シンポジューム

 

  本尊論の再検討

 

 

日蓮宗現代宗教研究所々長 

立正大学教授                      茂 田 井   教   亨

 

 

日蓮宗現代宗教研究所顧問 

立正大学教授                      執   行   海   秀

 

 

日蓮宗現代宗教研究所顧問 

身延山短期大学教授               室   住   一   妙

 

 

立正大学教授                      浅   井   円   道

 

 

日蓮宗現代宗教研究所研究員 

立正大学教授                      勝   呂   信   静

 

 

日蓮宗現代宗教研究所研究員 

立正大学助教授                    渡   辺   宝   陽

 

 

日蓮宗現代宗教研究所研究部主任   近   江   幸   正

 

 


 日蓮教団では古来より本尊論が論議されてきましたが、ことに最近、本尊の奉安形式をめぐって論議が行なわれました。これはもちろん個人の間で行なわれたわけですが教団の立場からみるとき、この論議がいったいいかなる意味と問題をもつのかが、宗門人に確認される必要があると思います。

 日蓮宗現代宗教研究所では、そうした意で本尊論の論点の検討を行なってきたわけですが、その結果、本尊論が本尊の形式の面を中心に議論することはあまり意味がないのではないか。むしろ、信仰者として本尊をどのようにうけとめるかという信仰の根本から本尊も求めなけれはならないと考えたわけです。

 そこで、本日は諸先生にお集りいただき、そういう根本的立脚点にかえっていわゆる「本尊問題」について再検討していただきたいと思います。

 もう一言加えますと、本尊は信仰の対象であることを明確に規定して論じる必要がありますが、その上で、本尊について論議する場合、二つの立場があるのではないかと思います。つまり @同一の信仰に立つ教団人としての立場から、教団人として本尊をこのように帰依して行くのだという根本的な一如の立場と、一方では、A信仰の対象である本尊がどのような、実態と形式とをもつかを形而上学的に追求していく宗学からの立場と、この二つがあると思います。もちろん、Aの宗学の立場も、@の教団の立脚点を基本とすることはいうまでもありませんが、しかし、どこまでも論理的な追究をゆるがせにしないわけです。

 ところがこの両者の立脚点を混乱して論議が行われれば混乱が起ってしまう。ややもすれば、そのような混乱が、本尊論議にあったのではないでしょうか。そんなところからお話をはじめていただきたいと思います。

   

     本尊論の意義

 

 【B】 私も「本尊」を問題とするとき、立場とか論点を明確にしておくべきだと考える。学問上における本尊の問題のとり扱いと宗門行政の立場からとではとり扱いが違うと思う。学問上からは理論的な進歩が許されるが、それに対して教団の立場では伝統的解釈との調和が要請されなければならぬのではないか。もう一つは、本尊の成立を考える揚合、宗祖の思想の展開のなかで、本尊が形成され成立して行く段階と、その完成の上で門下がそれを受容して行った場合は、区別して考えなければならぬのではないか と考える。

 【C】 キリスト教が神の観念によってその宗教の性格を明確にしているように、日蓮宗の本尊は日蓮宗の宗教的性格をはっきりするものでなければならない。つまり、本尊を考えるとき、学問上での論議がなされる以前に、宗教上の問題としで受けとる背景がなければならないと思う。ところが、一般に仏教ではそうした受けとり方が、受けとり手にも、論ずる側にも欠けているのではなかろうか。そのために、学説上の論議と、宗教的な受けとり方の問題とが混乱してしまうところがあるのではなかろうか。

 【D】 いまの意見は、本尊論を考えるとき、教団・宗学・教義学の三面があることを考慮にいれる必要があると受けとってよいだろうか。Bさんが「本尊が宗祖において形成されて行く段階と、門下がそれを受容して行く段階とを区別して考えろ」というのはどんな意味か。

 【B】 論点をはっきりさせておくことは、あとで具体的に本尊問題を議論するとき、その論拠についての意義づけの仕方やその相違にかかわってくると思う。 端的にいって、私は日蓮聖人の本尊は日蓮聖人の思想体系の頂点としてのシンボルであると思う。本尊は信仰の対象であると同時に、日蓮聖人の全思想を内含しているものであると思う。ところが、その後の教団では、われわれ信徒が礼拝の対象とした場合どういう意味をもつかという実際的な論点が加わってきたと思う。専門的な立場からではないけれども、恐らく、本尊の形式が信仰の対象として適当であるかどうかというようなことは、日蓮聖人御自身においてはあまり問題にならなかったのではないか。ところが、その後門弟の立場から、かなりそうした要素が入って来たのではないかと思う。

 【D】 そうだと思います。宗祖においては、現在われわれ教団所属の者が本尊を拝するのとは違って、聖人自身の思想体系の頂点に本尊があることを認識する必要があるということです。それは、重要な指適である。

 【B】 具体的にいえば、例えば仏像本尊の方が礼拝の対象として適しているというのは現在の教団において言われることであって、それを聖人在世まで遡らせて考えることが妥当かどうかに疑問がある。

 【E】 今までのお話で、本尊が学問上、行政上、宗教上との三の観点から別個に論じられなければならないというのはどういう意味なのか。つまリ、本尊論とは、@本尊がなぜ礼拝の対象たりうるかの問題、A本尊の尅体についての問題、B本尊の形式の問題との三点から従来行われてきたと考えるが、そういう本質的な論議と教団の立場からの論議とはどう違うのか。教団の上からということは本尊の形式論の問題と考えてよいのか。

 【F】 教団的には、教団として一定の本尊が決められていなければならないということではないだろうか。勿論、宗学は信仰の学であるから、宗学上、そうした意味での本尊の剋体・形式についての論争がたたかわされてもよい分野があり得ると思う。ところが、教団としての立場と、宗学的な緻密な論議とがごちゃごちゃになって受けとられたところに、混乱があったのではないか。

 【E】 教団として認定する本尊を確立し、その上で、信仰上と教学上の本尊がどう止揚されるかを考えるのが本質的な本尊論であると考えてよいだろうか。

 【G】 今までのお話のように、宗学上と教団としてとの二面から、或いは宗教上と学問上という二面から論じなければいけないということだが、宗教上というのは、当然教団の立場から考える場合に前提となるもので、要するに、従来の本尊論が、ややもすれば、教団というものをふまえないで、それは分ったものというようにして、省略されて論じられなかったのであろうが、当然、教団というものを前提にしなければいけないと思う。その点に、我々の反省しなければならない点があるように思われる。しかし、教団というものは、単に空間的にあるものではなく、時間的な伝統があり、歴史をもっている。その歴史の中に育ってきた教団の中に、定形の本尊があるとすれば、教師・信徒の間に本尊とはこういうものだという、暗黙のうちに互いに約束し是認していたものがある筈だ、ところが、それには本尊がどういう概念をもつか、教義的内容をもつかという内容的な点で宗学上論議されてきて、たまたまそうした観念的・理念的な問題が形式論と結びついて、本尊論の問題が起きてきたのだと思う。

