正信会は何故宗教法人を設立しないのか

 



              
廣 田 頼 道



 今から5年前(1998年)、私は正信会の1ヶ月に一度開かれる委員会に中国教区の代表として、担当の順番に当っていた為に、たしか1997年と98年の2年間出席していた。正信会委員会は、議長を中心として合議制で運営されている為、出席して議題の提出順に次々と議論し、決定出来ること、教区に持ち帰つて教区て議論し次の月迄に意見を取りまとめで来るもの、という具合に議事を進めて行く内容であります。

 この役員を担当していた時期1998年頃に、正信会として大半の寺院明け渡しの裁判の先行きが出て来た将来を見すえて、包括宗教法人の設立を具体的な青写真を作つて全体に提示して、具体的な問題点が何か議論を煮詰めなければいけないのではないかという雰囲気が産れ、諮問機関としでの委員会が立ち上げられた。この委員会の委員は10人前後の人が選ばれ、賛成、反対に片寄らないで、委員長は正信覚醒運動がはじまる前から何年も住職をやっている人を中心に、法律に明るく弁護士にコンタクトの取り易い人、布教所を設立して宗教法人を取得している者、いない者、正信覚醒運動がはじまる少し前に住職になって裁判をかかえ、住職が亡くなれば大石寺に寺院を明け渡さなければならないという状態をめまぐるしく経験されて来た住職。委員の人もいれば委員でない人もいるという、明らかに認識も立場も地域も違う状態で、委員会の前日とか、委員長の寺院とか委員の寺院とかで、諮問案を文部省に出すとしたら、どういう内容になるかという所迄作る為に何度も会合をした。

 私は、平成3年6月18日に随分苦労して宗教法人三賓院の設立認証を得ているので、この話しが成立しても流れても、別に自分としてどうでもいいやという当初の気持であったが、何度も話し合っている内に、包括宗教法人を正信会は取得しなければおかしいのではないかと私個人は思うに至った。

 5年前の1998年頃は、今ほど正信会の中に具体的に埋め難い考え方の違う分裂を予想させる様な意見はなかった。本山復帰を心の内に考えている人はいたとしても、それをストレートに口に出す人間はいなかった。それでも心の内に漠然と抱いている考え方が疼くのか、宗教法人設立の提案は、根強い反対の逆風にまっすぐぶつかる様な感覚を持った。

その主な理由は


@ 宗教法人を取得すれば正信会は独立したことになる。


A 創価学会の宗教法人設立を批判して来た正信会が取得すれば、自己矛盾となる。


B 個々の布教所の法人設立はしかたないとしても、全体で取得するとなると、正信会の発言は全て公式見解となり、個々の意見が束縛され、中心になる者の考え方、多数決の意見が信仰上正しいかどうか、まちがった時どの様に対処するか、現時点でその解決策が見出せない。


C 帰山出来なくなる。いつでも帰山出来るようにしておかなければいけない。


D 法門的に取得することは間違っている。(どういう法門なのか聞き及んでいない)


E 信者が動揺し、正信会から離れてしまう。


F 正信会が分裂してしまう。


 だいたい以上の様な反対の理由てあった。一方、賛成の意見も当然あった。


イ 寺院(別院・布教所が土地を新たに購入して寺院を建立する)を建立するにあたって、包括宗教法人があれば税金上も大変楽になる。


ロ 20年間正信覚醒運動を実際にやって来て、やって来た運営の方法を、明文化された規則さえも無いということのほうが異常なのだから、取得すべきである。


ハ 独立というけれども、実際30年間独立してやって来たと同じではないか。大石寺を否定し破折し、大石寺の主張する法門は日蓮大聖人の本来の法門ではない。成仏出来ないと主張して来て、今になって独立になるからというのはおかしい。じゃあ今迄は何だったんだ。取得して、違いを明確にすべきだ。


ニ 法人を設立したら身動きがとれなくなってしまうというものではなく、解散も、包括に入るも出るも自由で、本当に大石寺が貫首(生き仏)絶対、戒壇本尊(楠木の物体)絶対から脱却する日がくれば、その時は解散して合流すれば良いではないか。


