開花したものもあるのではなかろか。それの受けとめ方の中から開目抄や本尊抄も出生したのではないかと思う。近代の一隅は専ら世俗の中でのみ考えられているものである。それでは師弟子の法門の出る余地はなさそうである。一隅とは丑寅であり、そこは諸仏の成道する処でもあり、衆生の成道も亦そこを目指しているのである。丑寅から霊山に至る道中に、亦東南に閻浮提がある。更に南を通りすぎて西南にあるのが霊山浄土である。その出発点がある処の一隅なのである。

 不受不施日奥の終る頃、南宋天台の名残りがあったようで、その最後訣別の詩が呉音の最後の名残りなのではなかろうか。その頃は叡山の南宋の教学が、中古天台と盛んにたたかれて北宋全盛の頃であった。呉音から漢音に交替する時期であり、その頃に人は呉音で書かれたものを読む力があったのではなかろうか。以後は専ら漢文によるようになり、今はその続きの中にあるのである。大石寺ではそれは院師・主師の時代に相当している。塔中・東側にあった天経の土壇はその頃を最後に消えていくようである。朝の勤行が行なわれていたのはこの土壇の上であり、それを終って客殿に帰っていたようである。古の勤行は土足で行なっていたようである。それは室町以前に限られていたようである。六巻抄の理解出来にくいものの中には、室町以前のものの復活されたものが理解出来にくいもののようである。開目抄から引かれた処は魂魄であり、左伝の引用もまた魂魄を目指したものであろうと思われる。今こそこの法門を復活して、滅後末法の大事に処すべきではなかろうか。今日のためにこの己心の法門を残された処は、大聖人の御慈悲と受けとめるべきではなかろうか。滅後末法とは熱原法難の時もそのように思われるし、今の世紀末も亦、大きな滅後末法の時の如く、世界中の国々も一斉に混乱を起しているようである。これを乗り越えるために魂魄の上に考え直す必要があるように思う。魂魄を取り入れた上で考え直すべきではなかろうか。今こそ古伝の法門の復活すべき時であると思う。

 一隅を照らす運動も、魂魄の処に立ち返って考え直すべきではなかろうか。通り一辺の世俗の上にのみ考えるべきではないのではないかと思われる。それは当時、大師の天皇に対しての誓言であったように思う。それは魂魄の上の誓言であり、世俗の上の話ではないように思う。再び魂魄の上に話を返してはどうであろう、これは到底下俗の処で解決する話ではないのかもしれない。朝のテレビ説法で一隅を照らす運動が出ていたが、この一隅を照らす語は、山家学生式のものににたる語で、学生のお許しを乞うについてその決意を申し上げられたものであり、丑寅とは諸仏の成道のところ、衆生もこれを受持して成道を願うということで大石寺でもこれによっているのである。それは諸仏の功徳を受持して衆生の成道の意をもっているものである。その丑寅に住するものこそ国宝であるという意味のようである。そこは明らかに一切衆生の成仏道を示されているように思う。大乗を唱える処では重要な部分ではなかろうか。小乗修行を取り出しては無意味である。丑寅に立つもの全てが国宝という意味ではないようである。それは大師と天皇との間の誓言である。これは大師の大乗修行の決意を示されたものとも受けとめられる程のものである。今は次第に俗化してきて専ら世俗の処で解釈されているようであるが、大師の教えはもっともっと高い処にあるようである。それは久遠元初を目指しているもののようにも思われる。改めて開目抄や本尊抄の甚深の処を読み返す必要があるのではなかろうか。折角深く読まれているもの、浅く読み返へす必要は更にないものと思う。

 

 

 

六巻抄

 

 六巻抄が起稿されたのは、寛師が学頭として蓮藏坊に入り求めに応じて開目抄を講ぜられた頃であった、それから三百年を経過した今、その明快な解釈は未だに作られていないのは詢に遺憾な事である。その序文によれば講義にあたり文底秘沈の句に至り、その解明のために六巻抄の起稿を思い付かれたようである。従来のその第二文底秘沈抄に結論を求め、そこに三秘を考えらえていたようである。編集の当初、六巻を編集されたものであるから、第六に結論があると考えることが普通な方法ではないかと思う。そのために中々結論に達しなかったのではなかろうか。

 その序文によれば文に三段を分かち、義に十門を開くとなっている、そして第一が三重秘伝抄であり、次いで、そこから第二文底秘沈抄が引き出されているのである。これらは開目抄がそのようになっているものを引き出されたものである。開目抄を種々事細かく分析されているのである。その結果として、次の第二文底秘沈抄が取り出され三秘が出揃うのである。そして第三は経の文等を引いて、それをもって三秘の出処を委しくされている。そして第四は末法相応抄であり、末法相応の三秘として改めてとり上げられ、第五は当流行事抄であり、滅後末法の当流の立場から三秘を見直されているのである。そこで妙法五字の中にどのようなものが組み入れられているかということも、それによれば明らかにすることが出来るように思う。それは事行の法門として三秘や当家の法門を明されているのである。その巻で始めて妙法五字の中に三秘が入れ込まれるのである。それが一言摂尽の妙法である。御書を追えば、その中に何がどのように組み入れられているかは直ぐに分る筈である。それを受けるのが第六当家三衣抄である。その三衣抄の処に三秘もいれこまれて当家真実の法門が出来上るのである。この重要な三衣抄がその意が捉えられず、吾々信者には必要のないもの、僧侶にのみ必要なものとして信者の立場から全く今まで切り捨てられて、省られなかったものである。ここに結論が持ちこまれているとは知らず、三秘が出ている故に文底秘沈抄に結論を持ちこんでいたのみで、六巻抄の結論は解釈の上で今まで出されていなかったようである。

 聖典922ページ12行に勤めよや勤めよやとあるが、これは勤(いそし)めよや勤メヨヤと読めば、よく意味が通じるのではなかろうか。六巻の途中の第二に結論を持ちこむとは、いかにも非常識である。それが根本は第六に引用された左伝の註の解釈がつかなかったためではなかろうか。よく見れば天子の十二章は本来として生れ乍らにして王者として備えているもの、己心の法門の上では、庶民も魂魄の上には備えているものではないかと思う。みんな生れ乍らにして備えているものである。今となって新らしく授与されるものではない。それは本仏から生れ乍らにして授与されているのである。それを身に付けている立場から、三衣と名付けられたのではなかろうか。元は三秘であっても、六巻抄では三衣として身に付けているものである。改めて授与されるようなものでもない。それは信の一字をもって確認すべきものである。その信が変じて信心となり、俗身の上に考えられたために、そこから欲望につながって複雑になったのかも知れない。あくまで正体は魂魄の上に考えられた三秘であり、三衣ということのようである。今は専らそれが一つの欲望の上に考えられているために解決出来ないでいるようである。その魂魄の上にあるのが己心の一念三千法門なのである。ここは俗念を離れた処で考えなければ、いよいよ分りにくいものではないかと思う。

 今まで三秘が出されている故に、第二に六巻抄の結論を見る無理をしていたようである。もしかしたらそこから戒旦の本尊の解釈も考えられていたかもしれない。新らしく編集されたものが、結論として第二を撰ぶ筈はない。常識的には第六が至当ではなかろうか。第二を撰んだこと地体いかにも異様である。そのために結論としての働きが不足していたのではなかろうか。大いに反省を求めたい処である。

 本尊抄に示された三秘は次き次ぎにその意を深められて三衣に至っているようである。それは通途の三衣ではない筈である。結局三百年の間その結論には至っていないようである。その六巻抄も開目・本尊・撰時・報恩・法華取要等の諸抄(ざっと見て六巻抄が)を経て六巻抄に至っているようである。大体において似たような形をとられているのではなかろうか。六巻抄として編集し乍ら寛師程の人が第二に結論を出し、あと四巻をおまけに付けられることもあるまいと思う。寛師の御深意が今まで伝わらなかったのは、第六引用の左伝の註の意義が捉え難かったためのようである。つまりこの註の意は、魂魄と同じ意をもっているのではないかと思う。天正・天文の頃には、この意は見れば分っていたものではないかと思うが、今は全くその意は通じにくくなっているようである。全体的にそれだけ学の程度が低下したためであろうか。

古人はそれについて註尺はいらなかったようである。この引用の文を使っているものも数を見たように記憶する。それらはつまり魂魄の意をもって使われていたのではないかと思う。

 文の底に秘して沈められた己心の一念三千法門は、一言摂尽の妙法の袋に入れられて、生れた時に掛け与えられてをり、その時点では信心の必要は更になかったのである。それが解釈している中で、信心の中に繰り入れられるのは明治以降ではないかと思う。それ以前は信頼の中に受持したものと考える方が素直ではないかと思う。近代は専ら信心の上にのみ考えられているようである。何となくその信心も行き過ぎの感じである。そのような中でその解釈に混乱を生じている如くである。

 三衣とは妙法の奥深く包みこまれた事行の意を含んでいるのではなかろうか。そこから事を事に行ずるという考えが出るのではなかろうか。この三衣も事行の奥深く秘められたことさえ忘れられようとしているのではなかろうか。時代の変り目に消えるものもあるのであろう。例えば丑寅の一隅の如きである。丑寅の一隅とは諸仏の成道を表わすもの。衆生もそれを受持して成道するようになっているのであろう。これは唯の一隅では何の意味ももたないもの、大石寺の御宝蔵はその一隅を表わしているものである。そこに衆生は大聖人の客人の意味をもっているのである。老孤は老いては元の古巣に帰る、これは弟子に対して隣人(となりびと)に対する報恩なのかもしれない。弟子もまた師に報恩をする、互いに報恩を以ってする処に師弟子の法門は成り立っている。それが本因本果の法門のように思われる。その師弟子の法門からにじみ出ているのが本因本果の法門である。そこに蓮華因果の法門は成り立っている。その因果とは世間から受持したもののようである。そこに大日蓮華山という山号は成り立っている。そこに過去遠々からの久遠元初の上に文の底の己心の一念三千法門は成り立っているのである。それを信の一字を持って受持する。それは決して信心ではない。信頼感なのである。