 その前に一体、日蓮教団というものは何を信じ、何処に立っているかが問われなければならない。本尊が問題とされる前に、何故一尊四士なり、曼茶羅なりを本尊としなければならなかったのかという問題が問われなければならない。それなくして形式論をやっていたのでは単なる偶像論になってしまう。それを一念三千という本質論と結びつけて、教団的・歴史的なものをすべて合理化しようとしたのが私の本尊論の意図であっだ。本尊を論ずる場合、我々は宗祖の弟子として被投的な立場に立っているが、一方自ら日蓮の弟子・檀越となったという企投的な意味ももっていなければならない。そうすると、宗祖が一体何を求めて、何を得られたのかということが問われなければならない。教団人としては宗祖の求めたものをそのままに求めなければいけないのではないか。それが護教的といわれるのであうう。その枠内で宗学が論ぜられるから、ある意味で宗学は学問Vissenschaftではないという批判も甘んじて受けなければならないのではないかと思う。

   

  本尊論の問題点

 

 【H】従来の本尊論は大きく分けると、教観本尊・人法本尊という視点から論じられている。しかし、どれを正しい意味で見易いようにすると、曼荼羅の中央の題目だけでよいという考え方と十界羅列のすべてを具足していなければいけないという考え方とがあったと思われる。後者の場合は一塔両尊をはじめとする十界を具足していなければならないと考えられている。これは文字で顕わしても仏像で顕わしても同じ意味で、単に抽象か具象かの相違と考えられている。高橋智遍氏などは、これを顕わすにはどうしたらよいか、六万恒何沙をどうたてるか、三十二相をどう顕すか、そして十界すべてをどう顕したらよいかということを考えている。この場合、十界全体が南無妙法蓮華経に統一されていると見るのはよいが、要するに能具の南無妙法蓮華経だけでよいか、或は所具の十界も同時に表現されていなければならないかという二つの説がある。そして、中心をはっきりさせるためには一塔両尊だけでよいという説もあり、また一塔両尊四士がよいという説と、さらに、望月歓光先生のお考えのように、それをもっと簡約にして一尊四士でよいという説とがある。このように、本尊をどううけとるかは一応おいてみると、形の上でも以上のように主張を分類でさる。それでは、十界を表現していないと本尊ではないのか。つまり、略式本尊は本尊ではないのかというと、そうは云えないのであって、聖人の曼茶羅の中には表現の上に、広・略・要とも見るべき、いろいろなものがある。

要は、首題をどう受けとるかが問題である。曼茶羅を本尊とするという点では日蓮教団がほとんど共通するが、それをどういう風に信じるかが問題である。つまり、本尊としての南無妙法蓮華経は一たい何を表わすかというと、中には宇宙の絶対神であるとか、或いは自己自身の当体、または、日蓮聖人であるなど、種々雑多の説かある。

 曼荼羅をどう解釈し信じるかが問題である。形相の上から行くと釈尊は余り大きな比重はもたない。すると中央の首題は何であるのか。これについて、古米から真言に近い解釈がなされている。十界は一つ一つの機に応じてあらわ れてくるところの一門の本尊で、南無妙法蓮華経はそれぞれの機に固定されない晋門の本尊・絶対者であるというような解釈はかなり早くから本尊相伝類のなかにあらわれてくると思う。

 

 【C】 晋門の本尊が法本尊的な考え方なのですね。

 【H】 そうです。法本尊的な考え方に基づくものです。

 【D】 今の本尊の問題を図式に分類じてみるど、理解し易いと思う。

 

となるが、教団的に考えると学者や信仰者の感情や意楽によった表現がそのなかに合まれるのではないか。本仏というものを考えると、仏本尊・法本尊・人法不二という三つが考えられる。そして、その場合、法が問題となるが、その法にも、教法と釈尊が証悟された法と、理法との三がある。だから、己心本尊は大日如来的だというような表現は混乱を延長させると思う。日蓮聖人御自身も観心本尊といわれているのだがら、己心本尊は否定できないと思う。

 【H】 しかし、己心本尊といえども、題目を信ずるところに生れるのであって、曼茶羅の署名(花押)についても、御本尊と一如したいという帰依の感情のところに、自分の署名(花押)をする必然性があったわけだと思う。

 【C】 それは、宗祖の位置づけの問題で、宗祖に面奉して内観をうるのか、直接妙法によって得るのかということでもあるのではないか。

 【H】 とも角、富士派の日蓮本仏論は、一致派の己心本尊的解釈に対してうちだされてきたと思うが、そういう意味では、日蓮聖人は釈迦本尊であったと思う。そして日蓮聖人は妙法蓮華経は釈迦牟尼仏の悟の世界と受領された。聖人は妙法蓮華経をたてた釈尊を信ずるのであって、道元のように、どの釈尊でもよいというのではない。

 【C】 そこで、『本尊問答抄』 のように、いわば所表の法があって能表の釈尊があるという風に見てしまうか、今のお話のように、釈尊をはっきり規定するためにそういうことをいっておられるのか、その辺の理解によっても、観方が相当変ってくると思う。

 【H】 Dさんのお話のように南無妙法蓮華経は日蓮聖人の悟りの世界であるというと、日蓮聖人なくして南無妙法蓮華経はないというのと同じようなことになるのではないか。

  【F】 室町期の本尊相伝が中古天台と関係があるといわれますが、その点お話し願いたい、

 【H】 あまり歴史的なことばかり話していると廻り道になってしまうが、簡単に代表的なものを挙げると、三位日順師の「心底抄」によると、今の一致派の考え方とほぼ同じで、南無妙法蓮華経は総、十界は別、そして、両者が具足していなければならぬと説く。 一方、近代の字匠綱要日導師は、われわれは襁褓の天子(おむつにつつまれた天子)だがら、自覚しようとしないでも、本化の四菩薩が守ってくれるという。しかし、これは観心の世界というべきで、信仰の世界ではない。この点、誤って受けとられる危険性がある。

 【D】 そこは平面的解釈ではいけないと思う。信仰の境地であるからだ。たとえ、一仏本尊でも曼茶羅本尊でも、信仰の境地から論じなければいけないので、そこに、清水龍山先生の「本尊は論ずべからず」という意見も生ずると考えなければならない。

   

    久遠本仏論の性格

 

 【B】 私考えますのに、久遠本仏というのは非常に分りにくい面をもっているのではないか。つまり、仏教でいう本門・迹門の観念は極めで哲学的であるから、大衆は容易に理解できないと思う。キリスト教の神はキリスト=神と考えると非常に人格的でよくわかる。アミダ仏の場合は本願によって性格が明らかにされる。それに対して、久遠本仏を一口に永遠の仏などというが、永遠の仏ということは大日如来でもアミダ仏でも同じであるから、これでは具体的でない。

 法華経を見れば久遠実成の釈迦牟尼仏が説き明かされるがそれを具体化するために、本尊の哲学的基礎づけが必要となるのであろうが、一般の民衆に分りにくい。それに比べると、法華経そのものが霊験あらたかなものだという方が実感的なのではないだろうか。そういう条件が本尊論には加味されているのではないだろうか。

