立正安国論の学習に思う

付「摂折論批判」に寄せて

(東京都正法寺住職)

今成元昭

丂本日は、お招きいただきまして有り難うございました。

丂資料は二系列あります。

「立正安国と『立正安国論』の間」というA-1の印刷物は、東京西部教化センターから出ている『教化情報』第16号のものです。

丂立正安国という理念と『立正安国論』という作品との間には、溝があるのであって、癒着させては具合が悪いという考えがあります。そのことを書いたものです。丂

『編集後記』に「宗門運動として「立正安国」がテーマとされ、また『立正安国論』奏進俈俆侽が近づく中、この今成先生の鋭いご指摘は、現在の宗門運動を足元から見つめ直すような本質的な問題を提議されていると思います。私達日蓮宗僧侶が実現を目指すものは、『立正安国論』に述べられている謗法禁断を含むような正法の実現なのか、あるいは現在における理想の形を追求したところの「立正安国」なのか、論議すべき課題は数多くありそうです」という問題であるわけです。

丂この点は、たいへんに大事な問題だということで、雑誌『現代仏教』の依頼によりまして、現在、連載中です。注目をなさった『現代仏教』編集長・尾谷さんが『立正安国論』と宗教間対話という題で講座を設けて下さったこともありました。

丂それに関わることが一つあります。

丂現代宗教研究所の伊藤主任からお手紙をいただきました。「立正安国と『立正安国論』の問題について、話して欲しいということでした。さらにもう一つ。前に『宗報』第俀侽侾号に載りました吉田弘信師の『折伏論一考』、それから、『現代宗教研究』の、いちばん新しい第係侽号に山崎斎明師がお書きになった『今成元昭師の『如説修行鈔偽書説』ならびに「摂折解釈」を批判する』についても、話して欲しいということでした。

丂山崎氏のものだけでも俈侽頁にわたる膨大なものです。この両方を扱うと俆時間ぐらいかかってしまいそうです。

丂そのお手紙の中に、私が言っている再反論の論点が外れているとありました。しかし、私は再反論をした覚えはまったくありません。その点を伊藤主任に質問しました。すると「再反論と書いたのは間違い」で、私の論文そのものを言っているのだということでした。

丂吉田師のお書きになったことに対して『宗報』に反論を書いて欲しいというお話があったのですが、「反論は書けない」と申し上げ、「私の説への誤解がおありのようですの再吟味をお願いいたします」とだけ書いたのです。それを『宗報』第俀侽係号に載せてもらいました。

丂山崎師のものについても、「反論を」というお話がありました。やはり、山崎師にも、私が言っていることに対して、誤解がおありのようなので、再反論は書けないとお答えしたのです。すると、そのことについて、今日、触れて欲しいということでした。

丂いずれにしても論点が二つあります。「立正安国と『立正安国論』との間」、そして、私が言ってきた摂折論に対する反論なるものへの批判です。両方をするのはたいへん時間がかかりますので、掻い摘んで申し上げることになります。

丂まず、伊藤主任のお手紙によれば、吉田論文発表以後は、私の言っていることが曖昧であるという意見が多く寄せられているということです。現宗研に寄せられた多くの意見を代弁していると言うのです。

丂現宗研では、私の発言が不当であるとのご意見だらけであるという印象を受けるお手紙をいただいたのです。しかし、いちばん先に申し上げておきたいと思ったのは、批判だけではありませんで、賛成意見もけっこうあるということです。ですから、両方を踏まえないといけないと思いました。けれど、賛成意見があると口で言うだけではいけませんので、資料に、いただいた賛成意見を載せておきました。このような方々もいらっしゃるのです。両方の意見があることがわかったうえで、お話を聞いていただきたいと思うのです。

