第1章 「日本のほうがいい!」――24時間ですべてがわかる

 

 

 

2014年4月、シャルル=ド=ゴール空港で

 私はいまシャルル=ド=ゴール空港にいる。これから向かうのはフランス西部の都市レンヌ、三週間の講義のためだ。 フランスに入国すると、やる気のない税関職員がおしゃべりしている前を通ることになる。日本の場合、税関職員は全員が制服で、カウンターの前に直立不動で立ち、規則通りの挨拶をし、パスポートにもう一度目を通す。それから空港の係員による検査があり、麻薬や武器を携帯していないという申請書を提出し、簡単な質問をされ、ときにスーツケースを開けられることもある。最後にまた挨拶されるのは言うまでもない。

 こんなことには何の意味もなく、逆に旅行者の流れを滞らせると考えることもできるだろう。しかし一般に、シャルル=ド=ゴールより東京の2つの空港のほうが早く外に出ることになる。また、日本は無意味な仕事に過剰な税関職員を雇っていると、反論する人もいるだろう。おそらくそうだろうが、しかし、ほぼ体系的な過剰雇用は、日本が失業の害悪から免れている理由の一つである。しかしここでとくに重要なのは、入国時に受け取るメッセージだ。わがフランスの税関職員はいかにもクールにこう言うはずだ。「誰もすべてを管理はできない。だったら、みんなでよろしくやればいい・・・」。日本の入国時の厳しい慣習はその正反対だ。フランスでは、国全体にやや疲れた雰囲気があり、どことなくだらけている。対して日本は、その点はしっかりしており、完璧に全員が同じ行動を取っているのである。

 到着ロビーで私は、荷物のベルトコンベアから他人のスーツケースを取ってきたことに気づく。どうしたらいいのだろう?。 私は出てきたドアを、誰にも不審がられずに逆に入る。このいい加減さには安心するのだが、しかし、もしそこで、誰か共犯者が私に爆発装置入りの荷物を預けたら、私はそれを立入禁止区域にやすやすと持ち込めるだろう・・・。日本ではどうか。私が引き返そうとすると、職員は上司に相談し、私のパスポートを点検するだろう。荷物を開け、私の経歴を確認し、必ず護衛をつけるだろう。そこにはあらゆることが細部にわたって入念に決められた手続きがあり、各職員が一つ一つ遂行していくことになる。

 私のスーツケースはベルトコンベアの上で一個むなしく回っていた。それを引き取った私は、次に紛失荷物預り所を探す。二人の職員が雑談をしている。「このスーツケースはあなたのものではない? 東京発の便……?・ オーケー、ではそれをそこに置いて・・・」。日本では、制服の係員がそれぞれ持ち場にいるはずだ。誰であれ私に挨拶し、座るようにすすめ、少し質問をして、書類に署名するように頼み、そして、私の取った行動に対して何度もお礼を言うだろう。フランスなら40秒ですむところ、私はそこで10分ほど過ごすだろうが、しかし、迷子のスーツケースを信頼できる人の手に渡し、おまけに感謝されたことで、満たされた気持ちで後にするだろう。

 

サービスと事業主

 さて、TGV〔フランス高速鉄道〕――これだけで1章は書ける――で旅をした私は、夜になってレンヌ駅に着く。運よく、車両が止まったのはホームにある出口のちょうど前だ。この街のことなら隅々まで知っている私は、スーツケースを手に猛スピードで飛び出す。駅の大ホールに着くと、大型エスカレーターは故障中! 13000キロの旅のあとでも、ここで止まるわけにはいかない。エスカレーターを大急ぎで下り、出口に向かうと、タクシーが1台だけ待っている(賢明な読者なら、「日本だと数十台いるはずだ」とわかるだろう(1))。子どもを2人連れた母親が手間取っているあいだに、私はその20メートル先でタクシーに飛び乗る。

 予約したアパートホテル。制服の受付係はおらず、女子学生が微笑みながら私に部屋の鍵をくれる。ワンルームに入ると、浴槽の水が漏れる。受付に戻ると、「そうですか・・・。ノートにメモをしておきます、彼らが修理してくれると思います」。日本なら、担当の女性は機械的な口調で長々と謝罪するだろう。しかし、この日本の担当者はなぜ謝らなければいけないのか? 水漏れは彼女の責任ではなく、悪いのは誰だかわからない「彼ら」である。翌日の夜、何も修理されていなかったことを伝えると、フランス人の女性担当者は叫んだように言う。「まあ、ひどい・・・、これって、彼らの仕事よ」。責任者は「彼ら」であり、彼女ではない。だから、喜んでお客の苛立ちに同調するのである。

 似たようなケースの場合、日本の女性担当者ならすべてを自分たちが悪いことにし、何度も儀礼的にお辞儀をして、大げさに謝罪するだろう。研修期間中に何10回と繰り返し叩き込まれたからお手のものだ。彼女たちは何も悪くないのだが、しかし、事業主と一体になっている。一般のフランス人から見たら、そこには何の誠意もないのだが、しかしこの場合、誠意は関係がない。重要なのは結果。一方の客は静かになり、他方の客は苛つき、失望する。完璧に一体化し、どんな些細なミスでも責任を取る組織としての事業主と、投げやりで、窓口となる担当者が責任逃れする傾向のある事業主の違いである。

