なぜ帰山すべきなのかに対する返信


               
廣 田 頼 道

 


 拝復御手紙を頂きましたが、所見を頂ければ幸甚とのことですので、かいつまんで御返事させていただきます。

 今日の大石寺は、貫主絶対論、貫主本仏論にかたまっているわけですが、尊師はこのまちがった考え方を肯定し、帰山のゆるしを願って帰山されることを考えているのでありますか?

 帰山してから議論すればよい。帰山してから宗風の刷新をという人がいますが、あやまっておいて、その相手にあなたのその考え方はまちがっているといってもそれは通ることではないと思います。

 60年間、学会との関係の中で、我々僧侶も、日蓮大聖人の心(富士の法門)が何かが見失なわれてしまっていると思います。帰山することは大石寺に日蓮大聖人の教え(心)があってこそ意味のあることでありますが、尊師は現段階において、富士の法門とはこういうものではないかということを研鑽、整理、把握、発表されているのですか、その上で帰山し同化し得ると思われるのでありますか?

 もし帰山し、同化し得ると考えるのであれば、尊師自身が、かつての清水法端師や原田篤道師の様に、個人的に帰山すれば良いのではないかと思います。

 学会が無くなった、裁判がなくなったというだけで一切の問題が亡くなった様に御手紙には書いてありますが、私はもっと大切なはっきりしなければいけない法門の問題があると考えます。

 尊師自身が大石寺に趣き、帰山のポイントになる点がなにか、パイプ役として話し合って来て、帰山出来る状態にあるかどうかを提示すべきだと思います。さすれば具体的にこの問題の深さが理解出来るのではないかと思います。

 私は、現段階で帰山を考えることは間違いであると思います。そして、もっともっと一切衆生の成仏にかなう日蓮大聖人の教えを研鑽整理し、世の中にも大石寺にも訴えていかなければいけない時代だと思います。今日の大石寺には本当の富士の法門が存在していないのであります。

 法というものがあってこそ貫主があり、大石寺という存在があるのではないでしょうか?尊師の論調を拝見させて頂きますと、大石寺という土地に法というものがある様に考えている様に思えます。

 もちろん正信覚醒運動は創価学会にまつわる色々な問題から出発しました。しかし20年間の時の流れの中で気付いたことは、創価学会だけの問題でなく、学会の動きを導くだけの法門の理解と実行というものが大石寺の側に無かった為に、経済効果だけを考え創価学会の暴走をゆるしてしまった状況があったのであります。信徒だけが悪く僧侶ははじめから気付いていて善であるなどということは妄想であります。つまり日蓮大聖人の法門が忘失され曲解されていたということであります。これを直さずして、本当の帰山は無いと思うのであります。裁判が無くなり創価学会が大石寺からいなくなった今こそ、一切衆生成仏に的を置いた普遍性、妥当性のある法門の発掘と構築を喧々諤々議論しあって究明し、大石寺の人々にも世の中の人々にも訴えて法論をし、どこに日蓮大聖人の法(救、心、魂)があるのかを明確にして行くことこそが遠く長い道のりであっても一番の直道だと私は思います。

 私はその意味から拙い頭であっても、研鑽しているのであります。


二、「正信覚醒運動の総仕上げ」に対する反響の項目の中で、数々の賛成の反響があったと挙げていらっしゃいますが、私は今迄に、「芝川」の中で何度も、今日帰山と想う愚かさを具体的に指摘申し上げて来ました。そのことに対しては何人の反論もなく、この手紙にも触れず、すべてが賛成の反響しかない様な表現姿勢はまちがっていると思います。

 調度良い機会ですので、次の号の「芝川」に、尊師の今回の手紙と、私のこの手紙を並載して、一人でも多くの方々に、考えて頂こうと思いますので御承認頂きたいと存じます。

 仏法の為失礼の段は御赦し下さい。


                  妙々頼道


  1996年6月24日

 古 谷 得 純 尊師


           座下

 

 

 


 

参考資料

 

 

 なぜ帰山するべきなのか



   
法の水不断に流る雪の富士(日達上人お歌)

 

白蓮院住職 古 谷 得 純



 目  次

 1、帰山とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28


 2、「正信覚醒運動の総仕上げ」に対する反響 ・・・・・・・・・29


 3、正信会の歩んだ道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30


 4、宗門とともに日蓮正宗の再構築をI宗風刷新・・・・・・・・・31



1、帰山とは

  「帰山するべきである」「お山に帰るのは当然である」。一部の人を除いて、正信会のほとんどの僧俗の意見であり願望である。

 私たちははじめから、宗門から独立し分派をたてる気持は毛頭なかったし、現在もないことはいうまでもない。正信会の僧俗は不本意にも宗門の外での修行であったが、終始一貫して日蓮正宗の信心を基本とし、その僧俗であると確信して行動をしてきたのである。この点が、創価教学を正として、積極的に離脱した学会派僧侶との根本的な違いである。

