訓読 法華経

 

 

無量義経徳行品第一 無量義経説法品第二 無量義経説法品第三
妙法蓮華経序品第一 妙法蓮華経方便品第二 妙法蓮華経譬喩品第三
妙法蓮華経信解品第四 妙法蓮華経薬草喩品第五 妙法蓮華経授記品第六
妙法蓮華経化城喩品第七 妙法蓮華経五百弟子受記品第八 妙法蓮華経授学無学人記品第九
妙法蓮華経法師品第十 妙法蓮華経見宝塔品第十一 妙法蓮華経提婆達多品第十二
妙法蓮華経勧持品第十三 妙法蓮華経安楽行品第十四 妙法蓮華経従地涌出品第十五
妙法蓮華経如来寿量品第十六 妙法蓮華経分別功徳品第十七 妙法蓮華経随喜功徳品第十八
妙法蓮華経法師功徳品第十九 妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十 妙法蓮華経如来神力品第二十一
妙法蓮華経嘱累品第二十二 妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三 妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 妙法蓮華経陀羅尼品第二十六 妙法蓮華経妙荘厳王本事品第二十七
妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八    
     
仏説観普賢菩薩行法経    
     

 

 

 

#無量義経

蕭斉天竺三蔵曇摩伽陀耶舎訳

無量義経徳行品第一   〔▽ 一頁〕

 是の如きを我聞きき。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい、
 大比丘衆万二千人と倶なりき。菩薩摩訶薩八万人あり。天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽あり。諸の比丘・比丘尼及び優婆塞・優婆夷も倶なり。大転輪王・小転輪王・金輪・銀輪・諸輪の王・国王・王子・国臣・国民・国士・国女・国大長者、各眷属百千万数にして自ら圍遶せると、仏所に来詣して頭面に足を礼し、遶ること百千�して、香を焼き華を散じ、種々に供養すること已って、退いて一面に坐す。
 其の菩薩の名を、文殊師利法王子・大威徳蔵法王子・無憂蔵法王子・大弁蔵法王子・弥勒菩薩・導首菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・華幢菩薩・華光幢菩薩・陀羅尼自在王菩薩・観世音菩薩・大勢至菩薩・常精進菩薩・宝印首菩薩・宝積菩薩・宝杖菩薩・越三界菩薩・毘摩�羅菩薩・香象菩薩・大香象菩薩・師子吼王菩薩・師子遊戯世菩薩・師子奮迅菩薩・師子精進菩薩・勇鋭力菩薩・師子威猛伏菩薩・荘厳菩薩・大荘厳菩薩という。
 是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。是の諸の菩薩、皆是れ法身の大士ならざることなし。戒・定・慧・解脱・解脱知見の成就せる所なり。其の心禅寂にして、常に三昧に在って、恬安憺泊に無為無欲なり。顛倒乱想、復入ることを得ず。静寂清澄に志玄虚漠なり。之を守って動ぜざること億百千劫、無量の法門悉く現在前せり。大智慧を得て諸法を通達し、性相の真実を暁了し分別するに、有無・長短、明現顕白なり。
 又善く諸の根性欲を知り、陀羅尼・無碍弁才を以て、諸仏の転法輪、随順して能く転ず。微�先ず堕ちて以て欲塵を淹し、涅槃の門を開き解脱の風を扇いで世の悩熱を除き法の清涼を致す。次に甚深の十二因縁を降らして、用て無明・老・病・死等の猛盛熾然なる苦聚の日光に灑ぎ、爾して乃ち洪に無上の大乗を注いで、衆生の諸有の善根を潤漬し、善の種子を布いて功徳の田に遍じ、普く一切をして菩提の萌を発さしむ。智慧の日月方便の時節、大乗の事業を扶蔬増長して、衆をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成じ、常住の快楽、微妙真実に、無量の大悲、苦の衆生を救わしむ。是れ諸の衆生の真善知識、是れ諸の衆生の大良福田、是れ諸の衆生の請せざるの師、是れ諸の衆生の安穏の楽処・救処・護処・大依止処なり。処処に衆生の為に大良導師・大導師と作る。能く衆生の盲いたるが為には而も眼目を作し、聾・�・�の者には耳・鼻・舌を作し、諸根毀欠せるをば能く具足せしめ、顛狂荒乱なるには大正念を作さしむ。船師・大船師なり、群生を運載し、生死の河を度して涅槃の岸に置く。医王・大医王なり、病相を分別し薬性を暁了して、病に随って薬を授け、衆をして薬を服せしむ。調御・大調御なり、諸の放逸の行なし。猶お象馬師の能く調うるに調わざることなく、師子の勇猛なる、威、衆獣を伏して沮壊すべきこと難きがごとし。
 菩薩の諸波羅蜜に遊戯し、如来の地に於て堅固にして動ぜず、願力に安住して広く仏国を浄め、久しからずして阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得べし是の諸の菩薩摩訶薩皆斯の如き不思議の徳あり。
 其の比丘の名を、大智舎利弗・神通目�連・慧命須菩提・摩訶迦旃延・弥多羅尼子・富楼那・阿若�陳如・天眼阿那律・持律優婆離・侍者阿難・仏子羅雲・優波難佗・離波多・劫賓那・薄拘羅・阿周陀・莎伽陀・頭陀大迦葉・優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉という。是の如き等の比丘万二千人あり。皆阿羅漢にして、諸の結漏を尽くして復縛著なく、真正解脱なり。
 爾の時に大荘厳菩薩摩訶薩、遍く衆の坐して各定意なるを観じ已って、衆中の八万の菩薩摩訶薩と倶に、座より而も起って仏所に来詣し、頭面に足を礼し繞ること百千�して、天華・天香を焼散し、天衣・天瓔珞・天無価宝珠、上空の中より旋転して来下し、四面に雲のごとく集って而も仏に献る。天厨・天鉢器に天百味充満盈溢せる、色を見香を聞ぐに自然に飽足す。天幢・天旛・天軒蓋・天妙楽具処処に安置し、天の伎楽を作して仏を娯楽せしめたてまつり、即ち前んで胡跪し合掌し、一心に倶共に声を同じゅうして、偈を説いて讃めて言さく、
 大なる哉大悟大聖主、垢なく染なく所著なし。天人象馬の調御師、道風徳香一切に薫じ、智恬かに情泊かに慮凝静なり。意滅し識亡して心亦寂なり。永く夢妄の思想念を断じて、復諸大陰入界なし。其の身は有に非ず亦無に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず円に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、坐に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種々の色に非ず。戒・定・慧・解・知見より生じ、三昧・六通・道品より発し、慈悲・十力・無畏より起り、衆生善業の因縁より出でたり。
 示して丈六紫金の暉を為し、方整照曜として甚だ明徹なり。毫相月のごとく旋り項に日の光あり。旋髪紺青にして頂に肉髻あり。浄眼明鏡のごとく上下に�Qぎ、眉�{紺舒に方しき口頬なり。唇舌赤好にして丹華の若く、白歯の四十なる猶お珂雪のごとし。額広く鼻修く面門開け、胸に万字を表して師子の臆なり。手足柔軟にして千輻を具え、腋掌合縵あって内外に握れり。臂修肘長に指直く繊し。皮膚細軟にして毛右に旋れり。踝膝露現し陰馬蔵にして、細筋鎖骨鹿膊脹なり。表裏映徹し浄くして垢なし。濁水も染むるなく塵を受けず、是の如き等の相三十二あり。八十種好見るべきに似たり。而も実には相非相の色なし。一切の有相眼の対絶せり。無相の相にして有相の身なり。衆生身相の相も亦然なり。能く衆生をして歓喜し礼して、心を投じ敬を表して慇懃なることを成ぜしむ。是れ自高我慢の除こるに因って、是の如き妙色の躯を成就したまえり。今我等八万の衆、倶に皆稽首して咸く、善く思相心意識を滅したまえる、象馬調御無著の聖に帰命したてまつる。稽首して法色身、戒・定・慧・解・知見聚に帰依したてまつる。稽首して妙種相に帰依したてまつる。稽首して難思議に帰依したてまつる。梵音雷震のごとく響八種あり。微妙清浄にして甚だ深遠なり。四諦・六度・十二縁、衆生の心業に随順して転じたもう。若し聞くことあるは意開けて、無量生死の衆結断せざることなし。聞くことあるは或は須陀�、斯陀・阿那・阿羅漢、無漏無為の縁覚処、無生無滅の菩薩地を得、或は無量の陀羅尼、無碍の楽説大弁才を得て、甚深微妙の偈を演説し、遊戯して法の清渠に澡浴し、或は躍り飛騰して神足を現じ、水火に出没して身自由なり。如来の法輪相是の如し。清浄無辺にして思議し難し。我等咸く復共に稽首して、法輪転じたもうに時を以てするに帰命したてまつる。稽首して梵音声に帰依したてまつる。稽首して縁・諦・度に帰依したてまつる。世尊往昔の無量劫に、勤苦に衆の徳行を修習して、我人天龍神王の為にし、普く一切の諸の衆生に及ぼしたまえり。能く一切の諸の捨て難き、財宝妻子及び国城を捨てて、法の内外に於て悋む所なく、頭目髄脳悉く人に施せり。諸仏の清浄の禁を奉持して、乃至命を失えども毀傷したまわず。若し人刀杖をもって来って害を加え、悪口罵辱すれども終に瞋りたまわず、劫を歴て身を挫けども惓惰したまわず、昼夜に心を摂めて常に禅にあり、遍く一切の衆の道法を学して、智慧深く衆生の根に入りたまえり。是の故に今自在の力を得て、法に於て自在に法王と為りたまえり。我復咸く共倶に稽首して、能く諸の勤め難きを勤めたまえるに帰依したてまつる。


無量義経説法品第二   〔▽一三頁〕

 爾の時に大荘厳菩薩摩訶薩、八万の菩薩摩訶薩と、是の偈を説いて仏を讃めたてまつることを已って、倶に仏に白して言さく、世尊、我等八万の菩薩の衆、今者如来の法の中に於て、諮問する所あらんと欲す。不審、世尊愍聴を垂れたまいなんや不や。
 仏、大荘厳菩薩及び八万の菩薩に告げたまわく、善哉善哉、善男子、善く是れ時なることを知れり、汝が所問を恣にせよ。如来久しからずして当に般涅槃すべし。涅槃の後も、普く一切をして復余の疑無からしめん。何の所問をか欲する、便ち之を説くべし。
 是に大荘厳菩薩、八万の菩薩と、即ち共に声を同じゅうして仏に白して言さく、世尊、菩薩摩訶薩疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得んと欲せば、応当に何等の法門を修行すべき、何等の法門か能く菩薩摩訶薩をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしむるや。仏、大荘厳菩薩及び八万の菩薩に告げて言わく、善男子、一の法門あり、能く菩薩をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得せしむ。若し菩薩あって是の法門を学せば、則ち能く阿耨多羅三藐三菩提を得ん。世尊、是の法門とは号を何等と字くる、其の義云何、菩薩云何が修行せん。
 仏の言わく、善男子、是の一の法門をば名けて無量義と為す。菩薩、無量義を修学することを得んと欲せば、応当に一切諸法は自ら本・来・今、性相空寂にして無大・無小・無生・無滅・非住・非動・不進・不退、猶お虚空の如く二法あることなしと観察すべし。而るに諸の衆生、虚妄に是は此是は彼、是は得是は失と横計して、不善の念を起し衆の悪業を造って六趣に輪回し、諸の苦毒を受けて、無量億劫自ら出ずること能わず。菩薩摩訶薩、是の如く諦かに観じて、憐愍の心を生じ大慈悲を発して将に救抜せんと欲し、又復深く一切の諸法に入れ。法の相是の如くして是の如き法を生ず。法の相是の如くして是の如き法を住す。法の相是の如くして是の如き法を異す。法の相是の如くして是の如き法を滅す。法の相是の如くして能く悪法を生ず。法の相是の如くして能く善法を生ず。住・異・滅も亦復是の如し。菩薩是の如く四相の始末を観察して悉く遍く知り已って、次に復諦かに一切の諸法は念念に住せず新新に生滅すと観じ、復即時に生・住・異・滅すと観ぜよ。是の如く観じ已って衆生の諸の根性欲に入る。性欲無量なるが故に説法無量なり、説法無量なるが故に義も亦無量なり。無量義とは一法より生ず。其の一法とは即ち無相也。是の如き無相は、相なく、相ならず、相ならずして相なきを名けて実相とす。菩薩摩訶薩、是の如き真実の相に安住し已って、発する所の慈悲、明諦にして虚しからず。衆生の所に於て真に能く苦を抜く。苦既に抜き已って、復為に法を説いて、諸の衆生をして快楽を受けしむ。
 善男子、菩薩若し能く是の如く一切の法門無量義を修せん者、必ず疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得ん。善男子、是の如き甚深無上大乗無量義経は、文理真正に尊にして過上なし。三世の諸仏の共に守護したもう所なり。衆魔群道、得入することあることなく、一切の邪見生死に壊敗せられず。是の故に善男子、菩薩摩訶薩若し疾く無上菩提を成ぜんと欲せば、応当に是の如き甚深無上大乗無量義経を修学すべし。
 爾の時に大荘厳菩薩、復仏に白して言さく、世尊、世尊の説法不可思議なり。衆生の根性亦不可思議なり。法門解脱亦不可思議なり。我等、仏の所説の諸法に於て復疑難なけれども、而も諸の衆生迷惑の心を生ぜんが故に、重ねて世尊に諮いたてまつる。如来の得道より已来四十余年、常に衆生の為に諸法の四相の義・苦の義・空の義・無常・無我・無大・無小・無生・無滅・一相・無相・法性・法相・本来空寂・不来・不去・不出・不没を演説したもう。若し聞くことある者は、或は�}法・頂法・世第一法・須陀�果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・辟支仏道を得、菩提心を発し、第一地・第二地・第三地に登り、第十地に至りき。往日説きたもう所の諸法の義と今説きたもう所と、何等の異ることあれば、而も甚深無上大乗無量義経のみ、菩薩修行せば必ず疾く無上菩提を成ずることを得んと言う、是の事云何。唯願わくば世尊、一切を慈哀して広く衆生の為に而も之を分別し、普く現在及び未来世に法を聞くことあらん者をして、余の疑網無からしめたまえ。
 是に仏、大荘厳菩薩に告げたまわく、善哉善哉、大善男子、能く如来に是の如き甚深無上大乗微妙の義を問えり。当に知るべし汝能く利益する所多く、人天を安楽し苦の衆生を抜く。真の大慈悲なり、信実にして虚しからず。是の因縁を以て、必ず疾く無上菩提を成ずることを得ん。亦一切の今世・来世の諸有の衆生をして、無上菩提を成ずることを得せしめん。
 善男子、我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。
 善男子、法は譬えば水の能く垢穢を洗うに、若しは井、若しは池、若しは江、若しは河、渓・渠・大海、皆悉く能く諸有の垢穢を洗うが如く、其の法水も亦復是の如し、能く衆生の諸の煩悩の垢を洗う。
 善男子、水の性は是れ一なれども江・河・井・池・渓・渠・大海、各各別異なり。其の法性も亦復是の如し、塵労を洗除すること等しくして差別なけれども、三法・四果・二道不一なり。
 善男子、水は倶に洗うと雖も而も井は池に非ず、池は江河に非ず、渓渠は海に非ず。如来世雄の法に於て自在なるが如く、所説の諸法も亦復是の如し、初・中・後の説、皆能く衆生の煩悩を洗除すれども、而も初は中に非ず、而も中は後に非ず。初・中・後の説、文辞一なりと雖も而も義各異なり。
 善男子、我樹王を起って波羅奈・鹿野園の中に詣って、阿若拘隣等の五人の為に四諦の法輪を転ぜし時も、亦諸法は本より来空寂なり。代謝して住せず念念に生滅すと説き、中間此及び処処に於て、諸の比丘竝に衆の菩薩の為に、十二因縁・六波羅蜜を弁演し宣説し、亦諸法は本より来空寂なり、代謝して住せず念念に生滅すと説き、今復此に於て、大乗無量義経を演説するに、亦諸法は本より来空寂なり、代謝して住せず念念に生滅すと説く。善男子、是の故に初説・中説・後説、文辞是れ一なれども而も義別異なり。義異なるが故に衆生の解異なり。解異なるが故に得法・得果・得道亦異なり。
 善男子。初め四諦を説いて声聞を求むる人の為にせしかども、而も八億の諸天来下して法を聴いて菩提心を発し、中ろ処処に於て、甚深の十二因縁を演説して辟支仏を求むる人の為にせしかども、而も無量の衆生菩提心を発し、或は声聞に住しき。次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説せしかども、而も百千の比丘・万億の人天・無量の衆生、須陀�・斯陀含・阿那含・阿羅漢果、辟支仏因縁の法の中に住することを得。善男子、是の義を以ての故に、故に知んぬ説は同じけれども而も義は別異なり。義異なるが故に衆生の解異なり。解異なるが故に得法・得果・得道亦異なり。是の故に善男子、我道を得て初めて起って法を説きしより、今日、大乗無量義経を演説するに至るまで、未だ曾て苦・空・無常・無我・非真・非仮・非大・非小・本来生ぜず今亦滅せず、一相・無相・法相・法性・不来・不去なり、而も諸の衆生四相に遷さるると説かざるにあらず。
 善男子、是の義を以ての故に、一切の諸仏は二言あることなく、能く一音を以て普く衆の声に応じ、能く一身を以て百千万億那由他無量無数恒河沙の身を示し、一一の身の中に又若干百千万億那由他阿僧祇恒河沙種種の類形を示し、一一の形の中に又若干百千万億那由他阿僧祇恒河沙の形を示す。善男子、是れ則ち諸仏の不可思議甚深の境界なり。二乗の知る所に非ず、亦十地の菩薩の及ぶ所に非ず、唯仏と仏とのみ乃し能く究了したまえり。
 善男子、是の故に我説く、微妙甚深無上大乗無量義経は、文理真正なり、尊にして過上なし。三世の諸仏の共に守護したもう所、衆魔外道、得入すること有ることなし。一切の邪見生死に壊敗せられずと。菩薩摩訶薩、若し疾く無上菩提を成ぜんと欲せば、当応に是の如き甚深無上大乗無量義経を修学すべし。
 仏、是れを説きたもうこと已って、是に三千大千世界六種に震動し、自然に空中より種種の天華・天優鉢羅華・鉢曇摩華・拘物頭華・分陀利華を雨らし、又無数種種の天香・天衣・天瓔珞・天無価の宝を雨らして上空の中より旋転して来下し、仏及び諸の菩薩・声聞・大衆に供養す。天厨・天鉢器に天百味食充満盈溢し、天幢・天旛・天軒蓋・天妙楽具処処に安置し、天の妓楽を作して仏を歌歎したてまつる。
 又復六種に東方恒河沙等の諸仏の世界を震動し、亦天華・天香・天衣・天瓔珞・天無価宝・天厨・天鉢器・天百味・天幢・天旛・天軒蓋・天妙楽具を雨らし、天の妓楽を作して彼の仏及び彼の菩薩・声聞・大衆を歌歎したてまつる。南西北方四維上下も亦復是の如し。
 是に衆中の三万二千の菩薩摩訶薩は無量義三昧を得、三万四千の菩薩摩訶薩は無数無量の陀羅尼門を得、能く一切三世の諸仏の不退の法輪を転ず。其の諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・大転輪王・小転輪王・銀輪・鉄輪・諸輪の王・国王・王子・国臣・国民・国士・国女・国大長者及び諸の眷属百千衆倶に、仏如来の是の経を説きたもうを聞きたてまつる時、或は�}法・頂法・世間第一法・須陀�果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・辟支仏果を得、又菩薩の無生法忍を得、又一陀羅尼を得、又二陀羅尼を得、又三陀羅尼を得、又四陀羅尼・五・六・七・八・九・十陀羅尼を得、又百千万億陀羅尼を得、又無量無数恒河沙阿僧祇陀羅尼を得て、皆能く随順して不退転の法輪を転ず。無量の衆生は阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。


無量義経十功徳品第三  〔▽二九頁〕

 爾の時に大荘厳菩薩摩訶薩、復仏に白して言さく、世尊、世尊是の微妙甚深無上大乗無量義経を説きたもう。真実甚深甚深甚深なり。所以は何ん、此の衆の中に於て、諸の菩薩摩訶薩及び諸の四衆・天・龍・鬼神・国王・臣民・諸有の衆生、是の甚深無上大乗無量義経を聞いて、陀羅尼門・三法・四果・菩提の心を獲得せざることなし。当に知るべし、此の法は文理真正なり、尊にして過上なし。三世諸仏の守護したもう所なり。衆魔群道、得入することあることなし。一切の邪見生死に壊敗せられず。所以は何ん、一たび聞けば能く一切の法を持つが故に。
 若し衆生あって是の経を聞くことを得るは、則ち為れ大利なり。所以は何ん、若し能く修行すれば必ず疾く無上菩提を成ずることを得ればなり。
 其れ衆生あって聞くことを得ざる者は、当に知るべし、是等は為れ大利を失えるなり。無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩提の大直道を知らざるが故に、険径を行くに留難多きが故に。
 世尊、是の経典は不可思議なり。唯願わくは世尊、広く大衆の為に慈哀して是の経の甚深不思議の事を敷演したまえ。世尊、是の経典は何れの所よりか来たり、去って何れの所にか至り、住って何れの所にか住する。乃ち是の如き無量の功徳不思議の力あって、衆をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめたもうや。
 爾の時に世尊、大荘厳菩薩摩訶薩に告げて言わく、善哉善哉、善男子、是の如し是の如し、汝が説く所の如し。善男子、我是の経を説くこと甚深甚深真実甚深なり。所以は何ん、衆をして疾く無上菩提を成ぜしむるが故に、一たび聞けば能く一切の法を持つが故に、諸の衆生に於て大に利益するが故に、大直道を行じて留難なきが故に。善男子、汝、是の経は何れの所よりか来り、去って何れの所にか至り、住って何れの所にか住すると問わば、当に善く諦かに聴くべし。善男子、是の経は本諸仏の室宅の中より来り、去って一切衆生の発菩提心に至り、諸の菩薩所行の処に住す。善男子、是の経は是の如く来り是の如く去り是の如く住したまえり。是の故に、此の経は能く是の如き無量の功徳不思議の力あって、衆をして疾く無上菩提を成ぜしむ。
 善男子、汝、寧ろ是の経に復十の不思議の功徳力あるを聞かんと欲するや不や。大荘厳菩薩の言さく、願わくは聞きたてまつらんと欲す。仏の言わく、善男子、第一に、是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして菩提心を発さしめ、慈仁なき者には慈心を起さしめ、殺戮を好む者には大悲の心を起さしめ、嫉妬を生ずる者には随喜の心を起さしめ、愛著ある者には能捨の心を起さしめ、諸の慳貪の者には布施の心を起さしめ、�慢多き者には持戒の心を起さしめ、瞋恚盛んなる者には忍辱の心を起さしめ、懈怠を生ずる者には精進の心を起さしめ、諸の散乱の者には禅定の心を起さしめ、愚痴多き者には智慧の心を起さしめ、未だ彼を度すること能わざる者には彼を度する心を起さしめ、十悪を行ずる者には十善の心を起さしめ、有為を楽う者には無為の心を志さしめ、退心ある者には不退の心を作さしめ、有漏を為す者には無漏の心を起さしめ、煩悩多き者には除滅の心を起さしむ。善男子、是れを是の経の第一の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第二に是の経の不可思議の功徳力とは、若し衆生あって是の経を聞くことを得ん者、若しは一転、若しは一偈乃至一句もせば、則ち能く百千億の義に通達して、無量数劫にも受持する所の法を演説すること能わじ。所以は何ん、其れ是の法は義無量なるを以ての故に。
 善男子、是の経は譬えば一の種子より百千万を生じ、百千万の中より一一に復百千万数を生じ、是の如く展転して乃至無量なるが如く、是の経典も亦復是の如し。一法より百千の義を生じ、百千の義の中より一一に復百千万数を生じ、是の如く展転して乃至無量無辺の義あり。是の故に此の経を無量義と名く。善男子、是れを是の経の第二の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第三に是の経の不可思議の功徳力とは、若し衆生あって是の経を聞くことを得て、若しは一転、若しは一偈乃至一句もせば、百千万億の義に通達し已って、煩悩ありと雖も煩悩なきが如く、生死に出入すれども怖畏の想なけん。諸の衆生に於て憐愍の心を生じ、一切の法に於て勇健の想を得ん。壮んなる力士の諸有の重き者を能く担い能く持つが如く、是の持経の人も亦復是の如し。能く無上菩提の重き宝を荷い、衆生を担負して生死の道を出す。未だ自ら度すること能わざれども、已に能く彼を度せん。猶お船師の身重病に嬰り、四体御まらずして此の岸に安止すれども好き堅牢の舟船常に諸の彼を度する者の具を弁ぜることあるを、給い与えて去らしむるが如く、是の持経者も亦復是の如し。五道諸有の身百八の重病に嬰り、恒常に相纏わされて無明・老・死の此の岸に安止せりと雖も、而も堅牢なる此の大乗経無量義の能く衆生を度することを弁ずることあるを、説の如く行ずる者は、生死を度することを得るなり。善男子、是れを是の経の第三の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第四に是の経の不可思議の功徳力とは、若し衆生あって是の経を聞くことを得て、若しは一転、若しは一偈乃至一句もせば、勇健の想を得て、未だ自ら度せずと雖も而も能く他を度せん。諸の菩薩と以て眷属と為り、諸仏如来、常に是の人に向って而も法を演説したまわん。是の人聞き已って悉く能く受持し、随順して逆らわじ。転た復人の為に宜しきに随って広く説かん。
 善男子、是の人は譬えば国王と夫人と、新たに王子を生ぜん。若しは一日若しは二日若しは七日に至り、若しは一月若しは二月若しは七月に至り、若しは一歳若しは二歳若しは七歳に至り、復国事を領理すること能わずと雖も已に臣民に宗敬せられ、諸の大王の子を以て伴侶とせん、王及び夫人、愛心偏に重くして常に与みし共に語らん。所以は何ん、稚小なるを以ての故にといわんが如く、善男子、是の持経者も亦復是の如し。諸仏の国王と是の経の夫人と和合して、共に是の菩薩の子を生ず。若し菩薩是の経を聞くことを得て、若しは一句、若しは一偈、若しは一転、若しは二転、若しは十、若しは百、若しは千、若しは万、若しは億万・恒河沙無量無数転せば、復真理の極を体ること能わずと雖も、復三千大千の国土を震動し、雷奮梵音をもって大法輪を転ずること能わずと雖も、已に一切の四衆・八部に宗み仰がれ、諸の大菩薩を以て眷属とせん。深く諸仏秘密の法に入って、演説する所違うことなく失なく、常に諸仏に護念し慈愛偏に覆われん、新学なるを以ての故に。善男子、是れを是の経の第四の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第五に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、其れ是の如き甚深無上大乗無量義経を受持し読誦し書写することあらん。是の人復具縛煩悩にして、未だ諸の凡夫の事を遠離すること能わずと雖も、而も能く大菩薩の道を示現し、一日を演べて以て百劫と為し、百劫を亦能く促めて一日と為して、彼の衆生をして歓喜し信伏せしめん。善男子、是の善男子・善女人、譬えば龍子始めて生れて七日に、即ち能く雲を興し亦能く雨を降らすが如し。善男子、是れを是の経の第五の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第六に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、是の経典を受持し読誦せん者は、煩悩を具せりと雖も、而も衆生の為に法を説いて、煩悩生死を遠離し一切の苦を断ずることを得せしめん。衆生聞き已って修行して得法・得果・得道すること、仏如来と等しくして差別なけん。譬えば王子復稚小なりと雖も、若し王の巡遊し及び疾病するに、是の王子に委せて国事を領理せしむ。王子是の時大王の命に依って、法の如く群僚百官を教令し正化を宣流するに、国土の人民各其の要に随って、大王の治するが如く等しくして異ることあることなきが如く、持経の善男子・善女人も亦復是の如し。若しは仏の在世若しは滅度の後、是の善男子未だ初不動地に住することを得ずと雖も、仏の是の如く教法を用説したもうに依って而も之を敷演せんに、衆生聞き已って一心に修行せば、煩悩を断除し、得法・得果・乃至得道せん。善男子、是れを是の経の第六の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第七に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、仏の在世若しは滅度の後に於て、是の経を聞くことを得て、歓喜し信楽し希有の心を生じ、受持し読誦し書写し解説し説の如く修行し、菩提心を発し、諸の善根を起し、大悲の意を興して、一切の苦悩の衆生を度せんと欲せば、未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前し、即ち是の身に於て無生法忍を得、生死・煩悩一時に断壊して菩薩の第七の地に昇らん。
 譬えば健やかなる人の王の為に怨を除くに、怨既に滅し已りなば王大に歓喜して、賞賜するに半国の封悉く以て之を与えんが如く、持経の善男子・善女人も亦復是の如し。諸の行人に於て最も為れ勇健なり。六度の法宝求めざるに自ら至ることを得たり。生死の怨敵自然に散壊し、無生忍の半仏国の宝を証し、封の賞あって安楽ならん。善男子、是れを是の経の第七の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第八に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、人あって能く是の経典を得たらん者は、敬信すること仏身を視たてまつるが如く等しくして異ることなからしめ、是の経を愛楽し、受持し読誦し書写し頂戴し、法の如く奉行し、戒・忍を堅固にし、兼ねて檀度を行じ、深く慈悲を発して、此の無上大乗無量義経を以て、広く人の為に説かん。若し人先より来、都べて罪福あることを信ぜざる者には、是の経を以て之を示して、種種の方便を設け強て化して信ぜしめん。経の威力を以ての故に、其の人の信心を発し炊然として回することを得ん。信心既に発して勇猛精進するが故に、能く是の経の威徳勢力を得て、得道・得果せん。是の故に善男子・善女人、化を蒙る功徳を以ての故に、男子・女人即ち是の身に於て無生法忍を得、上地に至ることを得て、諸の菩薩と以て眷属と為りて、速かに能く衆生を成就し、仏国土を浄め、久しからずして無上菩提を成ずることを得ん。善男子、是れを是の経の第八の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第九に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、是の経を得ることあって歓喜踊躍し、未曾有なることを得て、受持し読誦し書写し供養し、広く衆人の為に是の経の義を分別し解説せん者は、即ち宿業の余罪重障一時に滅尽することを得、便ち清浄なることを得て、大弁を逮得し、次第に諸の波羅蜜を荘厳し、諸の三昧・首楞厳三昧を獲、大総持門に入り、勤精進力を得て速かに上地に越ゆることを得、善く分身散体して十方の国土に遍じ、一切二十五有の極苦の衆生を抜済して悉く解脱せしめん。是の故に是の経に此の如きの力います。善男子、是れを是の経の第九の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第十に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、若し是の経を得て大歓喜を発し、希有の心を生じ、既に自ら受持し読誦し書写し供養し説の如く修行し、復能く広く在家出家の人を勧めて、受持し読誦し書写し供養し解説し、法の如く修行せしめん。既に余人をして是の経を修行せしむる力の故に、得道・得果せんこと、皆是の善男子・善女人の慈心をもって勤ろに化する力に由るが故に、是の善男子・善女人は即ち是の身に於て便ち無量の諸の陀羅尼門を逮得せん。凡夫地に於て、自然に初めの時に能く無数阿僧祇の弘誓大願を発し、深く能く一切衆生を救わんことを発し、大悲を成就し、広く能く衆の苦を抜き、厚く善根を集めて一切を饒益せん。而して法の沢を演べて洪に枯涸に潤おし、能く法の薬を以て諸の衆生に施し、一切を安楽し、漸見超登して法雲地に住せん。恩沢普く潤し慈被すること外なく、苦の衆生を摂して道跡に入らしめん。是の故に此の人は、久しからずして阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得ん。善男子、是れを是の経の第十の功徳不思議の力と名く。
 善男子、是の如き無上大乗無量義経は、極めて大威神の力ましまして、尊にして過上なし。能く諸の凡夫をして皆聖果を成じ、永く生死を離れて皆自在なることを得せしめたもう。是の故に是の経を無量義と名く。能く一切衆生をして、凡夫地に於て、諸の菩薩の無量の道牙を生起せしめ、功徳の樹をして欝茂扶蔬増長せしめたもう。是の故に此の経を不可思議の功徳力と号く。
 時に大荘厳菩薩摩訶薩及び八万の菩薩摩訶薩、声を同じゅうして仏に白して言さく、世尊、仏の所説の如き甚深微妙無上大乗無量義経は、文理真正に、尊にして過上なし。三世の諸仏の共に守護したもう所、衆魔群道、得入することあることなく、一切の邪見生死に壊敗せられず。是の故に此の経は乃ち是の如き十の功徳不思議の力います。大に無量の一切衆生を饒益し、一切の諸の菩薩摩訶薩をして各無量義三昧を得、或は百千陀羅尼門を得せしめ、或は菩薩の諸地・諸忍を得、或は縁覚・羅漢の四道果の証を得せしめたもう。世尊慈愍して快く我等が為に是の如き法を説いて、我をして大に法利を獲せしめたもう。甚だ為れ奇特に未曾有也。世尊の慈恩実に報ずべきこと難し。
 是の語を作し已りし、爾の時に三千大千世界六種に震動し、上空の中より復種種の天華・天優鉢羅華・鉢曇摩華・拘物頭華・分陀利華を雨らし、又無数種種の天香・天衣・天瓔珞・天無価の宝を雨らして、上空の中より旋転して来下し、仏及び諸の菩薩・声聞・大衆に供養す。天厨・天鉢器に天百味充満盈溢せる、色を見香を聞くに自然に飽足す。天幢・天幡・天軒蓋・天妙楽具処処に安置し、天の妓楽を作して仏を歌歎す。
 又復六種に東方恒河沙等の諸仏の世界を震動す。亦天華・天香・天衣・天瓔珞・天無価の宝を雨らし、天厨・天鉢器・天百味、色を見香を聞くに自然に飽足す。天幢・天幡・天軒蓋・天妙楽具処処に安置し、天の妓楽を作して彼の仏及び諸の菩薩・声聞・大衆を歌歎す。南西北方四維上下も亦復是の如し。
 爾の時に仏、大荘厳菩薩摩訶薩及び八万の菩薩摩訶薩に告げて言わく、汝等当に此の経に於て深く敬心を起し法の如く修行し、広く一切を化して勤心に流布すべし。常に当に慇懃に昼夜守護して、諸の衆生をして各法利を獲せしむべし。汝等真に是れ大慈大悲なり。以て神通の願力を立てて、是の経を守護して疑滞せしむることなかれ。汝、当時に於て必ず広く閻浮提に行ぜしめ、一切衆生をして見聞し読誦し書写し供養することを得せしめよ。是れを以ての故に、亦疾く汝等をして速かに阿耨多羅三藐三菩提を得せしめん。
 是の時に大荘厳菩薩摩訶薩、八万の菩薩摩訶薩と即ち座より起って仏所に来詣して、頭面に足を礼し遶ること百千�して、即ち前んで胡跪し倶共に声を同じゅうして仏に白して言さく、世尊、我等快く世尊の慈愍を蒙りぬ。我等が為に是の甚深微妙無上大乗無量義経を説きたもう。敬んで仏勅を受けて、如来の滅後に於て当に広く是の経典を流布せしめ、普く一切をして受持し読誦し書写し供養せしむべし、唯願わくは憂慮を垂れたもうことなかれ。我等当に願力を以て、普く一切衆生をして此の経を見聞し読誦し書写し供養することを得、是の経の威神の福を得せしむべし。
 爾の時に仏讃めて言わく、善哉善哉諸の善男子、汝等今者真に是れ仏子なり。弘き大慈大悲をもって深く能く苦を抜き厄を救う者なり。一切衆生の良福田なり。広く一切の為に大良導師と作れり。一切衆生の大依止処なり。一切衆生の大施主なり。常に法利を以て広く一切に施せと。爾の時に大会皆大に歓喜して、仏の為に礼を作し、受持して去りにき。

無量義経〔 ▽五四頁〕

#妙法蓮華経

姚秦の三蔵法師鳩摩羅什詔を奉して訳す

妙法蓮華経序品第一         〔▽ 五五頁〕

 是の如きを我聞きき。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい、
 大比丘衆万二千人と倶なりき。皆是れ阿羅漢なり。諸漏已に尽くして復煩悩なく、己利を逮得し諸の有結を尽くして、心自在を得たり。其の名を阿若�陳如・摩訶迦葉・優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・舎利弗・大目�連・摩訶迦旃延・阿�楼駄・劫賓那・�梵波提・離婆多・畢陵伽婆蹉・薄拘羅・摩訶拘�@羅・難陀・孫陀羅難陀・富楼那弥多羅尼子・須菩提・阿難・羅�羅という。是の如き衆に知識せられたる大阿羅漢等なり。
 復学無学の二千人あり。摩訶波闍波提比丘尼、眷属六千人と倶なり。羅�羅の母耶輸陀羅比丘尼、亦眷属と倶なり。
 菩薩摩訶薩八万人あり。皆阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せず。皆陀羅尼を得、楽説弁才あって、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於て衆の徳本を植え、常に諸仏に称歎せらるることを為、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り名称普く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す。其の名を文殊師利菩薩・観世音菩薩・得大勢菩薩・常精進菩薩・不休息菩薩・宝掌菩薩・薬王菩薩・勇施菩薩・宝月菩薩・月光菩薩・満月菩薩・大力菩薩・無量力菩薩・越三界菩薩・�陀婆羅菩薩・弥勒菩薩・宝積菩薩・導師菩薩という。是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。
 爾の時に釈提桓因、其の眷属二万の天子と倶なり。復名月天子・普香天子・宝光天子・四大天王あり。其の眷属万の天子と倶なり。
 自在天子・大自在天子、其の眷属三万の天子と倶なり。娑婆世界の主梵天王・尸棄大梵・光明大梵等、其の眷属万二千の天子と倶なり。
 八龍王あり、難陀龍王・跋難陀龍王・娑伽羅龍王・和修吉龍王・徳叉迦龍王・阿那婆達多龍王・摩那斯龍王・優鉢羅龍王等なり。各若干百千の眷属と倶なり。
 四緊那羅王あり、法緊那羅王・妙法緊那羅王・大法緊那羅王・持法緊那羅王なり。各若干百千の眷属と倶なり。
 四乾闥婆王あり、楽乾闥婆王・楽音乾闥婆王・美乾闥婆王・美音乾闥婆王なり。各若干百千の眷属と倶なり。
 四阿修羅王あり、婆稚阿修羅王・�羅騫陀阿修羅王・毘摩質多羅阿修羅王・羅�阿修羅王なり。各若干百千の眷属と倶なり。
 四迦楼羅王あり。大威徳迦楼羅王・大身迦楼羅王・大満迦楼羅王・如意迦楼羅王なり。各若干百千の眷属と倶なり。
 韋提希の子阿闍世王、若干百千の眷属と倶なりき。各仏足を礼し退いて一面に坐しぬ。
 爾の時に世尊、四衆に圍繞せられ、供養・恭敬・尊重・讃歎せられて、
 諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。仏此の経を説き已って、結跏趺坐し無量義処三昧に入って身心動したまわず。是の時に天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華を雨らして、仏の上及び諸の大衆に散じ、普仏世界六種に震動す。爾の時に会中の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人及び諸の小王・転輪聖王、是の諸の大衆未曾有なることを得て、歓喜し合掌して一心に仏を観たてまつる。爾の時に仏眉間白毫相の光を放って、東方万八千の世界を照したもうに周遍せざることなし。下阿鼻地獄に至り、上阿迦尼�天に至る。
 此の世界に於て尽く彼の土の六趣の衆生を見、又彼の土の現在の諸仏を見、及び諸仏の所説の経法を聞き、竝に彼の諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の諸の修行し得道する者を見、復諸の菩薩摩訶薩の種々の因縁・種々の信解・種々の相貎あって菩薩の道を行ずるを見、復諸仏の般涅槃したもう者を見、復諸仏般涅槃の後、仏舎利を以て七宝塔を起つるを見る。
 爾の時に弥勒菩薩是の念を作さく、今者世尊、神変の相を現じたもう。何の因縁を以て此の瑞ある。今仏世尊は三昧に入りたまえり。是の不可思議に希有の事を現ぜるを、当に以て誰にか問うべき、誰か能く答えん者なる。復此の念を作さく、是の文殊師利法王の子は、已に曾て過去無量の諸仏に親近し供養せり。必ず此の希有の相を見るべし。我今当に問うべし。
 爾の時に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷及び諸の天・龍・鬼神等、咸く此の念を作さく、
 是の仏の光明神通の相を今当に誰にか問うべき。
 爾の時に弥勒菩薩自ら疑を決せんと欲し、又四衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷及び諸の天・龍・鬼神等の衆会の心を観じて、文殊師利に問うて言わく、
 何の因縁を以て此の瑞神通の相あり、大光明を放ち東方万八千の土を照したもうに、悉く彼の仏の国界の荘厳を見る。
 是に弥勒菩薩重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を以て問うて曰く、
  文殊師利 導師何が故ぞ
  眉間白毫の 大光普く照したもう
  曼陀羅 曼殊沙華を雨らして
  栴檀の香風 衆の心を悦可す
  是の因縁を以て 地皆厳浄なり
  而も此の 世界六種に震動す
  時に四部の衆 咸く皆歓喜し
  身意快然として 未曾有なることを得
  眉間の光明 東方
  万八千の土を照したもうに 皆金色の如し
  阿鼻獄より 上有頂に至るまで
  諸の世界の中の 六道の衆生
  生死の所趣 善悪の業縁
  受報の好醜 此に於て悉く見る
  又諸仏 聖主師子
  経典の 微妙第一なるを演説したもう
  其の声清浄に 柔軟の音を出して
  諸の菩薩を教えたもうこと 無数億万に
  梵音深妙にして 人をして聞かんと楽わしめ
  各世界に於て 正法を講説するに
  種々の因縁をもってし 無量の喩を以て
  仏法を照明し 衆生を開悟せしめたもうを覩る
  若し人苦に遭うて 老病死を厭うには
  為に涅槃を説いて 諸苦の際を尽くさしめ
  若し人福あって 曾て仏を供養し
  勝法を志求するには 為に縁覚を説き
  若し仏子有って 種々の行を修し
  無上慧を求むるには 為に浄道を説きたもう
  文殊師利 我此に住して
  見聞すること斯の若く 千億の事に及べり
  是の如く衆多なる 今当に略して説くべし
  我彼の土の 恒沙の菩薩
  種々の因縁をもって 仏道を求むるを見る
  或は施を行ずるに 金銀珊瑚
  真珠摩尼 ��碼碯
  金剛諸珍 奴婢車乗
  宝飾の輦輿を 歓喜して布施し
  仏道に回向して 是の乗の
  三界第一にして 諸仏の歎めたもう所なるを得んと願うあり
  或は菩薩の 駟馬の宝車
  欄楯華蓋 軒飾を布施するあり
  復菩薩の 身肉手足
  及び妻子を施して 無上道を求むるを見る
  又菩薩の 頭目身体を
  欣楽施与して 仏の智慧を求むるを見る
  文殊師利 我諸王の
  仏所に往詣して 無上道を問いたてまつり
  便ち楽土 宮殿臣妾を捨てて
  鬚髪を剃除して 法服を被るを見る
  或は菩薩の 而も比丘と作って
  独閑静に処し 楽って経典を誦するを見る
  又菩薩の 勇猛精進し
  深山に入って 仏道を思惟するを見る
  又欲を離れ 常に空閑に処し
  深く禅定を修して 五神通を得るを見る
  又菩薩の 禅に安じて合掌し
  千万の偈を以て 諸法の王を讃めたてまつるを見る
  復菩薩の 智深く志固くして
  能く諸仏に問いたてまつり 聞いて悉く受持するを見る
  又仏子の 定慧具足して
  無量の喩を以て 衆の為に法を講じ
  欣楽説法して 諸の菩薩を化し
  魔の兵衆を破して 法鼓を撃つを見る
  又菩薩の 寂然宴黙にして
  天龍恭敬すれども 以て喜とせざるを見る
  又菩薩の 林に処して光を放ち
  地獄の苦を済い 仏道に入らしむるを見る
  又仏子の 未だ曾て睡眠せず
  林中に経行し 仏道を勤求するを見る
  又戒を具して 威儀欠くることなく
  浄きこと宝珠の如くにして 以て仏道を求むるを見る
  又仏子の 忍辱の力に住して
  増上慢の人の 悪罵捶打するを
  皆悉く能く忍んで 以て仏道を求むるを見る
  又菩薩の 諸の戯笑
  及び痴なる眷属を離れ 智者に親近し
  一心に乱を除き 念を山林に摂め
  億千万歳 以て仏道を求むるを見る
  或は菩薩の 肴膳飲食
  百種の湯薬を 仏及び僧に施し
  名衣上服の 価直千万なる
  或は無価の衣を 仏及び僧に施し
  千万億種の 栴檀の宝舎
  衆の妙なる臥具を 仏及び僧に施し
  清浄の園林 華果茂く盛んなると
  流泉浴池とを 仏及び僧に施し
  是の如き等の施の 種々微妙なるを
  歓喜し厭くことなくして 無上道を求むるを見る
  或は菩薩の 寂滅の法を説いて
  種々に 無数の衆生を教詔する有り
  或は菩薩の 諸法の性は
  二相有ること無し 猶お虚空の如しと観ずるを見る
  又仏子の 心に所著なくして
  此の妙慧を以て 無上道を求むるを見る
  文殊師利 又菩薩の
  仏の滅度の後 舎利を供養するあり
  又仏子の 諸の塔廟を造ること
  無数恒沙にして 国界を厳飾し
  宝塔高妙にして 五千由旬
  縦広正等にして 二千由旬
  一一の塔廟に 各千の幢幡あり
  珠をもって交露せる幔あって 宝鈴和鳴せり
  諸の天龍神 人及び非人
  香華妓楽を 常に以て供養するを見る
  文殊師利 諸の仏子等
  舎利を供せんが為に 塔廟を厳飾して
  国界自然に 殊特妙好なること
  天の樹王の 其の華開敷せるが如し
  仏一の光を放ちたもうに 我及び衆会
  此の国界の 種々に殊妙なるを見る
  諸仏は神力 智慧希有なり
  一の浄光を放って 無量の国を照したもう
  我等此れを見て 未曾有なることを得
  仏子文殊 願わくは衆の疑を決したまえ
  四衆欣仰して 仁及び我を瞻る
  世尊何が故ぞ 斯の光明を放ちたもう
  仏子時に答えて 疑を決して喜ばしめたまえ
  何の饒益する所あってか 斯の光明を演べたもう
  仏道場に坐して 得たまえる所の妙法
  為めてこれを説かんとや欲す 為めて当に授記したもうべしや
  諸の仏土の 衆宝厳浄なるを示し
  及び諸仏を見たてまつること 此れ小縁に非じ
  文殊当に知るべし 四衆龍神
  仁者を瞻察す 為めて何等をか説きたまわん
 爾の時に文殊師利、弥勒菩薩摩訶薩及び諸の大士に語らく、善男子等、我が惟忖するが如き、今仏世尊、大法を説き、大法の雨を雨らし、大法の螺を吹き、大法の鼓を撃ち、大法の義を演べんと欲するならん。
 諸の善男子、我過去の諸仏に於て曾て此の瑞を見たてまつりしに、斯の光を放ち已って、即ち大法を説きたまいき。是の故に当に知るべし、今仏の光を現じたもうも亦復是の如く、衆生をして咸く一切世間の難信の法を聞知することを得せしめんと欲するが故に、斯の瑞を現じたもうならん、
 諸の善男子、過去無量無辺不可思議阿僧祇劫の如き、爾の時に仏います、日月燈明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号く。正法を演説したもう、初善・中善・後善なり。其の義深遠に、其の語巧妙に、純一無雑にして、具足清白梵行の相なり。声聞を求むる者の為には応ぜる四諦の法を説いて、生老病死を度し涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には応ぜる六波羅蜜を説いて、阿耨多羅三藐三菩提を得一切種智を成ぜしめたもう。
 次に復仏います、亦日月燈明と名く。次に復仏います、亦日月燈明と名く。是の如く二万仏、皆同じく一字にして日月燈明と号く。又同じく一姓にして頗羅堕を姓とせり。弥勒当に知るべし、初仏後仏、皆同じく一字にして日月燈明と名け、十号具足したまえり。説きたもう所の法、初中後善なり。
 其の最後の仏未だ出家したまわざりし時八王子あり。一を有意と名け、二を善意と名け、三を無量意と名け、四を宝意と名け、五を増意と名け、六を除疑意と名け、七を響意と名け、八を法意と名く。是の八王子、威徳自在にして各四天下を領す。是の諸の王子、父出家して阿耨多羅三藐三菩提を得たもうと聞いて、悉く王位を捨て、亦随い出家して、大乗の意を発し、常に梵行を修して皆法師と為れり。已に千万の仏に所に於て諸の善本を植えたり。
 是の時に日月燈明仏、大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。是の経を説き已って、即ち大衆の中に於て結跏趺坐し、無量義処三昧に入って身心動じたまわず。是の時に天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華を雨らして、仏の上及び諸の大衆に散じ、普仏世界六種に震動す。爾の時に会中の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人及び諸の小王・転輪聖王等、是の諸の大衆未曾有なることを得て、歓喜し合掌して一心に仏を観たてまつる。爾の時に如来、眉間白毫相の光を放って、東方万八千の仏土を照したもうに、周遍せざることなし。今見る所の是の諸の仏土の如し。弥勒当に知るべし。
 爾の時に会中に二十億の菩薩あって、法を聴かんと楽欲す。是の諸の菩薩、此の光明普く仏土を照すを見て、未曾有なることを得て、此の光の所為因縁を知らんと欲す。
 時に菩薩あり、名を妙光という。八百の弟子あり。
 是の時に日月燈明仏、三昧より起って、妙光菩薩に因せて大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。
 六十小劫座を起ちたまわず。時の会の聴者も亦一処に坐して、六十小劫身心動せず。仏の所説を聴くこと食頃の如しと謂えり。是の時に衆中に、一人の若しは身若しは心に懈倦を生ずるあることなかりき。
 日月燈明仏、六十小劫に於て是の経を説き已って、即ち梵・魔・沙門・婆羅門及び・天・人・阿修羅衆の中に於て、此の言を宣べたまわく、
 如来今日の中夜に於て、当に無余涅槃に入るべし。
 時に菩薩あり、名を徳蔵という。日月燈明仏即ち其れに記を授け、諸の比丘に告げたまわく、
 是の徳蔵菩薩次に当に作仏すべし。号を浄身多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀といわん。
 仏、授記し已って、便ち中夜に於て無余涅槃に入りたもう。仏の滅度の後、妙光菩薩、妙法蓮華経を持ち八十小劫を満てて人の為に演説す。日月燈明仏の八子、皆妙光を師とす。妙光教化して、其れをして阿耨多羅三藐三菩提に堅固ならしむ。是の諸の王子、無量百千万億の仏を供養し已って、皆仏道を成ず。其の最後に成仏したもう者、名を然燈という。八百の弟子の中に一人あり、号を求名という。利養に貪著せり。復衆経を読誦すと雖も而も通利せず、忘失する所多し、故に求名と号く。是の人亦諸の善根を種えたる因縁を以ての故に、無量百千万億の諸仏に値いたてまつることを得て、供養・恭敬・尊重・讃歎せり。弥勒、当に知るべし、爾の時の妙光菩薩は豈に異人ならん乎、我が身是れ也。求名菩薩は汝が身是れなり。今此の瑞を見るに本と異ることなし。是の故に惟忖するに、今日の如来も当に大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもうべし。
 爾の時に文殊師利、大衆の中に於て重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく。
  我過去世の 無量無数劫を念うに
  仏人中尊有しき 日月燈明と号く
  世尊法を演説し 無量の衆生
  無数億の菩薩を度して 仏の智慧に入らしめたもう
  仏未だ出家したまわざりし時の 所生の八王子
  大聖の出家を見て 亦随って梵行を修す
  時に仏大乗 経の無量義と名くるを説いて
  諸の大衆の中に於て 為に広く分別したもう
  仏此の経を説き已り 即ち法座の上に於て
  跏趺して三昧に坐したもう 無量義処と名く
  天より曼陀華を雨らし 天鼓自然に鳴り
  諸の天龍鬼神 人中尊を供養す
  一切の諸の仏土 即時に大に震動し
  仏眉間の光を放ち 諸の希有の事を現じたもう
  此の光東方 万八千の仏土を照して
  一切衆生の 生死の業報処を示したもう
  諸の仏土の 衆宝を以て荘厳し
  瑠璃頗黎の色なるを見ることあり 斯れ仏の光の照したもうに由る
  及び諸の天人 龍神夜叉衆
  乾闥緊那羅 各其の仏を供養するを見る
  又諸の如来の 自然に仏道を成じて
  身の色金山の如く 端厳にして甚だ微妙なること
  浄瑠璃の中 内に真金の像を現ずるが如くなるを見る
  世尊大衆に在して 深法の義を敷演したもう
  一一の諸の仏土 声聞衆無数なり
  仏の光の所照に因って 悉く彼の大衆を見る
  或は諸の比丘の 山林の中に在って
  精進し浄戒を持つこと 猶お明珠を護るが如くなるあり
  又諸の菩薩の 施忍辱等を行ずること
  其の数恒沙の如くなるを見る 斯れ仏の光の照したもうに由る
  又諸の菩薩の 深く諸の禅定に入って
  身心寂かに動せずして 以て無上道を求むを見る
  又諸の菩薩の 法の寂滅の相を知って
  各其の国土に於て 法を説いて仏道を求むるを見る
  爾の時に四部の衆 日月燈仏の
  大神通力を現じたもうを見て 其の心皆歓喜して
  各各に自ら相問わく 是の事何の因縁ぞ
  天人所奉の尊 適めて三昧より起ち
  妙光菩薩を讃めたまわく 汝は為れ世間の眼
  一切に帰信せられて 能く法蔵を奉持す
  我が所説の法の如き 唯汝のみ能く証知せり
  世尊既に讃歎し 妙光をして歓喜せしめて
  是の法華経を説きたもう 六十小劫を満てて
  此の座を起ちたまわず 説きたもう所の上妙の法
  是の妙光法師 悉く皆能く受持す
  仏是の法華を説き 衆をして歓喜せしめ已って
  尋いで即ち是の日に於て 天人衆に告げたまわく
  諸法実相の義 已に汝等が為に説きつ
  我今中夜に於て 当に涅槃に入るべし
  汝一心に精進し 当に放逸を離るべし
  諸仏には甚だ値いたてまつり難し 億劫に時に一たび遇いたてまつる
  世尊の諸子等 仏涅槃に入りたまわんと聞いて
  各各に悲悩を懐く 仏滅したもうこと一と何ぞ速かなる
  聖主法の王 無量の衆を安慰したまわく
  我若し滅度しなん時 汝等憂怖すること勿れ
  是の徳蔵菩薩 無漏実相に於て
  心已に通達することを得たり 其れ次に当に作仏すべし
  号を曰って浄身と為けん 亦無量の衆を度せん
  仏此の夜滅度したもうこと 薪尽きて火の滅ゆるが如し
  諸の舎利を分布して 無量の塔を起つ
  比丘比丘尼 其の数恒沙の如し
  倍復精進を加えて 以て無上道を求む
  是の妙光法師 仏の法蔵を奉持して
  八十小劫に中に 広く法華経を宣ぶ
  是の諸の八王子 妙光に開化せられて
  無上道に堅固にして 当に無数の仏を見たてまつるべし
  諸仏を供養し已って 随順して大道を行じ
  相継いで成仏することを得 転次して授記す
  最後の天中天をば 号を燃燈仏という
  諸仙の導師として 無量の衆を度脱したもう
  是の妙光法師 時に一りの弟子あり
  心常に懈怠を懐いて 名利に貪著せり
  名利を求むるに厭くこと無くして 多く族姓の家に遊び
  習誦する所を棄捨し 廃忘して通利せず
  是の因縁を以ての故に 之を号けて求名と為す
  亦衆の善業を行じ 無数の仏を見たてまつることを得
  諸仏を供養し 随順して大道を行じ
  六波羅蜜を具して 今釈師子を見たてまつる
  其れ後に当に作仏すべし 号を名けて弥勒といわん
  広く諸の衆生を度すること 其の数量有ることなけん
  彼の仏の滅度の後 懈怠なりし者は汝是れなり
  妙光法師は 今則ち我が身是れなり
  我燈明仏を見たてまつりしに 本の光瑞此の如し
  是れを以て知んぬ今の仏も 法華経を説かんと欲するならん
  今の相本の瑞の如し 是れ諸仏の方便なり
  今の仏の光明を放ちたもうも 実相の義を助発せんとなり
  諸人今当に知るべし 合掌して一心に待ちたてまつれ
  仏当に法雨を雨らして 道を求むる者に充足したもうべし
  諸の三乗を求むる人 若し疑悔有らば
  仏当に為に除断して 尽くして余りあることなからしめたもうべし

