宗門之維新

 

田中智学

序論  

予が宗門改革の意見は、世の風潮に幻追して一朝一夕の夢想を放言せるものにあらず、今より二十年前、予が「立正安国会」を発軫せし当時よりの宿案にして、今日にいたるまで再三これを当局者に説き、また管長を公会場に聘して論議すること前後二回、その他筆によりて、時どき宗内の雑誌にもその一端を漏らせしことあり、今や時運のますます急なるを認め、その首尾を完うしてこれを宗家および天下に問わんとす。予は実にこの意見を抱持してただに筆舌の上のみにおいてせず、自らひそかにその幾分の実行を試みて、二十年来幾ばくと眠食を忘れたり。ゆえに今これを唱破するは決して無責任の言議をなすにあらず、予が永年の実験思索に徹して、その必行を期し得べきを確信す。ただ、あやぶむところは宗家の真面目に視聴をこれに傾くるやいなやにあり、予が宗法のために孤節を局外に持し来たれるもの、全くこれがためなり。

それ本化の妙宗は、宗門のための宗門にあらずして、天下国家のための宗門なり。すなわち日本国家の応さに護持すべき宗旨にして、また未来における宇内人類の必然回帰すべき、一大事因縁の至法なり。この大事縁を宣伝せんがために、日蓮聖祖はわが日本国に垂化したまえり。この大いなる願業を継紹貫通せんことを目的として[本化妙宗]は建てられたり。

しかるに今の宗門は、数百年来種々の悪事情のために、全くその本分を亡失しおわれり。ゆえに今これを改造して、聖祖出世垂教の宏猷を回復し、もって宗門の真利妙用を光顕せざるべからず。本篇はこれを詳論して、宗門改革の根本義を明らかにす。

予は、この論篇のいうごとき宗門にあらざれば、日蓮聖祖の宗門にあらずとなし、またこの宗門の改造は単に宗徒の間にのみ唱うべきものにあらずして、日本国家の応さに大いに注目すべき最高問題なりとなすものなり。

日本国家の将来において決すべき、もっとも大いにしてもっとも神聖なる問題は、「日蓮はなにゆえに我邦に出現したりや」の一事これなり。ゆえに予は宗門改造をもって、初めよりその宗団の一私事となさず、浄くして光明ある前途の理想を国家に植えんと欲して、この活法門を開示するものなり。

 今日の宗門、内は祖師の本旨を亡ぼし、外は時世の開明におくれ、ただ喘々として伽覧的気息を迷信界の一隅に持つのみ。健全なる生命なく、清新なる活気なし。人を導き世を救うはおろか、その自らの独立さえもおぼつかなき悲境にあるなり。しかして、そのここにいたれるは、もとより許多の原因ありて、一朝一夕のゆえにあらざるは論なしといえども、予がもっとも怪訝に堪えざるは、その宗門の衰頽よりも、宗徒のこの衰頽を憤慨せざることこれなり。否、その憤慨を実にして蹶起せざることこれなり。

宗門の今日は、百事を抛ってただ改造の一事あるのみ。今の宗門は根底においてすでに病をなせり。改造を思わずしていたずらに「姑息的教育」「姑息的布教」をあえてするは、かえってたまたまその病を布き毒を植うるゆえんにして、入りては、聖祖の本懐をまっとうする能わず、出でては、世間を利導するに足らず、なにをもって閻浮第一の妙宗と請うを得ん。

宗門の内容は教義なり。その外形は制度なり。教義は雑乱してすでに乃祖の真意を失し、制度は昏昧にしてはるかに時世の進歩におくる。かくのごときものをもって末法応時の教えとなし、唯一最尊の宗となして、括然自らおらんとするにいたりては、妙経の神聖を瀆し本化の高明を誣るのはなはだしきものなり。ゆえに、いやしくも宗門を思い国家を思うものは、屹然として立って現宗門の改造を唱導せざるべからず。

改造、難きか、いわく難し。宗徒すでに浄信を失し、愚心魔心縦横撹乱して、われとわが宗体のなんたるをだに忘却せる今日の宗門にありて、突如として維新の談をなし、未曾有の改革論を強う、なお青天の霹靂のごときのみ。

改造、必ず難きか、いわく必ず難からず。宗門の緇素ひとたび根本清浄の正信に帰らば、はじめて真誠に、祖業の大いなるを知らん。それよく清浄宏大の信念によりて感通せる如法の道眼には、聖祖の大智至徳とその無外の大化と博宏悠遠なる聖的経国の洪業とを浮かべ来て、はじめてわれ、聖祖の一宗門祖にあらずして、日本国の霊元たり世界最後の教主たることを知り、その遺教聖業すなわちわが宗門的動作なることを自覚しきたらん。すでにかかる神聖にして絶大なる経営を負って、まさにその道途にあるわが宗門にして、内容乱れ外形朽ちて奄々死に隣るごとき眼前の光景を看取して、誰か一尅もここに安んずるものあらん。改造の声、期せずして一致し、革新の方、諍わずして一途に出でん。よくかくのごとくならぱ、宗門の改造必ず難事にあらず。予はここにおいて、改造の原動機を信仰の醇発にありと断ず。

宗門衰頽の第一原因は、実に信仰の衰減にあり。真智翳れ、道念亡び、勇気沮し、学事衰え、弘法荒み、行儀紊れ、教勢微に、財力渇し、異義煩く、俗論殷に、内訌続き、外侮頻りなる、みなこれ宗門信仰の菲薄に基因す。ゆえに今にして改造をはからんとせぱ、「純にして浄き信仰心の回復」これ第一根本の先決問題なり。

いわんやこの前代未聞といえらんごとき、一大果断の改革を行なわんとす、いやしくも清新活気の信仰あるにあらざれば、条々空言徒論と成りおわらんのみ。

 いわゆる清新活気の信仰とは何ぞや。「不惜身命の心地」これなり。『法華経』と、聖祖とが吾人に命じたる信はすなわちこれなり。

日蓮の宗を奉じて日蓮の信なきは、すでに宗門活気の滅亡なり。日蓮の教えを奉じて日蓮の道を守らざるは、すでに宗門性命の滅亡なり。今の宗門は、この二つを失す。宗門に宗旨なし。天下この妙宗を忘れたるまたむべならずや。

それ、聖祖の道法や経営や智や徳や、まことに絶大無窮にして凡下のよく擬すべきところにあらず。しかれども、ただ一つの清浄信ありて、咸通孚応、妙にその智徳道業に融達することを得べし。「発心即到」の訓え、「除諸菩薩衆信力堅固者」の誡め、それこれをいうなり。

不惜身命をもって信に銘するは、法華の教詮にして、聖祖の躬行身訓なり。よく法華を学べるものにしてはじめてその真意を領すべし。不惜身命ならざれば法華を信行するあたわず、また聖祖を祖述するあたわざるなり。

今にもあれ宗徒ひとたびこの純正の信にかえらば、隻手に大千世界を把持し、一呼して天地を翻倒するの慨なくんばあらず、区々情弊および金銭の談はたして何かあらん。蕞爾たる宗団の改造、もとより一茶飯事のみ、もし不惜身命の心地まず決せざれば、何等の立案も施すに由なけん。いわんやこの大断案をや。ゆえに予は革新談の開端において、まず不惜身命の大用意を叫ぶものなり。

不惜身命、必ず難事にあらず、人は何事かのために死せざるを得ざるなり。戦に死せざればすなわち政事に死し、刃に死せざればすなわち飲食に死し、飲食に死せざればすなわち寿命に死し、寿命に死せざればすなわち業報に死す。喁々として生まれ出で、嘿々として死し去るをもって、無事息災に天寿を終われるものと誤信せるは、何事かを意識したる人間の最も愧ずべき劣想なり。今それ臭穢の一身を献じて、聖祖の芳燭を紹ぎ、天下国家の大利を樹つ、その果報や仏天も羨やみたもうべけん。

百千年を隔てて渝らず、百予邦を隔てて異ならず、これを凡聖に通じて別ならず、これを智鈍に徴して失たず、よくその徳を一にしてその用をrうするものは、純浄堅固の信心なり。凡夫の智をもって聖人を解せんとするものは愚の極みなり。聖人の信をもって聖人を信ずるものは智の至りなり。それよく尭舜を信ずるものは第二の尭舜なり。不惜身命の正信ひとたぴここに起こらば、聖祖の備えたまわんほどの智徳、不知不識の間、宛然としてわが身に光被影現し来たりて、第二の小日蓮ここに生ぜん。一宗勃然としてこれに萃らば、万億の小日蓮現せん。もしよく一小日蓮をだも今のわが邦に得ば、意気厳操天下を圧し、事業功用宇内を経営せんも難からず、「日蓮先駆けしたり若党ども二陣三陣とつづけ」の聖訓は耳膜に響かざるか、眼底に入らざるか、何ぞそれ宗徒姑息のはなはだしきや。

今の宗門をもって宗祖の真を伝えて誤らずとなすは、これ自ら知るの明なきなり。今の宗門制度をもって暇疵なしと執するは、これ時世を知らざるたり。もし日蓮宗門たるもの、愚妄賎劣、はたしてかくのごときものならば、予はわが国家のために、かえってその勦滅を祈らざるを得ざるなり。

ああ、聖祖の遠孫によりてこの改革策を擬せられたる現宗門は、なおいまだ全き滅亡に達せざりし証徴なるを賀せよ。もしなお昏睡より起つあたわざれば、本論はただ古来、聖祖が偽宗門より被れる巨冤の万一を雪ぎ奉りて止まんのみ。

