Next World 歴史×データ

 

経済の亀裂回復に60年 1913年、グローバル化最初の頂点

 

 

日本経済新聞は1月1日、グローバリゼーションのこれからを考える連載企画「Next World 分断の先に」を始めます。本編と並行して、世界の現在地と未来を読み解くヒントとなる歴史やデータをまとめた「歴史×データ」編を配信します。

15世紀の大航海時代に本格化したグローバリゼーションは浮沈を繰り返しつつ進化した。融合が最初の頂点に達したのが1913年。貿易比率が当時の水準まで回復するのは、その後2度の大戦を経た60年以上先だった。ひとたび亀裂が極まれば、簡単には癒やせないことを示している。

 

過去500年の経済統合を後押ししてきたのは技術の進歩だ。

オランダからインドネシア・ジャワ島への航海は帆船で3カ月かかったが、蒸気船の発明により3週間に縮まった。1870年に英国とインドが電信ケーブルで結ばれると、8カ月かかったメッセージが5時間で届くようになった。

世界の1人あたり貿易額は1820年から1913年にかけて17倍に。「電話一本で地球上の様々な商品を玄関で受け取れるようになった」。経済学者ケインズは史上初めて「世界市場」が成立したと表現した。

インド、中国、欧州の移民はこの時期に計1億人を超えた。1913年、世界の国内総生産(GDP)に占める輸出額の割合は14%に達した。1870年から1914年にかけて国家間投資も5〜6倍に膨らんだ。

グローバリゼーションの「第1期黄金時代」は戦争で幕を下ろす。1914年、第1次世界大戦が始まると貿易額は1年で12%も落ちこんだ。終戦後も欧州列強による経済のブロック化が進み、世界の分断は第2次世界大戦まで続いた。

終戦に合わせ誕生した「ブレトンウッズ体制」。ポイントは金融の管理だった。為替相場の切り下げ競争が戦争の一因となったのを踏まえ、金と交換可能なドルを軸にした通貨枠組みを築いた。貿易分野では保護主義への反省から1948年に関税貿易一般協定(GATT)体制が築かれた。

それでも各国の経済の結びつきはすぐ回復しなかった。ブレトンウッズ体制は為替の安定と各国の金融政策の自立を優先し、自由な資本移動は制限したからだ。「資金調達は主に国内で行うべきだ」。当時の経済政策を主導したケインズの考えを色濃く反映した。

ようやく1913年の水準を超えて経済が融合するのは70年代だ。71年、米国が一方的に金・ドル交換を停止したニクソン・ショックで金本位制は終わった。さらに資本移動が自由化され、国境を越えるマネーにけん引され貿易も活発になった。

1989年にはベルリンの壁が崩壊し、米国・ソ連のマルタ会談で東西冷戦が終結した。95年には世界貿易機関(WTO)が発足し、自由貿易の仕組みが整った。2001年に中国がWTOへの加盟を果たした。

08年にはGDP比の輸出額が26%になり、次のピークに達した。世界の結びつきが1913年を大きく上回る今、かつてのように後戻りをすれば世界は壊滅的な打撃を受けかねない。

グローバル化の恩恵を享受しつつ、一部の国々の横暴を許さない世界をどう築いていくか。政府、企業、個人それぞれの意志と行動に未来がかかっている。

 

 

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