仏法か外道か」等の誤読・曲解を

 

時局法義研鑚委員 山田亮道

 

はじめに

 標題の「仏法か外道か」とは、『正信会報』二十六号に載っている、かって宗門から擯斥された大黒喜道の研究ノートと称する論文の題名である。ほかに同類の関慈謙、池田令道の二人も「伝燈への回帰」「当局教学の破折と富士の立義に関する一考察」と題する研究ノートを所載している。

 三者の論文は、自己の主張にとって都合がよいと思われる文献をあさり、それが見つかれば、正確にいえば論証に無理があるにもかかわらず、強引に自己の主張とその文献を結びつけ、正当化を装い、いかにも正義であるかのように結論づけるところに共通点がある。

 それこそ外道になり下がった彼等の、邪道の「答え」のために、ほんの一部とはいえ、尊い御歴代上人の文献が利用され、誤った論証の「方程式」にされている点が、生来愚鈍な私にさえ看過できない怒りをおぼえさせるのである。

 彼等はたしかに今までにない、新たな法盗人・大賊の一面をもっているとしても、その主張のすべては法門の習いそこないから生まれる、誤読・曲解の産物でしかないと私は思うのである。これまでさんざん言われてきたように、不信や増上慢こそ彼等の心底そのものであることは当然として、その上に立って、彼等がいかに誤読と曲解の邪見をまきちらしているかを明らかにするのが本論の目的である。

 

 

 本因妙抄の二十四番の勝劣の御文について

 昨年の教師講習会において、日顕上人が、自称在勤教師会の数多くの狂説を懇切に、しかも厳しく破折せられたなかでの一つが

「『久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直に唱う』(全集八七五)とあって、大聖人はここにはっきりと『唱う』とおっしゃっております。故に久遠元初の自受用身とは、彼等の言う如き内証己心で色もなければ姿も見えないというものではなく、無作本有の妙法を明らかに唱える、南無妙法蓮華経と唱える仏様なのです」(当誌453号46)

と仰せの御指南であった。

 しかるに、この御指南に対し「仏法か外道か」では

「本当ならば『台家が応仏昇進の自受用報身の一念三千・一心三観を専らとするのに対し、当家は久遠元初の自受用報身・無作本有の妙法を直に唱えるのである』と意を取るべきなのですが、「此れは」の三字が脱落することによって勢い自受用身が主語となり、その結果『久遠元初の自受用報身が無作本有の妙法を直ちに唱える』と解釈してしまったのです。引用の仕方の間違いによって主語を入れ替えて釈してしまうという、何ともたわいのないミスが云云」

と得意になって、日顕上人が主語を入れ替えて解釈するという、たわいのないミスをおかしたと勝手に断定し、嘲笑しているのである。

 しかし、その嘲笑は、それこそ「此れは」の三字を「当家は」と誤読した本人に、そのまま返すべきものである。なぜなら、すなわち「此れは」のお言葉は、大聖人御自身をあらわす第一人称の代名詞、すなわち「私は」「自分は」という意味の言葉であることは、『本因妙抄』の

「彼は台星の囲に出生す・此れは日天の国に出世す(中略)彼は正直の妙法の名を替えて一心三観と名く・有の儘の大法に非ざれば帯権の法に似たり・此れは信謗彼此・決定成菩提・南無妙法蓮華経と唱えかく」(全集875)

との仰せに明らかであるばかりでなく、二十四番の勝劣にお示しの、すべての「彼は」は天台大師を指し、「此れは」は大聖人御自身を指して申されていることは、明白だからである。

 したがって「此れは久遠元初の自受用報身」の御文は、大聖人は久遠元初自受用報身との意であり、前文を受ける「無作本有の妙法を直に唱う」の御文は、大聖人すなわち久遠元初自受用報身が無作本有の妙法を直ちに唱うとの意であることは、『文底秘沈抄』に

「又云わく、今の修行は久遠名字の振舞に介爾(けに)計りも相違なき云云。是れ行位全同を以って自受用身即ち是れ蓮祖なることを顕わすなり」(六巻妙205)

と仰せられていることに明らかである。

 故に、日顕上人は、大聖人即自受用身の意をもって、あえて「此れは」を略されて引用あそばされたものと拝されるのであり、かえって「此れは」を何の謂われもなく「当家は」と誤読した者こそ、笑われるべきである。

