私のリーダー論

 

ピアニスト・反田恭平氏 前に進んでいる姿見せる

 

 

 

ピアニストの反田恭平さん(27)は2021年、世界最高峰のショパン国際ピアノ・コンクールで日本歴代最高に並ぶ第2位に入った。指揮者としても活動を始めているほか、自身が立ち上げた音楽事務所やオーケストラを率いる経営者でもある。リーダーとして、常に前に進む姿勢を見せることを意識している。

 

ピアニストの反田恭平氏

 

――子供の頃からリーダータイプだったのですか。

「誰とでも友達になれて、いつも輪の中心にいる人間でした。世話好きで、小学生の頃は立候補して学級委員や運動会の応援団長をやっていました。学芸会のときには知的障害のある友達の隣で、彼が担当するスライドホイッスルを教えながら吹きました」

「オーケストラをリードする指揮に出合ったのは小学6年生のときです。指揮者の曽我大介先生のワークショップに参加し、プロを相手に振りました。チャイコフスキーの『白鳥の湖』から『チャルダッシュ』という、金管が活躍する派手な曲を選びました。指揮者は鳴っている音楽の少し先を振らなければならないので難しかったのですが、3小節目ぐらいで感覚をつかみました。一振りで皆が同じ方向を向き、音楽が始まることにやみつきになりました。先生からも『君良いね』と言ってもらい、楽しさと格好良さに目覚め、指揮者になりたいと思いました。そのためにピアノに取り組み、今に至ります」

――日ごろ、音楽事務所や楽団を率いる立場として心がけていることはありますか。

「僕が前に進んでいる姿を見せることが大事だと思っています。オーケストラのメンバーにだけでなく、スタッフさんやスポンサーさんに対してもです。その意味でもショパン・コンクールは大きな節目になりました」

「ありがたいことに、僕はコンクールを受けなくてもピアニストとして演奏活動ができていました。出場は高望みではないかと思った人もいるかもしれません。うまくいかなければ経歴に傷が付くリスクがあり、プレッシャーも相当感じていました。それをクリアして結果を残せたことは、大きな自信になりました」

「さらに『反田も頑張っているな』と思ってもらえれば、オーケストラのメンバーもコンクールを受けてみよう、音楽家として高みを目指そう、と考えてくれるのではないかと思います。スタッフさんもきっと、良いコンサートをつくろうと一層頑張ってくれるでしょう。上に立つのではなくて、前に進み続けること。リーダーとして、とても大切なことだと考えています」

「他の企業経営者と出会うと、『何で失敗しましたか』と必ず聞きます。成功は見れば分かります。音楽家も同じで、何千回の演奏をして伝説になるような公演や録音は人生で1、2度でしょう」

 

お金の話 タブーにせず

――経営者目線を持つ音楽家は少ないようです。

「日本では芸術家がお金の話をするのはタブーという雰囲気があります。ファンの方もそう見ているでしょう。だけど米国や欧州に目を向けてください。僕よりも若い音楽家が自分でお金を集め、音楽祭を創設し生活しています」

「世界における日本の賃金水準は相対的に低下しています。ピアニストを目指す子供は減っていますが、ユーチューバーやプロゴルファー、サッカー選手になりたい子は多いです。暮らしぶりが伝わり、子供の憧れにつながる部分はきっとあります。音楽家が稼げるとは言いませんが、勇気を持って努力を続ければ、音楽家として生きていくことはできます。次の世代に伝えていきたいことです」

 

オーケストラのリハーサルに臨む反田さん(右端)cKenryou Gu

――18年に演奏家のマネジメントや公演企画を行う会社「NEXUS」を設立しました。ピアノの務川慧悟さん、バイオリンの岡本誠司さんと有名コンクール入賞の実力者も所属しています。なぜ自ら会社をつくったのですか。

「一つには、自分の好きなことを自由に、フレキシブルにやりたいという単純明快な理由がありました。クリエーターとしての意識が強くなっていたのだと思います。それまでは演奏家としてピアノを弾くだけの人生でした。一人間として『社会人になりきれていないのでは』という不安があったのです。演奏だけでなく、いろんな人と会って直接話をして、一緒に仕事をしてみたいと強く思いました」

「同時にどうせ事務所をつくるのであれば、仲の良い音楽家を誘って定期的にコンサートを開きたいと考えました。日本のクラシック業界では演奏家が最初から最後まで企画に携わる自主公演は非常に少ないと思います。人気があって勝算のある演奏家でもなかなかできません。NEXUSの場合、完全に自社でリスクを負って多くの自主公演を開催します。そんな事務所はほぼないでしょう」

