時局法義研鑚委員会報告

 

 

時局法義研鑚委員 主任委員 大村壽顯 

 

 御法主日顕上人猊下は、最近の大聖人の御法門から全く掛け離れた発明教学の氾濫に対処し、宗内僧俗を善導していくことを目的として、昭和57年4月、時局法義研鑚委員会を設置されたのであります。以来、委員会においては、正信会およぴ在勤教師会と称する輩の邪説を分類、整理して破折を加えるかたわら、広く信徒にも宗門伝統の法義を把握してもらうことを主眼として、大日蓮誌上に破折論文を掲載してまいりました。

 ところが彼等は、相変わらず資料の孫引き・短絡等の短見に起因する推論を吐いておりますので、最近は『時局法義研鑚委員会ノート』というコラムを設けて発明教学の稚説を揶揄しつつ、たたいているのが現況であります。

 これらの邪説に対しては、昭和56年度の全国教師講習会において御法主日顕上人より、邪説発祥の根源がどこにあるかを示され、適確に指弾されたことは、衆知のとおりであります。これによって、その後の論調は明らかに低下し、悪口讒謗に変わってきてはおりますが、相変わらず「宗教分・宗旨分、流転門・還滅門、己心・内証と外相」等が価値判釈の綱格となって、軽々に論じてはならない本尊論に及んでいることは事実であります。

 いわゆる彼等の主張を端的に示しているのが、左の図であります。

 

 これについて彼等は

「地上(流転門)地下(還滅門)は合せて同じ一本の木には違いないが『地上と地下の立分けはない』といえば法門は成り立たない」(清流を求めて84)

と、我々の目に見える枝葉の部分は外相にして宗教分であり、流転門であるとし、目に見えない根茎の部分こそ己心・内証にして宗旨分であり、還滅門であると判釈するのであります。したがって、鎌倉御出現の日蓮大聖人および本門戒壇の大御本尊は、姿形の上にあらわされた外相であると軽視し、本尊は我々の己心に建立すべきものであるとする禅宗のような観念論が、彼等の邪説の骨子であります。

 これについては御法主上人が、既に完膚無きまでに破折を加えられ、昨日さらに第二弾として的確な御指南がありましたので、今さら私如き者が喋々すべきではありませんが、時局法義研鑚委員会の主任委員として、各位の研鑚をまとめ、彼等の邪説に対して、さらに認識を新たにして祖道の恢復をはかることも大事なことであると考え、再度、この点について破折を加えてゆこうと思うのであります。

 

1、宗教分・宗旨分の邪説を破す

 彼等が主張する判釈の一つに、宗旨分は根本で勝れ、宗教分は枝葉で劣るという珍妙な考えを基として、「広宣流布」「三大秘法」「戒壇本尊」「血脈」という宗門の根幹を、我見をもって勝手な判釈をしております。かかる主張は、日蓮大聖人の五重相対の第五・種脱相対を越えた、いわば第六の判釈で、日顕上人が常に戒められている発明の教学であることは言うまでもありません。

 彼等が、本宗の法門に古来からあったかのように吹聴している宗教・宗旨の名目の出典は、どこにあるかと言いますと、日寛上人の『取要抄文段』に

「凡そ『宗教』『宗旨』の名目は、本天台宗より出たり」(日寛上人文段集591)

とありまして、本来、天台宗で使われ始めたものであります。したがって、妙楽大師の『記』の九に「宗旨」の名目があり、「宗教」の名目は尊舜の『二帖抄見聞』に

「次に宗教の証據は、玄一に即玄談教旨と文。教旨(宗旨)と云い、宗教と云うは同物也」
(天台宗全書9195)

とあるところに始まるのであります。

 また、彼等が言う宗教分・宗旨分という名目は、中古天台の特徴である口伝法門をまとめた『漢光類聚』に

「山家の大師、二宗血脈に云く、予異朝に渡て密に一旨を伝ふ、一には宗教分、二には宗旨分。宗教の一種は法華の本迹二門を伝へ、宗旨の一段は正しく仏意根本内証に依る、宗教とは四時五時本迹等也、宗旨とは天真独朗三千三観なり」(大日本仏教全書一7−109)

とあるのが初めであろうと思われます。これは伝教大師が入唐して伝えた、いわゆる口伝法門による「止観勝法華劣」を説いたものであります。

 この中古天台の口伝法門の判釈を本宗の法門にそのまま転用して、

「宗教は文言による教学の理論・教相、宗旨はそれを超えた悟りの内容、観心、本来行者の己心にたつべきものとするのは、私達の独想でもなければ、発明でもない。中世の台家の解釈にもみることができるごく一般なものである」(正信会報一4−18)