 次に「仏法か外道か」では、当御文を

「法華経文底の行者は、久遠元初の自受用報身・無作本有の妙法を内証己心にて直に行じ成ずる」

と解すべきであり、特に「唱う」の御文は特別な肉身を持った自受用身が、声に出して唱えられたのではないと結論し、次文に

「ただ『本因妙抄』の当文を唯一の依拠として、自受用身といえども特別な肉身を持ち南無妙法蓮華経と声高らかに唱題する仏様であると主張して憚らない阿部師の論法が、如何に我田引水で常軌を逸したものであるかは十二分に知られると思います」

と、日顕上人を不遜な言をもって誹謗し、法門の習いそこないを露呈している。もっともかくなるが故に、宗門から追放されたのではあるが、力もないのに尊大ぶる者は、いずれはどんな社会でも通用しないと自ら知らなければならないであろう。阿鼻の炎を受けることは当然としても、その前にである。

この言を破すに、初めに自受用身の御事について、彼のいう特別な肉身とは、どういう意味かはわからないが、色身を持たないの迷論に駁すれば、『総勘文抄』に

「五行とは地水火風空なり(中略)今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子と説けり是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり」(全集568)

と、地水火風空の五大すなわち妙法蓮華経の五字をもって人身の体を造ると仰せられている。しかして

「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(同)

と仰せの御文に、一迷先達・久遠元初自受用身を顕示されていると拝するところに本宗独尊の深義がある故に、日寛上人は『本尊抄文段』にこの御文を解釈し

「当に知るべし、この自受用身の色法の境妙も一念三千の南無妙法蓮華経なり。謂く、釈尊の五大即ちこれ十法界の五大なり。十法界の五大即ちこれ釈尊の五大なり」(文段集457)

と、自受用身の境妙に約し、我が身(色法)五大が十法界の色法五大と一なるを知って、即座開悟あそばされた所以を明かされている。

 故に、日寛外道党と呼ぶ玉野日志ならばいざ知らず、久遠元初自受用身に我が身(色法の五大)ありと述べられている日寛上人をも、彼は「我田引水で常軌を逸したもの」と誹謗する気であろうか。

 次に、声を出して唱えられたのではないとの稚説を破せば、日寛上人の『本尊抄文段』および『当体義抄文段』に

「『知』の一字は本地難思の智妙なり。『我が身』等は本地難思の境妙なり。この境智冥合して南無妙法蓮華経と唱うる故に、『即座に悟を開き』、久遠元初の自受用身と顕るるなり」(同四五七)

「故に知んぬ、我が身は地水火風空の妙法蓮華経と知しめして、南無妙法蓮華経と唱えたまわんことを」(同698)

と申されていることで、説明の必要もなくその不解を証することができよう。またこの文を知っていてなお、「内証己心にて直に行じ成ずる」と強弁したのならば、もっと判然とした文義を示してからにするのが、論者の心得というものである。

 故に、かくなる大言壮語をもって日顕上人を悪罵すること自体、自ら己れの教養の貧しさと愚者ぶりを披歴しているにほかならない。明晰を知らざるは暗者の常であり、まして誹謗を加うるは愚者の類いにかぎることを知らざるところに、大賊たる所以があるのである。

 

 

  師弟因果一体の文について

 昨年の8月号の大日蓮に、水島公正師が「『師弟一箇の本尊』という邪説の文証について」と題し、

「『師弟一箇の本尊』という未聞の珍説を理解するとなると、至難この上ない。それというのも、彼等の主張内容が深遠だからではなく、あまりに独善的であり、混濁しているからにすぎない。むろん師弟一箇の本尊を立証する文拠などあろうはずもないが云云」(当誌450号84)

等と無類の珍説を折破したのに対し、「仏法か外道か」では

「有師が、『事行の妙法蓮華経と云うは師弟因果一体にして相離れざるなり」(法全一−四一七頁)と述べられた通りであります。このように見ると、いくら水島公正師が、『むろん師弟一箇の本尊を立証する文拠などあろうはずもない』と力んだところで、如何にそれが詮の無いことかがよく分かります」

と、一往反論らしいことは言っている。しかし、なぜこの日有上人の『雑雑聞書』の文が、師弟一箇の本尊の依文となるかの説明がないまま、次に、日有上人の『下野阿闍梨聞書』に

「サテ本門ニハ師弟相対シテ余事余念無ク妙法ヲ受ケ持ツ処カ相対妙ニシテ其ノ当位ヲ不改受持ノ一行十界互具一念三千ノ妙法蓮華経也ト得ルカ即事ノ絶待不思議ノ妙法蓮華経也」(歴全1−399)