丂資料Cの右下のものはハガキで寄せられたものです。

「『開目抄』の一句に悩んでおりましたので、天の啓示を得た思い」だと仰る方までいます。身延山大学の名誉教授の方です。

左、「先生のお話を伺いまして何度も『如説修行鈔』を読んでみました。先生の仰ることは肌身で感じられる」

丂また、「貴論文の中において論じられているように、『如説修行抄』の偽書説、『開目抄』の「常不軽品のごとし」の後代挿入説は、お説の通りと小生も思います」

これは、本宗の顧問弁護士と、元現宗研所長の方のものです。さらに出版物となっているものもあります。

「今成先生のお話を伺っていると、我が教団は俈俆侽年にわたって、宗祖であるところの日蓮聖人を誹謗してきた。地位を貶めてきた。にもかかわらず教団は安泰として存続してきている」

これは達師法縁の研究会報告書で、根本的に考え直さなければいけない問題であるという趣旨で書かれています。

また、立正佼成会の『第二回宗教判例研究会講義録』には「立正大学では折伏第一主義が通説のようだが、今成先生が出てこられて議論が盛り上がることによって、これからかわっていくのではないかと思う」という講師の発言が載っています。

丂このような賛成意見があることも、ご認識いただきたいと思います。

丂吉田・山崎両師に共通する問題点。吉田師が『如説修行鈔』は「古来真撰として扱われてきた」と仰っている。また、山崎師も「日蓮教団において古来偽書という伝承は一切なく」と仰っている。これは一つの問題点です。「古来、言われている」といいだしたら、学問はあり得ないわけです。古来がどう言われていたかは問題にできません。それから、お二人が反論とおっしゃっていますが、反論には反論の仕方・ルールがあるわけです。日蓮聖人の『行敏訴状御会通』を見ればよくわかります。行敏に対して、「あなたは、こう言っているけれど、その点についてはこうである」と俋箇条にわたっておっしゃっています。そのようにしなければいけないわけです。たとえば、私が申し上げている俀つの論文については、『如説修行鈔』についても、『開目抄』についても、係点ずつ論証を挙げています。ですから、反論をいただくためには、その一つひとつについて、「あなたはこう言っているけれど、この点についてはこうである」と言っていただかなければ、反論のルールに合っていないわけです。これがお二人に共通する問題点であります。

丂吉田師、山崎師の文に、私は反論が書けないということについて申し上げます。資料をご覧ください。吉田師の『摂折論一考』には「反論を試みることにする」とおっしゃっています。『如説修行鈔』には短い文章の中に「如説修行」という言葉が侾俁回も見られるのです。しかし、日蓮聖人は確かな御書の中では、この言葉をまったく使っておられないのです。このことは何を意味するだろうかということをテーマとして、私は申し上げているのです。

丂ところが、吉田師は浄土論を展開なさっているのです。

「法華経を修行する者は、どこの浄土に生ぜんと願ったらよいのか」、そういう問題が『如説修行鈔』には書かれているのだというのです。しかし、私は、そのようなことはまったく言っていないわけです。「如説修行」という言葉が一書だけにたくさん使われている、ほかの御書にはまったく使われていない、このことをどう考えたらよいのかということを論じているのです。論点が噛み合っていないわけです。これでは「反論を」と言われても、反論のしようがないわけです。ですから『「摂折論一考」によせて』を『宗報』に載せていただきました。

丂「拙論への誤解がおありのようですので再吟味をお願い致します」、こう言わざるを得ないわけです。反論の書きようがありません。

丂山崎師は「法華経の行者が、謗法者を折伏することは、行者にとって折伏であり、謗法者にとって被折伏である。しかし、不軽菩薩や日蓮聖人が攻撃をされた場合は、法難あるいは受難と言うべきであり、「折伏を受ける」とか「被折伏体験」などという表現はできないはずである」とおっしゃっています。

丂セクトの中では、このような言い方は通用しますけれど、広い社会では通用しません。法然聖人の浄土系でも、「法然聖人は法難を受けている」というのです。自分だけの立場で、「日蓮聖人の場合は法難であるけれど、法然の場合は被折伏である」、そんな言い方をしていったら、お互いに言い合うだけであって、対話も協調も、成り立ちません。ですから、客観的な立場に立たなければいけないのです。セクト内のみで通用することでは、やはり、具合が悪いわけです。この点が一つ挙げられます。

