序文

 

 

なんとも理不尽な国……

 

 すでに4半世紀にもなる長い不況から抜け出せないでいるにもかかわらず、日本は世界第3位の経済大国のままである。GDP(国内総生産)は約4兆9000億ドル超で、フランスを88%以上上回り、1人あたりのGDPもフランスを上回っている。しかも、これだけの実績を、居住可能な面積がフランス本土の約3分の1、約12万平方キロという狭い国土で達成している。この便利な国日本が支えている人口は、 1平方キロあたりにして335人、フランスのほぽ3倍で、それなのにインフラの質はよく、生活やサービス面も多くの点で優れている。財政面でも、約3兆ドルの対外純資産を保有する日本は、ドイツや中国を抜いて世界一の債権国。対するフランスは5700億ドルの純債務を抱えている。最後に、世界経済フォーラムが発表する世界競争力指数によると、2018年版で日本は第5位、フランスは12フンク下の17位である。

 いっぽう民主主義国家としては、アメリカ大陸やヨーロッパがポピュリズムの台頭で揺れているのに対し、2012年に政権復帰した安倍晋三首相は――事故でもないかぎり――、2021年まで総理の座にとどまることが確実である。この安定した政治は、社会の平和と対になっており、日本では社会を混乱させるストライキはほとんどなく、大がかりなデモがあったとしても暴徒化することは決してない。公開討論は多くのテーマで穏やかに議論され、と言えば聞こえはいいが、この点で日本は率先して理不尽な社会を推し進めている。重要なテーマである男女平等や連帯、身体障害者問題などを担当する厚生労働大臣はそのすべてを管轄しているわけでなく、文部科学大臣はかならずしも文化全般を管轄していない。もう一つ、きわめて理不尽なのは、あらゆる領域で告発されるさまざまな問題提起を、この国では男女を問わず、どんな知識人も、テレビ司会者、ツイッターやブログのスターも旬の話題として取り上げていないことだ。そこから誰一人、オピニオン・リーダーが生まれていないのである。

 理不尽さは社会レベルでも猛威をふるっている。貧困率は、算定方法が厳しいにもかかわらず、16%にも達し(わがフランスの2倍)それなのに各種手当は非常に絞られている。日本の人口はフランスの2倍近いのに、生活保護を受け取っている家庭はフランスとほぽ同数。労働者も搾取されている。時間外労働は法律によって、月になんと100時間まで要求することが認められ、 一部の労使合意では300時間までを想定――、毎年、司法が数百人を過労死と認めるラインにまでなっている。

 理不尽さはまた人権にも及んでいる。ルノー・日産・三菱アライアンスの元CEOカルロス・ゴーンが、金融商品取引法違反容疑で逮捕された事件でフランス人が発見したように、「メイド・イン・ジャパン」の勾留は容疑者の身柄を3週間まで拘束でき、さらには捜査官のほぽ希望通りに更新ができる。また、刑事訴訟の99%近くは被告に有罪判決が下され、そして、世論の半分近くは死刑制度に賛成、2018年は15人に絞首刑が執行された【世界的に見て死刑制度のある国は少数派】。

 メディアは法律上、政治的中立を守る義務があり、当局はその意味を拡大解釈させるのに躍起である。2014年以降は「特定」秘密保護法の名のもと、情報へのアクセスは徹底的に制限されている。

 影響力の大きい公共放送のテレビ局は、政権の考えを平然と代弁し、首相は恥も外聞もなく、気に入らないテレビ・コメンテーターの更迭を要求――そして成功――、不適切と判断した若いブロガーを個人的に攻撃している。その結果、日本は2017年、「国境なき記者団」が発表する「世界報道自由度ランキング」ではきわめて理不尽な720位、ハンガリーと香港のあいだで、フランスより33位も下になってしまった。

 世界ランキングでさらに理不尽なのは、女性の地位とジェンダーの平等についてである。2017年、世界経済フォーラムの「世界男女格差指数」で日本は114位とギニアとエチオピアのあいだ、フランスより100位以上も下だった。性産業はどんな形でも違法ではなく、建前上、世界最古の職業と言われる売春は例外的に禁止されているのだが、しかし処罰はほとんどない……。

 さらに懸念されるのは、移民に対してきわめて消極的なことだ。日本に住む外国出身者は人口のわずか2.5%、フランスの4分の1である。政府は移住を認めるのは人手不足解消のためだけと豪語し、移住者は供給国から出発する時点で選抜され、家族をともなわず、期間も限定されている。この国の第2の実力者で、現時点で副総理兼財務大臣の麻生太郎が「一国家、 一文明、 一言語、 一文化、 一民族、他の国を探してもございません」と堂々と放言し、たいして物議をかもさなかったことから見ても、そうでなければいけないのである。民族と文化の混合を拒否するこの姿勢により、人類の義務とも言える問題に対して締めつけが強化され、結果、日本はあらゆる難民に門戸を閉ざしている。

