ポジティブに我が道を行く テニス・西岡良仁(上)

 

 

「ノー勉でいける英語学習」「日本代表が教えるバックハンド」「デ杯の舞台裏密着」……。西岡良仁(24、ミキハウス)のSNS(交流サイト)には、手づくり感満載の投稿があふれる。

1月の全豪オープン3回戦進出、2月のデルレービーチ・オープン準優勝と今季は好調で、世界ランキングも自己最高の48位まで上げたのに、3月、新型コロナウイルスの感染拡大でツアー全大会が中止・延期に。ならば、と発信に力を入れるようになった。

西岡は手づくり感満載のSNS投稿に力を入れる
「(海外の大会ばかりなので)もともとファンに見てもらう機会がない。取材も(錦織)圭くん、(大坂)なおみちゃんに集まる。だったら自分で発信した方がいい」

そんな時間があったら練習しろ、自分の姿は結果で見せるべきだ、という声も聞こえてくる。「気にしない。みんな、24時間オフィスにいるの? アスリートは厳格化されすぎ。投稿は1分でできるし、自分のマーケティングは自分でいくらでもやれるんだから」。3年前から地道に発信力を高めた結果、「圭くんの次にファンが多い」と胸を張る。

この突き抜けたポジティブさで周囲に惑わされず、我が道を行けるのが西岡だ。三重県でテニススクールを営む両親の下でテニスを始め、全国小学生、全日本ジュニアなどを制したエリートだが、周囲の期待度はさほど高くなかった。

錦織と同じく、盛田ファンドのサポートでIMGアカデミー(米フロリダ州)にテニス留学したものの、中学1年、2年と米国での最終選考で落ちている。3度目に呼ばれた時は「練習会においで。その先は見据えてないけれど」の一言つきだったが、見事合格した。

「(アカデミー創設者の)ボロテリーさんが偶然、僕を日本で見ていて、すごく推してくれたらしい。軍隊出身の人だから、『技術うんぬんじゃない』というのが根底にあって選んだのかなと思う」。背の低さをカバーすべく、自然と身についたねちっこいプレーが印象に残ったようだ。

あまり人の名前を覚えないことで有名なボロテリーが「ヨシ、足が速いな。コックローチ(ゴキブリ)だね」とよく声をかけてくれたが、その他の評価は厳しかった。「あんまり強くなれないよ」という声も聞こえてきた。ただ、自信は揺らがなかった。

「何人かは僕を信じてくれたし、アカデミーでも同年代では一番強かった。対外試合でベストの成績を出せなくても、僕は負け続けた経験がないんで」。若手の登竜門大会、ITFフューチャーズで安定した成績を残して2014年、錦織に次ぐ盛田ファンドから2人目のプロに。ただ、マネジメント会社とは契約できなかった。

「それで苦労はしたと思う。(当時は)ラケットを折ったり、試合を投げたり、僕の態度も悪かった」。余計な苦難も楽しんで糧にする。それも西岡流だ。=敬称略

 

 


 

四大大会シード獲得目指す テニス・西岡良仁(下)

 

 

西岡良仁(ミキハウス)が飽きるほどされる質問が、世界トップ100ではシュワルツマン(アルゼンチン)と並んで最も低い、170センチの身長のことだろう。

リーチは短くなるし、サーブでは圧倒的に不利だが、さほど気にしないのは「子供の頃から小さく、サービスエースは取れないもの」という覚悟と、左利きという武器があるからだ。「球の軌道が違うから、かなりのメリットがある。しかも左利きで背が低い人は少ない。弾道が低く、切れていくセカンドサーブはハードヒットされない」

今年2月、初めてトップ50入りを果たした

IMGアカデミー(米フロリダ州)への留学後、左利きを生かすことを徹底的に指導された。アカデミー創設者のボロテリーには「マルセロ・リオス(チリ、元世界1位で身長175センチの左利き)を見ろ」と言われ、コーチには錦織圭(日清食品)の練習をよく見学させられた。

「圭くんは1ポイントの中で高い軌道、低い軌道、スライスなど、いろんな球種を打つ。そのゲームメークを自分の感性で捉えろって」。そして、16歳の時から原則として国際テニス連盟(ITF)のプロ大会だけを転戦させられた。「ジュニアなので負けても悔しかったで済む。それでいて生活がかかったプロのシビアさを体験できた。"アジアのチビ"はなめられるし、ズルもされるんです」

泣かされて負かされ、少しずつ勝てるようになった。世界500位相手には「これくらいのテニスで勝てる」という手応えをつかみ、ほぼ勝てるようになった頃、ATPチャレンジャー(CH)に主戦場を移した。CHは世界300位〜100位を切る選手が出てくる。上位の攻めの速さ、球質に慣れた頃、20歳で世界100位に入った。

ITFに約3年、CHからATPツアーを主戦場にするまでに約3年かかり、24歳の今、ほぼツアーだけを回る。若くしてツアー優勝を果たし、そのまま上位に定着する錦織のような選手は「別格。僕は時間はかかったけど、順序よく、少しずつレベルアップできたので、ベースをしっかりつくれた」。だから2017年3月、左膝の靱帯を傷め、9カ月近く戦線離脱しても慌てなかった。

「ナダル(スペイン)やバブリンカ(スイス)と対戦済みで、トップのレベル、自分のレベルも把握していたから。これってすごく重要」。18年9月、ツアー初優勝でトップ100に返り咲き、今年2月、初めてトップ50入りした。

目下の目標は四大大会でシードがつく世界30位。現在、「唯一勝てる気がしないのはジョコビッチ(セルビア)」で、あとは勝つイメージがわく。「でも上位に1度勝ってもランキングは上がらない。実力の土台を上げ、安定して勝たないと」。ツアー再開まで雌伏の時は続く。=敬称略

 

 

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