結論

 

以上、四編を設けて、日蓮を中心とする鎌倉仏教の思想史的研究をこころみてきた。巻をおくに当たり、この主題を設定するにいたった理由を要約し、また、これまでの鎌倉仏教、とくに日蓮を中心とする主要研究文献について、わたくしの立場からの概評を述べておきたい。

日蓮を中心とする鎌倉仏教の思想史的研究を主題に定めた第一の理由は、戦後、鎌倉仏教の研究が、教団内外の学者によってそれぞれの角度から、漸次おしすすめられてきたけれども、まだ、日蓮を中心とする自由な思想史的研究が、全く未開の領域としてとり残されてあることに気づいたからである。その結果、戦前のゆがめられた研究成果が、あたかも太平洋戦争の敗北も、思想の変化も全くなかったかのように、今なお平然と居据りつづける、というまことに恥ずべき状態を繰り返している。この状態にたいするわたくしの抵抗が本書をうみだした第一の理由だといってよい。

第二の理由は、特定宗派の開祖の地位を占める人物に関して、教団の制約から生じた信仰が、正しい学問的認識を妨げ、伝説的迷信をはびこらせているので、教祖を教祖としてでなく史上の一人物として定位し、客観的に教祖の思想と行状の事実を追求し、また学問上の事実判断をゆがめる信仰的な価値判断を除去しながら、いわゆる教祖の功罪を正視する必要があるとみとめたからである。

第三の理由としては、現代日本の政治の分野にまで、進出しはじめた創価学会、公明党を予想しながら、日蓮の宗教を、その源流にまで遡及して、本質を問い糾し、爆発的エネルギー源の秘密を解明しようと意図したからである。

第四の理由には、日蓮の宗教人として果たした以外の役割、たとえば倫理思想史や日本史学史のうえで占める役割をはっきり見定めようとしたことがあげられる。

そして、第五に、日蓮の思想を、神学的に永遠化し孤立化するのではなく、鎌倉新旧仏教の主要人物はもちろん、ひろくいって中世思想との歴史的全体的関連を考察して、そのなかで、日蓮の宗教活動の意義を探りだすべく試みようとしたことである。

さて、以上の理由によって、設定された主題を研究するために選んだ思想史的方法について、わたくしは、次の諸点に留意した。

すなわち第一に、鎌倉仏教の価値を、宗門系諸学者のように権威的に実体化し神聖化することなく、そこに事実として現われた思想を、縦の流れと横の拡がりとの交叉の中で、過程的に相対化し、それが歴史の動きにたいし、前向きであったか、あるいは後向きであったかを主要関心事としてとらえたことである。

第二に、思想史の補助手段には、基礎史料に関する文献学の成果を出来るだけ忠実に摂取した。とくに日蓮遺文の如く、真撰、偽撰、真偽未決のものが、雑多に入り乱れて伝存するばあい、その思想史的研究方法も文献学に依存しなければならない必要を痛感させる。本書各章各節の末尾に示された莫大な量にのぼる基礎資料、参考文献は、その必要から列挙されたものである。しかしたとえば、日蓮の「三大秘法鈔」のごとく、偽撰遺文としてすこぶる明白なものまでが、長く門下のあいだに伝承されて、慣例的に祖書としての既成事実を作りあげてしまうと、それを打破するのにはもはや文献学的批判だけではどうにもならず、したがってそこに思想的な分析や論理的批判を導入しなければならなくなる。

第三に、多種多様な問題を抱え込んでいる思想史の領域のなかで、本書がとりわけ重視したのは、宗教と政治と道徳の境界領域であった。政教分離が、現代国家の趨勢となっているにもかかわらず、日本の政界や宗教界では、この分離化に逆行し、古代的・中世的な政教未分の方向をたどろうとする現象を随所に発生させている。これを思想史的に検討すると、その根は日本において深く遠いものがあるといってよい。「神のものは神へ、カイザルのものはカイザルへ!」この政教分離を完全に実現して、信教自由の憲章を空洞化することから守りぬくために、われわれは思想史的な背景からその病根の所在を確認しておかなければならない。宗教や道徳が、見境なく政治と結びつくとき、それによって政治がいっそう悪くなるばかりでなく、人間の内面にかかわる宗教と道徳の泉までもほしあげてしまう。本書の思想史的方法をつらぬく著者の研究態度は、古典を正しく受容するためにも、近代精神を擁護することである。歴史は、たんに過去を知るだけでなく、現代と過去との対話を通して研究されなければならない。