 【D】 たしかに、信仰感情の上からはそういえるが、そこでは本尊論は問題にしなくでもよいのではないか。信仰者としては釈尊一仏でも至心にお題目を唱えればよいのではないか、ただ、学者が教義学的に論ずる場合は五重相対まで論じる必要がある。

 【B】 論点が違うと思うが、本尊を対象として考えた場合、衆生にとって身近なものかどうかということです。法華経寿量品には、我々は顚倒の衆生であるから本仏を見ることができないといっているが、他方では凡夫がこの経の一句一偈でも受持すれば成仏するということが、経文にはたびたび説かれている。そうすると、この法華経のいう所に従った方が分りやすいのではないかとも思うわけです。

 【E】 歴史的に考えると、平安仏教の特色は即身成仏にあり、これに対し鎌倉仏教の特色は仏の発見にあると思う。その見方からすれば、日運聖人においては法華経の仏の発見にあると見る方が至当ではないかと思う。

 【C】 日蓮聖人は主師親の三徳ということを強調されるが、その背後には今のお話にでてきた、仏を非常に人格的にとらえているということかあるのではないか。もちろん底に普遍的な仏性という大乗仏教通有の形面主学的なものをふまえた上で、その仏性を実現するためには釈尊の人格が強調される必要があったと思う。平安仏教は普遍的な仏性の強調までで、さらに仏の人格性が強調されてくるとこるに、平安から鎌倉への歴史の流れがあるのではないか。その点、Hさんが木像仏を強調される1つの理由があると思われるが、いかがでしょうか。

 【G】 Dさんが先程いわれたように、たしかに日蓮聖人には観心本尊抄的世界があり、己心本仏が強調されているけれども、一方では聖人の御遺文を通じて、一体仏が強調されているので、その点ではたしかに人格的にとらえられているといえよう。ところが一方ではかなり主体的な、自己の仏というようなことが強調される。むしろ主要御書のなかには主体的な面が強く表現されているともいえる。なぜ、このような二つのことが見られるのだろうか。私はこれをとく一つの鍵として、遺文の与えられた相手方の性格によると思う。つまり、一般信者に対しては、仏本尊的な性格が強調されるが、一方、義学的な面ですぐれている例えば、天台、密教的な教養のある富木氏や太田氏などに与えられる場合にはかなり己心本尊的な、法本尊的な性格が強調されていると思う、仏本尊的な書き方をされているのは、佐前では南条氏に与えられた、南条兵衛七郎殿御書であるが、いうまでもなく南条氏は念仏の信者である。善無畏三蔵抄は道善房に与えられたもので、やはり念仏信仰者で、阿弥陀仏を礼拝していた。それに対し、富木氏や浄顕、義浄などの義学者に対しては、あくまで法本尊的な観心本尊的なことをいわれるのである。

 このように機に対して違った表現の変化をされているが一見矛盾しているようにも見えるが私はこれは決して矛盾していないと思う。というのは聖人の主著である観心本尊抄において一方では地涌の四士が拝まれる四士もあれば、拝む四士もあれば、或いは人天の大導師とでていく四士もある、というようにかなり変化が見られる。というように、宗祖は、かなり複雑な変化のある説明をされている。そこには、ある意味では思想性の深さがあるともいえ、ある意味では整理されていないということもできる。

 【C】 仏教徒はすべて成佛を目的としてねがっているわだけが、その保証が必要なわけである。だから已心本尊といっても、やはりそれは久遠実成の本仏によって保証されるものでなければならない。だから、己心本尊という理的なものはあっても、結局は久遠実成の釈尊への絶対的帰依がそこに必要とされるのではないか。つまり、成仏が潜在的にあるだけでは意味がないのであって、信仰の客体としての釈迦仏が厳然として存在しなければならないのではないか。われわれ凡夫の側から見ればそういうように理解しなければならない。

 【G】 私見によれば、客体仏として本尊と已心の本尊とはやはり両方とも認められるのではないかと思う。私はやはり己心本尊が、宗祖の教学において重要なモメントをもっていると思う。それがないと、われわれが題目を唱えていく受持の必然性の理論が弱くなると思う。

 【H】 たしかに、歴史的に見ても客体仏と己心本尊の二つの考え方があるわけで、どちらも欠けてはならないと思う。それを統一するものとして、下種思想が必要だと私は思っている。それでないと二つの統一はできないのではないかと考えているわけです。両方の表現をどう調整するかが先師の苦心されたところだと思う。

 【G」 先程の話にでた報恩抄と本尊問答抄も、我々が考えると矛盾だが祖においては矛盾はなかったのだ。報恩抄はいうまでもなく旧師道善房に私の行じたところをよく知ってほしいというので、釈迦仏をたてられた。それに対てその意味はこれこれだという教学的説明が浄顕房らになされたといえよう。

 【H】  一般の信仰形態からすれば、日蓮聖人は釈迦牟尼仏を本尊とし、御自身を本化の菩薩の使としている門弟の立揚をとっていると思う。法はあっても、仏の教済によるのではないだろうか。

 【C】 優陀那日輝帥がマンダラを仏本尊と理解しているそうですが、それはどういう内容なのですか。我々の今考えている「人・法」の考え方とは違うように思われるが。

 【F】 藤田文哲『本尊教観史論』吉田素恩『人法本尊法体史論』等によると、一致した理解として、本尊論史は元政上人を境として前後に大きく二分されるとされている。

 すなわち、室町期以来の本尊論は本尊相伝を中心にして考えてきたが、元政上人が深草に釈尊一体仏を造立されてから、曼茶羅と釈尊一体仏とを統一的に理解しなければならない必要性がでてきた。そこで、優陀那日輝師は両者を止揚して曼茶羅の中尊は本仏であるということをいわれてきたのだと思う。

 【D】 元政上人以前に釈尊を造立した人はだれなのか。

 【H】 信仰的、学説的に釈尊一体仏を重んじられたのはやはり元政上人あたりからだと思う。檀林などでは釈尊一体仏をおまつりしています。脇士はなかった。

 【D】 そうすると、深草の瑞光寺に釈尊一体仏をあのように勧請されたのは、元政上人がはじめてだと考えてよいのか。

 [H] そう考えてもよいのではないかと思いますが…、

 【D】 その事情は時代思想などの方から、どう考えられるか。

 【H】 しかし、お釈迦さまといっても、法華経を胎内に入れているわけです。あたかも、法華経が釈尊の五臓六腑になるわけです。

 【D】 そうすると、釈尊をなまなましく拝されようとされたと考えていいわけですね。形式よりも、もっと根本的な信仰の態度を正視しなければならないと思う。

 【G】 それは元政上人一人には分るけれども、他の人にはそれを聞かなければ分らない。

 【D】 同時代の中正日護師も丈六仏を造立されているがそうすると一つの時代思想と考えてもよいのではないか。

 【H】 やはり説教者は仏本尊論であったのではないかと思う。法本尊では信徒が理屈ばかりいうようになって、素直な態度が失われるからではなかろうか。

 【D】 話はとぶが、玉沢の祖像の背後に一尊四士が描がれているが、あれはいつの頃できたのか。

 【H】 鎌倉末期以後のもので、聖人在世ではない。

 【D】 中山の祐師目録に見られるのは一尊四士か。

 【H】 あれは最初三尊四士に造られ、後に一塔両尊四士にされたと伝えられている。

 【G】 釈尊一体仏造立の史実は富本氏(真間釈迦仏造立事)四条氏(日眼女釈迦仏供養事)にあります。身延で聖入御自身も釈迦仏を本尊とされている(忘持経事)。

 【H】 結局、観心本尊というのは信仰の境地であって、一般信徒がこうした理論を生半可にふり廻すことは信仰上よろしくないことではないのか。

 【C】 あやまった信仰になり易いということです。

 【D】 わたしの所では上にお曼茶羅、その下にお釈迦様を勧請しているが、何も分らないような人には釈尊を説明し、少し理論的な人にはお曼茶羅が釈尊の魂をあらわしているのだというように説明している。これは実際問題とし て、信仰感情の上からいっても止むを得ないのではあるまいか。