 それは鎌倉以来師弟子の法門として伝持されている。それの受持された処に観心がある。これを受持即観心という。それは師弟子の法門の一角なのである。これらは全て文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門といわれるものなのである。その師弟子の法門は今に受持されているのである。それを説き明かそうとせられたのが六巻抄である。これは決して本果の法門を説かれたものではない。しかもそこから出るのは応迹の法門という感じである。そこから日蓮が法門は拡大されている。それは専ら他門から、各時代の変り目毎に移入されたもののようである。今二十一世紀を迎えるためにも速かに文の底の己心の一念三千法門に立ち返ってもらいたいと思う。

 開目抄や本尊抄、法花取要抄に説かれた己心の一念三千法門は昔乍らに今も健在である。世間は今、双手を挙げてこの法門を歓迎しているのである。広宣流布はこの法門と魂魄との中間に出現するものなのである。今滅後末法の世を迎えてその流布の時が来ているのである。これをもって世俗の浄化に尽くすべき時ではなかろうか。その広布が時を誤って論じられてきたが、一向に流布の痕跡は遺されていないようである。その広布とは魂魄の上に取り極められているようである。近代広布も盛んに説かれたけれども、一向に広布の実現する日はなかったようである。次ぎの二十一世紀は終始広布の中にあるのではなかろうか。それは考えるものの誤りであろうか。今こそ広布は最も求められているものの一つではないかとも思われる。せめて二十一世紀はこの己心の一念三千法門をもって、宗門の人々も打ちそろって迎えてもらいたいと思う。

 つくろわず元のままの無作三身も滅後末法の時を迎え、ほしいままに受け用いる身となって誕生する自受用身は今も健在なのである。今こそ自受用身出現の時である。衆生の処にあるべき己心の一念三千法門も打ちすてられて、それらが文底秘沈抄に持ち込まれていたために、文底秘沈抄が三大秘法抄の威力によって異様にふくれて反って悪い方に働いていたのではなかろうか、返ってそこから被害めいたものが出ていたのではないかと思う。それが当家三衣抄から出れば衆生にゆるやかに返るべきものであったのではないかと思う。いかにも文底秘沈抄では三秘が強すぎたようである。広宣流布も経の説く処とは一箇しなかったようである。若し当家三衣抄であれば静かに一致し、一箇していたのではなかろうか。三秘抄のために反って他門の教学に近付き、自門の教学に背く結果を生じたのではなかろうか。

戒旦の本尊の解釈もそこから付けられているようである。

 そのために己心の法門が今まで表に出ることもなかったのである。今この法門を取り出した時、諸門下一斉に飛びついてきたのである。日蓮が法門とはこの法門を根本として展開しているものであることに何故今まで気付かなかったのであろうか。いかにもわからないことではある。どのように開目抄や本尊抄等を読まれていたものであろうか。六巻抄もこの文底秘沈抄の語及び、己心の一念三千法門を解明するために編集されたものであることは、その自序に示されている通りである。それを読み乍ら何故己心の法門に気付かなかったのであろうことは吾々の最も理解に苦しむ処である。それは筆者が始めて説き出したものではない、遠慮なく大いにその御慈悲のある処を受けとめてもらいたい。そこには決して代償を要求するようなことはあり得ないのである。これは末法に生きる民衆の共有物なのである。我が身に授与された文底秘沈の己心の法門の醍醐味を、寂かに味わってもらいたいばかりである。

 この法門は今も健在である。この法門を通して、大聖人に近付くべきではないかと思う。今宗門では観念文を唱えているが、文底秘沈抄にはそれにつながるものがない。それは当家三衣抄の末文から観念文につながっているところは読んでわかるごとくである。これがなければ観念文の意義がはっきりしないのではなかろうか。これによって観念している中味が何であるかを承知してもらいたい。六巻抄の結論とする処はそこに秘められているのではなかろうか。何を観念しているのか、それをよく承知の上で唱えた方が功徳は遥かに勝るのではなかろうか。文底秘沈抄には観念に通じるものは直には見当らないのではなかろうか。

 近来一つの流行のように、各宗教が劣らず平和を唱えているがそれは理想世界であり、宗教本来の姿、その故里である魂魄の処にのみ存在するものであり、今のように世俗の臭気の強い処では平和は存在しないのではないかと思われる。各宗教共、魂魄世界に立ち返って後に唱えるべきであると思う。今となっては宗教そのものがあまりにも俗臭が強すぎるのではないかと思う。現状では平和の安住出来る宗教は存在していないのではなかろうか。何ををいても常寂の浄土を取り返してもらいたいものである。

 三衣抄の発端に引かれる左伝の註引用の意味は、浄化にあるのではなかろうか。それは長い間見向きもされなかったものである。それだけに甚深なものを持ち合せているようである。それは十二章生れ乍らにしてこれを備えているのである。庶民は只一を持つことによって事たりるのである。三衣抄を通して寛師が何故ここに左伝の註を引かれたものか、その甚深の処を味わってもらいたい。それは、そうそう簡単に切りすてられるものとも思われない。そこにこのような法門書の受けとめ方の秘伝が示されているように思う。いきなり切りすててしまっては、その慈悲に触れることもできない。このような文章が今少しでも深いものを読みとるよすがにしてもらいたいと思う。

六巻抄に秘められたものは何一つとり出されていないのではなかろうか。秘めたままではその有り難味も論じられないのではなかろうか。これを宗門人に励んでもらいたい処である。法教院もそのような事について研究を始めてはどうでせうか。時にその甚深な発見を公表してもらいたいと思う。開院以来何年も経っているようであるが、一向にその成果に触れることが出来ないのは遺憾の極みである。威勢のよい処で公表を待ち侘びるものである。六巻抄をどのように読むかということは御書の読み方への入門書ではなかろうか。あまり秘められるぎて失なわれてしまっては困りものである。今は失なわれたものの再現の時なのではなかろうか。それが完了した時始めて甚深の相伝を誇ることが出来るのであることを御承知願いたい。法門書はその表面のみを見て罷り過ぎては全く無意味なものである。より深く読みとるために研鑽が必要なのではなかろうか。浅く一見のみでは凡そ無意味である。法門書を浅く読むのみでは自慢にはならない。時には専門家の甚深な処をもって尻をたたいてもらいたい。時にはたたき返してもよいのではなかろうか。

 本尊抄の解釈いよいよ複雑で、寛師は古来蘭菊といわれている。何れを蘭、何れを菊とも定めかねているようである。この諸説に幻惑されてこの抄を結論と見たのではなかろうか。そのために当家三衣の甚深の処まで眼をつけることが出来なかった。そこで第二の三秘の処に結論を見出だしたのではないかと思われる。結局は文の表の三秘に眼を奪われたように思われる。第三依義判文抄では法花経から依文を引き出してその義を判じて文底秘沈の語を判じようとされている、そして第四では末法に相応した語義をとり出して末法に相応しい意義をもっていることを判じている。そして滅後末法に相応しい三秘であることを強調するものである。それらの意を含んだ上で当家三衣抄に至るのであり、そこには末法相応の意を十分に備えているのである。衆生に備わった末法相応の三秘は、やがて当家三衣と収まるのである。滅後末法相応ということが大きくひゞいているようである。そこに至って文底秘沈の三秘は開花するのである。以上のように六巻抄の結論はこの当家三衣抄に極まるのである。

 六巻抄に何を秘められているのか、今となっては伝持されたものは何物もない。文字に示されたわけでもなく、口に表わすわけでもなく無言で目と目で只、顎をしゃくることによって了解されているのである。それが男と男の約束の美徳とされているのである。結局今となっては寛師と詳師の間で顎をしゃくって交わされた約定が何であったのか、全く何も伝わっていない。この六巻があれば諸宗が雲霞の如く押し寄せても恐れることはないという自信とは何であったのか、僅か三百年の間に全く失なわれた処から生ずる悲劇である。それについてはあまり穿鑿せられた痕跡は見当らない。何をもってこれに対処するのか、それについても全く五里霧中の状態である。そこに一応結論として現れたのが第二を結論として取り出した三秘と、それを更に第六に摂入して求めるべき当家三衣との相違、その間に大きな誤算があったのではなかろうか。それは今取り残されている大きな課題である。

それが何であったのか、一日も早く取り決めるべきであると思う。今他門からその虚を突かれているのではなかろうか。目と目を見合わした約束事は、今となっては何一つ伝わっていなかったのである。反って諸宗を雲霞の如くに招き寄せたのであった。そこに何程かの誤算があったのではなかろうか。これは今早々に檢討を加えなければならない問題である。それは今に残されたままになっているのである。

 寛師が文底秘沈抄の戒旦の処に三秘抄を引用されていても、その眞意がどこにあるかということを豫め子細に承知していなければならない。問題はそれを拡大解釈した処に出た被害であったのかもしれない。そこに今一つ解釈するものの神妙さが必要であったのである。結果的には三秘抄に丸められたように思う。全く迂闊であったという外はない。改めて六巻抄を再檢すべき時が来ているのではなかろうか。三秘抄による戒旦では法花体内から体外に出て、今のように専ら己心を離れて俗身の上に考えるようになるのではなかろうか。今俗身に出た戒旦に悩まされているように見受けられる。そのために何となく小乗戒壇に近いものを感じさせるのである。大きさのみを取るのもそのような中から発っているのであろう。寸尺高下注記する能わざる処とは魂魄世界を指しているのである。防非止悪のための戒壇とは小乗戒壇のいう処に近いようである。大の字を使えば大乗の意を表わすとは限らないものである。寛師は三秘抄説をそのまま現実世界に現わそうとせられたとは思われない。そこにはまだまだ反省すべき余地が残されているのではなかろうか。三秘が魂魄に収められた時、そこに当家三衣抄が誕生するのではなかろうか。第六は本来として六巻の結論になる宿命を持って生れているのである。そこに説かれた戒壇は今にまだ落ち付いていないように見える。三衣抄は長い間意味不明のまま切り捨てられていたようである。若しそれが法門書として登場するなら、そこには大きな変化を期待してよいのではなかろうか。己心の戒壇であれば、五十六億七千万歳の人々に同時授戒も出来得るのではなかろうか。そこに色々な見方考え方があるというものである。