とうそぶいておりますが、これは仏法の基本である教・機・時・国等を全く無視した暴論であります。

 この一例を挙げただけでも彼等の論理がいかにでたらめであるかがわかりますが、しばらく劈頭に挙げた四項目を追って、彼等の顛倒した論理を砕破してみようと思います。

 

 

  宗教分の広宣流布と宗旨分の広宣流布

 まず、広宣流布について彼等は

「宗旨分の広宣流布とは、宗教分の広宣流布が外に開いていくに村し、内面己心に収まるところの広宣流布である………宗旨分の広宣流布が当家の基本的な広宣流布であって、常にこれが主とならなければならない。その上で永遠の目標として宗教分の広宣流布が語られるのである」(事の法門について20)

と、訳のわからないことを言っておりますが、これについて御法主日顕上人は

「広宣流布は宗旨の広布が主体であり、宗教はその助けの役目を持つのでありますから、何もこんな立て分けをする必要がありません」(大日蓮427−12)

と、一言のもとに破折せられております。

 末法は、唯一絶対の正境である御本尊を根本に、それを一切衆生に受持せしめていくところに僧俗の化他行があるわけでありますから、各々が信心を正しく確立して、外に向かって進むべきであることは申すまでもありません。故に大聖人は『九郎太郎殿御返事』に

「但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ、此れを申せば人はそねみて用ひざりしを故上野殿信じ給いしによりて仏に成らせ給いぬ」(全集1553)

と仰せであります。

 ここに、広宣流布に向かっての折伏が極めて難事であり、それに伴う功徳がいかに大きいかが示されているのでありまして、この御文からも広宣流布とは外に向かって展開すべきものであることが明らかであります。

 

 

  宗教分の三大秘法と宗旨分の三大秘法

 次に、三大秘法について彼等は

「三秘総在の大法を宗旨分といい、三秘が各別に論ぜられ、未来に戒壇を建立するとする論は宗教分にあたる」(事の法門について23)

と言っておりますが、これに対しても、御法主日顕上人は明解に

「三大秘法について、宗教分と宗旨分に分かつなどということがもう、実に混乱の極みであります………大聖人の御一期の御化導の順序から行けば………三大秘法が御施化の段階に応じて顕われてくるということはあるのであります………しかし、戒壇の大御本尊という本懐御顕示の後は、もう三秘が整足しておるのでありますから、これ以降は末法万年にわたって三秘整足に尽きるのでありまして、これは宗教などではありません。宗教は宗旨の依って立つ基盤ではありますけれども、既に本懐が御顕示された以上は永遠に三大秘法として、即ち宗旨の本体として一切衆生を利益したもうのであります」(大日蓮427―13)

と御指南あそばされておりますが、虚心坦懐に拝すべきであると思います。

 

 

 戒壇の本尊の宗教分と戒壇本尊の宗旨分

 さらに彼等は「戒壇の大御本尊」に対しても

「宗教分とは………既に存在する板曼荼羅に対する信仰及び修行の勧奨の意味を含めて本果、即ち下化衆生の意で、宗旨分とは、戒壇の本尊のできあがるまでの過程、本尊の内容、所謂本因、即ち上求菩提に関することである」(山内有志の御用教学に答う41)

等と、恐るべき判釈を加えております。これは、鎌倉に出現せられた大聖人と久遠元初の自受用身を立て分けたり、「肉眼では大御本尊の相貌が見えるまでで、大御本尊そのものは拝しえない」等の暴言からもうかがわれるように、図顕された本尊は外相で宗教分であり、外相に顕わされる以前の、目に見えない部分こそ内証で宗旨分と立て分けたいのでありましょうが、これは明らかに大聖人の御意から外れた邪説であります。

 本尊とは、大聖人御自ら、

「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(全集760)

とも

「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(同1124)

等と仰せのように、久遠元初自受用報身如来の御当体であります。

 我々末法の一切衆生は、日寛上人が『観心本尊抄文段』に

「末法の我等衆生の観心は、通途の観心の行相に同じからず。謂く、但本門の本尊を受持し、信心無二に南無妙法蓮華経と唱え奉る、これを文底事行の一念三千の観心と名づくる」(日寛上人文段集453)