別頭の三宝、高祖大聖主、哀愍昭覧を垂れたまいて、今、予が宗家および国家のため、立論献策するところをして、如法の道念より出で、如法の道念によりて聴かれ、本化の妙宗これによりて頓に四海に広布し、もろもろの邪教ここに滅し、霊的国家たる日本国をして、教法および国家の統一を閣浮提内に実行せしめたまえ、立言もし一点の私情我見あらば、すみやかに予が命を召させたまえ、仮にも仏祖の本意にそい奉るところあらんを、諸人もし軽侮し怨嫉せば、すみやかにその人の邪見を翻転して、迷想より救い出したまへ、もしなおその非を固執せば、すみやかに十羅刹に仰せて現証の責罰を与え、その心を調伏帰正せしめたまえ、南無妙法蓮華経。

 およそ予が論策は、もと俗計世智の籌量に出でず、ただもっぱら仏祖の正意に準拠して立つるところの活優婆提舎なり、信念の声なり、血文字なり。法門として観じ、事行として看取するを要す。

   

 

総論

  序論において、改革を遂行すべき霊的準備として、まず不惜身命の心地を決せざるべからざる旨を説けるは、本論籌策の根原、全く法義の活現なるをもってなり。しかして改革の件々に対し、その個題の説明をなす前、ひとたびその総合統一点より観察して、もって立案の総要を釈かざるべからず。

 

改革の判義

予が数十条の立案を総概して、これを判釈する時、所判においては「宗法」「制度」「教育」「布教」の四大綱あり、能判においては「侵略的」「復古的」「進歩的」の三大綱あり、もって許多の細目を経緯羅織す。しかして「宗法」の上には本尊、行軌の統一を論じ、「制度」の上には、本山、寺院、宗門の首領、僧侶、信徒、財政等を分論し、「教育」および「布教」また数項の分目ありて、各々その条下に詳悉すべし、すなわち方法に先立ちて精神を説くなり。

要するに一切の立案、すべて宗義法門に根拠して、いささかの俗計私智を交えず、その時世に順応したるがごときは、またこれ法門の活現応用にして、天晴地明末法唱導の妙用を現実せるにほかならずと知るべし。

 

改革の機運

宗教改革論を叫びて世に立てるもの、自他宗その人に乏しからず、かの北畠道龍、水谷仁海等は、一時、世人の注目を惹けるものなりしも、その論道するところ、虚華妄計、義拠なく実益なき幻想にして、誠虔を欠き、良図を失するや言を待たず、ゆえに何等貢献するところあらずして、彼等は疾く敗亡せり。そのほか青年客気者流の無算用たる改革論は、今もなお諸雑誌の余白充当料として、ときどき触目するところなり。しかして予が改革意見なるもの、北畠、水谷の二叟に先立ちて唱破し、勧奨せつせつなお今日に至りて、しかしてその節を変ぜずといえども、一般世間に行き渡らざるは、その声を大にせざりしゆえなり。その声を大にせざりしは、議論玄奥にして実行多艱なるがゆえに、ひとえに時機の到来醇熟を待つがゆえなり。もしそれ実践躬行は、分に予が創立せる教会において実行せり。しかれども、これを一宗の上に施行せんは、一宗そのものが、真正に改造の巳むべからざるを自覚し来たる時ならざるべからず。すくなくも熱誠真摯の態をもって、予が改新談に耳を頻くべき機縁の生じたる時ならざるべからず。予は今をもって正しきその時機なりとは言わざれども、衰極まり乱極まれば、一転の原機は、確かにその内面に蠢動し来たりて、面目を一新すべき潜勢を孚養しつつあるなり。今の宗門は、教法においても、修行においても、教学においても、弘通においても、衰乱の極に達したるものなり。否、極まりで泰を生じ、乱極まりで治を出す、これまさに改革の運を自覚すべきの時なり。しからざれば、一転して死滅あらんのみ。もし宗法および祖業に約せば、時機おくるることすでに六百二十年なり。

 

復古と進歩

改革の尤大なるものは、宗法に関せる件々これなり。およそ改革なるものは、現前の弊について要用を生ず。現在の弊、古を失して、しかして不可ならば、よろしくこれを復古せしむべし、これ「復古的改革」なり。現在の弊、新に趨て、しかして不可ならば、よろしくこれを改新せしむべし、これ「進歩的改革」なり。いたずらに新を趁うべからず、みだりに古に泥むべからず。古にすべきはこれを古にし、新にすべきはこれを新にす。しかして「宗法」は新なるべからず、「制度」は古なるべからず。

今や宗門の憂いは新と古とを顛倒してその趣向を誤れるにあり。およそ宗法は、千古不変の道ならざるべからず。しかるに聖祖鶴林の后、門流相承の確執は、不幸にして善趨路を辿らずして、悪趨路を辿り、ためにもろもろの異義紛解を来たし、種々の新解釈をもって宗義を翻揺したる結果、宗法上今目の雑乱を貽せり。本尊勧請の雑多なる、修行行軌の区々なる、これみなその淵源、法義相承解釈の区々にして、統一なかりしより来たる。「六老守塔」の争論を首として、「諸山の確執」「真間の法乱」「三山の離合」「天文の廃宗」、「天正の禁宗」、「慶長寛永の法乱」等、公私幾多の災厄紛議を帯びつつ、そうそうの惨苦に肥立ちかねたる、この不幸なる宗門の教団は、聖祖の遺法およびその智徳品藻の古今に卓越独歩せるに似ず、年々歳々退縮の情況なりしこと、あに無限の憾ならざらんや。詮ずるところ、たびたびの変災紛擾は、したがって種々の異解を生み、種々の異解は、宗義の一貫的法理を沮害し、またその統一をも破壊したり。くだりて徳川氏三百年の太平、これまた一種の宗門沈衰史的変厄にして、外学の凌辱、宗義の衰弊より、もって維新の廃仏時代に及び、活気内に消磨し、世変外より侵し、宗学一層の混沌となりて、ついに今日の雑乱をいたす。しかのみならず、今や思想界の欧化的潮流ほ、青年後進の脳海に洋溢し、大胆にして僭妄なる自由討究をもって、聖判霊智の鼎を問わんずる乱暴狼籍の時代となりぬ。もしこれを善導せざれば、宗学の滅裂、底止するところなきに至らん。ああ、宗門はかくのごとくにして、宗法の古色を失えり、新新の解釈によりて艀化せられたる、竄入的偽宗法に盲従して、非日蓮主義の安心を眛守せしなり。むべなるかな、宗風の振わず宗威の挙がらざること、しかるに制度の方面は、かえって宗法の転新に似ず、愚然として駸々の時機に遅れつつ、あえて死せる旧風を暗襲す。像法的寺塔濫造はいかに、小乗的円顱はいかに。常説法教化の殿堂は、常に葬祭によりて賑わえども、いまだ信徒の結婚式を監修せるを聞かず。末法的清浄殖産の宗財を造り得ずして、正像過時の「乞食主義」によりて腹を肥やしつつあるにあらずや。それ本宗制度の断奠は、聖祖これを末代に譲りたもう。聖祖の自ら全力をいたしたまえるは、もっぱら宗義建立の一事にあり。これ本化独得の大権能大手腕に待つものにして、決して余人の窺い知るところにあらず。もしそれ制度のごときは、必ずしも本化の大断を待たず、要は時世に先鞭し、国情に洞通して、弘通の大願に利し、済世度生の方便を全うするにあり。ゆえに、聖祖自ら制度儀律の上に何等の確案を下したまわず、仮によろしきに処して、時世の必然に委せたまえり。しかして制度の大成を後世に付嘱したもうの玄旨は、御臨終の御一言、および諾御書の表裏にほの見ゆ(詳しくは別に論ずべし、今は御真意を概言するのみ)。「制可随時」の約束なれば、制度においては、宗義に背馳せざる限りにおいて、日に新にしてまた日に新なるを要す、「道不可変」の約束なれば、宗法においては一点片塵の新義竄入を許すべからず。

しかるに今日の宗門は、その新なるべからざるものを新にし、その古なるべからざるものを古にす、あに顚倒惑乱の至りにあらずや。これ、「復古」と、「革新」の分野を明らかにすべき要ありて、まずその惑いを解かんとするゆえんなり。

予の改革論の大綱は、「宗法」において、「復古的態度」を採り、「制度」において「進歩的態度」を採り、しかして全体において退嬰主義を破って、「侵略的態度」を採らんとするものなり。

 

侵略的態度

何をか「侵略的態度」と言う、いわく、宗教および世間のもろもろの邪思惟邪建立を破って、本仏の妙道実智たる、『法華経』能詮所詮の理教をもって、人類の思想と目的とを統一する「願業」これなり。

人類を一妙道に帰せしむるには、まず一の大勢力を事上に建立せざるべからず。吸収力なかるべからず、打撃力なかるべからず、綏撫力なかるべからず、すなわち真正着実なる統一の機軸なかるべからざるなり。「国家をもって道教の原動力とするの教旨」すなわちこれなり。これ釈尊塔中付嘱の天意、聖祖出世立教の大義、またこれ天祖建国の要道にして、寿量開顕の活修多羅なり。

