第3章 影と暴力  

 

 

 

 私は日本の良さだけをあげて感嘆するほどナイーヴではない。日本が隠し持つ、きれいすぎる社会の裏の影や暴力、悪習、差別もすべて知っている。しかし、なぜこの国ではそこから論争も、意見の分断も生まれず、シニカルな態度やペシミストも台頭せず、そして最後はある意味、国への愛を保っているのだろうか?

 もし日本から教訓を得るとしたら、それはまさにここにある。

 

見捨てられた人たち――自殺と孤独死

一般的な社会通念とは逆に、日本の自殺者は、以前はフランスより少なかった。しかし、30年に及ぶ社会的、経済的危機が、終わりの見えない無気力病に変わり、自殺率が3倍になった。ピーク時の2003年、自殺者は35000入近くを数え、10万人中27人にまで達した。この年、自殺率の高さでは世界第6位、フランスの2倍だった。この尺度で見ると、日本人は私たちより危機に対する抵抗力が低かったようだ。

別の形の悲劇的な死に、孤独死がある。これは一般に孤独な高齢者、とくに退職して仕事や社会とのつながりを奪われた男性を襲っている。これら見捨てられた人たちの遺骸が発見されるのは、ときに1年以上たってからのこともあり、その間、故人の近所の人も、家族、ソーシャルワーカーも、誰も心配していなかった。後者のソーシャルワーカーの怠慢には驚くばかりである。2010年、自宅で30年前に亡くなり、すでにミイラ化した日本最高齢とされた男性(111歳)の遺骸が発見され、大騒ぎになったあと、推定100歳以上の23万人が所在不明〔戸籍上のみで生存〕になっていることを、彼らは認めざるをえなかった。大半は確実に亡くなっていたのだが、しかし家族は故人の年金を継続して受け取るため、死亡届を提出しなかったのだ。

孤独死についての集計はあまり整備されていない。東京では、調査開始の1987年が1000人以上、2006年が3400人、2014年が4500人だった。2015年は、2011年の東日本・福島ダブル災害の被災者を現在も収容している仮設住宅で、200人近くの孤独死が報告されている。全国レベルでは、2012年以降、32000人という数字が正式に引用されていたのだが、人口が急激に高齢化したことで、2017年は45000人を超えている。

 

逃げる人たち――「蒸発」と「引きこもり」

もう一つの悲劇は、自分の意思で消える社会的な自殺、いわゆる「蒸発」である。公式の統計では、年に約8万人が蒸発している。人口に対する割合で比較すると、フランス(65000人)よりは少ないのだが、しかし、この問題を専門に取り組むNPO「日本行方不明者捜索・地域安全支援協会」によると、この数字はきわめて過小評価されているという。加えて、フランスで通報された行方不明者の4分の3以上は家出した少年少女で、かなり早期に戻ってくるのに対し、日本の蒸発者の多くは大人で、相当な数の人は二度と姿をあらわすことはないのである。

なかには、死んでも遺体が見つからないよう、準備万全で自殺する人もいる。身内の社会的な信用に傷をつけないよう、列車や地下鉄に飛び込み自殺をして発生する損害賠償が家族に請求されるのを避けるのだ。ほかには、「夜逃げ屋」に依頼する人もいる。これら特殊な仕事人は、代金と引き換えに、一人、さらには家族丸ごと他人名義にして、誰にもわからないよう、別の場所で住めるよう手はずを整える業者だ。依頼人の多くは、夫から暴力を受けた女性や、ヤミ金融で支払不能の借金を抱えてヤクザに返済を脅されている人だ。ほかに蒸発するのは、試験に落ちた恥ずかしさからの逃亡、解雇されたのをどうしても家族に言えなかった人、あるいは駆け落ちなどがある。これらの人は、最終的に大都市の底辺で目立たないように生きていることが多く、ヤクザがらみの仕事斡旋人の餌食になって、工事現場の日雇い労働者や、なかでもとくに原発関連の労働に送り込まれている。話によると、福島第一原発の廃炉作業現場には蒸発者が多くいるそうだ。

ほかの人たちは動かずに逃避している。自分の部屋に閉じこもり、社会生活といえば、終日インターネットを相手に過ごすことだ。これら「引きこもり」は、とくに男性が多い。彼らが閉じこもるのはおもに高校生のときで、原因はいじめ(後述)が多いのだが、しかし時が過ぎ、1部は40歳代になっている。両親は彼らが暴力をふるうのを恐れており、多くは家族に「引きこもり」がいるのを隠している。このことから、引きこもりの数は算定方法によって非常に開きがあり、2000年代は、15歳−29歳に限定しても20万人から70万人、さらには、不安を煽って100万人という人もいる。

 

