第8章 地域共同体のために何かをする

 

 

 

 社会的に優れた日本人をつくるための第一段階は、共に生きるために人と対立せず、秩序も乱さず、全員の利益になるように行動することを、固定観念になるまで教え込むことである。当局と協力して、事故のリスクや、ぶしつけで犯罪的な行動と闘うよう人々を訓練する。さらにもっと先に進んで「社会をつくり」、地域の日常に積極的にかかわり合うようにする。フランスでは、社会とのかかわり合いは本質的に個人の選択である。ここでは、社会があなたに強制する。それも事細かく、あなたがするべきことだけでなく、どうすればいいかまで指示してくれるのだ。

 

汚れたオムツの物語

 あれこれ指示を受けながら、私たちは保育園に着く。息子はわきまえたもので、入り口で靴を脱ぎ、自分用の小さな棚にきちんと並べ、それもつま先を前に、逆ではいけないことをすでに知っている。そうして1つ1つ丁寧にしまい終えると、小走りでウサギ組の部屋に向かう。私はといえば、「チェックリスト」がポケットに入っている。これは必需品。というのも、忘れずに私がしなければいけないのは――。

(1)子どもの靴下を脱がせ、丁寧に丸めて、専用のケ−スに入れる。

(2)別のケ−スに、着替え用の服一式を2組と、夕方、汚れた服を入れて私が持ち帰るための袋を1つ。

(3)3番目のケースに、3枚以上のテーブルナプキン(2枚は日中のそれぞれの軽食用と、さらに1枚は予備)と、夕方にほとんど汚れていないナプキンを入れて私が持ち帰るための2枚目の袋。

(4)4番目のケースに、子どもの名前を必ず書いたオムツを5枚入れる。フランスでは園から供給されることが多いのだが、日本ではそういうことはないようだ。加えて、3番目のビニール袋は、息子が大便をしたときのためで、園がその袋に入れてくれることになっている。

(5)息子の名前が書かれたブルーのバケツにビニール袋を入れ、バケツの縁に合わせて袋を専用クリップで止める。クリップにも子どもの名前が書かれている。これは小便を吸収したオムツを入れるもので、両親が持ち帰ることになっている。両親は毎日、汚れたオムツと同時に、日中に使用された2組の着替えと、3枚のナプキンを回収する。

(6)5番目のケースには、連絡ノートを入れるのだが、これは毎朝、詳細に記入しなければならないことになっている。確認しなければいけないのは、その日のべージが先生に一目でわかるよう、専用のクリップで印をつけたかどうか。ノートに絶対に記入しなければいけないのは、起床時の子どもの体温。体温は日中に2、3回確認され、もし37.5度を超えたら、両親に電話がかかってくることがあり、その場合はどちらかが、いくら金がかかっても子どもを迎えに行かなければならない。

(7)もし月曜だったら、それに加えて私は、子どもの昼寝用の小さな布団を洗い立てのシーツでくるみ、大型のバスタオルも持っていかなければならない。すべては金曜日に引き上げ、週末に洗濯するのである。

 これを私は笑って見過ごすことができるだろう。いらいらすることもできる。しかし、私はこうしなければならず、ほかに方法がないのである。

 

ケネディvs孔子

 1961年、米国の大統領選後の就任式で、ジョン・F・ケネアイは後々まで語り継がれる名演説をし、現フランス大統領エマニュエル・マクロンにも引用された。「あなたの国があなた方に何ができるかを問わないでほしい、しかし、あなた方が国のために何ができるかを問うてほしい」。ケネディは、一人のアメリカ人が地域共同体のために何かをするには、その前に自問し、自分の考えで自由に決断してこそはじめて可能だと考えた。しかしここ日本では、毎朝、地域共同体が何万人という両親に、共同体のために何かをするよう強制し、細部の細部までこだわったルーチンを厳格に守り、実行するように押しつけている。

 フランスなら多くの両親が、このようなミリ単位の儀式を強制するやり方を子どもじみていると思うだろう。なかにはおそらく、小さなミスを犯しても――私はしょっちゅうだ――、先生の前で頭を下げて謝るのを嫌う人もいるだろう。対して日本人は、日々、押しつけられた平凡な務めを果たし、子どもを迎えてくれる園と人に仰々しく敬意を示すのが、生まれっきの性質のようになっている。保育園の5つのケースのルーチンは、社会をつくるための実践的な訓練の日常版で、共に生きることに関してはおそらく、演説より効果があるだろう。いったん訓練期間を終え、これらのことが完全に身についたら(または人格形成がなされたら)、園が強権的にあなたのミスを罰することも当然に思えてくるだろう。たとえば、あなたが子どもを時間より早く預けたり、遅く迎えに行くと、3ユー口相当〔約375円〕の罰金を科せられる、などである。