妙法蓮華経方便品第二        〔▽ 八六頁〕

 爾の時に世尊、三昧より安詳として起って、舎利弗に告げたまわく、
 諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。所以は何ん、仏曾て百千万億無数の諸仏に親近し、尽くして諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞えたまえり。甚深未曾有の法を成就して、宜しきに随って説きたもう所意趣解り難し。
 舎利弗、吾成仏してより已来、種々の因縁・種々の譬喩をもって、広く言教を演べ、無数の方便をもって、衆生を引導して諸の著を離れしむ。所以は何ん、如来は方便・知見波羅蜜皆已に具足せり。
 舎利弗、如来の知見は広大深遠なり。無量・無碍・力・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり。
 舎利弗、如来は能く種々に分別し巧に諸法を説き言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまえり。止みなん、舎利弗、復説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  世雄は量るべからず 諸天及び世人
  一切衆生の類 能く仏を知る者なし
  仏の力無所畏 解脱諸の三昧
  及び仏の諸余の法は 能く測量する者なし
  本無数の仏に従って 具足して諸道を行じたまえり
  甚深微妙の法は 見難く了すべきこと難し
  無量億劫に於て 此の諸道を行じ已って
  道場にして果を成ずることを得て 我已に悉く知見す
  是の如き大果報 種々の性相の義
  我及び十方の仏 乃し能く是の事を知しめせり
  是の法は示すべからず 言辞の相寂滅せり
  諸余の衆生類は 能く得解することあることなし
  諸の菩薩衆の 信力堅固なる者をば除く
  諸仏の弟子衆の 曾て諸仏を供養し
  一切の漏已に尽くして 是の最後身に住せる
  是の如き諸人等 其の力堪えざる所なり
  仮使世間に満てらん 皆舎利弗の如くにして
  思を尽くして共に度量すとも 仏智測ること能わじ
  正使十方に満てらん 皆舎利弗の如く
  及び余の諸の弟子 亦十方の刹に満てらん
  思を尽くして共に度量すとも 亦復知ること能わじ
  辟支仏の利智にして 無漏の最後身なる
  亦十方界に満ちて 其の数竹林の如くならん
  斯れ等共に一心に 億無量劫に於て
  仏の実智を思わんと欲すとも 能く少分をも知ることなけん
  新発意の菩薩の 無数の仏を供養し
  諸の義趣を了達し 又能く法を説かんもの
  稲麻竹葦の如くにして 十方の刹に充満せん
  一心に妙智を以て 恒河沙劫に於て
  咸く皆共に思量すとも 仏智を知ること能わじ
  不退の諸の菩薩 其の数恒沙の如くにして
  一心に共に思求すとも 亦復知ること能わじ
  又舎利弗に告ぐ 無漏不思議の
  甚深微妙の法を 我今已に具え得たり
  唯我是の相を知れり 十方の仏も亦然なり
  舎利弗当に知るべし 諸仏は語異ることなし
  仏の所説の法に於て 当に大信力を生ずべし
  世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし
  諸の声聞衆 及び縁覚乗を求むる者に告ぐ
  我苦縛を脱し 涅槃を逮得せしめたることは
  仏方便力を以て 示すに三乗の教を以てす
  衆生処処の著 之を引いて出ずることを得せしめんとなり
 爾の時に大衆の中に、諸の声聞・漏尽の阿羅漢・阿若�陳如等の千二百人、及び声聞・辟支仏の心を発せる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷あり。各是の念を作さく、
 今者世尊何が故ぞ慇懃に方便を称歎して、是の言を作したもう。仏の得たまえる所の法は甚深にして解り難く、言説したもう所あるは意趣知り難し。一切の声聞・辟支仏の及ぶこと能わざる所なり。
 仏一解脱の義を説きたまいしかば、我等も亦此の法を得て涅槃に到れり。而るに今是の義の所趣を知らず。
 爾の時に舎利弗、四衆の心の疑を知り、自らも亦未だ了らずして、仏に白して言さく、
 世尊何の因・何の縁あってか、慇懃に諸仏第一の方便甚深微妙難解の法を称歎したもう。我昔より来、未だ曾て仏に従って是の如き説を聞きたてまつらず。今者四衆咸く皆疑あり。唯願わくは世尊斯の事を敷演したまえ。世尊、何が故ぞ慇懃に甚深微妙難解の法を称歎したもう。
 爾の時に舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
  慧日大聖尊 久しくあって乃し是の法を説きたもう
  自ら是の如き 力無畏三昧
  禅定解脱等の 不可思議の法を得たりと説きたもう
  道場所得の法は 能く問を発す者なし
  我が意測るべきこと難し 亦能く問う者なし
  問うことなけれども而も自ら説いて 所行の道を称歎したもう
  智慧甚だ微妙にして 諸仏の得たまえる所なり
  無漏の諸の羅漢 及び涅槃を求むる者
  今皆疑網に堕しぬ 仏何が故ぞ是れを説きたもう
  其の縁覚を求むる者 比丘比丘尼
  諸の天龍鬼神 及び乾闥婆等
  相視て猶豫を懐き 両足尊を瞻仰す
  是の事云何なるべき 願わくは仏為に解説したまえ
  諸の声聞衆に於て 仏我を第一なりと説きたもう
  我今自ら智に於て 疑惑して了ること能わず
  是れ究竟の法とや為ん 是れ所行の道とや為ん
  仏口所生の子 合掌瞻仰して待ちたてまつる
  願わくは微妙の音を出して 時に為に実の如く説きたまえ
  諸の天龍神等 其の数恒沙の如し
  仏を求むる諸の菩薩 大数八万あり
  又諸の万億国の 転輪聖王の至れる
  合掌し敬心を以て 具足の道を聞きたてまつらんと欲す
 爾の時に仏、舎利弗にて告げたまわく、止みなん止みなん復説くべからず。若し是の事を説かば、一切世間の諸天及び人、皆当に驚疑すべし。
 舎利弗、重ねて仏に白して言さく、世尊、唯願わくは之を説きたまえ、唯願わくは之を説きたまえ。所以は何ん、是の会の無数百千万億阿僧祇の衆生は、曾て諸仏を見たてまつり、諸根猛利にして、智慧明了なり。仏の所説を聞きたてまつらば則ち能く敬信せん。
 爾の時に舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
  法王無上尊 唯説きたまえ願わくは慮したもうことなかれ
  是の会の無量の衆は 能く敬信すべき者あり
 仏復、
  止みなん舎利弗、若し是の事を説かば、一切世間の天・人・阿修羅、皆当に驚疑すべし。増上慢の比丘は将に大坑に墜つべし。
 爾の時に世尊、重ねて偈を説いて言わく、
  止みなん止みなん説くべからず 我が法は妙にして思い難し
  諸の増上慢の者は 聞いて必ず敬信せじ
 爾の時に舎利弗、重ねて仏に白して言さく、
 世尊、唯願わくは之を説きたまえ、唯願わくは之を説きたまえ。今此の会中の我が如き等比百千万億なるは、世世に已に曾て仏に従いたてまつりて化を受けたり。此の如き人等必ず能く敬信し、長夜安穏にして饒益する所多からん。
 爾の時に舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
  無上両足尊 願わくは第一の法を説きたまえ
  我は為れ仏の長子なり 唯分別し説くことを垂れたまえ
  是の会の無量の衆は 能く此の法を敬信せん
  仏已に曾て世世に 是の如き等を教化したまえり
  皆一心に合掌して 仏語を聴受せんと欲す
  我等千二百 及び余の仏を求むる者あり
  願わくは此の衆の為の故に 唯分別し説くことを垂れたまえ
  是れ等此の法を聞きたてまつらば 則ち大歓喜を生ずべし
 爾の時に世尊、舎利弗に告げたまわく、
 汝已に慇懃に三たび請じつ、豈に説かざることを得んや。汝今諦かに聴き、善く之を思念せよ。吾当に汝が為に分別し解説すべし。
 此の語を説きたもう時、会中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、五千人等あり。即ち座より起って仏を礼して退きぬ。所以は何ん、此の輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き失あり、是を以て住せず。世尊黙然として制止したまわず。爾の時に仏、舎利弗に告げたまわく、
 我が今此の衆は復枝葉なく、純ら貞実のみあり。舎利弗、是の如き増上慢の人は、退くも亦佳し。汝今善く聴け、当に汝が為に説くべし。
 舎利弗の言さく、
 唯然世尊、願楽わくは聞きたてまつらんと欲す。
 仏舎利弗に告げたまわく、
 是の如き妙法は、諸仏如来、時に乃し之を説きたもう。優曇鉢華の時に一たび現ずるが如きのみ。舎利弗、汝等当に信ずべし、仏の所説は言虚妄ならず。舎利弗、諸仏の随宜の説法は意趣解し難し。所以は何ん、我無数の方便・種々の因縁・譬喩・言辞を以て諸法を演説す。是の法は思量分別の能く解する所に非ず。唯諸仏のみましまして、乃し能く之を知しめせり。所以は何ん、諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう。舎利弗、云何なるをか、諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうと名くる。諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。
 仏、舎利弗に告げたまわく、
 諸仏如来は但菩薩を教化したもう。諸の所作あるは常に一事の為なり。唯仏の知見を以て衆生に示悟したまわんとなり。舎利弗、如来は但一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二若しは三あることなし。
 舎利弗一切十方の諸仏の法も亦是の如し。
 舎利弗、過去の諸仏も、無量無数の方便・種々の因縁・譬喩・言辞を以て、衆生の為に諸法を演説したもう。是の法も皆一仏乗の為の故なり。是の諸の衆生の諸仏に従いたてまつって法を聞きしも、究竟して皆一切種智を得たり。
 舎利弗、未来の諸仏の当に世に出でたもうべきも、亦無量無数の方便・種々の因縁・譬喩・言辞を以て、衆生の為に諸法を演説したまわん。是の法も皆一仏乗の為の故なり。是の諸の衆生の仏に従いたてまつって法を聞かんも、究竟して皆一切種智を得べし。
 舎利弗、現在十方の無量百千万億の仏土の中の諸仏世尊の、衆生を饒益し安楽ならしめたもう所多き、是の諸仏も亦無量無数の方便・種々の因縁・譬喩・言辞を以て、衆生の為に諸法を演説したもう。是の法も皆一仏乗の為の故なり。是の諸の衆生の仏に従いたてまつりて法を聞けるも、究竟して皆一切種智を得。舎利弗、是の諸仏は但菩薩を教化したもう。仏の知見を以て衆生に示さんと欲するが故に、仏の知見を以て衆生に悟らしめんと欲するが故に、衆生をして仏の知見の道に入らしめんと欲するが故なり。
 舎利弗、我も今亦復是の如し。諸の衆生に種々の欲・深心の所著あることを知って、其の本性に随って、種々の因縁・譬喩・言辞・方便力を以ての故に、而も為に法を説く。舎利弗、此の如きは皆一仏乗の一切種智を得せしめんが為の故なり。舎利弗、十方世界の中には尚お二乗なし、何に況んや三あらんや。舎利弗、諸仏は五濁の悪世に出でたもう。所謂劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁なり。是の如し、舎利弗。劫の濁乱の時は、衆生垢重く慳貪嫉妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏方便力を以て、一仏乗に於て分別して三と説きたもう。舎利弗、若し我が弟子、自ら阿羅漢・辟支仏なりと謂わん者、諸仏如来の但菩薩を教化したもう事を聞かず知らずんば、此れ仏弟子に非ず、阿羅漢に非ず、辟支仏に非ず。又舎利弗、是の諸の比丘・比丘尼、自ら已に阿羅漢を得たり、是れ最後身なり、究竟の涅槃なりと謂うて、便ち復阿耨多羅三藐三菩提を志求せざらん。当に知るべし、此の輩は皆是れ増上慢の人なり。所以は何ん、若し比丘の実に阿羅漢を得たる有って、若し此の法を信ぜずといわば、是の処あることなけん。仏の滅度の後、現前に仏なからんをば除く、所以は何ん、仏の滅度の後に、是の如き等の経を受持し読誦し其の義を解せん者、是の人得難ければなり。若し余仏に遇わば此の法の中に於て便ち決了することを得ん。舎利弗、汝等当に一心に信解し仏語を受持すべし。諸仏如来は言虚妄なし。余乗あることなく唯一仏乗のみなり。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  比丘比丘尼の 増上慢を懐くことある
  優婆塞の我慢なる 優婆夷の不信なる
  是の如き四衆等 其の数五千あり
  自ら其の過を見ず 戒に於て欠漏有って
  其の瑕疵を護り惜む 是の小智は已に出でぬ
  衆中の糟糠なり 仏の威徳の故に去りぬ
  斯の人は福徳尠なくして 是の法を受くるに堪えず
  此の衆は枝葉なし 唯諸の貞実のみあり
  舎利弗善く聴け 諸仏所得の法は
  無量の方便力をもって 衆生の為に説きたもう
  衆生の心の所念 種々の所行の道
  若干の諸の欲性 先世の善悪の業
  仏悉く是れを知しめし已って 諸の縁譬喩
  言辞方便力を以て 一切をして歓喜せしめたもう
  或は修多羅 伽陀及び本事
  本生未曾有を説き 亦因縁
  譬喩竝に祇夜 優婆提舎経を説きたもう
  鈍根にして小法を楽い 生死に貪著し
  諸の無量の仏に於て 深妙の道を行ぜずして
  衆苦に悩乱せらる 是れが為に涅槃を説きたもう
  我是の方便を設けて 仏慧に入ることを得せしむ
  未だ曾て汝等 当に仏道を成ずることを得べしと説かず
  未だ曾て説かざる所以は 説時未だ至らざるが故なり
  今正しく是れ其の時なり 決定して大乗を説く
  我が此の九部の法は 衆生に随順して説く
  大乗に入るに為れ本なり 故を以て是の経を説く
  仏子の心浄く 柔軟に亦利根にして
  無量の諸仏の所にして 深妙の道を行ずるあり
  此の諸の仏子の為に 是の大乗経を説く
  我是の如き人 来世に仏道を成ぜんと記す
  深心に仏を念じ 浄戒を修持するを以ての故に
  此れ等仏を得べしと聞いて 大喜身に充遍す
  仏彼の心行を知れり 故に為に大乗を説く
  声聞若しは菩薩 我が所説の法を聞くこと
  乃至一偈に於てもせば 皆成仏せんこと疑なし
  十方仏土の中には 唯一乗の法のみあり
  二なく亦三なし 仏の方便の説をば除く
  但仮の名字を以て 衆生を引導したもう
  仏の智慧を説かんが故なり 諸仏世に出でたもうには
  唯此の一事のみ実なり 余の二は則ち真に非ず
  終に小乗を以て 衆生を済度したまわず
  仏は自ら大乗に住したまえり 其の所得の法の如き
  定慧の力荘厳せり 此れを以て衆生を度したもう
  自ら無上道 大乗平等の法を証して
  若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば
  我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり
  若し人仏に信帰すれば 如来欺誑したまわず
  亦貪嫉の意なし 諸法の中の悪を断じたまえり
  故に仏十方に於て 独畏るる所なし
  我相を以て身を厳り 光明世間を照す
  無量の衆に尊まれて 為に実相の印を説く
  舎利弗当に知るべし 我本誓願を立てて
  一切の衆をして 我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき
  我が昔の所願の如き 今者已に満足しぬ
  一切衆生を化して 皆仏道に入らしむ
  若し我衆生に遇えば 尽く教うるに仏道を以てす
  無智の者は錯乱し 迷惑して教を受けず
  我知んぬ此の衆生は 未だ曾て善本を修せず
  堅く五欲に著して 痴愛の故に悩を生ず
  諸欲の因縁を以て 三悪道に墜堕し
  六趣の中に輪廻して 備さに諸の苦毒を受く
  受胎の微形 世世に常に増長し
  薄徳少福の人として 衆苦に逼迫せらる
  邪見の稠林 若しは有若しは無等に入り
  此の諸見に依止して 六十二を具足す
  深く虚妄の法に著して 堅く受けて捨つべからず
  我慢にして自ら矜高し 諂曲にして心不実なり
  千万億劫に於て 仏の名字を聞かず
  亦正法を聞かず 是の如き人は度し難し
  是の故に舎利弗 我為に方便を設けて
  諸の尽苦の道を説き 示すに涅槃を以てす
  我涅槃を説くと雖も 是れ亦真の滅に非ず
  諸法は本より来 常に自ら寂滅の相なり
  仏子道を行じ已って 来世に作仏することを得ん
  我方便力あって 三乗の法を開示す
  一切の諸の世尊も 皆一乗の道を説きたもう
  今此の諸の大衆 皆疑惑を除くべし
  諸仏は語異ることなし 唯一にして二乗なし
  過去無数劫の 無量の滅度の仏
  百千万億種にして 其の数量るべからず
  是の如き諸の世尊も 種々の縁譬喩
  無数の方便力をもって 諸法の相を演説したまいき
  是の諸の世尊等も 皆一乗の法を説き
  無量の衆生を化して 仏道に入らしめたまいき
  又諸の大聖主 一切世間の
  天人群生類 深心の所欲を知しめして
  更に異の方便を以て 第一義を助顕したまいき
  若し衆生類あって 諸の過去の仏に値いたてまつって
  若しは法を聞いて布施し 或は持戒忍辱
  精進禅智等 種々に福徳を修せし
  是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき
  諸仏滅度し已って 若し人善軟の心ありし
  是の如き諸の衆生 皆已に仏道を成じき
  諸仏滅度し已って 舎利を供養する者
  万億種の塔を起てて 金銀及び頗黎
  ��と碼碯 �瑰瑠璃珠とをもって
  清浄に広く厳飾し 諸の塔を荘校し
  或は石廟を起て 栴檀及び沈水
  木樒竝に余の材 甎瓦泥土等をもってするあり
  若しは曠野の中に於て 土を積んで仏廟を成し
  乃至童子の戯に 沙を聚めて仏塔と為る
  是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき
  若し人仏の為の故に 諸の形像を建立し
  刻彫して衆相を成せる 皆已に仏道を成じき
  或は七宝を以て成し 鍮鉐赤白銅
  白鑞及び鉛錫 鉄木及与泥
  或は膠漆布を以て 厳飾して仏像を作れる
  是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき
  綵画して仏像の 百福荘厳の相を作すこと
  自らも作し若しは人をしてもせる 皆已に仏道を成じき
  乃至童子の戯に 若しは艸木及び筆
  或は指の爪甲を以て 画いて仏像を作せる
  是の如き諸人等 漸漸に功徳を積み
  大悲心を具足して 皆已に仏道を成じて
  但諸の菩薩を化し 無量の衆を度脱しき
  若し人塔廟 宝像及び画像において
  華香旛蓋を以て 敬心にして供養し
  若しは人をして楽を作さしめ 鼓を撃ち角貝を吹き
  簫笛琴箜篌 琵琶鐃銅�
  是の如き衆の妙音 尽く持って以て供養し
  或は歓喜の心を以て 歌唄して仏徳を頌し
  乃至一小音をもってせし 皆已に仏道を成じき
  若し人散乱の心に 乃至一華を以て
  画像に供養せし 漸く無数の仏を見たてまつりき
  或は人あって礼拝し 或は復但合掌し
  乃至一手を挙げ 或は復少し頭を低れて
  此れを以て像に供養せし 漸く無量の仏を見たてまつり
  自ら無上道を成じて 広く無数の衆を度し
  無余涅槃に入ること 薪尽きて火の滅ゆるが如くなりき
  若し人の散乱の心に 塔廟の中に入って
  一たび南無仏と称せし 皆已に仏道を成じき
  諸の過去の仏の 現在或は滅後に於て
  若し是の法を聞くこと有りし 皆已に仏道を成じき
  未来の諸の世尊 其の数量あることなけん
  是の諸の如来等も 亦方便して法を説きたまわん
  一切の諸の如来 無量の方便を以て
  諸の衆生を度脱して 仏の無漏智に入れたまわん
  若し法を聞くことあらん者は 一りとして成仏せずということなけん
  諸仏の本誓願は 我が所行の仏道を
  普く衆生をして 亦同じく此の道を得せしめんと欲す
  未来世の諸仏 百千億
  無数の諸の法門を説きたもうと雖も 其れ実には一乗の為なり
  諸仏両足尊 法は常に無性なり
  仏種は縁に従って起ると知しめす 是の故に一乗を説きたまわん
  是の法は法位に住して 世間の相常住なり
  道場に於て知しめし已って 導師方便して説きたまわん
  天人の供養したてまつる所の 現在十方の仏
  其の数恒沙の如く 世間に出現したもうも
  衆生を安穏ならしめんが故に 亦是の如き法を説きたもう
  第一の寂滅を知しめして 方便力を以ての故に
  種々の道を示すと雖も 其れ実には仏乗の為なり
  衆生の諸行 深心の所念
  過去所習の業 欲性精進力
  及び諸根の利鈍を知しめして 種々の因縁
  譬喩亦言辞を以て 応に随って方便して説きたもう
  今我も亦是の如し 衆生を安穏ならしめんが故に
  種々の法門を以て 仏道を宣示す
  我智慧力を以て 衆生の性欲を知って
  方便して諸法を説いて 皆歓喜することを得せしむ
  舎利弗当に知るべし 我仏眼を以て観じて
  六道の衆生を見るに 貧窮にして福慧なし
  生死の険道に入って 相続して苦断えず
  深く五欲に著すること �牛の尾を愛するが如し
  貪愛を以て自ら蔽い 盲瞑にして見る所なし
  大勢の仏 及び断苦の法を求めず
  深く諸の邪見に入って 苦を以て苦を捨てんと欲す
  是の衆生の為の故に 而も大悲心を起しき
  我始め道場に坐し 樹を観じ亦経行して
  三七日の中に於て 是の如き事を思惟しき
  我が所得の智慧は 微妙にして最も第一なり
  衆生の諸根鈍にして 楽に著し痴に盲いられたり
  斯の如きの等類 云何して度すべきと
  爾の時に諸の梵王 及び諸の天帝釈
  護世四天王 及び大自在天
  竝に余の諸の天衆 眷属百千万
  恭敬合掌し礼して 我に転法輪を請す
  我即ち自ら思惟すらく 若し但仏乗を讃めば
  衆生苦に没在し 是の法を信ずること能わじ
  法を破して信ぜざるが故に 三悪道に墜ちなん
  我寧ろ法を説かずとも 疾く涅槃にや入りなん
  尋いで過去の仏の 所行の方便力を念うに
  我が今得る所の道も 亦三乗と説くべし
  是の思惟を作す時 十方の仏皆現じて
  梵音をもって我を慰諭したもう 善哉釈迦文
  第一の導師 是の無上の法を得たまえども
  諸の一切の仏に随って 方便力を用いたもう
  我等も亦皆 最妙第一の法を得れども
  諸の衆生類の為に 分別して三乗と説く
  少智は小法を楽って 自ら作仏せんことを信ぜず
  是の故に方便を以て 分別して諸果を説く
  復三乗を説くと雖も 但菩薩を教んが為なりと
  舎利弗当に知るべし 我聖師子の
  深浄微妙の音を聞いて 喜んで南無仏と称す
  復是の如き念を作す 我濁悪世に出でたり
  諸仏の所説の如く 我も亦随順して行ぜんと
  是の事を思惟し已って 即ち波羅奈に趣く
  諸法寂滅の相は 言を以て宣ぶ可からず
  方便力を以ての故に 五比丘の為に説きぬ
  是れを転法輪と名づく 便ち涅槃の音
  及以阿羅漢 法僧差別の名あり
  久遠劫より来 涅槃の法を讃示して
  生死の苦永く尽くすと 我常に是の如く説きき
  舎利弗当に知るべし 我仏子等を見るに
  仏道を志求する者 無量千万億
  咸く恭敬の心を以て 皆仏所に来至せり
  曾て諸仏に従いたてまつって 方便所説の法を聞けり
  我即ち是の念を作さく 如来出でたる所以は
  仏慧を説かんが為の故なり 今正しく是れ其の時なり
  舎利弗当に知るべし 鈍根小智の人
  著相�慢の者は 是の法を信ずること能わず
  今我喜んで畏なし 諸の菩薩の中に於て
  正直に方便を捨てて 但無上道を説く
  菩薩是の法を聞いて 疑網皆已に除く
  千二百の羅漢 悉く亦当に作仏すべし
  三世諸仏の 説法の儀式の如く
  我も今亦是の如く 無分別の法を説く
  諸仏世に興出したもうこと 懸遠にして値遇すること難し
  正使世に出でたもうとも 是の法を説きたもうこと復難し
  無量無数劫にも 是の法を聞くこと亦難し
  能く是の法を聴く者 斯の人亦復難し
  譬えば優曇華の 一切皆愛楽し
  天人の希有にする所として 時時に乃し一たび出ずるが如し
  法を聞いて歓喜し讃めて 乃至一言をも発せば
  則ち為れ已に 一切三世の仏を供養するなり
  是の人甚だ希有なること 優曇華に過ぎたり
  汝等疑あることなかれ 我は為れ諸法の王
  普く諸の大衆に告ぐ 但一乗の道を以て
  諸の菩薩を教化して 声聞の弟子なし
  汝等舎利弗 声聞及び菩薩
  当に知るべし是の妙法は 諸仏の秘要なり
  五濁の悪世には 但諸欲に楽著せるを以て
  是の如き等の衆生は 終に仏道を求めず
  当来世の悪人は 仏説の一乗を聞いて
  迷惑して信受せず 法を破して悪道に堕せん
  慙愧清浄にして 仏道を志求する者あらば
  当に是の如き等の為に 広く一乗の道を讃むべし
  舎利弗当に知るべし 諸仏の法是の如く
  万億の方便を以て 宜しきに随って法を説きたもう
  其の習学せざる者は 此れを暁了すること能わじ
  汝等既已に 諸仏世の師の
  随宜方便の事を知りぬ 復諸の疑惑なく
  心に大歓喜を生じて 自ら当に作仏すべしと知れ

妙法蓮華経巻第一

妙法蓮華経譬喩品第三        〔▽一二五頁〕

 爾の時に舎利弗、踊躍歓喜して即ち起って合掌し、尊顔を瞻仰して仏に白して言さく、
 今世尊に従いたてまつりて此の法音を聞いて、心に踊躍を懐き未曾有なることを得たり。所以は何ん、我昔仏に従いたてまつりて是の如き法を聞き、諸の菩薩の受記作仏を見しかども、而も我等は斯の事に預らず。甚だ自ら如来の無量の知見を失えることを感傷しき。世尊、我常に独山林樹下に処して、若しは坐若しは行じて毎に是の念を作しき、我等も同じく法性に入れり、云何ぞ如来小乗の法を以て済度せられと。是れ我等が咎なり、世尊には非ず。所以は何ん、若し我等、所因の阿耨多羅三藐三菩提を成就することを説きたもうを待たば、必ず大乗を以て度脱せらるることを得ん。然るに我等方便随宜の所説を解らずして、初め仏法を聞いて遇便ち信受し、思惟して証を取れり。世尊、我昔より来、終日竟夜毎に自ら剋責しき。而るに今仏に従いたてまつりて、未だ聞かざる所の未曾有の法を聞いて諸の疑悔を断じ、身意泰然として快く安穏なることを得たり、今日乃ち知んぬ。
 真に是れ仏子なり。仏口より生じ法化より生じて、仏法の分を得たり。
 爾の時に舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
  我是の法音を聞いて 未曾有なる所を得て
  心に大歓喜を懐き 疑網皆已に除こりぬ
  昔より来仏教を蒙って 大乗を失わず
  仏の音は甚だ希有にして 能く衆生の悩を除きたもう
  我已に漏尽を得れども 聞いて亦憂悩を除く
  我山谷に処し 或は林樹の下に在って
  若しは坐し若しは経行して 常に是の事を思惟し
  鳴呼して深く自ら責めき 云何ぞ而も自ら欺ける
  我等も亦仏子にして 同じく無漏の法に入れども
  未来に於て 無上道を演説すること能わず
  金色三十二 十力諸の解脱
  同じく共に一法の中にして 此の事を得ず
  八十種の妙好 十八不共の法
  是の如き等の功徳 而も我皆已に失えり
  我独経行せし時 仏大衆に在して
  名聞十方に満ち 広く衆生を饒益したもうを見て
  自ら惟わく此の利を失えり 我為れ自ら欺誑せりと
  我常に日夜に 毎に是の事を思惟して
  以て世尊に問いたてまつらんと欲す 為めて失えりや為めて失わずや
  我常に世尊を見たてまつるに 諸の菩薩を称讃したもう
  是を以て日夜に 此の如き事を籌量しき
  今仏の音声を聞きたてまつるに 宜しきに随って法を説きたまえり
  無漏は思議し難し 衆をして道場に至らしむ
  我本邪見に著して 諸の梵志の師と為りき
  世尊我が心を知しめして 邪を抜き涅槃を説きたまいしかば
  我悉く邪見を除いて 空法に於て証を得たり
  爾の時に心自ら謂いき 滅度に至ることを得たりと
  而るに今乃ち自ら覚りぬ 是れ実の滅度に非ず
  若し作仏することを得ん時は 三十二相を具し
  天人夜叉衆 龍神等恭敬せん
  是の時乃ち謂うべし 永く尽滅して余なしと
  仏大衆の中に於て 我当に作仏すべしと説きたもう
  是の如き法音を聞きたてまつりて 疑悔悉く已に除こりぬ
  初め仏の所説を聞いて 心中大に驚疑しき
  将に魔の仏と作って 我が心を悩乱するに非ずやと
  仏種々の縁 譬喩を以て巧みに言説したもう
  其の心安きこと海の如し 我聞いて疑網断じぬ
  仏説きたまわく過去世の 無量の滅度の仏も
  方便の中に安住して 亦皆是の法を説きたまえり
  現在未来の仏 其の数量あること無きも
  亦諸の方便を以て 是の如き法を演説したもう
  今者の世尊の如きも 生じたまいし従り及び出家し
  得道し法輪を転じたもうまで 亦方便を以て説きたもう
  世尊は実道を説きたもう 波旬は此の事無し
  是を以て我定めて知んぬ 是れ魔の仏と作るには非ず
  我疑網に堕するが故に 是れ魔の所為と謂えり
  仏の柔軟の音 深遠に甚だ微妙にして
  清浄の法を演暢したもうを聞いて 我が心大に歓喜し
  疑悔永く已に尽き 実智の中に安住す
  我定めて当に作仏して 天人に敬わるることを為
  無上の法輪を転じて 諸の菩薩を教化すべし
 爾の時に仏、舎利弗に告げたまわく、
 吾今天・人・沙門・婆羅門等の大衆の中に於て説く。我昔曾て二万億の仏の所に於て、無上道の為の故に常に汝を教化す。汝亦長夜に我に随って受学しき。我方便を以て汝を引導せしが故に、我が法の中に生ぜり。
 舎利弗、我昔汝をして仏道を志願せしめき。汝今悉く忘れて、便ち自ら已に滅度を得たりと謂えり。
 我今還って汝をして本願所行の道を憶念せしめんと欲するが故に、諸の声聞の為に是の大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説く。
 舎利弗、汝未来世に於て、無量無辺不可思議劫を過ぎて、若干千万億の仏を供養し、正法を奉持し菩薩所行の道を具足して、当に作仏することを得べし。号を華光如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といい、国を離垢と名けん。其の土平正にして清浄厳飾に、安穏豊楽にして天人熾盛ならん。瑠璃を地となして、八つの交道あり。黄金を縄と為して以て其の側を界い、其の傍に各七宝の行樹あって、常に華果あらん。華光如来亦三乗を以て衆生を教化せん。舎利弗、彼の仏出でたまわん時は悪世に非ずと雖も、本願を以ての故に三乗の法を説かん。其の劫を大宝荘厳と名けん。何が故に名けて大宝荘厳という、其の国の中には菩薩を以て大宝と為すが故なり。彼の諸の菩薩、無量無辺不可思議にして、算数譬喩も及ぶこと能わざる所ならん。仏の智力に非ずんば能く知る者なけん。若し行かんと欲する時は宝華足を承く。此の諸の菩薩は、初めて意を発せるに非ず。皆久しく徳本を植えて、無量百千万億の仏の所に於て浄く梵行を修し、恒に諸仏に称歎せらるることを為、常に仏慧を修し大神通を具し、善く一切諸法の門を知り、質直無偽にして志念堅固ならん。是の如き菩薩其の国に充満せん。舎利弗、華光仏は寿十二小劫ならん。王子と為て未だ作仏せざる時をば除く。其の国の人民は寿八小劫ならん。華光如来十二小劫を過ぎて、堅満菩薩に阿耨多羅三藐三菩提の記を授け、諸の比丘に告げん、
 是の堅満菩薩次に当に作仏すべし。号を華足安行・多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀といわん。其の仏の国土も亦復是の如くならんんと。
 舎利弗、是の華光仏の滅度の後、正法世に住すること三十二小劫、像法世に住すること亦三十二小劫ならん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  舎利弗来世に 仏普智尊と成って
  号を名けて華光といわん 当に無量の衆を度すべし
  無数の仏を供養し 菩薩の行
  十力等の功徳を具足して 無上道を証せん
  無量劫を過ぎ已って 劫を大宝厳と名け
  世界を離垢と名けん 清浄にして瑕穢なく
  瑠璃を以て地と為し 金縄其の道を界い
  七宝雑色の樹に 常に華果実あらん
  彼の国の諸の菩薩 志念常に堅固にして
  神通波羅蜜 皆已に悉く具足し
  無数の仏の所に於て 善く菩薩の道を学せん
  是の如き等の大士 華光仏の所化ならん
  仏王子たらん時 国を棄て世の栄を捨てて
  最末後の身に於て 出家して仏道を成ぜん
  華光仏世に住する 寿十二小劫
  其の国の人民衆は 寿命八小劫ならん
  仏の滅度の後 正法世に住すること
  三十二小劫 広く諸の衆生を度せん
  正法滅尽し已って 像法三十二
  舎利広く流布して 天人普く供養せん
  華光仏の所為 其の事皆是の如し
  其の両足聖尊 最勝にして倫匹なけん
  彼即ち是れ汝が身なり 宜しく応に自ら欣慶すべし
 爾の時に四部の衆・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽等の大衆、舎利弗の仏前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心大に歓喜し踊躍すること無量なり。各各に身に著たる所の上衣を脱いで以て仏に供養す。釈提桓因、梵天王等、無数の天子と、亦天の妙衣・天の曼陀羅華・摩訶曼陀羅華等を以て仏に供養す。所散の天衣、虚空の中に住して自ら廻転す。諸天の伎楽百千万種、虚空の中に於て一時に倶に作し、衆の天華を雨らして是の言を作さく、
 仏昔波羅奈に於て初めて法輪を転じ、今乃ち復無上最大の法輪を転じたもう。
 爾の時に諸の天子、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
  昔波羅奈に於て 四諦の法輪を転じ
  分別して諸法 五衆の生滅を説き
  今復最妙 無上の大法輪を転じたもう
  是の法は甚だ深奥にして 能く信ずる者あること少し
  我等昔より来 数世尊の説を聞きたてまつるに
  未だ曾て是の如き 深妙の上法を聞かず
  世尊是の法を説きたもうに 我等皆随喜す
  大智舎利弗 今尊記を受くることを得たり
  我等亦是の如く 必ず当に作仏して
  一切世間に於て 最尊にして上あることなきことを得べし
  仏道は思議し�し 方便して宜しきに随って説きたもう
  我が所有の福業 今世若しは過世
  及び見仏の功徳 尽く仏道に廻向す
 爾の時に舎利弗、仏に白して言さく、
 世尊、我今復疑悔なし。親り仏前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。是の諸の千二百の心自在なる者昔学地に住せしに、仏常に教化して言わく、
 我が法は能く生・老・病・死を離れて涅槃を究竟すと。是の学無学の人亦各自ら我見及び有無の見等を離れたるを以て、涅槃を得たりと謂えり。而るに今世尊の前に於て、未だ聞かざる所を聞いて、皆疑惑に堕せり。善哉、世尊、願わくは四衆の為に其の因縁を説いて疑悔を離れしめたまえ。
 爾の時に仏、舎利弗に告げたまわく、
 我先に諸仏世尊の種々の因縁・譬喩・言辞を以て方便して法を説きたもうは、皆阿耨多羅三藐三菩提の為なりと言わずや。是の諸の所説は皆菩薩を化せんが為の故なり。然も舎利弗、今当に復譬喩を以て更に此の義を明すべし。諸の智あらん者、譬喩を以て解ることを得ん。舎利弗、若し国邑聚落に大長者あらん。其の年衰邁して、財富無量なり。多く田宅及び諸の僮僕あり。其の家広大にして唯一門あり。諸の人衆多くして一百・二百乃至五百人其の中に止住せり。堂閣朽ち故り、墻壁頽れ落ち、柱根腐ち敗れ、梁棟傾き危し。周�して倶時に炊然に火起って舎宅を焚焼す。長者の諸子、若しは十・二十・或は三十に至るまで此の宅の中にあり。長者是の大火の四面より起るを見て、即ち大に驚怖して是の念を作さく、
 我は能く此の所焼の門より安穏に出ずることを得たりと雖も、而も諸子等、火宅の内に於て嬉戯に楽著して、覚えず知らず驚かず怖じず。火来って身を逼め苦痛己を切むれども心厭患せず、出でんと求むる意なし。
 舎利弗、是の長者是の思惟を作さく、
 我身手に力あり。当に衣�Wを以てや若しは几案を以てや、舎より之を出すべき。
 復更に思惟すらく、
 是の舎は唯一門あり而も復狭小なり。諸子幼稚にして未だ識る所あらず、戯処に恋著せり。或は当に堕落して火に焼かるべし、我当に為に怖畏の事を説くべし。此の舎已に焼く、宜しく時に疾く出でて火に焼害せられしむることなかるべし。
 是の念を作し已って、思惟する所の如く具に諸子に告ぐ、汝等速かに出でよと。
 父憐愍して善言をもって誘諭すと雖も、而も諸子等嬉戯に楽著し肯て信受せず、驚かず畏れず、了に出ずる心なし。亦復何者か是れ火、何者か為れ舎、云何なるをか失うと為すを知らず。但東西に走り戯れて父を視て已みぬ。爾の時に長者即ち是の念を作さく、
 此の舎已に大火に焼かる。我及び諸子若し時に出でずんば必ず焚かれん。我今当に方便を設けて、諸子等をして斯の害を免るることを得せしむべし。
 父諸子の先心に各好む所ある、種々の珍玩奇異の物には情必ず楽著せんと知って、之に告げて言わく、
 汝等が玩好するところは希有にして得難し。汝若し取らずんば後に必ず憂悔せん。此の如き種々の羊車・鹿車・牛車、今門外にあり、以て遊戯すべし。汝等此の火宅より宜しく速かに出で来るべし。汝が所欲に随って皆当に汝に与うべし。
 爾の時に諸子、父の所説の珍玩の物を聞くに、其の願に適えるが故に、心各勇鋭して互に相推排し、競うて共に馳走し争うて火宅を出ず。
 是の時に長者、諸子等の安穏に出ずることを得て、皆四衢道の中の露地に於て坐して復障碍無く、其の心泰然として歓喜踊躍するを見る。時に諸子等各父に白して言さく、父先に許す所の玩好の具の羊車・鹿車・牛車、願わくは時に賜与したまえ。
 舎利弗、爾の時に長者各諸子に等一の大車を賜う。其の車高広にして衆宝荘校し、周�して欄楯あり。四面に鈴を懸け、又其の上に於て�蓋を張り設け、亦珍奇の雑宝を以て之を厳飾し、宝縄絞絡して諸の華瓔を垂れ、�A�Bを重ね敷き丹枕を安置せり。駕するに白牛を以てす。膚色充潔に形体�X好にして大筋力あり。行歩平正にして其の疾きこと風の如し。又僕従多くして之を侍衛せり。所以は何ん、是の大長者財富無量にして、種々の庫蔵悉く皆充溢せり。而も是の念を作さく、我が財物極まりまし、下劣の小車を以て諸子等に与うべからず。今此の幼童は皆是れ吾が子なり。愛するに偏黨なし。我是の如き七宝の大車あって其の数無量なり。当に等心にして各各に之を与うべし。宜しく差別すべからず。所以は何ん、我が此の物を以て周く一国に給うとも、なお匱しからじ。何に況んや諸子をや。是の時に諸子、各大車に乗って未曾有なることを得るは、本の所望に非ざるが若し。舎利弗、汝が意に於て云何。是の長者、等しく諸子に珍宝の大車を与うること寧ろ虚妄ありや不や。舎利弗の言さく、不なり。世尊、是の長者、但諸子をして火難を免れ其の躯命を全うすることを得せしむとも、これ虚妄に非ず。何を以ての故に、若し身命を全うすれば便ち為れ已に玩好の具を得たるなり。況んや復方便して彼の火宅より而も之を抜済せるをや。世尊、若し是の長者、乃至最小の一車を与えざるも、猶お虚妄ならじ。何を以ての故に、是の長者先に是の意を作さく、我方便を以て子をして出ずることを得せしめんと。是の因縁を以て虚妄なし。何に況んや、長者自ら財富無量なりと知って、諸子を饒益せんと欲して等しく大車を与うるをや。
 仏、舎利弗に告げたまわく、
 善哉善哉、汝が所言の如し。舎利弗、如来も亦復是の如し。則ち為れ一切世間の父なり。諸の怖畏・衰悩・憂患・無明・暗蔽に於て永く尽くして余なし。而も悉く無量の知見・力・無所畏を成就し、大神力及び智慧力あって方便・智慧波羅蜜を具足す。大慈大悲常に懈倦なく、恒に善事を求めて一切を利益す。而も三界の朽ち故りたる火宅に生ずること、衆生の生・老・病・死・憂悲苦悩・愚痴暗蔽・三毒の火を度し、教化して阿耨多羅三藐三菩提を得せしめんが為なり。諸の衆生を見るに生・老・病・死・憂悲苦悩に焼煮せられ、亦五欲財利を以ての故に種々の苦を受く。又貪著し追求するを以ての故に、現には衆苦を受け、後には地獄・畜生・餓鬼の苦を受く。若し天上に生れ及び人間に在っては貧窮困苦・愛別離苦・怨憎会苦、是の如き等の種々の諸苦あり。衆生其の中に没在して歓喜し遊戯して、覚えず知らず驚かず怖じず、亦厭うことを生さず解脱を求めず。此の三界の火宅に於て東西に馳走して、大苦に遭うと雖も以て患いとせず。舎利弗、仏此れを見已って便ち是の念を作さく、
 我はこれ衆生の父なり。其の苦難を抜き無量無辺の仏智慧の楽を与え、其れをして遊戯せしむべし。
 舎利弗、如来復是の念を作さく、
 若し我但神力及び智慧力を以て方便を捨てて、諸の衆生の為に如来の知見・力・無所畏を讃めば、衆生是れを以て得度すること能わじ。所以は何ん、是の諸の衆生未だ生・老・病・死・憂悲苦悩を免れずして、三界の火宅に焼かる。何に由ってか能く仏の智慧を解らん。舎利弗、彼の長者の復身手に力ありと雖も而も之を用いず、但慇懃の方便を以て諸子の火宅の難を勉済して、然うして後に各珍宝の大車を与うるが如く、如来も亦復是の如し。力・無所畏ありと雖も而も之を用いず、但智慧方便を以て三界の火宅より衆生を抜済せんとして、為に三乗の声聞・辟支仏・仏乗を説く。而も是の言を作さく、
 汝等楽って三界の火宅に住することを得ること莫れ。麁弊の色・声・香・味・触を貧ること勿れ。若し貪著して愛を生ぜば則ち為れ焼かれなん。汝等速かに三界を出でて、当に三乗の声聞・辟支仏・仏乗を得べし。我今汝が為に此の事を保任す、終に虚しからじ。汝等但当に勤修精進すべし。
 如来是の方便を以て衆生を誘進す。復是の言を作さく、汝等当に知るべし、此の三乗の法は皆是れ聖の称歎したもう所なり。自在無繋にして依求する所なし。是の三乗に乗じて、無漏の根・力・覚・道・禅定・解脱・三昧等を以て自ら娯楽して、便ち無量の安穏快楽を得べし。舎利弗、若し衆生あり、内に智性あって、仏世尊に従いたてまつりて法を聞いて信受し、慇懃に精進して速かに三界を出でんと欲して自ら涅槃を求むる、是れを声聞乗と名く。彼の諸子の羊車を求むるを以て火宅を出ずるが如し。若し衆生あり、仏世尊に従いたてまつりて法を聞いて信受し、慇懃に精進して自然慧を求め、独善寂を楽い深く諸法の因縁を知る、是れを辟支仏乗と名く。彼の諸子の鹿車を求むるを為て火宅を出ずるが如し。若し衆生あり、仏世尊に従いたてまつりて法を聞いて信受し、勤修精進して一切智・仏智・自然智・無師智・如来の知見・力・無所畏を求め、無量の衆生を愍念安楽し、天人を利益し一切を度脱する、是れを大乗と名く。菩薩此の乗を求むるが故に名けて摩訶薩とす。彼の諸子の牛車を求むるを為て火宅を出ずるが如し。舎利弗、彼の長者の、諸子等の安穏に火宅を出ずることを得て無畏の処に到るを見て、自ら財富無量なることを惟うて、等しく大車を以て諸子に賜えるが如く、如来も亦復是の如し。これ一切衆生の父なり。若し無量億千の衆生の、仏教の門を以て三界の苦怖畏の険道を出でて、涅槃の楽を得るを見ては、如来爾の時に便ち是の念を作さく、我無量無辺の智慧・力・無畏等の諸仏の法蔵あり。是の諸の衆生は皆是れ我が子なり。等しく大乗を与うべし。人として独滅度を得ることあらしめじ。皆如来の滅度を以て之を滅度せん。
 是の諸の衆生の三界を脱れたる者には、悉く諸仏の禅定・解脱等の娯楽の具を与う。皆是れ一相一種にして、聖の称歎したもう所なり。能く浄妙第一の楽を生ず。舎利弗、彼の長者の初め三車を以て諸子を誘引し、然して後に但大車の宝物荘厳し安穏第一なることを与うるに、然も彼の長者虚妄の咎なきが如く、如来も亦復是の如し。虚妄あることなし。初め三乗を説いて衆生を引導し、然して後に但大乗を以て之を度脱す。何を以ての故に、如来は無量の智慧・力・無所畏・諸法の蔵あって、能く一切衆生に大乗の法を与う。但尽くして能く受けず。舎利弗、是の因縁を以て当に知るべし、諸仏方便力の故に、一仏乗に於て分別して三と説きたもう。
 仏重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  譬えば長者 一の大宅あらん
  其の宅久しく故りて 復頓弊し
  堂舎高く危く 柱根摧け朽ち
  梁棟傾き斜み 基陛頽れ毀れ
  墻壁�Cれ�Yけ 泥塗褫け落ち
  覆苫乱れ墜ち 椽梠差い脱け
  周障屈曲して 雑穢充遍せり
  五百人あって 其の中に止住す
  鵄梟�D鷲 烏鵲鳩鴿
  �E蛇蝮蠍 蜈蚣蚰蜒
  守宮百足 鼬貍�H鼠
  諸の悪虫の輩 交横馳走す
  屎尿の臭き処 不浄流れ溢ち
  �F�G諸虫 而も其の上に集まり
  狐狼野干 咀嚼践踏し
  死屍を�P齧して 骨肉狼藉し
  是れに由って群狗 競い来って搏撮し
  飢羸�Z惶して 処処に食を求む
  闘諍�T掣し 啀�O�U吠す
  其の舎の恐怖 変ずる状是の如し
  処処に皆 魑魅魍魎
  夜叉悪鬼あり 人肉
  毒虫の属を食�す 諸の悪禽獣
  孚乳産生して 各自ら蔵し護る
  夜叉競い来り 争い取って之を食す
  之を食して既に飽きぬれば 悪心転た熾んにして
  闘諍の声 甚だ怖畏すべし
  鳩槃荼鬼 土�に蹲踞せり
  或時は地を離るること 一尺二尺
  往返遊行し 縦逸に嬉戯す
  狗の両足を捉って 撲って声を失わしめ
  脚を以て頚に加えて 狗を怖して自ら楽む
  復諸鬼あり 其の身長大に
  裸形黒痩にして 常に其の中に住せり
  大悪声を発して 叫び呼んで食を求む
  復諸鬼あり 其の咽針の如し
  復諸鬼あり 首牛頭の如し
  或は人の肉を食い 或は復狗を�う
  頭髪蓬乱し 残害兇険なり
  飢渇に逼まられて 叫喚馳走す
  夜叉餓鬼 諸の悪鳥獣
  飢急にして四に向い 窓�[を�Sい看る
  是の如き諸難 恐畏無量なり
  是の朽ち故りたる宅は 一人に属せり
  其の人近く出でて 未だ久しからざるの間
  後に宅舎に 忽然に火起る
  四面一時に 其の焔倶に熾んなり
  棟梁椽柱 爆声震裂し
  摧折堕落し 墻壁崩れ倒る
  諸の鬼神等 声を揚げて大に叫ぶ
  �D鷲諸鳥 鳩槃荼等
  周�Z惶怖して 自ら出ずること能わず
  悪獣毒虫 孔穴に蔵竄し
  毘舎闍鬼 亦其の中に住せり
  福徳薄きが故に 火に逼まられ
  共に相残害して 血を飲み肉を�う
  野干の属 竝に已に前に死す
  諸の大悪獣 競い来って食�す
  臭煙蓬�\して 四面に充塞す
  蜈蚣蚰蜒 毒蛇の類
  火に焼かれ 争い走って穴を出ず
  鳩槃荼鬼 随い取って食う
  又諸の餓鬼 頭上に火燃え
  飢渇熱悩して 周�Zし悶走す
  其の宅是の如く 甚だ怖畏すべし
  毒害火災 衆難一に非ず
  是の時に宅主 門外に在って立って
  有人の言うを聞く 汝が諸子等
  先に遊戯せしに因って 此の宅に来入し
  稚小無知にして 歓娯楽著せり
  長者聞き已って 驚いて火宅に入る
  方に宜しく救済して 焼害なからしむべし
  諸子の告諭して 衆の患難を説く
  悪鬼毒虫 災火蔓莚なり
  衆苦次第に 相続して絶えず
  毒蛇�E蝮 及び諸の夜叉
  鳩槃荼鬼 野干狐狗
  �D鷲鵄梟 百足の属
  飢渇の悩急にして 甚だ怖畏すべし
  此の苦すら処し難し 況んや復大火をや
  諸子知ることなければ 父の誨を聞くと雖も
  なお楽著して 嬉戯すること已まず
  是の時に長者 而も是の念を作さく
  諸子此の如く 我が愁悩を益す
  今此の舎宅は 一の楽むべきなし
  而るに諸子等 嬉戯に�]湎して
  我が教を受けず 将に火に害せられんとす
  即便思惟して 諸の方便を設けて
  諸子等に告ぐ 我種々の
  珍玩の具 妙宝の好車あり
  羊車鹿車 大牛の車なり
  今門外にあり 汝等出で来れ
  吾汝等が為に 此の車を造作せり
  意の所楽に随って 以て遊戯すべし
  諸子 此の如き諸の車を説くを聞いて
  即時に奔競し 馳走して出で
  空地に到って 諸の苦難を離る
  長者子の 火宅を出ずることを得て
  四衢に住するを見て 師子の座に坐せり
  而して自ら慶んで言わく 我今快楽なり
  此の諸子等 生育すること甚だ難し
  愚小無知にして 険宅に入れり
  諸の毒虫 魑魅多くして畏るべし
  大火猛焔 四面より倶に起れり
  而るに此の諸子 嬉戯に貧楽せり
  我已に之を救うて 難を脱るることを得せしめつ
  是の故に諸人 我今快楽なり
  爾の時に諸子 父の安坐せるを知って
  皆父の所に詣でて 父に白して言さく
  願わくは我等に 三種の宝車を賜え
  前に許したもう所の如き 諸子出で来れ
  当に三車を以て 汝が所欲に随うべしと
  今正しく是れ時なり 唯給与を垂れたまえ
  長者大に富んで 庫蔵衆多なり
  金銀瑠璃 ��碼碯あり
  衆の宝物を以て 諸の大車を造れり
  荘校厳飾し 周�して欄楯あり
  四面に鈴を懸け 金縄絞絡して
  真珠の羅網 其の上に張り施し
  金華の諸纓 処処に垂れ下せり
  衆綵雑飾し 周�圍繞せり
  柔軟の��^ 以て茵蓐と為し
  上妙の細�V 価直千億にして
  鮮白浄潔なる 以て其の上に覆えり
  大白牛あり 肥壮多力にして
  形体�X好なり 以て宝車を駕せり
  諸の�_従多くして 之を侍衛せり
  是の妙車を以て 等しく諸子に賜う
  諸子是の時 歓喜踊躍して
  是の宝車に乗って 四方に遊び
  嬉戯快楽して 自在無碍ならんが如し
  舎利弗に告ぐ 我も亦是の如し
  衆聖の中の尊 世間の父なり
  一切衆生は 皆是れ吾が子なり
  深く世楽に著して 慧心あることなし
  三界は安きことなし 猶お火宅の如し
  衆苦充満して 甚だ怖畏すべし
  常に生老 病死の憂患あり
  是の如き等の火 熾然として息まず
  如来は已に 三界の火宅を離れて
  寂然として閑居し 林野に安処せり
  今此の三界は 皆是れ我が有なり
  其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり
  而も今此の処は 諸の患難多し
  唯我一人のみ 能く救護を為す
  復教詔すと雖も 而も信受せず
  諸の欲染に於て 貪著深きが故に
  是れを以て方便して 為に三乗を説き
  諸の衆生をして 三界の苦を知らしめ
  出世間の道を 開示演説す
  是の諸子等は 若し心決定しぬれば
  三明 及び六神通を具足し
  縁覚 不退の菩薩を得ることあり
  汝舎利弗 我衆生の為に
  此の譬喩を以て 一仏乗を説く
  汝等若し能く 是の語を信受せば
  一切皆当に 仏道を成ずることを得べし
  是の乗は微妙にして 清浄第一なり
  諸の世間に於て 為めて上あることなし
  仏の悦可したもう所 一切衆生の
  称讃し 供養し礼拝すべき所なり
  無量億千の 諸力解脱
  禅定智慧 及び仏の余の法あり
  是の如き乗を得せしめて 諸子等をして
  日夜劫数に 常に遊戯することを得
  諸の菩薩 及び声聞衆と
  此の宝乗に乗じて 直に道場に至らしむ
  是の因縁を以て 十方に諦かに求むるに
  更に余乗なし 仏の方便をば除く
  舎利弗に告ぐ 汝諸人等は
  皆是れ吾が子なり 我は則ち是れ父なり
  汝等累劫に 衆苦に焼かる
  我皆済抜して 三界を出でしむ
  我先に 汝等滅度すと説くと雖も
  但生死を尽くして 而も実には滅せず
  今作すべき所は 唯仏の智慧なり
  若し菩薩あらば 是の衆の中に於て
  能く一心に 諸仏の実法を聴け
  諸仏世尊は 方便を以てしたもうと雖も
  所化の衆生は 皆是れ菩薩なり
  若し人小智にして 深く愛欲に著せる
  此れ等を為ての故に 苦諦を説きたもう
  衆生心喜んで 未曾有なることを得
  仏の説きたもう苦諦は 真実にして異ることなし
  若し衆生あって 苦の本を知らず
  深く苦の因に著して 暫くも捨つること能わざる
  是れ等を為ての故に 方便して道を説きたもう
  諸苦の所因は 貪欲これ本なり
  若し貪欲を滅すれば 依止する所なし
  諸苦を滅尽するを 第三の諦と名く
  滅諦の為の故に 道を修行す
  諸の苦縛を離るるを 名けて解脱と為す
  是の人何に於てか 而も解脱を得る
  但虚妄を離るるを 解脱を得と名く
  其れ実には未だ 一切の解脱を得ず
  仏是の人は 未だ実に滅度せずと説きたもう
  斯の人未だ 無上道を得ざるが故に
  我が意にも 滅度に至らしめたりと欲わず
  我は為れ法王 法に於て自在なり
  衆生を安穏ならしめんが 故に世に現ず
  汝舎利弗 我が此の法印は
  世間を利益せんと 欲するを為ての故に説く
  所遊の方に在って 妄りに宣伝すること勿れ
  若し聞くこと有る者 随喜し頂受せん
  当に知るべし是の人は 阿�跋致なり
  若し此の経法を 信受すること有らん者
  是の人は已に曾て 過去の仏を見たてまつりて
  恭敬供養し 亦是の法を聞くけるなり
  若し人能く 汝が所説を信ずること有らんは
  則ち為れ我を見 亦汝
  及び比丘僧 竝びに諸の菩薩を見るなり
  斯の法華経は 深智の為に説く
  浅識は之を聞いて 迷惑して解らず
  一切の声聞 及び辟支仏は
  此の教の中に於て 力及ばざる所なり
  汝舎利弗 尚お此の経に於ては
  信を以て入ることを得たり 況んや余の声聞をや
  其の余の声聞も 仏語を信ずるが故に
  此の経に随順す 己が智分に非ず
  又舎利弗 �慢懈怠
  我見を計する者には 此の経を説くことなかれ
  凡夫の浅識 深く五欲に著せるは
  聞くとも解すること能わじ 亦為に説くことなかれ
  若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば
  則ち一切世間の 仏種を断ぜん
  或は復�蹙して 疑惑を懐かん
  汝当に 此の人の罪報を説くを聴くべし
  若しは仏の在世 若しは滅度の後に
  其れ 斯の如き経典を誹謗することあらん
  経を読誦し書持すること あらん者を見て
  軽賎憎嫉して 結恨を懐かん
  此の人の罪報を 汝今復聴け
  其の人命終して 阿鼻獄に入らん
  一劫を具足して 劫尽きなば更生れん
  是の如く展転して 無数劫に至らん
  地獄より出でては 当に畜生に堕つべし
  若し狗野干としては 其の形�`痩し
  �I�J疥癩にして 人に触�せられ
  又復人に 悪み賎まれん
  常に飢渇に困んで 骨肉枯竭せん
  生きては楚毒を受け 死しては瓦石を被らん
  仏種を断ずるが故に 斯の罪報を受けん
  若しは�L駝と作り 或は驢の中に生れて
  身に常に重きを負い 諸の杖捶を加えられん
  但水草を念うて 余は知る所なけん
  斯の経を謗するが故に 罪を獲ること是の如し
  有は野干と作って 聚落に来入せば
  身体疥癩にして 又一目なからんに
  諸の童子に 打擲せられ
  諸の苦痛を受けて 或時は死を致さん
  此に於て死し已って 更に蟒身を受けん
  其の形長大にして 五百由旬ならん
  聾�M無足にして 蜿転腹行し
  諸の小虫に �b食せられて
  昼夜に苦を受くるに 休息あることなけん
  斯の経を謗するが故に 罪を獲ること是の如し
  若し人となることを得ては 諸根暗鈍にして
  �c陋�N躄 盲聾背傴ならん
  言説する所あらんに 人信受せじ
  口に気常に臭く 鬼魅に著せられん
  貧窮下賎にして 人に使われ
  多病�d痩にして 依怙する所なく
  人に親附すと雖も 人意に在かじ
  若し所得あらば 尋いで復忘失せん
  若し医道を修して 方に順じて病を治せば
  更に他の疾を増し 或は復死を致さん
  若し自ら病あらば 人の救療することなく
  設い良薬を服すとも 而も復増劇せん
  若しは他の反逆し 抄劫し窃盗せん
  是の如き等の罪 横まに其の殃に羅らん
  斯の如き罪人は 永く仏
  衆聖の王の 説法教化したもうを見たてまつらじ
  斯の如き罪人は 常に難所に生れ
  狂聾心乱にして 永く法を聞かじ
  無数劫の 恒河沙の如きに於て
  生れては輒ち聾�にして 諸根不具ならん
  常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く
  余の悪道に在ること 己が舎宅の如く
  駝驢猪狗 是れ其の行処ならん
  斯の経を謗するが故に 罪を獲ること是の如し
  若し人と為ることを得ては 聾盲��にして
  貧窮諸衰 以て自ら荘厳し
  水腫乾�d 疥癩癰疽
  是の如き等の病 以て衣服と為ん
  身常に臭きに処して 垢穢不浄に
  深く我見に著して 瞋恚を増益し
  淫欲熾盛にして 禽獣を択ばじ
  斯の経を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し
  舎利弗に告ぐ 斯の経を謗せん者
  若し其の罪を説かんに 劫を窮むとも尽きじ
  是の因縁を以て 我故に汝に語る
  無智の人の中にして 此の経を説くことなかれ
  若し利根にして 智慧明了に
  多聞強識にして 仏道を求むる者あらん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  若し人曾て 億百千の仏を見たてまつりて
  諸の善本を植え 深心堅固ならん
  是の如き人に 乃ち為に説くべし
  若し人精進して 常に慈心を修し
  身命を惜まざらんに 乃ち為に説くべし
  若し人恭敬して 異心あることなく
  諸の凡愚を離れて 独山沢に処せん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  又舎利弗 若し人あって
  悪知識を捨てて 善友に親近するを見ん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  若し仏子の 持戒清潔なること
  浄明珠の如くにして 大乗経を求むるを見ん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  若し人瞋なく 質直柔軟にして
  常に一切を愍み 諸仏を恭敬せん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  復仏子 大衆の中に於て
  清浄の心を以て 種々の因縁
  譬喩言辞をもって 説法すること無碍なるあらん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  若し比丘の 一切智の為に
  四方に法を求めて 合掌し頂受し
  但楽って 大乗経典を受持して
  乃至 余経の一偈をも受けざるあらん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  人の至心に 仏舎利を求むるが如く
  是の如く経を求め 得已って頂受せん
  其の人復 余経を志求せず
  亦未だ曾て 外道の典籍を念ぜじ
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  舎利弗に告ぐ 我是の相にして
  仏道を求むる者を説かんに 劫を窮むとも尽きじ
  是の如き等の人は 則ち能く信解せん
  汝当に為に 妙法華経を説くべし