ホ 行政が宗教法人に求めるものは、財産の管理運営、役員の選出等のガラス張りの、法律に則った運営をしてくれというものであって、国の管理下におかれ、拘束、強制されるものではない。宗教活動を社会の中でしているのであるならば、宗教法人として登録することは当然の義務である。


へ 宗教法人法に対して偏屈な考え方を持っているのてはないか。改めて勉強してもらいたい。

この様な反対意見、賛成意見がたくさん出た。


 委員会全員の共通した意見では、賛成であっても、賛成イの税金上の問題で賛成だということが主要な理由となり、もっと大切な、全員に考え分ってもらいたい事柄が忘失されるならば、法人設立は意味なしという考えにまとまった。

 布教所と同じ様に、はじめから大寺院建立を目的にしないで、物件を取得し、実績を作って自ら法人を取得し、大寺院建立に着手すれば解決出来ることだから、その為の包括法人設立はおかしいということになった。
 私は、正信会に所属する人達に、少しでも理解を深めて貰いたいと思い、担当者として以下の文章を作成した。


Q、法人機構を急ぐよりも、法門と教義の確立を急ぐべきではないか。


 正信会は、「我らこそ富士の本流」とのスローガンを立て、プライドを持つ以上は大石寺に日蓮、日興、日目、三祖の教義と信仰のあり方を研鑽探求し、取り戻し、三祖が立てられた本来の清い流れにしていかなければいけない目的と責任があります。

 少なくとも、歴代の貫首が、日蓮、日興、日目、三祖より重きをなすワンマンな生き仏となり、法門の裁決者になるなどという、いつからかの時代に捏造された現在の狂える血脈観を破折破棄していかなければいけないのであります。

 創価学会の確立した、人数、権力、金力に裏付けされた、とりあえず御受戒や御本尊を受けさせれば良い、という折伏観、広宣流布観を破折破棄し、常不軽菩薩の「我れ深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず、所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」の経文に象徴される、縁する森羅万象の一切衆生に妙法を伝え、何物にも絶待の平等の仏性のあることを伝えて行く、本来の折伏観、広宣流布観を示し実行して行かなくてはならないのであります。

 熱原法難の中で、熱原法華講衆と日興上人、日蓮大聖人の一箇に溶け合った中に建立された、法魂の象徴として示し現された、一切衆生の十界互具、仏性を示された本尊であるにも関わらず、この本尊を現せば、日蓮大聖人はもぬけの殼になってしまうというような、戒壇の本尊を管理所持している者が絶待の正義であり、拝物する事が成佛の証明であると説いている、物体絶待の、現在の大石寺の本尊観を破折破棄し、法魂としての本尊。一切衆生に示現された心として遥拝する本来の本尊観に立ち戻る勇気を持たなければいけないことを正信会は色々な場面を通して訴えてきました。

 正信会の人々も、過去の誤りに染まっていた自分を素直に認め、加害者であった反省と過去の認識を治していく勇気を持たなければいけません。

 上に揚げた三点は、あくまでも根本的な問題としてかいつまんであげましたが、この他にもたくさんの研鑽の上、検証していかなければいけない問題を日蓮正宗は抱えているのであります。

 この法門と教義の確立が成されたら、包括法人機構を考えるべきだと主張される方がいますが、法門と教義の確立は信仰者の永遠のテーマであります。創価学会や大石寺のように命令一下全員が同じ考えを持っているように、自分の心を殺しロボットのように振る舞って生きていくのが信仰ではなく、誰もが凡夫として十界互具の生命、自分の考えと片寄りを、御し難く持っているでしょう。しかし最終的には依法不依人の、妙法を依り所として、一切衆生成佛に叶う、個人や組織の都合でない、一切衆生平等の仏法はどうあるべきなのかを、日蓮大聖人の遺文と法華経を中心として研鑽検証して探り出し、そこからはずれない信仰者の集いを築いていかなければいけないと思います。一番肝心な心が教義とすれば、宗教法人の機構を整理することは器の役割であります。我々はこの教義を根本としてこのような機構で、このように運営していますと、矛盾せず示し実行している事を事実として示していくことも信仰者として大切な事だと思います。どちらが先ではなく、どちらも大切に、平行して行っていかなくてはいけないことではないでしようか。



