第20章 宗教制度――結合とコラージュ

 

 

 フランスでは13世紀。南仏モンセギュールで異端派カタリ派の最後の信者が何100人と火刑に処せられた事件から、16世紀、カトリックがプロテスタントを大量虐殺したサン・バルテルミーの虐殺まで、宗教が血なまぐさい対立を引き起こし、現在もなお緊張の原因となっている。そんな事態が避けられない要因はいくつかある。ある集団において。信じる神が命じた生活様式や道徳倫理が、それらを共有しない者たちと平和に暮らす要求より上回っているとき。またある集団が、特別な権利を要求するか(ハラルによる屠畜)、あるいはほかの権利を拒否するとき(ひと昔前の中絶、さらには避妊)などだ。一神教には、神がいかなる競合も許さず、信者に命じる戒律には、それと異なる規律をすべて制すべきだという使命がある。そのぶん、過激な集団が自然に出現する土壌でもあるのである。

 

生活を中心にすえた奇想天外なコラージュ

 

 その点、日本は歴史が1神教を遠ざけたところがある。イスラム教とは接触したことがなく、キリスト教は根づき始めたときに、容赦なく排除してきたのだ。日本は、3つの要因を並列に置き、独特の宗教制度をつくりあげてから、もう15世紀になる。そのうち神道は唯一、この国を起源とするものだ。この地の農民が信仰するものや、豊作の儀式、村に伝わる迷信、貴族階級に関連する神話などが混ざり合ったこの宗教は、8世紀(『古事記』が編纂された年代)、大和朝廷の政権を正当化し、公式に天照大神の家系とするために秩序立てられたものだ。それ以前の5、6世紀頃、中国から輸入されたのが儒教だ。こちらはその時点ですでに千年の歴史を持つ社会哲学で、形を成し始めた国と社会に骨組みを与えるためのものだった。もう1つの仏教は、紀元後1世紀から中国に定着しており、儒教の教えとともにやって来た。

 神道と儒教はともに現実に根ざしている。前者の存在理由は、自然の持つ活力と、人の共同体との調和を維持することである。いっぽう儒教の固定観念は、安定した社会を形成することで、世界の上方からの秩序に最大限に同意することだ。しかし儒教の始祖孔子は、神性の存在について言及するのを避けている。その理由は、知りえないものを気にかけても意味がない、というものだ。仏教にもまた、1神教が意味するような神はいない。仏陀や菩薩は輪廻転生の苦しみを絶つのに成功した生身の人間で、他者もそれができるよう助ける存在だ。この2つは神道の神とともに、さまざまな特性と力を持つ無数の存在を共有している。仏教には超越的な精神世界もあるのだがしかし、その精神世界は日本に溶け込むなかで徐々に失われ、いまやよい死の儀式を提供するだけのものになっている――したがって仏教もまた、人生を送るうえでの進行役として、基本的な不安の一つを管理しているのである。

 この統一性に欠けた組み合わせに、16世紀に加わったのが七福神だ。江戸時代の初期、由来は不明だが、人々に熱狂的に取り入れられたもので、日本に平和と繁栄が戻ったことを称えるためのものだった。なかの1体は神(恵比寿)で、2体は中国の道教の賢者、ほかの4体は仏教に由来する。現在の日本では、ほぼいたるところで見かけることができ、神社にもあれば寺にもあり、街角に銅像が置かれていることもある。商売繁盛を保証してくれるとして、多くの店舗にも置かれている。恵比寿は、その像が同名の東京の賑やかな駅前にでんと置かれ、有名なビール・ブランドの名前にもなっている。そして唯一女性の弁財天は、ヤクザの刺青に好んで使われるモチーフの一つである。

 この奇想天外な組み合わせには、精神的な部分はほとんどないが、しかしきわめて一貫性のある強固な宗教システムを形成し、それぞれの要素が完全に補強し合い、全体で機能するようになっている。現在もなお、国家の団結とアイデンティティで重要な役を担っており、宗教が消えつつあるフランスとは大きな違いである。

 

 

1神教を食い止めた国

 

 日本は過去に2度、新しい宗教の到来に直面した。6世紀の仏教と、16世紀のキリスト教である。日本は仏教とは実践的な妥協案を見いだし、神を仏陀や菩薩の化身として紹介している。天照大神自身、ヴァイローチャナ〔インドを起源とする仏〕、別名、大日如来と同一視されていたのだが、名前にも仏殿にもさほど影響していない。平民に普及した仏教は、戦国時代の血みどろの百姓一揆に着想を与え、理想社会の到来を掲げて反乱した何万人もの農民は、阿弥陀如来の名を唱えて死んでいる。しかし最終的に、異物だった仏教は、江戸の強権的な政権の改革に素直に従い、寺は平和裡に平民を管理する施設になっている。そうして戸籍を管理し、旅の許可(滅多にない)を発行したのだった。

