経済教室

権威主義との闘い

 

米国、民主主義の原則尊重を 

 

ラリー・ダイアモンド スタンフォード大学教授

Larry Diamond スタンフォード大博士、同フーバー研究所シニアフェロー。専門は民主主義の動向

 

ポイント

〇 中ロの影響力で民主主義の後退が加速

〇 情報操作や工作活動に対抗措置強めよ

〇 中間選挙が米国の健全性と信頼性左右

 

世界では2006年ごろから民主主義の後退が始まり、長引くと同時に深刻化してきた。06年は30年続いた民主主義国家と自由の度合いの拡大が止まった年となった。今日では人口100万人以上で自由な民主主義を奉じる国は3分の1に満たない(図参照)。

各地で権威主義的なポピュリズムのうねりが起きると共に、最も強力な権威主義国家である中国とロシアによる抑圧や有害な影響力が強まった。民主国家は決意を新たにし、戦略を立てる必要がある。さもないと世界中どこでも自由が危機にひんすることになる。

民主主義の後退の多くは文民の政治家や政党の手によるものだ。彼らは選挙制度という表看板の陰で、民主的な規範や権利を踏みにじる。こうした独裁者予備軍は、権力を掌握し、次に憲法上の制約を骨抜きにするために、おなじみのポピュリズム戦略をとる。

まずは対抗勢力に守旧派というレッテルを貼り、良き市民に対する裏切り者呼ばわりする。また政府と社会の既存制度や組織を侮辱し、分断した国を救えるのは自分たちだけだと主張する。少数派や移民は愛国心が乏しく国家の脅威だとして不安と憎悪をあおる。権力の座につくと、自らの権力基盤を制限しかねない組織を根こそぎ排除する。

最終的には国家と社会を全面支配する体制を確立し、将来の選挙で打ち負かすといったことが事実上不可能になる。ハンガリー、トルコ、バングラデシュはこのやり方で民主主義が後退した。インドでのモディ首相とインド人民党(BJP)による統治について、多くの専門家はもはや民主主義と認めていない。ポーランド、ブラジル、フィリピンなど他の民主国家でも権威主義的な戦略が大なり小なり成功を収めている。

 

◇   ◇

近年では2つの要因が民主主義の後退を大幅に加速させている。1つはロシアと中国が「シャープパワー」の行使を強力に進めるようになったことだ。シャープパワーとは水面下の情報操作や工作活動、宣伝活動を通じて自国に有利な状況を作り出す手法を指す。もう1つの要因は米国をはじめ先進国の民主主義の二極化と衰退が進んだことだ。

ロシアの有害な工作活動が表面化したのは、16年米大統領選をドナルド・トランプ氏に有利になるよう仕組んだ件だった。ロシアはかなり前から資金や人材を投入し、国営テレビやソーシャルメディアに偽情報を流布してきた。民主主義や真実に対する不信感の醸成を図り、ロシアの利益にかなう政治家や運動家を後押ししてきた。

さらに大規模なのが中国だ。中国共産党の「中央統一戦線工作部」配下の活動組織と政府を結ぶ広範なネットワークに莫大な投資をしている。中国は潤沢な資金と技術資源により民主主義社会に揺さぶりをかけようとした。標的になったのは大学、研究所、マスメディア、企業、政党などである。中国は過去30年にわたり貴重な技術革新を盗んだり違法に移転したりした。

ロシアのウクライナ侵攻では侵攻への世界の反対を無効化するため、ハードパワーとシャープパワーが連動的に行使された。この悲劇は、米国や日本が十分な抑止力を発動せずにいたら、台湾でより大規模に再現される恐れがある。

幸いにも今では多くの国が、中国とロシアのシャープパワーが民主主義の信認を危うくする脅威に気付いている。オーストラリアや米国では、外国人による投資の審査強化、水面下の工作活動の阻止を盛り込んだ新法が可決された。

だが革新的技術の中国への漏洩防止など、やるべきことはまだまだ多い。情報漏洩が起きれば東アジアの民主国家にとって軍事的脅威が高まるだけではない。華為技術(ファーウェイ)などの企業、中国発のTikTokなどのSNS(交流サイト)を介して世界中の利用者のプライバシーと自由を脅かしかねない。