妙法蓮華経信解品第四        〔▽一七六頁〕

 爾の時に慧命須菩提・摩訶迦旃延・摩訶迦葉・摩訶目�連・仏に従いたてまつりて聞ける所の未曾有の法と、世尊の舎利弗に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうとに希有の心を発し、歓喜踊躍して、即ち座より起って衣服を整え、偏に右の肩を袒にし右の膝を地に著け、一心に合掌し曲躬恭敬し、尊顔を瞻仰して仏に白して言さく、
 我等僧の首に居し、年竝に朽邁せり。自ら已に涅槃を得て堪忍する所なしと謂うて、復阿耨多羅三藐三菩提を進求せず。世尊往昔の説法既に久し。我時に座に在って身体疲懈し、但空・無相・無作を念じて、菩薩の法の遊戯神通し、仏国土を浄め、衆生を成就するに於て心喜楽せざりき。所以は何ん、世尊、我等をして三界を出で、涅槃の証を得せしめたまえり。又今我等年已に朽邁して、仏の菩薩を教化したもう阿耨多羅三藐三菩提に於て、一念好楽の心を生ぜざりき。我等今仏前に於て声聞に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうを聞いて、心甚だ歓喜し未曾有なることを得たり。謂わざりき、於今忽然に希有の法を聞くことを得んとは。深く自ら慶幸す、大善利を獲たりと。無量の珍宝、求めざるに自ら得たり。
 世尊、我等今者楽わくは譬喩を説いて、以て斯の義を明さん。譬えば人あって年既に幼稚にして父を捨てて逃逝し、久しく他国に住して、或は十・二十より五十歳に至る。年既に長大して、加復窮困し、四方に馳騁して以て衣食を求め、漸漸に遊行して本国に遇い向いぬ。其の父先より来、子を求むるに得ずして一城に中止す。其の家大に富んで財宝無量なり。金・銀・瑠璃・珊瑚・琥珀・頗黎珠等、其の諸の倉庫に悉く皆盈溢せり。多く僮僕・臣佐・吏民あって、象馬・車乗・午羊無数なり。出入息利すること乃ち他国に遍し。商估賈客亦甚だ衆多なり。時に貧窮の子、諸の聚落に遊び国邑に経歴して、遂に其の父の所止の城に到りぬ。父毎に子を念う。子と離別して五十余年、而も未だ曾て人に向って此の如きの事を説かず。但自ら思惟して心に悔恨を懐いて、自ら念わく、
 老朽して多く財物あり。金銀珍宝、倉庫に盈溢すれども、子息あることなし。一旦に終没しなば、財物散失して委付する所なけん。
 是を以て慇懃に毎に其の子を憶う。復是の念を作さく、我若し子を得て財物を委付せば、坦然快楽にして復憂慮なけん。
 世尊、爾の時に窮子、傭賃展転して父の舎に遇い到りぬ。門の側に住立して遥かに其の父を見れば、師子の牀に踞して宝几足を承け、諸の婆羅門・刹利・居士、皆恭敬し圍繞せり。真珠瓔珞の価直千万なるを以て其の身を荘厳し、吏民・僮僕手に白払を執って左右に侍立せり。覆うに宝帳を以てし諸の華旛を垂れ、香水を地に灑ぎ衆の名華を散じ、宝物を羅列して出内取与す。是の如き等の種々の厳飾あって威徳特尊なり。窮子父の大力勢あるを見て、即ち恐怖を懐いて、此に来至せることを悔ゆ。窃かに是の念を作さく、
 此れ或は是れ王か、或は是れ王と等しきか。我が傭力して物を得べきの処に非ず。如かじ貧里に往至して、肆力地あって衣食得易からんには。若し久しく此に住せば、或は逼迫せられ強いて我をして作さしめん。
 是の念を作し已って、疾く走って去りぬ。時に富める長者師子の座に於て、子を見て便ち識りぬ。心大に歓喜して即ち是の念を作さく、
 我が財物庫蔵今付する所あり。我常に此の子を思念すれども之を見るに由なし。而るを忽ちに自ら来れり。甚だ我が願に適えり。我年朽ちたりと雖も猶故貧惜す。
 即ち傍人を遣わして、急に追うて将いて還らしむ。爾の時に使者、疾く走り往いて捉う。窮子驚愕して、怨なりと称して大に喚ばう、我相犯さず何ぞ捉えらるることを為る。
 使者之を執うること愈急に、強いて牽将いて還る。時に窮子自ら念わく、罪なくして囚執えらる、此れ必定して死せん。
 転た更に惶怖し、悶絶して地に躄る。父遥かに之を見て使に語って言わく、
 此の人を須いじ、強いて将いて来ること勿れ。冷水を以て面に灑いで醒悟することを得せしめよ。復与みし語ることなかれ。所以は何ん、父其の子の志意下劣なるを知り、自ら豪貴にして子の為に難かるるを知って、審かに是れ子なりと知れども、而も方便を以て他人に語って、是れ我が子なりと云わず。
 使者之に語らく、我今汝を放す、意の所趣に随え。
 窮子歓喜して未曾有なることを得て、地より起きて貧里に往至して、以て衣食を求む。
 爾の時に長者、将に其の子を誘引せんと欲して、方便を設けて、密かに二人の形色憔悴して威徳なき者を遣わす。
 汝彼に詣いて徐く窮子に語るべし、「此に作処あり、倍して汝に直を与えん。」窮子若し許さば、将い来りて作さしめよ。若し何の所作をか欲すと言わば、便ち之に語るべし、「汝を雇うことは糞を除わしめんとなり。我等二人亦汝と共に作さん」と。
 時に二りの使人即ち窮子を求むるに、既已に之を得て具に上の事を陳ぶ。爾の時に窮子先ず其の価を取って、尋いで与に糞を除う。其の父、子を見て愍んで之を怪む。又他日を以て窓�[の中より遥かに子の身を見れば、羸痩憔悴し、糞土塵�f汗穢不浄なり。即ち瓔珞・細軟の上服・厳飾の具を脱いで、更に麁弊垢膩の衣を著、塵土に身を�fし、右の手に除糞の器を執持して、畏るる所あるに状れり。諸の作人に語らく、汝等勤作して懈息すること得ること勿れと。
 方便を以ての故に其の子に近づくことを得つ。後に復告げて言わく、
 咄や男子、汝常に此にして作せ、復余に去ること勿れ。当に汝に価を加うべし。諸の所須ある�g器・米麪・塩酢の属あり、自ら疑い難ることなかれ。亦老弊の使人あり、須いば相給わん。好く自ら意を安くせよ。我汝が父の如し。復憂慮することなかれ。所以は何ん、我年老大にして汝小壮なり。汝常に作さん時欺怠・瞋恨・怨言あることなかれ。都て汝が此の諸悪有らんを、余の作人の如くに見じ。今より已後、所生の子の如くせん。
 即時に長者、更に与に字を作って、之を名けて兒とす。爾の時に窮子此の遇を欣ぶと雖も、猶故自ら客作の賎人と謂えり。是れに由るが故に、二十年の中に於て常に糞を除わしむ。是れを過ぎて已後、心相体信して入出に難りなし。然も其の所止は猶お本処に在り。世尊、爾の時に長者疾有って、自ら将に死せんこと久しからじと知って、窮子に語って言わく、我今多く金銀珍宝有って倉庫に盈溢せり。其の中の多少、取与すべき所、汝悉く之を知れ。我が心是の如し。当に此の意を体るべし。所以は何ん、
 今我と汝と便ち為れ異らず。宜しく用心を加うべし、漏失せしむることなかれ。爾の時に窮子、即ち教勅を受けて、衆物の金銀珍宝及び諸の庫蔵を領知すれども、而も一餐を�取するの意なし。然も其の所止は故お本処にあり。下劣の心亦未だ捨つること能わず。復少時を経て、父、子の意漸く已に通泰して、大志を成就し、自ら先の心を鄙んずと知って、終らんと欲する時に臨んで、其の子に命じ、竝に親族・国王・大臣・刹利・居士を会むるに皆悉く已に集りぬ。即ち自ら宣言すらく、
 諸君当に知るべし、此れは是れ我が子なり、我の所生なり。某の城中に於て吾を捨てて逃走して、伶�h辛苦すること五十余年、其の本の字は某、我が名は某甲。昔本城に在って憂を懐いて推ね覓めき。忽ちに此の間に於て遇い会うて之を得たり。此れ実に我が子なり、我実に其の父なり。今吾が所有の一切の財物は皆是れ子の有なり。先に出内する所は是れ子の所知なり
 世尊、是の時窮子、父の此の言を聞いて即ち大に歓喜して、未曾有なることを得て、是の念を作さく、
 我本心に�求する所あることなかりき。今此の宝蔵、自然にして至りぬといわんが若し。
 世尊大富長者は則ち是れ如来なり。我等は皆仏子に似たり。如来常に我等を為れ子なりと説きたまえり。世尊、我等三苦を以ての故に、生死の中に於て諸の熱悩を受け、迷惑無智にして小法に楽著せり。今日世尊、我等をして思惟して諸法の戯論の糞を�除せしめたもう。我等中に於て勤加精進して、涅槃に至る一日の価を得たり。既に此れを得已って、心大に歓喜して自ら以て足れりと為し、便ち自ら謂うて言わく、
 仏法の中に於て勤め精進するが故に所得弘多なりと。然も世尊、先に我等が心弊欲に著し小法を楽うを知しめして、便ち縦し捨てられて、為に汝等当に如来の知見・宝蔵の分あるべしと分別したまわず。世尊、方便力を以て如来の智慧を説きたもうに、我等仏に従いたてまつりて、涅槃一日の価を得て、以て大に得たりとして、此の大乗に於て志求あることなかりき。我等又如来の智慧に因って、諸の菩薩の為に開示演説しかども、而も自ら此れに於て志願あることなし。所以は何ん、仏我等が心小法を楽うを知しめして、方便力を以て我等に随って説きたもう。而も我等真に是れ仏子なりと知らず。今我等方に知んぬ、世尊は仏の智慧に於て悋惜したもう所なしと。所以は何ん、我等昔より来、真に是れ仏子なれども、而も但小法を楽う。若し我等大を楽うの心あらば、仏則ち我が為に大乗の法を説きたまわん。今此の経の中に唯一乗を説きたもう。而も昔菩薩の前に於て、声聞の小法を楽う者を毀�したまえども、然も仏実には大乗を以て教化したまえり。是の故に我等説く、
 本心に�求する所あることなかりしかども、今法王の大宝、自然にして至れり。仏子の得べき所の如き者は皆已に之を得たり。
 爾の時に摩訶迦葉、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
  我等今日 仏の音教を聞いて
  歓喜踊躍して 未曾有なることを得たり
  仏声聞 当に作仏することを得べしと説きたもう
  無上の宝聚 求めざるに自ら得たり
  譬えば童子 幼稚無識にして
  父を捨てて逃逝して 遠く他土に到りぬ
  諸国に周流すること 五十余年
  其の父憂念して 四方に推ね求む
  之を求むるに既に疲れて 一城に頓止す
  舎宅を造立して 五欲に自ら娯む
  其の家巨に富んで 諸の金銀
  ��碼碯 真珠瑠璃多く
  象馬午羊 輦輿車乗
  田業僮僕 人民衆多なり
  出入息利すること 乃ち他国に遍し
  商估賈人 処として有らざることなし
  千万億の衆 圍繞し恭敬し
  常に王者に 愛念せらるることを為
  群臣豪族 皆共に宗重し
  諸の縁を以ての故に 往来する者衆し
  豪富なること是の如くにして 大力勢あり
  而も年朽邁して 益子を憂念す
  夙夜に惟念すらく 死の時将に至らんとす
  痴子我を捨てて 五十余年
  庫蔵の諸物 当に之を如何すべき
  爾の時に窮子 衣食を求索して
  邑より邑に至り 国より国に至る
  或は得る所あり 或は得る所なし
  飢餓羸痩して 体に瘡癬を生ぜり
  漸次に経歴して 父の住せる城に到りぬ
  傭賃展転して 遂に父の舎に至る
  爾の時に長者 其の門内に於て
  大宝帳を施して 師子の座に処し
  眷属圍繞し 諸人侍衛せり
  或は 金銀宝物を計算し
  財産を出内し 注記券�iするあり
  窮子父の 豪貴尊厳なるを見て
  謂わく是れ国王か 若しは是れ王と等しきかと
  驚怖して自ら怪む 何が故ぞ此に至れる
  覆かに自ら念言すらく 我若し久しく住せば
  或は逼迫せられ 強いて駆って作さしめん
  是を思惟し已って 馳走して去りぬ
  貧里に借問して 往いて傭作せんと欲す
  長者是の時 師子の座に在って
  遥かに其の子を見て 黙して之を識る
  即ち使者に勅して 追い捉え将いて来らしむ
  窮子驚き喚ばい 迷悶して地に躄る
  是の人我を執う 必ず当に殺さるべし
  何ぞ衣食を用って 我をして此に至らしむる
  長者子の 愚痴狭劣にして
  我が言を信ぜず 是れ父なりと信ぜざるを知って
  即ち方便を以て 更に余人の
  眇目�c陋にして 威徳なき者を遣わす
  汝之に語って 云うべし当に相雇うて
  諸の糞穢を除わしむべし 倍して汝に価を与えんと
  窮子之を聞いて 歓喜し随い来って
  為に糞穢を除い 諸の房舎を浄む
  長者�[より 常に其の子を見て
  子の愚劣にして 楽って鄙事を為すを念う
  是に長者 弊垢の衣を著
  除糞の器を執って 子の所に往到し
  方便して附近き 語って勤作せしむ
  既に汝が価を益し 竝に足に油を塗り
  飲食充足し 薦席厚暖ならしめん
  是の如く苦言すらく 汝当に勤作すべし
  又以て軟語すらく 若我が子の如くせん
  長者智有って 漸く入出せしむ
  二十年を経て 家事を執作せしめ
  其れに金銀 真珠頗黎
  諸物の出入を示し 皆知らしむれども
  猶お門外に処し 草庵に止宿して
  自ら貧事を念う 我に此の物なしと
  父子の心 漸く已に曠大なるを知って
  財物を与えんと欲して 即ち親族
  国王大臣 刹利居士を聚めて
  此の大衆に於て 説く是れ我が子なり
  我を捨てて他行して 五十歳を経たり
  子を見てより来 已に二十年
  昔某の城に於て 是の子を失いき
  周行し求索して 遂に此に来至せり
  凡の我が所有の 舎宅人民
  悉く以て之に付す 其の所用を恣にすべしと
  子念わく昔は貧しくして 志意下劣なりき
  今は父の所に於て 大に珍宝
  竝及に舎宅 一切の財物を獲たりと
  甚だ大に歓喜して 未曾有なることを得るが如く
  仏も亦是の如し 我が小を楽うを知しめして
  未だ曾て説いて 汝等作仏すべしと言わず
  而も我等 諸の無漏を得て
  小乗を成就する 声聞の弟子なりと説きたもう
  仏我等に勅したまわく 最上の道
  此れを修習する者は 当に成仏することを得べしと説けと
  我仏の教を承けて 大菩薩の為に
  諸の因縁 種々の譬喩
  若干の言辞を以て 無上道を説く
  諸の仏子等 我に従って法を聞き
  日夜に思惟し 精勤修習す
  是の時に諸仏 即ち其れに記を授けたもう
  汝来世に於て 当に作仏することを得べし
  一切諸仏の 秘蔵の法をば
  但菩薩の為に 其の実事を演べて
  我が為に 斯の真要を説かざりき
  彼の窮子の 其の父に近くことを得て
  諸物を知ると雖も 心に�取せざるが如く
  我等 仏法の宝蔵を説くと雖も
  自ら志願なきこと 亦復是の如し
  我等内の滅を 自ら足ることを為たりと謂うて
  唯此の事を了って 更に余事なし
  我等若し 仏の国土を浄め
  衆生を教化するを聞いては 都て欣楽なかりき
  所以は何ん 一切の諸法は
  皆悉く空寂にして 無生無滅
  無大無小 無漏無為なり
  是の如く思惟して 喜楽を生ぜず
  我等長夜に 仏の智慧に於て
  貪なく著なく 復志願なし
  而も自ら法に於て 是れ究竟なりと謂いき
  我等長夜に 空法を修習して
  三界の 苦悩の患を脱るることを得て
  最後身 有余涅槃に住せり
  仏の教化したもう所は 得道虚しからず
  則ち已に 仏の恩を報ずることを得たりとす
  我等 諸の仏子等の為に
  菩薩の法を説いて 以て仏道を求めしむと雖も
  而も是の法に於て 永く願楽なかりき
  導師捨てられたることは 我が心を観じたもうが故に
  初め勧進して 実の利ありと説きたまわず
  富める長者の 子の志劣なるを知って
  方便力を以て 其の心を柔伏して
  然して後に乃し 一切の財宝を付するが如く
  仏も亦是の如し 希有の事を現じたもう
  小を楽う者なりと知しめして 方便力を以て
  其の心を調伏して 乃し大智を教えたもう
  我等今日 未曾有なることを得たり
  先の所望に非ざるを 而も今自ら得ること
  彼の窮子の 無量の宝を得るが如し
  世尊我今 道を得果を得
  無漏の法に於て 清浄の眼を得たり
  我等長夜に 仏の浄戒を持って
  始めて今日に於て 其の果報を得
  法王の法の中に 久しく梵行を修して
  今無漏 無上の大果を得
  我等今者 真に是れ声聞なり
  仏道の声を以て 一切をして聞かしむべし
  我等今者 真に阿羅漢なり
  諸の世間 天人魔梵に於て
  普く其の中に於て 供養を受くべし
  世尊は大恩まします 希有の事を以て
  憐愍教化して 我等を利益したもう
  無量億劫にも 誰か能く報ずる者あらん
  手足をもって供給し 頭頂をもって礼敬し
  一切をもって供養すとも 皆報ずること能わじ
  若しは以て頂戴し 両肩に荷負して
  恒沙劫に於て 心を尽くして恭敬し
  又美膳 無量の宝衣
  及び諸の臥具 種々の湯薬を以てし
  午頭栴檀 及び諸の珍宝
  以て塔廟を起て 宝衣を地に布き
  斯の如き等の事 以用て供養すること
  恒沙劫に於てすとも 亦報ずること能わじ
  諸仏は希有にして 無量無辺
  不可思議の 大神通力まします
  無漏無為にして 諸法の王なり
  能く下劣の為に 斯の事を忍びたもう
  取相の凡夫に 宜しきに随って為に説きたもう
  諸仏は法に於て 最自在を得たまえり
  諸の衆生の 種々の欲楽
  及び其の志力を知しめして 堪任する所に随って
  無量の喩を以て 而も為に法を説きたもう
  諸の衆生の 宿世の善根に随い
  又成熟 未成熟の者を知しめし
  種々に籌量し 分別し知しめし已って
  一乗の道に於て 宜しきに随って三と説きたもう

妙法蓮華経巻第二

妙法蓮華経薬草喩品第五       〔▽二〇三頁〕

 爾の時に世尊、摩訶迦葉及び諸の大弟子に告げたまわく、
 善哉善哉、迦葉、善く如来の真実の功徳を説く、誠に所言の如し。如来復無量無辺阿僧祇の功徳あり。汝等若し無量億劫に於て説くとも尽くすこと能わじ。
 迦葉当に知るべし、如来は是れ諸法の王なり。若し所説あるは皆虚しからず。一切の法に於て、智の方便を以て之を演説す。其の所説の法は、皆悉く一切智地に到らしむ。如来は一切諸法の帰趣する所を観知し、亦一切衆生の深心の所行を知って、通達無碍なり。又諸法に於て究尽明了にして、諸の衆生に一切の智慧を示す。
 迦葉、譬えば三千大千世界の山川・渓谷・土地に生いたる所の卉木・叢林及び諸の薬草、種類若干にして名色各異り、密雲弥布して遍く三千大千世界に覆い、一時に等しく�qぐ、其の沢普く卉木・叢林及び諸の薬草の小根・小茎・小枝・小葉・中根・中茎・中枝・中葉・大根・大茎・大枝・大葉に洽う。諸樹の大小、上中下に随って各受くる所あり。一雲の雨らす所、其の種性に称うて生長することを得て、華果敷け実なる。一地の所生・一雨の所潤なりと雖も、而も諸の草木各差別あるが如し。
 迦葉当に知るべし、如来も亦復是の如し。世に出現すること大雲の起るが如く、大音声を以て普く世界の天・人・阿修羅に遍ぜること、彼の大雲の遍く三千大千国土に覆うが如し。大衆の中に於て是の言を唱う、
 我は是れ如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊なり。未だ度せざる者は度せしめ、未だ解せざる者は解せしめ、未だ安せざる者は安せしめ、未だ涅槃せざる者は涅槃を得せしむ。今世後世、実の如く之を知る。我は是れ一切知者・一切見者・知道者・開道者・設道者なり。汝等天・人・阿修羅衆、皆此に到るべし、法を聴かんが為の故に。
 爾の時に無数千万億種の衆生、仏所に来至して法を聴く。
 如来時に是の衆生の諸根の利・鈍・精進・懈怠を観じて、其の堪うる所に随って、為に法を説くこと種々無量にして、皆歓喜し快く善利を得せしむ。是の諸の衆生、是の法を聞き已って、現世安穏にして後に善処に生じ、道を以て楽を受け、亦法を聞くことを得。既に法を聞き已って諸の障碍を離れ、諸法の中に於て力の能うる所に任せて、漸く道に入ることを得。彼の大雲の一切の卉木・叢林及び諸の薬草に雨るに、其の種性の如く具足して潤を蒙り、各生長することを得るが如し。如来の説法は一相一味なり。所謂解脱相・離相・滅相なり。究竟して一切種智に至る。其れ衆生あって如来の法を聞いて、若しは持ち読誦し説の如く修行するに、得る所の功徳自ら覚知せず。所以は何ん、唯如来のみあって、此の衆生の種・相・体・性、何の事を念じ、何の事を思し、何の事を修し、云何に念じ、云何に思し、云何に修し、何の法を以て念じ、何の法を以て思し、何の法を以て修し、何の法を以て何の法を得ということを知れり。衆生の種々の地に住せるを、唯如来のみあって実の如く之を見て明了無碍なり。彼の卉木・叢林諸の薬草等の、而も自ら上中下の性を知らざるが如し。如来は是れ一相一味の法なりと知れり。所謂解脱相・離相・滅相・究竟涅槃・常寂滅相にして終に空に帰す。仏是れを知り已れども、衆生の心欲を観じて之を将護す。是の故に即ち為に一切種智を説かず。
 汝等迦葉、甚だ為れ希有なり。能く如来の随宜の説法を知って、能く信じ能く受く。所以は何ん、諸仏世尊の随宜の説法は、解り難く知り難ければなり。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  有を破する法王 世間に出現して
  衆生の欲に随って 種々に法を説く
  如来は尊重にして 智慧深遠なり
  久しく斯の要を黙して 務いで速かに説かず
  智あるは若し聞いては 則ち能く信解し
  智なきは疑悔して 則ち永く失うべし
  是の故に迦葉 力に随って為に説いて
  種々の縁を以て 正見を得せしむ
  迦葉当に知るべし 譬えば大雲の
  世間に起って 遍く一切を覆うに
  慧雲潤を含み 電光晃り曜き
  雷声遠く震いて 衆をして悦豫せしめ
  日光掩い蔽して 地の上清涼に
  靉靆垂布して 承攬すべきが如し
  其の雨普等にして 四方倶に下り
  流�qすること無量にして 率土充ち洽う
  山川険谷 幽邃に生いたる所の
  卉木薬草 大小の諸樹
  百穀苗稼 甘蔗葡萄
  雨の潤す所 豊かに足らざること無く
  乾地普く洽い 薬木竝に茂り
  其の雲より出ずる所の 一味の水に
  草木叢林 分に随って潤を受く
  一切の諸樹 上中下等しく
  其の大小に称うて 各生長することを得
  根茎枝葉 華果光色
  一雨の及ぼす所 皆鮮沢することを得
  其の体相 性の大小に分れたるが如く
  潤す所是れ一なれども 而も各滋茂るが如く
  仏も亦是の如し 世に出現すること
  譬えば大雲の 普く一切に覆うが如し
  既に世に出でぬれば 諸の衆生の為に
  諸法の実を 分別し演説す
  大聖世尊 諸の天人
  一切衆の中に於て 是の言を宣ぶ
  我は為れ如来 両足の尊なり
  世間に出ずること 猶お大雲の如し
  一切の 枯槁の衆生を充潤して
  皆苦を離れて 安穏の楽
  世間の楽 及び涅槃の楽を得せしむ
  諸の天人衆 一心に善く聴け
  皆此に到って 無上尊を覲るべし
  我は為れ世尊なり 能く及ぶ者なし
  衆生を安穏ならしめんが 故に世に現じて
  大衆の為に 甘露の浄法を説く
  其の法一味にして 解脱涅槃なり
  一の妙音を以て 斯の義を演暢す
  常に大乗の為に 而も因縁を作す
  我一切を観ること 普く皆平等にして
  彼此 愛憎の心あることなし
  我貪著なく 亦限碍なし
  恒に一切の為に 平等に法を説く
  一人の為にするが如く 衆多も亦然なり
  常に法を演説して 曾て他事なし
  去来坐立 終に疲厭せず
  世間に充足すること 雨の普く潤すが如し
  貴賎上下 持戒毀戒
  威儀具足せる 及び具足せざる
  正見邪見 利根鈍根に
  等しく法雨を雨らして 懈倦なし
  一切衆生の 我が法を聞く者は
  力の受くる所に随って 諸の地に住す
  或は人天 転輪聖王
  釈梵諸王に処する 是れ小の薬草なり
  無漏の法を知って 能く涅槃を得
  六神通を起し 及び三明を得
  独山林に処し 常に禅定を行じて
  縁覚の証を得る 是れ中の薬草なり
  世尊の処を求めて 我当に作仏すべしと
  精進定を行ずる 是れ上の薬草なり
  又諸の仏子 心を仏道に専らにして
  常に慈悲を行じ 自ら作仏せんこと
  決定して疑なしと知る 是れを小樹と名く
  神通に安住して 不退の輪を転じ
  無量億 百千の衆生を度する
  是の如き菩薩を 名けて大樹と為す
  仏の平等の説は 一味の雨の如し
  衆生の性に随って 受くる所不同なること
  彼の草木の 稟くる所各異るが如し
  仏此の喩を以て 方便して開示し
  種々の言辞をもって 一法を演説すれども
  仏の智慧に於ては 海の一滴の如し
  我法雨を雨らして 世間に充満す
  一味の法を 力に随って修行すること
  彼の叢林 薬草諸樹の
  其の大小に随って 漸く増茂して好きが如し
  諸仏の法は 常に一味を以て
  諸の世間をして 普く具足することを得せしめたもう
  漸次に修行して 皆道果を得
  声聞縁覚の 山林に処し
  最後身に住して 法を聞いて果を得る
  是れを薬草の 各増長することを得と名く
  若し諸の菩薩 智慧堅固にして
  三界を了達し 最上乗を求むる
  是れを小樹の 而も増長することを得と名く
  復禅に住して 神通力を得
  諸法空を聞いて 心大に歓喜し
  無数の光を放って 諸の衆生を度することある
  是れを大樹の 而も増長することを得と名く
  是の如く迦葉 仏の所説の法は
  譬えば大雲の 一味の雨を以て
  人華を潤して 各実成ることを得せしむるが如し
  迦葉当に知るべし 諸の因縁
  種々の譬喩を以て 仏道を開示す
  是れ我が方便なり 諸仏も亦然なり
  今汝等が為に 最実事を説く
  諸の声聞衆は 皆滅度せるに非ず
  汝等が所行は 是れ菩薩の道なり
  漸漸に修学して 悉く当に成仏すべし

妙法蓮華経授記品第六        〔▽二一六頁〕

 爾の時に世尊、是の偈を説き已って、諸の大衆に告げて、是の如き言を唱えたまわく、
 我が此の弟子摩訶迦葉、未来世に於て当に三百万億の諸仏世尊を奉覲して、供養・恭敬・尊重・讃歎し、広く諸仏の無量の大法を宣ぶることを得べし。最後身に於て仏になることを得ん、名を光明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。国を光徳と名け、劫を大荘厳と名けん。仏の寿は十二小劫、正法世に住すること二十小劫、像法亦住すること二十小劫ならん。国界厳飾にして、諸の穢悪・瓦礫・荊棘・便利の不浄なく、其の土平正にして、高下・坑坎・堆阜あることなけん。瑠璃を地と為して宝樹行列し、黄金を縄と為して以て道の側を界い、諸の宝華を散じ、周遍して清浄ならん。其の国の菩薩無量千億にして、諸の声聞衆亦復無数ならん。魔事あることなけん。魔及び魔民ありと雖も皆仏法を護らん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  諸の比丘に告ぐ 我仏眼を以て
  是の迦葉を見るに 未来世に於て
  無数劫を過ぎて 当に作仏することを得べし
  而も来世に於て 三百万億の
  諸仏世尊を 供養し奉覲して
  仏の智慧の為に 浄く梵行を修せん
  最上の 二足尊を供養し已って
  一切の 無上の慧を修習し
  最後身に於て 仏に成為ることを得ん
  其の土清浄にして 瑠璃を地と為し
  諸の宝樹多くして 道の側に行列し
  金縄道を界いて 見る者歓喜せん
  常に好香を出し 衆の名華を散じて
  種々の奇妙なる 以て荘厳と為し
  其の地平正にして 丘坑あることなけん
  諸の菩薩衆 称計すべからず
  其の心調柔にして 大神通に逮び
  諸仏の 大乗経典を奉持せん
  諸の声聞衆の 無漏の後身
  法王の子なる 亦計るべからず
  乃ち天眼を以ても 数え知ること能わじ
  其の仏は当に寿 十二小劫なるべし
  正法世に住すること 二十小劫
  像法亦住すること 二十小劫ならん
  光明世尊 其の事是の如し
 爾の時に大目�連・須菩提・摩訶迦旃延等、皆悉く悚慄して一心に合掌し、世尊を瞻仰して目暫くも捨てず。即ち共に声を同じゅうして、偈を説いて言さく、
  大雄猛世尊 諸釈の法王
  我等を哀愍したもうが故に 而も仏の音声を賜え
  若し我が深心を知しめして 授記せられば
  甘露を以て灑ぐに 熱を除いて清涼を得るが如くならん
  飢えたる国より来って 忽ちに大王の膳に遇わんに
  心猶お疑懼を懐いて 未だ敢て即便ち食せず
  若し復王の教を得ば 然して後に乃ち敢て食せんが如く
  我等も亦是の如し 毎に小乗の過を惟うて
  当に云何して 仏の無上慧を得べきを知らず
  仏の音声の 我等作仏せんと言うを聞くと雖も
  心尚お憂懼を懐くこと 未だ敢て便ち食せざるが如し
  若し仏の授記を蒙りなば 爾して乃ち快く安楽ならん
  大雄猛世尊 常に世間を安んぜんと欲す
  願わくは我等に記を賜え 飢えて教を須って食するが如くならん
 爾の時に世尊、諸の大弟子の心の所念を知しめして、諸の比丘に告げたまわく、
 是の須菩提は当来世に於て、三百万億那由他の仏を奉覲して、供養・恭敬・尊重・讃歎し、常に梵行を修し、菩薩の道を具して最後身に於て仏に成為ることを得ん、号を名相如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。劫を有宝と名け、国を宝生と名けん。其の土平正にして頗黎を地と為し、宝樹荘厳して、諸の丘坑・沙礫・荊棘・便利の穢なく、宝華地に覆い、周遍して清浄ならん。其の土の人民皆宝臺・珍妙の楼閣に処せん。声聞の弟子無量無辺にして、算数・譬喩の知ること能わざる所ならん。諸の菩薩衆、無数千万億那由他ならん。仏の寿は十二小劫、正法世に住すること二十小劫、像法亦住すること二十小劫ならん。其の仏常に虚空に処して衆の為に法を説いて、無量の菩薩及び声聞衆を度脱せん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  諸の比丘衆 今汝等に告ぐ
  皆当に一心に 我が所説を聴くべし
  我が大弟子 須菩提は
  当に作仏することを得べし 号を名相といわん
  当に無数 万億の諸仏を供し
  仏の所行に随って 漸く大道を具すべし
  最後身に 三十二相を得て
  端正�X妙なること 猶お宝山の如くならん
  其の仏の国土 厳浄第一にして
  衆生の見る者 愛楽せざることなけん
  仏其の中に於て 無量の衆を度せん
  其の仏の法の中には 諸の菩薩多く
  皆悉く利根にして 不退の輪を転ぜん
  彼の国は常に 菩薩を以て荘厳せん
  諸の声聞衆 称数すべからず
  皆三明を得 六神通を具し
  八解脱に住し 大威徳あらん
  其の仏の説法には 無量の
  神通変化を現ずること 不可思議ならん
  諸天人民 数恒沙の如くにして
  皆共に合掌し 仏語を聴受せん
  其の仏は当に寿 十二小劫なるべし
  正法世に住すること 二十小劫
  像法亦住すること 二十小劫ならん
 爾の時に世尊、復諸の比丘衆に告げたまわく、我今汝に語る、是の大迦旃延は当来世に於て、諸の供具を以て八千億の仏に供養し奉事して恭敬・尊重せん。諸仏の滅後に各塔廟を起てて高さ千由旬、縦広正等にして五百由旬ならん。金・銀・瑠璃・��・碼碯・真珠・�瑰の七宝を以て合成し、衆華・瓔珞・塗香・抹香・焼香・�蓋・幢幡を塔廟に供養せん。是れを過ぎて已後、当に復二万億の仏を供養するも、亦復是の如くすべし。是の諸仏を供養し已って、菩薩の道を具して、当に作仏することを得べし。号を閻浮那提金光如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。其の土平正にして頗黎を地とし宝樹荘厳し、黄金を縄として以て道の側を界い、妙華地に覆い、周遍清浄にして、見る者歓喜せん。四悪道の地獄・餓鬼・畜生・阿修羅道なく、多く天・人あらん。諸の声聞衆及び諸の菩薩、無量万億にして其の国を荘厳せん。仏の寿は十二小劫、正法世に住すること二十小劫、像法亦住すること二十小劫ならん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  諸の比丘衆 皆一心に聴け
  我が所説の如きは 真実にして異ることなし
  是の迦旃延は 当に種々の
  妙好の供具を以て 諸仏を供養すべし
  諸仏の滅後に 七宝の塔を起て
  亦華香を以て 舎利を供養し
  其の最後身に 仏の智慧を得
  等正覚を成じ 国土清浄にして
  無量 万億の衆生を度脱し
  皆十方に 供養せらるることを為ん
  仏の光明は 能く勝れる者なけん
  其の仏の号を 閻浮金光といわん
  菩薩声聞の 一切の有を断ぜる
  無量無数にして 其の国を荘厳せん
 爾の時に世尊、復大衆に告げたまわく、我今汝に語る、是の大目�連は当に種々の供具を以て八千の諸仏に供養し、恭敬尊重したてまつるべし。諸仏の滅後に各塔廟を起てて高さ千由旬、縦広正等にして五百由旬ならん。金・銀・瑠璃・��・碼碯・真珠・�瑰の七宝を以て合成し、衆華・瓔珞・塗香・抹香・焼香・�蓋・幢幡を以て用て供養せん。是れを過ぎて已後、当に復二百万億の諸仏を供養するも、亦復是の如くすべし。当に成仏することを得べし、号を多摩羅跋栴檀香如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と曰わん。劫を喜満と名け、国を意楽と名けん。其の土平正にして頗黎を地とし宝樹荘厳し、真珠華を散じ、周遍清浄にして見る者歓喜せん。諸の天人多く菩薩・声聞其の数無量ならん。仏の寿は二十四小劫、正法世に住すること四十小劫、像法亦住すること四十小劫ならん。 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  我が此の弟子 大目�連は
  是の身を捨て已って 八千
  二百万億の 諸仏世尊を見たてまつることを得
  仏道の為の故に 供養恭敬し
  諸仏の所に於て 常に梵行を修し
  無量劫に於て 仏法を奉持せん
  諸仏の滅後に 七宝の塔を起てて
  長く金刹を表し 華香伎楽をもって
  以て 諸仏の塔廟に供養し
  漸漸に 菩薩の道を具足し已って
  意楽国に於て 作仏することを得
  多摩羅 栴檀之香と号けん
  其の仏の寿命 二十四劫ならん
  常に天人の為に 仏道を演説せん
  声聞無量にして 恒河沙の如く
  三明六通あって 大威徳あらん
  菩薩無数にして 志固く精進し
  仏の智慧に於て 皆退転せじ
  仏の滅度の後 正法当に住すること
  四十小劫なるべし 像法亦爾なり
  我が諸の弟子の 威徳具足せる
  其の数五百なるも 皆当に授記すべし
  未来世に於て 咸く成仏することを得ん
  我及び汝等が 宿世の因縁
  吾今当に説くべし 汝等善く聴け