「但本尊を信じて妙法を唱うる則は、所信所唱の本尊の仏力・法力に由り、速かに観行成就するなり」(同四五五)

等と仰せのように、この御本尊に向かって無疑日信に信心修行に邁進することが大事であり、このような判釈は大謗法の所行以外の何ものでもありません。

 

 

 宗教分の血脈と宗旨分の血脈

 次に彼等は、血脈についても、

「宗教分の血脈とは、外相の血脈相承のことであり、貫主一人から貫主一人への相伝のことを云い、宗旨分の血脈とは、内証の血脈である」(山内有志の御用教学に答う32)

「(宗旨分の)法体別付の相承とは、誰から誰へと順次に流れる姿形のある相承ではなく、一切衆生の内証に流れる法体そのものの相承であり、信の上に覚知建立するものである」(清流を求めて78)

等と、大聖人以来の歴代上人の御指南に無い邪説を平然と綴っております。

 総本山56世の日応上人は『弁惑観心抄』の当家相承を論ずる項に、驥尾日守の邪義を破して

「唯授一人嫡々血脈相承にも別付惣付の二箇あり其別付と者則法体相承にして惣付者法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈附法の大導師と云ふべし」(弁惑観心抄211)

と仰せられ、門家の法体別付の相承とは唯授一人、金口嫡嫡の相承であることを明示せられております。

 かかる先師上人の御指南に違背して「法体別付の相承とは姿形のある相承ではなく、一切衆生の内証に流れる法体そのものの相承である」等と自分勝手に決めつけることは、増上慢による大謗法であることは言うまでもないところであります。

 彼等のかかる邪説の根本は、信心を欠いた、悩乱の一語に尽きますが、その狂った頭で『依義判文抄』の

「問う、若し爾らば宗教の五箇其の義如何。

答う、今略して要を取り応に其の相を示すべし、此の五義を以って宜しく三箇を弘むべし」(学林版六巻抄252)

の文を曲解し、あたかも日寛上人が宗旨と宗教を根本と枝葉に立て分けているように欺瞞しておりますが、これがとんでもない間違いであることは、『報恩抄文段』に

「総じて蓮祖弘通の大綱は宗旨の三箇、宗教の五箇を出でざるなり。これを宗門八箇の法義と謂うなり。中に於て宗教の五箇はこれ能詮、宗旨の三箇は所詮なり。故に先ず須く宗教の五箇を了すべし」(日寛上人文段集430)

と仰せられておりますように、能詮・所詮の関係にある「宗門八箇の法義」のなかにおいて、何をもって何を弘めるかということを指南せられたものであります。

 彼等は、天台の口伝法門を無批判に取り入れ、かかる頭で日寛上人の御文を読み違えて、宗教・宗旨を混乱し、無理やりこのわくの中に押し込もうとするところに、大聖人以来、御先師上人に無い、狂気とも言うべき勝手な判釈をするのでありまして、その陋識がまことに哀れであります。

 

 

2、流転門、還滅門の邪説を破す

 次に、彼等の価値判釈の一つに流転門、還滅門の立て分けがありまして、すべてをこれに押し込もうとする邪説があります。

 この流転・還滅の語源は、もともと小乗教に始まることは申すまでもありません。いわゆる『阿毘達磨大毘婆沙論』

「諸の有情の類に流転の者あり還滅の者あり。流転とは更に生を受くるを謂い、また還滅とは涅槃に趣くを謂う」(大正大蔵経27−515)

と、迷悟に立て分けられております。

 さらに、これを流転門、還滅門と「門」を付される意義について、中村元氏の『仏教大辞典』には

「流転門とは、衆生が善悪の業をつくり、その結果、苦楽の結果を招く方面をいう。

還滅門とは、煩悩を断じて悟りを得、生死を離れて涅槃に向かう方面をいう」

とあります。したがって「門」とは、迷悟に向かう方向を示す言葉で、歴劫修行で論じるところであります。

 在勤教師会と称する輩は、当家の法門をこの流転門、還滅門のわくの中に当てはめ、甚深の法義を知り尽くしたような顔をしておりますが、まことに笑止千万であります。

 彼等の邪説を一々取り上げると先の宗旨分、宗教分の邪説と重複してまいりますので、その繁を避ける上から、今その一、二を拾ってみますと、

 

