現代は謗法の世か悪法の世

塩入丂幹丈

大聖人は折伏

丂近年盛んな摂折論争は結局、日蓮大聖人は折伏の人だったのか、摂受の人だったのかという論争だといえよう。日蓮大聖人が折伏(あるいは摂受)だったから、後を継偖我々も当然に折伏(あるいは摂受)でいくべきということであろう。

大聖人が折伏か摂受かどうかに関しては「立正安国論」で折伏を実行するよう時の権力者へ奏進され、さらに同書の主張を終身変えることなく続けられたことから(「立正安国論」の真意は別にあったなんて主張しないかぎり)当然、折伏こそメインであったと見るべきであろう。大聖人は折伏を実行されてない、折伏は在家がすることと「涅槃経」にある等という摂受派の主張は適切ではあるまい。大聖人自ら折伏を実行されたかどうかは意見が別れようとも、権力者たる幕府に対して法然一門への経済的弾圧を勧められたのは確かなことであり、これこそ「涅槃経」の有徳王と覚徳比丘の教えの実行と見るべきである。Aという主義主張があって、理論を説いた者と実行者がいる場合、実行者のみをA主義者とし、説いた者は実行してないからA主義者ではないなどとは言えないはずである。

日蓮大聖人は折伏の人だったことは確実と言えるのである。しかし、だからと言って単純に今も折伏だと言い切ってよいのだろうか。開目抄の「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者多時偼折伏を前とす。」(606)。の今一度の検討が必要ではないだろうか。

2 現在も三類強敵充満なのか

今も折伏だと主張することは、大聖人の時代も現代も文明の差はあっても、その本質は変わらないと見ることである。

宗義大綱読本は「邪智謗法の人多い謗国においては折伏を用いるのである」「折伏立教が本宗の大判であることは論を俟たない」「学問の発達や社会構造の変化など大きな異なりがある。したがって現代の弘教者は、三軌に住した折伏によって時代社会を覚醒せしめなければならない」とある。

社会の変化は認めながらも、やはり今も謗国であり故に折伏でいくべきと主張しているのである。しかし謗法の国ということはまずその前に仏教が弘まり皆が信仰している状況「仏閣甍ヲ連ネ、経蔵軒ヲ並ブ(立正安国論俀侾俁)が出来ていること。そこに同じ佛教の僧侶・信仰者でありながら仏教を破壊する者、つまり「獅子心中の虫」が勢力をもっていることが前提条件のはずである。

謗法ノ相貌ハ此ノ法ヲ捨テシムガ故也」(守護国家論侾侽俆)

「大族王の五天の堂舎を焼払、十六大国の僧尼を殺せし、漢土の武宗皇帝の九国の寺塔四千六百余所を消滅せしめ、僧尼二十六万五百人を還俗せし等のごとくなる悪人等は釈迦の仏法をば失べからず。三衣を身にまとひ、一鉢を頚にかけ、八万法蔵を胸にうかべ、十二部経を口にずう(誦)せん僧侶が彼の仏法を失うべし。」(撰時抄一侾侽俆侽)

まず仏法が盛んでなければ失うも何もない。大聖人が警戒し折伏を必要とされた三類強敵が充満するのは、佛教が広まり皆が信じている上でのことである。

大聖人の時代、中世における仏教の社会への浸透、影響力と、現代における仏教のそれには格段の違いがあるはずである。

にも関わらず、大聖人が折伏だったから、今も折伏だというのはあまりに安易すぎるのではないだろうか。

3 中世は仏教中心

大聖人ご在世前後、中世の宗教、信仰は古代平安の世から引き続き佛教中心であったと言えよう。日本古来からの神道は言うまでもなく本地垂迹説によって仏教と密接に結び着けられていた。記紀神話の神々は当然ながら、歴史上の人物からの神となった方々、いわゆる御霊神も北野天神の菅原道真公は十一面観音様、八所御霊社の早良親王は千手観音様等々と、必ず本地仏があげられている。怨霊をただ祭り上げれば神になるのではなく、実は本来、仏菩薩の顕現だったと認識されてこそ、神となると言えよう。

神道の中でも他と一線を画す伊勢神宮。僧は髪長、寺院は瓦葺等の独自の用語を使い仏教を忌むことで有名だが、単純に仏教を拒絶して存続していたわけではない。

伊勢神宮独自の神道、伊勢神道は行基作と伝えられる「大和葛城宝山記」の影響が大きいとされるが、そこでは常住慈悲天神王(毘紐天)の臍から蓮が出、その花から梵天が生まれ、世界が出来るという、仏教の当体蓮華説、さらには仏教経由のヒンドゥー教の創世神話までが含まれている。

この書に影響を受けている伊勢の神道五部書がいわゆる反本地垂迹説の書であるが、これも仏教否定ではなく、立場の逆転であり、仏教の尊格が否定されているわけではない。

中国六朝時代には仏教のライバルだったはず道教も日本では仏教の中に深く密かに融合している。例えば道教の鎮宅霊符神と同体とされる妙見菩薩。九字や御札も道教由来で御札の赤い字も道教の水銀信仰からとされる。山岳仏教の祖たる役の行者も道教行者的要素が多々あったという。道教と並ぶ影の宗教たる陰陽道も、例えば安部晴明著とされる重要な占書「占書簠簋内伝(ほきないでん・金烏玉兎集)」は文殊菩薩が作り伝承されたと書とされている。