六巻抄の文底秘沈抄に三秘抄を引いて戒壇について解釈を助けられているが、六巻抄には第六当家三衣抄があり、ここに結論が出されているように思われる。現在は文底秘沈抄の戒旦篇引用の三秘抄に結論を求めている感じである。六巻抄として寛師と後世の解尺の上の結論に異りがある。そこに予想もしない意外な混乱を生じたのではなかろうか。これは宗門教学部又は法教院に改めて考え直してもらいたいと思う。その結論の異りが、今種々な問題を提供しているのではないかと思う。そこにこのような法門書の解釈のむづかしさがあるように思う。もっともっと視野を広げてもらいたい処である。しかも今の六巻抄の解尺は、三秘抄の考えが根本におかれているのではないかと思う。

 もっと三秘抄の掘り下げが必要であるのではないかと思う。三秘抄を開目抄や本尊抄と同列におくには些か無理があるのではなかろうか。それを強行した処に問題が生じているのではないかと思う。今使われている初心成仏抄なども念のため、その内容について研究する必要があるのではないであろうか。その点今は無防備のようである。改めて御書の出生について檢討しておく必要があるのではなかろうか。或る意図をもって作られたものを利用すれば、災いを受ける恐れのあることを必らず警戒しなければならない。今は北山の匂いのするものを利用しているので、結果的には大本門寺という寺号が表に出ているようである。それは巧まざる自然の理ということではなかろうか。それらは前もって警戒しておくことがより賢明であるのではなかろうか。今はそれだけ北山の匂いの濃まやかなものが利用されているのである。その出生に気を配ってもらいたいと思う。

三秘抄に幻惑されて第二を結論と読みとったのではなかろうか。その一一二ページには文句を引いて因果をとかれている。因果のある処、種々に法門が複雑に働いているように思う。因果のある処、師弟因果もあり、また本因本果の働らく処また蓮花因果を生じている。そこには大乗の上の修行も考えられているようである。本尊抄ではそれらのものが説かれているのである。それらが三秘の上に固定して考えられているが六巻抄としては第六当家三衣抄にもちこまれて、そこで結論付けられている。六巻抄としては三秘は結論ではなく三衣が結論であったようである。そこに計算違いがあったのではないかと思われる。それは解釈の道中における手違いであったように思う。結論の場の手違いから五百塵点の当初もここに生じているようである。それが確認出来なければ修行が成り立たないかもしれない。御用心、御用心。観念文にも通じなければ結論とは云えないであろう。これらは今の宗門の悩みの一つではなかろうか。

 観念文は六巻抄を一言にまとめられたものであるのではないかと思う。事を事に行ずるという意味も観念文の中に含まれているのかもしれない。事行の中に具備しているのである。仏が凡俗の頸に懸け与えられたのは三秘であったのか、三衣であったのであろうか。三衣と解したのは寛師であったのであろうか。そこには因果甚深の作らきが秘められているように思われる。これ程の三衣抄も長い間殆んど省られなかったのである。そこに法門書の読みのむづかしさがある。従来の読みが成功していたとは思われない。解釈によれば愚俗の己心の中には全べてこのような甚深のものが含まれているのである。今は本因が消えているように思われるがこれまた必須条件のようである。もしこれが失なわれるならば、法門は一向に本果の法門となり応迹一本に絞られる恐れがあるのではなかろうか。

 開目抄の文底秘沈の語は三衣において解明が終っているように思える。三秘抄によって三秘を解した時その題目を一言といわれるようなことは三秘抄の題目ではなされていない。即ち第五でいう一言摂尽の題目は表わされていない。即ち只の口唱の題目に同じものである。第五の一言摂尽の題目は題目のどこにも連絡付けられていない。寛師が何故無用の一言摂尽の題目を説かれたのであろうか。一言摂尽の題目とはその題目の中に一切の法門が摂入されている意を表わしているのである。それは全く明らめられていない。利用價値のないものを三・四・五と何故寛師が説かれたのであろうか。妙法五字の中に一切の法門が含まれていないということでは困りものである。それでは寛師の法門のさまたげになるのではなかろうか。寛師の御意志は三秘も三衣も衆生の己心に収めるのが甚深の御意向であるのではなかろうか。それを間違いなく捉えるのは末弟のあるべき姿なのではなかろうか。これらが云われるように衆生の己心の奥深く収まるならそれこそ真実の広宣流布ということなのではなかろうか。己心の法門とはそのように大らかなもののようである。

 六巻抄に云わく、開目抄上に曰わく、一念三千法門は但法花経本門寿量品の文の底に秘して沈めたまえり。竜樹・天親は知って未だ弘めたまわず但我が天台智者のみこれを懐けり等云云と。文に三段を分つとは標・釈・結なり。義に十門を開くとは、第一に一念三千法門の聞きがたきことを示し、第二に文相の大旨を示し、第三に一念三千数量を示し、第四に一念に三千の相貌を具する相貌を示し、第五に權実相対して一念三千を明かすことを示し、第六に本迹相対して一念三千を明かすを示し、第七に種脱相対して一念三千を明かすを示し、第八に事理の一念三千を示し、第九に正像に未だ弘めざる所以を示し、第十に末法流布の大白法なることを示すなり。以上宗要六より引用す。これらをもって法花経寿量品の文の底より三大秘法を引き出されたものである。そして法花経の題目等に種々の法門が繰り入れられるようである。そして三秘に深味が出来た処で三衣と変わるのである。三秘の場合は深く収められたものについて、一つ一つを明かされるのである。現状は久遠名字の妙法も一言摂尽の妙法も、妙法としては全く受けとめられていないのである。深味の部分については全く無関心のように思われる。そして六巻抄は極力浅い処に抑えられているようである。所詮は一言摂尽以前の題目に止められているように見える。

六巻抄を極力浅い処で抑えようと努力していることが眼につくのである。

 六巻抄の第十義は滅後末法に流布すべき文底秘沈の大白法なのである。その大白法すら十分には明かされていないのではなかろうか。それは必らず魂魄の上にあるべきものではなかろうか。それらが当家三衣抄に収められたとき、そこに始めて大白法が具現するのではなかろうか。これは知りがたい法門である。今は遺憾乍らこれが本果の処においてのみ論じられているように見える。因果倶時にはまだまだ道が遠いように見える。今目指す処はそこら辺りにもあるのではなかろうか。

 六巻抄という発想がどこから起こされているのであろうか。例えば開目、本尊、撰時報恩、法華取要で、撰時報恩を二巻宛に調巻すれば、これらの調巻しだいで六巻抄の発想があるのではなかろうか。或は別の処にあるのか。実際には七巻に調巻されているようである。開目を六巻とすれば六巻抄も同巻数に仕立てられているようである。何か六にこだわりがあるのであろうか。他宗門にも六巻抄という名儀はあったように思う。六巻抄もその受け止め方に今一工夫いる処ではなかろうか。現状はそれ程深く読みとる工風はされていないように思う。

精進川の芹摘は例年正月七日に限られたものではなく、年中の汁の実に利用されたのではないかと思う。上代はその芹を食み乍ら学にはげんだのである。決して一年に一回限りというものではない。米一駄の寄進は莫大なものであり、三斗五升俵の振り分け荷、計七斗であったのではなかろうか。当時は一俵三斗五升であったようである。芋一駄も振り分け荷として運ばれたものであろう。一俵づつを馬の背の左右に付けて一駄としたのではなかろうか。人が擔ぐ場合も荷を半分宛に分けて前後にしてこれを一荷というが、今はこのような擔ぎ方は完全に消えたようである。荷は人の背による運送方法は最も身近かな運送方法であった。一荷・一駄という語も次第に時代と共に消えていくのであろう。既に死語となりつつあるようである。水鳥が水中にもぐる時これを「かずく」という。擔ぐは「かずく」というのが正しいのかもしれない。誤りであれば抹消しておいて下さい。今は「かづぐ」という語は全く死語と化している。只、語のみ生きのびている感じである。法門もまた時と共に、考え方に色々と消長があるのではなかろうか。これは寛師の考えを出来る限り再現すべきではなかろうか。明治の頃に新しく解釈付けられたものがあるのではなかろうか。解釈の中での方言である。その解釈は時代の中に生れたものであるが、今の時代感覚とずれているものもあるように思われる。中には法門として裏付けの困難なものもあるのではなかろうか。

 当家三衣抄には報恩抄にあたるような衆生への報恩というようなものを持っているのではなかろうか。若しそれがあるとすれば、それは大聖人や寛師の謙譲の徳と受けとめるべきではなかろうか。衆生の己心の一念三千は、法花取要抄にも一応明かされている。衆生の一応伝持している三秘の徳は、取要抄によって法花経の中に収められているようである。そして当家三衣抄のうちにも寂かに秘められているようである。三衣抄とは衆生の備えてをる徳を静かに寂められているように思うのは誤りであろうか。そこから衆生の人徳を捉えることは出来ないであろうか。この三衣抄によって愚悪の凡夫にも等しく成道の道が開かれているのである。これは綜合して上代の諸師の慈悲ということではなかろうか。それに対する報恩謝徳の処に自然に成道もあり得るのではなかろうか。これが師弟子の法門のよさではなかろうか。文底秘沈の己心の法門は決して衆生を見捨てることはしていない。これが本仏の慈悲ということであろうと思う。

