本尊とは何か



             
廣 田 頼 道


1、はじめに

 

 私達が信心修行をしていく時、本尊とは大切な存在であります。

 ならば、本尊とは信心上どういうものなのかという質問に対して、答えられる人がいるでしょうか。私は、ほとんどの人が膨大な概念を整理することが出来ず断片的にしか答えられないと思います。私自身も道理を立てて教示して頂いたことがないのであります。

 26世日寛上人が「観心本尊抄文段」(宗4ノ226頁)に

「文底深秘大法本地難思境智冥合久遠元初自受用報身本有無作事一念三千南無妙法蓮華経為根本尊敬。之故名本尊也」。

 と示され、根本と為してこれを尊敬す、だから「本尊」というんだ、というのであります。それでは、この前段の意味は、何を含んでいるのか。老若男女、誰でも分に相応して分るのかというと日蓮正宗の本尊はこれに決っているんだから、信じていればいいんだ――。一言で云えばこうだという結論重視の考えで今日迄やって来たのであります。

 私はこれではいけないと思います。信心する者達だけの自己満足でなく、何故、根本なのか、何故尊敬しなくてはいけないのか、何故本尊なのか、この本尊に何がこめられ、何を表わし、何を伝えようとしているのか、日蓮人聖人は御書の中で、どういうものだと説示されているのか、これらのことを伝えてこそ、一切の人々に妙法の縁を確かに結ぶことが出来るのだと思います。

 たとえば、これと同じように、法華経に対する考え方があります。

 法華経は一切の御経の中で最勝の経、最第一の経と表わされている。だから最勝、最第一の経だと理解している人がいます。しかしこれは、こう考えろという強制であり納得にはなりません。大切なのは、何故最勝なのか、何故最第一なのかということなのであります。信心とは金科玉条の様なものを強制されて有難がり、授けて頂いたと隷属するものではなく、納得した喜びを持って、何故こうなのかを、縁する人々に伝えられるものでなければ、ならないはずであります。
 本尊にしても、「根本と為てこれを尊敬す、故に本尊と名くるなり」では、自身の納得ではないのであります。何故根本なのか? 何故尊敬するのか? 何故本尊なのか? 本尊は私達の生命とはこうなんだという根本命題を説明し、伝えてくれているはずですから、私達自身のことが表示されてあるはずであります。ならば押し頂くのではなく、自分で自分の生命のことを確認し喜び、他人にも、おまえもこうなんだから、大切に信じた方が良いよ、と伝えることが出来れば、これに過ぎることはないと思います。

 今迄の時代、私達が教えられで来たことは、有難いから、有難がれ、どうこういうと眼がつぶれるというように、あげ奉って物知らず、上から押し着せられて、皆んなもそうしているから、そうだろう、他人に対しても、有難がれ有難がれでやって来ました。

 それは、日蓮大聖人の仏法の本懐ではないと思います。拙い荒凡夫の理解力や心でも、本尊に向い、「私はこんなに尊かったんだ」と納得し、喜び、信じ、縁する人々にこの喜びを伝えることこそが、本当の本尊に表示された姿だと思うのであります。

 これらのことから、本尊を自分自身のこととして考えなければいはないと思い、この文章を書きはじめた次第であります。



 
2、何を表現しようとして本尊があるのか


 「本尊問答抄」(全集365頁)に

「法華経の題目を以て本尊とすべし」

 とあります。

  (A)  本尊とは法華経の題目ということであります。又、


 「法師品」(開結391頁)の中には、


「経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし、復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す」

 とあって


  (B) 釈尊等の人格的存在を表現した仏像や、舎利を本尊とするのではなく、


  (C) 釈尊、一切の諸仏並に森羅万象を存在させている、法を本尊とし、


  (D)  法華経にあらわれる宝塔と重ねて理解しなければいけないことを右の経文は表わしているのであります。

 

 涅槃経の第四如来性品「本尊問答抄」(全集365頁)には、

 

「復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に、如来恭敬供養す、法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり」

 と示し、


 (E)  ここには法と諸仏が一箇してはじめて、その法の意味、内容が明らかになることを示されているのであります。

 このことは、「本尊抄送状」(全集255頁)に、もう一歩踏み込んで


「仏滅後2220余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を歴るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」

