4. 死者が裁く

 

いわゆる「近代化」の思想と動向がそうさせるのか、それとも人口過密の心理的圧迫によるのか、今日の日本社会というものは、どうやら生者だけの世界になっている、あるいは、そうならせようとしているようにみえる。こういうと、今さららしく何をいうのか、社会というものはすべて、生きている人間だけがそこで市民権をもっている世界のことではないのか、と反問されるだろう。しかし私は、そう反問するいわば常識のうちに、一切のものを散文化させ、無機物化させ、断片化させずにはおかぬ「近代化」の思想と動向の醜悪な産物の一つを見出す思いがするわけだ。事実、「近代化」というものが万能のスローガンとして通用してはいない社会情況のもとでは、社会生活の現実の中で、死者のたとえば意志や想念や情感を十全に活かしつづける努力を払うというしかたで、生者が死者をその社会生活の中へ迎えいれたし、今後も迎えいれる可能性があるだろう。故人の遺言や遺命が絶対的なものとして尊重されたり、死者の怨恨のゆえに復讐が企てられたり、悲恋に散った男女のために比翼塚が建立されたり、それらの所業はことごとく、社会生活の現実の中へ死者を迎えいれ、死者とともに生きようとする生者の生活構造を意味しないだろうか。そのような構造において生きようとする人間の姿勢は、「近代化」を志向する社会においては、もとより「封建的」として一蹴されるだろう。しかし、死者を排除して生活を処理しようとしたその瞬間、人間というものは死者にたいしてたちまち利己的・独善的な存在と化することを覚悟しなければなるまい。それだけではない。死者との絶縁において生きようとする人間は、最も根源的で最も物質的な地平における歴史的連関を否認することによって、己れ自身の存在を空洞化させ、己れ自身を浮遊生物化させる危険をおかすものであることを知らねばなるまい。いずれにしても「近代化」の悪潮流を主体的に乗り切ろうとするなら、たとい古風のそしりはまぬがれぬにしても、この日本社会において、死者との共存、それとの共闘を避けるぺきではあるまい。

こういう思いで人類の歴史を点検すると、上に示唆したような、此岸の世界における生者と死者との共存や共闘のさまざまな観念や事態がそこに発見されると同時に、そのような観念や事態に一見逆行するかのような諸事象も見出される。それらの逆行事象のうち、おそらく最も顕著で、最も普遍的なものは、死者審判の観念ではあるまいか。死者審判では、生きてきた人間は、一切を空無化するはずの死という新事実が生じても空無に帰するのではなく、生前の所業にまさしく対応した禍福いずれかの新境涯に参入すべきもの、と定められる。生前の業因に対応した禍福の措定、これを死者審判の主要な観念内容とみるとき、教義や信仰にあれほど大きい相違のあるキリスト教、回教、仏教において、死者審判の一点については、共通要素の多いことは、まことに興味深い。審判の主体はキリスト教ではキリスト、回教ではアッラーの神、仏教では道教の影響を受けて冥府の十王であり、また、キリスト教、回教ではすべての死者を同時によみがえらせての最後の審判が問題であるのに、仏教では死の直後に行われる一人びとりの死者の振分けが問題である、というように大きい相違も存在はする。しかし、総じて死者というものが審判の対象とされる点、審判者は存在するけれども、キリスト教、回教の場合でさえ、仏教の場合と同じょうに、自業自得、因果応報が審判の規範を形作っている点など、三教共通の点も多い。その際、とくに重要であるのは、審判の真実の基準が、審判者の意志そのものに存するのではなく、生者たちを支配し、生者たちの間に安当している規範と全く同一のものである、という一点である。つまり、死者審判の場合には、生者にとっての規範を死者のあり方についても安当させてゆく、というしかたで、生者の側から死者の世界に立ちいろうとするわけであって、生者の世界へ死者を迎えいれようとする前段の情況に逆行するもののようにみえる。

しかし、少しく熟考すると、逆行とみえるのはたんにみかけに過ぎないのであって、内実においては、死者審判もまた此岸の世界における生者と死者との共同作業の、一つの屈折したかたちに他ならないことを発見する。なぜなら、生者を支配するその規範が深刻化され、徹底化されたかたちで死者にも適用されるという観照を介して、生者の規範はいっそう高度で、いっそう切実な規範性を此岸の世界で獲得することになるのが、死者審判の観念の少なくとも一つの効果であるだろうからである。

いずれにしても、正統的で古典的な信仰が行われているところでは、キリスト教、回教、仏教のいずれの場合にも、死者を対象とした審判の観念が、「近代化」の風潮にもかかわらず、今日においても生きつづけているのではあるまいか。しかし、近ごろ妻を失い、妻を死者としてもつにいたった私の生活経験に即していうと、審判の対象などではぜったいにありえず、逆に審判の主体として永存する、そのような死者もある、と考えざるをえないのである。亡妻をほめるわけでもなんでもないが、生れつきの善意で貫かれたーーと私の信じているーー妻の生涯を審判しうる権威などはどこにも存在しえない、と同時に、医者というものの無能と無貴任を痛嘆し、糾弾しつつ死んでいった妻は、そのときから医者を露頭とした社会悪の審判の座についた、と私は考えざるをえないのだ。そして、そのような亡妻との共存と共闘というものこそが、私に残された唯一のあり方だ、と思い定めるにいたっているのである。

しかし、私が共闘せざるをえないのは、はたして亡妻だけだろうか。共闘者としての亡妻という実感に立つと、今まで観念的にしか問題にしてこなかった虐殺の犠牲者たちが、全く新しい問題構造において私の目前にいきいきと立ち現われてくる。アウシュヴィッツで、アルジェリアで、ソンミで虐殺された人たち、その前に日本人が東京で虐穀した朝鮮人、南京で虐殺した中国人、またアメリカ人が東京大空襲で、広島・長崎の原爆で虐殺した日本人、それらはことごとく審判者の席についているのではないのか。そのような死者たちとの、幾層にもいりくんだ構造における共闘なしには、執拗で頑強なこの世の政治悪・社会悪の超克は多分不可能であるだろう。いずれにしても、死者にたいする真実の回向は、生者が審判者たる死者のメディアになって、審判の実をこの世界であげてゆくことのうちに存するのではあるまいか。

 

ーー1970・3・20ーー

 

 

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