テクノ新世

もっと人間らしく(1)

ウィキペディア創設者VSマスク氏 偽情報に抗う新SNS
 

 

投稿内容はネット検索に出てこない。ウェブサイト内に広告は一切表示しない。「いいね!」ボタンも送金機能もないSNSが2023年、ひっそりと公開された。見た目は地味だが、設立趣旨は明快だ。「正直さと信頼性が何よりも評価される場所をつくる」

 

Xを名指し批判

立ち上げたのは英国在住のプログラマー、ジミー・ウェールズ氏。誰もが編集に参加できるウェブ百科事典「ウィキペディア」の創設者として知られる。人々が信頼を築くSNSという願いを込めて「トラストカフェ」と名付けた。

01年に発足したウィキペディアは約80万人のボランティアがファクトチェックを繰り返す集合知によって記事の信頼性を高めている。英文の場合、1本の記事には平均で約180回の修正が加わる。大勢の知識を持ち寄れば真実に近づくという理念が活動の支えだ。

ウェールズ氏はトラストカフェの構築にあたっても、時事やテクノロジーに関する投稿の中身を利用者が相互に検証するメカニズムを取り入れた。投票を通じて投稿者の信頼度が評価され、ランクが高い利用者はSNSの運営にも携わる。

背景には既存SNSへの不満がある。ウェールズ氏が名指しするのが米起業家のイーロン・マスク氏が22年に買収したX(旧ツイッター)だ。利用者同士が投稿を直接修正する機能を欠くために、誤った情報を拡散する「不健全なメディアだ」と批判する。

一方のマスク氏の目には、多くの知識を反映すれば偏りの少ない情報にたどり着くという発想はうさんくさく映るようだ。「なぜそんなにカネを欲しがるのか」。非営利団体が運営し、サイト内で頻繁に寄付を募るウィキペディアをからかう発言を続ける。

ウェールズ氏も対抗意識を隠さない。「時間とともに多くの人が集まり、重要な存在になる」とトラストカフェの潜在力を確信する。バランスのとれた情報を強みに史上最大の百科事典となったウィキペディアの再現を狙う。

誰もが参加できるオープンな集合知の仕組みは、テクノロジーを正しく機能させる監視役として重みを増している。米非営利団体が立ち上げた「AIインシデントデータベース」は、人工知能(AI)が招いた各種のトラブルを有志の力で記録・分類し、再発を防ごうとする取り組みだ。

700件を超える記録の中には18年に米ウーバーテクノロジーズがアリゾナ州で起こした世界初の自動運転死亡事故や、23年に顔認証システムの誤作動で起きた米デトロイト市警の誤認逮捕などが含まれる。報告されるトラブルの数は過去5年で3倍近くに増えた。

米首都ワシントンの大学講師、ダニエル・アサートンさんは22年にデータベースづくりに加わった。専門は中世文学で、コンピューターサイエンスを本格的に学んだ経験はない。それでも「AIの影響を批判的に分析して議論するには、あらゆる分野の人々が実装に関わる必要がある」との思いに突き動かされた。

 

議会・テック企業動かす

米非営利団体オール・テック・イズ・ヒューマン(ATIH)はAIの開発者らが交流し、議論できる場を提供している。AIの倫理面の課題や規制のあるべき姿などについて公に訴えるためだ。18年に同団体を立ち上げた法律専門家のデイビッド・ポルガー氏は「公共の利益に沿うようにテクノロジーをデザインしなければならない」と話す。

専用の連絡チャットには約90カ国から約9000人が参加する。AIなどの開発をめぐって自らの職場の倫理的な姿勢に不満を持つメンバーには、別の企業への転職をあっせんする。人材の流出を懸念するテック企業に方針転換を迫る戦略だ。

米連邦議会の超党派の議員団は23年秋、AI規制のあり方を話し合う官民の会議体を立ち上げた。24年5月には取り組むべき政策と優先度を示す工程表を発表した。ポルガー氏は「正しい方向への第一歩だ」と手応えをつかむ。所属組織の垣根を越えてこだまする技術者らの声は、政策決定者とテック企業の双方を動かし始めた。