Q、創価学会の法人設立を責めた正信会が、包括法人を設立することに矛盾はないのか。


 1900年(明治33年)4月26日、明治政府は、内務省社寺局を神社局、宗教局の二つに分け、神社と寺院の信仰を別のものとして管理する姿勢を示したのであります。

 この法律を受けて、同年9月18日大石寺は、日蓮宗の属宗の様な立場から、分離独立を認可され、「日蓮宗富士派」と名乗りを上げたのであります。

 明治、大正とこの法律のもとに、大石寺独自の宗教活動をしてきたのですが、富国強兵の侵略戦争を強行する体制作りの為、政府は1939年(昭和14年)4月8日宗教団体法を公布し、類似宗教は合同する様、行政指導を強め、各宗の教義にも介入してくるのであります。この時代に、時の貫首をはじめとして、多くの僧俗が尽力して、身延日蓮宗と信仰の根本において、合同することが出来ない旨、訴えて合同の回避がなされたのであります。もちろん宗内には小笠原慈聞師のような異論を唱える者、又それに組みする者もいたわけでありますが、主流にはなりえず、取り合われなかったのであります。

 1945年(昭和20年)12月28日。先の同年8月15日の敗戦を期に、政府は今までの天皇現人神思想を支える為に、宗教全般に介入してきた姿勢を抜本的に改め、今までの宗教団体法を廃正し、GHQの指導のもと、本格整備の繋ぎとして、宗教法人令を公布し、信仰の自由の確保をとりあえず示したのてあります。

 6年後の、1951年(昭和36年)4月3日宗教法人令を廃止し、現在の宗教法人法が制定されたのであります。この様に、国の方針によって宗教行政はクルクルと変化して今日まで来たわけでありますが、大きな違いは、国が支配下に置いてコントロールしようとしてきた、江戸時代の檀家制度の国家版から、戦後、まったく手放しで信仰の自由の名の下に宗教団体の自己管理尊重の方針へと転換していき、今日のオウム真理教に代表されるような、宗教法人を取得さえしていれば、どんな社会犯罪を犯していても、どの政府機関も宗教団体であるからということで手を出さないで管轄外を主張し、「羹に懲りてなますを吹く」が如く多大な被害者を産むような結果になってしまったのであります。

 扨、この宗教法人法制定にあたって、創価学会は信仰の本末関係の上で組織の立場、在り方を考えるのでなく、利益ありと考え、大石寺よりも早く、同一宗教に宗教法人が二団体という、信徒団体が持つ必要がない法人格を利にさとく、取得するのであります。

 1952年(昭和27年)8月27日、宗教法人創価学会が設立され、独自路線を打ち出して行くのであります。

 大石寺は、同年1952年(昭和37年)12月27日、4ヶ月遅れで宗教法人日蓮正宗を設立したのであります。

 この時に、創価学会が法人を取得するのを日蓮正宗が邪魔し認めなかったと誤解している人が世間には多いのですが、現実はそうでは無く、日蓮正宗が法人を設立する際、二つの法人に所属することが出来ないという項目を掲げる事に対して、創価学会幹部による、宗会議員吊し上げ事件が連続して起きたのであります。

 この混乱を、大石寺と創価学会(信徒団体)の関係の上で正常化する為、宗務院は、


@ 折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。


A 当山の教義を守ること。


B 三宝(佛・法・僧)を守ること。


 この3点を付帯事項として、拘束力、罰則規定、監視規定も何もない、紳士協定の形で、取り交わしたのであります。もとよりこの3項目の内容は規制というようなものではなく、信仰上常識的なものとして、宗務院は当然と考えて示したわけであり、この3項目が、後年正信覚醒運動によって過去の歴史資料が洗い出されて、はじめて多くの僧俗の耳目に触れ、創価学会にとっては、まったく守る気持ちなど無い、虚講の約束条項だった事が明らかになったのであります。

