論   苑

 

常随給仕と血脈相承

 

 

尾林広徳

 

 日興上人の御生涯は正嘉2年(1258年)駿河岩本実相寺において、大聖人のもとに入室されてより、正慶2年(1333年)2月の御遷化に至るまで、末法の御本仏たる日蓮大聖人への絶対の帰依と常随給仕、そして大聖人の正法を世に立て弘宣して、広宣流布への基盤を固められることにあったと拝せられる。

仏道修行の肝要は、大聖人の御在世も現下においても、御本尊と本師に対する身・口・意三業にわたる常随給仕に尽きるのである。

大聖人より日興上人へ相伝された『百六箇抄』の付加の文によれば、その日興上人の“常随給仕”の御振る舞いについて

「弘長配流の日も文永流罪の時も其の外諸処の大難の折節も先陣をかけ日蓮に影の形に随うが如くせしなり誰か之を疑わんや、又延娃山地頭発心の根元は日興教化の力用なり、遁世の事甲斐の国三牧は日興懇志の故なり」(全集869)

と示されている。

また日道上人の『日興上人御伝草案』にも

「文永八年ひのとひつじ九月十二日大聖人御勘気の時佐渡が島へ御供あり、御年二十六歳なり、御名は伯耆房、配所四箇年給仕あって同十一年きのえいぬ二月十四日赦免有って三月二十六日鎌倉へ聖人御供して入り給う(中略)日興上人の御檀那たる甲州飯野、御牧、波木井郷身延山へ入り給う南部六郎入道。聖人波木井に御座あり、其の間常随給仕あり」(聖典596)と記されている。

“常随給仕”ということが、師弟の修行と相伝のうえに、いかに大きな意味をもつものであるかということを知らなくてはならない。

 したがって『富士一跡門徒存知の事』によれば、大聖人、日興上人の門下においては、御本尊の授与も、在家には「強盛の信心を以て」これを授与し、門弟子にあっては「常随給仕の功に酬いて之を授与」された旨が書き留められている。

 さて法華経における給仕の手本は、言うまでもなく『提婆達多品』における

「果を採り水を汲み、薪を拾い食を設け、乃至身を以って牀座と作せしに、身心倦きこと無かりき」(開結422)

という、師を求め、師に随って歓喜踊躍して「採果汲水。拾薪設食」「而作牀座」「精勤給侍」し、しかも求法のための故に「身心無懈倦」という千歳にも及ぶ恭敬、精進の経説である。

しかし末法における給仕の精進行は、日興上人の御振る舞いをもって、その規範となすべきであろう。

それは宗祖日蓮大聖人御自らが、法華経の『勧持品』に

「悪口罵詈等 及加刀杖者」(開結441)

「数数見擯出」(開結443)

『常不軽品』における

「杖木瓦石。而打擲之」(開結568)

等々の経文を、御身に読まれた“閻浮提第一の法華経の行者”と申され、私どもが“本因妙の教主”と尊信申し上げることに対し、日興上人は法華経の

「精勤給侍」(提婆達多品・開結422)

「信伏随従」(常不軽品・開結569)

「如説修行」(神力品・開結581)

「若不違我。当為宣説(若し我に違わずんば、当に為に宣説すべし)」(提婆達多品・開結422)

等の門弟の信心の在るべき姿を、身をもって実践修行され、大聖人と

「唯仏与仏。乃能究尽」(方便品・開結154)

「唯我と日蓮与我日興 計りなり」(本因妙抄・全集877)

の御境界に立たれ、大聖人より“本門弘通の大導師”として、末法の弘通を遺嘱きれておられるが故である。

 しかして、大聖人の一期の御化導における究竟の法体、つまり三大秘法総在の本尊と戒壇と戒法と、題目の法体と、その御内証、そして文底下種仏法における深秘の法門、化儀等、その一切を「日蓮一期の弘法」として、日興上人に金口嫡々の相伝をもって別付嘱あそばされたことは、もとより論を俟たない。

それはとりも直さず日興上人の“常随給仕”“信伏随従”という、永い年月にわたる厳しい求法と弘教の常精進の日日につちかわれた師弟の深い信頼と啓発と感応が相俟って、言葉を換えていうならば、適切な時期に、あらゆる必要な機会をとらえて相伝・継承せられたものと拝し奉るのである。

大聖人より日興上人への血脈相承は、単に弘安5年9月、10月の二箇相承だけではないのである。

したがって“常随給仕”のない五老僧に、本門の本尊の法体とその内証の血脈、文底肝心の法門と広布への遺嘱がなされなかったのは、けだし当然のことであったろう。

事実、『開目抄』『観心本尊抄』『三大秘法抄』『本因妙抄』『百六箇抄』『御義口伝』等の御書の底に一貫して流れる“本迹種脱の勝劣”“四重の興廃”“三重の秘伝”“宗旨の三箇”等の肝要の法門は、そのどれ一つをとっても、五老僧の門下には正しく伝わっていない。

けだし大聖人の仏法の相伝、血脈の相承は“常随給仕”にあり、というべきであろう。

古来、本宗においていわれる大聖人より日興上人への厳然たる血脈相承は、ただ『一期弘法付嘱書』『身延山付嘱書』があるから、日興上人へ相伝された等と称しているのではない。二箇相承書はひとつの歴然とした事実、まぎれもない証拠ではあるけれども、根本的に大事なことは、大聖人の本懐の大御本尊を初めとする、付嘱されるべき法体と法門と、化儀と信心と、広布弘宣の権能と遺命と、救済成仏の内証と力用と、そのすべての血脈が「日蓮日興」と相伝されているが故に、日興上人を初めとする我が日蓮正宗の“日蓮が弟子檀那”としての信仰が成り立っているのだということである。