 

リスク負い 収益は還元

「自らリスクを負い成功することができれば、ホールなどから依頼された公演よりも収益ははるかに大きくなります。その収益を自分自身や所属アーティストに還元し、そのお金で海外に行って勉強すればさらに上手になる。彼、彼女らがまた帰ってくれば、日本の音楽界全体の質は確実に上がっていきます」

「音楽に限らず日本では一つの事に専念すべきだという考えが主流です。だけど欧州に行って驚いたのが『豊かに暮らしたいから』と言ってダブルワークする人の多さでした。ピアノさえ弾ければ十分、経営的なことは考えたくないという人がいれば、それはすてきな個性です。だけど少しでも自分で公演を開いてみたい、挑戦してみたい、という気持ちがあれば一歩踏み出すべきです。ダメだったら次はやめれば良いんです」

――事務所経営者としての苦労はありますか。

「マネジメント側の人材確保です。ポップスやロックのライブに行ったことはあっても、クラシックコンサートに行ったことがある人は少ないでしょう。ましてやその裏方に進みたい人なんてごく少数です。アーティストマネジメントにおいて理想とするのは、優秀なホテルマンのような人です。彼、彼女たちは『なんでそんなところに気がつくの』っていうぐらい先回りしてもてなしてくれます。そんなふうに演奏家を良い気分でステージに送り出してくれる人は、とても大事な存在です」

 

ショパン・コンクール2位

そりた・きょうへい 1994年生まれ。桐朋女子高校音楽科在学中の2012年、日本音楽コンクール第1位。モスクワ音楽院を経てワルシャワのショパン国立音楽大へ留学。18年音楽事務所「NEXUS」設立。21年に「ジャパン・ナショナル・オーケストラ」を株式会社化。同年のショパン国際ピアノ・コンクール第2位。

7月に初の自伝エッセー「終止符のない人生」(幻冬舎)を刊行した。小中学校の後輩である編集者と何度も校正し、思い入れのある一冊になったという。

 

お薦めの本

「外套・鼻」(ゴーゴリ著)

モスクワ音楽院に留学した際に手にとり、ブラックユーモアに引き込まれました。ラフマニノフらの作品を演奏する際にも生きています。「ゴーゴリ博物館」の近くにも住んでいました。

 


 

私のリーダー論

 

 

ピアニスト・反田恭平氏 発する言葉は最低限に

 

 

オーケストラは通常、営利を目的としない社団法人や財団法人として運営されることが多い。だがピアニストの反田恭平さん(27)が経営者として、また指揮者として率いる「ジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)」は、株式会社形態のオーケストラだ。稼ぐことが求められるため、自ら先頭に立ち支援を勝ち取る。さらに成長させるため、個々の奏者の個性を磨いていくという。

 

――指揮者の役割をどう捉えていますか。

「経営面で言えば、スポンサーを持ってくる際に言葉で説得をする必要があります。オーケストラを食わせるため、一番の仕事だと思います。欧米では指揮者が楽団のポストに就く上で、重要な点として『どれだけスポンサーを持ってこられますか』と聞かれるそうです。もちろん、高いレベルで指揮が振れるというのは大前提です」

「日本のオーケストラや指揮者はある意味恵まれているのだと思います。NHK交響楽団や読売日本交響楽団など、バックアップがしっかりしている楽団が複数存在します。他にも大企業が付いている例がありますが、そもそも事務局にスポンサーが付いているのであって、指揮者がスポンサーを持ってくるというのはあまり考えられません。JNOでは、僕自身がスポンサーを見つけています」

――現在、世界的指揮者のキリル・ペトレンコさんらも指導した湯浅勇治先生に指揮を学んでいます。

「言葉は必要最低限、ここぞというときに発すべきだと指導を受けていて、私もそう考えます。ある旋律について1人の奏者が『他の指揮者はこうやっているぞ』と言ってくることがあります。こういうとき、指揮者としてオーケストラ全体と対話する必要があります。『僕はこうします』と一言で効果的に伝えなければなりません。ドイツ語圏で活動するために語学の勉強もしています。現地語のほうが相手も気持ち良いでしょう」

「湯浅先生の教えは『ハ長調ならこうだ』というように調性に明確なイメージを持つことなど、音楽家として当たり前だが忘れがちなことです。オーケストラとのコミュニケーションは、基本的には腕と体から発する音楽だけで伝えるべきだと思います」

