テクノ新世

 もっと人間らしく(4)

 

ChatGPTの口癖、私に伝染 単語「delve」論文で急増

Chat(チャット)GPTの応答はアフリカでの訓練に影響を受けた可能性がある

著名プログラマーで作家のポール・グレアム氏は4月、メールに記されていたある単語に注目した。「詳しく調べる」「掘り下げる」という意味のdelveという動詞だ。「Chat(チャット)GPTで書かれた文章の兆候」という。

グレアム氏は米スタートアップ支援、Yコンビネーターの創業者でもある。同社で頭角を現し、後に米オープンAIを立ち上げるサム・アルトマン氏の才能を見いだした人物だ。

人工知能(AI)の専門家も証言する。国立情報学研究所の小田悠介特任准教授によると、delveは研究論文でも「2023年から目にする機会が増えた」。学術文献データベースで題や要旨にdelveを含む論文の数を調べると、22年11月のチャットGPT公開を機に、約3500本(22年)から約1万7000本(23年)に急増した。24年はすでに前年を上回る。

「話し言葉では使わない」(グレアム氏)というこの単語を、AIはなぜ多用するのか。実はチャットGPTは開発時に、適切な受け答えを学ぶため人間と大量に対話の訓練をした。相手は時給2ドル(約320円)以下で雇われたアフリカの人々と報じられている。

英紙ガーディアンによると、delveはナイジェリアなどで頻繁に使われている。アフリカでの訓練がチャットGPTに影響を与えた可能性があるという。

貪欲に進化するAIは、人類がつむいできた文章を読み尽くそうとしている。AIはニュース記事や辞書など数十兆の単語で書かれた人間の文章を「お手本」に能力を高めてきた。米研究団体エポックAIなどは、このままではお手本の文章を「26年にも使い果たす」とみる。

メソポタミアでくさび形文字が発明されて5000年あまり。人類のあらゆる言語的遺産をのみ込んだAIは何を語り出すのか。ヒトを超えた知能が次々と未到の課題を解決していく、と楽観視はできない。AIには人間が持つゆがみも組み込まれているからだ。

「性差の偏見、同性愛嫌悪、人種の固定観念を生む憂慮すべき傾向がある」。3月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は生成AIの弊害に懸念を示した。

ユネスコによると、生成AIがつくる文章で「ビジネス」「重役」といった言葉は男性の名前と結びつけられることが多かった。一方、女性は「家庭」や「家族」「子供」と強く関連し、あるAIでは家事とのつながりを示す傾向が男性の4倍の割合でみられた。

言語は人間の思考様式を規定する。欧米の文化のもとで育てられたAIが普及すれば、AIの「価値観」に人間が染まりかねない。いち早く気付いたのは、米国企業製のチャットGPTの使用を止めた中国だ。

23年には「社会主義の核心的価値観」に基づく生成AIしか認めない規制を定めた。さらに当局は習近平(シー・ジンピン)国家主席の思想や政治哲学を教え込んだAIを開発した。

中国だけではない。国や地域の独自性を守るため、各国は自らの文化や慣習に基づくAIの開発に動く。

新たなAI事業「クルトリム」について発表するバービッシュ・アガルワル氏(2023年12月、インド南部ベンガルール)
「私たちの伝統や価値体系でAIのグローバル・パラダイムを定義する」。インドの起業家バービッシュ・アガルワル氏は力を込める。ヒンディー語やベンガル語に根ざした生成AIの開発企業を設立した。印政府もAI国家戦略を閣議決定し、業界を後押しする。

AIが変えるのはビジネスや働き方だけではない。AIは言語を通じて私たちの思考や文化を知らないうちに塗り替える。人間が「AI語」を話す日も近い。

 


テクノ新世

 もっと人間らしく(5)

 

東大数学に手応え 近づくAI万能時代、手綱握るのは人類


連載企画「テクノ新世」の取材班が動き出した2023年5月。国内外のメディアが盛んに報じていたのは米ハリウッドに広がるストライキの光景だった。米オープンAIの生成AI(人工知能)「Chat(チャット)GPT」は22年11月の公開からわずか半年で、創造性が求められる脚本家や俳優の雇用まで脅かしていた。

「人間らしさ」という概念を揺るがす、これまでとは次元の異なる変化が世界を覆い始めていた。取材班は人類が生み出した技術が覇権を握り、人々の暮らしや社会のあり方を塗り替える未来の年代記を「テクノ新世」と名付けた。

 

2030年ごろ人知超える可能性

連載の最中にも生成AIは想像を上回るペースで進化した。オープンAI元社員のレオポルド・アッシェンブレナー氏の論文によると、19年公開の基盤モデル「GPT-2」で動作するチャットGPTの知能は幼稚園児程度だった。20年の「GPT-3」は小学生並みに、23年の「GPT-4」は賢い高校生の域へとみるみる成長した。

24年2月、日本経済新聞とライフプロンプト(東京・千代田)はそのGPT-4に東大の入試問題を解かせた。難問ぞろいの理系数学は120点満点で無得点に終わり、生成AIの限界がみえたように思えた。

だが、テクノロジーはその後の3カ月でさらなる飛躍を遂げた。5月に公開された「GPT-4o」に同じ試験を受け直させると、得点は24点に高まった。採点した河合塾の香坂季京講師は「鍛えれば合格圏にすぐ届きそうな伸びしろを感じた」と話す。アッシェンブレナー氏は30年ごろにチャットGPTが人間の知性を圧倒すると予測する。

取材を進めるうちに根源的な疑問もわいてきた。人知を超えるAIを人類は正しく制御できるのか。実用化が始まったクローンペットは命の重みを揺るがすのか。長寿の技術は人々を幸せにするのか。取材班は世界の哲学者を訪ね、テクノロジーが文明に与える影響やリスクを議論した。

米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は「真の問題は、AIによって私たちが現実と仮想の区別を失うかどうかだ」と指摘する。AIが生み出す本物そっくりの映像や音声は、民主主義の根幹を脅かすようになった。11月に大統領選を控える米国ではバイデン大統領になりすました偽の自動音声通話が有権者の投票行動をかく乱する。

 

技術も人も倫理的であれ

AIの絶大な威力は戦争の姿も変えつつある。イスラエルの現地メディア「+972マガジン」は4月、同国の軍隊がイスラム組織ハマスとの衝突で、空爆の標的を選ぶためにAIを使っていると報じた。

AIは写真やSNS、通話相手などから対象がハマス戦闘員かどうか判別する。精度は約90%。残る10%は無関係な市民だ。イスラエル軍はAIが次々と示す標的候補を20秒程度で承認し、空爆を実行していったという。

「善きテクノロジーとは何か」。取材班が最後にたどり着いたのは、この問いだった。考え、判断することが人間だけの特権ではなくなる未来には、技術そのものも「倫理的であること」が求められる。今後、テクノロジーのあり方をめぐる議論は、人間性とは何かを考える議論に近づいていくだろう。

何が正しいことなのか、思索する努力を放棄しない。テクノロジーを制御する手綱は決して手放さない。技術が文明をけん引するテクノ新世においても、人類と地球の命運を決めるのは私たちの知性と理性だ。

 

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