 確かに正信会は、正信覚醒運動展開のなかで、創価学会の宗教法人設立こそが間違いの出発であったことを、第5回法華講全国大会(武道館)で、創価学会の宗教法人即時解散を訴えました。

 しかし、この事と、正信会が近い将来包括宗教法人を設立していこうということとは、決して矛盾することではないのであります。

 先に長々と述べてきたように、創価学会の宗教法人取得にいたる経緯と、自らの組織の独自性と利益しか考えていない思想と運営、3項目をことごとく無視した活動の歴史と、正信会が息長く大石寺の貫首本仏論に象徴される謗法を是正するために組織の体制を公明正大にし、いつ、講が、どこからみても、我々は仏法を根本にこの様な規則でこの様に行っています。と示せる状態にしていく事とは、同質でないことは講の目にも明らかな事であります。

 その為に包括法人規則案第C5条に

 正信会は、宗祖建立の正法の下に、古来からの富士門流が統一されることを念願するものであり、将来において富士大石寺等が富士門流本来の正法に復した暁には、正信会は合一を目指すものとする。

と、運動の帰結を示しているのであります。



Q、本尊の定義をどのようにするのか。何を本尊とするのか。


 日蓮正宗宗制第一章総則第三条には


 「この法人は宗祖日蓮立教開宗の本義たる弘安2年の戒壇の本尊を信仰の主体とし、法華経及び、宗祖遺文を所依の教典として、宗祖より付法所伝の教義をひろめ、儀式行事を行い、広宣流布のため信者を教化育成し、寺院及び教会を包括し、その他この宗派の目的を達成するための業務及び事行を行うことを目的とする。」


 このように示されている。

 今日の大石寺の戒壇本尊唯物絶待観の考え方は、日蓮、日興、日目、三祖の法門とは言えない。全ていつからかの時代に捏造された戒壇絶待、貫首絶待へ改悪された御都合思想なのであります。

 宗教は衆生の色心を対象とし、その救いを目的とした慈悲の表れとして本尊が現されてくるのであります。その本尊を通じて、衆生の心こそが本所であり、本尊に示された心として理解されなければいけないのであります。物自体が心という本尊観は、「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」の信心ではありません。日蓮が魂を本尊の本所と考えていないからてあります。

 戒壇の本尊は、日蓮大聖人が熱原の法難に際して熱原の法華講衆が、僧職にもない、あてがわれた社会、身分、土地から離れて生きることの出来ない名もない民衆が、ただひたすら、妙法の為に死をもかえりみず、妙法に貫き生きたことを通し、そこに一切衆生成佛の証を確信確認され、日蓮、日興、法華講衆相まって、戒壇の本尊が建立されたのであります。

 本尊という物体だけでは本尊ではないのであります。本尊を拝する信仰修行の存在と一体になった時、そこに本当の本尊の当体が表れるのであります。

 しかるに現在、大石寺に戒壇本尊があろうとも、大石寺に戒壇本尊の現される機縁となった信仰があるでしょうか。ありません。

 大石寺に日蓮大聖人の御心に重なる貫首の法華経の行者としての生き様があるでしょうか。ありません。

 大石寺に熱原法華講衆の信仰の姿勢があるでしょうか。ありません。

 あるのは貫首絶対の、貫首が認めてくれれば謗法でなく成佛出来るという珍妙な論法が横行しているだけなのであります。

 故に戒壇本尊に現された法魂は大石寺になく、宗教、信仰を自分のために食い物にする、権威権力の巣窟となってしまっているのであります。

 讐えば、他宗の寺院にある日蓮大聖人御真筆の本尊を我々が拝した時、我々は思わず合掌します。しかし、他宗の寺院で他宗の僧俗と共に信心修行の場とすることは出来ません。御真筆の本尊といえども、本尊として用いることは出来ません。

 つまり本尊は物体だけでは本尊ではない。そこに正しい信行学が備わってこそ本尊であり、法魂を本尊の正体、本所とするのであります。日興上人が

「富士一跡門徒存知の事」(全1606P)に


 「日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝なくも書写し奉り之を授与する者なり」

 