 と示し、


 (F) 師弟共に相寄ってこそ、霊山浄土に詣で三世十方の法華経を信じ修行し、成仏を遂げた一切の仏と相いまみえることが出来ることを示されているのであります。加えてここでは、


 (G)  この「本尊抄送状」の時点では、この「本尊抄」に示された内容の心というものは、まだ明らかとなって居らず完結していないことを断言されているのであります。


 このことは、日蓮大聖人の生涯において、自らの発迹顕本は、竜の口の法難において成されているが、師弟共に霊山浄土に詣でると云う、真の師弟不二といえる本懐の状況には、今だ至ってなされていないということと、その状況が成されれば、刹那に成仏の境智を得ることが出来ることを予告示唆しているのであります。

 日蓮大聖人は「周書異記」を根拠にして、釈尊の生涯を、周の昭王2年(BC1029)4月8日生〜周穆王52年(BC949)2月15日没と、解釈し、計算しています。これを基準に計算すると、「観心本尊抄」を書かれた文永10年4月25日は、仏滅後2222年目ということになります。

 御本尊が、仏滅後2220余年と変化するのは、文永12年からであり、身延への入山と、この入山にまつわる日蓮人聖人の仏法流布観の変化が、20余年から30余年への変遷と考えられるのであります。しかし、この身延入山2年目の文永12年は、仏滅後2224年目でしかなく、30年代には6年も足りないのであります。

 佐渡から幕府へ上り、三度目の国諌をした時、幕府の自らの権力、権利、権勢の安泰を心配はしても、心底、国を思い、衆生を思う気持はなく、国主としての徳なきことを知った日蓮大聖人は、今迄の幕府が、法華経の信仰を受持し、邪教を捨てるならば、一国の衆生は右へ倣えで広宣流布されると考えて来たものを、一人一人の衆生が、強制でも押し着せでもなく、納得と喜びを持って心の底から真実の妙法を信じてこそ成仏することが出来るのである。一切衆生の成仏こそが、広宣流布であるのだから、師弟双方に心の底からの妙法受持がなければ意味がない。そしてこのことは、妙法が真実であるならば必ずその師弟一箇の現証があらわれるということを予知し、文永12年の、仏滅後2230余年に6年遠いにもかかわらず、将来に確心を持って、2230余年の表現に変えたと思えるのであります。

 ちなみに、熱原法難のピークは弘安2年(1279)ですから、仏滅後2228年目ということになり、これも、2230余年とは計算上言えないのであります。

 では、「本尊抄送状」の 「未だ、此の書の心有らず」とは、この書の 「師弟共に」の表現と、「本尊抄」以後の日蓮大聖人の事跡を考える時、これは明らかに、熱原法華講衆並に日蓮日興の師弟一箇の法華経本来の師弟観、成仏観、本尊観が、これによって明らかにされ、「此の書の心」となるのであります。

 これらの「身延入山」「2230余年」に加えて、文永12年6月期より、(富士年表上19頁)


 ○ 「日興の教化により駿河熱原滝泉寺寺家下野房日秀・越後房日弁・少輔房日禅・三河房頼円及び在家若干帰伏して弟子となる(熱原譜)


 ○ 6月滝泉寺人衆の改宗により院主等謗徒の迫害起こる(熱原譜))


 等の不穏な事件が起り、これらのことからも「此の書の心」が表われる予兆を日蓮大聖人は感じていたと思えるのであります。

 私は、竜の口法難における発迹顕本は、日蓮大聖人のみの境涯であり、熱原法難こそが、師弟一箇の真の発迹であり、真の顕本であり、日蓮大聖人の出世の本懐、宗旨であると思うでのあります。建長5年4月28日は宗旨の建立されたと云う日ではなく、南無妙法蓮華経の教えが建てられたと云う日であって、その時点には、法華経身読も、弟子の存在も本尊建立も、発迹顕本も、師弟一箇も皆無である為に、断じてこの日を「宗旨建立会」等といっていってはいけないのであります。そしてあまりにも当宗は、このたてわけを信心の上で大切にしてこなかったと思えるのであります。