又、陰陽道の方位神八将軍の母、頗梨采は沙掲羅龍王の娘とされている。仏教と結びついてこそ、貴族たちにも説得力があるのだろう。

陰陽道関係で目を引くのは愛知県東栄町に伝本が残る行事「牛頭天王島渡り祭文」がある。 頗梨采女の夫で陰陽道の中心的な神牛頭天王が、ここでは釈尊を入滅に追い込むという説話が展開されている。

牛頭天王が仏より優位とする驚くべき内容ではあるが、西洋の一神教の如き他宗教の否定ではなく、反本地垂迹説と同様に佛教も認めた上での優位宣言と見られる。

以上、中世の宗教状況は佛教中心で他の宗教もその中に取り込まれ、共存している状況だと言えよう。一部に仏教より優位を主張する場合があっても、どちらも自分たち人間よりも高度な存在崇高なものと認めた上での順位の主張に過ぎないと言える。いわば認識の度合いに差はあれ、この時期の日本人は須弥山宇宙ともいうべき世界観の中で、どれが真実かを探求していたと言えだろう。故に大聖人とその門下たちは、仏教の獅子身中の虫たちへ折伏していったと言える。

4 仏教の転落

天文十八年(侾俆係俋)フランシスコ・ザビエルが鹿児島上陸した。キリスト教の日本への進出である。異なる宗教の主神は魔王、神々はデーモンとする、須弥山宇宙と相容れない大宗教の出現である。キリスト教自体は慶長十九年(侾俇侾係)に禁教だが、この上陸の時期前後からが仏教の地位転落への始まりだったといえよう。

以後、織田・豊臣・徳川という佛教勢力を押さえる巨大権力の登場で戦国時代は終結。それは関西町集の法華経による祭政一致自由都市の崩壊でもあった。

さらに江戸時代に入ると朱子学、水戸学等の佛教の教え自体を否定的にみる思想が台頭してくる。

侾俈世紀の儒学者山崎暗斎は神仏習合を否定した上で、天皇のために死んだ者は神になると説き、十九世紀の水戸学者会沢正志斎も佛教は愚民を欺くと否定している。

また佐倉惣五郎等の義民の神々は純粋に生前の行いから神であり、もはや本地仏の存在は必要なくなってしまっている。

そして西洋の大乗非仏説を先取りした富永仲基の『出定後語』。佛教中心の世界観は江戸時代に徐々に崩壊していったと言えよう。 明治の廃仏毀釈から国家神道もそこからの流れであり、さらに追い打ちをかけるかの如き西洋科学の輸入でますます仏教の地位は低下し、須弥山宇宙の説得力は無くなっていったのである。

・無宗教

そして現代。宗教そのもを否定する無宗教が大手を振るい、宗教であっても佛教の世界観不要の新宗教、逆に仏教も一神教も取り込んだ新宗教も多数出現し、佛教もまだまだ有力ではあるが、それでも数多の宗教の一つにすぎない状況だと言えよう。

このような佛教中心でない状況は決して邪智謗法の者の国とは言えない。 むしろ佛教の価値すらを知らない無智悪人の国と見るべきである。 無信仰で仏教を哲学と見る人と大乗非仏説の仏教信者と大乗を仏説みる信者が平行線のままダラダラと結論なき論争をネット上で繰り返す光景も珍しくない光景といえよう。

このような時代、身内にあっては間違いに対し折伏も必要であろう。しかし広く外に向かっては摂受でいくべきではないだろうか。

何ら具体的折伏を展開するわけでもなく、全仏連には積極的に参加しながら、口では折伏を是とする。そのような矛盾が結局は宗勢にも如実に影響しているのではないだろうか。

現代社会は無智悪人の国。故に我々は摂受中心で行くのだとはっきりすべきなのである。

5 五五百歳の意味

丂さらに言えば折伏から摂受の転換も、もっと早くすべきだったのではないだろうか。

大聖人は周知の通り末法始めの五百年間を重視された。

悦哉、経文に任て五五百歳広宣流布をまつ。悲哉、闘諍堅固の時に当て此国修羅道となるべし。(神国王御書俉俋侾)

此深法今末法の始、五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやの事不審無極なり。(撰時抄侾侽俀俋)。

大聖人時代の釈尊御入滅は周書異記によって周第五代穆王(ぼくおう)俆俀年(紀元前俋係俋)とされてきた。すると末法は永承俈(侾侽俆俀)となり、天文俀侽年(侾俆俆侾)で始めの五百年が終わる。

キリスト教上陸は天文侾俉年(侾俆係俋)。仏教転落のターニングポイントが始まった時期と言える。

これ以降に摂受か折伏かの混乱が受不受の内紛となって宗門は衰退を始めたのである。

これこそ日本が謗国から悪国へ変換始めたのに、それに対応できなかった悲劇の始まりだったのではないだろうか。

確かに現代の仏滅年代(紀元前俇〜係世紀)とは異なる。が、それを言えば大聖人が法華経最勝の理由に挙げられる根拠の多くも大乗非仏説と相容れないものが多いのである。 現代仏教と矛盾しながら真理に到達された大聖人。 予言も又、同様に考え検討すべきである。五五百歳を再考し、現代での摂受折伏のあり方を考えていくべきであろう。

参考文献

「昭和定本日蓮聖人遺文」

「宗義大綱読本」

「日蓮宗の教え」

「日蓮宗事典」

「平成新修日蓮聖人遺文集」

「法華経概談」高橋智遍

「充洽園全集」第一編

「異神」山本ひろ子「

世界秘儀秘教事典」エル・ヴァソン

「読み替えられた日本神話」斎藤英喜

「法華経と町衆」藤井学

「日蓮攷」高木豊

蓮と法華経」松山俊太郎

「図説日本呪術全書」豊島泰国