廣田頼道が大石寺へ帰る時



              
廣 田 頼 道



 5年程前(2012年現在)からAさんと、正信覚醒運動の未来について個人的にフリーで何度か話し合う機会を得た。

 Aさんは 「正信覚醒運動の絶対的目標を大石寺へ帰る事にしなければいけない。本山の無い宗教団体は、信仰・教義の確認が出来ない組織団体になってしまう。」 というのである。

「じゃあAさん、今帰れば良いじゃないですか。」と言うと、「今は、そのタイミングではない。」と言う。
「じゃあ、どういう状況が揃ったら帰るタイミングとなるんですか。」と聞けば、「御仏智だよ。」と、含み笑いをしているだけで答えない。

 どうなったらという条件を、実現不可能な理想論にせよ具体的に提示する事が出来ないという事は、具体的に考えていないし、努力もしていないということであり、相手次第の他力本願の妄想でしかないという事であろうと思った。

 そう一言えば、20年も昔、T師の通夜で法類が集まっている席で、「俺が大石寺へ帰る時は能化だ。」「一人○億だ」と言っていた人の放言を聞いて、私は正信覚醒運動を労働運動の条件闘争の様に提えているのか、少なくとも私は、そうでない、と憤りと不信感を抱き、こんな低俗な人間を先輩としなければいけない事に暗澹たる気持ちがした。

 少なくとも、Aさんの 「本山へ帰る」 が、この類の物でないことを祈る。

 私とても、大石寺は12歳で出家して、野山を駆けた故郷として、母のような大地であり、帰巣本能に異論はない。しかし、その懐かしく血が騒ぐ想いと、30年前大石寺と袂を分かった正信覚醒運動の信仰・教義の問題を冷静に考える時、やはり日興上人が身延を離山するにあたって「いづくにても聖人の御義をたてまいらせん」という、場所は選ばぬ、謗法厳戒の信仰を守り育む事が出来ればとの、絶対条件を基に、南条時光の純粋な信仰心と呼応し合って大石寺が開山された事を考えると、あくまでも本山ありきでなく大石寺を開く起因になった教義ありきで、情愛・情執に流されて大石寺へ帰る事を想起することは、信仰者としてあってはならない事だと考えるのであります。

 そして私がAさんに即座に言った事は、「この正信覚醒運動の30年の歩みの中で、大石寺が日蓮大聖人の仏法から外れて謗法の山となっている点は挙げれば多々あり、切りがありませんが、廣田頼道が大石寺へ帰る条件は、


○戒壇本尊を貫主が所持しているから貫主が正しい。


○戒壇本尊が有る所 (大石寺) が、清浄であり正しい。


○戒壇本尊が無い所は謗法であり不浄である。


○戒壇本尊の有る所に血脈がある。


○戒壇本尊が消滅したら、日蓮大聖人の仏法も消滅するから、戒壇本尊は絶対に朽ち果てない。


○戒壇本尊に御目通りしなければ成仏出来ない。


との、物体が法だと考えている。戒壇絶対の忘想の誤りに気付き、戒壇本尊が顕された源の法魂、久遠元初本因妙の法に目覚める事と、一切衆生の仏性を認める日蓮大聖人様の教えを否定している、貫主本仏論の誤りに目覚め、訂正する。この事が出来れば、私は大石寺の人々と小異を捨てて大同に付き、一緒の信仰と考え、やっていくことが出来るけれども、それが実現出来なければ、日蓮大聖人様の法は大石寺が訴えている戒壇絶対と、貫主本仏論の中には無く、成仏も出来ない事を、日蓮大聖人様と同信の末弟として広く破折し折伏していかなければいけないと思っている。」 と、申し上げた。