 (全集366頁)「本尊問答抄」には


「本尊とは勝れたるを用うべし」

 と示されています。仏教に云う「勝」とは、勝れた法門、何が勝れているかといえば、「法華最勝」と云われる様に、法として最も勝れている法。一切衆生成仏の法ということであります。相手に勝利するという勝負の勝ではないのであります。勝劣の劣っている法とは一切衆生成仏の証しが無く、女性は成仏出来ないとか、悪人は成仏出来ないとか、条件、制約が規定づけられる教えを云うのであります。その意味から、


 (H) 勝れたる法でなければ本尊と成り得ぬ。ということなのであります。次に。


 (I) として、日蓮大聖人は、本尊は、自分の創作ではないとして、

 

 「本尊問答抄」(全集366頁)


「末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、その故は、法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり」

 と示し、一切を生み出す能生こそが本尊であることを教示されている。

又、「新尼御前御返事」(全集906頁)には


「日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために此の御本尊をわたし奉るならば十羅刹定めて偏頗の法師とをぼしめされなん」

 として、日蓮の創作や私有物ではない為に、仏法に照し不公平や私情を加える下附をしたならば、法華守護の諸天、十羅刹に、そのことを見とがめられると云われているのであります。

又、加えて、本尊とは法であり「本尊問答抄」(全集373頁)


「此の本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間一間浮提の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台、日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめ給はず。」

 と示し、本来具っている法と、本尊を同義に示し、教機時国教伝流布の前後の条件を満してこそ表われるものであり、満さなければ、幽閉、死蔵となって、一切衆生に伝わらないことを示しているのであります。

 


 (J) 一切を生み出す、能生の立場でなければ、本尊と拝することは出来ないとし、世間に流布する、真言の信心を破折して「本尊問答抄」(全集366頁)


「仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神(たましい)なり、然れば則ち、木像画像の開眼供養は法華経にかぎるべし而るに今木画の二像をもうけて大日仏眼の印と真言を以て開眼供養をなすは最も逆なり」

 と示され、法華経から仏が生れ、仏は肉体であり、法華経は神(たましい)である。と、「法前仏後」を示し、かつ、法華経によってのみ、これらは一箇することが出来ることを表わしているのであります。


 (K) 本尊とすべき法も、南無妙法蓮華経の題目、開眼供養の法も南無妙法蓮華経でなければならない。日蓮大聖人の示された仏法は、


 南無妙法蓮華経の法。


 南無妙法蓮華経の本尊。


 南無妙法蓮華経の題目。


 南無妙法蓮華経の佛(成仏)。


 と、ズレることなく一貫して南無妙法蓮華経であり、余経の混じる意味を持たない仏法なのであります。故に、大日如来の本地も、阿弥陀如来の本地も、三世十方の一切諸仏の本地も、総て南無妙法蓮華経であるわけでありますから、大日如来を本尊として作り、大日経を以って開眼供養をしている世間の有様は本地南無妙法蓮華経を忘れ、南無妙法蓮華経に逆らうことになるわけであります。


 さて、本尊の姿に関して

 「観心本尊抄」(全集239 頁)には、

 

「木画二像に於ては外典、内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり」

 と示します。この前の所には十如は有情。一念三干は有情非情にわたると示され、


 (L) 南無妙法蓮華経の本尊とは、有情非情に渡る三千大千世界の生命全ての成仏の為に存在するものであるという意義付けがされるのであります。つまりこの世の中は人間だけで生きているのではないのですから、人間以外の生命の存在があって、人間も自然の一部分として生かしてもらっている分けであります。「万物の霊長」等という形容は、人間の増上慢から出た言葉で、とんでもない間違いなのであります。ですから人間以外の成仏まで説かなければ、人間の成仏はありえないのであります。この意味から、 尊を木や紙に示すのであります。


 (M) 有情、非情にわたることのない本尊の表現であるならば、無意味(無益)であると示されているのであります。


 そして、この南無妙法蓮華経の題目であり本尊は、


 「観心本尊抄」(全集246頁)


「一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり」

有情、非情、森羅万象の生命全てにわたる、


 (N) 一念三千の仏種としての 南無妙法蓮華経の題目でなければ、人間の成仏も、木や紙に表現した本尊も、姿はあっても中味のないものであると示されているのであります。