と仰せられた文を挙げ、ここに師弟一箇の本尊義が窺われると言っている。その理由として「師弟等に当てられる本因本果が相対している状態が本因、一箇した絶待妙の所が本果」と、この文から読み取れるからであるという。

 独善と混濁をさらに深めたこの主張を破すに、まず第一に、水島師が折破した対象は、自称在勤教師会の輩が主張する、日有上人の『日拾聞書』の

「一、仰ニ云ク、上行菩薩ノ御後身日蓮大士ハ九界ノ頂上タル本果ノ仏界卜顕レ、無辺行菩薩ノ再誕日興ハ本因妙ノ九界卜顕レ畢ヌ云云」(同1−409)

との文が「還滅門の所談であり、当家における妙法が法門の上で日蓮日興の名をもって師弟一箇と決定される旨を説かれている」ということに向けられたものである。

したがって、問われた論者としては、まずどうしてその文に、師弟一箇の本尊の意義がそなわっているかを論証して、反論とすべきものである。しかるに彼はそれに答えず、まるで『諸宗問答抄』の

「されども非学匠は理につまらずと云つて他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間暗証の者とは云うなり、都て理におれざるなり譬えば行く水にかずかくが如し」(全集380)

との仰せの如く、理に折れず、行く水に数かくが如く、宗開両祖の一箇論とは直接関連しない「師弟因果一体」の文をもって、その依文とするなどは、木に竹をつぐような空しい所業にほかならない。

 師弟因果一体をあらわす文は、日有上人の仰せとして他に一、二あり、また日寛上人の『本尊抄文段』には

「自受用はこれ師、我等はこれ弟子、既に『如我等無異』なり、豈師弟不二に非ずや」(文段集488・注、不二は一体の意)

「然れば則ち本尊も無作三身、我等もまた無作三身、親も仏、子も仏、親も帝王、子も帝王、豈親子一体に非ずや」(同489)

と仰せられているほか、類文他に数多く述べられているのである。この御解釈はいうまでもなく『当体義抄』の

「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(全集518)

との御文の意をもって、御本尊・大聖人の広大無辺の徳用に約して、師弟・親子因果一体を明かされたものであることは、『当体義抄文段』の

「当に知るべし、『倶体倶用・無作三身」とは蓮祖大聖人の御事なり。我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(文段集676)

との仰せにも、まことに明らかである。

 故に『当体義抄』の御文および日寛上人の御解釈の文によって明らかなように、日有上人の「師弟因果一体」の文は、あくまで能化(本果・師)の徳用によって、所化(本因・弟子)が因果一体の功徳を具えるところを、事行の妙法蓮華経と言うと申されたものと拝さなければならない。

 すなわち能化の徳用によってとは、御本尊・大聖人の仏力、法力によるとの意であることは『本尊抄文段』に

「我等法力に依って信力・行力を生ずと雖も、若し仏力を得ざれば信行退転さらに疑うべからず。蓮華の若し日光を得れば則ち必ず能く栄え敷(さ)くが如く、我等仏力を蒙れば則ち信行成就して、速かに菩提を得るなり。故に末法今時の幼児は唯仏力・法力に依って能く観心を成ず。何ぞ自力思惟の観察を借らんや」(同487)

と仰せられていることに分明である。


 大黒とその一党は、能開・所開を弁えず「末法今時の幼児は唯仏力・法力に依って能く観心を成ず」との勧誡を知らず、ただ「自力思惟の観察」を専らとする不信の輩なるが故に、これらの御指南を拝し得ず、かくの如く曲解せざるを得なかったと言うべきであろう。

 しかして、水島師が「日蓮日興の名をもって師弟一箇と決定される旨」の文拠を問うたのに村し、直接的にはそれに答えず、「師弟因果一体」の文をそれに充てた不当性は、以上述べた通りであるが、同時にこれはその文々句々が、まさしく何を意味するかを知らず勝手に書きなぐっていることを物語っているのである。

 次に、日有上人の『下野阿闍梨聞書』の文を、本因が家の相対妙、絶待妙と立て分ける誤りについて言えば、「仏法か外道か」では

「因みに、有師は相対妙・絶待妙に関して、『さて本門には師弟相対して余事余念無く妙法を受け持つ処が相対妙にして、其の当位を改めず受持の一行十界互具一念三千の妙法蓮華経なりと得るが即ち事の絶待不思議の妙法蓮華経なり』(法全1−399頁)

と述べられて、当家に於いては師弟相対して妙法を受持する所が相対妙であり、更にその当位を改めず、その受持の一行が成就して十界互具・一念三千の妙法蓮華経と成る所が絶待妙であると示されています」


