牽強付会を止どめて御先師の御指南を正しく拝すべし

 

 

時局法義研鑽委員 尾 林 広 徳

 

 自称正信会および在勤教師会、久保川法章達の本宗の法義に関する牽強付会(けんきょうふかい)の妄説に対して、日顕上人は去る昭和56年8月25日、次いで昭和58年8月29日、いずれも全国教師講習会の席上において、宗義の大綱の上から、その謬説(びゅうせつ)を厳しく糾弾、論破あそばされ、本宗の正統な教義に則のっとって、御法主としての裁断を下された。

 宗門人ならば僧俗を問わず、この猊下の御指南を伏して仰ぐべきである。

 また、宗門の機関誌である『大日蓮』の誌上においても、時局法義研鑽委員会のメンバーによる破折の論説が次々に発表されている。

 したがって、私はそうした既に破析され尽くした問題はさておき、彼等の主張のなかに引用される大聖人の御書や、とりわけ日寛上人の御指南の拝し方、その我田引水、牽強付会の解釈が、その結論において、大聖人や歴代御先師の正説に反し、その意を失わしめていることについて、いくつかの事例を挙げ、彼等の迷妄を明らかにしておきたいと思う。

「法華経を讃(さん)ずと雖いえども還って法華の心を死(ころ)す」

とは『法華秀句』における伝教大師の言葉であるが、大聖人の久遠元初の事の一念三千の南無妙法蓮華経を讃じつつも、大聖人の教義の根幹である本尊の正義と、大聖人の御化導の心を死ころしては何にもならない。それこそ師敵対の大謗法である。

 いま、彼等の説を直截に評するならば 「法門の狂いは、想像以上に根深く深刻である。我々には大胆な発想の転換」が必要という増慢と、 「内証己心を基調とした法門が、物質文明の影響によって次第に外相化していった」と主張して、明治の御先師を蔑さげすみつつ、結局のところ、戒壇の大御本尊を初め、多くの曼荼羅本尊を御図顕あそばされた大聖人の御施化そのものまで、外相の本尊と蔑視するに至っているということである。

『衆生の己心に証得する本尊について』彼等は、日寛上人の『観心本尊抄文段』における「次に観心の文に『此の三千・一念の心に在り』等というは、この一念三千の本尊は全く余処(よそ)外ほかに在ること無し。但ただ我等衆生の信心の中に在(おわ)しますが故に『此の三千・一念の心に在り』と云うなり。若し信心無くんば一念三千の本尊を具せず。故に『若し心無くんば已(やみ)なん』と云うなり(中略)宗祖の所謂いわゆる『此の御本尊も只信心の二字に収れり』〔1388〕とは是れなり」(日寛上人御書文段209頁)の文を挙げて

「宗祖や寛師は究極的には本尊は余処に求めるものではなく、衆生の信心の中にあると示されている。つまり流転門の相対の世界で考えられていた本尊が、還滅(げんめつ)門に切換えられ、我が身にひき当てられた時、はじめて当家の本尊があらわれるというのである」

と言っている。そして、大聖人の御建立あそばされた御本尊を「実に十界曼荼羅は、旧来の事物に執し、色相を尊ぶ偶像崇拝を打破し、己心内証に証得する本尊を顕わさんが為のもの」と論断するのである。

 この在勤教師会の解釈は、明らかに大聖人の『日女御前御返事』における

「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。云云」(御書1388頁)

の御文と、日寛上人の御指南を曲解している。

 日寛上人の『文段』『六巻抄』等を具さに拝してみるがよい。日寛上人はけっして「宗教分では行者と相対していた本尊が、宗旨分では実は、行者の外にあるものではなく、信を以って刹那に己心のうちに証得される」等とは仰せになっていない。