 一念三千の仏種は、元来、木や紙に表現することなど出来ないものを強いて(無理に) 一つの手段として、木や紙に表わしているのであります。しかし一方で、この木や紙に表わすこと事体が、有情非情の成仏(一念三干)を表現し我々に伝達していることである。ー−というのであります。

 こうして見て来ると、他宗の本尊が、どれほど木や画を媒体にして、釈迦や阿弥陀如来、大日如来、薬師、観音、弥勒を本尊として造っても、その当体は十如(人間)だけを対照としたものであって、本尊の材質がどれほど非情の物体であっても、それらの本尊は有情非情にわたっていないということなのであります。ただ、木や紙を使用していれば良いというのではなく、本尊の主題、中心自体が有情非情にわたる平等大慧の「法」でなければいけないのであります。

 本尊の年代、姿形にこだわり、本物か偽物かということばかりを問題にする人々がいますが、もちろんそれも大切なことでありますが、本尊は姿形には表わし難い仏の心である法を強いて表わしているわけでありますから、本尊を拝することは、その心、法を拝する志がなければ意味がないのであります。その本尊に目通りすれば自分の願い事が最大にかなうという価値感、感覚では本尊の心を拝することは出来ないし、人に正しく伝えることも出来ないのであります。本尊の真偽を問うならば同時に、自分達の信仰の真偽も問うべきなのであります。


 南無妙法蓮華経の法を


 南無妙法蓮華経の本尊と表わし

 南無妙法蓮華経の志(魂、信心)を持って


 南無妙法蓮華経の題目を唱え


 南無妙法蓮華経の佛となる


 一途無心に、自己中心の御利益信心でなく、「法」を中心にした、仏を信じ、「法」にかなった信心をしなければ有名無実なのであります。


 又、この本尊の存在を明鏡に譬えて 「観心本尊抄」(全集240頁)に


「明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も、法華経並びに天台大師所述の摩詞止観等明鏡を見ざれば自分の十界百界十如一念三千を知らざるなり。」


 本尊とは、我等の心を写す、明るい鏡である。明鏡をのぞいて、はじめて、我々は自分の顔がどういうものか知るのであります。

 鏡に写っている自分の姿は、本当の自分ではありません。しかし、それを偽物として軽んずる人はいません。つまり、それを通して自分の体調や、心までものぞき見、美しく、御化粧をすることも出来るのであります。

 明鏡には仏となる自分の心性が写って、あなたも、仏も、有情非情の生命は、平等に、誰もが本来こうなっているんですよ。この、本当の自分の正体を信じて生きて行きなさいよIということなのであります。


 ○ 衆生に自分の正体を知らせる為に本尊の存在があるのであります。


 このことは、

 ○ 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う 「観心本尊抄」(全集246頁)

 ○ 妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや 「観心本尊抄」(全集246頁)

 ○ 釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す 「観心本尊抄」(全集247頁)

 ○ 我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり 「観心本尊抄」(全集247頁)

 ○ 上行無辺行浄行安立行は我等が己心の菩薩なり 「観心本尊抄」(全集247頁)

 右の御金言も、我々の己心の正体はこうなっているんだ、元来、仏と衆生は同じなんだということを伝えているのであります。


 (D) に指摘しましたが、この本尊は、姿の上では、何を原形にしているのかといえば、


「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」 

 「観心本尊抄」(全集247頁)との法華経の場面であります。

 この御金言の表現のスケールで分るように、わずか数十センチ、数メートル四方の御本尊様に、霊閣月卿(森羅万象)の体積を押し込めることは出来ないのであります。

 しかし、数センチの明鏡に何十K平方、何万K平方の体積を持った天地自然を写し出す様に、寸法によって法の軽重が定まるのではなく、そこに一念三千(有情・非情)に渡る南無妙法蓮華経の心が示され、その心を信拝する志があるか否かが一番大切なのであります。


 (I) の所でも示したように、


「是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二十年の間は小乗の釈尊は迦葉、阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃、法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。」 「観心本尊抄」(全集248頁)


  (P)  末法という時代を迎へることなく、表われることのない本尊。


 このことの大きな理由として、


「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」 「観心本尊抄」(全集248頁)