 それとはまったく逆に、キリスト教との関係は野蛮だった。1549年、西洋から初めて日本に上陸した初期の宣教師は、当初は40年間の観察期間を認められていたのだが、その後、無情にも迫害されている。当時、アジアに触手を伸ばし始めていた白人の「トロイの木馬(1)」と見られ、警戒されたのに加え、日本の宗教システムとは相容れなかったのだ。というのも、その神があらゆる共存を拒否し、信者に命令する戒律は、儒教の世界の秩序を尊重する社会の規律を軽んじたからである。この基本的な折り合いの悪さが、1853年以降に西欧人が強引に宣教の自由を確立したあとも、日本ではキリスト教が少数派のままでいる理由である。この失敗は、同時に新興宗教が雨後の笥のように日本を席巻し、20世紀の終わりまで増えつづけたことを思うと、余計に目立つのである。

 

 

それほど狂信的ではないセクト主義

 

 いっぽうこれら新興宗教は、名前ほど「新しい」ものではない。というのも、ほぽすべてが神道と仏教の混合を土台にしたバリエーションで、「ニューウェーブ」という目新しい修飾語で飾っているだけだからである。新興宗教の出現には3つの波があり、それぞれ国家が大混乱し、集団的な不安が蔓延した3つの時期と一致する。1つはて1858年に国が強制的に開国されたあと、2つ目は1945年の敗戦後、そして3つ目はグローバル化と1980年代のバブル期、1991年にバブルが崩壊したトリプルショックのあとにいまも続く不景気だ。最初の波で出現したのが、何といっても天理教だろう。2番目の波が、創価学会と霊友会、立正佼成会、そしてパーフェクトリバティー教団、略称PL教団。3番目の波が、真光、幸福の科学である。すべて現在も活動しており、信者数は――発表を信じるとして――日本と世界100か国以上で3億人に達している。

 欧米では、これらの宗教は「セクト」と呼ばれている。この言葉が意味する組織は、信者を社会から切り離し、さらには反社会的に育て、よくて教祖の支配下に置かれるという、間違った考えを植えつけている。日本では唯一、オウム真理教がこの図式に当てはまるのだが、しかし信者は日本では一万人を超えたことがなく、しかも教祖は2018年、12人の補佐役と一緒に絞首刑に処せられた。

 信者数の多い新興宗教はすべて、安心安全を願っている。信者に約束しているのは、幸せな人生であり、社会での成功、愛される家族、よい仕事、そして健康だ。創価学会は、フランスでは公式にセクトとされているのだが、公式声明では会員は1700万人に達している。1950――1970年代、学会は、地方を脱出して根無し草になった多くの人が都会に入り込むのを助け、同時に、同じ理由で発展していた共産党のブレーキ役となっていた。創価学会の政治勢力である公明党が――得票率は投票全体の12から14%――1999年以降、政権で保守自民党と忠実に連立を組んでいるのも、さしずめ偶然ではないのである。

 

 

道徳に関与しない宗教−状況で変化するモラル

 

 宗教の重要な役割の一つは、信者に善と悪の概念に基づいた行動の規律を示すことである。それが現在、フランスでは問題になっている。ところが日本ではそうではないのである。善と悪を合法的に決められるのは、唯一社会だけだからだ。その意味で、日本では、社会が神の役割を担っている――それがよくわかるのが、社会にテロ戦争を挑んだオウム真理教の指導部が、無残にも皆殺しにされたことだ。2018年に執行された集団絞首刑は、世界では少なくとも法的行為としてよりは悪魔払いと見なされている。

 善と悪に関する日本と欧米の根本的な違いがよくわかる例が、有名な漫画にある(2)。舞台は江戸時代で、主人公は狼と呼ばれる殺し屋だ。ある藩の行政官が、仏教の名高い僧侶を抹殺するために彼を雇う物語である。藩士はこの僧侶を本当は敬愛しているのだが、しかし彼のことを心から崇拝する農民たちを心酔させ、一揆が引き起こされることを恐れている。標的を前に、長い刺客人生のなかで初めて、殺し屋は躊躇する。僧侶は聞きしに勝る聖人だったのだ。殺されるはずだった犠牲者は、彼にただこう言う。「行って、戻ってくるように」。冬の山中で長い瞑想をしたあと、殺し屋は春とともに再びあらわれる。反乱寸前の農民たちは、勝ち誇って僧侶を神輿のように担ぎ上げる。殺し屋は祭り真っ只中で僧侶を斬りつける。息を引き取りながら、僧侶は彼を祝福する。「無門関の境地〔無の境地〕に達したということは、その道を極めたということだ」と。農民たちの怒りが爆発する。行政官は殺し屋に罪を着せ、農民を満足させる道具として家来を派遣して消そうとする。主人公は家来全員を斬り殺すが行政官には手を出さない。農民は彼に飛びかかろうとするのだが、躊躇する。「上人さまは、これですべてよしと言った……」。そうして結局、彼らは畑へ戻っていくのである。