日本仏教10数世紀の歴史を通じて、最も高い評価をうけているのは、そのうち僅か一世紀有余こ満たない鎌倉期の、念・禅・法華の三仏教だけである。これらが南都六宗、平安二宗にたいし、今日、新仏教とよばれているのは、それが日本における仏教ではなく、実に日本の仏教となって、自主的な民族的展開をとげたからである。鎌倉期になって、仏教ははじめて日本人のものとなったのである。これを第1の特徴とするならば、第2の特徴は、社会的受胎層、つまり階級構成が、王朝仏教に比較して、いちじるしい変化を刻みだしたことである。念・禅・法華の社会的受胎層となった階級構成にも、それぞれの特徴と差異はみとめられるけれど、とにかく仏教を貴族階級の独占から解放し、劣機救済と易行の教説を立てて、それを大衆生活の内部と底辺へ定着移行させ、そこにいわゆる民衆仏教を確立した点で、共通の傾向を看取できる。しかしこのようなことは、これまでの学界の常識となっていることであって、本書の改めて指摘するまでもないところである。本書は、そういう常識化した三仏教の庶民性をさらに微視的に分析して、親鸞によって代表される念仏を庶民中の庶民型として、道元によって代表される禅を庶民中の貴族型とし、そして日蓮によって代表される法華を庶民中の武家型としてそれぞれ類型的に規定した。この点で、本書の新仏教のとらえ方は、これまでの研究書といささか類を異にし、また読者からも批判のあることだと思う。次に、第三の特徴は、今日、鎌倉新仏教の開祖として崇敬される法然、親鸞、道元、日蓮などの歴史的個性が、群を抜いて偉大であったことである。これは率直にみとめてよい。歴史的個性を異にするこれらの巨人が、ほとんど相前後して史上に輩出したことは、たんに中世思想史の偉観であるばかりでなく、日本文化史の驚異でもあろう。この点もおそらく多くの人々によって、異論の余地なく是認されてきたことであるが、それぞれの新仏教の特徴が、歴史の流れのなかで、どのように融け合い、噛み合ってきたか、また新仏教をどう評価すべきかは、まだ多くの謎に包まれたまま問題領域を限りなく研究者の前に提供している。人口に膾炙されているほど、鎌倉新仏教の問題点が解明されているわけではなく、むしろ未決の問題が余りにも多く、それに関する非護教的な科学的討究は、全くなされていないか、あるいはなされたとしても、ようやく緒についたばかりといったほうが適切であろう。戦前における歴史学の暗黒時代と、戦後20年の短期間を反省するならば、真に科学的な鎌倉仏教の、体系を顧慮した思想史的研究の不毛は当然さけられえない結果として今日に持ちこされた。

鎌倉新仏教は、教団内外の学者からしばしば開祖の偉大に関する、伝説的迷信と混同されて高い評価をうけたり、その民族的同化の過程が、国粋主義的な方向から不当にゆがめられたりしてきたが、本書はそういう評価や歪曲を実証的に粉砕した。新仏教の開祖の貴重な賜をも、これを後世、思想の発展を全く必要としないほど完成化された遺産とみなしていない。またそれにたいする批判の余地を全く必要としないほど、絶対の域に達した、思想・信条の体系ともみなさなかった。こうして本書は、教条主義的見解を全面的に拒否した。西欧の宗教改革などに、歴史的条件の差異を無視して比較する観察のごときを、誤った類型説として容赦なくしりぞけたのはいうまでもない。これは何よりも新仏教が、革新的な特徴を備えていたにもかかわらず、なお旧王朝仏教の伝統を随所に継承していたことや、そのうえ、後世の門下によって、恣意的に歪曲されうるような、種々の反革新的要因を、教祖たちが残りなく清算していなかったという理由に基づく。いうなれば、本書は、教祖たちを史上の一人物に還元し、彼らの教説を、古代的・中世的な宗教イデオロギーとして、その歴史的格を明らかにするのが目的であった。近代以降、顕著に展開せしめられた鎌倉新仏教の継承者たちが、反動ナショナリズムの槓杆となることに甘んじたのも、無から有を生じた結果なのではない。源流を求めて遡及すれば、そういう歪曲と挫折を後世招き寄せる内的要因を、ほかならぬ当の鎌倉新仏教の祖師たち自身が、それぞれに孕んでいたからである、とみなす見解をわたくしは放棄できなかった。さらに附言すれば、鎌倉新仏教の花も実もある時期は、教祖一代に尽き、それ以降は、余り高い評価に値しないということである。