「宝塔品の御時は多宝如来、釈迦如来、十方の諸仏、一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところに只今ましますらんとかんがえ候へば、日女御前の御胸の間八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候(中略)日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦、多宝、十方の諸仏は御らんあり」 「日女御前御書」 (全集1249頁)


 このように詳説し、


 (Q) 末法に上行菩薩が現われ、本未有善の荒凡夫に対し、真実の南無妙法蓮華経を授ける、それが本尊であると示すのであります。


 上行菩薩再誕日蓮と自認する日蓮大聖人が、末法に未曾有の本尊を示し表すということは、誠に法華経に説かれる内容と道理に叶っているのであります。

 正法、像法と、一切のカリスマ性が意味の無いものとなり、欲望の趣くままの荒凡夫に対し、真実なる法しか、救いを与えない。法華経の中に示された宝塔は、実は末法の荒凡夫の心に元々あるものであって、その正体は南無妙法蓮華経であるというのであります。

 前にも重ねて述べましたように、本尊は、法華経の中に現われた宝塔をその原形としているわけでありますから、八品の中に表われ、機能した後、かくれるのであります。つまり、法を表わす時の流れと共に変化するのであります。

 宝塔自体が永遠不変のものではなく、その宝塔が機能して、一切の衆生(地涌の菩薩)に公然と示された「法」こそが、宝塔の本来の目的であり宝塔の心ということであります。まさしく全身の舎利でなく、法身の舎利でなければいけないということであります。

 そして「日女御前御返事」(全集1249頁)に示されるように、その宝塔の本来あるが住所は、法華経の行者の個々の胸中だというのであります。

 木や紙の本尊も、成住壊空の四劫の自然の中で酸化、風化していく道理からはずれることは出来ないのであります。戒壇の大御本尊だけは、この道理の外にある永遠常住の存在であると主張する者は、涅槃した仏が、「常住此説法」と説く意味の中に示される外相と内証の立て分けも出来ず混同し、自ら仏法の道理から外れる愚者としか言えないのであります。

 有限なる姿形材質を通して、一切衆生がそこに込められた心を拝し、一切衆生が、そのことを通し、己心の本尊(仏界)を拝することこそが、法華経の教えなのであります。

 法華経の中に説かれる、地より涌き出で、働き終えて地中に還った宝塔は、本尊の原形であり、かつ有限なることまで教えているのであります。

 まさしく、宝塔(本尊)の末法に於ける機能とは、

 


 ○ 「今末法の初小を以て大を打ち権を以て実を破し東西共に之を失し天地顛倒せり迹化の四依は隠れて現前せず諸天其の国を棄て之を守護せず、此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」 「観心本尊抄」(全集253頁)

 ○ 「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ此の本尊有さず」 「観心本尊抄」(全集254頁)

 ○ 「一念三千を識らざる者には仏、大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」 「観心本尊抄」(全集254頁)

 


 妙法蓮華経に縁することによって、逆縁の末法の荒凡夫全てが、平等に名字即の位の立場をもって、この本尊を拝することこそ大切であると教えられているのであります。

 