シャープパワーの作用を世界に周知する必要がある。特に中国の中央統一戦線工作部の手法に注意を喚起し、中国と取引する組織や個人の検知能力とレジリエンス(強じん性)を高めていかなければならない。

 

◇   ◇

実は世界の民主主義にとって最も悩ましいのは米国の国内情勢である。過去30年にわたり米国の政治は二極化し、特に2010年以降が甚だしい。共和党と民主党は相手を政治上のライバルではなく、互いの存在が国家の脅威とまで考えるようになった。

そうなった原因は経済格差の拡大、中流労働者の経済的不安定がまず考えられる。次に考えられるのは押し寄せる移民やFOXニュースをはじめ放送媒体の党派色の強まり、偽情報や不信を増幅するソーシャルメディアの隆盛だ。

これらの要因が重なり合った結果が16年の大統領選におけるトランプ氏の勝利という衝撃だった。トランプ氏は怒りをあおるポピュリズムの古典的手法で共和党を乗っ取った。大統領になると、自らの腐敗を暴きかねない独立機関の監視を受けずに権限を行使するため、民主的な制度の空洞化も試みた。

試みはあやうく成功するところだったが、米国の民主主義を支える独立機関、特に裁判所と一部の誠実な選挙管理人が20年の選挙が盗まれることを阻止した。

21年1月6日の議会襲撃に関する下院特別委員会は現在公聴会を開催中で、トランプ氏が暴力に訴え、いかにして選挙結果を覆そうとしたかを明らかにしつつある。トランプ氏が積極的に暴徒と共謀したこと、さらには自身の副大統領であるマイク・ペンス氏に選挙結果を覆させるため、従わなければ殺すといった種の暴力の行使すら歓迎していたことを示す証拠も積み上がってきた。

多くの米国人は20年の大統領選でジョー・バイデン氏が選ばれたことを機に民主主義の原則の尊重が回復されると期待していた。だが米国の民主主義はなお危うい状況だ。11月の中間選挙に立候補する共和党員などは、20年の大統領選の正統性を否定している。さらに悪いことに、彼らは24年の大統領選で不正が行われたと考えたら、証拠がなくても選挙結果を認めないつもりだと明言している。

そうした共和党員が主な激戦州の要職を押さえたら、仮に大統領候補者本人が負けたとしても、選挙結果をトランプ氏や他の共和党候補に有利なものに覆すかもしれない。あるいは24年大統領選の結果が好戦的な共和党員の気に入らなかった場合、選挙結果の認定を何らかの方法で阻止する可能性もある。

共和党員の中にも、リズ・チェイニー氏のように民主主義の基本原則への裏切りを非難する勇敢な政治家も大勢いる。だが彼らの大半は予備選挙で敗退するか、再出馬しない意向を示している。こうした状況から11月の中間選挙は米国の民主主義にとって重大な試金石となる。そして米国の民主主義の健全性と信頼性が世界の民主主義の将来に多大な影響を与えることは改めて言うまでもない。

 

 


 

権威主義との闘い

 

アジア、偽情報の氾濫止めよ 

 

粕谷祐子・慶応義塾大学教授

かすや・ゆうこ 68年生まれ。米カリフォルニア大サンディエゴ校博士。専門は比較政治学

 

ポイント

○ 東南アジアは過去10年で民主主義後退

○ 政府によるフェイクニュース悪用目立つ

○ 日本は苦境の民主化勢力へ支援多様化を

 

中国の軍事的台頭やロシアによるウクライナ侵攻を契機に、世界の政治的対立軸が民主主義対権威主義であるとの認識が広がりつつある。さらに民主主義陣営が協力して権威主義勢力と闘うべきだとする論調も米国を中心に拡散している。

バイデン米大統領は2021年12月、約110の国・地域の首脳を招待して「民主主義サミット」を開催した。そこでバイデン氏は、民主主義国は独裁国からの脅威に対抗すべきだと演説し、22年3月の一般教書演説でも同様の指摘を繰り返した。

だが東南アジアにおける「権威主義との闘い」は、バイデン氏が描くような対立構図にはなっていない。権威主義陣営を主導する国との距離が、国や争点ごとに異なるためである。

ベトナムは反中だがロシアのウクライナ侵攻を容認する立場をとった。タイは逆に、ロシアが仕掛けた戦争には反対だが親中的である。インドネシア、フィリピン、マレーシアは対ロシアで米国とある程度歩調を合わせるが、中国との領海問題では温度差がある。