しかも人類を統一するは、聖的事業の最も大なるものなり。要するにその道法は、人類一切の想念および作業の、無窮なる方涯、無限なる歴史に超脱して、古なく新なく、該ざるなく蓋わざるなき、唯一絶対の妙道至法ならざるべからず。天帝をもってするなかれ、彼は世界を造るというも、その自らの何によりて造られたるかを知らざればなり。阿弥陀をもってするなかれ、彼は十劫正覚未免無常の権仏なればなり。孔丘をもってするなかれ、彼は死を知らず鬼を知らず、性と天道とを言うあたわざればなり。天台、真言、乃至禅宗をもってするなかれ、権実本迹なおいまだ明らかならず、詮理願業未究竟の小法なればなり。老、荘、荀、孟、ソクラテス、プラトン、トマス、ガリレオ、ホッブズ、デ力ルト、力ント、フィヒテ、ヘーゲル、ヘルバルト、平田篤胤、井上正銕、福沢諭吉等をもってするなかれ、彼等はなお有漏智の原野に彷徨して、いまだ無漏聖智の山麓をだも窺うあたわざる蜉蝣的小見なればなり。真中の真、洛中の浄、大中の大ならざれば、すなわち妙とするに足らず。絶妙の大法にあらざれば、理においても、力においても、宇内を霊的に統一するあたわず。宗教の五義、三大秘法はまさしくその設たり。これを唱導啓発したる聖祖は、まさしく世界統一軍の大元帥なり。大日本帝国はまさしくその大本営なり。日本国民はその大兵なり。本化妙宗の学者教家はその将校士官なり。事観高妙の学見主張はその宣戦状なり。折伏立教の大節は、その作戦計画なり。信仰は気節なり。法門は軍糧なり。かくのごとくにして宇内万邦霊的統一軍の組織は成画せられたり。大兵まさに動かんとす、すべからくまず内に軍規を正さざるべからず。四大格言は軍規の振粛なり。本化妙宗の日本国教奠定は、まったくその出征準備なり。日本国はまさしく宇内を霊的に統一すべき天職を有す。法は日本と日本ならざるとを問わざれども、教は特に日本を認めざるべからず。日本をして宇内を統一せしめざるべからず。日本をして、ついに永く宇宙人類の霊的巨鎮たらしめざるべからざるなり。それは字内の廓清のために! 人類を救わんがために! しかして世界万邦の中、とくに日本を選んでこれにあたらしむるの要あるは、大いなる神秘的理由存するや。大いなる実際的理由存するや。これはこれ整然たる大組織ある本化家学の哲理的説明と、かねては許多の科学的説明を要す。よってこれを別論に譲りて今はこれを略す。なお世間みだりに聖祖の国家主義なる名目について、児戯的評論をなすもの見ゆ。伝うるもののいかに伝え、疑うもののいかに疑うかをつまびらかにせざれば、今にわかにその評論の価値を問うを得ざれども、要するにこれらの大法門は、糟糠小智の窺い測るべきところにあらずと知るべし。

 

内乱の鎮定

宇内統一軍の出征に先立ちて、軍規振粛のために、教内の謗法邪見を誅罰して、城中の一致同節を計るの要あり。もろもろの執権謗実的不逞不忠煽乱淆義の輩を打撃して、もって軍門に徇えざるべからず。これ内乱鎮定の諸宗折伏軍を興すゆえんなり。この小戦闘、建長五年(1253)四月二十八目より始まりて今に休まず、一張一弛盛衰ありといえども、弘安以後・天文以前は、良将勇士よく戦い、賊塁しきりに陥ちて、王師はなはだ振い、一時八万有余寺の優勢を占めるたるも、天文以来たびたびの廃禁に遭い、法乱宗厄あるごとに、士気屈し軍威衰えより、魔軍援け出して賊軍を救いしかば、賊勢次第に力を得て、今や優降地を換え、王師はなはだ振わず、戦に敗れずして飢えに敗れ、敵刃に殪れずして病に殪る。城塁いまやわずかに五千を余すのみ。頽勢ここに至りてきわまるや。両楠すでに逝きて芳山花淋し、誰か七生鏖賊の慨なからん。ああ、これ実に鼓舞作興奮然として軍規を一振すべき秋にあらずや。宇内統一軍の大出征を要すべき時期すこぶる促る。軍規振粛の内戦、最も急を要す。しかも今日においては、凡夫軍、外道軍、小乗車、邪教軍は、魔王の強援を仮りて、内外相通じてその暴威を恃み、王師の屏息に乗じて、日本の霊界を侵し、掠奪を恣にして兇虐厭くことを知らず、残忍獰悪の態、蛮行醜瀆の状、睹るに堪うべからず。

すみやかに三軍を振えて、金剛の大戟を加えずんば、霊界の前途それ計るべからざるなり。これ内戦なりといえども、最も要かつ急なるもの、すなわちまた宇内出征軍における振旅の第一歩なり。「日蓮先駆けしたり若党ども二陣三陣とつづけ」の梵音は、すでに進軍の喇叭に入れり。起ちて応ぜざるは、営中睡眠せるか、はたまた全軍病に臥せるか。

起たざるを得ざるなり、戦わざるを得ざるなり。三毒五欲の草寇あり、外道俗見の海賊あり。謗法邪見の賊軍は、魔援を侍んではなはだ驕り、まさに草寇海賊と相通じて、強大の連合軍を組織せんとす。自由討究の土足をもって、三蔵の太廟を踏み荒らし、世間文飭の泥杖をもって、雅思淵才の莚を汚すはおろか、賭博天下に充ち、賄賂朝野に盈つ。気節地を払い、軽佻風をなす。詐偽は商工の骨に入り、淫靡は書生の血を擾す。稻々として天下日に悪に趣き、慣れて性となり、毒筋肉に遍して、自ら病あるを覚らず、衰世の極みというべし。浅膚の学これを煽し、邪曲の教これを鼓す。外道邪教揚々として、あえて神聖を僭す。濁世の五乱、阿難の七夢、兇徴つぶさに現す。起たざるを得ざるなり、戦わざるを得ざるなり。

戦はいかなる場合においても「侵略」なり。戦は緩なるべからず、疾きこと風のごとくなるべし。戦は軽躁なるべからず、静かなること林のごとくなるべし。戦は軽浮なるべからず、泰きこと山のごとくなるべし。仁義の軍なり、王者の師なり。穆々たり、堂々たり。抜山の男あり、蓋世の気ありて、仁者無敵の量なかるべからず。その悪を懲してその性を害せず、その邪を誅してその智を害せず、その害を除いてその利を没せず、その謬りを匡してその迷いを抜く。これ本化の侵略なり。

 

法華折伏

「折伏」は仮設的にあらず、『法華経』自爾の武徳なり。その固有の妙力なり。仏の光明におけるがごとく、天の快楽におけるがごとし。光明なき仏あることなく、快楽なき天あることなし。『法華』は万法の根元、万善の太原なるがゆえに、一切の非法不善に対すればすなわち衝突す。すでに衝突すればすなわちこれを征服せざればやまず、無窮の慈念この経に乗如すればなり。もし折伏を『法華経』より離さば、音を鼓より奪い、味を酒より去るがごとし。慈悲を仏より除き去るの時節あらば、「折伏」と別なるの『法華経』を見るの日もあるべし。仏所護念の保険証を有せる『法華経』は、ついに折伏より離るるあたわざるなり。摂受、もまた折伏と異曲同工なり。本化の「安楽行品」は折伏なり。迹化の「不軽品」は摂受なり。「勧持品」「涅槃経」もまたしかり。謗法邪見の世にあらん際は、恒沙の法門すべて折伏なり。邪見謗法の世に処して、一刹那頃も非折伏の念生ぜば、これ死法華経なり、これ霊的国家の死没なり。もし換うるに「摂受」をもってせんというものあらぱ、これ摂受のすでに母経に殉死し了れるを知らざるなり。それ摂受は一体の二用、一用の両作、すなわち接化の表裏にして、経力の隠顕にすぎず、摂受もまた戦なり。ただその戦の内面的侵略に属するのみ。樽俎に折衝していまだ鉾を執るに至らざるのみ。これ法執見着なき無智悪国に対せる場合の統化法なり。邪替熾んに謗法大いなる時は、敵すでに戟を執って我を侵す。これ干戈に訴えて戦わざるを得ざるの場合なり。戦はいかなる場合においても、必ず侵略ならざるべからず。

「法華折伏」の四字は、無期限の「宣戦詔勅」なり。すでにこれをもって宗を立つ、「侵略的宗是」ならざるを得ず。しかるに天文の一頓挫より、内弛外侵、「宗是」ためにひとたび動揺を来たし、爾来種々の妄計踵で起こり、硬派逐われ、軟派時を得て、宗風ここに萎頓し、一転して薄志弱行となり、二転して腐敗遊惰となり、三転して昏眠厥令の宗門となり了りて今日に至れり。今にして日乾を恨み、日堯を訝り、日秀を議するも、すでにすでに晩しや。既往は追うべからず。病の経過とあきらめんのみ。今や旺熱極騰し竟てわずかに分離せんとす。加摂よろしきを得ば、気血調い体力復すべきに幾し。あるいは意外の奏効なきを保せず、全体ひさしく滋味に飢えたればなり。ああ、不吉なる「病的宗是」去れ、しかして健全清なる「宗是」復せよ。後人の竄入に聴くなかれ、加水の乳を服すなかれ、汝の宗門を生みて、恒久汝のために父たり君たり師たる、汝の祖師に聴け、汝の祖師の命ずるままに行なえ、別の才覚を去れ、小情実を徹せよ、直ちに汝の祖師を秉りて「宗是」とせよ。

純にして正しき「宗是」は折伏主義ならざるべからず。すなわち「侵略的態度」ならざるべからず。これ本宗の先天的宗是なり。ゆえに一切の宗門的施設は、みなこの方針より割り出したる組織ならざれば、宗門活動せざるなり。教法における儀イ作法は論なし。学門教育もここにおいてし、弘通伝導もここにおいてす。制度またしかり。寺院の制、僧侶の制、信徒の規、財政の策、すべてことごとく「侵略的」意義に組成せられ、「侵略的」方面に行動するを要す。