と言っている。これによって例の如く誤読・曲解を重ねた上に導き出した結論が、先述の「師弟等に当てられる本因本果が相対している状態が本因、一箇した絶待妙の所が本果」との奇妙な師弟一箇の本尊義である。

 これを破すに、まず誤読を指摘すれば、彼の引用は「相対妙にして」と「其の当位を改めず」との間に点を入れて、前後の文が別々のように見せかけ、前文を相対妙・本因、後文を絶待妙・本果と解釈しているが、『歴代法主全書』の原文は「相對妙ニシテ其ノ官位ヲ不改」となっており、点は入っていない。しかしこれは点を入れようと入れまいと同じことで、「其の当位を改めず」の「其の」の語は、前文にかかる連体詞で「前に述べた物事を指示する語」である。

 したがって、正しくは「相対妙にして」の文は、前文の「師弟相対して余事余念無く妙法を受け持つ処が」にかかり、「其の当位を改めず」の文は「師弟相対して云云」の相対妙の文にかかる故に、相対妙(師弟相対)のままの当位を改めずと拝すべきものである。
 このように、彼の解釈はその前提となる文々句々の読み方自体が誤っていることを、まず指摘しなければならない。また読み方を誤れば、当然その解釈は曲解におちいらざるを得ないことは言うまでもない。

 故に「師弟等に当てられる本因本果が相対している状態が本因」とか「一箇した絶待妙の所が本果」などという解釈は、日有上人の仰せのいずれにも、その文拠を見出すことはできないばかりか、『下野阿闍梨聞書』には

「麁妙相対ト云フハ智者解者解了ノ分也、全ク後五百歳ノ我等凡夫ノ愚者ノ上ニハ麁妙相対ノ分ハ不可有也。去ル間当宗ハ絶待妙ノ処ニ宗旨ヲ建立スル也」(歴全1−394)

と仰せられ、迹門の相待妙すなわち爾前の諸経を麁とし、法華経を妙とする麁妙相対の分は、本門に約せばあることなく、ただ絶待妙の意義において本宗の宗旨が立てられていることを明かされ、宗義には、彼の言う如く、相待・絶待の二妙の義があるとは申されていないのである。

 しからば、何故、日有上人が一方では「麁妙相対の分は有る可からず」と申されながら、また一方では「師弟相対」のところを相対妙と仰せられているかについて一考すれば『雑雑聞書』に

「宗旨ノ深義ニ約スル時ハ信心卜云フハ一人シテハ取リ難シ、師弟相対シテ事行ノ信心ヲ取ル」(同417)

との文および『下野阿闍梨聞書』の

「下種ト云フハ師弟相対ノ義ナり」(同394)

の仰せから拝すれば、天台大師が『法華玄義』に

「今、麁に待する妙とは、半字を待するを麁と為し、満字を明かすを妙と為す」(国訳玄義47)

と釈されている、教相に約しての半字を待するを麁(爾前経)、満字を明かすを妙(法華経)とする意義を、日有上人は、修行に約して随義転用され、信解を了する師(満字)と、未了の弟子(半字)が相対して下種本因の修行を成すところに、あてられたと拝されるのである。

 故に「全ク後五百歳の我等凡夫の愚者の上には麁妙相対の分は有る可からず」との文は、末法の我等衆生の観心の法体に約され、「さて本門には師弟相対して余事余念無く妙法を受け持つ処が相対妙にして」の文は、末法の我等衆生の修行に約し、師弟相対(本因)して、宗旨の法体(本果)を受持信行するところに、本因修行の実義があることを明かされたものと拝されるのである。

 したがって、師弟相対(相対妙)の姿をもって種家の本因とする意味は、妙楽大師の『釈籖』に

「夫レ因ハ能通為(た)リ、果ハ所通為リ、若因変シテ果卜為ル則(とき)ハ能所無キ故ニ、変スレハ則チ不可ナり。若シ変セサレハ因、果ノ辺ニ至り、因ト果ト並フ故ニ斯ノ理無シ、変セサルモ不可ナリ」(学林版下367)

と釈されているところの「因ハ能通為リ」の義によるのである。すなわち本果に能通する本因の意義は、信解未了ではかなわず、必ず信解を了する師と未了の弟子が師弟相対して妙法(御本尊)を持つところにのみ認められるからである。

 故に、正師を離れ、糸の切れた凧のように浮薄な論義をもてあそぶ大黒らの輩が種家の本因、本果を論ずること自体、どれほど無意味なことであるかを、以上のことから知ることができよう。