妙法蓮華経化城喩品第七       〔▽二三〇頁〕

 仏、諸の比丘に告げたまわく、乃往過去無量無辺不可思議阿僧祇劫、爾の時に仏いましき、大通智勝如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と名く。其の国を好成と名け、劫を大相と名く。諸の比丘、彼の仏の滅度より已来、甚だ大に久遠なり。譬えば三千大千世界の所有の地種を、仮使人あって磨り以て墨と為し、東方千の国土を過ぎて乃ち一点を下さん、大さ微塵の如し。又千の国土を過ぎて復一点を下さん。是の如く展転して地種の墨を尽くさんが如き、汝等が意に於て云何。是の諸の国土を、若しは算師若しは算師の弟子、能く辺際を得て其の数を知らんや不や。不也、世尊。諸の比丘、是の人の経る所の国土の、若しは点せると点せざるとを、尽く抹して塵となして、一塵を一劫とせん。彼の仏の滅度より已来、復是の数に過ぎたること無量無辺百千万億阿僧祇劫なり。我如来の知見力を以ての故に、彼の久遠を観ること猶お今日の如し。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  我過去世の 無量無辺劫を念うに
  仏両足尊いましき 大通智勝と名く
  人あって力を以て 三千大千の土を磨って
  此の諸の地種を尽くして 皆悉く以て墨となし
  千の国土を過ぎて 乃ち一の塵点を下さん
  是の如く展転し点して 此の諸の塵墨を尽くさんが如し
  是の如き諸の国土の 点せると点せざると等を
  復尽く抹して塵となし 一塵を一劫とせん
  此の諸の微塵の数に 其の劫復是れに過ぎたり
  彼の仏の滅度より来 是の如く無量劫なり
  如来の無碍智 彼の仏の滅度
  及び声聞菩薩を知ること 今の滅度を見るが如し
  諸の比丘当に知るべし 仏智は浄くして微妙に
  無漏無所碍にして 無量劫を通達す
 仏、諸の比丘に告げたまわく、
 大通智勝仏は寿五百四十万億那由他劫なり、其の仏本道場に坐して、魔軍を破し已って、阿耨多羅三藐三菩提を得たもうに垂んとするに、而も諸仏の法現在前せず。是の如く一小劫乃至十小劫、結跏趺坐して心身動したまわず。而も諸仏の法猶お在前せざりき。爾の時に�利の諸天、先より彼の仏の為に菩提樹下に於て師子座を敷けり、高さ一由旬。仏此の座に於て当に阿耨多羅三藐三菩提を得たもうべしと。適めて此の座に坐したもう。時に諸の梵天王、衆の天華を雨らすこと、面ごとに百由旬なり。香風時来って萎める華を吹き去って、更に新しき者を雨らす。是の如く絶えず十小劫を満てて仏を供養す。乃至滅度まで常に此の華を雨らしき。四王の諸天、仏を供養せんが為に常に天鼓を撃つ。其の余の諸天、天の伎楽を作すこと十小劫を満つ。滅度に至るまで亦復是の如し。
 諸の比丘、大通智勝仏十小劫を過ぎて諸仏の法乃し現在前して、阿耨多羅三藐三菩提を成じたまいき。
 其の仏未だ出家したまわざりし時に十六の子あり。其の第一をば名を智積という。諸子各種々の珍異玩好の具あり。父阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たもうを聞いて、皆所珍を捨てて仏所に往詣す。諸母涕泣して随って之を送る其の祖転輪聖王、一百の大臣及び余の百千万億の人民と、皆共に圍繞し随って道場に至る。咸く大通智勝如来に親近して、供養・恭敬・尊重・讃歎したてまつらんと欲し、到り已って頭面に足を礼し、仏を繞り畢已って一心に合掌し、世尊を瞻仰して偈を以て頌して曰さく、
  大威徳世尊 衆生を度せんが為の故に
  無量億歳に於て 爾して乃し成仏することを得
  諸願已に具足したまえり 善哉吉無上
  世尊は甚だ希有なり 一び坐して十小劫
  身体及び手足 静然として安じて動せず
  其の心常に憺泊にして 未だ曾て散乱あらず
  究竟して永く寂滅し 無漏の法に安住したまえり
  今者世尊の 安穏に仏道を成じたもうを見て
  我等善利を得 称慶して大に歓喜す
  衆生は常に苦悩し 盲冥にして導師なし
  苦尽の道を識らず 解脱を求むることを知らずして
  長夜に悪趣を増し 諸天衆を減損す
  冥きより冥きに入り 永く仏の名を聞かず
  今仏最上 安穏無漏の法を得たまえり
  我等及び天人 これ最大利を得たり
  是の故に咸く稽首して 無上尊を帰命したてまつる
 爾の時に十六王子、偈をもって仏を讃め已って、世尊に法輪を転じたまえと勧請し、咸く是の言を作さく、
 世尊、法を説きたまえ、安穏ならしむる所多からん。諸天人民を憐愍し饒益したまえ。
 重ねて偈を説いて言さく、
  世雄は等倫なし 百福をもって自ら荘厳し
  無上の智慧を得たまえり 願わくは世間の為に説いて
  我等 及び諸の衆生の類を度脱し
  為に分別し顕示して 是の智慧を得せしめたまえ
  若し我等仏を得ば 衆生亦復然ならん
  世尊は衆生 深心の所念を知り
  亦所行の道を知り 又智慧力を知しめせり
  欲楽及び修福 宿命所行の業
  世尊悉く知しめし已れり 当に無上輪を転じたもうべし
 仏、諸の比丘に告げたまわく、
 大通智勝仏阿耨多羅三藐三菩提を得たまいし時、十方各五百万億の諸仏世界六種に震動し、其の国の中間幽冥の処、日月の威光も照すこと能わざる所、而も皆大に明かなり。其の中の衆生各相見ることを得て、咸く是の言を作さく、
 此の中に云何ぞ忽ちに衆生を生ぜる。
 又其の国界の諸天の宮殿乃至梵宮まで六種に震動し、大光普く照して世界に遍満し、諸天の光に勝れり。爾の時に東方五百万億の諸の国土の中の梵天の宮殿、光明照曜して常の明に倍れり。諸の梵天王各是の念を作さく、
 今者宮殿の光明昔より未だ有らざる所なり。何の因縁を以て此の相を現ずる。
 是の時に諸の梵天王即ち各相詣って共に此の事を議す。而も彼の衆の中に一りの大梵天王あり、救一切と名く。諸の梵衆の為に偈を説いて言わく、
  我等が諸の宮殿 光明昔より未だ有らず
  此れは是れ何の因縁ぞ 宜しく各共に之を求むべし
  大徳の天の生ぜるとやせん 仏の世間に出でたまえるとやせん
  而も此の大光明 遍く十方を照す
 爾の時に五百万億の国土の諸の梵天王、宮殿と倶に、各衣�Wを以て諸の天華を盛って、共に西方に詣いて是の相を推尋するに、大通智勝如来の道場菩提樹下に処し師子座に坐して、諸天・龍王・乾闥婆・緊那羅・摩�羅伽・人非人等の恭敬圍繞せるを見、及び十六王子の仏に転法輪を請するを見る。即時に諸の梵天王、頭面に仏を礼し繞ること百千�して、即ち天華を以て仏の上に散ず、其の所散の華須弥山の如し。竝に以て仏の菩提樹に供養す。其の菩提樹高さ十由旬なり。華の供養已って、各宮殿を以て彼の仏に奉上して、是の言を作さく、
 唯我等を哀愍し饒益せられて、所献の宮殿願わくは納処を垂れたまえ。
 時に諸の梵天王、即ち仏前に於て一心に声を同じゅうして、偈を以て頌して曰さく、
  世尊は甚だ希有にして 値遇すること得べきこと難し
  無量の功徳を具して 能く一切を救護し
  天人の大師として 世間を哀愍したもう
  十方の諸の衆生 普く皆饒益を蒙る
  我等が従り来る所は 五百万億の国なり
  深禅定の楽を捨てたることは 仏を供養せんが為の故なり
  我等先世の福あって 宮殿甚だ厳飾せり
  今以て世尊に奉る 唯願わくは哀んで納受したまえ
 爾の時に諸の梵天王、偈をもって仏を讃め已って、各是の言を作さく、
 唯願わくは世尊、法輪を転じて衆生を度脱し、涅槃の道を開きたまえ。
 時に諸の梵天王、一心に声を同じゅうして、偈を説いて言さく、
  世雄両足尊 唯願わくは法を演説し
  大慈悲の力を以て 苦悩の衆生を度したまえ
 爾の時に大通智勝如来、黙然として之を許したもう。又諸の比丘、東南方五百万億の国土の諸の大梵王、各自ら宮殿の光明照曜して昔より未だ有らざる所なるをもって、歓喜踊躍し希有の心を生じて、即ち各相詣って共に此の事を議す。時に彼の衆の中に一りの大梵天王あり、名を大悲という。諸の梵衆の為に偈を説いて言わく、
  是の事何の因縁あって 此の如き相を現ずる
  我等が諸の宮殿 光明昔より未だ有らず
  大徳の天の生ぜるとやせん 仏の世間に出でたまえるとやせん
  未だ曾て此の相を見ず 当に共に一心に求むべし
  千万億の土を過ぐとも 光を尋ねて共に之を推せん
  多くは是れ仏の世に出でて 苦の衆生を度脱したもうならん
 爾の時に五百万億の諸の梵天王、宮殿と倶に、各衣�Wを以て諸の天華を盛って、共に西北方に詣いて是の相を推尋するに、大通智勝如来の道場菩提樹下に処し師子座に坐して、諸天・龍王・乾闥婆・緊那羅・摩�羅伽・人非人等の恭敬圍繞せるを見、及び十六王子の仏に転法輪を請ずるを見る。
 時に諸の梵天王、頭面に仏を礼し繞ること百千�して、即ち天華を以て仏の上に散ず。所散の華須弥山の如し。竝に以て仏の菩提樹に供養す。華の供養已って、各宮殿を以て彼の仏に奉上して、是の言を作さく、
 唯我等を哀愍し饒益せられて、諸献の宮殿願わくは納処を垂れたまえ。
 爾の時に諸の梵天王、即ち仏前に於て一心に声を同じゅうして、偈を以て頌して曰さく、
  聖主天中天 迦陵頻伽の声をもって
  衆生を哀愍したもう者 我等今敬礼す
  世尊は甚だ希有にして 久遠に乃し一たび現じたもう
  一百八十劫 空しく過ぎて仏いますことなし
  三悪道充満し 諸天衆減少せり
  今仏世に出でて 衆生の為に眼となり
  世間の帰趣する所として 一切を救護し
  衆生の父と為って 哀愍し饒益したもう者なり
  我等宿福の慶あって 今世尊に値いたてまつることを得たり
 爾の時に諸の梵天王、偈をもって仏を讃め已って、各是の言を作さく、
 唯願わくは世尊、一切を哀愍して法輪を転じ衆生を度脱したまえ。
 時に諸の梵天王、一心に声を同じゅうして、偈を説いて言さく、
  大聖法輪を転じて 諸法の相を顕示し
  苦悩の衆生を度して 大歓喜を得せしめたまえ
  衆生此の法を聞かば 道を得若しは天に生じ
  諸の悪道減少し 忍善の者増益せん
 爾の時に大通智勝如来、黙然として之を許したもう。
 又諸の比丘、南方五百万億の国土の諸の大梵王、各自ら宮殿の光明照曜して昔より未だ有らざる所なるを見て、歓喜踊躍し希有の心を生じて、即ち各相詣って共に此の事を議す。何の因縁を以て、我等が宮殿此の光曜ある。
 而も彼の衆の中に一りの大梵天王あり、名を妙法という。諸の梵衆の為に偈を説いて言わく、
  我等が諸の宮殿 光明甚だ威曜せり
  此れ因縁なきにあらじ 是の相宜しく之を求むべし
  百千劫を過ぐれども 未だ曾て是の相を見ず
  大徳の天の生ぜるとやせん 仏の世間に出でたまえるとやせん
 爾の時に五百万億の諸の梵天王、宮殿と倶に、各衣�Wを以て諸の天華を盛って、共に北方に詣いて是の相を推尋するに、大通智勝如来の道場菩提樹下に処し師子座に坐して、諸天・龍王・乾闥婆・緊那羅・摩�羅伽・人非人等の恭敬圍繞せるを見、及び十六王子の仏に転法輪を請ずるを見る。
 時に諸の梵天王、頭面に仏を礼し繞ること百千�して、即ち天華を以て仏の上に散ず。所散の華須弥山の如し。竝に以て仏の菩提樹に供養す。華の供養已って、各宮殿を以て彼の仏に奉上して、是の言を作さく、
 唯我等を哀愍し饒益せられて、諸献の宮殿願わくは納処を垂れたまえ。
 爾の時に諸の梵天王、即ち仏前に於て一心に声を同じゅうして、偈を以て頌して曰さく、
  世尊は甚だ見たてまつり難し 諸の煩悩を破したまえる者なり
  百三十劫を過ぎて 今乃ち一たび見たてまつることを得
  諸の飢渇の衆生に 法雨を以て充満したもう
  昔より未だ曾て覩ざる所の 無量の智慧者なり
  優曇波羅の如くにして 今日乃ち値遇したてまつる
  我等が諸の宮殿 光を蒙るが故に厳飾せり
  世尊大慈悲をもって 唯願わくは納受を垂れたまえ
 爾の時に諸の梵天王、偈をもって仏を讃め已って、各是の言を作さく、
 唯願わくは世尊、法輪を転じて、一切世間の諸天・魔・梵・沙門・婆羅門をして皆安穏なることを獲、而も度脱することを得せしめたまえと。
 時に諸の梵天王、一心に声を同じゅうして、偈を以て頌して曰さく、
  唯願わくは天人尊 無上の法輪を転じ
  大法の鼓を撃ち 大法の螺を吹き
  普く大法の雨を雨らして 無量の衆生を度したまえ
  我等咸く帰請したてまつる 当に深遠の音を演べたもうべし
 爾の時に大通智勝如来、黙然として之を許したもう。西南方乃至下方も亦復是の如し。爾の時に上方五百万億の国土の諸の大梵王、皆悉く自ら所止の宮殿の光明威曜して、昔より未だあらざる所なるを覩て、歓喜踊躍し希有の心を生じて、即ち各相詣って共に此の事を議す。何の因縁を以て、我等が宮殿斯の光明ある。
 而も彼の衆の中に一りの大梵天王あり、名を尸棄という。諸の梵衆の為に偈を説いて言わく、
  今何の因縁を以て 我等が諸の宮殿
  威徳の光明曜き 厳飾せること未曾有なる
  是の如きの妙相は 昔より未だ聞き見ざる所なり
  大徳の天の生ぜるとやせん 仏の世間に出でたまえるとやせん
 爾の時に五百万億の諸の梵天王、宮殿と倶に、各衣�Wを以て諸の天華を盛って、共に下方に詣いて是の相を推尋するに、大通智勝如来の道場菩提樹下に処し師子座に坐して、諸天・龍王・乾闥婆・緊那羅・摩�羅伽・人非人等の恭敬圍繞せるを見、及び十六王子の仏に転法輪を請ずるを見る。
 時に諸の梵天王、頭面に仏を礼し繞ること百千�して、即ち天華を以て仏の上に散ず。所散の華須弥山の如し。竝に以て仏の菩提樹に供養す。華の供養已って、各宮殿を以て彼の仏に奉上して、是の言を作さく、
 唯我等を哀愍し饒益せられて、所献の宮殿願わくは納処を垂れたまえ。
 時に諸の梵天王、即ち仏前に於て一心に声を同じゅうして、偈を以て頌して曰さく、
  善哉諸仏 救世の聖尊を見たてまつるに
  能く三界の獄より 諸の衆生を勉出したもう
  普智天人尊 群萌類を哀愍し
  能く甘露の門を開いて 広く一切を度したもう
  昔の無量劫に於て 空しく過ぎて仏いますことなし
  世尊未だ出でたまわざりし時は 十方常に闇瞑にして
  三悪道増長し 阿修羅亦盛んなり
  諸天衆転た減じ 死して多く悪道に堕つ
  仏に従いたてまつりて法を聞かずして 常に不善の事を行じ
  色力及び智慧 斯れ等皆減少す
  罪業の因縁の故に 楽及び楽の想を失い
  邪見の法に住して 善の儀則を識らず
  仏の所化を蒙らずして 常に悪道に堕つ
  仏は世間の眼と為って 久遠に時に乃し出でたまえり
  諸の衆生を哀愍したもう 故に世間に現じ
  超出して正覚を成じたまえり 我等甚だ欣慶す
  及び余の一切の衆も 喜んで未曾有なりと歎ず
  我等が諸の宮殿 光を蒙るが故に厳飾せり
  今以て世尊に奉る 唯哀みを垂れて納受したまえ
  願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし
  我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん
 爾の時に五百万億の諸の梵天王、偈をもって仏を讃め已って、各仏に白して言さく、
 唯願わくは世尊、法輪を転じたまえ。安穏ならしむる所多く、度脱したもう所多からん。
 時に諸の梵天王、而も偈を説いて言さく、
  世尊法輪を転じ 甘露の法鼓を撃って
  苦悩の衆生を度し 涅槃の道を開示したまえ
  唯願わくは我が請を受けて 大微妙の音を以て
  哀愍して 無量劫に習える法を敷演したまえ
 爾の時に大通智勝如来、十方の諸の梵天王及び十六王子の請を受けて、即時に三たび十二行の法輪を転じたもう。若しは沙門・婆羅門、若しは天・魔・梵、及び余の世間の転ずること能わざる所なり。謂わく是れ苦・是れ苦の集・是れ苦の滅・是れ苦滅の道なり。
 及び広く十二因縁の法を説きたもう。無明は行に縁たり、行は識に縁たり、識は名色に縁たり、名色は六入に縁たり、六入は触に縁たり、触は受に縁たり、受は愛に縁たり、愛は取に縁たり、取は有に縁たり、有は生に縁たり、生は老死憂悲苦悩に縁たり。無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、名色滅すれば則ち六入滅す、六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅すれば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅す、生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す。
 仏、天人大衆の中に於て、是の法を説きたまいし時、六百万億那由他の人、一切の法を受けざるを以ての故に、而も諸漏に於て心解脱を得、皆深妙の禅定・三明・六通を得、八解脱を具しぬ。第二・第三・第四の説法の時も、千万億恒河沙那由他等の衆生、亦一切の法を受けざるを以ての故に、而も諸漏に於て心解脱を得。是れより已後、諸の声聞衆無量無辺にして称数すべからず。爾の時に十六王子、皆童子を以て出家して沙弥と為りぬ。諸根通利にして智慧明了なり。已に曾て百千万億の諸仏を供養し、浄く梵行を修して、阿耨多羅三藐三菩提を求む。倶に仏に白して言さく、
 世尊、是の諸の無量千万億の大徳の声聞は、皆已に成就しぬ。世尊、亦当に我等が為に阿耨多羅三藐三菩提の法を説きたもうべし。我等聞き已って皆共に修学せん。世尊、我等如来の知見を志願す。深心の所念は仏自ら証知したまわん。爾の時に転輪聖王の所將の衆中八万億の人、十六王子の出家を見て亦出家を求む。王即ち聴許しき。爾の時に彼の仏、沙弥の請を受けて、二万劫を過ぎ已って、乃ち四衆の中に於て是の大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。是の経を説き已って、十六の沙弥、阿耨多羅三藐三菩提の為の故に、皆共に受持し諷誦・通利しき。是の経を説きたまいし時、十六の菩薩沙弥皆悉く信受す。声聞衆の中にも亦信解するあり。其の余の衆生の千万億種なるは皆疑惑を生じき。仏是の経を説きたもうこと、八千劫に於て未だ曾て休廃したまわず。此の経を説き已って、即ち静室に入って禅定に住したもうこと八万四千劫。
 是の時に十六の菩薩沙弥、仏の室に入って寂然として禅定したもうを知って、各法座に昇って亦八万四千劫に於て、四部の衆の為に広く妙法華経を説き分別す。一一に皆六百万億那由他恒河沙等の衆生を度し、示教利喜して阿耨多羅三藐三菩提の心を発さしむ。大通智勝仏八万四千劫を過ぎ已って、三昧より起って法座に往詣し、安詳として坐して、普く大衆に告げたまわく、
 是の十六の菩薩沙弥は甚だこれ希有なり。諸根通利にして智慧明了なり。已に曾て無量千万億数の諸仏を供養し、諸仏の所に於て常に梵行を修し、仏智を受持し、衆生に開示して其の中に入らしむ。汝等皆当に数数親近して之を供養すべし。所以は何ん、若し声聞・辟支仏及び諸の菩薩、能く是の十六の菩薩の所説の経法を信じ、受持して毀らざらん者、是の人は皆当に阿耨多羅三藐三菩提の如来の慧を得べし。
 仏諸の比丘に告げたまわく、
 是の十六の菩薩は常に楽って是の妙法蓮華経を説く。一一の菩薩の所化の六百万億の那由他恒河沙等の衆生は、世世に生まるる所菩薩と倶にして、其れに従い法を聞いて悉く皆信解せり。此の因縁を以て四万億の諸仏世尊に値いたてまつることを得、今に尽きず。諸の比丘、我今汝に語る、彼の仏の弟子の十六の沙弥は今皆阿耨多羅三藐三菩提を得、十方の国土に於て現在に法を説きたもう。無量百千万億の菩薩・声聞あって以て眷属とせり。其の二りの沙弥は東方にして作仏す。一を阿�と名け歓喜国にいます、二を須弥頂と名く。東南方に二仏、一を師子音と名け、二を師子相と名く。南方に二仏、一を虚空住と名け、二を常滅と名く。西南方に二仏、一を帝相と名け、二を梵相と名く。西方に二仏、一を阿弥陀と名け、二を度一切世間苦悩と名く。西北方に二仏、一を多摩羅跋栴檀香神通と名け、二を須弥相と名く。北方に二仏、一を雲自在と名け、二を雲自在王と名く。東北方の仏を壊一切世間怖畏と名く。第十六は我釈迦牟尼仏なり。娑婆国土に於て阿耨多羅三藐三菩提を成ぜり。諸の比丘、我等沙弥たりし時、各各に無量百千万億恒河沙等の衆生を教化せり。我に従って法を聞きしは阿耨多羅三藐三菩提を為しにき。此の諸の衆生今に声聞地に住せる者あり。我常に阿耨多羅三藐三菩提に教化す。是の諸人等、是の法を以て漸く仏道に入るべし。所以は何ん、如来の智慧は信じ難く解し難ければなり。爾の時の所化の無量恒河沙等の衆生は、汝等諸の比丘及び我が滅度の後の未来世の中の声聞の弟子是れなり。我が滅度の後、復弟子あって是の経を聞かず、菩薩の所行を知らず覚らず、自ら所得の功徳に於て、滅度の想を生じて当に涅槃に入るべし。我余国に於て作仏して更に異名あらん。是の人滅度の想を生じて涅槃に入ると雖も、而も彼の土に於て仏の智慧を求め是の経を聞くことを得ん。唯仏乗を以て滅度を得、更に余乗なし。諸の如来の方便説法をば除く。諸の比丘、若し如来自ら涅槃時到り衆又清浄に、信解堅固にして空法を了達し、深く禅定に入れりと知りぬれば、便ち諸の菩薩及び声聞衆を集めて、為に是の経を説く。世間に二乗として滅度を得るあることなし。唯一仏乗をもって滅度を得る耳。比丘当に知るべし、如来の方便は深く衆生の性に入れり。其の小法を志楽し深く五欲に著するを知って、是れ等の為の故に涅槃を説く。是の人若し聞かば則便信受す。
 譬えば五百由旬の険難悪道の曠かに絶えて人なき怖畏の処あらん。若し多くの衆あって、此の道を過ぎて珍宝の処に至らんと欲せんに、一りの導師あり。聡慧明達にして、善く険道の通塞の相を知れり。衆人を将導して此の難を過ぎんと欲す。所将の人衆中路に懈怠して、導師に白して言さく、
 我等疲極にして復怖畏す、復進むこと能わず。前路猶お遠し、今退き還らんと欲すと。
 導師諸の方便多くして、是の念を作さく、
 此れ等愍むべし。云何ぞ大珍宝を捨てて退き還らんと欲する。
 是の念を作し已って、方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、
 汝等怖るることなかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし。若し是の城に入りなば快く安穏なることを得ん。若し能く前んで宝所に至らば亦去ることを得べし。
 是の時に疲極の衆、心大に歓喜して未曾有なりと歎ず。
 我等今者斯の悪道を免れて、快く安穏なることを得つ。是に衆人前んで化城に入って、已度の想を生じ安穏の想を生ず。
 爾の時に導師、此の人衆の既に止息することを得て復疲倦無きを知って、即ち化城を滅して、衆人に語って、汝等去来宝処は近きに在り。向の大城は我が化作する所なり、止息せんが為のみと言わんが如し。諸の比丘、如来も亦復是の如し。今汝等が為に大導師と作って、諸の生死・煩悩の悪道、険難長遠にして去るべく度すべきを知れり。若し衆生但一仏乗を聞かば、則ち仏を見んと欲せず、親近せんと欲せじ。便ち是の念を作さん、仏道は長遠なり。久しく勤苦を受けて乃し成ずることを得べし。
 仏是の心の怯弱下劣なるを知しめして、方便力を以て、中道に於て止息せんが為の故に、二涅槃を説く。若し衆生二地に住すれば、如来爾の時に即ち為に説く、
 汝等は所作未だ弁ぜず。汝が所住の地は仏慧に近し。当に観察し籌量すべし。所得の涅槃は真実に非ず。但是れ如来方便の力をもって、一仏乗に於て分別して三と説く。
 彼の導師の止息せんが為の故に大城を化作し、既に息み已んぬと知って、之に告げて、
 宝所は近きに在り、此の城は実に非ず、我が化作ならくのみと言わんが如し。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  大通智勝仏 十劫道場に坐したまえども
  仏法現前せず 仏道を成ずることを得たまわず
  諸天神龍王 阿修羅衆等
  常に天華を雨らして 以て彼の仏に供養す
  諸天天鼓を撃ち 竝に衆の伎楽を作す
  香風萎める華を吹いて 更に新しき好き者を雨らす
  十小劫を過ぎ已って 乃ち仏道を成ずることを得たまえり
  諸天及び世人 心に皆踊躍を懐く
  彼の仏の十六の子 皆其の眷属
  千万億の圍繞せると 倶に仏所に行き至って
  頭面に仏足を礼して 転法輪を請ず
  聖師子法雨をもって 我及び一切に充てたまえ
  世尊は甚だ値いたてまつり難し 久遠に時に一たび現じ
  群生を覚悟せんが為に 一切を震動したもう
  東方の諸の世界 五百万億国の
  梵の宮殿光曜して 昔より未だ曾て有らざる所なり
  諸梵此の相を見て 尋ねて仏所に来至し
  華を散じて以て供養し 竝に宮殿を奉上し
  仏に転法輪を請じ 偈を以て讃歎す
  仏時未だ至らずと知しめして 請を受けて黙然として坐したまえり
  三方及び四維 上下亦復爾なり
  華を散じ宮殿を奉り 仏に転法輪を請ず
  世尊は甚だ値いたてまつり難し 願わくは大慈悲を以て
  広く甘露の門を開き 無上の法輪を転じたまえ
  無量慧の世尊 彼の衆人の請を受けて
  為に種々の法 四諦十二縁を宣べたもう
  無明より老死に至るまで 皆生縁に従って有り
  是の如き衆の過患 汝等応当に知るべし
  是の法を宣暢したもう時 六百万億�r
  諸苦の際を尽くすことを得て 皆阿羅漢と成る
  第二の説法の時 千万恒沙の衆
  諸法に於て受けずして 亦阿羅漢を得
  是れより後の得度 其の数量あることなし
  万億劫に算数すとも 其の辺を得ること能わじ
  時に十六王子 出家し沙弥と作って
  皆共に彼の仏に 大乗の法を演説したまえと請ず
  我等及び営従 皆当に仏道を成ずべし
  願わくは世尊の如く 慧眼第一浄なることを得ん
  仏童子の心 宿世の所行を知しめして
  無量の因縁 種々の諸の譬喩を以て
  六波羅蜜 及び諸の神通の事を説き
  真実の法 菩薩所行の道を分別して
  是の法華経の 恒河沙の如き偈を説きたまいき
  彼の仏経を説きたまい已って 静室にして禅定に入り
  一心にして一処に坐したもうこと 八万四千劫
  是の諸の沙弥等 仏の禅より未だ出でたまわざるを知って
  無量億の衆の為に 仏の無上慧を説く
  各各に法座に坐して 是の大乗経を説き
  仏宴寂の後に於て 宣揚して法化を助く
  一一の沙弥等の 度する所の諸の衆生
  六百万億 恒河沙等の衆あり
  彼の仏の滅度の後 是の諸の聞法の者
  在在諸仏の土に 常に師と倶に生ず
  是の十六の沙弥 具足して仏道を行じて
  今現に十方に在って 各正覚を成ずることを得たまえり
  爾の時の聞法の者 各諸仏の所にあり
  其の声聞に住することあるは 漸く教うるに仏道を以てす
  我十六の数にあって 曾て亦汝が為に説きき
  是の故に方便を以て 汝を引いて仏慧に趣かしむ
  是の本因縁を以て 今法華経を説いて
  汝をして仏道に入らしむ 慎んで驚懼を懐くこと勿れ
  譬えば険悪道の 迥かに絶えて毒獣多く
  又復水草なく 人の怖畏する所の処あらん
  無数千万の衆 此の険道を過ぎんと欲す
  其の路甚だ曠遠にして 五百由旬を経
  時に一りの導師あり 強識にして智慧あり
  明了にして心決定せり 険きにあって衆難を済う
  衆人皆疲倦して 導師に白して言さく
  我等今頓乏せり 此れより退き還らんと欲す
  導師是の念を作さく 此の輩甚だ愍むべし
  如何ぞ退き還って 大珍宝を失わんと欲する
  尋いで時に方便を思わく 当に神通力を設くべしと
  大城郭を化作して 諸の舎宅を荘厳す
  周�して園林 渠流及び浴池
  重門高楼閣あって 男女皆充満せり
  即ち是の化を作し已って 衆を慰めて言わく懼るること勿れ
  汝等此の城に入りなば 各所楽に随うべし
  諸人既に城に入って 心皆大に歓喜し
  皆安穏の想を生じて 自ら已に度することを得つと謂えり
  導師息み已んぬと知って 衆を集めて告げて
  汝等当に前進むべし 此れは是れ化城ならく耳
  我汝が疲極して 中路に退き還らんと欲するを見る
  故に方便力を以て 権に此の城を化作せり
  汝今勤め精進して 当に共に宝所に至るべしと言わんが如く
  我も亦復是の如し これ一切の導師なり
  諸の道を求むる者 中路にして懈廃し
  生死 煩悩の諸の険道を度すること能わざるを見る
  故に方便力を以て 息めんが為に涅槃を説いて
  汝等は苦滅し 所作皆已に弁ぜりと言う
  既に涅槃に到り 皆阿羅漢を得たりと知って
  爾して乃し大衆を集めて 為に真実の法を説く
  諸仏は方便力をもって 分別して三乗と説きたもう
  唯一仏乗のみあり 息処の故に二を説く
  今汝が為に実を説く 汝が所得は滅に非ず
  仏の一切智の為に 当に大精進を発すべし
  汝一切智 十力等の仏法を証し
  三十二相を具しなば 乃ち是れ真実の滅ならん
  諸仏の導師は 息めんが為に涅槃を説きたもう
  既に是れ息み已んぬと知れば 仏慧に引入したもう

妙法蓮華経巻第三

妙法蓮華経五百弟子受記品第八    〔▽二七七頁〕

 爾の時に富楼那弥多羅尼子、仏に従いたてまつりて是の智慧方便随宜の説法を聞き、又諸の大弟子に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうを聞き、復宿世因縁の事を聞き、復諸仏の大自在神通の力ましますことを聞きたてまつりて未曾有なることを得、心浄く踊躍し、即ち座より起って仏前に到り、頭面に足を礼し却って一面に住し、尊顔を瞻仰して目暫くも捨てず。而も是の念を作さく、
 世尊は甚だ奇特にして所為希有なり。世間若干の種性に随順して、方便知見を以て為に法を説いて、衆生処処の貪著を抜出したもう。我等仏の功徳に於て、言をもって宣ぶること能わず。唯仏世尊のみ能く我等が深心の本願を知しめせり。
 爾の時に仏、諸の比丘に告げたまわく、
 汝等是の富楼那弥多羅尼子を見るや不や。我常に其の説法人の中に於て最も第一たりと称し、亦常に其の種々の功徳を歎ず。精勤して我が法を護持し助宣し、能く四衆に於て示教利喜し、具足して仏の正法を解釈して、大に同梵行者を饒益す。如来を捨いてよりは、能く其の言論の弁を尽くすものなけん。汝等、富楼那は但能く我が法を護持し助宣すと謂うことなかれ。亦過去九十億の諸仏の所に於ても、仏の正法を護持し助宣し、彼の説法人の中に於ても亦最も第一なりき。又諸仏所説の空法に於て明了に通達し、四無碍智を得て常に能く審諦に、清浄に法を説いて疑惑あることなく、菩薩神通の力を具足し、其の寿命に随って常に梵行を修しき。彼の仏世の人、咸く皆之を実に是れ声聞なりと謂えり。而も富楼那は斯の方便を以て無量百千の衆生を饒益し、又無量阿僧祇の人を化して阿耨多羅三藐三菩提を立てしむ。仏土を浄めんが為の故に、常に仏事を作し衆生を教化しき。
 諸の比丘、富楼那は亦七仏の説法人の中に於て第一なることを得、今我が所の説法人の中に於ても亦第一なることを為。賢劫の中当来の諸仏の説法人の中に於ても亦復第一にして、皆仏法を護持し助宣せん。亦未来に於ても、無量無辺の諸仏の法を護持し助宣し、無量の衆生を教化し饒益して、阿耨多羅三藐三菩提を立てしめん。仏土を浄めんが為の故に、常に勤め精進し衆生を教化せん。漸漸に菩薩の道を具足して、無量阿僧祇劫を過ぎて、当に此の土に於て阿耨多羅三藐三菩提を得べし。号を法明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。
 其の仏恒河沙等の三千大千世界を以て一仏土と為し、七宝を地とし、地の平かなること掌の如くにして山陵・渓澗・溝壑あることなけん。七宝の臺観其の中に充満し、諸天の宮殿近く虚空に処し、人天交接して両つながら相見ることを得ん。諸の悪道なく亦女人なくして、一切衆生皆以て化生し淫欲あることなけん。大神通を得て、身より光明を出し飛行自在ならん。志念堅固に精進智慧あって、普く皆金色に、三十二相をもって自ら荘厳せん。其の国の衆生は常に二食を以てせん。一には法喜食、二には禅悦食なり。無量阿僧祇千万億那由他の諸の菩薩衆あり、大神通・四無碍智を得て善能衆生の類を教化せん。其の声聞衆、算数校計すとも知ること能わざる所ならん。皆六通・三明及び八解脱を具足することを得ん。
 其の仏の国土は是の如き等の無量の功徳あって荘厳し成就せん。劫を宝明と名け、国を善浄と名けん、其の仏の寿命無量阿僧祇劫にして、法住すること甚だ久しからん。仏の滅度の後七宝の塔を起てて其の国に遍満せん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  諸の比丘諦かに聴け 仏子所行の道は
  善く方便を学せるが故に 思議することを得べからず
  衆の小法を楽って 大智を畏るることを知れり
  是の故に諸の菩薩 声聞縁覚と作り
  無数の方便を以て 諸の衆生類を化して
  自ら是れ声聞なり 仏道を去ること甚だ遠しと説く
  無量の衆を度脱して 皆悉く成就することを得せしむ
  小欲懈怠なりと雖も 漸く当に作仏せしむべし
  内に菩薩の行を秘し 外に是れ声聞なりと現ず
  小欲にして生死を厭えども 実には自ら仏土を浄む
  衆に三毒ありと示し 又邪見の相を現ず
  我が弟子是の如く 方便して衆生を度す
  若し我具足して 種々の現化の事を説かば
  衆生の是れを聞かん者 心に則ち疑惑を懐かん
  今此の富楼那は 昔の千億の仏に於て
  所行の道を勤修し 諸仏の法を宣護し
  無上慧を求むるを為て 諸仏の所に於て
  弟子の上に居し 多聞にして智慧ありと現じ
  所説畏るる所なくして 能く衆をして歓喜せしめ
  未だ曾て疲倦あらずして 以て仏事を助く
  已に大神通に度り 四無碍慧を具し
  衆根の利鈍を知って 常に清浄の法を説き
  是の如き義を演暢して 諸の千億の衆を教え
  大乗の法に住せしめて 自ら仏土を浄め
  未来にも亦 無量無数の仏を供養し
  正法を護り助宣して 亦自ら仏土を浄め
  常に諸の方便を以て 法を説くに畏るる所なく
  不可計の衆を度して 一切智を成就せしめん
  諸の如来を供養し 法の宝蔵を護持して
  其の後に成仏することを得ん 号を名けて法明といわん
  其の国を善浄と名け 七宝の合成せる所ならん
  劫を名けて宝明とせん 菩薩衆甚だ多く
  其の数無量億にして 皆大神通に度り
  威徳力具足して 其の国土に充満せん
  声聞亦無数にして 三明八解脱あって
  四無碍智を得たる 是れ等を以て僧とせん
  其の国の諸の衆生は 淫欲皆已に断じ
  純一に変化生にして 相を具し身を荘厳せん
  法喜禅悦食にして 更に余の食想なけん
  諸の女人あることなく 亦諸の悪道なけん
  富楼那比丘 功徳悉く成満して
  当に斯の浄土の 賢聖衆甚だ多きを得べし
  是の如き無量の事 我今但略して説く
 爾の時に千二百の阿羅漢の心自在なる者、是の念を作さく、
 我等歓喜して未曾有なることを得つ。若し世尊各授記せらるること余の大弟子の如くならば亦快からずや。
 仏此れ等の心の所念を知しめして、摩訶迦葉に告げたまわく、是の千二百の阿羅漢に、我今当に現前に次第に阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授くべし。此の衆の中に於て我が大弟子�陳如比丘、当に六万二千億の仏を供養し、然して後に仏に成為ることを得べし。号を普明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。其の五百の阿羅漢、優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・迦留陀夷・優陀夷・阿�楼駄・離婆多・劫賓那・薄拘羅・周陀・莎伽陀等、皆当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。尽く同じく一号にして名けて普明といわん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  �陳如比丘 当に無量の仏を見たてまつりて
  阿僧祇劫を過ぎて 乃ち等正覚を成ずべし
  常に大光明を放ち 諸の神通を具足し
  名聞十方に遍じ 一切の敬う所として
  常に無上道を説かん 故に号けて普明とせん
  其の国土清浄にして 菩薩皆勇猛ならん
  咸く妙楼閣に昇って 諸の十方の国に遊び
  無上の供具を以て 諸仏に奉献せん
  是の供養を作し已って 心に大歓喜を懐き
  須臾に本国に還らん 是の如き神力あらん
  仏の寿六万劫ならん 正法住すること寿に倍し
  像法復是れに倍せん 法滅せば天人憂えん
  其の五百の比丘 次第に当に作仏すべし
  同じく号けて普明といい 転次して授記せん
  我が滅度の後に 某甲当に作仏すべし
  其の所化の世間 亦我が今日の如くならん
  国土の厳浄 及び諸の神通力
  菩薩声聞衆 正法及び像法
  寿命劫の多少 皆上の所説の如くならん
  迦葉汝已に 五百の自在者を知りぬ
  余の諸の声聞衆も 亦当に復是の如くなるべし
  其の此の会に在らざるは 汝当に為に宣説すべし
 爾の時に五百の阿羅漢、仏前に於て受記を得已って歓喜踊躍し、即ち座より起って仏前に到り頭面に足を礼し、過を悔いて自ら責む。世尊、我等常に是の念を作して、自ら已に究竟の滅度を得たりと謂いき。今乃ち之を知りぬ、無智の者の如し。所以は何ん、我等如来の智慧を得べかりき。而るに便ち自ら小智を以て足りぬと為しき。 世尊、譬えば人あり、親友の家に至って酒に酔うて臥せり。是の時に親友官事の当に行くべきあって、無価の宝珠を以て其の衣の裏に繋け之を与えて去りぬ。其の人酔い臥して都て覚知せず。起き已って遊行し他国に到りぬ。衣食の為の故に勤力求索すること甚だ大に艱難なり。若し少し得る所あれば便ち以て足りぬと為す。後に親友会い遇うて之を見て、是の言を作さく、咄哉丈夫、何ぞ衣食の為に乃ち是の如くなるに至る。我昔汝をして安楽なることを得、五欲に自ら恣ならしめんと欲して、某の年月日に於て無価の宝珠を以て汝が衣の裏に繋けぬ。今故お現にあり。而るを汝知らずして、勤苦憂悩して以て自活を求むること、甚だこれ痴なり。汝今此の宝を以て所須に貿易すべし。常に意の如く乏短なる所なかるべしといわんが如く、仏も亦是の如し。菩薩たりし時我等を教化して、一切智の心を発さしめたまいき。而るを尋いで廃忘して知らず覚らず、既に阿羅漢道を得て自ら滅度せりと謂い、資生艱難にして少しきを得て足りぬとなす。一切智の願猶お在って失せず。今者世尊我等を覚悟して、是の如き言を作したまわく
 諸の比丘、汝等が得たる所は究竟の滅に非ず。我久しく汝等をして仏の善根を種えしめたれども、方便を以ての故に涅槃の相を示す。而るを汝これ実に滅度を得たりと謂えり。世尊、我今乃ち知んぬ、実に是れ菩薩なり。阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうことを得つ。是の因縁を以て甚だ大に歓喜して未曾有なることを得たり。
 爾の時に阿若�陳如等、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
  我等無上 安穏の授記の声を聞きたてまつり
  未曾有なりと歓喜して 無量智の仏を礼したてまつる
  今世尊の前に於て 自ら諸の過咎を悔い
  無量の仏宝に於て 少しき涅槃の分を得
  無智の愚人の如くして 便ち自ら以て足りぬと為しき
  譬えば貧窮の人 親友の家に往き至りぬ
  其の家甚だ大に富んで 具に諸の肴膳を設け
  無価の宝珠を以て 内衣の裏に繋著し
  黙し与えて捨て去りぬ 時に臥して覚知せず
  是の人既已に起きて 遊行して他国に詣り
  衣食を求めて自ら済り 資生甚だ艱難にして
  少しきを得て便ち足りぬとなして 更に好き者を願わず
  内衣の裏に 無価の宝珠あることを覚らず
  珠を与えし親友 後に此の貧人を見て
  苦切に之を責め已って 示すに繋けし所の珠を以てす
  貧人此の珠を見て 其の心大に歓喜し
  富んで諸の財物あって 五欲に而も自ら恣ならんが如く
  我等も亦是の如し 世尊長夜に於て
  常に愍んで教化せられ 無上の願を種えしめたまえり
  我等無智なるが故に 覚らず亦知らず
  少しき涅槃の分を得て 自ら足りぬとして余を求めず
  今仏我を覚悟して 実の滅度に非ず
  仏の無上慧を得て 爾して乃ち為れ真の滅なりと言う
  我今仏に従って 授記荘厳の事
  及び転次に受決せんことを聞きたてまつりて 身心遍く歓喜す

妙法蓮華経授学無学人記品第九    〔▽二九五頁〕

 爾の時に阿難・羅�羅、而も是の念を作さく、
 我等毎に自ら思惟すらく、設し授記を得ば亦快からずや。
 即ち座より起って仏前に到り頭面に足を礼し、倶に仏に白して言さく、
 世尊、我等此に於て亦分あるべし。唯如来のみましまして我等が帰する所なり。又我等はこれ一切世間の天・人・阿修羅に知識せらる。阿難は常に侍者となって法蔵を護持す。羅�羅は是れ仏の子なり。若し仏阿耨多羅三藐三菩提の記を授けられば、我が願既に満じて衆の望亦足りなん。
 爾の時に学無学の声聞の弟子二千人、皆座より起って偏に右の肩を袒にし、仏前に到り一心に合掌し世尊を瞻仰して、阿難・羅�羅の所願の如くにして一面に住立せり。
 爾の時に仏、阿難に告げたまわく、
 汝来世に於て当に作仏することを得べし。山海慧自在通王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けん。当に六十二億の諸仏を供養し法蔵を護持して、然して後に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。二十千万億恒河沙の諸の菩薩等を教化して、阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめん。国を常立勝幡と名け、其の土清浄にして瑠璃を地とせん。劫を妙音遍満と名けん。其の仏の寿命無量千万億阿僧祇劫ならん。若し人千万億無量阿僧祇劫の中に於て算数校計すとも知ること得ること能わじ。正法世に住すること寿命に倍し、像法世に住すること復正法に倍せん。阿難、是の山海慧自在通王仏は、十方の無量千万億恒河沙等の諸仏如来に、共に其の功徳を讃歎し称せらるることを為ん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  我今僧中にして説く 阿難持法者
  当に諸仏を供養し 然して後に正覚を成ずべし
  号を山海慧 自在通王仏といわん
  其の国土清浄にして 常立勝幡と名けん
  諸の菩薩を教化すること 其の数恒沙の如くならん
  仏大威徳ましまして 名聞十方に満ち
  寿命量あることなけん 衆生を愍むを以ての故に
  正法寿命に倍し 像法復是れに倍せん
  恒河沙等の如き 無数の諸の衆生
  此の仏法の中に於て 仏道の因縁を種えん
 爾の時に会中の新発意の菩薩八千人、咸く是の念を作さく、
 我等尚お諸の大菩薩の是の如き記を得ることを聞かず。何の因縁あって諸の声聞是の如き決を得る。
 爾の時に世尊、諸の菩薩の心の所念を知しめして、之に告げて曰く、
 諸の善男子、我阿難等と空王仏の所に於て、同時に阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。阿難は常に多聞を楽い、我は常に勤め精進す。是の故に我は已に阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。而るに阿難は我が法を護持し、亦将来の諸仏の法蔵を護って、諸の菩薩衆を教化し成就せん。其の本願是の如し、故に斯の記を獲。
 阿難面り仏前に於て、自ら授記及び国土の荘厳を聞いて所願具足し、心大に歓喜して未曾有なることを得たり。即時に過去の無量千万億の諸仏の法蔵を憶念するに、通達無碍なること今聞くところの如し。亦本願を識んぬ。
 爾の時に阿難、偈を説いて言さく、
  世尊は甚だ希有なり 我をして過去の
  無種の諸仏の法を念ぜしめたもう 今日聞く所の如し
  我今復疑なくして 仏道に安住しぬ
  方便をもって侍者となって 諸仏の法を護持せん
 爾の時に仏、羅�羅に告げたまわく、
 汝来世に於て当に作仏することを得べし、蹈七宝華如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けん。当に十世界微塵等数の諸仏如来を供養すべし。常に諸仏の為に而も長子と作ること猶お今の如くならん。是の蹈七宝華仏の国土の荘厳・寿命の劫数・所化の弟子・正法・像法、亦山海慧自在通王如来の如くにして異ることなけん。亦此の仏の為に而も長子と作らん。是れを過ぎて已後、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  我太子たりし時 羅�長子となり
  我今仏道を成ずれば 法を受けて法子と為れり
  未来世の中に於て 無量億の仏を見たてまつるに
  皆其の長子となって 一心に仏道を求めん
  羅�羅の密行は 唯我のみ能く之を知れり
  現に我が長子となって 以て諸の衆生に示す
  無量億千万の 功徳数うべからず
  仏法に安住して 以て無上道を求む
 爾の時に世尊、学無学の二千人を見たもうに、其の意柔軟に寂然清浄にして一心に仏を観たてまつる。仏阿難に告げたまわく、
 汝是の学無学の二千人を見るや不や。唯然已に見る。阿難、是の諸人等は当に五十世界微塵数の諸仏如来を供養し、恭敬尊重し法蔵を護持して、末後に同時に十方の国に於て各成仏することを得べし。皆同じく一号にして名けて宝相如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。寿命一劫ならん。国土の荘厳・声聞・菩薩・正法・像法、皆悉く同等ならん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  是の二千の声聞 今我が前に於て住せる
  悉く皆記を与え授く 未来に当に成仏すべし
  供養する所の諸仏は 上に説く塵数の如くならん
  其の法蔵を護持して 後に当に正覚を成ずべし
  各十方の国に於て 悉く同じ一名号ならん
  倶時に道場に坐して 以て無上慧を証し
  皆名けて宝相とせん 国土及び弟子
  正法と像法と 悉く等しくして異ることあることなけん
  咸く諸の神通を以て 十方の衆生を度し
  名聞普く周遍して 漸く涅槃に入らん
 爾時に学無学の二千人、仏の授記を聞きたてまつりて歓喜踊躍して、偈を説いて言さく、
  世尊は慧の燈明なり 我授記の音を聞きたてまつりて
  心に歓喜充満せること 甘露をもって潅がるるが如し

妙法蓮華経法師品第十        〔▽三〇五頁〕

 爾の時に世尊、薬王菩薩に因せて八万の大士に告げたまわく、
 薬王、汝是の大衆の中の無量の諸天・龍王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人と非人と及び比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の声聞を求むる者・辟支仏を求むる者・仏道を求むる者を見るや。是の如き等類、減く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者は我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
 仏、薬王に告げたまわく、
 又如来の滅度の後に、若し人あって妙法華経の乃至一偈・一句を聞いて一念も随喜せん者には、我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く。
 若し復人あって妙法華経の乃至一偈を受持・読誦し解説・書写し、此の経巻に於て敬い視ること仏の如くにして、種々に華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・�蓋・幢幡・衣服・妓楽を供養し、乃至合掌恭敬せん。薬王当に知るべし、是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於いて、大願を成就して、衆生を愍むが故に、此の人間に生ずるなり。薬王、若し人あって、何等の衆生か未来世に於て当に作仏することを得べきと問わば、示すべし、是の諸人等は未来世に於て必ず作仏することを得んと。何を以ての故に、若し善男子・善女人、法華経の乃至一句に於ても受持・読誦し解説・書写し、種種に経巻に華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・�蓋・幢幡・衣服・妓楽を供養し、合掌恭敬せん。是の人は一切世間の贍奉すべき所なり。如来の供養を以て之を供養すべし。当に知るべし、此の人は是れ大菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を成就して、衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。何に況んや、尽くして能く受持し種々に供養せん者をや。薬王、当に知るべし、是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍むが故に悪世に生れて広く此の経を演ぶるなり。若し是の善男子・善女人、我が滅度の後、能く窃かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ずるなり。何に況んや大衆の中に於て広く人の為に説かんをや。薬王、若し悪人あって不善の心を以て一劫の中に於て、現に仏前に於て常に仏を毀罵せん、其の罪尚お軽し。若し人一の悪言を以て、在家・出家の法華経を読誦する者を毀�せん、其の罪甚だ重し。薬王、其れ法華経を読誦すること有らん者は、当に知るべし、是の人は仏の荘厳を以て自ら荘厳するなり。則ち如来の肩に荷担せらるることを為ん。其の所至の方には随って向い礼すべし。一心に合掌し恭敬・供養・尊重讃歎し、華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・�蓋・幢幡・衣服・肴膳をもってし、諸の妓楽を作し、人中の上供をもって之を供養せよ。天の宝を持って、以て之を散ずべし。天上の宝聚以て奉献すべし。所以は何ん、是の人歓喜して法を説かんに、須臾も之を聞かば即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得んが故なり。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく
  若し仏道に住して 自然智を成就せんと欲せば
  常に当に勤めて 法華を受持せん者を供養すべし
  其れ疾く 一切種智慧を得んと欲することあらんは
  当に是の経を受持し 竝に持者を供養すべし
  若し能く妙法華経を 受持することあらん者は
  当に知るべし仏の所使として 諸の衆生を愍念するなり
  諸の能く 妙法華経を受持することあらん者は
  清浄の土を捨てて 衆を愍むが故に此に生ずるなり
  当に知るべし是の如き人は 生ぜんと欲する所に自在なれば
  能く此の悪世に於て 広く無上の法を説くなり
  天の華香 及び天宝の衣服
  天上の妙宝聚を以て 説法者に供養すべし
  吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者をば
  当に合掌し礼敬して 世尊に供養するが如くすべし
  上饌衆の甘美 及び種々の衣服をもって
  是の仏子に供養して 須臾も聞くことを得んと冀うべし
  若し能く後の世に於て 是の経を受持せん者は
  我遣わして人中にあらしめて 如来の事を行ぜしむるなり
  若し一劫の中に於て 常に不善の心を懐いて
  色を作して仏を罵らんは 無量の重罪を獲ん
  其れ 是の法華経を読誦し持つことあらん者に
  須臾も悪言を加えんは 其の罪復彼れに過ぎん
  人あって仏道を求めて 一劫の中に於て
  合掌し我が前にあって 無数の偈を以て讃めん
  是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん
  持経者を歎美せんは 其の福復彼れに過ぎん
  八十億劫に於て 最妙の色声
  及与香味触を以て 持経者に供養せよ
  是の如く供養し已って 若し須臾も聞くことを得ば
  則ち自ら欣慶すべし 我今大利を獲つと
  薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経
  而も此の経の中に於て 法華最も第一なり
 爾の時に仏、復薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、
 我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり。薬王此の経は是れ諸仏の秘要の蔵なり。分布して妄りに人に授与すべからず。諸仏世尊の守護したもう所なり。昔より已来未だ曽て顕説せず。而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや。薬王当に知るべし、如来の滅後に其れ能く書持し読誦し供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち衣を以て之を覆いたもうべし。又他方の現在の諸仏に護念せらるることを為ん。是の人は大信力及び志願力・諸善根力あらん。当に知るべし、是の人は如来と共に宿するなり。則ち如来の手をもって其の頭を摩でたもうを為ん。薬王、在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には、皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います。此の塔をば一切の華・香・瓔珞・�蓋・幢幡・妓楽・歌頌を以て、供養・恭敬・尊重・讃歎したてまるつべし。若し人あって此の塔を見たてまつることを得て礼拝し供養せん。当に知るべし、是等は皆阿耨多羅三藐三菩提に近づきぬ。薬王、多く人あって在家・出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能わずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。若し是の経典を聞くこと得ることあらん者は、乃ち能善菩薩の道を行ずるなり。其れ衆生の仏道を求むる者あって、是の法華経を若しは見、若しは聞き、聞き已って信解し受持せば、当に知るべし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提に近づくことを得たり。
 薬王、譬えば人あって渇乏して水を須いんとして、彼の高原に於て穿鑿して之を求むるに、猶お乾ける土を見ては水尚お遠しと知る。功を施すこと已まずして、転た湿える土を見、遂に漸く泥に至りぬれば、其の心決定して水必ず近しと知らんが如く、菩薩も亦復是の如し。若し是の法華経を未だ聞かず、未だ解せず、未だ修習すること能わずんば、当に知るべし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提を去ること尚お遠し。若し聞解し思惟し修習することを得ば、必ず阿耨多羅三藐三菩提に近づくことを得たりと知れ。所以は何ん、一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此の経に属せり。此の経は方便の門を開いて真実の相を示す。是の法華経の蔵は深固幽遠にして人の能く到るなし。今仏、菩薩を教化し成就して為に開示す。薬王、若し菩薩あって是の法華経を聞いて驚疑し怖畏せん。当に知るべし、是れを新発意の菩薩と為づく。若し声聞の人是の経を聞いて驚疑し怖畏せん。当に知るべし。是れを増上慢の者となづく。
 薬王、若し善男子・善女人あって、如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何してか説くべき。是の善男子・善女人は、如来の室に入り如来の衣を著如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。薬王、我余国に於て、化人を遣わして其れが為に聴法の衆を集め、亦化の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして其の説法を聴かしめん。是の諸の化人、法を聞いて信受し随順して逆らわじ。若し説法者空閑の処に在らば、我時に広く天・龍・鬼神・乾闥婆・阿修羅等を遣わして、其の説法を聴かしめん。我異国に在りと雖も、時時に説法者をして我が身を見ることを得せしめん。若し此の経に於て句逗を忘失せば、我還って為に説いて具足することを得せしめん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  諸の懈怠を捨てんと欲せば 当に此の経を聴くべし
  是の経は聞くことを得難し 信受する者亦難し
  人の渇して水を須いんとして 高原を穿鑿するに
  猶お乾燥ける土を見ては 水を去ること尚遠しと知る
  漸く湿える土泥を見ては 決定して水に近づきぬと知らんが如し
  薬王汝当に知るべし 是の如き諸人等
  法華経を聞かずんば 仏智を去ること甚だ遠し
  若し是の深経の 声聞の法を決了して
  是れ諸経の王なるを聞き 聞き已って諦かに思惟せん
  当に知るべし此の人等は 仏の智慧に近づきぬ
  若し人此の経を説かば 如来の室に入り
  如来の衣を著 而も如来の座に坐して
  衆に処して畏るる所なく 広く為に分別し説くべし
  大慈悲を室とし 柔和忍辱を衣とし
  諸法空を座とす 此れに処して為に法を説け
  若し此の経を説かん時 人あって悪口し罵り
  刀杖瓦石を加うとも 仏を念ずるが故に忍ぶべし
  我千万億の土に 浄堅固の身を現じて
  無量億劫に於て 衆生の為に法を説く
  若し我滅度の後に 能く此の経を説かん者には
  我化の四衆 比丘比丘尼
  及び清信士女を遣わして 法師を供養せしめ
  諸の衆生を引導して 之を集めて法を聴かしめん
  若し人悪 刀杖及び瓦石を加えんと欲せば
  則ち変化の人を遣わして 之が為に衛護と作さん
  若し説法の人 独空閑の処に在って
  寂莫として人の声なからんに 此の経典を読誦せば
  我爾の時に為に 清浄光明の身を現ぜん
  若し章句を忘失せば 為に説いて通利せしめん
  若し人是の徳を具して 或は四衆の為に説き
  空処にして経を読誦せば 皆我が身を見ることを得ん
  若し人空閑にあらば 我天龍王
  夜叉鬼神等を遣わして 為に聴法の衆となさん
  是の人法を楽説し 分別して�碍なからん
  諸仏護念したもうが故に 能く大衆をして喜ばしめん
  若し法師に親近せば 速かに菩薩の道を得
  是の師に随順して学せば 恒沙の仏を見たてまつることを得ん

