日本の読者のみなさまヘ――私か執筆した理由
本書はある憤りと疑問、そして不安から生まれたものである。
憤りは――今は母国を離れているひとりのフランス人である私の、母国フランスの日常生活や社会のいくつかの側面に向けたものである。同胞の多くもまた憤っている。それが現れたのが2017年、現在のフランス共和国大統領エマニユエル・マクロンによって、伝統的な右派左派の既存政党がすべて崩壊したときと。そして2019年の反政府デモ、黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)運動である。
疑問とはこうだ――私のように何年間も日本に住んでいる外国人はなぜ、私と同じようにこの日本にいてこうも居心地がよく、もう母国に帰りたくないと思うほどになるのだろう?
そして不安は――その日本がきわめて深刻な問題を抱えていることだ。経済的活力の減退、高齢化、重くのしかかる借金……。このままだと、私にとって住めば都の日本は消滅してしまうのではないだろうか?
批判も称賛もせす、比較する
日本についての西欧の書籍は一般に、頭から決めつけて判断しているものが多い。むやみに称賛するか、一貫して批判するか、あるいは「西欧とは違いすぎて理解できない」国として紹介する。これらの欠点を避ける唯一の方法は、比較することだろう。
したがって本書は、全体を通してフランスと日本の比較になっている。たとえばフランスでは、日本のメディアは自由な報道と批判精神に欠けていると厳しい目で見られている。しかし私に言わせると、メディテはまた社会に与える影響力でも判断されるべきである。フランスでは、メディアは社会を分断させる傾向があり、日本ではその傾向がほとんど影をひそめている。国民にとってはどちらがいいのだろう? フランスはこの点で、日本から学ぶものがあるのではないだろうか?
西欧から「理不尽」と見られている日本の力こそ原点
日本のその他の面も、フランスでは厳しく批判されている。たとえば、男女の関係、消極的な移民政策、カルロス・ゴーン事件でわかった司法制度の不備……などだ。これらすべての点で、日本が従っている原則は。フランスでは多くの知識人とメディアから「理不尽」と判断されている。それらすべてについて、私は自問した。日本のすることは「すべてが悪く」、フランスは゛すべてがよい」のだろうか? 私の答えは「ノー」だ。フランスから見ると、日本は「きわめて理不尽な国」かもしれないが、しかし、その「理不尽」な原則によって、見事なほど団結してレジリェンス(回復力)のある社会と、他に例を見ないほど安全で、他国がかなわないサービスを備えた国がつくられている。
学術書ではないエッセイ
これまで私は多くの学術書を執筆してきたが、本書はそうではない。エッセイである。執筆にあたって活用したのは、日々、見聞きしたことや、頭に浮かんだ考え、テレビで見たこと……をメモした数10冊のノートである。専門家や大学生のためではなく、フランスの一般読者のために私か3年がかりで書いたものが、こうして一冊の本になった。本書で心がけているのは、日本を分析して説明することではなく、むしろフランスの読者に日本を「肌で感じてもらう」ことだ。つまり、日本について西欧で書かれた多くの書籍とはかなり異色なものになっている。日本を別の視点で見た本である。
お許しを!
この種の本では、きわめて多様な多くの事柄について語ることになる――国家の借金から保育園での子どもの教育方法、テレビのバラエティ番組からヤクザ、甲子園や大相撲から痴漢対策、安倍政権による憲法の拡大解釈から出雲大社の神話、ついでにAKB48からTOKIOまで……。フランスの諺が、日本で言えば「虻蜂取らず」(欲張って手を広げすぎると失敗する)と言っている。
当然、私も一部の数字や事実で間違っていたところがあるかもしれないのだが、もし読者がそれに気づいたら、前もって許してもらうことを願っている。最後に。本書の翻訳出版では河出書房新社と翻訳者には大変お世話になった。この場をかりてお礼を申し上げたい。
シャン・マリ・ブイス