 また、日有上人の仰せられている「事の絶待不思議の妙法蓮華経」とは、師弟相対して妙法(御本尊)を受持する能通本因そのままが、事の一念三千の法体(本果・御本尊)と一体となるところを示されたものである。いわゆる本門の題目受持即本門の本尊受持の妙義、いいかえれば相対即絶待の妙義を顕わされたものである。

 しかし本因本果一体といえども、そこには能通・所通の別があることを、前出の『釈籖』に「若し因変じて果と為る則は、能所無き故に変ずれば則ち不可なり」と釈し、能所あってしかも因果一体となるところを「若し変ぜざれば因、果の辺に至り、因と果と並ぶ故に斯の理無し、変ぜざるも不可なり」と釈され、因果はまさしく而二にして不二の妙実相たることを明かされているのである。しかして、大聖人は『一代聖教大意』に

「絶待妙の意は一代聖教は即ち法華経なりと開会す、又法華経に二事あり一には所開・二には能開なり」(全集404)

と仰せられ、絶待妙の開会に所開・能開の別あることをお示しあそばされ、開会のみを知って、所開・能開を弁えぬ者を指して、同抄に

「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」(同)

と仰せられ、また『題目弥陀名号勝劣事』に

「能開所開を弁へずして南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと物知りがほに申し侍るなり」(同115)

と御糾弾あそばされているのである。以上の御文により義通の辺をもって論ずれば、詮ずるところ「仏法か外道か」の本因本果一箇論は、この能開・所開を弁えず、「師弟因果一体」の文をはじめ様々な文を、ただ文字だけを判じて正しい義によって判ぜざる故に、勝手気ままに誤読して師弟一箇の本尊の依文としたり、依義と曲解したにすぎないのである。

 もし、いくばくかの正しい信心の心あれば、御先師上人の仰せは、凡愚の我等にとってはただ有り難く、ただ尊く拝信・拝受すべきものであって、あれこれ理屈を並べたてる心地そのものが既に謗法であることは、『御物語聴聞抄』に

「さて此ノ妙法蓮華経ハ者如何なれは仏に成り候哉、さて化儀と云心は如何ンと尋候はん人は自謗法也。智慧ニ成し候へは天台宗也」(歴全1−318)

「外道ト書テホカノミチト読テ候。高祖ノ御仏法ヲ御本意ノママニ直ニ興行ナクテ別ノ道ニ建立候是則外道ナリ」(同323)

との仰せに明らかである。これ以上くだらない研究ノートを積み重ねるの愚はやめて、迷うことなく己れ外道なりと血涙を流して改悔し、正しき師のもとに是が非でも立ち戻るための道を虚心に考えるべきであろう。

 

 

 能証の題目、所証の御本尊の文について

 昨年の十一月号の大日蓮に、尾林広徳師が「牽強付会を止どめて御先師の御指南を正しく拝すべし」と題し、自称在勤教師会が主張する「己心に建立する本尊義」を四項目に分けて、その謗法たる所以を破折されたが、その第四項に「御本尊は仏界、我等衆生の観心は九界、御本尊は能顕、己心の妙法は所顕の別があるにもかかわらず、『究極的には本尊は余処に求めるものではなく、衆生の信心の中にある』とか『師第一箇』等と称して、因分の無作三身と究竟果分の無作三身という、本有無作三身における惣別の重(注は略す)を知らず、『衆生の己心の上に信を以て証得する本尊』を指向することによって、むしろ、本尊と観心、仏界と九界、能顕と所顕が逆転した顛倒の本尊観を立てている」(当誌453号74)

と述べたのに対し、「仏法か外道か」では、研究教学書第十四巻に所載の『観心本尊抄略記』に

「事行ノ南無妙法蓮華経ハ能証ノ題目本門ノ本尊ハ所証ノ御本尊也」(408)

とある文を取り上げ、「本門の題目に依って本門の本尊が証せられる」と、日寛上人が御教示せられたものであると言っているのである。

 しかし、そもそもこの略記は、題号の下に

「義好宣盛所持ノ両抄(ヨ)リ校合シ其外二三抄見合セ尚分明ナラズ、後人必定証トス可カラズ」(同153)

と、編者の宥弁師が小文字で注記されているものである。しかも当文の下の

「私ニ云ク此レ聴衆ノ添加ナル歟」(同409)

