今年は昭和99年、サヨナラ古き良き日本 世界32位から逆襲


2024年、日本は停滞から抜け出す好機にある。物価と賃金が上がれば、凝り固まった社会は動き出す。日本を世界第2位の経済大国に成長させた昭和のシステムは、99年目となると時代に合わなくなった。日本を「古き良き」から解き放ち、作り変える。経済の若返りに向け反転する。

「昭和」をやめ、若い力を引きだそう。

すべてのプロジェクトは挙手で参加でき、入社2年目からリーダー。建設IT(情報技術)サービス企業の「現場サポート」(鹿児島市)は経営計画も全員でつくる。社員82人の3割が20代。福留進一社長は「伝統的な日本の大企業は、戦略ありきで必要な人を集めてきた。我々は社員が得意なことを生かしたい」と話す。売上高は5年で3倍だ。

24年、日本に住む人の半数が50歳を超える。団塊ジュニアも50代に入り、日本の現場を支えた豊富な労働力にはもう頼れない。一方で20歳から64歳のうち20〜30代の比率は27年に37.7%で底打ちして上がっていく。人は減るが、職場は若返る。

昭和の慣習が邪魔だ。下積みを経て仕事を覚え、社歴とともに責任が増して処遇が上がる人事制度は、全ての人の力を十分に引き出せない。昭和の年功序列は、熟練の労働者ほど高い賃金にすることで、生産性の向上と働き手の定着を図った。経験が重要な製造現場では通じても、技術が急速に進歩するデジタル分野には合わない。

 

いきなり世界へ

日本から世界へ。「世界2位」の市場だった昭和に通じたモデルはもう古い。次の世代は「いきなり世界」だ。

「世界中の若者がインターネットでつながっている。日本だけ見るわけにはいかない」。エイベックスの黒岩克巳社長兼最高経営責任者(CEO)はガールズグループ「XG」を最初から世界でデビューさせた。7人の日本人が英語で強い女性を歌い、世界を魅了する。

XGは「Xtraordinary Girls」。日本語にすれば並外れた子たちだ。プロデューサーには韓国や米国の市場に精通した人物を起用し、23年に米ビルボードの一部チャートで首位をとった。J-POPで日本を席巻したエイベックスも、縮む日本の間尺にあわせていては世界での人気を得られない。

 

 

バブル経済が崩壊してから、日本経済は伸びなかった。経済力を示す1人あたりの名目GDP(国内総生産)は22年に3.4万ドルで、世界で32番目にある。00年は世界2位だったが、米国など主要7カ国(G7)のうち最下位に落ちた。

長く続く停滞から抜け出すために解決すべき課題は何か。街角で100人に聞くと、多くの人は若者が希望を持ちにくい社会を案じていた。

「年功序列。変化が生まれない」。慶応大3年の22歳、喜多優太さんはこう答えた。若者への投資が足りないなど、年功が重視される日本のシステムに疑問があるとした人は10人を超えた。

東京都西東京市の65歳、鉄本みどりさんは「企業が内部留保をためこみすぎ」と話した。研究開発費の減少も含め、守りに徹した経営が問題と考える人も1割ほどいた。

 

インド学生集う

でも少し、悲観しすぎてもいる。

採用支援をする「ASIA to JAPAN」(東京・台東)の三瓶雅人社長は昨年12月、25年春から日本企業で働く学生の面接会があったインドを訪れた。インドで最高峰とされるインド工科大学(IIT)からは160人が顧客企業への入社を決めた。22年より24人多い。

米IT大手の採用抑制もあり三瓶氏は「おそらく外国企業では日本がIITの学生を最も多く採用している」とみる。厚生労働省によると22年に正社員で働いた25?29歳の所定内給与は25.6万円と17年より月1万1000円増えた。日本企業も若い才能の獲得に向けて投資している。

昭和の日本は人口が増えていた。通勤ラッシュに住宅難、公害も限られた国土に人がひしめき合うことの弊害だった。これからの日本は人口が減り、国内市場は縮む。働き手が足りない社会では、昭和からの課題を解決する反転の動きが湧き出てくる。

山梨県山梨市の農業法人アグベルには、離農を考える高齢の農家から次々に相談が舞い込む。ブドウ畑は10ヘクタールと、家業を継いだ17年から20倍に広がった。国内の総農家数は跡継ぎ不足から20年に174万戸と5年で19%減ったが、細かく分かれた農地をまとめて収益性を上げる好機でもある。