3、17項目から見る本尊の概要



A、本尊とは法華経の題目。


B、人格を表現する仏像や舎利を本尊としない。


C、一切の諸仏、森羅万象を存在させている法を本尊とする。


D、法華経にあらわれる宝塔を本尊の原形とする。


E、法と諸仏が一箇となった所に本尊の意味内容が表われる。


F、師弟相い寄って一切の仏とまみえる本尊。


G、文永10年4月26日現在には、本尊抄の心(本尊)は表われていない。


H、勝れた法(一切衆生成仏の法)でなければ本尊ではない。


i、本尊とは日蓮大聖人の創作物ではない。


J、一切を生み出す能生の立場こそが本尊。


K、本尊も南無妙法蓮華経、題目も南無妙法蓮華経、開眼の法も南無妙法蓮華経。


L、南無妙法蓮華経の本尊は有情非情にわたる一念三千。


M、有情非情にわたらなければ本尊ではない。


N、一念三千の仏種としての南無妙法蓮華経でなければ、本尊の姿はあっても中味がない。


O、明鏡として衆生に衆生自身の正体を知らせる為に本尊がある。


P、末法の時代を迎へなければ本尊の出現はない。


Q、末法に上行が現われ、荒凡夫の衆生に南無妙法蓮華経を授ける、それが、本尊である。


以上、真筆御書を中心に、本尊の概要を17項目に分類し、箇条書きにしてみた。


 この十七項目を、


 仏(仏界)の側に立つもの。


 衆生(九界)の側に立つもの。


 相方に重なるもの。


の三つに分割して、本尊が我々衆生に何を示し伝えようとしているのかを図式にして考えてみたい。

 このことから、まず、法華経の「宝塔」の中で何が説かれたかと言えば、多宝如来が釈尊の説法(過去世も含めて)に一言一句嘘は無いという証明がなされ。上行(四菩薩等)地涌の菩薩の湧現と、妙法の付嘱ということが行なわれたということであって、特別な説法があったということではないのであります。証明と付嘱の儀式が行なわれた。そして、その内容を貫く法が、妙法蓮華経であるということであります。法華経の標題としての妙法蓮華経ではなく、法華経の心として実体、妙法蓮華経がここにおいて初めて明らかにされるのであります。

 これが一切諸仏の内証であり、一念三千、有情非情、森羅万象、一切衆生成仏の法、妙法蓮華経であるが故に、日蓮大聖人が、個人の創作として示した法ではなく、元来存在する、無始無終三世永劫の法の具現化の手段として宝塔が表われ、その中味、心は、妙法蓮華経であるというのであります。

 故に、森羅万象の明鏡となるのであります。

 加えて説明すると、仏の立場からすれば妙法蓮華経。衆生の立場からすれば南無(帰命)妙法蓮華経となり、南無妙法蓮華経の首題はそれだけで師弟一箇、凡聖一如を表わしているのであります。本尊の主題の全てが南無妙法蓮華経であるということは、仏が衆生の立場に立つて、こうして信心すれば良いんだと示しているのであります。凡夫が成仏しようがしまいが、分ろうが分るまいが、説いてやるかという隔絶された権威主義的立場から本尊が表わされたとしたら、本尊の主題は南無の無い、妙法蓮華経だけだったはずであります。このことからも、本尊は権威の象徴ではなく、なんとしても一切衆生に成仏して貰いたいという仏が主人公ではない、衆生を主人公にした慈悲の姿が表現されているのであります。

 霊山に表われた宝塔に対して、天台大師は、南無妙法蓮華経の信仰を感得して「随天台智者大師別伝」伝教著「天台法華宗伝法偈」に「霊山一会厳然未散」として、我が身が、法華経説法の、その時に霊山にあったと、その喜びを時空を越えた己心の世界に立って表現しているのであります。

 寿量品にも、「倶出霊鷲山」「常在霊鷲山」と説き、佛と倶に霊鷲山に生れ出て。常に霊鷲山に存在しうる仏と衆生の場を「常住此説法」と示しているのであります。

 宝塔の中味の心、妙法蓮華経。一切衆生成仏の真実唯一の法は、時空を越え、三世常住にして、何等変容変質することなく、信によって感得することの出来る法であることを教えているのであります。このことは、私達が人法一箇、師弟一箇と、信心の上で表現することを共通するものであります。

 この、妙法蓮華経を心とする法華経は、釈尊自身が説いたわけですが、釈尊自体、法華経の身読はされていないのであります。釈尊の生涯には九横の大難がありますが、法華経故の大難の経験はされていないのであります。

 インドにおいても、中国においても、法華経のみ一途の、法華経身読の法華経の行者は歴史上いないのであります。

 日本において、聖徳太師の時、法華経が中国から日本に渡り、日蓮大聖人の時代迄に650年の隔りがあるものの、多くの人々は法華経を知り、学ぶことすらなかったのであります。平安時代は末法に突入する時代であることから、この時代に法華経を読むことは智識人と評価される為の常識であったわけでありますが、平清盛による平家納経(宮島厳島神社)に見る様に、法華経と阿弥陀経を同時に納めるという、二つの経文の内容の矛盾に気付くこともない、一族繁栄の我利我欲の為に手当り次第といった形で法華経が流布しただけなのであります。