 【H】 仏教一般では釈迦仏中心ということがあまり確立されていない。そこが問題になると思う。

 【C】 中国における寺院様式を調べると、大体釈尊が中心的位置に祀られているようである。釈尊中心でないのは日本における特徴ではないか。曼茶羅はもともと壇の意味で敷まんだらも布に書いて壇にしくものだったが、それが後には日蓮聖人のお書きになられたような形態の前身が出来て来たのではないかと思われる。

 【D】 やはり、真言の曼茶羅でも、紙に書いて拝するというような形式があったのではないだろうか。

 【G】大体、鎌倉時代には、真言だけでなく、華厳の栂尾明恵上人が、中央に「大方広仏……」というようなことを書いた曼荼羅風のものがあったし、親鸞聖人にも「南無尽十方無碍光如来」を紙に書いたものがあり、このような形式が鎌倉時代に共通してあったということがいえるのではなかろうか。

   

     本尊論争の回顧と久遠本仏論

 

 【F】 今までの皆さんの御意見によると形式としては異なった表現であっても意味性としては大体一致したもののようですが、それにもかかわらず、何故それでは本尊論が問題になったかが問われるだろうと思う。その点についてお話をお願いしたい。

 【C】 本尊論というと非常に広い範囲になってしまうが、最近行われた本尊論争というもの、具体的には高佐帥などがあげられるが、それが何故行われ、問題となったのかということでお話しねがえればよいのではないか。

 【B】 私どもがこどもの頃は曼茶羅が本尊であると教えられていた。ところが、十数年前、曼茶羅本尊が正統な本尊ではない。一尊四士こそ本尊であるということが唱えはじめられ、それに対する反撃が行われてきたという風に理解しているが、一尊四士論が唱えだされてきたのはどういう理由か、おぼろげには意図が分るような気がするが、明確であるとはいえない。優陀那日輝師の修正であるとは聞いたが優陀那宗学をよく知らないので……。ただ優陀那宗学がどららかといえば、観心本尊ということで、それに対する修正がどういう意味をもつのだろうか、

 【D】 日蓮宗読本が問題になった最初で、それに対する高佐師の反撃が行われたわけですね。

 【G】 日蓮宗読本編集の際、現実的要請もあり、どうも宗門的に本尊が一定の形式をととのえていないのはまずいというので、統一的な方向ヘもって行きたい。それには一尊四士が妥当だというので一尊四士が望ましいという提案が出されたわけです。文章表現の上では鈴木先生が論じられたけれども、理論づけは望月先生・執行先生が行われた。これに対し、高佐師・高橋氏が反撃を加えてきた、竹田師はまえまえから望月先生の一尊四士論に賛成しており、曼荼羅否定論者なので、我意を得たとばかりに賛成した。

小林先生はこの線からはちょっとはずれると思う。宗門との関連があったとはいえ、やはり、純粋宗学理論から一尊四士論が望月先生、執行先生によって提示されたのである。それで、望月・執行両先生が一組になるわけだが、それに対し、勿論両者に相違はあるが、漫荼羅を強調するという点で、高佐師・高橋氏が一組になる。

 【D】 高木師の主張はどういうのか。

 【H】 高木師は後になる。曼茶羅本尊だが、むしろ、宇宙法界という理解が強いのではなかろうか。

 【B】 その前の時代にはどういう論争があったのか。

 【D】 田中・本多・田辺・清水竜山等の諸師は人法論の問題だ。  

 【C】 それに、天皇本尊論などがでてくる。

 【B】 そうすると、具体的的にどういう形がいいかという ことまではいっていないわけですね。

 【G】 本多師は曼茶羅本尊を説明しながら、しかも、結論は釈迦本尊一尊にもって行くわけです。だから、清水竜山師は、本多師を評して、曼茶羅を解説していろところは非常にすばらしい、我意を得ているが結論的には問題があるといっている。むしろ、その意味からすれば、田辺善知師が什門の伝統をうけているというわけです。曼茶羅論においては、田中・清水・山川師らはほぼ共通した見解に立っている。

 【H】 田辺師の曼茶羅論は、已心本尊論に近い。ところが、田中・山川両氏は清水師よりむしろ仏に近く人本尊的で、妙法蓮華経は釈迦牟尼仏本尊をあらわすので、我々をあらわすのではないと一応規定する。

 【G】 清本師は自ら優陀那日輝師の祖述者といわれ、已心本尊的色彩があるが、父子相関の論理をもって、多少そこから脱却しようとしている。

 【H】 己心論争で、清水師は己心は我々の己心であるというのに対し、山川氏は釈迦牟尼仏の己心であるというところにもその相違がうかがえる。

 [G】 あの論争は本尊抄已心問題で、本尊問題ではなかったですね。

 【F】 いわば、本多・田辺師が両極端で、清水師が両者の中間に立って統一しようとしている。

 【G】 最近の本尊論についてみると、どもかく現実的な要請が有ったということは事実ですけれども、望月、執行両先生は、常日頃、信行の対象としては、釈尊を中心にし曼荼羅は三秘総在であると信仰的にうけとっておられるわけです。

 【D】 私は、むしろ、曼荼羅が釈尊の人格をあらわしたものとうけとり、それは法界の意味ということにもなる。

 【G】 意味づけということからすれば、釈尊に四士をそえて、久遠実成をあらわすことができる。

 【D】 だから、矛盾があるわけではない。

 【G】 質的な問題の相違ではない。

 【C】 「日蓮宗読本」では、形式にもふれて、曼荼羅を否定するわけではないが、宗祖在世時代にも、一尊造立の事実があるのだから、むしろ、眼前の迷惑を生じやすい曼茶羅よりも、一尊四士の方がわかりやすいのではないか、また世界的にいっても文字曼茶羅よりも釈迦仏造立の方がわかりがいい、という風にも考えられたのではないかと思う。

 【F】 望月先生のお説では、木像造立にあたって曼茶羅をそのまま木像することが果して宗祖の本意に適うか。むしろ、木造の場介は、一尊四士の方適切ではないかという主張が強かったように思う。