 報恩謝徳の処に静かな世間がある、そこに常寂の浄土が開けるのではなかろうか。それは人の心得次第であり、左伝の註の引用文はそこにある常住の浄土を指していると考えられないであろうか。常寂の浄土とは、常に人の己心の一角にあり得るものかもしれない。門下の持つべき常寂の浄土とはそのような処を指しているのではなかろうか。そこに己心の法門の浄土が存在していることは、日蓮大聖人は教示されて来ているのではなかろうか。それは本果の浄土に比するようなものではなく、飽くまで本因に属する常寂の浄土である。そこには滅後己心の戒壇も、己心の赴くままに建立出来るのではなかろうか。それは本果の上の浄土とは自づから異なるものがあるのではないかと思う。その霊山浄土とは師弟相寄って建立すべき常寂の浄土のようである。その師弟子の境界を本尊抄の副状は、師弟共に往詣すべき霊山浄土と説き置かれているのではなかろうか。日蓮の浄土思想とは、本因の浄土をとかれている。それが師弟子の法門ということではなかろうか。浄土をその語に引かれて、浄土宗の浄土に比するのは因果の混乱のなせるわざである。今の大石寺法門に本因の浄土がありや否や、是非聞きたい処である。霊山往詣とは生きながらそこに常住して生活することも含んでいるのではなかろうか。僅かな本因の捉え方による発展の中でこのように違ってくるのである。本因で説かれた浄土を本果で解したために、浄土思想の解釈に混乱を生じた一例である。大石寺ではあくまで本因浄土について論ずべきである。寛師には本果の浄土を説かれた処は一向に見あたらない。

 御書では本尊抄を説かれた後に法花取要抄がある。そこで一応三秘がとかれる。その三秘は衆生の己心の奥深く秘められたものであり、これを本因と捉えているのが大石寺法門である。大聖人もこれを明らめるために身を最低下に処しているのである。それは衆生の己心の一念三千に同列におくためなのかもしれない。これは、衆生を極底の処に見るは慈悲であり、少し上位に見るなら、隣人愛でもある。大聖人を本果の処に見ればそのようなものはあり得ない。今の宗門には本果的な見方が宗内に多分に入っているように思われる。本因の立場から解されるべきものが多分に本果で解されている。そこに不可解なものが種々に残されて複雑になっているようである。本果によるか本因によるべきか。何れ是非も決めなければならない時を迎えているのである。今こそその出処進退を明かさなければならない時である。大聖の徳は必らず報恩抄から滲み出るものと思われる。そこに底下の徳が控えているのである。法主も大聖と同じく底下に身を処してもらいたいものである。大聖自らが底下を指していられる時、法主のみが高位を指すのはどのようなものであろうか。また、大聖人を指しおいて「恐れ多くも勿体なくも」とは最も頂きがたいものの一つである。その語には最高最尊の意を多分に秘めているのである。そこには応仏的な雰囲気を多分にもっているのである。それは差別の上に成り立っているものである。それは大聖を初め上代の諸師に真向から背向くものであることを知ってもらいたいものである。大聖自らは底下の処を指しているのである。それを直々に相伝した人が何故最高最尊の座を目指すのであろうか。本果の混乱がそのような結果を齎したのであろう。法門的にこれを裏付けることは困難なのではなかろうか。

 今世上一般に報恩というような事は次第に薄れているようである。このような時こそ報恩抄もまたその威力を発揮するということではなかろうか。世間に対し、隣人に対する報恩の必要な時代が到来しているのである。大聖人は既に滅後末法の世を迎えた時、報恩の必要なことは御指示の通りである。報恩とは滅後末法の世を平和に保つための根本に存在しなければならないもののようである。「オレが」と思う処には報恩はありえない。隣人に対する報恩、そして天帝に対する報恩、そのようなものが人に世の険しさを救うのである。筆者も報恩を目指して書き続けようとしているのである。今吾等も底下に凡身をおいて報恩の気持を取り返したいと思う。そこから世上のぬくもりも又復活するのではないかと思う。そこにまず不可欠のものが、因果倶時不思議の一法が必要なようである。本因が消えては因果倶時は成り立たないのではなかろうか。

 冨要3、274の14行に節用集頭書に云わく、「古えは偏衫(へんざん)・裙子(くんず)二つなるを後に上下つらねて直綴とすと云云」とあるが、この節用集頭書は珍らしい和本であり、その手沢本は今も大石寺図書館に残されている。和辞書である糅抄については記憶に残っていない。或は釈氏要覧に引用されているものであろうか。これはコピーをもって公開されたいものである。法衣供養談義は、もと或信者が法衣を寄進したことについて、その功徳のいかに大なるかを説かれたもので、続いてこれをもって当家三衣抄に続けられて六巻抄の結論にされたものではないかと思う。結局それは、それ程重要な意味をもっているものとは今まで解されていなかった。それ程理解出来にくい処で説かれていたものであった。そして六巻抄は手っ取り早く文底秘沈抄の三秘で結論付けられていたのである。そこに寛師説への誤解があったのではなかろうか。まことに残念な事というべきである。他に乗ぜられるような解釈が付けられていたのである。第二で結論が出されたために第三以下は全く無用の長物化していたのである。師弟子の法門にはこれらのものも当然含まれていたものと考えられる。明治以後ドイツ学的な発想の中で解されていたために、折角の六巻抄も寛師の期待に反してその効果を示すこともなかったのである。そこには頸にかけ与えられた妙法五字の袋のうちに包まれた三秘も更に子細にせられていたのである。今までの処、専らこれを逆手にとられてきたようである。そこでは文底秘沈の己心の一念三千の法門とも離れ離れになっていたのである。今速かにこの法門を取り返すことが先決ではないかと思う。今の世上はそれを求めているのである。

 そこには中国初まって以来の思想も天台思想としてその中にも含まれているのである。それが大石寺法門として取り入れられたまま表面に出ることもなく、今まで温存されてきているのである。それが本尊抄にいう法花経寿量品の文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門なのである。今はマルクスのような大きな思想家が世間的に拂底しているということである。アメリカもドイツも世界中そのような時を迎えているのである。何れも五里霧中で手さぐりしている状態である。それが今の世の実状のようである。ここまできても次の世界を指導する偉大な思想は今直ぐにも生まれそうもない。事は急を要するのである。マルクス思想も、長い間世界を指導してきたキリスト教の思想も今は全くその威力を失ったようであり、次の指導力となるべき根本思想が今求め続けられているのである。中々そのような偉大な思想はそれ程簡単に生れてくるものでもないようで、それはこれから民衆が相寄って育て上げていくべきものなのであろうか。その根本に置かれていてもおかしくない。しかもその中心にあって充分にその重圧に堪え得る力を備えているのが文底秘沈の己心の一念三千法門なのではなかろうか。その彼方には長い間蓄積された中国思想が控えている強みを持っているのである。

 六巻抄は開目抄をうけて魂魄の上に論じられているが、中間説かれたものがすべて当家三衣抄にいたり、左伝の引文により一挙に魂魄の上にまとめられて当家三衣抄がとかれ、再び魂魄の上に所作されるようになっているが、明治以降は専ら外相一辺において所作されているようである。そこでは一挙に魂魄が捨てられるのではないかと思う。そこで法門の様相が急激に変るのではないかと思う。その頃以後大いにドイツ学を受け入れて魂魄の上の法門の形相が変ってくるようである。その法門は今も当時のまま受けつがれているように思われる。

どこまで羅什訳の極意の処が守られているのであろうか。

法門的には江北の四明流化したものに近づいているのではなかろうか。江南のものがどこまで残されているのであろうか。叡山でさえ四明流を多分に受けついでいるようで。日蓮大聖人はこれを「京なめり」と斥っていたようであるが、今は専ら四明流化しているようである。伝教大師が渡唐して学んだ先は仏朧寺であった。そこでは一隅とは丑寅の一隅を指し、衆生の成道をそこに見ようとしているのではないかと思われるが、今はそこからの衆生の成道へのつながりは絶えたのではなかろうか。江南では魂魄の上に考えられていたのではなかろうか。今どれだけの面影を残しているのであろうか。長い時間をかけて中古天台と斥いつくしてきているのである。そのよさを伝えているのが大石寺法門である。このうち鎌倉以来六巻抄に至るまで、そこには長く伝持されているのである。

ドイツ学を入れたものは一時的には威勢はよかったけれども、今は一度に凋落の一途をたどっているようである。今は門下一般に反省して文の底の己心の一念三千法門に立ち帰ろうとするきざしが見えている。

 楠正成の旗印、非理法權天も今はその意味も捉えがたくなっているようであるが、理法は天を權とするにあらず、非理の法は天を權とす、と読めば意味は通じるのではなかろうか。開目抄には非理の法の語は使われている。最近京大の滝川先生の「非理法權天」を入手して拝見したが、大分困惑されているようである。權は權実の權でありケンではない。天台ではこれを三諦読み(空假中)するのである。そして三種の意を取り出すのである。それは江南の読みではなかろうか。それは半島からの持ち込みによる江南の読み方ではなかろうか。南北朝の頃のことである。激動の中に渡来したものであり、後に渡った北宋流によって消されたものかもしれない。それは鎌倉の文応の頃には四明流は伝わっていたようで、日蓮はこれを「京なめり」と斥っているのであるが、後には門下からも京なめりを志願して中古天台を称したものも最近まであったようである。北宋との交流が深まった中で日蓮が法門も大いに変貌を始めたようである。「京なめり」とは北宋直伝のものを指しているように思われる。平安末にも渡来し、文応頃には可成り力をもっていたように思われる。そして室町末期から元禄頃まで及び明治の頃、及び昭和戦後の激動期には時に勢いを持っていたようである。これらについては従来注意は拂われなかったのであろうか。北宋との交流がいつどのような方法で往復していたのか、渡海術も大変ではなかったのではないかと思う。船を調達し、これを操作することも大変ではなかったかと思う。慈覚・智証両大師は江北への渡海であった。伝教大師は江南の渡海であったのである。

六巻抄としての結論は当家三衣抄に求めるべきではないかと思う。この抄は最後観念文に結ばれているのではないかと思う。或は六巻抄の結論もそこにあるのかもしれない。魂魄の上の三衣ということのようである。そこに六巻抄の捉えがたい処があるようである。今は本因が失なはれているので自然に本果に結論が持ちこまれているようで、そこでは自然に師弟子の法門も消滅しているのである。或は江南の考えもついつい江北の流れに変るのではなかろうか。それらの中で明治の変革は大きかったようである。鎌倉以後漸く師承に帰ろうとしているのではなかろうか。それ程世上も行きつまっているのである。平和を求めるためにも必らず魂魄の処に立帰るべきであると思う。俗身をとった処には平和はあり得ないかもしれない。

