第5章 それほど模範的ではない企業――仕事地獄

 

 

日本を象徴するものとしては禅庭と桜のほかに、長いあいだ日本のよきイメージの1つだったものに日本企業がある。私が最初に滞在していた当時、公式談話では、働き者のサラリーマンと終身雇用を保証する思いやりのある経営者が多いという、魅力あふれる世界として紹介されていた。これら夢の国の王場から出荷される製品の質は、「メイド・イン・ジャパン」として世界的に評判となり、有名企業の製品は、客の満足度に加えて注目度ではヨーロッパのブランドを上回るほどだった。

このバラ色に描かれた世界は、内部に悪質な弊害やごまかしはつねにあったとしても、間違いではなかった。しかし、急激なグローバル化が日本を襲って以降のここ30年、ほかの国と同じように労働者に圧力がかかり、人材が不安定化している。本書を執筆中の時点で、失業率はこれ以上下がらないほどの2.3%、それでいて多くの分野では人手不足。さぞや労働者の環境は素晴らしいと期待するだろう。ところが事実はまったくそうではない。給料はここ20年上がることはなく、その間、消費税は3倍になり、そして長時間労働に押しつぶされ、さらには死ぬ人もいるのである。

 

週100時間労働の国

日本の労働基準法で定められている労働時間は、原則として週40時間、1日8時間を超えず、週2日の休日を想定している。時間外労働は週15時間、月45時間、年360時間を「超えてはならない」ことになっている。しかし、週2回の休日と祭日の残業は計算に入っていない。休日出勤は平日より多い残業代が支払われるというのがその口実だ。

しかし、これらの限度は一部の重要な分野、たとえば、建設工事や運送業には適用されていない。いっぼう、雇用主は労働組合と合意に至れば、いつでも条件を無視できる。大企業のほとんどは、労働組合が1つしかなく、しかも経営陣と非常に近いとされる。こうして大企業の3分の2は独自のルールをもうけ、月45時間の時間外労働の制限を無視している。たとえば大阪のある病院は、組合との合意で月300時間の時間外労働を認めさせている! 加えて、企業に関する日本の法体制では、多くの場合、雇用主が違反しても懲罰が想定されていない。したがって、経営陣はいっさい遠慮しなくていいことになる。彼らはまた、いとも簡単に時間外労働時間数を申告させず――残業代も支払わず――にすますことができる。これが言葉とは裏腹のいわゆる「サービス残業」だ。監督官庁の厚生労働省自体で、20歳から40歳の職員の4分の1が週60時間以上働いているとしても、驚くにあたらない――これでいくと時間外労働は年に1000時間以上となり、「超えてはならない」とされる限度の3倍になる。

最後の一手がある。わがフランスの管理職の「一括報酬」に近い制度で、これは企業の一存であらゆる部署に適用できるものだ。この制度を転用し、ノウハウのない従業員を「名ばかり管理職」にしたのが、格安「牛丼」チェーンの大手、「すき家」で、全国2100店舗でたった1人の従業員が深夜営業を取り仕切っていた。こうして過度に搾取された従業員は、合法的に月500時間まで、ときに24時間休みなく、時給7ユーロ相当〔約875円〕で働いていたのである。

 

仕事の果ての死――過労死

その代わり――と言ってはなんだが――日本の法律は過労による病気や死亡を、自殺も含めて認めている。管轄官庁の厚生労働省自身が、サラリーマンが月に100時間以上、または2か月連続で80時間以上残業した場合に過労死のリスクがあると、公式に見なしているのである――ここでもまた、法律で定めた「超えてはならない」とされた限度の2倍に近く、のっけからそれが守られるとはまったく期待していないことがわかる。

裁判では毎年、300から400件の過労が認められ、そのうちほぼ半数が過労死だ。ちなみに2017年の3か月間の報道にざっと目を通すけで、欠陥だらけで、背筋の凍るような法体制がよくわかる。脳梗塞で死亡したスーパーマーケットの従業員は、亡くなる前の4か月間に、304時間の時間外労働をしていた。雇用主はそれ以前の2011年、すでに有罪判決を受けていた。心臓発作で亡くなった女性事務員は、亡くなる前の6か月間を通して、4日しか休んでいなかった。また、ある病院の研修医は、月に「160時間以上」の残業をしたあと、自殺している。さらにオリンピック競技場の工事現場で働いていた建設関係の労働者は、月に211時間56分(!)の残業をしたあと自殺している。調査で明らかになったのは、この名誉ある工事現場で作業する企業主の半数は、詳細な理由を示さず、社員に「月に80時間以上」残業するよう要請していることだった。

最悪の場合、裁判所で過労死が認められると、雇用主にとっては高くっくこともある。遺族に対する文書での謝罪に加え、1億円相当の損害賠償が発生するからだ。それが、居酒屋チェーンのワタミが、月140時間以上の時間外労働をし、入社して2か月で自殺した女性の遺族に払わなければならなかった金額だった。本書を執筆中の時点で、ワタミ創業者の渡邉美樹は自由民主党所属の参議院議員で〔2019年7月に政界引退〕、党選出の政治家ではもっとも金持ちなのだが、1億3365万円の和解金は、彼の事業収入に比べれば大海の一滴である。ちなみに、彼が議員として党で所属していたのは経済産業部会、同類の悪徳経済人を守るためであるのはいうまでもないだろう。

 

「労働時間を減らして」・・・増やしていく

世論が時間外労働に関心を持ちはじめたのは2014年、すき家が人手不足で「名ばかり管理職」を確保できず、深夜営業の店舗の一部が閉鎖に追い込まれたときだ。翌2015年、今度はワタミの事件が起きた。マスコミは悪徳雇用主を糾弾する「ブラック企業」という言葉を普及させ、ジャーナリストが中心になって「ブラック企業大賞」まで創設した。世論の高まりを受け、悪名高い厚生労働省も、公共職業安定所ハローワークに寄せられた訴訟に取り組んだ。そうして、求人広告の4分の3以上で勤務時間が偽装されていたのを確認し、警告の意味でブラック企業リストを作成した。しかし、ただそれだけである。

