3. 常にここにあって滅せず

 

古代インドの仏教徒の間では、釈尊がさとりに達したのは、彼が釈迦族の宮城を脱出して、伽耶(がや)城近傍の「道場」にあったときのことだ、と長く信ぜられてきた。この通念を破って、釈尊の成道をはかり知れぬ久遠の過去のできごととして定立したのが、法華蓮の如来寿量品である。これによって釈尊の成道は、歴史を越えて逆に歴史を見はるかす視座となり、軌範となるにいたった。

しかし、寿量品が定立したのは、このような歴史的時間を越えた釈尊成道の経緯だけではない。寿量品はまた、成道を起点とする、あらゆる歴史的時間と歴史的空間を通じての、衆生の教化という釈尊慈悲行のイメージをも確立した。このようにして「常にここにあって滅せず」(「常在此不滅」)という寿畳品中「自我偈」の金句が、千釣の重みをもって読誦者に迫ってくる。「ここ」とはたんに「霊常山」だけを指すのではない。恭敬し信楽する衆生の存するところ、常に且つ遍く釈尊は妙存する、というのが、「常在此不滅」の玄義だろう。

以上は、この上の数理的解釈の一つに他ならないが、老妻を失って9箇月余、位牌を前にして毎夜「自我偈」を唱える身には、釈尊常住の理念よりもさきに、亡妻の常在が実感されてくる。ところで、ふしぎなことに、亡妻常在の情感にふけっていると、その情感に誘われ、それに媒介されて、釈尊常住の理念が浮かび上ってき、やがては釈尊の常住が実感されるような思いにさえなってくる。亡妻に回向していると思ったのは、独り合点なのであって、実は、亡妻に回向される身に私はなっているのかも知れないのである。

ー1970・2・6ー

 

 

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