 日本に江南の仏法を伝えたのは信羅・高句麗・百斎等かも知れない。これらの国からは人と共に仏法も伝来したようであるが、現在では古い呉音は絶えているのではないかと思う。上代は白文でも充分に事足りたものではないかと思う。日蓮の註法花経でも、反り点等の入れられているものは極く限られたものである。伝教大師のものの引用は殆んど白文である。その読みは天正頃までは続いていたのではなかろうか。不受不施日奥のものには何となく残っていた感じである。送り假名の入れ方も随分違うようである。反り点等も漢音読みとは随分違うのではなかろうか。その読みのために異った意味の出ている場合が多いのではなかろうか。その点浄土宗などには案外古い読みを伝えているのではなかろうか。註経にはそのように思われるものが多いように思う。内容的にも明治の考えをすてて鎌倉の頃に速かに立ち帰るべき時を迎えているのではなかろうか。大石寺法門には多分にそのようなものが残されているのではないかと思う。

その根本にあるのが文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門のようである。これには昔ながらのものが残されているようである。第五では一言摂尽の妙法がとかれる。そして妙法五字の袋の中に一切の法門が摂入されていることが説かれる。その袋のうちにあるのが三秘である。その三秘が三衣に収められた上でさらに三衣抄に収められ、そこから三秘が出るのかもしれない。三衣抄のほうが第二文底秘沈抄より一段深いのかもしれない。そこに三衣抄乃至六巻抄の捉えがたい処がある。文底秘沈の意より衆生の当体が妙法そのものになり、その妙法に三衣がおさまって当家三衣となるのではなかろうか。第二には観念文に相当するものが見当らない。それだけに第六が深いのかも知れない。あまり三秘抄に幻惑されないようにせられたい。六巻のうち、早や早やとそこから結論を求めるより、第六から求めることの方がより合理的である。三秘抄にたよったために相手の術中に陥って本因を捨てる羽目になったのである。

 本因本果不思議の一法は因果の中間にあるもので、その中間に本法もあり、本仏もあるようである。因果の法門のある処に師弟子の法門もあり、因果の法門のある処、師弟子の法門の処に五百塵点もあれば久遠以来の修行もあり、それを受持することによって衆生にも久遠以来の修行が備わり、成道することが出来る。その修行がなければ成道につながらない弱味がある。

 今のように本因を認めなければ因果を成ずることも出来ない。それらのものが衆生の魂魄の上に考えられているのが開目抄であり本尊抄なのである。それを衆生成道の立場から分り易くまとめられたのが六巻抄である。これがまた分りにくかったのである。法門の捉え方が浅かったために、本因を捨てさせられたのであろうか。本因があって初めて因果の法門は成り立つものである。本因がなければ迹と何等変りはない。他宗を下す理由は何物も存在しないであろう。本因がなければ久遠元初を唱えることも出来ない。

また衆生の成道も唱えがたいであろう。

宗門が五百塵点の捉えがたいのは本因を捨てているためであろうか。他門はそれを突いてきたのである。五百塵点以来の修行がなければ衆生はどのようにして成道を遂げることが出来るのであろうか。蓮華の法門もまた因果の上に成り立っている。蓮華往生の法門は因果の上に成り立っているものである。それが本因本果不思議の一法と称えられるものである。

 それらは本来、生れた時仏から授与された相承の法門である。仏が自ら修行し得たものを衆生は信受することによって得る相承の法門である。修行も自然に備わっているのである。相承の意味は実にはこのあたりにあるのではなかろうか。今は文上にのみに考えられているようである。相承も目でたしかめられるものに限られているようである。相承の語も何となく変形したものを持っているようである。相承という語が別の処で受けつがれているようである。これも今は他の批難のまとになっているようである。自門のみが大聖人より外相において直受しているという処に無理があるように思われる。これらは信受による直受を唱えているのである。相承も本来の意とは違う処で使われているようである。それは魂魄から外相に出ているために批難を受けているのである。今は相承とは自門のみの直授相承を唱えているようである。そのような独善味が強いようである。承もその原点を捉えるなら大いに法門の解明に役立つものである。仏より、天より直授相承されたものであれば、決して他に批難されるには当らないようである。それが一旦外相に出れば早々に他門の攻撃を受けるのである。解釈のつけ方から意味不明となって、反って他から責められているものも多いのではなかろうか。

 相承の法門とは師弟子の法門に関わりがあるように思われる。この寛師がとられているのは本来の直授相承ということではなかろうか。授与したのは本仏のようである。そこから全く本尊受持について古伝の直授相承をとられたのではなかろうか。師弟子の法門の上での直授相承である。直授相承ということも今は殆んど消え失せているようであるが、ここに復活する必要がある感じである。今は信受すべきものが信心をもって受けとめられるように要求されているのではないかと思う。そこから初まって信心から俗身に連絡付けられているのではなかろうか。そこから欲望につながれば複雑である。その正体はあくまで魂魄の上に考えられた三秘であり、三衣であるようである。今はそれらが専ら一つの欲望の上に考えられているのではないかと思う。そこに複雑になる要因があるのではないかと思われる。

 六巻抄は寛師の現世に対する大きな報恩の一分ではないかと思う。御書をざっと見て六巻の末に報恩抄が配されており文の底に秘して沈めた己心の一念三千を考える上において最後に報恩抄を置くのが考え方の基本ではなかろうか。六巻抄でも報恩と思はれるものを持って結論付けられているよいである。日蓮が法門を考える場合必ず報恩を持って結論付けるようになっているのではないか。何れにしても報恩が根本のようである。浄土宗や真宗でも報恩講を行なわれているように思うが、これは天に対する報恩か、衆生に対する報恩なのか、或は世間様に対する報恩なのであろうか。同じく日蓮宗でも報恩抄はまず宗祖の示されているものである。何れに報恩を見てもよいようであり、衆生に報恩ということもあってよいのではなかろうか。報恩ということは大きな役割りを持っているようである。吾々としては何とか世間様に対して報恩したいものと考えているのである。ここまでくれば、残されているものは報恩のみである。余生を報恩に向けたいと考えている。一巻一巻を報恩のしるしに世間様に捧げたいと思う。

 六巻抄の三衣とは一切の俗念と慾心を離れた処にあるもののようである。魂魄の上に考えられた己心の一念三千法門ではないかと思う。三衣では明からさまに欲望を表には出しにくいであろう。緋の衣、紫衣に意慾を燃やすのは別である。それらは別世界のものである。それらを別世界に追いやった処で考えられた三衣である。その中に三秘も既に繰り入れられているのである。既に生れながらにして身に備えているものであるということが前提とされているのである。寺から授与されるのは三秘であり、それを含めた三衣は生れながらにして、それらを含んでいるのである。それは妙法五字の袋の内につつんで一切の法門、己心の一念三千法門と共に生来のものとして本仏から授与されて居り、必要に応じて確認すれば事足りることになっているのである。それらが本仏の御慈悲として身に具わっているということなのである。

従来の解釈では、

 その文底秘沈の語の解明のために編集された六巻抄の結論を第二巻に求めたことであり、これはまず異様といわなければならない、一寸常識外れのようである。これは当然第六に結論を求めるべきではないかと思う。何故第二に結論が出されたかといえば、それは三大秘法抄という御書にあるのではなかろうか。本尊・戒壇・題目の三を、各一大秘法を名付けた魔力に引かれた処が大であるといわなければならないと思う。大聖人の扱いとは一見一大秘法といえる扱いである。いつの頃、どこの門下で一大秘法といい、三大秘法といわれるようになったのか。これは中々魅力のある語のようである。その御書の威力によって三秘が人々の眼前に大きく浮び出たのである。三秘が大きく浮び上った影には、この三秘抄の力を見すてることは出来ないであろう。この御書は実際に真蹟なのであろうか。或は真蹟として扱ってよいものであろうか。改めて考え直す必要があるのではなかろうか。これは緊急を要する重大問題なのである。その三秘抄の威力によって三秘が今大きく浮び上がったのである。何れの門下で出来たものか、静かに見直す必要があるのではなかろうか。

 ウラボン御書もよく真蹟を見れば、真実の御真蹟とは大分異なっている。内容的にも本尊抄では怒れば地獄といい、死んで地獄におちることは認められていない。若し死んで地獄におちるなら十界互具は否定されていることになる。それでは本尊抄の文に無理が出来る。ここは本尊抄を根本として考えなければならない処である。本尊抄は魂魄の上に論じられているもの、これは、魂魄を外れた処で論じたものと同日に論ずることは出来ない。三秘抄が間違いなく魂魄の上に己心の一念三千の処で論じられているものかどうか、改めてよくよく考え直さなければならない問題ではないかと思う。