 国家、そして国際関係でのきわめて理不尽なこの視点はまた、歴史を直視することを拒み、情報操作した物語を若い世代に意図的に伝えているところにもあらわれている。その典型例が、神武天皇をはじめとする古代の天皇が埋葬されていると見られる陵墓の発掘を禁止し、真実が明らかにならないようにしていることだ。それよりも日本人が必死で守ろうとしているのは、日本の天皇は天照大神などを経て紀元前660年に日本を建国した神武天皇の直系子孫であるという神話で、それが証拠に、建国日とされる2月11日は現在も祝日になっている。

 理不尽の極みは、普遍的な原理が日本では通じないという事実である。「善と悪」は絶対的な意味において存在せず、したがって、「客観的法規範=法体制」と「主観的権利=個人の主観的特権」も存在しない。普遍的な原理でいうと、いかなる法も禁止していないはずの「個人の自由に基づいた思想や行動」、たとえば不貞は、「通常の社会的規範」をもとに司法で否定されるか制裁を加えられる可能性がある。自由は自然法〔事物の自然本性から導きだされる法の総称〕ではなく、私たちフランスの「人権宣言」によって神聖化された絶対的な権利でもない。それは状況によって決まり、日本では――信じられないかもしれないがーー車を所有する権利も絶対的ではないのである。

 幸いなことに、理不尽ではない「理にかなった」面もある。日本人は自身を軽蔑する代わりに、全体的な不満で憂さを晴らしているようで、集団的鬱状態の一歩手前なのである。世界各国民の幸福度を調査するおもなアンケートの一つ、イギリスのレスター大学が行なった「人生に対する満足度スケール」で、日本人はフランス人より30位も下の90位だ。フランスのシンクタンク政治改革基金が行なった「世界の若者」調査でも、日本の若者は彼らを取り巻く状況や母国、生きている時代に対する満足度、何かを変える自分たちの能力に対する信頼度が低く、幻想の世界に逃避する傾向がもっとも強くなっている(2011年)。そんな日本の若者の400万〜500万人が、35歳をすぎてもなお両親と同居し、19歳〜34歳の40%近くが、異性との性関係がほとんどないとしても驚くことはないだろう。その結果、出生率は危険水域、日本は今後4半世紀に人口の2500万人を失うとされている。

 しかしそれでも、日本はうまく立ち回っている! きわめて理にかなったわがフランスを経済面で打ち負かすだけでは満足せず、フランス人以上に自分たちを愛しており、少なくともお互い、国の指導者も含めて我慢し合っているように見える。この国での公開討論は、フランス人と違って論争や意見の対立、辛辣な告発、さまざまな苛立ちでヒステリックになることは、あまりない。国の借金問題にしても、フランス人には未来が閉ざされたように見えるのだが、ここでの雰囲気はまったく重くない。日本の財政赤字は――GDPの250%近く――世界のどの国よりも飛び抜けて高いのだがしかし、それほど借金のあることは表立っていないのだ。フランスの指導層や国家に対する信頼をむしばんでいるストレス要因から、日本人は免れている。失業はないに等しく、犯罪件数は年々減少、当然、政権も安定している。若者の約98%は高校以上の学校に進学し、サービスの質は相も変わらず最高だ。結果として、日本人はフランス人以上に「協同して共生社会をつくり」、そして「共に生きる国民」となり、まさに「一体化」しているようである。

 それでも――あまりに静かで、私たちには異常に見え、疑わしいとしても――、物事は動いている。過労死はもはや経済成長につきものの代償とは見なされず、フェミニスト的な考えも闘いの基盤を見つけ、メディアの支援も得て前進しつつある。移民もいまや必要とされ、できるだけ合理的に管理すべき案件として受け入れられている。前世紀、日本は超特急で成長した国のモデルだった。だったら明日は、変化の一つのモデルになってもおかしくないはずだ。国民性として、あらゆる改革との「断絶」を「理にかなった」ことの担保にする国は、継続して進化することを敬遠する。しかし最後は、黒船による1858年の開国後と、そして1945年の敗戦後の過去2回、すでに世界を驚かせたように、それが結果としてよかったことが明らかになるかもしれないのである。

 2018年12月31日、東京にて

 

 

 

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