暴発する人たち――社会の圧力と三面記事的な殺人事件

サムライと武道など、日本のイメージには暴力的なものが多い。それでも殺人は住民10万人に対して0.3人、フランスの4分の1で、米国の12分の1である。日本にはディーラー間の銃の撃ち合いや、仲間同士のナイフによる乱闘、目が合っただけの死闘や殴り合いがない。3面記事的な殺人の多くは――恋愛、性、卑摂な行為や家族がらみの犯罪、悲劇など――、フランスと似ている。しかし、ほかの事件を見ると、抑圧的な社会が人を殺人に至らせていることがあり、ときにその反動で、突発的な暴力を引き起こすのではないかと思わせるところがある。

抑圧が死をもたらすのは、少年グループが、脱退を望む仲間の1人を集団で処罰するときだ。こうして東京の近郊で、あるグループが、標的になった最年少の少年(13歳)をカッターで、1人ひとり交代で傷つけて殺し、川へ投げ込んだ。さらに、ある「引きこもり」が部屋から飛び出し、ナイフを手に、車を運転して人混みに突っ込んだ事件。また、ある障害者施設の元職員が、施設に戻って46人を刃物で切りけ、うち19人が亡くなった事件もある。犯人は、障害者は生きるに値しないと思っていたのがその理由だった。さらには、1人の女子高校生が、「結果を見てみたかった」という理由で、友人の首を絞めて斬り落とし、彼女の父親が恥辱に耐えかねて自殺しても、何の後悔も口にしなかった事件もある。あるいは、「誰かを殺したいという欲望」を抑えきれなかった1高校生が、就寝中の祖父母をつるはしと刃物で殺した事件もそうだ。彼はそのあと交番に行って自首し、2人のことは好きだったが、「逃げないだろうと思ったから」実行したと語っている(1)。

 

逸脱的な暴力に魅せられる?

前述の高校生2人は、有名な少年A、別名、酒鬼薔薇聖斗の後継者と言うにふさわしい。1997年、14歳のとき、少年Aは1人の男児の首を斬り、その頭部を中学校の正門に置いたうえ、1人の少女の首を絞めている。成人になって釈放された彼は、文芸風で怪しげなタイトル「存在の耐えられない透明さ」でウェブサイトを創設(現在は閉鎖)、2015年には、ある出版社から、『絶歌』(万葉集からの流れをくむ哀悼歌の意味)というタイトルの回想録を出版した。もう1人の逸脱した有名人は佐川一政、パリ人肉事件の犯人だ。1981年、良家出身で留学生だった彼は、ソルボンヌのクラスメイトだった女性を殺し、肉片にして料理し、犠牲者を切り刻む過程を写真にまで撮った。フランスの裁判で心神喪失と判断された彼は、不起訴となって釈放されたあと日本へ帰国、自らをモテルにした自伝的小説を出版してメディアの寵児となった。さらにセンセーショナルな書籍に取り上げられ、特殊な集まりに特別講師として招待され、料理評論家(!)にまでなっている。彼を主人公にしたドキュメンタリー、『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』は2017年、ベネティア国際映画祭で審査員特別賞まで受賞している。いっぼうこの年、東京の郊外で逮捕されたのが、もっとも最近のサイコパス的な殺人者である。ネットの自殺サイトで募集した9人の犠牲者の遺体を冷凍し、自宅アパートに保存していた彼もまた、懲罰から逃れ、犯した罪をメディアに売って商品化している。

このように逸脱的な暴力に魅せられるのは、日本に特有なことではないのだが、しかしだからといって犯人に対してやや甘いのは、問題視していいのではないだろうか? 当局はメディアに「理にかなう」のを口実に、遺体や負傷者の映像をボカすよう勧告し、幼児や人肉事件の殺人者を有名にして商品化することに、何の対策も打てないでいる。それに対し、犠牲者の両親もなかなか立ち上がろうとしないように見える。おそらく仏教で現生の不幸は前世の業とされるのを、信じているからかもしれない。子どもが身体障害者か、殺される、さらには学校でいじめを受けるだけで近隣から疎外されるとしたら、忘れてもらうほうがいいのだろう。

 

公の暴力――勾留

日本の国自体、旧態依然としたやり方で、身勝手な暴力を行なっている。日本の警察は、介入にさいしては驚くほど暴力的ではないのだが、しかし、それを勾留で挽回する。『勾留が行なわれるのは、たいていは地域の警察署または取調室で、容疑者は小さな部屋に拘束され、23日間連続で尋問されるようだ。この過程を管理する裁判所は、捜査官が要求する収監命令をほぼ100%発令する。日本の現行法ではフランスのように予審判事が認められていないことから、容疑者は弁護士と短時間しか接触できず、尋問にも同席してもらえない。尋問は、勾留を要求した捜査官のみによって行なわれることになり、彼らの目的は自白を得て勾留を正当化することだ。したがって、尋問は有罪にするためのもので、1日12時間続くこともある。仮にこの措置で、捜査官が3日経っても自白が得られない場合、裁判官はほぼ100%、10日間の勾留延長令状を2回発行する。それでも自白が得られないと、捜査官は容疑者を釈放しなければならないのだが・・・、しかし、微妙に異なる別件容疑で、即座に再び容疑者を収監できるのである。こうして、麻薬の所持で逮捕され、供給元の名前を言うことを拒否したある人物は、最初は所持で、次は使用、その次は密売買で、3週間勾留されることになる。この制度では、「自白」しないことが快挙になるのである。