妙法蓮華経見宝塔品第十一      〔▽三二二頁〕

 爾の時に仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。地より涌出して空中に住在す。種種の宝物をもって之を荘校せり。五千の欄楯あって龕室千万なり。無数の幢幡以て厳飾となし、宝の瓔珞を垂れ宝鈴万億にして其の上に懸けたり。四面に皆多摩羅跋栴檀の香を出して、世界に充遍せり。其の諸の幡蓋は金・銀・瑠璃・��・碼碯・真珠・�瑰の七宝を以て合成し、高く四天王宮に至る。三十三天は天の曼陀羅華を雨して宝塔に供養し、余の諸天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人等の千万億衆は、一切の華・香・瓔珞・幡蓋・妓楽を以て宝塔に供養して、恭敬・尊重・讃歎したてまつる。
 爾の時に宝塔の中より大音声を出して、歎めて言わく
 善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり。
 爾の時に四衆、大宝塔の空中に住在せるを見、又塔の中より出したまう所の音声を聞いて皆法喜を得、未曾有なりと怪み、座より而も起って恭敬合掌し、却って一面に住す。 爾の時に菩薩摩訶薩あり、大楽説と名く。一切世間の天・人・阿修羅等の心の所疑を知って、仏に白して言さく、
 世尊、何の因縁を以てか此の宝塔あって地より涌出し、又其の中より是の音声を発したもう。
 爾の時に仏、大楽説菩薩に告げたまわく、
 此の宝塔の中に如来の全身います。乃往過去に、東方の無量千万億阿僧祇の世界に、国を宝浄と名く、彼の中に仏います、号を多宝という。其の仏本菩薩の道を行ぜし時、大誓願を作したまわく、
 若し我成仏して滅度の後、十方の国土に於て法華経を説く処あらば、我が塔廟是の経を聴かんが為の故に、其の前に涌現して、為に証明と作って、讃めて善哉といわん。
 彼の仏成道し已って、滅度の時に臨んで天人大衆の中に於て、諸の比丘に告げたまわく、我が滅度の後我が全身を供養せんと欲せん者は、一の大塔を起つべし。
 其の仏神通願力を以て、十方世界の在在処処に若し法華経を説くことあれば、彼の宝塔皆其の前に涌出して、全身、塔の中に在して讃めて善哉善哉と言う。大楽説、今多宝如来の塔、法華経を説くを聞きたまわんが故に、地より涌出して讃めて善哉善哉と言う。
 是の時に大楽説菩薩、如来の神力を以ての故に、仏に白して言さく、世尊、我等願わくは此の仏身を見たてまつらんと欲す。
 仏、大楽説菩薩摩訶薩に告げたまわく、是の多宝仏深重の願います。若し我が宝塔、法華経聴かんが為の故に諸仏の前に出でん時、其れ我が身を以て四衆に示さんと欲することあらば、彼の仏の分身の諸仏十方世界に在して説法したもうを、尽く一処に還し集めて、然して後に我が身乃ち出現せんのみ。大楽説、我が分身の諸仏十方世界に在って説法する者を、今当に集むべし。
 大楽説、仏に白して言さく、世尊、我等亦願わくは世尊の分身の諸仏を見たてまつり礼拝し供養せんと欲す。
 爾の時に仏白毫の一光を放ちたもうに、即ち東方五百万億那由他恒河沙等の国土の諸仏を見たてまつる。彼の諸の国土は皆頗黎を以て地とし、宝樹・宝衣を以て荘厳として、無数千万億の菩薩其の中に充満せり。遍く宝幔を張って宝網上に羅けたり。彼の国の諸仏、大妙音を以て諸法を説きたもう。及び無量千万億の菩薩の、諸国に遍満して衆の為に法を説くを見る。南・西・北方・四維・上下、白毫相の光の所照の処も亦復是の如し。
爾の時に十方の諸仏、各衆の菩薩に告げて言わく、
善男子、我今娑婆世界の釈迦牟尼仏の所に往き、竝に多宝如来の宝塔を供養すべし。
時に娑婆世界即ち変じて清浄なり。瑠璃を地として宝樹荘厳し、黄金を縄として以て八道を界い、諸の聚落・村営・城邑・大海・江河・山川・林薮なく、大宝の香を焼き、曼陀羅華を遍く其の地に布き、宝の網幔を以て其の上に羅け覆い、諸の宝鈴を懸けたり。唯此の会の衆を留めて、諸の天人を移して他土に置く。是の時諸仏、各一りの大菩薩を将いて以て侍者とし、娑婆世界に為到って各宝樹の下に至りたもう。一一の宝樹高さ五百由旬、枝葉華果、次第に荘厳せり。諸の宝樹下に皆師子の座あり、高さ五由旬。亦大宝を以て之を校飾せり。爾の時に諸仏、各此の座に於て結跏趺坐したまう。是の如く展転して三千大千世界に遍満せり。而も釈迦牟尼仏の一方所分の身に於て、猶故未だ尽きず。
 時に釈迦牟尼仏、所分身の諸仏を容受せんと欲するが故に、八方に各更に二百万億那由他の国を変じて、皆清浄ならしめたもう。地獄・餓鬼・畜生及び阿修羅あることなし。又諸の天人を移して他土に置く。所化の国亦瑠璃を以て地とし宝樹荘厳せり。樹の高さ五百由旬、枝葉華果、次第に厳飾せり。樹下に皆宝の師子座あり、高さ五由旬。種々の諸宝以て荘校とす。亦大海・江河及び目真隣陀山・摩訶目真隣陀山・鉄圍山・大鉄圍山・須弥山等の諸山の王なく、通じて一仏国土となって宝地平正なり。宝をもって交露せる幔遍く其の上に覆い、諸の幡蓋を懸け、大宝の香を焼き、諸天の宝華遍く其の地に布けり。釈迦牟尼仏、諸仏の当に来り坐したもうべきが為の故に、復八方に於て、各二百万億那由他の国を変じて、皆清浄ならしめたもう。地獄・餓鬼・畜生及び阿修羅あることなし。又諸の天人を移して他土に置く。所化の国亦瑠璃を以て地とし宝樹荘厳せり。樹の高さ五百由旬、枝葉華果、次第に荘厳せり。樹下に皆宝の師子座あり、高さ五由旬。亦大宝を以て之を校飾せり。亦大海・江河及び目真隣陀山・摩訶目真隣陀山・鉄圍山・大鉄圍山・須弥山等の諸山の王なく、通じて一仏国土となって宝地平正なり。宝をもって交露せる幔遍く其の上に覆い、諸の幡蓋を懸け、大宝の香を焼き、諸天の宝華遍く其の地に布けり。
 爾の時に東方の釈迦牟尼仏の所分の身の百千万億那由他恒河沙等の国土の中の諸仏、各各に説法したまえる此に来集せり。是の如く次第に十方の諸仏皆悉く来集して、八方に坐したもう。爾の時に一一方の四百万億那由他の国土に諸仏如来其の中に遍満したまえり。
 是の時に諸仏各宝樹下に在して師子座に坐し、皆侍者を遣わして釈迦牟尼仏を問訊したもう。各宝華を齎ち掬に満てて、之に告げて言わく、
 善男子、汝耆闍崛山の釈迦牟尼仏の所に往詣して我が辞の如く曰せ、少病少悩、気力安楽にましますや。及び菩薩・声聞衆悉く安穏なりや不やと。此の宝華を以て仏に散じ供養して、是の言をなせ、彼の某甲の仏此の宝塔を開かんと与欲すと。
 諸仏使を遣わしたもうこと亦復是の如し。
 爾の時に釈迦牟尼仏、所分身の諸仏悉く已に来集して、各各に師子の座に坐したもうを見わし、皆諸仏の同じく宝塔を開かんと与欲したもうを聞こしめして、即ち座より起って虚空の中に住したもう。一切の四衆起立合掌し、一心に仏を観たてまつる。
 是に釈迦牟尼仏右の指を以て七宝塔の戸を開きたもう。大音声を出すこと、關鑰却けて大城の門を開くが如し。即時に一切の衆会、皆多宝如来の宝塔の中に於て師子座に坐したまい、全身散ぜざること禅定に入るが如くなるを見、又其の、
 善哉善哉釈迦牟尼仏、快く是の法華経を説きたもう、我是の経を聴かんが為の故に而も此に来至せりと言うを聞く。爾の時に四衆等、過去の無量百千万億劫に滅度したまいし仏の、是の如き言を説きたもうを見て、未曾有なりと歎じ、天の宝華聚を以て多宝仏及び釈迦牟尼仏の上に散ず。
 爾の時に多宝仏、宝塔に中に於て、半座を分ち釈迦牟尼仏に与えて、是の言をなしたまわく、釈迦牟尼仏此の座に就きたもうべし。即時に釈迦牟尼仏其の塔中に入り、其の半座に坐して結跏趺坐したもう。
 爾の時に大衆、二如来の七宝塔中の師子座上に在して結跏趺坐したもうを見たてまつり、各是の念をなさく、
 仏高遠に坐したまえり。唯願わくは如来、神通力を以て我が等輩をして倶に虚空に処せしめたまえ。
 即時に釈迦牟尼仏、神通力を以て諸の大衆を接して皆虚空に在きたもう。大音声を以て普く四衆に告げたまわく、
 誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして当に涅槃に入るべし。仏、此の妙法華経を以て付嘱して在ることあらしめんと欲す。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  聖主世尊 久しく滅度したもうと雖も
  宝塔の中に在して 尚お法の為に来りたまえり
  諸人云何ぞ 勤めて法の為にせざらん
  此の仏滅度したまいて 無央数劫なり
  処処に法を聴きたもうことは 遇い難きを以ての故なり
  彼の仏の本願は 我滅度の後
  在在所往に 常に法を聴かんが為にせん
  又我が分身 無量の諸仏
  恒沙等の如く 来れる法を聴き
  及び滅度の 多宝如来を見たてまつらんと欲して
  各妙土 及び弟子衆
  天人龍神 諸の供養の事を捨てて
  法をして久しく住せしめんが 故に此に来至したまえり
  諸仏を坐せしめんが為に 神通力を以て
  無量の衆を移して 国をして清浄ならしむ
  諸仏各各に 宝樹下に詣りたもう
  清涼池の 蓮華荘厳せるが如し
  其の宝樹下の 諸の師子座に
  仏其の上に坐したまいて 光明厳飾せること
  夜の闇の中に 大なる炬火を然せるが如し
  身より妙香を出して 十方の国に遍じたもう
  衆生薫を蒙って 喜自ら勝えず
  譬えば大風の 小樹の枝を吹くが如し
  是の方便を以て 法をして久しく住せしむ
  諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に
  誰か能く 斯の経を護持し読誦せん
  今仏前に於て 自ら誓言を説け
  其れ多宝仏 久しく滅度したもうと雖も
  大誓願を以て 師子吼したもう
  多宝如来 及与我が身
  集むる所の化仏 当に此の意を知るべし
  諸の仏子等 誰か能く法を護らん
  当に大願を発して 久しく住することを得せしむべし
  其れ能く 此の経法を護ることあらん者は
  則ち為れ 我及び多宝を供養するなり
  此の多宝仏 宝塔に処して
  常に十方に遊びたもう 是の経の為の故なり
  亦復 諸の来りたまえる化仏の
  諸の世界を 荘厳し光飾したもう者を供養するなり
  若し此の経を説かば 則ち為れ我
  多宝如来 及び諸の化仏を見たてまつるなり
  諸の善男子 各諦かに思惟せよ
  此れは為れ難事なり 宜く大願を発こすべし
  諸余の経典 数恒沙の如し
  此等を説くと雖も 未だ難しと為すに足らず
  若し須弥を接って 他方の
  無数の仏土に擲げ置かんも 亦未だ難しとせず
  若し足の指を以て 大千界を動かし
  遠く他国に擲げんも 亦未だ難しとせず
  若し有頂に立って 衆の為に
  無量の余経を演説せんも 亦未だ難しとせず
  若し仏の滅後に 悪世の中に於て
  能く此の経を説かん 是れ則ち難しとす
  仮使人あって 手に虚空を把って
  以て遊行すとも 亦未だ難しとせず
  我が滅後に於て 若しは自らも書き持ち
  若しは人をしても書かしめん 是れ則ち難しとす
  若し大地を以て 足の甲の上に置いて
  梵天に昇らんも 亦未だ難しとせず
  仏の滅度の後に 悪世の中に於て
  暫くも此の経を読まん 是れ則ち難しとす
  仮使劫焼に 乾たる草を担い負うて
  中に入って焼けざらんも 亦未だ難しとせず
  我が滅度の後に 若し此の経を持って
  一人の為にも説かん 是れ則ち難しとす
  若し八万 四千の法蔵
  十二部経を持って 人の為に演説して
  諸の聴かん者をして 六神通を得せしめん
  能く是の如くすと雖も 亦未だ難しとせず
  我が滅後に於て 此の経を聴受して
  其の義趣を問わん 是れ則ち難しとす
  若し人法を説いて 千万億
  無量無数 恒沙の衆生をして
  阿羅漢を得 六神通を具せしめん
  是の益ありと雖も 亦未だ難しとせず
  我が滅後に於て 若し能く
  斯の如き経典を奉持せん 是れ則ち難しとす
  我仏道を為て 無量の土に於て
  始より今に至るまで 広く諸経を説く
  而も其の中に於て 此の経第一なり
  若し能く持つことあるは 則ち仏身を持つなり
  諸の善男子 我が滅後に於て
  誰か能く 此の経を受持し読誦せん
  今仏前に於て 自ら誓言を説け
  此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は
  我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり
  是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり
  是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり
  是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く
  則ち為れ疾く 無上の仏道を得たり
  能く来世に於て 此の経を読み持たんは
  是れ真の仏子 淳善の地に住するなり
  仏の滅度の後に 能く其の義を解せんは
  是れ諸の天人 世間の眼なり
  恐畏の世に於て 能く須臾も説かんは
  一切の天人 皆供養すべし

妙法蓮華経巻第四

妙法蓮華経提婆達多品第十二     〔▽三四三頁〕

 爾の時に仏、諸の菩薩及び天・人・四衆に告げたまわく、吾過去無量劫の中に於て法華経を求めしに、懈倦あることなし。多劫の中に於て常に国王と作って、願を発して無上菩提を求めしに、心退転せず。六波羅蜜を満足せんと欲するをもって布施を勤行せしに、心に象馬・七珍・国城・妻子・奴婢・僕従・頭目・髄脳・身肉・手足を悋惜することなく、躯命をも惜まざりき。時に世の人民寿命無量なり。法の為の故に国位を捨てて政を太子に委せ、鼓を撃って四方に宣令して法を求めき。誰か能く我が為に大乗を説かん者なる。吾当に身を終るまで供給し走使すべし。時に仙人あり、来って王に白して言さく、
 我大乗を有てり、妙法蓮華経と名けたてまつる、若し我に違わずんば当に為に宣説すべし。
 王、仙の言を聞いて歓喜踊躍し、即ち仙人に随って所須を供給し、果を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設け、乃至身を以て状座と作せしに、身心倦きことなかりき。時に奉事すること千歳を経て、法の為の故に精勤し給侍して、乏しき所なからしめき。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく
  我過去の劫を念うに 大法を求むるをもっての故に
  世の国王と作れりと雖も 五欲の楽を貧らざりき
  鐘を椎いて四方に告ぐ 誰か大法を有てる者なる
  若し我が為に解説せば 身当に奴僕と為るべし
  時に阿私仙あり 来って大王に白さく
  我微妙の法を有てり 世間に希有なる所なり
  若し能く修行せば 吾当に汝が為に説くべし
  時に王仙の言を聞いて 心大喜悦を生じ
  即便仙人に随って 所須を供給し
  薪及び果�を採って 時に随って恭敬して与えき
  情に妙法を存ぜるが故に 身心懈倦なかりき
  普く諸の衆生の為に 大法を勤求して
  亦己が身 及び五欲の楽の為にせず
  故に大国の王と為って 勤求して此の法を獲て
  遂に成仏を得ることを致せり 今故に汝が為に説く
 仏諸の比丘に告げたまわく、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。時の仙人とは今の提婆達多是れなり。提婆達多が善知識に由るが故に、我をして六波羅蜜・慈悲喜捨・三十二相・八十種好・紫磨金色・十力・四無所畏・四摂法・十八不共・神通道力を具足せしめたり。等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり。諸の四衆に告げたまわく提婆達多却って後無量劫を過ぎて当に成仏することを得べし。号を天王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。世界を天道と名けん。時に天王仏世に住すること二十中劫、広く衆生の為に妙法を説かん。恒河沙の衆生阿羅漢果を得、無量の衆生縁覚の心を発し、恒河沙の衆生無上道の心を発し無生忍を得、不退転に住せん。時に天王仏般涅槃の後、正法世に住すること二十中劫、全身の舎利に七宝の塔を起てて、高さ六十由旬、縦広四十由旬ならん。諸天人民悉く雑華・抹香・焼香・塗香・衣服・瓔珞・幢幡・宝蓋・妓楽・歌頌を以て、七宝の妙塔を礼拝し供養せん。無量の衆生阿羅漢果を得、無数の衆生辟支仏を悟り、不可思議の衆生菩提心を発して不退転に至らん。
 仏諸の比丘に告げたまわく、未来世の中に若し善男子・善女人あって、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん。所生の処には常に此の経を聞かん。若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け、若し仏前にあらば蓮華より化生せん。時に下方の多宝世尊の所従の菩薩、名を智積という。多宝仏に啓さく、当に本土に還りたもうべし。
 釈迦牟尼仏、智積に告げて曰わく、善男子、且く須臾を待て。此に菩薩あり、文殊師利と名く。与に相見るべし。妙法を論説して本土に還るべし。
 爾の時に文殊師利、千葉の蓮華の大さ車輪の如くなるに坐し、倶に来たれる菩薩も亦宝蓮華に坐して、大海の娑竭羅龍宮より自然に涌出して、虚空の中に住し、霊鷲山に詣でて蓮華より下りて、仏前に至り、頭面に二世尊の足を敬礼し、敬を修すること已に畢って、智積の所に往いて共に相慰問して、却って一面に坐しぬ。
 智積菩薩、文殊師利に問わく、仁龍宮に往いて化する所の衆生、其の数幾何ぞ。
 文殊師利の言わく、其の数無量にして称計す可からず。口の宣ぶる所に非ず、心の測る所に非ず。且く須臾を待て。自ら当に証あるべし。所言未だ竟らざるに、無数の菩薩宝蓮華に坐して海より涌出し、霊鷲山に詣でて虚空に住在せり。此の諸の菩薩は、皆是れ文殊師利の化度せる所なり。菩薩の行を具して皆共に六波羅蜜を論説す。本声聞なりし人は虚空の中に在って声聞の行を説く。今皆大乗の空の義を修行す。文殊師利、智積に謂って曰く、海に於て教化せること其の事此の如し。
 爾の時に智積菩薩偈を以て讃めて曰く、
  大智徳勇健にして 無量の衆を化度せり
  今此の諸の大会 及び我皆已に見つ
  実相の義を演暢し 一乗の法を開闡して
  広く諸の群生を導いて 速かに菩提を成ぜしむ
 文殊師利の言わく、我海中に於て唯常に妙法華経を宣説す。
 智積菩薩、文殊師利に問うて言わく、此の経は甚深微妙にして諸経の中の宝、世に希有なる所なり。頗し衆生の勤加精進し此の経を修行して、速かに仏を得るありや不や。文殊師利の言わく、有り。娑竭羅龍王の女年始めて八歳なり。智慧利根にして、善く衆生の諸根の行業を知り、陀羅尼を得、諸仏の所説甚深の秘蔵悉く能く受持し、深く禅定に入って諸法を了達し、刹那の頃に於て菩提心を発して不退転を得たり。辯才無碍にして、衆生を慈念すること猶お赤子の如し。功徳具足して、心に念い口に演ぶること微妙広大なり。慈悲仁譲・志意和雅にして能く菩提に至れり。智積菩薩の言わく、我釈迦如来を見たてまつれば、無量劫に於て難行苦行し功を積み徳を累ねて、菩薩の道を求むること未だ曾て止息したまわず。三千大千世界を観るに、乃至芥子の如き許りも、是れ菩薩にして身命を捨てたもう処に非ることあることなし、衆生の為の故なり。然して後に乃ち菩提の道を成ずることを得たまえり。信ぜじ、此の女の須臾の頃に於て便ち正覚を成ずることを。
 言論未だ訖らざるに、時に龍王の女忽ちに前に現じて、頭面に礼敬し、却って 一面に住して、偈を以て讃めて曰さく、
  深く罪福の相を達して 遍く十方を照したもう
  微妙の浄き法身 相を具せること三十二
  八十種好を以て 用って法身を荘厳せり
  天人の戴仰する所 龍神も咸く恭敬す
  一切衆生の類 宗奉せざる者なし
  又聞いて菩提を成ずること 唯仏のみ当に証知したもうべし
  我大乗の教を闡いて 苦の衆生を度脱せん
 爾の時に舎利弗、龍女に語って言わく、
 汝久しからずして無上道を得たりと謂える。是の事信じ難し。所以は何ん、女身は垢穢にして是れ法器に非ず、云何ぞ能く無上菩提を得ん。仏道は懸曠なり。無量劫を経て勤苦して行を積み具さに諸度を修し、然して後に乃ち成ず。又女人の身には猶お五障あり、一には梵天王となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何ぞ女身速かに成仏することを得ん。
 爾の時に龍女一つの宝樹あり、価直三千大千世界なり。持って以て仏に上る。仏即ち之を受けたもう。龍女、智積菩薩・尊者舎利弗に謂って言わく、我宝樹を献る。世尊の納受是の事疾しや不や。答えて言わく、甚だ疾し。女の言わく、汝が神力を以て我が成仏を観よ。復此れよりも速かならん。当時の衆会、皆龍女の忽然の間に変じて男子となって、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往いて宝蓮華に坐して等正覚を成じ、三十二相・八十種好あって、普く十方の一切衆生の為に妙法を演説するを見る。爾の時に娑婆世界の菩薩・声聞・天・龍・八部・人と非人と皆遥かに彼の龍女の成仏して、普く時の会の人天の為に法を説くを見て、心大に歓喜して悉く遥かに敬礼す。無量の衆生法を聞いて解悟し不退転を得、無量の衆生道の記を受くることを得たり。無垢世界六反に震動す。娑婆世界の三千の衆生不退の地に住し、三千の衆生菩提心を発して授記を得たり。智積菩薩及び舎利弗、一切の衆会黙然として信受す。

妙法蓮華経勧持品第十三       〔▽三五七頁〕

 爾の時に薬王菩薩摩訶薩及び大楽説菩薩摩訶薩、二万の菩薩眷属と倶に、皆仏前に於て是の誓言を作さく、
 唯願わくは世尊、以て慮いしたもうべからず。我等仏の滅後に於て当に此の経典を奉持し読誦し説きたてまつるべし。後の悪世の衆生は善根転た少くして増上慢多く、利供養を貧り、不善根を増し、解脱を遠離せん。教化すべきこと難しと雖も、我等当に大忍力を起して、此の経を読誦し持説し書写し、種々に供養して身命を惜まざるべし。
 爾の時に衆中の五百の阿羅漢受記を得たる者、仏に白して言さく、世尊、我等亦自ら誓願すらく、異の国土に於て広く此の経を説かん、復学無学八千人の受記を得たる者あり。座より而も起って合掌し仏に向いたてまつりて、是の誓言を作さく、
 世尊、我等亦当に他の国土に於て広く此の経を説くべし。所以は何ん、是の娑婆国の中は人弊悪多く、増上慢を懐き功徳浅薄に、瞋濁諂曲にして心不実なるが故に。
 爾の時に仏の姨母摩訶波闍波提比丘尼、学無学の比丘尼六千人と倶に、座より而も起って一心に合掌し、尊顔を瞻仰して目暫くも捨てず。時に世尊、�曇弥に告げたまわく、
 何が故ぞ憂の色にして如来を視る。汝が心に将に我汝が名を説いて阿耨多羅三藐三菩提の記を授けずと謂うこと無し耶。�曇弥、我先に總じて一切の声聞に皆已に授記すと説きき、今汝記を知らんと欲せば、将来の世に当に六万八千億の諸仏の法の中に於て大法師と為るべし。及び六千の学無学の比丘尼も倶に法師と為らん。汝是の如く漸漸に菩薩の道を具して、当に作仏することを得べし。一切衆生喜見如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けん。�曇弥、是の一切衆生喜見仏及び六千の菩薩、転次に授記して阿耨多羅三藐三菩提を得ん。
 爾の時に羅�羅の母耶輸陀羅比丘尼、是の念を作さく、世尊、授記の中に於て独我が名を説きたまわず。仏、耶輸陀羅に告げたまわく、汝来世百千万億の諸仏の法の中に於て、菩薩の行を修し大法師と為り漸く仏道を具して、善国の中に於て当に作仏することを得べし。具足千万光相如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けん。仏の寿無量阿僧祇劫ならん。
 爾の時に摩訶波闍波提比丘尼及び耶輸陀羅比丘尼竝に其の眷属、皆大に歓喜し未曾有なることを得、即ち仏前に於て偈を説いて言さく、
  世尊導師 天人を安穏ならしめたもう
  我等記を聞いて 心安く具足しぬ
 諸の比丘尼是の偈を説き已って、仏に白して言さく、世尊、我等亦能く他方の国土に於て、広く此の経を宣べん。
 爾の時に世尊、八十万億那由他の諸の菩薩摩訶薩を視そなわす。是の諸の菩薩は皆是れ阿惟越致にして、不退の法輪を転じ、諸の陀羅尼を得たり。即ち座より起って仏前に至り一心に合掌して、是の念を作さく、若し世尊、我等に此の経を持説せよと告勅したまわば、当に仏の教の如く広く斯の法を宣ぶべし。
 復是の念を作さく、仏今黙然として告勅せられず。我当に云何がすべき。
 時に諸の菩薩、仏意に恭順し竝に自ら本願を満ぜんと欲して、便ち仏前に於いて師子吼を作して、誓言を発さく、世尊、我等如来の滅後に於て、十方世界に周旋往返して、能く衆生をして此の経を書写し、受持し読誦し、其の義を解説し、法の如く修行し、正憶念せしめん、皆是れ仏の威力ならん。唯願わくは世尊、他方に在すとも遥かに守護せられよ。
 即時に諸の菩薩倶に同じく声を発して、偈を説いて言さく。
  唯願わくは慮いしたもうべからず 仏の滅度の後
  恐怖悪世の中に於て 我等当に広く説くべし
  諸の無智の人 悪口罵詈等し
  及び刀杖を加うる者あらん 我等皆当に忍ぶべし
  悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に
  未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん
  或は阿練若に 納衣にして空閑に在って
  自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん
  利養に貪著するが故に 白衣のために法を説いて
  世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん
  是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い
  名を阿練若に仮つて 好んで我等が過を出さん
  而も是の如き言を作さん 此の諸の比丘等は
  利養を貧るを為ての故に 外道の論議を説く
  自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑す
  名聞を求むるを為ての故に 分別して是の経を説くと
  常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に
  国王大臣 婆羅門居士
  及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて
  是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わん
  我等仏を敬うが故に 悉く是の諸悪を忍ばん
  斯れに軽しめて 汝等は皆是れ仏なりと謂われん
  此の如き軽慢の言を 皆当に忍んで之を受くべし
  濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん
  悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん
  我等仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし
  是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん
  我身命を愛せず 但無上道を惜む
  我等来世に於て 仏の所嘱を護持せん
  世尊自ら当に知しめすべし 濁世の悪比丘は
  仏の方便 随宜所説の法を知らず
  悪口して�蹙し 数数擯出せられ
  塔寺を遠離せん 是の如き等の衆悪をも
  仏の告勅を念うが故に 皆当に是の事を忍べし
  諸の聚落城邑に 其れ法を求むる者あらば
  我皆其の所に到って 仏の所嘱の法を説かん
  我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所なし
  我当に善く法を説くべし 願わくは仏安穏に住したまえ
  我世尊の前 諸の来りたまえる十方の仏に於て
  是の如き誓言を発す 仏自ら我が心を知しめせ

妙法蓮華経安楽行品第十四      〔▽三六七頁〕

 爾の時に文殊師利法王子菩薩摩訶薩、仏に白して言さく、
 世尊、是の諸の菩薩は甚だ為れ有り難し。仏に敬順したてまつるが故に大誓願を発す。後の悪世に於て是の法華経を護持し読誦し説かん。世尊、菩薩摩訶薩後の悪世に於て云何してか能く是の経を説かん。
 仏、文殊師利に告げたまわく、
 若し菩薩摩訶薩後の悪世に於て是の経を説かんと欲せば、当に四法に安住すべし。一には菩薩の行処・親近処に安住して、能く衆生の為に是の経を演説すべし。文殊師利、云何なるをか菩薩摩訶薩の行処と名くる。若し菩薩摩訶薩忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心亦驚かず、又復法に於て行ずる所なくして、諸法如実の相を観じ、亦不分別を行ぜざる、是れを菩薩摩訶薩の行処と名く。云何なるをか菩薩摩訶薩の親近処と名くる。菩薩摩訶薩、国王・王子・大臣・官長に親近せざれ。諸の外道・梵志・尼�子等、及び世俗の文筆・讃詠の外書を造る、及び路伽耶陀・逆路伽耶陀の者に親近せざれ。亦諸の有ゆる凶戯の相扠相撲、及び那羅等の種々変現の戯に親近せざれ。又旃陀羅、及び豬羊�狗を畜い畋猟漁捕する諸の悪律儀に親近せざれ。是の如き人等或時に来らば、則ち為に法を説いて�望する所なかれ。又声聞を求むる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に親近せざれ、亦問訊せざれ。若しは房中に於ても、若しは経行の処、若しは講堂の中に在っても、共に住止せざれ。或時に来らば宜しきに随って法を説いて�求する所なかれ。文殊師利、又菩薩摩訶薩、女人の身に於て能く欲想を生ずる相を取って、為に法を説くべからず、亦見んと楽わざれ。若し他の家に入らんには、小女・処女・寡女等と共に語らざれ。亦復五種不男の人に近づいて以て親厚を為さざれ。独他の家に入らざれ。若し因縁あって独入ることを須いん時には但一心に仏を念ぜよ。若し女人の為に法を説かんには、歯を露わにして笑まざれ、胸臆を現わさざれ。乃至法の為にも猶お親厚せざれ。況や復余の事をや。楽って年小の弟子・沙弥・小兒を畜えざれ。亦与に師を同じゅうすることを楽わざれ。常に坐禅を好んで閑かなる処に在って其の心を修摂せよ。文殊師利、是れを初の親近処と名く。復次に菩薩摩訶薩、一切の法を観ずるに空なり、如実相なり、顛倒せず、動せず、退せず、転せず、虚空の如くにして所有の性なし。一切の語言の道断え、生ぜず、出せず、起せず。名なく相なく、実に所有なし。無量・無辺・無碍・無障なり。但因縁を以て有り、顛倒に従って生ず。故に説く、常に楽って是の如き法相を観ぜよと。是を菩薩摩訶薩の第二の親近処と名く。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言く、
  若し菩薩あって 後の悪世に於て
  無怖畏の心をもって 此の経を説かんと欲せば
  行処 及び親近処に入るべし
  常に国王 及び国王子
  大臣官長 凶険の戯者
  及び旃陀羅 外道梵志を離れ
  亦 増上慢の人
  小乗に貪著する 三蔵の学者に親近せざれ
  破戒の比丘 名字の羅漢
  及び比丘尼の 戯笑を好む者
  深く五欲に著して 現の滅度を求むる
  諸の優婆夷に 皆親近することなかれ
  是の若き人等 好心を以て来り
  菩薩の所に到って 仏道を聞かんとせば
  菩薩則ち 無所畏の心を以て
  �望を懐かずして 為に法を説け
  寡女処女 及び諸の不男に
  皆親近して 以て親厚を為すことなかれ
  亦 屠兒魁膾
  畋猟漁捕 利の為に殺害するに親近することなかれ
  肉を販って自活し 女色を衒売
  是の如きの人に 皆親近することなかれ
  凶険の相撲 種々の嬉戯
  諸の淫女等に 尽く親近することなかれ
  独屏処にして 女の為に法を説くことなかれ
  若し法を説かん時には 戯笑すること得ることなかれ
  里に入って乞食せんには 一りの比丘を将いよ
  若し比丘なくんば 一心に仏を念ぜよ
  是れ則ち名けて 行処近処とす
  此の二処を以て 能く安楽に説け
  又復 上中下の法
  有為無為 実不実の法を行ぜざれ
  亦 是れ男是れ女と分別せざれ
  諸法を得ず 知らず見ず
  是れ則ち名けて 菩薩の行処とす
  一切の諸法は 空にして所有なし
  常住あることなく 亦起滅なし
  是れを智者の 所親近処と名く
  顛倒して 諸法は有なり無なり
  是れ実なり非実なり 是れ生なり非生なりと分別す
  閑かなる処に在って 其の心を修摂し
  安住して動せざること 須弥山の如くせよ
  一切の法を観ずるに 皆所有無し
  猶お虚空の如し 堅固なることあることなし
  不生なり不出なり 不動なり不退なり
  常住にして一相なり 是れを近処と名く
  若し比丘あって 我が滅後に於て
  是の行処 及び親近処に入って
  斯の経を説かん時には 怯弱あることなけん
  菩薩時あって 静室に入り
  正憶念を以て 義に随って法を観じ
  禅定より起って 諸の国王
  王子臣民 婆羅門等の為に
  開化して演暢して 斯の経典を説かば
  其の心安穏にして 怯弱あることなけん
  文殊師利 是れ菩薩の
  初の法に安住して 能く後の世に於て
  法華経を説くと名く
 又文殊師利、如来の滅後に末法の中に於て是の経を説かんと欲せば、安楽行に住すべし。若しは口に宣説し若しは経を読まん時、楽って人及び経典の過を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ。他人の好悪長短を説かざれ。声聞の人に於て亦名を称して其の過悪を説かざれ。亦名を称して其の美きを讃歎せざれ。又亦怨嫌の心を生ぜざれ。善く是の如き安楽の心を修するが故に、諸の聴くことあらん者其の意に逆わじ。難問する所あらば小乗の法を以て答えざれ。但大乗を以て為に解説して一切種智を得せしめよ。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  菩薩常に楽って 安穏に法を説け
  清浄の地に於て 牀座を施し
  油を以て身に塗り 塵穢を澡浴し
  新浄の衣を著 内外倶に浄くして
  法座に安処して 問に随って為に説け
  若し比丘 及び比丘尼
  諸の優婆塞 及び優婆夷
  国王王子 群臣士民あらば
  微妙の義を以て 和顔にして為に説け
  若し難問することあらば 義に随って答えよ
  因縁譬喩をもって 敷演し分別せよ
  是の方便を以て 皆発心せしめ
  漸漸に増益して 仏道に入らしめよ
  嬾惰の意 及び懈怠の想を除き
  諸の憂悩を離れて 慈心をもって法を説け
  昼夜常に 無上道の教を説け
  諸の因縁 無量の譬喩を以て
  衆生に開示して 咸く歓喜せしめよ
  衣服臥具 飲食医薬
  而も其の中に於て �望する所なかれ
  但一心に 説法の因縁を念じ
  仏道を成じて 衆をして亦爾ならしめんと願うべし
  是れ則ち大利 安楽の供養なり
  我が滅度の後に 若し比丘あって
  能く斯の 妙法華経を演説せば
  心に嫉恚 諸悩障碍なく
  亦憂愁 及び罵詈する者なく
  又怖畏し 刀杖を加えらるる等なく
  亦擯出せらるることなけん 忍に安住するが故に
  智者是の如く 善く其の心を修せば
  能く安楽に住すること 我が上に説くが如くならん
  其の人の功徳は 千万億劫に
  算数譬喩をもって 説くとも尽くすこと能わじ
 又文殊師利、菩薩摩訶薩後の末世の法滅せんと欲せん時に於て斯の経典を受持し読誦せん者は、嫉妬・諂誑の心を懐くことなかれ。亦仏道を学する者を軽罵し、其の長短を求むることなかれ。若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の声聞を求むる者・辟支仏を求むる者・菩薩の道を求むる者、之を悩まし其れをして疑悔せしめて、其の人に語って汝等道を去ること甚だ遠し、終に一切種智を得ること能わじ。
 所以は何ん、汝は是れ放逸の人なり、道に於て懈怠なるが故にと言うこと得ることなかれ。又亦諸法を戯論して諍競する所あるべからず。当に一切衆生に於て大悲の想を起し、諸の如来に於て慈父の想を起し、諸の菩薩に於て大師の想を起すべし。十方の諸の大菩薩に於て常に深心に恭敬・礼拝すべし。一切衆生に於て平等に法を説け。法に順ずるを以ての故に多くもせず少くもせざれ。乃至深く法を愛せん者にも亦為に多く説かざれ。文殊師利、是の菩薩摩訶薩後の末世の法滅せんと欲せん時に於て、是の第三の安楽行を成就することあらん者は、是の法を説かん時能く悩乱するものなけん。好き同学の共に是の経を読誦するを得、亦大衆の而も来って聴受し、聴き已って能く持ち、持ち已って能く誦し、誦し已って能く説き、説き已って能く書き、若しは人をしても書かしめ、経巻を供養し、恭敬・尊重・讃歎するを得ん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  若し是の経を説かんと欲せば 当に嫉恚慢
  諂誑邪偽の心を捨てて 常に質直の行を修すべし
  人を軽�せず 亦法を戯論せざれ
  他をして疑悔せしめて 汝は仏を得じと云わざれ
  是の仏子法を説かんには 常に柔和にして能く忍び
  一切を慈悲して 懈怠の心を生ぜざれ
  十方の大菩薩 衆を愍むが故に道を行ずるに
  恭敬の心を生ずべし 是れ則ち我が大師なりと
  諸仏世尊に於て 無上の父の想を生じ
  �慢の心を破して 法を説くに障碍なからしめよ
  第三の法是の如し 智者守護すべし
  一心に安楽に行ぜば 無量の衆に敬われん
 又文殊師利、菩薩摩訶薩後の末世の法滅せんと欲せん時に於て法華経を受持することあらん者は、在家・出家の人の中に於て大慈の心を生じ、菩薩に非る人の中に於て大悲の心を生じて、是の念を作すべし、是の如きの人は則ち為れ大に如来の方便随宜の説法を失えり。聞かず知らず覚らず、問わず信ぜず解せず。其の人是の経を問わず信ぜず解せずと雖も、我阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、随って何れの地に在っても、神通力・智慧力を以て、之を引いて是の法の中に住することを得せしめん。
 文殊師利、是の菩薩摩訶薩如来の滅後に於て此の第四の法を成就することあらん者は、是の法を説かん時、過失あることなけん。常に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・国王・王子・大臣・人民・婆羅門・居士等に供養・恭敬・尊重・讃歎せらるることを為ん。虚空の諸天、法を聴かんが為の故に亦常に随侍せん。若し聚落・城邑・空閑・林中に在らんとき、人あり来って難問せんと欲せば、諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護し、能く聴者をして皆歓喜することを得せしめん。
 所以は何ん、此の経は是れ一切の過去・未来・現在の諸仏の神力をもって護りたもう所なるが故に。
 文殊師利、是の法華経は無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず。何に況や見ることを得受持し読誦せんをや。文殊師利、譬えば強力の転輪聖王の、威勢を以て諸国を降伏せんと欲せんに、而も諸の小王其の命に順わざらん。時に転輪王種々の兵を起して往いて討伐するに、王、兵衆の戦うに功ある者を見て即ち大に歓喜し、功に随って賞賜し、或は田宅・聚落・城邑を与え、或は衣服・厳身の具を与え、或は種々の珍宝を金・銀・瑠璃・��・碼碯・珊瑚・琥珀・象馬・車乗・奴婢・人民を与う。唯髻中の明珠のみを以て之を与えず。所以は何ん、独王の頂上に此の一つの珠あり。若し以て之を与えば、王の諸の眷属必ず大に驚き怪まんが如く、文殊師利、如来も亦復是の如し。禅定・智慧の力を以て法の国土を得て三界に王たり。而るを諸の魔王肯て順伏せず。如来の賢聖の諸将之と共に戦うに、其の功ある者には心亦歓喜して、四衆の中に於て為に諸経を説いて其の心をして悦ばしめ、賜うに禅定・解脱・無漏根・力の諸法の財を以てし、又復涅槃の城を賜与して、滅度を得たりと言って其の心を引導して皆歓喜せしむ。而も為に是の法華経を説かず。文殊師利、転輪王の諸の兵衆の大功ある者を見ては心甚だ歓喜して、此の難信の珠の久しく髻中に在って妄りに人に与えざるを以て、今之を与えんが如く、如来も亦復是の如し。三界の中に於て大法王たり。法を以て一切衆生を教化す。賢聖の軍五陰魔・煩悩魔・死魔と共に戦うに大功勲有って、三毒を滅し、三界を出でて魔網を破するを見ては、爾の時に如来亦大に歓喜して、此の法華経の能く衆生をして一切智に至らしめ、一切世間に怨多くして信じ難く、先に未だ説かざる所なるを而も今之を説く。文殊師利、此の法華経は是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり。末後に賜与すること、彼の強力の王の久しく護れる明珠を、今乃ち之を与うるが如し。文殊師利、此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上にあり。長夜に守護して妄りに宣説せざるを、始めて今日に於て乃ち汝等がために而も之を敷演す。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  常に忍辱を行じ 一切を哀愍して
  乃ち能く 仏の讃めたもう所の経を演説す
  後の末世の時に 此の経を持たん者は
  家と出家と 及び非菩薩とに於て
  慈悲を生ずべし 斯れ等
  是の経を聞かず信ぜず 則ち為れ大に失えり
  我仏道を得て 諸の方便を以て
  為に此の法を説いて 其の中に住せしめん
  譬えば強力の 転輪の王
  兵の戦う功あるに 諸物の
  象馬車乗 厳身の具
  及び諸の田宅 聚落城邑を賞賜し
  或は衣服 種々の珍宝
  奴婢財物を与え 歓喜して賜与す
  如し勇健にして 能く難事を為すことあるには
  王髻中の 明珠を解いて之を賜わんが如く
  如来も亦爾なり 為れ諸法の王
  忍辱の大力 智慧の法蔵あり
  大慈悲を以て 法の如く世を化す
  一切の人の 諸の苦悩を受け
  解脱を欲求して 諸の魔と戦うを見て
  是の衆生の為に 種々の法を説き
  大方便を以て 此の諸経を説く
  既に衆生 其の力を得已んぬと知っては
  末後に乃ち為に 是の法華を説くこと
  王髻の 明珠を解いて之を与えんが如し
  此の経は為れ尊 衆経の中の上なり
  我常に守護して 妄りに開示せず
  今正しく是れ時なり 汝等が為に説く
  我が滅度の後に 仏道を求めん者
  安穏にして 斯の経を演説することを得んと欲せば
  応当に 是の如き四法に親近すべし
  是の経を読まん者は 常に憂悩なく
  又病痛なく 顔色鮮白ならん
  貧窮 卑賎醜陋に生れじ
  衆生見んと楽うこと 賢聖を慕うが如くならん
  天の諸の童子 以て給使を為さん
  刀杖も加えず 毒も害すること能わじ
  若し人悪み罵らば 口則ち閉塞せん
  遊行するに畏れなきこと 師子王の如く
  智慧の光明 日の照すが如くならん
  若し夢の中に於ても 但妙なる事を見ん
  諸の如来の 師子座に坐して
  諸の比丘衆に 圍繞せられて説法したもうを見ん
  又龍神 阿修羅等
  数恒沙の如くにして 恭敬合掌し
  自ら其の身を見るに 而も為に法を説くこと見ん
  又諸仏の 身相金色にして
  無量の光を放って 一切を照し
  梵音声を以て 諸法を演説し
  仏四衆の為に 無上の法を説きたもう
  身を見るに中に処して 合掌して仏を讃じ
  法を聞き歓喜して 供養を為し
  陀羅尼を得 不退智を証す
  仏其の心 深く仏道に入れりと知しめして
  即ち為に 最正覚を成ずることを授記して
  汝善男子 当に来世に於て
  無量智の 仏の大道を得て
  国土厳浄にして 広大なること比なく
  亦四衆あり 合掌して法を聴くべしとのたもうを見ん
  又自身 山林の中に在って
  善法を修習し 諸の実相を証し
  深く禅定に入って 十方の仏を見たてまつると見ん
  諸仏の身金色にして 百福の相荘厳したもう
  法を聞いて人の為に説く 常に是の好き夢あらん
  又夢むらく国王と作って 宮殿眷属
  及び上妙の五欲を捨てて 道場に行詣し
  菩提樹下にあって 師子座に処し
  道を求むること七日過ぎて 諸仏の智を得
  無上道を成じ已り 起って法輪を転じ
  四衆の為に法と説くこと 千万億劫を経
  無漏の妙法を説き 無量の衆生を度して
  後に当に涅槃を入ること 煙尽きて燈の滅ゆるが如し
  若し後の悪世の中に 是の第一の法を説かば
  是の人大利を得んこと 上の諸の功徳の如くならん