 【G】 望月先生は曼茶羅の上段、つまり中尊、釈迦多宝、上行等四菩薩のところが本尊であって、文殊、普賢以下すべてがただちに本尊になるのではないのだというのだ。

 【F】 田辺師等の場合は、中尊が理法としてとらえられ汎神綸的な感じがあったのに対し、望月先生は中尊をあくまで教法を中心としてとらえようとされたのではないか。

 【D】 高橋氏らは、曼茶羅をそれほど重んじないことに対する批判であって、一尊四士も略式としては認めるけれども、曼茶羅が正意であるというのだ。

 【H】 高橋氏は曼茶羅が正意で、一尊四士はその部分をとりだしてきたものにすぎないというが、それは逆で、本尊としては曼茶羅に一尊四士の基本をのべている基礎であって、広、略論で論ずることは正しくない。

 【C】 高佐氏の場合、久遠実成を非常に汎神論的な認方をしようとするから、どうしてもこうなる。

 【H】 要するに汎神論であるし、我々の生命の本体だという、我々の生れてきた源であり、また帰るところである。

 【C】 つきつめていくと、人格的な本仏というものを認めない。

 【H】 強いて立てれば、天皇にでも何んでもなることかできるものとなる。

 【F】 ですから、一般には本尊論が曼茶羅か一尊四士かという風に考えられているが、実際には曼茶羅理解が違うのではないか。つまり、曼茶羅を汎神論的に拝するか、人格的に拝するかの違いが重要ではないか。

 【H】 鎌倉仏教の祖師たちは、汎神論的なものを否定はしないが一応本尊の基盤と見做しでいる。

 【G】 尅体ということからいうと、たしかに鎌倉仏教は本仏中心である、

 【H】 日蓮聖人においては本門の本尊と本門の題目が一つになっているのではないか、それを客観化したときを本尊といい、受持するときを題目というのではないか。

 【G】 私はそこに質的統一があると思う。

 【D】 だから、山でもどこでもお題目を唱えるとき、そこに本尊があるのだと思う。

 【H】 たた実際問題として、そういう考え方をおしすすめて行くと、祖山中心の信仰というきちっとした信仰がくくずれてる。

 【B】 今の、題目だけが本尊だという考え方とそうでない考え方とは非常に重要な点になると思う。

 【D】 題目受持の心持がまことであればある程、仏さまか恋しくなる。

 【C】 しかし題目受持のみでは僧伽の中心が不明になってくる可能性は允分ある。

 【F】 その場合の題目を理法とするか、教法とうけとるかによって、本仏との関わり合い方も変ってくる。、

 【B】 題目本尊ということに深い意味はあると思うが、お稲荷さんであろうと、他の諸尊であろうと南無妙法蓮華経と唱えれば本尊となるという受けとり方が、たしかに日蓮宗にはあると思う。一尊四士論はそういった現状を、本仏の人格性を立てることによって、矯正するという考え方かあるのではないか。

宗教と呪術の違いは人格的なものが入るか入らないかによるといわれる、宗教は人格的なものが入る。呪術には入らない。呪術は機械的くり返しによって、何かを得ようとするこの規定の仕方は多分にキリスト教的であるとは思うが、本宗の場合にこれをあてはめて見ると、題目を口さきだけでただくり返し唱えていれば霊験あらたかであるとか、或いは題目を書いてうらないに用いるとかいう場合にはここには人格は感じられず、呪術的傾向がでてくる、という現状がもし認められるとするならば、人格性を出して行くということは非常に意味だあると思う。

 【G】 仏教ではダルマ(法)を重んじ、ダルマが人格化されて行くということがあるから、ただ人格だけを問題にするのは一面的ではあるが、人格性というものは要請される。

 【B】 ダルマと本仏の関係はむずかしい問題で、これを論ずるとまた前にもどってしまうのだが……

 【G】 宗祖が法華経、法華経という場合に法華経はダルマであるけれども、人格者でもあるので、「法華経に叱られる」とか「法華経にほめられる」という表現がある。「法華経の真実の致すところ」ともいう。

 【F】 身延入山後ではことに微妙ですね。

 【G】 法華経釈迦仏、釈迦仏法華経ということは始終く り返されている、ということは両者が一体であるというこ とだと思う。

 【B】 前にいったが、我々が釈尊というとき、どれだけ人格として感じているか、問題である。

 【G】 その点では、Hさんは歴史上の釈尊をふまえるということを強調される。応身顕本をふまえて行くということです。

 【H】 始即本ということが問題で、本仏釈尊といっても私達の直感でとらえた仏、いわばそれは法の上の存在で、それを規定するには歴史上の釈尊を通してみなければ人格性は生じない。

 【G】 宗祖は法華取要抄等で、四月八日を阿弥陀仏誕生の日にうばいとってしまったとか、薬師仏誕上の日としてしまったとかいって非難している。そういう点、宗祖は四月八日がくると釈尊の誕生を追憶されている。久遠実成の釈尊からすればあまり重要てないかも知れぬが、その点、非常に具体的なイメージがあったのではないか。

 【D】 もちろん寿量品の仏は応身釈尊を離れているわけてはない。

 【H】 法は仏の背景にあるもので、法=仏ではない、日蓮宗は本当の意味の釈迦宗である、ところが、日本仏教の他宗では、釈迦牟尼仏のとらえた世界を釈迦牟尼仏と切り離してとらえている。

 【C】 釈尊の人格性を感ずる以前に、我々は宗祖像を木尊の前に安置して、宗祖を通して釈尊の人格も拝しているのではないか。

  【H】 我々は、宗祖の心を通して拝するが、正宗などはその宗祖自体を杯するので、釈尊を不必要とする。  

 

     本尊奉安形式について

 

 【F」 大体、今までのお話で、先生方の本尊についての共通の考え方がわかったと思われるがそれならば、本尊論争の問題であった形式をどう調整したらよいか、について意見をお伺いしたい。最初のお話にでたように教団として、本尊をどのように考え、そして認定したらよいかが問題である。今までのお話で大体本尊についての理論ではかなり集約されてきたと思うが、具体的に曼茶羅をどう説明し、木像をどういう位置におくかが問題となろう。

 【D】 儀相の問題はやはり教団的に、我々の生活、感情に能所に適してすぐれた儀相を考えるのだから、各人各様いろいろな形が考えられる、それをどういう風に統一していくかが問題だ。

 【H】 しかし実際問題としで、今の日蓮宗寺院はどういう形式で本尊をお祀りしているかも問題である。お曼茶羅だけの所もあるかも知れないが、大部分は何か木像をおいでいる。

 【D】 一塔両尊は大体動かないところ、これはこれでよいのではないか

 【G】 私が教学部長のときに地方を歩くと、日蓮宗の勧請様式を具体的にはどう統一したらよいかという質問をうけた。私はこれがいいといっても一概にすぐ直せますかといった、今まで先師が奉安してきたお木像をかたずけてしまえるか。またお曼茶羅を奉安しているお寺がお曼茶羅を焼いてしまってお木像にできますかといった。これがよいといったって、感情の上からいっても信仰の上からいっても恐ろしくてできないんじゃないかといった。だから、私は異質的なもの、例えば、阿弥陀仏や稲荷などを祀ることは徹底的に破折しでもよいけれども、一塔両尊四士でも、一尊四士でも、或いは大曼茶羅をそのまま勧請した形式であっても、それは本質的に問題のない本尊ならば、まずそれでいいんではないかと思う。

