仏教的な価値観
火宅に居て利を追う愚
近時、中国の経済・軍事などの振興増強には目を見はる。反面、倫理・道徳などでは諸外国から厳しい意見も聞かれる。
30年余年前、ジャパンマネー、海外ノーキョー観光などで一部顰蹙を買った日本人の姿を彷彿とさせる。
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ちょうどその頃、知人で中国残留孤児だったOさんが日本に帰国し、職業訓練所に通い就職をしたが、1年で辞めてしまった。その工場は2年目からはボーナスも支給される規則だった。
驚いた兄弟がOさんに理由を聞くと、最初の工場は何でも自費で用意しなければいけないが、今度の工場は軍手一組を支給してくれると言う。Oさんは、1年後の米一俵よりも、今日の米一合を選んだ。
この話を聞いた人が、やりきれない気持ちになったり、嘲笑したり哀れむなどするならば、それは誤解である。Oさんの判断はさておき、大事なのは軍手一組とボーナスの価値、今と1年後の時間差、また米一合と一俵の量的比重、そこから想定する将来の生活保証などではない。
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経文には、この婆婆世界は火宅のようなものであり、その炎が燃え盛る家の中で夢中になって遊ぶ子供が私たちと説く。(法華経警喩品)
ゆえに、火宅の世界にいて世間的な優劣を天秤にかけ、どれほど大輪の花を咲かせてみようとも所詮は燃えつきる徒花と知るべきである。
私たちが花を咲かすべき真実価値ある世界とは、一人ひとりの心の中にある一念三千の世界。そこは「吹く風は枝を鳴らさず、雨も土塊を砕かない」(如説修行抄)。広宣流布という百花繚乱の花園である。その己心の仏国土に咲く妙法蓮華経の花は、永遠不滅・三世常住で、枯れも燃えもしない。
何処の国であろうと、この先どれほど科学が発達し、医学も進歩し、軍事力を増強させ、経済大国になろうとも、病気は無くならず不老不死の夢も実現できないだろう。
三千年の往古、釈尊が説いた生老病死の理はいささかも揺るがない。
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では、私たちが幸せに生きるとは、どういうことなのか。少なくとも他人と比べて良いとか、悪いとか愚痴をこぼしている姿は、幸せだとは言えない。
先ずは自分の心の田を開墾して妙法達筆の種を植える、それを他人にも勧めて人生の生き甲斐とする。それが幸せに生きる姿である。
そのためには、与えられた境遇と精一杯格闘すること。病気をしても失業しても決してくじけず、ひたすら己心に白蓮の種を植える世界に成仏の花が咲くのである。
冒頭の、軍手一阻で職場を変えた0さんと、それを批判する自分とは五十歩百歩で、どちらも同じ火宅の人″と自覚しなくてはならない。
だが残念なことに、私たち現代人はこういう考ええ方を忘れ、目先の利息を追うようになって久しくはないか。
願わくは信仰者たる者夜眠る前に一度、自分が法華経を信仰する者であることを自覚したい。