寺院の門石を見ずや。その「一天四海皆帰妙法」「閻浮提内広令流布」の文字は、日夕出入りの緇素に「侵略」を号令するなり。久遠寺、本門寺、本国寺、妙法華経寺、妙顕寺、これみな相対的対破の名にあらずや。「侵略的」の徽号ならずや。侵略的に信仰せよ、侵略的に学べよ、侵略的に説けよ、侵略的に書けよ。朝々夕々造次顚沛も侵略的意気を充たせよ。本山を参謀府とせよ、檀林を練兵場とせよ。一切すべて侵略的理想に行動せよ。「『コーラン』か剣か」はなおはなはだ緩弱なり、すべからく「『法華経』は剣なり」といえ。老媼も杖を揮って世界統一を説け、幼童も鼓を鳴らして「法皇進軍の曲」を歌えよ。利のために祈るなかれ、身のために祈るなかれ、父母のために祈るなかれ、師のために祈るなかれ、ただ侵略のために折れよ、侵略のために死せんと折れよ。侵略にあらざれば言うなかれ、動くなかれ、現るなかれ、聴くなかれ。侵略的意味ならざる勧化に布施するなかれ。侵略的態度ならざる布教に奔走するなかれ。侵略的気節ならざるものは、すみやかに宗門を去れ。死せる万人を有するよりも、生ける一人あるにしかず。いわんや七千の僧侶、三百万の信徒、ひとたび昏睡より起ち、警呼応同して、異体同心の大節を復し、一挙して侵略的突貫の声を斉うせば、山岳震い、湖海動くの慨なくんばあらじ。侵略なるかな、侵略なるかな。

 

侵略は天地の公道なり

「侵略」をもって_義とするなかれ。万物はすべて侵略なり、動物は侵略の精なり。もし自ら侵略せざれば、すなわち他に侵略せらる。猫は鼠の侵略者にして犬の被侵略者なり。人もまた強弱の間、貧富の間、智愚の間において、こもごも侵略的なり。聖人も、道徳も、法律も、学問も、みなその反対物に対する侵略的性質を有す。侵略は天地の公作用たり。しかれども悪侵略あり、善侵略あり、有上的あり、無上的あり、凡的あり聖的あり。今いわゆる法華的侵略は、すなわちこれ無上侵略なり、善侵略なり、聖侵略なり、この侵略によりて心円潤い、善苗蘇するなり。毒的にあらずして薬的なり。これ天地の公道なり、教法の「大義」なり。しかしてその鮮明なる旗色は、済世度生の正しく清く純なる「名分」なり。

 

汝の祖師を忘れたるや

一日も早く天下の邪教を撲滅して!  すなわち迷界の民をその邪毒より抜済して!  天下万民諸乗一仏乗となすにあらざれば、わが人界受生妙法受持の本分全からざるなり、願わくばわが一生涯にこの大願を達せん。もしあたわずんば子孫をしてこの栄を見ることを得せしめん。大日本国成仏せずんば、われ成仏すべからずと念ぜよ。皇室、憲法、議会、政府、ないし人民、すべてことごとく発迹顕本して、唯一妙道に帰融せざれば、死するとも瞑するなかれ。仏召すとも起たざれ、天招くとも行かざれ。たとい王侯の位を授けて誘うとも、この洪願を捨てざれ。たとい父母の頸を刎ねんと嚇すとも、この主張を抛たざれ。万艱一時に来たるとも、ゆめゆめ退くべからず。これ日蓮門下の生命なり。日蓮主義の錬槌によりて鍛えあげたる、真正の日本的気節なり、日本的徳操なり。この心一刻も去らば、すなわち「妙宗」もなく「日本」もなしと観よ。

しかして眼を転じて、今の日蓮宗を見よ。その学門はいかに。その布教はいかに。宗規はいかに。財政はいかに。一切の宗門動作は何を標準となしつつありや。その宗是として執れるところは何ぞ。寺院を光飾せんと勉むるものはあらん。書を講じ法を説くに勉むるものはあらん。営造を事とするものもあらん。慈善を事とするものもあらん。たとい扶宗の良志なるべからんも、しかもその大目的大安心の正準は、一宗の公的宗是にあらずして、局部的なり、地方的なり、個人的なり、器械的なり。はなはだしきに至りては名聞的射利的なるもあり。その最も真面目なるものも、また一宗の動作ということを自覚して起てるにあらず、その安心は統一なき退嬰主義にあり、よしや一山一寺の上に小効ありとせんも、一宗の上に幹部的栄養とならず、仮に為宗の美事となさんも、なおこれ小局部面の美なり。本根に培わずしてその枝葉に潅ぐ、一時の潤沢を装うとも須臾にして枯渇せん。ああ、一宗を持つも寺院なり、一宗を枯らすもまた寺院なり。要は、その処置の当を得ると否とにあり。しかしてその処置は究めて「宗是」の算定いかんに存す。寺のために宗門を謀らば、宗門の精神死し、ついで寺院も孤立して、ついにそれ倒れん。まず寺を捨てて、しかして宗門を謀らば、すなわち宗門活き寺院栄えん。寺院の宗門にあらずして、宗門の寺院なることを自覚せざれぱ、宗門の談はすべてにおいて盲聾たらん。いやしくも祖師の前に稽首する一点の良心存せば、僧侶の宗門にあらずして、祖師の宗門なること、寺院の宗門にあらずして、宗門の寺院なることの暁了せられざるはずなし。いやしくもこれを暁了せば、祖師を本とし宗門を本とするの大安心は、立地に開発せられざるべからず。しかるに宗門の現勢は、厳格なる意義において宗旨の滅亡なるをいかんせん。僧侶はあり、寺院はあり、しかれども宗旨はなし。檀林はあり、学者はあり、しかれども宗旨はなし。布教はあり、信徒はあり、しかれども宗旨はなし。ただ史的日蓮宗の故跡が諸国に散在して、淋しき史話を蘚苔に飾れるのほか、祖師の関わり知らざる「非本化的」の談論と、聞くも苦々しき愚妄賎劣きわまる邪迷的信仰の声とが、俗臭満々の金碧堂裡に栄えつつあるを見るのみ。これをもって宗門繁昌と心得、広宣流布と誣うるに至っては、涙のほか、何等の弁論も要なきに似たり。ここにおいて予は絶叫して、宗門の天下に問わん、「汝の祖師を念うこと罔きや、汝の祖師の尊きを忘れたること無きや」と。しかれども、これなおその個人に出でたる罪にあらずして、「宗是」に帰嚮せざる罪なり。否、帰嚮すべき「宗是」なきの罪なり。否、否、正明確実なる「大宗是」いまだ立たざるの罪なり。

 

大義名分の祖猷

今やまさに衰亡より立たんとする日蓮宗は、第一にその旗色を分明にせざるべからず。「大義名分論」の祖猷を実行して、「侵略的態度」を固守すべく改めざるべからず。これ宗門改革の第一用意なり。「侵略的宗門」なることを忘却して、一日の安をも貪らんとするは、宗門の精神を死ろすのみならず、宗門をして天下無用の物たらしむるなり。無用にしてその存在をいやしくもするは、祖師の罪人たるとともに、またこれ社会国家の罪人なり。聖祖が一般の仏教家と世間とに教えたまえるは、純正的確なる「大義名分論」にあらずや。念仏無間論も、真言亡国論も、立正安国の主義も、観心本尊の実義も、ことごとく「本化的大義名分論」の能判より出でたり。大義明らかならず、名分正しからざれば、仏法は闇なり、世間も闇なり、仏も土偶なり、修行も児戯なり。仏を除いては、本化のほか、言うあたわざるところの法門これなり。弘法、法然、慈覚、智証、善無畏、達磨、ないし内外一切の聖賢および教法学説に対する聖祖の判定は、すべて「大義名分的批評」にあらざるはなし。しかして他を制するにはこれをもってし、自ら規するにはこれをもってせずといわば、誰かこれを信ぜん。すなわち宗門自らは、必ずまず「大義名分説」の実行者ならざるべからず、その模範者ならざるべからず。これ本宗の最も明らかにすべきところの旗色ならずや。しかるに今の日蓮宗はいかに。本山と宗門、寺院と宗門、僧侶と宗門、宗門と信仰、布教、教育、それらのすべてにおいて、「宗門の大義」いか体に存在し発揚せられつつありや、「宗門の名分」いか体に確立し発揚せられつつありや、「大義の前には親に背いても君に就け」「たとい善き義分なりともまず名を忌むべし」との祖教に生み出されたる宗門が、寺院あるを知りて、宗門あるを知らず、法類あるを知りて宗門あるを知らず、先師あるを知りて祖師あるを知らず、布教あるを知りて折伏立行あるを知らず。寺により地方により学派により意楽によりて、おのおの本尊の式を異にし、また修行の軌を異にし、淫祠の簇出をほしいままにし、雑乱の修行をほしいままにして、秋毫も怪しむ心なきはいかに。大日弥陀の無縁を論じ、権小杜撰の謗法を訶し、もって一乗の経と三界の独尊とを奉じて、仏教の「大義名分」を明らかにし、諸宗の法を呼んで「非義非分」と破し、この邪を用いるがゆえに、世間の綱紀紊れて、君臣父予の義親淪滅し、神辞し聖去るがゆえ、邪気天下に充ちてこの国危しとなし、万難を忍びて、この「大義」を掲げ「名分」を明らかにして、世を救い国を助けたまえる、万世不変天地を貫ける、広大深遠なる祖教を伝持せる宗門として、胡ぞその洪範に達し、その玄護に反するのはなはだしきや。天に二なく、国に二王なしという、最も賭やすき道理にだも符合せざる今日の宗門制度はいかん。聖祖をもって眇たる一宗門祖となすさえはなはだしき非分なるに、ましてこれを妄信の対象となして、種々の緯名を付け奉り、門牌戸蹟に濫用するに至りては、三界の大依師人天の眼目たる高祖の神聖を汚し、「末法大導師」の主位を侮辱し奉るのはなはだしきものというべし。「並行」を禁じ、「錯乱」を呵したる聖判に違して、外護侍衛の神を崇むること、祖師よりも尊く、本尊に種々の新勧請を杜撰妄列し、誦経礼讃に重きを置きて、唱題を軽んずるの現象はいかに。流めて衆に出で多にハシルるは乱の本なり、誤の府なり。帰して専に入り一に止まるは、乱を正し誤を縄すゆえんなり。一法を主とし、一仏を主とす、これ聖祖がなしたまえる仏教の究寛革命なり。釈尊はこれを命じ、上行はこれを聴きたるなり。しかるを勧請の雑乱雑多、それ今日のごとく、修行の正助を顛倒せる、それ今日のごとく、学問の精神なき、弘通の主義なき、それ今日のごとくにして、何をもってか他門に対せん、何をもってか世間に臨まん。権邪しきりに熾に、淫祠迷信しきりに昌えつつある今の社会は、大公至正の妙道ありて、これを匡救するにあらざれば、綿延として毒を天下に流し、日夜に群生を火坑に誘い行くなり。これを匡救するは実に本宗の任務に属す。しかるにそれ自らの態度にして、雑乱滅裂かくのごとくんば、彼を救うあたわざるはまだしも、かえって世間よりは邪教視せられ淫祠視せられ、迷信の府とせられ、劣等の宗教と侮らるるも、ほとんど言解くの乱なからん。否、世間の多くは(多少の浅察あるにもせよ)、ほとんどかくのごとく本宗を賤しみつつあるなり。恥じ、かつ切歯せざるべけんや。予は断々乎として、今日の宗門をもって、祖教にソムクけるもの多く、時宜に後るるもの多き、きわめて不整頼にして無主義なる病的教団なりと絶叫せんとす。これしかしながら確然たる「宗是」なきに基因す。宗を念い法を護らんの誠意あるもの、いかんぞ「宗門の維新」を叫ばざるを得ん。

