時論・創論・複眼

 

安倍元首相銃撃 凶行が映す社会のゆがみ

 

 

板橋功氏/片田珠美氏/桐生正幸氏

 

安倍晋三元首相が奈良市での街頭演説中に銃撃され死亡した。山上徹也容疑者(41)は7月下旬から始まった鑑定留置で事件当時の精神状態を調査中だ。近年は多くの犠牲者を出す襲撃事件も相次ぐ。凶行が映す社会の背景や課題は何か、どのような対策があるのか。専門家に聞いた。

 

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組織属さず察知困難 公共政策調査会研究センター長 板橋功氏

いたばし・いさお 1987年、慶応大大学院経営管理研究科修了。92年に公共政策調査会、2015年から現職。国際テロ情勢や危機管理が専門

逮捕された山上徹也容疑者は特定の組織に属さず、計画や準備、襲撃まで全て単独で実行したとされる。近年、国内外で大きな問題となっている「ローンウルフ(一匹おおかみ)」型の事件といえる。

ローンウルフ型では、2008年に発生した東京・秋葉原の無差別殺傷事件、16年に仏ニースで80人以上が死亡したテロ事件など、不特定多数が集まる「ソフトターゲット」を標的とするケースが多かった。

今回は影響力の大きい政治家が狙われた。政治家の襲撃は特定の組織が関わったり、思想的な背景が動機となったりすることがほとんどだ。警察当局は組織の動向や過激思想の予兆に目を光らせているが、その警戒の網にはかからない人物だろう。

そもそもローンウルフ型は予兆を捉えるのが極めて難しい。

日本と比べてテロ対策を巡る国の権限が強い欧米諸国などでは、事件の捜査とは別に、情報機関が議会の統制下で通信を傍受することもあるが、単独犯は誰とも連絡を取らずに計画を進めるため効果は乏しい。どこの国も有効な手段を見いだせず、頭を悩ませているのが実情だ。

こうした犯行形態が近年急速に広まったのは、国際テロ組織アルカイダや過激派組織「イスラム国」(IS)の戦略がきっかけだ。欧米などにテロリストを送り込むのではなく、インターネットを通じて現地の国民らを過激化させる「ホームグロウン(自国育ち)」型のテロを広めようとしてきた。

武器の調達は、警察や治安当局に察知される場合も多い。テロ組織が始めたのが身近な材料を使った爆弾など武器の作り方のネット配信だ。実際、13年に起きた米ボストンマラソンの爆弾テロ事件では、圧力鍋を細工したものが使われた。

日本では刃物やガソリンを凶器とする場合が多かったが、容疑者はネットで調べた情報などをもとに自作の銃や火薬を準備し、襲撃に使ったとされる。こうしたリスクは国内でも高まっていくと考えるべきだ。

武器の原材料はホームセンターや100円ショップでも買えるものもある。警察は爆発物の原材料となる薬品を扱う事業者らに対し、購入者の本人確認や不審者の情報提供を求めているが、実効性には限界もある。原料となる薬品や花火に入った火薬であれば、少量ずつ買えば怪しまれることもない。

手立てがあるとすれば、SNS(交流サイト)への書き込みなどから事件の予兆を察知する能力を高めていくことだ。単独犯でも、社会に自分の不満や気持ちを発信したいという願望が垣間見えることは多い。容疑者もSNSに多くの書き込みを残したり、襲撃前に手紙を書いたりしていたことがわかっている。

警察庁はネット上のテロ情報を収集・分析する「インターネット・オシントセンター」で情報の収集や分析にあたっている。過去の事件の投稿を分析するなどしてノウハウを積み上げ、危機を察知する精度を高めてほしい。

 

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孤立で襲撃ためらわず 精神科医 片田珠美氏

かただ・たまみ 1985年大阪大学医学部卒。96年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。著書に「拡大自殺」「一億総他責社会」

安倍氏を襲撃した山上徹也容疑者の供述や親族の証言からは、母親が宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」に多額の献金を繰り返し、父に続いて兄を自殺で失ったうえ一家の経済難で大学進学を諦めて職を転々としていった姿が浮かび上がる。

この間、容疑者は複数の資格を取得するなど努力も重ねていたようで、家庭環境に問題がなければ、堅実な人生を送れていたかもしれない。心を保つために「不利益を受け続けた自分には、復讐(ふくしゅう)が許されるはず」との考えに至ったのではないか。

当初は国外在住の同連合トップの襲撃を試みたが、新型コロナウイルスの影響などで実行に移せなかったという。やり場のない憎悪は、同連合に近いと映った安倍氏に向かった。本来の対象に接近が難しかった場合に矛先を変える「怒りの置き換え」という現象が起きた。

恨みを世間に訴えるため、世界的な知名度を誇る安倍氏を狙った可能性も考えられる。容疑者のものとされるツイッターのアカウントでは、フォロワーがほぼ不在の中で同連合の批判を重ねていた。見過ごされてきた主張が世間の耳目を集めている現状を知ったなら、一定の手応えを感じるのではないか。

凶悪事件は「自分はもうダメだ」と受け止める「破滅的な喪失」と呼ばれる体験が直接の引き金となる例が多い。容疑者の境遇に照らすと、犯行前に仕事を辞めて孤立や困窮を深めた状況が、これに当てはまるだろう。