進化するテクノロジーは「人間らしさ」とは何かを問いかけている。「テクノ新世」第5部「もっと人間らしく」は、きたるべき新時代に人類の知性が果たす役割を考える。

 


もっと人間らしく(2)

 

牧師もブッダもAI 「生成された神」に祈れるか テクノ新世 

 

AIが作成した牧師の説教を聞きに約300人の聴衆がつめかけた(ドイツ・バイエルン州) 「信仰を保つために定期的に祈り、聖書を読み教会に通う必要があります」。ドイツ南部バイエルン州の聖ポール教会。約300人の聴衆に向け、スクリーンに映しだされた若い男性牧師は厳かに語りかけた。

 

教典8万点学習

彼は人間ではない。聖書を学び、自然な言葉で説教する人工知能(AI)だ。信者からは「悪魔崇拝者の所業だ」との批判があがった一方、若い世代からは「神の存在を感じた」と好意的な声もあった。

ウィーン大の神学研究者ジョナス・シマーレイン氏が約1年かけて作り上げ、昨年お披露目した。「人々がAIに愛着を感じない現時点では人間の牧師を代替できない」と認めつつも、「数年後にはより高度なAI牧師を生み出せるかもしれない」と考えている。

近代以降、科学技術の発展と反比例して宗教の社会的影響力は弱まってきた。だが今、AIを利用することで宗教が存在感を高めようとしている。

京大はAIをメタバースと統合し、仮想空間上でブッダと対話できるようにする考えだ 「今この瞬間に集中することで不安は克服できる」。パソコン画面のブッダ像に将来への不安を吐露したら、こんな答えが返ってきた。古代インドの仏典を機械学習し、Chat(チャット)GPTを介した現代風の言葉で質問者に答える「ブッダボット」だ。

8万点超ある膨大な原始仏典の学習を今も続けている。「ブッダなら確実にこう言うだろうというレベルに近づく道は見えてきた」。開発した京都大学の熊谷誠慈教授(仏教学)は精度に自信を見せる。法事はおろか葬式すら不要論が広がる中で仏教界の危機感は強い。「AIのブッダは仏教が人々の日常生活の中に入っていくきっかけになりうる」(熊谷教授)

イスラム教もAI利用に積極的だ。教義に関する質問に答えるチャットボットの運用が3月に始まった。

礼拝アプリ「ムスリムプロ」に実装。同アプリはシンガポールのビッツメディア社が開発し、世界最多のイスラム教徒が暮らすインドネシアを中心に1億6000万人が利用する。ジョグジャカルタの銀行員、バンバン・ウィチャクソノさんは「祈りの際にとなえるコーランのフレーズをAIに教えてもらえるのはとても便利だ」と話す。

「ムスリムプロ」に搭載されたAIはイスラム教徒の信仰生活をサポートする ビッツメディア社は「技術と信仰を融合させ世界中のイスラム教徒の精神の健全性を高めたい」としている。香川大学の二ツ山達朗准教授によると「AIの言葉はファトワ(イスラム法学者が出す見解)ではないことを明記しており、現状は規制はない」という。

 

仮想の教会設立

米ピュー・リサーチ・センターの予想では、2050年時点の世界の人口に占める3大宗教の信者数の割合は10年比5ポイント増の66%。特にイスラム教徒は10億人以上増え、この先も宗教を心のよりどころとする人は減らないとみられる。

15年には元米グーグル技術者がAIを神格化した仮想の教会をネット上に設立し物議を醸した。"生成された神"に人間がひれ伏すことへの懸念は宗教界にもある。米最大のプロテスタント系組織、南部バプテスト連盟は19年、「神のみが生命を創造する力を持ち、AIは神の地位を奪わない」との声明を発表した。

「AIの素晴らしさは過去を手放し前進できることだ」。冒頭のAI牧師の言葉だ。AIは神の言葉を伝えうるとも解釈できる発言には危うさもある。14日、主要7カ国首脳会議(G7サミット)でローマ教皇フランシスコは「AIを適切に制御できるかに人間の尊厳がかかっている」と述べた。信仰への技術の浸透をどこまで許すか、判断は人間に委ねられている。

 

 

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