この地域での権威主義との闘いを考える際に重要なのは、国内において民主主義を壊そうとする勢力と、それを食い止めようとする勢力との間で形成されている対立軸である。

図に、東南アジア諸国の政治がこの10年でどう変化したかを示した。元データはスウェーデンのV-Dem(多様な民主主義)研究所による自由民主主義指標である。この指標では、法の支配、言論や結社の自由、公正な選挙など、民主主義体制を構成する要素を総合的に評価している。

縦軸・横軸とも1に近い方が民主的で、45度線より上に位置する国は10年前より民主的な政治になっている。逆に45度線以下の国は民主主義が後退したことを示している。図からは、ここ10年間で東南アジアのほとんどの国が権威主義的になったことがわかる。

 

◇   ◇

民主主義の後退は、主に2つのパターンで起きている。1つは、軍事クーデターにより、選挙で選ばれた政府が退陣させられたケースである。14年のクーデター以降、実質的には軍の支配が続いているタイや、21年にクーデターが起きたミャンマーが該当する。

2つ目のパターンが、ある程度自由な選挙で選ばれた政治家が民主主義を壊しているケースである。インドネシアの場合は、14年から大統領をつとめるジョコ・ウィドド氏の主導でイスラム主義団体が解散に追い込まれたり、汚職を取り締まる政府機関の権限が弱められたりしている。

フィリピンでは16年に大統領に当選したロドリゴ・ドゥテルテ氏が、政府に批判的なメディアに脱税容疑をかけるなどの嫌がらせをし、国内最大手のテレビ局の放送免許を剥奪した。政権の目玉政策である「麻薬戦争」の実施過程では深刻な人権侵害があったが、これを批判する市民団体への弾圧も相次いだ。

日本の民主主義はアジアで高水準に位置するが、経済協力開発機構(OECD)の中では下位グループにとどまる。近年の後退はV-Dem指標のうち「表現の自由・複数の情報源」の項目で目立つ。政権によるメディア統制の強化などが影響しているとみられる。

東南アジアで民主主義を壊す勢力は軍や政治家など国によって異なる。しかし共通するのは、野党やジャーナリスト、市民団体など抵抗勢力が著しく劣勢にある点である。背景は複数あるが、ここでは特に重要度が増している「情報」の問題を取り上げたい。

東南アジアではこの10年でSNS(交流サイト)などソーシャルメディアが飛躍的に普及した。それに伴い増えたのが、政治を含む様々な内容のフェイクニュース(偽情報)である。

この状況を受け、偽情報の発信・拡散を刑罰の対象とする「フェイクニュース法」が各国で成立した。10年以降、カンボジア、シンガポール、タイ、ベトナム、マレーシアなどで新規立法や既存の法令を強化する動きが起きている。

これらの法律は何がフェイクかの定義が曖昧であるため、政府が悪用しているとの指摘が後を絶たない。政府に批判的なジャーナリストや市民団体、SNSユーザーが犯罪者として起訴・処罰されるケースが相次いでいる。さらに一部の強権的な政治家がオンライン上の「トロール(荒らし)」を利用し、政権に批判的な報道やSNSの書き込みに対して誹謗中傷をしているとも報告されている。

言論統制の法律やトロールの存在は、ジャーナリストや一般市民の間に、政府批判を控える「自己検閲」の態度を生む。この状況は政府や政治家による不正や権力乱用を暴くことを困難にし、権力者の責任逃れを許してしまう。

 

◇   ◇

フェイクニュースの氾濫は有権者の投票行動にも影響を与えている。22年5月のフィリピン大統領選挙では、1972年から86年まで独裁を敷いていたフェルディナンド・マルコス大統領の息子であるフェルディナンド・マルコス・ジュニア氏が大勝した。当選の要因は複数あるとはいえ、SNS上で拡散されてきた偽情報の重要性を多くの専門家が指摘している。

マルコス陣営が流したといわれているフェイクニュースは、対立候補をおとしめるものだけではない。マルコス元大統領の独裁時代に「フィリピン経済が高度成長した」「人権侵害がなかった」などの偽情報も拡散した。実際には80年代のフィリピン経済は停滞し、国際人権団体の調べでは3000人以上の反体制活動家が殺害されている。

