第33章 日本の新たな挑戦――国の借金を忘れる

 

 

ところで日本は、ほかの問題と同じように、公債の締めつけからも解放されるのだろうか? フランスの場合、国の借金が重くのしかかり、政策幅を根底から制限し、未来を閉ざしているように見える。結果として、国民の士気や、公的サービスつまり国民生活、指導層の行動力つまり正当性、そして最終的に、国の独立性にまでダメージを与えている。

日本の借金は、割合からいってフランスの2.5倍も多い。しかしそれだからこそ、日本はおそらく、この大きな問題に対する解決法を世界に与えてくれるのではないだろうか。

 

表向きほど重くはない重荷

 日本は債務残高では世界記録保持者で、統計学者でさえ訳がわからなくなるほどだ。GDPの230%なのか、245%、それとも250%なのか? もっとも辛口の専門家は、2024年には「日本の公的債務は個人貯蓄額の総額に達し、実質的な富はゼロになるだろう」とまで予告している(『フランスシャボンエコー』156より。2018年秋)。しかし、じっは2つの要因がこの重荷を軽くしているのである。

借金は見かけほどは重くないのだ。国や多少なりとも公的な企業が保有する財産を差し引くと、正味の債務はGDPの130%から140%のあいだにおさまるだろう。さらに、債務の60%近くは現在、日銀を介して国が保有しており、この事実からして架空の借金と見ることができる。自分に利息を払って、自分自身で返済していることになるのだ。つまり最終的に、日本の正味の借金はGDPの80%を超えることがないのに対し、フランスは100%に近いのである。

フランスと違って、日本は日本だけで重荷を管理している。関係諸国の金融機関が日本に赤字の制限を強制するようなことはいっさいなく、国際的な金融制度からの借金もなく、外国が保有している日本の国債はわずか6%。日銀が保有していない国債の大半は、ゆうちよ銀行や銀行、保険会社、日本の年金基金が保持している。これらの機関は政府を拒む理由がない――とくに利息が雀の涙程度の国債の購入や保有を収支決算に組み入れることについて(本書を執筆中の時点で、国債の利息は10年物で0.8%、30年物で1%のあいだ)――。満期が来ても価値はほとんど下がらないからだ。事実として現在、日本の国債を扱う市場はなく、債権は事実上他国との取引対象にはなっていない。結果として日本は、世界の金融市場を恐れる必要がなく、監視機関から規則を守らないと叩かれることもないのである。

 

借金は普通の貨幣と同じ?

日本は、もう1つの借金大国である米国と同じ特権を享受している。米国の借金は自国の貨幣を借用している。つまり、必要なだけの支払い手段を国自身が備えていることになる。言い換えると、米国は「借金を国債の形で貨幣にし」、ごく普通の支払い手段にしているのである。この手段は容易なぶん、乱用の誘惑に負けやすく、その場合原則として、貨幣価値の低下と急激なインフレを誘発する可能性がある。しかし現在の情勢を見る限り、両国とも、とくに日本にとって有利に働いている。

まず貨幣価値の低下〔円安〕は、輸出を促進させ、それ以上に、日本企業や国が外国で保有する資産の価値を一挙に9兆ドルまで高めている。次にインフレは、ここ20年以上の不景気の要因であるデフレを抑える効果があるはずだ。さらにいいのは、すでに発行済み国債の価値を下げ、長期的に見て見せかけの価値をほとんど失うということだ。こうして古い借金は事実上、年々消えていき、自然と新しい借金と入れ替わって、それもまた「バランスを取るためのごく正常な手段となり、次の世代がになう負債のツケはだんだんと減っていき、完全に忘れられていくのである」。

 

政治的に耐えうる借金

この手品もどきの政策を成功させるために、国は負債が管理不能なまでに膨らむのを防がなければならない。つまり、借金は耐えうる範囲にしなければならないのだ。この借金に持続して抵抗できるかどうかは、国の能力にかかっておりー長期的に借金の解消を目的とする戦略が何もないうえで――、年が経つにつれ新たな税を徴収し、同時に需要と支出を減らしていけるかどうかで決まってくる。そしてこれを調整するための税政策の幅を、日本は充分に持っているのである。というのも、現在の税の徴収はGDPの36%でしかなく、フランスより10ポイントも低いからだ。2019年、消費税が10%になっただけで、大企業の利益に対する税率はこれを超えていないのだ。