今日、現下の宗門において、一部の僧侶がこうした大聖人、日興上人以来の唯授一人の血脈が、すでに本宗にはなく、しかも一部週刊誌の邪推と捏造の記事に紛動されて、総本山第六十六世日達上人より第六十七世日顕上人に相承されなかったかの如き、日達上人を冒涜する言動を吐き、

(1)に、処分を辞さずと暴走して受けた自分達の擯斥の処分を、無慈悲、理不尽と扇動し、無効にせんと謀って信伏随従の信心を捨て、

(2)には「不自惜身命」の精神を忘れて、自らの身分の保証を求めて、

逆に日顕上人の日蓮正宗管長ならびに代表役員の地位の不存在を裁判所に提訴するが如き、師敵対の謗法行為にまで及んだ徒輩がある。

 本宗の血脈相承は、先述の如く“信伏随従”“常随給仕”の間に、御内証に基づいて行われるのであって、単なる一時の形式や儀式や文書に、その内実があるのではない。

 日達上人のもとに、教学部長、総監として仕えられた日顕上人には、二十年以上にも及ぶ宗門運営のうえにつちかわれた日達上人の深い信頼と嘱望と、日顕上人の“常随給仕”の御精進のあらせられたことは、たれびともこれを否定することはできない。

むしろ、日顕上人がいずれ本宗の法燈を継がれるであろうことは、本宗僧俗の大部分の人々が、なかば暗黙のうちに領解し、その御仏智を信じていたことでもあった。

 しかも当時、同じく日達上人に仕えつつも、かつて日蓮正宗総監として日顕上人の上司でもあられた早瀬日慈重役を初め、各御能化が等しく率先・垂範、日達上人より日顕上人への血脈が継承された厳然たる事実を確認し、拝信して、日顕上人に随従されているではないか。

これが日蓮正宗の伝統の信心である。

正信会は何を血迷って、法主の詐称だのと日顕上人を讒謗するのであるか。無礼千万の所行、師敵対の謗法の極みである。

 本宗の血脈の大事は、先述の如く“常随給仕”の間における“唯我与我”の御境界のうえに、しかも御法主上人の御内証と権能に基づいて嫡々相承されるものであって、日達上人の御相承が宗規の第十四条に違反する、などというものではない。

また一切の大衆の信心の血脈は、大聖人、日興上人以来の唯授一人の血脈を離れて、別個に存在するものでは決してないのである。

大聖人以来の仏法の血脈は、その実体のうえにおいて、内証外用、総別一体不二なるものであり、唯授一人の血脈を否定して、その法脈を離れて、正信会がいかに還滅門の血脈や大衆の信心の血脈を論じても、それは法体の本源に基づく真実の血脈ではない、というべきであろう。

大聖人、日興上人より広宣流布の根源の道場と定められた総本山、なかでも本門戒壇の大御本尊と、富士の清流たる一切の血脈を相伝された御法主上人の膝下を離れて、日蓮正宗の信心の成り立ち得ないことを、正信会は今こそ謙虚に再確認すべきである。

 日顕上人は御登座以来、今日においても一貫して、創価学会、法華講を問わず、教導、注意すべきことは常に指導せられておられるし、いわゆる創価学会のかつての教義の逸脱、誤謬と路線の誤りについて、今日の宗門人にあってだれ一人“あれが正しかった。間違っていない”等と考えている人はいないのにもかかわらず、正信会は日顕上人の謗法与同、汚れた宗創一体等と決めつけている。

また発心得度の所化が、日顕上人御自らの講義や、早朝より夜間の九時まで、三箇月にわたる厳しい特別教育に耐えて末寺の在勤所化として派遣されたのを、あたかも末寺や出張所の担任教師に任じられたかの如く誇大宣伝して、“インスタント坊主”と誹謗する。

曲がれる心をもって、節穴からものを見ると結局、すべてのものが曲がって見えるのである。

大聖人は『新池殿御消息』に

「まがれる木はすなをなる縄をにくみいつはれる者はただしき政りごとをば心にあはず思うなり」(全集1437)

と仰せあそばされている。

正信会が金科玉条と喧伝する“謗法厳誠”も、本来、謗法の対治は独一本門の正義を世に立て、逆謗の人々をも救わんとする慈悲に由るのである。

正信会の如く、日顕上人と創価学会に対する怨念と、宗門への野心と策謀という不純に染まり、日達上人時代との目まぐるしくも甚だしい自語相違に陥り、ひいては信心のない在家の狂学者や悪徳弁護士の熱烈なる支持者となりさがり、本宗信仰の根幹にかかわる本門戒壇の大御本尊と、正統な信仰、血脈相伝に立脚しない現状にあっては、もはや創価学会に対して謗法厳誡を唱える資格はない。

正信を標榜する資格を自らの手で失ったのである。

ともあれ、本門戒壇の大御本尊をも究極の本尊に非ずと称する正信会の本尊観は

 「日本乃至一閻浮提の外・万国に之を流布せしむと雖も日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり」(百六箇抄・全集869)

との、本宗伝統の相伝の信仰にも外れている。