お布施の金額、コロナ禍で透明化加速 仏教界に変化の波

 

 

料金表について説明する橋本英樹住職(埼玉県熊谷市の見性院)

お布施をいくら払えばいいのか。この仏教界の難題に透明化の動きが出始めている。葬儀や法要の料金の目安を公開したり、お寺の収支を明示したりする。新型コロナウイルス禍で葬儀がオンライン化や小規模化する中、利用者のお布施への見方は厳しくなっている。長年不透明だった問題に向き合い、利用者目線で自ら変わろうとする仏教界の動きを追った。

 

檀家制度廃止やお布施の目安を公開の動き 

埼玉県熊谷市にある曹洞宗の見性院は、檀家制度を廃止した寺として知られる。2012年に宗教も宗派も問わない会員制に変えた。葬儀は僧侶1人による供養で戒名がない場合は10万〜20万円などとお布施の目安を料金表にして明示。同時に寺の収支もホームページに公開した。

住職の橋本英樹さんの狙いは明確だ。「檀家制度は時代に合わない。会員はお布施の低額化と明朗会計を求めている。まずは我々がその要望に応え、信頼を回復することがお布施の問題の解決につながる」と話す。

集会が制限されたコロナ禍の20年からはビデオ会議システムを使った法要を始め、お布施は2万〜3万円と割安に抑えた。葬儀・法要の料金は他に比べて安いが、この10年で会員数も収入も約5倍に増えた。

全日本葬祭業協同組合連合会が2月に公表した「葬儀に関わる僧侶の実態調査」では、お布施に「納得していない」「あまり納得していない」と答えた遺族の合計が53.8%に上った。理由は「高額であるから」が71.7%と最も高く、「金額を強要された」などの不満があった。

 

日本仏教会は定額表示に反対 「サービスの対価ではない」

主要宗派を統括する全日本仏教会はお布施について「サービスの対価ではなく、金額は慈しみの心に基づくもの」という考え方を貫く。利用者の不満に理解を示しながらも「サービスとすれば課税される可能性がある」として、お布施の定額表示に反対してきた。

「寺よ、変われ」の著書がある臨済宗・神宮寺(長野県松本市)の前住職、高橋卓志さんはこの見解に明確に異議を唱える。「お布施は宗教的なサービスの対価。料金の明示で課税されることはない。サービスにすらなっていない葬儀の現状こそ問題だ」と批判する。

神宮寺は30年以上前から寺の収支を檀家に公開し、お布施の目安を提示してきた。領収書も出している。

高橋さんは葬儀の前日に遺族の思いを傾聴し、当日は遺族の方を向いて丁寧に故人の話をする。「葬儀を依頼する人はいわば消費者。お布施の費用対効果を考えるのは当然。僧侶としてプロの仕事をすれば、お布施がその対価であるのは自然なことだ」と明言する。

 

築地本願寺、料金の目安公開 「コロナ禍で透明化の動き加速」

これに対し、料金の目安を公開しながらも「サービスの対価ではない」という考え方を取る寺もある。浄土真宗本願寺派の築地本願寺(東京都中央区)。銀行界出身で8月末まで宗務長を務めた安永雄玄さんは「宗教行為である葬儀や法要は『サービス』ではないというのが寺側の理屈だ」と言う。

安永雄玄・築地本願寺宗務長(取材当時=現西本願寺執行長)

一方で「個人的には『お布施はお気持ち』なんておかしいと言ってきた」と正直に話す。「お参りする人の気持ちに寄り添って着地点を見つけないといけない」という思いから、コロナ禍の20年5月に料金の目安を公開した。コロナ前からネットで法要を公開するサービスを始めており、「コロナで透明化の動きが加速した」という。安永さんは8月28日に京都市の本山・西本願寺の執行長に就いた。

葬儀事業を手掛けるよりそう(東京・品川)は、固定価格に加えて利用者が僧侶の仕事への感謝を表す「おきもち後払い」を19年に導入した。

満足度を回答し、サービスの対価を任意で追加できる。執行役員の秋山芳生さんは「僧侶の弔いが家族の悲しみに寄り添い癒やしにつながることは多く、半分近い人が使っている」という。

見性院も神宮寺も築地本願寺も、例えば生活保護を受ける家族からはほとんどお布施を受け取らずに葬儀を引き受ける。収入の多寡を問わず弔いを受ける機会を提供し、遺族らの心に寄り添う。その役割が求められる限り、お布施の目安公開が宗教行為から逸脱することはない。

 

お布施は利用者とお寺の「折り合い」の文化

宗教ジャーナリストで浄土宗僧侶でもある、一般社団法人「良いお寺研究会」代表の鵜飼秀徳さんに課題を聞いた。

私が戒名含むお葬式のお布施の妥当な金額を一般人と僧侶それぞれ100人にアンケートした結果、一般人は15万〜20万円。僧侶は25万円〜30万円だった。この10万円の差は寺への不信感の表れだ。信頼関係がないにも関わらず僧侶が偉そうな態度を取ることがあるからトラブルになる。50万円を超えるお布施を寺が要求することに、効果を確信できない利用者が納得できないのは当然だ。

お布施は払う側と寺側がサービスと宗教行為の折り合いをつける文化だと思う。裕福な人は多めに出し、貧しい人は少しでもいい。その「平等」の精神が暗黙のうちに成立することが理想だ。お布施の問題は、仏教界に「本当の平等とは何か」を突きつけている。

 

 

もどる