 の御文は、本尊下附の厳しい条件をいっているのではなく、本尊とはその様な志の所にこそ建立され、又存在するのであるということを示されているのであります。

 古来、戒壇本尊は御宝蔵に納められ、時々の内拝という形で拝していたのであります。この形は、他宗の各地にある秘仏扱いというのではなく、法魂を本尊と拝する必然的な方法であったのであります。

 法華経の行者の一身の当体の十界互具の仏性を指し示したものが本尊であり、本尊の中だけに、本尊に示した法が、その寸法、その材質に厳封密封固定されたものではないのであります。世の中に本尊が何十万体あろうとも本尊に現された法は森羅万象の全体であり、森羅万象の要となる一つしかない法なのであります。

 あなた方の生命はこうなっているんだよと、仏の手によって示現されたものが本尊なのであります。しかし、その現した生命は一つの生命を現しているように見えて、実は森羅万象一切衆生全ての生命の実相を現しているのが本尊なのであります。

 御宝蔵に納めて見えなくして遥拝すればそれで正しいというのではなく、本尊は直拝しても、その内証法魂を遥拝する信心の志がなければ、本当に本尊を拝することにはならないのであります。

 日蓮大聖人の求めたる所を私達衆生も求めることが本当の信心であります。そこには元来、物体絶対の本尊観が入る隙間があってはならないのであります。

 正信会は、大石寺にある戒壇本尊に憧れ遥拝するとか、復帰を願うとか、帰山を願うとかでなく、戒壇本尊は何を機縁として現され、何を森羅万象一切衆生に伝えんとして現された法魂を正しく拝し、理解し、大石寺や妙法に縁する人々並びに一切衆生に訴えていかなければいけないのであります。


 5年前頓挫してしまった時の文章である為、日の目を見ることもなかったけれども、今改めて宗教法人設立にむけて委員会を発足させたということを聞くに及んで、再度、偏屈、偏狭なまま、同じ議論が繰り返されるとしたら、あの時関係した人間として、ウンザリする同質の時間を又経験しなければいけないのかと思った為に、これを引き摺り出して来たわけであります。
 私は単純に、包括宗教法人設立を賛成しているのではありません。

 たしかに行政は、財産の管理運営、役員選出等のことを主に求め、それが一番の目的であり関心事であります。

 しかし、ここはやはり宗教法人ですから、総則として「名称」、「事務所の所在地」「目的」というものがあります。

 私は、宗教法人「三賓院」の規則を考える時、大石寺の規則を何度も何度もsosiru みました。大石寺を否定しながら、同じ規則ならば、私は大石寺を出る必要がなかったということになります。規則は同じで良いんだけれども出たというならば、「阿部日顕師が嫌いだったから」「いたかったけれども、出て行けと言われたから仕方なく出て来た」「労働条件が悪いので、待遇改善の労働運動として組織の外に出て訴えている」「阿部日顕師が死んで良い人が貫主になったら帰れる」等々の理屈になってしまいます。

 私は、右の様な考えではないんです。正信会の中にも日達上人までは正常に血脈は流れて来ていた等という人がいますが、要法寺から100年間は及ぶ貫主を招いた時代。日精上人にいたっては、釈迦像を本尊として拝むなどという謗法を犯し、又近くは日柱上人を多数決で引き摺りおろし、選挙で貫主を選び、力づくで貫主になったという日開上人。正信会は日蓮正宗の歴史にあった事実を全部皆んなに開示して伝えたのであります。その上で日達上人迄は清流であったはないでしよう。本当の血脈とは何かを示さなければいけないはずであり、責任があります。

 私は大石寺の規則、前にあげた私の文章の71頁の所に載せてあります。

 大石寺の規則の中に、


 「弘安二年の戒壇の本尊を信仰の主体とし」


 とあります。

 私は宗教法人「三賓院」の規則を考える上で、弘安二年の戒壇の本尊とは、大石寺は楠の木の物体としての本尊自体が信仰の対照であり、その本尊が何を心とし教えとしているかということには頓着せず、物が全ての信仰観に立って、この規則が悩むこともなく作られたのだなと思いました。