このような扱いを受けるのに、殺人を犯す必要はまったくない。私たちはそれをカルロス・ゴーンのケースで発見したのだが、しかし日本ではこれが一般的に行なわれている。2016年、「無冠の帝王」と呼ばれていた野球界の元スター〔清原和博〕が、0.3グラムの覚醒剤を所持・使用したとして、6週間勾留されている。たしかに彼は、スポーツ選手は品行方正でなければならない国で、若者に悪い見本を与えた。同じ年、沖縄米軍基地反対運動のリーダーの一人〔山城博治氏〕も、最悪の体験をした。当時64歳の彼は、長期間連続して尋問を受けたのだ。容疑は3つ。最初に告訴されたのは、有刺鉄線を切断し、「沖縄防衛局局員にけがを負わせた」容疑で、短時間釈放されたあと、次は道路に「コンクリートブロックを積み上げた」容疑で、約5か月間勾留されている。

物的証拠がなくても、このような条件で白白が得られれば、裁判では充分となる。年度によって違いはあるものの、裁判では自白をした者の98から99%が有罪になっているのである。捜査官が追及の手を緩めたとたん、被疑者が反論に転じても事態は変わらない。思い切って否認に転じる容疑者はごくわずか。というのも、このような大胆な行動に出ると、裁判を待つあいだも勾留で拘束されることが多いからだ。証拠隠滅や証人を買収する恐れがあるというのがその口実で、この勾留は1年以上続くこともあるのである。

 

毎日、死を意識する48年間・・・

制度上、最悪の暴力は死刑囚に対するものだろう。現在、日本で収監中の死刑囚は100人以上、毎年、平均5人に絞首刑が執行されている。5平方メートルの独房に1人閉じ込められている彼らは、永遠に続く恐怖におびえて生きている。実際、いったん判決が下されると、完全に恣意的な方法で刑が執行される。時の法務大臣が1人で、誰を、いつ処刑するかの最終決定を下すのだ。こうして死刑囚のなかには、何10年も恐怖と不安にさいなまれ、やつれ果ててしまう者もいる。刑の内容が不明で、法務大臣が処刑を命じるかどうかわからず、かといって、再審を認めてもらえない受刑者たちだ。警察と裁判制度に泥を塗ることになるからだ。

平沢貞通死刑囚もその1人だった。戦後の日本でもっとも有名な大量殺人事件の1つ、帝銀事件で、自白だけを元に死刑が宣告され、そのあと前言を取り消したにもかかわらず、独房に収監されたまま40年間、95歳で亡くなっている。その死から30年後の2017年、弁護団は彼の記憶を正しいと信じて無罪を獲得するために、20回目の再審請求を試みている・・・。同様の状況で死刑判決を受けた袴田巌は、警察の希望に沿ったことを言うまで20日間耐え、裁判官の前で一転否認に転じた。DNA鑑定でも無罪にならないまま、2014年に釈放されたときは78歳。48年間、毎日絞首刑になることにおびえていた彼は、精神の不調を抱えて出所した。それでも、この死刑問題に関してメディアがほとんど動かないことも手伝って、日本人の80%以上はいまなお死刑に賛成している。2018人年夏、オウム真理教の教祖と12人の信徒が大量に絞首刑(2)になっても、死刑制度に対してはほとんど何の動きも起こらなかった。

 

 

 事態は、1部の点では明らかに改善されている。2006年、自殺を防止する基本法が施行され、自殺者数は最高だった2003年の35000人から、2017年には約21000人、四半世紀で最低になった。同時に、「引きこもり」の数も4分の1近く減少、約50万人に減った。

しかし、一部の改善は考慮するとしても、これらの統計が示しているのは、日本人もフランス人と同じほど気分が落ち込み、さらには絶望し、ときに暴力に出るということだ。それでも、共同体、社会、国家としては、フランスより団結しているように見える。これは事実なのだろうか、そしてもし事実だとしたら、なぜなのだろう?

 

(1)集団処罰事件は、2015年 川崎、2016年 埼玉県。「引きこもり」事件は東京、秋葉原、2008年(死者7人、負傷者10人)。障害者施設の事件は神奈川県、2016年。女子高校生事件は長崎、2014年。男子高校生事件は千葉県、2015年。

(2)多数の暗殺と、1995年の東京の地下鉄でのサリンによるテロ行為(死者13人、ガス中毒被害者6000人近く)。

 

 

 

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