本書各編の骨組については、すでに緒言の箇所でまとめておいたから、ここで再びそれを繰り返す必要はない。最後に、これまでに問われた日蓮研究の主要参考文献について私の概評を述べ、本研究書がどうしてもそれらの文献のほかに書かれなければならなかった理由を明らかにしておきたい。

現在までに刊行されている日蓮研究の文献の量は、必ずしも少ないというほどではないが、それでも戦前・戦中のものまでつぶさに加算すれば、やはりかなりの量に達する。にもかかわらず、わたくしが鎌倉仏教中、とくに日蓮の宗教を研究の主題に選んだのは、屋上さらに屋を架するためではなく、以上の主題について自由な思想の科学を観点ないし方法として応用し研究した業績がきわめて乏しい、という理由に基づくのである。私見によれば、戦前・戦後を通じて、すぐれた日蓮研究の学術書とみとめられうるものは、単行本に関する限り、宗門内外を広くみわたしてみても、ただわずかに次のごとき数点を算しうるにすぎない。

  姉崎正治著「法華経の行者日蓮」 初版大正5     博文館

  山川智応著「日蓮聖人研究」全二巻昭4・6       新潮社

  同「法華思想史上の日蓮聖人」昭9             同上   

  浅井要麟著「日蓮聖人教学の研究」昭20         平楽寺書店

  家永三郎著「中世仏教思想史研究」昭23         法蔵館

  佐木秋夫著「荒旅に立つー日蓮ー」昭23          月曜書房

日蓮を必ずしも主題としていない鎌倉仏教の研究書や、思想史と異なる他の方法を用いての日蓮研究書は、もちろん以上列挙したほかにも多数あげうるのであって、そのなかの少なからざる部分については、すでに本書各節の註記のなかで引用しておいたとおりである。しかし前述のごとく、厳密な思想史的方法による日蓮研究の専門書は、いたって乏しく、さきにあげた数著のうちでさえも妨崎、山川、浅井の三氏の著作を除外しなければならぬほどである。というのは、大正の初期、第一版を刊行した姉崎著「法華教の行者日蓮」は、本邦における最初の科学的な日蓮研究書として、その啓蒙的意義は高く評価されなければならぬと思うが、立場と方法が、科学としてのあいまいを免れない宗教学の限界にふみとどまっているため、思想史的には余り価値ある業績ではない。同著を今日、思想史的な視野から見直すと、最も重要な問題を孕む日蓮の国家思想などに関する分析はきわめて不十分であり、それにたいする評価にも甚しい偏見がふくまれている。これは姉崎博士が、すぐれた宗教学者であっても、思想家でなかったことと関係しているように思われる。

思想性を欠落した学者という点で、姉崎博士の親友山川博士の諸著についても同様のことが指摘できるのである。たしかに山川博士の著作は、日蓮研究に関する未知の分野を到る処に開拓し、その功績は長く記憶に値するものがあろう。おそらく明治以降の最大の日蓮研究学者の名誉は山川博士に帰せらるべきである。しかし山川博士の研究は、しばしば科学的であることを誇称しながらも、結果的にみれば、次の浅井氏と同様、科学とは程遠い教学的信条に支配されていた。博士は学者であると同時に熱心な信仰者でもあった。数多い山川博士の著作中、わたくしは、「日蓮聖人研究」全二巻を最高の代表作とみとめるものであるが、この書においてさえも結論の下し方はすこぶる護教的であることを免れなかった。たとえば、真宗大谷派の村上専精博士(1851、嘉氷4〜1929昭和4)と論争した日蓮と親鸞の比較論などに、その点が端的にばくろされている。