 三衣も三秘も生れた以後に授けられたものでない、その時に三衣の必要があるのではなかろうか。宗門で授与されるものは三衣も含められているのであろうか。三衣は妙法五字の袋の内につつんで、生来として授与されているのではなかろうか。本寺で授与されるものは外相の上に授与されるもののようである。文の底に秘して沈めた己心の一念三千ではなく、明からさまに授与されているのではないかと思う。その時三衣はどのように授与されているのであろうか。三衣はあくまで秘密甚深の処での授与の型式をとっているのではなかろうか。第二に六巻抄の結論が第二に持こまれたことについては、三秘抄の力が大きかったのではないかと思う。更らに第六の左伝の引用文の解釈が充分に理会出来なかったのではないかと思う。これは己心の上の魂魄と同じ意味を持っているのではなかろうか。これは冨要三ノ三七〇の寛記雑々の法衣供養談義に引用されている釈門章服儀応報記に引用の文である。元は明蔵に入蔵しているものではないかと思う。徳川期に入った頃、深草元政によって別刷りされたもの、寛師の手沢本は今も大石寺図書館に遺されている。当時の和本、録内啓蒙などは最早使いものにはならないのではないか。節用集頭書なども図書館本を除いては目に触れることは出来ないのではなかろうか。まづは珍本といえるものではないかと思う。三衣はあくまで魂魄の処に考えなければならないもの、俗念のみが先行しては三衣についての理会は出来ないのではなかろうか。今は三秘が生々しく使われているために三衣についても三秘についても理会することは困難なことではなかろうか。三衣については初めから理会する方向には向っていなかったのではなかろうか。今六巻抄の第二に結論を求めていることには三秘抄が大いに関係があると思う。若し三秘抄が謀作されたものであれば必らずそれを作った処の宗門の意志にふり廻される恐れも十分にあると思う。これは最も警戒を要する処である。六巻抄のおい立ちからいえば、第六を終った処で結論を求めるのは順序ではないかと思う。何故第六に結論を求めることなく、第二に結論を求めたのか、これは吾々の最も理解に苦しむ処である。最近まで三衣をただ袈裟・衣・数珠の三衣とのみに限って考えられていたようであった。もっと視野を広げて考えるべきではなかろうか。いかにも近視眼的な見方ではないかと思う。御書もざっと見て六巻の末に報恩抄が配されてをり、この抄が文の底に秘して沈めた己心の一念三千を考える上において最後に報恩抄をおくのは、考え方の基本におかれているのではなかろうか。六巻抄でも報恩と思われるものをもって結論付けられているようである。この法門を考える場合、必らず報恩をもって結論付けるようになっているのではなかろうか。開目・本尊両抄等より取要抄に至る御書と六巻抄とは、各内容的には似ているような処をもっているのではなかろうか。三師伝にも目師伝の処には報恩にあたるようなものを含んでいるのではなかろうか。宗祖は開目、本尊、撰時の意を持っているようにも思われる。そして宗祖開山の処には開目本尊にあたるものをもっているようでもあり、三祖の処には報恩にあたるものを持っているのではないかと思う。それは筆者がそのように思うのみである。決して人様に押し付けようとするものではないことを御理会願いたいと思う。己心の一念三千の法門は、必らず妙法五字の袋の内につつまれて衆生の頸に懸け与えられているもののようである。その妙法五字の袋は、魂魄の上に作られているものなのである。しかもその袋のうちには種々の法門が莫大につめこまれているものである。天正天文の頃は、この左伝の註の意味は一般に分っていたものと思われるが、寛師は知って使われていたものと思うが、明治以降は完全にその意は分らなくなっていたのではないかと思う。それだけ世が下ったのである。若し左伝の註の正しい意味を御存じの向きは御教示願いたいと思う。自分では魂魄と同じ意味に使われていたのではないかと思う。左伝の註は古くは註釈はいらなかったものと思われる。事行の中に深く秘められたために、後には秘していることさえも忘れるようになったのである。今は妙法の中に一切の法門が秘められていることは伝わっているが、あまりくわしいことは伝わっていない。ただ秘められているということのみが伝わっている状態である。只妙法五字の袋の内に三秘がはいっているということのみである。直授相承という語も、実にはその意は随分変っているのではなかろうか。そこに伝えることのむづかしさがあろうというものである。そして明治のような変動があれば、予想が出来ない程の大きな問題に遭遇するのである。戦後にも大きな変動に出会っているのである。その度に全く異なった程のものをもって新解釈が付けられるのである。中でも明治のドイツ学の移入は大きかったようである。今もその影響は大きく疵痕を残しているのである。今それに大きくなやまされているのである。

 高山樗牛にも己心の一念三千法門にふれた著書があったのではなかろうか。「吾人は須らく現代を超越すべし」という語は俗世を超越すべきことを、となえているのではなかろうか。そのとなえている処は己心の一角にある常寂の浄土を指しているのかもしれない。若し生き乍らにしてその常寂の浄土を捉えることの出来るものは、生き乍らにして常住の浄土に住することが出来る。いかれば地獄の苦を味わうものであり、死して地獄の苦を味わうこともなく、生き乍ら十界互具を体験出来るのである。うら盆説法をすることは死して地獄の体験をすることを認めている印しである。本尊七ケ口伝はそれを取り入れた上、本尊を認めているのである。若しうら盆説法をすることは本尊抄の教えに背くことになる。また十界互具を認めないことにもなりはしないか。何か不都合なことが出来するようである。生きて地獄苦を終らなければ、死んで堕獄に苦しむことになる。それならば往生要集や他宗門の考えと全く同じである。怒れば地獄とは怒った時に既に地獄苦は体験ずみであり、死後に地獄の苦を体験する必要がないということなのである。わざわざ師の教えにそむいて地獄に落ちてみる必要はないのではなかろうか。わざわざ本尊七ケ口伝を唱えられているものを捨ててまで地獄の体験をする必要はさらにないのではなかろうか。それでは他宗を下す理由はなり立たない。せめて本尊抄位は師の教え通りに守ってはどうであろう。師の教えにそむいてまで、わざわざ地獄行きを体験することは更らに不要なのではなかろうか。今も宗門では例年盆にはウラ盆説法は盛んに行なわれているようである、未だにおしかりはないのであろうか。本尊抄に厳重に示されている通りである。本尊抄などは特に子細に一字一字をよく読まなければならない。

 御書も当家三衣抄も寂かな己心の世界を指しているのである。それは滅後末法を生きぬくもののための心得うべき第一条なのである。御書も三衣抄もまた、それこそ底下の処を指し示されているようである。そこに尊貴なものが控えているのである。木中の花、石中の火も、愚悪の凡夫と共に存在しているものなのである。大論はまた石中の火、木中の花を示されている。これも文の底に深く秘しているものの一つである。それはお互いに示し合うようになっていて、気付かないものに示しあう、それでないと文底秘沈の大法を保つことは困難なのである。そこに互いに師となり弟子となり、他にそれを示し合うのが互為主伴の考え方の根本のようである。そこでは底下の凡夫も、決して高位に身を処する必要は毛頭ないのである。身を底下に処することを、大聖も寛師もこれを指示されているのである。それが滅後末法に生きるものの心得第一条である。それは常に俗身を外して魂魄の上に身を処することを教えられているのである。そこは常に本因が根本になっている世界である。授与の本尊は、常に処すべきの処を指しているのである。その本尊は常に滅後末法の時を指示されているのである。

 いつの間にか法主が最高最尊の座についているのであるが、本来は最低下の座のようである。それが、かれこれする間に最高最尊の座になりかわったので、その変っている道中がわからない不都合がある。芝居の廻り舞台の如く廻っている道中を見なければ理会出来ないものである。座わって見ればすわり心地もよいからそのままおち付くのである。そのような仕組みの中にいるのである。実は凡夫の居る座を示しているのである。滅後末法の衆生はそのような高貴な座に居るのである。法主の処を尊貴に示すことは只衆生の尊貴なことを示すのが目的のようである。法主自身が最高最尊というのとは大分意味が違っているようである。この法花の法門、文のままに現わせることもなく、受持することは又至難の業である。法主の座もまた本因の座に処している筈である。そして上へ上へと、経上がっていきたいのが人情である。底下に居るもの程尊貴なのである。滅後末法の世では、俗世の中に最高最尊の位に処するものは、愚悪の凡夫一人に限るということではなかろうか。その一人が、最高最尊の天子の位が法主の位に比せられるのである。その御一人が生のまま最高最尊の座につくのは、時に天子であり法主である。共に真実は衆生一人を指しているのである。それは世間そのものが滅後末法と定めている故である。世間は常にまぎらわしいように出来ているのである。混乱を起さないために常に時を見極める修行が必要なのである。それは文の底に深く秘められているが故に理会しにくいのである。根本は時を見極める処に深い修行が入るようである。

 滅後末法の世には天下太平の代はあり得ないのかもしれない。それは己心の上にはいつでも必要な時に手にすることの出来るように用意されているのである。それは実には夢中の乾坤なのである。今はそれを、実には現実を思い誤っているのみである。そこに最高最尊の座もまたあり得るということなのである。そして今の今まで最高最尊の座と思っていたのは、実には夢中の権果ということであったのである。現世は夢と現の間をひや汗を流し乍らとび廻っているのみである、これが果敢ない現実なのである。そこに夢が残されているのみということのようである。大聖人も寛師も、そのはかなさを教えようとされたのかもしれない。

 寺内も今は大分変化して来ているようである。天然自然の有為転変を止めることは出来ないのかもしれない。その底の辺りに古えの明星池の水は流れ流れて閻浮に向っていることであろう。思い起せば僅か二三十年の有為転変の眼前の変りようは心にしみるものがあった。それは人各受けとめようも違うのである。やはり古えの客殿には今思えば大きな包容力を持っていたように思うが、今となっては閻浮を指した不開門も、今にその位置もなかなか落ち付かないように聞き及んでいる。今に山中の水の流れは昔乍らに流れ去っていることであろう。人、法を造る何ぞ法あらんや、人は常に法を作ってはその法にしばられ、またその法のわずらわしさに振り廻されて落ち付くひまもないのである。文底秘沈の世間とは関係なく、本尊抄や開目抄には一向に開目された痕迹も見あたらない。水は常に川面をのみ流れているのみである。見廻した処、世法を超過することもなく、我心と同じように世俗にふり廻された中で、宗門人も宗門も廻り廻ってお互いにここまでたどりついたのである。あと二三十年生きのびて見ても、それ程変りばえもしないであろう。それ程に世間とは気長なものである。

 それを刹那に縮めているのが己心の法門である。その刹那の中に過去遠々からの久遠元初も刹那に収めようというのである。そこには一言摂尽の妙法もあり得るということのようである。それを捉えることが出来るのは己心の法門の特権である。今の学問では教学もドイツ学に落ち付いているのであろうか。明治には多少とも動いていったようであるが、今は元のドイツ学に帰ろうとしているのではなかろうか。日蓮学のみはそのような中に丸められないでほしいと思う。何をもって日蓮学の根本にすればよいのであろうか。日蓮学について、学問として根本的な基本方針は己心の法門の処に立てるべきであろう、それは本因であるが今となってはきびしく文の底に秘して沈めた己心の法門である。また宗教として成り立つものであろうか。文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門は沈めたままでは宗教として成り立つことは出来ないかもしれない。表に出せば世俗に取りつぶされるかもしれない。六巻抄がその限界の処を示されているのであろうか。文の底に秘して沈められた処に衆生のもって生れた、人の懐(ふところ)を認められたのかもしれない。その三衣とは愚悪の凡夫の人徳なのではなかろうか。ここに等しく衆生の成道の道が開かれるのではないかと思う。それに対する自然への報恩謝徳の処に自然に成道も開けるものではなかろうか。これが師弟子の法門のよさではなかろうか。文底秘沈の己心の一念三千法門は決して衆生を見捨てることはしないようである。ここに本仏の慈悲を見るべきであろう。そこに滅後末法に生きる衆生に救いがあるのである。