 

工事現場と配達員

 翌日、大学へ向かう道すがら。小さな通りで、屋根の修理が行なわれている。その光景に、一般の日本人なら目を疑うはずだ。工事現場にいる作業員は二人だけで、しかもジーンズとランニングシャツ姿だ! 一人は屋根の上、もう一人はリフトを使って、車道と歩道にまたがって止めたトラックからスレートを運んでいる。東京では、このような工事の場合、少なくとも6人の作業員が雇われ、半数は交通整理を担当する制服組の70代、必ずヘルメットを着用し、蛍光棒を持っている。普段、人通りがそう多いところでなくても、多数の柵や掲示板、交通標識用のコーンが置かれ、車道に歩行者用の安全な通路が整備されている。私が通ると、赤い棒を持った70代の作業員が謝罪し、それを許した私にお礼を言う。これらを余計な警備で、無駄な出費と笑うこともできるだろう。しかし私はそこに、仕事に対する細かい配慮、社会の潤滑油としての万全の気配り、失業を抑える対策、そしてシニアの仕事を確保するという、意図的な政策があると見ている。

 さて、再び人学への道すがら。1人の配達員が、荷物の届け先が留守だったのだろう、郵便箱に無造作に不在配達通知(私の経験から想像するに)を投げ込む光景に出会った。フランスの場合、留守にした者は、郵便局が開いている時間帯に、たとえ本人の勤務時間であっても、自分自身で郵便局まで荷物を引き取りに行かなければならないはずだ。日本では、同じ用紙に謝罪の言葉と、再配達の連絡用の電話番号が書かれ、望めば夜になってからでも、再度自宅まで届けてくれるのである。

 

ヘルメット物語

 最初の24時間のあいだ、驚いたことがもう一つあった。シャルル=ド=ゴール空港で、銃を肩にかけた3人組の兵士が巡回していたのだが、彼らもまたレンヌの作業員と同じようにヘルメットをつけていなかった。そこで思い出したのが東京でのこと。小池百合子東京都知事が、築地に代わる新市場、豊洲の工事現場を視察したときだ。テレビ報道では、彼女は仕立てのいい白い夏のスーツを着て、技師が説明する人きな地図を覗きこんでいた・・。いっぽう、わが家近くの病院の駐車場では、休憩中の二人の救急隊員が救急車の前でのんびりとしゃべっている。急いでいる様子はまったくない・・・。誰も仕事をしていない工事現場、焼けつくような太陽の下で、一人の制服姿の老人が直立不動で立っている……。

 ここに登場する人たちは全員、それぞれのヘルメットをかぶっている。小池知事のヘルメットは、白で緑の縁取りがあり、彼女のパフォーマンスを損なわないよう頭部に工夫してのせられていた。同じ白でも、緑の太い線と、赤の十字形があるのは休憩中の救急隊員用。黄色で、警備会社の略号がついているのは警備員用だ。それ以外にも私は、公園で枯葉を掃除する作業員がヘルメットをかぶっているのを見たことがあり、地方の一部の学校では、家から校舎までの5分もかからない通学路で、子どもたちにヘルメットの着用を強制しているそうだ。

 このかぶり物は無用に見えるが、重要な社会的役割がある。無数にある日本の習慣の一つで、何をするにも必ず決められたやり方があることを、日本人にたえず思い知らせるためのものなのだ。それはどんなに不条理に見えても守ったほうがいいことを、小池知事のような重要人物が示すことで、それだけより鮮明になるというわけだ。彼女は知事の務めとして都民に、世界は危険で用心するに越したことはないこと、そして、権威筋――彼女をはじめとして――を確実に頼っていいことを、思い起こさせたのである。

 2018年、ハリケーン・フローレンスが米国を襲撃したとき、私はCNNニュースで、アメリカ人のリポーターが名誉を賭けて怪物に立ち向かい、ワイシャツの襟をはだけ、頭には何もかぶらずに、果敢に突風の前に立っているのを見た。フランス人のリポーターはそこまでしないだろうが、しかし服装は、濡れないものであれば充分だろう。日本では、それほどひどくない暴風雨や、やや荒れ模様の報道でも、リポーターは必ずヘルメットをかぶり――完全に防水された建物からの中継でも――、テレビ視聴者に公民精神を説いている。つねに危険を考え、自分の身を守るために決められたことを行なうということだ。そうして、自分自身が手本になることで、それを指示した権威筋への信頼と同時に、協力する意志を示すのである。

 私はレッヌ第一人学日仏経営センターで、学生が日本ヘ1年間行って仕事をする手助けをしているのだが、このフランスでの24時間の話は、最高の導入部になっていた。彼らはすでに、フランスとは多くの点で違う国で遭遇することを知ってから出発する。そしてまだ乗っていないのが、新幹線だ・・・

 

 

 

(1)レッヌ駅では以降、親切なタクシーが多く待っているようになった。しかし、パリでは恐ろしい体験をしたことがある。ある夜、リヨン駅でタクシー待ちの列が300メートルほど続いていた。15分経っても空車が1台もあらわれず、仕方なくスーツケースを抱えて地下鉄に乗ったことがあった。

 

 

 

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