 法華経のみを一途に、「不受余経一偈」と信じ、行ずる、真の法華経の行者は650年間の中で一人としていなかったのであります。日蓮大聖人だけが、後にも先にも、唯一人、法華経の行者として、人法一箇の法華身読の生き方をされたのであります。

  南無妙法蓮華経 日蓮在御判

は、そのことを示し、かつ、どの時代にあっても、その日蓮大聖人が「倶出霊鷲山」「常在霊鷲山」「常住此説法」を、生きた手本として示している。 ―――― との意味を在御判と表しているのであります。

 御本尊に示される、「2230余年」も日蓮大聖人が時節の切り換としてとらえた、その時点にストップしたまま、時代がどれほど進んでも、この年数のカウントを進めないで日蓮大聖人が定めたこの時節に真実の仏法ありと拝し、そこに信を求めなければいけないのであります。在御判ならば、時代時代の貫主が日蓮大聖人の生れ変りになり得るはずがないのであります。

 「未曾有」という表現も、ただ木、紙に、南無妙法蓮華経 日蓮在御判と表わしたことが独創的で未曾有だと言うのではなく、師弟の法華経身読の上に、初めて感得することの出来た人法一箇、師弟一箇の南無妙法蓮華経が「未曾有」の本尊ということなのであります。


 人よりも眼新しい、独創的なことをしたという軽薄なものでなく、一切衆生成仏の手本が初めてここに表われたという「未曾有」なのであります。

 



4、結 び



 私達が信じ拝する本尊とは何かということを17項目に分けて、かつそれを手懸りにして、ここまで書いて来ました。


 書いて来た事柄を通して、今日、大石寺阿部日顕(本名阿部信雄)師が主張するような、又、近年、大石寺の中で創作されて来た戒壇本尊絶対論という。

 ○ 戒壇本尊が一切諸法の要、中心である。

 ○ 他の本尊は戒壇本尊の写しである。

 ○ 戒壇本尊を源として血脈が流れる。

 ○ 戒壇本尊に御目通りしなければ血脈は流れず成仏出来ない。

 ○ 戒壇本尊は成住壊空の道理の外にあって、他の物質が風化しても戒壇本尊は風化しない。

 ○ 戒壇本尊は貫主の所持である。

 ○ 故に貫主絶対である。

 ○ 戒壇本尊存在の場所が霊山である。

 ○ 貫主が本尊書写の権能を有する。

等々。


 戒壇本尊といえば、法と人が一箇する、師と弟子が一箇する所に建立されているはずのものが、物体としての戒壇本尊の側だけの権威で、道理を無視して、何んでも通るという慢心に満ちた考え方が、今日の大石寺の中に根づいてしまっているのであります。

 はたして、右の屁理屈を金科玉条のように思い込み、この考えを一切衆生に強要し、それを成仏と説くことが広宣流布と言うのだろうか。

 17項目を摘出した関連の御書を拝すると、戒壇絶対論や、本尊が権威権力の象徴として扱われることは、どこにも無い。

 今、大石寺が行なっている姿勢は、本尊という物体を笠に着て、本尊よりも自分達の方が偉そうにする愚劣な権力者の発想であり、日蓮大聖人の心の対極にある外道の考え方なのであります。

 戒壇本尊とは、日興上人の折伏薫陶を受けた初信の農民が熱原法難に遭遇したことによって、日蓮大聖人の竜の口法難、首の座と同じ境涯に心を定め、妙法蓮華経を貫かれた、その信徒の姿を拝して、日蓮大聖人が一切衆生成仏(広宣流布)を確かと感じて表わした本尊なのであります。


※ 日蓮大聖人の現存する本尊の中では、一番初期の文永8年10月9日聖寿50才の時の本尊には、南無妙法蓮華経 日蓮花押と不動、愛染の梵字のみであります。次の段階に入って、南無釈迦牟尼仏、南無多宝如来のみが加わって来ます。不動、愛染は最初から欠くことの出来ぬ内容として一貫して書き示されているのであります。