 それは、日蓮信奉者として当然のことでもあろうが、学問となれば、事実判断を価値判断に従属さすべきではない。厳密な思想史的方法を用いるとき、最も注意しなければならないのは、信奉者の立場を意識的に回避し、宗祖を史上の一人間に還元し、社会的な環境に位置づけ、そのうえで彼に凡人以上の価値を是認するのでなければならぬということである。それを初めから普通の人間とはちがう、といった前提を立てて、祖師の研究をすすめるならば、たとえその過程において、どれほど学問的に重要な事実が解明されても、またその成果において学界に寄与するところがあっても、けっきょくは、非科学的な研究として、つまり護教的な研究におわらざるをえない。護教的にせよ排教的にせよ、そういう実践的動機を、科学的研究に一切介入さすべきでないのである。科学的研究は、没価値的な事実認識からまず出発するのでなければならない。このように述べてくると、どうも教団にぞくする学者は、初めから思想史的研究の失格者というよりも、元来、この種の研究を自由になしうる条件におかれていなかった、というべきだろう。山川博士の「法華思想史上の日蓮聖人」がよい模範を示していたように、思想史とは、教団系学者にとって、実は教学思想史以外の何ものでもありえなかった。これにたいし、われわれの思想史的研究は、こういう欠陥を克服してゆくうえからも、絶対的に教学思想史や神学史の叙述をこころみたり、宗義的信条にとらわれてはならないのである。教学はドグマであって、普遍の真理を志向する思想ではない。要するに、山川博士のすぐれた日蓮研究書のどの一つをとりあげても、思想史的研究とよぶに値するものは何もなかった、ということになるのである。

次に、浅井要麟氏の著作は、すでに「日蓮聖人教学の研究」と題されていたように、思想史の範疇に、厳密にいえば入らぬものである。しかし浅井氏は、たんなる教学者ではなく、浩澣な日蓮遺文を文献学的に研究した最初の学者であり、それに関するすぐれた論文数篇も、右の著作中に収められてある。おそらく、この領域では山川博士の水準をはるかにこえていたと思う。科学的な思想史的方法が、文献学の研究成果を全く無視できないとするならば、浅井氏の業績を素通りして、われわれは日蓮を思想史的に研究することはできないはずである。しかし浅井氏の文献学的方法が、最高の科学的レヴェルにまで達するためには、克服されなければならない習俗的・信仰的な先入観が強く支配していた。日蓮系学者には、「史上の親鸞」を書いた真宗の中沢見明氏などに比較できる人物がきわめて乏しい。たとえば、王仏冥合の聖典として、宗門があげてこれまで鑓仰してきた「三大秘法鈔」などにたいする浅井氏の見解は、教権を畏怖しきわめて腕曲な表現をたどり、すこぶる歯切れが悪い。そのうえ、さきの著作は、おもに戦前の論文を門弟の執行海秀教授が編集.収録したものであるから、戦後の刊行であるにもかかわらず、日蓮の国家思想などについて、自由な研究も批判も全くみられない。教学者の科学研究は概してみせかけに終るばあいが多いようである。

さて、以上のごとくみてくると、日蓮の自由な思想史的研究は、これまでのところただわずかに、家永博士の「中世仏教思想史研究」と、佐木秋夫氏の「荒旅に立つー日蓮ー」の二書をあげうるにすぎない。この二人は日蓮の信奉者でないだけに、教権にたいする遠慮もなければ、信仰によって判断をあいまいにする必要もなく、研究がきわめて自由になされているのが特徴である。「中世仏教思想史研究」中所収の、家永博士の「日蓮の宗教の成立に関する思想史的考察」という論文は、特定史観を前提としない実証的立場から、法然、親鸞、道元などとの相対的な比較をとおして、目蓮の宗教の思想的内容とその特色が、如何にして成立したかを考え、日本仏教史上に占める日蓮の地位を再評価することに及んだものであって、そこでは、日蓮の宗教が、自ら打ち克たるべき抵抗として、折伏を加えた反対の仏教を、それぞれ吸収することにより、複雑な要素をふくんでいたこと、とりわけ真言の現世信仰的祈祷教的要素が、日蓮の宗教の核心から切り離しえないこと、鎮護国家思想は、寧楽朝や平安朝に盛に唱えられたのと、少しも変っていないこと、したがって新仏教といちがいに断定できない性格を有するにもかかわらず、なおかつ新仏教と評価されうるゆえんを、末法思想、劣機救済、破戒、信心為本などの教説中に見出している。親鸞に好意を寄せ、法然の史的地位を高く評価する家永博士の日蓮論は、概してきびしい批判に終始しているが、国史に精通していた日蓮を、日本史学史上、正当に評価すべきことや、その立場が一般に誤伝されているごとき国家主義的なものでないことや、日蓮の情熱的側面よりも主智的側面を重視する必要のあることなど、貴重な啓蒙的示唆に富んだ見解を、公平に述べているものである。しかし本論文は、もともと日蓮をいわゆる鎌倉仏教を組成する各宗教家の相互関係から究めるのが目的であったから、日蓮のみに研究の力点をおいていたわけではなく、したがって取り扱われた問題領域が狭く限られている。その掘り下げもまた浅く終っているうらみをとどめていないわけでない。引用遺文の文献学的吟味もほとんど素通りのままである。したがって、本書は厳密な学術書とみるよりも、日蓮の思想史的研究に関する戦後初期にあらわれた啓蒙的な問題提起の書として高く位置づけることができよう。