丂資料B追加。私が申し上げていることは、「『如説修行鈔』には文章構成の乱れや用語の不統一が目立つ」ということです。日蓮聖人のような達筆家の文章とするには当らないということです。しかもそれは、係つの立項のうちの一つです。これがすべてであるとは言っていません。

丂また、『如説修行鈔』の第俀問答、「答弁者は日蓮聖人であるはずなのに、その発言は「余が云はく。然らず。」と日蓮聖人によって否定されるという混乱が見られます」ということです。故に「作者の構想力の貧困さが指摘される」と言ったわけです。

丂ところが山崎師の文章は「今成師は「作者の構成力の貧困さが指摘される」と言う。しかし、この箇所の内容は『法華経』の一仏思想が簡潔明瞭に凝縮されて書かれている」と内容についておっしゃっているわけです。

丂私は、法華経の一仏乗思想のことなどはまったく言っていないのです。構想、すなわち、文章の組み立てに混乱が見られるということ、作者の文章力が貧困なので、日蓮聖人のものとは思えないと申し上げているわけです。論点が全然違っています。ですから、反論に対する再反論をしろと言われても、出来ないと言わざるを得ないことになります。

丂もう一つ申し上げます。山崎師は「今成師いわく」として、『観心本尊抄』の中で「折伏を現ずる時は賢王と成りて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成りて正法を弘持す。と正確に表現しています」という私の文章を引用して います。資料では、「正確に表現」に二重線を引きました。

丂日蓮聖人の文章は、すごく正確なのです。一語一語が非常に厳密なのです。それを正確に読み取らないといけません。ところが山崎師は、「『観心本尊抄』に乹四菩薩が摂受折伏を行ずる〉とある」とお書きになっています。しかし、日蓮聖人は、四菩薩が摂受折伏を行ずる〉とは言っていないのです。これは読み違いです。

丂摂受は行ずるもの。折伏は現ずるものです。折伏は、究極的に武力・暴力まで許すのです。「頭破七分」などとも言います。(編注:文句「頭破七分非無折伏」、文句記「若惱亂者頭破七分。有供養者福過十號」) 

丂ですから、宗教家は折伏を行じていけないのです。それを行じるのは国王、つまり、権力者であるとか、あるいは日蓮聖人のお言葉によれば、大自然、つまり諸天善神が折伏を行じるというのです。それを興させるほどの行者にならなければいけないというわけです。日蓮聖人は、「自分は、まだ足りない」と云って、『開目抄』に何回も「法華経の行者にあらざるか」(定俆俆俋)と反問しています。自分がこんなにやっているのに、まだ諸天善神のご加護がないと言っておられます。諸天善神が折伏を行ずるのです。日蓮聖人は諸天善神に折伏を現じさせなければいけないというわけです。このように、「行ずる」と「現ずる」とを、非常に明確に区別しておっしゃっております。

丂この点については、高森大乗師も、日蓮宗教学研究大会の『日蓮聖人の釈尊本生譚』で「「折伏」には「行ずる」ではなく「現ずる」との表現が使われていることも重要である」と言っています。ここが重要なのです。一字一語を注意深く読まないと、御遺文は正確には読めません。

丂また、高森師は「日蓮聖人においては、摂受・折伏どちらか一方を正意とするのではなく、順縁には摂受が行ぜられ、逆縁には折伏が現ぜられるという二面性をもっていたことは明らかである。日蓮聖人に折伏の理論がなかったのではなく、重要な教義として明らかに存するわけで、しかもそれは末法の時・謗法の国・逆縁の機に対しては当然の処方であったのである。ただし、その在り方が、行者自ら手を下すものなのか、…これは「行ずる」です…仏天が行者を守護するために謗者に断行するもの…行者にとっては「現ずる」です…なのか、という点において従来説と今成説との解釈に相違がみられる」と言っています。ここでは、きちんと私の説と従来説の違いを明確におっしゃっておられます。私は、このような意味で摂受・折伏を使っているのであります。