 上来すでに改革についての根本精神として、「宗是」の必ず「侵略的」ならざるべからざるを説けり。よってその改革の案件に関しては、これを「復古的」にすると、「進歩的」にするとに論なく、一切に「侵略的意義」を奉じて、これを計画し成立し施行せざるべからざるなり。ゆえに予が宗規改革の条々、一つもこの精神をもって世ざるはなし。すなわち根本的改革なり、根本的復古なり。

 

祖師宗門重きや、先師法類重きや

 法教的問題は、絶対に復古せんことを要す。新義竄入の分予は、一切にこれを排除すべし。もししからざれぱ、それは後人の宗旨にして祖師の宗旨にあらざるなり。歴代の先師、徳ありとも学ありとも、祖師には換えがたかるべし。いわんや先師そのものの竄入といわんよりも、後学転謬の失意誤用によるもの多多なるをや。もしもっぱらに祖師に依らんというを厭うの先師ありとせば、これすでに宗門の先師にあらざるなり。かくのごときものに対しては、宗家はその祭りを絶ちて可なり。畢寛、時代の推移とともに、近き情実に圧されて、漸々その水根に薄らぎ行きたる結果、ついに「法類」「先師」あるを知りて、「祖師」「宗門」あるを忘るるに至れるもめなり。今の宗門は法類の宗門なり、先師の宗門なり。ゆえにややもすれば、分裂の夢を描き、孤立の陋に陥らんとするなり。何ぞその心の狭小にして、その量の快潤公明ならざることかくのごとく、それはなはだしきや。これおのずから、汝の祖師を信ずることの深からざるより来たるところの元品の無明なり。自らわが宗門の偏狭陋小ならんことを楽い求むるの愚かなることは、あえて予が所論を待つべきにあらず。しかも今におよぶまで、闔宗の諸大徳、かつて心をここに致せること無さは、そもそも何ぞや。由来宗門改革の声を聞く、ただに一再のみにあらず。しかしてその要求多くは区々寺税宗費の外を出てず、近来教育および布教の事をいうに至れるも、なお檀林の財政を議し、朝鮮台湾の布教を計りしごときに過ぎず、とうてい今の宗門は、自らの宗門を意識せざるなり。自らの宗門を誤解せるなり。ゆえにその「本尊式の雑乱」を見ても、「弘通式の無統一」を見ても、はたまた学林教科の無統率無秩序なるも、信徒安心の衰頽乱雑せるも、見てもって意とせず。これ一大事なりとも思わず、ほとんど他人の痛痒のごとく然るなり。

 宗門の改革においては、宗法教義の雑乱を縄正するは、すなわち本なり。制度経済を計るは、すなわち末なり。本を善くして、末はじめて理まるべし。「宗法」は宗門あるゆえんの謂なれば、ここにおいて一点の贖れあらしむべからず。これ予が主として、これが「復古的改革」を叫ぶゆえんなり。

 

すべからく文明最後の大美を済すべし

「宗法」古に復せば、これを持しこれを弘うするに、善良なる「制度」をもってせざるべからず。しかも制度は、有形的にありて無形的の宗法を護持光揚するゆえんなれば、内は宗法に遵拠して外は時世に順応する良工夫を立てざるべからず。いわんや社会すでに侵々の文化に駕し、学術技芸、政治法律、日に進み月に改まり、人情風俗の遷移、目ため眗せんとす。この時にあたりて、人天の眼目となり、社会の先導者たるべき、ことに文明最後の大美を済さしむべき、わが本化の妙宗たるもの、弘教の方便、件々よろしきを失し、その便を捨てて不便を取り、その美を捨てて醜を取り、時世に後れ、世情に遠ざかり、人材あつまらず、資財給せず、矇然として手を叉きて人後に落ち、他門に嘲られ世間に侮られて、周章自失するの陋態を演じて可ならんや。ゆえに予は制度の改革においては、最も進歩せる英断の革新なかるべからずとなして「進歩的態度」を叫ぶものなり。

 

精神の復古、方式の進歩

「教育」と「布教」とは、おのおの両義をかねざるべからず。たとえば「教育」において、宗風教育(すなわち精神教育)の方針は、断じて「復古的」ならざるべからず。その教授啓発の方式は、すなわち混沌的古式を捨てて、進歩せる方式を取らざるべからず。いたずらに古書の頁付けを知り、末書科文の煩紛を通暁せりとも、活ける宗義に何等の貢献もあるべからず。兼修旁通あまねく内外の学にわたり、最も多く世界日進の新智識を呑了し消化して、対機関導の資を充実せしめざるべからず。ゆえにその骨組みにおいて「復古」を取り、その運用において「進歩」を要す。

「布教」またしかり、所説の法門は、純正宗義ならざるべからず。その鼓吹すべき信仰は、醇乎として醇なる、本化的宗風ならざるべからず。しかれども、その方式は渾焉として旧習を墨守し、説に活気なく、論に光明なき固陋的説教をもってすべからず。寺堂の中に少数の自門信徒を聚め、不整束なる法門話を繰り返しつつあらば、広宣流布の洪願、いつの日か果たすを得ん。ゆえに多く他門に向かって説き、世間に向かって説いて、この本化の妙道を、一日も早く一般国民の理想界に植えづけざるべからず。公開の演説、および道路演説、最も必要なり。今の布教において、宗風的感化なく、かえって新を趁い古を失するの弊を青年者の演説に見、清新の意気なく、古弊の病あるを老年者の旧式説教に見る、法門は新なるべからず、説明の方式は古なるべからず。「布教」の改革も、また「教育」と同じく、精神において「復古」を要し、方法において「進歩」を要す。

 

進んで論究せよ

予が宗門改造の意匠は、「復古」と「進歩」との両極を調和して、これを統ぶるに「侵略的宗是」なる大精神をもってすること、上にすでに説くがごとし。しかしその改革の所対たる要件は、「宗法」と「制度」と「教育」と「布教」との四綱なることも、すでに略論せり。なお、ここに次いで語るべき総論中の一要義あり、左に略言せん。

 宗法の案件は、ことごとく法門を準的となす。ゆえにまた許多の宗学的智識を要す。もしその当否を議せんには、慎重なる討究論議を経ざるべからず。よって予はこの総論においては、単に上来の大綱にとどめ、直ちに則論においてその意見を陳べ、別に一宗の碩学に向かって、一宗全体の代表力ある委任を帯び来たりて、予と審議論究せられんことを希望し置くべし。また一宗に向かっても、しかあらしめんことを望むものなり。予不肖なりといえども、この改革の案件は、二十年来の薀究を累ね、かつ実行に徴して、その誤らざるを確認するがゆえに、今これを宗家に勧告するは、終生の責任をもってその充当なるを確証するところなり。予は、いつにてもその責を全うすべきを誓う。またその日あらんことを切に願うなり。

 

僧侶の本山を要せず宗門の本山を要す

 制度の改革においては、夥多の条項を有す。しかしてその中の本末幹支を鐸ね、組織的に概論すれば、本山」「宗長」「寺院」「僧侶」「信徒」「宗政」の諸門を明らかにして、宗制大新の要義を貫了することを得ん、これ制度革新の眼目なり、宗風復活の大準備なり。

由来宗風の振わざるは、主として宗法の雑乱に基因するは論なしといえども、種々の悪制度これを害したる、また事実なり。「本山制」の完全ならざるがごとき、実にその優等原因なり。したがって「宗長」定まらず、「寺院」統率を欠き、「僧侶」帰響を一にせず、「信徒」制裁なく、「宗政」一途に出でざりしなり。しかれども古は今日に比して、信仰深く道念篤きがゆえに、はなはだしき体面を損ずるに至らずといえども、この悪制度に育ちたる宗門が、いったん道念欠乏、信仰衰滅せる今日に逢着しては、その悪制度より受くるところの弊害、さらに一層のはなはだしきを加え、宗門の統一なきを利用して、種々の愚作庭作を長じ、衰に衰を加え、悪に悪を増して、一宗の風気、瓦然として墜落し、忘想百出、醜態続露、ほとんど直視するに堪うベからざるに至れり。ゆえに、もし「宗制」の美を挙げんと欲せば、第一にこの根本を正さざるべからず。