との注脚は、直接この文を指したものではないにしろ、当時、日寛上人の本尊抄の御講義を聴聞され、聞書を残されている日東上人の『観心本尊抄聴聞荒増』、日忠上人の『同聞記』、日因上人の『同科註随文解釈』、記者不明の『同見聞記』、坦永日硯の『同日硯聞記』、会玄の『同抄記』等のいずれの聞書にも当文は所載されていない。

 だいたい柄然たる六巻抄や文段を避け、「後人必ず定証とすべからず」と注記されている不確実な文献だけを「衆生の己心に建立する本尊義」の唯一の根拠とし、しかも例の如く得意の誤読によって曲解を重ねた上での反論では、あまりにお粗末すぎるであろう。

 「仏法か外道か」では、前記の文の曲解を前提として、「よって、事行の妙法の力用によって本門の本尊が建立されると言うような寛師の御意趣も、宗門教学陣から見れば全く自説とは正反対の珍説・邪説に他ならないのです。此のように考えたならば、次のような尾林師の考えもその誤りがよく納得されます。即ち、師は

『御本尊は能顕、己心の妙法は所顕の別があるにもかかわらず、……(在勤教師会は)能顕と所顕が逆転した顛倒の本尊観を立てている』
と記されて、本果のみに立った師自らの本尊観を明かされているのですが、己心の妙法とは謂わば事行の妙法ですから、右に挙げた寛師のお考えから見れば能所が見事に逆転した『顛倒の本尊観』・成道観を師が吐露し、同時に当方の立義の正しさを計らずも立証してしまったことが分かります」

と、日寛上人がまるで彼等の顛倒の珍説を正しいと証明したかのように言っている。

 しかし当文が日寛上人の文かどうかは不明としても、ともかく尾林師をはじめ宗門の教学陣が、日寛上人のお考えからすれば能所が見事に逆転した顛倒の本尊観等を立てているのではないことを明らかにすれば、尾林師が御本尊は能顕、己心の妙法は所顕と、顕に約して能所を述べたのに対して、彼は当文が、証に約して能所が示されている違いを考えず、逆転だの顛倒だのと言っているに過ぎない。能所は約する字義によってそれぞれ意味が異なることを知らない早合点か、あるいは語の意味を解し得ない愚かさによるものか、いずれにしろ正義に逆らい、あがけばあがくほど、自らの恥を天下にさらすだけだということを知るべきであろう。

 尾林師が示した能顕・所顕は『観心本尊抄』に

「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」(全集247)

と仰せられている「乃至所顕」の意によるものである。すなわち、この御文について日寛上人は『本尊抄文段』に

「問う、いう所の『乃至』とは、これ何物を指すや。答う、蒙抄所引の恵抄の意は能顕を以て「乃至』というなり。これ『所顕』の二字に望む故なり。これに多種の能顕あり(中略)四には妙法修行は能顕、己心の妙法は所顕なり云云。これ即ち忠抄の義なり」(文段集489)

と、日忠の義を取って釈されている。この仰せは妙法修行を能動として、己心の妙法を顕わすと明かされた文であるが、さらに妙法修行について、同文段に

「『観心本尊』とは、即ち事行の題目なり。謂く『観心』即ちこれ能修の九界、『本尊』即ちこれ所修の仏界、十界十如既にこれ分明なり。豈法の字に非ずや。九界・仏界感応道交し、能修・所修境智冥合し、甚深の境界は言語道断、心行所滅なり。豈妙の字に非ずや」(同461)

と、妙法の能修・所修の修行は、すなわち事行の題目に当たり、事行の題目は、能修の九界の観心と所修の仏界の本尊と境智冥合し、十界十如、言語道断、心行所滅の甚深の境界を顕わすものと仰せられているのである。
 しかして、この能修の「観心」と所修の「本尊」と境智冥合して不二なるところを「事行の題目(妙法修行)」というといえども、さらに同文段に

「凡そ当家の観心はこれ自力の観心に非ず。方に本尊の徳用に由って即ち観心の義を成ず」(同481)

と仰せられ、当家の観心は本尊の徳用によってその義を成ずると明かされている。


 この故に、能修の観心と所修の本尊との境智冥合を顕わす妙法修行は、所修の本尊の徳用に約して、御本尊は能顕、能修の観心すなわち己心の妙法は所顕と立てるのである。故に、尾林師が「御本尊は仏界、我等衆生の観心は九界、御本尊は能顕、己心の妙法は所顕の別があるにもかかわらず云云」と、師弟一箇等の邪義を対破されたのは、すべて炳然たる御書および『本尊抄文段』に明かされている通りであることを知るべきである。