 勿論、貫主本仏論は大石寺の中で時間を掛けて妖怪のように日蓮大聖人の法と偽りながら変容した妄想であり、今は大石寺の命綱の様になっている物であるから、これを自らの意志で改めることは 「大政奉還」 「明治維新」 「第二次世界大戦敗戦ポツダム宣言受諾」 「天皇人間宣言」 よりも困難な事が予想される。当然、多大な努力精進をしたとしても100年、200年の歳月が掛かり、何も努力精進しなければ、只安易に住み分けて行くというだけの状況で終わってしまう。妄想を法門と偽り、信仰の目的や希望にして生きることは信心ではない。

 日蓮正宗の信仰とは大石寺へ帰ることではなく、帰れば成仏出来るという問題ではない。帰った人は成仏出来て、帰る以前に亡くなった人は成仏出来ないという差別区別が生じる物等ではない。

 成仏を説き乍ら、成仏を大石寺帰山という形態に求め、成仏を信じないで、自分の名誉復権を願い、祈念碑でも建立して貰って、褒め称えて貰いたいのだろうか。

 ある大石寺に所属する御信者さんが、「私は今、色々なしがらみがあって大石寺へ所属しているけれども、今大石寺は折伏と登山のノルマで地獄の様相です。正信会の中に大石寺へ帰るという考え方を持った一部の方がいることを大石寺の坊さんが自慢げに話しているけれども、正信会の人達は大石寺へ帰るなんてケチなことを言ってないで、大石寺の連中が大石寺を離れて正信会に入りたいとやって来る位にやってて下さいよ。我々僧俗が本当の日蓮大聖人様の教えを伝えなくちゃあならねえってのが、そっちが言ってる、我等こそ富士の本流って事でしょっ。本山へ帰ったって成仏出束ないよっと教えてやんなきゃいけないのが、あんたらの使命ってもんでしょ。」と言われた。

 正しく、その通りなのである。何放坊さんが情執の迷いに流されて、思考不能のバカの壁にぶつかり硬直しているのだろうか。

 大石寺へ帰り、貫主が生き仏であるという出鱈目に協力して成仏出来るのか、それを廣宣読布するのか、それが一切衆生成仏となるのか。一切衆生に仏性が具わり、法華経の行者として生きる姿こそが成仏であることを廣宣流布することが日蓮正宗の信仰者の使命であり成仏の道ではないのか。阿部日顕の貫主詐称裁判を起こしたということは、大石寺にはびこる妖怪法門の貫主本仏金口嫡々を真っ向から否定した事なのであります。

 合わせて、大石寺の要法寺からの貫主招聘時代の謗法と化した時代や日柱上人、日開上人の新聞沙汰の混乱期を指摘し、消去出来ない厳格な事実資料に基づいて大石寺を破折している。自分達が破折しておいて、その破折されている大石寺へ戻ろうとして、そこに、どう成仏を求めるのだろうか。
 「英邁な貫主が出たら」 とAさんは顕正会の様に再々言う。「英邁な貫主」 とは、昭和天皇の至極当然な人間宣言と同じように、「大石寺の貫主本仏論は間違っていました。金口嫡々ではありませんでした。一切衆生が平等に仏性を持ち、平等に成仏出来る唯一の法を謗法厳戒で守り貫き廣宣流布することが日蓮大聖人の教えです。」 と訂正出来る人間こそが 「英邁な貢主」 と言えるのであります。

 Aさんと話してから5年程が経つのに、Aさんは未だに、どの様な状況になったら大石寺へ帰るのか、後出しじゃんけんを狙っている様に、話してくれない。Aさん。私は、一人で孤高と錯覚し、大石寺へ胸を張って帰って行った、古谷得純さんの方が、正直で、分かり易く、人間らしいと評価出来る。群れた力を結束させて、大石寺へ帰っても発言力を持とうと妄想を抱かない姿は、男らしい。何百人もの無任所教師を抱える大石寺へ100人200人とまとまって帰ってみても、戒壇絶対と、貫主本仏論に凝り固まる彼等からすれば、それは迷惑な瓦礫の山でしかないのであります。

 Aさん、本当に帰れるようになるために、妄想遊びは止めて、本気で大石寺開山以前の日蓮大聖人・日興上人・日目上人の本義を求めましょうよ。

 

 

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