 今の本山は宗門の本山にあらずして、寺院の本山なり。「信徒」の本山にあらずして、僧侶の本山なり。「管長」は一宗の首長なりといえども、寺院を左右するの権能なし。宗制によりてわずかに課金の督促をなすにすぎず。寺院は依然として本山の制裁に依らざるを得ず、「管長」は宗制の条項以外、絶対に本山に命令すべき権能なし。また「本山」なるものは、末寺に対して無上主権ありて、一宗に対しては何等の権能もなく、管長また諸本山の主権に君臨するを得ず、本山を舎て直ちにその末寺に君臨するを得ず。権能全からず、主宰力欠けたる「管長」「本山」を二重に戴き、制裁鹵莽、統御薄弱のもとに彷徨せる、一宗の寺院および僧侶は、宗門的任務少なくして(もしくは無くして)ただただ寺院的任務あるのみ。まれに本山的用務あるも、これ事大的なり、御役目的なり。したがってその思想は、ややもすれば陋狭なる個人主義に流れ、猜忌排擠、牢然として風をなし、倭小孤立に安んじ、毫も遠大高邁の気節なく、退歩郤縮、日にますます衰えにつくの観あり。この悪風化を被りて、固有の美風を破壊せられつ、今のごとく乱離の民となりおわれるは、可憐にして不幸なるわが全国の信徒なり。その一本誤りて衆末乱る。今の宗門は数百年来、この悪本山制の悪風に沮害せられ、広宜流布の洪業を却退せしめたり。しかも一宗全滅に至らざりしは、全く聖祖の威烈によれり。

 宗門の主権分かれて四十有余となれる現日蓮宗は、名において一宗なれども、事実において四十有余派の連邦制度なり。その淵原、全く門流時代の確執対峙より出づ。しかも古は法門相承のために、各自の主張ありて一門流をなす、またやむを得ざるところなきにあらず。今にありては、諸山の法義的主張消亡して、門流相承の実なし。また一流骨張の要あるを見ず。しかるに今の諸本山なるもの、ただ過去の歴史を夢みて、末寺法類等の小情実のもとに割拠せる一種の惰力のみ。もとより一宗の統一を害してまでも、その孤立を持続すべき必要、断々としてこれなし。宗門統一の実を挙ぐるがためには、すべからく歓んでこれを廃合すべきものなり。

「身延」は総本山の称ありて、しかもその実なし。「総は尊称の謂にして総轄の請いにあらず」とほ、日連宗会がかってなせる命名の宣告なりき。ああ、「名分主義」の宗門において、かくのごとき非名分的宣言をなす、顚倒もまたはなはだしからずや。総の名をもって尊称の義となす、すでに鑿なり。総轄の実なきものに総の名を付する、すでに僭なり。名正しくして実これに順う。名義の確立せざるは、「宗是」の不健全なる徴証なり。

 予は、霊地としての「身延」をもって、一宗に冠たるものとこそすれ、「本山としての身延」は単に列候の一つに過ぎずといわん。「池上」「六条」「中山」「龍華」、またみなしからざるはなし。いわんや、その他の諸本山をや。過去の旧夢を逐うなかれ。眼前の情実県に拘々たるなかれ、区々たる小規模に甘んずるなるなかれ。すべからく、その本山を大にせよ、最高地に進めて主権の所在とせよ。今の本山は、単にその一山をもってしては、身延をはじめ、すべて一宗に君臨すべき資格を具備せず。尊厳足れば由緒足らず、由緒足れば実力足らず、とうてい所轄末寺の本山にして、一宗の本山たるに足らざるなり。それ「身延」の総本山、「龍華」の四海唱導、「六条」の正嫡付法、「比企」の根本道場、「中山」の本尊相承、これらを合わせもって、はじめて一宗絶対の尊厳生ずべし。いわんや、四十本山の由緒特徴およびその実力を聚むるをや。ゆえに予は、合末を論せずして合本を絶叫す。名正しく義明らかにして、実もまた備わるをもってなり。

 

本山の開 顕妙

一山をもって他山を併せんとするは、史的情実の許さざるところ。各山の由緒は、いわれなく他山に奪い去らるべきものにあらずとの喬持は、必ずしも不当の言というべからず。むかし、身延の日叡、ひとたび三山の合一を計て成らず。かえって諸山の感情を害して、永く比延の反目を強めたり。近時の「合末論」、またその意は佳なりしも、名分いまだ美ならず。趣向はなはだ矯激に失せるがため、空しく諸山の割拠心を激してやみぬ。予はこれに先立ちて、東京において「合本論」を主張す。のち東京に到りし時、本山党の巨鎮と謳われ、保守家の泰斗と称せる、かの六条の老傑「釈日禎師」に面し、説くに予が「合本論」をもってす。師案を拍ちてよいかなと称し、かつ、いわく、「かくのごとくにして宗門の統一を実にするを得ば、予は悦んで本国寺を宗家に捧げん、諸山また異議なかるべし」と。この人にしてすでにしかり、誰かこの論に抗するものあらん。ただ、その断行の遅速は、決心のいかんにあり、護法活眼の開否いかんにあり。由来、本山の名立が、情実を本となしたるそれに対し、突如として「合末論」を唱え、諸山の末寺を身延に輙にせよと強いたるは、あたかも身延の栄を計るがために、諸山の独立を奪わんとするものなりとの、情実的解釈をもって迎えられたるゆえんにして、すなわち併呑的態度の瑕瑾なり。「合末論」は、すなわち然らず。諸本山を打ちて一丸となす。その歴史的由緒も、その伝来の尊厳も、歴代も、墳墓も、名義も、情実も、資産も、貫主も、一切そのままにして、毫も資格を損傷せず、此没彼現して、他の諸山とともに、聖祖霊鑑のもとに相合して一つとなるものなり。四十有余山の化合結晶せる唯一絶対の真本山現じ来たるなり。泯亡にあらずして泯融なり、合列にあらずして合一なり。一つなれども諸山宛然として具足す。諸山亡せずといえども、別立せず。すなわち絶対開会をもって、諸山および一宗の隔麤を絶するの法門なり。併呑にあらずして帰本なり、覇道にあらずして王道なり、奇にあらずして王なり、権にあらずして実なり、麤にあらずして妙なり。合本なるかな合本なるかな。

 

宗門の版図、信徒の入籍

 「唯一本山」成立して、はじめて一宗の事実的首長おのずから定まる。一宗これによりて誠の統一を計るを得べし。寺院も定まり、僧侶も定まり、信徒も定まり、宗政の美も挙がるを得ん。一宗の首脳ここに定まらば、直ちに法義的性命の回復を見ん。たずねて要なるべきは、寺院的宗門を破して、法義的宗門となし、僧侶的宗門を変じて、信徒的宗門となすの一事これなり。今の宗門は、法義を中心とせず、寺院を中心として存在す。法律また寺院を認めて宗門を認めず。寺院を護持するの僧ありて、法義を護持するの僧なし。寺院に臨める管長ありて、法義を主る管長なし。木像の祖師ありて精神の祖師なきなり。寺院の財産ありて、宗門の財産なきなり。僧侶の私財ありて、祖師の財産なきなり。否、名においては有るかごとくにして、実においては全く無きなり。また僧侶に臨むの宗制ありて信徒に臨むの宗制なし。「管長」は僧侶の管長にして、「信徒」の管長にあらず。それ一宗勢力の根原は信徒なり、財力の根原も信徒なり。この点においては、僧侶は末なり、信徒は本なり。「管長」「宗制」は、その末に臨みてその本に臨まず。寺院僧侶を進退するの宗制ありて、信徒を主宰すべき宗規なきは、宗門勢力の薄弱を致すゆえんなり。ゆえに予は一宗の制裁力を信徒全般におよぼすべき案件の最要なるべきを認む。しかもこの一事、多大の深籌巧思を要す。詳細は他日を期し、今その要を言わば、信徒の分限を規定して「宗門戸籍」を設くるこれなり。

 信徒をもって民とし、僧侶をもって官吏とし、寺院をもって官衙とし、本山をもって政府とし、宗制をもって法律とし、教法をもって憲法とし、祖師をもって君主として、宗門の国家は組織せらる。民は国力の本なり、最もよくこれを保護愛撫せざるべからず。宗門の布教は愛撫なり、宗門の制裁は保護なり。今の宗門は官吏と役所とのみありて、藩主なく人民なき在り。本山連邦の貴族政治によりて、信徒は御用金の侵略を蒙るのほか、何等の制裁保護あることなし。版図の実測を経ず、領海権の分域を明らかにせず、不思議千万の国家というべし。「宗籍の設定」は、この点において、明らかに宗団の根本改造なり。信徒檀徒の名は、寺院の所属として寺籍に付記せるのみ。宗門はこれに対して不問的なり。管長は僧侶に臨みて威あれども、信徒を主宰する権能なし。これ「宗籍」の設けなき混沌国なればなり。ゆえに全国の檀信徒に対し、ひとたび宗籍奠定の事を行ない、信徒たるの分限を定め、「宗籍の登録」をなし、「宗籍証」を付与し、宗徒たるの服従規程を置き、その良を賞し、その不良を罰し、常に開導し保護して、もって信徒たるの栄を持たしむべし。すなわち版図実測の急かつ要なるゆえんなり。