 昭和52年よりはじまった正信覚醒運動の目的は、創価学会の謗法是正であった。しかし、日達上人の御遷化以来、創価学会の巧妙な手口で日蓮正宗は見事に分断された。

 それから10数年を経過したが、先年、正信会のこれからの進路を決定する出来事が起きた。

 第1に、宗門による池田大作氏の破門である。創価学会という組織は日蓮正宗から消滅した。

 第2に、裁判の終結である。裁判所の判断が出来ない問題で、日蓮正宗内部で自主解決するものである、との判決で裁判は結審となった。

 この状況を正信覚醒運動の原点に照らすと、覚醒運動は終局の段階に入り、総仕上げの時期に来たと判断してよい。

 正信会が今とるべき行動は、10数年の正信覚醒運動を仕上げて、帰山の実現のために宗門と誠心誠意話し合うことである。もし現状のままで進むのであれば、修行中の子弟や、大聖人から預っている御信者の将来の道を閉ざすことになる。正信覚醒運動の完結は、われわれ僧侶の責務である。帰山への道の厳しいことはいうまでもない。だからといって、惰性でこのまま安閑とした日々を送るわけにはいかない。正信会の僧俗の、強い意志と忍耐と寛容の精神での行動が必要である。



2、「正信覚醒運動の総仕上げ」に対する反響


 月刊誌「諸君」の平成7年3月号の「創価学会月報」の読者から、私(古谷)によせられた反響の一部を紹介したい。

  『宗門と正信会が喧嘩をしていることは創価学会の思うつぼであり、他宗派の物笑いとなっているだけです。
  正信覚醒運動は、日蓮正宗の中にいた創価学会の謗法の破柝を目的で始めたわけであります。従って今、創価学会が破門されてしまった現在、宗門と正信会の御僧侶様が争うことは無意味でございます。一日も早く復帰出来るよう御尽力を御願い申しあげます』              (男性・手紙)

  『平成3年、正信会を脱会して宗門のお寺に所属しました。「諸君」を読んで、このような御僧侶がいらつしゃることを知って嬉しかった。正信会の人材はすばらしい。正信会と宗門が一緒になったら鬼に金棒で、素晴らしい日蓮正宗になると思います。学会を離れたが、正信会にも宗門にも付かずフラフラしている人が沢山います』    (女性・電話)

 『宗門復帰への情熱をこめられた御文を読ませていただきました。(注・”正信覚醒運動の総仕上げ” 〈白蓮院1995年1月寺報〉と、〃正信会の今すること” 〈1993年の論文〉のこと)

 お互い(正信会と宗門)に、理性的に対処すればすんなりといくはずなのにと扼腕しています』(僧侶・手紙)

 『古谷師のおっしゃる通りです。私の教区では私と同じ考えのものもいます。私たちは表だって言いませんが、どうか宗門復帰のためがんばってください』(僧侶・電話)

この反響のほかにも、多数同様な声が私に届いた。私があえて、おこがましくも「諸君」の記事の反響を記した理由は、これら多くの人々の声はきわめて良識的で、正信覚醒運動の今後の目標と、正信会のあるべき姿を示唆していると思ったからである。

参考として内藤国夫氏の記事を記載すると、

 東京江戸川区の白蓮院住職・古谷得純師は、同院の寺報、新年1月号で、宗門との話し合の必要性を提言している。
  「裁判による決着は”双方却下”判決により不可能になった。創価学会という組織は破門され、宗門から消えてしまった。
 新しい状況下にあって、覚醒運動は、今まさに、総仕上げの時期を迎えております。では、正信会はこれから何をするべきなのでしょうか。それは宗門と話し合うことです」
 古谷師は、現宗門と争うことが目的ではなかったとして、こうも論ずる。

 「長年にわたる創価学会の宗門への干渉によって、宗門の教義や修行のあり方が乱れてしまいました。不本意な戦いを強いられた正信会と宗門は、今こそ、本来の日蓮正宗に立ち返るために、力を合わせて研鑽するべきです。正信会の宗門への復帰実現の日まで、僧俗共に苦楽を分ち合い、覚醒運動の総仕上げをしたいと思っております」
         (「諸君」1995年3月号、内藤国夫氏の「創価学会月報」より)



3、正信会の歩んだ道

  「宗開両祖の御意に適った僧俗の本来あるべき姿を取り戻し、法義をさらに研鑽し、興門流の正しい修行をしよう」、これが、正信覚醒運動であった。
 当然とはいいながら、厳しい道であった。

