散歩道(82)
ご都合仏教 世俗の幸せが仏教か?
大蓮寺副住職 中原寿衛
久しぶりに面白い本を読みましたので、その紹介を。魚川祐司著『仏教思想のゼロポイントー「悟り」とは何か』新潮社。
この本は出版以来、仏教界ではたびたび話題になっており、おそらく2015年を代表する仏教書ではないかと思います。
その内容自体は、決して目新しいものではないのですが、仏教の基本中の基本をごまかしなしに見つめるという誠実さと、どこの宗派にも肩入れせず仏教学者としての中立性を保つ客観的な態度かち、誰にとっても読みやすく、好感のもてる良質な仏教解説書となっています。
宣伝コピーには「日本仏教はなぜ悟れないのか?」などと挑発的な言葉が並んでいるので、最近流行の南方系小乗仏教の立場から日本の大乗仏教を批判するような書物なのかと思い、すぐには手に取れなかったのですが、実際に読んで見ると、小乗仏教の内容が多いとはいえ、大乗仏教の存在意義や成仏観を否定するものでは、全くありませんでした。
一つだけ本文を紹介すると、「ゴータマ・ブッダの教説は、それに従って解脱・涅槃を達成しようとする者たちに、労働と生殖の否定をはっきりと命ずるものなのだ」・‥つまり、ブッダの教えは、世間でいうところの幸福や達成感を得るためのものではないどころか、それとは全く逆の方向を向いているということです。近ごろの仏教界では、現代人に受け入れられやすく成仏を説うとして、ついつい「幸せ」という言葉を使いがちです。また、「仏教は役に立つ」というイメージをもたせようとして、精神安定や人間関係の安定に貢献できるような言説が多くなっています。
しかし本来、「悟り」「涅槃」 「成仏」とは、それらと全く違った次元にあるものだということを、本書はあらためて示してくれているのです。
私たちの信仰においても、究極の目標である成仏の姿を、何度も流罪や命の危険にさらされた大聖人のご生涯や、でっちあげの罪によって拷問されたあげく斬首されてしまった熱原の信徒らの境界に求めるならば、世間における幸せなど成仏の足しにはならないことが分かります。
本書を読み、最近、お寺のお楽しみ系イベントに人が集まりつつあり、調子に乗っている私のボンヤリ頭をピシャリと叩かれたような気がしました。入り口を広く開けることも大切ですが、最後の目標を見失わないことは、もっと大切です。