 しかしてその分限を定むるには、第一に本尊を統一して、本山より付与するもののほか、崇用し勧請するを許さず。修行の規範を一定して、これに違うことを許さず。「宗税」を上納するは、家別および人頭の二種とし、「本尊拝受」「法号授与」「納骨」の三件は、信徒かならず本山の允許を受けて、その浄謝を完納せしむべく、以上の諾件を具備せざるごときは、本宗信徒の分限を失うことを規約して、もって全宗一貫の大統化を施き、一宗をもって一人となし、信徒を体とし、宗法を魂とし、本山僧侶を肝脳支官として、はじめて法人の資格を具備し、その宗制を社団とし、その資産を財団とし、法律上、社団および財団の登記を経て、ここにはじめて宗門の機能と宗有権の所在を明らかにすべし。

 これを遂行するには、本尊式を一定し、行イを一定し、教育の主義を一貫し(宗風教育)、弘通を統一し、および信徒律を定め、土葬を禁じ、法号授与の主権を本山に移し、信徒たるものは、寺院の弟子にあらず、直に祖師の弟子として、本山の直轄に属し、所在寺院は本山の代理として、地方的任務を負うてこれを分轄し、「生誕」「結婚」「受法」「死亡」の四大節礼を管督し、常に余命布教の法訳に浴せしめて、「本山」と「信徒」との気脈貫通を計るを、寺院住職第一の職責たらしむべし。

 

海上道場

 今かりに信徒の宗税義資を左の四項となし、その弱半をもって宗費とし、その強半をもって国用を資け、相待ちて天下を鼓舞する法利のいかに大なるかを見よ。

 ○家別宗税(法恩報謝としての現行弘通外護、毎家若干完納)

 ○人頭宗税(国恩報謝としての未来弘通外護、毎人若干完納)

 ○本尊拝受義資(奉宗帰信の表意ならびに実費として、毎人若干完納)

 ○納骨請願義資(聖舎利宝殿侍安永久廟祭の実費、毎人若干完納)

 以上四項について、試みにその概勢を算せよ。五十万家の檀信徒を有せる妙宗とせば、毎家年納三円六十銭にして、毎年百八十万円を得、これをもって宗費に充つ。教育および伝道、やや意のごとくなるを得べけん。また人頭三百万の宗税は、国威光揚、皇恩敬謝の宗門的事業として、人別年資一円を支出せしめ、その三百万円をもって、年々武装的商船三隻もしくは十隻を建造せしめ、「妙法丸」または「安国丸」等の名を命じ、平時は内外の定期航海をなし、これに布教師若干員を備え、乗客に向かいて、航海中、毎日毎夜宗義的布教を施し、「信徒」の分限あるものは、貨物乗客とも半額となし、本山登詣、霊場参拝の目的をもって乗船する者は、その帰航を無代価となし、もって盛んに海上伝道と、宗内の交通利便を計り、国家一朝有事の日は、この法薫霊被せる幾百千隻の艨艟を挙げて、快く朝廷の用に供し奉り、号令一下とともに、魏々乎として武装し、法威国光とともに輝きて、国を護り敵を伏し、義を扶け仁をなす。これ日蓮主義の訓えたる慈善事業なり。彼の孤児を拾い貧民を賑わし、もって善を楽しむごときは、社会的慈善にして、宗教的慈善にあらず。人としてなすべきものにして、宗門としてなすべきものにあらず。そのこれをなすは巳むに勝るのみ。国家の根本を養いて、邪を擢き、正を議するは、すなわち大乗の慈善なり。

 軍艦を造りて仏事を行ずるは、『安国論』の密契、『涅槃経』の洪範なり。戇愚の徒これを知らざるのみ。もしよくかくのごとくにして、祖師の大慈願とともに、層々余力を加長して年歳を積み、一年十隻の準軍艦を得、十年百隻百年千隻を得ば、日本帰一の聖化、世界同数の聖職、けだし五百年を出でざるべし。

すくなくとも日本国教の奠定、本門事の戒壇建鼎の詔命を見るは、近く百年を出でざるべきを信ず。本願寺何かあらん、ニコライ何かあらん、シベリア鉄道何かあらん。ピョートル大帝を地下に悔改せしめ、ナポレオンを九泉に嘲殺し、意気堂々、北斗を呑み、一顧して星羅の万邦を歓喜合掌せしむるは、妙宗徒の夢寐にだも忘るべからざる、先天の気節にあらずや。人もしこれを聞きて、空談となすものあらば、まず汝の空人物なるを憶え、いかなる事も行なわざるものの前には、いつも空談なり。猫に貨幣を談ず、これ空談なり。もし、これを大に過ぎたりと踆迍するものあらば、これ談の大にはあらずして、汝の小なるなり。螻蟻は牛を知らず、これ牛の大なるにあらずして、螻蟻の小なるによれり。幻想俗才秀吉のごとき、虚栄夢謀ナポレオンのごとき、なおよく匹夫より起ちて、ひとたび威を内外に振いたるにあらずや。いわんや久遠の本法を奉じ、無窮の大慈を蓄え、無外の大化を垂れんとする、本化の遠謀深慮を体し、経王の法威、神州の正気、三世を貫き、十方を蓋うの概あるもの、いかんぞ三変土田の妙用、地皆震裂の妙力なかるべけんや。ただ、汝の昏睡を覚まし来たりて、「『法華経』の一念三千と申す大事の法門はこれなり」の聖判を熟拝翫味せよ。

 

宗風的感化  

 しかもなお屑々的怯弱の籌量は、その「宗税」の支出いかんを躊躇せんずらん。しかり、今の日蓮宗のいわゆる信徒なるものは、由来愚妄の宗教的動作に慣れて、毫も祖業宗風の何たるを知らず、太鼓と御札のほか、ただわずかに奄々たる伽覧的信仰の小気息あるのみ。これ自ら誤れるにあらずして、教えざりしなり。しかれども信徒は依然として信徒なり。信仰帰依の名をもって、常に相応の報酬を何ものかに向かいて支払いつつあるなり。一年三五円の支出は、貧富を通じてこれをなしきたれり。ただその宗用に供せしか、寺思に費やせしか、僧の肚を肥せしか、学問伝道に使用せしか、ビール牛肉と変晋しかにあり。なお、あるいは無用の扮飾を袈裟衣に加え、無益の荘厳を僧房堂舎に施せる等の、宗用に遠き(むしろ無用なりし)事に向けても、多大の御用金を徴発せられて、唯々諾々たりし恭順温柔の信徒なりしなり。今これを転じて、局部の濫支出を廃し、非宗義的の布施を禁じて、もって統一せる宗財の下に輻湊せしむるのみ。その出るところ異ならずして、使うところ異なるのみ。死用せずして活用するなり、愚用せずして智用するなり。しかもなお、この現下の信徒について言う、もしそれ宗門維新の大業ここに定まり、宗脉一貫し、宗風振粛し来たりて、宗門的活動を自覚したらんとき、その正しき感化を蒙りたる暁は、油然として不惜身命の正信起こり、勃然として広宣流布の願芽発生せんこと必せりや。すでに不惜身命の誓いありて、いかでか区々三五円の年費を悋むものあらんや。国城妻子なお布施して厭わず、いわんや金銭をや。一生の安心動作、徹頭徹尾、法のため国のためというをもって規矩とす。法のために生まれ、法のために食い、法のために婚し、法のために児を挙げ、法のために財を蓄え、法のために財を散じ、法のために労を致し、法のために活き、法のために死す。これ当然なる妙宗信徒の処世観にあらずや。いかんぞ生涯の富力を捧げて、聖祖の御前に献るを悦びざるあらん。今の信徒その意思なしといわば、これ妙宗の信徒にあらざるなり。信徒をして妙宗的ならしめ得ざりしは、僧侶開導の至らざりし罪なり。約言すれば、宗門雑乱腐敗の反響なり。もし一日よくこれを訓うれば、なお一日の宗風復す。例えせば「立正安国会」のごとし。少数の信徒、貧にしてかつ微、なお一寺院の檀力に超えじ。しかれども予が宗風的感化は、着着功を奏し、処世観の堅実、信行の正純なるは論なし。一文不通媼嬢も、なおよく国家を憂えて正義の弘布に務む。小估微職の輩も、日々の業務をおえて、おのおの弦題旗を手にし、あるいは弁士となり、あるいは護衛となり、公園通衡にありて、随力演説をなすあり、施本を周旋して広宣流布を計るあり。全会あげてこの心この業を捨てず、その唯「竜口法難論事件」「元寇予言論事件」「甲午献本祖教上奏」「正式国祷の厳修」、「清韓両国従軍伝道」、「恤兵慰問の寄贈」「妙宗大学設計奮迅講の創立」「大阪会堂の建造」「師子王文庫の発軫」「宗学創建の大編輯」「文書伝道の出版事業」「全国鉄道等の雑誌施本」「御霊場復興の大計画」(第一着 聖祖鎌倉辻説法の旧跡等)「全国霊場および宗費の写真編輯」等、一件おのおの巨多の労力費用を要し、少なきも二千、三千の金を投じ、多きは万金を費やす。僅々十数年間における、わが党の宗家および国家に致せる貢献は、常恒布教のほか、なお上件のごとし。しかのみならず、「宗教結婚の儀式」を宗義的に冊定して、これを実行しはじめたるは、実に明治二十年(1887)にあり。爾来つねに信徒の生誕結婚の諸礼を宗式となして、その処生の大安心を監督せるは、おそらく仏教儀制上の一新面目を創始したるものにして、その権門他宗に先立ちたるは、大いにわが宗の光采となすに足れりと信ず。そのほか「宗教音楽」の独立、「宗史」の編纂事業等、すでに着手し、まさに大成せんとする要件、また少なからず。これ予が徳器才幹のしからしむるにあらず、また会員の富しからしむるにあらず。ただ全く宗風的感化の功なり、如法信仰の表現発展なり。枝を伐り枝を伐る、それすなわち遠からず。会員の貧なる予の不肖なる、なおよくこれをなせり。もしそれ宗風一振、大化ここに興らば、海内靡然として、日蓮主義の洋溢を見ん。そのしからざるは、あたわざるにあらずなさざるなり。