 不動は衆生の己心に備っている妙法蓮華経の働きとしての生死即涅槃を表わすと言われ。

 愛染は、衆生の己心に備っている妙法蓮華経の働きとしての煩悩即菩提を表わすといわれ、どちらも真言宗の本尊に立てられる存在であります。

  「不動愛染感見記」(新定一巻五十頁)によれば、愛染を太陽の中に見、不動を月の中に見ています。このことから、日蓮大聖人は、本尊染筆のはじまりから一切衆生の成仏を主題としてとらえ、後に宝塔の姿、四菩薩の姿が共通するものとして加筆されて行ったと言えるのであります。ですから、単なる宝塔を本尊として表現したというものではなく、日蓮大聖人は、一人一人の成仏の明鏡を示すことを元来の目的としたということが考えられるのであります。

 試行錯誤と思えるほど、定着していなかった本尊の相が、弘安2年の熱原法難を境とし戒壇の本尊と称せられる弘安2年の本尊に完全に定着し、以後動かないのであります。ですから、その意味を含めて、その本尊の尊さと意義に異議を挟む者は誰もいないのでありましょう。しかし、本尊は基本的に、日蓮大聖人自身が述べている様に、日蓮大聖人の創作物ではないのでありますから、前にあげた、17項目と、それを踏まえて示した図の一切を矛盾なく完璧に含んで示された御本尊が戒壇の本尊並に当家の本尊なのであります。

 故に、戒壇本尊が源であり、戒壇本尊から血脈が流れる。一切の本尊は戒壇本尊の写しである。という考え方は間違いなのであります。

 一念三千の法を衆生に伝える為に本尊と示したのであり、本尊に一念三千の法を封じ込める為に本尊があるのではないのであります。

 元来眼に見ることも、つかむことも出来ない法を、すぐ忘れてしまう、迷ってしまう、どうしようもない怠け心一杯の末法の荒凡夫の為に、強いて、有情非情にわたる木紙に表わし、凡夫が、忘れても忘れても、あなた方の生命は、仏といっしょで、こうだぞこうだぞと示し、伝達し、導いてくれる道しるべとして本尊が表わされたのであります。

 たとえば、80歳の高齢の御婦人が化粧をする時。長年やって来たんだから、眼をつむってでも御化粧出来るという人はいないでありましょう。自分の顔を仮りの鏡に写し、自分の顔の状態を把んで、はじめて化粧を施すことが出来るのであります。

 自分を写す鏡を偽物を写す不埓な物体と怒る人がいるでしょうか?いないと思います。そればかりか昔の人々は心までも写す様だと思いを込め、神社の御神体にしたり、鏡は女の生命とまで崇める迄に大切にして来たのであります。

 本質、本体はあく迄も衆生であり、自分であります。しかし鏡としての法に写してはじめて自分がどういうものかが分るのであります。本尊に示された法の本来の在所は、凡夫の心であります。しかし、妙法の本尊を信じて我が心を写さなければ、自分の心を知ることが出来ないのであります。知っても凡夫はすぐ又忘れてしまうのであります。故に仏は本尊を表わしたのであります。

 明鏡は地図と言いかえることも出来ます。

 江戸後期の地理学者伊能忠敬は17年間にわたって、全生涯をかけて「大日本沿海輿地全図」「輿地実測録」の編纂につとめ、生命がけで日本の海岸線をくまなく測量して歩くわけであります。完成を見ないまま亡くなりますが、弟子達は亡くなった事をかくし、文政4年7月、二書を完成させ幕府に忠敬の業績として提出し、後に忠敬が亡くなったことを発表したのであります。日本が開国され、この地図を見た先端測量技術を持っていた諸外国の人々は、その技術の高さに驚いたというのであります。

 地図は仮り物であります。しかし、そこに住んでいながら地図がなければ方向や地形を把握することが出来ません。身を粉にして、全生涯と生命をかけて海岸線を実測して、縮めた仮り物が地図であります。

 自分達が生活して乗っている大地の姿を凡夫は分らないのであります。故に地図が必要なのです。

 我々の生命を示し、成仏の道を示した地図が、本尊といえるのであります。

 一切衆生の己心の仏界を、一切衆生に示し伝える為に、本尊の存在があるのであります。

 そして、このことは、同時に、仏の当体と衆生の当体は、同じであるということを示し伝えているのであります。

 

 

 

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