税を重くすると当然、経済的、政治的リスクを伴うことになる。しかし高齢化社会で医療費その他の予算の削減は禁句、この支出は国家予算で借金返済に次いで2番目に多いものだ。ところが、いまの日本では反対勢力の動員には構造的に限界があり、圧倒的多数の自民党に代わる信頼できる政党がない。しかも肝心の野党の足並みが乱れており、政権を失う心配をせずに税金を増額し、予算を削減することができるのだ。おまけにこの先数年は、この力を保持できるはずである。

いっぽう、2013年から「アベノミクス」の名で実施されている量的・質的金融緩和政策で、現在まで国は毎年、必要に応じて国債を発行し、何の問題もなく借金の利息と返済にあてている。仮に、本書を執筆している時点で、アペノミクスが成長をぐらつかせているように見えても、世界1の借金は公共政策にも日本人の士気にもさほど重くのしかかっていない。対して、GDP比で日本の4分の1の借金で苦しむフランスは、炭素税を1リットルあたり数サンチーム増税しただけで、国と社会の激しい対立を引き起こしている。

 

・・・あげくの果ては借金の取り消し?

「理にかなう」経済と金融にとって、もっとも挑戦的なシナリオとして予想されるのは、いずれ公債のほぼすべてを日銀が保有して、国が強権的に借金を取り消すというものだ――これは江戸時代に定期的に実施されていたことでもあり、フランス王国でも行なわれていた。それを実施するにあたっての障壁は紙一枚。日銀が収支決算で、正式に赤字を明記する事態になるだけだ。見事な取引だ。日本

国民も日本の企業も銀行も、誰一人損をしない。なぜなら、彼らが所有する国債はほとんどないからだ――同様に外国も――

フランスや米国をはじめ、先進国の多くもまた架空の借金を背負っている――公式見解が細心の注意を払って信じさせないようにしているものの――、つまり永遠に返済できない負債だ。したがって、もし日本が最初にこの一歩を踏みだせば、ほかの国々も、それもかなりの国が追随する可能性がきわめて高くなる。ただしその場合、公債を前もって中央銀行にしまい込んでおくのが条件だ。作戦は容易ではないが、しかし日本は――公表しないよう警戒しつつ――それが実行できることを示そうとしているところである。その意味で、日本は先頭に立って道を教える国になり、再びかつてのような世界のモデル国になる可能性があるのである。

そうなったら、金融市場のお目付機関が「借金はすべて返済すべきである[強権的にでも]」といくら嘆いても、嫌われ者として最善を尽くすしかなくなるだろう。いずれにしろ、最後は得をするはずだ。元来、国債は利回りが悪く効率が低いのだが、しかし現在、参照債権(リスクのない債権)として金融システムの調整役となっており、銀行は義務として多くを所有している。それらが消滅すれば、全体の利回りが向上し、したがって金融業界の収益も改善されるのである。

この世界金融の規則の大変動は、確実に世界経済を混乱させ、不安定化させるだろう。そこからうまく抜け出した国は、一見、強い競争力に支えられ、自国の貨幣を支配できるだろう。日本はそのなかの1国だ。しかしフランスは何もできないだろう。というのもフランスの中央銀行は、欧州中央銀行の望みどおり、国債の20%しか保有していないからだ。とくに、フランスは欧州連合加盟国の最低限の同意を得ないと何もできず、それはきわめて難しいと考えられるからだ。しかしもし仮にできたとしたら、世界金融の規則の大革命を承認したことになる。

そして欧州連合がブリュッセルで議論を闘わせているあいだ、日本は、国家予算の半分近くを借金の返済に当てていた重荷から解放され、この膨大な資金を国の成長に、再考した――そう期待する――やり方で再び投資するのだろう。

 

 

 

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