 したがってまた「己心の妙法とは謂わば事行の妙法」と、何らの文義も示さず、勝手気ままに定義づける浮薄さもこれによってよくよく知るべきである。事行の妙法とは、さきの日寛上人の御指南に明らかなように、能修・所修、能顕・所顕、境智冥合の謂いであり、己心の妙法とは単に能修の観心、所顕の本尊、智のみを言い顕わすものである。能所不二にして妙法の実義を成すということを知らない者だけが、呑気に両者を同じものだと言い得るのである。

 「仏法か外道か」と問うまでもなく、彼と彼等の、理によらない一切の論義は、妙法とは何かを正師に随順して学ばず、妙法の信心とは何かを正師の行体に習わず、末法唯一の妙法たる本門戒壇の大御本尊を虚仮と下して、信を取らざるが故に、かくの如く乱れに乱れ、狂いに狂うのである。彼等の師、外道の川澄勲が彼等に教えた狂った法門の実態を一つひとつ明らかにしてゆくのもまた、本論の第二の目的である。

 次に「能証の題目、所証の御本尊」の解釈について、「事行の妙法の力用によって本門の本尊が建立される」と読み取ることの誤りについて言えば、『観心本尊抄略記』にある当文は、日寛上人が『観心本尊抄』の

「事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊」(全集253)

の御文を講ぜられたものとして記されているのである。しかし、同時に聴聞された他の御歴代上人等の聞書にこの「事行の南無妙法蓮華経は能証の題目本門の本尊は所証の御本尊也」との文は記載されてないことは前に述べた通りである。

 といって、その記されている文義が、日東上人の御指南と拝した場合、誤っているとか違っているというのではけっしてなく、ただ誤っているのは「仏法か外道か」の解釈だけである。

 すなわち『本尊抄文段』における「事行の南無妙法蓮華経云云」の御文についての御解釈は

「但当流の口唱のみ本門事行の題目なり。これ即ちその法体は文底下種の法華経、独一の本門、事の一念三千なるが故なり」(文段集544)
と結せられている。この本門事行の題目と、その法体である文底下種の本門の本尊を、能証・所証に別すれば、本門事行の題目が能証、文底下種の本門の本尊が所証となり、この能所合して能証・所証の本理(妙法の実義)を顕わすのである。

 御書では、このことを『当体義抄』に

「此の理を詮ずる教を名けて妙法蓮華経と為す(中略)釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」(全集513)

と仰せられているのである。この御文の甚深不可思議なる意味は、とうてい凡愚の私には解し得ないが、ただ能証・所証の関係についてのみいえば、妙法の当体蓮華を証するに、証するために能動する人と、証せられる所の法とが冥合一体となるところを「能証所証の本理を顕す」と仰せられたものと拝せられるのである。いわゆる証とは、証る人(能証)と、証られる法(所証)の両方が合してはじめて証は成就し顕われるのである。能証だけでも、所証だけでも証は成立しない故に「能証所証の本理を顕す」とは能所一体なるところをいい、これを妙法の実義とするのである。

 故に日寛上人は『当流行事抄』 に

「知と謂うは能証の智、我身等は是れ所証の境、此の境智冥府内証甚深甚深不可思議なり、故に難思の境智と云うなり。難思は即ち妙なり、境智は即ち法なり」(六巻秒318)

と、久遠元初自受用身の証得せる難思の境智の妙法を能証所証に約して仰せられている。

 したがって、別しては「能証所証の本理を顕す」とは、久遠元初の難思の境智の妙法すなわち大聖人御一身を指し、総じては、その難思の境智の妙法即大聖人の御当体たる本門の本尊(法・境)を信じて南無妙法蓮華経と唱うる(人・智)ことを指し、智と境、人と法をそれぞれ能証所証といい、その境(法)智(人)冥合するところを「能証所証の本理を顕す」というのである。

 故に、前引の「但当流の口唱のみ本門事行の題目なり」と示されているところを能証とし、「これ即ちその法体は文底下種の法華経云云」を所証とすれば、この御指南は、事行の題目即文底下種の法体の意であるが故に、能証所証冥合一体なるところを事行の題目なりと明かされたものと拝せられるのである。

 しかしながら『当体義抄』に

「無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり」(全集512)

と、ここに炳然として、冥合一体なりといえども、所証の本門の本尊(法華の当体)の徳用(自在神力)により、能証所証の本理を顕わす所以を明かされているのである。

 しかして、この御文を日寛上人は『当体義抄文段』に

「『法華の当体』とは、これ法力なり。『自在神力』とは、これ仏力なり。法力・仏力は正しく本尊に在り。これを疑うべからず。我等応に信力・行力を励むべきのみ」(文段集683)