 キリスト教から見ると、この物語は悪そのものだ。というのも、登場人物は全員、十戒の重要な戒律を踏みにじり(「汝、殺すなかれ」)、僧侶までも、主人公の背中を押して自身を殺させているからだ。いっぽう日本的な見方をすれば、全員がそれぞれ社会的な役割を完全に果たしている。社会がある一つの職務のために殺し屋を必要とし、主人公の殺し屋は、個人的に抱いた倫理的な迷いを乗り越え、自分が「道」として選んだ社会的役割をまっとうする。いっぽう高潔な僧侶の役割は、人民がそれぞれの役割を果たすよう導くことで、彼自身、自らの命に代えて殺し屋を導き、農民の反乱を防いでいる。行政官の役割は一揆を避けることだ。農民の反乱を防ぐために僧侶を抹殺し、それから僧侶を殺した殺し屋を罰しようとしたのも、社会的な務めを果たしただけだ。だから殺し屋の狼は手を出さなかった。そして農民の場所は畑で、役割はそこを耕すことだから、自分たちの意思で戻っていった。こうして登場人物は全員、社会的地位によって与えられた役割を徹頭徹尾果たすことで、社会のため、さらには世界の秩序のためによいことをしたのである。悪となるのは、僧侶が体現していた危険に行政官が目をつむり、殺し屋が殺さず、そして僧侶が反乱の象徴となって、農民が畑を戦場にすることだろう。その結果は、全員にとって最悪になるだろう、虐殺、飢饉、藩の崩壊である。

 

 

国家の共通善

 

 日本の宗教制度は、この支配的な倫理観〔社会の秩序〕に反する点はいっさいない。唯一、常軌を逸した例外がオウム真理教で、ほかの宗教はどれ一つとっても、会員を反社会的に育て、新しい基盤の再構築や、社会の周辺に生きることは提案していない。それぞれの存在理由は、信者が日本の社会――その展望は限られている――で成功し、できるだけ幸せになるところにある。したがって、神道−儒教−仏教のコラージュは、紛争にはなりえないのだ。むしろその逆で、どんなに奇妙でも、国と社会が団結し、統合するための力強い要因なのである。

 これら3つの宗教はそれぞれ、人生の大きな節目で日本人に寄り添っている。神道は誕生と妊娠、成長の運命を担い、子どもから大人になるまで神道の精神で育つ。社会人になると、今度は儒教の原則に導かれる(社会の束縛や上下関係に対する意識、仕事で進化する意識)のだが、こう見ると現在はやや見直されているとはいえ、西欧の個人主義が打ち勝つのはまだ遠い先のようだ。そうしてある年齢に達すると、仏教が死をめぐる不安に応えている。さらに人生を通して、神道と仏教の聖職者は、それぞれの大小さまざまな悩みに巧妙に応え、あらゆる男女のためにお守りや儀式を売っているのである。

 この宗教制度には、国家を分裂させる要素は何一つなく、そこで説かれる行動規範は、社会生活の基本的な原則以外の何ものでもない。個人的な領域で指図するようなことはなく、そのときの不安に対処しているだけだ。これこそまさに共通善と言えるだろう。大原則であれ、生活様式であれ、宗教団体が対立している国にはありえない「共通善」である。

 日本の宗教制度はまた、一国にしかない宗教という点で珍しいケースである。というのも、神道は日本以外のどこにもないからだ。神道は2二つの意味で国のアイデンティティの元となっている。1つは、天皇家を天照大神と関連させて正当化していること。もう1つは、日本の太古の伝説的な背景を生き生きとした状態で伝え、それを商業的な基盤にしていることだ(後述)。神道を日本以外に伝道して普及させるという考え自体、馬鹿げているだろう。なぜなら日本人にとって、日本が日本人だけの国であるのと同様、神道も(制度も)日本人だけの宗教なのだから。したがって宗教は共通善だけでなく、国家の善でもある。1988年、名誉の死をとげた夫を「神」にされたことに対する、キリスト教徒の妻の訴えを却下した最高裁の判断は、この善を守る必要性を根拠にしたものだ(前述)。

 この判決に対する論争が、キリスト教徒のなかでも起きなかったことから、日本人全体がこの宗教制度をいかによしとしているかは明らかだろう。どんなに奇妙でも、現代世界で宗教の呪いとなっている分断と対立を免れさせているのである。

 

 

(1) 1511年、ポルトガル人がマラッカに定着、その後、オランダ人と入れ替わる。1571年、スペイン人がフィリピンを制圧。 1626年、スペイン人が台湾に定着。その後、オランダ人と入れ替わる。

(2)『子連れ狼』(小池一夫原作・小島剛夕画)。 1970−1976年に『漫画アクション』で連載。    

 

 

 

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