丂立論の立脚点が違いますので、山崎師に反論はできないわけです。この点を申し上げておきます。

『如説修行鈔』の問題は、具体的にご覧いただければわかると思います。資料嘋をご覧ください。これが『如説修行鈔』の全文です。資料の侾侾行目から問答が始まります。 

「問テ云ク、如説修行の行者は現世安穏なるべし。何が故ぞ三類の強敵盛んならんや。答テ云ク…」(定俈俁俀)。 

『立正安国論』がそうですが、「問テ云ク」が客です。「答テ云ク」が主人で、こちらが日蓮聖人であるわけです。 俀俋行目、「問テ云ク、如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申シ候べきや」(定俈俁俁)と、如説修行の行者というのはどういう人ですかと、客が言っています。

「答云、当世日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は…」(同)、これは日蓮聖人の答です。ですから、その次の「予ガ云ク然ラズ」(定俈俁係)、というのは客のはずです。ところが、これが日蓮聖人なのですよ。

丂このような文脈の乱れを、私は言っているのです。

丂おまけに、「予ガ云ク」で始まって、最後まで、全部、この一人物の発言です。作者は問答体構成を放棄しているのです。

『立正安国論』は、きちんとした問答体です。客が怒って、杖を携えて帰ろうとしたり、主人が「主人咲み止めて曰く」(定俀侾俉、編注:原文は漢文)というように、非常にドラマチックです。このようなしっかりとした問答体をお書きになるのが日蓮聖人です。ところが、『如説修行鈔』を見ると、そういった文章構成のうえから言っても、文脈の乱れが目立つ、実に拙劣な構想の作品であるということが言えるのです。然もこれは論証の一つであって、すべてではありませ傫丅

丂それから、一番最後を見ますと「人々御中へ」(定俈俁俈)とあります。この「人々」が誰であるかはわかりませんが、「人々」と複数を対象にしながら、「御身を離さず、常に御覧あるべく候」とあります。これは具体的にどのようなことでしょうか。これも全然意味がわかりません。

丂ともかく、『如説修行鈔』の文章は、あちらこちらにほころびが見られます。そして、このような稚拙な作品だけに「如説修行」という言葉がたくさん出てきます。ほかに何百もある真蹟遺文類の中には「如説修行」という言葉は一回も出てこないわけです。これはいったい、どういうことかというのです。

丂実は、私には平成俇年に『大崎学報』侾俆侽回記念号に発表した論文があります。

資料をご覧ください。題目にありますように「心の師となるとも、心を師とせざれ」、これは有名な言葉で、たいへんにあちらこちらに出てきます。これを、どの注釈書にも、出典は『涅槃経』であると載っています。現在もいろいろな本が出ていますが、『涅槃経』以外とする注釈書はありません。

丂日蓮聖人も、『蓮盛鈔』に

「涅槃経ニ云ク、願テ心ノ師ト作ルトモ、心ヲ師トセザレ」(定侾俋、編注:原文は漢文) と、『涅槃経』をあげています。これは、よいのです。

丂けれども、俈行目は『兄弟鈔』です。資料では、二重線を引きました。

「心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文也」(定俋俁俁) とあります。これは日蓮聖人が間違えたのだと、非常に古くから、言われてきました。

弘教寺日健の『兄弟鈔私見聞』、これは『御書鈔』にあります。一番、古い御書註の集成です。「『涅槃経』ニ云ク願テ心ノ師ト作ルトモ、心ヲ師トセザレ。六波羅蜜經ニモ其ノ心アル歟。云云」と、疑問を出しています。日蓮聖人が『兄弟鈔』に先のように言っておられますから、それを受けているわけです。これは侾俇世紀のことです。

資料侾俆行目。「異本ニ六波羅蜜經ノ言コレ無シ」とあります。ですから、「六波羅蜜經」を消してしまった写本まであったのです。日蓮聖人が、間違っていると思ったからでしょう。

「六度經ニハ其文ヲ見ズ」

という断定までされるに至ります。これは『録内啓蒙』です。それから何百年と、そのように言われてきました。資料俀俀行目。『日蓮聖人遺文講義』、これは昭和の初めです。二重線を引きました。