 日寛上人は、末法の日蓮が弟子檀那の観心の本尊を明かされるに当たって、『観心本尊抄文段』に

「謂わく『観心』の二字は即ち是れ我等衆生の能信能唱の故に九界なり。『本尊』の二字は一念三千即自受用身の仏界なり。我等一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体即ち我が己心なり。故に仏界即九界なり。我等一向に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ち是れ本尊なり。故に九界即仏界なり。故に『観心本尊』の四字は即ち十界互具・百界千如の事の一念三千なり」(日寛上人御書文段205頁)

と御指南あそばされている。つまり、日寛上人は、宗旨分と宗教分、流転門と還滅門の相対だとか、己心に建立する本尊等と、独(ひとり)よがりの本尊義を立てておられるのではなく、大聖人御図顕の所信・所唱の御本尊が建立されて初めて、我等の観心の成り立つことを、すなわち、信行の具足による観行の成就をお示しになっているのである。

 末法の我等衆生の観心は

「但本門の本尊を受持し、信心無二に南無妙法蓮華経と唱え奉る、是れを文底事行の一念三千の観心と名づくるなり」(観心本尊抄文段・日寛上人御書文段198頁)

との御教示と相まって

「我等一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体即ち我が己心なり。故に仏界即九界なり」(同205頁)

「我等一向に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ち是れ本尊なり。故に九界即仏界なり」(同頁)

と、文底下種直達正観・無作本有・事の一念三千の南無妙法蓮華経という観心の本尊に約して、しかも、彼等の主張の如き外相を捨てて「己心の法門」「己心の本尊」という己心の偏重、別立ではなく、「己心」と「我が身の全体」、つまり、色心の二法全体の成道を明かしておられるのである。

 本尊の仏力・法力と、日蓮が弟子檀那の信力と行力によって、仏界即九界、九界即仏界、即座即身の成仏、刹那せつなの成道の叶かなうことを説き明かされているのである。

 したがって日寛上人は

「故に知んぬ、但文底下種の本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱うる則(とき)んば、仏力・法力に由り即ち観行成就するなり。若し不信の者は力の及ぶ所に非ざるなり」(同201頁)

と明言せられている。そして『取要抄文段』においては、さらに明確に

「当に知るべし、心に本尊を信ずれば、本尊即ち我が心に染み、仏界即九界の本因妙なり。口に妙法を唱うれば、我が身即ち本尊に染み、九界即仏界の本果妙なり。境智既に冥合す、色心何ぞ別ならんや。十界互具・百界千如・一念三千・事行の南無妙法蓮華経是れなり」(日寛上人御書文段545頁)

と仰せあそばされている。したがって『日女御前御返事』における「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」(御書1388頁)
とは、

「若し理に拠よって論ずれば法界に非ざる無し」(観心本尊抄文段・日寛上人御書文段210頁)

の一念三千の法理も

「事に就いて論ずれば信不信に依り、具不具則(すなわち)異なるなり」(同頁)

ことを人即法の本尊に約して、明らかにせられたものに他ならない。

 換言するならば、理法の上において一切衆生の一念に己心所具の三千の諸法を観見する天台家の観心とは違って、「『我が己心を観ず』とは、即ち本尊を信ずる義なり。『十法界を見る』とは、即ち妙法を唱うる義なり。謂わく、但ただ本尊を信じて妙法を唱うれば、則ち本尊の十法界全く是れ我が己心の十法界なるが故なり」(同214頁)と『観心本尊抄文段』に日寛上人が明かされる如く、当家の観心はどこまでも、事の一念三千の南無妙法蓮華経の御本尊を受持するところにあり、その信心口唱に観心の義の成ずること、そして無上の宝聚を自然に受得することを、「信心の二字にをさまれり」と御教示あそばされたものと拝さなければならない。

 しかも、このことは日寛上人が「当体義抄の大旨たいし、之を思い合わすべし」(観心本尊抄文段・同210頁)と仰せのように、『当体義抄』における

「但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり。能居・所居、身土・色心、倶体倶用の無作三身、本門寿量の当体蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那等の中の事なり」(御書694頁)

の御文や

「日蓮が一門は、正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てゝ、正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕はす事は、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふるが故なり」(同701頁)