妙法蓮華経従地涌出品第十五     〔▽三九二頁〕

 爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる、大衆の中に於て起立し合掌し礼を作して、仏に白して言さく、
 世尊、若し我等仏の滅後に於て此の娑婆世界に在って、勤加精進して是の経典を護持し読誦し書写し供養せんことを聴したまわば、当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし。
 爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、
 止みね、善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ。所以は何ん、我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属あり。是の諸人等能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く此の経を説かん。仏是れを説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩あって同時に涌出せり。是の諸の菩薩は身皆金色にして、三十二相・無量の光明あり。先より尽く娑婆世界の下此の界の虚空の中に在って住せり。是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を聞いて下より発来せり。一一の菩薩皆是れ大衆唱導の首なり。各六万恒河沙等の眷属を将いたり。況んや五万・四万・三万・二万・一万恒河沙等の眷属を将いたる者をや。況んや復乃至一恒河沙・半恒河沙・四分の一・乃至千万億那由他分の一なるをや。況んや復千万億那由他の眷属なるをや。況んや復億万の眷属なるをや。況んや復千万・百万・乃至一万なるをや。況んや復一千・一百・乃至一十なるをや。況んや復五・四・三・二・一の弟子を将いたる者をや。況んや復単己にして遠離の行を楽えるをや。是の如き等比無量無辺にして、算数・譬喩も知ること能わざる所なり。
 是の諸の菩薩地より出で已って、各虚空の七宝妙塔の多宝如来・釈迦牟尼仏の所に詣づ。到り已って二世尊に向いたてまつりて頭面に足を礼し、乃至諸の宝樹下の師子座上の仏の所にても亦皆礼を作して、右に繞ること三�して合掌恭敬し、諸の菩薩の種々の讃法を以て、以て讃歎したてまつり、一面に住在し欣楽して二世尊を瞻仰す。是の諸の菩薩摩訶薩地より涌出して、諸の菩薩の種々の讃法を以て仏を讃めたてまつる。是の如くする時の間に五十小劫を経たり。是の時に釈迦牟尼仏黙然として坐したまえり。及び諸の四衆も亦皆黙然たること五十小劫、仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむ。爾の時に四衆、亦仏の神力を以ての故に、諸の菩薩の無量百千万億の国土の虚空に遍満せるを見る。是の菩薩衆の中に四導師あり。一を上行と名け、二を無辺行と名け、三を浄行と名け、四を安立行と名く。是の四菩薩其の衆中に於て最も為れ上首唱導の師なり。大衆の前に在って各共に合掌し、釈迦牟尼仏を観たてまつりて問訊して言さく、
 世尊、少病少悩にして安楽に行じたもうや不や。度すべき所の者教を受くること易しや不や。世尊をして疲労を生さしめざる耶。
 爾の時に四大菩薩、而も偈を説いて言さく、
  世尊は安楽にして 少病少悩にいますや
  衆生を教化したもうに 疲倦無きことを得たまえりや
  又諸の衆生 化を受くること易しや不や
  世尊をして 疲労をなさしめざる耶
 爾の時に世尊、諸の菩薩大衆の中に於て是の言を作したまわく、
 是の如し、是の如し。諸の善男子、如来は安楽にして少病少悩なり。諸の衆生等は化度すべきこと易し。疲労あることなし。所以は何ん、是の諸の衆生は世世より已来常に我が化を受けたり。亦過去の諸仏に於て供養・尊重して諸の善根を種えたり。此の諸の衆生は始め我が身を見我が所説を聞き、即ち皆信受して如来の慧に入りき。先より修習して小乗を学せる者をば除く。是の如き人も、我今亦是の経を聞いて仏慧に入ることを得せしむ。
 爾の時に諸の大菩薩、而も偈を説いて言さく、
  善哉善哉 大雄世尊
  諸の衆生等 化度したもうべきこと易し
  能く諸仏の 甚深の智慧を問いたてまつり
  聞き已って信解せり 我等随喜す
 時に世尊、上首の諸の大菩薩を讃歎したまわく、
 善哉善哉、善男子、汝等能く如来に於て随喜の心を発せり。
 爾の時に弥勒菩薩及び八千恒河沙の諸の菩薩衆、皆是の念を作さく、
 我等昔より已来、是の如き大菩薩摩訶薩衆の地より涌出して世尊の前に住して、合掌し供養して如来を問訊したてまつるを見ず聞かず。
 時に弥勒菩薩摩訶薩、八千恒河沙の諸の菩薩等の心の所念を知り、竝に自ら所疑を決せんと欲して、合掌し仏に向いたてまつりて、偈を以て問うて曰さく、
  無量千万億 大衆の諸の菩薩は
  昔より未だ曾て見ざる所なり 願わくは両足尊説きたまえ
  是れ何れの所より来れる 何の因縁を以て集れる
  巨身にして大神通あり 智慧思議し�し
  其の志念堅固にして 大忍辱力あり
  衆生の見んと楽う所なり 為れ何れの所より来れる
  一一の諸の菩薩 所将の諸の眷属
  其の数量有ること無く 恒河沙等の如し
  或は大菩薩の 六万恒沙を将いたるあり
  是の如き諸の大衆 一心に仏道を求む
  是の諸の大師等 六万恒河沙あり
  倶に来って仏を供養し 及び是の経を護持す
  五万恒沙を将いたる 其の数是れに過ぎたり
  四万及び三万 二万より一万に至る
  一千一百等 乃至一恒沙
  半及び三四分 億万分の一
  千万那由他 万億の諸の弟子
  乃ち半億に至る 其の数復上に過ぎたり
  百万より一万に至り 一千及び一百
  五十と一十と 乃至三二一
  単已にして眷属なく 独処を楽う者
  倶に仏所に来至せる 其の数転た上に過ぎたり
  是の如き諸の大衆 若し人籌を行いて数うること
  恒沙劫を過ぐとも 猶お尽くして知ること能わじ
  是の諸の大威徳 精進の菩薩衆は
  誰か其の為に法を説き 教化して成就せる
  誰に従って初めて発心し 何れの仏法を称揚し
  誰の経を受持し行じ 何れの仏道を修習せる
  是の如き諸の菩薩 神通大智力あり
  四方の地震裂して 皆中より涌出せり
  世尊我昔より来 未だ曾て是の事を見ず
  願わくは其の所従の 国土の名号を説きたまえ
  我常に諸国に遊べども 未だ曾て是の事を見ず
  我此の衆の中に於て 乃し一人をも識らず
  忽然に地より出でたり 願わくは其の因縁を説きたまえ
  今此の大会の 無量百千億なる
  是の諸の菩薩等 皆此の事を知らんと欲す
  是の諸の菩薩衆の 本末の因縁あるべし
  無量徳の世尊 唯願わくは衆の疑を決したまえ
 爾の時に釈迦牟尼仏の分身の諸仏無量千万億の他方の国土より来りたまえる者、八方の諸の宝樹下の師子座上に在して結跏趺坐したまえり。其の仏の侍者、各各に是の菩薩大衆の三千大千世界の四方に於て、地より涌出して虚空に住せるを見て、各其の仏に白して言さく、
 世尊、此の諸の無量無辺阿僧祇の菩薩大衆は何れの所より来れる。
 爾の時に諸仏各侍者に告げたまわく、
 諸の善男子、且く須臾を待て、菩薩摩訶薩あり、名を弥勒という。釈迦牟尼仏の授記したもう所なり。次いで後に作仏すべし。已に斯の事を問いたてまつる。仏今之を答えたまわん。汝等自ら当に是れに因って聞くことを得べし。
 爾の時に釈迦牟尼仏、弥勒菩薩に告げたまわく、
 善哉善哉、阿逸多、乃し能く仏に是の如き大事を問えり。汝等当に共に一心に精進の鎧を被堅固の意を発すべし。如来今諸仏の智慧・諸仏の自在神通の力・諸仏の師子奮迅の力・諸仏の威猛大勢の力を顕発し宣示せんと欲す。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  当に精進して一心なるべし 我此の事を説かんと欲す
  疑悔あること得ることなかれ 仏智は思議し�し
  汝今信力を出して 忍善の中に住せよ
  昔より未だ聞かざる所の法 今皆当に聞くことを得べし
  我今汝を安慰す 疑懼を懐くことを得ることなかれ
  仏は不実の語なし 智慧量るべからず
  得る所の第一の法は 甚深にして分別し�し
  是の如きを今当に説くべし 汝等一心に聴け
 爾の時に世尊、是の偈を説き已って、弥勒菩薩に告げたまわく、我今此の大衆に於て汝等に宣告す。阿逸多、是の諸の大菩薩摩訶薩の無量無数阿僧祇にして地より涌出せる、汝等昔より未だ見ざる所の者は、我是の娑婆世界に於て阿耨多羅三藐三菩提を得已って、是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して道の意を発さしめたり。此の諸の菩薩は皆是の娑婆世界の下此の界の虚空の中に於て住せり。
 諸の経典に於て読誦通利し思惟分別し正憶念せり。阿逸多、是の諸の善男子等は衆に在って多く所説あることを楽わず。常に静かなる処を楽い勤行精進して未だ曾て休息せず。亦人天に依止して住せず。常に深智を楽って障碍あることなし。亦常に諸仏の法を楽い、一心に精進して無上慧を求む。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  阿逸汝当に知るべし 是の諸の大菩薩は
  無数劫より来 仏の智慧を修習せり
  悉く是れ我が所化として 大道心を発さしめたり
  此れ等は是れ我が子なり 是の世界に依止せり
  常に頭陀の事を行じて 静かなる処を志楽し
  大衆の�閙を捨てて 所説多きことを楽わず
  是の如き諸子等は 我が道法を学習して
  昼夜に常に精進す 仏道を求むるをもっての故に
  娑婆世界の 下法の空中に在って住す
  志念力堅固にして 常に智慧を勤求し
  種々の妙法を説いて 其の心畏るる所なし
  我伽耶城 菩提樹下に於て坐して
  最正覚を成ずることを得て 無上の法輪を転じ
  爾して乃ち之を教化して 初めて道心を発さしむ
  今皆不退に住せり 悉く当に成仏を得べし
  我今実語を説く 汝等一心に信ぜよ
  我久遠より来 是れ等の衆を教化せり
 爾の時に弥勒菩薩摩訶薩及び無数の諸の菩薩等、心に疑惑を生じ未曾有なりと怪んで是の念を作さく、
 云何ぞ世尊少時の間に於て是の如き無量無辺阿僧祇の諸の大菩薩を教化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしめたまえる。
 即ち仏に白して言さく、
 世尊、如来太子たりし時釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れより已来始めて四十余年を過ぎたり。世尊、云何ぞ此の少時に於て大に仏事を作したまえる。仏の勢力を以てや、仏の功徳を以てや、是の如き無量の大菩薩衆を教化して当に阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめたもうべき。世尊、此の大菩薩衆は、仮使人あって千万億劫に於て数うとも尽くすこと能わず、其の辺を得じ。斯れ等は久遠より已来無量無辺の諸仏の所に於て、諸の善根を植え菩薩の道を成就し常に梵行を修せり。世尊、此の如きの事は世の信じ難き所なり。
 譬えば人あって色美しく髪黒くして年二十五なる、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言わん。其の百歳の人亦少年を指して、是れ我が父なり我等を生育せりと言わん。是の事信じ難きが如く、仏の亦是の如し。得道より已来其れ実に未だ久しからず。而るに此の大衆の諸の菩薩等は已に無量千万億劫に於て、仏道の為の故に勤行精進し、善く無量百千万億の三昧に入・出・住し大神通を得、久しく梵行を修し、善能次第に諸の善法を習い、問答巧みに、人中の宝として、一切世間に甚だ為れ希有なり。今日世尊、方に仏道を得たまいし時初めて発心せしめ教化示導して、阿耨多羅三藐三菩提に向わしめたりと云う。世尊仏を得たまいて未だ久しからざるに、乃し能く此の大功徳の事を作したまえり。我等は復仏の随宜の所説・仏の所出の言、未だ曾て虚妄ならずと信じ、仏の所知は、皆悉く通達すと雖も、然も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於て若し是の語を聞かば、或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん。唯然世尊、願わくは為に解説して我等が疑を除きたまえ。及び未来世の諸の善男子、此の事を聞き已りなば亦疑を生ぜじ。
 爾の時に弥勒菩薩、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
  仏昔釈種より 出家して伽耶に近く
  菩提樹に坐したまえり 爾しより来尚お未だ久しからず
  此の諸の仏子等は 其の数量るべからず
  久しく已に仏道を行じて 神通智力に住せり
  善く菩薩の道を学して 世間の法に染まざること
  蓮華の水に在るが如し 地よりして涌出し
  皆恭敬の心を起して 世尊の前に住せり
  是の事思議し難し 云何ぞ信ずべき
  仏の得道は甚だ近く 成就したまえる所は甚だ多し
  願わくは為に衆の疑を除き 実の如く分別し説きたまえ
  譬えば少壮の人 年始めて二十五なる
  人に百歳の子の 髪白くして面皺めるを示して
  是れ等我が所生なりといい 子も亦是れ父なりと説かん
  父は少くして子は老いたる 世を挙って信ぜざる所ならんが如く
  世尊も亦是の如し 得道より来甚だ近し
  是の諸の菩薩等は 志固くして怯弱なし
  無量劫より来 而も菩薩の道を行ぜり
  難問答に巧みにして 其の心畏るる所なく
  忍辱の心決定し 端正にして威徳あり
  十方の仏の讃めたもう所なり 善能分別し説く
  人衆に在ることを楽わず 常に好んで禅定に在り
  仏道を求むるをもっての故に 下の空中に於て住せり
  我等は仏に従って聞きたてまつれば 此の事に於て疑なし
  願わくは仏未来の為に 演説して開解せしめたまえ
  若し此の経に於て 疑を生じて信ぜざることあらん者は
  即ち当に悪道に堕つべし 願わくは今為に解説したまえ
  是の無量の菩薩をば 云何してか少時に於て
  教化し発心せしめて 不退の地に住せしめたまえる

妙法蓮華経巻第五

妙法蓮華経如来寿量品第十六     〔▽四一五頁〕

 爾の時に仏、諸の菩薩及び一切の大衆に告げたまわく、
 諸の善男子、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。復大衆に告げたまはく、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。
 又復諸の大衆に告げたまはく、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。
 是の時に菩薩大衆、弥勒を首として、合掌して仏に白して言さく、世尊唯願わくは之を説きたまえ。我等当に仏の語を信受したてまつるべし。
 是の如く三たび白し已って復言さく、唯願わくは之を説きたまえ。我等当に仏の語を信受したてまつるべし。
 爾の時に世尊、諸の菩薩の三たび請じて止まざることを知しめして、之に告げて言わく、
 汝等諦かに聴け、如来の秘密・神通の力を。一切世間の天・人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり。然るに善男子、我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由他劫なり。譬えば五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使人あって抹して微塵と為して、東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて乃ち一塵を下し、是の如く東に行いて是の微塵を尽くさんが如き、諸の善男子、意に於て云何、是の諸の世界は思惟し校計して其の数を知ることを得べしや不や。
 弥勒菩薩等倶に仏に白して言さく、世尊、是の諸の世界は無量無辺にして、算数の知る所に非ず、亦心力の及ぶ所に非ず。一切の声聞・辟支仏、無漏智を以ても思惟して其の限数を知ること能わじ。我等阿惟越致地に住すれども、是の事の中に於ては亦達せざる所なり。世尊、是の如き諸の世界無量無辺なり。
 爾の時に仏、大菩薩衆に告げたまわく、
 諸の善男子、今当に分明に汝等に宣語すべし。是の諸の世界の若しは微塵を著き及び著かざる者を尽く以て塵と為して、一塵を一劫とせん。我成仏してより已来、復此れに過ぎたること百千万億那由他阿僧祇劫なり。是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す。亦余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於ても衆生を導利す。諸の善男子、是の中間に於て我燃燈仏等と説き、又復其れ涅槃に入ると言いき。是の如きは皆方便を以て分別せしなり。諸の善男子、若し衆生あって我が所に来至するには、我仏眼を以て其の信等の諸根の利鈍を観じて、度すべき所に随って、処処に自ら名字の不同・年紀の大小を説き、亦復現じて当に涅槃に入るべしと言い、又種々の方便を以て微妙の法を説いて、能く衆生をして歓喜の心を発さしめき。
 諸の善男子、如来諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見ては、是の人の為に我少くして出家し阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。然るに我実に成仏してより已来久遠なること斯の若し。但方便を以て衆生を教化して、仏道に入らしめんとして是の如き説を作す。諸の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり。或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す。諸の言説するところは皆実にして虚しからず。所以は何ん、如来は如実に三界の相を知見す。生死の若しは退、若しは出あることなく、亦在世及び滅度の者なし。実に非ず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず、三界の三界を見るが如くならず。斯の如きの事、如来明かに見て錯謬あることなし。諸の衆生、種々の性・種々の欲・種々の行・種々の憶想分別あるを以ての故に、諸の善根を生ぜしめんと欲して、若干の因縁・譬喩・言辞を以て種々に法を説く。所作の仏事未だ曾て暫くも廃せず。是の如く我成仏してより已来甚だ大に久遠なり。寿命無量阿僧祇劫常住にして滅せず。諸の善男子、我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶お未だ尽きず。復上の数に倍せり。然るに今実の滅度に非れども、而も便ち唱えて当に滅度を取るべしと言う。如来是の方便を以て衆生を教化す。所以は何ん、若し仏久しく世に住せば、薄徳の人は善根を種えず。貧窮下賎にして五欲に貪著し、憶想妄見の網の中に入りなん。若し如来常に在って滅せずと見ば、便ち�恣を起して厭怠を懐き、難遭の想、恭敬の心を生ずること能わず。是の故に如来方便を以て説く、比丘当に知るべし、諸仏の出世には値遇すべきこと難し。所以は何ん、諸の薄徳の人は無量百千万億劫を過ぎて、或は仏を見るあり、或は見ざる者あり。此の事を以ての故に我是の言をなす、
 諸の比丘、如来は見ること得べきこと難しと。
 斯の衆生等是の如き語を聞いては、必ず当に難遭の想を生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰して便ち善根を種ゆべし。是の故に如来実に滅せずと雖も而も滅度すと言う。又善男子、諸仏如来は法皆是の如し。衆生を度せんが為なれば皆実にして虚しからず。
 譬えば良医の智慧聡達にして、明かに方薬に練じ善く衆病を治す。其の人諸の子息多し、若しは十・二十乃至百数なり。事の縁あるを以て遠く余国に至りぬ。諸の子後に他の毒薬を飲む。薬発し悶乱して地に宛転す。是の時に其の父還り来って家に帰りぬ。諸の子毒を飲んで、或は本心を失える或は失わざる者あり。遥かに其の父を見て皆大に歓喜し、拝跪して問訊すらく、
 善く安穏に帰りたまえり。我等愚痴にして誤って毒薬を服せり。願わくは救療せられて更に寿命を賜えと。
 父、子等の苦悩すること是の如くなるを見て、諸の経方に依って好き薬草の色・香・美味皆悉く具足せるを求めて、擣�和合して子に与えて服せしむ。而して是の言を作さく、此の大良薬は色・香・美味皆悉く具足せり。汝等服すべし。速かに苦悩を除いて復衆の患なけんと。
 其の諸の子の中に心を失わざる者は、此の良薬の色・香倶に好きを見て即ち之を服するに、病尽く除こり愈えぬ。余の心を失える者は其の父の来れるを見て、亦歓喜し問訊して病を治せんことを求索むと雖も、然も其の薬を与うるに而も肯えて服せず。所以は何ん、毒気深く入って本心を失えるが故に、此の好き色・香ある薬に於て美からずと謂えり。父是の念を作さく、
 此の子愍むべし、毒に中られて心皆顛倒せり。我を見て喜んで救療を求索むと雖も、是の如き好き薬を而も肯て服せず。我今当に方便を設けて此の薬を服せしむべし。
 即ち是の言を作さく、汝等当に知るべし、我今衰老して死の時已に至りぬ。是の好き良薬を今留めて此に在く。汝取って服すべし、差えじと憂うることなかれと。
 是の教を作し已って復他国に至り、使を遣わして還って告ぐ、汝が父已に死しぬと。
 是の時に諸の子、父背喪せりと聞いて心大に憂悩して、是の念を作さく、若し父在しなば我等を慈愍して能く救護せられまし。今者我を捨てて遠く他国に喪したまいぬ。自ら惟るに孤露にして復恃怙なし。
 常に悲感を懐いて心遂に醒悟し、乃ち此の薬の色・香・味美きを知って、即ち取って之を服するに毒の病皆愈ゆ。其の父、子悉く已に差ゆることを得つと聞いて、尋いで便ち来り帰って咸く之に見えしめんが如し。
 諸の善男子、意に於て云何、頗し人の能く此の良医の虚妄の罪を説くあらんや不や。不也、世尊。
 仏の言わく、我も亦是の如し。成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫なり。衆生の為の故に方便力を以て当に滅度すべしと言う。亦能く法の如く我が虚妄の過を説く者あることなけん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数
  無量百千万 億載阿僧祇なり
  常に法を説いて 無数億の衆生を教化して
  仏道に入らしむ 爾しより来無量劫なり
  衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず
  而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く
  我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
  顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ
  衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
  咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
  衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
  一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず
  時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
  我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず
  方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず
  余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば
  我復彼の中に於て 為に無上の法を説く
  汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり
  我諸の衆生を見れば 苦海に没在せり
  故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ
  其の心恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く
  神通力是の如し 阿僧祇劫に於て
  常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり
  衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も
  我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり
  園林諸の堂閣 種々の宝をもって荘厳し
  宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり
  諸天天鼓を撃って 常に衆の妓楽を作し
  曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず
  我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて
  憂怖諸の苦悩 是の如き悉く充満せりと見る
  是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て
  阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず
  諸の有ゆる功徳を修し 柔和質直なる者は
  則ち皆我が身 此にあって法を説くと見る
  或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く
  久しくあって乃し仏を見たてまつる者には 為に仏には値い難しと説く
  我が智力是の如し 慧光照すこと無量に
  寿命無数劫 久しく業を修して得る所なり
  汝等智あらん者 此に於て疑を生ずることなかれ
  当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず
  医の善き方便をもって 狂子を治せんが為の故に
  実には在れども而も死すというに 能く虚妄を説くものなきが如く
  我も亦為れ世の父 諸の苦患を救う者なり
  凡夫の顛倒せるを為て 実には在れども而も滅すと言う
  常に我を見るを以ての故に 而も�恣の心を生じ
  放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん
  我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って
  度すべき所に随って 為に種々の法を説く
  毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして
  無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと

妙法蓮華経分別功徳品第十七     〔▽四三二頁〕

 爾の時に大会、仏の寿命の劫数長遠なること是の如くなるを説きたもうを聞いて、無量無辺阿僧祇の衆生大饒益を得つ。時に世尊、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、阿逸多、我是の如来の寿命長遠なるを説く時、六百八十万億那由他恒河沙の衆生無生法忍を得。復千倍の菩薩摩訶薩あって聞持陀羅尼門を得。復一世界微塵数の菩薩摩訶薩あって楽説無碍弁才を得。復一世界微塵数の菩薩摩訶薩あって百千万億無量の旋陀羅尼を得。復三千大千世界微塵数の菩薩摩訶薩あって能く不退の法輪を転ず。復二千中国土微塵数の菩薩摩訶薩あって能く清浄の法輪を転ず。復小千国土微塵数の菩薩摩訶薩あって、八生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。復四四天下微塵数の菩薩摩訶薩あって、四生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし復三四天下微塵数の菩薩摩訶薩あって、三生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。。復二四天下微塵数の菩薩摩訶薩あって、二生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。復一四天下微塵数の菩薩摩訶薩あって、一生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。復八世界微塵数の衆生あって、皆阿耨多羅三藐三菩提の心を発しつ。
 仏是の諸の菩薩摩訶薩の大法利を得ることを説きたもう時、虚空の中より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華を雨らして、以て無量百千万億の宝樹下の師子座上の諸仏に散じ、竝に七宝塔中の師子座上の釈迦牟尼仏及び久滅度の多宝如来に散じ、亦一切の諸の大菩薩及び四部の衆に散ず。又細抹の栴檀・沈水香等を雨らし、虚空の中に於て天鼓自ら鳴って妙声深遠なり。又千種の天衣を雨らし、諸の瓔珞・真珠瓔珞・摩尼珠瓔珞・如意珠瓔珞を垂れて九方に遍ぜり。衆宝の香炉に無価の香を焼いて、自然に周く至って大会に供養す。一一の仏の上に諸の菩薩あって旛蓋を執持して次第に上って梵天に至る。是の諸の菩薩妙なる音声を以て、無量の頌を歌して諸仏を讃歎したてまつる。
 爾の時に弥勒菩薩座より起って、偏に右の肩を袒にし、合掌し仏に向いたてまつりて、偈を説いて言さく、
  仏希有の法を説きたもう 昔より未だ曾て聞かざる所なり
  世尊は大力ましまして 寿命量るべからず
  無数の諸の仏子 世尊の分別して
  法利を得る者を説きたもうを聞いて 歓喜身に充遍す
  或は不退の地に住し 或は陀羅尼を得
  或は無碍の楽説 万億の旋総持あり
  或は大千界 微塵数の菩薩あって
  各各に皆能く 不退の法輪を転ず
  復中千界 微塵数の菩薩あって
  各各に皆能く 清浄の法輪を転ず
  復小千界 微塵数の菩薩あって
  余各八生あって 当に仏道を成ずることを得べし
  或は四三二 此の如き四天下
  微塵数の菩薩あって 数の生に随って成仏せん
  或は一四天下 微塵数の菩薩
  余一生あることあって 当に一切智を得べし
  是の如き等の衆生 仏寿の長遠なることを聞いて
  無量無漏 清浄の果報を得
  復八世界 微塵数の衆生あって
  仏の寿命を説きたもうを聞いて 皆無上の心を発しつ
  世尊無量 不可思議の法を説きたもうに
  多く饒益する所あること 虚空の無辺なるが如し
  天の曼陀羅 摩訶曼陀羅を雨らして
  釈梵恒沙の如く 無数の仏土より来れり
  栴檀沈水を雨らして 繽粉として乱れ墜つること
  鳥の飛んで空より下るが如くにして 諸仏に供散し
  天鼓虚空の中にして 自然に妙声を出し
  天衣千万億 旋転して来下し
  衆宝の妙なる香炉に 無価の香を焼いて
  自然に悉く周遍して 諸の世尊に供養す
  其の大菩薩衆は 七宝の旛蓋
  高妙にして万億種なるを執って 次第に梵天に至る
  一一の諸仏の前に 宝幢に勝幡を懸けたり
  亦千万の偈を以て 諸の如来を歌詠したてまつる
  是の如き種々の事 昔より未だ曾てあらざる所なり
  仏寿の無量なることを聞いて 一切皆歓喜す
  仏の名十方に聞えて 広く衆生を饒益したもう
  一切の善根を具して 以て無上の心を助く
 爾の時に仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、
 阿逸多、其れ衆生あって、仏の寿命の長遠是の如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量あることなけん。若し善男子・善女人あって、阿耨多羅三藐三菩提の為の故に、八十万億那由他劫に於て五波羅蜜を行ぜん。檀波羅蜜・尸羅波羅蜜・�提波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・禅波羅蜜なり、般若波羅蜜をば除く。是の功徳を以て前の功徳に比ぶるに、百分・千分・百千万億分にして其の一にも及ばず。乃至算数・譬喩も知ること能わざる所なり。若し善男子、是の如き功徳あって、阿耨多羅三藐三菩提に於て退するといわば、是の処あることなけん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  若し人仏慧を求め 八十万億
  那由他の劫数に於て 五波羅蜜を行ぜん
  是の諸の劫の中に於て 仏
  及び縁覚弟子 竝に諸の菩薩衆に布施し供養せん
  珍異の飲食 上服と臥具と
  栴檀をもって精舎を立て 園林を以て荘厳せる
  是の如き等の布施 種々に皆微妙なる
  此の諸の劫数を尽くして 以て仏道に廻向せん
  若し復禁戒を持って 清浄にして欠漏なく
  無上道の 諸仏の歎めたもう所なるを求めん
  若し復忍辱を行じて 調柔の地に住し
  設い衆の悪来り加うとも 其の心傾動せざらん
  諸の有ゆる得法の者の 増上慢を懐ける
  斯れに軽しめ悩まされん 是の如きをも亦能く忍ばん
  若し復勤め精進し 志念常に堅固にして
  無量億劫に於て 一心に懈怠せざらん
  又無数劫に於て 空閑の処に住して
  若しは坐し若しは経行し 睡を除いて常に心を摂めん
  是の因縁を以ての故に 能く諸の禅定を生じ
  八十億万劫に 安住して心乱れず
  此の一心の福を持って 無上道を願求し
  我一切智を得て 諸の禅定の際を尽くさんと
  是の人百千 万億の劫数の中に於て
  此の諸の功徳を行ずること 上の諸説の如くなん
  善男女等あって 我が寿命を説くを聞いて
  乃至一念も信ぜば 其の福彼れに過ぎたらん
  若し人悉く 一切の諸の疑悔あることなくして
  深心に須臾も信ぜん 其の福此の如くなることを為
  其れ諸の菩薩の 無量劫に道を行ずるあって
  我が寿命を説くを聞いて 是れ則ち能く信受せん
  是の如き諸人等 此の経典を頂受して
  我未来に於て 長寿にして衆生を度せんこと
  今日の世尊の 諸釈の中の王として
  道場にして獅子吼し 法を説きたもうに畏るる所なきが如く
  我等も未来世に 一切に尊敬せられて
  道場に坐せん時 寿を説くこと亦是の如くならんと願せん
  若し深心あらん者 清浄にして質直に
  多聞にして能く総持し 義に随って仏語を解せん
  是の如き諸人等 此に於て疑あることなけん
 又阿逸多、若し仏の寿命長遠なるを聞いて、其の言趣を解するあらん。是の人の所得の功徳限量あることなくして、能く如来の無上の慧を起さん。
 何に況んや、広く是の経を聞き若しは人をしても聞かしめ、若しは自らも持ち若しは人をしても持たしめ、若しは自らも書き若しは人をしても書かしめ、若しは華・香・瓔珞・幢幡・�蓋・香油・蘇燈を以て経巻を供養せんをおや。是の人の功徳無量無辺にして、能く一切種智を生ぜん。
 阿逸多、若し善男子・善女人、我が寿命長遠なるを説くを聞いて深心に信解せば、則ち為れ仏常に耆闍崛山に在って、大菩薩・諸の声聞衆の圍繞せると共に説法するを見、又此の娑婆世界其の地瑠璃にして坦然平正に、閻浮檀金以て八道を界い、宝樹行列し、諸臺楼観皆悉く宝をもって成じて、其の菩薩衆咸く其の中に処せるを見ん。若し能く是の如く観ずることあらん者は、当に知るべし、是れを深信解の相となづく。
 又復如来の滅後に、若し是の経を聞いて毀�せずして随喜の心を起さん。当に知るべし、已に深信解の相となづく。何に況んや、之を読誦し受持せん者をや。斯の人は則ち為れ如来を頂戴したてまつるなり。阿逸多、是の善男子・善女人は我が為に復塔寺を起て及び僧坊を作り、四事を以て衆僧を供養することを須いず。所以は何ん、是の善男子・善女人の是の経典を受持し読誦せん者は、為れ已に塔を起て僧坊を造立し衆僧を供養するなり。則ち為れ仏舎利を以て七宝の塔を起て、高広漸小にして梵天に至り、諸の幡蓋及び衆の宝鈴を懸け、華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・衆鼓・妓楽・簫笛・箜篌・種々の舞戯あって、妙なる音声を以て歌唄讃頌するなり。則ち為れ已に無量千万億劫に於て是の供養を作し已るなり。
 阿逸多、若し我が滅後に、是の経典を聞いて能く受持し、若しは自ら書き若しは人をして書かしむることあらんは、則ち為れ僧坊を起立し赤栴檀を以て諸の殿堂を作ること三十有二、高さ八多羅樹、高広厳好にして、百千の比丘其の中に於て止み、園林・浴池・経行・禅窟・衣服・飲食・牀褥・湯薬・一切の楽具其の中に充満せん。是の如き僧坊・堂閣若干百千万億にして其の数無量なる、此れを以て現前に我及び比丘僧に供養するなり。是の故に我説く、
 如来の滅後に、若し受持し読誦し、他人の為に説き、若しは自らも書き若しは人をしても書かしめ、経巻を供養することあらんは、復塔寺を起て及び僧坊を造り衆僧を供養することを須いず。
 況んや復人あって能く是の経を持ち、兼ねて布施・持戒・忍辱・精進・一心・智慧を行ぜんをや。其の徳最勝にして無量無辺ならん。譬えば虚空の東・西・南・北・四維・上・下無量無辺なるが如く、是の人の功徳も亦復是の如し。無量無辺にして疾く一切種智に至らん。
 若し人是の経を読誦し受持し、他人の為に説き、若しは自らも書き若しは人をしても書かしめ、復能く塔を起て及び僧坊を造り、声聞の衆僧を供養し讃歎し、亦百千万億の讃歎の法を以て菩薩の功徳を讃歎し、又他人の為に種々の因縁をもって義に随って此の法華経を解説し、復能く清浄に戒を持ち、柔和の者と共に同止し、忍辱にして瞋なく志念堅固にして、常に坐禅を貴び諸の深定を得、精進勇猛にして諸の善法を摂し、利根智慧にして善く問難を答えん。阿逸多、若し我が滅後に、諸の善男子・善女人、是の経典を受持し読誦せん者復是の如き諸の善功徳あらん。当に知るべし、是の人は已に道場に趣き、阿耨多羅三藐三菩提に近づいて道樹の下に坐せるなり。阿逸多、是の善男子・善女人の若しは坐し若しは立し若しは経行せん処、此の中には便ち塔を起つべし。一切の天人皆供養すること、仏の塔の如くすべし。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  若し我が滅度の後に 能く此の経を奉持せん
  斯の人の福無量なること 上の所説の如し
  是れ則ち為れ 一切の諸の供養を具足し
  舎利を以て塔を起て 七宝をもって荘厳し
  表刹甚だ高広に 漸小にして梵天に至り
  宝鈴千万億にして 風の動かすに妙音を出し
  又無量劫に於て 此の塔に
  華香諸の瓔珞 天衣衆の妓楽を供養し
  香油蘇燈を燃して 周�して常に照明するなり
  悪世末法の時 能く是の経を持たん者は
  則ち為れ已に上の如く 諸の供養を具足するなり
  若し能く此の経を持たんは 則ち仏の現在に
  牛頭栴檀を以て 僧坊を起てて供養し
  堂三十二あって 高さ八多羅樹
  上饌妙なる衣服 牀臥皆具足し
  百千衆の住処 園林諸の浴池
  経行及び禅窟 種々に皆厳好にするが如し
  若し信解の心あって 受持し読誦し書き
  若しは復人をしても書かしめ 及び経巻を供養し
  華香抹香を散じ 須曼瞻蔔
  阿提目多伽の 薫油を以て常に之を燃さん
  是の如く供養せん者は 無量の功徳を得ん
  虚空の無辺なるが如く 其の福も亦是の如し
  況んや復此の経を持って 兼ねて布施持戒し
  忍辱にして禅定を楽い 瞋らず悪口せざらんをや
  塔廟を恭敬し 諸の比丘に謙下して
  自高の心を遠離し 常に智慧を思惟し
  問難することあらんに瞋らず 随順にして為に解説せん
  若し能く是の行を行ぜば 功徳量るべからず
  若し此の法師の 是の如き徳を成就せるを見ては
  天華を以て散じ 天衣を其の身に覆い
  頭面に足を接して礼し 心を生じて仏の想の如くすべし
  又是の念を作すべし 久しからずして道場に詣して
  無漏無為を得 広く諸の天人を利せんと
  其の所住止の処 経行し若しは坐臥し
  乃至一偈をも説かん 是の中には塔を起てて
  荘厳し妙好ならしめて 種々に以て供養すべす
  仏子此の地に住すれば 則ち是れ仏受用しまもう
  常に其の中に在して 経行し若しは坐臥したまわん

妙法蓮華経随喜功徳品第十八     〔▽四五二頁〕

 爾の時に弥勒菩薩摩訶薩、仏に白して言さく、
 世尊、若し善男子・善女人あって是の法華経を聞きたてまつりて随喜せん者は、幾所の福をか得ん。而も偈を説いて言さく、
  世尊滅度の後に 其れ是の経を聞くことあって
  若し能く随喜せん者は 幾所の福をか得べき
 爾の時に仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、
 阿逸多、如来の滅後に、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷及び余の智者、若しは長若しは幼、是の経を聞いて随喜し已って、法会より出でて余処に至らん。若しは僧坊にあり、若しは空閑の地、若しは城邑・巷陌・聚落・田里にして、其の所聞の如く、父・母・宗親・善友・知識の為に力に随って演説せん。是の諸人等聞き已って随喜して復行いて転教せん、余の人聞き已って亦随喜して転教せん、是の如く展転して第五十に至らん。阿逸多、其の第五十の善男子・善女人の随喜の功徳を我今之を説かん、汝当に善く聴くべし。若し四百万億阿僧祇の世界の六趣四生の衆生、卵生・胎生・湿生・化生・若しは有形・無形・有想・無想・非有想・非無想・無足・二足・四足・多足、是の如き等の衆生の数にあらん者に、人あって福を求めて、其の所欲に随って娯楽の具皆之に給与せん。一一の衆生に、閻浮提に満らん金・銀・瑠璃・��・碼碯・珊瑚・琥珀・諸の妙なる珍宝、及び象馬・車乗・七宝所成の宮殿・楼閣等を与えん。是の大施主、是の如く布施すること八十年を満ち已って、是の念を作さく、
 我已に衆生に娯楽の具を施すこと意の所欲に随う。然るに此の衆生皆已に衰老して、年八十に過ぎて髪白く面皺んで、将に死せんこと久しからじ。我当に仏法を以て之を訓導すべし。
 即ち此の衆生を集めて、宣布法化し示教利喜して、一時に皆須陀�道・斯陀含道・阿那含道・阿羅漢道を得、諸の有漏を尽し、深禅定に於て皆自在を得、八解脱を具せしめん。汝が意に於て云何。是の大施主の所得の功徳寧ろ多しとせんや不や。
 弥勒、仏に白して言さく、
 世尊、是の人の功徳甚だ多くして無量無辺なり。若し是の施主、但衆生に一切の楽具を施さんすら功徳無量ならん。何に況んや阿羅漢果を得せしめんをや。
 仏、弥勒に告げたまわく、
 我今分明に汝に語る、是の人一切の楽具を以て四百万億阿僧祇の世界の六趣の衆生に施し、又阿羅漢果を得せしめん。所得の功徳は是の第五十の人の法華経の一偈を聞いて随喜せん功徳には如かじ。百分・千分・百千万億分にして其の一にも及ばじ。乃至算数・譬喩も知ること能わざる所なり。阿逸多、是の如く第五十人の展転して法華経を聞いて随喜せん功徳、尚お無量無辺阿僧祇なり。何に況んや、最初会中に於て聞いて随喜せん者をや。其の福復勝れたること無量無辺阿僧祇にして、比ぶること得べからず。
 又阿逸多、若し人是の経の為の故に僧坊に往詣して、若しは坐し若しは立ち須臾も聴受せん。是の功徳に縁って、身を転じて生れん所には好き上妙の象馬・車乗・珍宝の輦輿を得、及び天宮に乗ぜん。若し復人あって講法の処に於て坐せん。更に人の来ることあらんに勧めて坐して聴かしめ、若しは座を分つて坐しめん。是の人の功徳、身を転じて帝釈の坐処、若しは梵天王の坐処、若しは転輪聖王の所坐の処を得ん、阿逸多、若し復人あって余人に語っていわく、経あり法華と名けたてまつる、共に往いて聴くべしと。即ち其の教を受けて乃至須臾の間も聞かん。是の人の功徳は、身を転じて陀羅尼菩薩と共に一処に生ずることを得ん。利根にして智慧あらん。百千万世終に��ならず。口の気臭からず。舌常に病なく、口にも亦病なけん。歯は垢黒ならず、黄ならず、疎かず、亦欠落せず、差わず、曲らず。唇下垂せず、亦�縮ならず、�渋ならず、瘡�ならず、亦欠壊ならず、亦�邪ならず、厚からず、大ならず、亦�I黒ならず、諸の悪むべきことなけん。鼻��ならず、亦曲戻ならず。面色黒からず、亦狭長ならず、亦�曲ならず、一切の喜うべからざる相あることなけん。唇・舌・牙・歯悉く皆厳好ならん。鼻修くして高直に、面猊円満し、眉高くして長く、額広く平正にして人相具足せん。世世に生れん所には仏を見たてまつり法を聞いて教誨を信受せん。阿逸多、汝且く是れを観ぜよ。一人を勧めて往いて法を聴かしむる功徳此の如し。何に況んや、一心に聴き説き読誦し、而も大衆に於て人の為に分別し、説の如く修行せんをや。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  若し人法会に於て 是の経典を聞くことを得て
  乃至一偈に於ても 随喜して他の為に説かん
  是の如く展転して教うること 第五十に至らん
  最後の人の福を獲んこと 今当に之を分別すべし
  如し大施主あって 無量の衆に供給すること
  具さに八十歳を満てて 意の所欲に随わん
  彼の衰老の相の 髪白くして面皺み
  歯疎き形枯渇せるを見て 其の死せんこと久しからじ
  我今応当に教えて 道果を得せしむべしと念うて
  即ち為に方便して 涅槃真実の法を説かん
  世は皆牢固ならざること 水沫泡焔の如し
  汝等咸く応当に 疾く厭離の心を生ずべし
  諸人是の法を聞いて 皆阿羅漢を得
  六神通 三明八解脱を具足せん
  最後第五十の 一偈を聞いて随喜せん
  是の人の福彼れに勝れたること 譬喩を為すべからず
  是の如く展転して聞く 其の福尚お無量なり
  何に況んや法会に於て 初に聞いて随喜せん者をや
  若し一人を勧めて 将引して法華を聴かしむることあって
  言わん此の経は深妙なり 千万劫にも遇い難しと
  即ち教を受けて往いて聴くこと 乃至須臾も聞かん
  斯の人の福報 今当に分別し説くべし
  世世に口の患なく 歯疎き黄黒ならず
  唇厚く�欠ならず 悪むべき相あることなけん
  舌乾き黒短ならず 鼻高修にして且直からん
  額広くして平正に 面目悉く端厳にして
  人に見んと憙わるることを為ん 口の気臭穢なくして
  優鉢華の香 常に其の口より出でん
  若し故らに僧坊に詣いて 法華経を聴かんと欲して
  須臾も聞いて随喜せん 今当に其の福を説くべし
  後に天人の中に生れて 妙なる象馬車
  珍宝の輦輿を得 及び天の宮殿に乗ぜん
  若し講法の処に於て 人を勧めて坐して経を聴かしめん
  是の福の因縁をもって 釈梵転輪の座を得ん
  何に況んや一心に聴き 其の義趣を解説し
  説の如く修行せんをや 其の福限るべからず

妙法蓮華経法師功徳品第十九     〔▽四六三頁〕

 爾の時に仏、常精進菩薩摩訶薩に告げたまわく、
 若し善男子・善女人是の法華経を受持し、若しは読み若しは誦し、若しは解説し若しは書写せん。是の人は当に八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳・千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以て六根を荘厳して皆清浄ならしめん。
 是の善男子・善女人は父母所生の清浄の肉眼をもって、三千大千世界の内外の所有る山・林・河・海を見ること、下阿鼻地獄に至り、上有頂に至らん。亦其の中の一切衆生を見、及び業の因縁・果報の生処悉く見悉く知らん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  若し大衆の中に於て 無所畏の心を以て
  是の法華経を説かん 汝其の功徳を聴け
  是の人は八百の 功徳ある殊勝の眼を得ん
  是れを以て荘厳するが故に 其の目甚だ清浄ならん
  父母所生の眼をもって 悉く三千界の
  内外の弥楼山 須弥及び鉄圍
  竝に所余の山林 大海江河水を見ること
  下阿鼻獄に至り 上有頂天に至らん
  其の中の諸の衆生 一切皆悉く見ん
  未だ天眼を得ずと雖も 肉眼の力是の如くならん
 復次に常精進、若し善男子・善女人此の経を受持し、若しは読み若しは誦し、若しは解説し若しは書写せん。千二百の耳の功徳を得ん。是の清浄の耳を以て三千大千世界の下阿鼻地獄に至り、上有頂に至る、其の中の内外の種々の所有る語言の音声・象声・馬声・牛声・車声・啼哭声・愁歎声・螺声・鼓声・鐘声・鈴声・笑声・語声・男声・女声・童子声・童女声・法声・非法声・苦声・楽声・凡夫声・聖人声・喜声・不喜声・天声・龍声・夜叉声・乾闥婆声・阿修羅声・迦楼羅声・緊那羅声・摩�羅伽声・火声・水声・風声・地獄声・畜生声・餓鬼声・阿修羅声・比丘声・比丘尼声・天声・声聞声・辟支仏声・菩薩声・仏声を聞かん。要を以て之を言わば三千大千世界の中の一切内外の所有る諸の声、未だ天耳を得ずと雖も、父母所生の清浄の常の耳を以て皆悉く聞き知らん。是の如く種々の音声を分別すとも而も耳根を壊らじ。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  父母所生の耳 清浄にして濁穢なく
  此の常の耳を以て 三千世界の声を聞かん
  象馬車牛の声 鐘鈴螺鼓の声
  琴瑟箜篌の声 簫笛の音声
  清浄好歌の声 之を聴いて著せじ
  無数種の人の声 聞いて悉く能く解了せん
  又諸天の声 微妙の歌の音を聞き
  及び男女の声 童子童女の声を聞かん
  山川険谷の中の 迦陵頻伽の声
  命命等の諸鳥 悉く其の音声を聞かん
  地獄の衆の苦痛 種々の楚毒の声
  餓鬼の飢渇に逼められて 飲食を求索する声
  諸の阿修羅等 大海の辺に居在して
  自ら共に言語する時 大音声を出すをも
  是の如き説法者は 此の間に安住して
  遥かに是の衆の声を聞いて 耳根を壊らじ
  十方世界の中の 禽獣の鳴いて相呼ばう
  其の説法の人 此に於て悉く之を聞かん
  其の諸の梵天上 光音及び遍浄
  乃至有頂天 言語の音声
  法師此に住して 悉く皆之を聞くことを得ん
  一切の比丘衆 及び諸の比丘尼
  若しは経典を読誦し 若しは他人の為に説かん
  法師此に住して 悉く皆之を聞くことを得ん
  復諸の菩薩あって 経法を読誦し
  若しは他人の為に説き 撰集して其の義を解せん
  是の如き諸の音声 悉く皆之を聞くことを得ん
  諸仏大聖尊の 衆生を教化したもう者
  諸の大会の中に於て 微妙の法を演説したもう
  此の法華を持たん者は 悉く皆之を聞くことを得ん
  三千大千界の 内外の諸の音声
  下阿鼻獄に至り 上有頂天に至るまで
  皆其の音声を聞いて 耳根を壊らじ
  其の耳聡利なるが故に 悉く能く分別して知らん
  是の法華も持たん者は 未だ天耳を得ずと雖も
  但所生の耳を用うるに 功徳已に是の如くならん
 復次に常精進、若し善男子・善女人是の経を受持し、若しは読み若しは誦し、若しは解説し若しは書写せん。八百の鼻の功徳を成就せん。是の清浄の鼻根を以て三千大千世界の上下内外の種々の諸の香を聞がん。須曼那華香・闍提華香・末利華香・瞻蔔華香・波羅羅華香・赤蓮華香・青蓮華香・白蓮華香・華樹香・果樹香・栴檀香・沈水香・多摩羅跋香・多伽羅香及び千万種の和香、若しは抹せる若しは丸せる若しは塗香、是の経を持たん者は此の間に於て住して悉く能く分別せん。
 又復衆生の香・象の香・馬の香・牛羊等の香・男の香・女の香・童子の香・童女の香、及び草木叢林の香を別え知らん。若しは近き若しは遠き所有る諸の香、悉く皆聞ぐことを得て分別して錯らじ。
 是の経を持たん者は、此に住せりと雖も亦天上諸天の香を聞がん。波利質多羅・拘�陀羅樹香及び曼陀羅華香・摩訶曼陀羅華香・曼殊沙華香・摩訶曼殊沙華香・栴檀・沈水・種々の抹香・諸の雑華香、是の如き等の天香和合して出す所の香、聞ぎ知らざることなけん。
 又諸天の身の香を聞がん。釈提桓因の勝殿の上にあって、五欲に娯楽し嬉戯する時の香、若しは妙法堂の上にあって、�利の諸天の為に説法する時の香、若しは諸の園に於て遊戯する時の香、及び余の天等の男女の身の香、皆悉く遥かに聞がん。
 是の如く展転して乃ち梵天に至り上有頂に至る諸天の身の香、亦皆之を聞ぎ、竝に諸天の焼く所の香を聞がん。及び声聞の香・辟支仏の香・菩薩の香・諸仏の身の香、亦皆遥かに聞いて其の所在を知らん。此の香を聞ぐと雖も然も鼻根に於て壊らず錯らじ。若し分別して他人の為に説かんと欲せば憶念して謬らじ。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  是の人は鼻清浄にして 此の世界の中に於て
  若しは香しき若しは臭き物 種々悉く聞ぎ知らん
  須曼那闍提 多摩羅栴檀
  沈水及び桂香 種々の華果の香
  及び衆生の香 男子女人の香を知らん
  説法者は遠く住して 香を聞いで所在を知らん
  大勢の転輪王 小転輪及び子
  群臣諸の宮人 香を聞いで所在を知らん
  身に著たる所の珍宝 及び地中の宝蔵
  転輪王の宝女 香を聞いで所在を知らん
  諸人の厳身の具 衣服及び瓔珞
  種々の塗れる所の香 聞いで則ち其の身を知らん
  諸天の若しは行坐 遊戯及び神変
  是の法華を持たん者は 香を聞いで悉く能く知らん
  諸樹の華果実 及び蘇油の香気
  持経者は此に住して 悉く其の所在を知らん
  諸山の深く嶮しき処に 栴檀樹の華敷き
  衆生中に在る者 香を聞いで皆能く知らん
  鉄圍山大海 地中の諸の衆生
  持経者は香を聞いで 悉く其の所在を知らん
  阿修羅の男女 及び其の諸の眷属の
  闘諍し遊戯する時 香を聞いで皆能く知らん
  曠野険隘の処の 師子象虎狼
  野牛水牛等 香を聞いで所在を知らん
  若し懐妊せる者あって 未だ其の男女
  無根及び非人を弁えざらん 香を聞いで悉く能く知らん
  香を聞ぐ力を以ての故に 其の初めて懐妊し
  成就し成就せざる 安楽にして福子を産まんことを知らん
  香を聞ぐ力を以ての故に 男女の所念
  染欲痴恚の心を知り 亦善を修する者を知らん
  地中の衆の伏蔵 金銀諸の珍宝
  銅器の盛れる所 香を聞いで悉く能く知らん
  種々の諸の瓔珞 能く其の価を識ることなき
  香を聞いで貴賎 出処及び所在を知らん
  天上の諸華等の 曼陀曼殊沙
  波利質多樹 香を聞いで悉く能く知らん
  天上の諸の宮殿 上中下の差別
  衆の宝華の荘厳せる 香を聞いで悉く能く知らん
  天の園林勝殿 諸観妙法堂
  中にあって娯楽する 香を聞いで悉く能く知らん
  諸天の若しは法を聴き 或は五欲を受くる時
  来往行坐臥する 香を聞いで悉く能く知らん
  天女の著たる所の衣 好き華香をもって荘厳して
  周旋し遊戯する時 香を聞いで悉く能く知らん
  是の如く展転し上って 乃ち梵天に至る
  入禅出禅の者 香を聞いで悉く能く知らん
  光音遍浄天 乃ち有頂に至る
  初生及び退没 香を聞いで悉く能く知らん
  諸の比丘衆等の 法に於て常に精進し
  若しは坐若しは経行し 及び経法を読誦し
  或は林樹の下にあって 専精にして坐禅する
  持経者は香を聞いで 悉く其の所在を知らん
  菩薩の志堅固にして 坐禅し若しは経を読み
  或は人の為に説法する 香を聞いで悉く能く知らん
  在在方の世尊の 一切に恭敬せられて
  衆を愍んで説法したもう 香を聞いで悉く能く知らん
  衆生の仏前にあって 経を聞いて皆歓喜し
  法の如く修行する 香を聞いで悉く能く知らん
  未だ菩薩の 無漏法生の鼻を得ずと雖も
  而も是の持経者は 先ず此の鼻の相を得ん
 復次に常精進、若し善男子・善女人是の経を受持し、若しは読み若しは誦し、若しは解説し若しは書写せん。千二百の舌の功徳を得ん。若しは好若しは醜、若しは美若しは不美、及び諸の苦渋物、其の舌根に在かば皆変じて上味と成り、天の甘露の如くにして美からざる者なけん。若し舌根を以て大衆の中に於て演説する所あらんに、深妙の声を出して能く其の心に入れて皆歓喜し快楽せしめん。
 又諸の天子・天女・釈・梵・諸天、是の深妙の音声演説する所ある言論の次第を聞いて、皆悉く来り聴かん。及び諸の龍・龍女・夜叉・夜叉女・乾闥婆・乾闥婆女・阿修羅・阿修羅女・迦楼羅・迦楼羅女・緊那羅・緊那羅女・摩�羅伽・摩�羅伽女、法を聴かんが為の故に皆来って親近し恭敬供養せん。及び比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・国王・王子・群臣・眷属・小転輪王・大転輪王・七宝千子・内外の眷属、其の宮殿に乗じて倶に来って法を聴かん。是の菩薩善く説法するを以ての故に、婆羅門・居士・国内の人民、其の形寿を尽くすまで随侍し供養せん。又諸の声聞・辟支仏・菩薩・諸仏常に楽って之を見たまわん。是の人の所在の方面には、諸仏皆其の処に向って法を説きたまわん。悉く能く一切の仏法を受持し、又能く深妙の法音を出さん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  是の人は舌根浄くして 終に悪味を受けじ
  其の食�する所あるは 悉く皆甘露とならん
  深浄の妙声を以て 大衆に於て法を説かん
  諸の因縁喩を以て 衆生の心を引導せん
  聞く者皆歓喜して 諸の上供養を設けん
  諸の天龍夜叉 及び阿修羅等
  皆恭敬の心を以て 共に来って法を聴かん
  是の説法の人 若し妙音を以て
  三千界に遍満せんと欲せば 意に随って即ち能く至らん
  大小の転輪王 及び千子眷属
  合掌し恭敬の心をもって 常に来って法を聴受せん
  諸の天龍夜叉 羅刹毘舎闍
  亦歓喜の心を以て 常に楽って来たり供養せん
  梵天王魔王 自在大自在
  是の如き諸の天衆 常に其の所に来至せん
  諸仏及び弟子 其の説法の音を聞いて
  常に念じて守護し 或時は為に身を現じたまわん
 復次に常精進、若し善男子・善女人是の経を受持し、若しは読み若しは誦し、若しは解説し若しは書写せん。八百の身の功徳を得て、清浄の身浄瑠璃の如くにして、衆生の見んと憙うを得ん。其の身浄きが故に、三千大千世界の衆生の生ずる時・死する時・上下・好醜、善処・悪処に生ずる、悉く中に於て現ぜん。及び鉄圍山・大鉄圍山・弥楼山・摩訶弥楼山等の諸の山王、及び其の中の衆生悉く中に於て現ぜん。下阿鼻地獄に至り上有頂に至る所有及び衆生、悉く中に於て現ぜん。若しは声聞・辟支仏・菩薩・諸仏の説法する、皆身中に於て其の色像を現ぜん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  若し法華経を持たんは 其の身甚だ清浄なること
  彼の浄瑠璃の如くにして 衆生皆見んと憙わん
  又浄明なる鏡に 悉く諸の色像を見るが如く
  菩薩浄身に於て 皆世の所有を見ん
  唯独自ら明了にして 余人の見ざる所ならん
  三千世界の中の 一切の諸の群萌
  天人阿修羅 地獄鬼畜生
  是の如き諸の色像 皆身中に於て現ぜん
  諸天等の宮殿 乃ち有頂に至る
  鉄圍及び弥楼 摩訶弥楼山
  諸の大海水等 皆身中に於て現ぜん
  諸仏及び声聞 仏子菩薩等
  若しは独若しは衆にあって 説法する悉く皆現ぜん
  未だ無漏 法性の妙身を得ずと雖も
  清浄の常の体を以て 一切中に於て現ぜん
 復次に常精進、若し善男子・善女人、如来の滅後に是の経を受持し、若しは読み若しは誦し、若しは解説し若しは書写せん。千二百の意の功徳を得ん。是の清浄の意根を以て乃至一偈一句を聞くに、無量無辺の義を通達せん。是の義を解り已って、能く一句・一偈を演説すること、一月・四月・乃至一歳に至らん。諸の所説の法其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん。三千大千世界の六趣の衆生心の行ずる所、心の動作する所、心の戯論する所、皆悉く之を知らん。未だ無漏の智慧を得ずと雖も、而も其の意根の清浄なること此の如くならん。是の人の思惟籌量し言説する所あらんは、皆是れ仏法にして真実ならざることなく、亦是れ先仏の経の中の所説ならん。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  是の人は意清浄に 明利にして穢濁なく
  此の妙なる意根を以て 上中下の法を知り
  乃至一偈を聞くに 無量の義を通達せん
  次第に法の如く説くこと 月四月より歳に至らん
  是の世界の内外の 一切の諸の衆生
  若しは天龍及び人 夜叉鬼神等
  其の六趣の中に在る 所念の若干種
  法華を持つの報は 一時に皆悉く知らん
  十方無数の仏 百福荘厳の相あって
  衆生の為に説法したもう 悉く聞いて能く受持せん
  無量の義を思惟し 説法すること亦無量にして
  終始忘れ錯らじ 法華を持つを以ての故に
  悉く諸法の相を知り 義に随って次第を識り
  名字語言を達して 知れる所の如く演説せん
  此の人の所説あるは 皆是れ先仏の法ならん
  此の法を演ぶるを以ての故に 衆に於て畏るる所なけん
  法華経を持つ者は 意根浄きこと斯の若くならん
  未だ無漏を得ずと雖も 先ず是の如き相あらん
  是の人此の経を持ち 希有の地に安住して
  一切衆生の 歓喜して愛敬することを為ん
  能く千万種の 善巧の語言を以て
  分別して演説せん 法華経を持つが故なり