好機をつかむには、既得権を打ち破る覚悟がいる。農業法人の経営者で農林水産省の審議会委員も務める浅井雄一郎氏は「適切に使われていない農地は固定資産税を宅地並みに上げ、手放すよう促すべきだ」と話す。保護の対象として支える仕組みをやめなければ、稼げる農家は生まれない。

食料品は巨額の貿易赤字だが、22年の農林水産物・食品の輸出額は1兆4140億円と10年連続で過去最高になった。医薬品を上回る。潜在力を解き放てば、新しい輸出の担い手に育てられる。

 

連呼した「支援」

昭和の日本を変えるより守る。痛みを伴う変化を好まず、停滞をもたらした責任は政治にもある。

国会で改革の機運がどんどん薄れている。衆参の通常国会・臨時国会における予算委員会では、23年は11月下旬までの時点で「改革」や「努力」の言葉が日本経済がデフレ入りした98年の4割程度にとどまった。代わりに増えたのは「支援」で、プラザ合意後の86年の35倍に達する。改革をせず支援ばかり訴えるのは甘言に他ならない。

人口減は昭和の時代への安住を許さない。先に進む地方は、力を合わせなければ存続が危ぶまれる。

広島県福山市は、尾道市など周辺の市や町と一体となった行政に取り組む。福山市役所では4市町から派遣された職員が働き、給与は福山市が負担している。全国で初めて23年度から始めた。24年春には備後圏域の医療需要やインフラ更新などの将来推計をまとめる。

圏域の人口は45年までに22%減る見通しで、一極集中で3%増える東京都との違いは大きい。周辺市では産科の閉院も続く。枝広直幹福山市長は「福山市だけで圏域を背負うのはリスクが高い」と語る。昭和にできた行政の区分を越え、住民の定着を目指す。

日本は今後、高齢化で医療や介護など社会保障の負担が増す。世界の成長に取り残されるうちに科学技術分野の競争力は落ち、経済のデジタル化でも後手に回った。

経営共創基盤グループの冨山和彦会長は、戦後の日本型システムは江戸時代の体制と同じように、社会の現状維持につながるとみる。「革命的な転換はしないという国民的な選択が安定と停滞を生む」。変わらない社会は良いことに見えて、成長への意志を奪う。

物価が上がり、賃金がそれを上回る好循環は凍った日本経済を解かす。課題は多いが、出尽くした。変化を受け入れ、若い人の力を最大限に引き出して世界に打って出る。一人ひとりの力を集めれば、成長する国に若返ることができる。

 

昭和99年 ニッポン反転

1968年、経済力が世界2位に のち停滞
歴代の元号の中で、最も長かったのが1926年から89年までの昭和だ。現在も人口の7割は昭和生まれが占める。2024年は昭和だと99年目にあたる。

60年あまりの間に日本は激動を経験した。初期には世界恐慌のあおりを受け不況に陥り、各国との対立が第2次世界大戦の悲劇を生んだ。政府は公式見解として、日中戦争から第2次世界大戦までの戦死者を約310万人としている。

戦後は急速に復興した。1950年の朝鮮戦争に伴う特需を経て、高度経済成長期だった68年には国民総生産(GNP)で当時の西ドイツを抜いて世界第2位の経済大国となった。所得水準も大きく伸び、自動車とクーラー、カラーテレビの「新三種の神器」が家庭に普及した。

73年のオイルショック後は成長率が下がったが、昭和のうちは74年を除きマイナス成長はない。「金持ちでなくても貧乏ではない」という認識から「一億総中流社会」と呼ばれた。

80年代に入ると米国との貿易摩擦が激しくなる。経済大国になったが故の衝突でもあった。政府は円高対策として利下げを進め、それがバブル経済の一因となった。不動産価格が伸び続けるという「土地神話」や株投資ブームが経済の実態を見えにくくした。

90年代にバブルが崩壊すると金融機関は不良債権処理に追われ、雇用・設備・債務の「3つの過剰」を抱えた企業はリストラを迫られた。

現在に至る停滞は「失われた30年」とも呼べる。15〜64歳の生産年齢人口1人あたり名目GDP(国内総生産)は84年には主要7カ国(G7)で3位だったが、2022年には6位にある。

日本の企業文化に昭和の残像が映るのは、世界第2位の経済大国となった成功の記憶が強いからだろう。街角で繰り返される「昭和だよね」という会話は自虐的で、甘い。思い出は大切にしつつ、昭和から解き放たれるべき時がきている。

 

 

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