  歴代上人について

まず、歴代上人について彼等は

「当家では、法門を構成する宗開三を、古来より三祖と称し、四世道師以下の歴代上人を世・代と呼称し、法門と現実の世界を明確に立て分けている………つまり三祖は、還滅門にて一即三と開し、三即一と合っして、一におさまり、法主は一人であることをあらわし、歴代上人は四世より次第して五、六、七と数を追う流転門の世界である」(清流を求めて73)

と言っております。

 先にも触れたように、流転門とは煩悩によって生死流転する苦しみの方面で、いわば迷いの世界の方向であります。それを今、宗祖大聖人以来、血脈相承されて、衆生済度の導師として御法体を厳護、継承あそばされる御歴代上人に当てはめて流転門と卑下することは、これに過ぎる不知恩、大謗法は無いと断ずるものであります。

 

 戒壇の御本尊について

 次に、戒壇の御本尊について彼等は

「戒壇の本尊もまた、地下(還滅門)にあってこそ真仏であり、地上(流転門)に出づれば、虚仏となりはしないだろうか」(清流を求めて88)

とか

「当家では七百年来、丑寅勤行の際に御戒壇様を遙拝していたのであり、遥拝は姿形のない還滅門」(同87)

等と、三世諸仏の本種であり、一切衆生成仏の肝心である大御本尊を、地下にあってこそ真仏であり、地上に出づれば虚仏となると立て分けたり、また、その大御本尊を衆生が遙拝するところが還滅門であるなどという暴言は、全く御本尊の御威光と御本仏の御威徳を理解しえない者の考えであり、大邪見というべきであります。

 およそ流転、還滅とは、あくまでも機の上に論じられるものであり、御本尊や仏身に論ずるものではありません。それを、凡僧が容易に触れてはならない宗開両祖を初めとする歴代上人を批判する材料にするとは、全く流転、還滅の語義を知らない、極めて幼稚にして低劣な認識であることを暴露した以外の何ものでもないのであります。

 当家においては流転、還滅の言葉をもって法義の判釈には使わないのでありますが、今、彼等の迷妄を醒ますために、しいて真実の流転門と還滅門を明らかにしておこうと思います。

 すなわち当家にあっては、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ奉り、唯授一人の血脈相承に随順して本門戒壇の大御本尊を至心に信じ、妙法を唱えることが唯一の成仏道であり、真の還滅門であります。一方、大御本尊を信ぜず、血脈相承に異説を唱え、我見をもって宗門伝統の法門を破壊することこそ大謗法であり、現実的な流転門の姿であるというべきであります。

 

 

3、己心・内証と外相についての邪説を破す

 最後に、彼等が価値判釈の結論のように重要視している己心・内証と外相について述べてみたいと思います。

 まず初めに、彼等は己心・内証と外相の関係を

「当家は眼に見えない内証仏法を主張する、内証、眼に見えないとは、即ち己心の所談だからである」(正信会報10−38)

と、目に映る姿形のあるものは無常で劣り、己心こそ大事であると尊卑を立て分けるのでありますが、これが既に爾前摺りの考えであります。

 いわゆる仏法において、心はどのように説かれて来たかと申しますと、まず小乗教においては雑阿含経に

「此の世は心によりて動かされ、また心によりて悩まさるる、ただ心なる一つのものありてすべてのものを隷属せしむるなり」(阿含経典4ー41)

とあります。すなわち、この世の中のすべての事物は、心の動きに隷属させられていると説かれております。

 次に大乗教においては、華厳経に

「心は工なる画師の如く種々の五陰を造る一切世間の中に法として造らざることなし」(大正大蔵経九−四六五)

と説かれておりますが、大聖人はこの経文について『一代聖教大意』のなかに

「造種種五陰とは十界の五陰なり仏界をも心法をも造ると習う・心が過去・現在・未来の十方の仏と顕ると習うなり」(全集400)

と申されております。すなわち大乗の心は、心より十界を生ずるとの教えであると看破されているわけであります。したがって、爾前の諸経はすべて心より万法を生ずるという点は同じであります。

 それが法華経にまいりますと、『白米一俵御書』に

「爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし・草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず・心すなはち大地・大地則草木なり」(同1597)

と仰せのように、心と万法は而二不二であることを明かされております。すなわち、爾前の諸経は心が能生で万法が所生であると立て分けますから尊卑が歴然としておりますが、法華経は心も大地も不二一体であると説くわけであります。したがって己心と外相のなかに尊卑を立てることは、爾前経の考えであります。

 次に彼等は

「己心とは心の外にあるものではありませんが、心そのものでないことは当然です。心といえば煩悩そのものであり、己心とは心の煩悩を菩提として成じたときのことであります」(継命41号)