 その報恩謝徳の処に静かな世間がある。そこに凡俗のための常寂の浄土もありうるのではなかろうか。それは人の心の持ち方次第である。そこに愚悪の凡夫の故里があるのではなかろうか。第六の左伝の註からの引用はその浄土を示しているようにも思われる。そこに常寂の浄土を求めるべきではなかろうか。そこに己心の一角が示されているようでもある。大聖人はそこの浄土を指し示されているようにも思われる。それが即ち本因の浄土なのである。今はそこを本果の浄土と読み取ろうとしているのではなかろうか。大聖人はその本因の浄土を指示されようとしているのである。そこは本果の浄土に対するようなものではなく、あくまで本因の常寂の浄土なのである。この浄土をもって浄土宗の浄土思想に比して日蓮の浄土往詣思想があったと論じられた時代があった。それは本果と読みとった成果ではなかったであろうか。日蓮説はあくまで本因浄土にあったようである。即ち魂魄の上に考えなければならないもののようである。そのような中にあって大石寺でも今は本因を切りすてて本果の成道を取ろうとしているような処はないであろうか。それは考え方の独走である。整備のためにとりあえず本因を取り返さなければならない。本果をもってしては師弟子の法門はなり立たないかもしれない。子細に思い返してもらいたい処である。

 近来は霊山往詣思想などということは耳にふれなくなったようである。他門下でもあまり口にしなくなった故であろうか。それは浄土宗に対して卑下した響きを持っている語ではある。霊山往詣思想とはいかにも聞き苦しい語ではある。霊山浄土とは魂魄の処に求められているものではなかろうか。そこは俗世の影響を受けない処であるべき浄土なのである。その故に常寂の浄土といわれるのである。そこは雨にもめげず、風にもいためつけられない常寂の浄土なのである。それが己心の浄土なのである。そこは人が法を作って制する必要のない世界なのである。常にその浄土を目指しているのである。文の底に秘して沈めた己心の法門の常住する魂魄世界なのである。そこには師弟子の法門が常住しているのである。それこそ滅後末法の浄土といわれるべきものではないかと思う。そこは雨にもめげることなく、風にも敗れることのない常住の浄土である。雨にもめげず風にも災いされることのない常住の浄土とは今どのように捉えられているのであろうか。これこそ己心の浄土なのである。これこそ滅後末法の衆生のために特に用意された魂魄の上の常住の浄土である。本来本果の浄土とは異なっているのである。それは俗世には在り得ざる処の常住の浄土である。この浄土は民衆の居る処、必らず常住している浄土である。それは日蓮大聖人が衆生のために残された不滅の常住の浄土である。それは常に師と倶に在るもののようである。必らず文底秘沈の己心の一念三千法門の存在を忘れることのないように。そこには必らず常住の燈火は滅しない処なのである。その雨にもめげず燈火の滅しない処こそ滅後末法の世の常住の浄土ということである。

 曾つて宮沢賢治という人は、そのような己心の浄土を見つめていたようであるが、それ以後はこのような浄土は案外、わすれ果てられていたのであろうか。案外そのような浄土は彼方に押し上げられて、忘れ果てられ易いものである。この己心の浄土を捉えることこそ師に対する報恩なのではなかろうか。そこに現世の浄土も親(まのあた)り具現するのではなかろうか。そこに報恩がまっているのである。天台浄土は本来己心の浄土を説かれているのではなかろうか。本来は本因にあるべきもの、それが長い間にミダの縁に牽かれて、本果の方に落ち付いたということではなかろうか。背景を知りたいものである。左伝の註が引用されて三百年、今ではその意味も全く捉えがたくなっている。それが明治の時、適当に解尺されて十分な解釈が出来ず、結局その譬喩も意味を捉えることが出来ず、抛棄につながったのではないかと思う。元政によって出版されて以来からいえば、四百五十年を経過しているのである。結局は本来の意味とは別の処で解されたものと思われる。

こうしてどんどん意味が変っているのである。ドイツ学の影響は殊に大きかったようである。

 国の解釈も法花経、金光明経・仁王経の解釈も、明治になって国家を根本としたものに固定したのであろう。そのために日蓮の解尺も国粋主義と連絡付けられるのである。以後、己心の法門としての威力は失なわれたのである。今、戦後四十年を過ぎて本来の魂魄の上の己心に帰ろうとするきざしが見えたのではなかろうか。明治以来百年目ということである。立正安国論以来、国家主義者と見られてきた日蓮は、幕末には一人の国粋主義者という解釈によって、水戸学の中で国粋主義の元祖のような解釈が成功したのであろう。これは陽明学が根本になっているのであろうか。水戸ではそのような中で日蓮学は大いに利用されて志気を鼓舞するのに利用されていたようである。水戸よりは、出た先でまとまったようである。日蓮学は戦争精神をかき立てるのには大いに役に立ったようであった。戦争をあふり立てるのには大いに利用価値があったようである。利用されたのは敢闘精神である。軍人精神と一連のものであり、敢闘精神であった。そのような処に大いに利用されていたのである。藤田東湖という人はどのような系譜に入る人であろうか。橘塾が起きたのは関東東部であったように思う。この時期には国柱会教学が芽をふき出した頃である。今戦後となって四十年、国粋主義者日蓮は、民衆主義者に変貌を遂げてもらいたいと思う。その依る処は魂魄の上に秘して沈めた己心の一念三千法門なのである。今は民衆主義者日蓮に再誕してもらいたいと思うものである。日蓮という人は常に民衆の先鋒に立って歩いて来た人であったが、従来は国粋主義者として利用されたのみであった。今度こそは民衆の先鋒に立った日蓮上人を見上げたいと思う。この法門、これだけの紆余曲折を所持しているのである。しかし実には誤解利用されたものが多かったのではなかろうか。門下で軍国主義者としての日蓮は既に終末を告げつゝあるのではないかと思う。

 この日蓮の不撓不屈の精神は、むしろ浄土宗や浄土真宗にも受けつがれているようである。返って門下よりは濃やかなのではなかろうか。その根本になるのは天台浄土の古い処にあったのではなかろうか。浄土には古い師弟子の法門及び、国土などに伝えているものがあるのではなかろうか。冨士にはそのようなものについて、古いと思われるものは伝えられていないのではないかと思われる。立正安国論について、長い間云い争っている間に古いものから消えていったのではなかろうか。一向一揆などに案外そのようなもの、大切なものが伝えられているのではなかろうか。一揆といわれる語の中には揆を一(もっぱら)にすること、その中には師弟子の堅さを秘めているようにも思われる。そして揆を一にした処に堅固な新らしいものが出生する。それが一つの国土の上に揆を一にしたものが出現すれば、それは新国土であり、新国家であるかもしれない。その国土は反抗を旗印としていたものであろう。それは国家としての形態をもっていなかったかもしれない、そしてどこかに只の衆団としてのみと見ては、割り切れないものを持っていたのかもしれない。そこには案外強い統御力を持っていたのかもしれない。それは師弟子の法門の上に現われた統率力なのかもしれない。国土とはそのような中で統御されていくものではなかろうか。

 法花一揆には境を主張するものが欠けていたように思う。若しこれが不幸にして国土を主張するようなことがあれば、もっと不幸な宗教戦争につながって、もっともっと不幸をもたらしたかもしれない。一揆が領土を主張することがなかったのは不幸中の幸いといわなければならない。師弟一ケ、因果倶時の法門の中にそれを拒むようなものが本来としてあったのではなかろうか。それは最終的には民衆を済うようなものを内蔵していた故ではなかろうか。太平洋戦争も、最後は世間を救う方向に拾収に向ったようである。それは案外法花による拾収力におう処が多かったのではなかろうか。始終及び、中間何れも法花のごとき動きを持っているようである。最初、戦を誘発したのも法花の中のようである。最後もまた法花らしきものをもっているのではなかろうか。そのような終末に導いたのは国民性であり、その国民性もまた法花によって長い間に培われたものではなかろうか。立ち上りもあっさりとしているように思われる。それらを総じて法花的と一言でまとめることは出来ないであろうか。

 浄土も法花も日蓮も、殆んど天台法花を祖(おや)としているものが多いのではなかろうか。如何なる大木も元を尋ねていけば同じ一根に赴くという、これが同趣一根である。妙法の一根に赴くという事をこのように六巻抄第五で説かれるのである。その時の妙法を一言摂尽の妙法という。全てが妙法五字に収まっているというのが六巻抄の説き方である。その途方もなく大きな妙法の珠を授与されているのが衆生であり、民衆である。最後にその妙法の働く処まことに奇妙と云わざるを得ない。その妙法の本にあると、室町に一揆も起っていたのである。その揆を一にする処は実は一であった。その故にこれを世に一揆と称するのである。それらが個々に働くのを止めた時、室町の戦乱は終ったのである。故にこれが永世に平和を願うなら、いつまでも文の底の己心の処に永世に内在していてもらいたいものである。そしてその寂かな法花常寂の滅後末法の時を迎えようとしているのである。そこには法花の夢も亦、受持を含まれていたようである。願わくは人々と共に常寂の世を迎えたいものである。