 

 【H】 現状肯定ですね。ただ、今後、新しく作る場合は、宗祖の御真筆のお曼茶羅を模写したものを勧請されることが一番いいのてはないか。宗祖のお筆になるお曼茶羅を拝むのだから。私はそう思ったので新しくお曼茶羅を勧請したわけてす。そして、その前に釈尊の立像をお祀りした。

 【C】 そういう意味ではむしろ、一人一人に勧請様式があるのでしょう。

 【G】 統一してしまうことはむずかしい。

 【F】 また、お堂の大きさとが、形態などで、いろいろ技術的な問題もありますし。

 【D】 しかしお互いに盲点を指摘し合うことは大切だ。

 【C】 ちょっと脇道にそれますが、祖師堂が中央で、本堂が脇にあるのはよくないと思う。佐渡では勿論、後にできたものではあるけれども、いかに祖師堂を大事にしても本堂が中央になっているそうです。在家では、お仏壇にお祖師さまの像だけの所が多い。今、うしろにお曼茶羅をかけさせることをやっているのだが。

 【G】 実際、祖師信印の流れでやっているので、それを修正しなければならない、分らせるために、形から入ることが大切だと思う。

 【C】 信仰の内容を明確にきめておかないと、勧請の形式だけを論じていては、それだけのものになってしまう。

 【F】 そうしますと、大体今までのものがあるところでは、本質をよく理解させなければならないということ、今後、新寺建立の場合には宗祖真筆の模写の曼茶羅を中心に奉安して行くことがのぞましい、また、檀信徒にも曼茶羅を奉安させるべきである。という結論でよろしいでしょうか。

 【G】 今の内局が、臨滅度時のお曼荼羅を宗定として認定したでしょう。それはそういう意味もあるんじゃないんですか。教権的なものとして立てる必要がある。

 【D】 ただその理論づけ、証拠づけは宗学者がやらなければならない。

 【G】 そうですね。臨滅度時の本尊がよいですね。またそれに限らず宗祖の御真筆の模写がそのまま、美しくできる時代ですから、それを奉安することが一番よい。もちろん、釈迦仏造立、一尊四士造立もよいでしょう。

 【F】 ただ、曼茶羅の理解を心ある人には伝えて行かなければならないと思う。

 【C】 我々の信仰がどういうものかを説いて行く説教の努力が必要である。ところが、そういうものがないところで、本尊を問題にしても、形式論に堕さざるを得ない問題点をもっているのではないか、その点が大事なところではないか。

 【H】 日蓮聖人は法華経を弘めることが第一義で、そこに本尊が認定され、折伏が行われているわけですからね。それが後には主客顛倒して、拝むものばかりか問題になっている。

 【G】 だから、そこに謗法意識というようなものかなくなってきている。

 【F】 曼茶羅中心の儀相ということについて何か。

 【H】 曼茶羅は基本て釈迦牟尼仏の心だと思う。心を教えるためには、曼茶羅が釈迦華尼仏の心だと見えるように掲げておけば問題にならないと思う。創価学会はお釈迦様のかわりに日蓮聖人をもってくるだけだと思う。

 ですから、一般にいって、宗祖真筆のお曼茶羅の模写――先程の話のように臨滅度時の曼茶羅かよいと思うが――をかかげ、できればその前に釈尊のお木像を安置するのが一番よいのてはないか。そういうようにすれば、信仰の雑乱が統一されるのではないか。(現状ではいろいろな形式が勿論許されると思うが)

 【F】 最後、本尊論に関連していろいろな問題が解明されなければならないと思うが、その中でも、かって天皇本尊論が時代の流れの中で、清水梁山師・高佐師・高橋善中氏らによって、主張されたことを記憶しておいてよいと思う。結局、曼茶羅の理解によっては、そういうあやまった理解がでてくることに、注意を払わなければならないと思う。

(了)

 

 

 

 


シンポジュームの後に

 

茂 田 井  教 亨

 

 「本尊論の再検討」ということでシンポジュームを開きわたくしも発言させて貰った。皆さん熱心にそれぞれ意見を発表されたことは、大学の研究室などでは見られない光景で、大へんありがたいことだったと思う。

 いわゆる「本尊論」は、「本迹論」と並んで、従来から本宗数学上、重要な課題とされてきた。たしかに本尊は信仰の依処であり、これが不統一では信仰にも各種各様の差異があるようで、一教団・一宗門として香ばしいことではない。しかし、従来しばしば交わされた論議は、多く解釈上の問題で、法・仏の問題でも形式論の問題でも、何れもこちらの受取り方の問題であった。自己が宗祖の流れを汲む一人として、どのような信仰に立ち、それがどのように実践化されて行くかという反省に立ってなされた論議ではなかった。今回のシンポジュームで、それが問題となり、信仰自体の立場、教団としての歴史的伝統の立場、また、その行政的実際面の立場などが、それぞれに話題となったことは、ひとつの進歩として悦ばしいことと思う。

 曾て清水竜山先生もいわれたように、本尊はいわゆる問題視すべきものではない。つねに敬虔に祖師の教示に聞くべきであろう。しかし、長い歴史と多くの宗徒が出来ればそこには意見の相違や受取り方の相違が生ずるのも止むを得まい。「宗学」というものがそれに対してひとつの指針なり、示唆を与える役目を有たなければならぬことも当然である。

 本尊は問題扱いすべきものではないが、その解釈や理解に放置を許されない事象か起きれば、われわれは、謙虚にそして真剣にその問題と取組まなければならないてあろう。このシンポジュームにも、出席された各氏のなかに、そうした自覚が言わず語らずの裡に出ていたようである。それか可成り忌憚なく各自の意見を開陳させたものと思うそして結論的には、それぞれの発言に、それぞれニュアンスの相違はあっても、本質的には、誰も異質的な考え方を有っていないということかいえるということであった。宗門には教学土の問題で論議が醸されると、直ぐ何か曖昧な問題かあるかのように錯覚を起す人があるが、それは禁物て、そういうことがどうして起さたのか、また、それかどのように扱われているかを見究めるだけの知性と衿持があって欲しい。

 とにかく、今後の宗門は、もはや本尊をいわゆる問題扱いにして論議すべきてはない。それは、本尊論議を無視せよというのではない。本尊については、宗門人の各自が、謙虚に、そして真剣に祖書に直参すれば、曙光がいつの間にか雲間を破って現われるように、自然と会得されるときかくるものである。それよりももっと将来性を有つ問題に宗門は取組まなければならぬことがらか山積している。例えば、日蓮聖人の宗教―――それが仏教としてはあるにしても―――が実際に世界性をもつものとして、どのように諸外国に浸透して行くべきか、風俗や習慣・言語等を異にする特定の人びとの間に土着化されていくには、如何なる宗学が理論的媒介の役目をもつであろうか、というような問題だってあるのである。また、さし当って政治と宗教との問題のごときも等閑に附するわけには行かないであろう。われわれは、もっと前を見て歩かなければならない。

