「他人頼みの国が危ない」君主論が説く普遍の鉄則

 

逆境になれば防御力に欠け、何事も運任せになる

 

 

ニコロ・マキャベリ : 政治思想家

 

北朝鮮からミサイル発射の報があるたび、「誠に遺憾」を繰り返す日本政府。戦争はいけない。でも、「遺憾」に効力があるようにも思えません。いざとなったら、本当にアメリカはなんとかしてくれるのでしょうか??国家存亡とリーダーがとるべき姿勢を読み解く古典『君主論』は、第三者に頼らず独力で問題に立ち向かう重要性を説きます。『すらすら読める新訳?君主論』から日本国防のヒントを抜粋・再編集します。

 

「傭兵」は内弁慶。

敵の前では臆病 君主国の性質を検討するには、ある観点が必要である。何か起きたときに君主が自力でもちこたえられる国か、あるいは第三者の支援が必要になる国かという観点だ。

詳しくいえば、自力でもちこたえられる国とは、豊富な財力や人材によって適切な軍隊を備え、どんな侵略者とも一戦を交えることができる国だ。反対に、つねに第三者を必要とする国とは、戦場に出て敵と対峙することができず、城塞のなかに引きこもって防御する国を指す。

新しい国であれ、古くからある国であれ、すべての重要な基盤となるのは「よい法律」と「すぐれた軍隊」である。すぐれた軍隊のないところによい法律はなく、よい軍隊があるところによい法律がある。そこで、ここでは法律について論じることは省き、軍隊について語ることにしよう。

君主が国を守るための軍隊は、自国軍、傭兵軍、外国からの援軍、あるいは混成軍のいずれかだ。傭兵軍と外国からの援軍は役に立たず、危険である。傭兵軍を頼りにして国家を築いても、安定しないどころか安全も確保できないだろう。

というのも、傭兵は野心に満ち、規律を欠き、信頼できず、味方のなかでは勇敢に見えるが敵の前では臆病になり、神を恐れず、人間に対しては不誠実だからだ。傭兵の場合には、たんに攻撃を引き延ばしている間だけ敗北が引き延ばされているにすぎない。

したがって、君主は、平時においては傭兵に、戦時にあっては敵に剥奪されてしまうのだ。そもそも、傭兵にとっては給料を受け取るため以外に、戦場にとどまる動機も愛着もまったくない。その給料の額たるや、君主のために生命を投げ出すにはあまりに少ないのだ。

君主が戦争をしないうちは兵としてつかえようとするが、いざ戦争になると戦線から逃げ出すか、どこかにいなくなるかのどちらかだろう。

これは今日のイタリアの没落が、長年にわたって傭兵に頼り切っていた結果であることを見れば明らかだ(「君主論」執筆時のイタリアは統一国家でなく、各都市が独立国の様相で乱立していた)。傭兵軍が勇敢に見えるのは仲間内にいるときだけで、外国軍がやってきたとたんに化けの皮がはがれてしまった。こうして、フランスのシャルル王は、実際に戦うことなく、チョーク1本で印をつけるだけでイタリアをまんまと占領した。

 

外国軍頼みで国を乗っ取られることも

経験的に、武力を備えた君主および共和国だけが大きな発展を遂げたが、傭兵軍は損害しかもたらさなかったといえる。そして、自国軍をもつ共和国のほうが外国人部隊で武装している場合より独立を保てる可能性が高い。たとえば、ローマとスパルタは、何世紀にもわたって軍備を整え、独立を守ってきた。スイス人も強い軍隊を持ち、完全に自由である。

古代の傭兵軍には、カルタゴが挙げられる。ローマとの第一次戦争が終わったとき、カルタゴは自分たちの市民を指揮官にしていたにもかかわらず、傭兵に制圧されそうになった。ミラノ人は、フィリッポ公の死後、フランチェスコ・スフォルツァを雇って、ヴェネツィアを攻略した。するとスフォルツァは、カラヴァジョで敵を破ってから、雇い主のミラノ人を制圧するために、今度は敵だったヴェネツィア人と手を組んだ。

役に立たないもう1つの戦力に、外国からの援軍がある。最近では、教皇ユリウス2世がフェラーラを攻略した際、傭兵隊が一向に戦果をあげないのをみて行ったことである。彼は、スペイン国王フェルナンドと同盟を結んで、軍隊を送り込んで援助してくれるよう要請した。

こうした援軍はそれ自体は役に立つのだが、呼び寄せた者にとっては大いなる禍いとなる。

というのも、彼らが敗北してしまえば自らも滅亡してしまい、反対に勝利した場合には彼らの捕虜にされてしまうからだ。こうした例は昔から枚挙にいとまがない。

つまり、傭兵軍がより危険になるのは彼らが無気力なときであり、外国の援軍においては、彼らが有能なときである。

したがって、賢明な君主は、外国の援軍にも傭兵隊にも頼らずに自国の軍隊を置こうとする。他国の兵力を借りて手にした勝利など真の勝利ではないと考え、第三者の力で勝つぐらいなら独力で負けることを望むのだ。

 

不都合の解決を先送りするな

私の結論はこうだ。

自国軍を持たない君主国は、どこであれ安泰ではない。逆境ともなれば、自らを防衛する力に欠けるので何ごとも運任せになる。「自らの力を基盤にしていない権力者の名声ほど、もろく当てにならないものはない」とは、古来、賢人が語ってきた言葉だ。

他者に頼る場合には、必ずといっていいほど弊害が生まれて何も達成できない。反対に、自分の力を発揮した場合には、危機に陥ることはめったにない。だからこそ、武装している予言者は勝利を収めたが、そうでない予言者は滅びた。

 名君たるもの、目の前の紛争だけでなく将来に備えて万全の対策をとっておかなければならない。医者もよくこう言うではないか。「初期段階の肺病は発見は難しいが、見つかれば治療はやさしい。ところが、遅くなればなるほど、簡単に発見できるが、治療は難しくなる」。 国を治める場合にも同じことが起きる。

ローマ人は、早くから不都合なことを見つけて、すぐに対応策を講じ、「争いを避けたいがために事態を放置しておく」などということはけっしてしなかった。そもそも争いは避けられるものではない。先送りにすれば敵に有利になるだけだとわかっていた。

だからこそ、彼らはフィリッポスやアンティオコスに対してギリシアで戦いをしかけ、イタリアでは戦わないですむようにした。現代の賢者たちがよく口にする「時が熟すのを待ち続ける」というやり方を好まず、自信の力量と思慮深さに懸けたのである。なぜなら、時とともに、よきことだけでなく悪しきことも運ばれてきてしまうのだから。

 

 

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