筆者と茨城大の小椋郁馬講師、学習院大の三輪洋文准教授、V-Dem東アジアセンターの森浩太氏によるフィリピン全国での世論調査では、経済成長に関する偽情報を聞いたことがあると答えたフィリピン人は対面調査で43%、オンライン調査で79%に達した。さらに偽情報が真実だと思うとした回答者もそれぞれ40%と60%に及んだ。真実だと思うと答えた回答者は、そう思わないと答えた人より、今回の選挙でマルコス候補に投票しようとする割合が高かった。

東南アジアで民主主義を守ろうとする勢力は、フェイクニュースの時代においてこれまで以上の苦境に立たされている。

このような状況で日本が果たす役割は大きい。これまで日本は政府開発援助(ODA)の一部として「民主化支援」を多くのアジア諸国で行ってきた。ODA白書によれば、近年の支援は主に選挙実施に関わるもので、投票用紙や二重投票を防ぐための「消えないインク」の提供などである。

今後は選挙当日のための支援だけでなく、その前段階に関わる支援が重要だ。具体的には調査報道を担うジャーナリストの育成、偽情報の検出やファクト・チェック活動への資金的・技術的支援などである。偽情報との闘いは今後日本でも激化すると予想される。民主化支援のノウハウは翻って、日本の民主主義を守る上でも役立つであろう。

 

 


 

権威主義との闘い

 

体制間対立より現実主義 

 

益尾知佐子・九州大学准教授

ますお・ちさこ 東大博士(学術)。米ハーバード大研究助手など経て08年から現職。専門は中国の政治外交

 

ポイント

○ 恐怖が日米中を「安全保障のジレンマ」に

○ 中国の覇権主義への警戒、18年から拡大

○ 安倍氏の対中外交の現実主義、想起せよ

 

ロシアによるウクライナ侵攻以降、西側の「民主主義」と中国、ロシアに代表される「権威主義」との体制間対立をあおる論調がはびこっている。しかし中国外交の研究者から見ると、新冷戦とも言われる現在の状況を「民主主義対権威主義」の対立軸で捉えるのは危険である。

なぜならこの対立軸には、「善対悪」の価値観が埋め込まれている。そしてこうした見方は将来、私たちを十字軍的な「正義の戦い」へと駆り立てかねない。

今日の日本では、中国は「権威主義の悪の親玉」扱いを受けている。しかし中国国民の政権への満足度は高く、ハーバード大学の2020年の発表では95.5%に達した(調査は16年)。この数字は驚異的だが、中国政府が汚職撲滅や環境美化、貧困対策などに尽力してきたのは確かだ。ほとんどの国民は政権の問題解決能力を評価しており、これを悪政とはみていない。

むろん中国共産党政権は党や漢族の安全や権利を過度に重視し、しばしば人権抑圧などの問題を引き起こす。しかし民主主義を掲げる日本も男女平等の度合いを示すジェンダー・ギャップ指数で世界116位と低迷し、非正規雇用がまん延している。若者は結婚できず、自殺率も高い。

日米中3カ国に住んだ筆者の実感では、民主主義の方が優れた体制とは言い切れない。中国は批判を受けるのに、同じアジアのシンガポールの権威主義が非難されないのも不自然だ。つまり現在の世界情勢における問題の本質は、民主主義と権威主義との体制間対立ではないのだ。

 

◇   ◇

では何が問題か。国際政治の基本は力の対立だ。現実主義の祖であるギリシャの歴史家トゥキディデスは、民主主義のアテネと権威主義のスパルタの間で起きたペロポネソス戦争の30年を記録した。長年の分析の結果、彼が指摘した戦争の根本原因は政治体制の差ではなかった。いわく、「戦争を不可避にしたのは、アテネの台頭、そしてそれがスパルタに引き起こした恐怖だった」(「戦史」)。

国家はときに栄え、ときに衰退する。国家間の勢力均衡図は組み替えを繰り返すが、いったん定まればある程度安定的になり、国際秩序の基盤を提供する。ゆえに国家間の力関係が大きく変化するとき、各国は新たな構造の中で利益を確保しようと動き、情勢は流動化する。戦争や外交的手段を通し、主な関係国間で利益配分の再調整が済むまでこの状態は継続する。