いっぽう、過労死が大きな問題として当局を動かすには、国民の感情に訴える明確な事例が一つ欠けていた。日本人は涙を流すのが好きなのである・・・。2015年12月25日、東京のど真ん中で、巨大広告代理店「電通」の若い女性社員が――月150時間以上の時間外労働を強いられ、それを上司の指示で、労働組合との合意に沿った70時間(マイナス一分=69時間59分)しか認められず、打ちひしがれて――、社員寮から飛び降り自殺した。彼女はまだ24歳で、この国の最高学府、東大を卒業したばかり。素晴らしい将来が約束されていたはずだった。自殺したのは、世間が浮かれていたクリスマスの日、名前は「まつり」だった。電通の名前は日本中で知られており、そして犠牲者の母親が強く闘う姿勢を示したことから、事件はかつてない反響を引き起こしたのである。

政府は素早く反応した。「フランス企業運動」に相当する「経団連」と、マンモス労働組合の「連合」を呼び出し、結果的に、勤務時間に関する法律を修正した。しかしそれは改善と見せかけて、じつはサラリーマンの状況を悪化させる玉虫色のものとなっている。月45時間の時間外労働の制限は、単なる推奨でしかないのだが、変更不可の確定事項として書き込まれた。ところが、まったく一貫性がみられないのは、そこに年の時間外労働の上限として720時間と定められていることだ。これでは月45時間の制限がまったく意味をなさず、週60時間が合法的になる。どういうことなのか? これ以土言わなくてもわかるだろう・・・。

法律の新しい修正案では、企業が会社の労働組合と協議して合意に至れば、年に6か月間は、月の時間外労働の上限を80時間(45時間ではなく)に、とくにいわゆる「繁忙期」は100時間にまで延長できるのを認めている。法案作成の場では誰も、これら新しい上限と、公式に過労死のリスクとされている時間に齟齬があることは、問題視しなかったようだ。加えて、各企業の労働組合はつねに
企業と時間外労働で一線を越えることに合意しており、一部の専門分野はこの交渉からも免除されている。こうして過労死は、政府のみならず、最強の労働組合「連合」からのお墨付きで、今後も増えっづけるのである。

 

名ばかりの処罰と、ごまかしのプレミアム・デー

政府が電通女性社員の自殺事件を受けて、かつてなく強い姿勢で反応したのは、年に数100人もの過労死の犠牲者を配慮したというよりは、経済的な理由である。ここ30年、日本経済が抜け出せないでいる無気力病は、多くの部分、消費の減速によるものだ。そこで政権は、給料の上昇を企業に説得し、代わりにサラリーマンに自由時間を数時間与えれば、その時間を消費に使ってもらえるとふんだのだ。いずれにしろ、彼らに使える金があればの話である。

調整に調整を重ねた方法で、政権は2段階で打って出た。最初の一手は、問題を重視していることを公式に示し、責任者を罰することだ。かつて、大名が将軍から切腹の命令を受けたように、電通の社長は女性社員自殺の3日後、事件の責任を取って辞任することを発表した〔正式な辞任は2017年〕。電通にはまた、社内に監視カメラを備えるという屈辱的な慣習があった。厚生労働省は、法人としての電通を労働基準法違反で提訴、裁判では社長が事実を認めて早々に決着。電通はさらに公共事業への6か月間の入札停止処分を受け、2016年にはブラック企業大賞を受賞した。しかし、巨大企業が払った賠償は、わずか50万円だった(!)。女性社員に時間外労働を35時間減らして申告するよう強制した上司は、「会社を支配していた労働の文化から免れることはできなかった」という理由で責任を問われず、早々に胸をなで下ろしている。この判例は、日本国中の多くの同業各社にとって、これ以上ない吉報となる。

2つ目の手は、金のかからない対策を派手に提示することだ。鳴り物入りで発表された「プレミアム・フライデー」計画は、企業に属するサラリーマンに、毎月最後の金曜日は午後3時に退社することを奨励するものだ。サラリーマンが自由になった時間を消費に使うとして試算された経済効果は、なんと5000億円! それがGDP上昇につながるといって、メディアを使って吹聴された。初回の金曜日は、総理大臣自らがテレビを使って宣伝、頃合いを見て官邸を出発、街で買い物をしたあと座禅を組んでいる。作戦は見事に大失敗! そのぶん反響が大きかったせいで、「ブレミアム・フライデー」は2017年の新語・流行語大賞のリストにあがった。金のかからない対策には不自由しない厚生労働省はまた、過労死した犠牲者の遺族を高校に派遣して証言してもらう計画も発表、さらには、月曜日の午前を休日扱いにする・・・シャイニング・マンデー」の創設まで言及している。

この機会をとらえ、電通を含む多くの企業は、社員が午後8時以降も会社に残ることを禁止、電源を切ってまで強制的に退社させるようになった。損失はいっさいなかった。むしろ逆、なぜなら遅くまで「働くことに費やす」時間の生産性は低いからである。電通はまた、阿吽の呼吸の労働組合に、月の時間外労働の時間を減らして65時間(それまでは70時間)にすることを提案――、もちろん、「繁忙期」は例外である。ここで、新法の上限が原則45時間で、さらに、女性社員に時間外労働時間を過少申告させた上司が無罪放免になったことを思い出すと、日本はいかに地上の楽園どころではないかがわかるだろう。それでも、日本は静かに変化を続けている……。

 

 

 

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