 私はこの所を


 「弘安二年の戒壇の大御本尊に明かされた法魂を信仰の主体とし」


 と治しました。

 日蓮が魂。一切衆生の魂を顕わした物が本尊でありますから、その法魂を拝する為に本尊があるということを忘れて、楠の木の物体を祭り上げ、その法魂を考えようとしない大石寺に見切りをつけて、私は独立したのであります。

 他人が見れば大差のない、くだらない違いのように思われるかも知れませんが、私には天地雲泥の違いであります。

 この様に、正信会が法人を設立しようとすれば、信仰の主体は何かということは避けて通れないことなのであります。行政側は、イワシの頭でもマッチ棒の先でも何でも良いのですが、我々の側から言えば、一字一句として蔑ろそかに出来ないのであります。

 さあここで、正信会の一人一人が、どういう規則のもとに一致するのか、分裂するのか、今迄25年間有耶無耶にして来たことをじっくり真剣に整理し考えて、自分は何をして来たのか、どういう考えでやって来たのか、これから将来どういう考えでやっていくのか、大石寺と同じで良いというのであれば、この時点で大石寺へ帰れば良いわけであります。

 私が正信会は宗教法人を設立すべきだというのは、今ここで自分で自分の首に刃をつきつけて、今迄群れて、何も具体的に考えないでやって来た人も、しっかり考える節目にしたらどうだろうという意味て賛成なのであります。

 正信覚醒運動がおきて35年やって来ました。今迄のやり方、今迄の考え方で、次の25年が続いて行かれて行くでしょうか。50年、100年先、このままの状態でやって行きさえすれば、令法久住が叶うでしょうか。続けて行かなければいけないこと、続けてはいけないことが当然あると思います。

 宗教法人設立は、そのことの大きな問題の提起であり、分岐点になると思います。

 


 


 

 

 

正信会は何故宗教法人を設立しないのかA



              
廣 田 頼 道


 一組の夫婦の間で、夫が人間として赦すことが出来ない法律に抵触し、刑務所て服役しなければならない様な、社会、夫婦、親子、家庭、全てを裏切る様な犯罪を行なったとする。

 妻はその事が我慢出来ずに 「私はあなたと生活を共にし、犯罪の協力者となりたくない。だからとりあえず別居とし、この家を出て行きます。私と同じ意見の子供は一緒に来なさい。と言って、更生の可能性の芽もあるかもしれないという期待の気持を残しつつ、5人の子供の中で2人の子供は妻と一緒に家を出て、何の保証も、夫からの生活費、養育費も受けない状態で、働き乍、決して夫のやった事を認めまいという気持で25年間やって来た。

 一緒に家を出た子供も大人になり、愛する人が出来、結婚して家庭を築くまでになった。家を出てから、以前のいきさつを知る由もない友達や地域の人間関係も出来た。

 ここで問題が起きた。別居して25年経ったが、正式な離婚届を出していなかった為に、完全に自立した生活状態になっているにもかかわらず、法律的には自立した状態にはなっていないことに直面した。

 妻の心に二つの心がある。25年経った現在、夫の犯罪と裏切りで家を出て来たのだから、夫が今からても更生し、謝ってくれれば元の鞘にもどりたい。今からでも愛していると言ってもらいたい。家を出た時と同じ姓を名乗っているのだから、いつでも帰れる気持でいるのだから。

 一方夫は、社会は俺を犯罪者と判断しているかもしれないが、俺はたいした事ではないと思っている。俺が主人であり、俺の言うことを聞くのが妻としてあたり前の事で、そのあたり前がおかしいと言って出て行ったのだから、25年たって何を媚を売って来るんだ、馬鹿じゃないか。俺について来た子供も、妻を親とも思わないと憎んている。