 

 

 


本 尊 と 本 仏

 

執行海秀

 

 本尊論は、その根底において、本仏論の異義に基づくものがある。由来、本宗における本仏論は、これを大別して釈尊本仏論、衆生本仏論、法界本仏論の三に分けることができる。一の釈尊本仏論にしても、これを歴史上の人間釈尊の当体に論ずるものと、この釈尊を迹仏として、その本地身に本仏の当体を認めようとする説とがある。前者は所証の理を能証の仏に摂し、後者は能証の仏を所証の理に摂して、その所証の理を本仏と見倣すものである。

 そしてこの仏に、法身的性格を附与するとき、それは大日如来の色彩を濃くするのであり、報身的性格を見出さんとするとき、阿弥陀如来の仏格となるのてある。ところでこのような本仏論は、真言、浄土の立場において肯定されるものである、しかるに日蓮聖人の寿量品観によれば、人間釈尊の悟りの当体、つまり能証の世界に、久遠実成の本仏が把えられている。久遠実成という仏格は、法身・報身の常住を認めるのであるが、それは人間釈尊の当体に即するものである。したがって大日如来や阿弥陀如来のような本地身を、釈尊の背後に認め、釈尊の存在根拠と見做すのではない。

 聖人によれば、釈尊の前仏、またはその本地仏を立てる説は、権教であって、法華経の立場からすれば、それらはすベて、釈尊の方便説法に現われた権仏に他ならないと見倣されている。故に聖人の宗教においては歴史上の釈尊、しかも、法華経の寿量品を説かれた釈尊を久遠の本仏と仰ぎ、その教えを真実の教とし、その現時点に、久遠の仏と法を見、また末法救済の仏と法を求められているのてある。つまり釈尊の前に真の悟りを開いた仏なく、またその教えに超過する法の存在を認めない。真言、浄土の教えはその釈尊を迹仏とし、釈尊の教えによって、大日、弥陀への帰依を説き、一方富士派は、久遠の本仏に、日蓮聖人の本地としての上行菩薩を見るのである。久遠の本仏と史上の釈尊を、本迹勝劣の立場から論ずる富士派が、日蓮聖人のいわゆる「本門の教主釈尊」久遠実成の如来とは、日蓮聖人の本地身であり、またその当体であるとし、印度出現の釈尊は、迹仏であると下すのも、それは史上の釈尊を離れて、久遠の元初に本仏を認めようとするところから派生したものである。

 二に衆生本仏論は、凡夫本仏論、または己身本仏論でもあり、迷悟、仏凡一体という理の上に立つものである。これは本尊論の基底をなすものであるが、これをもって直ちに本尊の当体とすることは問題であろう。綱要導師はかゝる立場から、逆縁本尊を分別しているが、本尊論としては逸脱したものである。また教観本尊を分って、観心証道の立場から凡夫本仏、己身本仏を主張し、これをもって、教門の釈尊本仏より超過すると見倣す説もある。しかしこれまた、本尊の意義を失うものである。

 かの富士派において、妙覚果満の釈尊を脱仏とし、名字凡夫の日蓮聖人を下種の本仏とするのも、凡夫を体とし、仏を用とする思想の現われであるとも見られ得る。しかし反面その思想の根底には、日蓮聖人の本地は自受用報身如来を論じ、衆生本仏論と区別するのである。ここに富士派においては、本尊の主体が日蓮聖人に集約されているのであって、十界本尊や、已身本尊の弊が避けられている。

 三に法界本仏論は、いわゆる汎神論に基づくもので、自然即仏の境地を表わすものである。しかしこれは仏の悟りの世界であって、いわば仏によって、法界が仏乗化されたもので、いわゆる仏の境界に他ならないのである。したがって、それは能覚の仏智に照された世界で、単なる自然界そのものではあるまい。十界の衆生即仏といい、三千の森羅万象即仏といっても、それは仏の一念に把えられた仏界具足の諸法である。そして曼茶羅は、かゝる仏境界を示されたもので、いわば釈尊の精神界に他ならない、すなわち釈尊の悟りの世界である。そしてこの悟りを得られたところに、人間釈尊が、本仏釈尊として仰がれる所以がある。しかし、それだからといつて、釈尊の悟られた仏境界を直ちに本尊とするのではない。仏境界は釈尊によって価値化され、功徳化された世界であって、自然的存在の世界ではない。つまりそれは釈尊の教法として示されたものでこれが行法としての題目の内要をなすものであり、また事一念三千の世界である。ここに日蓮聖人は、事一念三千の本門の教えを説かれた教主釈尊をもって、主師親三徳の仏と仰ぎ、本門の本尊と定められているのである。

 

 

 


ろんぎについで

 

室   住   一   妙

 

 「ご本尊は議論の対象にしてはいけない」といった古人の話が出たが、誠に御モットモである。しかし、そういう御本人がやはり盛んにギロンされていた事実は、之も亦やむをえないことなのであろう。そこで「本尊論の再検討」という今回の課題の内には、まづ第一にとりあげられねばならぬ一項であろうと思うが、しかし、突然のことで、お互いによほどの用意がなくてはならぬし、時間もかけてその検討方法を議さねばなるまい。今はたゞ少々の余白をいただいて二、三のメモを留めてをきたい。

@ すでに本尊論というコトバのイミそのものにおいて矛盾していると思う。それは尊いというコトバのイミすら並々の評価圈にはないようだ。しかし尊卑貴賎という以上、相対的序列はあり得る。社会国の内に家は絶対境位にある天皇を至尊とつかうことは今は昔(近代)のこととして、信仰上には尊者を始めとしで、世尊、無上尊、本尊等、みな神聖不可侵境をイミしていた。

A しかしそうはいうものの、わが日本仏教の内の通用語通念での本尊は、果してどれほど、絶対的・排他的な唯一性をイミしたのか、慎重にたしかめておく必要はあろう。寛容なムードの中の信仰対象とでもいゝ得る本尊、これらは或いは日本民族宗教の多神教性や、真言密教の多神教性の影響が多分にあるのかもしれない。わが宗祖をめぐるあの当時と、それを遡る上代、それを降る中世より近代現代に至る、そうした長い雰囲気は認められよう。之に対しで近代現代に於いでは、キリスト教の信仰対象としての絶対的神概念が、むしろシゲキ的に影響してきてることも認められよう。

 何よりも、まず吾が宗祖においては、本尊は最大最高の重要点である、「一エンブダイ第一の本尊」と仰さられるだけ、独一無二である。天下万民諸一仏乗となっで、礼拝すべき本尊である。

 そういうことを今仮りに、ただの表現としてでも認めるとせば、勝劣浅深の論議を否定し切っていゝものでもなかろう。また天下万民が証明し得る、つかみ得るとせば、神聖不可侵ともいえまいではないか。本尊論のコトバの矛盾よりも、本尊の絶対性そのことにも矛盾がある。