との御指南を合わせ拝しつつ『日女御前御返事』の文を拝考申し上げなければ、大聖人の御真意に触れることはできない。

 すなわち『日女御前御返事』が、人即法の本尊・事の一念三千に約して末法の衆生の証得を明かされた御文ならば、『当体義抄』は、法即人の本尊・本門寿量の当体蓮華仏に約して末法の衆生の証得を明かされたものと言うことができよう。

 しかして、日寛上人は『当体義抄文段』に

「本有無作の当体蓮華仏とは、本門の本尊の御事なり。我等、妙法信受の力用に依って本門の本尊・本有無作の当体蓮華仏と顕るるなり」(日寛上人御書文段624頁)

とも、また

「『正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱うる人』とは本門の題目なり。『煩悩・業・苦乃至即そく一心に顕あらわれ』とは、本尊を証得するなり。中に於て『三道即そく三徳』とは人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり。『三観・三諦即一心に顕われ』とは法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり。『其の人の所住の処』等とは戒壇を証得して、寂光当体の妙理を顕わすなり」(同628頁)

と御教示あそばされている。

  いま、日寛上人のこうした御指南の上から、在勤教師会の 己心に建立する本尊義 の誤りを要約するならば、

 (1)に、大聖人が何に対して、事の一念三千の南無妙法蓮華経の御本尊を 「余所に求もとむる事なかれ」 と仰せになったのか。そのことの御正意が理解できていない。

 (2)に、大聖人が本門の本尊の信受に約して、不信謗法の類(たぐい)を簡えらび捨てて、本尊を信受する人をもって直ちに妙法の当体蓮華仏と、末法の衆生の観行の成就、証得を明かされているにもかかわらず、これを「流転門」「色相を尊ぶ偶像崇拝」と誹謗していること。

 (3)に、日寛上人は

「色心何ぞ別ならんや。十界互具・百界千如・一念三千・事行の南無妙法蓮華経是れなり」(取要抄文段・日寛上人御書文段545頁)

「『色心』と言うは、『色』は即ち人の本尊、『心』は即ち法の本尊」(当体義抄文段・同628頁)

 と、本門の本尊、本有無作の当体蓮華仏が人法体一ならば、その本尊を信じ行ずる日蓮が弟子檀那の当休も、妙法信受の力用によって、本門の本尊、本有無作の当体蓮華仏と顕われるにもかかわらず、色体の成道を忘れて、「己心の本尊」「己心の法門」と、己心のみを偏重している。

 (4)に、御本尊は仏界、我等衆生の観心は九界、御本尊は能顕、己心の妙法は所顕の別があるにもかかわらず、「究極的には本尊は余処に求めるものではなく、衆生の信心の中にある」とか「師弟一箇」等と称して、因分の無作三身と究竟くきょう果分の無作三身という、本有無作三身における惣別(そうべつ)の重(注・取要抄文段・日寛上人御書文段514頁〜516頁)を知らず、「衆生の己心の上に信を以て証得する本尊」を指向することによって、むしろ、本尊と観心、仏界と九界、能顕と所顕が逆転した顛倒の本尊観を立てている。

 もとより周知の如く、弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊は、大聖人の御出世の本懐、末法下種の正体にして、三大秘法総在の本尊である。したがって日寛上人も『観心本尊抄文段』に

「就中(なかんずく)弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(同197頁)

と仰せあそばされている。

 しかるに、大聖人の『日女御前御返事』における「信心の二字」のお言葉や、前述の如き日寛上人の御指南を曲解して、

「詮ずるところ戒壇の本尊といえば、すでに滅後己心に顕わされるもの」

「衆生の己心の上に信の二字をもって刹那に建立されるのである」

 等の邪説を構える根拠とされたのでは、大聖人はさぞや、お嘆きのことであろう。日寛上人はさだめし、お悲しみのことであろう。

 大聖人の本懐たる本門戒壇の大御本尊と、末法万年の日蓮が弟子檀那に対する、大聖人の御化導の御本意を踏みにじる、これ以上の謗法はない。