妙法蓮華経巻第六

妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十    〔▽四八六頁〕

 爾の時に仏、得大勢菩薩摩訶薩に告げたまわく、汝今当に知るべし、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の法華経を持たん者を、若し悪口・罵詈・誹謗することあらば、大なる罪報を獲んこと前に説く所の如し。其の所得の功徳は向に説く所の如く眼・耳・鼻・舌・身・意清浄ならん。得大勢、乃往古昔に無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎて仏いましき。威音王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と名けたてまつる。劫を離衰と名け、国を大成と名く。其の威音王仏彼の世の中に於て、天・人・阿修羅の為に法を説きたもう。声聞を求むる者の為には応ぜる四諦の法を説いて、生・老・病・死を度し涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には、阿耨多羅三藐三菩提に因せて、応ぜる六波羅蜜の法を説いて仏慧を究竟せしむ。得大勢、是の威音王仏の寿は四十万億那由他恒河沙劫なり。正法世に住せる劫数は一閻浮提の微塵の如く、像法世に住せる劫数は四天下の微塵の如し。其の仏衆生を饒益し已って、然して後に滅度したまいき。正法・像法滅尽の後、此の国土に於て復仏出でたもうことありき。亦威音王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けたてまつる。是の如く次第に二万億の仏います、皆同じく一号なり。最初の威音王如来既已に滅度したまいて、正法滅して後像法の中に於て、増上慢の比丘大勢力あり。爾の時に一りの菩薩比丘あり、常不軽と名く。得大勢、何の因縁を以てか常不軽と名くる。是の比丘凡そ見る所ある若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、
 我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。
 而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして、但礼拝を行ず。乃至遠く四衆を見ても、亦復故らに往いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、
 我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に作仏すべきが故にと。
 四衆の中に瞋恚を生じて心不浄なるあり、悪口罵詈して言く、
 是の無知の比丘、何れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与に「当に作仏することを得べし」と授記する。我等是の如き虚妄の授記を用いずと。
 此の如く多年を経歴して、常に罵詈せらるれども瞋恚を生ぜずして、常に是の言を作す、汝当に作仏すべしと。
 是の語を説く時、衆人或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば、避け走り遠く住して、猶お高声に唱えて言わく、
 我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に作仏すべしと。其の常に是の語を作すを以ての故に、増上慢の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、之を号して常不軽と為く。
 是の比丘終らんと欲する時に臨んで、虚空の中に於て、具さに威音王仏の先に説きたもう所の法華経二十千万億の偈を聞いて、悉く能く受持して、即ち上の如き眼根清浄・耳・鼻・舌・身・意根清浄を得たり。是の六根清浄を得已って、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳、広く人の為に是の法華経を説く。時に増上慢の四衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の是の人を軽賎して為に不軽の名を作せし者、其の大神通力・楽説弁力・大善寂力を得たるを見、其の所説を聞いて、皆信伏随従す。是の菩薩復千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。命終の後二千億の仏に値いたてまつることを得、皆日月燈明と号く。其の法の中に於て是の法華経を説く。是の因縁を以て復二千億の仏に値いたてまつる、同じ雲自在燈王と号く。此の諸仏の法の中に於て受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼清浄・耳・鼻・舌・身・意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於て法を説くに、心畏るる所なかりき。得大勢、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し恭敬・尊重・讃歎して、諸の善根を種え、後に復千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於て是の経典を説いて、功徳成就して当に作仏することを得たり。得大勢、意に於て云何、爾の時に常不軽菩薩は豈に異人ならんや、則ち我が身是れなり。若し我宿世に於て此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば疾く阿耨多羅三藐三菩提を得ること能わじ。我先仏の所に於て此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に疾く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。
 得大勢、彼の時の四衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷は、瞋恚の意を以て我を軽賎せしが故に、二百億劫常に仏に値わず、法を聞かず、僧を見て、千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く。是の罪を畢え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇いにき。得大勢、汝が意に於て云何。爾の時に四衆の常に是の菩薩を軽しめし者は、豈に異人ならんや、今此の会中の跋陀婆羅等の五百の菩薩、師子月等の五百の比丘、尼思仏等の五百の優婆塞の、皆阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せざる者是れなり。得大勢、当に知るべし、是の法華経は大に諸の菩薩摩訶薩を饒益して、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於て、常に是の経を受持し読誦し解説し書写すべし。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  過去に仏いましき 威音王と号けたてまつる
  神智無量にして 一切を将導したもう
  天人龍神の 共に供養する所なり
  是の仏の滅後 法尽きなんと欲せし時
  一りの菩薩あり 常不軽と名く
  時に諸の四衆 法に計著せり
  不軽菩薩 其の所に往き到って
  而も之に語って言わく 我汝を軽しめず
  汝等道を行じて 皆当に作仏すべしと
  諸人聞き已って 軽毀罵詈せしに
  不軽菩薩 能く之を忍受しき
  其の罪畢え已って 命終の時に臨んで
  此の経を聞くことを得て 六根清浄なり
  神通力の故に 寿命を増益して
  復諸人の為に 広く是の経を説く
  諸の著法の衆 皆菩薩の
  教化し成就して 仏道に住せしむることを蒙る
  不軽命終して 無数の仏に値いたてまつる
  是の経を説くが故に 無量の福を得
  漸く功徳を具して 疾く仏道を成ず
  彼の時の不軽は 則ち我が身是れなり
  時の四部の衆の 著法の者の
  不軽の 汝当に作仏すべしというを聞きしは
  是の因縁を以て 無数の仏に値いたてまつる
  此の会の菩薩 五百の衆
  竝及に四部 清信士女の
  今我が前に於て 法を聴く者是れなり
  我前世に於て 是の諸人を勧めて
  斯の経の 第一の法を聴受せしめ
  開示して人を教えて 涅槃に住せしめ
  世世に 是の如き経典を受持しき
  億億万劫より 不可議に至って
  時に乃し 是の法華経を聞くことを得
  億億万劫より 不可議に至って
  諸仏世尊 時に是の経を説きたもう
  是の故に行者 仏の滅後に於て
  是の如き経を聞いて 疑惑を生ずることなかれ
  応当に一心に 広く此の経を説くべし
  世世に仏に値いたてまつりて 疾く仏道を成ぜん

妙法蓮華経如来神力品第二十一    〔▽四九八頁〕

 爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者、皆仏前に於て一心に合掌して尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、世尊我等仏の滅後、世尊分身所在の国土・滅度の処に於て、当に広く此の経を説くべし。所以は何ん、我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持・読誦し解説し・書写して之を供養せんと欲す。爾の時に世尊、文殊師利等の無量百千万億の旧住娑婆世界の菩薩摩訶薩、及び諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人等の一切の衆の前に於て、大神力を現じたもう。広長舌を出して上梵世に至らしめ、一切の毛孔より無量無数色の光を放って、皆悉く遍く十方世界を照したもう。衆の宝樹下の師子座上の諸仏も亦復是の如く、広長舌を出し、無量の光を放ちたもう。釈迦牟尼仏及び宝樹下の諸仏神力を現じたもう時百千歳を満ず。然して後に還って舌相を摂めて、一時に謦�し倶共に弾指したもう。是の二つの音声、遍く十方の諸仏の世界に至って、地皆六種に震動す。其の中の衆生、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人等、仏の神力を以ての故に、皆此の娑婆世界の無量無辺百千万億の衆の宝樹下の師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏、多宝如来と共に宝塔の中に在して、師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩及び諸の四衆の、釈迦牟尼仏を恭敬し圍繞したてまつるを見る。既に是れを見已って、皆大に歓喜して未曾有なることを得。即時に諸天、虚空の中に於て高声に唱えて言わく、
 此の無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて国あり娑婆と名く。是の中に仏います、釈迦牟尼と名けたてまつる。今諸の菩薩摩訶薩の為に、大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。汝等当に深心に随喜すべし。亦当に釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべし。
 彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って合掌して娑婆世界に向って、是の如き言を作さく、
 南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と。
 種々の華・香・瓔珞・幡蓋及び諸の厳身の具・珍宝・妙物を以て、皆共に遥かに娑婆世界に散ず。所散の諸物十方より来ること、譬えば雲の集まるが如し。変じて宝帳となって遍く此の間の諸仏の上に覆う。時に十方世界、通達無碍にして一仏土の如し。
 爾時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、
 諸仏の神力は是の如く無量無辺不可思議なり。若し我是の神力を以て無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て、嘱累の為の故に此の経の功徳を説かんに、猶お尽くすこと能わじ。要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す。是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし。所在の国土に、若しは受持・読誦し解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  諸仏救世者 大神通に住して
  衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう
  舌相梵天に至り 身より無数の光を放って
  仏道を求むる者の為に 此の希有の事を現じたもう
  諸仏謦�の声 及び弾指の声
  周く十方の国に聞えて 地皆六種に動ず
  仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以ての故に
  諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう
  是の経を嘱累せんが故に 受持の者を讃美すること
  無量劫の中に於てすとも 猶故尽くすこと能わじ
  是の人の功徳は 無辺にして窮まりあることなけん
  十方虚空の 辺際を得べからざるが如し
  能く是の経を持たん者は 則ち為れ已に我を見
  亦多宝仏 及び諸の分身者を見
  又我が今日 教化せる諸の菩薩を見るなり
  能く是の経を持たん者は 我及び分身
  滅度の多宝仏をして 一切皆歓喜せしめ
  十方現在の仏 竝に過去未来
  亦は見亦は供養し 亦は歓喜することを得せしめん
  諸仏道場に坐して 得たまえる所の秘要の法
  能く是の経を持たん者は 久しからずして亦当に得べし
  能く是の経を持たん者は 諸法の義
  名字及び言辞に於て 楽説窮尽なきこと
  風の空中に於て 一切障碍なきが如くならん
  如来の滅後に於て 仏の所説の経の
  因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん
  日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く
  斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し
  無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん
  是の故に智あらん者 此の功徳の利を聞いて
  我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし
  是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん

妙法蓮華経嘱累品第二十二      〔▽五〇七頁〕

 爾の時に釈迦牟尼仏、法座より起って大神力を現じたもう。右の手を以て、無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、是の言を作したまわく、
 我無量百千万億阿僧祇劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付嘱す。汝等応当に一心に此の法を流布して、広く増益せしむべし。
 是の如く三たび諸の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、是の言を作したまわく、
 我無量百千万億阿僧祇劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付嘱す。汝等当に受持・読誦し広く此の法を宣べて一切衆生をして普く聞知することを得せしむべし。所以は何ん、如来は大慈悲あって諸の慳悋なく、亦畏るる所なくして、能く衆生に仏の智慧・如来の智慧・自然の智慧を与う。如来は是れ一切衆生の大施主なり。汝等亦随って如来の法を学すべし。慳悋を生ずることなかれ。未来世に於て、若し善男子・善女人あって如来の智慧を信ぜん者には、当に為に此の法華経を演説して、聞知することを得せしむべし。其の人をして仏慧を得せしめんが為の故なり。若し衆生あって信受せざらん者には、当に如来の余の深法の中に於て示教利喜すべし。汝等若し能く是の如くせば、則ち為れ已に諸仏の恩を報ずるなり。
 時に諸の菩薩摩訶薩、仏の是の説を作したもうを聞き已って、皆大歓喜其の身に遍満して、益恭敬を加え躬を曲げ頭を低れ、合掌して仏に向いたてまつりて、倶に声を発して言さく、
 世尊の勅の如く当に具さに奉行すべし。唯然世尊、願わくは慮有さざれ。
 諸の菩薩摩訶薩衆是の如く三反、倶に声を発して言さく、世尊の勅の如く当に具さに奉行すべし。唯然世尊、願わくは慮有さざれ。
 爾の時に釈迦牟尼仏、十方より来たりたまえる諸の分身の仏をして、各本土に還らしめんとして、是の言を作したまわく、
 諸仏各所安に随いたまえ、多宝仏の塔、還って故の如くしたもう可し。
 是の語を説きたもう時、十方無量の分身の諸仏の宝樹下の師子座上に坐したまえる者及び多宝仏、竝に上行等の無辺阿僧祇の菩薩大衆、舎利弗等の声聞四衆、及び一切世間の天・人・阿修羅等、仏の所説を聞きたてまつりて、皆大いに歓喜す。

妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三  〔▽五一一頁〕

 爾の時に宿王華菩薩、仏に白して言さく、
 世尊、薬王菩薩は云何してか娑婆世界に遊ぶ。世尊、是の薬王菩薩は若干百千万億那由他の難行苦行あらん。善哉世尊、願わくは少し解説したまえ。諸の天・龍神・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人等、又他の国土より諸の来れる菩薩及び此の声聞衆、聞いて皆歓喜せん。
 爾の時に仏、宿王華菩薩に告げたまわく。
 乃往過去無量恒河沙劫に仏いましき、日月浄明徳如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けたてまつる。其の仏に八十億の大菩薩摩訶薩・七十二恒河沙の大声聞衆あり。仏の寿は四万二千劫、菩薩の寿命も亦等し。彼の国には女人・地獄・餓鬼・畜生・阿修羅等及び諸難あることなし。地の平かなること掌に如くにして、瑠璃の所成なり。宝樹荘厳し、宝帳上に覆い、宝の華幡を垂れ、宝瓶・香炉国界に周遍せり。七宝を臺と為して一樹に一臺あり。其の樹臺を去ること一箭道を尽くせり。此の諸の宝樹に皆菩薩・声聞あって其の下に坐せり。諸の宝臺の上に各百億の諸天あって天の妓楽を作し、仏を歌歎して以て供養を為す。爾の時に彼の仏、一切衆生憙見菩薩及び衆の菩薩・諸の声聞衆の為に、法華経を説きたもう。是の一切衆生憙見菩薩楽って苦行を習い、日月浄明徳仏の法の中に於て、精進経行して一心に仏を求むること、万二千歳を満じ已って、現一切色身三昧を得。此の三昧を得已って、心大に歓喜して即ち念言を作さく、
 我現一切色身三昧を得たる、皆是れ法華経を聞くことを得る力なり。我今当に日月浄明徳仏及び法華経を供養すべし。
 即時に是の三昧に入って、虚空の中に於て曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・細抹堅黒の栴檀を雨らし、虚空の中に満てて雲の如くにして下し、又海此岸の栴檀の香を雨らす。此の香の六銖は価直娑婆世界なり、以て仏に供養す。是の供養を作し已って、三昧より起って、自ら念言すらく、
 我神力を以て仏を供養すと雖も身を以て供養せんには如かじ。
 即ち諸の香・栴檀・薫陸・兜楼婆・畢力迦・沈水・膠香を服し、又瞻蔔・諸の華香油を飲むこと千二百歳を満じ已って、香油を身に塗り、日月浄明徳仏の前に於て、天の宝衣を以て自ら身に纏い已って、諸の香油を潅ぎ、神通力の願を以て自ら身を燃して、光明遍く八十億恒河沙の世界を照す。其の中の諸仏、同時に讃めて言わく、
 善哉善哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名く。若し華・香・瓔珞・焼香・抹香・塗香・天�・幡蓋及び海此岸の栴檀の香、是の如き等の種々の諸物を以て供養すとも、及ぶこと能わざる所なり。仮使国城・妻子をもって布施すとも、亦及ばざる所なり。善男子、是れを第一の施と名く。諸の施の中に於て最尊最上なり、法を以て諸の如来を供養するが故にと。
 是の語を作し已って各黙然したもう。其の身の火燃ゆること千二百歳、是れを過ぎて已後其の身乃ち尽きぬ。
 一切衆生憙見菩薩是の如き法の供養を作し已って、命終の後に復日月浄明徳仏の国の中に生じて、浄徳王の家に於て結跏趺坐して忽然に化生し、即ち其の父の為に而も偈を説いて言さく、
  大王今当に知るべし 我彼の処に経行して
  即時に一切 現諸身三昧を得
  大精進を勤行して 所愛の身を捨てにき
 是の偈を説き已って父に白して言さく、
 日月浄明徳仏今故お現に在す。我先に仏を供養し已って解一切衆生語言陀羅尼を得、復是の法華経の八百千万億那由他・甄迦羅・頻婆羅・阿�婆等の偈を聞けり。大王、我今当に還って此の仏を供養すべしと。
 白し已って即ち七宝の臺に坐し、虚空に上昇ること高さ七多羅樹にして、仏所に往到し頭面に足を礼し、十の指爪を合せて、偈を以て仏を讃めたてまつる。
  容顔甚だ奇妙にして 光明十方を照したもう
  我適曾供養し 今復還って親近したてまつる
 爾の時に一切衆生憙見菩薩是の偈を説き已って、仏に白して言さく、
 世尊、世尊猶故世に在す。
 爾の時に日月浄明徳仏、一切衆生憙見菩薩に告げたまわく、
 善男子、我涅槃の時到り滅尽の時至りぬ。汝牀座を安施すべし、我今夜に於て当に般涅槃すべし。
 又一切衆生憙見菩薩に勅したまわく、
 善男子、我仏法を以て汝に嘱累す。及び諸の菩薩大弟子竝に阿耨多羅三藐三菩提の法、亦三千大千の七宝の世界・諸の宝樹・宝臺、及び給侍の諸天を以て悉く汝に付す。我が滅度の後、所有の舎利亦汝に付嘱す。当に流布せしめ広く供養を設くべし、若干千の塔を起つべし。
 是の如く日月浄明徳仏、一切衆生憙見菩薩に勅し已って、夜の後分に於て涅槃に入りたまいぬ。
 爾の時に一切衆生憙見菩薩、仏の滅度を見て、悲感懊悩して仏を恋慕したてまつり、即ち海此岸の栴檀を以て�と為して、仏身を供養して以て之を焼きたてまつる。火滅えて已後舎利を収取し、八万四千の宝瓶を作って、以て八万四千の塔を起ること三世界より高く、表刹荘厳して、諸の幡蓋を垂れ衆の宝鈴を懸けたり。
 爾の時に一切衆生憙見菩薩、復自ら念言すらく、我是の供養を作すと雖も心猶お未だ足らず、我今当に更舎利を供養すべし。
 便ち諸の菩薩大弟子及び天・龍・夜叉等の一切の大衆に語らく、
 汝等当に一心に念ずべし、我今日月浄明徳仏の舎利を供養せん。
 是の語を作し已って、即ち八万四千の塔の前に於て、百福荘厳の臂を燃すこと七万二千歳にして以て供養す。無数の声聞を求むる衆・無量阿僧祇の人をして、阿耨多羅三藐三菩提の心を発さしめ、皆現一切色身三昧に住することを得せしむ。
 爾の時に諸の菩薩・天・人・阿修羅等、其の臂なきを見て憂悩悲哀して、是の言を作さく、
 此の一切衆生憙見菩薩は是れ我等が師、我を教化したもう者なり。而るに今臂を焼いて身具足したまわず。
 時に一切衆生憙見菩薩、大衆の中に於て此誓言を立つ、
 我両つの臂を捨てて必ず当に仏の金色の身を得べし。若し実にして虚しからずんば、我が両つの臂をして還復すること故の如くならしめん。
 是の誓を作し已って自然に還復しぬ。斯の菩薩の福徳・智慧の淳厚なるに由って致す所なり。爾の時に当って三千大千世界六種に震動し、天より宝華を雨らして、一切天人未曾有なることを得。
 仏、宿王華菩薩に告げたまわく、
 汝が意に於て云何、一切衆生憙見菩薩豈に異人ならん乎、今の薬王菩薩是れ也。其の身を捨てて布施する所、是の如く無量百千万億那由他数なり。宿王華、若し発心して阿耨多羅三藐三菩提を得んと欲することあらん者は、能く手の指・乃至足の一指を燃して仏塔に供養せよ。国城・妻子及び三千大千国土の山林・河池・諸の珍宝物を以て供養せん者に勝らん。
 若し復人あって、七宝を以て三千大千世界に満てて、仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢に供養せん。是の人の所得の功徳も、此の法華経の乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ。
 宿王華、譬えば一切の川流江河の諸水の中に、海為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。諸の如来の所説の経の中に於て最も為れ深大なり。又土山・黒山・小鉄圍山・大鉄圍山及び十宝山の衆山の中に、須弥山為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。諸経の中に於て最も為れ其の上なり。又衆星の中に月天子最も為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。千万億種の諸経法の中に於て最も為れ照明なり。又日天子の能く諸の闇を除くが如く、此の経も亦復是の如し。能く一切不善の闇を破す。又諸の小王の中に、転輪聖王最も為れ第一なるが如く、此の経も亦復是の如し。衆経の中に於て最も為れ其の尊なり。又帝釈の三十三天の中に於て王なるが如く、此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり。又大梵天王の一切衆生の父なるが如く、此の経も亦復是の如し。一切の賢・聖・学・無学及び菩薩の心を発す者の父なり。又一切の凡夫人の中に須陀�・斯陀含・阿那含・阿羅漢・辟支仏為れ第一なるが如く、此の経も亦復是の如し。一切の如来の所説、若しは菩薩の所説、若しは声聞の所説、諸の経法の中に最も為れ第一なり。能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり。一切の声聞・辟支仏の中に菩薩為れ第一なり、此の経も亦復是の如し。一切の諸の経法の中に於て最も為れ第一なり。仏は為れ諸法の王なるが如く、此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり。宿王華、此の経は能く一切衆生を救いたもう者なり。此の経は能く一切衆生をして諸の苦悩を離れしめたもう。此の経は能く大に一切衆生を饒益して、其の願を充満せしめたもう。清涼の池の能く一切の諸の渇乏の者に満つるが如く、寒き者の火を得たるが如く、裸なる者の衣を得たるが如く、商人の主を得たるが如く、子の母を得たるが如く、渡りに船を得たるが如く、病に医を得たるが如く、暗に燈を得たるが如く、貧しきに宝を得たるが如く、民の王を得たるが如く、賈客の海を得たるが如く、炬の暗を除くが如く、此の法華経も亦復是の如し。能く衆生をして一切の苦・一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛を解かしめたもう。若し人此の法華経を聞くことを得て、若しは自らも書き若しは人をしても書かしめん。所得の功徳、仏の智慧を以て多少を籌量すとも其の辺を得じ。若し是の経巻を書いて華・香・瓔珞・焼香・抹香・塗香・幡蓋・衣服・種々の燈・蘇燈・油燈・諸の香油燈・瞻蔔油燈・須曼那油燈・波羅羅油燈・婆利師迦油燈・那婆摩利油燈をもって供養せん。所得の功徳亦復無量ならん。宿王華、若し人あって是の薬王菩薩本事品を聞かん者は、亦無量無辺の功徳を得ん。若し女人にあって、是の薬王菩薩本事品を聞いて能く受持せん者は、是の女身を尽くして後に復受けじ。若し如来の滅後後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん。復貪欲に悩されじ。亦復瞋恚・愚痴に悩されじ。亦復�慢・嫉妬・諸垢に悩されじ。菩薩の神通・無生法忍を得ん。是の忍を得已って眼根清浄ならん。是の清浄の眼根を以て、七百万二千億那由他恒河沙等の諸仏如来を見たてまつらん。是の時に諸仏、遥かに共に讃めて言わく、
 善哉善哉、善男子、汝能く釈迦牟尼仏の法の中に於て、是の経を受持し読誦し思惟し、他人の為に説けり。所得の福徳無量無辺なり。火も焼くこと能わず、水も漂わすこと能わじ。汝の功徳は、千仏共に説きたもうとも、尽くさしむること能わじ。汝今已に能く諸の魔賊を破し生死の軍を壊し、諸余の怨敵皆悉く摧滅せり。善男子、百千の諸仏神通力を以て共に汝を守護したもう。一切の世間の天・人の中に於て汝に如く者なし。唯如来を除いて其の諸の声聞・辟支仏・乃至菩薩の智慧・禅定も、汝と等しき者あることなけん。
 宿王華、此の菩薩は是の如き功徳・智慧の力を成就せり。若し人あって是の薬王菩薩本事品を聞いて、能く随喜して善しと讃ぜば、是の人現世に口の中より常に青蓮華の香を出し、身の毛孔の中より常に午頭栴檀の香を出さん。所得の功徳上に説く所の如し。是の故に宿王華、此の薬王菩薩本事品を以て汝に嘱累す。我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ。宿王華、汝当に神通の力を以て是の経を守護すべし。所以は何ん、此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病あらんに是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん。宿王華、汝若し是の経を受持することあらん者を見ては、青蓮華を以て抹香を盛り満てて、其の上に供散すべし。散じ已って是の念言を作すべし、
 此の人久しからずして、必ず当に草を取って道場に坐して諸の魔軍を破すべし。当に法の螺を吹き大法の鼓を撃って一切衆生の老・病・死の海を度脱すべし。
 是の故に仏道を求めん者、是の経典を受持することあらん人を見ては、応当に是の如く恭敬の心を生ずべし。是の薬王菩薩本事品を説きたもう時、八万四千の菩薩、解一切衆生語言陀羅尼を得たり。多宝如来宝塔の中に於て宿王華菩薩を讃めて言わく、
 善哉善哉、宿王華、汝不可思議の功徳を成就して、乃ち能く釈迦牟尼仏に此の如きの事を問いたてまつりて、無量の一切衆生を利益す。

妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四    〔▽五三二頁〕

 爾の時に釈迦牟尼仏、大人相の肉髻の光明を放ち、及び眉間白毫相の光を放って、遍く東方百八万億那由他恒河沙等の諸仏の世界を照しまもう。是の数を過ぎ已って、世界あり浄光荘厳と名く。其の国に仏います、浄華宿王智如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けたてまつる。無量無辺の菩薩大衆の恭敬し圍繞せるを為て、為に法を説きたもう。釈迦牟尼仏の白毫の光明、遍く其の国を照したもう。
 爾の時に一切浄光荘厳国の中に一りの菩薩あり、名を妙音という。久しく已に衆の徳本を植えて、無量百千万億の諸仏を供養し親近したてまつりて、悉く甚深の智慧を成就し、妙幢相三昧・法華三昧・浄徳三昧・宿王戯三昧・無縁三昧・智印三昧・解一切衆生語言三昧・集一切功徳三昧・清浄三昧・神通遊戯三昧・慧炬三昧・荘厳王三昧・浄光明三昧・浄蔵三昧・不共三昧・日旋三昧を得、是の如き等の百千万億恒河沙等の諸の大三昧を得たり。釈迦牟尼仏の光其の身を照したもう。即ち浄華宿王智仏に白して言さく、
 世尊、我当に娑婆世界に往詣して、釈迦牟尼仏を礼拝し親近し供養し、及び文殊師利法王子菩薩・薬王菩薩・勇施菩薩・宿王華菩薩・上行意菩薩・荘厳王菩薩・薬上菩薩を見るべし。
 爾の時に浄華宿王智仏、妙音菩薩に告げたまわく、
 汝彼の国を軽しめて下劣の想を生ずることなかれ。善男子、彼の娑婆世界は高下不平にして、土石・諸山・穢悪充満せり。仏身卑小にして、諸の菩薩衆も其の形亦小なり。而るに汝が身は四万二千由旬、我が身は六百八十万由旬なり。汝が身は第一端正にして百千万の福あって光明殊妙なり。是の故に汝往いて、彼の国を軽しめて若しは仏・菩薩及び国土に下劣の想を生ずることなかれ。
 妙音菩薩、其の仏に白して言さく、
 世尊、我今娑婆世界に詣らんこと、皆是れ如来の力・如来の神通遊戯・如来の功徳智慧荘厳ならん。
 是に妙音菩薩、座を起たず身動揺せずして三昧に入り、三昧力を以て耆闍崛山に於て法座を去ること遠からずして、八万四千の衆宝の蓮華を化作せり。閻浮檀金を茎とし、白銀を葉とし、金剛を鬚とし、甄叔迦宝を以て其の臺とせり。
 爾の時に文殊師利法王子、是の蓮華を見て、仏に白して言さく、
 世尊、是れ何の因縁あってか先ず此の瑞を現ぜる。若干千万の蓮華あって、閻浮檀金を茎とし、白銀を葉とし、金剛を鬚とし、甄叔迦宝を以て其の臺とせり。
 爾の時に釈迦牟尼仏文殊師利に告げたまわく、
 是れ妙音菩薩摩訶薩、浄華宿王智仏の国より、八万四千の菩薩の圍繞せると、而も此の娑婆世界に来至して、我を供養し親近し礼拝せんと欲し、亦法華経を供養し聴きたてまつらんと欲せるなり。
 文殊師利、仏に白して言さく、
 世尊是の菩薩は何なる善本を種え何なる功徳を修して、能く是の大神通力ある、何なる三昧を行ずる。願わくは我等が為に是の三昧の名字を説きたまえ。我等亦之を勤め修行せんと欲す。此の三昧を行じて、乃ち能く是の菩薩の色相の大小・威儀・進止を見ん。唯願わくは世尊神通力を以て、彼の菩薩の来らんに我をして見ることを得せしめたまえ。
 爾の時に釈迦牟尼仏、文殊師利に告げたまわく、
 此の久滅度の多宝如来、当に汝等が為に而も其の相を現じたもうべし。
 時に多宝仏、彼の菩薩に告げたまわく、
 善男子来たれ、文殊師利法王子汝が身を見んと欲す。
 時に妙音菩薩、彼の国に於て没して、八万四千の菩薩と倶共に発来す。所経の諸国六種に震動して、皆悉く七宝の蓮華を雨らし、百千の天楽鼓せざるに自ら鳴る。是の菩薩の目は広大の青蓮華の葉の如し、正使百千万の月を和合せりとも、其の面猊端正なること復此れに過ぎん。身は真金の色にして、無量百千の功徳荘厳せり。威徳熾盛にして光明照曜し、諸相具足して那羅延の堅固の身の如し。七宝の臺に入って虚空に上昇り、地を去ること七多羅樹、諸の菩薩衆恭敬し圍繞して、此の娑婆世界の耆闍崛山に来詣す。到り已って七宝の臺を下り、価直百千の瓔珞を以て、持って釈迦牟尼仏の所に至り、頭面に足を礼し瓔珞を奉上して、仏に白して言さく、
 世尊、浄華宿王智仏、世尊を問訊したもう、
 少病少悩起居軽利にして安楽に行じたもうや不や。四大調和なりや不や。世事は忍びつべしや不や。衆生は度し易しや不や。貪欲・瞋恚・愚痴・嫉妬・慳満多きことなしや不や。父母に孝せず、沙門を敬わず、邪見不善の心にして五情を摂めざることなしや不や。世尊、衆生は能く諸の魔怨を降伏するや不や。久滅度の多宝如来は七宝塔の中に在して、来って法を聴きたもうや不や。
 又多宝如来を問訊したたもう、安穏少悩にして堪忍し久住したもうや不や。
 世尊、我今多宝仏の身を見たてまつらんと欲す。唯願わくは世尊、我に示して見せしめたまえ。
 爾の時に釈迦牟尼仏、多宝仏に語りたまわく、是の妙音菩薩相見たてまつることを得んと欲す。
 時に多宝仏、妙音に告げて言わく、善哉善哉、汝能く釈迦牟尼仏を供養し、及び法華経を聴き、竝に文殊師利等を見んが為の故に此に来至せり。
 爾の時に華徳菩薩、仏に白して言さく、
 世尊、是の妙音菩薩は、何なる善根を種え何なる功徳を修してか是の神力ある。
 仏、華徳菩薩に告げたまわく、
 過去に仏いましき、雲雷音王・多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀と名けたてまつる。国を現一切世間と名け、劫を憙見と名く。妙音菩薩万二千歳に於て、十万種の妓楽を以て雲雷音王仏に供養し、竝に八万四千の七宝の鉢を奉上す。是の因縁の果報を以て、今浄華宿王智仏の国に生じて是の神力あり。華徳、汝が意に於て云何、爾の時の雲雷音王仏の所に、妙音菩薩として妓楽をもって供養し宝器を奉上せし者、豈に異人ならんや、今此の妙音菩薩摩訶薩是れなり。華徳、是の妙音菩薩は已に曾て無量の諸仏に供養し親近して、久しく徳本を植え、又恒河沙等の百千万億那由他の仏に値いたてまつる。華徳、汝但妙音菩薩其の身此に在りとのみ見る。而も是の菩薩は種々の身を現じて、処処に諸の衆生の為に是の経典を説く。或は梵王の身を現じ、或は帝釈の身を現じ、或は自在天の身を現じ、或は大自在天の身を現じ、或は天大将軍の身を現じ、或は毘沙門天王の身を現じ、或は転輪聖王の身を現じ、或は諸の小王の身を現じ、或は長者の身を現じ、或は居士の身を現じ、或は宰官の身を現じ、或は婆羅門の身を現じ、或は比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の身を現じ、或は長者・居士の婦女の身を現じ、或は宰官の婦女の身を現じ、或は婆羅門の婦女の身を現じ、或は童男・童女の身を現じ、或は天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人等の身を現じて是の経を説く。諸有の地獄・餓鬼・畜生及び衆の難処皆能く救済す。乃至王の後宮に於ては、変じて女身となって是の経を説く。華徳、是の妙音菩薩は能く娑婆世界の諸の衆生を救護する者なり。是の妙音菩薩は是の如く種々に変化し身を現じて、此の娑婆国土に在って諸の衆生の為に是の経典を説く。神通・変化・智慧に於て損減する所なし。是の菩薩は若干の智慧を以て明かに娑婆世界を照して、一切衆生をして各所知を得せしむ。十方恒河沙の世界の中に於ても亦復是の如し。若し声聞の形を以て得度すべき者には、声聞の形を現じて為に法を説き、辟支仏の形を以て得度すべき者には、辟支仏の形を現じて為に法を説き、菩薩の形を以て得度すべき者には、菩薩の形を現じて為に法を説き、仏の形を以て得度すべき者には、即ち仏の形を現じて為に法を説く。是の如く種々に度すべき所の者に随って為に形を現ず。乃至滅度を以て得度すべき者には滅度を示現す。華徳、妙音菩薩摩訶薩は大神通・智慧の力を成就せること、其の事是の如し。
 爾の時に華徳菩薩、仏に白して言さく、
 世尊是の妙音菩薩は深く善根を種えたり。世尊、是の菩薩何なる三昧に住して、能く是の如く在所に変現して衆生を度脱する。
 仏、華徳菩薩に告げたまわく、
 善男子、其の三昧を現一切色身と名く。妙音菩薩是の三昧の中に住して、能く是の如く無量の衆生を饒益す。
 是の妙音菩薩品を説きたもう時、妙音菩薩と倶に来れる者八万四千人、皆現一切色身三昧を得、此の娑婆世界の無量の菩薩、亦是の三昧及び陀羅尼を得たり。
 爾の時に妙音菩薩摩訶薩、釈迦牟尼仏及び多宝仏塔を供養し已って、本土に還帰す。所経の諸国六種に震動して、宝蓮華を雨らし、百千万億の種々の妓楽を作す。既に本国に到って、八万四千の菩薩の圍繞せると、浄華宿王智仏の所に至って、仏に白して言さく、
 世尊、我娑婆世界に到って衆生を饒益し、釈迦牟尼仏を見たてまつり、及び多宝仏塔を見たてまつりて礼拝供養し、又文殊師利法王子菩薩を見、及び薬王菩薩・得勤精進力菩薩・勇施菩薩等を見る。亦是の八万四千の菩薩をして現一切色身三昧を得せしむ。
 是の妙音菩薩来往品を説きたもう時、四万二千の天子無生法忍を得、華徳菩薩法華三昧を得たり。

妙法蓮華経巻第七

妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 〔▽五四七頁〕

 爾の時に無尽意菩薩、即ち座より起って、偏に右の肩を袒にし、合掌し仏に向いたてまつりて、是の言を作さく、
 世尊、観世音菩薩は何の因縁を以てか観世音と名くる。仏、無尽意菩薩に告げたまわく、
 善男子、若し無量百千万億の衆生あって諸の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて一心に名を称せば、観世音菩薩即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得せしめん。
 若し是の観世音菩薩の名を持つことあらん者は、設い大火に入るとも火も焼くこと能わじ、是の菩薩の威神力に由るが故に、若し大水に漂わされんに、其の名号を称せば即ち浅き処を得ん。若し百千万億の衆生あって金・銀・瑠璃・��・碼碯・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求むるを為て大海に入らんに、仮使黒風其の船舫を吹いて、羅刹鬼の国に飄堕せん。其の中に若し乃至一人あって観世音菩薩の名を称せば、是の諸人等皆羅刹の難を解脱することを得ん。是の因縁を以て観世音と名く。
 若し復人あって当に害せらるべきに臨んで、観世音菩薩の名を称せば、彼の執れる所の刀杖尋いで段段に壊れて、解脱することを得ん。若し三千大千国土に中に満てる夜叉・羅刹、来って人を悩さんと欲せんに、其の観世音菩薩の名を称するを聞かば、是の諸の悪鬼、尚お悪眼を以て之を視ること能わじ、況んや復害を加えんや。
 設い復人あって若しは罪あり若しは罪なきに、�l械・枷鎖其の身を検繋せん。観世音菩薩の名を称せば、皆悉く断壊して、即ち解脱することを得ん。若し三千大千国土に中に満てる怨賊あらんに、一りの商主あって諸の商人を将い、重宝を斎持して険路を経過せん。其の中に一人是の唱言を作さん、
 諸の善男子、恐怖することを得る勿れ。汝等応当に一心に観世音菩薩の名号を称すべし。是の菩薩は能く無畏を以て衆生に施したもう。汝等若し名を称せば、此の怨賊に於て当に解脱することを得べし。
 衆の商人聞いて倶に声を発して南無観世音菩薩と言わん。其の名を称するが故に即ち解脱することを得ん。無尽意、観世音菩薩摩訶薩は威神の力巍巍たること是の如し。
 若し衆生あって淫欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち欲を離るることを得ん。若し瞋恚多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち瞋を離るることを得ん。若し愚痴多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。無尽意、観世音菩薩は是の如き等の大威神力あって、饒益する所多し。是の故に衆生常に心に念ずべし。
 若し女人あって設い男を求めんと欲し、観世音菩薩を礼拝し供養せば、便ち福徳・智慧の男を生まん。設い女を求めんと欲せば、便ち端正有相の女の宿徳本を植えて衆人に愛敬せらるるを生まん。無尽意、観世音菩薩は是の如き力あり。若し衆生あって観世音菩薩を恭敬礼拝せば、福唐捐ならじ。是の故に衆生皆観世音菩薩の名号を受持すべし。無尽意、若し人あって六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、復形を尽くすまで飲食・衣服・臥具・医薬を供養せん。汝が意に於て云何、是の善男子・善女人の功徳多しや不や。無尽意の言さく、甚だ多し、世尊。
 仏の言わく、若し復人あって観世音菩薩の名号を受持し、乃至一時も礼拝し供養せん。是の二人の福、正等にして異ることなけん、百千万億劫に於ても窮め尽くすべからず。無尽意、観世音菩薩の名号を受持せば是の如き無量無辺の福徳の利を得ん。
 無尽意菩薩、仏に白して言さく、
 世尊、観世音菩薩は云何してか此の娑婆世界に遊び、云何してか衆生の為に法を説く、方便の力其の事云何。仏、無尽意菩薩に告げたまわく、
 善男子、若し国土の衆生あって仏身を以て得度すべき者には、観世音菩薩即ち仏身を現じて為に法を説き、辟支仏の身を以て得度すべき者には、即ち辟支仏の身を現じて為に法を説き、声聞の身を以て得度すべき者には、即ち声聞の身を現じて為に法を説き、梵王の身を以て得度すべき者には、即ち梵王の身を現じて為に法を説き、帝釈の身を以て得度すべき者には、即ち帝釈の身を現じて為に法を説き、自在天の身を以て得度すべき者には、即ち自在天の身を現じて為に法を説き、大自在天の身を以て得度すべき者には、即ち大自在天の身を現じて為に法を説き、天大将軍の身を以て得度すべき者には、即ち天大将軍の身を現じて為に法を説き、毘沙門の身を以て得度すべき者には、即ち毘沙門の身を現じて為に法を説き、小王の身を以て得度すべき者には、即ち小王の身を現じて為に法を説き、長者の身を以て得度すべき者には、即ち長者の身を現じて為に法を説き、居士の身を以て得度すべき者には、即ち居士の身を現じて為に法を説き、宰官の身を以て得度すべき者には、即ち宰官の身を現じて為に法を説き、婆羅門の身を以て得度すべき者には、即ち婆羅門の身を現じて為に法を説き、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の身を以て得度すべき者には、即ち比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の身を現じて為に法を説き、長者・居士・宰官・婆羅門の婦女の身を以て得度すべき者には、即ち婦女の身を現じて為に法を説き、童男・童女の身を以て得度すべき者には、即ち童男・童女の身を現じて為に法を説き、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人等の身を以て得度すべき者には、即ち皆之を現じて為に法を説き、執金剛神を以て得度すべき者には、即ち執金剛神を現じて為に法を説く。無尽意、是の観世音菩薩は是の如き功徳を成就して、種々の形を以て諸の国土に遊んで、衆生を度脱す。是の故に汝等、応当に一心に観世音菩薩を供養すべし。是の観世音菩薩摩訶薩は、怖畏急難の中に於て能く無畏を施す。是の故に此の娑婆世界に皆之を号して施無畏者とす。
 無尽意菩薩、仏に白して言さく、
 世尊、我今当に観世音菩薩を供養すべし。
 即ち頚の衆宝珠の瓔珞の価直百千両金なるを解いて以て之を与え、是の言を作さく、
 仁者、此の法施の珍宝の瓔珞を受けたまえ。
 時に観世音菩薩肯て之を受けず。
 無尽意、復観世音菩薩に白して言さく、仁者、我等を愍むが故に此の瓔珞を受けたまえ。
 爾の時に仏、観世音菩薩に告げたまわく、当に此の無尽意菩薩及び四衆・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人等を愍むが故に是の瓔珞を受くべし。
 即時に観世音菩薩、諸の四衆及び天・龍・人非人等を愍んで其の瓔珞を受け、分って二分と作して一分は釈迦牟尼仏に奉り、一分は多宝仏塔に奉る。
 無尽意、観世音菩薩は是の如き自在神力あって娑婆世界に遊ぶ。
 爾の時に無尽意菩薩、偈を以て問うて曰さく、
  世尊は妙相具わりたまえり 我今重ねて彼れを問いたてまつる
  仏子何の因縁あってか 名けて観世音とする
  妙相を具足したまえる尊 偈をもって無尽意に答えたまわく
  汝観音の行を聴け 善く諸の方所に応ずる
  弘誓の深きこと海の如し 劫を歴とも思議せじ
  多千億の仏に侍えて 大清浄の願を発せり
  我汝が為に略して説かん 名を聞き及び身を見
  心に念じて空しく過ぎざれば 能く諸有の苦を滅す
  仮使害の意を興して 大なる火坑に推し落さんに
  彼の観音の力を念ぜば 火坑変じて池と成らん
  或は巨海に漂流して 龍魚諸鬼の難あらんに
  彼の観音の力を念ぜば 波浪も没すること能わじ
  或は須弥の峰に在って 人に推し堕されんに
  彼の観音の力を念ぜば 日の如くにして虚空に住せん
  或は悪人に逐われて 金剛山より堕落せんに
  彼の観音の力を念ぜば 一毛をも損すること能わじ
  或は怨賊の遶んで 各刀を執って害を加うるに値わんに
  彼の観音の力を念ぜば 咸く即ち慈心を起さん
  或は王難の苦に遭うて 刑せらるるに臨んで寿終らんと欲せんに
  彼の観音の力を念ぜば 刀尋いで段段に壊れなん
  或は枷鎖に囚禁せられて 手足に�l械を被らんに
  彼の観音の力を念ぜば 釈然として解脱することを得ん
  呪詛諸の毒薬に 身を害せんと欲せられん者
  彼の観音の力を念ぜば 還って本人に著きなん
  或は悪羅刹 毒龍諸鬼等に遇わんに
  彼の観音の力を念ぜば 時に悉く敢て害せじ
  若しは悪獣圍遶して 利き牙爪の怖るべきに
  彼の観音の力を念ぜば 疾く無辺の方に走りなん
  �E蛇及び蝮蠍 気毒煙火の燃ゆるがごとくならんに
  彼の観音の力を念ぜば 声に尋いで自ら廻り去らん
  雲雷鼓掣電し 雹を降らし大なる雨を�qがんに
  彼の観音の力を念ぜば 時に応じて消散することを得ん
  衆生困厄を被って 無量の苦身を逼めんに
  観音妙智の力 能く世間の苦を救う
  神通力を具足し 広く智の方便を修して
  十方の諸の国土に 刹として身を現ぜざることなし
  種々の諸の悪趣 地獄鬼畜生
  生老病死の苦 以て漸く悉く滅せしむ
  真観清浄観 広大智慧観
  悲観及び慈観あり 常に願い常に瞻仰すべし
  無垢清浄の光あって 慧日諸の闇を破し
  能く災の風火を伏して 普く明かに世間を照す
  悲体の戒雷震のごとく 慈意の妙大雲のごとく
  甘露の法雨を�qぎ 煩悩の焔を滅除す
  諍訟して官処を経 軍陣の中に怖畏せんに
  彼の観音の力を念ぜば 衆の怨悉く退散せん
  妙音観世音 梵音海潮音
  勝彼世間音あり 是の故に須らく常に念ずべし
  念念に疑を生ずることなかれ 観世音浄聖は
  苦悩死厄に於て 能く為に依怙と作れり
  一切の功徳を具して 慈眼をもって衆生を視る
  福聚の海無量なり 是の故に頂礼すべし
 爾の時に持地菩薩、即ち座より起って、前んで仏に白して言さく、世尊、若し衆生あって是の観世音菩薩品の自在の業・普門示現の神通力を聞かん者は、当に知るべし、是の人の功徳少からじ。
 仏、是の普門品を説きたもう時、衆中の八万四千の衆生、皆無等等の阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。

妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六    〔▽五六三頁〕

 爾の時に薬王菩薩、即ち座より起って偏に右の肩を袒にし、合掌し仏に向いたてまつりて、仏に白して言さく、
 世尊、若し善男子・善女人の能く法華経を受持することあらん者、若しは読誦通利し若しは経巻を書写せんに、幾所の福をか得ん。
 仏、薬王に告げたまわく、
 若し善男子・善女人あって、八百万億那由他恒河沙等の諸仏を供養せん。汝が意に於て云何、其の所得の福寧ろ多しと為んや不や。甚だ多し、世尊。仏の言わく、若し善男子・善女人能く是の経に於て、乃至一四句偈を受持し、読誦し解義し説の如くに修行せん、功徳甚だ多し。
 爾の時に薬王菩薩、仏に白して言さく、
 世尊我今当に説法者に陀羅尼呪を与えて、以て之を守護すべし。
 即ち呪を説いて曰さく、
 安爾 曼爾 摩禰 摩摩禰 旨隷 遮梨第 �m�n �m履 多�p 羶 帝 目帝 目多履 沙履 阿�p沙履 桑履 沙履 叉裔 阿叉裔 阿耆膩 羶帝 �m履 陀羅尼 阿盧伽婆娑 簸蔗毘叉膩 禰毘剃 阿便�o 邏禰履剃 阿亶�o波隷輸地 �t究隷 牟究隷 阿羅隷 波羅隷 首迦差 阿三磨三履 仏駄毘吉利�u帝 達磨波利差 帝 僧伽涅瞿沙禰 婆舎婆舎輸地 曼�o邏 曼�o邏叉夜多 郵楼�o 郵楼�o �舎略 悪叉邏 悪叉冶多冶 阿婆盧 阿摩若 那多夜
 世尊、是の陀羅尼神呪は六十二億恒河沙等の諸仏の所説なり。若し此の法師を侵毀することあらん者は、則ち為れ是の諸仏を侵毀し已れるなり。
 時に釈迦牟尼仏、薬王菩薩を讃めて言わく、
 善哉善哉、薬王、汝此の法師を愍念し擁護するが故に是の陀羅尼を説く。諸の衆生に於て饒益する所多からん。
 爾の時に勇施菩薩、仏に白して言さく、
 世尊、我亦法華経を読誦し受持せん者を擁護せんが為に、陀羅尼を説かん。若し此の法師、是の陀羅尼を得ば、若しは夜叉、若しは羅刹、若しは富単那、若しは吉蔗、若しは鳩槃荼、若しは餓鬼等、其の短を伺い求むとも能く便を得ることなけん。
 即ち仏前に於て呪を説いて曰さく、
 �v隷 摩訶�v隷 郁枳 目枳 阿隷 阿羅婆第 涅隷第 涅隷多婆第 伊緻�x 韋緻�x 旨緻�x 涅隷�w�x 涅犁�w婆底
 世尊、是の陀羅尼神呪は恒河沙等の諸仏の所説なり、亦皆随喜したもう。若し此の法師を侵毀することあらん者は、則ち為れ是の諸仏を侵毀し已れるなり。
 爾の時に毘沙門天王御護者、仏に白して言さく、
 世尊、我亦衆生を愍念し、此の法師を擁護せんが為の故に、是の陀羅尼を説かん。
 即ち呪を説いて曰さく、
 阿梨 那梨 �那梨 阿那盧 那履 拘那履
 世尊、是の神呪を以て法師を擁護せん。我亦自ら当に是の経を持たん者を擁護して、百由旬の内に諸の衰患なからしむべし。
 爾の時に持国天王、此の会中に在って、千万億那由他の乾闥婆衆の恭敬し圍遶せると、前んで仏所に詣で、合掌し仏に白して言さく、
 世尊、我亦陀羅尼神呪を以て、法華経を持たん者を擁護せん。
 即ち呪を説いて曰さく、
 阿伽禰 伽禰 瞿利 乾陀利 旃陀利 摩�y耆 常求利 浮楼莎�x �z底
 世尊、是の陀羅尼神呪は四十二億の諸仏の所説なり。若し此の法師を侵毀することあらん者は、則ち為れ是の諸仏を侵毀し已れるなり。
 爾の時に羅刹女等あり、一を藍婆と名け、二を毘藍婆と名け、三を曲歯と名け、四を華歯と名け、五を黒歯と名け、六を多髪と名け、七を無厭足と名け、八を持瓔珞と名け、九を皋諦と名け、十を奪一切衆生精気と名く。是の十羅刹女、鬼子母竝に其の子及び眷属と倶に仏所に詣で、同声に仏に白して言さく、
 世尊、我等亦法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰患を除かんと欲す。若し法師の短を伺い求むる者ありとも、便を得ざらせめん。
 即ち仏前に於て呪を説いて曰さく、
 伊提履 伊提泯 伊提履 阿提履 伊提履 泥履 泥履 泥履 泥履 泥履 楼醯 楼醯 楼醯 楼醯 多醯 多醯 多醯 兜醯 兜醯
 寧ろ我が頭の上に上るとも法師を悩すことなかれ。若しは夜叉、若しは羅刹、若しは餓鬼、若しは富単那、若しは吉蔗、若しは毘陀羅、若しは�駄、若しは烏摩勒伽、若しは阿跋摩羅、若しは夜叉吉蔗、若しは人吉蔗、若しは熱病せしむること若しは一日、若しは二日、若しは三日、若しは四日、乃至七日、若しは常に熱病せしめん。若しは男形、若しは女形、若しは童男形、若しは童女形、乃至夢の中にも亦復悩すことなかれ。即ち仏前に於て偈を説いて言さく、
  若し我が呪に順ぜずして 説法者を悩乱せば
  頭破れて七分に作ること 阿梨樹の枝の如くならん
  父母を殺する罪の如く 亦油を壓す殃
  斗秤もって人を欺誑し 調達が破僧罪の如く
  此の法師を犯さん者は 当に是の如き殃を獲べし
 諸の羅刹女、此の偈を説き已って、仏に白して言さく、
 世尊、我等亦当に身自ら是の経を受持し読誦し修行せん者を擁護して、安穏なることを得、諸の衰患を離れ、衆の毒薬を消せしむべし。
 仏、諸の羅刹女に告げたまわく、
 善哉善哉、汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず。何に況んや、具足して受持し、経巻に華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・幡蓋・妓楽を供養し、種々の燈・蘇燈・油燈・諸の香油燈・蘇摩那華油燈・瞻蔔華油燈・婆師迦華油燈・優鉢羅華油燈を燃し、是の如き等の百千種をもって供養せん者を擁護せんをや。皋諦、汝等及び眷属応当に是の如き法師を擁護すべし。
 此の陀羅尼品を説きたもう時、六万八千人無生法忍を得たり。