と釈せられているのである。

 故に、日寛上人の御意趣は「事行の妙法の力用によって本門の本尊が建立される」などというものでは断じてないことが明らかである。
 それこそ、彼のこの曲解の邪見は、証と顕の字義の違いを考えずに、同一にあつかったたわいのないミスであろうが、そのたわいのないミスが生まれる真の要因は、外道の川澄勲を師と仰ぎ、その狂った法門の実態を見抜けないところにあるのである。

 結局は、その川澄が唱え出した「師第一箇」とか「内証己心」等を正当化しようとして弟子達が論ずれば論ずるほど、彼等の師の狂った法門を自らあばいてゆくだけであることを知るべきである。

 以上「仏法か外道か」を主に衝いてきたのであるが、池田令道の研究ノートも、誤読・曲解を重ねた論文であることには、何ら変わりはない。詳しい破折は次後に譲るとしても、当論を結ぶに当たり、一処を挙げれば

「戒壇本尊が師弟一箇の本尊でないとするならば、富士門流に伝える師弟一箇の本尊とは一体何を指していうものなのか。それとも、初めから当家には師弟一箇の本尊など無かった、有師・寛師のいわれたことは間違いだった、今後は師弟一箇の本尊ということを取り消していこう、ということなのか」

と、ここでも日有上人、日寛上人が師弟一箇の本尊義を説かれたにもかかわらず、その義を宗門教学陣が否定しているかのように疑瞞している。

 しかして、その依文として、房州日要の『富士門流草案』の中に、日寛上人の文として引かれている

「種家ノ本因本果ト者、本果ハ即是蓮祖上人本因即是開山上人師弟冥合則事ノ一念三千也其ノ事ノ一念三千ト者即中央ノ本尊是ナリ」(研教9−766)

との文と、『当体義抄文段』の

「種家の本因・本果・本国土、三妙合論の事の一念三千にして、即ちこれ中央の本門の本尊なり」(文段集666)

との文を挙げ、その文義を読み取るのに苦慮して「〜という日蓮・日興師弟冥合、中央の本尊とは一体何を指すのか」といい、当文を解し得ないまま、一足とびに「私達は素直に先の文を当家の本尊、則ち戒壇本尊を示したものであると拝している」といっているのである。
 しかし、結論を導き出すための前提となる文の意味を「一体何を指すのか」と疑問視しておきながら、その疑問を解きもしないで、「私達は素直に先の文を(何々と)拝している」などと得手勝手に結びつけるのは、それは素直なのではなくして、論者の常道をわきまえない、ただの乱暴者のすることである。

 ともかく、師弟冥合、中央の本尊の文も、また三妙合論の中央の本門の本尊の文も、彼がいうが如く、師弟一箇の本尊義を顕わす文でないことは次回、明らかにするが、冥合を一箇と同義とするならば、さしずめ「境智一箇」の語や「王仏一箇」の新語を発明しなければなるまい。

 池田令道もまた、大黒喜道に負けず劣らず誤読・曲解を重ねた狂説を書きなぐっていることを付言し、所詮、彼等の悪逆にして不明なるところは、昨年の教師講習会の折に日顕上人が仰せられたように

「彼等が見失っている点は、能・所という立て分けがある、ということであります(中略)法華経は能開、諸経は所開なのです。法脈もそのとおりでありまして、法主の相伝の立場は宗門の一切に関して、やはり能開なのであります。色々な問題が起こった場合、では、大衆は全然それについて関係ないかというと、そうは言いません。大衆ももちろん、一体的な意味で正法護持に七百年来、それぞれの立場における大衆の方々が努めてこられたことも事実でありまして、私はそれを否定するものではありません。けれども、やはり能顕、能持の、いわゆる問題に関して能開の権限は、御先師からの御遺嘱を承けた方にあるのであります」(当誌453号23)

との御指南に、言うまでもなく三者の研究ノートのすべては、あてはまっているのである。狂いの根本はこの御指南の通りであり、どことどこというようなものではなく、その全部が能所の立て分けを無視した悪平等の主張に終始して、先師上人すべてに背くところの悪逆の言を並べ立てているだけであると言っても過言ではない。

 本論は、そのごく一部について指摘したに過ぎない。悪鬼入其心の彼等には、望んでも無理ではあろうが、それこそ素直に正は正、邪は邪と認める心を取り戻してほしいと願いつつ、ここ当面は三者の研究ノートの邪説を論破してゆくつもりである。