 このような親の養成は、子どもの修学期間を通して、PTA(英語なのは、米国が日本を占領していた時代〔1945一1952〕に設置されたからである)の枠組で続いていくことになる。フランスにも生徒の親の組織があるが、参加者はそう多くなく、その役割の1つは、教師や国民教育省を監視して激しく非難することにある。対して日本では、小学校から高校まで、どの学校にも親と教師が協力する組織がある。教師側は職務として参加する義務があり、母親は基本的には任意なのだが、参加しないのはほんの少数だ。陰口を叩かれ、子どもを苦しめ、さらにはいじめの対象になるのが心配だからである。PTAの大仕事は、校外学習の手伝いと秋の運動会だが、しかし一部の学校では親が掃除――トイレも含む――に参加し、子どもたちを登下校時に交差点で見守ることもある。また、町内会と協力して地域をパトロールし、授業をサボつた生徒や、その場でたかりをする生徒に目を光らせている。そうして、親と教師が「学校をつくり」、さらには学校は地域とともに「共同体をつくる」のである。

 

タナカ君は部活に、マルタンは社会問題に参加する・・・

 このように、厳密な枠組のなかで社会性を身につけることに対して、バリ政治学院の学生たちは疑問を抱いている。彼らは、日本の大学とのパートナーシップの枠組で、毎年、30人ほどが日本の大学へ来て勉強している。これらの大学にはそれぞれ、信じられないほど多種多様なクラブやサークル(前者は大学の公認で、補助金のあるところが後者との違い)がある。日本の学生の大半はクラブに登録し、そこで集団生活の訓練を受ける。たとえば、2、3年上の先輩には文句を言わずに従うなどだ。そうしないと反社会的と見なされ、したがって履歴書に傷がつき、クラブ活動についての質問が多い就職の面接での評価も悪くなるからだ。逆に、フランス人学生はほとんど誰もクラブに登録しようとは思わない。たしかに、クラブ活動ではものすごい時間を取られ、外国人はあまり歓迎されないのは事実である。しかしとくに、私の学生のパリジャンが不愉快そうに断言したのは――そのなかの一人が私にはっきりと言った――、「こういうクラブでは、人に言われたことを何でもしなければならない、そんなの我慢できない!」

 しかしパリ政治学院の学生たちは、もっと多様な社会問題に積極的に関わっている。たとえば、イスラム教徒の女性の服装「ヒジャブ」を世界中の人に認知してもらう運動「ワールド・ヒジャブ・デー」を開催したことでは、権威あるフランスの日刊紙『ル・フィガロ』(2016年4月20日号)でさえ、皮肉を交えずにこう書いていた。「尊敬に値する教育施設は、ときにあらゆる闘いに主体的に参加し、汗水たらして努力してこそのものである」。日本では、男子学生なら山岳部、UFO研究、ジャズ、漫画、雄弁会、漫才、スーパーロポットのミニチュアコレクター、あるいは何でもいいから体育系クラブに登録する。女子学生ならクラシック音楽、Kポップ、フランス文学、芝居、体操、旅行、またはジャーナリズム、あるいはチアリーダーのクラブを選ぶだろう。いっぽう、パリ政治学院の男女学生は、エコロジーのために積極的に闘い、人権や女性の権利を守り、あるいは移民に読み書きを教えるのである。

 日本人学生は、先輩たちのときに厳しい指導のもと、厳格な規則に従う術に磨きをかけ、将来を心配して、クラブを辞めすに歯をくいしばって耐える。いっぼうのフランス人学生は、自ら選んだ闘いに身を投じ、率先して議論、さらには対立し、気分によって加入先を変えるのもいとわない。彼らは「社会のために何かをする」訓練をするのだが、しかし、自分たちの好み、条件に合わせる。同世代の日本人は、一列になって、すべて同じやり方で「社会をつくる」ことを学ぶ。それでも、こうして「社会をつくる」ノウハウを知るのは、社会にとってもいいことではないだろうか?

 

 

 

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