「この文は六波羅蜜經になしといふ」とあります。ここまでは、少しはよいのです。

俀俈行目をご覧ください。『日蓮聖人御遺文講義』、線を引きました。

「心の師とはなるとも心を師とせざれとは、涅槃經の文也」と、御遺文を変えてしまっているのです。このようなひどいことが行われているのです。つまり、偽書の発生です。これは日蓮聖人を思う心の表れであることはたしかだとは思うのです。日蓮聖人が間違っていると思われては困るので、変えてしまったわけです。

『大崎学報』を読む方はあまりいないでしょうから、次に御遺文集や御遺文講義が出るときには、変えてしまうかも知れません。そうすると、偽書がどんどん定着していくことになってしまいます。これは困ります。

資料の終わりから三行目。「八者(は)」という所、黒丸を付けました。「常為心師不師於心」は、『六波羅蜜經』なのです。問題の一文は、日蓮聖人のおっしゃる通り、あるのです。このようなことは、勉強をしたかしないか、研究したかしないかの問題ではないのです。眼があれば見えるのです。それを何百年の間、ずっと、無批判に先師が言ったとおりを受け継いできたからの誤りなのです。そして、昭和半ばに、ついに「涅槃經の文也」と偽書を作ってしまったわけです。このような帠実があることを、平成俇年に発見したのです。「これはいかん。徹底的な見直しをしなければいけない」という訳で、摂折問題もいままで言われてきたことには間違いがあるのではないかと思って、真剣に取り組んできたという事情があります。

丂御書の解釈にしても、第一に正確な文献が求められるのであって、間違った文献で言い出すと、取り返しのつかないことになる。日蓮宗では、事実として、いま見たような前例があるのだから、これからは厳密に、見ていこうと言っているわけです。

丂たとえば、先ほどの『観心本尊抄』でも、「折伏を現ずる時…摂受を行ずる時」(定俈侾俋、編注:原文は漢文)というように、厳密なお言葉を日蓮聖人は使っていらっしゃるわけです。それが読み取れないできたのです。たとえば、山川智応師が、ここを「摂折現行段」と言っています。読み違えをした言い方です。「摂折行現段」と言わなくては、正確とは言えません。

丂僧侶は折伏を行じてはいけないのです。宗教的な人徳によって、国王や諸天善神が、その行者を守護するために、折伏を現じさせるのです。折伏を行ずるのは、国王や諸天善神であります。あるいは蒙古もそうであると言われていました。あれも折伏に入るのです。

丂そのようなところを厳密に押さえないといけないと思います。

丂プリント2をご覧ください。

丂わかりやすいように、A丄B丄Cと、線で結んであります。

丂Aは『開目抄』の常不軽菩薩を折伏と言っている定本の六〇六頁の部分です。

丂Bは「如説修行」という言葉、『如説修行鈔』を引いている所です。

丂Cは「法華折伏破権門理」という『法華玄義』を引いている所です。

丂実は、日蓮聖人は「法華折伏破権門理」という言葉を、一度も使っていません。徹底しておられます。二千何項目の経釈論をお引きになっている『注法華経』の中にも、この言葉は出てきません。敬遠なさったのではないでしょうか。

ところが、このように、辞典のどれを見ても同じことを言っているのです。たぶん、自分で勉強しないで、先師の言うままを書いているからでしょう。ですから、このような画一的誤りをしてしまったのでしょう。学問に対する姿勢をまず改めなければならない、個々が本気で勉強しなければいけないということであります。

丂Dと記しました。『浄土宗大辞典』には「一般には折伏は摂受のための前段階とせられる」と言っています。その二行後に、日蓮宗ではそうではないと書かれています。

丂それから、龍谷大学の『仏教大辞彙』には「折伏は只摂受の為の前関を張るに過ぎない」と言っています。究極的には、仏教は摂受なのだ、折伏はその前関だと言っています。ここでも「日蓮宗に於ては之に反し」と言っています。日蓮宗だけが違うというのです。仏教の通念は、摂受が基本で、折伏はその前段階となっているわけです。ところが、実は日蓮宗もそうではなかったのです。いつの時代からか、折伏が基本だと言われるようになってしまったのです。