と、心とは煩悩の塊であり、己心とは煩悩を離れた悟りの心である、と前代未聞の立て分けをしておりますが、ここに第二の誤りがあります。

 仏教辞典によりますと「己心とは己の心、他心に対する語」等とあって、個々の心であります。したがって、心と己心とは同義に解すべきであります。

 大聖人は『観心本尊抄』に

「我が己心を観じて十法界を見る」(全集240)

と仰せであります。日寛上人は、これを末法今日の修行に約して

「『我が己心を観ず』とは、即ち本尊を信ずる義なり。『十法界を見る』とは、即ち妙法を唱うる義なり」(日寛上人文段集471)

と仰せなされております。したがって己心とは、煩悩をもちながら御本尊を信じて妙法を口唱する衆生の心にも通じることは明らかであります。故に、心と己心とを隔てることは誤りであります。

およそ日蓮正宗においては、在勤教師会の輩が軽々に「本尊はこの己心の上に建立される」(継命41号)

とか

「当家における受持とは、受持正行、受持即観心といわれる如く、内証己心の信の一字であり、それが衆生の己心のうえに建立されれば、それぞれ唯授一人の血脈といえる」(清流を求めて80)

等と言うように、いたずらに「己心」という言葉を使うべきではないのであります。いわゆる末法の今日、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御出現あそばされ、御身に備えられた妙法を本門戒壇の大御本尊と御図顕あそばされた以上、当家における己心とは、大聖人の己心を外しては論じられないのであります。

 すなわち『義浄房御書』に

「日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり」(全集892)

と仰せられ、これを日寛上人は『依義判文抄』に

「日蓮が己心の仏果等とは即ち是れ事の一念三千の三大秘法総在の本尊なり」(学林版六巻抄245)

と明示あそばされております。ここに言う大聖人の「己心の仏界」とは、単に心法のみを指すものではなく、森羅三千の諸法実相、色心のすべてを包含したところの究極の尊体であります。

 もちろん、御書のなかには「心」という文字を衆生のものとして述べられているところもありますが、日蓮大聖人の己心である大御本尊の当体と、見思未断の我々凡夫の己心とは天地雲泥の相違があることは申すまでもありません。故に『取要抄文段』に

「当に知るべし、蓮祖の門弟はこれ無作三身なりと雖も、仍これ因分にして究竟果分の無作三身には非ず。但これ蓮祖聖人のみ究竟果分の無作三身なり」(日寛上人文段集571)

と説かれ、同じ当体蓮華仏といっても、大聖人の御境界と我々の立場とは全く違うことを明確に示されているのであります。

 しかも彼等は、己心・内証と言って、己心と内証を同列に扱っておりますが、内証とは内面の証であり、仏の境界を指す言葉でありますから、大聖人の己心に限って言えば内証と同等のものではありますが、底下の凡心を内証と一体視することは、とんでもない間違いであります。

 御先師日達上人は「本尊はこの己心の上に建立されるのである」とか「本尊は己心内証の目を開いた時はじめて建立されるものである」等と、不埒な言動を起こす輩の出現を見抜かれていたかのように、

「一般日蓮宗の人々は、この胸中の肉団に御本尊がましますという言葉を取って、大曼荼羅本尊は要らない。自分自身の御本尊を拝めばよいのだというような説を立てている人もあります。しからば、何を以って自分自身の御本尊を見極め、崇めることが出来るでしょうか。我々凡夫に於ては到底そんなことは出来ないのであります。自分自身が御本尊だ、などと考える時は、既に増上慢に陥って、地獄の苦を受けるということになるのであります」(大日蓮33一120)

と仰せであります。今、このお言葉どおりの大謗法を犯し、深く無間大城に沈む輩の覚醒のために、この御指南をそのまま彼等に与えたいと思います。

 以上、在勤教師会と称する輩の勝手な判釈である宗教分・宗旨分、流転門・還滅門、己心・内証と外相等について、その悩乱ぶりを述べてまいりましたが、かかる悩乱の根源は、本門戒壇の大御本尊に対して一片の信心すら無い川澄勲の自分勝手な考えに紛動された在勤教師会と称する輩が、まるで法義を知り尽くした大学者のように錯覚し、それに酔いしれて、最も肝心な大御本尊の妙用、御仏智という、大御本尊に対する絶対信を見失ってしまったことによるものであることを付言いたしまして、時局法義研鑚委員会の報告といたします。