妙法蓮華経妙荘厳王本事品第二十七  〔▽五七三頁〕

 爾の時に仏、諸の大衆に告げたまわく、
 乃往古世に、無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎて、仏いましき、雲雷音宿王華智・多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀と名けたてまつる。国を光明荘厳と名け、劫を喜見と名く。彼の仏の法の中に王あり、妙荘厳と名く。其の王の夫人名を浄徳という。二子あり。一を浄蔵と名け二を浄眼と名く。是の二子大神力・福徳・智慧あって、久しく菩薩所行の道を修せり。所謂檀波羅蜜・尸羅波羅蜜・�提波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・禅波羅蜜・般若波羅蜜・方便波羅蜜・慈・悲・喜・捨・乃至三十七品の助道の法、皆悉く明了に通達せり。又菩薩の浄三昧・日星宿三昧・浄光三昧・浄色三昧・浄照明三昧・長荘厳三昧・大威徳蔵三昧を得、此の三昧に於て亦悉く通達せり。
 爾の時に彼の仏、妙荘厳王を引導せんと欲し、及び衆生を愍念したもうが故に、是の法華経を説きたもう。
 時に浄蔵・浄眼の二子其の母の所に到って、十指爪掌を合せて白して言さく、
 願わくは母、雲雷音宿王華智仏の所に往詣したまえ。我等亦当に侍従し親近し供養し礼拝すべし。所以は何ん、此の仏一切の天人衆の中に於て、法華経を説きたもう、宜しく聴受すべし。
 母、子に告げて言わく、
 汝が父外道を信受して、深く婆羅門の法に著せり。汝等往いて父に白して与して共倶に去らしむべし。浄蔵・浄眼、十指爪掌を合わせて母に白さく、
 我等は是れ法王の子なり、而るに此の邪見の家に生まれたり。母、子に告げて言わく、
 汝等当に汝が父を憂念して為に神変を現ずべし。若し見ることを得ば心必ず清浄ならん。或は我等が仏所に往至することを聴されん。
 是の二子其の父を念うが故に、虚空に踊在すること高さ七多羅樹にして、種々の神変を現ず。虚空の中に於て行・住・坐・臥し、身の上より水を出し、身の下より火を出し、身の下より水を出し、身の上より火を出し、或は大身を現じて虚空の中に満ち、而も復小を現じ、小にして復大を現じ、空中に於て滅し、忽然として地に在り、地に入ること水の如く、水を履むこと地の如し。是の如き等の種々の神変を現じて、其の父の王をして心浄く信解せしむ。
 時に父、子の神力是の如くなるを見て、心大に歓喜し未曾有なることを得、合掌して子に向って言わく、
 汝等が師は為めて是れ誰ぞ、誰の弟子ぞ。
 二子白して言さく、大王、彼の雲雷音宿王華智仏、今七宝菩提樹下の法座の上に在して坐したまえり。一切世間の天人衆の中に於て、広く法華経を説きたもう。是れ我等が師なり、我は是れ弟子なり。
 父、子に語って言わく、
 我今亦汝等が師を見たてまつらんと欲す、共倶に往く可し。
 是に二子空中より下りて其の母の所に到って、合掌して母に白さく、
 父の王今已に信解して、阿耨多羅三藐三菩提の心を発すに堪任せり。我等父の為に已に仏事を作しつ。願わくは母、彼の仏の所に於て、出家し修道せんことを聴されよ。
 爾の時に二子、重ねて其の意を宣べんと欲して、偈を以て母に白さく、
  願わくは母我等 出家して沙門とならんことを放したまえ
  諸仏には甚だ値いたてまつること難し 我等仏に随いたてまつりて学せん
  優曇波羅の如く 仏に値いたてまつること復是れよりも難し
  諸難を脱るること亦難し 願わくは我が出家を聴したまえ
 母即ち告げて言わく、
 汝が出家を聴す。所以は何ん、仏には値いたてまつること難きが故に。
 是に二子、父母に白して言さく、
 善哉父母、願わくは時に雲雷音宿王華智仏の所に往詣して、親覲し供養したまえ。所以は何ん、仏には値いたてまつること得難し、優曇波羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し。而るに我等宿福深厚にして仏法に生れ値えり。是の故に父母、当に我等を聴して出家することを得せしめたもうべし。所以は何ん、諸仏には値いたてまつり難し、時にも亦遇うこと難し。
 彼の時に妙荘厳王の後宮の八万四千人、皆悉く是の法華経を受持するに堪忍しぬ。浄眼菩薩は法華三昧に於て久しく已に通達せり。浄蔵菩薩は已に無量百千万億劫に於て、離諸悪趣三昧に通達せり、一切衆生をして諸の悪趣を離れしめんと欲するが故に。其の王の夫人は諸仏集三昧を得て、能く諸仏の秘密の蔵を知れり。二子是の如く方便力を以て善く其の父を化して、心に仏法を信解し好楽せしむ。
 是に妙荘厳王は群臣眷属と倶に、浄徳夫人は後宮の采女眷属と倶に、其の王の二子は四万二千人と倶に、一時に共に仏所に詣ず。到り已って頭面に足を礼し、仏を遶ること三�して却って一面に住す。
 爾の時に彼の仏、王の為に法を説いて示教利喜したもう、王大に歓悦す。爾の時に妙荘厳王及び其の夫人、頚の真珠瓔珞の価直百千なるを解いて、以て仏の上に散ず。虚空の中に於て化して四柱の宝臺となる。臺の中に大宝の牀あって、百千万の天衣を敷けり。其の上に仏いまして結跏趺坐して大光明を放ちたもう。
 爾の時に妙荘厳王是の念を作さく、
 仏身は希有にして端厳殊特なり、第一微妙の色を成就したまえり。
 時に雲雷音宿王華智仏、四衆に告げて言わく、
 汝等、是の妙荘厳王の我が前に於て合掌して立てるを見るや不や。此の王我が法の中に於て比丘と作り、助仏道の法を精勤修習して、当に作仏することを得べし、娑羅樹王と号けん。国を大光と名け、劫を大高王と名けん。其の娑羅樹王仏は、無量の菩薩衆及び無量の声聞あって、其の国平正ならん。功徳是の如し。
 其の王、即時に国を以て弟に付して王と夫人・二子竝に諸の眷属と、仏法の中に於て出家し修道しき。王出家し已って、八万四千歳に於て、常に勤め精進して妙法華経を修行す。是れを過ぎて已後、一切浄功徳荘厳三昧を得つ。
 即ち虚空に昇ること高さ七多羅樹にして、仏に白して言さく、
 世尊、此の我が二子已に仏事を作しつ、神通変化を以て、我が邪心を転じて仏法の中に安住することを得、世尊を見たてまつることを得せしむ。此の二子は是れ我が善知識なり。宿世の善根を発起して、我を饒益せんと欲するを為ての故に、我が家に来生せり。
 爾の時に雲雷音宿王華智仏、妙荘厳王に告げて言わく、
 是の如し是の如し、汝が所言の如し。若し善男子・善女人、善根を種えたるが故に世世に善知識を得。其の善知識は能く仏事を作し、示教利喜して阿耨多羅三藐三菩提に入らしむ。大王当に知るべし、善知識は是れ大因縁なり。所謂化導して、仏を見阿耨多羅三藐三菩提の心を発すことを得せしむ。大王、汝此の二子を見るや不や。此の二子は已に曾て六十五百千万億那由他恒河沙の諸仏を供養し、親近し恭敬して、諸仏の所に於て法華経を受持し、邪見の衆生を愍念して正見に住せしむ。
 妙荘厳王即ち虚空の中より下りて仏に白して言さく、
 世尊、如来は甚だ希有なり。功徳・智慧を以ての故に、頂上肉髻光明顕照す。其の眼長広にして紺青の色なり。眉間の毫相白きこと珂月の如し。歯白く斉密にして常に光明あり。唇の色赤好にして頻婆果の如し。
 爾の時に妙荘厳王、仏の是の如き等の無量百千万億の功徳を讃歎し已って、如来の前に於て一心に合掌して、復仏に白して言さく、
 世尊、未曾有也。如来の法は不可思議微妙の功徳を具足し成就したまえり。教戒の所行安穏快善なり。我今日より復自ら心行に随わじ、邪見・�慢・瞋恚・諸悪の心を生ぜじ。是の語を説き已って、仏を礼して出でにき。
 仏、大衆に告げたまわく、
 意に於て云何、妙荘厳王は豈に異人ならんや、今の華徳菩薩是れなり。其の浄徳夫人は今の仏前に光をもって照したもう荘厳相の菩薩是れなり。妙荘厳王及び諸の眷属を哀愍せんが故に、彼の中に於て生ぜり。其の二子は今の薬王菩薩・薬上菩薩是れなり。
 是の薬王・薬上菩薩は此の如き諸の大功徳を成就し、已に無量百千万億の諸仏の所に於て衆の徳本を植え、不可思議の諸善功徳を成就せり。若し人あって是の二菩薩の名字を識らん者は、一切世間の諸天人民亦礼拝すべし。仏是の妙荘厳王本事品を説きたもう時、八万四千人遠塵離苦して、諸法の中に於て法眼浄を得たり。

妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八  〔▽五八七頁〕

 爾の時に普賢菩薩、自在神通力・威徳名聞を以て、大菩薩の無量無辺不可称数なると東方より来る。所経の諸国普く皆震動し、宝蓮華を雨らし、無量百千万億の種々の妓楽を作す。又無数の諸天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩�羅伽・人非人等の大衆の圍遶せると各威徳・神通の力を現じて、娑婆世界の耆闍崛山の中に到って、頭面に釈迦牟尼仏を礼し、右に遶ること七�して、仏に白して言さく、
 世尊、我宝威徳上王仏の国に於て、遥かに此の娑婆世界に法華経を説きたもうを聞いて、無量無辺百千万億の諸の菩薩衆と共に来って聴受す。唯願わくは世尊、当に為に之を説きたもうべし。若し善男子・善女人、如来の滅後に於て云何してか能く是の法華経を得ん。
 仏、普賢菩薩に告げたまわく、
 若し善男子・善女人、四法を成就せば如来の滅後に於て当に是の法華経を得べし。一には諸仏に護念せらるることを為、二には諸の徳本を植え、三には正定聚に入り、四には一切衆生を救うの心を発せるなり。善男子・善女人、是の如く四法を成就せば如来の滅後に於て必ず是の経を得ん。
 爾の時に普賢菩薩仏に白して言さく、
 世尊、後の五百歳濁悪世の中に於て、其れ是の経典を受持することあらん者は、我当に守護して其の衰患を除き安穏なることを得せしめ、伺い求むるに其の便を得る者なからしむべし。若しは魔、若しは魔子、若しは魔女、若しは魔民、若しは魔に著せられたる者、若しは夜叉、若しは羅刹、若しは鳩槃荼、若しは毘舎闍、若しは吉蔗、若しは富単那、若しは韋陀羅等の諸の人を悩す者、皆便を得ざらん。
 是の人若しは行き若しは立って此の経を読誦せば、我爾の時に六牙の白象王に乗って、大菩薩衆と倶に其の所に詣って、自ら身を現じて供養し守護して其の心を安慰せん。亦法華経を供養せんが為の故なり。
 是の人若しは坐して此の経を思惟せば、爾の時に我復白象王に乗って其の人の前に現ぜん。其の人若し法華経に於て一句・一偈をも忘失する所有らば、我当に之を教えて与共に読誦し、還って通利せしむべし。爾の時に法華経を受持し読誦せん者、我が身を見ることを得て、甚だ大に歓喜して転た復精進せん。我を見るを以ての故に即ち三昧及び陀羅尼を得ん。名けて旋陀羅尼・百千万億旋陀羅尼・法音方便陀羅尼とす。是の如き等の陀羅尼を得ん。
 世尊、若し後の世の後の五百歳濁悪世の中に、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の求索せん者、受持せん者、読誦せん者、書写せん者、是の法華経を修習せんと欲せば、三七日の中に於て一心に精進すべし。三七日を満じ已らんに、我当に六牙の白象に乗って、無量の菩薩の而も自ら圍遶せると、一切衆生の見んと憙う所の身を以て其の人の前に現じて、為に法を説いて示教利喜すべし。亦復其れに陀羅尼呪を与えん。是の陀羅尼を得るが故に非人の能く破壊する者あること無けん。亦女人に惑乱せられじ。我が身亦自ら常に是の人を護らん。唯願わくは世尊、我が此の陀羅尼を説くことを聴したまえ。
 即ち仏前に於て呪を説いて曰さく、
 阿檀地 檀陀婆地 檀陀婆帝 檀陀鳩�m隷 檀陀修陀隷 修陀隷 修陀羅婆底 仏駄波羶禰 薩婆陀羅尼 阿婆多尼 薩婆婆沙・阿婆多尼 修阿婆多尼 僧伽婆履叉尼 僧伽涅伽陀尼 阿僧祇 僧伽波伽地 帝隷阿惰・僧伽兜略 阿羅帝・波羅帝 薩婆僧伽・三摩地・伽蘭地 薩婆達磨・修波利刹帝 薩婆薩�楼駄・�舎略・阿�伽地 辛阿毘吉利地帝
 世尊、若し菩薩あって、是の陀羅尼を聞くことを得ん者は、当に知るべし、普賢神通の力なり。若し法華経の閻浮提に行ぜんを受持することあらん者は、此の念を作すべし、皆是れ普賢威神の力なりと。
 若し受持し読誦し正憶念し、其の義趣を解し説の如く修行することあらん、当に知るべし、是の人は普賢の行を行ずるなり。無量無辺の諸仏の所に於て、深く善根を種えたるなり。諸の如来の手をもって、其の頭を摩でたもうを為ん。若し但書写せんは、是の人命終して当に�利天上に生ずべし。是の時に八万四千の天女、衆の妓楽を作して来って之を迎えん。其の人即ち七宝の冠を著て、采女の中に於て娯楽快楽せん。何に況んや受持し読誦し正憶念し、其の義趣を解し説の如く修行せんをや。若し人あって受持し読誦し其の義趣を解せん。是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず悪趣に堕ちざらしめたもうことを為、即ち兜率天上の弥勒菩薩の所に往かん。弥勒菩薩は三十二相あって、大菩薩衆に共に圍遶せらる。百千万億の天女眷属あって、中に於て生ぜん。是の如き等の功徳利益あらん。是の故に智者、応当に一心に自ら書き若しは人をしても書かせめ、受持し読誦し正憶念し、説の如く修行すべし。
 世尊、我今神通力を以ての故に是の経を守護して、如来の滅後に於て閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん。
 爾の時に釈迦牟尼仏讃めて言わく、
 善哉善哉、普賢、汝能く是の経を護助して、多所の衆生をして安楽し利益せしめん。汝已に不可思議の功徳・深大の慈悲を成就せり。久遠より来阿耨多羅三藐三菩提の意を発して、能く是の神通の願を作して是の経を守護す。我当に神通力を以て、能く普賢菩薩の名を受持せん者を守護すべし。
 普賢、若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり、仏口より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり。当に知るべし、是の人は仏、善哉と讃む。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏の手をもって、其の頭を摩するを為ん。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏の衣に覆わるることを為ん。是の如きの人は復世楽に貪著せじ。外道の経書・手筆を好まじ。亦復喜って其の人及び諸の悪者の若しは屠兒、若しは猪・羊・�・狗を畜うもの、若しは猟師、若しは女色を衒売するものに親近せじ。是の人は心意質直にして、正憶念あり福徳力あらん。是の人は三毒に悩されじ。亦嫉妬・我慢・邪慢・増上慢に悩されじ。是の人は少欲知足にして能く普賢の行を修せん。
 普賢、若し如来の滅後後の五百歳に、若し人あって法華経を受持し読誦せん者を見ては、是の念を作すべし。
 此の人は久しからずして当に道場に詣して諸の摩衆を破し、阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を転じ法鼓を撃ち法螺を吹き法雨を雨らすべし。当に天人大衆の中の師子法座の上に坐すべし。普賢、若し後の世に於て是の経典を受持し読誦せん者は、是の人復衣服・臥具・飲食・資生の物に貪著せじ。所願虚しからじ。亦現世に於て其の福報を得ん。
 若し人あって之を軽毀して言わん、汝は狂人ならく耳。空しく是の行を作して終に獲る所なけんと。
 是の如き罪報は当に世世に眼なかるべし。若し之を供養し讃歎することあらん者は、当に今世に於て現の果報を得べし。若し復是の経典を受持せん者を見て其の過悪を出さん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑することあらん者は、当に世世に牙歯疎き欠け、醜唇・平鼻・手脚繚戻し、眼目角�|に、身体臭穢にして悪瘡・膿血・水腹・短気・諸の悪重病あるべし。
 是の故に普賢、若し是の経典を受持せん者を見ては、当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし。
 是の普賢勧発品を説きたもう時、恒河沙等の無量無辺の菩薩百千万億旋陀羅尼を得、三千大千世界微塵等の諸の菩薩普賢の道を具しぬ。
 仏是の経を説きたもう時、普賢等の諸の菩薩・舎利弗等の諸の声聞・及び諸の天・龍・人非人等の一切の大会皆大に歓喜し、仏語を受持して礼を作して去りにき。

妙法蓮華経巻第八


#仏説観普賢菩薩行法経  〔▽六〇〇頁〕

 是の如きを我聞きき。一時、仏、毘舎離国・大林精舎・重閣講堂に在して、諸の比丘に告げたまわく、
 却って後三月あって我当に般涅槃すべし。尊者阿難、即ち座より起って衣服を整え、手を叉え合掌して、仏を遶ること三�して、仏の為に礼を作し、胡跪し合掌して、諦かに如来を観たてまつりて目暫くも捨てず。長老摩訶迦葉・弥勒菩薩摩訶薩も亦座より起って、合掌し礼を作して尊顔を瞻仰したてまつる。
 時に三大士、異口同音にして仏に白して言さく、世尊、如来の滅後に云何してか衆生、菩薩の心を起し、大乗方等経典を修行し、正念に一実の境界を思惟せん。云何してか無上菩提の心を失わざらん。云何してか復当に煩悩を断ぜず五欲を離れずして、諸根を浄め諸罪を滅除することを得、父母所生の清浄の常の眼、五欲を断ぜずして而も能く諸の障外の事を見ることを得べき。
 仏、阿難に告げたまわく、諦かに聴け、諦かに聴け、善く之を思念せよ。如来昔耆闍崛山及び余の住処に於て、已に広く一実の道を分別せしかども、今此の処に於て、未来世の諸の衆生等の大乗無上の法を行ぜんと欲せん者、普賢の行を学し普賢の行を行ぜんと欲せん者の為に、我今当に其の所念の法を説くべし。若しは普賢を見及び見ざる者の罪数を除却せんこと、今汝等が為に当に広く分別すべし。阿難、普賢菩薩は乃ち東方の浄妙国土に生ぜり。其の国土の相は雑華経の中に已に広く分別せり。我今此の経に於て略して解説せん。
 阿難、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・八部・一切衆生の大乗を誦せん者、大乗を修せん者、大乗の意を発せん者、普賢菩薩の色身を見んと楽わん者、多宝仏の塔を見たてまつらんと楽わん者、釈迦牟尼仏及び分身の諸仏を見たてまつらんと楽わん者、六根清浄を得んと楽わん者は当に是の観を学すべし。此の観の功徳は諸の障碍を除いて上妙の色を見る。三昧に入らざれども但誦持するが故に、心を専らにして修習し、心心相次いで大乗を離れざること、一日より三七日に至れば普賢を見ることを得。重き障ある者は、七七日の後然して後に見ることを得、復重きことある者は一生に見ることを得、復重きことある者は二生に見ることを得、復重きことある者は三生に見ることを得。是の如く種々に業報不同なり、是の故に異説す。
 普賢菩薩は身量無辺・音声無辺・色像無辺なり。此の国に来らんと欲して自在神通に入り、身を促めて小ならしむ。閻浮提の人は三障重きが故に、智慧力を以て化して白象に乗れり。其の象に六牙あり、七支地を�えたり。其の七支の下に七蓮華を生ぜり。其の象の色鮮白なり、百の中に上れたる者なり。頗梨雪山も比とすることを得ず。象の身の長さ四百五十由旬、高さ四百由旬。六牙の端に於て六つの浴池あり。一一の浴池の中に十四の蓮華を生ぜり、池と正等なり。其の華開敷せること天の樹王の如し。一一の華の上に一りの玉女あり。顔色紅の如くにして、暉天女に過ぎたるあり。手の中に自然に五つの箜篌を化せり。一一の箜篌に五百の楽器あり、以て眷属とせり。五百の鳥あり、鳧・雁・鴛鴦、皆衆宝の色にして、華葉の間に生ぜり。象の鼻に華あり、其の茎譬えば赤真珠の色の如し。其の華金色にして含んで未だ敷けず。是の事を見已って復更に懺悔し、至心に諦観して大乗を思惟すること心に休廃せざれば、華を見るに即ち敷け金色に金光あり。其の蓮華臺は是れ甄叔迦宝・妙梵摩尼を以て華臺とし、金剛宝を以て華鬚とせり。化仏有せるを見るに蓮華臺に坐したまえり。衆多の菩薩蓮華鬚に坐せり。化仏の眉間より亦金色の光を出して象に鼻の中に入る。紅蓮華の色にして象の鼻の中より出でて象の眼の中に入り、象の眼の中より出でて象の耳の中に入り、象の耳より出でて象の頂上を照らして化して金臺と作る。象の頭の上に当って三化人あり、一りは金輪を捉り、一りは摩尼珠を持ち、一りは金剛杵を把れり。杵を挙げて象に擬するに象即ち能く行歩す。脚地を履まず、虚を躡んで遊ぶ。地を離ること七尺、地に印文あり。印文の中に於て千輻轂�~皆悉く具足せり。一一の�~間に一の大蓮華を生ず。此の蓮華の上に一の化象を生ぜり。亦七支あり、大象に随って行く。足を挙げ足を下すに七千の象を生ず。以て眷属となして大象に随従せり。象の鼻紅蓮華の色なる、上に化仏有して眉間の光を放ちたもう。其の光金色にして前の如く象の鼻の中に入り、象の鼻の中より出でて象の眼の中に入り、象の眼より出でて還って象の耳に入り、象の耳より出でて象の頂上に至る。漸漸に上り象の背に至り、化して金鞍と成って七宝校具せり。鞍の四面に於て七宝の柱あり、衆宝校飾して以て宝臺を成せり。臺の中に一の七宝の蓮華鬚あり。其の蓮華鬚は百宝をもって共に成ぜり。其の蓮華臺は是れ大摩尼なり。
 一りの菩薩あり、結跏趺坐せり、名を普賢という。身白玉の色にして五十種の光あり。光に五十種の色あり、以て頂光と為す。身の諸の毛孔より金光を流出す。其の金光の端に無量の化仏まします。諸の化菩薩を以て眷属と為せり。
 安詳として徐くに歩み、大なる宝蓮華を雨らして行者の前に至らん。其の象口を開くに、象の牙の上に於て、諸池の玉女鼓楽絃歌す。其の声微妙にして大乗一実の道を讃歎す。
 行者見已って歓喜し敬礼して、復更に甚深の経典を読誦し、遍く十方無量の諸仏を礼し、多宝仏塔及び釈迦牟尼仏を礼したてまつり竝に普賢・諸の大菩薩を礼して、是の誓願を発す。
 若し我宿福あらば応に普賢を見たてまつるべし。願わくは尊者遍普、我に色身を示したもうべしと。
 是の願を作し已って、昼夜六時に十方の仏を礼し懺悔の法を行じ、大乗経を読み大乗経を誦し、大乗の義を思い大乗の事を念じ、大乗を持つ者を恭敬し供養し、一切の人を視ること猶お仏の想の如くし、諸の衆生に於て父母の想の如くせよ。
 是の念を作し已りなば、普賢菩薩即ち眉間より大人相白毫の光明を放たん。此の光現ずる時に、普賢菩薩身相端厳にして紫金山の如く、端正微妙にして三十二相皆悉く備え有てらん。身の諸の毛孔より大光明を放ち、其の大象を照らして金色とならしめん。一切の化象も亦金色となり、諸の化菩薩も亦金色と作らん。其の金色の光東方無量の世界を照らすに、皆同じく金色とならん。南西北方四維上下も亦復是の如し。
 爾の時に十方面、一一の方に於て一りの菩薩の六牙の白象王に乗れるあり。亦普賢の如く等しくして異ることあることなけん。是の如く十方無量無辺の中に満てる化象も、普賢菩薩の神通力の故に、持経者をして皆悉く見ることを得せしめん。
 是の時に行者、諸の菩薩を見て身心歓喜して、其の為に礼を作して白して言さく、
 大慈大悲者、我を愍念したもうが故に我が為に法を説きたまえと。
 是の語を説く時に、諸の菩薩等異口同音に各清浄の大乗経法を説いて、諸の偈頌を作って行者を讃歎すべし。是れを始めて普賢菩薩を観ずる最初の境界と名く。
 爾の時に行者是の事を見已って、心に大乗を念じて昼夜に捨てざれば、睡眠の中に於て、夢に普賢其の為に法を説くと見ん。覚の如くにして異ることなく、其の心を安慰して是の言を作さん、汝が誦持する所、是の句を忘失し是の偈を忘失せりと。
 爾の時に行者、普賢の深法を説くことを聞いて其の義趣を解し、憶持して忘れじ。日日に是の如くして其の心漸く利ならん。普賢菩薩其れをして十方の諸仏を憶念せしめん。普賢の教に随って正心・正憶にして、漸く心眼を以て東方の仏の身黄金の色にして端厳微妙なるを見たてまつらん。一仏を見たてまつり已って、復一仏を見たてまつらん。是の如く漸漸に遍く東方の一切の諸仏を見たてまつり、心想利なるが故に、遍く十方の一切の諸仏を見たてまつらん。諸仏を見たてまつり已って、心に歓喜を生じて、是の言を作さく、
 大乗に因るが故に大士を見ることを得、大士の力に因るが故に諸仏を見たてまつることを得たり。諸仏を見たてまつると雖も、猶お未だ了了ならず。目を閉ずれば則ち見、目を開けば則ち失う。
 是の語を作し已って、五体を地に投じて遍く十方の仏を礼せん。諸仏を礼し已って、胡跪し合掌して是の言を作せ、諸仏世尊は十力・無畏十八不共法・大慈・大悲・三念処まします。常に世間に在して色の中の上色なり。我何の罪あって見たてまつることを得ざると。
 是の語を説き已って復更に懺悔せよ。懺悔清浄なること已りなば、普賢菩薩復更に現前して行・住・坐・臥に其の側を離れず。乃至夢の中にも常に為に法を説かん。此の人覚め已って、法喜の楽を得ん。是の如くして昼夜三七日を経て、然して後に方に旋陀羅尼を得ん。陀羅尼を得るが故に、諸仏・菩薩の所説の妙法憶持して失わじ。亦常に夢に過去の七仏を見たてまつらんに、唯釈迦牟尼仏のみ其れが為に法を説きたまわん。是の諸の世尊、各各に大乗経典を称讃したまわん。爾の時に行者復更に歓喜して、遍く十方の仏を礼せん。十方の仏を礼し已りなば、普賢菩薩其の人の前に住して、教えて宿世の一切の業縁を説いて、黒悪の一切の罪事を発露せしめん。諸の世尊に向いたてまつり、口に自ら発露せよ。
 既に発露し已りなば、尋いで時に即ち諸仏現前三昧を得ん。是の三昧を得已って、東方の阿�仏及び妙喜国を見たてまつること了了分明ならん。是の如く十方各諸仏の上妙の国土を見ること了了分明ならん。既に十方の仏を見たてまつり已って、夢むらく象の頭の上に一りの金剛人あり、金剛の杵を以て遍く六根に擬す。六根に擬し已りなば、普賢菩薩、行者の為に六根清浄懺悔の法を説かん。是の如く懺悔すること、一日より三七日に至らん。諸仏現前三昧の力を以ての故に、普賢菩薩の説法荘厳の故に、耳漸漸に障外の声を聞き、眼漸漸に障外の事を見、鼻漸漸に障外の香を聞がん。広く説くこと妙法華経の如し。是の六根清浄を得已って、身心歓喜して諸の悪想なけん。心を是の法に純らにして法と相応せん。復更に百千万億の旋陀羅尼を得、復更に広く百千万憶無量の諸仏を見たてまつらん。是の諸の世尊各右の手を申べて、行者の頭を摩でて是の言を作したまわん。
 善哉善哉、大乗を行ずる者、大荘厳の心を発せる者、大乗を念ずる者なり。我等昔日菩提心を発せし時皆亦是の如し。汝慇懃にして失わざれ。我等先世に大乗を行ぜしが故に、今清浄正遍知の身と成れり。汝今亦当に勤修して懈らざるべし。
 此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり。此の経を持つ者は、即ち仏身を持ち、即ち仏事を行ずるなり。当に知るべし、是の人は即ち是れ諸仏の所使なり。諸仏世尊の衣に覆われ、諸仏如来の真実の法の子なり。汝大乗を行じて法種を断ざれ。汝今諦かに東方の諸仏を観じたてまつれ。
 是の語を説きたもう時、行者即ち東方の一切無量の世界を見る。地の平かなること掌の如し。諸の堆阜・岳陵・荊棘なく、瑠璃をもって地とし、黄金をもって側を間てたり。十方世界も亦復是の如し。是の事を見已って即ち宝樹を見ん。宝樹高妙にして五千由旬なり。其の樹常に黄金・白銀を出して七宝荘厳せり。樹下に自然に宝の師子座あり。其の師子座の高さ二千由旬ならん。其の座の上に亦百宝の光明を出さん。是の如く諸樹及び余の宝座、一一の宝座に皆百宝の光明あらん。是の如く諸樹及び余の宝座、一一の宝座に皆自然の五百の白象あらん。象の上に皆普賢菩薩有さん。
 爾の時に行者諸の普賢を礼して、是の言を作せ、我何の罪あってか但宝地・宝座及び宝樹を見て、諸仏を見たてまつらざると。
 是の語を作し已りなば、一一の座の上に一りの世尊ましまさん。端厳微妙にして宝座に坐したまえり。諸仏を見たてまつり已って心大に歓喜して、復更に大乗経典を誦習せん。大乗の力の故に、空中に声あって讃歎して言わく、善哉善哉、善男子、汝大乗を行ずる功徳の因縁に、能く諸仏を見たてまつる。今諸仏世尊を見たてまつることを得たりと雖も、而も釈迦牟尼仏・分身の諸仏及び多宝仏塔を見たてまつること能わず。
 空中の声を聞き已って、復勤めて大乗経典を誦習せん。大乗方等経を誦習するを以ての故に、即ち夢中に於て釈迦牟尼仏、諸の大衆と耆闍崛山に在して、法華経を説き一実の義を演べたもうを見ん。教已りなば懺悔し渇仰して見たてまつらんと欲し、合掌胡跪して耆闍崛山に向って是の言を作せ、
 如来世雄は常に世間に在す。我を愍念したもうが故に我が為に身を現じたまえ。
 是の語を作し已って耆闍崛山を見るに、七宝荘厳して無数の比丘声聞大衆あり。宝樹行列して宝地平正なり。復妙宝師子の座を敷けり。釈迦牟尼仏眉間の光を放ちたもう。其の光遍く十方世界を照らし、復十方無量の世界を過ぐ。此の光の至る処の十方分身の釈迦牟尼仏一時に雲のごとく集り、広く妙法を説きたもうこと妙法華経の如し。一一の分身の仏身は紫金の色なり。身量無辺にして師子の座に坐したまえり。百億無量の諸大菩薩を以て眷属とせり。一一の菩薩、行、普賢に同じ。此の如く十方無量の諸仏・菩薩の眷属も亦復是の如し。大衆雲集し已って、釈迦牟尼仏を見たてまつれば、挙身の毛孔より金色の光を放ちたもう。一一の光の中に百億の化仏有す。諸の分身の仏眉間の白毫大人相の光を放ちたもう。其の光釈迦牟尼仏の頂に流入す。此の相を見る時、分身の諸仏一切の毛孔より金色の光を出したもう。一一の光の中に復恒河沙微塵数の化仏有す。
 爾の時に普賢菩薩、復眉間の大人相の光を放って行者の心に入れん。既に心に入り已りなば、行者自ら過去無数百千の仏の所にして大乗経典を受持し読誦せしことを憶し、自ら故の身を見ること了了分明ならん。宿明通の如く等しくして異ることあることなけん。豁然として大悟し、旋陀羅尼・百千万億の諸の陀羅尼門を得ん。三昧より起って、面り一切の分身の諸仏衆の宝樹の下に師子の床に坐したまえるを見たてまつらん。復瑠璃の地の蓮華聚の如く下方の空中より踊出するを見ん。一一の華の間に微塵数の菩薩あって結跏趺坐せん。亦普賢の分身の菩薩彼の衆の中に在って大乗を讃説するを見ん。
 時に諸の菩薩、異口同音に行者をして六根清浄ならしめん。
 或は説言あらん、汝当に仏を念ずべし。或は説言あらん、汝当に法を念ずべし。或は説言あらん、汝当に僧を念ずべし。或は説言あらん、汝当に戒を念ずべし。或は説言あらん、汝当に施を念ずべし。或は説言あらん、汝当に天を念ずべし。此の如き六法は是れ菩提心なり、菩薩を生ずる法なり。汝今応当に諸仏の前に於て、先の罪を発露し至誠に懺悔すべし。
 無量世に於て、眼根の因縁をもって諸色に貪著す。色に著するを以ての故に諸塵に貪愛す。塵を愛するを以ての故に女人の身を受けて、世世に生ずる処に諸色に惑著す。色汝が眼を壊って恩愛の奴となる。故に色汝をして三界を経歴せしむ。此の弊使を為て盲にして見る所なし。今大乗方等経典を誦す。此の経の中に十方の諸仏色身滅せずと説く。汝今見ることを得つ、審実にして爾りや不や。眼根不善汝を傷害すること多し。我が語に随順して、諸仏・釈迦牟尼仏に帰向したてまつり、汝が眼根の所有の罪咎を説け。諸仏・菩薩の慧眼の法水、願わくは以て洗除して、我をして清浄ならしめたまえと。
 是の語を作し已って遍く十方の仏を礼し、釈迦牟尼仏・大乗経典に向いたてまつりて、復是の言を説け。
 我が今懺する所の眼根の重罪、障蔽穢濁にして盲にして見る所無し。願わくは仏大慈をもって哀愍覆護したまえ。普賢菩薩大法船に乗って、普く一切の十方無量の諸の菩薩の伴を渡したもう。唯願わくは哀愍して我が眼根の不善悪業障を悔過する法を聴したまえ。
 是の如く三び説いて五体を地に投じて、大乗を正念して心に忘捨せざれ。是れを眼根の罪を懺悔する法と名く。諸仏の名を称し焼香・散華して、大乗の意を発し�・旛・蓋を懸けて、眼の過患を説き罪を懺悔せば、此の人現世に釈迦牟尼仏を見たてまつり、及び分身・無量の諸仏を見たてまつり、阿僧祇劫に悪道に堕ちじ。大乗の力の故に、大乗の願の故に、恒に一切の陀羅尼菩薩と共に眷属と為らん。是の念を作す者是れを正念とす。若し他念する者を名けて邪念とす。是れを眼根初境界の相と名く。
 眼根を浄むること已って、復更に大乗経典を読誦し、昼夜六時に胡跪し懺悔して是の言を作せ、我今云何ぞ但釈迦牟尼仏・分身の諸仏を見たてまつりて、多宝仏の塔全身の舎利を見たてまつらざる。多宝仏の塔は恒に在して滅したまわず。我濁悪の眼なり、是の故に見たてまつらず。
 是の語を作し已って、復更に懺悔せよ。
 七日を過ぎ已って、多宝仏の塔地より涌出したまわん。釈迦牟尼仏即ち右の手を以て其の塔の戸を開きたまわん。多宝仏を見たてまつれば普賢色身三昧に入りたまえり。一一の毛孔より恒河沙微塵数の光明を流出したもう。一一の光明に一一に百千万億の化仏います。此の相現ずる時、行者歓喜して讃偈をもって塔を遶らん。七�を満て已りなば、多宝如来大音声を出して、讃めて言わく、法の子、汝今真実に能く大乗を行じ、普賢に随順して眼根懺悔す。是の因縁を以て、我汝が所に至って汝が証明と為る。
 是の語を説き已って、讃めて言わく、善哉善哉、釈迦牟尼仏、能く大法を説き大法の雨を雨らして、濁悪の諸の衆生等を成就したもう。
 是の時に行者、多宝仏塔を見已って、復普賢菩薩の所に至って、合掌し敬礼して白して言さく、大師、我に悔過を教えたまえ。
 普賢復言わく、汝多劫の中に於て、耳根の因縁をもって外声に随逐して、妙音を聞く時は心に惑著を生じ、悪声を聞く時は百八種の煩悩の賊害を起す。此の如き悪耳の報悪事を得。恒に悪声を聞いて諸の攀縁を生ず。顛倒して聴くが故に、当に悪道・辺地・邪見の、法を聞かざる処に堕すべし。汝今日に於て大乗の功徳海蔵を誦持す。是の因縁を以ての故に十方の仏を見たてまつる。多宝仏塔は現じて汝が証と為りたもう。汝自ら当に己が過悪を説いて諸罪を懺悔すべし。是の時行者、是の語を聞き已って、復更に合掌して五体を地に投じて是の言を作せ、
 正遍知世尊、現じて我が証と為りたまえ。方等経典は為れ慈悲の主なり。唯願わくは我を観我が所説を聴きたまえ。我多劫より乃至今身まで、耳根の因縁をもって声を聞いて惑著すること、膠の艸に著くが如し。諸の悪声を聞く時は煩悩の毒を起し、処処に惑著して暫くも停まる時なし。此の弊声を出して我が識神を労し、三塗に墜堕せしむ。今始めて覚知して、諸の世尊に向いたてまつりて発露懺悔すと。既に懺悔し已って、多宝仏の大光明を放ちたもうを見たてまつらん。其の光金色にして遍く東方及び十方界を照らしたもう。無量の諸仏身真金の色なり。東方の空中に是の唱言を作す、
 此に仏世尊まします、号を善徳という。亦無数の分身の諸仏あり、宝樹下の師子座上に坐して結跏趺坐したまえり。是の諸の世尊の一切皆普賢色身三昧に入りたまえる、皆是の言を作して、讃めて言わく、善哉善哉、善男子、汝今大乗経典を読誦す。汝が誦する所は是れ仏の境界なり。
 是の語を説き已りなば、普賢菩薩復更に為に懺悔の法を説かん。
 汝先世に無量劫の中に於て、香を貧るを以ての故に、分別諸識処処に貪著して、生死に堕落せり。汝今応当に大乗の因を観ずべし。大乗の因とは諸法実相なりと。
 是の語を聞き已って、五体を地に投じて復更に懺悔せよ。既に懺悔し已って当に是の語を作すべし、
 南無釈迦牟尼仏・南無多宝仏塔・南無十方釈迦牟尼仏分身諸仏と。
 是の語を作し已って、遍く十方の仏を礼したてまつれ、南無東方善徳仏及び分身諸仏と。眼に見る所の如くして一一に心をもって礼し、香華をもって供養し、供養すること畢って胡跪し、合掌して、種々の偈を以て諸仏を讃歎したてまつり既に讃歎し已って、十悪業を説いて諸罪を懺悔せよ。既に懺悔し已って是の言を作せ、
 我先世無量劫の時に於て、香・味・触を貧って衆悪を造作せり。是の因縁を以て、無量世より来恒に地獄・餓鬼・畜生・辺地・邪見の諸の不善の身を受く。此の如き悪業を今日発露し、諸仏正法の王に帰向したてまつりて説罪懺悔すと。
 既に懺悔し已って身心懈らずして復更に大乗経典を読誦せよ。大乗の力の故に空中に声あって告げて言わく、法の子、汝今応当に十方の仏に向いたてまつりて大乗の法を讃説し、諸仏の前に於て自ら己が過を説くべし。諸仏如来は是れ汝が慈父なり。汝当に自ら舌根の所作の不善悪業を説くべし。此の舌根は悪業の想に動ぜられて、妄言綺語・悪口両舌・誹謗妄語、邪見の語を讃歎し、無益の語を説く。是の如き衆多の諸の雑悪業、闘遘壊乱し法を非法と説く。是の如き衆罪を今悉く懺悔すと。
 諸の世雄の前にして是の語を作し已って、五体を地に投じて遍く十方の仏を礼したてまつり、合掌長跪して当に是の語を作すべし、此の舌の過患無量無辺なり。諸の悪業の刺は舌根より出ず。正法輪を断ずること此の舌より起る。此の如き悪舌は功徳の種を断ず。非義の中に於て多端に強いて説き、邪見を讃歎すること火に薪を益すが如し。猶お猛火の衆生を傷害するが如し。毒を飲める者の瘡疣なくして死するが如し。是の如き罪報悪邪不善にして、当に悪道に堕すること百劫千劫なるべし。妄語を以ての故に大地獄に堕す。我今南方の諸仏に帰向したてまつりて、過罪を発露せん。
 是の念を作す時空中に声あらん。
 南方に仏います、栴檀徳と名けたてまつる。彼の仏に亦無量の分身います、一切の諸仏皆大乗を説いて罪悪の除滅したもう。此の如き衆罪を、今十方無量の諸仏大悲世尊に向いたてまつりて、黒悪を発露し誠心に懺悔せよ。
 是の語を説き已りなば、五体を地に投じて復諸仏を礼したてまつれ。
 是の時に諸仏、復光明を放って行者の身を照らして、其の身心をして自然に歓喜せしめ、大慈悲を発し普く一切を念ぜしめん。爾の時に諸仏、広く行者の為に大慈悲及び喜捨の法を説き、亦愛語を教え六和敬を修せしめん。爾の時に行者、此の教勅を聞き已って心大に歓喜して、復更に誦習して終に懈息せざらん。
 空中に復微妙の音声あって、是の如き言を出さん、汝今応当に身心に懺悔すべし。
 身とは殺・盗・淫、心とは諸の不善を念ずる、十悪業及び五無間を造ること、猶お猿猴の如く亦黐膠の如く、処処に貪著して遍く一切六情根の中に至る。此の六根の業、枝條華葉悉く三界・二十五有・一切の生処に満てり。亦能く無明・老・死・十二の苦事を増長す。八邪・八難中に経ざることなし。汝今応当に是の如き悪不善の業を懺悔すべし。
 爾の時に行者、此の語を聞き已って、空中の声に問いたてまつる、我今何れの処にしてか懺悔の法を行ぜんと。
 時に空中の声即ち是の語を説かん、釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名けたてまつる。其の仏の住処を常寂光と名く。常波羅蜜に摂成せられたる処、我波羅蜜に安立せられたる処、浄波羅蜜の有相を滅せる処、楽波羅蜜の身心の相に住せざる処、有無の諸法の相を見ざる処、如寂解脱・乃至般若波羅蜜なり。是の色常住の法なるが故に。是の如く応当に十方の仏を観じたてまつるべし。
 時に十方の仏、各右の手を申べて行者の頭を摩でて、是の如き言を作したまわん。
 善哉善哉、善男子、汝今大乗経を読誦するが故に十方の諸仏懺悔の法を説きたもう。菩薩の所行の結使を断ぜず使海に住せず。心を観ずるに心なし、顛倒の想より起る。此の如き相の心は妄想より起る。空中の風の依止する処なきが如し。是の如き法相は生ぜず没せず。何者か是れ罪、何者か是れ福、我が心自ら空なれば罪・福も主なし。一切の法は是の如く住なく壊なし。是の如き懺悔は心を観ずるに心なし。法も法の中に住せず。諸法は解脱なり、滅諦なり、寂静なり。是の如き相をば大懺悔と名け、大荘厳懺悔と名け、無罪相懺悔と名け、破壊心識と名く。此の懺悔を行ずる者は、身心清浄にして法の中に住せざること、猶お流水の如し。念念の中に普賢菩薩及び十方の仏を見たてまつること得ん。
 時に諸の世尊、大悲光明を以て行者の為に無相の法を説きたもう。行者、第一義空を説きたもうを聞きたてまつらん。行者聞き已って心驚怖せず。時に応じて即ち菩薩の正位に入らん。仏、阿難に告げたまわく、是の如く行ずるをば名けて懺悔とす。此の懺悔とは十方の諸仏・諸大菩薩の所行の懺悔の法なり。
 仏、阿難に告げたまわく、仏の滅度の後、仏の諸の弟子若し悪不善業を懺悔することあらば、但当に大乗経典を読誦すべし。此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏は是れに因って五眼を具することを得たまえり。仏の三種の身は方等より生ず。是れ大法印なり、涅槃の海に印す。此の如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず。此の三種の身は人天の福田、応供の中の最なり。其れ大乗方等経典を誦読することあらば、当に知るべし、此の人は仏の功徳を具し、諸悪永く滅して仏慧より生ずるなり。
 爾の時に世尊、而も偈を説いて言わく、
  若し眼根の悪あって 業障の眼不浄ならば
  但当に大乗を誦し 第一義を思念すべし
  是れを眼を懺悔して 諸の不善業を尽くすと名く
  耳根は乱声を聞いて 和合の義を壊乱す
  是れに由って狂心を起すこと 猶お痴なる猿猴の如し
  但当に大乗を誦し 法の空無相を観ずべし
  永く一切の悪を尽して 天耳をもって十方を聞かん
  鼻根は諸香に著して 染に随って諸の触を起す
  此の如き狂惑の鼻 染に随って諸塵を生ず
  若し大乗経を誦し 法の如実際を観ぜば
  永く諸の悪業を離れて 後世に復生ぜじ
  舌根は五種の 悪口の不善業を起す
  若し自ら調順せんと欲せば 勤めて慈悲を修し
  法の真寂の義を思うて 諸の分別の想なかるべし
  心根は猿猴の如くにして 暫くも停まる時あることなし
  若し折伏せんと欲せば 当に勤めて大乗を誦し
  仏の大覚身 力無畏の所成を念じたてまつるべし
  身は為れ機関の主 塵の風に随って転ずるが如し
  六賊中に遊戯して 自在に�碍なし
  若し此の悪を滅して 永く諸の塵労を離れ
  常に涅槃の城に処し 安楽にして心憺泊ならんと欲せば
  当に大乗経を誦して 諸の菩薩の母を念ずべし
  無量の勝方便は 実相を思うに従って得
  此の如き等の六法を 名けて六情根とす
  一切の業障海は 皆妄想より生ず
  若し懺悔せんと欲せば 端坐して実相を思え
  衆罪は霜露の如し 慧日能く消除す
  是の故に 至心に 六情根を懺悔すべし
 是の偈を説き已って、仏、阿難に告げたまわく、汝今是の六根を懺悔し普賢菩薩を観ずる法を持って、普く十方の諸天・世人の為に広く分別して説け。仏の滅度の後、仏の諸の弟子若し方等経典を受持し読誦し解説することあらば、静処の若しは塚間、若しは樹下・阿練若処に於て、方等を読誦し大乗の義を思うべし。念力強きが故に我が身及び多宝仏塔・十方分身の無量の諸仏・普賢菩薩・文殊師利菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩を見たてまつることを得ん。法を恭敬するが故に諸の妙華を持って空中に住立して、行持法の者を讃歎し恭敬せん。但大乗方等経を誦するが故に、諸仏・菩薩昼夜に是の持法の者を供養したまわん。
 仏、阿難に告げたまわく、我賢劫の諸の菩薩及び十方の仏と、大乗真実の義を思うに因るが故に、百万億阿僧祇劫の生死の罪を除却しき。此の勝妙の懺悔の法に因るが故に、今十方に於て各仏となることを得たり。若し疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ぜんと欲せん者、若し現身に十方の仏及び普賢菩薩を見んと欲せば、当に浄く澡浴して浄潔の衣を著、衆の名香を焼き空閑の処に在るべし。応当に大乗経典を誦読し大乗の義を思うべし。
 仏、阿難に告げたまわく、若し衆生あって普賢菩薩を観ぜんと欲せん者は、当に是の観を作すべし。是の観を作す者是れを正観と名く。若し他観する者是れを邪観と名く。仏の滅度の後、仏の諸の弟子、仏の語に随順して懺悔を行ぜん者は、当に知るべし、是の人は普賢の行を行ずるなり。普賢の行を行ぜん者は悪相及び悪業報を見じ。其れ衆生あって、昼夜六時に十方の仏を礼したてまつり、大乗経を誦し、第一義甚深の空法を思わば、一弾指の頃に百万億阿僧祇劫の生死の罪を除却せん。此の行を行ずる者は真に是れ仏子なり、諸仏より生ず。十方の諸仏及び諸の菩薩、其の和上となりたまわん。是れを菩薩戒を具足せる者と名く。羯磨を須いずして自然に成就し、一切人天の供養を受くべし。
 爾の時に行者若し菩薩戒を具足せんと欲せば、応当に合掌して、空閑の処に在って遍く十方の仏を礼したてまつり、諸罪を懺悔し自ら己が過を説くべし。然して後に静かなる処にして十方の仏に白して、是の言を作せ、諸仏世尊は常に世に住在したもう。我業障の故に方等を信ずと雖も仏を見たてまつること了かならず。今仏に帰依したてまつる。唯願わくは釈迦牟尼仏正遍知世尊、我が和上と為りたまえ。文殊師利具大悲者、願わくは智慧を以て我に清浄の諸の菩薩の法を授けたまえ。弥勒菩薩勝大慈日、我を憐愍するが故に亦我が菩薩の法を受くることを聴したもうべし。十方の諸仏、現じて我が証と為りたまえ。諸大菩薩各其の名を称して、是の勝大士、衆生覆護し我等を助護したまえ。今日方等経典を受持したてまつる。乃至失命し設い地獄に堕ちて無量の苦を受くとも、終に諸仏の正法を毀謗せじ。是の因縁・功徳力を以ての故に、今釈迦牟尼仏、我が和上と為りたまえ。文殊師利、我が阿闍梨と為りたまえ。当来の弥勒、願わくは我に法を授けたまえ。十方の諸仏、願わくは我を証知したまえ。大徳の諸の菩薩、願わくは我が伴と為りたまえ。我今大乗経典甚深の妙義に依って仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依すと、是の如く三たび説け。三宝に帰依したてまつること已って、次に当に自ら誓って六重の法を受くべし。六重の法を受け已って、次に当に勤めて無碍の梵行を修し、曠済の心を発し八重の法を受くべし。此の誓いを立て已って、空閑の処に於て衆の名香を焼き華を散じ、一切の諸仏及び諸の菩薩、大乗方等に供養したてまつりて、是の言を作せ、我今日に於て菩提心を発しつ。此の功徳を以て普く一切を度せん。是の語を作し已って、復更に一切の諸仏及び諸の菩薩を頂礼し、方等の義を思え。一日乃至三七日、若しは出家・在家にても、和上を須いず諸師を用いず白羯磨せざれども、大乗経典を受持し読誦する力の故に、普賢菩薩の助発行の故に、是れ十方の諸仏の正法の眼目なれば、是の法によって自然に五分法身・戒・定・慧・解脱・解脱知見を成就す。諸仏如来は此の法より生じ、大乗経に於て記別を受くることを得たまえり。是の故に智者、若し声聞の三帰及び五戒・八戒・比丘戒・比丘尼戒・沙弥戒・沙弥尼戒・式叉摩尼戒及び諸の威儀を毀破し、愚痴・不善・悪邪心の故に多く諸の戒及び威儀の法を犯さん。若し除滅して過患なからしめ、還って比丘となって沙門の法を具せんと欲せば、当に勤修して方等経典を読み、第一義甚深の空法を思うて、此の空慧をして心と相応せしむべし。当に知るべし、此の人は念念の頃に於て、一切の罪垢永く尽きて余なけん。是れを沙門の法戒を具足し諸の威儀を具すと名く。応に人天一切の供養を受くべし。若し優婆塞、諸の威儀を犯し不善の事を作さん。不善の事を作すとは、所謂仏法の過悪を説き、四衆の所犯の悪事を論説し、偸盗・淫�にして慙愧あることなきなり。若し懺悔して諸罪を滅せんと欲せば、当に勤めて方等経典を読誦し第一義を思うべし。若し王者・大臣・婆羅門・居士・長者・宰官、是の諸人等貧求して厭くことなく、五逆罪を作り、方等経を謗し、十悪業を具せらん。是の大悪報悪道に堕つべきこと暴雨にも過ぎん。必定して当に阿鼻地獄に堕つべし。若し此の業障を滅除せんと欲せば、慙愧を生じて諸罪を改悔すべし。仏の言わく、云何なるをか刹利・居士の懺悔の法と名くる。刹利・居士の懺悔の法とは、但当に正心にして三宝を謗せず、出家を障えず、梵行人の為に悪留難を作さざるべし。応当に繋念して六念の法を修すべし。亦当に大乗を持つ者を供給し供養し、必ず礼拝すべし。応当に甚深の経法・第一義空を憶念すべし。是の法を思う者、是れを刹利・居士の第一の懺悔を修すと名く。第二の懺悔とは、父母に孝養し、師長を恭敬する、是れを第二の懺悔の法を修すと名く。第三の懺悔とは、正法をもって国を治め人民を邪枉せざる、是れを第三の懺悔を修すと名く。第四の懺悔とは、六斉日に於て諸の境内に勅して、力の及ぶ所の処に不殺を行ぜしめ、此の如き法を修する、是れを第四の懺悔を修すと名く。第五の懺悔とは、但当に深く因果を信じ、一実の道を信じ、仏は滅したまわずと知るべし。是れを第五の懺悔を修すと名く。仏、阿難に告げたまわく、未来世に於て、若し此の如き懺悔の法を修習することあらん時、当に知るべし、此の人は慙愧の服を著、諸仏に護助せられ、久しからずして当に阿耨多羅三藐三菩提を成ずべし。
 是の語を説きたもう時、十千の天子は法眼浄を得、弥勒菩薩等の諸大菩薩及び阿難は、仏の所説を聞きたてまつりて歓喜し奉行しき。


観普賢経