社会的に失うものがなく、凶行をためらわない人間を指す「無敵の人」というインターネット上の俗語があり、今回の容疑者は典型例と言える。

「逮捕されても構わない」と思っているから刑罰は歯止めにならない。容疑者は制圧された際に抵抗する様子を見せなかった。警官による発砲すら望む、という意識はなかったか。

孤立や経済的困窮など自身の置かれた環境に不満を募らせる人が増え続ける限り、同種の犯罪が起こる危険性は今後も残る。対策として考えられるのは、他者とのつながりをつくり、社会の一員であるとの意識を醸成させることだ。

就労の場を見つける再就職支援や、暮らしの相談窓口などの公的サービスにとどまらず、ご近所同士のあいさつといった地域社会の交流も欠かせない。「あなたはひとりではない」というメッセージを様々な場面で送り続けることが必要になる。

事件を通じては宗教を巡る問題も浮かび上がった。欧州では1990年代に新興宗教の信者による集団自殺が起き、心理的、身体的な依存状態をつくる団体への法的規制が進んだ。

精神科医として接した患者には、宗教の活動にのめり込んだ末に家庭生活が破綻した例も少なくない。過度の依存や献金などで人々が縛り付けられるようなケースにいかに対処していくか。社会全体での議論を急ぐべきだろう。

 

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時代の潮目に犯罪変化 犯罪心理学者 桐生正幸氏

きりう・まさゆき 山形県警科学捜査研究所主任研究官、関西国際大教授などを歴任。現在は東洋大学教授で、社会学部長を務める

近年は大量殺人や凶悪事件の発生が相次ぎ、新幹線や電車内など衝撃が大きい公衆の場での事件も増えてきた。例えば「自らが感じた社会の不条理な部分を変える」といった、ゆがんだ正義感が発端となった相模原市の障害者施設での殺傷事件(2016年)のようなケースが従来型だったのに対し、最近は恨みなど個人的理由で多くの人を巻き込むという思考に至っている。

36人が死亡した京都アニメーション放火殺人事件(19年)、26人が犠牲となった大阪・北新地ビル放火殺人事件(21年)も個人的な動機で、組織を攻撃して破壊すれば目的が達成されるという考えだったとみられる。

自分の家族や人生を台無しにされたとして、山上徹也容疑者から宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」に向けられた明確な恨みが引き金となったとされる点では、今回も同じ系譜の事件といえる。

大きな違いは、同連合幹部に近づけないなどの事情が重なり、直接関係がない安倍晋三元首相を標的に据えたことだ。間接的であっても目的を達成するため、最適な選択として安倍氏を狙ったのだろう。犯行後の政治的・社会的影響を理解しているという意味でも、近年の事件の「発展型」との仮説が立てられる。

京アニ事件との類似点は、インターネットなどの断片的な情報をつなぎ合わせ「同連合と安倍氏は親しい関係だ」という認識が形成されたとみられる点だ。その認識にはゆがみがあるものの、攻撃的な思考と相まって、犯行に至る大きな要因となった可能性が高い。

日本は諸外国と比べて経済成長が鈍化し、身近な生活そのものが地盤沈下を起こしつつある。将来が見えにくい社会だと多くの人が感じてしまっている。時代の変わり目は、犯罪の質的変化が起こる傾向にある。いみじくも、そうした時期に長期政権を担った安倍氏が狙われたことが象徴となったかもしれない。

閉塞感が漂う時代を背景として、自らが抱える問題を解決するためには「誰かを攻撃するしかない」といういびつな思い込みが強まる。これに加え、今回は警備態勢の不備が重なったこともあり、凶悪な犯行が表出してしまった。

安倍氏の銃撃事件は、政府高官を狙った襲撃事件が相次いだ明治維新や戦前に戻ったと錯覚させるようで、あまりにもインパクトが強かった。同じような事件を起こさないためにも、まずは閉塞感を払拭する取り組みが必要だ。

一方で今回の事件を機に、一般の人を巻き込むこともいとわず、社会的影響力のある人を狙う模倣犯が現れる懸念がある。凶器としてガソリンだけでなく、手製の銃も製造できることが広く知られた。市民は「身近で起こりうる」という危機意識を持たなければならない。

企業などで日ごろ実施している防災訓練とあわせて「防犯訓練」を行うことも一案だ。いざという時に、誰がどのように動くか、主体的に考えるきっかけをつくることが不可欠になっている。

 

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<アンカー>「孤独」対策 模索続く

安倍晋三元首相の銃撃事件の衝撃は今なお続いている。捜査当局は、なぜ安倍氏が命を狙われるに至ったのかなど動機の解明を進めている。同種事件の再発防止には、背景となる社会の「ゆがみ」を探ることも欠かせない。

近年の無差別殺傷事件の背景として浮かぶのは、社会との接点が乏しく孤独や孤立を深め、自身の境遇に不満を募らせていたとの共通点だ。「孤独感」は2008年に東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件でも動機の背景と指摘された。対策が後手に回ってきた感は否めない。

海外でも同種事件の防止策を模索している。英国は18年、孤独・孤立問題の担当相を設置し、犯罪リスクの軽減に取り組む。日本も21年に担当相を新設した。特効薬がないからこそ、地道な対策を積み重ねていくことが重要になる。

 

 

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