戦後といえば、佐木秋夫氏の「荒旅に立つー日蓮1」は、昭和23年の刊行となっているが、じつは、1937年に刊行されたもの再版である。しかし戦前の執筆にもかかわらず、内容の斬新なのは、氏が、戦前からマルクス主義者として、唯物史観の立場をとっていたためであろう。いずれにしても、日蓮研究に唯物史観的方法をとり入れた最初の著作として、本書は特異な光彩を放ち、永田広志氏の「日本封建制イデオロギー」(昭22・白揚社)や、鳥井博郎氏の「明治思想史」(昭31・河出書房)とともに、唯物論者のすぐれた仏教研究書の一つに数えられてよい。佐木氏は、まず伝説的要素があまりに深く滲み渡っている日蓮史料の整理の必要を痛感し、現存真筆に準ずるものにより、次に古伝記により、さいごに、現在の種々の日蓮伝や、一般のいわゆる御遺文によるなどして、方法を実証的に手堅くおしすすめ、史観で史実をゆがめるような点はない。氏によれば、狂信的な国粋主義の大予言者、神国日本の国聖の役割を負わされた日蓮の思想は、当時旧王朝的大寺院の下級僧侶のそれであり、没落してゆく王朝貴族の荘園私官(雑掌)たる小地主のそれに最も近いものであるという。たしかに日蓮には、そういう事実はみとめられるけれども、彼の思想の内面的な掘り下げを通じて、歴史的状況との噛み合いをほぐしてゆく努力が、まだ、本書ではじゅうぶんでなく、史料的にも教学者の業績に多く無批判に依存しているので、方法の斬新さにもかかわらず、宗教的人物の評伝書として説得力に弱いうらみをもっている。没落してゆく王朝貴族の荘園私官たる小地主に近いものを、日蓮の宗教の階級的受胎層と規定する見解は、領家に味方して地頭と戦った日蓮の一行実の拡張解釈にすぎない。

 

 以上あげた研究書のほかに、思想史的方法と直接、関係ないが、日蓮を問題とした著書に、

   増谷文雄著「親鸞・道元・日蓮」昭31     至文堂

   相葉伸著「日蓮ー折伏主義ー」昭32      弘文堂

   大野達之助著「日蓮」昭33            吉川弘文館

などを列挙できる。増谷氏は宗教学者としての立場から、宗義、宗乗に基づく従来の教団的な考え方が、開祖となる人々の思想と実践の真相をゆがめている、という判断のもとに出発し、法然、親鸞、道元、日蓮を同じ時代に、同じ仕事を営んだ一つの群像としてとらえる。その同じ仕事というのは、仏教を日本人として、真に自分のものとするということであった。仕事の遂行の仕方は、色合いを異にしていたが、彼らはけっきょくみな仏教の日本的受容という一つの同じ仕事に参加した人々であった、というのである。教団的な差異を力説する宗乗的ドグマにたいし、一応、開祖の共通点をみとめているのはいいが、それでは、開祖をうみだした周辺の歴史的段階の落差を無視する結果になる。「いわば、わたくしは今なお、この人のなかに入ることを得ずしてある。かえって問題をかかえて、この人をみつめている」という日蓮にたいする傍観者的態度を例外とすれば、氏は、宗乗的見解を拒みこそすれ、一宗の開祖にたいして、やはり科学的な眼を向けることを遠慮しているのである。今日重要なことは、開祖自身の思想の長短を、自由に分析批判するような科学でなければならない。仏教の日本的受容ということをとらえて、鎌倉仏教を意義づける着眼は、すでに戦前からも、少なからぬ人々により与えられていたが、これとても、今日的視点に立つならば、手放しで礼讃できないことである。

増谷氏の著作に次いで、相葉、大野両氏の著作は、いずれも歴史学の立場から書かれている。相葉氏は、日蓮の教格の特異性を折伏主義としてとらえ、その古典的な型態の考察をとおし、富士門流を中心とする中世後期の日蓮教団の謗施否定論、現代在家型日蓮系教団の成立にまで及んでいる。折伏主義を、日蓮の特異な教格とする見解は正しいが、その折伏主義の背景に、「涅槃経」の倫理思想や、坂東武者の習を対応させることを忘れたり、謗法斬罪論を不問に附したりして、やや思弁的に日蓮の折伏主義を論じているのは一考を要する。