室町の戦乱も昭和の戦も、一瞬の混乱の最後であったのである。今、戦も終って漸く平成を迎えたことは、全く偶然の一致ということのようである。

 そこで最も大切なことは、ここに速かにその出発点を求めなければならない。謝霊運によって漢訳された羅什訳には、長い中国の伝統を十分にその中に貯えているのである。それを含んでいるのが羅什訳である。それ以上の中国思想は別にいらないという意味をもっているのではなかろうか。後に北七を含んだ北宋思想の渡来は、大きな混乱を残したのであった。伝教・日蓮・法然という人等のものは、殆んど南宋系のものであった。後々は南北が大いに混乱するのである。開目抄や本尊抄、撰時抄、報恩抄、法花取要抄等の諸抄は内容的には南方系に属するものではなかろうか。それらによって組み立てられた思想は、今も不動のものを持っている。それを出せばアメリカも韓国も即刻飛びついた、それが実は文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門である。或る宗門では文底秘沈の己心の一念三千法門について長い間反対している処もあった。今は徐々にそのようなものも消えつつあるようである。

 文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門、それは今日まで辛うじて伝えられてきたものである。今はそれを少しでも多くの人に知ってもらいたいと願う処にかかっているようである。平和はその己心の法門の所在する処、魂魄所在の処には必らずあるものと確信する。少しでも俗念が割こむようなことがあれば、そこに起る欲心のために平和を堅持することは困難になるのではなかろうか。それらは宗祖が事行に示された如くである。世の移り変りとはいい乍ら、それを取りまく雰囲気はあまりにも世俗の匂いが紛々としているようである。そのために事の始まりに「魂魄佐土にいたる」と大綱を示されるのである、それ以後は俗臭を外した処で説かれるのである。今は俗臭も極限まで割込んでいるようである。これは利用の仕方によれば、すぐれたものは案外に集めることが出来るのである。

  己心に建立する戒旦等については、生れた時から己心に建立ずみである。それは本仏によって無料で建立されているのである。それは適当に還算して今の価格でもって召し上げるのは如何なものであろう。六巻抄の当家三衣抄ではそれが無料であることを再確認されているのである。落ち付いて当家三衣抄がどのような事をとかれているのか、ゆっくりと読み直してもらいたいと思う。然る後にそこには必らず平和がもたらされることであろう。

 各宗教とも平和をとなえているが、それは本来の宗旨の処にあるもの、欲望に満ち満ちた宗教のどこに平和を求めることが出来るであろうか。若しそれを求めることが出来るとすれば、それは必らず魂魄の処に限るのではなかろうか。今も宗教は一斉に平和をとなえているようであるが、それは魂魄に鞍替した後にした方がよいように思う。魂魄の処には案外良心が寄り集るのかもしれない。無欲恬淡な処に平和は存在しているもののようである。三秘の惣在する処もまたそのような処ではなかろうか。無欲恬淡な処に三秘は惣在するもののようであるが、若しそこに欲望が充満すれば、その平和は即時に消滅するであろう。平和サミットをやって平和の集結する條件を求めることは、いかにも困難なものである。口に平和を唱えても平和を集結せしめることは、いかにも困難な問題ではある。そこには必らず犠牲的精神が必要なようである。

 キリスト教等も説いている根本になるものは、殆んど魂魄の上に説かれているものではなかろうか。そこへ色々な俗念が割こんでいったものではなかろうか。そこで色々と複雑になるものではないかと思う。宗教の発端は魂魄の処を本源として発展し、そこに国情によって種々なものが割こんでいくようである。その魂魄世界が色々と複雑に発展して、或は死後の世界もそこに発展するようなことはないであろうか。死後の世界とは魂魄世界から呼び起されるものではなかろうか、それはすべて想像の世界である。そこで国々によって各々個性をもっているのである。それは長い年月の間に各民族が作り上げたもののようである。

 キリスト教の場合もその教義の根本になるものは、西洋流な考え方が根本になっているようである。それが世界中を布教していく間に種々の国々の思想も次第に入り組んで、弥々複雑になるようである。我々が引くにしても、むづかしい漢字が並べられてをり、字書を引くことも容易な事ではない。これはこの段階で布教師の意見はどんどん入りこむことであろう。これは漢籍で最もむづかしいもの以上のむづかしさである。モルモン経(けい)にしても、これを読んだのみで分る人は殆んど希なのではないかと思われる程、難解な漢字がびっしりつめこまれているのである。

 モルモン経の場合でも欧州各国の思想を取り入れたものが、アメリカでまた独自のものをとり入れて独自の発展をして、現在を迎えて今まで布教してきたものについて、今一つの限界を見出だした処で、愚説を取り入れて新しく立ち上がろうとしているのではないかと思う。己心の一念三千法門については今まで経験したことはないのではないかと思う。この法門は魂魄の上の己心の一念三千法門によっているものであるが、モルモン経にもそのようなものと解される部分も含まれているようである。宗教とは、いった先でその地の思想を取り入れて発展していくもののようである。その宗教の要枢は必らず俗念を除き、俗念を断ち切ることが肝要である。今のモルモン経に最も必要なことは、その俗念を断除することであることを申し伝えたい。俗念が強ければそれだけで既に危険である、その危険を除くために、その欲望を捨去しなければならないことを提言したいと思う。

 その俗念とは、己心の解釈によって入りくんだもののようである。その排除も目下の大きな課題のようである。今、各宗教が一斉に唱えている平和は、もともと魂魄の領域に属するもののようである。各宗教の根本になる処は魂魄のようであり、そこから平和は出生しているようである。戦いを継続し乍ら平和を求めるのは、些か虫が好すぎるようである。欲望の深いさ中にあるのは闘争であって、平和があるのは必らず魂魄世界ではないかと思う。平和があるのは本因世界であり、闘争のあるのは俗世に限るようである。魂魄世界とは夢の世界である。本果の世界と世俗とが合体した時に色々な争い事が起り、そこに欲望も亦生じるのである。本因世界と魂魄世界と合体することがあれば、そこには必らず平和が存在するであろう。文の底に秘して沈めた己心の一念三千とはそのような処にのみ存在するもののようである。只一方的に口先にのみ平和を唱えてみても、そこには平和を持つことは恐らくは無理なのではなかろうか。

 滅後末法の世を迎えて釈尊応釈の教えも今は通用しにくくなったようである。同時に諸宗教の理も通用しにくくなっているようである。本迹一致といわれて来たが宮崎氏の日蓮宗辞典にも、正宗教学辞典にも本迹相対については双方共に開目抄にあるものと説明せられているが、本迹一致については説明抜きで大いに教義の中に取り入れられて利用されているようである。相対が、理屈抜きで何故、一致と使われるのであるから分らないのである。これは寛師も説明されているが、それは本迹相対のみである。相対したものが何故一致なのか、そのような中で本因が消されるのではないかと思う。そして次には本因が本果と解されるのである。それは理の上の飛躍である。

 そのような理の法門も、天台理の法門も、二十一世紀直前にあたって一斉に理の法門は、各宗教共理の法門について、行きつまったのではないかと思う。亦ドイツ哲学の理もどうやら行きつまる時が来たようである。そして今通用しているのは三世超過の文底秘沈の法門のようである。庶民の己心の一念三千法門、即ち文底秘沈の大法である。アレ程優秀をほこったドイツ哲学の理も、一斉に行きつまる時が来たのである。そして次の哲理を迎えなければならない時が来たのである。最早現実はマルクス主義も通用しなくなったのである。そして次の二十一世紀を指導する理について民衆は求めかねているようである。それは天台理の法門でもなく、キリスト教の理でもないようである。

 今のような世が来た時、古えの人は私年号をもって弥勒を迎えて満足していたようである。滅後末法を迎えたのは、まず平安初期である。そして全国には福の付いた地名が非常に多い。これは弥勒を招来しようとした民衆の夢のあとのようである。それは渡来人がそれぞれ持ちこんできているようである。そしてそれぞれの時代の境い目を乗り越えてきているようである。幕末から明治へかけての時代も弥勒を迎えることによってそれぞれ滅後末法の世を乗りこえているようである。お伊勢様のお蔭参りも好例である。戦後はミロクの世の代りに、こ金のだぶづいた代が今きているのである。室町という時代もそのような時代であったのではなかろうか。そのようにして民衆はそれぞれ末法の世を乗りこえてきているのである。即ちこれが生活の知恵である。この智恵がなければ民衆はつぶされるかもしれない。そして色々な新興宗教が登場したのもまた庶民の智恵なのである。

 そして今何とか戦後も終ろうとしているのである。ドイツ人の優秀な頭脳をもってしても、この滅後末法の世を理をもって乗り越えることは出来なかったようである。明治以後、勢いを一時的にのばした諸宗も今は一斉に行きつまって、一斉にこれを乗り越える方法を模索しているようである。しかし一向に名案は浮ばないようである。そしてアメリカが模索の末見出だしたのが「己心の一念三千法門」であったのである。ここに至っては最早、洋の東西を論ずる余裕はなかったのである。これは必らず欲望を離れて魂魄の上に受けとめられたいことは宣教師の方々に繰り返し御話し申し上げてをる通りである。欲心を離れた処で利用してもらいたい処である。必らず欲心の上に利用しないことである。欲心をもって己心の法門を利用した人は、必らず失敗しているようである。それは天台・妙楽・日蓮の示された如くである。一歩誤れば天下の邪教となる恐れがある。今の世間にはそのような要素が充満してきたのである。

 魂魄の上に根を下すことが今の世を乗り越えるための必須条件のようである。頭に乗って威勢よくやってきた日蓮宗も、今は一斉に気迫が失なわれているようで、今は前に立ちはだかった障礙を如何にして乗り越えるかという処で困惑しているのではないかと思う。己心の法門を受けとめるためには必らず欲望をすててかかることが条件であることは、日蓮の昔から一向に変りはないようである。そこにおいて法花経寿量品の文の底に秘して沈めた己心の法門を始めて捉えることが出来るのである。明治には欲望のために捉え損ったようで、その尻拭いが今来ているのである。自のため他のためにその後始末の必要な時のようである。行きつまりは西洋もアメリカもその差別は全くないようである。そこに日蓮の思想の大きさというか、偉大さというものが秘められているのである。しかも門下からは一向に捉えられることもなく、まづアメリカや韓国がとびこんで来たことは縁があったというか全く奇妙という外はない。己心の法門には一向に国境は無用であったようである。

 

 

 

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