B さて、こゝには、今現に我々か奉じている本宗の御本尊について、本尊の論議は果して許されるのか・どうか?のロンギである。

 両者の理由についで、またその関連についで考えたい。

 (A)まず不可許。本尊は絶対境・恩徳境である。ギロンは相対、凡夫位同士のことばをもってやリ合うのである。大体、思想教養・性格・体験、それぞれの傾向や疎密広狭の度によってどこまで話しが通ずると思うのか。まして、御本尊についての知識だけは仮りに一定ハンヰに定めたとしても、互いに一致することはなかなか望むべくもないであろう。

 ましてや、「一エンブダイ第一」という境位は、古今の賢聖の体験境を超えているというイミである。その本質に対して論議・研究で肉迫しようというのが、不可能な対象を可能と誤信して仕かけた演技である。コッケイではすまない愚劣ではすまない、恩徳境に対する冒涜はまぬがれまい。よって不可許とする。

 (B)つぎは可許、いわゆる学の場である。その場は広い無限に広大である。「初めにことばありき。」と叫んだ人類の確信である。論議といい、弁証といい、弁証法はギリシャ以前以来の人類史の栄光の一である。原始仏教の三蔵中の論蔵もそれである。なお、正法時代から像法時代に入って、第三堅固の読誦多聞とは、是非はともかくとして、大乗仏教の開展となった。仏法の大きな流れではなかろうか。さてその行く方は如何に。

 今仮りにリクツでいう。信仰せよと強く迫れば必ずその理由は問われよう。深く信じようとすればするほど、疑惑は出るのが当然。学が要求される。絶対なるがゆえに信ぜよというなら、その絶対性の成立は、相対性を予想せねばならぬように、絶対の真理は相対的事実が弁証していかねばならぬらしい。されば、理論理性は二律背反が運命らしい。そこで、いやでも実践理性へと指示されるのか。

 (C) 「仏法とは道理なり」と宗祖の云われたこのことばは、いわゆる理論性と実践性とを止揚したものてはなかろうか。いわば、知性と情意を統一した全人格の踏んでゆく道理であろう。而立より不惑知命・耳順と次第に熟し来ったものは、「心の欲する所に従って矩をこえず。」そういう古聖の行程にはたしかに一環する道理がある、之を三世十方に施してもとらざる道、それか仏法ではなかろうか。大聖世尊への道は、たしかに信に始まる。 「信は道の元、功徳の母」とは、宗教に於いてのみいわれよう、否、釈尊の宗教、また吾が宗においていよいよ強調されよう。

 「一エンブダイ第一の御本尊を信しさせ給へ。相かまてかまえて信心強く候うて、三仏の守護を蒙らせ給ふべし。行学の二道をはげみ候ふべし。行学たえなば仏法あるべからず。我もいたし、人をも教化候へ。行学は信心より起るべく侯。力あらば、一文一句なりと語らせ給ふべし。」

 この聖意は、信から出た行と学とが、信を促進し、信を導進していくということ、信は行学を完成し、行学は信を円成し熟成するといえよう。即ち本宗の信は盲信でもない。全人格的・道理の信である。理論理性と実践理性によって鍛えられていく中道の道理こそ信の行程てある。この信の初・中・終、初心より後心に至るまで常に仰かるゝ御本尊である。

 さてここに於いて、本尊論議云々ということはどんなイミをもちうるのか。いわゆる単なる学解上の論争や議論は非常に低次元の遊戯にみえてくる。いや危険な火遊びのようにも思われる。よほど警戒厳重のハンヰ内てのみ許されよう。とせば、強いて名けて不可不許という。

C それでは、実際に我々はどんな心得が要るのかを少しく考えてみる。

 卒直に云って、我々は全人格的生長を期そう。精神年令以上の霊性の問題として、幼より少・青・壮・老と生熟していきたい。だから、自分の霊性的年令の自覚は、おゝよそは確信して生きたい。教学上の六即、位の原理である。

 そこて御本尊の論議についても、ただの常識的ではなく仏法正統の良識道理から考えて、異常性とか、狂的とかはもとより、不健全・未熟なども計されないのである。ことに秘義の教学的の扱いについては、非常に厳しいようである。有名な観心本尊抄送状の、

  「秘之」・ 「見無二志」・「並庇勿読之」・「乞願歴一見来輩」・「師弟共詣霊山」・「拝見三仏」、等の六句

の連鎖は我々に対する宗祖大聖人の懇切な勧誡である。

 こういう不可侵境において、しらずしらず、自ら誤り、他人を誤らしたとしたらどうてあろう。お互いにみな、「未だ得ざるを得たりとおもい、未だ証せざるを証せりとおもう」からこそ、軽卒にとりくみ、論議しているようである。ましてそれか論争沙汰となってはなをさらのことてある。まあ、著欲・懈怠の謗法はまぬがれたとしても、計我・浅識・驕慢の三はのがれぬ。自らの不解・不信は他人にも影響し、誹謗を起させ、互いに軽賎し相い、憎み嫉みはては怨恨を結ぶに至る、十四誹謗つぶさに踏んてゆく。その結論が水かけ論でおわるどころではない。鉄石の火花を散らし、泥合戦ともなる。そうして永久の怨恨を残す。これは歴史か証明しているのではなかろうか。

 研究は自由てある。しかし、そこに在るからそれを研究するという、学者根性・研究者気質で、御本尊を研究し論議してはならないてあろう。いくら研究者でも、そこにあるからとて、原子核は不用意には扱えない。原子核の火よりも放射射能よりも恐しいのはたしかに阿鼻獄の火である。

 

 追加、後日談。二月一目、某学生が来ていうのには、「先生、師匠が団参の節、頼んて帰りました。今、はがき伝道をしていますが、それに、某教団と本宗との相違をカノタンに書いてもらうように、自分は自信がないから先生に、ひまをみて書いてくれるように頼んて行きました。」

 私はしばらく考えさせられた。「君からお師匠さんにこういうイミのことを書いて手紙を出しなさい。『先生のいうには、御本尊の件は重要なことであるから、はがきで彼此論評するようなことは、あまりに軽卒に思える。次は、自信がないなら、自分自身訪問して道を求めようとしないのか。大事なことを、自信がないまゝに、他人に書いてもろうて、それで御用に宛てるとは、どうであろうか?』之に対してのお師匠さんの御返事を私にみせて下さい。それから、之とは別に、君は、さし当り、その答案を書いて私にみせて下さい。一緒にに考えましょう」と話した。

 また、よくきく言葉だか、「本宗は本尊がまだ定っていない、」と、さも、よそごとのように他人のせいにしている。ほんとうは、自分たちの信心が決っていないから、そう見えるのだし、また、そんなことばを恥しげもなく言えることこそ、宗祖に対して申しわけがない。ともかく、御本尊の意味や、それに対する心もちや態度など、みんな生きいきした一つの体系なのではなかろうか。

 御本尊論の再検討ということは、何よりもまづ、お互いが話し相うとき、血の通う話し合い(信心の血脈)の場とならなくては、かえって、つみぶかいこととなろう。

 

 

 

 

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