 妻のもう一つの心は、25年間正式に離婚届を出さないで別居して来たということは、未練があった。25年間見て来て更生の可能性がないこともはっきり分った。この際、夫から生活費、養育費を貰って来たわけでないし、むこうと一度の話し合いも相談に乗ってもらった事もないわけだから、はっきり離婚届を出して、自分達の生活を法律的にも独立、自立したものにしよう。私達夫婦の問題と無関係に新しい人間関係も築かれているのだし、未来にむけて被害者意識の人生てなく、自分達で自分達の責任、使命をまっとう出来る生き方の基盤を築いていかなくては。

 すると外野から、正式に離婚したら独立という事なってしまい、帰る目がなくなってしまうじやないかという喧々諤々の反対意見が涌き起つてくる。

 

 賢明な方はもう分つていると思うが、右の例が、現在正信会で宗教法人を設立するか否かの議論されている内容なのであります。

 宗教法人を取得したら、一宗一派を立てたことになってしまう。何を寝言を言つているのだろう。25年間組織的にも信仰的にも一宗一派でやって来たではないか。大石寺を否定し裁判迄し、大石寺の行政に関わらずやって来て、立派に一宗一派としてやって来たのに、今さら一宗一派を旗揚げしたと批判されるといけないとは、裏ではいいが表に出るのは困るとは、これ如何に。

 どれだけ復縁したいと思ってみても、大石寺が思っいないのだから、未練がましく、成熟した物事の考え方とは思えない。

 「我等こそ富士の本流」とのスローガンを立ててやって来て、「やっぱり向こうが富士の本流」という本音では、折伏弘通にも力が入らなかったのが良く分ります。

 宗教法人を取得することは、自分達が自己責任を持つということですから、功罪半することが現実に起る事であります。

 将来10年の間に、正信会の高齢の方で亡くなる方が急増するでしよう。現在は若い僧侶が住職になる事が出来なくて、僧侶以外の仕事について生活せざるを得ない状況ですが、10年前後の間に住職になる人が不足して困る状態になることは、火を見るよりも明らかであります。

 その時に正信会の全ての寺院が、自分達が努力し来た寺院の不動産財産を全て正信会に委ねて、正信会で寺院の統廃合や、住職の派遣、任免を差配していかなければいけないのであります。もちろん行政を牛耳るうとする人間や派閥が生れれば混乱する可能性も孕んて来ます。つまり大石寺の宗務院がやっていた事を正信会が自分達でやっていかなければいけない。25年間それを放置して来たのであります。

 宗教法人を取得すべきでないという意見の人達は、未来の事はまったく考えず、今迄やって来れたんだからこれからもやっていけると想像しているだけであります。現実は、今迄やってこれたけど、これからはやっていけないのであります。

大石寺が帰って来てもらいたくないと思っているのに、どうして帰るのですか? 

住職が死んだ後、新しく布教所を作る力もない地域はどうするのですか? 

後継者のいない寺はどうするのてすか? 

若い僧侶が不足する時代を迎えた時、ここは信者さんがいっぱいいるからと言っても、住職として赴任する人がいない時、どうするのですか? 

 自分が生きている内は現状のままやって貰いたいというのは、全体と将来の事を何も考えていないということであります。

 大石寺から赴任命令を受けて現在の寺の住職になった。裁判で住職の地位確認を争った。でもその御寺は自分や身内の所有の財産ではなく、世襲にするようなものでもありません。よしんば大石寺からの赴任命令の埓外の布教所で、私財を投じて作ったものでも、維持管理の大半は参詣御信者の真心の御供養で成り立っているものであり、私有を主張するものなど何一つないのであります。

 正論は、全て日蓮大聖人様の財産、信仰の為の財産であります。講のものでもありません。参詣の御信者さんは、住職や親族の私有財産でなく、自分達の子や孫の信仰の為、法燈相続され、信仰の道場よ永遠たれと思って御供養しているのであります。

 親族が自分達が苦労して作って来たものだと、私の財産を主張して居座り、信仰の道場として機能しなくなったならば、御信者さんは信仰心を傷つけられ、邪宗の世襲寺院と同じ腐臭を感じ、多くの退転者を産み出すことになると思うのであります。