資料Dをご覧ください。優陀那院日輝師について、書いてあります。ここに『立正安国論』との関係も出てきます。

右上は『宗義大綱読本』です。「教条的な折伏主義に堕することは誡めなければならない」と盛んに言っておられます。

 「機にしたがひ時によりて其行万差なるべし」と、日蓮聖人は示されています。「お言葉を味読し、五綱によって摂受・折伏その進退を判じ、もって広宣流布、立正安国の願業達成をめざし、弘教に邁進すべきである」と、『宗義大綱読本』は教えているわけです。

丂その下の注二六をご覧いただきますと、「摂受・折伏については、日輝『弘教要義』『摂折進退論』および『日蓮宗読本』(侾俉係亅俇頁)等を参照されたい」と指示しています。

『丂弘教要義』は漢文体で、読みづらいので、左にそれを解説した、充洽園全集による茂田井先生の文章を載せました。漢文のほうに、侾から俉とあります。茂田井先生のも侾から俉となっています。この点は『摂折進退論』でも同じように言っています。文章は違いますが、同じことを言っています。

そこで茂田井先生のほうをご覧ください。

「二、折伏は徒らに相手の忿恚を増すのみである。

四、折伏は、貴顕・学者の軽侮を招く因である。

六、旧株を守って識者の笑を致す因である。」

『日蓮宗読本』では、ここの所を、よく読みなさいと言っているわけです。 先程見た辞典類では、他宗は、摂受が仏法の基本で折伏はその前段階だと言っているのに、日蓮宗だけは、違うと書いてありました。ところが、本来の日蓮宗は、そうではないのです。

資料嘑をご覧ください。 

『宗義大綱』があります。これはあまりに簡潔にすぎていて、わかりづらいということで、片山総長の頃ですが、日蓮教学研究所に、解説書作成の依頼がありました。所長は望月歓厚先生でした。現代宗教研究所の所長が茂田井先生で、その茂田井先生が解説をなさったのです。

『宗義大綱』の原文の最後の俀行です。

「折伏と摂受にはその行用に前後があり、また機によっても進退がある」「これだけでは、ちょっとわかりにくい」ということで、茂田井先生が解説をなさっています。『現代宗教研究』「第8号、昭和係俋年3月5日発行」に載っています。 

資料には、二重線を引きました。 

「如来の第一義諦に帰着せしめるには、摂受の化による外ありません」 基本は摂受であるといっています。この文章は、宗会を通ったものです。 「『その行用に前後がある』というのはその意味からで、折伏の後に摂受があるので、摂受の後に折伏があるのではありません」これを、ご覧になればわかりますとおり、きちんと、日蓮宗の基本は、摂受であると言われていたのです。しかも、それが宗会まで通っているそうです。渡邊寶陽先生が、日蓮教学研究所の助手でした。「そのことは覚えている」と、ご本人がおっしゃっていました。

平成侾俈年俀月侾俇日の『勧学院報』第俈号、渡邊先生が院長になられ、その『巻頭言』に「初代院長に推挙された茂田井教亨先生は宗会で議決された『宗義大綱』、および『宗義大綱解説』」と書かれました。このように「如来の第一義諦に帰着せしめる」のは摂受が基本であり、本宗は摂受が基本であることは宗会で議決されたことだったのです。

丂それが歪められて、「日蓮宗は折伏為本である」と言われるようになったのです。ここは、基本的に見直さなければいけないことです。ですから、私が特別なことを言っているように思う方もいらっしゃるのですが、そうではありません。「日蓮宗の本来の姿を取り戻そうではありませんか」と発言しているということです。丂

丂『立正安国論』の問題に進めます。現在、宗門では「『立正安国論』奏進」という言葉を使います。これはちょっと、具合が悪いのです。奏進された文章ではないからです。奏進が期待されていたことは確かです。しかし、天皇や法皇等に出さなければ、奏進したとは言えないわけです。

丂『安国論御勘由来』だけに、「奏進」(定係俀侾)という言葉が使われていまです。それを、宗門では採ってしまったようです。ほかの宿屋入道などに出したりした文書(もんじょ)には、まったく「奏進」という言葉は使ってはいないのです。