   

教家、行家、寺家

「主権」すでに定まり、「宗籍」すでに定まらば、宗界の天下それ一に帰せん、宗政の美はじめてここに生ずべし。宗門の大政は、僧侶寺院の処置を急とす。僧侶の資格を今のごとく暖昧妄浪の間に放任するは、宗門の活気を殺ぐゆえんなり。認むるに教師をもってし、委するに寺門の煩紛をもってす。人の子を誤る、これよりはなはだしきはなし。元来、教師として世を導くは、巨多の学識才弁を要す、最も専門的ならざるべからず。しかるにわずかに檀林の業をおえ、宗学の素養いまだ全からず、世間の知識いまだ備わらずして、漫然「能化」と称し、しかも駆りてこれを寺院の番人となす。その人は学問の道を杜絶せられ、寺院は書生的経済に荒らされ、両端おのおの害ありて益なき。二途不摂の人物を造りて、布教界を蓼殺し、経済界を撹乱し、学問の進路を沮害し、有為の青年を俗了す。これ最も寒心すべき悪制度にあらずや。ここにおいてか僧別分斑の必要起こる。布教伝道の人と寺院護持の人とを甄別して相混ぜしめず、しかも両者相待ちて、一宗振起の功、それ全きを得ん。伝道の類に「学教」の人と「行法」の人とを分斑す、おのおの専門の研鑚を経て、終生の力をここに致さしむべし。しかして寺院の維持は、これ宗門経済の筋脉なり、最もゆるがせにすべからず。しかもその人を学問界に求めず、ただもっぱら教会制度の熟練と、寺門経営の修養とを詮とし、布教伝道の依地と流通とにより、宗政施行の良吏たらんものを得て足る。その教育は、別にこの種の人物を養成すべき「寺家学校」を設けて、その修養を与うべし。今これを論ずるについて、最も必要の案件は、「世襲住職の法案」これなり。

 

今のいわゆる僧は古のいわゆる優婆塞なり

 寺院を整理する唯一の方案は、住職者の責任を重からしむるにあり。責任の重きをなすは、責任を長くかつ深からしむるにしかず。戒体道香清浄無染の古人をもって、今時の僧を解釈せんとするは、教機時国教法流布の前後を弁ぜざる、最も痴凱の浅見なり。末法の道徳は、五戒十善にあらず、三綱五常にあらず、四諦六度にあらず、性気にあらず、倫理にあらず、ただ一の信仰なり。すなわち本化下種の根本信なり、不惜身命の心地なり、護持正法の誓願なり。この心、身を持し、家を斉え、国を掩い、世を救う、徳教任運に存し、綱紀自然に挙がる。これ本門の妙戒なり、一切世善人道の大本なり。教行の進退と時機の差排に惑えるものは、僧侶の行儀を律するに、今日なお依然、正像過時の廃案をもってせんとす。あつく祖判を学はざるの罪なり。

 また一類の論者あり、末法無戒に托し、経律を曲会して、しいて僧侶の内妻を弁護せんとす。これ「末法の僧」を知らずして、みだりに仏祖を誣解するなり。その意あるいはともに可ならんも、その義趣はともに非なり。予かつて三たび公衆の前にこれを論じ、なお明治二十年の頃、特に入蔵して筆を起こし、『仏教僧侶内妻論』三巻十六章九十四節の稿を構え、大いにこの事を論じて世の仏教家に問わんと志したり(総目および論稿載せて明治二十四年〈1891〉の『師予王雑誌』にあり)。しかれども許多の経論律儀は、けっして出家僧侶に内妻を許さず、肉と媱とは大小乗たがいに緩急ありといえども、いずれも非梵行として、これを賤しむ。舞文迎合何等の強弁を構うとも、出家にして肉妻の義ついに成ぜず、ゆえに予は時代の方面より研究して、末法における僧のついに出家ならざるを知れり。族姓を称し、官税を輙し、徴兵に応ず、いわゆる「兵奴之法」にして、事実すでに出家の資格を失せること論なし。これ時世のしからしむるところ、すなわち末法の末法たるゆえんなり。たといまれに一、二の出家的清僧あらんも、多くに約して論ずることあたわざれぱ、また少在属無のみ。大部分(むしろ全部分)は、出家の名と形とにおいて在家の実を行なえるなり。いわゆる僧の称は淡然として宗教家たるの意味にすぎず、よって鉄案を下して、一言にこれを決しおわる、いわく「今のいわゆる僧は古のいわゆる優婆塞なり」と。すでに優婆塞と定まらば、肉妻の苦論、すべて亀毛兎角ならんのみ。

 予はここにおいて、妻帯制度のはたして末法的にして、また妙宗的なるを覚れり。聖祖の常認に訓えたまえる御在世一門の多く入道的なる、身延中山の妻帯制度なりし等、聖意のあるところ、宗門上古の天真爛漫たるを知れり。これによりてこれを看れば、宗団僧風の発達強固を計るは、「血族制度」の真にしてかつ妙なるに若かざるなり。門葉の繁殖、血統の伝持は、内護かたくして扶植すみやかなり。その血の栄えとともに宗門昌う。遺伝の性と愛族の心とは、たしかに信仰気節の上に、先天的美風を持するを得ん。

すなわち妻帯制度を主張するゆえんなり。妻帯によりて、はじめて子孫伝持の制、興る。すなわち「世襲住職論」の要あるゆえんなり。これ門族護持のために!!寺院の良図のために!!宗門の強固のために!!

しかしてまた宗有財産の主権および管督法整斉のために!!

 

財聚まりで害除かる

「世聚住職」とは、子孫をしてその寺を永久に嗣がしむるの権利を確かむる謂なり。すなわち、古にいわゆる「寺家僧制度」たり。はじめてこの権利をその子孫のために獲得せんとするものは、世襲権獲得の報酬として、必ず下の諸件の義務を負わしむ。

総じて宗制を奉じ則して寺院法を確守すること。

中にも宗命布教の周旋疏通を奉行し、平時信徒の安心解行を調養して宗政施行の牧民者たること。

寺院伝持の動産不動産は、宗有財産なるがゆえに厳重に管督保護して減損せしめざること。

所轄信徒の宗税義資を介措転納して、遅滞失算なからしむること。

その寺格に規定せられたる課金上納を怠らざること。(この条あるいは除くべし)

○児女の教育を等閑にせず、男子は本山の相当学院に、女子は宗主優婆夷林に入学せしめ、必ず宗風教育を受けしめて、法器宗材を造るべきこと。

世襲住職の申請者は、その権利獲得のため必ず一千円以上、寺格相当の世襲料を宗納せしむべし。

現住職にしてその権利を獲んとするものは、数回分納または年賦(一定の年限)漸納を許すべし。

以上の諸項中、その一つをも違反せば即時、世襲権を失うべし。

等の確実厳密なる規約のもとに、一意宗門の弘通に忠実なるべき旨の堅誓をなさしめ、ここにはじめてその寺のために忠実なる護持者を得ると同時に、宗門には無数恒沙の末生予約的宗民教族を有することとなり、また布教の敏活誠良なる機関を得、かねて夥多の護法資金を一挙に網収するなり(一力寺三千円とすれば約三千の寺院より九百万円の宗有財産を得)。ある人、予がこの「世襲住職案」、すなわち寺院株の立論を難じて、これ寺院の売買に類せずやというものありき。予これに対していわく、「寺院の売買は今すでに行なわれつつあり。宗門これを売るにあらずして、前住これを後住に売り、当住もまた後住に売り、転々売買してひそかに僧衣の袂を出入りするのみ。今これを収めて宗有となさば、宗門の用給わり、支出者の権利、また永久に確認せらる。一挙両得の活案ならずや」と。僧位を売り、衣格を売り、法瀆神符を売る、ひとしくこれ売るなり。あに、独り寺院株を怪しまんや。しかもなお、かれは私事なり、これは仏軍衣り。彼は乱売なり、此は浄資なり。彼は散ず、此は聚まる。あに、精妙公正の宗門経済にあらずや。

ひとたびこの方針によりて、「経営面の宗是」を成功せぱ、宗資ここに聚まり、浄財泉のごとく涌出し、学教振起し、人材続出し、宗門の盛況、ついに国力の大部分を占むるに至らんこと、実に数年を出でざるなり。

 

本化活眼の経済

財政の調理は別に多々の活案存す。要するに勧化勧財の弊風を打破して、僧侶の乞食的動作を根絶せざれば、気品高潔を失し、衆愆したがって生ずべし。これ、予が根本的に宗有財産の建立を叫ぶゆえんなり。またその適当なる運用法に至りては、巨多の増殖方案あり、かつ費やしかつ利して、混々として尽きず、穣々として庫に盈ち、常に多千万の布教家に支給して緯々たる理財案あり。もって宗界の財的独立を保持して、宗門の洪業を翼賛するにあまりあらんとす。その他「本山鉄道」は、一種の布教鉄道として宗財をもってこれを興し、本山をもって中心として、全国御霊場所在の地に貫通せしめ、財法の二利を合わせて、かねて国用に資すべく、また「海外宗教拓殖」を開始して、「妙宗的植民」をもって、海外伝道の基礎となし、他目一閻浮提雄飛の準備を造る等、平易にして着実なる、法利に敏にして財益に利ある、種々の財的経綸、着々として行なわれ、その妙力、駸々として宇内の開明に先駆するを得ば、「天晴地明」の宗風、末法の天に無碍なるを得るに庶幾からずや。

(1897年『宗門之維新』)

 

 

 

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