 宗教法人を取得しない事て一体何が守られ、改善され、好転し、どういう選択肢が生れるというのてしょうか? 座して死滅するだけてあります。

 宗教法人も凡夫が集まる組織ですから欠点、不備もあります。しかし宗教法人という機講が悪いのでなく、それを運営する人間の思惑が悪いのであります。つまり、常に努力し清浄に保とうとする姿勢がなければ、どんな組織も腐って行くのてあります。私は宗教法人を取得すれば万全等とは考えません。取得しても危いことには何も変りがないからであり
ます。それよりも私の大きな不安は、宗教法人設立申請に当って正信会は、

規則第一章の(目的)第3条の項目を、


 「この法人は、宗祖日蓮大聖人所顕十界互具の大曼荼羅を本尊とし、法華経及び宗祖遺文を所依の教典とし……」

 

 という文言にした。「十界互具の本尊」であれば、身延日蓮宗、霊友会、立正佼成会、各日蓮系諸宗は、全て基本的には十界互具の本尊と釈尊並用であると思う。これほど大雑把に、宗教法人が取得出来さえすれば良いと、不協和音が出やすい点を削ぎ落した内容で良いのだろうかと疑問に思う。そして、この十界互具の本尊とは、いつ日蓮大聖人が所顕した本尊を指すのだろうか?

 国の行政は、信仰の対照には口出しをしない。故に、本尊が「鰯の頭」でも宗教法人は取得することが出来る。そして後に本尊を変更しましたと言って文言を変ることも出来る。しかし、正信会の側から考えた時、後になって本尊に関係する文言を変える事は、信仰者としての姿勢を疑問視される事にもなるし、本尊がぶれる事ほど恥知らずな事はない。後年、役員の選出の仕方や、人数が変更される事とは、まったく意味の違うことなのであります。

 私は三賓院の宗教法人設立に当って、日蓮正宗宗制宗規(大石寺)を改めてじっくり見た。そこには、 「この法人は、宗祖日蓮立教開宗の本義たる弘安二年の戒壇の本尊を信仰の主体とし……」となっている。

 さて、宗教法人三賓院の規則をどうしようかと考えた時、私は大石寺と同じものであったならば、大石寺を否定し、出て来た意味がないと気付いた。彼等は貫主本仏であり、戒壇の本尊が安置されている所が正しいとの主張である。つまり物体こそ本尊と主張する。私達は20数年間、登山出来ない事に痛痒も感じないで、登山させないと息巻く彼等を笑ってやって来た。それは、戒壇の本尊の中味、心こそ本尊であり大切なんだ。権威の象徴に本尊を利用するほど愚かな事はないんだと訴えて来た。じゃあ、その違いを宗教法人三賓院の規則にこそ盛り込まなくてはいけないと感じ、


 「この法人は、日蓮大聖人立教開宗の本義たる弘安二年の戒壇の大御本尊に明かされた法魂を信仰の主体とし……」


 と提出した。

 法華経の行者としての法華身読の上の発達顕本(人法一箇)熱原法難(師弟一箇)の法魂を宗旨として戒壇の本尊は建立されている。彼等は物体が本尊であると主張し、我々は本尊を拝するということは本尊に現わされた心を拝するということてなければならないと訴えて来た。「弘安二年の戒壇の大御本尊」という文言を入れるか入れないかよりも、熱原法華講衆と日興上人、日蓮大聖人の師弟一箇の法魂こそが、一切衆生成仏の宗旨であることを明記しなければいけないと思う。

 正信会は、文部科学省の宗教法人担当官からの説明で、「戒壇本尊」「弘安二年の本尊」を明記すると、大石寺から訴えられる危険性があり、そうなれば対処出来ないので「十界互具」の基本的文言にしたと説明するが、物なのか心なのか、宗教的心情は、それこそ裁判になじまないのであるから、訴えられても裁判所は門前払いするだけであります。

 「十界互具の本尊」というならば、「熱原法難後顕わされた十界互具の本尊」という師弟一箇の宗旨に基づいた趣旨を明記すべきだと思います。
 「戒壇の本尊」は明記する必要はありません。「戒壇の本尊」だけが本尊ではないのでありますから。
 関係する人々は、改めて良く考えてもらいたい。

 

 

 

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