丂「奏進」を使っている『安国論御勘由来』の宛名は誰かと言うと、法鑑房というお坊さんです。僧侶に対して、比較的社会的ではないところで、「奏進を期待する」意味でお使いになったのではないかと思われます。「進覧」「奉」は、何カ所にも出ています。

丂日蓮聖人が「奏進」を期待したことは『立正安国論』の第俇問答でわかるのです。

丂南都北嶺の、つまり、延暦寺、興福寺系の訴状が、上奏されて、天皇のお耳に達して、そこで勅宣が発布されたわけです。そのことによって、犬神人を雇って、法然上人の『選択集』の版木を奪って、比叡山根本中道で焼き捨てたと、『立正安国論』に書いてあります。それから、法然上人の墓を暴いたのです。

丂上奏を経たことによって、勅宣が出ます。嘉禄俁年(侾俀俀俈)俈月のことですが、この嘉禄の法難があったことを、日蓮聖人は第俇問答の答で言っています。つまり、日蓮聖人には、そのような期待があったのだと思います。『立正安国論』が上奏されて、法然浄土教に徹底的な打撃を与えて、そして、法華経の世にしたい希望を持たれたのだと思います。それはそのまま認めるとしても、しかし、それがいまの世に通用するのかというと、そうはいきません。

『立正安国論』には、そのような危険な要素が含まれています。宗教間対話、世界の平和を阻害する要因にもなります。ところが、立正安国という理想は、そのようなものが一切ない世界です。立正安国という理想と、『立正安国 論』という作品とは、分けて考えるべきです。しかし、『立正安国論』進覧の精神はすばらしいわけです。その『立正安国論』を今にどのように活かすか、よほど慎重に考えていかなければいけません。

丂ところが、この前出ました『宗報』に「立正安国論・お題目結縁運動」とありました。また、伝道の企画会議ノートの『伝える』にも、「立正安国論・お題目結縁運動」などとありました。言葉に対する感性が鈍っているように思えます。きちんとしなければいけません。本宗が世間で通用しないことになってしまいます。それを恐れるわけです。

そこで「立正安国と『立正安国論』との間」ということを提言したわけです。

優陀那院教学が、日蓮宗の基本となったことについては、資料Dをご覧ください。右下に「にちき」とあります。これは『日蓮宗事典』のものです。

「充洽園門下の新井日薩・吉川日鑑・三村日修らは明治維新に動揺する宗門にあって、日蓮宗の宗名を公称し、教団の保持に当たり、他方では飯高檀林を廃して日蓮宗大教院を作り優陀那日輝の教学を中心とする教育を行った。日蓮宗大教院は日蓮宗大檀林日蓮宗大学林日蓮宗大学立正大学乺と発展し…明治以降、日輝の教学が継承され、教団の中枢となった」日輝教学が、日蓮宗の近代を作り上げたわけなのです。その日輝上人は、『立正安国論』も折伏もよくないと言っているのです。

資料Dの、いちばん左をご覧ください。『庚戌雑答』ですが、それから二箇所引きました。

「祖師ヲ本尊トセバ天下ノ大眼目トナラン事ヲ願フベシ。立正安国ノ導師トナルベシ」

この本尊は、いまでいう本尊ではありません。日蓮聖人を崇める、中心として敬うということです。

「立正安国論は当時既ニ其ノ用ヲ為サズ況ヤ今世ニ至テ全ク其ノ立論ノ無実ヲ見ル」

『立正安国論』は既に日蓮聖人の当時、その用をなさなかったのだというわけです。結局、却下・無視されてし傑偭偨。これが先師によって、『立正安国論』無用論と言われているところなのです。

このように、日輝師も立正安国と『立正安国論』を、はっきりと分けておっしゃっているのです。ですから、いま私が言っていることは、既に日輝上人が言われていたことなのです。日輝上人の学統は、日蓮宗の近代を決定していき、それが立正大学まで通じていることが、『日蓮宗事典』でも言われているわけです。ですから、私は異端ではないということを申し上げて、取り敢えず、一時間の責めを終えさせていただきます。どうも有り難うございました。