――尊敬する指揮者は。

「アンドレア・バッティストーニはエモーショナル(情緒的)でありながら音楽の分析能力や話す力が優れています。韓国生まれのチョン・ミョンフンはオペラを聴き、飛び抜けたものを感じました。ロシアのミハイル・プレトニョフらピアニストとしても活躍する指揮者も尊敬しています。昔だとカラヤン、バーンスタインは好きですし、ムラヴィンスキーには音楽への真摯な姿勢を感じます」

 

音楽院創設の夢 支援獲得

――JNOは2021年、反田さんの音楽事務所「NEXUS」とDMG森精機の資金で設立された「森記念製造技術研究財団」との共同出資で立ち上がりました。

「森精機が主催するコンサートに急な代役として出演したことをきっかけに、森雅彦社長と出会いました。僕の夢は自分のオーケストラを成長させ、音楽院をつくることです。森社長にこの夢を語ったところ、支援を決めてくれました。森社長はアイデアマンで直感力があり、僕から見てもアーティストのようです。『こんなことをやりたい』と提案すると、周囲は反対していても少し考えただけで『行ける。やろう』と言ってくれます。直感的にビジョンが見えているのだと思います」

「森社長はよく『全力で遊び、全力で働け』と言います。おいしいものを食べたり、趣味に没頭したり。感性が磨かれ、演奏に必ず生きます。会社員もリフレッシュすれば良い仕事ができるでしょう」

奈良市に完成したJNOの練習場を視察する反田さん(左端)とDMG森精機の森社長(左から2人目)

――JNOの前身は18年にプロデュースした弦楽奏者8人による「MLMダブル・カルテット」です。

「最初は単純に、男の子の演奏家を集めてバッハなんかを弾いたら格好良いと思いました。メンバーは、まずリーダー格として友人でバイオリニストの岡本誠司に声をかけ候補を出してもらい、僕が独断で決めました。当初からオーケストラにしたいとの思いがあり、翌年に金管・木管楽器を入れることになりました。16年度の出光音楽賞をともに受賞した荒木奏美さん(東京交響楽団首席オーボエ奏者)に声を掛けました」

「演奏を実際に聴いたり、ユーチューブで見たりして人選を進めてSNS(交流サイト)などから『一緒に演奏しない?』と誘いました。今秋にもJNOのツアーを予定していますが、ある奏者に連絡したら『既に1カ月空けてある』といってくれました。JNOの活動を重視してくれるのはうれしいです」

地道にチャンスつかむ

――株式会社のオーケストラなので、成長させて稼ぐ必要があります。

「次のショパン・コンクールまで僕は、一定のオファーをもらえる可能性が高いと思います。その中で世界のホールの担当者や現地のエージェントと仲良くなり、『次はオーケストラを呼んでよ』とアピールしたいです」

「最近も欧州でリサイタルがあった際、次は少人数のアンサンブルを指揮しないかとオファーを受けました。『君のオーケストラと混合で』とも。そういった機会が少しずつ増えていると実感していますので、地道にチャンスをつかんでいきたいです。世界の音楽祭に楽団を連れて行き、良い演奏をして口コミが口コミを呼ぶ状態にもしていきたいです」

「奏者個々の顔を見てもらいたいから、メンバーのリサイタルシリーズも開催しています。演奏は素晴らしいですが、さらなる集客の余地はあります。常時満席が理想です。リサイタルは個々の技術向上やメンタルの成長につながり、その上で合奏すれば楽団としても成長します。全国ツアーも年2回ほど計画しており、そのほか全国各地に呼ばれれば喜んで行きます」

「さらに柱になるのがオンラインサロンです。演奏のレッスンなど、メンバーも前向きに取り組んでくれています。ファンのコミュニティーがしっかりできれば、チケットの宣伝の仕方も従来とは変わってくるはずです」

 

<反田恭平氏から リーダーを目指すあなたへ>

嫌われる覚悟が必要です。新しいことを起こすと反感を買いますけど、押し切った先に道が開けることが多い。もちろん人を傷つけてはダメですが、批判を受けても家族や友人が信じてくれればいいと考えています。

 

ドライブで無心になる

欧州と日本を行き来しており、帰国するとコンサートやメディア出演に走り回る。そんな中で、愛車を運転しているときが唯一無心になれるという。時間がとれると地元(東京)の友人を誘い、海や川に出掛ける。特段の目的はなく、缶コーヒーを飲みながら話をしたり、携帯ゲームをやったり。ファミリーレストランにも出掛け「ドリンクバーだけで何時間も過ごして学生時代を思い出す」。今後欧州でも運転できるよう、手続きをしたいという。

 

 

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