各国は自らと利害関係の異なる強者が生存を脅かしていると認識すると、軍事や外交上の対応措置を増強する。それを見た相手は他方の力の拡大に恐怖心を募らせ、自らを守ろうと新たな措置をとる。双方の関係は相互作用でさらに緊張し、軍拡が起き、武力衝突のリスクが高まる。おのおのの恐怖心が生む全体的な悪循環は、「安全保障のジレンマ」と呼ばれる。

中国は12年以降、日本の領土を実力で奪おうとしてきた。急激な軍拡を続ける中国が今、日本の最大の脅威であることは間違いない。中国は「不測の事態を招きかねない危険な行為」を行い、「自らの一方的な主張を妥協なく実現しようと」してきた(「令和3年版防衛白書」)。

筆者もその行動を深く憂慮する一人である。しかし勢力均衡の変化が引き起こした対立を「権威主義との闘い」と言い換え、相手の存在そのものを否定し対抗をあおるのは、物事の本質をはぐらかす態度だ。

新たな利益配分の調整に際して考慮すべきは、中国も今の国際政治に恐怖を感じている点だ。中国共産党の認知枠組みは元来、対外的な脅威を誇張しがちだ。

中国は常に「覇権」主義の国際的広がりを警戒してきたが、中国メディアでの言及頻度は18年から急増する。米中貿易戦争が始まった年である。

 

◇   ◇

より細かく見てみよう。図は中国国営の新華社発の記事の中で、習近平(シー・ジンピン)国家主席がどう「覇権」を論じてきたかをコーディングした結果である。中国共産党機関紙・人民日報の電子版「人民網」中の「習近平系列重要講話データベース」から該当記事を抽出し、中身をすべて読んで分類した。

習氏の論じ方としては、中国自身の「反覇権主義」の表明が最もマイルドな表現である。次に穏やかなのが国際一般の外交原則もしくは歴史経験として「反覇権主義」に言及したものなどである。最も強度を持つ表現が、他国の今の「覇権主義」への批判、もしくはそれに対する国際的連帯の呼びかけである。

中国は指導者の品位を守るため、指導者による他国への批判をあまり報じない。だがこの図から明らかなように、習氏は20年から反覇権主義への言及頻度と強度を急拡大している。さらに同年末から他国の「覇権主義」への明確な批判を展開するようになる。

それだけ習氏は、米トランプ前政権が始めた中国への半導体禁輸措置や、バイデン現政権による日米豪印の4カ国枠組み「クアッド」の強化、米英豪の軍事的枠組み「AUKUS」の発足に対し、深刻な脅威を感じていたのだろう。

興味深いことに、時系列データでは習氏の言及の転機は2回とも、ロシアのプーチン大統領との会談中に生じている。習氏が米国の言動に悩んでいたことは間違いないが、それをくみ取って言語化したのは、中国より対米不満の強いプーチン氏だった可能性がある。

ロシアのウクライナ侵攻後、中国当局は「西側に追い詰められている」という感覚を強めた。中国から見れば、ロシアの軍事行動で日豪などが北大西洋条約機構(NATO)の会議に参加し、世界の対中包囲網が強化される理由は、中国つぶし以外にない。

習氏は22年に入り、米国を中心とする国々の「小圏子」(お仲間グループ)への非難を強めた。6月下旬には新興5カ国による「BRICS」の拡大を目指し、発展途上国の「大家庭」づくりを本格化した。同時に4隻目の空母の建設や、宇宙と陸と海底を結ぶグローバルな立体監視網の構築にも注力する。世界の安全保障のジレンマは新段階を迎えている。

新たな勢力が台頭するとき、国家間では利益配分の再調整が必須だ。だが対立があまりに激化すれば、調整は軍事的衝突でしか行えない。西側諸国の現在のやり方は、中国と外交的に組み合う選択肢をほとんど残しておらず、中国側の脅威感を不必要に高めている。

先日亡くなった安倍晋三元首相は在任時、ニュアンスに富んだ実務外交を展開した。インド太平洋構想を掲げ、中国に対する外交・安全保障上の備えを確保しながら、経済面では中国との共存を模索した。ルール構築の重要性も掲げ、日本の戦略的価値を高めることに成功した。そうした安倍外交は、欧米だけでなく中国からも高く評価された。

諸般の条件は一変したが、私たちはもう一度、安倍氏の現実主義を想起すべきではないか。

 

 

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