 創価学会の巧妙な手口により、日蓮正宗は分断され、われわれは登山禁止、擯斥そして裁判突入という最悪の事態に直面した。想像以上に過酷な体験だった。正信会の僧俗は、手探りで問題解決に立ち向った。私たちは必死で信心の歩むべき道を模索し、信心を深めてきたのである。

 爾来10数年、われわれを取りまく環境は変った。

 池田大作氏の破門、裁判の双方却下という終結である。

 宗門は池田大作氏を謗法と断じて破門した。正信会が擯斥以前から、宗務当局に提言していたことである。正信覚醒運動の最大目標である「宗門全体による学会破折」は、宗門の池田破門で一応達成した。

 しかし、創価学会の長年にわたる宗門への干渉によっで、本宗のあらゆる面が歪んでしまった。正信会と宗門の対立はその象徴といえる。創価学会の残した負の遺産はまことに大きい。宗門と正信会がお互いに相手を叩き非難することは簡単である。だがこれこそが創価学会の思うつぼである。

 同時に、正信覚醒運動の長期化によって生じてしまった正信会内部の亀裂に翻弄されるわけにはゆかない。この運動のスタートに立った時のあの新鮮で純粋な信心で、われわれ僧侶を信頼している御信者と子弟のために、困難の道を乗越えて覚醒運動のゴールにたどりつかねばならない。

 10数年、宗門と正規の連絡は途絶えたままである。したがって、様々な点で、生じてきている相違があると思う。これこそ、同じテーブルで時間をかけて研鑽すべき課題である。



4、宗門とともに日蓮正宗の再構築を −宗風刷新−


 正信会は、これから何をするのか。

 それは、何よりも先ず、帰山に向けて宗門と誠心誠意話し合うことである。正信会の僧俗は、攬斥後も、日蓮正宗の化法化儀を基本とし、日蓮正宗の僧俗であると確信して信心を続けてきたのである。帰山が私たちの最大の念願であることはいうまでもない。 もしこのままで時間が経週すれば、正信会は、帰山とは逆に分裂に進む可能性が強い。正信会は創価学会の謗法破折という一点で、一つにまとまった組織であり、それ以外の問題ではまとまりにくい体質を持っている。そのため、200派連合内閣ともいわれている。とくに教義の解釈においてはその傾向が強い。

 興門派は分裂に分裂の歴史であった。日蓮正宗はそれを繰返してはならない。もし正信会がお山を離れるならば、それは重力層を離れた宇宙船と同じである。

 正信会はまだ10数年の歴史しかないが、疲労感と惰性が漂っている。

 宗門の歴史に残るであろう正信覚醒運動を盛上げたあの情熱はどこに行ったのか。富士の本流をふみはずすことなく修行してきたと誇る正信会のなすべき仕事はなくなったのか。

 「正信会の御僧侶は1人1人がすばらしい人材です」と、一信徒は正信会を的確に評価をしている。正信会は「創価学会に汚染された富士の清流を取り戻そう」と立ち上がった1人々々の僧侶の道念で⊃くりあげた集団である。正信会には、正信覚醒運動のパワーと10数年の経験と実績が厳然と存在すると信じている。

 ではなぜ正信会に張りが無くなったのか。それは、正信覚醒運動の最大目標である創価学会が宗門から消滅し、同時にそれに付随していた裁判も終結したからである。目標があって運動がある。目標が達成すれば、その運動は終了する。正信会の歴史的役割がほぼ終了したのである。

 正信会が、現在のことだけにとらわれすぎていると、とかく短絡的な思考での行動となりがちである。正信覚醒運動は宗門700年の流れの中の一⊃の動きととらえ、次の世代、100年先を視野に入れるとき、正信会が今なすべきことが明らかとなる。

 宗門と正信会が同じテーブルに⊃くとき、共に真実の日蓮正宗の宗風刷新となるのである。

 宗風刷新は終りのない運動である。一定期間で完了するものではない。なんとなれば、宗風刷新の基幹である化法化儀は信仰の規範であり、一方、現実は⊃ねにゆれ動くものである。創価学会時代の宗門を思い出せば理解できよう。化法化儀は、いうまでもなく、信仰の基本である。しかし、化法化儀と現実には⊃ねに乖離が起きがちである。この乖離を埋める信仰運動が宗風刷新である。

 帰山を真剣に願うならば、われわれのすべての思考、行動を、帰山に集中するべきである。反省することは反省し、訂正することは訂正する努力と勇気を惜しんではならない。困難なことや、リスクばかりを話題にして、帰山の必然性に異論を唱えることは、空しいことである。面子にこだわってはならない。分裂のままでの広宣流布はあり得ない。

 正信会は、宗門と力を合わせて、宗門の再構築に真摯に取組むことが、緊急で且⊃重要な責務である。これが真実の宗風刷新である。            (終)


               (1995年9月1日)


 

 

 

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