大野氏の「日蓮」は、批判的立場で書かれた簡潔な評伝の書であり、そのなかには、日蓮の予言にふれ、「予言などは宗教の本質とは何の関係もない迷信に過ぎぬ」と、まことに適切な見解が述べられているけれども、日蓮遺文の実証的分析が不足しているため、こんにちでは、文献学に注目する宗乗学者でさえとりあわない日蓮の上行再誕説のごとき伝説までが平気で受容されている。日蓮が上行菩薩を自負していたことは、真撰遺文によって確認されるけれども、そのいわゆる上行の自負は、天啓的なものでなく、三類の難の体験実証に基づく自覚の宣表であったことを知らなければならない。「開目鈔」がこれをうらづけている。文献学的に疑わしいものに限って、上行再誕説が述べられているのである。そういう点の検討不足が、大野氏の「日蓮」の学術的価値をいちじるしく傷つけているように思われる。

 教団系学者の日蓮研究の文献若干をあげると、次のとおりである。

   望月歓厚著「日蓮教学の研究」昭33       平楽寺書店

   里見岸雄著「日蓮・その人と思想」昭35      錦正社

   高橋智遍著「日蓮上人小伝」昭37        大乗書院

この三著のうちで、最も思想史に関係あるものは法学博士里見氏のものであると思うが、相変らずの国柱会ばりの日蓮解釈では、日蓮自身のためにも不幸ではないか、という印象をうける。一見、所論のスマートと新奇を装いつつ、その衣のかげに和製ファッショの肉体をどぎつくちらつかせている発想法は、本質的にいって創価学会と余り異ならないようだ。まだ平和憲法改悪反対を政策とする学会のほうがましである。

次に日蓮が依経とした根本聖典、「法華経」に関する科学的研究の書としては、現在、

  布施浩岳著「法華経成立史」昭9     大東出版社

  本田義英著「法華経論」昭19        弘文堂

の二著をあげうるにすぎない。これらはおもに、語学、文献学からする「法華経」の歴史的成立に関する研究であって、何れも未完の途上にあるものである。しかしどれだけ、「法華経」成立の歴史的事実が明るみにでても、それによって法華信仰の歴史的事実をくつがえすわけにゆかない。信仰は、事実を超越した価値意識にしばしば凝り固まっているものであるから、そこに潜む迷信的要素を排除するには、より強固な価値を孕んだ信念と思想に依存するほかないのである。これらの二書においては、歴史と信仰の関係が全く掴めておらず、思想性をそこにもとめるのは全く不可能である。

日蓮研究上、参考とすべき鎌倉仏教一般に関係あるものとして、

   辻善之助著「日本仏教史」中世篇之二昭24     岩波書店

   赤松俊秀著「鎌倉仏教の研究」昭32          平楽寺書店

   小野正康著「日本仏教の倫理学的研究」昭32     山喜林

   数江教一著「日本の末法思想」昭36           弘文堂

   宮崎円遵著「中世仏教と庶民生活」昭26        平楽寺書店

   遊亀教授著「仏教倫理の研究」昭36           百華苑

などをあげることができる。その他、鎌倉仏教を含めた中世思想史に関する基礎資料、参考文献は、本書の各節末尾に註記しておいたからここでは重複ををさけたい。なお引用の基礎文献「日蓮聖人遺文」は誤植が意外に多く、仮名遣いも不統一なので、他の遺文集によって適宜修正したことをおことわりしておく。

要するにこれまでの諸著を概観していえることは、日蓮を主題とするばあいでも、鎌倉仏教一般、あるいは中世史的状況のなかで、思想史的に研究しえたものは、汗牛充棟ならぬ九牛の一毛にもすぎなかったということである。排教的でもなければ、護教的でもない真に科学的な鎌倉仏教の思想史的研究は、これからの課題であり、したがって、との点から、前記の諸著と異なる目的をもつ本書が刊行される意義は、じゅうぶんあるものと自任している。というよりも本書のごときが、今日の学界に問われなければならない最大の理由と不可避の必要をわたくしなりに痛感している。本書が、日蓮を中心としながら鎌倉新仏教の思想史的研究の領域開拓に、何程かの前進的な寄与をなしうるならば、著者の本懐まことにこれにすぎたるものはない。たんに日蓮研究の専門家だけではなく、ひろく日本思想史学界、宗教学界、仏教学界、その他一般読者からの建設的批判を待望する。

 

 

 

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